南満州鉄道

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{{基礎情報 会社 |社名 = 南満州鉄道 |英文社名 =South Manchuria Railways |ロゴ = |種類 = [[特殊会社]] |市場情報 = |略称 = |国籍 = {{JPN1889}} (租借地) |郵便番号 = |本社所在地 = [[関東州]][[大連市]]東公園町30 |電話番号 = |設立 = [[1906年]] |業種 = 陸運業 |事業内容 = 旅客鉄道事業、貨物鉄道事業 |代表者 = |資本金 = 2億円(設立時)→14億円([[1940年]]) |売上高 = |総資産 = |従業員数 = |決算期 = |主要株主 =[[大日本帝国]]政府(50%) |主要子会社 =[[華北交通]]、[[大連都市交通]]、[[満州航空]]、[[昭和製鋼所]] |関係する人物 =[[後藤新平]]、[[中村是公]]、[[山崎元幹]]、[[十河信二]]、[[島安次郎]] |外部リンク = |特記事項 = [[満州国]]成立以降は[[新京|新京特別市]]に設置された本部が事実上の本社 }} [[Image:Mantetsu Honsha.jpg|300px|thumb|right|大連の満鉄本社]] [[Image:Shimpei Gotō.jpg|240px|thumb|right|初代総裁・後藤新平]] '''南満州鉄道株式会社'''('''南満洲鉄道株式会社'''、みなみまんしゅうてつどう、通称 '''満鉄'''、英称: South Manchuria Railways Co.)は、[[日露戦争]]後の[[1906年]]([[明治]]39年)に設立され、[[1945年]]([[昭和]]20年)の[[第二次世界大戦]]の終結まで[[満州]]([[中国東北部]])に存在した[[大日本帝国|日本]]の[[特殊会社]]である。 [[鉄道]]事業を中心にするが、きわめて広範囲にわたる事業を展開し、満洲経営の中核となった。本社は[[関東州]][[大連市]]であるが、のちに[[満州国]]が成立すると満州国首都の[[新京|新京特別市]]に本部が置かれ、そちらが事実上の本社となった。また[[東京市]][[麻布区]]麻布狸穴町<ref>現在の麻布台2丁目1番2号、跡地には[[東京アメリカンクラブ]]が造られた(2007年閉鎖)。</ref>に東京支社が置かれた。最盛期には80余りの関連企業を持った。 == 設立経緯 == [[Image:旧満鉄本社.JPG|thumb|right|旧満鉄本社(2007年10月)]] [[Image:ManchuriaRailways stele.jpg|thumb|right|大連市内にある満鉄旧址の石碑]] [[Image:Dairen Oohiroba.jpg|thumb|right|大連大広場。満鉄は沿線に近代的都市計画による都市建設を行なった。]] [[Image:ManchuriaRailways Manhole.jpg|thumb|right|大連市内に現存する満鉄の社紋(「M」とレール断面の意匠)入りのマンホールの蓋。満鉄は上下水道や電力・ガスなど都市インフラに関わる事業も行なっていた。]] [[Image:Dairen Yamato Hotel.JPG|thumb|right|満鉄が営業した大連ヤマトホテル。現在も[[大連中山広場近代建築群#旧 大連ヤマトホテル|大連賓館]]として当時の建物で営業されている。]] [[Image:Fushun Coal Mine.jpg|thumb|right|撫順炭鉱の経営も満鉄が行なった。]] 南満州鉄道株式会社は、[[日露戦争]]中の[[満州軍 (日本軍)|満州軍]][[野戦鉄道提理部]]を母体に、日本政府が1906年に設立した半官半民の特殊会社である。 日露戦争([[1904年]]-[[1905年]])の勝利により、[[ポーツマス条約]]の結果[[ロシア帝国]]から譲渡された[[東清鉄道]]の[[哈大線|南満州支線]]・[[長春]] - [[大連駅|大連]]間の鉄道施設・付属地と、日露戦争中に物資輸送のため建設された[[軽便鉄道]]の[[安奉線]](安東(現・[[丹東]]) - 奉天(現・[[瀋陽駅|瀋陽]])間)とその付属地の経営が当初の設置目的であった。当初はアメリカの実業家の[[エドワード・ヘンリー・ハリマン]]が資本参入し、桂・ハリマン協定により日米共同経営が予定されていたが、外務大臣の[[小村寿太郎]]から反対し、日本単独資本となった。 初代総裁には[[台湾総督府]]民政長官として[[植民地]]行政に実績を挙げていた[[後藤新平]]が就任した。後藤は満鉄の監督官庁である[[関東都督府]]の干渉により満鉄が自由に活動できないことを懸念し、総裁就任の条件として満鉄総裁が関東都督府の最高顧問を兼任することを時の首相、[[西園寺公望]]に飲ませている。また、人材確保のため、官僚出身者は在官の地位のまま満鉄の役職員に就任することも認めさせた。 ==活動概要== ===午前八時主義=== 後藤は「'''午前八時の男でやろう'''」というスローガンを掲げ、台湾総督府時代の腹心で40歳そこそこの[[中村是公]]を副総裁に抜擢し、中村とともに30代、40代の若い優秀な人材を理事はじめ要職にスカウトした。[[三井物産]]の門司支店長から抜擢された犬塚信太郎に至ってはまだ32歳であったが人物・識見を買われ理事となった。 ===多様な事業展開=== 満鉄は単なる鉄道会社ではない。日露戦争中に[[児玉源太郎]]が[[後藤新平]]の影響を受けて献策した「満州経営梗概」には「戦後満洲経営唯一ノ要訣ハ、'''陽ニ鉄道経営ノ仮面ヲ装イ、陰ニ百般ノ施設ヲ実行スルニアリ'''。」とあり、それを具現したのが満鉄なのである。 満洲を中心とした鉄道経営のみに留まらず、[[炭鉱]]開発([[撫順]]炭鉱など)、[[製鉄]]業([[昭和製鋼所|鞍山製鉄所]])、港湾、電力供給、農林[[牧畜]]、[[ホテル]]([[ヤマトホテル]])などの多様な事業を行なった。後藤の発案で設けられた[[満鉄調査部]]は当時の日本が生み出した最高の[[シンクタンク]]として知られた。 後藤は「満鉄十年計画」を策定し、ロンドンでの[[社債]]の発行によって2億円を調達し、これらの事業を進めた。 ===鉄道付属地行政=== {{see also|南満州鉄道附属地}} また、ロシア帝国から引き継いだ[[南満州鉄道附属地|鉄道付属地]]での独占的[[行政|行政権]]を与えられており、地方部のもとで大規模な[[近代|近代的]][[都市計画]]([[大連]]、[[奉天]]、[[長春]]のちの[[新京]]など。)を進めた。[[水道|上下水道]]や[[電力]]、[[ガス燃料|ガス]]の供給、さらには[[港湾]]、[[学校]]、[[病院]]、[[図書館]]などの[[インフラストラクチャー]]の整備を進め、満洲経営の中心となった。 ===標準軌への改軌=== レールの間隔の変更([[改軌]])は、初期満鉄の大きな問題だった。もともとロシアの敷いた[[軌間]]は5フィート(1524mm)の[[広軌]]であり、日露戦争中、野戦鉄道提理部が日本から持ち込んだ内地用の車両が走行可能なように3フィート6インチ(1067mm)の[[狭軌]]に改築していた。これを、政府の命令書により中国や朝鮮などに合わせて4フィート8.5インチ(1435mm)の[[標準軌|国際標準軌間]]に改築しなければならなかった。[[1908年]]には大連 - 長春の[[満鉄連京線|本線]]の改築が終わった。不要になった狭軌の機関車は日本に還送されることになり、周水子駅で異例の機関車の送別会が行なわれた。また、日露戦争中に[[軽便鉄道]]として敷設された[[安奉線]]も標準軌に改築された。 ===政党の介入と社員の抵抗=== [[1912年]]12月、第2代総裁[[中村是公]]、副総裁[[国沢新兵衛]]が更迭される。[[立憲政友会]]出身の[[内務大臣 (日本)|内務大臣]]・[[原敬]]の差し金であった。総裁に政友会系鉄道官僚・[[野村龍太郎]]、そして副総裁には政友会の幹部だった[[伊藤大八]]が送り込まれた。これ以来、満鉄幹部のポストは政党の利権の対象となり、社員と激しく対立することもしばしば生じた。伊藤大八はそれまで行なわれていた理事の合議制を廃止し、総裁の権限強化を提案したが、創立以来の理事であった犬塚信太郎が強硬に抵抗した。その結果、犬塚と野村、伊藤はいずれも株主総会で更迭された。 [[1918年]][[原内閣|原敬内閣]]が成立すると、原は[[1919年]]4月、理事長・国沢新兵衛を更迭し、社長に再び野村龍太郎を起用、副社長に政友会系鉄道官僚・[[中西清一]]を抜擢した。 中西は塔連炭坑と内田汽船を異常に高い値段で買収した。塔連炭坑は政友会の幹部・[[森恪]]が経営していた。内田汽船も政友会系の人物が経営していた。炭坑や汽船を満鉄に売りつけた代金は政友会の選挙資金に充てられた('''[[満鉄疑獄事件]]''')。野党・[[憲政会]]はこの問題を[[帝国議会]]で追及し、中西を[[背任罪]]で[[告訴・告発|告訴]]した。また社員の中にも職を賭して抵抗したものがいた。興業部庶務課長であった山田潤二は野村社長と中西副社長に直言し、容れられないと職を辞し、検事に決定的証拠を提出した。中西は逮捕・起訴されるが、控訴審で無罪となる。 こうした度重なる政党の介入に対し、社員は団結し、[[1927年]]、社員会を結成する。 ===張作霖爆殺事件と満洲事変=== {{See|張作霖爆殺事件|満州事変}} 昭和に入ると、満鉄は相次いで[[関東軍]]の陰謀の舞台となる。 [[1928年]][[6月4日]]、満鉄の車両が[[瀋陽|奉天]]付近で爆破され、乗っていた奉天派軍閥の領袖、[[張作霖]]が死亡した。これが'''[[張作霖爆殺事件]]'''であり、中国人の犯行に見せかけた関東軍の陰謀であった。結果は失敗に終わり、首謀者・[[河本大作]]陸軍大佐は[[予備役]]に編入される。(後に河本は満鉄の理事になる。) [[1931年]]9月、満鉄の柳条湖付近の線路の爆破事件('''[[柳条湖事件]]''')は、'''[[満州事変]]'''の発端となった。関東軍高級参謀・[[板垣征四郎]]、同参謀・[[石原莞爾]]らの陰謀であったが、当時満洲を支配していた[[張学良]]と戦闘状態に入り、圧倒的な軍事的勝利により、満洲全土を関東軍の支配下に置くことに成功した。 当時、総裁[[内田康哉]]以下の満鉄首脳は事変の不拡大を望んでいたが、理事の中でただ一人事変拡大派であった[[十河信二]]の周旋で内田が関東軍司令官・[[本庄繁]]と面談すると、急進的な事変拡大派に転向し、満鉄は上から下まで事変に協力することになる。この満洲事変、および'''[[満州国]]'''の成立によって満鉄の性格は大きく変わることを余儀なくされる。満鉄の監督官庁は満洲国建国以後、日本の在満洲国[[特命全権大使]]となったが、この職は[[関東軍]][[司令官]]が兼任していた。こうして満鉄は事実上、関東軍の支配下に入ることとなった。 ===北満鉄道買収と営業キロ数の伸び=== 鉄道は満鉄本来の路線('''社線''')つまり[[新京]](現・長春) - [[大連駅|大連]]・[[旅順]]間の[[満鉄連京線|満鉄本線]]と[[安奉線]]のほかに、満洲国が[[1935年]]に[[ソビエト連邦]]から買収した新京以北の[[東清鉄道|北満鉄路]](旧称・東清鉄道)をはじめとする[[満州国有鉄道]]('''国線''')や北部朝鮮の一部の鉄道の運営および新線建設を受託し、[[営業キロ]]数は格段と伸びた。これに対応するため、満鉄は[[1936年]]、奉天に'''鉄道総局'''を設置、さらに[[1942年]]に本社を大連から満洲国の首都[[新京]]に移転している。 ===特急「あじあ」=== [[Image:Super Express Asia.jpg|300px|thumb|right|満鉄のシンボル、特急「あじあ」]] [[1934年]]11月、大連 - 新京間に満鉄最初の特急'''「[[あじあ号|あじあ]]」'''が設定された。最高速度は130km/h、表定速度は82.5km/hで、日本国鉄の特急「[[つばめ (列車)|つばめ]]」の平均速度66.8km/hをはるかに上回った。流線型の外被をつけて空気抵抗を少なくした大出力蒸気機関車「パシ{{Smaller|ナ}}型」がこれを牽引した。[[1935年]]には運転区間は[[ハルビン|哈爾濱]](ハルビン)まで延長された。 ===鉄道付属地の返還=== しかし、満洲全土が日本の勢力下に入ると、鉄道付属地は必要なくなり、[[1937年]]に満洲国に返還された。これに伴い、地方部の行なっていた付属地行政(土木・衛生・教育)は満洲国政府に移管され、満鉄地方部は廃止された。大量の満鉄職員(その多くは[[教員]])が満鉄から[[満州国]]へ移籍した。 ===満鉄改組=== 満洲事変以来、満洲の経営の中心は満鉄から関東軍に移る。また満洲国政府にも日本から高級官僚が送られてきて力を持つようになった。こうした勢力は、[[満州国の経済]]における満鉄の独占的地位をよしとしなかった。[[1938年]]3月、満鉄は[[昭和製鋼所|鞍山製鉄所]]をはじめとする重工業部門を[[満州重工業開発]](満業)に譲渡し、鉄道と炭鉱部門および調査部門に特化することになった。 こうしたなか、総裁[[松岡洋右]]は大調査部構想を掲げ、調査部門を強化するが、[[1942年]]、[[1943年]]の二度に亙る「[[満鉄調査部事件]]」(満鉄調査部の研究者が左翼的であるとして大量に検挙された)により、調査部門も活力を失った。 子会社の[[東亜勧業]]は[[満蒙開拓団]]の入植地確保のため、関東軍の指示で用地買収を行なった。代替地を用意せず、只同然の補償金で先住中国人を強制的に立ち退かせた。 === 消滅とその後 === {{Main2|この辺りの事情は[[山崎元幹]]の項も}} 満洲近代化においての満鉄の影響は大きかったが、[[1945年]]の[[日本の降伏]]の直前に満洲に侵攻した[[ソビエト連邦軍]]に接収され、その施設は同年[[8月27日]]に発表された[[中ソ友好同盟条約]]により、[[中華民国]]政府とソビエト連邦政府の合弁による[[中国長春鉄路]]に移管される。一方、[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]により[[ポツダム宣言]]受諾にともなう閉鎖機関令が公布され、満鉄は同年9月30日に遡って閉鎖されたものとされた。ただし敗戦後も、満鉄東京支社の財産などが残っていたので、清算は[[1957年]]までかかった。 満鉄は消滅したものの、現地の鉄道輸送の人員や技術者は不足しており、旧満鉄社員の多くは中華民国政府の依頼によって現地に留められ、鉄道運行などの業務に従事させられた。これを'''留用'''という。留用は[[1948年]]まで続いた。彼らの留用による成果として、[[宝鷄]] - [[蘭州]]間の[[天蘭線]]開通が挙げられる。また、[[大村卓一]]は満鉄総裁を務めた罪で、[[中国共産党]]軍に逮捕され、獄死している。 満鉄が満洲に残した各種インフラは、日本が撤退し、その後勃発した[[国共内戦]]の結果として中華民国から[[中華人民共和国]]へ政体が変わった後も、東北部を経営する際にも大きく役立っており、[[1980年代]]に改革・開放政策が始まるまで、付近で発見された[[大慶油田]]と共に、国内が不安定であった中華人民共和国の経済を支え続けた。 [[長春]](旧・新京)や[[大連市|大連]]、[[瀋陽]](旧称・奉天)といった主要都市では現在でも日本統治時代の建築物を多数目にすることが出来る。満鉄関連の建物も現在でも多くが修復されながら現在も使われており、たとえば満鉄大連本社は現在でも[[大連鉄道有限責任公司]]の事務所としてその建物を使用しており、大連などにある旧ヤマトホテルは現在も[[大連中山広場近代建築群#旧 大連ヤマトホテル|大連賓館]]や遼寧賓館などに名前を変えて営業を続けている。 なお、元満鉄に関係のある者を中心とし、満洲に関係のある帰還者、未帰還者およびその家族等の援護厚生を図ることを目的として、財団法人[[満鉄会]]が[[1954年]]11月25日に設立された。旧満鉄社員及び満洲関係引揚者の援護厚生などを行っている。 満鉄各線で活躍した車両の一部は、ジハ1型など現在も現地で稼働しているが、老朽化などの理由で、徐々に廃車、静態保存などが進んでいる。 == 資本金 == * 設立時 - 2億円。うち1億円は政府の現物(鉄道施設とその付属物)出資。 * [[1920年]] - 4億4千万円(第1次増資) * [[1933年]] - 8億円(第2次増資) * [[1940年]] - 14億円(第3次増資) == 関連企業・団体 == * [[満鉄調査部]] * [[満洲映画協会]] * [[満州日日新聞]] * [[満州航空]] * [[華北交通]] * [[華中鉄道]] * [[大連都市交通]] * 日満倉庫(現在の[[東洋埠頭]]) == 経営路線 == [[Image:Manchukuo Railmap jp.gif|250px|thumb|満州国の鉄道路線図(赤-社線、緑-北鮮線、青-国線)]] 1945年8月時点での満鉄経営路線の一覧(委託経営路線を含む)<ref>満鉄会編 『南満洲鉄道株式会社第四次十年史』(満鉄全線全駅一覧)</ref> 凡例 : [貨] 貨物線 === 社線 === {| class="wikitable" ! 路線名 !! 区間 !! キロ程 !! 旧路線名・備考 |- | rowspan="3"|[[満鉄連京線|連京線]] || [[大連駅|大連]] - [[長春駅|新京]] || style="text-align: right;"|701.4 || 本線 (開業 - 1921年7月20日)<br />満洲本線 ( - 1925年3月31日)<br />連長線 ( - 1932年10月31日) |- | 大連埠頭 - 沙河口 [貨] || style="text-align: right;"|6.9 || 通称「埠頭線」 |- | 大連 - 吾妻 [貨] || style="text-align: right;"|2.9 || 通称「吾妻線」 |- | [[瀋丹線|安奉線]] || [[丹東市|安東]] - [[蘇家屯区|蘇家屯]] || style="text-align: right;"|260.2 || |- | 入船線 [貨] || 沙河口 - 入船埠頭 || style="text-align: right;"|5.8 || |- | [[旅順支線|旅順線]] || [[甘井子区|周水子]] - [[旅順]] || style="text-align: right;"|50.8 || |- style="background-color:#eee" | 柳樹屯線 || 大房身 - 柳樹屯 || style="text-align: right;"|5.8 || 休止線 |- | 甘井子線 [貨] || 南関嶺 - 大連甘井子埠頭 || style="text-align: right;"|11.9 || |- | [[金荘線|金城線]] || [[金州駅|金州]] - 城子{{lang|zh|疃}} || style="text-align: right;"|102.1 || |- | 営口線 || [[大石橋市|大石橋]] - [[営口市|営口]] || style="text-align: right;"|22.4 || |- | 煙台炭礦線 || 煙台 - 煙台炭礦 || style="text-align: right;"|15.6 || 非営業線 |- | 撫順線 || [[蘇家屯区|蘇家屯]] - [[撫順市|撫順]] || style="text-align: right;"|52.9 || |- | 渾楡連絡線 [貨] || 渾河 - 楡樹台 || style="text-align: right;"|4.1 || |} === 北鮮線 === {| class="wikitable" ! 路線名 !! 区間 !! キロ程 !! 旧路線名・備考 |- | 北鮮西部線 || 上三峰 - 南陽 || style="text-align: right;"|36.0 || 図們線([[朝鮮総督府鉄道]]) |- | 北鮮東部線 || [[図們市|図們]] - [[羅先直轄市|雄基]] || style="text-align: right;"|147.3 || 図們線(朝鮮総督府鉄道) |- | 雄羅線 || 雄基 - 羅津埠頭 || style="text-align: right;"|18.2 || |- | 南羅津線 [貨] || 羅津 - 南羅津 || style="text-align: right;"|3.0 || |} === 国線 === 満州国国有鉄道委託経営線(1933年3月1日~) {| class="wikitable" ! 路線名 !! 区間 !! キロ程 !! 旧路線名・備考 |- | 奉山線 || 奉天 - [[山海関駅|山海関]] || style="text-align: right;"|419.6 || 奉山鉄路 |- | 奉裕連絡線 [貨] || 奉天 - 裕国 || style="text-align: right;"|17.5 || |- | 于洪連絡線 [貨] || 于洪信号所 - 大成信号所 || style="text-align: right;"|4.6 || |- | 皇姑屯連絡線 [貨] || 皇姑屯 - 北奉天 || style="text-align: right;"|2.8 || |- | 高新線 || 高台山 - 新立屯 || style="text-align: right;"|60.6 || |- | 大鄭線 || 大虎山 - 鄭家屯 || style="text-align: right;"|366.2 || 奉山鉄路(大虎山-通遼) <br /> 四{{lang|zh|洮}}鉄路(通遼-鄭家屯) |- | 新義線 || 新立屯 - 義県 || style="text-align: right;"|131.5 || |- | 河北線 || 溝{{lang|zh|帮}}子 - 河北 || style="text-align: right;"|91.1 || 奉山鉄路 |- | 錦古線 || 錦県 - 古北口 || style="text-align: right;"|542.3 || 奉山鉄路(錦県-口北営子) |- | 北票線 || 金嶺寺 - 北票 || style="text-align: right;"|17.9 || 奉山鉄路 |- | [[葉赤線|葉峰線]] || 葉柏寿 - 赤峰 || style="text-align: right;"|146.9 || |- | 壺蘆島線 || 錦西 - 壺蘆島埠頭 || style="text-align: right;"|12.1 || 奉山鉄路 |- | [[瀋吉線|奉吉線]] || 奉天 - 吉林 || style="text-align: right;"|447.4 || 瀋海鉄路(奉天-朝陽鎮)<br />吉海鉄路(朝陽鎮-吉林) |- | 瀋陽連絡線 [貨] || 奉天 - 瀋陽 || style="text-align: right;"|10.7 || |- | 将軍堡連絡線 [貨] || 撫順 - 将軍堡信号所 || style="text-align: right;"|3.6 || |- | 撫順城連絡線 [貨] || 撫順 - 撫順城 || style="text-align: right;"|4.5 || |- | [[梅集線|梅輯線]] || 梅河口 - 満浦 || style="text-align: right;"|255.5 || |- | 新通化線 || [[通化市|通化]] - 新通化 || style="text-align: right;"|4.2 || |- | 大栗子線 || 鴨園 - [[大栗子鎮|大栗子]] || style="text-align: right;"|112.3 || |- | [[四梅線|平梅線]] || 四平 - 蓮河 || style="text-align: right;"|149.2 || 瀋海鉄路(西安-蓮河) |- | [[長図線|京図線]] || 新京 - 図們 || style="text-align: right;"|528.0 || 吉長吉敦鉄路(新京-敦化)<br />敦図鉄路(敦化-哈爾巴嶺) |- | 龍豊線 || 龍潭山 - 大豊満 || style="text-align: right;"|22.4 || |- | 金珠線 || 江北 - 金珠 || style="text-align: right;"|18.8 || 吉林鉄道(新吉林-金珠) |- | 小新連絡線 [貨] || 小姑家 - 新站 || style="text-align: right;"|9.1 || |- | 朝開線 || 朝陽川 - 上三峰 || style="text-align: right;"|60.6 || |- | 和龍線 || 龍井 - 和龍 || style="text-align: right;"|61.1 || |- | 合水連絡線 [貨] || 萱穂信号所 - 合水信号所 || style="text-align: right;"|― || |- | [[図佳線]] || 図們 - [[ジャムス市|佳木斯]] || style="text-align: right;"|580.2 || |- | 佳木斯埠頭線 [貨] || 佳木斯 - 佳木斯埠頭 || style="text-align: right;"|3.6 || |- | 興寧線 || 新興 - 城子溝 || style="text-align: right;"|216.1 || |- | 汪清連絡線 [貨] || 汪清 - 小汪清 || style="text-align: right;"|9.0 || |- | 虎林線 || 林口 - 虎頭 || style="text-align: right;"|335.7 || |- | 恒山線 || {{lang|zh|雞}}寧 - 恒山 || style="text-align: right;"|12.4 || |- | 拉浜線 || 三{{lang|zh|棵}}樹 - 拉法 || style="text-align: right;"|265.5 || |- | 煤窰線 || 舒蘭 - 煤窰 || style="text-align: right;"|30.4 || 吉林鉄道 |- | [[哈大線|京浜線]] || 新京 - [[ハルビン駅|哈爾浜]] || style="text-align: right;"|242.0 || 北満鉄路 |- | 浜洲線 || 哈爾浜 - 満洲里 || style="text-align: right;"|934.8 || 北満鉄路 |- | 浜綏線 || 哈爾浜 - [[綏芬河市|綏芬河]] || style="text-align: right;"|546.4 || 北満鉄路 |- | 開道廻線 || 亜布洛尼 - 横道河子 || style="text-align: right;"|59.2 || |- | 香坊連絡線 [貨] || 香坊 - 東門信号所 || style="text-align: right;"|5.1 || |- | 東門連絡線 || 東門信号所 - 新香坊 || style="text-align: right;"|6.2 || |- | 城{{lang|zh|雞}}線 || 下城子 - 西{{lang|zh|雞}}家 || style="text-align: right;"|103.4 || 穆稜鉄路(下城子-梨樹鎮) |- | 綏寧線 || 河西 - 東寧 || style="text-align: right;"|91.1 || |- | 浜江線 || 哈爾浜 - 三{{lang|zh|棵}}樹 || style="text-align: right;"|8.8 || 北満鉄路(哈爾浜-浜江) |- | 三{{lang|zh|棵}}樹埠頭線 [貨] || 浜江 - 三{{lang|zh|棵}}樹 || style="text-align: right;"|4.0 || |- | 哈爾浜埠頭線 || 哈爾浜 - 哈爾浜埠頭 || style="text-align: right;"|2.9 ||北満鉄路(哈爾浜-八区) |- | 江南連絡線 [貨] || 太平橋 - 江南信号所 || style="text-align: right;"|2.2 || |- | 浜北線 || 三{{lang|zh|棵}}樹 - 北安 || style="text-align: right;"|326.1 || 呼海鉄路(新松浦-海倫)<br />海克鉄路(海倫-北安) |- | 綏佳線 || 綏化 - 佳木斯 || style="text-align: right;"|381.8 || |- | 鶴岡線 || 蓮江口 - 鶴岡 || style="text-align: right;"|54.3 || |- | 蓮江口埠頭線 [貨] || 蓮江口 - 蓮江口埠頭 || style="text-align: right;"|3.5 || |- | 北黒線 || 北安 - 黒河 || style="text-align: right;"|302.9 || |- | 黒河埠頭線 [貨] || 黒河 - 黒河埠頭|| style="text-align: right;"|4.2 || |- | 斉北線 || 斉斉哈爾 - 北安 || style="text-align: right;"|231.5 || 斉克鉄路(斉斉哈爾-泰安)<br />泰克鉄路(泰安-克山)<br />海克鉄路(克山-北安) |- | 寧霍線 || 寧年 - 霍龍門 || style="text-align: right;"|284.0 || 斉克鉄路(寧年-拉哈) |- | [[平斉線]] || 四平 - 斉斉哈爾 || style="text-align: right;"|571.4 || 四{{lang|zh|洮}}鉄路(四平-{{lang|zh|洮}}南)<br />{{lang|zh|洮}}昮鉄路({{lang|zh|洮}}南-三間房)<br />斉克鉄路(三間房-斉斉哈爾) |- | 京白線 || 新京 - 白城子 || style="text-align: right;"|332.6 || |- | 白杜線 || 白城子 - 杜魯爾 || style="text-align: right;"|376.5 || {{lang|zh|洮}}索鉄路(白城子-{{lang|zh|寗}}家仮站) |- | 楡樹線 || 楡樹屯 - 昮昮渓 || style="text-align: right;"|6.4 || 斉克鉄路 |- | [[渓田線|渓{{lang|zh|堿}}線]] || 宮原 - 田師付 || style="text-align: right;"|86.0 || |} === 新線 === 安南線 - 渾三線 - 遼宮線 - [[鳳上線|鳳灌線]] - 霍黒線 - 双源線 - 東当線(1944年4月1日廃止) === 社内専用線 === 湯旺森林線 === 廃止線 === ;社線 :霊山線[貨] 首山 - 霊山操車場(1941年6月1日廃止) :西寛城子線 孟家屯 - 寛城子(1909年2月3日廃止) ;国線 :馬船口線 (松浦 - 馬船口、旧呼海鉄路、1936年7月1日廃止) :{{lang|zh|奶}}子山線[貨] (蛟河 - {{lang|zh|奶}}子山、旧吉長吉敦鉄路、1936年9月1日廃止) :松浦線(新松浦 - 松浦、旧呼海鉄路、1938年6月1日廃止) :道裡線[貨] (哈爾浜 - 道裡、旧北満鉄路、1941年12月1日廃止) ;新線 :東当線(1944年4月1日廃止) == 満鉄を走った主な列車 == * '''特急'''「'''[[あじあ号|あじあ]]'''」 大連 - 新京 - [[ハルビン駅|哈爾濱]] * 急行「'''[[つばめ (列車)#1932~1945年 南満州鉄道急行「はと」|はと]]'''」 大連 - 新京 * 急行「'''[[ひかり (列車)#朝鮮鉄道・南満州鉄道急行「ひかり」|ひかり]]'''」 [[釜山駅|釜山]] - 新京 * 急行「'''のぞみ'''」 釜山 - 新京 * 急行「'''[[華北交通#優等列車|大陸]]'''」 釜山 - 奉天 - [[北京駅|北京]] * 急行「'''[[華北交通#優等列車|興亜]]'''」 釜山 - 奉天 - 北京 * 急行「'''[[朝日#あさひ|あさひ]]'''」 [[羅先直轄市|羅津]] - 新京 == 満鉄の車両 == {{See|南満州鉄道の車両}} == 歴代総裁 == *代 名前 在職期間 (職名) 出身母体 # [[後藤新平]] [[1906年]][[11月13日]]-[[1908年]][[7月14日]](総裁)医師・官僚 # [[中村是公]] 1908年[[12月19日]]-[[1913年]][[12月18日]](総裁)官僚 # [[野村龍太郎]] 1913年[[12月19日]]-[[1914年]][[7月15日]](総裁)技術者・官僚 # [[中村雄次郎]] 1914年7月15日-[[1917年]][[7月31日]](総裁)軍人 # [[国沢新兵衛]] 1917年7月31日-[[1919年]][[4月12日]](理事長)技術者・官僚 # 野村龍太郎 1919年4月12日-[[1921年]][[5月31日]](社長)技術者・官僚 # [[早川千吉郎]] 1921年5月31日-[[1922年]][[10月14日]](社長)実業家 # [[川村竹治]] 1922年[[10月24日]]-[[1924年]][[6月22日]](社長)官僚 # [[安広伴一郎]] 1924年6月22日-[[1927年]][[7月19日]](社長)官僚 # [[山本条太郎]] 1927年7月19日-[[1929年]][[8月14日]](社長、1929年6月21日-総裁)実業家・政治家 # [[仙石貢]] 1929年8月14日-[[1931年]][[6月13日]](総裁)技術者・官僚 # [[内田康哉]] 1931年6月13日-[[1932年]][[7月6日]](総裁)外交官・政治家 # [[林博太郎]] 1932年[[7月26日]]-[[1935年]][[8月2日]](総裁)学者 # [[松岡洋右]] 1935年8月2日-[[1939年]][[3月24日]](総裁)外交官・政治家 # [[大村卓一]] 1939年3月24日-[[1943年]][[7月14日]](総裁)技術者・官僚 # [[小日山直登]] 1943年[[7月14日]]-[[1945年]][[4月11日]](総裁)満鉄生え抜き # [[山崎元幹]] 1945年[[5月5日]]-1945年[[9月30日]](総裁)満鉄生え抜き == 主な出身者 == * [[足立篤郎]](元[[農林水産大臣|農林大臣]]、[[科学技術庁長官]]) * [[出光計助]](元[[出光興産]]社長、元[[石油連盟]]会長) * [[稲嶺一郎]](元[[自由民主党]][[参議院議員]]、琉球石油(現・[[りゅうせき]])設立者) * [[岩永裕吉]](元[[同盟通信社]]社長) * [[宇田耕一]](元[[経済企画庁長官]]、科学技術庁長官) * [[岸一郎]](元[[阪神タイガース|大阪タイガース]]監督) * [[具島兼三郎]](国際政治学者、元[[長崎大学]]学長) * [[佐々木義武]](元科学技術庁長官、[[経済産業大臣|通商産業大臣]]) * [[東海林太郎]](歌手) * [[田中龍夫]](元[[文部大臣]]、通商産業大臣) * [[永末英一]](元[[民社党]]委員長) * [[中西功]](元[[日本共産党]]参議院議員) * [[浜崎真二]](元[[オリックス・バファローズ|阪急ブレーブス]]・[[東京ヤクルトスワローズ|国鉄スワローズ]]監督) * [[毛利松平]](元[[環境大臣|環境庁長官]]) * [[安井武雄]](建築家。満鉄で大連税関長官舎を1911年に設計) * [[安井謙]](元[[参議院議長]]) * [[和田耕作]](元民社党[[衆議院議員]]) * [[布村一男]]([[民族学]]者、元[[熊本女子大学]]教授) * [[松木侠]]([[大同学院]]院長、[[鶴岡市]][[市長]]) * 義永秀親(元鹿児島県大島郡[[瀬戸内町]]町長) : 満鉄社員の子息としては、[[桂米朝]](落語家)・[[宝田明]](映画俳優)、[[タモリ]]等がいる。 == 関連項目 == * [[満州事変]] * [[溥儀]] * [[満州善後条約]] * [[日本の改軌論争]] * [[満鉄調査部事件]] * [[尾崎秀実]](嘱託職員) * [[松岡満寿男]](満鉄会理事長) * [[朝鮮総督府鉄道]] * [[シベリア鉄道]] * [[大東亜縦貫鉄道]] * [[日本国有鉄道]] * [[弾丸列車]] * [[新幹線]] * [[南洋興発]] * [[東洋拓殖]] * [[新疆生産建設兵団]] == 脚注 == {{reflist}} == 参考文献 == * [[原田勝正]] 『満鉄』 [[岩波新書]] * [[原田勝正]] 『増補 満鉄』 [[日本経済評論社]] * 天野博之 『満鉄を知るための十二章』 [[吉川弘文館]] * [[加藤聖文]] 『満鉄全史』 [[講談社]]選書メチエ * [[草柳大蔵]] 『実録[[満鉄調査部]]』 [[朝日新聞社]]、のち朝日文庫上下 * 小林英夫編 『近代日本と満鉄』 [[吉川弘文館]] * [[小林英夫 (経済学者)|小林英夫]] 『満鉄調査部』 [[平凡社新書]] * 小林英夫 『満鉄調査部の軌跡』 [[藤原書店]] * 『満鉄とは何だったのか』 「別冊環12」 藤原書店 * 復刻版 『忘れえぬ満鉄』 [[世界文化社]] * 西澤泰彦 『図説・満鉄』 <とんぼの本>[[河出書房新社]] * [[歴史群像]]シリーズ編 『満洲帝国』 [[学研ホールディングス|学研]] * [[松岡洋右]]『満鉄を語る』 [[慧文社]] 復刊 * [[菊池寛]] 『満鉄外史』 [[原書房]] 復刊 * 『南満洲鉄道株式会社十年史』 * 『南満洲鉄道株式会社第二次十年史』 * 『南満洲鉄道株式会社第三次十年史』 * 満鉄会編 『南満洲鉄道株式会社第四次十年史』 以上[[龍渓書舎]] * 満鉄会編 『満鉄四十年史』 [[吉川弘文館]] == 外部リンク == * [http://www.01.246.ne.jp/~mateka/index.html 満鉄会] * [http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/zatsu/sokaimodoki.html 鉄道附属地] * [http://www14.plala.or.jp/HONGO/ 南満洲鉄道株式会社] (冒頭の動画のみ音声あり) {{DEFAULTSORT:みなみまんしゆうてつとう}} [[Category:南満州鉄道|*]] [[Category:かつて存在した鉄道事業者]] [[Category:かつて満州国に存在した企業]] [[Category:満州国の鉄道]] [[Category:中国の鉄道]] [[Category:日本の鉄道史]] [[Category:中華民国]] [[Category:満州]] [[Category:満州国]] [[Category:満州事変]] [[Category:戦前日本の外交]]