運慶

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運慶(うんけい、生年不詳 - 貞応2年12月11日(1224年1月3日))は、平安時代から鎌倉時代にかけて活動した仏師である。

経歴 出生 平安時代末期の仏師である師康慶の子として生まれた。生年は不明であるが、1150年頃とみられる。その理由は20歳代半ばに製作したとみられる円成寺大日如来座像が安元二年(1176年)に製作されているからである。

作品

大日如来坐像 安元二年(1176年) 国宝 木造漆泊、玉眼、像高98.8。奈良 円成寺。 現存する運慶の作品のうち、最も早い二十台半ばの作品である。台座の部材の裏側に書かれた墨書に、安元元年(1175年)11月24日に製作を開始し、翌年安元二年(1176年)101月に完成したことが記されている。銘の最後に大仏師康慶実弟子運慶の署名と花押が記されている。像高100cm弱の像では、通常3ヵ月前後で製作されるので、1年近くかけて製作したことは珍しい。平安時代の作風の名残も見られるが、運慶の空間把握能力、人体表現など独自のダイナミックな表現がみられる。

毘沙門天立像 文治二年(1186年) 国宝 木造、彩色、玉眼。像高148.2。静岡 願成就院。 五輪塔形銘札に銘に文治二年(1186年)5月3日に像造を開始したと書かれている。運慶の東国における最初の造像である。奈良時代の神将形像の様式を取り入れつつ、腰をひねり、右手を高い位置に上げる姿や顔立ちに新しい創造性を実現した。

八大童子立像 建久八年(1197年)頃 国宝 木造、彩色、戴金、玉眼、 和歌山 金剛峯寺。 高野山一心院谷にあった不動堂に安置されていたが、現在は壇上伽藍に移設されている。 製作年代は、建久八年に行勝上人が一心院を建て、本堂に不動明王像、八大童子像を安置したと同時代資料の『五坊寂静院文書』明記されている。 壮年期の運慶が製作した、現存する像の一つとして重要である。『秘要法品』に記されている図像に基づきながら、ボリュームのある肉づき、軽快な動作、微妙な表情などが巧みに表現されている。