幕府

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幕府は、征夷大将軍を頂点とする全国規模の武家政権、あるいはその武家政治の政庁を指す名称。通常、政庁は征夷大将軍の居館・居城に置かれていた。中世及び近世における日本軍事政権

語義[編集]

「幕」は「帳幕」・「天幕」を意味し、「府」は王室等の財宝や文書を収める場所、転じて役所を意味する。中国の戦国時代に代わって指揮を取る出先の将軍が張った陣地を「幕府」と呼んだことに由来する。

それが日本に来て、近衛大将唐名となり、幕下あるいは「柳営」ともいった。その後、前右近衛大将源頼朝が征夷大将軍に任ぜられたことから、転じて征夷大将軍の別称ともなった。そして征夷大将軍の遠征時の本陣(本営)を指した。戦時の司令部であった場所を平定後も政策発信地とし、実質的に武家政権の政庁となっていった。征夷大将軍を中国風に覇者とみなし、覇者の政庁の所在地として「覇府」とも呼ばれる。

「幕府」の名称がすなわち武家政権の政庁を表すようになったのは、と同じく江戸時代中期以降で、朱子学の普及に伴い、中国の戦国時代を研究する儒学者によって唱えられた。よって、「鎌倉幕府」や「室町幕府」という言葉はこの時代以降に考案されたもので、当時の人々は鎌倉や室町の中央政庁を「幕府」と呼んだことはなく、それぞれの初代将軍が「幕府を開く」という宣言を出したこともない。ただし、将軍の居所を「幕府」と呼んではいる。つまり、所在地としての意味合いであった。

鎌倉幕府1192年源頼朝が征夷大将軍に補任された時をもって成立したというのが、従来の説である。しかしながらこれには異論がある。源頼朝は征夷大将軍補任以前の段階で既に守護・地頭などの設置などを通じて、日本国内における軍事権・警察権を把握しつつあり、逆に日本全国に軍事警察権が行き届くのは承久の乱以降である。一方で室町幕府1573年足利義昭織田信長によって京都を追放された時をもって終焉したとされるが、足利義昭は1588年まで征夷大将軍の地位を保持していた。そのため冒頭で述べた「征夷大将軍を頂点とする全国規模の武家政権を幕府とする」というのは厳密な定義とは言い難く、現実には何をもって幕府と定義するのかは諸説あり、曖昧さを残している。

一覧[編集]

歴史学上日本には、幕府は鎌倉幕府室町幕府江戸幕府がある。どの幕府も形式上は将軍の家政機関の形態をとっていた。

名称 時代 政庁 創設者 将軍家 備考
鎌倉幕府 鎌倉時代 相模国鎌倉 源頼朝 源家摂家宮家 源家将軍断絶後は、執権北条氏が実権を握る
室町幕府 室町時代 山城国京都 足利尊氏 足利氏 有力守護大名の連合政権/戦国時代には権威が低下
江戸幕府 江戸時代 武蔵国江戸 徳川家康 徳川氏 将軍自らが政治を主導した時期と、徳川家譜代の幕閣が政治を主導した時期があり

/江戸時代末期には権威が低下

関連項目[編集]