ういんど 創刊号

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ういんど 創刊号は、戸塚ヨットスクールを支援する会の機関紙「ういんど」の創刊号を読みやすく編集したページである。1988年9月1日発行。

人間の人間としての復活と復権のために

会長 石原 慎太郎

この豊かな文明社会日本にあって、人々が今心底から手に入れたいと願っているものの一つは“健康”であると言っても、あまり異論はないことでしよう。現代人の多くが、何とはなしの体の不調や病気に対する不安を抱いているように思われます。

けれども、科学技術が発達し、健康に関する情報があふれ、いわゆる健康産業も急増しているなかで、人々の健康願望が増すばかりであるというのは、考えてみれば不思議なことです。また、国際的羨望を集める先進技術立国に成長した我が国の、近代設備の整った教育の場で、一昔前では考えもおよばなかった心の荒廃が、広く、深く根を張りつつあるのもやはり不思議なことです。

こうした素朴な、しかし根源的な問いに、戸塚宏氏は「脳幹論」というコペルニクス的洞察力になる解答を提示致しました。――「人間は自らが築き上げた文明のなかで、生命と本能の源である脳幹の機能を虚弱化させてしまった」と。

五百余名に及ぶ情緒障害児の教育実践と3年余の勾留中の研鑚に裏付けられたこの洞察は、歴史的な意義と価値を持つものであると私は考えます。なぜなら、脳幹論に立脚した脳幹トレーニングを実践すれば、現代人を悩ます諸々の文明病と教育荒廃は、そのほとんどが人間の身体に在る強烈な自然力の作用によって正常化されることになるからです。これは大変なことを意味しています。

その脳幹論は、今や「都市生活者のための健康法」として応用し、その正当性を現実の場において実証できる段階に達しつつあります。

これまで洋上でのヨット訓練によるしかなかった脳幹トレーニングが、都市のプールで簡単に行えるようになれば、戸塚ヨットスクールが行ってきた訓練の意味と価値を再認識する契機となることでしょう。

人間の健康が、60兆に及ぶ体細胞一つ一つの活性化と調和にあるならば、同じように、国家も、個々の国民の健全な肉体と精神の発揚によって(国や民族を思う心さえも含めた)自然の調和を獲得するに違いありません。

逆に、暖衣飽食の中で育まれた精神が、磨き上げられた日本の伝統精神を色褪せたものに変質させてしまう恐れもあるのだと知らねばなりません。いずれにせよ、脳幹論という武器を使って、他の文明諸国が乗り越えられずにいる難問を解決する道が開けようとしているのです。

言葉を替えれば、文明病という自然のしっぺ返しを招いた人間の奢りを見つめ、自然の深遠な摂理を謙虚に学びつつ、人間の人間としての復活と復権を図るということでもあります。

“支援する会”は、様々な契機で接点を持つに至った様々な分野の人々のご賛同を頂いて発足致しました。それ故、戸塚ヨットスクールに対する立場も一つではないにせよ、戸塚氏の人格とその教育理念に、ある種の感銘を受け収めてご参集下さったのだと信じます。あるいは「人が人を守ろうとする内なる衝動に従ったまで」と申される方もあるかもしれません。

この会は末だ十分な活動力を持った組織とは言えませんが、会の目的である「文明病の克服」は日毎にその重要性を増していると思います。加えて、社会の表層に爪を立てるだけの空疎な言説が深層の問題を覆い隠してしまいがちな世にあって、時代に先んじた課題に耐える会報たれと念じつつ、創刊の辞と致します。

中2生・親殺し

堀本 和博(世界日報社会部長)VS戸塚 宏戸塚ヨットスクール校長) (司会・横田)

事件の本質を見なければ犠牲者は浮かばれない

堀本 今回の中学2年生の殺人事件の報を見て、あっ、また戸塚さんの時代が来たなと、私なんかは受け止めたわけです。だけど、戸塚さんのコメントはどこにも取り上げられず、教育の教え方だとか、家庭のしつけに病的な何かがあるというような、言い方しか出てきませんね。

戸塚 本質的な物の考え方が違うのです。いっぺん考え方を変えてみよう。そうすれば、非常に簡単に解決方法が見つかるのではないだろうかということです。まず1番大きな視点として、色々な事件が起きるのは、理性の問題ではないということですね。これは本能の問題であるという、ここが世の評論家と全く違うところです。それを前提に話を進めれば、全てがうまく説明できるのです。本能の低下と狂いという面から考えると、ああいう現象がすべて説明できる。

堀本 つまり「文明病」という全く違う問題として説き起こされている。

戸塚 そう。それから第2の視点として、本能が低下する理由が文明の必然性にあると考えているわけです。この2つの視点で全部の問題を解いていくわけなんです。ですから、その解決方法も「どうしたら本能を強化できるか」にある。そして、それが実は、我々がヨットスクールでやっていたことであったということです。その総論を、勾留中に考えたことと合わせて「敵は脳幹にあり」という本にしたのです。

怒りと行動が不可欠

堀本 確かに、御本の中で、子供達が育っていく小さい頃が、今は余りにも快適になり過ぎてしまって、不快感というか、葛藤というか、何かと闘いながらいくことや、死を感じさせる恐怖というものも環境からなくなっていることを指摘されておられますね。言葉は悪いが去勢されているような状態で育っているから、自分の手に負えないものがいっぺんにドカンと来た時に、コンピュータがパンクしてしまうようなことに……。

戸塚 そうですね。色々な問題があるわけですが、やはり人間にとって恐怖感が必要なのだということです。たとえば、ホラー映画だとかジェットコースターとか、ああいうものがなぜ好まれるかというと、それを本能的に求めているからです。ところが本当に必要なのは、“恐怖”ではなくてむしろ“怒り”のほうなんです。恐怖は逃げるだけ、怒りのほうは「乗り越える」んです。ですから、いかに大きな怒りを発生させるかということが肝心で、そのために大きな恐怖を発生することが必要なんです。3つの重要な不快感というのがあって、まず“驚愕”、次に“恐怖”、そのあと“怒り”という順番で発生してくるんです。驚き、恐れ、それからそれを乗り越えようとして怒りが発生する。“怒り”が全てを解決するんです。ホラー映画やジェットコースターがだめなのは、恐怖は発生するけど怒りは発生しないから、逃げてばかりで問題の解決にならないということがあります。しかし人間社会の様々な問題は、自分で克服しなければならないものばかりなんですね。それをやらせるのは怒りなのです。

堀本 ということは、いわゆるファミコンや、飛行機の操縦なんかでもシュミレータで実態に近いものを映し出して疑似体験させるわけですが、やはりゲームで終わってしまうのですね。

戸塚 ああいうものは身の危険を感じないから、本当の恐怖感が湧いてこない。あれではトレーニングできない。恐怖は逃げるという行動、怒りは攻撃という行動を起こす。いずれにせよ、行動なんですよね。行動を起こさなければ何の意味もないし、トレーニングにならない。ファミコンやホラー映画は時間がたつと恐怖感がなくなってしまう。自分の行動でなくすのでなく、時が解決してくれるまでじっとしている……。

堀本 昔は闘って生き抜くというか、闘わなければ、原始的な社会では食べ物が手に入らず飢え死んでしまいますね。

戸塚 男には重要な仕事が3つあります。1つは子供を生ませること。もう1つはえさを取ってくること。それと敵から守ること。この全てが行動抜きにしては手に入らない。それらは全部怒りがやらせるので、行動抜きにそういうものが手に入るようになると、当然、そういう重要な怒りが小さくなってしまうのです。

堀本 そこで、文明社会に生きる人間であれば、本能というか、脳幹が衰えて弱くなっていくということですか。

戸塚 そうです。2つの理由がありまして、1つは文明社会が安全な社会であるということ。それから女がえさを稼げるところになっているということです。結局、男の3つ重要な仕事のうち、2つまで女ができるようになってしまった。男が必要なくなってきたというか、相対的に男の力が下がってきた。そうすると女性が強くなり、女性の意見が重要視されるようになる。男と女には明らかに精神の違う面があって、教育という問題も両方の精神があって初めてうまくいくと思うんですが、文明社会では必然的に、男の精神が間違っていて、女の精神だけが正しいんだというふうになってしまうわけですね。また、資本主義というのは商品で成立していますが、商品は女性的でないと広く受け入れてもらえないという面があり、そうした傾向を助長してしまう。男は子供をしごこうとしているんだし、女は子供を守ろうとしている。それで、しごくのは悪いということで男の精神を排除してみたら、守るほうばかりに重点がいってしまい、その結果、子供に恐怖、驚愕、怒りが発生しなくなってしまった。この3つの不快感が起こらないと、脳幹すべてが萎縮してくるんです。そして、精神だけでなしに、肉体問題まで起こってしまうんです。ちょっとしたことで熱が出るとか、自律神経失調症とか、免疫不全とか、血液成分の異常とか、様々なことが全部起こってしまう。これが肉体に出れば心身症、精神に出れば神経症です。

子供は大人をだます

堀本 ところで、今度の事件でちょっと注目していたのは、新聞報道がくるくる変わってきている。あれは警察の発表が変わってきているということだと思います。以前、戸塚さんのヨットスクールに来る子供達が、同じようにくるくると理由を変えていったわけですよね。私はそれがどうも、その辺の事情を知らない人とか、親の方が真に受けて、翻奔されている構図が見えてくるような気がするんですが。

戸塚 たかが14歳の子供ですけれども、大マスコミや日本中を翻弄するわけですよ。最初は母親がどうのこうのと、いかにも皆が感心するようなことを言って同情を引いたでしょ。

堀本 それで最初、母親が随分悪者になりましたよね。しかし、それから話がだいぶ変わってきて……。

戸塚 よく友達を調べたら、とんでもない計画的な犯行だったですよね。それが今の子供なんだから。それを見抜けないんです。子供も好きでそうなったんではないんですが、ああいうふうにしないといい子でいられなくなってくるわけです。子供はいい子でいたいという気持ちと、自分の意思を通したいという気持ちの狭間で、葛藤しているわけなんです。それを認めてしまうとだめなんです。いい子を要求するのも、子供の言い分を認めるのもだめなんです。大人の常識で判断すれば、どこかに接点が見えてくる。ところが、日教組の大会では、子供の自主性がどうのとか、管理教育はいけないとか……。

堀本 それにしても、今回の事件だけでなく、その後もぽこぽこ起こってきていますね。

司会 ああいう似たタイプの事件は、ヨットスクールでもありましたか。

戸塚 母親をごまかして父親に1億円の保険をかけさせて、父親を計画的に殺そうとして未遂に終わったという例なんか、あれとそっくりですよ。今回の少年と同じように友達に話していて、これが終わったら俺は死ぬんだとか、「友よさらば」などとかっこいい遺書をどんどん書いて。それを友達に配って……。保険の1億円を手に入れる計画書や、途中で見つかった時の言い訳まで全部書いてあるんです。結局、親が感づいて逃げ回り、その間に警察が来て、親戚の人が取り押さえたんですけれども。

司会 ずいぶん緻密で行動的ですね。

戸塚 行動力じゃあない。努力せずに金を儲ける方法、これは逃げの方です。正しい行為をせずに、人を陥れることによって自分がのし上がる、あるいは金を儲ける、そうした方法で目的を達成しようとするのが、そういう子供達の特徴です。結局、逃げているんです。その子供の場合、色々な言い訳を考えておいたおかげで、警察が介入し、裁判所も介入した結果、何と「親が悪い」ということになってしまった。子供を侮辱したとか、色々な理屈をつけられて親が有罪になってしまったのです。それで、今度は逆に、親が警察と裁判所を訴えているわけです。それぐらい子供はずるいし、子供に簡単にごまかされる。それを子供にだまされるのは正しいと思うような、妙な風潮が評論家の中などにある。

マスコミの袋叩きが教育になった

堀本 戸塚さんはご自身の家庭のなかで、お子さんに対してしつけというか、どんな教育をされているわけですか。

戸塚 ほとんどやっていません。親の後ろ姿を見せてということです。前のヨットスクールをやっていた時、テレビなんかでボンボン子供をぶん殴っているでしょ。あれでもう済んでる。表面はにこにこ笑っていても、うちのお父さんは強い、あるいは怖いというのが身に染みて分かってる。

堀本 マスコミの袋叩きの時期がありましたが、ああいう時に、新聞やテレビを見せないようにするとかは。

戸塚 そんなことはないです。全部見せておりました。それでもうちの方が正しいんだということを言い続けてきたし、子供もそれを納得していた。周りに何を言われようと動じないわけですよ。あの頃は、みんなが寄ってたかってうちの子供に教育してくれていた(笑)。

親友がいないからアイドルに走る

戸塚 ――非行というものを見る時、今の非行は「連帯を組む」ことに本当の目的があるのだということを間違えてはならない。今度の事件では南野陽子が出てきたでしょ。あれは、あの少年が逃避型の人間であるということなんです。つまり非行にもなれないタイプです。

堀本 アクティブでないということですか。

戸塚 アクティブではない。といって群れをつくるという本能は満たさなければならない。そこで登場するのがアイドル歌手なんです。アイドル歌手の条件は、かわいいタイプで歌が下手、しょっちゅうテレビに出てきて友達になりやすいタイプということになります。そして、アイドルと一方的に結びついてしまうんです。あの人は私の親友とか、俺の物だとか、勝手に考えているんです。あの少年はそれがかなり強烈だから、親衛隊にまでなってしまう。アイドル歌手のファンなどというのは何百万もいるわけですが、中はパラパラなんです。皆が固まればアイドル歌手を総理大臣とは言わないまでも国会議員にすることはできるでしょ。

堀本 そうですね。

戸塚 そんな組織力は全くないでしょ。当然なんです。あれは俺だけの物だと思っていて、皆バラバラなんです。せいぜいTシャツを1枚買うくらいが関の山なんです。そうした子供達にとって「架空の連帯の核」になることが、アイドル歌手の持つ非常に重要な役目になっているわけです。今回はまさにそれが現れている。ところが新聞の論評で、アイドル歌手の説明は何もありませんね。戸惑っているだけです。アイドル歌手を追いかけるということ、親衛隊になるということを行動力だと思っている。違うんです。逃げの結果としてそれがあるんです。本当に行動力があれば親友を作っているわけです。ですから、ああいうことも本能の低下としてあるということです。非行型以外の人間、登校拒否型の人間はアイドルに走る。

シグナルは心身症

司会 あの子の場合、家族が見ていて何か事前に異常な行動なり、発見できるようなものがあったと思うんですが、どういうことがあったと予想されますか。

戸塚 あったでしよう。時々カーッときて親に向かってくるとか。ただ、そういうことは誰だってあることで、それを異常行動だとは思えない。

司会 あの学校で事件直後に父兄会を開いたら、ものすごい関心で200人ぐらいが参加した。皆、「うちの子は大丈夫だろうか」という気持ちがあるんだと思います。では、親は一体どこに目を向けたらいいかということです。

戸塚 心身症ですね、それは。アトピー性皮膚炎があるとか、喘息や糖尿病があるとか。

司会 あの子は小さい頃に喘息だったそうですが、あとは報道がないのでよく分からない。

戸塚 そうですね。たとえば、血液の成分が狂っているなどというのは分からない。あるいは運動をさせるとやけに白血球が増えてしまうとか。そっとしておくとバランスを保っているんだけれども、ちょっと動かすとバランスがぱっとくずれる。そういう心身症の現れ方もあるんです。

堀本 親としては分からないですね。

戸塚 分からないですが、必ずこれが現れているということです。静的な状態ではなく、動的な状態で検査してみれば、普通の子供でも続々出てくるでしょうね。熱が下がらないとか。平熱が高過ぎるとか低過ぎるのが、今はやけに多い。それから、自律神経失調症がありますでしょ。何かあるんです。表面に出てくるものとしては、肌につやがないとか、無表情、無感動、無気力。一時言われた、あの三無主義ですね。

堀本 あれは大人のものだったんですけれど、子供にもう伝染しているわけですね。

戸塚 それが脳幹虚弱の1つの重要な証拠になるんです。昔の子供に比べて、今の子供にそういう傾向があったら、それはヤパイということですね。

成長期に脳幹トレーニングを

堀本 今回の事件の子供だけでなく、色々なことが日本の子供全体に当てはまるとすると、ちょっとぞっとするような問題があると思います。

戸塚 そうなんですよね。脳幹虚弱と考えると、その現象が全部出ている。

堀本 そういう日本全体を覆っている文明病というふうにとらえた場合、どんな子も何かちょっと心掛ければ少しはよくなるということがあるんですか。

戸塚 それがうちの言う脳幹トレーニングです。これはある程度大きくなってからでは手遅れなので、成長期にトレーニングしなければならない。

堀本 いつからいつまでですか。

戸塚 恐らく3歳から13歳の間にきっちりやっておけば、ちゃんと成長させることができる。

堀本 その間に、例のボードに乗って訓練するわけですね。

戸塚 そう。今だったらプールを使えばいいということです。

犠牲者のために本質に目を向ける

司会 あの事件の少年は非常にかわいそうだと思うんです。親も祖母も殺してしまって。しかも計画殺人だということですから、お先真っ暗ですよね。何かのチャンスでヨットスクールに入っていれば、当然ああはならなかったわけですし、そういう意味では必ずしもあの子のせいばかりでない面もあるはずなのですが、起こしてしまった事件があまりにも大きい……。

戸塚 一柳伸也(金属バット殺人事件)の時も、彼がうちに来ていたなら、ああいう事件は起こさなくてすんだ。彼がうちに巡り合わなかったのは彼の責任ではないけれども、それまでの教育がちゃんと彼を正常にしておけば、ああいうことにはならなかった。そう考えればあれも1つの現象に過ぎないのであって、やはり「教育の間違い」、社会環境の間違いということになるでしよう。結局、彼を犠牲にして皆が免罪符を得たわけです。今度も同じことが起こるわけです。幸か不幸か、どちらの場合も他人を巻き添えにしていない。自分の親を殺しているだけなので、社会的制裁はある程度緩和される。その辺だけが救いかな……。だけどこれを機会に、その本質を見極めようとする努力を忘れないようにしないと。

堀本 そういうふうに結ばなかったら、犠牲者が何人出ても同じことですよね。

(昭和63年7月20日、パレスホテルにて)

戸塚宏講演会、約800人が参加

戸塚宏講演会「教育荒廃は克服できる」(於・九段会館、昭和62年11月26日開催)は約八百人の方々にご参加須くことができました。チケット頒布にご尽力下さった理事および会員の皆様に厚くお礼申し上げます。ここでは紙面の都合上、立川、村松両氏のご講演の要旨のみを紹介させて頂きます。

「芸を磨くということ」立川談志(立川流落語会家元)

自分は落語が「人間の業の肯定」であると信じてきたし、自己の基準に忠実に生きてその“業”を語ってきたつもりだ。その意味で、戸塚氏と同じドンキホーテ側の人間であるような気がする。また、「不快感を自分の行動で解消するのが文化だ」という意見にもぴったりくるものがある。今の日本はテレビやステレオが簡単に手に入り、ハワイ旅行にも行けるようになったが、昔の情緒あふれる生活様式にあった良いものが失われてしまい、本当の文化という面では貧乏なのではないか。

「戦後教育に欠けたもの」村松剛(筑波大学教授)

戸塚ヨットスクールについては何も知らなかったが、「私が直す!」を見て感動した。また、文章を書く者の1人として、これは大文章であるとも思った。いじめ、校内暴力など教育荒廃の凄まじさは、急速な豊かさの歪みであると同時に、子供に基本的な道徳を教え込むことに反対するという妙な風潮のなせるわざだろう。戸塚氏はそれに挑戦したが、その妙な風潮は戦後の文化そのものの問題でもある。だからマスコミが袋叩きにしたのだと思う。そして、氏の本は、新聞社が広告を載せるのを拒否した。連合赤軍の永田洋子や連続射殺口の永山則夫の本の広告は載っているのにだ。出版社の人は「これは言論の弾圧だ」と憤慨していたが、私もそう思う。戸塚氏の試みには戦後の日本が忘れた1番大事な問題が含まれていた。その1番大事な部分は守らなければならないと考え、この講演会に出てきた。

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関連項目 戸塚ヨットスクール | 戸塚宏