「新井健誠」の版間の差分

提供: Yourpedia
移動: 案内検索
(ページの作成:「新井健誠(あらい けんせい、1972年12月19日-2013年3月2日)は、高知県物部村(ものべそん)(現高知県香美市物部町)出身の ...」)
 
8行目: 8行目:
 
大学に通いながら、ユーメックス等に所属するメジャー歌手のレコーディングやライブサポートを行う。
 
大学に通いながら、ユーメックス等に所属するメジャー歌手のレコーディングやライブサポートを行う。
  
1997年4月2日、地元高知で音響関連とデザイン関連及び芸能関係の業務を手がける総合プロダクション、株式会社コンシャスを設立。
+
1997年4月2日、地元高知で音響関連とデザイン関連及び芸能関係の業務を手がける総合プロダクション、株式会社コンシャスの新社長に就任。
 
地元や都内の企業を中心に音響音楽関連、デザイン関連の仕事を受注。 
 
地元や都内の企業を中心に音響音楽関連、デザイン関連の仕事を受注。 
本社を高知県高知市玉水町42-2コーポ山本102号室に、支社を北海道北見市大通西3-14-1藤井ビル3階3-D号室にそれぞれ設置。
+
本社は高知県高知市玉水町42-2コーポ山本102号室に、支社は北海道北見市大通西3-14-1藤井ビル3階3-D号室にそれぞれ存在した。。
後に中国関連の事業も手がけていたことから福岡県に自社の中継拠点となる住宅兼事務所を設置した。
+
後に中国関連の事業も手がけていたことから福岡県に自社の中継拠点となる住宅兼事務所もあった。
  
 
ガールズバンド、ザ☆ボンのプロデューサーとして同バンドのデビュー・及びリリースを手がけた。
 
ガールズバンド、ザ☆ボンのプロデューサーとして同バンドのデビュー・及びリリースを手がけた。
19行目: 19行目:
 
2013年3月2日夜、新井は自宅の風呂場で冬の居眠りが原因で死亡、40歳の若さで他界した。
 
2013年3月2日夜、新井は自宅の風呂場で冬の居眠りが原因で死亡、40歳の若さで他界した。
  
新井の死去の影響等から、二代目伊藤弘志社長の判断でコンシャスは2013年12月に倒産した。
+
新井の死去の影響等から、二代目伊藤弘志社長の判断でコンシャスは2014年春に私的整理した。
  
  
39行目: 39行目:
  
 
== 関連リンク ==
 
== 関連リンク ==
* [http://sound.jp/ascension/ アセンションプロダクション]
+
* [http://sound.jp/jpop/ アセンションプロダクション]
* [http://sound.jp/zen/ 冬季ねあ公式サイト]
+
 
* [http://sound.jp/omofla/ おもしろフラッシュの館]
 
* [http://sound.jp/omofla/ おもしろフラッシュの館]
 +
* [http://sound.jp/fuyukinea/ 冬季ねあ公式サイト]
 
* [http://sound.jp/enochnagi/ エノクナギオフィシャルサイト]
 
* [http://sound.jp/enochnagi/ エノクナギオフィシャルサイト]
 
* [http://sound.jp/nozawaaya/ 野沢あやオフィシャルサイト]
 
* [http://sound.jp/nozawaaya/ 野沢あやオフィシャルサイト]

2015年8月7日 (金) 03:58時点における版

新井健誠(あらい けんせい、1972年12月19日-2013年3月2日)は、高知県物部村(ものべそん)(現高知県香美市物部町)出身の ミュージシャン、音楽プロダクション社長、音楽プロデューサー、ギタリスト、大本教職員。


概要

地元高知にて16歳でプロミュージシャンとしてのキャリアをスタートさせる。 出口王仁三郎の弟子だった祖父の影響から、18歳で上京後、國學院大學文学部神道学科に入学。後に大本教の臨時職員となる。 大学に通いながら、ユーメックス等に所属するメジャー歌手のレコーディングやライブサポートを行う。

1997年4月2日、地元高知で音響関連とデザイン関連及び芸能関係の業務を手がける総合プロダクション、株式会社コンシャスの新社長に就任。 地元や都内の企業を中心に音響音楽関連、デザイン関連の仕事を受注。  本社は高知県高知市玉水町42-2コーポ山本102号室に、支社は北海道北見市大通西3-14-1藤井ビル3階3-D号室にそれぞれ存在した。。 後に中国関連の事業も手がけていたことから福岡県に自社の中継拠点となる住宅兼事務所もあった。

ガールズバンド、ザ☆ボンのプロデューサーとして同バンドのデビュー・及びリリースを手がけた。

2004年にエイベックスと仕事上の関係から、のまネコのプロデュースも手がけ洋楽ユニットO-Zoneとのタイアップで翌年2005年にリリースされた。

2013年3月2日夜、新井は自宅の風呂場で冬の居眠りが原因で死亡、40歳の若さで他界した。

新井の死去の影響等から、二代目伊藤弘志社長の判断でコンシャスは2014年春に私的整理した。


逸話

エイベックスがのまネコの商標登録出願を行おうとした際に「商標や特許の登録にこだわる必要は無い、やり過ぎだ」 という理由から猛反対を唱えた。

当時の事情を知る一部関係者からは、もしエイベックスが新井氏の反対意見を聞き入れていれば、 商標出願を巡るのまネコ問題は起きず、最終的にのまネコブームの企画は成功していたのではないかと 新井の反対意見を惜しむ声も聞かれた。

また、新井は2000年代前半にインターネット上で掲示板や個人のHPからブームになった、 新井自身が造語・命名した「おもしろフラッシュ」と呼ばれるFlashを利用した独特な表現のムービーや ゲームが10代20代の若者の間で流行した所謂Flash黄金時代を水面下で演出した人物でもある。

「おもしろフラッシュ」と「フラッシュ倉庫」という言葉自体も新井が造語しており、前者と後者の概念は 流行と同時にインターネット上で浸透していった。


関連リンク