小原幸造

提供: Yourpedia
移動: 案内検索

小原 幸造(おばら こうぞう、生没年不詳)は、幕末武士新選組の平士のち伍長。名は孔造(こうぞう)とも。

略歴[編集]

出身は武蔵江戸[1]。前名は険太郎という[1]元治元年(1864年10月、新撰組が江戸で第1次隊士募集を行なった際に入隊し、この際に名を幸造と改めた[1]。同年11月の第1次行軍録では8番大砲組の平士であった[1]慶応元年(1865年)5月の時点では新撰組で148人中序列65位であり、3番平士であった(『山崎丞名簿』)。慶応3年(1867年)6月に新撰組が幕臣に取り立てられた際にも平士であった[1]。この直後頃に伍長になったものと推測される。

慶応4年(1868年1月鳥羽・伏見の闘いに敗れた新撰組が江戸に帰還した直後、「江戸にて脱走」したと『元新撰組連名』に記録されている。

脚注[編集]

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 相川、2011年、p.204

参考文献[編集]