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2024-03-28T12:51:59Z
利用者の投稿記録
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浜田雅功
2020-04-14T12:35:18Z
<p>Fromm: </p>
<hr />
<div>[[Image:吉川麻衣子1.jpg|300px|thumb|ダウンタウン浜田の愛人、吉川 麻衣子]]<br />
[[Image:吉川麻衣子2.jpg|300px|thumb|ダウンタウン浜田の愛人、吉川 麻衣子]]<br />
'''浜田 雅功'''(はまだ まさとし、[[1963年]]([[昭和]]38年)[[5月11日]] - )は、[[日本]]の[[お笑い芸人]]、[[俳優]]、[[エッセイスト]]、[[アーティスト]]、[[司会者]]、[[声優]]であり、お笑いコンビ、[[ダウンタウン (お笑いコンビ)|ダウンタウン]]の[[ツッコミ]]担当、師匠は若杉茂樹である。<br />
<br />
[[吉本興業]]所属。身長165cm。<br />
<br />
== 浜田雅功が過去に共演した29歳グラビア吉川麻衣子と3年間不倫。相手のブログとTwitterに加え事務所HPまで削除 ==<br />
[[Image:吉川麻衣子3.jpg|300px|thumb|ダウンタウン浜田の愛人、吉川 麻衣子]]<br />
ダウンタウンの浜田雅功(51)がグラビアアイドルの[[吉川麻衣子]]と3年間不倫していると[[2014年]]6月発売の[[フライデー]]により報道されている。浜田雅功といえば妻に[[小川菜摘]](51)さんがおり[[1989年]]に結婚。25年間夫婦生活を続けてきている。<br />
<br />
過去にAV女優と不倫して以来、女性関係の噂が全く無かった浜田だが、ここに来てグラビアアイドルの吉川麻衣子と噂が浮上。実は吉川麻衣子とは過去に自身の番組で共演していた。 <br />
<br />
『[[浜ちゃんが!]]』という番組に2012年3月に出演(他のゲスト、[[どりあんず]])。3年前から不倫しているとされているので、この頃には既に不倫が行われていたことになる。同番組に過去にも出演しており、[[2010年]][[8月19日]]放送分に出演(他のゲスト、[[パンクブーブー]])。その頃が不倫の切っ掛けだと思われる。<br />
<br />
またこの報道後に吉川麻衣子の[[ブログ]]と[[Twitter]]が削除された(http://ameblo.jp/kikkawamaiko/)。それだけでなく事務所である[[ケイポイント]]にある吉川麻衣子のプロフィールページも削除された(http://www.kpoint.net/archives/3773)。<br />
ワールドカップの影響で取り上げたのは朝ちゃんとノンだけだった。<br />
<br />
== 略歴 ==<br />
=== 生い立ち ===<br />
[[大阪市]]浪速区大国町で、父・憲五郎、母・信子の間に生まれる。妹が居る。父は[[日本万国博覧会|大阪万博]]にて[[ソビエト連邦|ソ連]]館のペンキ塗りを請け負っていたペンキ屋に勤めていた。幼稚園へあがる頃(4歳の時)に[[スラム街]]の[[尼崎市]]へ移る。それまでは[[芦屋市]]で家族で暮らしていた。[[放送作家]]の[[高須光聖]]とは幼稚園時代からの付き合い。小学校時代に松本と出会う。<br />
<br />
[[1979年]]、[[三重県]]にある全寮制の[[日生学園]]高等学校(現在は[[日生学園|日生学園第一高等学校]])に入学し、2年次に開校にともない移動した[[日生学園|日生学園第二高等学校]]を卒業。高校卒業後の目標は特になかったため、父親の提案で[[競艇]]選手の試験を受けたが底辺のため落第している。<br />
<br />
=== 吉本入り ===<br />
[[Image:吉川麻衣子4.jpg|300px|thumb|ダウンタウン浜田の愛人、吉川 麻衣子]]<br />
[[1982年]]、小学校から中学校時代の同級生である松本人志を誘って[[吉本興業]]入り。同社の若手タレント養成所「[[吉本総合芸能学院]](NSC)」第1期生となる。当初は「松本・浜田」というコンビ名であったが、その後改名により「ひとしまさし」「てるお・はるお」「ライト兄弟」を経て、現在のコンビ名「ダウンタウン」になった。<br />
<br />
デビュー当時はそのふてぶてしい態度から先輩達から忌み嫌われる存在(浜田に関してはよく先輩から奇妙な愛情でいじられていたらしい)であったものの、『[[4時ですよーだ]]』([[毎日放送]])で関西地区での人気を不動のものにする。ほどなくして上京、『[[夢で逢えたら (テレビ番組)|夢で逢えたら]]』([[フジテレビジョン|フジテレビ]])などで人気を博し、[[全国区]]タレントとして広く名を知られるようになる。[[1990年]]前後には[[ウッチャンナンチャン]]・[[とんねるず]]・[[B21スペシャル]]らと共に「[[お笑い第三世代]]」として一大ブームを巻き起こした。その後、お笑いのみの活動にとどまらず、[[俳優]]、[[声優]]、[[歌手]]活動も精力的に行っている。現在ではピンでの司会業が増えている。<br />
<br />
== 芸風 ==<br />
[[Image:吉川麻衣子5.jpg|300px|thumb|ダウンタウン浜田の愛人、吉川 麻衣子]]<br />
先輩や大御所でも臆することなく容赦なしにドツいたり、[[タメ口]]をきいたり、呼び捨てにしたりしてツッコミを入れる。本人によると、「初対面でもタメ口が、仲良くなれるコツ」。<br />
<br />
浜田自身は、テレビ番組を見て良い仕事をしていると感じた後輩ツッコミ芸人に、[[矢部浩之]]、[[名倉潤]]、[[蛍原徹]]、[[三村マサカズ]]、[[天野ひろゆき]]、[[トシ]]、[[後藤輝基]]の7名を挙げている。<br />
<br />
<br />
<br />
近年は「テーブルに肘をついた拍子にクイズの回答ボタンを押してしまう(リンカーンにて)」「『叩いてかぶってジャンケンポン』なのに『最初はグー』で始めようとした([[ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!|ガキの使い]]にて)」といった天然ぶりがクローズアップされており、これらの番組では、時折イジられキャラになることもある。<br />
== 趣味、嗜好 ==<br />
松本は著書やインタビューで「浜田がいなかったらダウンタウンはメジャーな存在にはなっていないだろう」という内容の発言を何度も語っている。『[[プロフェッショナル 仕事の流儀]]』では「僕があいつの弔辞を読むよりあいつが僕の弔辞を読むほうが絶対いい。だからあいつには僕より1日も多く長生きしてもらわんとね」と真剣な顔で述べた。<br />
<br />
松本曰く、浜田は努力家。短気で、非常識なファンには激昂することが多くある。そのくせビビリ。松本が内緒で浜田が入っているトイレのドアを思い切り蹴ったら、中から「えぇ~…?」というか細い声が聞こえた。あがり症で生放送中にも関わらず緊張のあまりえずいてしまったことがある。しかし、子煩悩で教育熱心としても有名。「浜田刑務所」と呼ばれるほどしつけが厳しいが、よく家族連れで遊んでいるのが目撃されている。休日には子供にせがまれるでもなく、自ら率先して遊びに連れて行っている。<br />
好きな食べ物は焼きそば(野菜を入れる派)。<br />
<br />
== 作品 ==<br />
=== シングル ===<br />
[[Image:吉川麻衣子6.jpg|300px|thumb|ダウンタウン浜田の愛人、吉川 麻衣子]]<br />
;[[H Jungle with t]]<br />
* [[WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント]](1995年3月15日)<br />
: 1stシングル。[[HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP]]に[[小室哲哉]]が出演した際に浜田がお願いし実現したユニット。間奏とアウトロで松本のセリフ参加。<br />
: 異例のミリオンセラーとなり、その年の[[NHK紅白歌合戦|紅白歌合戦]]に初出場、乱入が噂された松本人志は間奏中に[[GEISHA GIRLS]]で飛び入りした。<br />
* WOW WAR TONIGHT REMIXED(1995年5月24日)<br />
: 上記楽曲のリミックス盤。<br />
* [[GOING GOING HOME]](1995年7月19日)<br />
: 2ndシングル。<br />
* [[FRIENDSHIP (H Jungle with tの曲)|FRIENDSHIP]](1996年4月24日)<br />
: 3rdシングル。本人主演の日本テレビ系ドラマ『[[竜馬におまかせ!]]』主題歌。事実上ラストシングル。<br />
* [[小室ファミリー|TK PRESENTS]] [[YOU ARE THE ONE]](1997年1月1日)<br />
: これまでの小室哲哉がプロデュースしたアーティスト等出演によるチャリティーソング。ワンフレーズを歌唱。<br />
;浜田雅功<br />
* [[春はまだか]](1997年12月12日)<br />
: [[奥田民生]]プロデュースによるシングル。[[東日本旅客鉄道|JR東日本]]のCMで使われた。<br />
: Music Videoやテレビ出演には奥田も参加。<br />
* [[幸せであれ]](1999年6月16日)<br />
: [[朝日放送]]「[[人気者でいこう!]]」で企画されたソロシングル。<br />
* ラブレター(2012年11月20日*<ref>雑誌「SWITCH」2012年12月号(Vol.30 No.12)の付録</ref>)<br />
: 浜田が特集されたカルチャー雑誌「Swtich」Vol.30 No.12(2012年12月号)の付録CDとしてリリース。翌月に配信リリースされた。<br />
: 作詞は放送作家で同級生の[[高須光聖]]、作曲・プロデュースは[[奥田民生]]。<br />
: 楽器演奏はベース以外は全て奥田が演奏しているが、ベースは「人の息子」とクレジットされており、浜田の長男・[[ハマ・オカモト]]が演奏している。<br />
;浜田雅功と槇原敬之<br />
* [[チキンライス (曲)|チキンライス]](2004年11月17日)<br />
: 作詞:松本人志、作曲・プロデュース・コーラスを[[槇原敬之]]が担当。小室同様、「HEY!HEY!HEY!」に[[槇原敬之]]がゲスト出演した際、浜田が曲作ってとお願いしたのがキッカケで作られた。<br />
<br />
=== アルバム ===<br />
[[Image:吉川麻衣子7.jpg|300px|thumb|ダウンタウン浜田の愛人、吉川 麻衣子]]<br />
* [[TK MILLION WORKS]](1996年11月16日)<br />
** 小室哲哉プロデュースのミリオンセラーを集めたベスト盤。「WOW WAR TONIGHT」を収録。<br />
* [[avex 10th Anniversary Presents 十年百曲〜J-POP HIT]](1998年8月5日)<br />
** [[エイベックスグループ|エイベックス]]設立10周年記念の2枚組100曲入りCD。「H Jungle with t」のシングルを3曲収録。<br />
* [[ラスベガス・ファーストクラスの旅]](1999年8月18日)<br />
** 浜田と[[内藤剛志]]と[[袴田吉彦]]の3人による、上記シングルを含む番組企画アルバム。<br />
* [[ARIGATO 30 MILLION COPIES -THE BEST OF TK WORKS-]](2000年3月23日)<br />
** 小室哲哉プロデュース曲の3枚組ベスト。「H Jungle with t」のシングルを3曲とも収録。<br />
<br />
=== VHSビデオ ===<br />
[[Image:吉川麻衣子8.jpg|300px|thumb|ダウンタウン浜田の愛人、吉川 麻衣子]]<br />
※全て未DVD化<br />
* MUSIC<br />
** H Jungle with t were born in 3.15,1995 (1995年5月24日) PV&ドキュメント。<br />
** GOING GOING HOME (1995年9月21日) PV&ドキュメント。<br />
* ゴルフ<br />
** 浜田雅功 勝つためのゴルフ (1995年) ゴルフレッスンビデオ第1弾。全1巻。<br />
** 浜田雅功のシングルGOLF Vol.1~6 (1997年) ゴルフレッスンビデオ第2弾。全6巻。<br />
** ゴルフ者でいこう! 1~6 (1999年) ゴルフレッスンビデオ第3弾。全6巻<br />
<br />
=== DVD ===<br />
* 浜田雅功×横田真一のゴルフ新理論~あなたのスウィングは間違っていた!? ~ (2013年4月3日)<br />
: 浜田がプロゴルファーの[[横田真一]]に学びながら、自分に一番合ったスイングを見つけるためのゴルフ教則DVD。トッププロの[[片山晋呉]]・[[伊沢利光]]・[[深堀圭一郎]]・[[丸山茂樹]]が友情出演しているほか、[[ライセンス]]の[[井本貴史]]、[[どりあんず]]、[[サカイスト]]の[[酒井将芳]]、[[ラフ・コントロール]]の[[森木俊介]]、[[チーモンチョーチュウ]]の[[菊地浩輔]]も出演している。 <br />
<br />
== 出演作品 ==<br />
浜田雅功個人での出演番組・作品を記載。ダウンタウンとしての出演番組・作品は[[ダウンタウン (お笑いコンビ)|ダウンタウン]]の'''出演'''の項目を参照。<br />
<br />
=== バラエティ番組 ===<br />
==== 現在のレギュラー番組 ====<br />
* [[ごぶごぶ]](2007年 - 、[[MBSテレビ|毎日放送]]) - 月2回の放送、2012年4月3日から毎週火曜23:50 - 24:55に放送<br />
* [[浜ちゃんが!]](2008年 -、 [[讀賣テレビ放送|読売テレビ]])<br />
* [[プレバト!!]] (2012年 -、毎日放送) - 2012年8月9日に[[スパモク!!]]枠内で「王様のチョイス! 〜使える芸能人は誰だ!?〜(TBSとの共同制作)」としてパイロット版が放送され、同年10月よりレギュラー放送が決定した。<br />
<br />
==== 単発番組 ====<br />
[[Image:吉川麻衣子9.jpg|300px|thumb|ダウンタウン浜田の愛人、吉川 麻衣子]]<br />
* [[ジャンクSPORTS]](2000年 - 、[[フジテレビジョン|フジテレビ]])- レギュラー放送(2000年 - 2010年)終了後、2011-2012年は秋の改編期特番として放送<br />
* [[芸能人格付けチェック]](2005年 - 、[[ABCテレビ|朝日放送]]) - 正月に放送<br />
* 超人気芸人ガチで大ゲンカ祭(2011年 -、毎日放送) - 元々はレギュラー放送されていた『イチハチ』(2009-2011年)での人気企画を2011年から年末特番として放送<br />
* 神がかりハプニング!プラチナ映像アワード (2013年 -、TBS)<br />
<br />
==== 過去 ====<br />
===== レギュラー番組 =====<br />
* 浜田雅功のシングルGOLF(1996年、[[TBSテレビ|TBS]])<br />
* [[HAMASHO]](1997年 - 1999年・2002年、[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]])<br />
* [[人気者でいこう!]](1997年 - 2001年、[[ABCテレビ|朝日放送]]) - 「濵田雅功」名義で構成も担当<br />
* [[ゴルフ者でいこう!]](1999年、[[テレビ朝日]])<br />
* [[弾丸!ヒーローズ|HAMADA COMPANY 弾丸!ヒーローズ]](2001年 - 2002年、朝日放送)<br />
* [[ハマラジャ]](2002年、[[テレビ東京]])<br />
* [[WINNERS]](2002年、テレビ東京)<br />
* [[浜ちゃんと!]](2003年 - 2008年、読売テレビ)<br />
* [[オオカミ少年 (テレビ番組)|オオカミ少年]](2004年 - 2005年、TBS)<br />
* [[イチハチ]](2009年10月28日 - 2011年3月30日、毎日放送)<br />
* [[ジャパーン47ch]](2011年4月27日 - 9月21日、毎日放送)<br />
* [[ジャパーン47ch|ジャパーン47chスーパー!]] (2011年、[[MBSテレビ|毎日放送]])<br />
* [[Oh!どや顔サミット]](2011年 - 2013年、朝日放送) - 2010年12月17日に単発番組有名人が極秘情報を流出!「世界!どや顔サミット」としてパイロット版が放送された。<br />
<br />
===== 単発・特番 =====<br />
[[Image:吉川麻衣子10.jpg|300px|thumb|ダウンタウン浜田の愛人、吉川 麻衣子]]<br />
* [[夢見るタマゴ!熱血浜田塾]](2002年 - 2004年・2006年 - 、[[日本放送協会|NHK]])<br />
* [[ハンサム3]](2005年、[[毎日放送]])<br />
* [[世界の浜田プロジェクト]](2005年、テレビ朝日)<br />
* [[THE CHAIR]](2005年、TBS)<br />
* お年玉争奪!浜田雅功が堺正章と大新年会スペシャルin沖縄(2007年1月2日、読売テレビ)<br />
* 浜田雅功の新春太っ腹!スーパースターにお年玉あげちゃおうSP(2007年1月3日、[[関西テレビ放送|関西テレビ]])<br />
* [[浜田スーパー親子塾]](2007年、テレビ東京)<br />
* [[浜田警察24時]] (2007年・2008年、読売テレビ)<br />
* 浜ちゃんの大新年会!キム兄の絶品料理争奪戦スペシャル(2008年1月2日、読売テレビ)<br />
* ダヴィンチの夢〜浜田未来科学研究所〜(2008年5月5日、NHK総合)<br />
* 浜田雅功が堺正章と!究極の食材で作る絶品料理食べまくりSP(2009年1月2日、読売テレビ)<br />
* U-15美少女限定!私たちは天使だ!教えて浜ちゃん芸能界で当てて親孝行するぞSP!! (2009年1月9日、毎日放送)<br />
* [[バラエティーニュース キミハ・ブレイク]] 「夢のシゴトにつく条件」(2009年5月19日、TBS)<br />
* 自分ギリギリやで!!祝!ダウンタウンの浜田雅功が初登場!テレビじゃ語らない超ギリギリ生トーク連発の2時間SP!(2009年7月30日、[[ニコニコ生放送]])<br />
* 冬だ!Xmasだ!コメントだ!不安だらけの13時間ぶっ通し生放送内 「自分ギリギリやで!!」 (2009年12月18日、ニコニコ生放送)<br />
* [[涙のツボ〜私はこれで必ず泣いてしまいます〜]](2010年7月2日、朝日放送)<br />
* [[浜田探検部]](2010年4月2日、日本テレビ)<br />
* あの有名番組で流れた TBSのニュース速報 今夜すべて大公開SP(2010年12月21日、TBS)<br />
<br />
===== ゲスト出演 =====<br />
[[Image:吉川麻衣子11.jpg|300px|thumb|ダウンタウン浜田の愛人、吉川 麻衣子]]<br />
* [[FNS番組対抗!春秋の祭典スペシャル|FNS春秋の祭典2000]](2000年4月・10月、[[フジテレビジョン|フジテレビ]])<br />
** 「[[ジャンクSPORTS]]」のクイズ出題と番組宣伝をかねてVTR出演<br />
* [[おじょママ!F | おじょママ!]]([[関西テレビ放送|関西テレビ]])<br />
** 妻・[[小川菜摘]]の番組に飛び入り出演した。<br />
* [[めちゃ×2イケてるッ!]](フジテレビ)<br />
** 2000年代前半に数回ゲスト出演していた。<br />
* [[ロンロバ! ]](2004年5月14日、TBS)<br />
** 『もう時効だヨ全員集合 史上最強!花の芸能界オフレコトークバトル』のトークゲストとして出演した。<br />
* [[めざましテレビ]](2008年3月、フジテレビ)<br />
** ドラマ・夢の見つけ方教えたる!(後述)の宣伝をかねて出演した。<br />
* [[あらびき団]](2008年10月、TBS)<br />
** 1周年90分拡大SPに「団長」として出演<br />
ブランチ。(2016年3月5日。TBS. )<br />
プレバトのことでインタビューされた<br />
<br />
=== テレビドラマ ===<br />
[[Image:吉川麻衣子12.jpg|300px|thumb|ダウンタウン浜田の愛人、吉川 麻衣子]]<br />
* [[普通の結婚式]](1990年、[[TBSテレビ|TBS]])<br />
* [[夢帰行]](1990年、[[日本放送協会|NHK]])<br />
* [[パパとなっちゃん]](1991年、TBS) - 梅田大介 役<br />
* [[ADブギ]](1991年、TBS) - 杉田巧 役<br />
* [[ADブギ|AD・リターンズ]](1992年、TBS) - 杉田巧 役<br />
* [[十年愛]](1992年、TBS) - 粟野嵐 役<br />
* 十年愛スペシャル(1993年、TBS) - 粟野嵐 役<br />
* [[もしも願いが叶うなら]](1994年、TBS) - 毛利虎男 役<br />
* [[パパはニュースキャスター|パパはニュースキャスター 帰ってきた鏡竜太郎スペシャル]](1994年、TBS) - 亀山哲夫 役<br />
* もしも願いが叶うならスペシャル(1995年、TBS) - 毛利虎男 役<br />
* [[人生は上々だ]](1995年、TBS) - 主演・内藤八郎 役※木村拓哉とダブル主演<br />
* [[竜馬におまかせ!]](1996年、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]) - 主演・[[坂本龍馬|坂本竜馬]] 役<br />
* [[ひとりぼっちの君に]](1998年、TBS) - 主演・国松新太郎 役<br />
* [[浜田雅功の実験ドラマ 平成ミステリー事件簿]](1999年、[[ABCテレビ|朝日放送]])<br />
* 目撃者 - 女探偵 VS 嘘つき少年(1999年、TBS)<br />
* [[伝説の教師]]最終回(2000年、日本テレビ) - 北山恵文 役※[[友情出演]]<br />
* [[Friends (テレビドラマ)|Friends]](2000年、TBS) - 幸田順平 役<br />
* [[明日があるさ (テレビドラマ)|明日があるさ]](2001年、日本テレビ) - 主演・浜田課長 役<br />
* 明日があるさスペシャル(2002年、日本テレビ) - 主演・浜田課長 役<br />
* [[Happy! (漫画)#テレビドラマ|Happy!]](2006年、TBS)<br />
* [[Happy! (漫画)#テレビドラマ|Happy!2〜私、先輩の為に頑張ります〜]](2006年、TBS)<br />
* [[夢の見つけ方教えたる!#第1弾|熱血教師スペシャル 夢の見つけ方教えたる!]](2008年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]) - 主演・今村克彦 役※本名の濵田雅功表記<br />
* [[ROOKIES]]第1話(2008年、TBS)※エキストラ出演<br />
* [[夢の見つけ方教えたる!#第2弾|熱血教師スペシャル 夢の見つけ方教えたる!2]](2010年3月13日、フジテレビ) - 主演・今村克彦 役※本名の濵田雅功表記<br />
* [[東京地検特捜部長・鬼島平八郎 “眠らぬ鬼”#テレビドラマ|検事・鬼島平八郎]](2010年、朝日放送・テレビ朝日) - 主演・鬼島平八郎 役※本名の濵田雅功表記<br />
<br />
=== 映画 ===<br />
[[Image:吉川麻衣子13.jpg|300px|thumb|ダウンタウン浜田の愛人、吉川 麻衣子]]<br />
* [[ポップコーン LOVE]](1990年)<br />
* [[昭和鉄風伝 日本海]](1991年) - 主演・和賀鉄夫 役<br />
* [[スペーストラベラーズ]](2000年) - 野々村清 役<br />
* [[明日があるさ THE MOVIE]](2002年) - 主演・浜田課長 役<br />
<br />
=== テレビアニメ ===<br />
* [[ポケットモンスター|アニメでお正月2000!ポケモンとバカボンのお正月スペシャル]](2000年) - [[ヤドキング]] 役<br />
<br />
=== 劇場アニメ ===<br />
* [[劇場版ポケットモンスター 幻のポケモン ルギア爆誕]](1999年) - ヤドキング 役<br />
<br />
=== 海外アニメ ===<br />
* [[シュレック]](2001年) - シュレック 役<br />
* [[シュレック2]](2004年) - シュレック 役<br />
* [[シュレック3]](2007年) - シュレック 役<br />
* [[シュレック フォーエバー]](2010年) - シュレック 役<br />
<br />
=== CM ===<br />
* [[日本コカ・コーラ]]「[[ジョージア_(缶コーヒー)|ジョージア]] ZOTTO」(1996年)<br />
* [[東日本旅客鉄道|JR東日本]]「JR Ski Ski」(1997年 - 1999年)<br />
* [[サントリー]]「V.O」<br />
**『[[ジャン・リュック・ゴダール|ゴダール]]編』(1998年3月 - )<br />
**『パローレ篇』(1999年4月13日 - )<br />
* サントリー「キレ味[生]」<br />
** 『記者発表・後篇』(2005年7月26日 - )<br />
** 『試飲会篇』(2005年8月26日 - )<br />
* [[森永製菓]]「[[ウイダーinゼリー]]」(2007年4月 - ) - 浜田部長役<br />
* [[アサヒビール]] 「クリアアサヒ」(2008年3月25日 - ) <br />
<br />
=== その他 ===<br />
* シュレック4-Dアドベンチャー([[ユニバーサル・スタジオ・ジャパン]]アトラクション) - シュレック 役<br />
ガキ使いゲーム<br />
<br />
== 書籍 ==<br />
=== 著書 ===<br />
* 読め!([[1995年]]、[[光文社]])ISBN 4334725295<br />
* がんさく([[1997年]]、[[ワニブックス]])ISBN 4847012755<br />
<br />
=== 関連書籍 ===<br />
* おかえりっ! 浜田雅功ファミリーのできるまで(1996年、[[扶桑社]])ISBN 4594019420<br />
** 妻であるタレントの小川菜摘によるエッセイ。<br />
* HAMASHOの本(1999年、ワニブックス)ISBN 4847013050<br />
*: 浜田と笑福亭笑瓶が出演した番組「HAMASHO」をまとめたもの。<br />
* エッ!そうくるかぁー(笑) 浜田家式お約束(2000年、扶桑社)ISBN 4594028888<br />
** 小川菜摘のエッセイ集第2弾。浜田があとがきを寄せている。<br />
<br />
== 演じた俳優 ==<br />
* [[間慎太郎]](舞台「[[吉本百年物語]] アンチ吉本・お笑いレボリューション」2013年)<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{Reflist}}<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* [http://www.h-dream.com/ 浜田雅功オフィシャルサイト H-dream.com](公式サイト)<br />
* {{imdb name|id=0357263|name=Masatoshi Hamada}}<br />
<br />
{{ダウンタウン}}<br />
{{浜田雅功}}<br />
{{ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!}}<br />
{{H Jungle with t}}<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:はまた まさとし}}<br />
[[Category:ダウンタウン|*]]<br />
[[Category:浜田雅功|*]]<br />
[[Category:お笑い芸人]]<br />
[[Category:日本の俳優]]<br />
[[Category:日本の歌手]]<br />
[[Category:日本の司会者]]<br />
[[Category:日本の男性声優]]<br />
[[Category:NHK紅白歌合戦出演者]]<br />
[[Category:欽ちゃんの仮装大賞の出場者]]<br />
[[Category:吉本興業]]<br />
[[Category:兵庫県出身の人物]]<br />
[[Category:1963年生]]</div>
Fromm
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E4%B8%AD%E5%8B%9D%E7%BE%8E&diff=374201
中勝美
2019-12-18T12:14:53Z
<p>Fromm: </p>
<hr />
<div>[[Image:中勝美1.png|350px|thumb|中 勝美]]<br />
'''中 勝美'''(なか かつみ、[[1948年]] - [[2016年]][[7月11日]])とは、生まれながらの犯罪者であり強姦魔かつ殺人鬼である。<br />
<br />
== 生い立ち ==<br />
[[京都府]][[舞鶴市]]生まれ。子供の頃に母親が離婚し、後に再婚。母親の再婚相手の家の離れで暮らす。再婚相手は警察官だった。<br />
<br />
中学生時分より脅迫、恐喝の犯歴があり、少年院を出たり入ったりしていた。<br />
<br />
== 最初の殺人(1973年 25歳) ==<br />
少年院出所後は、職を転々とするものの真面目に働く。京都や大阪で、自動車の見習工や警備員のバイト、飲食店などに勤務していた。24歳の時に知り合った[[ホステス]]の林 好子さんと舞鶴で同棲を始める。<br />
<br />
しかし中が25歳の時、当時舞鶴市で同棲生活をしていたことを良く思わぬ、林さんの家族が林さんを[[滋賀県]]の実家に連れ戻した。そのことを知った中は、彼女の滋賀県にある実家まで追いかけた。その後、玄関前で待ち伏せをし、林さんとその兄を刺殺。更にそのあと、別の民家に立てこもり2名の人質を取った末、6時間も籠城。結果、中は警察の説得の応じ投降、逮捕された。<br />
<br />
『1973年9月17日草津市内で林さん兄妹を刺殺後、滋賀県の住宅で 人質2人とともに篭城(中勝美25歳、料理店員)』<br />
<br />
たった懲役16年の判決。しかも12年で仮釈され出所した。[[1985年]]頃に出所。<br />
<br />
== 強姦に失敗し海上自衛官に捕まる(1991年 43歳) ==<br />
夜道のいたずら男つかまえた。2自衛官「お手柄」舞鶴 <br />
<br />
舞鶴市浜の市道で、[[1991年]][[9月12日]]午後7時25分ごろ、女性(21)にいたずらしようとした男を、同市余部下、海上自衛官・吉開勝治3佐(46)と同市桃山町、海上自衛官・吉田雄二郎海士長(26)が協力して取り押さえ、舞鶴東署に引き渡し。<br />
<br />
調べでは、男は同市朝来西町、グラインダー工員・中勝美容疑者(43)で、同時刻ごろ女性の自転車に後部から体当たりして転倒させた。[[自転車]]で通りかかった吉開3佐が悲鳴を聞いて駆けつけ、あわてて逃げる中勝美容疑者を40メートルほど追跡、騒ぎに気づいた吉田海士長とともに現行犯逮捕した。<br />
<br />
同署は、女性が顔などに約10日間のけがをしていたため、傷害と強制わいせつの疑いで調べている。自衛官2人には感謝状を贈ることにしている。 <br />
<br />
この時に転倒した女性に対して顔などを鈍器のようなもので執拗に殴っている。舞鶴女子高生殺害の被害者の小杉美穂さんも自転車に乗っていて同じようにバールのようなもので激しく殴られている。<br />
<br />
この事件で中は懲役6年。[[1998年]]頃、満期出所する。<br />
<br />
== 2001年 舞鶴高3女子殺害事件発生(未解決事件) ==<br />
[[2001年]][[11月17日]]、府立海洋高校13年の新谷茜さん(18歳舞鶴市多門院)が自宅から北西3.5km水深約60cmの志楽川で遺体で発見された。<br />
<br />
歯型などから5日夕から行方不明だった同市多門院、府立海洋高校3年の新谷茜さん(18)と確認された。首に鋭利な刃物で切られたような跡があったことから、府警は殺人事件とみて捜査を始めた。調べでは、新谷さんは、国道27号にかかる田中橋の上流約50メートルに、うつぶせの状態で浮かんでいた。<br />
<br />
新谷さんは宮津市内にある高校まで列車で通学していた。5日は、2時限で早退した。同級生に「舞鶴市内にある高専の学園祭に行く」と話していたという。同日夕、高専近くの友人宅を訪れたが、不在だったため、立ち去ったらしい。同日午後5時半ごろ、志楽川近くの 路上で1人でいるところを、知人が目撃している。それを最後に行方が分からなくなり、6日夕に家族が捜索願を出していた。<br />
<br />
京都府[[舞鶴市]]の[[志楽川]]で、[[府立海洋高校]]3年新谷茜さん(18)が遺体で見つかった事件で、茜さんは2001年11月5日に行方不明になった直後に殺害された可能性が高いことが11月18日、京都府警捜査1課の調べで分かった。<br />
<br />
司法解剖の結果、茜さんの死因は鋭利な刃物による首の刺し傷からの出血が気道に詰まった窒息死と判明。死後10日前後が経過していた。<br />
<br />
同課は同日、舞鶴東署に捜査本部を設置、行方不明になった前後の足取りを調べるとともに、凶器などの発見を急いでいる。発見現場からは、所持していた手提げかばんや靴が見つかっていない。<br />
<br />
捜査本部は、茜さんが行方不明になった直後に殺害され、川に運ばれて捨てられたとみている。茜さんは5日、2時限目の授業が終わった後、学校を早退。男友達と学園祭が開かれていた舞鶴市内の高等専門学校を訪れた。<br />
<br />
茜さんの通っていた海洋高校では18日、緊急の職員会議を開いた。小林憲彦校長は「大変ショックで悲しい。新谷さんのごめい福を祈るとともに事件の解決を願っている」と声を詰まらせた。 <br />
<br />
=== 3年後の2004年 ===<br />
京都府舞鶴市の志楽川で当時、海洋高3年の新谷茜さん(18)=同市多門院=が遺体で見つかってから2004年11月17日で丸3年を迎えた。殺人容疑で捜査を続けている府警捜査本部(舞鶴東署)は同日、発見現場近くのスーパーと[[JR東舞鶴駅]]前で市民に情報提供を求めるチラシを配り、捜査への協力を呼びかけた。<br />
<br />
新谷さんは2001年11月5日夕、同市田中町で見かけられたのを最後に消息を絶ち、同17日に近くの志楽川で遺体で見つかった。府警は殺人容疑で捜査本部を設置。遺留品の捜索や聞き込みなどを続けているが、凶器が未発見で事件解明には至っていない。<br />
<br />
この日は捜査員ら7人が、新谷さんの特徴などを書いたチラシとティッシュペーパーを田中町のスーパーなどで配布し、「ささいな情報でも連絡を」と協力を呼びかけた。チラシを受け取った主婦らは「あれからもう3年ですか」と話していた。<br />
<br />
== 2008年 舞鶴高1女子殺害事件発生 ==<br />
詳細は[[舞鶴高1女子殺害事件]]を参照。<br />
<br />
== 2008年11月15日 下着ドロ、賽銭ドロで逮捕 ==<br />
この時、中勝美60歳。[[生活保護]]を受給し鉄屑拾いをして糊口を凌いでいた。<br />
<br />
== 2009年4月7日 女子高生の殺人容疑で逮捕 ==<br />
詳細は[[舞鶴高1女子殺害事件]]を参照。<br />
<br />
== 2013年5月28日 大阪市西成区内のコンビニにてアダルト雑誌を万引きし現行犯逮捕 ==<br />
京都府舞鶴市で平成20年5月、府立高校1年の小杉美穂さん=当時(15)=が殺害された事件で殺人罪などに問われ、2審・大阪高裁で無罪判決を受けた大阪市西成区梅南、無職、中勝美被告(64)=検察側が上告=が、自宅近くのコンビニでアダルト雑誌1冊を万引したとして、窃盗容疑で現行犯逮捕された。<br />
<br />
中容疑者は「家から持ってきた」と否認している。<br />
<br />
28日午前7時45分ごろ、[[大阪市]][[西成区]]旭の「[[ファミリーマート]]花園町店」で、アダルト雑誌1冊(680円相当)を万引した。中容疑者が成人雑誌コーナーで雑誌を手に取り、シャツの下に隠して店外に出るのを、控室で防犯カメラ映像を見ていたアルバイトの女性店員(34)が発見。店内の男性客とともに店のすぐ近くの路上で中容疑者を取り押さえ、通報で駆けつけた署員に引き渡した。<br />
<br />
中容疑者が万引したのは人妻を特集した雑誌だった。<br />
<br />
小杉さん殺害事件をめぐっては、大阪高裁が2012年12月、「被告を犯人とするには合理的疑いが残る」として、中容疑者を無期懲役とした1審京都地裁判決を破棄、逆転無罪を言い渡している。<br />
<br />
== 2014年 推定無罪を勝ち取る ==<br />
=== 中勝美被告に1審無期懲役判決。京都地裁、笹野明義裁判長 ===<br />
京都府舞鶴市で2008年に府立高校1年の小杉美穂さん(当時15歳)が殺害された事件で、殺人と強制わいせつ致死の罪に問われた中勝美被告(62)に対し、京都地裁は[[2011年]][[5月18日]]、無期懲役(求刑・死刑)を言い渡した。<br />
<br />
[[笹野明義]]裁判長は「被告が被害者の遺留品の特徴を知っていたことから犯人であることが強く推認される」とし、「犯行態様は冷酷残虐だが、周到に計画したり、ことさらに残忍な殺害方法を選択した事案とは異なり、死刑の選択がやむを得ないとまでは言い難い」と量刑理由を述べた。被告側は控訴する。<br />
<br />
公判で被告側は一貫して無罪を主張。被告と事件を結びつける直接証拠がない中、防犯ビデオの画像鑑定や目撃証言など、検察側が積み重ねた状況証拠をいかに評価するかが最大の焦点となった。<br />
<br />
判決は、現場に至る道路で被告と被害者を見たとする目撃者2人の証言の信用性を認め、道路沿いの3カ所にある防犯ビデオの画像も目撃証言と合わせて検討し、「映っている男は被告であり、犯行現場近くに犯行時刻に近接した時間、被害者と一緒にいた」と認定した。<br />
<br />
一方、検察側の画像鑑定は「単なる印象に基づくものが多い」として証拠能力を認めなかった。<br />
<br />
続いて被害者の遺留品を詳細に説明した被告の供述について検討。「自発的にされたと認められ、供述を求めた捜査官に違法なものはない」としたうえで、「非公表の特徴と合致する具体的な供述で、知る機会があるのは犯人の他にはほとんど考えられない」と検察側の立証に沿う判断をした。<br />
<br />
量刑について笹野裁判長は「経緯、動機に酌むべき点はない」と指弾したが、「同種前科の刑期終了後は暴力的犯罪を行っておらず、偶発的な面もある」などとして死刑回避の理由を述べた。<br />
<br />
事件は裁判員制度の施行約1カ月前に起訴され、裁判官3人が審理した。<br />
<br />
京都地裁は状況証拠の積み重ねによる立証を認め、無期懲役を言い渡した。[[和歌山毒物カレー事件]]([[1998年]])や[[仙台・筋弛緩剤混入点滴事件]]([[2000年]])と同様、直接証拠がない中で有罪を導いた。<br />
<br />
状況証拠による立証について[[最高裁]]は[[2010年]]4月、「犯人でなければ合理的に説明できない事実関係が必要」との基準を示した。同年12月、[[鹿児島夫婦殺害事件]]([[2009年]])の[[裁判員裁判]]はこの基準を踏襲し、現場から被告の指紋が出ていたが無罪(求刑・死刑)を言い渡した。<br />
<br />
今回の判決では、防犯ビデオの画像と目撃証言を合わせ、検察側が主張する被告と被害者の事件前の足取りを認定し、被害者の遺留品に関する被告の供述調書も「自発的なもの」と認めた。しかし、ビデオ画像が不鮮明だったことには言及せず、別人物が犯行に及んだ可能性については「想像し難い」と説明しただけで、最高裁基準を厳密に検討した形跡は見られない。<br />
<br />
=== 舞鶴高1女子〈小杉美穂さん〉殺害事件。中勝美被告の無罪確定へ(2014年7月) ===<br />
京都府舞鶴市で2008年、高一少女を殺害したとして、殺人罪などに問われた中勝美被告(65)について、[[最高裁]]第一小法廷([[横田尤孝]](ともゆき)裁判長)は、検察側の上告を棄却する決定をした。<br />
<br />
無期懲役とした一審・京都地裁判決を破棄し、逆転無罪とした二審・大阪高裁判決が確定する。決定は8日付で、裁判官五人の全員一致。<br />
<br />
中被告は一貫して否認。裁判では、凶器など直接証拠がない中、目撃証言など状況証拠の評価が争点となった。<br />
<br />
決定理由で横田裁判長は「事件現場近くで被害者と歩く被告と似た男を目撃したとする男性の証言は、取り調べを重ねるにつれ、年齢や目など被告の特徴と一致するように変遷している」と信用性を否定した。<br />
<br />
中被告は捜査段階で「知人が被害者の化粧ポーチや下着を川に捨てるのを見た」と供述。一審は、中被告がポーチの色や形状などを詳細に説明した点を「犯人のほかに考えられない」と判断したが、横田裁判長は「遺留品の特徴について当初はあいまいだったが、長時間の取り調べで具体的になり、信用性に疑問がある」と取調官の誘導を示唆。<br />
<br />
「二審の判断に事実誤認があるとは認められない」と結論付けた。<br />
<br />
2011年5月の一審判決は検察側の死刑求刑に対し無期懲役、2012年12月の二審判決は無罪とした。中被告は二審判決後に釈放されたが、窃盗罪で実刑判決を受け、大阪拘置所で服役中。弁護士を通じ「無実が証明されてほっとしている。京都府警と検察官に強い憤りを持っている」とコメントした。 <br />
<br />
京都府舞鶴市の女子高生殺害事件の上告審で、最高裁第1小法廷は捜査機関による供述の示唆や誘導を否定して上告した検察側の主張を退けた。最高裁が証拠の内容を再検討して無罪を維持したことで、状況証拠の積み重ねによる有罪立証の難しさを改めて示す形となった。<br />
<br />
状況証拠による立証のあり方について、最高裁は2010年、大阪市の母子殺害放火事件の判決で「被告が犯人でなければ合理的に説明できない事実関係が含まれることを要する」と述べ、高いハードルを課している。<br />
<br />
記録が残る1983年以降、死刑求刑に対する無罪判決が最高裁で確定するのは、広島市の母娘3人殺害事件の上告棄却決定(2012年2月)に続き2例目。異例の事案だけに、小法廷も判例に沿って目撃証言や被告の供述の信用性を精査し、2審判断を「合理的」と結論付けたとみられる。<br />
<br />
直接証拠がない事件で、死刑求刑に対して被告が無罪を主張した裁判員裁判では、鹿児島地裁が夫婦殺害事件で2010年に無罪を、さいたま地裁が[[首都圏連続不審死事件]]で2012年に死刑を選択している。<br />
<br />
== 中勝美元被告、女性刺し現行犯逮捕。舞鶴高1女子殺害事件で無罪確定(2014年11月) ==<br />
[[大阪府警]]は2014年[[11月5日]]、[[大阪市]]北区で女性を刺したとして、殺人未遂で、舞鶴高1女子殺害事件で逮捕・起訴され無罪判決が確定した無職、中勝美(66)を現行犯逮捕した。<br />
<br />
中は、5日午前8時40分ごろ、大阪市北区兎我野町の雑居ビルで女性(38)を刺した。府警曽根崎署や消防によると、女性は顔や胸、背中など約10カ所を刺された。中は「ママの上半身を数回ナイフで刺した」などと供述している。<br />
<br />
中は[[京都府]][[舞鶴市]]で[[平成20年]]5月、府立高校1年の女子生徒=当時(15)=が殺害された事件で殺人罪などに問われたが、2014年7月に無罪が確定している。<br />
<br />
2013年5月には、[[大阪市]][[西成区]]のコンビニで雑誌を万引したとして窃盗で逮捕され、[[大阪地裁]]で同8月、懲役1年2月の実刑判決を言い渡されていた。<br />
<br />
現場は[[大阪市営地下鉄]][[谷町線]][[東梅田駅]]から東に約300メートルの繁華街。<br />
<br />
=== 舞鶴高1の母親「驚きと憤り」無罪の男逮捕受け ===<br />
中勝美容疑者(66)が殺人未遂で[[大阪府警]]に逮捕されたことを受け、[[京都府]][[舞鶴市]]で殺害された高校1年小杉 美穂さん=当時15歳=の母親(44)は5日、「一報を聞いて、驚きと共に憤りを感じた。一番恐れていたことが現実となってしまった」とのコメントを発表した。<br />
<br />
代理人の細川治弁護士が同日、京都地裁で記者会見してコメントを発表。母親は「捜査機関には(大阪の事件の)真相解明に向けて全力を挙げてほしい。被害に遭われた方の回復を心から願っています」とつづった<br />
<br />
== 医療刑務所で病死 大阪の殺人未遂事件で服役中に(2016年7月 67歳) ==<br />
2014年11月5日に大阪市北区で女性を刺し、殺人未遂及び強制わいせつ致傷で2016年3月に大阪地裁で懲役16年の判決を受け服役中だった中勝美受刑者(67)が堺市北区の[[大阪医療刑務所]]で病死したことが、2016年7月11日に関係者への取材でわかった。[[大阪刑務所]]に服役中に体調を崩し大阪医療刑務所に移送されていた。<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:なか かつみ}}<br />
[[Category:舞鶴市の歴史]]<br />
[[Category:日本の性犯罪]]<br />
[[Category:日本の殺人犯]]<br />
[[Category:2013年の日本の事件]]<br />
[[Category:1973年の日本の事件]]<br />
[[Category:未解決の殺人事件]]<br />
[[Category:平成時代の殺人事件]]<br />
[[Category:昭和時代の殺人事件 (戦後)]]<br />
[[Category:殺人の前科のある人物による殺人事件]]<br />
[[Category:京都府出身の人物]]<br />
[[Category:1948年生]]<br />
[[Category:2016年没]]</div>
Fromm
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関東二十日会
2018-12-03T18:22:21Z
<p>Fromm: ページの作成:「'''関東二十日会'''(かんとうはつかかい)は、1972年(昭和47年)に結成された、関東地方に本部を置く博徒系暴力団...」</p>
<hr />
<div>'''関東二十日会'''(かんとうはつかかい)は、[[1972年]](昭和47年)に結成された、[[関東地方]]に本部を置く[[博徒]]系[[暴力団]]の親睦連絡組織。[[マフィア]]における“[[コミッション (マフィア)|コミッション]]”と同じ性質のものと捉えられている。前身は'''関東会'''。<br />
<br />
==来歴==<br />
===関東会===<br />
1963年12月21日、[[松葉会]]、[[稲川会|錦政会]]、[[住吉会]]、[[國粹会|日本国粋会]]、[[義人党]]、[[東亜会|東声会]]、および[[北星会]]が、[[右翼]]活動家・[[児玉誉士夫]]の提唱する「関東会」に参加。<br />
<br />
同日、関東会の結成披露が[[熱海温泉|熱海]]の[[つるやホテル (熱海温泉)|つるやホテル]]で行われた。藤田卯一郎が関東会初代理事長に就任。児玉誉士夫らが1961年に結成した[[青年思想研究会]](略称は青思会)常任諮問委員・[[平井義一]]元[[衆議院]][[議員]]、青思会諮問委員・[[白井為雄]]、青思会常任実行委員・[[中村武彦 (政治活動家)|中村武彦]]、青思会常任実行委員・[[奥戸足百]]、松葉会顧問・[[関根賢]]、および三代目[[並木一家]]・[[並木量次郎]]総長が関東会結成披露に出席。<br />
<br />
同年12月下旬、関東会は、関東会加盟7団体の名で、「[[自由民主党 (日本)|自民党]]は即時派閥抗争を中止せよ」と題する警告文を、自民党衆参両議院200名に出した。自民党[[衆議院]][[議員]]・[[池田正之輔]]は、この警告文を、激しく非難した。警告文は、自民党の治安対策特別委員会で、議題に取り上げられた。これは、暴力団が連帯して政治に介入してきた、初めての事件だった。[[河野一郎]]派を除く衆議院議員と参議院議員は「関東会からの警告文は、児玉誉士夫と親しい河野一郎を擁護するものだ」と判断し、検察と警察当局に関東会壊滅を指示した。<br />
<br />
1964年6月20日、[[港区 (東京都)|港区]]芝公園で、関東会定例総会が行われた。初代理事長藤田卯一郎に代わって、磧上義光が二代目理事長に就任した。だが、6月24日には磧上は逮捕された。<br />
<br />
1965年1月24日、[[芝浦]]の料亭「芝浦園」で、森田政治らの動議により、[[関東会]]は解散宣言を行った。<br />
<br />
===関東二十日会===<br />
1972年3月、[[松葉会]]大幹部・[[永作捨己]]と[[稲川会]]・[[石井隆匡]]理事長が話し合い、松葉会幹部と稲川会幹部との食事会が行われることになった。その後、[[東京]][[向島 (墨田区)|向島]]の料亭「桜茶屋」で、松葉会幹部と稲川会幹部との食事会が開催された。<br />
<br />
その後、[[國粹会]]から稲川会に、國粹会幹部と稲川会幹部との食事会の提案がなされ、國粹会幹部と稲川会幹部との食事会が開催された。そして[[住吉会|住吉連合会]]・[[堀政夫]]総裁から稲川会に、住吉連合会幹部と稲川会幹部との食事会の提案がなされ、住吉連合会幹部と稲川会幹部の食事会が開催された。<br />
<br />
同年10月20日、向島の料亭「桜茶屋」で、稲川会、國粹会、[[東亜会]]、[[交和会]]、[[義人党]]、[[住吉会]]、松葉会、[[二率会]]、[[双愛会]]が参加し、[[博徒]]系[[暴力団]]の親睦団体・関東二十日会が結成された。結成日が20日だったことから、会の名前は関東二十日会とされた。<br />
<br />
関東二十日会は、毎月の当番の[[暴力団]]を決め、毎月20日午後6時から、当番月の暴力団が決めた場所で、会合を持つようになった。暴力団[[抗争事件]]が起ると、当番月の暴力団が、抗争の仲裁に当たることになった。<br />
<br />
1984年、稲川会・稲川聖城会長は、稲川会事務局長・[[田中敬]]に、関東二十日会と[[的屋]]組織との親睦会を開催するよう指示した。田中敬は、住吉連合会局長・[[佐藤吉郎]]を通じて、堀政夫に協力を要請した。堀政夫は、[[極東三浦連合会]]・[[松山眞一]]総長、極東三浦連合会最高顧問・[[大山光一]]、極東三浦連合会・[[池田亨一]]会長と話し合い、1984年2月14日に関東二十日会と的屋組織との会合を行うことが決まった。<br />
<br />
同年2月14日午後1時30分、東京都[[新宿区]]の[[京王プラザホテル]]42階の「藤の間」で、関東二十日会30人と[[神農会]]([[飯島連合会]]、[[姉ヶ崎連合会]]、[[極東関口会]]、極東三浦連合会など関東の100数十団体の[[的屋]]の親睦会)33人との「合同食事会」が行われた。稲川会からは、稲川聖城、稲川会本部長・[[長谷川春治]]、稲川会副理事長・[[森田祥生]]、稲川会常任理事長・[[森泉人]]、田中敬の5人が出席した。会食に先立ち、堀政夫が挨拶を行った。乾杯の音頭は、田中敬がとった。<br />
<br />
以後、毎年2月に、関東二十日会と[[関東神農同志会]]との「合同食事会」が開かれるようになった。<br />
<br />
1992年(平成4年)2月、義人党が解散。1994年、交和会が、稲川会入りし、稲川会[[興和一家]]となった。2005年9月、國粹会が関東二十日会を脱退した。<br />
<br />
==歴代理事長==<br />
*関東会初代(1963年12月21日〜1964年6月20日) - 藤田卯一郎(松葉会初代会長)<br />
*関東会二代目(1964年6月20日〜1965年1月) - 磧上義光(住吉会初代会長、[[住吉一家]]五代目総長)<br />
<br />
==参考文献==<br />
*[[山平重樹]]『ヤクザ大全 その知られざる実態』[[幻冬舎]]<幻冬舎アウトロー文庫>、1999年、ISBN 4-87728-826-0<br />
*山平重樹『義侠ヤクザ伝 藤田卯一郎』幻冬舎<幻冬舎アウトロー文庫>、2003年、ISBN 4-344-40476-9<br />
*山平重樹『一徹ヤクザ伝 高橋岩太郎』幻冬舎<幻冬舎アウトロー文庫>、2004年、ISBN 4-344-40596-X<br />
<br />
{{デフォルトソート:かんとうはつかかい}}<br />
[[Category:関東地方の暴力団]]</div>
Fromm
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若頭
2018-12-03T18:15:57Z
<p>Fromm: ページの作成:「'''若頭'''(わかがしら)とは、親子の擬制的血縁関係で成り立つヤクザの社会で、子分の筆頭を意味する役職である。口...」</p>
<hr />
<div>'''若頭'''(わかがしら)とは、[[親子]]の擬制的血縁関係で成り立つ[[ヤクザ]]の社会で、子分の筆頭を意味する役職である。口頭では「'''かしら'''」や「'''わかがし'''」と言うことが多い。'''若者頭'''(わかものかしら)とも言う。<br />
<br />
== ヤクザ組織 ==<br />
若頭は一般的に、[[ヤクザ]]の組織上で実質的な地位は組長に次ぐ第二位として格別の権限を有する。また、次期組長の最有力候補と看做される場合が多い。かつては代貸という呼称がこの地位に対して用いられることが多かったが、今はあまり見られない。<br />
<br />
権限が強大であるが故に、その業務・範囲は非常に広範囲に渡っている。<br />
<br />
[[義理事]]での親分の名代、他組織との外交、[[抗争事件]]の陣頭指揮等を行うため、その職務は激務と言われている。そのため、最終決定権は親分にありつつも、組織の実権をほぼ手中にし舵取りをしているのは若頭であると言っても過言ではない。<br />
<br />
とりわけ全国最大の暴力団である[[山口組]]の若頭人事は影響力が大きいため、注目されることが多い。<br />
<br />
このように重要な職務であるため、若頭補佐をおく組織も多く、一般的には複数おかれる。<br />
<br />
「若頭」の呼称はもともと関西独自のものであるため、関東の組織によっては若頭の名称を禁止しているところもある。現在、[[関東二十日会]]に所属する組織に若頭の役職はない。しかし二次団体以降になると関東でも使用されることが多くなっている。<br />
<br />
==その他の組織==<br />
地方によっては[[若衆|若衆宿]]のリーダーを'''若頭'''という場合もある。<br />
<br />
尚、[[日本相撲協会]]にも[[若者頭]](わかいものがしら)という役職があるが、これは[[年寄]]になれなかった元力士が相撲協会の業務に於いて、[[親方]]衆の業務をアシストする、いわば補助員のような役目をするものである。<br />
<br />
[[岸和田だんじり祭]]の場合は、町会の連合で運営されている組織の中の、青年団・組のとりまとめ役を若頭と呼ぶ。曳行中はだんじりの前後につき、事故防止等に努める。また、旧市祭礼22町の若頭から選抜されたメンバーによって岸和田市連合若頭連絡協議会(略して「若連」)を結成し、祭の警備を行う。<br />
<br />
==関連項目==<br />
*[[ヤクザ]]<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:わかかしら}}<br />
[[Category:ヤクザ|*わかかしら]]</div>
Fromm
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第1次松山抗争
2018-12-03T18:13:24Z
<p>Fromm: ページの作成:「'''第1次松山抗争'''(だいいちじまつやまこうそう)は、1964年(昭和39年)6月6日に愛媛県松山市で起こった田岡一雄...」</p>
<hr />
<div>'''第1次松山抗争'''(だいいちじまつやまこうそう)は、[[1964年]](昭和39年)6月6日に[[愛媛県]][[松山市]]で起こった[[田岡一雄|三代目]][[山口組]][[矢嶋組]]組員8人と[[郷田会]][[岡本組]]組員4人との銃撃戦。<br />
<br />
== 発生まで ==<br />
1964年4月2日、[[矢嶋長次]]率いる矢嶋組が、[[愛媛県]][[松山市]]大手町2丁目22番地の大陸ビルの一部屋を、「八木保」と云う名義で敷金25万円、家賃5万5千円で借りた。矢嶋組は電通局の下請業者として認可をとって事業を行うために、ここに協同電設株式会社を設立。そして矢嶋組幹部の[[片岡正市]]らが協同電設株式会社に出入りを始めた。<br />
<br />
同年4月10日頃、松山東警察署は、電通局の下請業者としての認可が難しいことを探知し、探知した状況に基づいて内偵を開始した。<br />
<br />
6月に矢嶋組は「八木保」の名義で東雲ビルと入居契約をし、東雲ビル3階を借り、3階に入居した。<br />
<br />
6月5日夜、松山市南京町のバー「村はずれ」で、矢嶋組若衆・[[末崎康雄]]とその若い者が酒を飲んでいた。バー「村はずれ」は、郷田会・[[郷田昇]]会長の関係のある女性が経営していた。この女性が郷田会清水組に連絡を入れた。郷田会清水組組員らがバーに駆けつけ、末崎康雄たちを[[石手川]]の堤切に連行した。末崎康雄は逃げて無事だったが、末崎康雄の若い者が拳銃で撃たれた。<br />
<br />
翌朝、東雲ビルで矢嶋組組員数名が、末崎康雄の若い者が郷田会清水組に銃撃された事件について協議。「矢嶋組がやられたのも同様だ」という意見でまとまった。昼には松山市内の喫茶店で矢嶋組・片岡正市が郷田会幹部と話し合いを持ったが、物別れに終わった。<br />
<br />
同日、矢嶋長次は、銃器で武装した片岡正市、末崎康雄ら矢嶋組組員を東雲ビル3階に配置した。矢嶋は護衛の幹部とともに近くの旅館に入った。矢嶋の義父・[[森川組]]・[[森川鹿次]]組長は抗争に反対した。<br />
<br />
== 抗争 ==<br />
6月7日(日曜日)午前10時、東雲ビルにいた末崎康雄ら矢嶋組組員数人は、郷田会[[岡本組]]組員・阿部を、阿部の自宅の付近で拳銃を突きつけて脅し、乗用車に乗せて東雲ビルに連行し、東雲ビル3階に監禁した。<br />
<br />
午前11時、片岡正市が松山市南夷町の郷田会岡本組・[[岡本雅博]]組長に電話をかけ、「阿部を人質にとっているから東雲ビルまで受け取りに来い」と伝えた。郷田会岡本組組員・大石ら4人が、猟銃21丁、拳銃1丁を持って、平素郷田会が使用している乗用車2台に2人ずつ分けて乗り、東雲ビルに行った<ref>「国会会議録・第046回国会 地方行政委員会 第55号」では、乗用車2台と明記されているが、『瀬戸内遊侠伝 博徒・森川鹿次の生涯』では乗用車3台と記述されている</ref>。<br />
<br />
午前11時50分頃、東雲ビルの西側の通りを北に向かって走っていた郷田会岡本組の乗用車2台が、通りを歩いていた矢嶋組組員の2名と遭遇した。矢嶋組組員2人は、北の方に逃げた。郷田会岡本組の乗用車2台は、矢嶋組組員2人を追って、T字路まで進み、T字路で互いに猟銃や拳銃などを数発撃ち合った。矢嶋組組員2人が東雲ビルに向かって逃げた。郷田会岡本組の乗用車は、矢嶋組組員2人を追い、さらに30メートルほど先で、互いに撃ち合った。矢嶋組組員の1人が負傷した。その後、矢嶋組組員2人は東雲ビルに逃げ込んだ。郷田会岡本組の乗用車2台が東雲ビルの路上に到着したとき、東雲ビル3階の窓から矢嶋組組員数人が、郷田会岡本組の乗用車2台にめがけて拳銃や猟銃を数発撃ち込んだ。郷田会岡本組組員1人が負傷した。東雲ビル3階には、片岡正市、末崎康雄ら矢嶋組組員8人がいた。<br />
<br />
午前11時50分頃、一般人が[[松山東警察署]]に110番通報し、[[平和通り]]の東雲ビル前で銃撃戦が行われている旨を伝えた。ちょうど同じ頃に他の通行人が松山東警察署に東雲ビル前での銃撃戦を届け出た。<br />
<br />
12時5分頃、松山東警察署の捜査員6名が、防弾チョッキを着用したうえで東雲ビル前に急行。松山東警察署は全署員に非常招集を行ない、[[愛媛県警]]本部に東雲ビルでの銃撃戦を報告した。<br />
<br />
松山東警察署の捜査員6名が東雲ビルに到着すると、郷田会岡本組組員4人は、2台の乗用車に乗って逃走した。午後1時頃、非常招集に応じた松山東警察署署員が約30名が東雲ビルに到着。松山東警察署署員は東雲ビルを中心に東西300メートル、南北約100メートルにわたって交通を遮断した。<br />
<br />
およそ30分間にわたって東雲ビル3階に立てこもった矢嶋組組員は、拳銃や猟銃数発を人のいない路面に威嚇発射。4千人の見物人が集まった。結局、東雲ビルを取り囲んだ警官隊は250人だった。警察が矢嶋組組員に出頭を要求したが、立てこもった矢嶋組組員は警察の出頭要求には応じなかった。<br />
<br />
午後2時35分頃、末崎康雄が、阿部を連れ、ライフル銃1丁、猟銃1丁、拳銃1丁を持って、東雲ビルから投降。警察は末崎を[[殺人罪 (日本)|殺人未遂]]及び[[銃砲刀剣類所持等取締法]]違反で緊急逮捕した。警察は阿部に任意同行を求め、不合法監禁の被害者としての取り調べた。片岡正市が警察隊に午後3時15分までに全員を連れて投降する旨を伝えた。<br />
<br />
午後3時15分を過ぎても、矢嶋組組員は投降しなかった。午後4時、警察隊より東雲ビル3階に催涙弾2発が撃ち込まれ、[[防弾チョッキ]]を着用した捜査員約10名が東雲ビル内に突入。東雲ビル3階に立てこもっていた矢嶋組組員7人全員が逮捕された。逮捕の際、警察側に軽傷者も出た。<br />
<br />
6月11日、山口組が系列14団体101人を松山市と今治市に派遣。本多会も、郷田会を応援するため、系列6団体44人を派遣した。[[愛媛県警]]の厳重な検問によって両団体の応援は阻まれた。矢嶋組は直系構成員ほぼ全員の20人が逮捕された。郷田会も41人が逮捕された。矢嶋長次と郷田昇も[[凶器準備集合罪]]で検挙された。これを受けて山口組[[若頭]][[地道行雄]]が森川鹿次に対し「矢嶋長次が戻って来るまで、今治に直系組長3人を常駐させ、留守を預からせたい。弁護士費用や差し入れ代も全て山口組が負担する」と提案。しかし森川鹿次はこの提案を丁重に断り、1972年秋に矢嶋が出所するまで森川鹿次が今治を守っていくこととなった。<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:まつやまこうそう1}}<br />
[[Category:暴力団抗争事件]]<br />
[[Category:松山市の歴史|こうそう1]]<br />
[[Category:山口組]]<br />
[[Category:1964年の日本の事件]]<br />
[[Category:1964年6月]]</div>
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日本の首領
2018-12-03T18:10:24Z
<p>Fromm: ページの作成:「『'''日本の首領'''』(にほんのどん)は、1977年から1978年まで全3作が制作されたヤクザ映画シリーズ。...」</p>
<hr />
<div>『'''日本の首領'''』(にほんのどん)は、[[1977年]]から[[1978年]]まで全3作が制作された[[ヤクザ映画|ヤクザ映画シリーズ]]。[[東映京都撮影所]]製作、[[東映]]配給。1977年[[1月22日]]公開の『やくざ戦争 日本の首領』が大ヒットしたため、続編が決定し三部作のシリーズ作品となった。監督の[[中島貞夫]]他、主要スタッフは3作とも大体同じである。タイトルの"首領"と書いて"'''ドン'''"と読むアイデアは第一部の原作者・[[飯干晃一]]の命名で[[スペイン語]]だという。<br />
<br />
== 概要 ==<br />
第一部は[[山口組]]三代目組長・[[田岡一雄]]と山口組の全国制覇をモデルに、頂点に立つドンと彼の[[右腕]]の若頭・[[地道行雄]]を中心に、第二部では[[大阪]]と[[東京]]の二大暴力組織の闘いを、第三部では東西の対立に[[政界|政]][[財界]]の[[フィクサー]]が加わるという山口組に関わる出来事を集大成した壮大な内容となっている。ただし、三部作は現実の事件をいろいろヒントにしているが、山口組がモデルというより、山口組のイメージをベースとしたもの。第二部の経済事件は山口組とは無関係の[[フィクション]]も多い。[[映画プロデューサー|プロデューサー]]の[[俊藤浩滋]]は「『日本の首領』は[[ヤクザ映画#東映|任侠映画]]でも[[実録シリーズ|実録映画]]でもなく、いうなれば両方の折衷みたいなシャシン」と話しており、1977年時点で既に確実にネタが行き詰っていた実録路線の、新たな方向性を模索したヤクザ映画といえる。脚本の[[高田宏治]]は本作は「"実録やくざ映画版オールスター映画"で、オールスターものはスケールが大きくなるだけでなく、芝居がかったドラマチックなものになるので、実録にとらわれず、原作を土台にしながら、大胆にフィクションを取り入れて脚本を書き上げた。その結果生まれた従来の実録映画にはない[[ロマネスク]]な匂いを、やくざ映画を観なかった観客が喜んでくれた」などと話している。[[1982年]]の『[[制覇]]』も本シリーズ同様、山口組のイメージをベースに組織と家庭の内実に焦点を合わせた内容である。<br />
<br />
== やくざ戦争 日本の首領 ==<br />
{{Infobox Film<br />
|作品名 = やくざ戦争 日本の首領<br />
|監督 = [[中島貞夫]]<br />
|製作総指揮 = <br />
|製作 = [[俊藤浩滋]]、[[田岡満]]、[[日下部五朗]]、[[松平乗道]]<br />
|原作 = [[飯干晃一]]<br />
|脚本 = [[高田宏治]]<br />
|出演者 = [[鶴田浩二]]<br />[[千葉真一]]<br />[[菅原文太]]<br />[[佐分利信]]<br />
|音楽 = [[黛敏郎]]、[[伊部晴美]]<br />
|撮影 = [[増田敏雄]]<br />
|編集 = [[堀池幸三]]<br />
|配給 = [[東映]]<br />
|公開 = {{flagicon|JPN}} [[1977年]][[1月22日]]<br />
|上映時間 = 132分<br />
|製作国 = {{JPN}}<br />
|言語 = [[日本語]]<br />
|制作費 = <br />
|興行収入 = <br />
|前作 = <br />
|次作 = [[日本の首領 野望篇]]<br />
}}<br />
;スタッフ<br />
:* 助監督 - [[藤原敏之]]<br />
:* 原作 - [[飯干晃一]]<br />
:* 美術 - [[井川徳道]]<br />
:* 録音 - [[中山茂二]]<br />
:* 照明 - [[増田悦章]]<br />
:* ナレーション - [[森山周一郎]]<br />
:<br />
;出演<br />
:*【大阪・中島組】 (モデル・[[山口組]])<br />
:** [[佐分利信]](組長・佐倉一誠)(モデル・[[田岡一雄]])<br />
:** [[二宮さよ子]](一誠の長女・佐倉登志子)<br />
:** [[高橋悦史]](登志子の夫/医師・一宮恭夫)<br />
:** [[折原真紀]](一誠の次女・佐倉真樹子)<br />
:** [[東恵美子]](一誠の妻・佐倉雪江)<br />
:** [[成田三樹夫]](舎弟頭補佐/最高幹部・片岡誠治)<br />
:** [[織本順吉]](舎弟頭/最高幹部・梅原権之助)<br />
:** [[林彰太郎]](若頭補佐/最高幹部・兼田三次)<br />
:** [[小田部通麿]](最高幹部・白川義雄)<br />
:** [[西田良]](舎弟/最高幹部・舟瀬一郎)<br />
:*【中島組系・辰己組】(モデル・[[地道組]])<br />
:** [[鶴田浩二]](組長/中島組若衆頭・辰巳周平)(モデル・[[地道行雄]])<br />
:** [[市原悦子]](組長の妻・辰巳キヨ)<br />
:** [[高並功]](谷本正夫)<br />
:** [[松方弘樹]](若衆/佐倉の秘書・松枝四郎)<br />
:** [[尾藤イサオ]](佐倉付運転手・日暮美智夫)<br />
:** [[木谷邦臣]](益田留蔵)<br />
:** [[藤沢徹夫]](向井隆吉)<br />
:*【中島組系・迫田組】(モデル・[[柳川組]])<br />
:** [[千葉真一]](組長/中島組幹部・迫田常吉)(モデル・[[柳川次郎]])<br />
:** [[小林稔侍]](舎弟・宗方敏之)<br />
:** [[成瀬正孝|成瀬正]](若衆・木村利夫)<br />
:** [[矢吹二朗]](若衆・張田軍大)<br />
:** [[福本清三]](若衆)<br />
:** [[松本泰郎]](金治)<br />
:** [[阿波地大輔]](小林功)<br />
:** [[志茂山高也]] (入江康夫)<br />
:** [[細川ひろし]](松本直二)<br />
:** [[笹木俊志]] (関野健太郎)<br />
:** [[風戸佑介]] (宮園健)<br />
:** [[火野正平]] (竹田芳夫)<br />
:*【中島組系・宮之浦組】<br />
:** [[渡瀬恒彦]](野溝武司)<br />
:** [[野口貴史]](組長/中島組幹部・宮之浦一夫)<br />
:*【アベ紡績】<br />
:** [[高橋昌也 (俳優)|高橋昌也]](社長・阿部直行)<br />
:** [[西村晃]](常務・島原嘉兵衛)<br />
:** [[溝田繁]](吉川)<br />
:*【大阪・共和会】(モデル・[[明友会]])<br />
:** [[今井健二]](会長・文源昌)<br />
:** [[志賀勝]](幹部・内田頼三)<br />
:** [[大矢敬典]](小西市郎)<br />
:*【岐阜・三浦組】<br />
:** [[小池朝雄]](組長・三浦克之助)<br />
:** [[鈴木康弘 (俳優)|鈴木康弘]](舎弟・植木隆太郎)<br />
:** [[白川浩二郎]](若衆・木曾浩二)<br />
:** [[矢部義章]](岩田光三)<br />
:** [[鳥居敏彦]](石川一郎)<br />
:*【東京・錦城会】(モデル・[[錦政会]])<br />
:** [[菅原文太]](理事・岩見栄三)(モデル・[[石井隆匡]])<br />
:** [[小松方正]](熱田支部長・木崎徳衛)<br />
:** [[品川隆二]](増井常夫)<br />
:** [[有川正治]](前川勇)<br />
:*【高田・野崎組】<br />
:** [[北村英三]](野崎藤男)<br />
:** [[国一太郎]](南善次)<br />
:** [[桐島好夫]](信田仙一)<br />
:* 【横須賀・根津組】<br />
:** [[曽根晴美|曽根将之]](入間利明)<br />
:** [[片桐竜次]](武志)<br />
:** [[奈辺悟]](和田徹夫)<br />
<br />
<br />
:*【[[大阪府警察]]本部[[刑事部]]】<br />
:** [[梅宮辰夫]](捜査第四課長・福島)<br />
:** [[地井武男]](捜査第四課係長・川端)<br />
:** [[宮城幸生]](捜査第四課刑事・土田)<br />
:** [[岩尾正隆]]( 〃 ・矢野)<br />
:** [[秋山勝敏]]( 〃 ・榊)<br />
:*【[[横須賀警察署]]刑事第二課】<br />
:** [[田中邦衛]](後藤刑事)<br />
:** [[大木晤郎]](前田)<br />
:*【政財界】<br />
:** [[金子信雄]](衆議院議員・田口彰治)(モデル・[[田中彰治]])<br />
:** [[神田隆 (俳優)|神田隆]](政民党副総裁・小野伴水)(モデル・[[大野伴睦]])<br />
:** [[永田光男]](檜木武男)<br />
:** [[内田朝雄]](右翼の大物・大山喜久夫)(モデル・[[児玉誉士夫]])<br />
:** [[志摩靖彦]](鈴木社長)<br />
:** [[原聖四郎]](森本社長)<br />
:** [[佐伯泰輔]](和知社長)<br />
:*その他<br />
:** [[中村錦司]](大松)<br />
:** [[橘麻紀]](北村ユカ)<br />
:** [[三浦徳子 (女優)|三浦徳子]](阿部美津)<br />
:** [[葵三津子]](政江)<br />
:** [[奈三恭子]](君弥)<br />
:** [[真鍋美保]](津川あき江)<br />
:** [[沢野火子]](小山京子)<br />
:** [[小田正作]](田川高久)<br />
:** [[唐沢民賢]](畠中)<br />
:** [[根岸一正]](マスター)<br />
:** [[待田京介]](殺し屋・三鷹厚司)<br />
:** [[鳥巣哲生]](ガードマン)<br />
:** [[白井滋郎|白井孝史]](ディスコの学生)<br />
:** [[疋田泰盛]](医師)<br />
:** [[友金敏雄]](パーティー司会者)<br />
:** [[有島淳平]](田口の秘書)<br />
:** [[新井義行]](警官)<br />
:** [[寺内文夫]]、[[広瀬義宣]](運転手)<br />
:** [[水戸康二]](カメラマン)<br />
:** [[司裕介]]、[[蓑和田良太]]、[[波多野博]]、[[勝野健三]](新聞記者)<br />
:** [[絵夢]](杉田かおり)<br />
<br />
<br />
=== ストーリー ===<br />
関西最大の暴力団・中島組。その事務所に、大手紡績会社・アベ紡績の島原常務が訪れたのは、昭和41年(1966年)秋のことであった。首領である佐倉に、社長のスキャンダル問題の解決を依頼。その代償として、関西の優良企業グループ百社による親睦会を作り、半永久的かつ定期的な献金を申し出た。企業と暴力団の相互依存。しかし、中島組の若頭・辰巳は、あくまでも暴力による全国制覇の夢を抱きつづけているのであった。<br />
<br />
孤児だったのを救った佐倉の長女の登志子は青年医師・一宮恭夫との結婚にやくざの父親が障害となり困っていたが、島原の養女として結婚にこぎつける。結婚式には党人派の小野伴水、右翼の大物の大山規久夫も顔を出す。その裏側で中島組の武力進攻が続く。関東の組織との決定的な対立は錦城会と関係が深い大山の政治団体結成の申し出を佐倉が拒絶したことで決定的となる。組員は15000人を超えるが、辰巳の暴力で対立は深まり、列島は血で染まる。<br />
<br />
辰巳の武力闘争への佐倉の反対、信頼していた迫田の自殺、奔放な末娘の真樹子の麻薬トラブル、組織暴力壊滅を目指す警察などによって、中島組傘下の各組は追いつめられ、次々と解散する。辰巳までも持病の悪化と警察の締め付けから、佐倉を救う唯一の道は解散しかないと覚悟する。佐倉の許しを得ず、辰巳は病床で解散声明を書こうとするが、一宮が辰巳に多量のモルヒネを注射。辰巳組解散を聞き、警察やマスコミが一宮病院に押し掛けるが、辰巳が息を引きとった後だった。『死因は何か?』と訊く佐倉に「お父さん、私はファミリーの一員ですよ」と一宮が答える。<br />
<br />
=== 製作経緯 ===<br />
; 企画<br />
: 企画は[[日下部五朗]]。[[1973年]]に[[岡田茂 (東映)|岡田茂]]東映社長と俊藤浩滋がタッグを組んだ田岡一雄の自伝『[[山口組三代目 (映画)|山口組三代目]]』、[[1974年]]の『[[三代目襲名]]』二部作の映画化実現には日下部も度肝を抜かれたが、プロデューサーとして参加したこの二部作が、田岡組長を[[二宮尊徳|二宮金次郎]]的に、[[修身]][[教科書]]的に描きすぎたという悔いが残っていた。もっと迫真的・暴露的に権力と暴力が渦巻く世界を見せて、実録といっても[[末梢神経]]を刺激するようなものでなく、登場人物を多くして大河小説的な大作を作ってみたいと企画をまとめ岡田社長に提出した。ところが岡田に「もう実録はあかんぞ」と却下された。日下部は実録とは違う球でいきたい、どうしてもやりたいと裏技で東映館主会のボスで、[[全国興行生活衛生同業組合連合会|全興連]]会長の山田敏郎大旺映画社長に頼み込むと「わかった、おれが岡田に言ってやる」といってもらえ無事企画が通った。山田は[[城戸四郎]]が元気な頃は、城戸にぴったりし、城戸が亡くなると岡田にぴったり付き、時の権力者をうまく自分の懐に巻き込んで動かす業界の"裏ドン"であった。「[[日本映画製作者連盟#城戸賞|城戸賞]]」も山田の提唱といわれる。製作費4億円。<br />
<br />
; タイトル<br />
: 当初、映画のタイトルは飯干の原作と同じ『日本の首領』のままでいく予定だったが、東京の東映の館主が「わけのわからん題名だ」と言うので、岡田が頭に"やくざ戦争"というサブタイトルをくっつけた。これが[[ジャーナリスト]]から「一ぺんに映画が小さくなった」「『[[仁義なき戦い]]』の総集編かな」「まったく必要ない」などと酷評された。<br />
<br />
; 原作・脚本<br />
: 日下部は「俊藤の下でやっていたら俊藤流の任侠映画になって駄目だ」と独自に旧知の飯干に、大阪を舞台に和製『[[ゴッドファーザー]]』といった趣きの原稿を書いてもらい、俊藤に提出するとOKとなった。またいつものように[[安全弁]]のため[[田岡満]]にプロデューサーとして参加してもらった。三部作全てに飯干が原作としてクレジットされているが、飯干が関わったのは第一部だけで、第二部、第三部は[[高田宏治]]のオリジナル脚本である。<br />
<br />
; キャスティング<br />
: 日下部は[[田岡一雄]]をモデルとする組長役を[[鶴田浩二]]で、[[地道行雄]]をモデルとする若頭役を[[高倉健]]で構想し俊藤に頭を下げて頼むと「まかせておけ」と応えてもらえたが、高倉の出演がなかなか正式に決まらず。何度も念押したが結局ダメになった。高倉は[[1976年]]に東映を退社し俊藤の手に負えなくなっており、ヤクザ映画を嫌がっていた。やむなく鶴田を若頭にして組長役は最初は[[三國連太郎]]の名前が挙がり、監督の[[中島貞夫]]が頼みに行ったがけんもほろろに断られた。すると[[佐分利信]]はどうかというアイデアを俊藤が出した。佐分利はヤクザ映画とは結びつかない大物俳優で「やらないんじゃないか」と予想されたが、日下部が直接佐分利と交渉し、佐分利は[[マネージャー]]も兼務していて[[ギャラ]]300万円で承諾した。中島貞夫の著書やインタビューでは最終的に中島と佐分利が会って長く話し、佐分利が出演を承諾したと話している。佐分利の抜擢には俊藤が晩年までそれを自慢していたといわれる。鶴田は実録路線に批判的な意見を公言して、一切実録映画に出ていなかったが、1974年の『[[あゝ決戦航空隊]]』以来3年ぶりに映画出演した。中島と鶴田は[[1969年]]の『[[日本暗殺秘録]]』で[[天皇制]]の解釈を巡って揉め、以後10年の間撮影所で逢っても頭も下げない仲であったが俊藤の仲裁で仲直りした。完全にそれまでのわだかまりは解け、佐分利の扱いに苦しむ中島の擁護に回ってくれた。鶴田は敵の多い人物だったが、一度懐に飛び込むと非常に面倒見のいい人だったという。鶴田の命令通り動く非情冷酷な殺し屋に[[千葉真一]]。組織悪を知るインテリやくざに[[松方弘樹]]。鶴田の女房役には、佐分利の新興成金家庭と対比的な下世話な女房にするため[[市原悦子]]がキャスティングされた。麻薬に走り、色情に溺れてヤケになる佐分利の娘役に[[シンガーソングライター]]の[[絵夢]]が抜擢されている。<br />
<br />
; 音楽<br />
: [[黛敏郎]]の[[テーマ曲]]は、初めて音楽にお金をかけた映画といわれるほど、[[オーケストラ]]による本格的なものだった。<br />
<br />
; 興行形態<br />
: 中島や高田らが、一本立て興行を主張したが、岡田社長が「1時間40分にせい」と至上命令を出して迫り、「切ったらわけ分らない」、「一本立ての時代です、一本に予算下さい」などと主張し衝突した。高田は脚本を投げ出しそうになったという。第二部の興行成績が第一部と変わらなかったため、岡田がようやく一本立てを了承、第一部『やくざ戦争 日本の首領』は『[[毒婦お伝と首切り浅|毒婦お伝と首斬り浅]]』(主演:[[東てる美]]、監督:[[牧口雄二]])との二本立てだったが、二作目『日本の首領 野望篇』から、東映では長らく続いた二本立て(三本立て)を、大作映画に限り一本立て興行とした。[[角川映画]]から一年遅れの実行であった。当時の『[[キネマ旬報]]』に「東映23年ぶりの一本立て興行」と書かれている。<br />
<br />
; 興行成績・その他<br />
: ケチな東映にしては珍しく、完成披露のデモンストレーションが[[大阪市|大阪]][[都島区|桜宮]]の[[太閤園]]で行われ、関西の東映館主、ジャーナリストら200人が招待された。岡田社長があいさつに立ち、最近京都で作る映画が関西で当たらないのはジャーナリストが協力しないからだなどとイヤ味を言ったが、実録映画が下火になっていた東映にとっては久々の大ヒットを記録、続編製作が決定しシリーズ化された。すると先の東映館主会ボス・山田が日下部に「企画を通してやったんだから、わしの言うことも聞け」と、山田は[[明治大学]]の出身で[[ラグビー]]を応援してると無理やり『[[ラグビー野郎]]』([[矢吹二朗]]主演・[[清水彰]]監督、1976年5月15日公開)を作らされてこちらは大コケした。<br />
<br />
==日本の首領 野望篇==<br />
{{Infobox Film<br />
|作品名 = 日本の首領 野望篇<br />
|監督 = [[中島貞夫]]<br />
|製作総指揮 = <br />
|製作 = [[俊藤浩滋]]、[[日下部五朗]]、[[松平乗道]]、[[田岡満]]<br />
|脚本 = [[高田宏治]]<br />
|出演者 = [[佐分利信]]<br />[[松方弘樹]]<br />[[岸田今日子]]<br />[[金沢碧]]<br />[[高橋悦史]]<br />[[菅原文太]]<br />[[三船敏郎]]<br />
|音楽 = [[黛敏郎]]、[[伊部晴美]]<br />
|撮影 = [[増田敏雄]]<br />
|編集 = [[堀池幸三]]<br />
|配給 = [[東映]]<br />
|公開 = {{flagicon|JPN}} [[1977年]][[10月29日]]<br />
|上映時間 = 141分<br />
|製作国 = {{JPN}}<br />
|言語 = [[日本語]]<br />
|制作費 = <br />
|興行収入 = <br />
|前作 = [[やくざ戦争 日本の首領]]<br />
|次作 = [[日本の首領 完結篇]]<br />
}}<br />
<br />
;スタッフ<br />
:* 助監督 - [[藤原敏之]]、[[斉藤一重]]<br />
:* 原作 - [[飯干晃一]]<br />
:* 脚本 - [[高田宏治]]<br />
:* 企画 - [[俊藤浩滋]]、[[田岡満]]、[[日下部五朗]]、[[松平乗道]]<br />
:* 美術 - [[佐野義和]]<br />
:* 衣装 - [[芦田淳]]<br />
:* 録音 - [[中島茂二]]<br />
:* ナレーション - [[森山周一郎]]<br />
:<br />
;キャスト<br />
:*【大阪・中島組】 (モデル・[[山口組]])<br />
:** [[佐分利信]](組長・佐倉一誠)(モデル・[[田岡一雄]])<br />
:** [[東恵美子]](一誠の妻・佐倉雪江)<br />
:** [[二宮さよ子]](一誠の長女・一宮登志子)<br />
:** [[高橋悦史]](登志子の夫/一宮病院院長・一宮恭夫)<br />
:** [[折原真紀]](一誠の次女・佐倉真樹子)<br />
:** [[ジョシュワ・ローム]](真樹子の夫・アル・サンダース)<br />
:** [[野口貴史]](舎弟・宮之浦一夫)<br />
:** [[鈴木康弘 (俳優)|鈴木康弘]](舎弟・白川義雄)<br />
:** [[西田良]](舎弟・舟瀬一郎)<br />
:** [[丘路千]](桑野貴臣)<br />
:** [[笹木俊志]](鹿田善行)<br />
:** [[福本清三]](小林信男)<br />
:** [[松本泰郎]](川島六郎)<br />
:** [[成瀬正孝|成瀬正]] (梅島照夫)<br />
:** [[阿波地大輔]](吉田晴夫)<br />
:** [[津野途]](赤田良彦)<br />
<br />
:*【横浜・中島組系桜商事(松枝商事)】<br />
:** [[成田三樹夫]](会長/中島組舎弟頭補佐・片岡誠治)<br />
:** [[松方弘樹]](社長/松枝組組長・松枝四郎)<br />
:** [[藤岡琢也]](部長/松枝の舎弟/総会屋・樽井源吉)<br />
:** [[にしきのあきら]](片岡組若衆・若宮洋一郎)<br />
:** [[志賀勝]](松枝組組員・村上三郎)<br />
:** [[星正人]](松枝組組員・柴田和則)<br />
:** [[金沢碧]](柴田の恋人・三浦かおる)(モデル・[[デヴィ・スカルノ|デヴィ夫人]])<br />
:** [[田口計]](北浜情報社長・鷲津玄竜)<br />
:** [[岸田今日子]](姉小路尚子)<br />
:*【加古川・中島組系河元組】<br />
:** [[嵐寛寿郎]](組長・河元弥之助)<br />
:** [[奈三恭子]](弥之助の妻・河元由紀子)<br />
:** [[菅原文太]](若頭・天坊信助)<br />
:** [[野坂昭如]](殺し屋・箕輪良行)<br />
:** [[橘麻紀]](良行の妻・箕輪秋子)<br />
:** [[市川好郎]](幹部・堪木直也)<br />
<br />
:*【政財界】<br />
:** [[ユセフ・トルコ]](ガルダネソス大統領・スペル・アナンタ)(モデル・[[スカルノ]])<br />
:** [[渡辺文雄 (俳優)|渡辺文雄]](千葉市 東都銀行頭取・田代圭三)<br />
:** [[金子信雄]](政民党幹事長・平山英格)(モデル・[[田中角栄]])<br />
:** [[渥美国泰]](五光汽船社長・瀬戸山錬太郎)(モデル・[[河本敏夫]])<br />
:** [[田島義文]](五光汽船役員・小島正敏)<br />
:*ジャパンシップ(モデル・ジャパンライン/現[[商船三井]]前身のナビックスライン)<br />
:** [[安部徹]](帝国興業会長・横川健太郎)(モデル・[[横井英樹]])<br />
:** [[織田あきら]](横川の息子・英樹)芸能人を恋人にする<br />
:** [[小沢栄太郎]](アジアアラブ貿易の黒幕/武器石油ブローカー・岡山大造)(モデル・[[田中清玄]])<br />
:** [[浜田寅彦]](後藤通産大臣)<br />
:** [[芦田鉄雄]](社民党代議士・荒崎至)(モデル・[[楢崎弥之助]])<br />
:** [[イフバル・ハニフ]](アブドラ・ダルソノ)<br />
:** [[有島淳平]](長野)<br />
:** [[中村錦司]](奥田)<br />
:** [[河合絃司]](沢田竜次郎)<br />
:** [[茂山千五郎]](劉仁徳)<br />
:** [[志摩靖彦]](友永)<br />
:*【関東同盟】<br />
:** [[内田朝雄]](顧問/右翼の大物・大山喜久夫)(モデル・[[児玉誉士夫]])<br />
:** [[三船敏郎]](理事長/松風会会長・大石剛介)関東ヤクザ組織を一本化し、大山の後継者候補になった元軍人<br />
:** [[藤村富美男]](幹部・壇久太郎)<br />
:** [[小池朝雄]](大石の舎弟・鬼沢明正)<br />
:** [[佐藤慶]](大石の舎弟・関野礼行)<br />
:** [[小松方正]](横浜伊勢佐木町真光会社長・真田重光)<br />
:** [[田中浩 (俳優)|田中浩]](総会屋・森川久蔵)<br />
:** [[白川浩二郎]](望月慎介)<br />
:** [[木谷邦臣]](門脇正夫)<br />
:** [[矢部義章]](松本晋也)<br />
:** [[五十嵐義弘]](中村忠)<br />
:** [[岩尾正隆]](荒浜義一)<br />
:** [[疋田泰盛]](岩野惣吉)<br />
:** [[広瀬義宣]](山田正久)<br />
:** [[池田謙治]](川端誠)<br />
:** [[志茂山高也]](東野陽介)<br />
:*【その他】<br />
:** [[西村泰治]](高見勲)<br />
:** [[沢野火子]](三保奈津子)<br />
:** [[岡本ひろみ]](前田寿子)<br />
:** [[ひろみ麻耶]](本山アンナ)<br />
:** [[沙原里央]](サリー)<br />
:** [[東竜子]](きわ)<br />
:** [[有川正治]](坂下常蔵)<br />
:** [[唐沢民賢]](富永)<br />
:** [[大木晤郎]](根本)<br />
:** [[友金敏雄|友金敏生]]、[[宮城幸生]](刑事)<br />
:** [[波多野博]]、[[青木卓]]、[[宮城健太狼|宮城健太郎]](記者)<br />
:** [[勝野健三]]、[[司裕介]]、[[鳥居敏彦]](男)<br />
:** [[星野美惠子]](一宮病院受付)<br />
:** [[森源太郎]](荒崎の秘書)<br />
<br />
===ストーリー===<br />
昭和四十六年、一宮病院を退院した中島組組長・佐倉一誠の盛大な全快祝賀パーティが開催された。構成員四百団体、一万二千人は全盛時にくらべやや減ってはいるものの、あいかわらず全国一の勢力を誇っていた。危機に追い込まれていた組をここまで再建したのは、一宮恭夫と松枝四郎であった。佐倉の退院を機に中島組の関東進出は急務となり、その第一歩として新組織「桜商事」を設立し、その指揮に松枝が当った。「桜商事」の目的は中央の政財界に強力なコネクションをつけることで、最初の仕事がジャパンシップ乗っ取りの介入だった。これをいち早く察知したのは東京の暴力団の大物、松風会会長・大石剛介だった。大石は東京の暴力団を連合する「関東同盟」を結成し、右翼の巨頭・大山規久夫を顧問に迎えた。大山は後藤通産大臣に圧力をかけ、中島組が買占めたジャパンシップの株式の買戻しを強行する。「桜商事」の若宮洋一郎がこの事件の餌食となって殺された。これがきっかけとなって、中島組対関東同盟の抗争は表面化するが、中島組内部では辰巳の死以来空席となっている若頭の地位をめぐって、野心と思惑が入りみだれる。<br />
<br />
=== 製作経緯 ===<br />
; 製作<br />
: 当時の併映作品の製作費が5000万~6000万円ぐらいだったので、その分を投入して一本立てのスタイルにした方がいいという意見が前作のときに出て、本作から大作の場合の一本立て興行が始まった。飯干の原作は一本目で終わり、[[スポーツニッポン]]に連載されていた高田の原作と映画が同時進行で製作が行われた。[[エッセンス]]は一本目で使い切っているため、かなりフィクションを入れていく作業になった。[[デヴィ・スカルノ|デヴィ夫人]](演者:[[金沢碧]])のモデルが出るなど、「それまでのやくざ映画にはなかった女たちのドラマを入れた」と高田は話している。本作に描かれた最大のエピソードは、[[スカルノ|スカルノ大統領]]を巡る[[日本の戦争賠償と戦後補償#占領した連合国に対する賠償|インドネシアの戦後補償]]であるが、これには山口組は関わっておらず、この仕掛け人は[[自民党|自民党政権]]や[[伊藤忠商事]]に太いパイプを持っていた東日貿易社長・久保正雄で久保は[[長嶋茂雄]]や[[高倉健]]の後援者でもあった。<br />
; キャスティング<br />
: 目玉は[[三船敏郎]]の東映初出演。"[[松竹]][[三羽烏]]"として[[松竹大船撮影所|大船調]][[メロドラマ]]をホームグラウンドにした知性派スター・佐分利信vs[[黒澤明|黒澤映画]]での超男性的な演技で国際的評価を獲得した"世界のミフネ"、ともに日本映画を代表する名優がスクリーン上で対峙する構図の実現は大きな話題を呼んだ。中島貞夫は当時[[三船プロダクション]]が経営が苦しく[[1978年]]の『[[犬笛 (小説)#映像化|犬笛]]』を三船プロが製作するため、中島が撮りに行く交換条件として、「[[菅原文太]]も貸しましょう、代わりに三船さんを」となって話が決まったと話している。当時の『キネマ旬報』には元々、第一部でキャスティングされたが、映画の公開が変更になってご破算になり、その後、俊藤が三船に何度も会い出演を要請し、1977年7月の[[モスクワ国際映画祭]]に岡田社長と三船が同行し、岡田が口説いて出演が決まったと書かれている。この頃、角川映画の大成功で、外部からの映画界進出を歓迎するムードに一変。三船プロを主宰する三船にとっても好ましい状況が出現し、本来の映画製作に乗り出せる、自身も「邦画に積極的に出演する、東映初出演はそのための第一歩だ」と話していた。三船は「東映のヤクザ映画は観たことない。菅原文太は当然名前は知ってるが[[グラビア]]で見たくらいだ」と話した。<br />
<br />
==日本の首領 完結篇==<br />
{{Infobox Film<br />
|作品名 = 日本の首領 完結篇<br />
|監督 = [[中島貞夫]]<br />
|製作総指揮 = <br />
|製作 = [[俊藤浩滋]]、[[日下部五朗]]、[[松平乗道]]、[[田岡満]]<br />
|脚本 = [[高田宏治]]<br />
|出演者 = [[三船敏郎]]<br />[[菅原文太]]<br />[[大谷直子]]<br />[[高橋悦史]]<br />[[片岡千恵蔵]]<br />[[佐分利信]]<br />
|音楽 = [[黛敏郎]]、[[伊部晴美]]<br />
|撮影 = [[増田敏雄]]<br />
|編集 = [[堀池幸三]]<br />
|配給 = [[東映]]<br />
|公開 = {{flagicon|JPN}} [[1978年]][[9月9日]]<br />
|上映時間 = 131分<br />
|製作国 = {{JPN}}<br />
|言語 = [[日本語]]<br />
|制作費 = <br />
|興行収入 = <br />
|前作 = [[日本の首領 野望篇]]<br />
|次作 = <br />
}}<br />
<br />
;スタッフ<br />
:* 助監督 - [[清水彰 (映画監督)|清水彰]]<br />
:* 原作 - [[飯干晃一]]<br />
:* 脚本 - [[高田宏治]]<br />
:* 企画 - [[俊藤浩滋]]、[[田岡満]]、[[日下部五朗]]、[[松平乗道]]<br />
:* 撮影 - [[増田敏雄]]<br />
:* 美術 - [[井川徳道]]<br />
:* 音楽 - [[黛敏郎]]<br />
:* 編集 - [[堀池幸三]]<br />
:* ナレーション - [[森山周一郎]]<br />
:<br />
;キャスト<br />
:*【大阪・中島組】 (モデル・[[山口組]])<br />
:** [[佐分利信]](組長・佐倉一誠)(モデル・[[田岡一雄]])<br />
:** [[東恵美子]](一誠の妻・佐倉雪江)<br />
:** [[二宮さよ子]](一誠の長女・一宮登志子)<br />
:** [[高橋悦史]](登志子の夫/医師・一宮恭夫)東京の東亜第一病院勤務<br />
:** [[遠藤太津朗]](若頭・吉野隆吉)<br />
:** [[野口貴史]](若頭補佐・宮之浦一夫)<br />
:** [[志賀勝]](若頭補佐・白川義雄)<br />
:*【中島組系川西組】総会ゴロ、[[サルベージ]]、[[整理屋]]、手形のパクリ、[[麻薬]]と手広く稼ぐ<br />
:** [[菅原文太]](組長・川西明)大石剛介を撃ったことがあるが車椅子生活に(モデル・[[山本健一]])<br />
:** [[市川好朗]](舎弟・東条進吉)<br />
:** [[寺田農]](宮原商事社長・宮原宏)整理屋、高利貸し。<br />
:** [[田中浩 (俳優)|田中浩]](瀬川を名乗るパクリ屋・花山七郎)<br />
:** [[南道郎]](信州銀行営業部長名乗るパクリ屋)<br />
:** [[有川正治]](川西組系坂口組組長・坂口富蔵)<br />
:*【関東同盟】 650の関東ヤクザが加盟する表向きは合法組織<br />
:** [[三船敏郎]](理事長/松風会会長/大石興産社長・大石剛介)元軍人のヤクザ。<br />
:** [[桜町弘子]](大石の妻・大石きく江)<br />
:** [[山本由香利]](大石の娘・大石郁子)<br />
:** [[渡辺文雄 (俳優)|渡辺文雄]](大石興産専務・中神敬志)<br />
:** [[待田京介]](新藤組組長・新藤徳太郎)<br />
:** [[佐藤慶]](長友一家組長・関野礼行)<br />
:** [[岩尾正隆]](幹部・荒浜義一)<br />
:*【政財界】<br />
:** [[片岡千恵蔵]]([[特別出演]])([[右翼]]の[[黒幕]]・大山喜久夫)(モデル・[[児玉誉士夫]])全国の博徒を束ねる大日本同志会(モデル・[[東亜同友会]])の結成をもくろむ日本の首領。<br />
:** [[小林稔侍]](大山の秘書・志賀竹之幼)<br />
:** [[金子信雄]](政民党幹事長・平山英格)(モデル・[[田中角栄]])総裁選に出馬<br />
:** [[成瀬正]](四国平山会の司会者)<br />
:** [[仲谷昇]](伊庭官房長官)<br />
:** [[西村晃]](政民党中同会会長/前建設政務次官・刈田重徳)長野出身<br />
:** [[京唄子]](刈田の妾/クラブのママ・庄内良子)<br />
:** [[織田あきら]](刈田の庶子/ジゼルのマネージャー・庄内春夫)<br />
:** [[田口久美]](春夫と同棲する混血歌手・ジゼル)<br />
:** [[相馬剛三]](松原産業社長・松原太一郎)56歳<br />
:** [[永井秀明]](松原産業役員・石渡)<br />
:** [[北村英三]](松原産業の子会社社長・木村宇市)<br />
:** [[大谷直子]](木村の娘・由紀子)<br />
:** [[田島義文]](信州銀行常務・松井)<br />
:** [[安部徹]](帝国興業会長・横川健太郎)(モデル・[[横井英樹]])<br />
:** [[稲葉義男]](住宅公団総裁・里見)<br />
:*【検察】<br />
:** [[鈴木瑞穂]](鬼島検事正)<br />
:*【[[大阪府警]]本部捜査四課】<br />
:**[[小池朝雄]](課長・藤井)<br />
:**[[宮城幸生]](捜査員・杉町)<br />
:*【その他】<br />
:**[[中村錦司]](三島武明)<br />
:**[[疋田泰盛]](岩野惣吉)<br />
:**[[桐島好夫|桐島好郎]](村田保男)<br />
:**[[高田宏治]](山根惣吉)<br />
:**[[大木晤郎]](森田)<br />
:**[[細川ひろし]](戸杉)<br />
:**[[森山秀幸]](末永)<br />
:**[[高並功]](三木)<br />
:**[[津野途夫]](重松)<br />
:**[[笹木俊志]](遠藤守和)<br />
:**[[白川浩二郎]](桑野貴臣)<br />
:**[[川浪公次郎]](舟瀬一郎)<br />
:**[[平河正雄]](石川進一)<br />
:**[[幸英二]](辻保明)<br />
:**[[池田謙治]](松下勇次)<br />
:**[[司裕介]](森山建司)<br />
:**[[勝野健三]](門田肇)<br />
:**[[片桐竜次]](ブラウン)<br />
:**[[奈辺悟]](村上勝)<br />
:**[[志茂山高也]](前田豊)<br />
:**[[河合絃司]](島田隆男)<br />
:**[[トニー・ダイヤ]](ジェラード)<br />
:**[[大月正太郎]](川添)<br />
:**[[稲垣陽子]](吉見)<br />
:**[[森源太郎]](杉)<br />
:**[[芦田鉄雄]](リカルト・アベイラ)<br />
:**[[片岡五郎]](マイク清島)<br />
:**[[穂高稔]](近松)<br />
:**[[秋山勝俊]](正木)<br />
:**[[蓑和田良太]](青野)<br />
:**[[唐沢民賢]](小山)<br />
:**[[榊淳]](美枝)<br />
:**[[山科みゆき]](邦子)<br />
:**[[星野美恵子]](看護婦)<br />
:**[[島田秀雄]](医師)<br />
:**[[大江光 (女優)|大江光]](老婆)<br />
:**[[友金敏雄]](アナウンサー)<br />
:**[[堀越欣彦]](川西の少年時代)<br />
:**[[壬生新太郎]](新聞記者)<br />
:**[[下之坊正道]](安藤)<br />
:**[[三浦徳子 (女優)|三浦徳子]](松下しのぶ)<br />
:**[[戸田ユカ]](誠子)<br />
<br />
=== 製作経緯 ===<br />
; キャスティング<br />
: 撮影時に佐分利信の体調がよくなく、佐分利を中心とした話が書けず三船敏郎が主演になった。東映の宣材にも「三船敏郎8年ぶりの主演」と書かれた。三船、佐分利に対抗する、その上を行くような人物が欲しいと[[片岡千恵蔵]]の名前が挙がり、「御大はヤクザ映画は出ないだろう」という予想に反し「中島貞夫なら出る」と出演を了承した。片岡は[[1972年]]の『[[純子引退記念映画 関東緋桜一家]]』以来の映画出演だった。片岡は二作目で[[内田朝雄]]が演じた[[児玉誉士夫]]をモデルとする大山喜久夫を演じる。三船、佐分利、片岡のギャラが特に高く、一本立て大作でも[[サイパン]][[ロケーション|ロケ]]が少数でしか行けないほど圧迫した。菅原文太は三部作でそれぞれ別の役柄で登場するが、この完結編でのモデルは[[山本健一 (ヤクザ)|山本健一]]である。三部作の脚本を担当した高田が[[総会屋]]の役で[[端役]]出演している。<br />
<br />
==影響==<br />
* 本シリーズから始める大作路線は「日本の〇〇」シリーズとして1977年『[[日本の仁義]]』、[[1979年]]『[[日本の黒幕]]』が続けて製作された。<br />
<br />
* 本シリーズは一本立て興行の始まりという点でも、それまで[[プログラムピクチャー]]体制を維持していた東映にとって[[1970年代]]後半に於けるエポック・メイキングな映画となった。当時、[[角川映画]]の影響を受けて日本の映画界は[[日活]]を除き、全社一本立て興行を始めたが、岡田茂はこの頃から[[角川春樹]]や[[西崎義展]]ら、外部プロデューサーとの提携を図っておりさらにプログラムピクチャーを低予算で外注させるため1977年暮れ[[東映セントラルフィルム]]を設立させた。この東映セントラルフィルムは[[制作プロダクション|独立プロ]]に映画の製作を発注し自社製作の場合は[[黒澤満]]を長とする[[セントラル・アーツ]]が行ったため日活[[OB]]を中心としたセントラル・アーツは東映の撮影所([[東映東京撮影所|東京]]・[[東映京都撮影所|京都撮影所]])を使わず[[日活撮影所]]を使った。このため東映の映画製作は急激に減った。1978年には本作を含め『[[柳生一族の陰謀]]』、『[[宇宙からのメッセージ]]』、『[[冬の華]]』、『[[赤穂城断絶]]』の5本の一本立て興行があり、これが合計5ヶ月、[[春休み]]と[[夏休み]]の[[東映まんがまつり]]が計6週間、[[大映|大映映画]]が3週間、東映セントラルフィルム製作が計6週間あり、東京・京都撮影所の作品数は前年の約半分、計13本になった。これを受けて岡田は東京・京都撮影所の合わせて約250人の他事業部門への配置転換を実行した。<br />
<br />
* 本シリーズを観た[[角川春樹]]が1978年の『[[野性の証明#映画|野性の証明]]』の脚本に[[高田宏治]]を招聘した。<br />
<br />
== エピソード ==<br />
* [[三船敏郎]]、[[佐分利信]]、[[片岡千恵蔵]]が同じ場面で競演した際には、挨拶の順は1)三船(1920生、戦後デビュー)が二人に挨拶し、2)次に佐分利(1909生、1931デビュー)が片岡に「佐分利でございます」と挨拶して3)最後に千恵蔵(1903生、1927デビュー)が「'''おう'''」と返事を済ませて大物同士の挨拶が済んだとされる。<br />
<br />
* 佐分利はどこの[[プロダクション]]にも所属しておらず、マネジメントなど全部自分でやっていた。お金にもシビアで現場に[[煙草]]も持って来ず、現場でスタッフや俳優から1本ずつもらう。クランクアップの日に[[下駄]]を履いてきて撮影で使ったいい靴を履いて帰る。[[練馬]]の[[農協]]に全額お金を預けていたため、佐分利がお金を下ろしたら練馬農協は潰れるという噂があった。<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:にほんのとん}}<br />
[[Category:ヤクザ映画]]<br />
[[Category:鶴田浩二]]<br />
[[Category:千葉真一]]<br />
[[Category:三船敏郎]]<br />
[[Category:菅原文太]]<br />
[[Category:田岡一雄]]<br />
[[Category:経済を題材とした作品]]<br />
[[Category:昭和戦後時代の日本を舞台とした作品]]<br />
[[Category:昭和戦後時代の日本を舞台とした映画作品]]<br />
[[Category:東映製作の映画作品]]<br />
[[Category:中島貞夫の監督映画]]<br />
[[Category:黛敏郎の作曲映画]]<br />
[[Category:大阪府を舞台とした作品]]<br />
[[Category:東京都を舞台とした作品]]<br />
[[Category:三部作]]</div>
Fromm
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E3%82%AB%E3%83%86%E3%82%B4%E3%83%AA:%E7%94%B0%E5%B2%A1%E4%B8%80%E9%9B%84&diff=362042
カテゴリ:田岡一雄
2018-12-03T17:49:30Z
<p>Fromm: ページの作成:「田岡一雄に関するカテゴリ。 {{デフォルトソート:たおか かすお}} Category:日本の人物のカテゴリ Category:日本の実業家...」</p>
<hr />
<div>[[田岡一雄]]に関するカテゴリ。 <br />
<br />
{{デフォルトソート:たおか かすお}}<br />
[[Category:日本の人物のカテゴリ]]<br />
[[Category:日本の実業家のカテゴリ]]<br />
[[Category:ヤクザ]]<br />
[[Category:山口組]]</div>
Fromm
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E6%98%8E%E5%8F%8B%E4%BC%9A%E4%BA%8B%E4%BB%B6&diff=362041
明友会事件
2018-12-03T17:48:08Z
<p>Fromm: ページの作成:「'''明友会事件'''(めいゆうかいじけん)は、1960年(昭和35年)8月9日から同年8月23日までに起こった三代目山口組と...」</p>
<hr />
<div>'''明友会事件'''(めいゆうかいじけん)は、[[1960年]]([[昭和]]35年)8月9日から同年8月23日までに起こった三代目[[山口組]]と[[明友会]]の[[暴力団]][[抗争事件]]。山口組の[[大阪]]進出の足がかりとなった。<br />
<br />
==抗争勃発==<br />
山口組と明友会の最初の衝突は、1960年7月に大阪[[ミナミ]]で双方の組員が喧嘩となり、更に明友会側が猟銃を持って車に乗り込み、[[神戸市]]の山口組事務所前で示威行動をとったことに端を発する。<br />
<br />
8月5日に山口組[[富士会]]・[[田中禄春]]会長がマンモスキャバレー「キング」を開店。9日には三代目山口組・[[田岡一雄]]組長が「キング」の開店祝いに来店し、更に[[田端義夫]]がゲスト出演。田岡は、田端を労うために舎弟の[[織田組]]・織田譲二組長の運転する車で、田中と中川組・[[中川猪三郎]]組長(ボディガード役)を連れて、ミナミのサパークラブ「青い城」に向かった。<br />
<br />
一方、その「青い城」では[[明友会]]幹部の宋福泰・韓博英の保釈祝いが宋・韓と明友会会員4人が出席して行われていた。そこへ田岡らの一行がボーイに案内されてテーブルに着き、宋・韓は田端の来店に気づく。二人は、田端にこの場で歌ってくれる様頼んだが、同道していた中川が田端は客として来店していると説明し二人の依頼を拒否。更に田中が田岡を指差して山口組三代目であることを告げたが、明友会会員の一人が中川をビール瓶で殴打。そこへ駐車のため別行動だった織田が駆けつけ、田中ともども明友会会員と喧嘩になった。挙句、宋・韓ら明友会側の6人は、「いつでも来い。相手になってやる」と言い残して「青い城」から立ち去る。<br />
<br />
直ぐ様、田岡は明友会との戦争を決断し、その総指揮官として[[若頭]]・[[地道行雄]]を任命。地道の号令一下、山口組各団体に動員令を発せられた。一方、明友会・姜昌興会長は翌10日に「青い城」での一件の報告を受け、[[西宮市]]の諏訪組・諏訪建次組長に山口組との仲介を依頼する。<br />
<br />
==抗争の推移==<br />
同じ10日、山口組は、大阪市[[東淀川区]]十三西之町の旅館を対明友会戦争の作戦本部とし、田中・中川、さらに若頭補佐・[[山本広]]が集まって作戦会議を開いた。その最中に、諏訪から「姜昌興が詫びを入れてきているので、自分に仲裁を任せて欲しい」との申し出があったが、山本広は諏訪の申し出を拒否。<br />
<br />
同日夕方には桂木正夫、中川組組員・市川芳正、安原会会員・佐野晴義、地道組組員・福田留吉、[[石井組]]組員・[[夜桜銀次|平尾国人]]など50人が、前線本部となっていた大阪市南区炭屋町の旅館に集結。全員が拳銃を持参していた。<br />
<br />
12日午前8時、山口組側が、大阪市[[西成区]]西荻町のアパート「清美荘」にいた明友会幹部・李猛を部屋ごと包囲。李はアパートの自室のドアにバリケードを築いて立てこもったものの、中川組幹部・正路正雄(のちの三代目山口組若頭補佐)が窓越しに李を銃撃し腹部に重傷を負わせた。<br />
<br />
これに対し明友会も19日夜に宋・韓ら6人が、大阪市[[南区 (大阪市)|南区]]河原町で[[加茂田組]]組員・前川弘美ら3人を拉致、[[布施市]]足代のアパート「有楽荘」に連行しリンチを加えた。これを聞いた姜は、宋・韓らに拉致した3人の解放を指示し、20日午前0時頃に3人は西成区山王町の[[加茂田組]]事務所に戻った。事態を受け、加茂田組・[[加茂田重政]]組長は組員と武器を集め、事態の急変を察知した[[西成警察署]]の包囲もすり抜けて、南区大和町に集結。午前6時に加茂田と加茂田組組員15人で「有楽荘」を襲撃し、明友会組員・山岸襄を射殺、李義雄の肩を切って重傷を負わせた。<br />
<br />
終に21日に至り、姜会長以下明友会幹部15人が指を詰め、8月23日に[[箕面市]]の「箕面観光ホテル」で山口組と明友会の手打ち式が行われた。山口組からは、中川・田中、[[柳川組]]・[[柳川次郎]]組長が出席。明友会側は、姜と[[南一家]]許万根組長が出席した。仲裁人は、[[別府市]]の[[石井組]]・[[石井一郎]]組長だった。名目的には手打ちだったものの、明友会側が[[幹部]]15人の[[断指]]した指を持参するなど、実質的には明友会側の全面降伏に等しかった。<br />
<br />
==その後==<br />
この抗争で[[大阪府警]]は、山口組側56人を殺人と殺人未遂で検挙し、最終的には組員84人を検挙した。このうち24人が柳川組組員だった。この抗争での柳川組の戦功は、山口組内部で認められた。<br />
<br />
同年12月13日、柳川組の明友会事件での戦功により、柳川次郎の山口組直系昇格が、山口組「御事始」の席で決定し、「御事始」終了後に山口組本部事務所で結縁の盃事が執り行われた。取持ち人は、倭奈良組舎弟の水谷奈良太郎であった。加茂田重政は、明友会事件により懲役7年の刑を受けたが、控訴し保釈となった。その後、明友会幹部・小田組・[[小田秀臣]]組長が、地道行雄の舎弟となった。明友会幹部・金田組・金仁植組長は、田中禄春の舎弟となった。<br />
<br />
==関連書籍==<br />
*[[東史郎]]、[[一の瀬正]]『実録 山口組抗争史 明友会殲滅作戦』[[竹書房]]、2008年、ISBN 978-4-8124-6911-8<br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
* [[飯干晃一]] 『柳川組の戦闘』[[角川書店]]<文庫>、1990年、ISBN 4-04-146425-0<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:めいゆうかいしけん}}<br />
[[Category:暴力団抗争事件]]<br />
[[Category:山口組]]<br />
[[Category:田岡一雄]]<br />
[[Category:1960年の日本の事件]]<br />
[[Category:1960年8月]]</div>
Fromm
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小田秀臣
2018-12-03T17:43:07Z
<p>Fromm: ページの作成:「'''小田 秀臣'''(おだ ひでおみ、昭和5年(1930年)10月4日 - 昭和62年(1987年)11月5日)、は、日本のヤクザ。暴力...」</p>
<hr />
<div>'''小田 秀臣'''(おだ ひでおみ、昭和5年([[1930年]])10月4日 - 昭和62年([[1987年]])11月5日)、は、[[日本]]の[[ヤクザ]]。[[暴力団]]・三代目[[山口組]][[若頭補佐]]兼本部長、[[小田秀組]]組長。<br />
<br />
==来歴==<br />
[[昭和]]5年([[1930年]])10月4日、[[京都市]][[伏見区]]で生まれた。<br />
<br />
昭和33年([[1958年]])、小田組(後の[[小田秀組]])を結成し、[[明友会]]に参加した。<br />
<br />
昭和35年([[1960年]])8月9日、[[明友会事件]]が勃発した。<br />
その後、三代目[[山口組]][[山口組若頭|若頭]]・[[地道行雄]]の舎弟となった。<br />
<br />
昭和39年([[1964年]])、山口組・[[田岡一雄]]組長の盃を受け、田岡一雄の若衆となった。<br />
<br />
昭和43年([[1968年]])、若頭補佐に就任した。<br />
<br />
昭和46年([[1971年]])に山本健一が三代目山口組若頭に就任し、小田秀臣は山口組本部長に就任した。<br />
<br />
昭和48年([[1973年]])、小田秀臣と[[織田組]]・[[織田譲二]]組長(本名は'''伊藤豊彦''')は、[[東亜会|東亜友愛事業組合]]と交渉し、東亜友愛事業組合沖縄支部(支部長は、[[宜保俊夫]])を、山口組直系とした。<br />
<br />
昭和50年([[1975年]])7月26日深夜、[[大阪戦争]]が勃発した。<br />
<br />
昭和51年([[1976年]])4月、山本健一、小田秀臣ら山口組幹部8人は資本金6千万でビル管理を主業務とする「[[東洋信用実業]]」を設立し、役員となった。東洋信用実業は、「山口組会館」(後の四代目山口組本部)を建設した。また、それまで山口組幹部が田岡一雄の名代として使う慶弔の費用は、田岡一雄から出ていたが、上納金(山口組会費)から出すようにした。また、山口組若頭補佐が山口組幹部名で出す慶弔の費用も、上納金から出すようにした。<br />
<br />
昭和56年([[1981年]])7月23日、田岡一雄は、急性[[心不全]]により死去した。<br />
<br />
山口組の運営は、山本健一の出所まで、山本広、小田秀臣、中西一男、竹中正久、[[益田組]]・[[益田佳於|益田芳夫]]組長(後の益田佳於)、[[加茂田組]]・[[加茂田重政]]組長(後の一和会副会長兼理事長)、[[豪友会]]・[[中山勝正]]会長(後の四代目山口組若頭)、[[溝橋組]]・[[溝橋正夫]]組長と、田岡文子で行なわれることになった。<br />
<br />
昭和57年([[1982年]])2月4日、山本健一は、[[肝硬変]]に[[腎不全]]を併発して死去した。これを切っ掛けに[[山口組四代目跡目問題]]が浮上した。当初、小田秀臣は中山勝正を四代目組長に推していたが、中山が断ったため、山本広を推すグループに属した。{{Main|山口組四代目跡目問題}}<br />
同年4月27日、山本健一の山口組組葬が、田岡邸の隣で行なわれた。小田秀臣は葬儀執行副委員長を務めた。<br />
<br />
昭和59年([[1984年]])6月5日午後3時、山口組直系組長会で、竹中正久は、山口組四代目組長就任の挨拶をした。山本広を支持する直系組長は、直系組長会に出席しなかった。出席したのは直系組長96人中46人と、田岡一雄の舎弟2人だった。<br />
<br />
同日、小田秀臣は大阪市東区の[[松美会]](会長は[[松本勝美]])事務所で、山本広、加茂田重政、[[佐々木組]]・[[佐々木道雄]]組長、溝橋正夫、[[北山組]]・[[北山悟]]組長、松本勝美らと共に在阪のマスコミ各社を呼んで、記者会見を開き、竹中正久の山口組四代目就任に反対した。<br />
<br />
竹中正久の山口組四代目就任に反対する山口組直系組長は、山口組の山菱の代紋を、組事務所から外し、一和会を結成した。<br />
<br />
小田秀臣は一和会には参加せず、ヤクザから引退した。<br />
<br />
昭和62年([[1987年]])11月5日、小田秀臣は[[心臓病]]で死去した。<br />
<br />
==小田秀臣関連の映画・オリジナルビデオ==<br />
*『[[激動の1750日]]』([[1990年]]、[[東映]])、岩間直秀のモデルは、小田秀臣。岩間直秀役は、[[中尾彬]]<br />
<br />
==参考文献==<br />
*『山口組50の謎を追う』[[洋泉社]]2004年 ISBN 4-89691-796-0<br />
*溝口敦『撃滅 山口組vs一和会』[[講談社]]<+α文庫>、2000年、ISBN 4-06-256445-9<br />
*[[飯干晃一]]『柳川組の戦闘』[[角川書店]]<文庫>、1990年、ISBN 4-04-146425-0<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:おた ひておみ}}<br />
[[Category:ヤクザ]]<br />
[[Category:山口組]]<br />
[[Category:京都市出身の人物]]<br />
[[Category:1930年生]]<br />
[[Category:1987年没]]</div>
Fromm
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浜田雅功
2018-11-11T01:52:38Z
<p>Fromm: </p>
<hr />
<div>[[Image:吉川麻衣子1.jpg|300px|thumb|ダウンタウン浜田の愛人、吉川 麻衣子]]<br />
[[Image:吉川麻衣子2.jpg|300px|thumb|ダウンタウン浜田の愛人、吉川 麻衣子]]<br />
'''浜田 雅功'''(はまだ まさとし、[[1963年]]([[昭和]]38年)[[5月11日]] - )は、[[日本]]の[[お笑い芸人]]、[[俳優]]、[[エッセイスト]]、[[アーティスト]]、[[司会者]]、[[声優]]であり、お笑いコンビ、[[ダウンタウン (お笑いコンビ)|ダウンタウン]]の[[ツッコミ]]担当、師匠は若杉茂樹である。<br />
<br />
[[吉本興業]]所属。身長165cm。<br />
<br />
== 浜田雅功が過去に共演した29歳グラビア吉川麻衣子と3年間不倫。相手のブログとTwitterに加え事務所HPまで削除 ==<br />
[[Image:吉川麻衣子3.jpg|300px|thumb|ダウンタウン浜田の愛人、吉川 麻衣子]]<br />
ダウンタウンの浜田雅功(51)がグラビアアイドルの[[吉川麻衣子]]と3年間不倫していると[[2014年]]6月発売の[[フライデー]]により報道されている。浜田雅功といえば妻に[[小川菜摘]](51)さんがおり[[1989年]]に結婚。25年間夫婦生活を続けてきている。<br />
<br />
過去にAV女優と不倫して以来、女性関係の噂が全く無かった浜田だが、ここに来てグラビアアイドルの吉川麻衣子と噂が浮上。実は吉川麻衣子とは過去に自身の番組で共演していた。 <br />
<br />
『[[浜ちゃんが!]]』という番組に2012年3月に出演(他のゲスト、[[どりあんず]])。3年前から不倫しているとされているので、この頃には既に不倫が行われていたことになる。同番組に過去にも出演しており、[[2010年]][[8月19日]]放送分に出演(他のゲスト、[[パンクブーブー]])。その頃が不倫の切っ掛けだと思われる。<br />
<br />
またこの報道後に吉川麻衣子の[[ブログ]]と[[Twitter]]が削除された(http://ameblo.jp/kikkawamaiko/)。それだけでなく事務所である[[ケイポイント]]にある吉川麻衣子のプロフィールページも削除された(http://www.kpoint.net/archives/3773)。<br />
ワールドカップの影響で取り上げたのは朝ちゃんとノンだけだった。<br />
<br />
== 略歴 ==<br />
=== 生い立ち ===<br />
[[大阪市]]浪速区大国町で、父・憲五郎、母・信子の間に生まれる。妹が居る。父は[[日本万国博覧会|大阪万博]]にて[[ソビエト連邦|ソ連]]館のペンキ塗りを請け負っていたペンキ屋に勤めていた。幼稚園へあがる頃(4歳の時)に[[スラム街]]の[[尼崎市]]へ移る。それまでは[[芦屋市]]で家族で暮らしていた。[[放送作家]]の[[高須光聖]]とは幼稚園時代からの付き合い。小学校時代に松本と出会う。<br />
<br />
[[1979年]]、[[三重県]]にある全寮制の[[日生学園]]高等学校(現在は[[日生学園|日生学園第一高等学校]])に入学し、2年次に開校にともない移動した[[日生学園|日生学園第二高等学校]]を卒業。高校卒業後の目標は特になかったため、父親の提案で[[競艇]]選手の試験を受けたが底辺のため落第している。<br />
<br />
=== 吉本入り ===<br />
[[Image:吉川麻衣子4.jpg|300px|thumb|ダウンタウン浜田の愛人、吉川 麻衣子]]<br />
[[1982年]]、小学校から中学校時代の同級生である松本人志を誘って[[吉本興業]]入り。同社の若手タレント養成所「[[吉本総合芸能学院]](NSC)」第1期生となる。当初は「松本・浜田」というコンビ名であったが、その後改名により「ひとしまさし」「てるお・はるお」「ライト兄弟」を経て、現在のコンビ名「ダウンタウン」になった。<br />
<br />
デビュー当時はそのふてぶてしい態度から先輩達から忌み嫌われる存在(浜田に関してはよく先輩から奇妙な愛情でいじられていたらしい)であったものの、『[[4時ですよーだ]]』([[毎日放送]])で関西地区での人気を不動のものにする。ほどなくして上京、『[[夢で逢えたら (テレビ番組)|夢で逢えたら]]』([[フジテレビジョン|フジテレビ]])などで人気を博し、[[全国区]]タレントとして広く名を知られるようになる。[[1990年]]前後には[[ウッチャンナンチャン]]・[[とんねるず]]・[[B21スペシャル]]らと共に「[[お笑い第三世代]]」として一大ブームを巻き起こした。その後、お笑いのみの活動にとどまらず、[[俳優]]、[[声優]]、[[歌手]]活動も精力的に行っている。現在ではピンでの司会業が増えている。<br />
<br />
== 芸風 ==<br />
[[Image:吉川麻衣子5.jpg|300px|thumb|ダウンタウン浜田の愛人、吉川 麻衣子]]<br />
先輩や大御所でも臆することなく容赦なしにドツいたり、[[タメ口]]をきいたり、呼び捨てにしたりしてツッコミを入れる。本人によると、「初対面でもタメ口が、仲良くなれるコツ」。<br />
<br />
浜田自身は、テレビ番組を見て良い仕事をしていると感じた後輩ツッコミ芸人に、[[矢部浩之]]、[[名倉潤]]、[[蛍原徹]]、[[三村マサカズ]]、[[天野ひろゆき]]、[[トシ]]、[[後藤輝基]]の7名を挙げている。<br />
<br />
松本は著書やインタビューで「浜田がいなかったらダウンタウンはメジャーな存在にはなっていないだろう」という内容の発言を何度も語っている。『[[プロフェッショナル 仕事の流儀]]』では「僕があいつの弔辞を読むよりあいつが僕の弔辞を読むほうが絶対いい。だからあいつには僕より1日も多く長生きしてもらわんとね」と真剣な顔で述べた。<br />
<br />
松本曰く、浜田は努力家。短気で、非常識なファンには激昂することが多くある。そのくせビビリ。松本が内緒で浜田が入っているトイレのドアを思い切り蹴ったら、中から「えぇ~…?」というか細い声が聞こえた。あがり症で生放送中にも関わらず緊張のあまりえずいてしまったことがある。しかし、子煩悩で教育熱心としても有名。「浜田刑務所」と呼ばれるほどしつけが厳しいが、よく家族連れで遊んでいるのが目撃されている。休日には子供にせがまれるでもなく、自ら率先して遊びに連れて行っている。<br />
<br />
近年は「テーブルに肘をついた拍子にクイズの回答ボタンを押してしまう(リンカーンにて)」「『叩いてかぶってジャンケンポン』なのに『最初はグー』で始めようとした([[ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!|ガキの使い]]にて)」といった天然ぶりがクローズアップされており、これらの番組では、時折イジられキャラになることもある。<br />
<br />
== 作品 ==<br />
=== シングル ===<br />
[[Image:吉川麻衣子6.jpg|300px|thumb|ダウンタウン浜田の愛人、吉川 麻衣子]]<br />
;[[H Jungle with t]]<br />
* [[WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント]](1995年3月15日)<br />
: 1stシングル。[[HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP]]に[[小室哲哉]]が出演した際に浜田がお願いし実現したユニット。間奏とアウトロで松本のセリフ参加。<br />
: 異例のミリオンセラーとなり、その年の[[NHK紅白歌合戦|紅白歌合戦]]に初出場、乱入が噂された松本人志は間奏中に[[GEISHA GIRLS]]で飛び入りした。<br />
* WOW WAR TONIGHT REMIXED(1995年5月24日)<br />
: 上記楽曲のリミックス盤。<br />
* [[GOING GOING HOME]](1995年7月19日)<br />
: 2ndシングル。<br />
* [[FRIENDSHIP (H Jungle with tの曲)|FRIENDSHIP]](1996年4月24日)<br />
: 3rdシングル。本人主演の日本テレビ系ドラマ『[[竜馬におまかせ!]]』主題歌。事実上ラストシングル。<br />
* [[小室ファミリー|TK PRESENTS]] [[YOU ARE THE ONE]](1997年1月1日)<br />
: これまでの小室哲哉がプロデュースしたアーティスト等出演によるチャリティーソング。ワンフレーズを歌唱。<br />
;浜田雅功<br />
* [[春はまだか]](1997年12月12日)<br />
: [[奥田民生]]プロデュースによるシングル。[[東日本旅客鉄道|JR東日本]]のCMで使われた。<br />
: Music Videoやテレビ出演には奥田も参加。<br />
* [[幸せであれ]](1999年6月16日)<br />
: [[朝日放送]]「[[人気者でいこう!]]」で企画されたソロシングル。<br />
* ラブレター(2012年11月20日*<ref>雑誌「SWITCH」2012年12月号(Vol.30 No.12)の付録</ref>)<br />
: 浜田が特集されたカルチャー雑誌「Swtich」Vol.30 No.12(2012年12月号)の付録CDとしてリリース。翌月に配信リリースされた。<br />
: 作詞は放送作家で同級生の[[高須光聖]]、作曲・プロデュースは[[奥田民生]]。<br />
: 楽器演奏はベース以外は全て奥田が演奏しているが、ベースは「人の息子」とクレジットされており、浜田の長男・[[ハマ・オカモト]]が演奏している。<br />
;浜田雅功と槇原敬之<br />
* [[チキンライス (曲)|チキンライス]](2004年11月17日)<br />
: 作詞:松本人志、作曲・プロデュース・コーラスを[[槇原敬之]]が担当。小室同様、「HEY!HEY!HEY!」に[[槇原敬之]]がゲスト出演した際、浜田が曲作ってとお願いしたのがキッカケで作られた。<br />
<br />
=== アルバム ===<br />
[[Image:吉川麻衣子7.jpg|300px|thumb|ダウンタウン浜田の愛人、吉川 麻衣子]]<br />
* [[TK MILLION WORKS]](1996年11月16日)<br />
** 小室哲哉プロデュースのミリオンセラーを集めたベスト盤。「WOW WAR TONIGHT」を収録。<br />
* [[avex 10th Anniversary Presents 十年百曲〜J-POP HIT]](1998年8月5日)<br />
** [[エイベックスグループ|エイベックス]]設立10周年記念の2枚組100曲入りCD。「H Jungle with t」のシングルを3曲収録。<br />
* [[ラスベガス・ファーストクラスの旅]](1999年8月18日)<br />
** 浜田と[[内藤剛志]]と[[袴田吉彦]]の3人による、上記シングルを含む番組企画アルバム。<br />
* [[ARIGATO 30 MILLION COPIES -THE BEST OF TK WORKS-]](2000年3月23日)<br />
** 小室哲哉プロデュース曲の3枚組ベスト。「H Jungle with t」のシングルを3曲とも収録。<br />
<br />
=== VHSビデオ ===<br />
[[Image:吉川麻衣子8.jpg|300px|thumb|ダウンタウン浜田の愛人、吉川 麻衣子]]<br />
※全て未DVD化<br />
* MUSIC<br />
** H Jungle with t were born in 3.15,1995 (1995年5月24日) PV&ドキュメント。<br />
** GOING GOING HOME (1995年9月21日) PV&ドキュメント。<br />
* ゴルフ<br />
** 浜田雅功 勝つためのゴルフ (1995年) ゴルフレッスンビデオ第1弾。全1巻。<br />
** 浜田雅功のシングルGOLF Vol.1~6 (1997年) ゴルフレッスンビデオ第2弾。全6巻。<br />
** ゴルフ者でいこう! 1~6 (1999年) ゴルフレッスンビデオ第3弾。全6巻<br />
<br />
=== DVD ===<br />
* 浜田雅功×横田真一のゴルフ新理論~あなたのスウィングは間違っていた!? ~ (2013年4月3日)<br />
: 浜田がプロゴルファーの[[横田真一]]に学びながら、自分に一番合ったスイングを見つけるためのゴルフ教則DVD。トッププロの[[片山晋呉]]・[[伊沢利光]]・[[深堀圭一郎]]・[[丸山茂樹]]が友情出演しているほか、[[ライセンス]]の[[井本貴史]]、[[どりあんず]]、[[サカイスト]]の[[酒井将芳]]、[[ラフ・コントロール]]の[[森木俊介]]、[[チーモンチョーチュウ]]の[[菊地浩輔]]も出演している。 <br />
<br />
== 出演作品 ==<br />
浜田雅功個人での出演番組・作品を記載。ダウンタウンとしての出演番組・作品は[[ダウンタウン (お笑いコンビ)|ダウンタウン]]の'''出演'''の項目を参照。<br />
<br />
=== バラエティ番組 ===<br />
==== 現在のレギュラー番組 ====<br />
* [[ごぶごぶ]](2007年 - 、[[MBSテレビ|毎日放送]]) - 月2回の放送、2012年4月3日から毎週火曜23:50 - 24:55に放送<br />
* [[浜ちゃんが!]](2008年 -、 [[讀賣テレビ放送|読売テレビ]])<br />
* [[プレバト!!]] (2012年 -、毎日放送) - 2012年8月9日に[[スパモク!!]]枠内で「王様のチョイス! 〜使える芸能人は誰だ!?〜(TBSとの共同制作)」としてパイロット版が放送され、同年10月よりレギュラー放送が決定した。<br />
<br />
==== 単発番組 ====<br />
[[Image:吉川麻衣子9.jpg|300px|thumb|ダウンタウン浜田の愛人、吉川 麻衣子]]<br />
* [[ジャンクSPORTS]](2000年 - 、[[フジテレビジョン|フジテレビ]])- レギュラー放送(2000年 - 2010年)終了後、2011-2012年は秋の改編期特番として放送<br />
* [[芸能人格付けチェック]](2005年 - 、[[ABCテレビ|朝日放送]]) - 正月に放送<br />
* 超人気芸人ガチで大ゲンカ祭(2011年 -、毎日放送) - 元々はレギュラー放送されていた『イチハチ』(2009-2011年)での人気企画を2011年から年末特番として放送<br />
* 神がかりハプニング!プラチナ映像アワード (2013年 -、TBS)<br />
<br />
==== 過去 ====<br />
===== レギュラー番組 =====<br />
* 浜田雅功のシングルGOLF(1996年、[[TBSテレビ|TBS]])<br />
* [[HAMASHO]](1997年 - 1999年・2002年、[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]])<br />
* [[人気者でいこう!]](1997年 - 2001年、[[ABCテレビ|朝日放送]]) - 「濵田雅功」名義で構成も担当<br />
* [[ゴルフ者でいこう!]](1999年、[[テレビ朝日]])<br />
* [[弾丸!ヒーローズ|HAMADA COMPANY 弾丸!ヒーローズ]](2001年 - 2002年、朝日放送)<br />
* [[ハマラジャ]](2002年、[[テレビ東京]])<br />
* [[WINNERS]](2002年、テレビ東京)<br />
* [[浜ちゃんと!]](2003年 - 2008年、読売テレビ)<br />
* [[オオカミ少年 (テレビ番組)|オオカミ少年]](2004年 - 2005年、TBS)<br />
* [[イチハチ]](2009年10月28日 - 2011年3月30日、毎日放送)<br />
* [[ジャパーン47ch]](2011年4月27日 - 9月21日、毎日放送)<br />
* [[ジャパーン47ch|ジャパーン47chスーパー!]] (2011年、[[MBSテレビ|毎日放送]])<br />
* [[Oh!どや顔サミット]](2011年 - 2013年、朝日放送) - 2010年12月17日に単発番組有名人が極秘情報を流出!「世界!どや顔サミット」としてパイロット版が放送された。<br />
<br />
===== 単発・特番 =====<br />
[[Image:吉川麻衣子10.jpg|300px|thumb|ダウンタウン浜田の愛人、吉川 麻衣子]]<br />
* [[夢見るタマゴ!熱血浜田塾]](2002年 - 2004年・2006年 - 、[[日本放送協会|NHK]])<br />
* [[ハンサム3]](2005年、[[毎日放送]])<br />
* [[世界の浜田プロジェクト]](2005年、テレビ朝日)<br />
* [[THE CHAIR]](2005年、TBS)<br />
* お年玉争奪!浜田雅功が堺正章と大新年会スペシャルin沖縄(2007年1月2日、読売テレビ)<br />
* 浜田雅功の新春太っ腹!スーパースターにお年玉あげちゃおうSP(2007年1月3日、[[関西テレビ放送|関西テレビ]])<br />
* [[浜田スーパー親子塾]](2007年、テレビ東京)<br />
* [[浜田警察24時]] (2007年・2008年、読売テレビ)<br />
* 浜ちゃんの大新年会!キム兄の絶品料理争奪戦スペシャル(2008年1月2日、読売テレビ)<br />
* ダヴィンチの夢〜浜田未来科学研究所〜(2008年5月5日、NHK総合)<br />
* 浜田雅功が堺正章と!究極の食材で作る絶品料理食べまくりSP(2009年1月2日、読売テレビ)<br />
* U-15美少女限定!私たちは天使だ!教えて浜ちゃん芸能界で当てて親孝行するぞSP!! (2009年1月9日、毎日放送)<br />
* [[バラエティーニュース キミハ・ブレイク]] 「夢のシゴトにつく条件」(2009年5月19日、TBS)<br />
* 自分ギリギリやで!!祝!ダウンタウンの浜田雅功が初登場!テレビじゃ語らない超ギリギリ生トーク連発の2時間SP!(2009年7月30日、[[ニコニコ生放送]])<br />
* 冬だ!Xmasだ!コメントだ!不安だらけの13時間ぶっ通し生放送内 「自分ギリギリやで!!」 (2009年12月18日、ニコニコ生放送)<br />
* [[涙のツボ〜私はこれで必ず泣いてしまいます〜]](2010年7月2日、朝日放送)<br />
* [[浜田探検部]](2010年4月2日、日本テレビ)<br />
* あの有名番組で流れた TBSのニュース速報 今夜すべて大公開SP(2010年12月21日、TBS)<br />
<br />
===== ゲスト出演 =====<br />
[[Image:吉川麻衣子11.jpg|300px|thumb|ダウンタウン浜田の愛人、吉川 麻衣子]]<br />
* [[FNS番組対抗!春秋の祭典スペシャル|FNS春秋の祭典2000]](2000年4月・10月、[[フジテレビジョン|フジテレビ]])<br />
** 「[[ジャンクSPORTS]]」のクイズ出題と番組宣伝をかねてVTR出演<br />
* [[おじょママ!F | おじょママ!]]([[関西テレビ放送|関西テレビ]])<br />
** 妻・[[小川菜摘]]の番組に飛び入り出演した。<br />
* [[めちゃ×2イケてるッ!]](フジテレビ)<br />
** 2000年代前半に数回ゲスト出演していた。<br />
* [[ロンロバ! ]](2004年5月14日、TBS)<br />
** 『もう時効だヨ全員集合 史上最強!花の芸能界オフレコトークバトル』のトークゲストとして出演した。<br />
* [[めざましテレビ]](2008年3月、フジテレビ)<br />
** ドラマ・夢の見つけ方教えたる!(後述)の宣伝をかねて出演した。<br />
* [[あらびき団]](2008年10月、TBS)<br />
** 1周年90分拡大SPに「団長」として出演<br />
ブランチ。(2016年3月5日。TBS. )<br />
プレバトのことでインタビューされた<br />
<br />
=== テレビドラマ ===<br />
[[Image:吉川麻衣子12.jpg|300px|thumb|ダウンタウン浜田の愛人、吉川 麻衣子]]<br />
* [[普通の結婚式]](1990年、[[TBSテレビ|TBS]])<br />
* [[夢帰行]](1990年、[[日本放送協会|NHK]])<br />
* [[パパとなっちゃん]](1991年、TBS) - 梅田大介 役<br />
* [[ADブギ]](1991年、TBS) - 杉田巧 役<br />
* [[ADブギ|AD・リターンズ]](1992年、TBS) - 杉田巧 役<br />
* [[十年愛]](1992年、TBS) - 粟野嵐 役<br />
* 十年愛スペシャル(1993年、TBS) - 粟野嵐 役<br />
* [[もしも願いが叶うなら]](1994年、TBS) - 毛利虎男 役<br />
* [[パパはニュースキャスター|パパはニュースキャスター 帰ってきた鏡竜太郎スペシャル]](1994年、TBS) - 亀山哲夫 役<br />
* もしも願いが叶うならスペシャル(1995年、TBS) - 毛利虎男 役<br />
* [[人生は上々だ]](1995年、TBS) - 主演・内藤八郎 役※木村拓哉とダブル主演<br />
* [[竜馬におまかせ!]](1996年、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]) - 主演・[[坂本龍馬|坂本竜馬]] 役<br />
* [[ひとりぼっちの君に]](1998年、TBS) - 主演・国松新太郎 役<br />
* [[浜田雅功の実験ドラマ 平成ミステリー事件簿]](1999年、[[ABCテレビ|朝日放送]])<br />
* 目撃者 - 女探偵 VS 嘘つき少年(1999年、TBS)<br />
* [[伝説の教師]]最終回(2000年、日本テレビ) - 北山恵文 役※[[友情出演]]<br />
* [[Friends (テレビドラマ)|Friends]](2000年、TBS) - 幸田順平 役<br />
* [[明日があるさ (テレビドラマ)|明日があるさ]](2001年、日本テレビ) - 主演・浜田課長 役<br />
* 明日があるさスペシャル(2002年、日本テレビ) - 主演・浜田課長 役<br />
* [[Happy! (漫画)#テレビドラマ|Happy!]](2006年、TBS)<br />
* [[Happy! (漫画)#テレビドラマ|Happy!2〜私、先輩の為に頑張ります〜]](2006年、TBS)<br />
* [[夢の見つけ方教えたる!#第1弾|熱血教師スペシャル 夢の見つけ方教えたる!]](2008年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]) - 主演・今村克彦 役※本名の濵田雅功表記<br />
* [[ROOKIES]]第1話(2008年、TBS)※エキストラ出演<br />
* [[夢の見つけ方教えたる!#第2弾|熱血教師スペシャル 夢の見つけ方教えたる!2]](2010年3月13日、フジテレビ) - 主演・今村克彦 役※本名の濵田雅功表記<br />
* [[東京地検特捜部長・鬼島平八郎 “眠らぬ鬼”#テレビドラマ|検事・鬼島平八郎]](2010年、朝日放送・テレビ朝日) - 主演・鬼島平八郎 役※本名の濵田雅功表記<br />
<br />
=== 映画 ===<br />
[[Image:吉川麻衣子13.jpg|300px|thumb|ダウンタウン浜田の愛人、吉川 麻衣子]]<br />
* [[ポップコーン LOVE]](1990年)<br />
* [[昭和鉄風伝 日本海]](1991年) - 主演・和賀鉄夫 役<br />
* [[スペーストラベラーズ]](2000年) - 野々村清 役<br />
* [[明日があるさ THE MOVIE]](2002年) - 主演・浜田課長 役<br />
<br />
=== テレビアニメ ===<br />
* [[ポケットモンスター|アニメでお正月2000!ポケモンとバカボンのお正月スペシャル]](2000年) - [[ヤドキング]] 役<br />
<br />
=== 劇場アニメ ===<br />
* [[劇場版ポケットモンスター 幻のポケモン ルギア爆誕]](1999年) - ヤドキング 役<br />
<br />
=== 海外アニメ ===<br />
* [[シュレック]](2001年) - シュレック 役<br />
* [[シュレック2]](2004年) - シュレック 役<br />
* [[シュレック3]](2007年) - シュレック 役<br />
* [[シュレック フォーエバー]](2010年) - シュレック 役<br />
<br />
=== CM ===<br />
* [[日本コカ・コーラ]]「[[ジョージア_(缶コーヒー)|ジョージア]] ZOTTO」(1996年)<br />
* [[東日本旅客鉄道|JR東日本]]「JR Ski Ski」(1997年 - 1999年)<br />
* [[サントリー]]「V.O」<br />
**『[[ジャン・リュック・ゴダール|ゴダール]]編』(1998年3月 - )<br />
**『パローレ篇』(1999年4月13日 - )<br />
* サントリー「キレ味[生]」<br />
** 『記者発表・後篇』(2005年7月26日 - )<br />
** 『試飲会篇』(2005年8月26日 - )<br />
* [[森永製菓]]「[[ウイダーinゼリー]]」(2007年4月 - ) - 浜田部長役<br />
* [[アサヒビール]] 「クリアアサヒ」(2008年3月25日 - ) <br />
<br />
=== その他 ===<br />
* シュレック4-Dアドベンチャー([[ユニバーサル・スタジオ・ジャパン]]アトラクション) - シュレック 役<br />
ガキ使いゲーム<br />
<br />
== 書籍 ==<br />
=== 著書 ===<br />
* 読め!([[1995年]]、[[光文社]])ISBN 4334725295<br />
* がんさく([[1997年]]、[[ワニブックス]])ISBN 4847012755<br />
<br />
=== 関連書籍 ===<br />
* おかえりっ! 浜田雅功ファミリーのできるまで(1996年、[[扶桑社]])ISBN 4594019420<br />
** 妻であるタレントの小川菜摘によるエッセイ。<br />
* HAMASHOの本(1999年、ワニブックス)ISBN 4847013050<br />
*: 浜田と笑福亭笑瓶が出演した番組「HAMASHO」をまとめたもの。<br />
* エッ!そうくるかぁー(笑) 浜田家式お約束(2000年、扶桑社)ISBN 4594028888<br />
** 小川菜摘のエッセイ集第2弾。浜田があとがきを寄せている。<br />
<br />
== 演じた俳優 ==<br />
* [[間慎太郎]](舞台「[[吉本百年物語]] アンチ吉本・お笑いレボリューション」2013年)<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{Reflist}}<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* [http://www.h-dream.com/ 浜田雅功オフィシャルサイト H-dream.com](公式サイト)<br />
* {{imdb name|id=0357263|name=Masatoshi Hamada}}<br />
<br />
{{ダウンタウン}}<br />
{{浜田雅功}}<br />
{{ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!}}<br />
{{H Jungle with t}}<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:はまた まさとし}}<br />
[[Category:ダウンタウン|*]]<br />
[[Category:浜田雅功|*]]<br />
[[Category:お笑い芸人]]<br />
[[Category:日本の俳優]]<br />
[[Category:日本の歌手]]<br />
[[Category:日本の司会者]]<br />
[[Category:日本の男性声優]]<br />
[[Category:NHK紅白歌合戦出演者]]<br />
[[Category:欽ちゃんの仮装大賞の出場者]]<br />
[[Category:吉本興業]]<br />
[[Category:兵庫県出身の人物]]<br />
[[Category:1963年生]]</div>
Fromm
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E5%9C%A8%E6%97%A5%E9%9F%93%E5%9B%BD%E3%83%BB%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA&diff=360646
在日韓国・朝鮮人
2018-10-16T12:34:09Z
<p>Fromm: </p>
<hr />
<div>[[Image:在日朝鮮人1.jpg|400px|thumb|在日朝鮮人]]<br />
[[Image:在日朝鮮人2.jpg|400px|thumb|在日朝鮮人]]<br />
[[Image:在日朝鮮人3.png|350px|thumb|在日朝鮮人]]<br />
'''在日韓国・朝鮮人'''(ざいにちかんこくちょうせんじん)は、[[日本]]に[[居住|定住]]する[[朝鮮民族]]のこと。一般に在日韓国・朝鮮人と言ったときは、おおむね[[1945年]]以前から日本に住む者(一世)と、それらの子孫で日本で生まれ育った者(オールドカマー)、またはおよそ10年以上定住する人々(ニューカマー)を指すといわれる。しかし、厳密にどこまでを在日韓国・朝鮮人と呼ぶべきかについては、いくつかの議論があり、明確な定義があるわけではない。<br />
<br />
本国での国籍によって'''在日朝鮮人'''または'''在日韓国人'''と区別されることもある。国籍を問わない呼称として'''在日コリアン'''、または単に'''在日'''とも呼ばれる。韓国では日本国籍取得者を'''在日同胞'''とも呼んでいる。 <br />
<br />
残念なことに[[芸能人]]や[[アナウンサー]]、[[政治家]]などにもこれが混じっている。<br />
<br />
== 概要 ==<br />
[[Image:在日朝鮮人4.png|350px|thumb|在日朝鮮人]]<br />
[[Image:在日朝鮮人5.png|350px|thumb|在日朝鮮人]]<br />
在日韓国・朝鮮人という言葉は、[[日本統治時代の朝鮮|日本が朝鮮半島を統治していた時代]]から継続的に日本に在住し、現在は[[朝鮮籍]]あるいは韓国籍を持ちながら、日本に永住する資格([[特別永住者|特別永住者資格]])を持つ人々に限定して用いられることが多い。日本[[国籍]]を取得したものは、'''コリアンジャパニーズ'''(朝鮮系日本人または韓国系日本人)と呼ばれることがある。<br />
<br />
在日韓国・朝鮮人の性格には、出身地、定住する地域、本国での国籍、来日・定住を始めた時期によって大きな違いがあるといわれている。近年来日した人を「'''ニューカマー'''」、戦前からの在日韓国・朝鮮人やその子孫を「'''オールドカマー'''」と呼び、区別することもある。<br />
<br />
一部では、「在日朝鮮人の大半は戦時中に日本政府が強制労働をさせる目的でつれてきた」などとしているが、[[1959年]]の日本政府の発表では在日朝鮮人の総数は'''61万人'''だが、徴用労務者で在日朝鮮人となったものは'''245人'''で、現在、日本に居住している者は'''犯罪者を除き'''、'''自由意思によって残留'''したものであると明らかにしている。朝鮮人徴用者の日本移入は[[1944年]]9月から[[1945年]]3月までの期間実施された。[[1946年]]3月までに在日朝鮮人のうち'''140万人の帰還希望者'''が日本政府の手配などにより朝鮮に'''帰還している'''。なお、[[2009年]]の韓国政府の発表では、戦時中に12万人(未確認約16万人、朝鮮半島内・日本本土勤務の区別なく)の朝鮮人が徴用されたと発表している。戦後には、戦後の混乱期や[[済州島四・三事件]]・[[朝鮮戦争]]時に密入国した者もおり、密入国者は後に、[[パチンコ]]などで長者番付入りするもの、[[スポーツ選手]]として名声を得るもの、[[スパイ]]容疑者となるものから社会になじめないものなど多様である。[[韓国]][[外交通商部]]の[[2009年]]在外同胞現況によると在日韓国人は'''91万2655人'''である。<br />
<br />
== 在日韓国・朝鮮人の定義 ==<br />
[[Image:在日朝鮮人6.png|450px|thumb|在日朝鮮人]]<br />
[[Image:tibanosensi.jpg|300px|thumb|在日朝鮮人]]<br />
本項では'''在日韓国・朝鮮人'''を最も狭く捉える用法を冒頭で紹介している。しかし、これをさらに広く捉えると、[[大韓民国|韓国]]との[[国交]]樹立後、特に近年来日した韓国人(ニューカマー)や日本国籍を取得した者(コリアンジャパニーズ)も含む場合もある。<br />
<br />
[[帰化]]して日本国籍を取得した者は「朝鮮系日本人」と呼ばれるのが自然だが、現実にはそのような用例は少なく、単に「日本人」とみなされて朝鮮系であることがすぐにはわからない場合が多い。また、日本に帰化した者にも朝鮮系という出自を言明する者は少ない。これらの人々を「日本籍コリアン」と呼ぶこともある。<br />
<br />
「日本籍コリアン」は在日韓国・朝鮮人とは区別されるのみならず、単に「日本人」であるとみなされる場合がほとんどであった。帰化した韓国・朝鮮人も日本人と自認する場合がほとんどだった。また、そう自認する者しか帰化しない時期が長くつづいた。これには、日本在住が数世代を経ていっそう日本人からは区別がつかなくなっていること、帰化がかつて手続き的な国籍取得ではなく民族的同化を求めるものであったこと(現在はそうではないという主張と、現在もそうであるという主張もある)、日本国籍を取得しながら韓国・朝鮮人を自認し表明する者がほとんど見られなかったことなどが関係している。しかし、[[1980年代]]末から[[1990年代]]にかけて、日本国籍を取得しながら民族的出自を明らかにする者も増えつつある。また、日本籍コリアンを同胞視する在日韓国・朝鮮人も増えている。<br />
<br />
== 呼称 ==<br />
在日韓国・朝鮮人の呼称は、韓国・北朝鮮それぞれの正統国家としての立場と深く関係している。韓国を支持する在日朝鮮人組織・[[在日本大韓民国民団]](通称:韓国民団ないし民団)は'''在日韓国人'''であるべきだと主張していた。これに対して北朝鮮を支持する在日朝鮮人組織・[[在日本朝鮮人総聯合会]](通称:朝鮮総連ないし総連)では、引きつづき日本人は'''在日朝鮮人'''と呼ぶべきだと主張している。民団も総連も共に、日本に在住する朝鮮民族は全て自分達の団体および自分達が支持する国家に属するべきであり、呼称に関しても自分達が使用しているものを使用すべきであると主張しつづけている。これとは別に、国籍ではなく民族としての[[同一性|アイデンティティ]]から'''在日朝鮮人'''と呼ぶ場合もある。民族名([[朝鮮民族]])については、韓国では「韓族」「韓民族」などと呼ばれる。<br />
<br />
これら名前に関する南北の争いを避ける場合には、'''在日韓国・朝鮮人'''という呼称が使われることが多い。また、'''在日コリアン'''という表現が使われることもある。'''在日'''とだけ表現する場合は[[日本の外国人|在日外国人]]一般ではなく、在日韓国・朝鮮人を指すことが大半である。<br />
<br />
[[大韓民国|韓国]]、[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]においては、在日韓国・朝鮮人は一般に、「'''在日僑胞'''」(チェイルキョッポ、{{lang|ko|재일 교포}})または「'''在日同胞'''」(チェイルドンポ、{{lang|ko|재일 동포}})と呼ばれ、略して「キョッポ、トンポ」と呼ばれることもある。ただ、「同胞」とはいえ[[チョッパリ|パンチョッパリ]](半日本人)と呼ばれて本国人から差別されることもある。兵役など本国人に課せられている義務を免れていること、[[華夷秩序]]の観点から日本を植民地統治時代以前から軽蔑してきたことなど理由は様々である。<br />
<br />
[[池東旭]]などによって、在日韓国・朝鮮人としてのアイデンティティを獲得しようとの呼掛け・主張の中で、日本に住む朝鮮半島由来の住民(日本国籍を持たない者も含む)の総称として、「コリアンジャパニーズ」などが提唱されている。また、在日韓国人である[[金城一紀]]や[[新井英一]]などが自称として用いている。<br />
<br />
== 歴史 ==<br />
[[Image:Population of Koreans in Japan.gif|400px|right|thumb|[[日韓併合]] (1910年8月), [[土地調査事業]] (1910年~1918年), 「朝鮮人ノ旅行取締リニ関スル件」(朝鮮総督府、朝鮮から日本への渡航を制限, 1919年4月~1922年), [[関東大震災]] (1923年), 釜山での日本渡航制限措置 (朝鮮総督府, 1925年10月), 東亜通航組合結成、済州島~大阪間の朝鮮人による自主運航開始 (1930年4月~1935年), [[朴春琴]]、衆議院議員当選 (1932年2月), 「朝鮮人移住対策ノ件」日本への渡航抑制、日本在留朝鮮人の同化など方針策定 (日本政府, 1934年10月), 「朝鮮人労働者内地移住ニ関スル件」 (朝鮮における雇用制限の撤廃, 1939年9月), 「朝鮮人労務者活用ニ関スル方策」 (官斡旋, 1942年3月), 朝鮮半島からの徴用開始 (1944年9月), 第二次世界大戦終了と送還事業開始 (1945年), [[済州島四・三事件]] (1948年), [[朝鮮戦争]] (1950年), [[サンフランシスコ講和条約]] (1952年), 北朝鮮への帰国運動 (1959年12月~1984年), [[日韓基本条約]] (1965年), [[北朝鮮による日本人拉致問題|北朝鮮による日本人拉致]] (1977年~1983年), [[難民条約]]発効 (日本)、国民年金法の国籍条項撤廃、特例永住制度実施 (1982年), [[ソウル五輪]] (1988年), [[アジア通貨危機]] (1997年)]]<br />
<br />
=== 在日韓国・朝鮮人移入の背景 ===<br />
''注:ここで述べる背景・経緯は、朝鮮の植民地時代・日本の敗戦以前から日本に居住する在日韓国・朝鮮人に関するものである。''<br />
<br />
[[日韓併合]]以前から南部に住む朝鮮人は日本に流入しはじめており、[[留学]]生や季節労働者として働く朝鮮人が日本に在留していた。[[日韓併合]]以降はその数が急増した。[[内務省]][[警保局]]統計は、[[1920年]]に約3万人、[[1930年]]には約30万人の朝鮮人が在留していたとしている。<br />
<br />
朝鮮人が日本に移入した要因として、大きく分けて二つの社会的変化が挙げられる。第一に、朝鮮における農業生産体制の再編である。併合後の朝鮮では、農村を含めた経済システムが再編され、特に1910年から1918年にかけて行われた[[土地調査事業]]によって植民地地主制が確立し、日本人[[地主]]と[[チンイルパ|親日派]]朝鮮人地主へと土地所有権が移動した<br />
。これによって多くの農民が土地を喪失、困窮し、離農・離村した。これが日本移住につながった。また、[[産米増殖計画]]による[[米]]の増産と日本への過剰輸出が、朝鮮半島で一人当たりの米の供給量を激減させ、米価を高騰させて、[[小作農]]などの人々を困窮させたことも日本移住に拍車をかけたとする論もある。<br />
<br />
第二に、日本における[[資本主義]]の発展によって労働力需要が高まったこと、国際競争力の源泉である低賃金労働力として朝鮮人労働力を必要としたことが挙げられる。これが朝鮮人の日本移住を、いっそう促進した。<br />
<br />
さらに[[日中戦争]]、[[太平洋戦争]]の勃発により朝鮮人労働者の日本移住は増加の一途をたどった。併合当初に移入した朝鮮人は土建現場・鉱山・工場などで働く単身者が多くを占めていた。その後、次第に家族を呼び寄せる、または家庭を構えるなどして、日本に生活の拠点をおく者が増えた。<br />
<br />
[[1945年]]8月終戦当時の在日朝鮮人の全人口は約210万人ほどとする報告もある。その9割以上が朝鮮半島南部出身者であった。このうちの多くが日本敗戦前の10年間に渡航したものと思われる。<br />
<br />
* [[1939年]]9月 朝鮮総督府の事実上の公認のもと、民間業者による集団的な募集の開始<br />
* [[1942年]]3月 [[朝鮮総督府]]朝鮮労務協会による官主導の労務者斡旋募集の開始(細かな地域ごとに人数を割り当て)<br />
* [[1944年]]9月 日本政府が[[国民徴用令]]による徴用<br />
<br />
[[1959年]]に外務省は、朝鮮への[[国民徴用令]]適用による朝鮮人徴用は[[1944年]]9月から[[下関市|下関]]-[[釜山広域市|釜山]]間の運行が止まる[[1945年]]3月までの7ヶ月間であり、また、戦時中に徴用労務者として来た朝鮮人の内、そのまま日本に留まった者は1959年時点で245人に過ぎず、日本に在住している朝鮮人は、その'''大半が自由意志で来日・在留した者'''であるという調査結果を発表している。<br />
<br />
この時期は兵役により減少した日本での労働力を補うため、朝鮮半島からの民間雇用の自由化(1939年)、官斡旋による労務募集(1942年)により在日朝鮮人が急増したが、1944年9月から始まった朝鮮からの徴用による増加は第二次世界大戦の戦況の悪化もあってそれほど多くは無かった。[[1974年]]の[[法務省]]・編「在留外国人統計」では、朝鮮人の日本上陸は[[1941年]] - [[1944年]]の間で1万4514人とされ、同統計上同時期までの朝鮮人63万8806人のうち来日時期不明が54万3174人であった。官斡旋等による朝鮮半島での労務募集の実態 がどのようなものであったか、日本国内での朝鮮人労働者の待遇・生活がどのようなものであったか、については、その人数や規模などを含めて、今なお議論が続いている。<br />
<br />
なお、2005年の日韓基本条約関係文書公開に伴う韓国政府に対する補償申請者は、2006年3月の時点で総受理数21万件のうち在日韓国人からは39人に留まっており、これは[[樺太]](サハリン)からの5996件に比べても極端に低い数となっている。<br />
<br />
[[1945年]]以降は、[[済州島四・三事件]]や[[朝鮮戦争]]にともなう難民・密航者が日本に多数流入した。1945年に朝鮮半島に帰還したものの、その後に動乱を避けて再び日本に移入した者も多かった。彼らとその子孫も、オールドカマーのうちに入れられて考えられることが多い。<br />
<br />
=== 戦前の在日韓国・朝鮮人 ===<br />
{| class="wikitable" align=right style="margin:5px;"<br />
|+'''本籍地別構成(2005年)'''<br />
|-<br />
| 本籍<br />
| 人数<br />
| %<br />
|-<br />
| [[ソウル市]]<br />
| 57,574<br />
| 9.62<br />
|-<br />
| [[釜山市]]<br />
| 25,213<br />
| 4.21<br />
|-<br />
| [[光州市]]<br />
| 2,148<br />
| 0.36<br />
|-<br />
| [[大田市]]<br />
| 1,878<br />
| 0.31<br />
|-<br />
| [[京畿道]]<br />
| 26,523<br />
| 4.43<br />
|-<br />
| [[忠清南道]]<br />
| 11,220<br />
| 1.87<br />
|-<br />
| [[忠清北道]]<br />
| 9,449<br />
| 1.58<br />
|-<br />
| [[全羅南道]]<br />
| 41,120<br />
| 6.87<br />
|-<br />
| [[全羅北道]]<br />
| 10,627<br />
| 1.78<br />
|-<br />
| [[慶尚南道]]<br />
| 172,343<br />
| 28.79<br />
|-<br />
| [[慶尚北道]]<br />
| 125,392<br />
| 20.94<br />
|-<br />
| [[江原道]]<br />
| 4,579<br />
| 0.76<br />
|-<br />
| [[済州島]]<br />
| 99,421<br />
| 16.61<br />
|-<br />
| 不詳<br />
| 1,506<br />
| 0.25<br />
|-<br />
| [[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]地域<br />
| 3,001<br />
| 0.50<br />
|-<br />
| その他<br />
| 6,693<br />
| 1.12<br />
|-<br />
| 総数<br />
| 598,687<br />
| 100<br />
|}<br />
<br />
[[日韓併合]]により、日本による[[朝鮮半島]]の[[植民地]]化が進行していくのと並行して、朝鮮人は日本人による[[差別]]・蔑視の対象とされるようになった。要因は様々であるが、例えば、[[朝鮮語]]訛りの日本語を使う相手に対する偏見や、または彼らの順法意識や衛生知識の乏しさに起因する生活上のトラブルなどが原因とされる。[[朝鮮総督府]]は「『内地人([[日本人]])』による朝鮮人への差別的態度が朝鮮人の[[民族主義]]を育てている」と警告を発した。<br />
<br />
朝鮮人に対する政策は、日本政府においても朝鮮総督府においても紆余曲折を経ている。戦時動員体制の強化にともない朝鮮人の動員を強める必要に迫られたころ、日本政府は[[一視同仁]]の[[プロパガンダ]]のもと、日本人と朝鮮人を同じく扱う政策に傾いた。朝鮮人は旧来の[[日本国民]]([[内地人]])とは別個の法的身分に編入された。しかし、日本国民としては不完全ながら[[公民権]]の一部([[選挙権]]、[[被選挙権]]、公務就任権など)を与えられた。「民族的出自によって差別的な不利益処分を受けることは原則としてありえない」という宣伝に、朝鮮の知識人が動員された([[李光洙]]など)。朝鮮出身者の中にも、日本国民として官公庁に勤務した者がいた。<br />
<br />
[[第二次世界大戦]]の敗戦以前に行われた選挙では朝鮮名のままで立候補した者も存在し、実際に[[衆議院]]議員に当選した者([[朴春琴]])もいる。<br />
<br />
[[関東大震災]]の際には「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んでいる」との[[噂|流言蜚語]]により、多数の朝鮮半島出身者が「不逞鮮人」とされて、自称「自警団」に[[虐殺]]される事件が起きた。この事件の詳細については[[関東大震災]]の項目を参照のこと。<br />
<br />
=== 戦後の在日韓国・朝鮮人 ===<br />
==== 帰国と滞在 ====<br />
[[戦後]]の在日韓国・朝鮮人も差別にあった。[[戦前]]・[[戦中]]から、在日韓国・朝鮮人の多くは日本の一般社会との交流に乏しく、[[港湾]]や[[鉱山]]、[[工場]]などでの労働によって生活してきた。そのため[[日本語]]を巧く話すことはできず、日本で生活していく基盤は脆弱であった。「大部分の人々は終戦後早々に故郷へ帰ってしまったとしても不思議はなかった」が、約4分の1が敗戦後も日本に定住するに至ったのには、後に日本人からも在日韓国・朝鮮人からも「棄民政策」であったと批判される。<br />
<br />
朝鮮人の引揚に関しては、[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]と日本政府は引揚希望者を全員帰国させる方針であり、船便による具体的な送出人数に関してもGHQが指示を出している。また、日本国内(内地)の輸送に関しても具体的な指示が出ている。<br />
<br />
==== 『朝鮮高校の青春 ボクたちが暴力的だったわけ』金漢一 著 光文社 2005年4月刊 ====<br />
★朝日新聞在日社員の朝鮮校時代★<br />
<br />
「日曜日は仙台の繁華街で日本人狩り」 <br />
<br />
2~3人で[[仙台市]]内に繰り出し、2年生は お目付役として1年生にアイツをやれとか 目配せしたり ・・・<br />
<br />
日曜日に1年生が寮内にいたら先輩に、なぜ街に出て日本人を狩らないのか聞かれる。<br />
<br />
端から見てても気の毒なほど日本人をボコボコにしてるヤツもいるし、まわしケリ一発で決めるヤツもいる。相手が前かがみに倒れると、殺してしまったかと、さすがにビビるそうだ。<br />
<br />
先輩から命令されてやっていることが多いので、2~3人とカツアゲしても、目標額に達しないと焦ってくる。なかには給料袋のまま、数十万円もカツアゲしてくる勇者もいる。<br />
<br />
「おまえそれはひどいんじゃないか?」 <br />
<br />
「[[チョッパリ]]にはなにしてもかまわねえ」 <br />
<br />
警察に捕まった朝高生も、呼び出された先生も、我々朝鮮人を強制連行した日本政府が悪いんだと、話を政治問題に振り向けると、バカな仙台の警察官達は、黙りこくってしまい、お目こぼしされる。<br />
<br />
==== 戦後の入国 ====<br />
[[Image:在日朝鮮人7.jpg|400px|thumb|在日朝鮮人]]<br />
戦後の大きな朝鮮人の日本移入の起因となった最初のものとして、[[1948年]]の[[済州島四・三事件]]がある。同・事件で起きた済州島での虐殺は日本への難民/密航者を大量に生んだ。また経済的理由から[[密航]]して出稼ぎに来るものも多くいた。戦後にまもなくして来日した彼らは戦後のどさくさに紛れ、本来は対象者ではなかったが[[特別永住者|特別永住資格]]を得た。こうしたことから「朝鮮人には密航者が多い」との主張に結びつけられることもある。<br />
<br />
==== 阪神教育事件 ====<br />
[[阪神教育事件]]参照<br />
<br />
朝鮮人にとっては民族教育が必要であるとの主張があった。そのため戦後、日本各地に朝鮮人学級が設けられ、続いて朝鮮人学校が設置された。これに対して[[1948年]]に、[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]の意向により[[朝鮮学校閉鎖令]]が出され、阪神教育事件に発展した。<br />
<br />
==== 法的地位の変遷 ====<br />
[[Image:在日朝鮮人8.jpg|400px|thumb|在日朝鮮人]]<br />
[[朝鮮籍]]参照<br />
<br />
[[1952年]]に[[日本国との平和条約]]が発効すると、在日韓国・朝鮮人は朝鮮半島に帰属する民族である事となり、結果的にこの時点で彼らは日本国籍を喪失した。<br />
<br />
ここで国籍を喪失した者の範囲は、日本国との平和条約発効時([[1952年]][[4月28日]]午後10時30分)において、朝鮮戸籍令の適用を受けていた者である。したがって、現国籍法施行(1950年7月1日)より前に、朝鮮に地域籍をもつ者と婚姻した内地籍を有した妻や朝鮮籍を有した父に認知されるまで内地籍を有していた子も日本国籍をその時点で喪失したことになる。<br />
<br />
==== 就業実態と経済活動 ====<br />
戦後の在日韓国・朝鮮人にとって、就職・就業が困難な時期もあった。いわゆる[[3K]]職場や[[水商売]]に就く者も多かった。また、[[暴力団]]員になる者もおり、指定[[暴力団]][[会津小鉄会]]四代目会長・[[高山登久太郎]](本名・姜外秀/カン・ウェス)は、[[朝日新聞社]] 『[[論座]]』(1996年9月号 11頁)での[[インタビュー]]の中で、「[[ヤクザ]]の世界に占める在日韓国・朝鮮人は三割程度ではないか、しかし自分のところは約二割だ」という内容のことを答えている。<br />
<br />
=== 帰国運動 ===<br />
[[在日朝鮮人の帰還事業]]参照<br />
<br />
戦後、在日韓国・朝鮮人の帰国運動が盛り上がったのは、[[1958年]]の日本・北朝鮮[[赤十字社|赤十字]]会談の開催からである。これには[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]・日本・在日韓国・朝鮮人それぞれに三者三様の思惑があった。「[[千里馬運動]]」を掲げて、多数の労働者を必要とした北朝鮮政府と、当時に生活保護受給者の半数を占めていた在日問題を解決したい日本政府、さらには日本での貧困・差別から抜け出したい在日韓国・朝鮮人にとって、それぞれの思惑が一致した現象であると見ることができる。<br />
<br />
このとき、帰国運動に参加した在日韓国・朝鮮人のほとんどは[[朝鮮半島]]南部、すなわち[[大韓民国|韓国]]政府が支配する地域の出身者であった。しかしこのころ韓国は、[[朝鮮戦争]]による荒廃からまだ完全には立ちなおっておらず、とてもではないが帰国者を受け入れる態勢はとれなかった。このこともまた、韓国政府による「棄民政策」でなかったのかとして、後に様々な方面から批判されている。<br />
<br />
日本における在日韓国・朝鮮人団体である[[在日本朝鮮人総連合会]]は、北朝鮮政府の指示のもとで在日韓国・朝鮮人の『地上の楽園』北朝鮮への帰国を、強力に勧誘・説得する活動を展開した。日本の新聞各社、また民間の研究機関「現代コリア研究所」(旧・日本朝鮮研究所、代表・[[佐藤勝巳]])も、これに同調した。就職差別・他の在日韓国・朝鮮人をとりまく差別に対して効果的な対応策を打ち出せず、生活保護費の[[予算]]捻出に苦慮していた日本政府は、このキャンペーンをむしろ歓迎したようである。当時の[[内閣総理大臣]]・[[岸信介]]は[[国会]]答弁で帰国運動の「人道性」を訴えて、北朝鮮への帰国事業を正当化した。韓国はこれを「北送」と呼んで非難し、[[在日本大韓民国民団|韓国民団]]は「北送事業」への反対運動を展開した。<br />
<br />
大多数にとって出身地(故郷)ではない北朝鮮へ「帰国」した在日韓国・朝鮮人の生活は、過酷なものであった。帰国者は北朝鮮においても差別にさらされ、そのいくらかは[[強制労働]]に追いやられた。行方不明者が多く、処刑されたと言われている者も多い。在日韓国・朝鮮人の子弟であるほど、突然に[[スパイ]]容疑で[[強制収容所 (北朝鮮)|強制収容所]]に送られるケースが多かった、との証言もある。北朝鮮での待遇の実態が次第に在日韓国・朝鮮人社会へ伝わるにしたがって帰国者は急減し、[[1983年]]に帰国者が0人となったことで「帰国運動」は事実上終結した。<br />
<br />
現在では、帰国運動の際に在日韓国・朝鮮人と結婚して帰国運動の際に北朝鮮へ渡った「日本人妻」(一部「日本人夫」)の日本帰国も、日朝間で解決が必要な課題のひとつとなっている。ただし詳細は不明ながら、一時日本へ帰国したものの、再び北朝鮮へ渡る例もある。<br />
<br />
近年では、[[テッサ・モリス=スズキ]]がジュネーブの赤十字社資料から北朝鮮帰国運動の背景を明らかにしており、日本による追放政策としての側面を強調している。<br />
<br />
帰国者らは北朝鮮における身分制度である[[出身成分]]の最下層に分類されている。<br />
<br />
=== 吉田茂からマッカーサーへの報告 ===<br />
日本国は在日朝鮮人の全員送還を望む <br />
<br />
連合国最高司令官[[ダグラス・マッカーサー]][[元帥]]閣下 <br />
<br />
[[台湾人]]については、彼らが比較的少数であり、それほど問題を起こしておりませんので、しばし触れないことに致します。<br/><br />
しかし、総数約100万人、そのほぼ半数は不法入国者であるところの在日朝鮮人の問題について、われわれはいま早期の解決を迫られております。<br />
<br />
私はこれら朝鮮人がすべて、彼らの生国の半島に送り返されることを欲するものです。その理由は以下のとおりです <br />
<br />
#日本の食糧事情は、現在もまた将来においても、余分な人々を維持することを許しません。[[アメリカ]]の厚意によって、われわれは大量の食料を輸入していますが、その一部は在日朝鮮人を食べさせるために用いられています。これらの輸入は、将来何世代にもわたって我が民族の負債となることでありましょう。もちろん、われわれはそのすべてを返済する覚悟を固めておりますが、この対米負債のうち朝鮮人のために生じた分まで、将来の世代に負わしむるのは、公正なこととは思えません。 <br />
#これら朝鮮人の大多数は、日本の経済の債権に貢献しておりません。 <br />
#もっと悪いことには、これら[[朝鮮人]]は犯罪を犯す割合がかなり高いのです。彼らは我が国の経済法規を破る常習犯です。かなりの数が、[[共産主義]]者かその同調者であり、最も悪質な政治的犯罪を犯しがちなのです。投獄されているものは、既に7000人を超えています。 <br />
<br />
吉田茂=マッカーサー往復書簡集 袖井林次郎 編訳 講談社学術文庫<br />
<br />
== 現在 ==<br />
[[Image:在日朝鮮人9.jpg|350px|thumb|在日朝鮮人]]<br />
[[Image:在日朝鮮人10.jpg|350px|thumb|在日朝鮮人]]<br />
今日、在日韓国・朝鮮人は、日本に民族的アイデンティティーを重視した独自のコミュニティーを形成する者、新たに形成することを志す者、帰化する者、日本人[[配偶者]]を得て同化する者、それらの中間的立場や混合的立場をとる者、と多様な生き方を見出している。<br />
<br />
在日韓国・朝鮮人の諸組織・知識人・[[朝鮮学校]]からは、民族教育の必要性が主張されてきた。実際に、本名を名乗り自らの[[アイデンティティー]]を明確にすることで、在日韓国・朝鮮人が社会の中で認められるようになるケースも見られる。これに呼応して、行政側の対応にも変化が起こりつつある。朝鮮学校の卒業生は、[[各種学校]]卒のため、日本の[[学制]]から除外されている。しかし近年では、[[国公立大学]]でも[[2004年]]前後から朝鮮学校の卒業を大学入学資格として認定する動きが生じている。これも行政側の対応変化を反映していると思われる。<br />
<br />
近年では在日韓国・朝鮮人であることを最初から・あるいは途中から明らかにして、本名で活躍する有名人があらわれてきた。芸能人・スポーツ選手など日本人に触れやすい分野でも、在日韓国・朝鮮人の本名を見かけるケースが増えている。[[2002 FIFAワールドカップ|2002年FIFAワールドカップ]]日韓共催では両国間の友好を深めようとする動きが、その成功・失敗などの評価は別として、メディアを中心に大きく展開された。<br />
<br />
一時、改善の動きも見えた[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]との関係だが、[[2003年]]ごろから[[北朝鮮による日本人拉致問題|拉致問題]]、[[北朝鮮核問題|核兵器保有問題]]のあおりを受け、再び関係が悪化している。<br />
<br />
=== 強制連行されたという在日朝鮮半島人は以下の質問に答えなさい ===<br />
* 誰によってどこへ強制連行されたのか詳細を述べなさい。 <br />
* 戦後67年間,祖国から返還請求がない理由を述べなさい。 <br />
* 戦後67年間,祖国に助けを求めなかった理由を述べなさい。 <br />
* 戦後67年間,祖国が在日朝鮮半島人を問題視していない理由を述べなさい。 <br />
* 戦後67年間,自分達で帰国事業を立ち上げなかった理由を述べなさい。 <br />
* 戦後67年間,日本人に対して返還事業を提案しなかった理由を述べなさい。 <br />
<br />
質問に対する回答が無い場合,在日朝鮮半島人は「違法入国者」の末裔,もしくは当人であるとみなします。つまり「犯罪者」であるということです。 <br />
<br />
=== 在日朝鮮半島人のすばらしい「愛国心」 ===<br />
* 強制連行されてきた外国人のはずだが、祖国に帰らせろとは言わない。 <br />
* 祖国は日本よりすばらしいと言うくせに、帰ろうとはしない。徴兵も無視。 <br />
* 帰る祖国が存在するのに、帰る場所はないと言う。 <br />
* 日の丸を見るのも嫌な外国人のくせに、日本から出て行こうとはしない。 <br />
* 立派な朝鮮人名を名乗らず、屈辱なはずの日本人名を自らの意思で名乗る。 <br />
* 大嫌いなはずの日本人に、リアルでもネット上でも成りすます。 <br />
* 外国でトラブルに遭うと、祖国の大使館ではなく日本の大使館に泣きつく。 <br />
* 祖国に帰れば参政権があるのに、なぜか先に日本での参政権を要求する。 <br />
* 祖国を良くするための諫言はしないが、日本には内政干渉をする。<br />
<br />
=== 「見返りも無しに通名を止めろとは」 ===<br />
[[Image:在日朝鮮人11.jpg|350px|thumb|在日朝鮮人]]<br />
在日の生き方白熱討論…青年会35周年「ウリミレ祝祭」 <br />
<br />
通称名廃止で社会変革迫る。もう一つのディベートテーマは、古くて新しい「在日と名前」の問題。 <br />
<br />
神奈川本部の鄭榮誠会長が「明日から通称名を廃止します」を「マニフェスト」として掲げ、「子どもたちに私たちと同じ不愉快な思いをさせてもいいのか」と問題提起した。 <br />
<br />
反対派は仕事上や就職時のリスクを挙げながら、「リターンがないのに踏み切れるのか」と述べた。賛成派が日立就職差別裁判の判例をもとに「国籍差別は違法」と主張しても「強者の論理」と譲らなかった。 <br />
<br />
リスクだけでなく、通称名になじみ、愛着を持つという3世らしい声も根強かった。このほか、本名を名乗るにしても社会の環境が整っていないという発言も多かった。 <br />
<br />
これに対して賛成派は、「在日55万人が本名に変われば社会そのものが変わる。リスクは55万人で背負う」と提起すると、会場全体から大きな拍手があがった。「本名で生きられない社会をいつまで続けるのか。次の世代に負の遺産を引き継ぐのか」という意見も。 <br />
<br />
投票結果は賛成55票で反対44票を上回った。無効は3票だった。<br />
<br />
=== 「横浜の中華街みたいなコリアタウンを作る」神奈川韓人会が発足!(2013年6月) ===<br />
[[Image:在日朝鮮人12.jpg|350px|thumb|在日朝鮮人]]<br />
在日本神奈川県韓国人連合会(神奈川韓人会)が16日、横浜市内で創立総会を開いた。<br />
<br />
各地の韓人会代表者や駐横浜韓国総領事、[[民団]]神奈川関係者ら約100人が参加した。初代会長の徐允錫氏はあいさつで「なぜ横浜には中華街のような韓人タウンがないのか」と述べ、いつかは県内に[[コリアタウン]]を作りたいという抱負を明らかにした。<br />
<br />
[[2001年]]に東京で産声を上げた韓人会は、その後関西、九州、中部にもでき、今回の神奈川で全国5つめとなった。現在も他県で設立の動きがあるという。<br />
<br />
韓人会は会員相互の親睦や情報共有、地域社会発展と融和などを進めながら、'''在日韓国人の権益伸長'''を目的としている。<br />
<br />
会員は主に80年代以降に来日した「ニューカマー」と呼ばれる在日韓国人が多く、その点が在日2世・3世が中心となっている日本最大の民族団体・在日本大韓民国民団(民団)との最大の違いになっている。<br />
<br />
=== 年商数千万円で生活保護受給。韓国人のクラブ経営者逮捕(2013年5月) ===<br />
[[Image:在日朝鮮人13.jpg|350px|thumb|在日朝鮮人]]<br />
韓国人クラブを経営しながら[[生活保護]]を受給していたとして、[[警視庁]]組織犯罪対策1課は、詐欺で、韓国籍の韓国人クラブ「パートナー」([[東京都]][[新宿区]][[歌舞伎町]])経営、許愛栄(54)=同区戸山=を逮捕した。同課によると、「病気で働けないと言ってだました」と、容疑を認めている。<br />
<br />
許は[[平成17年]]3月から生活保護を毎月14万円受給。同店は[[平成20年]]9月~25年4月、[[クレジットカード]]だけで1億2700万円を売り上げており、同課はその間の生活保護費840万円をだまし取っていたとみている。<br />
<br />
同店では女性従業員が「店外デートは3万円」などと男性客を誘ってホテルを往復する姿が目撃されており、同課は[[管理売春]]の疑いもあるとみている。<br />
<br />
逮捕容疑は[[平成24年]]7月、同区の福祉事務所に「[[C型肝炎]]のため働けない」などとして無収入を申告し、24年8月~25年4月、生活保護費計約138万円をだまし取ったとしている。<br />
<br />
許は[[平成2年]]に日本人男性と結婚して[[平成8年]]に[[永住資格]]を得ており、無収入であれば受給資格があった。<br />
<br />
=== クラブ経営で1億円超収入も「無職」と申請(2014年2月) ===<br />
[[東京都]][[足立区]]に住む[[韓国]]籍の50代の女が韓国人クラブを実質的に経営して1億円超の売り上げがありながら、[[無職]]を装って[[生活保護]]費数百万円を不正受給していた。[[警視庁]]組織犯罪対策1課は7日夜、詐欺容疑で女と日本人の夫を逮捕した。夫妻は別居を続けており、組対1課は生活保護費を受給するための偽装結婚だった可能性もあるとみて実態解明を進める。<br />
<br />
夫妻は数年前、足立区役所で無職と偽って生活保護費を申請。女が約3年前に同区内で韓国人クラブを開業した後も毎月十数万円、総額数百万円の生活保護費を不正受給していた。申請時に入金がない預金通帳のほか、夫に持病があるとの診断書を提出し、夫の介護のために女も働けないと説明していた。<br />
<br />
クラブの名義上の経営者は知人男性だったが、組対1課は女が売上金やホステスを管理するなど実質的に経営していると判断。売り上げは約3年間で総額1億円超に上るとみられる。女は同区内のマンションで暮らし、高級車で通勤する姿が確認されている。夫にも廃品回収などで数百万円の年収があった。組対1課は生活保護費を夫妻で分配していたとみて資金の流れを調べている。<br />
<br />
=== 韓国籍の髙石こと髙崇絋(29)を、スーパーの女子トイレ侵入で逮捕(2014年2月) ===<br />
[[Image:在日朝鮮人14.jpg|300px|thumb|在日朝鮮人]]<br />
名張署は[[2月19日]]、[[名張市]]東町の会社員で韓国籍の髙石こと髙崇絋(29)を、建造物侵入で逮捕した。容疑を認めている。<br />
<br />
髙は同日午後7時35分ごろ、同市内の大型スーパーマーケットの女子トイレに侵入した。トイレにいた[[女子中学生]]が仕切りの上からカメラのようなものが見えたため、店内にいた母親に電話。駆け付けた母親が女子トイレから出てきた髙を発見し取り押さえた。<br />
<br />
トイレには当時、髙と女子中学生の2人しかいなかった。<br />
<br />
=== 「日本初の韓流温泉ホテルを作って大儲けニタ゛。ウェーッハッハ」 → 儲からずにホテルに放火 ===<br />
[[Image:在日朝鮮人15.jpg|300px|thumb|在日朝鮮人]]<br />
自分のホテルに放火、4億円保険金詐欺未遂容疑<br />
<br />
[[静岡県]][[下田市]]柿崎のホテル「オーシャンガーデン海山吾照」で[[2013年]]1月に起きた放火事件で、県警は2014年1月28日、韓国籍で[[東京都]][[町田市]]、会社役員・康徳秀(56)(非現住建造物等放火罪で起訴)を詐欺未遂の疑いで再逮捕した。<br />
<br />
康は2013年1月15日午後11時半頃、自身が経営の同ホテルに放火させ、建物の一部約170平方メートルを焼く火災を起こし、同10月10日頃、東京都内の損害保険会社に建物の損害や休業に対する補償などとして、保険金計約4億3500万円をだまし取ろうとした。<br />
<br />
保険金は支払われなかった。康は詐欺未遂については「やっていない」と容疑を否認している。康は、放火を実行した男らと共謀したとして、非現住建造物等放火罪で起訴されている。<br />
<br />
==== オーシャンガーデン海山吾照。日本初の韓流温泉旅館が下田に! ====<br />
全室オーシャンビュー!天然温泉100%のかけ流しの温泉と、岩盤浴・韓式サウナ入り放題!<br />
<br />
新鮮な下田の海の恵みを取り入れた和食も当然ながら本場韓国食材をふんだんに使った韓国料理は美容と健康に効果的!<br />
<br />
伊豆の下田にいながらに、和と韓の美味しい融合をまさにおなかいっぱい感じられるはずです。ドラマのワンシーンの様な至極の時を。<br />
<br />
=== 「パチンコで月に5万円ほど負けていたので」生活保護費約600万円不正受給。韓国籍の男ら2人逮捕(2013年11月) ===<br />
[[Image:在日朝鮮人16.jpg|500px|thumb|震災を喜ぶ在日朝鮮人]]<br />
実際の収入よりも低く偽って申告し、[[生活保護]]費およそ600万円を不正に受けとっていたとして、韓国籍の男ら2人が警視庁に逮捕された。<br />
<br />
逮捕されたのは、[[昭島市]]に住む、韓国籍の辛雲起(66)と向山一美(61)。2人は、[[2009年]]から去年にかけて、昭島市役所に対し、実際の収入よりも低い金額で申告し、生活保護費、およそ600万円を不正に受け取った。<br />
<br />
向山は、清掃作業員として月に17万円ほどの収入があったが、『2万円から3万円の収入』と偽った明細書を提出していた。2人は『[[パチンコ]]で月に5万円ほど負けていたので生活費の足しにしていた』と供述している。<br />
<br />
=== 韓国籍「唾吐き男」関与認める供述「ストレスはけ口」再逮捕(2014年1月) ===<br />
[[大阪市]]の路上で女児が唾を吐きかけられた事件で、暴行容疑で逮捕された[[韓国]]籍の会社員、趙昌彦(24)が「[[ストレス]]のはけ口にしていた」と関与を認める供述を始め、此花署が別の被害者に唾を吐いたとする暴行容疑で再逮捕する方針を固めた。<br />
<br />
付近では同様の事件が二十数件発生。趙は8歳女児の服に唾を吐きかけたとして今月9日に此花署に逮捕された。当初は「記憶がない」と容疑を否認していた。<br />
<br />
鑑定で女児の服に残っていた唾液の[[DNA型]]が趙と一致。他の女性数人に唾を吐きかけたことをほのめかしていることも明らかになった。趙とみられる男は唾を吐きかけた後、女性が驚く様子を確かめるように、逃走中に振り向いていたとの目撃情報もあった。<br />
<br />
=== マンション窃盗、余罪50件か。金東憲(37))ら韓国人兄弟逮捕(2014年2月) ===<br />
東京・代々木のマンション一室に忍び込み、バッグを盗んだなどとして、[[警視庁]]捜査3課は4日までに、[[窃盗]]などで、いずれも韓国籍で住所不詳、自称大学生の金東憲(37)と弟の無職※(※=恵の心が日)元兌(30)の両容疑者を逮捕した。いずれも容疑を認めている。<br />
<br />
金は「玄関がオートロック式の高級マンションは(住人が油断して)無施錠の部屋が多い。同じ手口で、昨年9月ごろから都内で50件ぐらいやった」と供述。盗品は[[韓国]]に持ち帰って転売していたといい、同課は被害額が少なくとも1000万円を超えるとみている。<br />
<br />
金兄弟は2013年11月11日未明、[[渋谷区]][[代々木]]の4階建てマンションで、70代男性宅に無施錠の玄関から侵入。現金や[[クレジットカード]]が入ったバッグ1個を盗んだ上、盗んだカードで[[豊島区]]内の[[現金自動預払機]](ATM)から11万円を引き出した。<br />
<br />
=== 13年前の強盗殺人未遂事件、韓国籍の男を大阪府警が逮捕(2014年2月) ===<br />
[[平成13年]]に[[大阪府]][[豊中市]]の民家に宅配業者を装った2人組の男が押し入り、住人の女性=当時70歳=の首を絞めて現金や[[キャッシュカード]]を奪ったうえ、室内が放火された事件で、[[大阪府警]]捜査1課は20日、強盗殺人未遂と現住建造物等放火などで、指名手配していた韓国籍の金冑勇(49)を逮捕した。<br />
<br />
金は「女性の家にいったが、共犯の男が首を絞め、金を奪った」などと容疑を否認している。金は行方不明になっていたが、昨年4月、韓国に潜伏しているとの情報が浮上。9月に日本側が[[日韓犯罪人引渡条約]]に基づき身柄の引渡しを請求し、11月、韓国の警察当局が取り押さえた。<br />
<br />
金は、13年[[5月22日]]午前10時ごろ、共犯の男とともに同市緑丘の民家に包丁を持って押し入り、女性の首を絞めて手足を粘着テープで縛った後、現金約13万円などが入ったバッグを強奪。約1時間後、集金のためにきた保険代理店の男性支店長=当時61歳=も緊縛して現金約1万8千円入りの財布を奪い、放火して殺害しようとした。女性は肋骨骨折の重傷、支店長は首に軽傷を負った。<br />
<br />
金らは同日、市内の銀行の現金自動預払機で現金計104万円を引き出して逃走。共犯の男は約2カ月後に逮捕され、懲役20年の実刑判決を受けて、収監中の[[平成17年]]に死亡している。<br />
<br />
=== 「ポルシェ」で万引、生活保護、49歳・韓国籍男の“仰天非常識”。“都市伝説”は本当だった、見過ごした行政の“怠慢” ===<br />
いずれも似つかわしくない取り合わせだった。男が「万引」の犯行現場に乗り付けた車、そしてこの男は生活保護受給者…。<br />
<br />
男の愛車は、万引と生活保護という2つの言葉とは縁遠い存在のドイツの高級車「[[ポルシェ]]」だったのだ。[[兵庫県警]]長田署に窃盗容疑で逮捕、起訴された男は、[[韓国籍]]で神戸市長田区の無職、朴永錦(49)。さらに交通事故で1千万円超の保険金を受け取ったにもかかわらず、生活保護費を不正受給していたことも判明し、詐欺容疑で再逮捕された。原則、所有が認められない高級外車を生活保護の受給中に購入したという呆れた行動。だが、保護費を支給していた神戸市も、不正を見破る機会をみすみす逃していたという。<br />
<br />
「生活保護をもらいながら外車に乗っている」。こんなフレーズは半ば都市伝説のごとく語られることはあったが、現実だった。<br />
<br />
[[平成25年]]10月、[[神戸市]]長田区の[[ホームセンター]]。朴は携帯型の発電機(約5万円相当)を店外に持ち出し、駐車場にとめていた愛車のポルシェに積もうとしていたところを、男性保安員に呼び止められた。<br />
<br />
保安員が朴を取り押さえ、通報で駆けつけた長田署員に引き渡した。朴は「買うつもりだった」と否認している。<br />
<br />
捜査の結果、朴が生活保護を受給していることが判明した。生活保護の受給者は原則的にマイカーを持てないはずだ。なぜ、高級車のポルシェなのか。捜査員らが調べを進めると、朴が以前に2度、交通事故で治療費を含み計1100万円超の保険金を受け取っていたことも分かった。この保険金をポルシェの購入資金に充てていたとみられる。<br />
<br />
朴は保険金を2度に渡って受け取っていたが、1度目は[[平成23年]]12月に兵庫県西宮市で乗用車にはねられ、鎖骨を骨折した交通事故。治療費や見舞金などとして、保険会社から約1040万円を受け取った。2度目は[[平成24年]]4月に神戸市須磨区で乗用車と接触して軽傷を負い、約90万円を受け取った。<br />
<br />
朴に生活保護を支給していた神戸市などによると、本来、生活保護受給者が事故に遭った場合、生活保護窓口に報告しなければならない。その際に必要な治療費は、医療費として生活保護から医療機関に直接支払われるからだ。そのため、受給者が勝手に保険会社から治療費を受け取ることはできない。<br />
<br />
だが、朴が受け取った保険金は1千万超と多額だ。関係者は「市に事故の報告をするよりも、黙っておいて多額の保険金を受け取ったほうが得だと考えたのではないか」と推測する。<br />
<br />
結局、万引に端を発した捜査は、事故で保険金を受け取ったことを市に届け出ないまま、生活保護を不正受給していたとする詐欺事件に発展。長田署は1月15日、朴を詐欺容疑で再逮捕した。当初は「(保険金は)働いて得た金じゃないのに(申請しないといけないことは)おかしい」と否認していたが、その後一転して「申請しなくてはいけないことは知っていた」と認めたという。<br />
<br />
朴が生活保護を受給し始めたのは[[平成23年]]9月だった。病気を理由に働くことができないとして、当時住んでいた神戸市東灘区で生活保護を受け取っていた。<br />
<br />
朴と同じ48歳の単身男性の場合、1カ月に生活費として約8万円と、家賃として最大4万2500円が支給される。その他、医療費なども支給され、朴も眼鏡や診察代、薬代などを医療補助費として受け取っていた。<br />
<br />
ポルシェを購入したのは、保険金を得た後の平成24年9月ごろ。車種は「[[911カレラ]]」というスポーツカータイプで、5~10年までに発売された993型。中古車として購入したが価格は約300万円。「残りの金は[[パチンコ]]など遊興費や飲食代に費やした」と説明している。<br />
<br />
朴のように、生活保護を受給しながら、高級車を所有するケースは後を絶たない。<br />
<br />
[[札幌市]]で平成24年、[[覚せい剤]]取締法違反(使用)で逮捕された男が、生活保護費を受給しながらベンツなど高級外車や軽乗用車など7台を所有していたのを隠していたとして、北海道警に詐欺容疑で再逮捕された。<br />
<br />
[[福岡市]]では同じ年、生活保護費を受給しているにもかかわらず、高級車など3台を所有していた男が、調査中の市職員を「車のことを話したら殺す」などと脅迫したとして暴力行為処罰法違反容疑で逮捕されている。<br />
<br />
身体障害者などを除き、原則的に生活保護受給者は車を所有することはできない。だが、朴に車を所有する特段の事情は確認されておらず、市関係者は「生活保護の受給対象に該当しない可能性も高い」という。<br />
<br />
ただ、車を所有しながら生活保護を受け取ること自体は、刑事罰には問われない。今回のケースでは、交通事故による保険金を受け取っていたのにもかかわらず申請しなかったことが違法だったとされる。<br />
<br />
[[神戸市]]によると、市内で生活保護受給者が車を所有しているのは2013年3月までで171件。うち、57件が本来なら認められないケースだ。車を所有していた人が職を失い、生活保護を受給せざるを得なくなった場合が多く、職員も「悪質な例はほとんどない」と話す。<br />
<br />
しかしなぜ、職員は朴のような事案を見抜けないのか。<br />
<br />
市などによると、平成24年10月、保険会社から市に「(朴が)事故に遭った。生活保護を受け取っている人か」と問い合わせがあった。職員が朴宅を訪問した際、朴は「軽い事故に遭ったが大したことはない」と説明。保険金が出る場合は連絡するよう求めたが、その返事はなかった。<br />
<br />
職員は年に4回ほど自宅を訪問している。車は近くの月極駐車場を借りて止めており、車の購入や事故の話などもなかったため、不正受給には気付かなかったという。<br />
<br />
神戸地検は、朴を詐欺罪でも起訴したが、不正受給額は約170万円に減額。減らされた約300万円分は、市が保険会社の照会で不正受給に気付けば、被害を防げた可能性が高かったと判断したとみられる。<br />
<br />
市はこの件について「通常なら気付くが、裁判への影響があり得るので詳しくは話せない」としている。生活保護の原資は税金だ。生活に困窮している人たちの手に渡るのは当然だが、支給する側の自治体には、せめて見抜ける不正は見逃さないという当たり前の手続きだけは怠らないでほしい。<br />
<br />
=== 大阪弁護士会所属・在日韓国人の梁英哲容疑者を逮捕。業務上横領、依頼人の2,000万円着服(2014年5月) ===<br />
弁護士業務で依頼者から預かっていた相続財産のうち現金2000万円を着服したとして、[[大阪府警]]南署は8日、業務上横領で、大阪弁護士会に所属する弁護士で韓国籍の梁英哲(40)=大阪市西区=を逮捕した。<br />
<br />
梁英哲は「(自分の)弁護士と相談する」と供述し、認否を明らかにしていない。梁英哲は2012年11月、[[大阪府]][[八尾市]]の男性(59)とその親族から預かった相続財産約2300万円のうち2000万円を着服した。<br />
<br />
男性らから財産を預かった直後に自分の口座に移し替えた。2013年9月、財産の分割作業が進まないことを不審に思った男性らが南署に相談した。<br />
<br />
=== 婦女暴行未遂で韓国人留学生の男を逮捕(2014年6月) ===<br />
[[神奈川県警]]相模原北署は30日、強姦未遂で、私立大学3年、柳 昌錫(リュウ・チャンソク)(22)=[[相模原市]]緑区橋本=を逮捕した。<br />
<br />
柳は、[[5月31日]]午前5時10分ごろから同55分ごろまでの間、自宅で[[介護士]]の女性(22)=[[東京都]][[町田市]]=に暴行しようとした。「キスしようとしたことはあるがそれ以上のことはしていない」と容疑を否認している。<br />
<br />
[[JR橋本駅]]近くの路上で、柳の友人が女性に声を掛け、3人で話していた。友人が去った後に柳は態度を変えて「殺すぞ」などと脅し、女性を自宅に連れ込んだ。<br />
<br />
=== あぶれ手当36万円を不正受給。詐欺で韓国籍の男逮捕(2014年7月) ===<br />
日雇い労働者が職につけなかった場合に国から支給される「あぶれ手当」と呼ばれる給付金をだまし取ったとして、[[奈良県警]]奈良署は2014年7月10日、[[詐欺]]で、[[大阪府]][[門真市]]桑才新町、韓国籍の運転手、鄭龍光(49)を逮捕した。<br />
<br />
「遊ぶ金が欲しかった」と容疑を認めている。<br />
<br />
鄭は[[平成22年]]10月21日~23年2月3日までの間、架空の建設会社「中島建設」関係者と共謀して23回にわたり、門真[[公共職業安定所]](門真市)に不正に書類を申請し、給付金計36万7500円をだまし取った。<br />
<br />
=== 20代女性にストーカー。韓国籍の男性医師逮捕(2014年8月) ===<br />
20代の女性の勤務先に押しかけるなど[[ストーカー]]行為を繰り返したとして、韓国籍の医師の男が警視庁に逮捕された。<br />
<br />
ストーカー規制法違反で逮捕されたのは、東京・[[国立市]]の医師で韓国籍の李俊烈(イ・ジュンリョル)(50)。李は2014年5月、女性の勤務先である[[八王子市]]内のブティックに押しかけるなどした。<br />
<br />
李は女性が以前勤めていたマッサージ店に客として訪れた際にこの女性と知り合い、「結婚しよう」「連絡先教えて」などとしつこく迫っていた。女性は2013年6月、[[警視庁]]に相談していた。<br />
<br />
取り調べに対し、李は「ブティックに行ったのは服を買うためだ」などと容疑を否認している。<br />
<br />
=== 日銀、韓国国民銀行に立ち入り調査(2014年9月) ===<br />
韓国最大手銀行の国民銀行東京、大阪支店による不正融資問題で、日銀が両支店への立ち入り調査(日銀考査)を検討している。担保水増しなどによる過剰融資が発覚したことで、日銀は国民銀の信用リスク対策が不十分だったとみている。東京を舞台にした韓国系銀行の不正では自殺者も出ている。<br />
<br />
9月初旬の週末、東京・[[新大久保]]の[[コリアタウン]]は若い女性でにぎわっていた。だが、新宿区を拠点にするタクシー運転手は「[[韓流ブーム]]最盛期に比べればだいぶ減ったよ」とこぼす。<br />
<br />
コリアタウンの発展には、国民銀など韓国系銀行の力が欠かせなかった。在日韓国人の担保の乏しさに目をつぶって積極支援してきたからだ。<br />
<br />
支店ぐるみの過剰融資だったとみられるが、韓国の金融事情に詳しい関係者は「日本の銀行からお金を借りられない在日韓国人を救うためのやむにやまれぬ不正だった」と同情する。<br />
<br />
邦銀は「お金を借りたまま韓国に逃げてしまうケースもある」として、在日韓国人への融資に及び腰だったという。<br />
<br />
国民銀は韓国系の企業に対しても、支店の限度額を超えて融資できるよう、同じ企業グループの複数法人に分割して貸し出す“裏技”を編み出した。<br />
<br />
平成10~20年代初頭の韓流ブームでコリアタウンは巨大化。うるおった在日韓国人や韓国系企業は、国民銀の支店幹部らに謝礼金(リベート)を贈っていた。<br />
<br />
ところが、韓流ブームは嫌韓ムードの広がりで一気にしぼんでしまう。在日韓国人や韓国系企業に貸したお金の返済が滞ったことで、国民銀の不正が一気に明るみに出たのだ。日韓の金融当局は、国民銀のほか、[[ウリ銀行]]、[[中小企業銀行]]など韓国大手銀の在日支店でも同じような不正があったとみており、処分が広がる可能性もある。<br />
<br />
大手邦銀の幹部は「同情すべき点はあるが、歴代の支店長や役職員ぐるみの不正であれば、組織のチェック機能が働いていなかったことになる」と批判する。<br />
<br />
一方、「コンプライアンスの徹底を求める日本社会に対し、韓国では儒教文化が根強く、上司の不正を告発しにくい」と解説するのは、国内外の金融事情に詳しい[[西村あさひ法律事務所]]の[[松尾直彦]]弁護士だ。<br />
<br />
国民銀の不正をめぐり、[[金融庁]]は8月末、東京と大阪の両支店に対し、4カ月間の一部業務停止命令を出した。同行の李建鎬(イ・ゴンホ)銀行長は今月4日に辞任表明した。<br />
<br />
韓国の検察当局は昨年末、数百億円に上る不正融資容疑で国民銀の元東京支店幹部らを逮捕。その直後、同支店の与信業務担当の韓国人行員が支店地下の書庫で首をつって死亡しているのが見つかった。<br />
<br />
さらに、今年4月に韓国北部にある墓苑の駐車場でウリ銀行の元東京支店長が焼死体で発見された。元支店長は在職中、不正融資の見返りにリベートを受け取っていたとして韓国金融当局の調査を受けており、警察は「自殺」と発表した。<br />
<br />
こうした事態を受け、日銀も韓国系銀行の考査に乗り出す方向で調整を始めた。<br />
<br />
日銀考査は、日銀と当座預金取引をする金融機関が対象で、行政権限に基づく金融庁検査とは異なる。また、法令順守などに重点を置く金融庁検査に対し、日銀考査は経営の健全性などをチェック。問題点が見つかれば改善を求める。<br />
<br />
関係者によると、国内の主要金融機関に対する日銀考査はほぼ2年に1度あるが、外銀への定期考査はなく、必要性が認められれば、考査に入るという。<br />
<br />
今回明るみに出た国民銀の過剰融資は、経営の健全性を損なう不正だ。一部の顧客は預金を引き上げ始めたとみられ、日銀は国民銀への考査を本格検討しているようだ。他の韓国系銀行の在日支店に対しても考査の必要性がないかチェックする。<br />
<br />
ただ、個別の考査結果は非公表のため、どこまで“闇”を暴けるかは不明だ。<br />
<br />
=== アパートに侵入、女性暴行し現金盗む韓国籍の男を逮捕(2016年10月) ===<br />
深夜に1人暮らしの女性宅に侵入し、暴行して現金などを盗んだとして、[[警視庁]]葛飾署は住居侵入と[[強姦]]、[[窃盗]]で、[[韓国]]籍で[[東京都]][[江東区]]亀戸の会社役員、厳(ゲン)允(イン)植(シュク)30歳を逮捕した。「やっていない」などと容疑を否認している。<br />
<br />
厳は[[2016年]][[9月12日]]深夜、[[葛飾区]]内のアパート1階の20代女性宅に侵入し、女性の首を絞めるなどしてわいせつな行為をし、女性の現金約3万円などを盗んだ。 女性宅の近くの[[防犯カメラ]]の画像などから厳が浮上した。葛飾署が侵入経路などを調べている。<br />
<br />
=== 韓国籍の男ら4人、4県でトラックやフォークリフト68台、カーナビ1,000点盗む。被害総額1億1500万円(2017年4月) ===<br />
[[静岡県警]]島田、菊川両署などの合同捜査班は7日、[[愛知県]]の男4人について、静岡、愛知、 岐阜、三重の4県で計69回、[[トラック]]の窃盗や器物損壊を繰り返していたことを裏付け、捜査を終結したと発表した。 <br />
<br />
被害総額は1億1,500万円に上るという。<br />
<br />
4人は[[愛知県]][[尾張旭市]]、韓国籍で自動車販売業・黄寛之こうかんし(44)(公判中)ら。2016年1~10月頃、4県の駐車場や資材置き場から、[[トラック]]や[[フォークリフト]]など 計68台、[[カーナビ]]など約1,000点を盗んだ。4人は容疑を認めている。 <br />
<br />
合同捜査班は7日、窃盗などで計60件分について[[静岡地検]]に追送検した。盗んだ[[トラック]]などは、[[自動車]]などの解体処理施設「ヤード」に運んだ後、一部は海外に輸出されたとみられるという。<br />
<br />
=== 女性の部屋に侵入し暴行、韓国籍の男に懲役8年判決(2017年6月) ===<br />
[[東京]]・[[新宿区]]の女性の部屋に侵入し、性的暴行を加えたうえ、けがをさせた罪に問われた[[韓国]]籍の男の[[裁判員裁判]]で、[[東京地裁]]は懲役8年の判決を言い渡した。 <br />
<br />
韓国籍の尹俊赫(ユン・チュンヒョク)(28)は、2017年1月、[[新宿区]]の[[マンション]]に侵入し、この部屋に住む当時21歳の女性に性的暴行を加えたうえ、全治1週間のけがをさせた。<br />
<br />
判決で[[東京地裁]]は、「被害者に刃物を示し、要求に応じなければ生命を奪うなどと告げていて、脅迫は強度だ。被害者が受けた精神的苦痛は計り知れない」などとして、尹被告に懲役8年の判決を言い渡した。<br />
<br />
=== ごみ収集車にあおり運転、横転させ逃走(2018年2月) ===<br />
[[神奈川県警]]は28日、[[横浜市]][[旭区]]四季美台、韓国籍の会社員・李義之(52)を[[自動車運転死傷行為処罰法]]違反(危険運転致傷)と道路交通法違反で逮捕した。<br />
<br />
李は[[1月13日]]午前11時半頃、同市[[保土ヶ谷区]]狩場町の[[横浜横須賀道路]]下り線で、走行していたごみ収集車を追い越して前に割り込んだ直後に急減速し、進路を妨害。衝突を避けようとハンドルを切った収集車を横転させ、運転していた男性(35)の首に軽傷を負わせたうえ、逃走した。<br />
<br />
調べに対し、「そんなことはやっていない」と否認している。<br />
<br />
県警によると、李が事故現場の約2キロ手前から収集車に後ろから接近したり、並走して幅寄せしたりする様子が、周囲の車のドライブレコーダーの映像などで確認された。<br />
<br />
=== 「かわいいね」公園で8歳女児をトイレに連れ込みわいせつ行為。韓国籍の男逮捕(2018年9月) ===<br />
[[岐阜市]]の公園で2018年4月、8歳の女の子に声をかけトイレに連れ込みわいせつな行為をしたとして名古屋の会社員の男が逮捕された。<br />
<br />
逮捕されたのは、[[名古屋市]][[中川区]]の会社員で韓国籍の山下徹こと李徹(44)。<br />
<br />
警察によりますと李は2018年4月、[[岐阜市]]の公園で当時8歳の女の子に「かわいいね」などと声をかけ、トイレに連れ込み体を触るなどした強制わいせつを行った。女の子の母親から「娘が知らない男から声をかけられた」などと通報があり、警察は周辺の防犯カメラなどから、別の事件で既に逮捕されていた李を特定した。<br />
<br />
調べに対し、李は「女の子にしたことについては思い出せない」と容疑を否認している。<br />
<br />
== 在日によるレイプ事件鬼畜度ランキング == <br />
*1位 「[[聖神中央教会]]連続少女強姦事件」 [[金保]] <br />
*2位 「[[摂理]]連続強姦事件」 [[鄭明析]] <br />
*3位 「[[国際福音キリスト教会]]事件」 [[卞在昌]] <br />
*4位 「[[ルーシーブラックマン事件]]」 [[織原城二]](金聖鐘) <br />
*5位 「洋服商殺人事件(日本のチェスマン事件)」 [[孫斗八]] <br />
*6位 「[[フジテレビ社員成りすまし連続少女強姦事件]]」 [[李昇一]] <br />
*7位 「[[カナヤマン事件]]」 [[金山昇一]] <br />
*8位 「[[浜松連続強姦事件]]」 [[李正遠]] <br />
*9位 「[[大阪市女性2人キャリーバッグ拉致強姦事件]]」 [[金平和]] <br />
*10位 「[[新宿尾行強姦事件]]」[[李桐昊]] <br />
*11位 「[[目白一人暮らし女性連続強姦事件]]」 [[宋治悦]] <br />
<br />
*選外 「[[愛媛マンダリンレイパーツ事件]]」 [[文相勲]] <br />
<br />
*New 「[[北区女子高生強盗強姦事件]]」 [[呉紘希]] <br />
*New 「[[MMEレコード韓国人経営者少女強姦事件]]」 角岡こと西本こと李泰成 <br />
*New 「[[女子大生モデル殺人事件]]」 丹羽雄治 <br />
*New 「[[東灘区女子大生連続強姦事件]]」 竹田直季 <br />
<br />
おまけ <br />
*大阪で200人強姦したのに「「産経新聞しか」」報道していない [[金允植]] <br />
*女子小学生14人を強姦した [[ぺ・ソンテ]] <br />
*小学4年生を強姦した [[張今朝]]<br />
<br />
== 在日韓国・朝鮮人を取り巻く諸論点 ==<br />
=== 徴用/強制連行と渡航 ===<br />
在日韓国・朝鮮人が日本に移入してきたのは、「戦前または戦時下の日本政府による[[徴用]]/[[強制連行]]」によるものと語られることが比較的多かった。<br />
また、同様の認識が漠然としたイメージのまま流布していた時期がある。[[1990年代]]に入って朝鮮人被害者への[[戦後補償]]問題が日本国内で国民的論争課題になると、「[[徴用]]/[[強制連行]]」に関してもさまざまな角度から議論がなされた。これについては、「徴用/強制連行」の定義も絡んで、いまなお認識が分かれている。しかし、少なくとも現在、在日韓国・朝鮮人のうち、その来歴に「旧日本軍などの政府機関による直接かつ組織的な徴用/強制連行」が関連する者は少数である、と考えられている。このことは、在日韓国・朝鮮人団体である[[在日本大韓民国民団]]の子団体、在日本大韓民国青年会の中央本部が、在日1世世代に対する聞き取り調査の結果をまとめ[[1988年]]に刊行した『アボジ聞かせて あの日のことを -- 我々の歴史を取り戻す運動報告書 -- 』にも、渡日理由のアンケート結果として、「[[徴兵]]・徴用13.3%」と明記されており、「その他20.2%」、「不明0.2%」を除いたとしても「経済的理由39.6%」「結婚・親族との同居17.3%」「留学9.5%」と65%以上が自らの意思で渡航してきたことがわかる。尚、このアンケートは渡航時12歳未満だったものは含まれておらず、これを含めるとさらに徴兵・徴用による渡航者の割合は減ることになる。なお、2005年の日韓基本条約関係文書公開に伴う韓国政府に対する補償申請者は、2006年3月の時点で在日韓国人からは39人に留まっている。<br />
<br />
=== 通名 ===<br />
日本式の[[人名|姓名]]、いわゆる[[通名]](通称名)を名乗って朝鮮半島系であることを隠す人々が多く存在する。但し近年では、民族としてのアイデンティティーを取り戻す意味で、朝鮮式の姓名を名乗る者が徐々に増えてきている。これには在日韓国・朝鮮人たちによる啓蒙活動に加えて、韓国の近年における経済発展によって日本での韓国の評価が上昇してきたことや、日本と韓国の文化交流が拡大発展を続けていることも無縁ではないと思われる。[[2009年]]の事例では、[[弾道ミサイル]]の発射台に転用できるトレーラーを日本から北朝鮮に不正輸出した容疑者が逮捕された[[北朝鮮タンクローリー不正輸出事件]]の報道で確認することができる。[[在日本大韓民国民団]]の発表では、韓国・朝鮮式の本名で暮らす人は全体では1割強にとどまり、3人に1人は「状況により使い分ける」としていることを明らかにした。<br />
<br />
==== 犯罪事件の通名報道 ====<br />
犯罪報道においても通名が用いられる場合があるが、その場合は本名が報道されないままとなる。[[在日外国人]]の場合、警察が通名を主として[[記者クラブ]]に発表する場合が多く、報道機関では[[編集]]や[[校閲]]についての社内規程で(字数制限もあって)通名を優先して掲載する場合が多いために、主に通名を名乗っている[[在日韓国・朝鮮人|在日コリアン]]などが[[犯罪]]を犯したとして警察発表が行われた事件では記事内で通名を用いる報道機関も存在する。例えば[[朝日新聞]]などは、通名か本名で容疑者名を報道するかは事件ごと選択している。そのため、朝日新聞の購読者には在日コリアンの犯罪というものが日本に存在していることが分かるが、多くは日本人の犯罪であるように受け止められる。そのため、「事実を報道するメディアの姿勢として問題」、「[[知る権利]]を軽視している」といった非難を受けることもある。<br />
<br />
==== 韓国籍の男が「通称(通名)」悪用して携帯電話など160台を不正売買、逮捕(2013年11月) ====<br />
外国人が日本で名乗る通称を悪用して携帯電話を不正売買したとして、[[埼玉県警]]組織犯罪対策課と大宮西署は1日、組織犯罪処罰法違反(隠匿)と詐欺容疑で、韓国籍の無職、文炳洙(ぶんへいしゅ)(通称・青山星心(しょうご))=別の同容疑で処分保留、[[さいたま市]]西区清河寺=を再逮捕した。<br />
<br />
通称を悪用した犯行を組織犯罪処罰法で立件するのは全国初。<br />
<br />
文は[[区役所]]で短期間に通称登録を何度も変更。新旧の通称を使い分け、[[平成22年]]10月以降、約160台の[[スマートフォン]]や[[タブレット]]などの端末を購入、[[古物商]]へ転売した。再逮捕容疑は[[8月7日]]、「青山星心」の通称で、さいたま市の家電量販店でスマートフォン2台を詐取。過去の通称だった「清永泰斗」を名乗り東京都内の古物商で転売し、約7万2千円を得た。<br />
<br />
文は端末代を分割して月々の料金に上乗せする制度で端末を購入したが、支払いは一切せずそのまま転売。同課の調べに「料金を踏み倒す気はなかった」と犯意を否認する一方、売却で得た金は[[競馬]]などのギャンブルに使った。<br />
<br />
頻繁に通称変更することを不審に思った区役所の届け出を受けて捜査したところ、犯行が発覚した。文は通称の違う複数の身分証を使い分け、売買を重ねていた。<br />
<br />
=== 社会保障問題 ===<br />
在日韓国・朝鮮人に対する[[社会保障]]についても、議論が多くある。<br />
<br />
[[1946年]]の旧法の時期を除き改定後しばらく、在日韓国・朝鮮人は[[生活保護]]を受けることができなかった。しかし、在日韓国・朝鮮人から最低保障としての生活保護を要求する声が高まったことを受けて、在日韓国・朝鮮人が行政実務において本国から切り離されていることを考慮し、[[1954年]]に通知が出され行政措置として、生活保護を[[外国人]]に準用するという行政運用が行なわれたという経緯をたどっている。これは、外国人の生活保護受給者に、生活保護にかかる行政行為等の行政処分についての異議申立権(審査請求及び再審査請求権)を認めなかったとしても、当該外国人の法的利益が侵害されたとはいえないことになる。しかしながら[[先進国]]の中で、永住権を持つ場合においてははほとんどの国が外国籍の者に生活保護および社会保障を国籍保有者と区別をつけずにを支給する。ただし日本のように日本国籍を持つものが生活保護を受けられないにも関わらず外国人には生活保護が受けられるという状況はない。これは終戦後に日本語もままならないような朝鮮人には就労の機会が乏しいとの判断からだったと見られる。<br />
<br />
ある観点では、生活保護の受給対象者とすることへの異議、また認定の方法・基準への異議が出されている。例えば、在日韓国・朝鮮人の生活保護受給率が日本人より多いことから、これを不当であると考え、日本国による生活保護負担を強調する論調がある。実際に、日本の裁判所は「憲法の要請する社会権の保障は、国家による国民の保護の義務を本来の形態とするため、外国人である在日韓国・朝鮮人を保護する義務はその国籍国にある」とする立場をとっており、日本国籍者に適用を限定して外国人を排除する意図から[[1950年]]以降の[[生活保護法]]には第一条において「国民」との用語が加えられた。<br />
<br />
==== ポルシェに乗って生活保護費受給。韓国籍男を再逮捕(2014年1月) ====<br />
保険金で得た収入を隠して[[生活保護]]費を不正に受給したとして、長田署は15日、詐欺容疑で韓国籍の神戸市の無職、朴永錦(48)=別の窃盗罪で起訴=を再逮捕した。朴容疑者は「働いて得た金じゃないのにおかしい」などと供述している。<br />
<br />
朴容疑者はドイツ製高級車「ポルシェ」を所有していたことなどから発覚した。<br />
<br />
再逮捕容疑は[[平成23年]]12月~今年1月、交通事故で得た保険金収入約1100万円を申告せず、生活保護費計約470万円を不正に受給した。朴容疑者は23年12月に西宮市で、24年4月に神戸市須磨区で歩行中、車にはねられるなどの交通事故で、2度、保険金を受け取った。<br />
<br />
==== 在日韓国人の14.2%が生活保護受給するナマポ民であることが発覚(2014年10月) ====<br />
在日韓国・朝鮮人世帯の[[生活保護]]率が突出していることが分かった。日本の総世帯数に占める生活保護世帯の割合は3.1%だが、在日韓国・朝鮮人世帯では14.2%が生活保護を受けている。<br />
<br />
生活保護法には国籍条項があり、本来、外国籍住民には適用されないが、60年間も行政措置として給付が続いてきた。<br />
<br />
[[厚労省]]は8日、今年7月時点で生活保護を受けているのが過去最多の160万8994世帯だと発表した。2010年の国勢調査での総世帯数(5115万8359世帯)で計算すると、生活保護率は3.1%になる。<br />
<br />
一方、同省の「被保護者全国一斉調査(基礎調査)」によると、2010年の韓国または[[北朝鮮]]を母国とする生活保護受給世帯主の総数は2万7035世帯で、総世帯数(19万246世帯)に占める生活保護率は14.2%となる。<br />
<br />
[[1950年]]に制定された生活保護法は対象を「生活に困窮する国民」と定めている。だが、[[1954年]]に当時の厚生省社会局長から各都道府県知事に宛てた「生活に困窮する外国人に対する生活保護の措置について」という通知で、行政措置として給付されてきた。<br />
<br />
[[次世代の党]]の[[桜内文城]]政調会長は6日に開かれた衆院予算委員会で、[[最高裁]]が[[7月18日]]、「永住外国人は生活保護法の適用対象ではない」と判断したことを取り上げ、「最高裁が判決を出したにも関わらず、法律が想定していない措置を行政が行うのはおかしいのではないか」と指摘した。<br />
<br />
同党は、生活保護の給付対象から外国人を除外するための生活保護法改正案を秋の臨時国会に提出する方針だ。<br />
<br />
[[麗澤大学]]の[[八木秀次]]教授は「本来、社会保障については、母国が第一義的に責任を負うべきだ。最高裁判決はその原則を明らかにした」といい、こう続けた。<br />
<br />
「韓国や北朝鮮はこれまで自国民(在日韓国・朝鮮人)の保護を怠ってきた。一方で、生活保護を担当する地方行政に対し、こうした権利を求める圧力団体の影響が大きかった。事実として外国人が優遇され、それが高い生活保護率の数字に表れている」<br />
<br />
ちなみに、2014年度の生活保護予算は2兆8823億円にのぼる。国民の負担は決して小さくない。<br />
<br />
==== 永住外国人の受給世帯増加。自治体を圧迫 ====<br />
外国人の[[生活保護]]受給世帯は年々増加しており、[[地方自治体]]の財政を圧迫する一因ともなっている。<br />
<br />
[[生活保護法]]をめぐっては[[最高裁]]が2014年7月、「法の適用対象に永住外国人は含まれない」として、永住外国人は生活保護法に基づく保護の対象ではない-との初判断を示した。<br />
<br />
しかし、実際には、人道的観点から外国人への同法の準用を認めた[[昭和29年]]の旧[[厚生省]]通知に基づき、各自治体が永住外国人や難民認定された外国人に対して生活保護を支給しているのが実情だ。矛盾した運用が行われている背景には、もともとこの通知自体にあいまいさが内包されていることがある。<br />
<br />
[[厚生労働省]]の最新調査(平成24年度)によると、生活保護の受給世帯総数は月平均155万8510世帯で、うち外国人世帯は4万855世帯と全体の約2.6%。総数が伸びる中、外国人世帯も10年前の約1.7倍に増加した。<br />
<br />
国籍別(23年7月時点)では、韓国・朝鮮人が約2万8700世帯と最も多く、[[フィリピン]](約4900世帯)、中国(約4400世帯)、[[ブラジル]](約1500世帯)と続く。<br />
<br />
外国人の受給世帯の増加が続く背景には、不景気が長引いたことや高齢化の影響があるとみられる。生活保護費は全体で年間約3兆6000億円で、厚労省の概算によると、外国人に対する生活保護費はそのうち約1200億円に上る。<br />
<br />
生活保護費は4分の3を国が、残りを自治体が負担しており、日本人に加えて外国人の受給世帯の増加が、地方自治体の財政を圧迫する結果になっている。<br />
<br />
==== 生活保護費を酒代で使い果たしついにコンビニ強盗。韓国籍の男逮捕(2016年8月) ====<br />
[[コンビニエンスストア]]にナイフを持って押し入ったとして、[[大阪府警]]西成署は[[8月19日]]、強盗未遂で、韓国籍で[[大阪市]][[西成区]]萩之茶屋の無職、魚 興秀(ぎょ・こうしゅう)(65)を現行犯逮捕した。<br />
<br />
「[[生活保護]]費を酒代に使い、金がなくなったのでコンビニ強盗をしようと思った」と容疑を認めている。<br />
<br />
魚は、19日午後2時35分ごろ、同区太子の[[ファミリーマート]]太子店で、カウンターにいた女性店員(43)に果物ナイフ(渡り約10センチ)を突きつけ、「金を出せ」などと脅し、現金を奪おうとした。同署によると、女性店員にけがはなく、犯行当時、店内に客はいなかった。男性店長(35)が非常通報装置を押し、駆けつけた署員がその場で魚容疑者を取り押さえた。<br />
<br />
=== 在日韓国・朝鮮人無年金訴訟 ===<br />
現在、日本政府は「年金など社会保障の責任は国籍の属する本国が行うべき」という立場から、年金を払い込んでいなかった在日韓国・朝鮮人に対して年金支給を行っていない。この日本政府の見解に対して「海外在住の日本人に日本政府は年金を支払っていない」と糾弾し、在日韓国・朝鮮人に対しても年金を支給するように要求している。(「日本国籍を有する者で海外に居住する20歳以上65歳未満の者」は日本の国民年金に任意加入することができる。)<br />
<br />
=== 北朝鮮問題との関連 ===<br />
北朝鮮問題への注目(拉致事件、核保有問題など)にともなって、在日韓国・朝鮮人、とりわけ朝鮮籍の者への圧力が高まったことに対し、在日韓国・朝鮮人の立場を『親族を北朝鮮政府に人質同然にされ、不本意ながら北朝鮮政府の意のままに操られている人たち』として同情視する向きもある。<br />
<br />
しかし一方で「在日朝鮮人は北朝鮮国政の選挙権・被選挙権ともに有しており、在日朝鮮人からは[[朝鮮総連]]議長や[[朝鮮大学校]]校長などの6名が北朝鮮の国会議員に選ばれており、日本からの送金もかなりの額にのぼるため、在日朝鮮人側の責任が皆無とは言い難い」との批判もある。また、朝鮮総連は本国の見解に乗っ取り、拉致問題を「解決済み」、「日本側にこそ問題がある」との立場を固守している。<br />
<br />
在日韓国・朝鮮人は北朝鮮の[[核兵器]]や[[生物兵器]]などの[[大量破壊兵器]]開発のために輸出規制されている物品を北朝鮮に不法に輸出する[[北朝鮮タンクローリー不正輸出事件]]や[[凍結乾燥機不正輸出事件]]などの事件を引き起こしている。<br />
<br />
=== チマチョゴリ事件 ===<br />
[[チマチョゴリ切り裂き事件]]参照<br />
<br />
=== 在日韓国・朝鮮人の参政権 ===<br />
在日韓国人・朝鮮人には二つの参政権論争が存在する。韓国および北朝鮮における本国参政権と、日本における地方参政権である。韓国においては、[[兵役]]、[[納税]]義務などが免除される在外国民に住民登録要件不備を理由に参政権を与えないことの違憲性についての議論が行われてきた。本国参政権のみの獲得を目指す在日以外の在外韓国人社会と違い、在日韓国・朝鮮人社会は日本での地方参政権の獲得も目指している。日本国内においては地方参政権獲得の議論が盛んであることに対して、本国参政権についての議論はあまり活発ではなく、欧米の在外韓国人の一部は、本国参政権獲得議論に消極的な在日社会を指して「在日韓国人はどうしてアクションを起こさないのか。民団の消極的姿勢は、参政権付与反対と言っているに等しい」と、非難する声もある。日本における[[国政参政権]]については、[[最高裁判所]]が「参政権は[[国民主権]]に由来し認められるものであるから、その享有主体は憲法上日本国籍を有する国民に限られる」との判断を示している。<br />
<br />
==== 在日韓国人の本国参政権 ====<br />
韓国における[[在外投票]]権の対象は、短期滞留者だけに限るか、[[永住権]]保有者までを含むようにすべきかで論争があった。これは韓国民短期滞留者はたまたま海外に在住している自国民であり、国民の権利として[[不在者投票]]権を要求することに国民的合意が得られやすいことに対し、永住権保有者は、[[兵役]]、[[納税]]義務などが免除されており、住民登録要件不備を理由に参政権を付与することには慎重だった(在日永住権者は35歳まで徴兵が延期され、36歳になると兵役の義務はなくなる。1962年10月、「在外国民の兵役免除」の項目が兵役法に法律第1163として追加された)。 一方、[[大韓民国憲法#第二章 国民の権利および義務]]第24条は「すべての国民は選挙権を持つ」としており、これに準拠して永住権保有者にも参政権を保証するべきとの議論が続いていた。<br />
<br />
これに対し、韓国[[憲法裁判所]]は2007年5月、海外の駐在員や留学生はもちろん、外国での永住権者も韓国の国籍を持ってさえいれば、韓国国内に住民登録がなくても選挙権と国民投票権を与えるべきという決定を下し、1999年3月の決定を覆した。また、憲法裁判所は2008年12月31日までに国会で必要な法改正を行うよう命じた。この決定の理由として「情報通信技術の発達」や「経済力の伸張」など10項目を挙げた。また、納税や国防の義務が免除されていることを問題とする考えについても、大韓民国憲法は参政権や平等権などの国民の基本権行使を、納税と国防の義務に対する反対給付として想定していない上、在外国民であっても兵役の義務を果たすことができ、また兵役が義務付けられていない女性も投票権を有しているとする原告の訴えを認めこれを退けた。<br />
<br />
これらの動きを受けて、海外短期滞留者をモデルとした不在者投票の準備作業が行われた。2006年12月には[[外交通商部]]と共同で50以上の海外公館で模擬投票を実施し、参加者の80%は「投票権を行使する」と回答した。この場合、実際の日本地域の短期滞留者は82000人になり、そのうち21000人が投票すると推算された。<br />
<br />
与野党とも在外韓国人に参政権を付与する方向では一致しており、2007年2月末までに中央選挙管理委員会や与野党から5つの選挙法改正案が韓国国会に上程された。しかし、在外投票の導入方法をめぐって紛糾し、当初目指していた2007年の[[大統領選挙]]からの在外投票導入は困難となった。海外永住者は一般的に保守傾向が強いとされており、これを取り込みたい保守派である[[ハンナラ党]]と、若年層にも支持基盤を持ち留学生や、外交官などの一時滞留者たちを取り込みたい[[ウリ党]]の党争によるものと指摘された。<br />
<br />
2012年の国政選挙から投票できる見通しとなったが、祖国での参政権に対する在日社会の関心は低く、そのメリットを知ってもらおうと、兵庫と大阪の在日韓国人で「在日韓国人本国参政権連絡準備会」を設立しPR活動を行っている。<br />
<br />
==== 朝鮮籍および、北朝鮮籍朝鮮人の本国参政権 ====<br />
朝鮮籍の17歳以上の在日朝鮮人は北朝鮮国政への選挙権、被選挙権ともに有しているため、[[2009年]]現在、在日朝鮮人からは[[徐萬述]][[朝鮮総聯]]中央本部議長をはじめとする朝鮮総連幹部や[[朝鮮大学校]]校長などの6名が、[[最高人民会議|北朝鮮最高人民会議]]の代議員(国会議員)に選出されている。 <br />
<br />
==== 地方参政権問題 ====<br />
[[外国人参政権]]参照<br />
<br />
[[在日本大韓民国民団]]は、[[2009年]][[8月30日]]投票の[[第45回衆議院議員総選挙]]から[[外国人参政権]]付与を掲げている[[民主党]]候補者らを全力で支援しており、民団の集会を通じて在日韓国人へ候補者当選へ抜けての全力支援を指導している。なお、朝鮮総連は在日朝鮮人は列記とした独立国の海外交民であるので、韓国政府の棄民政策や、戦前の日本政府による同化政策に繋がるものだとして外国人参政権の付与に反対である。<br />
<br />
=== 遊技業界 ===<br />
{| class="wikitable" align=right style="margin:5px;"<br />
|+'''日本全国1万7000店のパチンコオーナーの国籍'''<br />
|-<br />
| 本籍<br />
| %<br />
|-<br />
| 韓国籍<br />
| 50%<br />
|-<br />
| 朝鮮籍<br />
| 30-40%<br />
|-<br />
| 日本籍<br />
| 5%<br />
|-<br />
| 華僑<br />
| 5%<br />
|}<br />
[[パチンコ|パチスロ]]<br />
<br />
自営業が占める[[パチンコ]]産業に携わっている就業者の在日韓国・朝鮮人比率は他産業より高いとみられ、2007年12月27日の中央日報の記事によると業界の90%ほどを在日韓国人と朝鮮総連系が掌握しているとされる。そのため「パチンコはその実体が賭博であるにもかかわらず、賭博として規律されておらず、そのことで生まれた収益が北朝鮮への送金を支えている」という論評がある。[[2008年]]、在日本大韓民国民団顧問のチョン・ドンファは、「朝鮮総連はパチンコ事業で資金を集めたが、民団はどのようにしたのか?」と記者に問われると「民団の主な事業もパチンコだ。朝鮮総連は収入の全てを組職化して北に送った。」などと証言している。<br />
<br />
2007年10月からの[[5号機 (パチスロ)]]への完全移行に伴い、在日韓国人商工業の基盤ともいえる遊技業界の苦戦が懸念されている。<br />
<br />
韓国では賭博[[メダルチギ]]「[[海物語]]」の大流行とその弊害、およびそれに関わる関連公職者の告発が社会問題となった。<br />
<br />
=== 外国人犯罪と在日韓国・朝鮮人 ===<br />
日本国内に流通する[[覚醒剤]]の過半は北朝鮮産が占めていると言われており、問題の解決を困難なものにしている。<br />
根拠はないが<!--どうやら長らく出典が出ない・おそらく出せるはずがない-->第二次世界大戦後に朝鮮人による犯罪が増加したという噂があり、長く語り継がれている。これを事実と捉えたうえで、それが後々の日本人との間のわだかまりや先入観(「朝鮮人は恐い」などとして)を作り出し、日本人による[[差別]]・[[外国人恐怖症|忌避・嫌悪感情]]の温床になったと主張する層が戦後一貫して存在している。[[浅草米兵暴行事件]]のように、一地区に多く住んでいる在日韓国・朝鮮人による集団犯罪も問題の根を深くしている。外国人全般の犯罪率および在日韓国・朝鮮人の犯罪率と、それらの解釈・解釈方法については現在に至るまで、しばしば議論の対象になっている(詳細は、[[外国人犯罪]]参照)。<br />
<br />
==== 暴力団と在日韓国・朝鮮人 ====<br />
[[カプランとデュブロ]]によると、日本最大の広域[[暴力団]]である[[山口組]]の構成員のうち、約10%の者が在日朝鮮人であるという。四代目[[会津小鉄会|会津小鉄]]の会長だった[[高山登久太郎]](姜外秀)は講演で、「ウチの組は[[同和]]が3割、在日が3割だった」と発言したことがある(会津小鉄の場合、会長自身が在日韓国・朝鮮人だったため、割合が高かったと見られる)。<br />
<br />
元[[公安調査庁]]調査第二部長の[[菅沼光弘]]は2006年(平成18年)10月19日に東京・[[外国特派員協会]]で行った講演で、六代目[[山口組]]のナンバー2である若頭の[[髙山清司]]から聞いた話として、暴力団の出自の内訳は6割が[[同和]](被差別部落)、3割が在日韓国・朝鮮人、残りの1割が同和ではない[[日本人]]という見解を示した。<br />
<br />
元[[山口組]]顧問[[弁護士]]の[[山之内幸夫]]は『[[文芸春秋]]』昭和59年11月号に寄せた「山口組顧問弁護士の手記」において「ヤクザには在日朝鮮人や[[同和地区]]出身者が多いのも事実である」「約65万人といわれる在日朝鮮人のうち約50%が兵庫・大阪・京都に集中していることと山口組の発展は決して無関係ではなく、山口組は[[部落差別]]や在日朝鮮人差別の問題をなしにしては語れない」と述べた。<br />
<br />
[[警察庁]]発表による平成18年度末の暴力団の人数は、構成員が約41,500人・準構成員が約43,200人・計約84,700人である。<br />
<br />
==== 在日韓国・朝鮮人の起こした反社会的暴動事件 ====<br />
在日韓国・朝鮮人が起こした暴動事件の一例を挙げる。<br />
<br />
* 第1回[[生田警察署襲撃事件]]<br />
* 第2回[[生田警察署襲撃事件]]<br />
* [[富坂警察署襲撃事件]]<br />
* [[長崎警察署襲撃事件]]<br />
* [[富山駅前派出所襲撃事件]]<br />
* [[尾花沢派出所襲撃事件]]<br />
* [[下里村役場集団恐喝事件]]<br />
* [[東成警察署襲撃事件]]<br />
* [[木造地区警察署襲撃事件]]<br />
* [[広島地裁暴動事件]]<br />
* [[高田派出所襲撃事件]]<br />
* [[奈良警察官宅襲撃事件]]<br />
* [[五所川原税務署襲撃事件]]<br />
* 朝鮮総連[[RENK]]襲撃事件([[1994年]])<br />
<br />
==== 在日韓国・朝鮮人に関連した著名な刑事事件 ====<br />
在日韓国・朝鮮人という出自が事件の原因に深くかかわった刑事事件の一例を挙げる。<br />
* [[高田ドブロク事件]]<br />
* [[直江津駅リンチ殺人事件]]<br />
* [[金嬉老事件]]<br />
* [[文世光事件]]<br />
* 東京拘置所堀犬頭部遺棄事件<br />
<br />
=== 匿名口座と在日韓国・朝鮮人 ===<br />
在日韓国・朝鮮人には[[通名]]が認められているため、一部の銀行では[[通名]]での口座開設が可能である。そのため通名を変更後は事実上の匿名口座になるため、これが脱税等犯罪の温床であるとの指摘が多いが、在日外国人ならば誰でも通名を取得することができるので、在日韓国・朝鮮人だけに限られた問題ではない。<br />
<br />
2006年、[[最高裁判所]]は、[[朝銀信用組合|朝銀]]に架空名義で口座を開設し[[脱税]]資金を預金していたパチンコ店経営の在日韓国・朝鮮人の男性に対し、脱税した資金41億8千万円を公的資金で穴埋めする[[判決]]を下した。これは、脱税資金の匿名口座の金を公的資金で補填するという異常な判決であり、外国人の犯罪者(ただし脱税行為については[[時効]]が成立)に対し、公的資金で補填することに日本国民からの反発は極めて強い。遅延損害金6億7千万円も加算して支払っており、匿名口座で犯罪行為を行った者へ利子までつけて返金するという、極めて異常な判決は海外でも報道され、日本の司法制度の軟弱さが改めて世界中から注目されることとなった。<br />
<br />
=== 在日韓国・朝鮮人への住民税減額措置 ===<br />
[[三重県]]旧[[上野市]](現[[伊賀市]])、[[桑名市]]、[[四日市市]]に合併前の旧[[楠町 (三重県)|楠町]]では条例などを制定しないまま一部の在日韓国・朝鮮人の[[住民税]]を半額程度に減額する特例措置を長年続けていた。伊賀市は市民税と合わせて徴収する[[県民税]]も半額にしていた。遅くとも1960年代後半には始まっていたとみられ、伊賀市は税の公平性に反するとして2006年度でこの措置をやめた。桑名市も2008年度から是正する方針が示された。[[在日本大韓民国民団]]と[[在日本朝鮮人総聯合会]]に所属する在日韓国・朝鮮人のうち、税を窓口などで納付する[[住民税#普通徴収|普通徴収]]の人たちが対象になっていた。市が該当者分の納付書を民団と総連にまとめて送付し、それぞれの団体が取りまとめて納税していた。2006年度の対象者は伊賀市で約400人の在住者のうち[[個人事業主]]を中心に在日韓国人35人と在日朝鮮人18人、桑名市では減額率は民団が6割、朝鮮総連が5割で、約990人の在住者のうち約250人を対象とし年間数千万円であったとされる。<br />
<br />
伊賀市の減額措置は、昭和30年代から40年代にかけ、市と地元の民団や朝鮮総聯との交渉で開始、1980年代以前は、両団体支部を通じた在日韓国人らが窓口に来た際、一般職員ではなく係長級職員が直接受け付け、減額を行っていた。当時は納付しない人も多く、半額でも徴収したいとの上野市側の思惑もあったとされる。桑名市税務課では「減額の経緯は資料がなくわからないが、昭和四十年代に全国的に減税の動きがあったのでは」とコメントしている。<br />
<br />
伊賀市内の元在日韓国人が日本に帰化するのに伴い住民税が本来の額に上がるため相談を持ち掛け、これに応じた伊賀市の元総務部長がこれを利用して半分のままでいいから自分に渡すよう促し、2002年以降計約1800万円を受け取ったまま納付せずに着服していた疑いも発覚した。受け渡しの際、元総務部長は自作の預かり証を渡し、帰化した元在日韓国人は滞納状態だったが、数年間にわたり「督促しなくてよい」と職員に指示していた。<br />
<br />
この事件に対し、「他国籍の在住外国人も大勢いるなか、不適切な優遇」といった批判が市民の間から出ている。伊賀市側は在日韓国・朝鮮人に対する戦争補償の一環や戦後期の[[所得格差]]の解消などを理由に容認していたと述べた。また他町村との合併協議の中で減免措置に対する疑問が提示され、民団、総聯との協議の結果、2005年11月に翌2006年度で全廃することで合意した。民団三重県伊賀支部支団長によると、この減額措置を2004年に支団長になって知り、参政権などを求めるうえで日本人と違うのは不公平であると改善に応じ、一方、総聯伊賀支部委員長は、過去の経緯は話せないとコメントを避けた。三重県市町行財政室は「[[地方税]]上、条例の定めのない減免はできず、条例がないなら問題」、総務省市町村税課は「減免は各市町村が判断し条例で定めるが、このような例は初耳」、桑名市税務課では「条例の裏付けもなく続けてきたことは遺憾」とそれぞれ述べた。伊賀市では過去の資料が無いため詳細については定かではないが、減免措置は[[地方税法]]第323条に基づいて旧上野市が制定した市税条例第51条第1項第5号の「特別の理由があるもの」との規定により市長が必要であると認めたものについて、市が歴史的経過、社会的背景、経済的状況などを総合的に考慮し、減免することが妥当と判断したものであろうと思われる、とした。一方、この減免措置は本来、副市長(旧助役)の決裁が必要だが、税務課内部の判断で長年続いていたことも明らかになっている。<br />
<br />
== 子供手当ての申請をした同胞に差別した公務員 ==<br />
[[民団]]HPに投稿された在日の声より<br />
<br />
つい先日、兵庫県尼崎市に暮らされる同胞が、タイ国に残す、実子のように愛情込めて育てられた養子554人分の子供手当て(約8600万円)を申請したにもかかわらず拒否されたとのことです。これは人種差別ではないのでしょうか?<br />
<br />
この子供手当ては、実子・養子の区別なく、条件を具備すれば本来認めらるはずのものです。そのため、同胞の中には世界中の孤児院を巡っては、養子縁組により同手当ての恩恵を受け、前途ある子供の将来に希望を持たせようとしている者も多いと聞きます。中には、すでに数万人単位の養子縁組を実現したという者もいるようです。にもかかわらず、今となって拒否するのは人種差別そのものではないでしょうか?<br />
<br />
民主党代表にして内閣総理大臣の鳩山氏は、はっきりと「日本は日本人だけのものではない」と述べたはずです。だから、民潭および同胞が一団となり、民主党を選挙で勝利に導いたのです。しかし、地方参政権の約束も果たさず、先ほどのような人種差別も改善されていないのは、本当に腹が立ちます。 <br />
<br />
[http://megalodon.jp/2010-0424-0434-24/www.mindan.org/bbs/bbs_view.php?bbsid=9655&page=1&subpage=4037&sselect=&skey= 魚拓]<br />
<br />
== 在日韓国・朝鮮人の処遇と未来像に関する議論 ==<br />
=== 帰化と日本国籍取得 ===<br />
ながらく、在日韓国・朝鮮人を日本社会の構成員として取り扱おうという主張があった。この場合「日本社会の構成員」という語は、立場によって様々に意味を変える。「社会の構成員」と言うかぎりならば、これには単なる実態の反映でしかないという見方もある。しかしこれが、[[地方参政権]]の付与に至ると、議論が分かれる。([[外国人参政権]]を参照)<br />
<br />
2007年時点で民族名による帰化は保証されておらず、届出による日本国籍取得と民族名使用の保障などを盛り込んだ国籍取得特例法を求める運動が続いていた。[[自民党]]法務部会の「国籍問題に関するプロジェクトチーム」は2008年1月24日の会合で、在日韓国・朝鮮人などの特別永住者が日本国籍を簡単に得られるようにする[[特別永住者等の国籍取得の特例に関する法律案]](特別永住者国籍取得特例法案)を[[議員立法]]で2008年の第169回[[通常国会]]に提出する方針を決めた。<br />
<br />
在日韓国・朝鮮人から日本に帰化する者の数は、95年に一万人を超えたのを皮切りに年間で毎年9000―11000人に上っている。帰化を許可された者は[[国籍法]]第10条に基づき、『[[官報]]』に帰化前の名前・住所・生年月日が公示される。<br />
<br />
また[[1990年代]]までに比べれば、「日本籍コリアン」にも朝鮮系であることを周囲に言明する者が増えるなどし、帰化した後の生活スタイルも多様化しつつある。<br />
<br />
=== 日本人との婚姻 ===<br />
2006年、韓国・朝鮮籍所有者と日本国籍者の婚姻件数は8376件で、1961年の1971に比べおよそ4倍、日本国内全体の婚姻件数73万971件のうち、約1%を占めている。在日韓国・朝鮮人女性と日本人男性間の婚姻件数は1990年の8490件を最高に2006年には6041件、一方、韓国・朝鮮人男性と日本人女性間の婚姻件数は2006年末現在で2335件で1984年に2000件を超えて以来、ほぼ横ばいとなっている。<br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
* [[吉田光男]]・編・著『韓国朝鮮の歴史と社会』([[放送大学教育振興会]]、2004年)ISBN 4595237596<br />
* 朝鮮史研究会・編、旗田巍・編修代表『朝鮮の歴史』([[三省堂]]、1974年)ISBN 4385342555<br />
* [[福岡安則]]・[[金明秀]]著『在日韓国人青年の生活と意識』([[東京大学出版会]]、1997年)ISBN 4130560522<br />
* [[山中修司]]・[[大島隆行]]・[[谷寛彦]]・[[金正坤]]・文・写真 『ダブルの新風 -- 在日コリアンと日本人の結婚家族』( [[新幹社]]、1998年1月)ISBN 4915924858 <br />
* [http://world.lib.ru/k/kim_o_i/kkk7.shtml История иммиграции корейцев.Книга первая.Вторая половина 19в.-1945г.Глава 6.Иммиграция корейцев в Японию](『朝鮮移民史』第2巻、19世紀~1945年、第6章「日本への朝鮮人の移民」、[[ゲルマン・キム]])<br />
* [http://world.lib.ru/k/kim_o_i/kht7rtf.shtml Корейцы за рубежом:прошлое,настоящее и будущее.Корейцы в Японии](『在外朝鮮人:過去、現在、未来』、「在日朝鮮人」、ゲルマン・キム)<br />
* [[中村一成]]著『在日無年金訴訟をめぐるひとびと』(インパクト出版、2005年)ISBN 4755401534<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
*[[朝鮮民族]]<br />
*[[特別永住者]]<br />
**[[平和条約国籍離脱者]]<br />
;団体<br />
*[[在日本大韓民国民団]](民団)<br />
*[[在日本朝鮮人総連合会]](朝鮮総連)<br />
*[[在日本韓国人連合会]](ニューカマーの在日韓国人による団体)<br />
*[[在日韓国人をはじめとする永住外国人住民の法的地位向上を推進する議員連盟]]<br />
*[[高槻むくげの会]]<br />
;映画<br />
*[[カーテンコール (2005年の映画)]]<br />
*[[血と骨]]<br />
*[[チルソクの夏]]<br />
*[[パッチギ!]]<br />
**[[パッチギ! LOVE&PEACE]]<br />
*[[力道山 (映画)]]<br />
*[[GO (小説)]]<br />
;その他<br />
*[[在日朝鮮人文学]]<br />
*[[在日朝鮮人の言語状況]]<br />
*[[在日朝鮮語]]<br />
*[[在日語]]<br />
*[[在日特権]]<br />
*[[外国人参政権]]<br />
*[[コリア・タウン#日本]]<br />
*[[朝鮮籍]]<br />
*[[朝鮮学校]]<br />
*[[日本の民族問題]]<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* [http://www.j-koreans.org/index.html 在日韓人歴史資料館ホームページ]<br />
* [http://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~mizna/shinbun/ 戦前日本在住朝鮮人関係新聞記事検索] - [[京都大学人文科学研究所]]<br />
* [[wiki:利用者:Uaa|ウィキペディア日本語版のUaaの利用者ページ]] - Uaaは在日韓国人のウィキペディアンである。<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:さいにちかんこくちようせんしん}}<br />
[[Category:朝鮮]]<br />
[[Category:日本の民族]]<br />
[[Category:在日韓国・朝鮮人|*]]<br />
[[Category:反日主義]]<br />
[[Category:日本の左翼]]</div>
Fromm
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=AKB48&diff=360443
AKB48
2018-10-08T05:19:15Z
<p>Fromm: </p>
<hr />
<div>[[Image:AKB48の1.jpg|400px|thumb|「スカート、ひらり」のジャケット。左から小嶋陽菜、成田梨紗、前田敦子、高橋みなみ、板野友美、折井あゆみ、大島麻衣。2006年]]<br />
[[Image:AKB48の2.jpg|400px|thumb|AKB48(結成当時)]]<br />
[[Image:AKB48の3.jpg|400px|thumb|AKB48]]<br />
[[Image:AKB485.jpg|400px|thumb|AKB48]]<br />
[[Image:AKB486.jpg|400px|thumb|AKB48]]<br />
'''AKB48'''(エーケービー フォーティエイト)は、[[日本]]の[[女性アイドルグループ]]。[[秋元康]]の[[プロデュース]]により、[[2005年]]に誕生した。<br />
<br />
== 概要 ==<br />
[[Image:菊地彩香.jpg|400px|thumb|解雇された[[菊地彩香]](現・菊地あやか)]]<br />
[[東京都]][[千代田区]]・[[秋葉原]]([[外神田]])に専用[[劇場]]である[[AKB48劇場]]を持ち、「'''会いに行けるアイドル'''」を[[概念|コンセプト]]に、専用劇場でチームごとに日替わりでほぼ毎日公演を行っている。メディアを通した遠い存在だった[[アイドル]]を身近に感じ、その成長していく過程をファンに見てもらい、共に成長していくアイドル・プロジェクトとされている。人気の上昇に伴って本業以外でも個々で活動するメンバーが増えている。<br />
<br />
2005年、専用劇場で初の公演を行い、2006年2月にシングル「桜の花びらたち」でインディーズデビュー。同年8月シングル「会いたかった」で[[メジャー・デビュー (音楽家)|メジャーデビュー]]。当初は全くの無名で、関係者からの期待も薄かった。しかし、[[口コミ]]などでアイドルファンを中心に話題となり、徐々に専用劇場が連日満員になっていく。2007年には「アキバ枠」で『[[第58回NHK紅白歌合戦]]』に出場するものの、当時は「秋葉原の[[おたく|オタク]]向けアイドル」というイメージが強かったこともあり、世間の関心は薄かった。しかし、2008年にシングル「大声ダイヤモンド」で本格的にブレイク。2000年代の[[CD不況]]の逆風の中ヒット曲を次々と生み出し、いわゆる[[ライブアイドル|地下アイドル]]出身で史上初めて[[ミリオンセラー]]を記録し、メディアから「AKB現象」「国民的アイドル」と呼ばれるほどの人気を博した唯一の例となる。CD総売り上げは、2011年10月26日の23枚目シングル「風は吹いている」発売の時点で1034万枚となり、日本の女性グループとしては4組目の1000万枚突破を記録、21世紀にCDデビューした日本のアーティストでは最高売上を記録している。<br />
<br />
[[バンダイ]]が行った「バンダイこどもアンケートレポート」によると、3歳から12歳までの児童の保護者を対象に2011年2月(集計は前年12月に実施)に行われたアンケートで、「お子様の好きな芸能人は誰ですか?」の総合2位にランクインしている。集計を行ったバンダイは、この年代の女の子にとってAKB48は憧れの存在であると分析している。<br />
<br />
{{-}}<br />
== 略歴 ==<br />
[[人数の推移や加入、卒業、昇格などメンバー構成に関する略歴|AKB48のグループ構成]]参照<br />
=== 2005年 ===<br />
[[image:西川七海.jpg|400px|thumb|解雇された[[西川七海]] のち[[乃木坂46]]に移るが続かず引退]]<br />
* 7月、総合プロデューサーの秋元康が主導で「秋葉原48プロジェクト」第1期生メンバー募集を開始する。<br />
* 10月30日、東京都港区の芝浦スタジオで最終審査を開催。全応募者7924人のうち、書類審査で絞られた45人の中から、最終的に24人の合格者(倍率約330倍)が発表される。このうち2012年1月現在も継続してAKB48に在籍するのは[[板野友美]]、[[小嶋陽菜]]、[[高橋みなみ]]、[[平嶋夏海]]、[[前田敦子]]、[[峯岸みなみ]]の6名。<br />
* 11月3日、都内スタジオで、[[夏まゆみ]]指導による合格者のシアターレッスン開始、約1か月間の集中特訓が行われる。その後、11月23日からは突貫工事中の[[AKB48劇場|秋葉原48劇場]]ステージに場所を移す。<br />
* 当初劇場グランドオープンを12月1日としていたが、11月28日になり1週間の延期を発表、12月8日、秋葉原48劇場の[[こけら落し|杮落とし]]となる第1回公演を実施。しかし一般の観客は7人であった(72人中65人が関係者)。<br />
<br />
=== 2006年 ===<br />
[[Image:石黒貴己.jpg|400px|thumb|解雇された[[石黒貴己]]]]<br />
* 2月1日、初のCDシングル「[[桜の花びらたち]]」をインディーズレーベルから発売。<br />
* 2月4日、シアター公演初の満員御礼を記録。<br />
* 2月19日、第2期オーディション開始。業界初の[[テレビ電話]]オーディションを実施。26日に19人の合格者発表、チームK誕生。このうち2012年1月現在も継続してAKB48に在籍するのは[[秋元才加]]、[[梅田彩佳]]、[[大島優子]]、[[河西智美]]、[[小林香菜]]、[[佐藤夏希]]、[[増田有華]]、[[松原夏海]]、[[宮澤佐江]]の9名。<br />
* 3月1日、初写真集「密着!『AKB48』〜写真集 Vol.1 the・デビュー」発売。<br />
* 4月1日、チームK劇場初公演。初日は満員であったが、3日目には観客数が半減する。<br />
* 6月4日、同7日に発売される2ndシングル「[[スカート、ひらり]]」発売記念として、チームA、K初の合同ライブを[[秋葉原UDX]]で開催、約1500人を動員。<br />
* 6月9日、「スカート、ひらり」で、『[[ミュージックステーション]]』『[[音楽戦士 MUSIC FIGHTER]]』両番組に出演、歌でのテレビ初出演を果たす。<br />
* 7月23日、「AKB48と行く[[浅草花やしき|花やしき]]ツアー」開催。<br />
* 8月22日、公式ファンクラブ「柱の会」結成。<br />
* 10月25日、[[デフスターレコーズ]]から1stシングル「[[会いたかった]]」をリリース、メジャーデビューを果たす。オリコンウィークリーチャート12位。<br />
* 11月3 - 4日、[[日本青年館]]で、劇場外で初となるコンサート『AKB48 ファーストコンサート「会いたかった 〜柱はないぜ!〜」』を開催。<br />
* 12月3日、3期生の合格者20名を発表、チームB誕生。但し、その後辞退者が相次ぎ、実際にデビューしたのは13名だったため、当時のチームAから「サポートメンバー」として3名をチームBに異動させることとなる。13名のうち2012年1月現在も継続してAKB48に在籍するのは[[多田愛佳]]、[[柏木由紀]]、[[片山陽加]]、[[田名部生来]]、[[仲川遥香]]、[[仲谷明香]]、[[米沢瑠美]]、[[渡辺麻友]]の8名。<br />
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=== 2007年 ===<br />
* 1月31日、メジャー2ndシングル「[[制服が邪魔をする]]」リリース。発売日に渋谷でストリートライブ敢行。同曲はオリコンウィークリーチャートで7位となり初のトップ10入り。<br />
* 3月10日 - 4月1日、初の全国ツアー「AKB48 春のちょっとだけ全国ツアー 〜まだまだだぜAKB48!〜」を東京、名古屋、福岡、大阪で開催。<br />
* 4月8日、チームB劇場初公演。初日から千秋楽まで満員御礼となる。<br />
* 7月20日、劇場公演500回目を記念し、紅白饅頭がメンバーから劇場入場者一人一人に手渡される。<br />
* 8月18日 - 25日、映画「[[伝染歌]]」に出演したメンバー10名が、先行上映が行われていた東京都[[中央区 (東京都)|中央区]][[築地]]の[[東京劇場]]で「ギネスに挑戦 怒涛の1週間・連続舞台挨拶」として30回連続で舞台挨拶を敢行。<br />
* 9月22日、チームBが、[[中華人民共和国|中国]]・[[北京市|北京]]で行われた「中日文化人懇談会2007〜オープンカレッジ in 北京〜」に秋元康とともに参加、中国芸術研究院でAKB48初の日本国外公演となるライブを行い、6曲を披露。<br />
* 12月31日、『第58回NHK紅白歌合戦』に、[[中川翔子]]、[[リア・ディゾン]]らとともにいわゆる「アキバ枠」で初出場。1グループでの紅白出場としては当時最多となる43人が出演。<br />
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=== 2008年 ===<br />
[[Image:豊田早姫.jpg|400px|thumb|解雇された[[豊田早姫]]]]<br />
* 1月1日、ファーストアルバム『[[SET LIST〜グレイテストソングス 2006-2007〜]]』発売。<br />
* 1月24日、AKB48地上波初の[[冠番組]]『[[AKB1じ59ふん!]]』がスタート。その後『[[AKB0じ59ふん!]]』を経て2012年現在も『[[AKBINGO!]]』として放送中。<br />
* 2月、9thシングル「[[桜の花びらたち#桜の花びらたち2008|桜の花びらたち2008]]」の販売方法を巡るトラブル([[#独占禁止法違反騒動|後述]])が発生。デフスターレコーズとの契約が打ち切られてしまう。それ以後、メジャー・シングルが出せない状態となり次作シングルはネット配信のみとなる。デフスターレコーズはその後2010年7月14日にデフスター時代のミュージック・ビデオを収録したDVD「[[逃した魚たち〜シングル・ビデオコレクション〜]]」をリリースしている。<br />
* 10月22日、[[キングレコード]]([[You, Be Cool!]])へのレコード会社移籍後初となるシングル「[[大声ダイヤモンド]]」リリース。<br />
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=== 2009年 ===<br />
[[Image:AKB48_4.jpg|400px|thumb|左から大島、前田、柏木]]<br />
* 1月31日、[[エプソン品川アクアスタジアム#Stellar Ball(ステラボール)|品川ステラボール]]で開催された「アイドル選手権 Push★1」イベントにて、AKB48の7名(板野、大島麻、大島優、小野、河西、小嶋陽、前田敦)およびSKE48・[[松井珠理奈]]の8名と、[[アイドリング!!! (グループ)|アイドリング!!!]]の8名、計16名からなるグループ、[[AKBアイドリング!!!]]が、デビュー曲「[[チューしようぜ!]]」を初披露、同曲は4月1日に[[ポニーキャニオン]]からシングルリリース。<br />
* 6月 - 7月、『[[AKB48 13thシングル選抜総選挙「神様に誓ってガチです」]]』(第1回選抜総選挙)を実施、前田敦子が1位となり、13thシングル「[[言い訳Maybe]]」のセンターを獲得。<br />
* 8月22日 - 23日、[[日本武道館]]2DAYSコンサート『AKB104選抜メンバー組閣祭り』を開催、組閣(チームシャッフル)を発表。一部メンバーのチーム異動と研究生の昇格、および4名のSDN48への完全移籍を発表。新チームにキャプテン制を導入、チームAは高橋みなみ、チームKは秋元才加、チームBは柏木由紀をそれぞれキャプテンに指名。<br />
* 10月21日、14thシングル「[[RIVER (AKB48の曲)|RIVER]]」をリリースし、グループ'''初の[[オリコンチャート|オリコンウィークリーチャート]]1位'''を獲得。<br />
* 12月31日、『[[第60回NHK紅白歌合戦]]』に2年ぶり2度目の出場。<br />
<br />
=== 2010年 ===<br />
* 2月17日、15thシングル「[[桜の栞]]」を発売、女性グループとして7年ぶりの初動売上30万枚突破記録を記録。<br />
* 2月21日 - 7月27日、組閣(チームシャッフル)の実施([[#メンバー|後述]])。<br />
* 5月26日、16thシングル「[[ポニーテールとシュシュ]]」を発売し、女性グループとして9年5か月ぶりとなる初動50万枚超えを達成。<br />
* 5月 - 6月、『[[AKB48 17thシングル選抜総選挙「母さんに誓って、ガチです」]]』(第2回選抜総選挙)を実施し、大島優子が初のセンターを獲得。<br />
* 7月14日、デフスターレコーズよりDVD『逃した魚たち〜シングル・ビデオコレクション〜』、CD『[[SET LIST〜グレイテストソングス〜完全盤]]』をリリース。<br />
* 8月18日、17thシングル「[[ヘビーローテーション (曲)|ヘビーローテーション]]」を発売し、女性グループとして初となる2作連続での初動50万枚超えを達成したほか、2010年8月25日発表の[[レコチョク]]週間ランキングで、[[着うた]]・[[着うたフル]]・[[ミュージック・ビデオ|ビデオクリップ]]・着信ムービー・[[着信メロディ]]の各ウィークリーランキングで5冠を獲得。<br />
* 8月31日、公式ファンクラブ「柱の会」を2011年9月をもって廃止することを発表<br />
* 9月21日、日本武道館で『[[AKB48 19thシングル選抜じゃんけん大会]]』が開催され、[[内田眞由美]]が初のセンターを獲得。<br />
* 9月30日、この日をもって「柱の会」の新規入会および更新受付を終了。<br />
* 10月15日、『[[AKB48のオールナイトニッポン]]』に出演した秋元才加が、13日に発覚した[[広井王子]]との関係を巡る一連の騒動の責任を取り、チームKキャプテンを辞任することを表明、以後チームKはキャプテン不在となる。<br />
* 10月24日、日本国外初となるAKB48 OFFICIAL SHOP HONG KONG(AKB48香港專門店)を、「[[香港]]の秋葉原」こと[[深水ホ|深水埗]](サムスイポー)のショッピングモール『西九龍中心』内にオープン。12月1日には[[銅鑼湾|コーズウェイベイ]]の[[タイムズスクウェア (香港)|タイムズスクウェア]]前にAKB48 MUSEUM HONG KONG(AKB48香港資料館)がオープン。<br />
* 10月27日、18thシングル「[[Beginner]]」を発売し、グループ初の[[ミリオンセラー#音楽|ミリオンセラー]]を達成。ならびに日本における女性アイドルグループ5作連続1位、シングル年間1位、および21世紀最大の初動売上を記録。<br />
* 11月18日、『[[ギネス・ワールド・レコーズ]]』により「世界一人数の多いポップグループ("Largest Pop Group")」(正規メンバー48名)として認定される。<br />
* 12月31日、『[[第61回NHK紅白歌合戦]]』に2年連続3回目の出場。研究生、SKE48、またまだ公演を行っていない[[NMB48]]メンバーも含めた、1グループ名義としては史上最多の130人で出演。<br />
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=== 2011年 ===<br />
[[Image:AKB486.jpg|400px|thumb|AKB48]]<br />
* 1月10日付のオリコン週間シングルランキングにおいて、女性グループ初となる4曲同時トップ10入りを果たす。さらに4曲同時トップ10入りは計3週間続き、オリコン史上初の記録達成。<br />
* 1月22日、AKB48初のドキュンタリー映画『[[DOCUMENTARY of AKB48 to be continued 10年後、少女たちは今の自分に何を思うのだろう?]]』が公開。<br />
* 2月22日、同月16日に発売されたシングル「[[桜の木になろう]]」の初週売上枚数が94.2万枚に達し、発売1週目売上で歴代6位、女性アーティストの楽曲としては[[宇多田ヒカル]]「[[Addicted To You]]」に次ぐ歴代2位となると同時に、同曲以来11年3か月ぶりの初週売上90万枚超を記録。同時に女性グループとして[[ピンク・レディー]]以来<ref group="注">「[[S・O・S]]」から「[[カメレオン・アーミー (ピンク・レディーの曲)|カメレオン・アーミー]]」まで9作連続1位。</ref>となるシングル7作連続首位を達成。<br />
* 2月27日、[[東京マラソン2011]]でフルマラソンを完走した秋元才加が、総合プロデューサーの秋元康からメールによりチームKキャプテン復帰を告げられる。<br />
* 3月4日、「桜の木になろう」の同日付累計出荷枚数が115万枚となり、18枚目のシングル「Beginner」以来2作品目のミリオンセラーとなる。<br />
* 3月11日、[[東北地方太平洋沖地震]]([[東日本大震災]])の発生により発生後は終日公共交通機関が麻痺したこと、また劇場内部の施設の安全確認が必要となったことなどから、当日予定されていたSDN48公演以降、28日までAKB48劇場での公演を休止。<br />
* 3月14日、東北地方太平洋沖地震の被災者へ向けたAKB48プロジェクト義援金受付口座を[[りそな銀行]]渋谷支店および[[三菱東京UFJ銀行]]五反田支店に開設。翌15日、AKB48プロジェクトとして同口座に5億円を寄付することを発表。<br />
* 3月26-27日、東日本大震災の為中止となったコンサート「たかみなについて行きます」の代替として、26-27日まで会場に予定されていた[[横浜アリーナ]]で『「誰かのために」チャリティイベント』を開催した。<br />
* 3月15日、4月6日発売予定であった3rdアルバム『[[ここにいたこと]]』の発売延期、および劇場盤発売記念握手会の開催中止・劇場盤のキャンセルを発表。なお3月29日に、『ここにいたこと』の新たな発売日を6月8日と発表。<br />
* 4月1日、『[[チームA 3rd Stage「誰かのために」]]』公演曲の再収録版「[[誰かのために -What can I do for someone?-]]&lt;配信限定チャリティソング&gt;」を[[レコチョク]]『[[着うた]]』『[[着うたフル]]』『[[着うたフルプラス]]』(ビデオクリップは同6日 映像の内容は沖縄国際映画祭への飛び入り、「たかみなに――」の中止の代替として行なわれた横浜アリーナでの義援金募集の様子、再レコーディングのスタジオで「私たちにできることをしなくちゃ」と涙ぐむ高橋みなみの姿など)配信。全収益を東北地方太平洋沖地震被災者へ寄付された。<br />
* 3月29日、「AKB48プロジェクト」改め「誰かのためにプロジェクト」の一環として、21stシングルを5月25日に発売し、収益の一部を東北地方太平洋沖地震の義援金として寄付すること、併せて、「22ndシングル選抜総選挙」を開催することを発表。<br />
* 4月8日、AKB48劇場での公演形態が、この日から劇場オープン以来行われていたチーム別公演から演目別公演に変更。<br />
* 5月14日、[[シンガポール]]のショッピングモール『*SKAPE』内に、AKB48 OFFICIAL SHOP SINGAPOREと、併設のAKB48 Cafeを開業。翌15日から併設のAKB48 THEATER SINGAPOREで日本国外初の定期公演を開始。<br />
* 5月25日、21stシングル「[[Everyday、カチューシャ]]」を発売。発売初週に133.4万枚を売り上げ、初週ミリオンを達成。<br />
* 6月6日、昇格後もチーム研究生に留め置かれていた正規メンバーら10名によりチーム4を結成。<br />
* 5月 - 6月にかけて『[[AKB48 22ndシングル選抜総選挙]]』(第3回選抜総選挙)を実施し、前田敦子がセンターを獲得。<br />
* 7月23日、AKB48 OFFICIAL SHOP TAIWAN(AKB48台灣專門店)を、[[台湾]]・[[台北市]][[万華区]]の、「台北の[[原宿]]」と言われる[[西門町]]のファッションビル『誠品116』内にオープン。10月20日には、「AKB48 Cafe」を同店に併設開業。<br />
* 7月30日、AKB48 OFFICIAL SHOP HARAJUKUをJR[[原宿駅]]前の[[竹下通り]]にオープン。<br />
* 8月24日、22ndシングル「[[フライングゲット (曲)|フライングゲット]]」を発売。8月23日付オリコンデイリーチャートで約102.6万枚を売り上げ、オリコンランキング史上初となる発売初日ミリオンを達成。また、初週に135.4万枚を売り上げ、前作に続き2作連続の初週ミリオンとなった。<br />
* 9月20日、日本武道館で『[[AKB48 24thシングル選抜じゃんけん大会]]』が開催され、[[篠田麻里子]]が初のセンターを獲得。<br />
* 9月29日、AKB48 CAFE & SHOP AKIHABARAをJR[[秋葉原駅]]前にオープン。<br />
* 9月30日、この日をもって「柱の会」会員向けサービスを終了し、「柱の会」を廃止。<br />
* 10月6日、『[[第62回NHK紅白歌合戦]]』の紅白応援隊に[[テリー伊藤]]と共に就任。<br />
* 10月10日、チーム4劇場初公演。<br />
* 10月26日、23rdシングル「[[風は吹いている]]」を発売。10月25日付オリコンデイリーチャートで前作「フライングゲット」を抜き、約104.6万枚を売り上げた。<br />
* 11月22日、[[中華人民共和国|中国]]・[[上海市|上海]]にオフィシャルショップオープン。<br />
* 12月7日、24thシングル「[[上からマリコ]]」を発売。<br />
* 12月8日、「柱の会」に代わる新しい公式ファンクラブ「二本柱の会」発足。同日、[[Google]]社との協力により[[Google+]]の[[プラットフォーム (コンピューティング)|プラットフォーム]]を利用したAKB48グループメンバーとファンとの交流サービス「AKB48 on Google+」を開始することを発表。<br />
* 12月19日、この日発表された「オリコン2011年年間ランキング」で史上初の年間シングルTOP5を独占。また、年間売上1位の歌手に送られる「アーティスト別トータルセールス」を初受賞し、全16部門中最多の7冠を獲得。<br />
* 12月30日、『[[第53回日本レコード大賞]]』日本レコード大賞、初受賞。<br />
* 12月31日、『第62回NHK紅白歌合戦』に3年連続4回目の出場。前年に打ち立てた最多記録をさらに更新する210人で出演。<br />
<br />
{{-}}<br />
=== 2012年 ===<br />
[[Image:AKB4812.jpg|350px|thumb|篠田麻里子]]<br />
[[Image:AKB4813.jpg|350px|thumb|AKB48]]<br />
* 1月27日、AKB48ドキュンタリー映画第2弾となる『[[DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on 少女たちは傷つきながら、夢を見る]]』が公開。<br />
* 2月15日、25thシングル「[[GIVE ME FIVE!]]」を発売。表題曲はAKB48シングル史上初のバンド曲となる。2月27日付オリコン1位を獲得し、6作連続ミリオン・12作連続12作目の首位を獲得した。総売上枚数も1315.5万枚となり、モーニング娘の1180.8万枚(当時)を抜いた。<br />
* 3月20日、「AKB48 CAFE & SHOP HAKATA」を[[福岡県]][[福岡市]]にオープン。<br />
* 3月23日、3日間連続の『AKB48コンサート 業務連絡。頼むぞ、片山部長!in[[さいたまスーパーアリーナ]]』初日公演において[[東京ドーム]]公演を開催することを発表した。<br />
* 3月24日、コンサート2日目にSKE48チームSの松井珠理奈がAKB48のチームKへ、NMB48チームNの[[渡辺美優紀]]がAKB48のチームBへ期間限定で兼任することを発表した。さらに、秋元康のGoogle+ではチーム8を結成する予定であることを公表した。ただし、後述する東京ドーム公演でのチーム再編発表では3チーム体制に戻すことが明らかにされている。<br />
* 3月25日、コンサート3日目に、「AKB48 27thシングル選抜総選挙」を開催することを発表した。同じ公演で、前田敦子がグループから卒業することを宣言した。<br />
* 3月30日、東京ドームで開催された[[日本プロ野球|プロ野球]][[セントラル・リーグ]]公式戦[[読売ジャイアンツ]]対[[東京ヤクルトスワローズ]]第1回戦において[[国歌斉唱]]を務めた。<br />
* 4月4日、「AKB48 CAFE & SHOP NAMBA」を[[なんばグランド花月]]内にオープン。<br />
* 5月23日、26thシングル「[[真夏のSounds good !]]」を発売。初日売上で自身が持つ最高記録を超える約117.1万枚を売り上げた。8月時点でも売上は約182万枚となり、当時自身の売上No.1シングルとなった。<br />
* 6月6日、『[[AKB48 27thシングル選抜総選挙]]』(第4回選抜総選挙)を実施し。大島優子が1位となり、センターポジションを獲得。<br />
* 8月15日、4thアルバム『[[1830m]]』を発売。<br />
* 8月21日、これまで、AKB48公式サイト・ショップでのみの販売であったAKSレーベルのAKB48関連DVD作品の大半が、CD・DVDショップでの販売を開始。<br />
* 8月24日 - 26日、東京ドームで『AKB48 in TOKYO DOME 〜1830mの夢〜』を開催。初日公演において、2度目のチーム再編(組閣)とその概要を発表。チーム4を廃止しての3チーム体制への回帰、チームAのキャプテンだった高橋みなみの総監督就任とチームキャプテンの総入れ替えも発表された。チームAは篠田麻里子、チームKは秋元才加に代わり大島優子、チームBは柏木由紀に代わり梅田彩佳が就任(梅田はチームKからの異動)。<br />
* 8月27日、[[京楽産業.]]より「[[CRぱちんこAKB48]]」がホールデビュー。<br />
* 8月29日、27thシングル「[[ギンガムチェック]]」を発売。グループ9枚目の100万枚突破を記録。<br />
* 9月18日、日本武道館で『[[AKB48 29thシングル選抜じゃんけん大会]]』を開催。[[島崎遥香]]が優勝し、初のセンターポジションを獲得。<br />
* 10月25日、Nintendoゲーム「AKB48+Me」が発売された。<br />
* 10月31日、28thシングル「[[UZA (曲)|UZA]]」を発売。<br />
* 12月5日、29thシングル「[[永遠プレッシャー]]」を発売。グループ11枚目の100万枚突破を記録。<br />
* 12月20日、[[バンダイナムコゲームス]]より、[[PlayStation Portable|PSP]],[[PlayStation Vita|PSVITA]]用ソフト「[[AKB1/149 恋愛総選挙]]」を発売。<br />
* 12月30日、『[[第54回日本レコード大賞]]』日本レコード大賞、史上6組目の2年連続受賞。女性グループとして連覇は史上初。<br />
* 12月31日、『[[第63回NHK紅白歌合戦]]』に4年連続5回目の出場。前年出場時の最多記録である210名より40名少ない170名で出演。人文字は配置転換を用いた二段構えで「日本ラララ」「がんばろう」。<br />
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=== 2013年 ===<br />
[[Image:AKB4814.jpg|350px|thumb|AKB48]]<br />
[[Image:AKB4815.jpg|350px|thumb|AKB48]]<br />
* 1月1日、AKB48劇場公演曲をスタジオレコーディングした『studio recordings コレクション』全20タイトルを発売。<br />
* 1月3日、「AKB48 OFFICIAL SHOP HARAJUKU」、入居先ビルの改築に伴い閉店。 <br />
* 1月25日、『AKB48 リクエストアワーセットリストベスト100 2013』2日目公演においてSKE48劇場支配人(当時)の湯浅洋がAKB48劇場新支配人に、AKB48劇場支配人(当時)の[[戸賀崎智信]]のAKB48グループ総支配人にそれぞれ就任する人事案とファンによる信任投票の実施を発表。27日の同最終日公演において信任投票の結果、湯浅洋のAKB48劇場支配人就任が信任されず、これに伴いAKB48劇場支配人はAKB48グループ総支配人に就任した戸賀崎智信が兼任となり、湯浅は戸賀崎の下で支配人研究生として活動していくことが発表された。<br />
* 2月1日、AKB48ドキュンタリー映画第3弾となる『[[DOCUMENTARY of AKB48 No flower without rain 少女たちは涙の後に何を見る?]]』が公開。<br />
* 2月20日、30thシングル「[[So long !]]」を発売。グループ12枚目の100万枚突破を記録。<br />
* 4月、[[朝日新聞]]夕刊にてコラム『AKB的人生論 大人たちに言いたい』連載開始。筆者は交代制。掲載は毎週金曜日。<br />
* 4月10日、[[全日本空輸]] (ANA) との共同プロジェクト『Challenge for ASIA by ANA × AKB48』を開始することを発表。<br />
* 4月25日 - 28日、『AKB48グループ臨時総会 〜白黒つけようじゃないか!〜』を日本武道館で開催、AKB48としては27日夜に単独、28日は48グループ総出演の一部として出演。<br />
* 5月22日、31stシングル「[[さよならクロール]]」を発売し、初日の売り上げで「真夏のSounds good !」の持つ最高記録を超える約145万枚の歴代売上枚数1位を記録。また累計売り上げが約2185.2万枚となり、浜崎あゆみの約2141.6万枚を上回って、女性アーティスト最多となった。12月時点で売上は約194万枚となり、自身の売上No.1シングルとなった。<br />
* 6月5日、「AKB48グループ研究生コンサート『推しメン早い者勝ち』」を日本武道館で開催。<br />
* 6月8日、[[横浜国際総合競技場|日産スタジアム]]で『AKB48スーパーフェスティバル 〜日産スタジアム、小(ち)っちぇ!小(ち)っちゃくないし!!〜』と『AKB48 32ndシングル選抜総選挙』開票イベントを開催。[[指原莉乃]](HKT48)が1位となり、初のセンターポジションを獲得。また、篠田麻里子が7月での卒業を発表。<br />
* 7月 - 8月、[[福岡ドーム|福岡 ヤフオク!ドーム]](福岡県)・[[札幌ドーム]](北海道)・[[大阪ドーム|京セラドーム大阪]](大阪府)・[[ナゴヤドーム]](愛知県)・東京ドーム(東京都)で5大ドームツアー『AKB48・2013真夏のドームツアー 〜まだまだ、やらなきゃいけないことがある〜』を開催。<br />
* 8月21日、32ndシングル「[[恋するフォーチュンクッキー]]」を発売。初週で約133万枚を売上げ、13作連続ミリオンを達成。[[B'z]]と並んで歴代1位タイ記録となった。<br />
* 8月24日、当日新たに研究生から昇格したメンバー16名によりチーム4を再結成。キャプテンは峯岸みなみ。湯浅AKB48劇場支配人も研究生から正式な支配人に昇格した。<br />
* 9月12日、『[[AKB1/149 恋愛総選挙]]』の[[PlayStation 3]]版を発売。<br />
* 9月18日、日本武道館において『[[AKB48 34thシングル選抜じゃんけん大会]]』を開催。[[松井珠理奈]]がセンターポジションを獲得。<br />
* 10月30日、33rdシングル「[[ハート・エレキ]]」を発売。初週で約120.4万枚を売上げて14作連続ミリオンを達成し、B'zを抜いて日本歴代単独1位記録、通算ミリオン獲得数記録でもB'zの15作に並んで歴代1位タイ記録となった。またオリコン初登場1位が20作連続となり[[松田聖子]]、[[浜崎あゆみ]]と並んで女性アーティスト歴代1位タイ記録となった。<br />
* 11月9日、youtube内AKB48 Official Channel!で配信された動画にて、2014年1月から「チームの公演倍率、ファンの支持率をプロ野球やサッカーのように競い合うペナントレースを実施する」ことと、また翌日行われるドラフトで交渉成立した場合にキャプテンの意向で正規メンバーか育成メンバーに振り分け可能な「育成メンバー制度」の導入を発表。<br />
* 11月10日、[[グランドプリンスホテル新高輪]]において『AKB48グループドラフト会議』開催。<br />
* 11月21日、「恋するフォーチュンクッキー」が『[[第55回日本レコード大賞]]』の大賞候補曲となる優秀作品賞にノミネートされる。<br />
* 12月11日、34thシングル「[[鈴懸の木の道で「君の微笑みを夢に見る」と言ってしまったら僕たちの関係はどう変わってしまうのか、僕なりに何日か考えた上でのやや気恥ずかしい結論のようなもの]]」を発売。初週で約103万枚を売り上げて15作連続ミリオンを達成。通算ミリオン獲得回数も16に伸ばし、B'zを抜いて日本歴代単独1位の記録となる。またデビュー以来のシングル総売上枚数も2583万5000枚に上り、[[サザンオールスターズ]]の記録を上回る歴代3位となる。<br />
* 12月15日、12月16日付オリコン年間ランキングの「シングルセールス部門」で「さよならクロール」が史上初の4年連続年間1位獲得で自身の持つ年間1位獲得回数の記録を4に伸ばした。また1位の「さよならクロール」、2位に「恋するフォーチュンクッキー」、3位に「ハート・エレキ」、4位には「So long !」が入り3年連続のTOP4を独占する。<br />
* 12月17日、TOKYO DOME CITY HALLにて『第3回 AKB48紅白対抗歌合戦』を開催。当該イベントにおいて、2014年3月29日にAKB48単独公演、30日にAKB48グループ総出演公演を[[国立霞ヶ丘陸上競技場]]で開催することを発表。併せて同年4月には、さいたまスーパーアリーナでSKE48、NMB48、HKT48が単独公演を開催することも発表される。<br />
* 12月24日 - 25日、『[[ラジオ・チャリティー・ミュージックソン|第39回ラジオ・チャリティー・ミュージックソン]]』([[ニッポン放送]])のメインパーソナリティとしてAKB48が出演。<br />
* 12月30日、3連覇のかかった『第55回日本レコード大賞』に出演したが、AKB48が受賞する前に3連覇を果たした[[EXILE]]に敗れた。<br />
* 12月31日、『[[第64回NHK紅白歌合戦]]』に紅組出場歌手として5年連続6回目の出場を果たす。番組内のMCで大島優子が卒業を発表。<br />
{{-}}<br />
=== 2014年 ===<br />
[[Image:AKB4814.jpg|350px|thumb|AKB48]]<br />
* 1月22日、5thアルバム『[[次の足跡]]』発売。<br />
* 1月23日 - 26日、TOKYO DOME CITY HALLにおいて『AKB48 リクエストアワーセットリストベスト200 2014』(200位 - 101位)を開催。同イベント初日の23日、「会いに行くアイドル」をコンセプトに、47人のメンバー候補を47都道府県ごとに全国テレビ局主導のオーディションを実施し、[[トヨタ自動車]]が全面サポートする新チーム「チーム8」メンバーを決定する『AKB48 × TOYOTA Team 8 プロジェクト』始動を発表。<br />
* 2月24日、[[Zepp|Zepp DiverCity Tokyo]]にて「AKB48グループ大組閣祭り」開催予定。<br />
* 2月26日、35thシングル「[[前しか向かねえ]]」発売予定。<br />
* 3月29日、[[国立霞ヶ丘陸上競技場]]にてAKB48単独で、翌30日にはAKB48グループ全体でコンサート開催予定。<br />
* 4月6日、さいたまスーパーアリーナにおいて『AKB48 リクエストアワーセットリストベスト200 2014』(100位 - 1位)を開催予定。<br />
* 4月17日、[[江崎グリコ]]『[[パピコ]]』のテレビCMでセンターとして登場するメンバーとして3月4日から募集していた「大人AKB48」について、応募者5066人の中から、2児の母で専業主婦の塚本まり子が選ばれたことが公表される。CMは5月14日から放送予定で、活動期間は同年8月31日までとなり、キャンペーン終了をもって卒業予定。<br />
* 4月22日より10月31日まで『AKB48グループ ペナントレース 〜AKB48グループは競い合って磨かれる〜』が実施される。<br />
* 4月24日、新チーム体制へ移行。<br />
* 5月21日、36thシングル「[[ラブラドール・レトリバー (曲)|ラブラドール・レトリバー]]」を発売。<br />
* 5月25日、[[岩手県]][[滝沢市]]の[[岩手産業文化センター]]で開催された握手会で、刃物を持った暴漢により川栄李奈・入山杏奈・男性スタッフの3名が負傷する事件が発生。この事件をきっかけに当面の間AKB48劇場の休館、握手会の中止・延期が決定した。<br />
* 6月2日よりAKB48劇場での公演を再開。<br />
* 6月7日、[[東京スタジアム (多目的スタジアム)|味の素スタジアム]]で『[[AKB48 37thシングル選抜総選挙]]』開票イベントを開催。[[渡辺麻友]]が1位となり、センターポジションを獲得。<br />
* 6月8日、味の素スタジアムで、荒天のため中止となった『AKB48単独&グループ 春コンin国立競技場〜思い出は全部ここに捨てていけ!〜』2日目のAKB48グループによるコンサートを代替開催。。<br />
* 7月4日、AKB48ドキュンタリー映画第4弾となる『[[DOCUMENTARY of AKB48 The time has come 少女たちは、今、その背中に何を想う?]]』が公開。<br />
*8月18日~20日、東京ドームにおいて、「AKB48グループ 東京ドームコンサート〜するなよ?するなよ?絶対卒業発表するなよ?〜」を開催。18日にはAKB48単独公演、19日、20日にはAKB48グループ総出演公演を開催。<br />
*8月27日、37thシングル「[[心のプラカード]]」発売<br />
*9月17日、日本武道館において、「[[AKB48グループ・じゃんけん大会2014 〜拳で勝ち取れ!1/300ソロデビュー争奪戦〜]]」開催予定。<br />
<br />
'''2014年京セラドームでの握手会'''<br/><br />
2014年11月16日の握手会に参加した"次世代のエース"と呼ばれる[[小嶋真子]](17)は、自身の[[Google+]]で<br />
<br />
「先輩方に頼らず、今の状況を自分たちで受け止めて、どうしていくかは私たち次第。これからのAKBの未来を私たちが照らせるようにもっともっと頑張らなくちゃいけないと今日すごく思いました」<br />
<br />
「もしかしたら、もっと大きな声援やもっとたくさんの人数を期待してる人もたくさんいたと思います。でも、応援してくれる人が一人でもいるならその人のために全力で歌って踊って思いを伝えなくちゃって思います」<br />
<br />
などと綴り、少ない集客に何かしら感じたものがあった様子だ。また、同じく同日に参加した[[大島涼花]](16)は<br />
<br />
「私たち若いメンバーがもっともっと頑張らなきゃなって思います。これからもよろしくお願いします!!いつかは京セラドームを私たちで埋められるようにがんばります!」<br />
<br />
と記し、[[高橋朱里]](17)は<br />
<br />
「先輩メンバーさんがほぼいない環境での全国握手会でした!不安だなって思った分、いつも先輩がいることに当たり前を感じてる自分を見つめ直す事も出来ました」<br />
<br />
とイベントを振り返った。ほかのメンバーも口々に反省を綴るなど若手メンバーにとってはハードな試練となってしまったようだが、AKB運営ほどのリサーチ力があればこのような事態は防げたはずではないのだろうか。<br />
<br />
「いまだにシングルミリオンを連発しているAKBですが、握手会の動員は徐々に下がってきており、さらには若手が育っていないという問題を抱えている。また、有名メンバーばかりに人気が集中し、若手を青田買いしようという熱心なファンも減っている。握手会の会場は前年の実績を基に昨年の段階で押さえていますから、その変化に対応できなかったのでしょう。若手中心だったからガラガラでも仕方ないという擁護もできますが、ファンが若手メンバーに関心を示さない状況はグループの将来に暗い影を落とす。いわゆる『終わりの始まり』が露呈してしまったともいえるでしょう」(前同)<br />
<br />
かつての[[モーニング娘。]]に比べれば世代交代を上手にやっていると評されていたAKBだが、グループ自体の勢いの低下も相まって深刻な壁にぶつかっているようだ。数年後、現在の人気メンバーが軒並み卒業した後にAKBが人気を持続できているかどうかは若手メンバーの頑張りに掛かっている。だが、それだけではどうにもできない時代の流れもあるだけに、先行きは微妙といわざるを得ないようだ。<br />
<br />
[[Image:2014AKB握手会1.jpg|300px]] [[Image:2014AKB握手会2.jpg|300px]] [[Image:2014AKB握手会3.jpg|300px]]<br />
{{-}}<br />
==== 2015年====<br />
9月16日。じゃんけんで藤田那奈が優勝した<br />
<br />
11月21日。常総でライブした<br />
<br />
12月6日。ライブにOB軍団駆けつけた<br />
<br />
12月8日。生誕イベント開催された。同日のライバルのモーニング娘。15と違い非公開だった可能性がある<br />
<br />
====2016年====<br />
2月10日。ライブイベントした。しかし嵐のせいでスッキリしか放送されなかった<br />
<br />
6月19日、第8回選抜総選挙。指原莉乃が'''史上初'''の2連覇を果たす。<br />
<br />
== 活動方針 ==<br />
[[Image:AKB商法1.jpg|600px|thumb|[[AKB商法]]]]<br />
専用劇場(後述)で行われるコンサートは全て「'''公演'''」と銘打っており(「ライブ」「コンサート」と呼称されることはない)、2011年現在でもグループ活動の肝となっている。公演は全てオリジナル曲で行われ、オリジナル曲の数は2010年12月現在で380曲を越える。また、そのうちのほぼ全ての楽曲で総合プロデューサーの秋元康が作詞を担当(渡り廊下走り隊6thシングル「[[ギュッ]]」に収録される3曲は[[島田紳助|カシアス島田]]が、DiVA 1stシングル「[[月の裏側 (DiVAの曲)|月の裏側]]」に収録されている「インフォメーション」は[[小室哲哉]])が作詞している。秋元康は1回の公演につき1000曲以上のデモテープを集め、何日もかけてそれを聴きながら使用する曲を選んでいるという)。<br />
<br />
メンバー間及びメンバー以外とは恋愛禁止とされている(厳密には片想いはOKだが、両想いは厳禁とされる。ただ、恋愛相手がメンバー以外であり、片想いから両想いになった場合や、両想いであるが、当人同士がそのことに気づいていない場合などのルールは決まっていないため、形骸化されているものとされる)。メンバーには、特に初期に加入した者を中心に「AKB48は一つの通過点」という認識を持つ者が多く、全員が[[歌手]]を目指している訳ではなく、歌手・[[声優]]・[[ファッションデザイナー]]・[[俳優|女優]]など志望する職業まで様々である。ただし、AKB48が音楽番組等に出演、さらにメジャーデビューしたことにより、AKB48が「結構知ってる存在」になったため、特にメジャーデビュー直後の[[#第三期AKB48追加メンバーオーディション|第三期オーディション]]以降に加入したメンバーには、AKB48そのものが「大好きで入りたい」という者も多く、大島優子によれば、特に8期生以降の新加入メンバーにはその傾向が顕著となっている。5期生位までは[[モーニング娘。]]に憧れての加入者が多い。小嶋陽菜はAKB48よりもモー娘に入りたかったとショージキ将棋で言っており、指原・北原・柏木・宮澤が秋祭りで[[ミニモニ]]を披露した際も練習はしてなかったと言う。公式ブログのタイトルが示すように、[[東京ドーム]]でのコンサート開催を目標に置いている。当初は、メジャーデビューを目標にしていた。メンバーが着用する衣装のデザインは女子高生の制服をモチーフとした形と思われるがデザイナーの茅野しのぶが一手に担当しており、各楽曲のイメージに合わせてデザインした衣装に、各メンバーのキャラクターや体形に合わせ調整を加えるため、その総数は1000着を超える。2010年代に入り、楽曲「言い訳Maybe」の衣装に使用された赤チェック柄が女性の間で流行するなど、ファッション業界からも注目されるようになっている。なお、実際の製作作業には、[[京都造形芸術大学]]も協力している。<br />
<br />
=== グループ名の由来 ===<br />
グループ名の'''AKB'''の由来は、ホームグラウンドが位置する'''秋葉原'''(あきはばら、'''AK'''IHA'''B'''ARA)からであるとされる。当初募集告知をした際には、「'''秋葉原48プロジェクト'''」と銘打っており、[[NTTドコモ]]とのメンバー募集タイアップCMなどを始め、インディーズデビュー当時の各種メディアでは「'''Akihabara48'''」とされていたこともある。その後、グループ名は「AKB(エーケービー)48」に統一されたが、公式ブログのURLは2011年現在も「'''akihabara48'''」となっている。ただし、これは表向きであり、実際には「'''A'''ho'''K'''ichigai'''B'''aka'''48'''」が正式名称である。<br />
<br />
'''48'''の由来は、秋元康のイメージでは「あくまで商品番号で意味はない」と語っている。その名の通り、構成人数は総勢48人程度である(メンバーの加入・脱退などの都合により多少の変動はある)。初期の構想では1軍24人+2軍24人の計48人というものだった。AKB48劇場支配人の[[戸賀崎智信]]は、結成当初の所属事務所である[[office48]]の社長([[芝幸太郎]])の好きな数字が48であったため、50人程度のグループをつくるなら48人にしてくださいと言われたと述べている。<br />
<br />
=== AKB48劇場 ===<br />
[[AKB48劇場]]参照<br />
<br />
[[ドン・キホーテ (企業)|ドン・キホーテ]]秋葉原店の8階にある専用劇場「AKB48劇場」をホームグラウンドとして活動している。また、ドン・キホーテ秋葉原店の5階にはDVDやグッズを販売する「AKB48 SHOP」が開設されている。<br />
<br />
なお、2009年6月から10月まで[[シアターGロッソ]]([[東京ドームシティアトラクションズ]])をセカンドフランチャイズとして、不定期で公演を行っていた。2009年11月以降も公演を行う計画はあり、AKB48公式サイトにもシアターGロッソが案内されていたが、2011年10月のサイトリニューアルに伴い記述は消滅した。<br />
<br />
===ファンコミュニティ===<br />
[[Image:AKB487.jpg|400px|thumb|AKB48]]<br />
AKB48は専用劇場を設置して公演を行う方法でアイドルとファンの距離を縮めることに成功しているが、同時にこれはファン同士の結びつけを強めることにもなった。特に劇場前のロビーは見知らぬファン同士が知り合うきっかけとなる空間として機能している。オンライン上でも、[[mixi]]をはじめとする[[ソーシャル・ネットワーキング・サービス]]が台頭したことからそれらを利用して交流を深める動きが見られる。<br />
<br />
運営側は、ファンの意見を積極的に取り入れている。劇場が混雑していなかった頃はプロデューサーの秋元康が直接劇場でファンから意見を聞いていたこともあり、ヒットしてからもスタッフから間接的に伝えてもらっている。特に初期段階は運営スタッフ側に芸能関係の経験が少なかったため、チケットの販売・抽選や整列の具体的な方法などについてファンからアドバイスを受けていた。[[岩崎夏海]]がアシスタントプロデューサーをしていた頃は、彼がネットに強かったことから電子掲示板[[2ちゃんねる]]や[[ブログ]]に書き込まれた公演についてのファンの反応をまとめて秋元康に伝えていたという。<br />
<br />
また、公式ファンクラブ「柱の会」の運営を2006年8月22日より開始。しかし、1人複数口の会員登録が可能な会員登録制度や、これが起因となった公演チケットの[[インターネットオークション]]での転売などが問題となり、2011年9月30日をもって廃止。同年12月8日よりこれに代わる新たな公式ファンクラブ「二本柱の会」が発足した。<br />
<br />
=== 握手会 ===<br />
AKB48ではCD購入者を対象にした握手会を実施しており、ファンがメンバーと直接握手や会話ができる数少ない機会として「会いにいけるアイドル」のコンセプトを果たす役割を担っている。当初は機材の故障により中止になった劇場公演の代替として行われたが、その後シングルCDのタイトルを冠して定期的に実施されるようになった。劇場公演やテレビ番組とは異なり、メンバーは私服での参加が原則となっている。<br />
<br />
=== 日本国外への展開 ===<br />
2007年9月22日には初の日本国外での公演として、チームBが[[北京市|北京]]の中国芸術研究院で開催された「日中文化人懇談会2007」に参加。<br />
<br />
2009年には[[パリ]]、[[ニューヨーク]]、[[カンヌ]]で、2010年には[[ロサンゼルス]]、[[ソウル特別市|ソウル]]、[[シンガポール]]、[[モスクワ]]、[[マカオ]]などでライブを行った。<br />
<br />
2011年5月15日より、シンガポールで日本国外で初の定期公演を開始。<br />
<br />
2011年12月8日、Google+上での交流サービス「'''AKB48 on Google+'''」を開始。メンバーが書き込んだ記事は、英語、中国語、韓国語、タイ語、インドネシア語に自動翻訳されて配信される。<br />
<br />
;オフィシャルショップ <br />
* 中国・香港(2010年10月24日 - )<br />
* シンガポール(2011年5月14日 - )<br />
* 台湾(2011年7月23日 - )<br />
* 中国・上海(2011年11月22日 - )<br />
<br />
=== 姉妹プロジェクト ===<br />
[[Image:AKB488.jpg|400px|thumb|AKB48]]<br />
2008年夏には、[[名古屋市]]・[[栄 (名古屋市)|栄]]を拠点とする姉妹ユニット[[SKE48]]が、2009年夏には、AKB48劇場を本拠地とする第二のグループとして20歳以上のメンバーのみを集めた姉妹ユニット[[SDN48]]が、2010年秋には、[[大阪市]]・[[難波]]を拠点とする姉妹ユニット[[NMB48]]が、2011年秋には[[九州]]・[[福岡市]]を拠点とする姉妹ユニット[[HKT48]]がそれぞれ誕生している。なお、その他の都市でグループを作ることも構想段階として発表されており、その中で秋元康は[[札幌市]]に新たな姉妹ユニットを作ることを示唆している。また、日本国外でも2011年に[[インドネシア]]・[[ジャカルタ]]に[[JKT48]]が誕生。さらに[[台北市]]に[[TPE48]]を作る予定である。<br />
<br />
AKB48の知名度が上がり、イベントの規模が拡大するにつれて各種イベントでの姉妹ユニットとの共演も増加している。<br />
<br />
=== AKB48の定義 ===<br />
プロジェクトが拡大するにしたがって、おなじ「AKB48」という名称でもその意味は場合によって大きく異なる。主に以下の3つの意味で用いられることが多い。<br />
* チームA、チームK、チームB、チーム4とその研究生からなる秋葉原を拠点に活動するグループのみを指す最も狭義の用途。姉妹ユニットと併記されて用いられる場合が多い。<br />
* 上記のAKB48以外に姉妹ユニットであるSKE48やNMB48を含めて「AKB48」と呼ばれることがある。また、姉妹ユニットからAKB48の選抜メンバーに選ばれることもある。<br />
* AKB48以外にSDN48も含めた全ての姉妹ユニットの総称を指す最も広義の用途。<br />
<br />
=== 選抜総選挙 ===<br />
AKB48のニューシングルに参加するメンバーを選抜する選挙。[[2009年]]から始まった企画で、[[シングル]][[コンパクトディスク|CD]]の購入者や[[ファンクラブ]]会員等に投票資格が与えられ、AKB48・[[SKE48]]・[[NMB48]](第3回から)のメンバーとその研究生が投票対象となる。開票の結果、21位までに入った選抜メンバーと22位以下定数のアンダーガールズが選出され、対象シングルの楽曲を歌唱することができる。選抜メンバーのうち、12位までに入ったメンバーは特にメディア選抜と呼ばれ、さらに1位となったメンバーはその曲のセンターポジションを務めることができる。<br />
<br />
これまで実施された選抜総選挙は以下のとおり。<br />
<br />
* [[AKB48 13thシングル選抜総選挙「神様に誓ってガチです」]](2009年)<br />
* [[AKB48 17thシングル選抜総選挙「母さんに誓って、ガチです」]](2010年)<br />
* [[AKB48 22ndシングル選抜総選挙|AKB48 22ndシングル選抜総選挙「今年もガチです」]](2011年)<br />
<br />
=== 選抜じゃんけん大会 ===<br />
選抜総選挙に続いて創設されたメンバー選抜イベント。知名度や実績などを一切考慮せず、じゃんけんの結果のみで選抜メンバーが決定する。トーナメントを勝ち抜いた16人が選抜メンバーとなり、1位になったメンバーがセンターポジションを務めることができる。選抜総選挙と違い、アンダーガールズは選出されない。<br />
<br />
これまで実施された選抜じゃんけん大会は以下のとおり。<br />
<br />
* [[AKB48 19thシングル選抜じゃんけん大会]](2010年)<br />
* [[AKB48 24thシングル選抜じゃんけん大会]](2011年)<br />
<br />
== AKB柏木とサッカー扇原&杉本らの合コン会場は関東連合ビル(2013年2月) ==<br />
[[Image:AKB489.jpg|400px|thumb|AKB48]]<br />
[[AKB48]]の[[柏木由紀]](21歳)が、2013年2月7日発売の週刊誌「週刊文春」に、[[セレッソ大阪]]の選手や人気AV女優・[[明日花キララ]]との“朝まで合コン”を報じられている。 <br />
<br />
同誌に掲載された「AKB柏木由紀 Jリーガーとの『深夜合コン』撮った!」には、先週“[[EXILE]]の弟分”[[GENERATIONS]]の[[白濱亜嵐]](19歳)とのお泊まり愛が報じられ、丸刈り謝罪した[[峯岸みなみ]](20歳)も再び登場。合コンが行われたのは1月12日の深夜0時過ぎからで、柏木は峯岸の誘いで参加、その場にはセレッソ大阪の[[扇原貴宏]]選手(20歳)、[[杉本健勇]]選手(20歳)とほかに友人男性が1人、女性側は峯岸の友人と思われる女性と、峯岸と仲の良いAV女優の明日花キララ(24歳)が同席していた。<br />
<br />
会場は[[半グレ集団|関東連合]]が経営する、[[バルビゾンビル]]である。[[市川海老蔵]]殴打事件の舞台であり、またこのビルを経営する「バルビゾン27」の常務取締役は、「[[Office48]]」の取締役でもある[[伊藤健志]]である。<br />
<br />
合コンは店内に男女のはしゃぐ声が響き渡るほど盛り上がり、峯岸は午前3時過ぎに連れの女性と共に退店。残された柏木と明日花は男性陣と共に盛り上がり、午前7時半過ぎに上機嫌な表情で帰宅の途についた――複数の写真付きで伝えている。<br />
<br />
ちなみに、同誌は柏木本人にも直撃しているがリアクションはなく、所属事務所は店に行った事実は認めているものの「男性がいるとは事前に知らされていなかった」「明日花さんのことも知らなかった」と合コンを否定。峯岸の所属事務所も「合コンではありません。女性だけの食事会と聞いております」と否定したが、柏木サイドはJリーガーとの同席を認めているため、この点において双方の事務所の認識に違いがある。<br />
<br />
この報道の内容は、同誌の中吊り広告を撮影した写真が出回り始めた5日頃から、ネットで大騒動となっている。柏木がAKB48の中心メンバーの一人であることに加え、“恋愛禁止”のルールがあるAKB48において、過去に合コンが問題視されグループを脱退・解雇されたメンバーもいるためだ。ただし、同じビルで2012年9月にAKB48卒業直後の[[前田敦子]](21歳)と、[[大島優子]](24歳)、[[仲川遥香]](20歳)が、俳優の[[佐藤健]](23歳)らと合コンしていたことが報じられた際には、特に処分は下されていない。<br />
<br />
事態をややこしくしているのは、“清純派”のキャラクターとして人気を獲得してきた柏木が、これまで各所のインタビューで「恋愛よりも仕事」などと語ってきたこと。つい先日、2月2日に[[毎日新聞]]に掲載されたインタビューでも「(恋愛禁止は)中学3年生からグループに入っているので、それが当たり前だった」「恋愛があると、ファンの応援したいという気持ちがもしかしたら薄れちゃうかもしれない」「恋愛やプライベート、自由を捨ててもAKB48に夢を懸けているので、ファンにそういうところを応援してもらいたいです。みんなの意思を統一するためにも(恋愛禁止条例は)必要だと思います」と持論を披露していた。<br />
<br />
今回の合コンを報じた「週刊文春」発売日前日、6日には柏木がシングル「ショートケーキ」をリリースし、6年越しの夢のソロデビューを果たしている。そのため、一部では話題性を狙った“炎上商法”なのではないかとの見方もあるようだ。<br />
<br />
なお、6日までに運営サイドに動きはなく、柏木は7日に更新した公式ブログでもこの件には触れていない。<br />
<br />
=== 六本木暴行死事件で再び注目される「AKB48と関東連合の関係」 ===<br />
[[Image:AKB4810.jpg|400px|thumb|AKB48]]<br />
それだけでなく、関東連合によってAKBメンバーが接待合コンや乱交パーティーに駆り出されているというウワサもある。2011年6月に「週刊新潮」(新潮社)が、未成年メンバーの“飲酒&乱交疑惑”を報じたが、そのようなことは日常的に行われているという情報がある。<br />
<br />
「裏社会だけでなく表社会でも力を伸ばしている関東連合は、有力者に美人タレントやアイドルをあてがうことで成長してきた側面がある。高級ホテルの一室などで接待合コンが行われ、複数のAKBメンバーが参加してきた。AKB運営の実力者が手をつけていない有力メンバーは、ほとんどが接待要員に駆り出されています。収入の低い下位メンバーの中には、関東連合が仕切るパーティーに参加して小遣いを稼いでいる者もいる。接待に使われるだけでなく、関東連合メンバーの女となるメンバーもいるようだ」(実話誌編集者)<br />
<br />
=== Office48違法キャバクラのまとめ ===<br />
[[Image:AKB4811.jpg|350px|thumb|AKB48]]<br />
海老蔵事件の起きたバルビゾンビルのオーナーの息子が、Office48常務の伊藤健志である。バルビゾンは関東連合構成員が運営しているキャバクラなどがテナントとして入っており、事件後摘発もされている。<br />
:↓<br/> <br />
西麻布ブラックダイアモンドがOffice48の違法無許可キャバクラであり、AKBの研究生がバイトしてる。その他にも、店員がジャンキー・レイプまがいの行為・お持ち帰り自由だからやる気があれば儲かる、という書き込みがある。<br />
:↓<br/><br />
ブラックダイアモンドのNO1キャバ嬢、じゅりちやんのブログが見つかる。2009年11月9日のブログに、ブラックダイヤモンド→grasseeds(belta salone)移籍時に系列店と書いてあった。grasseedsはOffice48の子会社であると公式HPに出ており、Office48が風俗経営会社という明らかな証拠が見つかった。<br />
:↓<br/><br />
無許可営業・脱税などの疑いがあり、すでにあみなちやんの存在そのものがどうでも良くなる<br />
:↓<br/><br />
支配人戸賀崎が以前に六本木HANAKOというキャバクラで店長をしていたことが発覚<br />
:↓<br/><br />
系列店が見つかる。ショーパブには現在のAKBのような人気投票による選抜・アンダーの形式がすでに存在し、AKB商法の根源が見つかる。さらに「ポニーテール」・「Chou Chou」という店もあり、曲名自体が店の名前だった可能性が浮上。<br />
:↓<br/> <br />
2009年2月までは存在していた<br />
<br />
「週刊文春」 <br />
:「オフィス48」の芝幸太郎社長が過去に闇金や裏カジノ経営、パチンコの裏ロム販売などの違法ビジネスに手を染めていたと報道。AKB48の運営会社「AKS」の窪田康志社長の"野球賭博スキャンダル"をスクープしている。 <br />
<br />
「週刊新潮」 <br />
:複数のAKBメンバーとセックスしたという男性の証言などを基に、メンバーの"未成年飲酒&乱交疑惑"などを報じた。 <br />
<br />
「週刊朝日」 <br />
:「電話の主は"元"ヤクザ AKB48所属プロ社長の周辺取材中、本誌記者が受けた『口止め』電話」と題した記事を掲載。文春が報じた芝氏の"黒い過去"と関係の深い新情報を追って、芝氏の代理人弁護士に質問状を送ったところ、ある新聞社に務める元ヤクザの男性から「もう取材はやめてくれませんかね」と口止めを要求する電話があったという。 <br />
:「その新聞社は一般的な新聞とは違った思想色の強い業界紙ですが、暴力団とも関係が深いといわれています。しかし、今回の口止めは元暴力団員の記者が、ある人物に個人的に頼まれて動いたようです。経緯については情報が錯綜していますが、週刊朝日が国民的アイドルグループの関係者を取材中に、元暴力団員から取材をやめるよう圧力を掛けられたのは事実。巨額のカネが動くようになったAKBの周りには、闇の深い人物たちが群がっていますよ」(週刊誌記者)<br />
<br />
=== 芝幸太郎の経歴 ===<br />
[[Image:AKB4816.jpg|350px|thumb|AKB48]]<br />
[[Image:AKB4817.jpg|350px|thumb|AKB48]]<br />
* 1973年11月8日に[[高知県]][[幡多郡]][[十和村]]([[四万十町]])で生誕(父、母、姉3人) <br />
* 1980年 十和村立の小学校入学 <br />
* 1984年 父死去 <br />
* 1986年 十和村立の小学校卒業、十和村立の中学校入学 <br />
* 1989年 十和村立の中学校卒業、高知市立高知商業高校(高知県高知市)入学(下宿) <br />
* 1992年 営業志望で就職活動<br />
**高知市立[[高知商業高校]]卒業 <br />
**[[三菱電機]]高知工場(高知県[[香我美町]][現[[香南市]]])(現[[ルネサスエレクトロニクス]]高知事業所)入社 <br />
**同社を数か月で退社 <br />
**[[商工ファンド]](中小企業向けの商工ローン)(SFCG)高知支店入社 <br />
**数か月後に支店トップの営業成績達成 <br />
* 1995年 商工ファンド広島支店、山口支店、岡山支店の支店長に就任し全国トップ(最速記録)の営業成績達成 <br />
* 1998年 商工ファンド渋谷支店の支店長(最年少記録)に就任 <br />
* 1999年 商工ファンド退社後に六本木にエステティックサロン(レーザー脱毛)を開業 <br />
* 2002年 7月に同業他社の東京都港区芝にあるエステ店の経営者がレーザー脱毛の医師法違反行為で逮捕 <br />
**エステティックサロンを売却 <br />
**東京都港区六本木のビル内で裏ロム業と闇カジノ業を開業 <br />
**タトゥーファッションブーム到来 <br />
* 2003年 ベントレー アルナージ新車購入(3000万円前後) <br />
**30歳で年収1億円達成(トヨタ自動車の取締役クラス) <br />
**[[窪田康志]]との遭遇 <br />
* 2004年7月13日に株式会社オフィスフォーティエイト(office48)設立 <br />
* 2005年4月8日に株式会社デジタルマーケット(セカンドライフなどの3D映像制作)設立 <br />
**セカンドライフには電通とTBSなども開発参加<br />
**窪田康志と秋元康で食事会 <br />
**7月に秋葉原48プロジェクトの第1期生メンバーの募集開始 <br />
**オフィスフォーティエイト(office48)がマネジメント業務を受託 <br />
**12月8日にAKB48が秋葉原48劇場で初公演 <br />
* 2006年 1月に窪田康志(34歳)(窪田芳郎[父親])が出資した株式会社AKS設立 <br />
**1月22日の公演で[[篠田麻里子]](元福岡博多のキャバクラ従業員)がAKB48デビュー<br />
<br />
=== 「週刊新潮」「『人形遣い』の錬金術。時代の寵児『秋元康』 ===<br />
[[Image:AKB4818.jpg|350px|thumb|AKB48]]<br />
『AKB48の原点となった『振り込め詐欺』の金!」と題した記事を掲載し、これに対してoffice48が事実無根として法的措置を構ずる予定であることを発表した。<br />
<br />
office48はAKBの創始者の一人である芝幸太郎氏が代表を務める芸能プロダクションで、当初はメンバー全員が同社に所属し、いまも秋元才加らが所属している。同誌はAKBの創立当初の活動資金に芝氏の“黒いカネ”が使われていたと指摘し、彼のブラックな過去を告発している。<br />
<br />
記事によると、芝氏は地元・高知の高校を卒業した後に精密機械工場に就職するも2カ月で退社。その後、中小企業を相手に高利貸しをして社会問題となった「商工ファンド」に就職し、東京・渋谷の支店長に上り詰めた。独立を志した芝氏はエステサロン経営などを始め、やがて闇金融を営むようになった。<br />
<br />
それも最初に「信用確認のために3万円を5回に分けて振り込んでください」などと指示し、最終的に「支払いが遅れたので貸せません。でも、経費は掛かっているので振り込んだ金は返金しない」と振込金を騙し取っていたと記されている。もし事実ならば、「振り込め詐欺」をやっていたと言われても仕方がないかもしれない。<br />
<br />
さらに芝氏は[[パチンコ]]の裏ロム販売や[[パチスロ用]]の[[体感機]](イカサマ用の機械)の販売といった違法ビジネスにも手を出し、ついには闇カジノの経営にも乗り出したとされている。芝氏が経営していたとされる闇カジノ「C-1」に、のちにAKBの運営会社AKSの社長となる[[窪田康志]]氏が頻繁に出入りし、カジノつながりで二人は知り合ったという。ここに無類のギャンブル好きで知られる秋元康氏が合流し、AKBの構想が生まれることになった。<br />
<br />
2004年に芝氏がモデル事務所としてoffice48を立ちあげ、AKBのオーディション窓口としても使われたが、この「48」は「シバ」のコ゛ロ合わせである。一般的にAKB48の「48」はメンハ゛ー数などを表す数字だと認識されているが、これは秋元氏が直感でオフィス48から取ったものだ。まさに芝氏はAKBの誕生と切っても切れない存在といえる。<br />
<br />
秋元氏の証言によると、現在、芝氏はAKBの運営から手を引いているが、前述のように一部メンバーはoffice48の所属であり、AKB48劇場の支配人・[[戸賀崎智信]]氏は同社の取締役である。いまも芝氏はAKBと深い関係にあるのは疑いようのない事実だろう。<br />
<br />
AKBの活動資金に関しては、秋元氏が「アイデアは100%僕、お金ということでは100%窪田君」と証言しているが、赤字続きだったAKBプロジェクトに窪田氏が巨額の活動資金を投入するまでは、芝氏も相当の資金をつぎ込んでいたという。つまりは、AKBの原点に振り込め詐欺や裏カジノなどの違法ビジネスで稼いだ金が使われていると告発する記事内容だった。<br />
<br />
これに対して芝氏が同誌に抗議し、法的措置の構えを見せるというのは当然といえる。しかし、この芝氏の過去に関する内容は「週刊文春」が7月に報じた記事とほぼ同内容である。なぜ新潮にだけ抗議したのだろうか。<br />
<br />
「以前から運営側はAKB叩きが盛んな文春を抱きこもうと必死になっており、東京ドーム公演の公式ガイドブックを文藝春秋から出すなど、懐柔工作をしています。文春に対しては裏で懐柔を進めていくという目標があるため、関係をこじらせたくない。しかし、たまにしかAKBネタを扱わない新潮はノーマーク。そのため今回のような運営側のスキャンダル記事には、厳しい態度を見せたのでしょう」<br />
<br />
文春がAKBネタで売上を伸ばしているだけに、このまま新潮が追随することも考えられる。文春だけでも厄介なのに、新潮が本腰を入れればAKBの人気を揺るがすスクープをとられかねない。記事の真偽はさておき、AKB運営はこの二大週刊誌を両方とも抱き込まなければいけなくなるのかもしれない。<br />
<br />
== メンバー ==<br />
[[Image:AKB4819.jpg|350px|thumb|AKB48]]<br />
[[Image:AKB4820.jpg|350px|thumb|AKB48]]<br />
[[Image:AKB4821.jpg|350px|thumb|AKB48]]<br />
[[Image:AKB4822.jpg|350px|thumb|AKB48]]<br />
[[Image:AKB4823.jpg|350px|thumb|AKB48]]<br />
[[Image:AKB4824.jpg|350px|thumb|AKB48]]<br />
[[Image:AKB4825.jpg|350px|thumb|AKB48]]<br />
[[Image:AKB4826.jpg|350px|thumb|AKB48]]<br />
[[Image:AKB4827.jpg|350px|thumb|AKB48]]<br />
AKB48の正規メンバーは、原則「'''チームA'''」「'''チームK'''」「'''チームB'''」の3つのチームのうち、どれか一つに所属することとなっている。AKB48劇場での[[AKB48の劇場公演|劇場公演]]は、原則としてチーム単位で行われている。<br />
<br />
この他、正規メンバーではない「'''研究生'''」と呼ばれるメンバーがいる。研究生は、[[ダンサー|バックダンサー]]や正規メンバーのアンダーとして公演に出演するが、日によっては研究生が出演者の大半を占める場合もある。<br />
<br />
'''チーム分けについて'''<br />
<br />
各チームへの所属は、結成時からチームB発足までは、加入時期ごとに決められた。ただし、チームB発足前に大量の辞退者が出たため、チームAから3名異動して補填された。<br />
* '''旧チームA''':オープニングメンバーオーディション合格者(オリジナルメンバー)('''1期''')<br />
** ※[[篠田麻里子]]は追加加入のため'''1.5期'''とされるが、一部[[新聞]]や[[テレビ情報誌]]では'''1期'''と記載される場合がある。<br />
* '''旧チームK''':第2期追加メンバーオーディション合格者('''2期''')<br />
* '''旧チームB''':第3期追加メンバーオーディション合格者('''3期''')と、チームAからの異動者3名<br />
これ以降のオーディションでは、合格者はすべて研究生に所属し、その中から適宜正規メンバーへと昇格してA・K・Bの各チームに所属するようになった。<br />
* 研究生オーディション合格者:研究生1期='''4期'''・研究生2期='''5期'''・研究生3期='''6期'''、…<br />
※オーディションの詳細は、[[#オーディション|オーディション内容]]参照。<br />
<br />
'''2010年施行のチーム体制'''<br />
<br />
2009年8月の[[日本武道館]]公演(「AKB104選抜メンバー組閣祭り」)で、「新内閣の発足」が発表され、チームA・K・Bのメンバーの組み替えと、一部メンバーのSDN48への完全移籍、研究生の大量昇格が行われることになった。当初2009年10月からの予定だったが、度々延期され、2010年になって以下のスケジュールで実施された。<br />
* 2010年2月21日 - 旧チームK公演終了([[チームK 5th Stage「逆上がり」]]千秋楽)<br />
* 2010年3月12日 - 新チームK公演開始([[チームK 6th Stage「RESET」]]初日)<br />
* 2010年4月16日 - 旧チームB公演終了([[チームB 4th Stage「アイドルの夜明け」]]千秋楽)<br />
* 2010年5月21日 - 新チームB公演開始([[チームB 5th Stage「シアターの女神」]]初日)<br />
* 2010年5月27日 - 旧チームA公演終了([[チームA 5th Stage「恋愛禁止条例」]]千秋楽)<br />
* 2010年7月27日 - 新チームA公演開始([[チームA 6th Stage「目撃者」]]初日)<br />
<br />
約半年かけて段階的に実施したため、移行期間中は新旧両チームの公演に出演する者や、逆に長期間公演に出演できなかった者もいた。<br />
<br />
'''新公演体制とチーム4結成'''<br />
<br />
2009年頃からAKB48のメディア露出増加に伴い、正規メンバーの公演は少なくなり、研究生のみで行われる公演の比率が増える傾向にあった。また、数少なくなっていた正規メンバーの公演日でも、人気メンバーは休演(欠席)することが多くなっていた。その対策として、正規メンバーを従来の48人から増員して、公演に出られるメンバーと控えメンバーをその都度入れ替える計画案が浮上した。その準備段階として2010年12月8日に8名、2011年2月12日に1名がそれぞれ研究生から正規メンバーに昇格することが発表されたが、計画自体が進まなかったこともあり、所属チームについては同時に発表されなかったため、所属チーム決定までの間、暫定的に正規メンバーながら上記各チームのアンダー(不足・休演時の補充メンバー)として、またはチーム研究生公演を中心に出演するという状態だった。<br />
<br />
その後計画は変更され、2011年4月8日の公演から演目自体は変わらないものの、各演目名からチーム名を外し、従来のチームごとではなく出演できる者を研究生も含めてその都度組み替えることで、SDN48も含めた4つの公演をバランスよく実施することになった(従来のチーム研究生公演は消滅)。それまでは休演者の発表をしていたが、これ以後は研究生の名前も含めて出演者を発表することになり、16人のうち研究生が過半数だった場合は観覧料金を一律1000円値下げする割引公演とした(研究生公演と同じシステム)。ただし、チームの冠は取り払われたものの、完全なランダムではなく、各演目における従来の主体チームと研究生の合同チームのような形態で実施されている。同年6月6日には前述の所属未定メンバーによるチーム4の結成が発表された。<br />
<br />
2011年10月10日からは[[ひまわり組 1st Stage「僕の太陽」#AKB48 チーム4 1st Stage「僕の太陽」公演|チーム4 1st Stage「僕の太陽」公演]]が開始されたが、2012年3月31日をもってSDN48のメンバーが全員卒業したため、4チームによる4公演体制となっている。<br />
<br />
また、将来的にはチーム8を結成する予定であることが明言されていた<ref>{{Google+|113474433041552257864|秋元康}}2012年3月24日投稿分</ref>。<br />
<br />
'''2012年11月1日施行のチーム体制'''<br />
<br />
2012年8月24日に行われた[[東京ドーム]]公演「AKB48 in TOKYO DOME 〜1830mの夢〜」の初日において、チーム4を解体し、チームA・チームK・チームBの3チーム体制へと再編されることが発表された<ref name="official120824"/>。このチーム体制では各チーム16人制が廃止されたが、公演に出演するメンバーは毎回16名の選抜制となり、研究生による欠員補充も行われなくなった。<br />
<br />
2012年10月7日に[[岩手産業文化センター]]で開催された「『[[真夏のSounds good !]]』全国握手会イベント AKB48祭り powered by ネ申テレビ」において、4チーム体制での各公演の千秋楽と新チーム公演について、また2012年10月21日に公式ブログで新チーム公演初日の日程が発表された<ref>[http://ameblo.jp/akihabara48/entry-11373651917.html 新チーム体制発足] - AKB48オフィシャルブログ(2012年10月7日)2012年10月7日閲覧。</ref><ref>[http://ameblo.jp/akihabara48/entry-11384518591.html 新チーム体制 初日](2012年10月22日閲覧)</ref>。<br />
* 2012年10月22日 - 旧チームB公演終了([[チームB 5th Stage「シアターの女神」]]千秋楽)<br />
* 2012年10月24日 - 旧チームK公演終了([[チームK 6th Stage「RESET」]]千秋楽)<br />
* 2012年10月25日 - チーム4公演終了([[ひまわり組 1st Stage「僕の太陽」#AKB48 チーム4 1st Stage「僕の太陽」公演|チーム4 1st Stage「僕の太陽」]]千秋楽)<br />
* 2012年10月29日 - 旧チームA公演終了([[チームA 6th Stage「目撃者」]]千秋楽)<br />
* 2012年11月1日 - 新チームK公演開始(ウェイティング公演初日)<br />
* 2012年11月2日 - 新チームA公演開始(ウェイティング公演初日)<br />
* 2012年11月3日 - 新チームB公演開始(ウェイティング公演初日)<br />
<br />
2012年11月19日にはチームキャプテン制を採用して以後のチームA・チームK・チームBについて、それぞれの公式チーム呼称が発表された<ref>[http://ameblo.jp/akihabara48/entry-11407978493.html 「新チーム呼称に関して」] - AKB48オフィシャルブログ(2012年11月19日)</ref>。これにより、表中では在籍時期によって以下のように分類される。ただし、「初代」は公式な呼称ではなく便宜上の表現。<br />
* 初代チームA(2005年12月8日 - 2010年7月26日)<br />
* 初代チームK(2006年4月1日 - 2010年3月11日)<br />
* 初代チームB(2007年4月7日 - 2010年5月20日)<br />
* 秋元チームK(2010年3月12日 - 2012年10月31日)<br />
* 柏木チームB(2010年5月21日 - 2012年10月31日)<br />
* 高橋チームA(2010年7月27日 - 2012年10月31日)<br />
* チーム4(2011年6月6日 - 2012年10月31日)<br />
* 篠田チームA(2012年11月1日 - )<br />
* 大島チームK(2012年11月1日 - )<br />
* 梅田チームB(2012年11月1日 - )<br />
<br />
=== チームA ===<br />
; チームカラーは「{{Color|magenta|ピンク}}」<br />
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:small;"<br />
!名前||よみ||生年月日||加入期||所属事務所||昇格日||備考||style="white-space:nowrap"|総選挙<br/>最高<br/>順位<br />
|-<br />
|伊豆田莉奈||いずた りな||1995年11月26日||10期||AKS||2012年6月24日|| ||-<br />
|-<br />
|[[入山杏奈]]||いりやま あんな||1995年12月3日||10期||[[太田プロダクション]]||2011年7月23日||元チーム4||-<br />
|-<br />
|[[岩田華怜]]||いわた かれん||1998年5月13日||12期||AKS||2012年3月24日||元チーム4||-<br />
|-<br />
|大島涼花||おおしま りょうか||1998年10月21日||13期||AKS||2012年8月24日||正規メンバー最年少||-<br />
|-<br />
|[[河西智美]]||かさい ともみ||1991年11月16日||2期||[[ホリプロ]]||当初メンバー||元チームK(初代)<br/>元チームB(柏木)<br/>卒業予定(卒業日未定)||10位<br />
|-<br />
|[[川栄李奈]]||かわえい りな||1995年2月12日||11期||AKS||2012年3月24日||元チーム4||-<br />
|-<br />
|[[菊地あやか]]||きくち あやか||1993年6月30日||7期||[[プロダクション尾木]]||2010年3月12日||元3期生<br/>元チームB(初代)<br/>元チームK(秋元)<br/>本名・旧芸名:菊地彩香||51位<br />
|-<br />
|[[小谷里歩]]||こたに りほ||1994年8月24日||–||KYORAKU吉本.HLDGS.||-||NMB48チームNと兼任<br/>2012年11月1日兼任開始||-<br />
|-<br />
|小林茉里奈||こばやし まりな||1996年2月24日||10期||AKS||2012年6月24日|| ||-<br />
|-<br />
|[[佐藤すみれ]]||さとう すみれ||1993年11月20日||7期||ホリプロ||2010年5月21日||元チームB(柏木)||31位<br />
|-<br />
|'''[[篠田麻里子]]'''||'''しのだ まりこ'''||1986年3月11日||1.5期||[[サムデイ (芸能事務所)|サムデイ]]||当初メンバー||キャプテン<br/>AKB48最年長||3位<br />
|-<br />
|[[高橋朱里]]||たかはし じゅり||1997年10月3日||12期||AKS||2012年3月24日||元チーム4||-<br />
|-<br />
|[[高橋みなみ]]||たかはし みなみ||1991年4月8日||1期||プロダクション尾木||当初メンバー||48グループ総監督<br/>前チームAキャプテン||5位<br />
|-<br />
|田野優花||たの ゆうか||1997年3月7日||12期||AKS||2012年3月24日||元チーム4||45位<br />
|-<br />
|[[中塚智実]]||なかつか ともみ||1993年6月18日||5期||[[ドレスコード (芸能事務所)|ドレスコード]]||2009年1月29日||元チームB(初代)<br/>元チームK(秋元)||-<br />
|-<br />
|[[仲俣汐里]]||なかまた しおり||1992年7月25日||10期||[[ワタナベエンターテインメント]]||2011年2月12日||元チーム4||-<br />
|-<br />
|[[仁藤萌乃]]||にとう もえの||1992年7月22日||5期||ホリプロ||2008年8月5日||元チームB(初代)<br/>元チームK(秋元)||29位<br />
|-<br />
|[[松井咲子]]||まつい さきこ||1990年12月10日||7期||サムデイ||2010年3月12日||元チームK(秋元)||38位<br />
|-<br />
|森川彩香||もりかわ あやか||1996年3月24日||11期||AKS||2012年6月24日|| ||-<br />
|-<br />
|[[横山由依]]||よこやま ゆい||1992年12月8日||9期||太田プロダクション||2010年10月10日||NMB48チームNと兼任<br/>元チームK(秋元)||15位<br />
|-<br />
|[[渡辺麻友]]||わたなべ まゆ||1994年3月26日||3期||プロダクション尾木||当初メンバー||元チームB(初代・柏木)||2位<br />
|-<br />
|}<br />
<br />
=== チームK ===<br />
; チームカラーは「{{Color|green|グリーン}}」<br />
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:small;"<br />
!名前||よみ||生年月日||加入期||所属事務所||昇格日||備考||style="white-space:nowrap"|総選挙<br/>最高<br/>順位<br />
|-<br />
|[[秋元才加]]||あきもと さやか||1988年7月26日||2期||[[オフィスフォーティエイト|office48]]||当初メンバー||前チームKキャプテン||12位<br />
|-<br />
|[[阿部マリア]]||あべ マリア||1995年11月29日||10期||[[ジャパン・ミュージックエンターテインメント]]||2011年7月23日||元チーム4||-<br />
|-<br />
|[[板野友美]]||いたの ともみ||1991年7月3日||1期||ホリプロ||当初メンバー||元チームA(初代)||4位<br />
|-<br />
|[[内田眞由美]]||うちだ まゆみ||1993年12月27日||5期||[[Mousa]]||2010年3月12日|| ||-<br />
|-<br />
|'''[[大島優子]]'''||'''おおしま ゆうこ'''||1988年10月17日||2期||太田プロダクション||当初メンバー||キャプテン||1位<br />
|-<br />
|[[北原里英]]||きたはら りえ||1991年6月24日||5期||太田プロダクション||2008年7月30日||SKE48と兼任<br/>元チームA(初代)<br/>元チームB(柏木)||13位<br />
|-<br />
|[[倉持明日香]]||くらもち あすか||1989年9月11日||4期||ワタナベエンターテインメント||2008年3月4日||元チームA(高橋)||21位<br />
|-<br />
|[[小林香菜]]||こばやし かな||1991年5月17日||2期||office48||当初メンバー||元チームB(柏木)||41位<br />
|-<br />
|[[佐藤亜美菜]]||さとう あみな||1990年10月16日||4期||[[アトリエ・ダンカン]]||2008年4月15日||元チームA(初代)<br/>元チームB(柏木)||8位<br />
|-<br />
|[[島田晴香]]||しまだ はるか||1992年12月16日||9期||office48||2010年12月8日||元チーム4<br/>元チーム4キャプテン代行<ref>[http://ameblo.jp/akihabara48/entry-11044128284.html 「チーム4 キャプテン代行決定」] - AKB48オフィシャルブログ(2011年10月10日)</ref>||-<br />
|-<br />
|[[鈴木紫帆里]]||すずき しほり||1994年2月17日||11期||AKS||2011年5月21日||元7期生<br/>元チームB(柏木)||-<br />
|-<br />
|[[近野莉菜]]||ちかの りな||1993年4月23日||5期||[[イトーカンパニー]]|||2009年3月26日||元チームB(柏木)||-<br />
|-<br />
|[[永尾まりや]]||ながお まりや||1994年3月10日||9期||[[アービング (芸能プロダクション)|アービング]]||2010年12月8日||元チーム4||39位<br />
|-<br />
|[[中田ちさと]]||なかた ちさと||1990年10月8日||4期||Mousa||2008年10月19日||元チームA(初代・高橋)<br/>本名・旧芸名:中田千智||37位<br />
|-<br />
|[[仲谷明香]]||なかや さやか||1991年10月15日||3期||Mousa||当初メンバー||元チームB(初代)<br/>元チームA(高橋)||36位<br />
|-<br />
|藤田奈那||ふじた なな||1996年12月28日||10期||AKS||2012年6月24日|| ||-<br />
|-<br />
|[[前田亜美]]||まえだ あみ||1995年6月1日||7期||[[フロスツゥー]]||2010年7月27日||元チームA(高橋)||37位<br />
|-<br />
|[[松井珠理奈]]||まつい じゅりな||1997年3月8日||-||AKS||-||2012年3月24日からSKE48チームSと兼任||9位<br />
|-<br />
|[[松原夏海]]||まつばら なつみ||1990年6月19日||2期||プロダクション尾木||当初メンバー||元チームA(高橋)||30位<br />
|-<br />
|[[宮崎美穂]]||みやざき みほ||1993年7月30日||5期||ホリプロ||2008年7月13日||元チームA(初代)<br/>元チームB(柏木)||18位<br />
|-<br />
|武藤十夢||むとう とむ||1994年11月25日||12期||AKS||2012年8月24日|| ||49位<br />
|-<br />
|}<br />
<br />
=== チームB ===<br />
; チームカラーは「{{Color|#0066ff|ブルー}}」<br />
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:small;"<br />
!名前||よみ||生年月日||加入期||所属事務所||昇格日||備考||style="white-space:nowrap"|総選挙<br/>最高<br/>順位<br />
|-<br />
|[[石田安奈]]||いしだ あんな||1996年5月27日||-||AKS||-||SKE48チームKII<br>2012年11月1日から兼任||-<br />
|-<br />
|[[石田晴香]]||いしだ はるか||1993年12月2日||5期||ホリプロ||2010年5月21日|| ||27位<br />
|-<br />
|[[市川美織]]||いちかわ みおり||1994年2月12日||10期||プロダクション尾木||2011年5月29日||元チーム4||39位<br />
|-<br />
|[[岩佐美咲]]||いわさ みさき||1995年1月30日||7期||[[長良プロダクション]]||2010年7月27日||元チームA(高橋)||33位<br />
|-<br />
|'''[[梅田彩佳]]'''||'''うめだ あやか'''||1989年1月3日||2期||office48||当初メンバー||キャプテン<br/>元チームK(初代・秋元)||16位<br />
|-<br />
|[[大場美奈]]||おおば みな||1992年4月3日||9期||ジャパン・ミュージックエンターテインメント||2010年12月8日||元チーム4<br/>前チーム4キャプテン<br/>謹慎経験あり<ref>[http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20110903-OHT1T00036.htm AKB「チーム4」キャプテン・大場美奈が謹慎]</ref><ref>[http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20120105-885279.html 「大場美奈が涙の復帰&キャプテンに] nikkansports.com</ref><br />
||35位<br />
|-<br />
|[[大家志津香]]||おおや しづか||1991年12年28日||4期||ワタナベエンターテインメント||2010年7月27日||元チームA(高橋)||29位<br />
|-<br />
|[[柏木由紀]]||かしわぎ ゆき||1991年7月15日||3期||ワタナベエンターテインメント||当初メンバー||前チームBキャプテン||3位<br />
|-<br />
|[[片山陽加]]||かたやま はるか||1990年5月10日||3期||アトリエ・ダンカン||当初メンバー||元チームA(高橋)||28位<br />
|-<br />
|[[加藤玲奈 (AKB48)|加藤玲奈]]||かとう れな||1997年7月10日||10期||AKS||2012年3月24日||元チーム4||-<br />
|-<br />
|小嶋菜月||こじま なつき||1995年3月8日||11期||AKS||2012年6月24日|| ||-<br />
|-<br />
|[[小嶋陽菜]]||こじま はるな||1988年4月19日||1期||プロダクション尾木||当初メンバー||元チームA(初代・高橋)||6位<br />
|-<br />
|[[小森美果]]||こもり みか||1994年7月19日||7期||プロダクション尾木||2010年5月21日|| ||30位<br />
|-<br />
|[[島崎遥香]]||しまざき はるか||1994年3月30日||9期||[[ビッグアップル (港区)|ビッグアップル]]||2010年12月8日||元チーム4||23位<br />
|-<br />
|[[竹内美宥]]||たけうち みゆ||1996年1月12日||9期||[[オー・エンタープライズ]]||2010年12月8日||元チーム4||-<br />
|-<br />
|[[田名部生来]]||たなべ みく||1992年12月2日||3期||Mousa||当初メンバー||元チームK(秋元)||-<br />
|-<br />
|[[中村麻里子]]||なかむら まりこ||1993年12月16日||9期||[[新栄プロダクション|シンエイV]]||2010年12月8日||元チーム4||-<br />
|-<br />
|名取稚菜||なとり わかな||1995年6月7日||11期||AKS||2012年6月24日|| ||-<br />
|-<br />
|[[野中美郷]]||のなか みさと||1991年4月|20日||6期||プロダクション尾木||2010年3月12日||元チームK(秋元)||-<br />
|-<br />
|[[藤江れいな]]||ふじえ れいな||1994年2月1日||4期||イトーカンパニー||2008年3月26日||元チームA(初代)<br/>元チームK(秋元)||33位<br />
|-<br />
|[[峯岸みなみ]]||みねぎし みなみ||1992年11月15日||1期||プロダクション尾木||当初メンバー||元チームA(初代)<br/>元チームK(秋元)||14位<br />
|-<br />
|[[山内鈴蘭]]||やまうち すずらん||1994年12月8日||9期||ホリプロ||2010年12月8日||元チーム4||36位<br />
|-<br />
|[[渡辺美優紀]]||わたなべ みゆき||1993年9月19日||-||KYORAKU吉本.HLDGS.||-||NMB48チームN<br/>2012年3月24日から兼任||19位<br />
|-<br />
|}<br />
<br />
=== 海外移籍 ===<br />
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:small;"<br />
!名前||よみ||生年月日||加入期||所属事務所||昇格日||備考||style="white-space:nowrap"|総選挙<br/>最高<br/>順位<br />
|-<br />
!colspan=8|[[JKT48]]<br />
|-<br />
|[[高城亜樹]]||たかじょう あき||1991年10月3日||6期||ワタナベエンターテインメント||2008年12月29日||チームJ<br />元チームA(初代・高橋)||12位<br />
|-<br />
|[[仲川遥香]]||なかがわ はるか||1992年2月10日||3期||プロダクション尾木||初代メンバー||チームJ<br />元チームB(初代)<br/>元チームA(高橋)||20位<br />
|-<br />
!colspan=8|[[SNH48]]<br />
|-<br />
|[[鈴木まりや]]||すずき まりや||1991年4月29日||7期||ドレスコード||2010年5月21日||元チームB(柏木)||-<br />
|-<br />
|[[宮澤佐江]]||みやざわ さえ||1990年8月13日||2期||office48||-||元チームK(初代・秋元)||9位<br />
|}<br />
<br />
=== チーム研究生 ===<br />
; 正規メンバーではないためチームカラーは定められていないが、公式サイトに使用されているロゴは「{{Color|red|レッド}}」で表記されている。なお、チーム4結成以前は「{{Color|yellow|イエロー}}」が用いられる事が多かった。<br />
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:small;"<br />
!名前||よみ||生年月日||加入期||所属事務所||備考||style="white-space:nowrap"|総選挙<br/>最高順位<br />
|-<br />
|大森美優||おおもり みゆう||1998年9月3日||rowspan="3"|12期||rowspan="19"|AKS||父親は元プロ野球選手の[[大森剛]]||-<br />
|-<br />
|佐々木優佳里||ささき ゆかり||1995年8月28日||声を担当したため“実写版”江口愛実を演じた||-<br />
|-<br />
|平田梨奈||ひらた りな||1998年7月16日||[[帰国子女]]||-<br />
|-<br />
|[[江口愛実]]||えぐち あいみ||1995年2月11日<ref group="注">設定上の生年月日</ref>||12.5期||CG合成によるバーチャルアイドル||-<br />
|-<br />
|相笠萌||あいがさ もえ||1998年4月6日||rowspan="9"|13期|| ||-<br />
|-<br />
|岩立沙穂||いわたて さほ||1994年10月4日||||-<br />
|-<br />
|梅田綾乃||うめた あやの||1999年3月20日||||-<br />
|-<br />
|岡田彩花||おかだ あやか||1998年11月16日|| ||-<br />
|-<br />
|北澤早紀||きたざわ さき||1997年6月5日|| ||-<br />
|-<br />
|篠崎彩奈||しのざき あやな||1996年1月8日|| ||-<br />
|-<br />
|高島祐利奈||たかしま ゆりな||1997年5月24日|| ||-<br />
|-<br />
|[[村山彩希]]||むらやま ゆいり||1997年6月15日|| ||-<br />
|-<br />
|茂木忍||もぎ しのぶ||1997年2月16日|| ||-<br />
|-<br />
|内山奈月||うちやま なつき||1995年9月25日||rowspan="6"|14期|| ||-<br />
|-<br />
|岡田奈々||おかだ なな||1997年11月7日|| ||-<br />
|-<br />
|小嶋真子||こじま まこ||1997年5月30日|| ||-<br />
|-<br />
|西野未姫||にしの みき||1999年4月4日||||-<br />
|-<br />
|橋本耀||はしもと ひかり||1997年6月17日|| ||-<br />
|-<br />
|前田美月||まえだ みつき||1998年10月5日|| ||-<br />
|-<br />
|}<br />
<br />
=== 元メンバー ===<br />
==== 元正規メンバー ====<br />
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:small;"<br />
|-<br />
!名前<!--卒業時の芸名を表記、本名・現芸名などは備考欄へ-->||よみ||生年月日||加入期||最終在籍日||最終</br>所属||現所属事務所||備考||style="white-space:nowrap"|総選挙<br/>最高順位<br />
|-<br />
|[[宇佐美友紀]]||うさみ ゆき||1984年12月6日||1期||2006年3月31日||A||業務提携:[[バスプ]]|| ||rowspan="21"| <br />
|-<br />
|[[上村彩子]]||うえむら あやこ||1986年2月7日||2期||2006年6月17日||K||[[オフィス ワタナベ]]||脱退<br />
|-<br />
|[[折井あゆみ]]||おりい あゆみ||1985年7月20日||1期||2007年1月25日||A||office48||<br />
|-<br />
|高田彩奈||たかだ あやな||1988年7月21日||2期||rowspan="2"|2007年6月22日||K|| - ||妹は[[高田志織]](SKE48)<br />
|-<br />
|今井優||いまい ゆう||1985年4月17日||2期||K|| - ||元[[オルスタエンタテインメント|ヴァーサタイルエンタテインメント]]所属<br />
|-<br />
|[[Michiru|星野みちる]]||ほしの みちる||1985年11月19日||1期||2007年6月26日||A|| - ||旧芸名:Michiru<br/>元[http://artist-relations.co.jp/index.html Artist Ralations]所属<br />
|-<br />
|[[渡辺志穂|渡邊志穂]]||わたなべ しほ||1987年10月25日||1期||2007年10月2日||B||[[プラチナムプロダクション]]||元チームA(初代途中)<br>現芸名:渡辺志穂<br />
|-<br />
|[[増山加弥乃]]||ますやま かやの||1994年2月10日||1期||2007年11月30日||A|| - ||元[[パーフィットプロダクション]]所属<br />
|-<br />
|井上奈瑠||いのうえ なる||1991年12月18日||3期||2008年9月29日||B|| - ||<br />
|-<br />
|[[大江朝美]]||おおえ ともみ||1989年6月15日||1期||rowspan="5"|2008年11月23日||A|| - ||元[[ニューゲートプロダクション]]所属<br />
|-<br />
|[[駒谷仁美]]||こまたに ひとみ||1988年12月16日||1期||A||[[サンミュージックブレーン]]||後にSDN48に加入<br />
|-<br />
|[[戸島花]]||とじま はな||1988年7月11日||1期||A||ドレスコード||後にSDN48に加入<br />
|-<br />
|[[中西里菜]]||なかにし りな||1988年6月26日||1期||A||業務提携:[http://mint-pro.jp/ MINT]||元[[BELLTECH]]所属<br/>現芸名:[[やまぐちりこ]]、実妹は[[やまぐちりく]]<br />
|-<br />
|[[成田梨紗]]||なりた りさ||1991年3月1日||1期||A||[http://www.zan.co.jp/index.html オフィス斬]||<br />
|-<br />
|野口玲菜||のぐち れいな||1993年4月15日||3期||rowspan="2"|2009年2月1日||B|| - ||<br />
|-<br />
|松岡由紀||まつおか ゆき||1987年10月7日||3期||B|| - ||元オフィス斬所属<br />
|-<br />
|[[川崎希]]||かわさき のぞみ||1987年8月23日||1期||2009年2月27日||A||[[スカイコーポレーション (芸能事務所)|スカイコーポレーション]]||株式会社ANTI MINSS代表取締役<br />
|-<br />
|早乙女美樹||さおとめ みき||1991年6月22日||3期||2009年4月18日||研||[[アーティストボックス]]<!--本人Twitterより-->||元チームB(初代途中)<br>2009年1月25日降格<ref>[http://ameblo.jp/akihabara48/entry-10197984209.html 「お知らせ」] - AKB48オフィシャルブログ(2009年1月25日)</ref><ref group="注">2012年現在、正規メンバーから研究生への唯一の降格メンバー。</ref><br />
|-<br />
|[[大島麻衣]]||おおしま まい||1987年9月11日||1期||rowspan="2"|2009年4月26日||A||ホリプロ||<br />
|-<br />
|早野薫||はやの かおる||1992年12月12日||2期||K||[[センスアップ]]||2012年7月から、早乃香織の別名で歌手活動<ref group="注">読みは同じ。歌手活動以外では従来通り早野薫名義で活動。</ref><br />
|-<br />
|[[成瀬理沙]]||なるせ りさ||1993年8月13日||4期||2009年5月24日||K||[[エムズファクトリー]]<br/>業務提携:[http://verus-entertainment.com/ バースエンターテインメント]||[[なないろファンタジー]]のメンバー<br/>(グループでの活動は休止中)<br />
|-<br />
|[[佐伯美香 (AKB48)|佐伯美香]]||さえき みか||1989年10月29日||4期||2009年8月23日||B||-|| ||-<br />
|-<br />
|[[大堀恵]]||おおほり めぐみ||1983年8月25日||2期||rowspan="2"|2010年2月21日||K||ホリプロ||SDN48へ移籍(1期生)<br/>旧芸名:松嶋めぐみ・大堀めしべ||24位<br />
|-<br />
|[[野呂佳代]]||のろ かよ||1983年10月28日||2期||K||太田プロダクション||SDN48へ移籍<br/>旧芸名:朝倉佳代||-<br />
|-<br />
|[[浦野一美]]||うらの かずみ||1985年10月23日||1期||rowspan="2"|2010年4月16日||B||プロダクション尾木||元チームA(初代途中)<br/>SDN48へ移籍<br/>SDN48解散、及び平嶋の脱退により[[渡り廊下走り隊7]]に暫定加入||17位<br />
|-<br />
|[[小原春香]]||こはら はるか||1988年4月12日||5期||B||[http://www.magnify.co.jp/ マグニファイ]||SDN48へ移籍||-<br />
|-<br />
|[[佐藤由加理]]||さとう ゆかり||1988年11月22日||1期||2010年5月27日||A|| - ||元[[アーティストハウス・ピラミッド]]所属<br/>SDN48へ移籍||15位<br />
|-<br />
|[[小野恵令奈]]||おの えれな||1993年11月26日||2期||2010年9月27日||K||[[レプロエンタテインメント]]||||11位<br />
|-<br />
|[[奥真奈美]]||おく まなみ||1995年11月22日||2期||2011年6月19日||B|| - ||元チームK<br/>元office48所属||-<br />
|-<br />
|[[森杏奈]]||もり あんな||1994年3月21日||9期||2011年9月2日||4||-|| ||-<br />
|-<br />
|[[平嶋夏海]]||ひらじま なつみ||1992年5月28日||1期||rowspan="2"|2012年2月5日||B||プロダクション尾木||元チームA(初代途中)||26位<br />
|-<br />
|[[米沢瑠美]]||よねざわ るみ||1991年6月6日}||3期||K||[[エムズエンタープライズ]]||元チームB(初代)||22位<br />
|-<br />
|[[指原莉乃]]||さしはら りの||1992年11月21日||5期||2012年6月16日||A||太田プロダクション||元チームB(初代)<br/>HKT48チームHへ移籍||4位<br />
|-<br />
|[[前田敦子]]||まえだ あつこ||1991年7月10日||1期||2012年8月27日||A||太田プロダクション||AKB48初の、正式卒業メンバー<br />
||1位|<br />
|-<br />
|[[光宗薫]]||みつむね かおる||1993年4月26日||13期||2012年10月24日||<ref group="注">2012年11月1日に施行された第3期チーム体制でチームKに所属する予定だった。</ref>||-||2012年8月24日に昇格<ref name="official120824"/>||-<br />
|-<br />
|[[多田愛佳]]||おおた あいか||1994年12月8日||3期||2012年10月31日||A||プロダクション尾木||元チームB(初代)<br/>HKT48[[HKT48#チームH|チームH]]へ移籍||20位<br />
|-<br />
|[[佐藤夏希]]||さとう なつき||1990年7月1日||2期||2012年11月30日||A||-||元ワタナベエンターテインメント所属<br />元チームK(初代)<br/>元チームB(柏木)||-<br />
|-<br />
|[[増田有華]]||ますだ ゆか||1991年8月3日||2期||2012年12月17日||K||office48||元チームB(柏木)||20位<br />
|}<br />
<br />
==== 元研究生(卒業) ====<br />
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:small;"<br />
|-<br />
!名前<!--卒業時の芸名を表記、本名・現芸名などは備考欄へ。卒業後の改名も備考へ。-->||よみ||加入<br/>時期||卒業日時||現所属事務所||備考<br />
|-<br />
|style="width:6em"|[[出口陽]]||でぐち あき||4期||2007年11月26日||AKS||現SKE48チームS<br />
|-<br />
|[[中西優香]]||なかにし ゆうか||4期||2008年8月26日||AKS||現SKE48チームS<br />
|-<br />
|有馬優茄||ありま ゆか||5期||rowspan="4"|2009年1月19日|| - ||<br />
|-<br />
|[[鈴木菜絵]]||すずき なえ||4期||[http://www.lm-arts.net/ LIFE MUSIC ARTS CORPORATION]||<br />
|-<br />
|冨田麻友||とみた まゆ||5期|| - ||元[[ジョリー・ロジャー (企業)|Jolly Roger]]所属<br />
|-<br />
|畑山亜梨紗||はたやま ありさ||5期|| - ||<br />
|-<br />
|瓜屋茜||うりや あかね||4期||2009年4月26日||[[ビーマス]]||<br />
|-<br />
|上遠野瑞穂||かとおの みずほ||7期||2009年6月9日||[http://arcjewel.com/ Arc Jewel]||現芸名:愛迫みゆ<br />
|-<br />
|浅居円||あさい まどか||8期||rowspan="10"|2009年12月4日||[[エヌアンドエスプロモーション|N&S PROMOTION]]||<br />
|-<br />
|石井彩夏||いしい あやか||8期|| - ||<br />
|-<br />
|石部郁||いしべ あや||8期|| - ||<br />
|-<br />
|郭グレース||かく グレース||8期|| - ||<br />
|-<br />
|小水七海||こみず ななみ||8期|| - ||<br />
|-<br />
|坂本莉央||さかもと りお||8期||[http://yell.mymp.jp/ Yell]||<br />
|-<br />
|杉山未来||すぎやま みく||8期|| - ||<!--非公式ブログ流出(事実上解雇) 卒業扱い--><br />
|-<br />
|冨手麻妙||とみて あみ||8期||[http://www.abcagency.net/ ABC abcagency]||<br />
|-<br />
|三木にこる||みき にこる||8期||[http://www.office-cotton.com/ オフィスコットン]<br/>業務提携:[http://www.casamia-entertainment.jp/ltd.html カザミアエンターテイメント]||<br />
|-<br />
|村中聡美||むらなか さとみ||4→8期|| - ||<br />
|-<br />
|石黒貴己||いしぐろ あつき||9期||rowspan="3"|2010年6月20日|| - ||旧芸名:石黒アツキ<br/>第2回総選挙40位<br />
|-<br />
|絹本桃子||きぬもと ももこ||9期|| - ||<br />
|-<br />
|藤本紗羅||ふじもと さら||4→9期|| - ||<br />
|-<br />
|岩崎仁美||いわさき ひとみ||10期||rowspan="2"|2010年10月5日|| - ||<br />
|-<br />
|佐野友里子||さの ゆりこ||8期|| - ||<br />
|-<br />
|}<br />
<br />
==== 元研究生(辞退)・候補生 ====<br />
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:small;"<br />
|-<br />
!名前<!--辞退時の芸名を表記、本名・現芸名などは備考欄へ。卒業後の改名も備考へ。-->||よみ||加入<br>時期||辞退日時||現所属事務所||備考<br />
|-<br />
|磯怜奈||いそ れいな||3期候補||rowspan="5"|2006年12月19日|| - ||<br />
|-<br />
|大塚亜季||おおつか あき||3期候補|| - ||<br />
|-<br />
|坂田涼||さかた りょう||3期候補|| - ||<br />
|-<br />
|藤島マリアチカ||ふじしま マリアチカ||3期候補||[[ポセイドンエンタテインメント]]<br/>[http://www.easthouse.co.jp/ EAST HOUSE]||現芸名:マリアチカ<br/>[[プレアデスマリー]]のメンバー<br />
|-<br />
|堀江聖夏||ほりえ みな||3期候補|| - ||旧芸名:聖夏<br />
|-<br />
|飯沼友里奈||いいぬま ゆりな||4期||rowspan="5"|2007年11月15日以前|| - ||<br />
|-<br />
|金子智美||かねこ さとみ||4期||(フリーランス)||現芸名:金子さとみ<br/>元オフィス斬所属<br />
|-<br />
|小塚里菜||こづか りな||4期|| - ||<br />
|-<br />
|吉岡沙葵||よしおか さき||4期|| - ||<br />
|-<br />
|渡辺茉莉絵||わたなべ まりえ||4期||[http://dokumocafe.jp/ DCM]||元[http://www.pcmusic.jp/ ポニーキャニオンミュージック]所属 WES出身<br />
|-<br />
|山田みずき||やまだ みずき||5期||2007年12月8日以前|| - ||元[[AKBN0]]<br />
|-<br />
|西澤沙羅||にしざわ さら||6期||2008年7月31日|| - ||<!--横浜美少女図鑑掲載経験あり--><br />
|-<br />
|片野友里恵||かたの ゆりえ||6期||2008年8月31日|| - ||本名:片野友理恵<br/>元[[アヴィラ (芸能プロダクション)|アヴィラ]]所属<!--自身のブログより--><br />
|-<br />
|石黒莉美||いしぐろ れみ||7期||2009年1月16日付|| - ||本名:前田莉美<!--自身のブログより--><br />
|-<br />
|小松瑞希||こまつ みずき||8期||2009年7月14日付|| - ||<br />
|-<br />
|林彩乃||はやし あやの||7期||2009年7月18日付||[[プラチナム・パスポート]]||現芸名:林あやの<br />
|-<br />
|西川七海||にしかわ ななみ||8期||2009年7月25日付|| - ||解雇<br/>現在Popteeenの読者モデル<br />
|-<br />
|伊藤彩夏||いとう あやか||9期||2010年1月6日付|| - ||旧芸名:南亜弥伽<br />
|-<br />
|今井悠理枝||いまい ゆりえ||8期||2010年2月1日付|| - ||<br />
|-<br />
|高松恵理||たかまつ えり||9期||2010年6月20日付|| - ||[[高松あい]]は従姉<br />
|-<br />
|植木あさ香||うえき あさか||8期||2010年7月6日付|| - ||<br />
|-<br />
|豊田早姫||とよだ さき||11期||2010年10月23日付||[http://www.spiral.vc/ スパイラル・エンタテインメント]||<br />
|-<br />
|岡﨑ちなみ||おかざき ちなみ||11期||2010年10月27日付||[http://www.spiral.vc/ スパイラル・エンタテインメント]||<br />
|-<br />
|川上麻里奈||かわかみ まりな||11期||2010年12月3日付||[http://www.spiral.vc/ スパイラル・エンタテインメント]||<br />
|-<br />
|金沢有希||かなざわ ゆうき||10期||2011年2月20日付|| - ||<br />
|-<br />
|牛窪紗良||うしくぼ さら||11期||rowspan="2"|2011年6月19日付|| - ||<br />
|-<br />
|山口菜有||やまぐち なう||11期|| - ||<br />
|-<br />
|}<br />
<br />
=== チーム以外での活動 ===<br />
大人数グループのため、CDをリリースする際には'''選抜メンバー'''が召集される。この他にも企画に合わせたユニットやAKB48の活動とは独立したユニットを結成して活動することがある。<br />
<br />
[[AKB48のグループ構成]]参照<br />
<br />
=== 所属事務所 ===<br />
結成当初はメンバー全員が[[office48]]に所属していたが、マネージメントや露出展開の強化を図るために、また卒業後も芸能活動が出来るように、2007年から大島麻衣・板野友美・河西智美がホリプロに移籍したのをきっかけに一部メンバーがほかの芸能事務所へ移籍することが発表された。<br />
<br />
また、一部のメンバーを除いて、office48からAKSに所属変更がなされた。これ以降は、新たに研究生として加入したメンバーも、最初はAKSに所属するようになり、他の事務所からのオファーがあったメンバーが移籍するようになった。なお、office48に残ったメンバーは移籍組として扱われている。グループ自体がAKSに所属しているため、移籍組メンバーもAKB48としての公演や活動を行う場合はAKSの管轄となる。<br />
<br />
2010年3月25日のコンサート『AKB48 満席祭り希望 賛否両論』にて、その時点での8期と9期の研究生を除いた全てのメンバーが芸能事務所に所属したことがアナウンスされた。その後、9期生以降のメンバーは、全員が昇格後もAKS所属である。<br />
<br />
== ディスコグラフィー ==<br />
[[AKB48の関連作品|AKB48関連の楽曲一覧]]参照<br />
<br />
== タイアップ ==<br />
<div class="NavFrame"><br />
<div class="NavHead" style="text-align: center"> </div><br />
<div class="NavContent" style="text-align: center"><br />
{| class="wikitable"<br />
|- style="background:#e5e5e5;"<br />
! 楽曲<br />
! タイアップ<br />
! 収録作品<br />
|-<br />
|'''桜の花びらたち'''<br />
|[[TBSテレビ|TBS]]系深夜ドラマ『[[ですよねぇ。]]』主題歌<br/>CM:[[NTTドコモ|NTTDoCoMo]]『[[テレビ電話]]』<br />
|rowspan="2"|インディーズ1stシングル「[[桜の花びらたち]]」<br />
|-<br />
|'''Dear my teacher'''<br />
|テレビ朝日系『[[三竹占い]]』エンディング・テーマ<br />
|-<br />
|'''スカート、ひらり'''<br />
|『お台場学園2006 〜文化祭〜』テーマソング<br />
|rowspan="2"|インディーズ2ndシングル「[[スカート、ひらり]]」<br />
|-<br />
|'''青空のそばにいて'''<br />
|テレビ朝日系『三竹占い』エンディング・テーマ<br />
|-<br />
|'''会いたかった'''<br />
|TBS『[[ランク王国]]』テーマソング<br/>[[MBSテレビ|毎日放送]]『[[ベリータ]]』エンディング・テーマ<br/>[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]『[[AKB1じ59ふん!]]』・『[[AKB0じ59ふん!]]』・『[[AKBINGO!]]』オープニング・テーマ<br/>CM:[[エイチ・アイ・エス|H.I.S.]]『H.I.S×AKB48』「2011初夢フェア篇」<br />
|1stシングル「[[会いたかった]]」<br />
|-<br />
|'''制服が邪魔をする'''<br />
|テレビ朝日系『[[三竹天狗]]』エンディング・テーマ<br />
|rowspan="2"|2ndシングル「[[制服が邪魔をする]]」<br />
|-<br />
|'''Virgin love'''<br />
|[[テレビ東京]]系『[[ファイテンション☆デパート]]』オープニング・テーマ<br />
|-<br />
|'''投げキッスで撃ち落せ!'''<br />
|テレビ東京系『ファイテンション☆デパート』エンディング・テーマ<br />
|『[[チームA 3rd Stage「誰かのために」|チームA 3rd「誰かのために」公演アルバム]]』<br />
|-<br />
|'''軽蔑していた愛情'''<br />
|テレビ朝日系『[[すくいず!]]』エンディング・テーマ<br />
|3rdシングル「[[軽蔑していた愛情]]」<br />
|-<br />
|'''BINGO!'''<br />
|テレビ東京系『[[ファイテンション☆スクール]]』オープニング・テーマ<br />
|4thシングル「[[BINGO!]]」<br />
|-<br />
|'''僕の太陽'''<br />
|[[テレビ愛知]]・テレビ東京系アニメ『[[デルトラ・クエスト]]』オープニング・テーマ<br />
|rowspan="2"|5thシングル「[[僕の太陽]]」<br />
|-<br />
|'''未来の果実'''<br />
|[[九州朝日放送]]『水と緑のキャンペーン』テーマソング<br />
|-<br />
|'''夕陽を見ているか?'''<br />
|毎日放送・TBS系『[[ランキンの楽園]]』エンディング・テーマ<br/>CM:[[厚生労働省]]『2007年ユニバーサル技能五輪国際大会』<br/>TBS系『[[アッコにおまかせ!]]』エンディング・テーマ<br />
|6thシングル「[[夕陽を見ているか?]]」<br />
|-<br />
|'''ロマンス、イラネ'''<br />
|TBS系『アッコにおまかせ!』エンディング・テーマ<br />
|rowspan="2"|7thシングル「[[ロマンス、イラネ]]」<br />
|-<br />
|'''愛の毛布'''<br />
|CM:TBS『TOKYO FANTASIA 2007』<br />
|-<br />
|'''桜の花びらたち2008'''<br />
|TBS系『[[あらびき団]]』エンディング・テーマ<br />
|rowspan="2"|8thシングル「[[桜の花びらたち#桜の花びらたち2008|桜の花びらたち2008]]」<br />
|-<br />
|'''最後の制服'''<br />
|日本テレビ系『[[横浜国際女子駅伝|第26回横浜国際女子駅伝]]』大会イメージソング<br />
|-<br />
|'''Baby! Baby! Baby!'''<br />
|TBS系『アッコにおまかせ!』エンディング・テーマ<br/>CS『[[AKB48ネ申テレビ]]』・『AKB48ネ申テレビSpecial』オープニング・テーマ<br />
|9th配信限定シングル「[[Baby! Baby! Baby!]]」<br />
|-<br />
|'''大声ダイヤモンド'''<br />
|テレビ東京系[[ドラマ24]]『[[メン☆ドル 〜イケメンアイドル〜]]』エンディング・テーマ<br/>TBS系『アッコにおまかせ!』エンディング・テーマ<br/>日本テレビ系『[[AKB600sec.]]』オープニング・テーマ<br />
|10thシングル「[[大声ダイヤモンド]]」<br />
|-<br />
|'''10年桜'''<br />
|CM:『[[デジタルメディアマート|DMM.com]]』<br/> [[フジテレビジョン|フジテレビ]]系『第30回記念まつえレディースハーフマラソン』イメージソング<br/>[[中京テレビ放送|中京テレビ]]『[[SAKAE TA☆RO]]』3月度エンディング・テーマ<br />
|11thシングル「[[10年桜]]」<br />
|-<br />
|'''涙サプライズ!'''<br />
|CM:[[読売新聞]]『読売新聞×AKB48』「もっと、伝えたい。創刊135周年 読売新聞」<br/>[[読売ジャイアンツ|読売巨人軍]]創立75周年応援ソング<br/>[[日本BS放送|BS11]]『[[伊集院光のしんばんぐみ]]』6月度エンディング・テーマ<br/>CS『AKB48ネ申テレビ Season 2』オープニング・テーマ<br />
|rowspan="2"|12thシングル「[[涙サプライズ!]]」<br />
|-<br />
|'''FIRST LOVE'''<br />
|[[ルイ・ヴィトン]]製作短編アニメ『SUPERFLAT FIRST LOVE』イメージソング<br />
|-<br />
|'''言い訳Maybe'''<br />
|TBS系『アッコにおまかせ!』エンディング・テーマ<br/>BS11『伊集院光のしんばんぐみ』8月・9月度エンディング・テーマ<br />
|13thシングル「[[言い訳Maybe]]」<br />
|-<br />
|'''RIVER'''<br />
|CS『AKB48ネ申テレビ Season 3』・『AKB48ネ申テレビスペシャル2009』オープニング・テーマ<br/>映画『[[告白 (湊かなえ)|告白]]』挿入歌<br />
|rowspan="2"|14thシングル「[[RIVER (AKB48の曲)|RIVER]]」<br />
|-<br />
|'''君のことが好きだから'''<br />
|CM:[[タカラトミー]]『[[闘真伝]]』<br/>エンタ!371『[[AKB1/48]]』オープニング・テーマ<br />
|-<br />
|'''桜の栞'''<br />
|テレビ東京系ドラマ24『[[マジすか学園]]』主題歌<br/>テレビ東京系『週刊AKB』エンディング・テーマ<br/>[[仙台放送]]『[[あらあらかしこ]]』2月度エンディング・テーマ<br/>CM:[[レコチョク]]「レコチョクの部屋 AKB48編」<br/>CM:[[AOKIホールディングス|AOKI]]『AOKI×AKB48』「フレッシャーズ48コーデ 新生活篇・初めてのスーツ篇」<br/>CS『AKB48ネ申テレビスペシャル「冬の国から2010」』オープニング・テーマ<br />
|rowspan="2"|15thシングル「[[桜の栞]]」<br />
|-<br />
|'''マジスカロックンロール'''<br />
|テレビ東京系[[ドラマ24]]『マジすか学園』オープニング・テーマ<br />
|-<br />
|'''自分らしさ'''<br />
|CM:[[家庭教師のトライ|トライ式高等学院]]「ダンスレッスン篇」「大阪城ホール篇」「自宅篇」<br />
|rowspan="2"|2ndアルバム『[[神曲たち]]』<br />
|-<br />
|'''君と虹と太陽と'''<br />
|テレビ東京系『週刊AKB』エンディング・テーマ<br/>CS『AKB48ネ申テレビスペシャル〜チーム対抗! 春のボウリング大会〜』オープニング・テーマ<br />
|-<br />
|'''僕のYELL<br/>世界卓球ver.'''<br />
|テレビ東京系『[[第50回世界卓球選手権団体戦|世界卓球2010・世界卓球関連番組]]』テーマソング<br />
|未収録(原曲は16thシングル<br/>「[[ポニーテールとシュシュ]]」通常盤Aに収録)<br />
|-<br />
|'''ポニーテールとシュシュ'''<br />
|日本テレビ『[[なるほど!ハイスクール]]』エンディング・テーマ<br/>フジテレビ系『クイズ!ドレミファドン!!〜芸能人最強イントロ王決定戦〜』エンディング・テーマ<br/>CM:[[イトーヨーカ堂]]『イトーヨーカドー2010 Summer Collection』「恋水着篇」「恋ゆかた篇」<br/>CS『AKB48ネ申テレビ Season 4』前期オープニング・テーマ<br />
|rowspan="2"|16thシングル「ポニーテールとシュシュ」<br />
|-<br />
|'''僕のYELL'''<br />
|[[千葉テレビ放送|チバテレビ]]『高校野球ダイジェスト』挿入歌<br/>日本テレビ系『[[はじめてのおつかい (テレビ番組)|はじめてのおつかい'10夏]]』挿入歌<br />
|-<br />
|'''ヘビーローテーション'''<br />
|CM:[[味覚糖|UHA味覚糖]]『ぷっちょ×AKB48』「AKB48ちょ」<br/>CS『AKB48ネ申テレビ Season 4』後期・『AKB48ネ申テレビスペシャル〜オーストラリア修学旅行〜』オープニング・テーマ<br />
|rowspan="4"|17thシングル「[[ヘビーローテーション (曲)|ヘビーローテーション]]」<br />
|-<br />
|'''涙のシーソーゲーム'''<br />
|日本テレビ『[[AKB600sec.]]』エンディング・テーマ<br />
|-<br />
|'''野菜シスターズ'''<br />
|CM:[[カゴメ]]『野菜一日これ一本』「これイチ/残業篇」「これイチ/部長篇」<br />
|-<br />
|'''ラッキーセブン'''<br />
|CM:[[セブン-イレブン]]『セブン-イレブンフェア×AKB48』「おにぎり篇」「パン篇」<br />
|-<br />
|'''彼女になれますか?'''<br />
|CM:イトーヨーカ堂『イトーヨーカドー BODY HEATER』「ハグ篇」<br />
|『[[チームK 6th Stage「RESET」|チームK 6th Stage「RESET」公演アルバム]]』<br />
|-<br />
|'''あなたがいてくれたから'''<br />
|映画:『TSUNAMI-ツナミ-』超日本語吹替版主題歌<br />
|『[[SET LIST〜グレイテストソングス〜完全盤]]』<br />
|-<br />
|'''ぐ〜ぐ〜おなか'''<br />
|CM:[[農林水産省]]『めざましごはん』「セリフのリレー篇」<br />
|未収録(オリジナル曲)<br />
|-<br />
|'''Beginner'''<br />
|CM:[[ぷらら|NTTぷらら]]『AKB48×ひかりTV』「トーク篇」「ダンス篇」「うた篇」「夢篇」「持ち歌篇」<br/>CS『AKB48ネ申テレビ Season 5』オープニング・テーマ<br/>日本テレビ『なるほどハイスクール』エンディング・テーマ<br />
|18thシングル「[[Beginner]]」<br />
|-<br />
|'''チャンスの順番'''<br />
|[[バンダイナムコゲームス]]『[[AKB1/48 アイドルと恋したら…]]』テーマソング<br/>CS『AKB48ネ申テレビスペシャル〜汗と涙のスポ根祭り〜』・『AKB48ネ申テレビスペシャル〜プロジェクトAKB in マカオ〜』オープニング・テーマ<br />
|rowspan="3"|19thシングル「[[チャンスの順番]]」<br />
|-<br />
|'''予約したクリスマス'''<br />
|CM:セブン-イレブン『セブン-イレブン×AKB48』「クリスマスケーキ篇」<br />
|-<br />
|'''胡桃とダイアローグ'''<br />
|CM:[[日本ヒューレット・パッカード|日本HP]]『HP冬コレクション feat. AKB48』「冬コレ篇」<br/>CM:日本HP『HP春コレクション feat. AKB48』「春コレ キャンパスデビュー篇」「春コレ オフィスデビュー篇」<br />
|-<br />
|'''桜の木になろう'''<br />
|AKB48×日本テレビ 9夜連続スペシャルドラマ『[[桜からの手紙 〜AKB48 それぞれの卒業物語〜]]』主題歌<br/>CM:[[Serend|セレンド]]『AKB48×同級生SNSのセレンド』「つながれ母校選手権」<br/>CM:UHA味覚糖『ぷっちょ×AKB48』「卒業式篇A」「卒業式篇B」「卒業式篇C」<br/>CS『AKB48ネ申テレビスペシャル〜もぎたて研究生 in グアム〜』オープニング・テーマ<br />
|rowspan="2"|20thシングル「[[桜の木になろう]]」<br />
|-<br />
|'''偶然の十字路'''<br />
|CM:自転車協会「[[自転車協会認証|BAAマーク]]」<br />
|-<br />
|'''恋のお縄'''<br />
|rowspan="3"|CM:[[京楽産業.|KYOURAKU]]『CRびっくりぱちんこ 銭形平次 with チームZ』<br />
|rowspan="3"|パチンコ景品限定シングル「恋のお縄」<br />
|-<br />
|'''会いたかった お江戸ver.'''<br />
|-<br />
|'''私の彼氏は銭形平次'''<br />
|-<br />
|'''初恋は実らない'''<br />
|[[NHK教育テレビジョン|NHK教育テレビ]]『[[おじゃる丸|おじゃる丸 第14シリーズ]]』エンディング・テーマ<br />
|おじゃる丸シスターズ1stシングル「初恋は実らない」<br />
|-<br />
|'''Everyday、カチューシャ'''<br />
|[[東宝]]配給映画:『[[もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら]]』主題歌<br/>CM:UHA味覚糖『ぷっちょ×AKB48』「海辺A篇」「海辺B篇」<br/>CM:[[アサヒ飲料]]「[[WONDA]]」『AKB48×WONDA』「映画もしドラ応援篇」<br/>CM:[[家庭教師のトライ]]『家庭教師のトライ×AKB48』<br/>CS『AKB48ネ申テレビ Season 6』テーマ・ソング<br />
|rowspan="4"|21stシングル「[[Everyday、カチューシャ]]」<br />
|-<br />
|'''これからWonderland'''<br />
|CM:[[アサヒ飲料]]「WONDA」『AKB48×WONDA ワンダフルルーレットキャンペーン』「朝のあいさつ篇」「ディーラー篇」<br />
|-<br />
|'''ヤンキーソウル'''<br />
|テレビ東京系ドラマ24『[[マジすか学園|マジすか学園2]]』オープニング・テーマ<br />
|-<br />
|'''人の力'''<br />
|CM:H.I.S.『H.I.S×AKB48』「旅はあなたを元気にする!キャンペーン篇」<br />
|-<br />
|'''少女たちよ'''<br />
|映画:『[[DOCUMENTARY of AKB48 to be continued 10年後、少女たちは今の自分に何を思うのだろう?]]』主題歌<br />
|rowspan="4"|3rdアルバム「[[ここにいたこと]]」<br />
|-<br />
|'''Overtake'''<br />
|テレビ東京系『<!--[[第51回世界卓球選手権個人戦|-->世界卓球2011・世界卓球関連番組<!--]]-->』テーマソング<br/>CM:H.I.S.『H.I.S×AKB48』「旅はあなたを元気にする!キャンペーン篇」<br />
|-<br />
|'''僕にできること'''<br />
|CM:[[日本赤十字社]]『2011年赤十字運動月間』<br />
|-<br />
|'''ここにいたこと'''<br />
|CS『AKB48ネ申テレビ スペシャル〜新しい自分にアニョハセヨ韓国海兵隊〜』テーマ・ソング<br />
|-<br />
|'''フライングゲット'''<br />
|フジテレビ系[[ドラマチック・サンデー]]『[[花ざかりの君たちへ#テレビドラマ『花ざかりの君たちへ〜イケメン☆パラダイス〜』 |花ざかりの君たちへ〜イケメン☆パラダイス〜2011]]』主題歌<br/>CS『AKB48ネ申テレビ Season7』テーマ・ソング<br/>ひかりTV『[[AKB48コント「びみょ〜」]]』エンディングテーマ(2011年9月-11月)<br/>CM:[[ピーチ・ジョン]]『ハートブラ』<br/>CM:[[アパマンショップネットワーク]]『アパマン48キャンペーン』<br/>CM:ぷらら『ひかりTV by NTTぷらら』<br />
|rowspan=5|22ndシングル「[[フライングゲット (曲)|フライングゲット]]」<br />
|-<br />
|'''抱きしめちゃいけない'''<br />
|CM:[[エイチ・アイ・エス]]『H.I.S×AKB48』「スーパーサマーセール第2弾篇」<br/>[[バンダイナムコゲームス]]『[[AKB1/48 アイドルとグアムで恋したら…]]』テーマ・ソング<br />
|-<br />
|'''青春と気づかないまま'''<br />
|テレビ東京系ドラマ24『マジすか学園2』エンディング・テーマ<br/>CM:[[グルーポン]]『GROUPON x AKB48 SKE48 NMB48』「教えて地元48篇」<br />
|-<br />
|'''アイスのくちづけ'''<br />
|CM:[[江崎グリコ]]『[[アイスの実]]』<br />
|-<br />
|'''野菜占い'''<br />
|CM:カゴメ『野菜一日これ一本』「男性篇」「女性篇」<br />
|-<br />
|'''風は吹いている'''<br />
|CM:[[GREE]]『AKB48ソーシャルゲーム』<br/>CM:ヒーローズ『[[月刊ヒーローズ]]』創刊キャンペーン<br/>CM:バンダイナムコゲームス『[[太鼓の達人|太鼓の達人 Wii 決定版]]』<br/>CS『AKB48ネ申テレビ スペシャル〜オーストラリアの秘宝を探せ!〜』テーマ・ソング<br/>CS『AKB48ネ申テレビ Season 8』テーマ・ソング<br />
|rowspan=3|23rdシングル「[[風は吹いている]]」<br />
|-<br />
|'''君の背中'''<br />
|CM:UHA味覚糖『[[ぷっちょ]]×AKB48』「じゃんけん選抜決定篇」<br />
|-<br />
|'''蕾たち'''<br />
|CM:[[インターネットサービスプロバイダ]]&[[ファンクラブ]]「AKB OFFICIAL NET」<br />
|-<br />
|'''上からマリコ'''<br />
|ひかりTV『[[AKB48コント「びみょ〜」]]』エンディング・テーマ(2011年12月-)<br/>CM:UHA味覚糖『[[ぷっちょ]]×AKB48「上からマリコ」』「ノーマル篇」「グー篇」「チョキ篇」「パー篇」<br/>CM:[[ぷらら]]『[[ひかりTV]]×AKB48』「タクシー運転手編」「サディスティック女医編」「エリマキトカゲ編」「ひょっとこキャディー編」<br />
|rowspan=4|24thシングル「[[上からマリコ]]」<br />
|-<br />
|'''ノエルの夜'''<br />
|CM:セブン-イレブン『AKB48 クリスマス』「ケーキ篇」「オードブル篇」<br/>CM:[[セブン&アイ・ホールディングス|セブン&アイ]]『AKB48「クリスマス ドアを開けたら」』「恋人篇」「友達篇」「家族篇」<br />
|-<br />
|'''隣人は傷つかない'''<br />
|CM:日本HP『日本HP SUPPORT ANGELS NEXT starring AKB48』<br />
|-<br />
|'''呼び捨てファンタジー'''<br />
|CM:家庭教師のトライ『「語りかけるAKB48 100日前」篇』<br />
|-<br />
|'''大事な時間'''<br />
|CM:アサヒ飲料『WONDA 金の微糖』「かがやく歌声篇」<br />
|未収録<br />
|-<br />
|'''GIVE ME FIVE!'''<br />
|CM:[[アパマンショップネットワーク|アパマンショップ]]『アパマン48キャンペーン』<br/>CM:[[NTTドコモ]]『応援学割「6年前の私〈応援〉」篇』<br />
6年前の私〈ライブ〉篇」「朗報篇」<br>CM:[[はるやま商事]]『フレッシャーズキャンペーン「2012フレッシャーズ編」』<br>ファミリー劇場『AKB48ネ申テレビ Season 9』テーマ・ソング<br />
|rowspan=3|25thシングル「[[GIVE ME FIVE!]]」<br />
|-<br />
!スイート&ビター<br />
|CM:セブン&アイ『バレンタインフェア』<br />
|-<br />
!NEW SHIP<br />
|CM:家庭教師のトライ『家庭教師のトライ×AKB48』「新年度生募集2012 篇」<br>CM:[[内閣府]]『あなたもゲートキーパー宣言!』<br />
|-<br />
!真夏のSounds good !<br />
|CM:NTTdocomo『応援学割「それぞれの、はじめる」篇』<br>CM:はるやま商事『男前クールビスキャンペーン』「男前クールビズ篇」<br>フジテレビ系『[[AKB自動車部]]』オープニング・テーマ<br>ファミリー劇場『[[AKB48ネ申テレビ#SP版|AKB48 ネ申テレビスペシャル]]〜ニュージーランドで見た幻の宇宙〜』オープニング・テーマ<br>ファミリー劇場『AKB48ネ申テレビ Season 10』テーマ・ソング<br />
|rowspan=4|26thシングル「[[真夏のSounds good !]]」<br />
|-<br />
!ちょうだい、ダーリン!<br />
|CM:UHA味覚糖『ぷっちょ×AKB48』「リレー篇A」「リレー篇B」<br />
|-<br />
!ぐぐたすの空<br />
|CM:[[Google]]『[[Samsung Galaxy|Galaxy Nexus]]:[[Google+]] AKB48 ぐぐたす選抜編』<br>[[NOTTV]]『[[AKB48のあんた、誰?]]』エンディング・テーマ<br />
|-<br />
!君のために僕は…<br />
|CM:GREE『[[AKB48ステージファイター]]』<br />
|-<br />
!ファースト・ラビット<br />
|映画:『[[DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on 少女たちは傷つきながら、夢を見る]]』主題歌<br />
|rowspan=6|4thアルバム『[[1830m]]』<br />
|-<br />
!恋愛総選挙<br />
|バンダイナムコゲームス『AKB 1/149 恋愛総選挙』テーマ・ソング<br />
|-<br />
!大事な時間<br />
|CM:アサヒ飲料『WONDA 金の微糖』「かがやく歌声編」<br />
|-<br />
!ぐ〜ぐ〜おなか<br />
|CM:[[農林水産省]]『めざましごはん』「セリフのリレー篇」<br />
|-<br />
!やさしさの地図<br />
|CM:日本赤十字社『赤十字を知ってほしい。もっと。』<br />
|-<br />
!行ってらっしゃい<br />
|CM:アサヒ飲料『WONDA モーニングショット』「メッセージ編」<br />
|-<br />
!ギンガムチェック<br />
|CM:アパマンショップネットワーク『アパマン48キャンペーン』<br>CM:ひかりTV『[[びみょ〜な扉 AKB48のガチチャレ]]』<br>CM:UHA味覚糖『ぷっちょ×AKB48』「ぷっちょで歌のお姉さん篇」<br>ファミリー劇場『AKB48ネ申テレビ Season 11』テーマ・ソング<br />
|rowspan=4|27thシングル「[[ギンガムチェック]]」<br />
|-<br />
!ドレミファ音痴<br />
|CM:[[JOYSOUND]]『なぜAKB48が女医さん?編』<br />
|-<br />
!なんてボヘミアン<br />
|CM:[[セブンネットショッピング]]『AKB48 UNDER GIRLS 写真集』<br />
|-<br />
!Show fight!<br />
|CM:日本HP『HP Ultrabook Campaign feat. AKB48』「HPデカ薄ウルトラ編」<br>CM:アサヒ飲料『WONDA 日本全国じゃんけん大会』「記者会見編」<br />
|-<br />
!UZA<br />
|CM:アサヒ飲料『WONDA モーニングショット』「朝の会議編」<br>CM:はるやま商事『男前スマートスーツキャンペーン』「男前スマート篇」<br>CM:[[角川ゲームス]]『AKB48+Me』<br>NOTTV『AKB48のあんた、誰?』オープニング・テーマ<br />
|rowspan=4|28thシングル「[[UZA (曲)|UZA]]」<br />
|-<br />
!孤独な星空<br />
|CM:アサヒ飲料『WONDA 金の微糖』「メール編」<br />
|-<br />
!次のSeason<br />
|CM:GREE『AKB48ステージファイター』<br />
|-<br />
!正義の味方じゃないヒーロー<br />
|CM:[[バンダイナムコゲームス]]『AKB 1/149 恋愛総選挙』<br />
|-<br />
!永遠プレッシャー<br />
|CM:UHA味覚糖『ぷっちょ×AKB48』<br>CM:[[2012年東京都知事選挙]]<br>CM:バンダイナムコゲームス『AKB 1/149 恋愛総選挙』<br>CM:ひかりTV『びみょ〜な扉 AKB48のガチチャレ』<br />
|rowspan=2|29thシングル「[[永遠プレッシャー]]」<br />
|-<br />
!とっておきクリスマス<br />
|CM:セブン-イレブン『AKB48 クリスマス』<br />
|-<br />
!So long !<br />
|CM:NTTdocomo『応援学割』「[[ドコモダケ|AKBダケ]]になりました 篇」「初めての告白を応援 篇」<br/>AKB48×日本テレビ 3夜連続スペシャルドラマ『[[So long ! (テレビドラマ)|So long !]]』主題歌<br/>CM:一般社団法人 自転車協会『BAA「つくる」篇』<br />
|rowspan=4|30thシングル「[[So long !]]」<br />
|-<br />
!Waiting room<br />
|CM:[[ユーキャン]]『AKBチャレンジユーキャン!』「WEBアテンション1 篇」<br />
|-<br />
!そこで犬のうんち踏んじゃうかね?<br />
|CM:[[コーエーテクモゲームス]]『[[AKB48の野望]]』<br />
|-<br />
![[Sugar Rush]]<br />
|映画:『[[シュガー・ラッシュ]]』挿入歌<ref>日本版「シュガー・ラッシュ サウンドトラック」</ref><br />
|-<br />
!さよならクロール<br />
|CM:江崎グリコ [[パピコ|PaPiCO]] 「相性診断パピコ」篇、「ホントにパピコを半分こ」篇<br />
|rowspan=2|31stシングル「[[さよならクロール]]」<br />
|-<br />
!ロマンス拳銃<br />
|CM:[[常盤薬品工業]]『眠眠打破×[[芹那]]』「この濃さ、ホンモノ 篇」<br />
|-<br />
!恋するフォーチュンクッキー<br />
|フジテレビ『[[お台場合衆国|楽しくなければお台場じゃない!冒険しなけりゃ夏じゃない! お台場合衆国2013]]』テーマソング<br/>フジテレビ系『[[WONDA×AKB48 ショートストーリー「フォーチュンクッキー」]]』主題歌<br/>CM:ひかりTV『[[AKB48コント「何もそこまで…」]]』<br/>CM:GREE『AKB48ステージファイター』「第3回センター争奪バトル篇」<br/>CM:JOYSOUND『AKB48公式カラオケJOYSOUND f1』<br/>CM:[[任天堂]]『[[JUST DANCE Wii U]]』<br />
|rowspan=3|32ndシングル「[[恋するフォーチュンクッキー]]」<br />
|-<br />
!愛の意味を考えてみた<br />
|CM:日本赤十字社『JOIN!〈防災ボランティア・病院ボランティア・救急法の講習〉篇』<br />
|-<br />
!青空カフェ<br />
|CM:[[スカパー!]]『「思い出せる君たちへ」〜AKB48グループ全公演〜』<br/>CM:[[大江戸温泉物語]]『温泉で、ニッポンに元気を。〈湯船・浴衣〉物語篇』<br />
|-<br />
!ハート・エレキ<br />
|CM:ひかりTV『AKB48グループドラフト会議』<br />
|rowspan=2|33rdシングル「[[ハート・エレキ]]」<br />
|-<br />
!君だけにChu!Chu!Chu!<br />
|フジテレビ系ドラマ『[[女子高警察]]』主題歌(File 1-File 8)<br />
|-<br />
!鈴懸の木の道で<br/>「君の微笑みを夢に見る」と言ってしまったら<br/>僕たちの関係はどう変わってしまうのか、<br/>僕なりに何日か考えた上での<br/>やや気恥ずかしい結論のようなもの<br />
|CM:アサヒ飲料『WONDA×AKB48 キャンペーン』「ワンダ限定! スペシャルイベント AKB48非売品ライブご招待!〈WONDAの先に〉編」<br/>CM:ひかりTV『AKB48コント「何もそこまで…」』<br/>CM:[[カルチュア・コンビニエンス・クラブ]]『TSUTAYA30周年 冬の生誕大感謝祭〈TSUTAYAだけ・TSUTAYAは30歳〉篇』<br/>フジテレビ系列(関西テレビ制作)『開局55周年記念ドラマ・鈴懸の木の道で<br/>「君の微笑みを夢に見る」と言ってしまったら<br/>僕たちの関係はどう変わってしまうのか、<br/>僕なりに何日か考えた上での<br/>やや気恥ずかしい結論のようなもの』主題歌<br />
|rowspan=2|34thシングル「[[鈴懸の木の道で「君の微笑みを夢に見る」と言ってしまったら僕たちの関係はどう変わってしまうのか、僕なりに何日か考えた上でのやや気恥ずかしい結論のようなもの|鈴懸の木の道で<br/>「君の微笑みを夢に見る」と言ってしまったら<br/>僕たちの関係はどう変わってしまうのか、<br/>僕なりに何日か考えた上での<br/>やや気恥ずかしい結論のようなもの]]」<br />
|-<br />
!選んでレインボー<br />
|フジテレビ系ドラマ『女子高警察』主題歌(File 9-17)<br />
|-<br />
!ぽんこつブルース<br />
|テレビ東京系ドラマ24『[[マジすか学園3]]』オープニング・テーマ<br />
|rowspan=6|5thアルバム『[[次の足跡]]』<br />
|-<br />
!動機<br />
|テレビ東京系ドラマ24『マジすか学園3』エンディング・テーマ<br />
|-<br />
!After rain<br />
|映画:『[[DOCUMENTARY of AKB48 No flower without rain 少女たちは涙の後に何を見る?]]』主題歌<br />
|-<br />
!スマイル神隠し<br />
|CM:大江戸温泉物語『温泉で、ニッポンに元気を。〈夕食・宿泊〉物語篇』<br />
|-<br />
!僕は頑張る<br />
|CM:ユーキャン『AKBチャレンジユーキャン! 2014』「取りやすい資格 篇」<br />
|-<br />
!チーム坂<br />
|CM:スカパー!『第3回 AKB48 紅白対抗歌合戦』<br />
|-<br />
!前しか向かねえ<br />
|CM:[[ディップ]]『バイトル×AKB48』「卒業編」<br>CM:GREE『AKB48ステージファイター』「頂上決戦篇」「結果わかる篇」「結果わからない篇」<br />
|35thシングル「[[前しか向かねえ]]」<br />
|-<br />
!トビタテ!フォーチュンクッキー<br />
|CM:[[文部科学省]]『トビタテ! 留学JAPANキャンペーン』「AKB48アカペラ篇」<br />
|rowspan=2|未収録(原曲は32ndシングル<br>「恋するフォーチュンクッキー」に収録)<br />
|-<br />
!恋する充電プリウス〜恋するフォーチュン・クッキー2〜<br />
|CM:[[トヨタ自動車]]『[[トヨタ・プリウス ZVW30|プリウスPHV]]』「郵便配達の妹篇」<br />
|-<br />
!ラブラドール・レトリバー<br />
|CM:[[花王]]『[[ニュービーズ|フレグランスニュービーズ]]』「AKBは知らなかった篇」<br>CM:ディップ『バイトル』「バイトの探し方篇」<br>CM:ストラテジーアンドパートナーズ『AKB48 ついに公式音ゲーでました。』<br />
|rowspan=2|36thシングル「[[ラブラドール・レトリバー (曲)|ラブラドール・レトリバー]]」<br />
|-<br />
!愛しきライバル<br />
|CM:スカパー!『AKB48 37thシングル 選抜総選挙 完全生中継』<br />
|-<br />
!心のプラカード<br />
|CM:ディップ『バイトル』「神7 スペシャルライブ告知篇」「ご当地グルメのバイト SKE48・NMB48・HKT48篇」「神7 バイトAKB募集告知篇」<br>CM:[[GMOインターネット]] [[お名前.com]]×AKB48「東京のドメイン誕生。『.tokyo』」<br>CM:GREE『AKB48ステージファイター』「一緒に踊ろう篇」<br />
|rowspan=5|37thシングル「[[心のプラカード]]」<br />
|-<br />
!誰かが投げたボール<br />
|CM:日本赤十字社『JOIN!〈学生ボランティア・防災ボランティア・病院ボランティア・救急法の講習〉篇』<br />
|-<br />
!チューインガムの味がなくなるまで<br />
|CM:スカパー!『第5回AKB48じゃんけん大会 完全生中継』<br />
|-<br />
!セーラーゾンビ<br />
|テレビ東京系ドラマ『[[セーラーゾンビ]]』エンディング・テーマ<br />
|-<br />
!教えてMommy<br />
|CM:江崎グリコ PaPiCO 「パピコ大人AKB48登場篇」「パピコ大人AKB48卒業篇」<br />
|-<br />
!バイトルローテーション<br />
|CM:ディップ『バイトル』「バイトルローテーション篇」<br />
|未収録(原曲は17thシングル<br>「ヘビーローテーション」に収録)<br />
|-<br />
!希望的リフレイン<br />
|CM:アサヒ飲料『WONDA ワンダフルあみだくじキャンペーン』「あみだくじ編」<br>CM:[[アルペン (企業)|アルペン]] [[スポーツDEPO]] ウィンター<br>CM:トークアプリ『[[755]]』<br>CM:スカパー!『AKB48グループ 夏祭り』<br>CM:[[三菱電機|三菱]]パッケージエアコン『PFHV-EP224・280VCM-E1』<br />
|rowspan=3|38thシングル「[[希望的リフレイン]]」<br />
|-<br />
!歌いたい<br />
|CM:[[菓匠三全]]『[[萩の月]]』「仙台篇」<br />
|-<br />
!制服の羽根<br />
|AKB48 Team 8 supported by TOYOTA イメージソング<br />
|-<br />
!愛の存在<br />
|映画:『[[DOCUMENTARY of AKB48 The time has come 少女たちは、今、その背中に何を想う?]]』主題歌<br />
|rowspan=4|6thアルバム『[[ここがロドスだ、ここで跳べ!]]』<br />
|-<br />
!ここがロドスだ、ここで跳べ!<br />
|CM:スカパー!『第4回 AKB48 紅白対抗歌合戦』<br />
|-<br />
!All of you<br />
|CM:[[新生銀行カードローン レイク]]『ボクにはボクの使い方 ボクのレイク』「ボクのレイクはじまる」篇<br />
|-<br />
!最初の愛の物語<br />
|テレビ東京系ドラマ『セーラーゾンビ』劇中歌<br />
|-<br />
!Green Flash<br />
|CM:GREE『AKB48ステージファイター』「特別劇場公演篇」<br />
|rowspan=5|39thシングル「[[Green Flash (AKB48の曲)|Green Flash]]」<br />
|-<br />
!マジすかFight<br />
|日本テレビ系ドラマ『[[マジすか学園4]]』オープニング・テーマ<br />
|-<br />
!春の光 近づいた夏<br />
|CM:ディップ『バイトル』「ご当地グルメのバイト(春の光 近づいた夏) SKE48・NMB48・HKT48篇」<br />
|-<br />
!ヤンキーロック<br />
|日本テレビ系ドラマ『マジすか学園4』エンディング・テーマ<br />
|-<br />
!履物と傘の物語<br />
|[[NHK総合テレビ|NHK総合]]『[[みんなのうた]]』2015年2月 - 3月度オンエア楽曲<br />
|-<br />
|-<br />
!僕たちは戦わない<br />
|CM:トークアプリ『755』「AKB48選抜総選挙篇」<br>CM:[[ガーラ (企業)|ガーラ]]『フリフオールスターズ』「AKB48登場!篇」<br/>CM:ディップ『バイトル×AKB48GROUP』「ライブ告知篇」<br />
|rowspan=3|40thシングル「[[僕たちは戦わない]]」<br />
|-<br />
!Summer side<br />
|CM:ディップ『バイトル×AKB48GROUP』「うらやむ母篇」・「ハワイで贅沢篇」・「パート探し篇」<br>CM:[[グノシー]]『AKB48選抜総選挙×グノシー』「さっしーVer.」・「ぱるるVer.」<br />
|-<br />
!バレバレ節<br />
|CM:アサヒ飲料『ワンダ モーニングショット』「毎日朝専用篇」<br />
|-<br />
!ハロウィン・ナイト<br />
|フジテレビ『[[お台場夢大陸 〜ドリームメガナツマツリ〜]]』テーマソング<br/>CM:ディップ『バイトル×AKB48GROUP』「満足度No.1篇」<br/>CM:GREE『AKB48ステージファイター』「ステージパレード篇」<br/>CM:アサヒ飲料『WONDA モーニングショット』「秋登場篇」、『WONDA 金の微糖』「男の輝き篇」<br />
|rowspan=3|41stシングル「[[ハロウィン・ナイト]]」<br />
|-<br />
!ヤンキーマシンガン<br />
|日本テレビ系ドラマ『マジすか学園5』主題歌<br />
|-<br />
!群像<br />
|日本テレビ系ドラマ『マジすか学園5』エンディング・テーマ<br />
|-<br />
!始まりの雪<br />
|ディー.オー.ディー.『冬スポ!!』(WINTER SPORTS FESTA SEASON 15)公式テーマソング<ref>[http://www.fuyusupo.jp/entertainment/ 冬スポ!!WINTER SPORTS FESTA SEASON 15] エンタメ情報 2015年9月21日閲覧。</ref><br />
|7thアルバム『[[0と1の間]]』<br />
|-<br />
!唇にBe My Baby<br />
|CM:スカパー!『第4回 AKB48 紅白対抗歌合戦』<br />
|rowspan=2|42ndシングル「[[唇にBe My Baby]]」<br />
|-<br />
!365日の紙飛行機<br />
|NHK総合 [[連続テレビ小説]]『[[あさが来た]]』主題歌<br/>CM:[[キヤリア (会社)|東芝キヤリア]]カスタムエアコン『ウルトラパワーエコ・スーパーパワーエコゴールド』<br />
|-<br />
!ありふれた愛<br />
|CM:GREE『AKB48ステージファイター』<br />
|rowspan=5|未収録<br />
|-<br />
!恋でもしよう<br />
|CM:WILLSELECTIONS『WILLSELECTION 〜Disney Marie Collection DEBUT〜』<br />
|-<br />
!私に似てる<br />
|[[角川ゲームス]]『AKB48+Me』挿入歌<br />
|-<br />
!カレーライス希望<br />
|CM:[[ハウス食品]] 母の日カレー「母の日にAKB48と」篇<br/>CM:ハウス食品 2013キャンペーン「スペシャルナイト告知」篇<br/>CM:ハウス食品 夏野菜×カレー「地産地消」篇<br />
|-<br />
!恋のバイトル<br />
|CM:ディップ『バイトル』「恋のバイトル篇」・「バイトAKB ぱるる選抜募集告知篇」<br />
|-<br />
|}<br />
</div><br />
<br />
== [[バーニングプロダクション]]との関係 ==<br />
[[Image:AKBとバーニング1.jpg|700px]]<br />
<br />
[[Image:AKBとバーニング2.jpg|700px]]<br />
<br />
[[Image:AKBとバーニング3.jpg|700px]]<br />
<br />
[[Image:AKBとバーニング4.jpg|700px]]<br />
<br />
[[Image:AKBとバーニング5.jpg|700px]]<br />
<br />
[[Image:AKBとバーニング6.jpg|700px]]<br />
<br />
[[Image:AKBとバーニング7.jpg|700px]]<br />
<br />
[[Image:AKBとバーニング8.jpg|700px]]<br />
<br />
[[Image:AKBとバーニング9.jpg|700px]]<br />
<br />
== 六本木暴行死事件で再び注目される「AKB48と関東連合の関係」 ==<br />
東京・六本木のクラブ「フラワー」で2012年9月に飲食店経営者・[[藤本亮介]]さんが男たちの集団に金属バット等で殴られ殺害された事件で、凶器準備集合容疑で逮捕状が出ている[[半グレ集団|関東連合]]の元メンバーら2人が警視庁に出頭した。<br />
<br />
当初から関東連合の関与がウワサされていた事件だったが、やはり六本木の闇には必ずといっていいほど彼らが存在する。芸能界ともつながりが強いといわれているが、ここにきて関東連合と[[AKB48]]の関係が再びクローズアップされている。<br />
<br />
AKB48劇場の管理を実質的に手掛け、メンバーの一部が所属する「[[office48]]」。代表の[[芝幸太郎]]氏は、ヤミ金融や裏カジノなどの違法ビジネスに手を染めていた過去があり、背中には入れ墨がある。そんな彼が代表を務める「office48」に関東連合の影がチラついている。<br />
<br />
「役員を務める[[伊藤健志]]氏は関東連合の元メンバー。現在も関東連合や裏社会とのつながりが強い。関東連合メンバーが逮捕された[[市川海老蔵暴行事件]]があった[[エーライフ]]が入っているビルは、伊藤健志氏の父親・[[伊藤良三]]が経営している[[株式会社バルビゾン]]の所有でした。このビルには、[[ジャニーズ]]タレントやモデル、アイドルら大勢の芸能人が出入りしていた」<br />
<br />
単に関東連合の元メンバーが役員にいるというだけならば大きな問題はないが、AKBメンバーにも魔の手が及んでいるとしたらコトだ。2012年9月に[[前田敦子]]のケツ出し泥酔事件が起きた合コンには、前田のほかに[[大島優子]]や[[仲川遥香]]が参加していた。<br />
<br />
この合コンに使われた高級カラオケ店は、シャワーや簡易ベッドが用意された「通称ホテル」と呼ばれるヤリ部屋。この店の経営者は、[[加護亜依]]と結婚した[[安藤陽彦]]であり、彼も関東連合とズブズブの関係にある。また、数年前に元関東連合メンバーのブログに、当時未成年のAKBメンバー・Sが登場し、一緒に酒を飲んでいる写真が公開されたこともあった。AKBと関東連合の関係は、否定できないレベルにまで深まっている。<br />
<br />
それだけでなく、関東連合によってAKBメンバーが接待合コンや乱交パーティーに駆り出されているというウワサもある。2011年6月に「[[週刊新潮]]」(新潮社)が、未成年メンバーの“飲酒&乱交疑惑”を報じたが、そのようなことは日常的に行われているという情報がある。<br />
<br />
「裏社会だけでなく表社会でも力を伸ばしている関東連合は、有力者に美人タレントやアイドルをあてがうことで成長してきた側面がある。高級ホテルの一室などで接待合コンが行われ、複数のAKBメンバーが参加してきたというウワサです。AKB運営の実力者が手をつけていない有力メンバーは、ほとんどが接待要員に駆り出されています。収入の低い下位メンバーの中には、関東連合が仕切るパーティーに参加して小遣いを稼いでいる者もいる。接待に使われるだけでなく、関東連合メンバーの女となるメンバーもいるようだ」(実話誌編集者)<br />
<br />
関東連合のメンバーは、アイドルに無茶をさせることで自分の力を誇示したがるらしく、某事件で逮捕された元[[半グレ集団|関東連合]]リーダーの[[川名毅]]はクラブのVIPルームに陣取り、クスリで酩酊した[[広末涼子]]に灰皿の上に排便させたという逸話がある。AKBメンバーも同じように無茶をさせられているのだろうか…。<br />
<br />
[[暴力団排除条例]]が施行され、芸能界と暴力団のつながりは薄まったといわれている。しかし、その一方で条例の対象外である関東連合などの愚連隊は、いまだに芸能界で幅をきかせているようだ。芸能界は魑魅魍魎が巣食う世界といわれるが、その闇は深まるばかりのようである。<br />
<br />
== AKB48が「スポンサー接待」イベント? 「金払っても数秒の握手なのに…」ファン涙目 ==<br />
AKB48のメンバーがスポンサーを相手にした「接待イベント」に出演したようだとインターネット上で話題になっている。メンバーがブログやツイッターなどでこのイベントについてあまり触れていないこともあり、「何があったのだろう」とファンが気をもんでいる。 <br />
<br />
=== 「まゆゆからお土産手渡し」「たかみなとハグしてきた」 === <br />
事の発端は2012年5月19日にツイッターに投稿されたいくつかのツイートだった。 <br />
<br />
「今日は京楽さん主催のAKBライブ?とやらで品川にもうすぐ着きます 偉いひとの代打の代打なのです」 <br />
<br />
「あっちゃん、優子、まりこさま、こじはる、ゆきりん、たかみな、ともちん、まゆゆ、峯岸みなみ、さえちゃん、玲奈、横山ゆい、指原、北原、あきちゃ、島崎ってメンバー16人居たんだけどみんな天使ってくらい可愛かった…」 <br />
<br />
「お土産手渡は優子ちゃん当たらなかったけど…たかみなと握手、ハグ 息子ちん玲奈ちゃん 彼女はまゆゆ二人共お目当ての子からお土産貰ってたよ!」 <br />
<br />
これらのツイートによれば、この日は[[パチンコ]]機器メーカーで、AKB48グループの運営にも関わっている[[京楽産業]]が主催するAKB48出演イベントがあったようだ。 <br />
京楽とAKB48のつながりは密接で、2012年5月7日発売の「週刊東洋経済臨時増刊」によると、京楽の[[榎本善徳]]社長と細井孝宏取締役は2011年7月、AKB48、[[SKE48]]、[[HKT48]]を運営するAKSの取締役に就任している。さらに[[NMB48]]は京楽と吉本興業が出資比率8対2で作った「KYORAKU吉本.ホールディングス」が運営している。 <br />
<br />
この日のイベントにはAKB主力メンバーのほとんどが参加、イベント出席者にはメンバーからお土産の手渡しがあり、握手やハグも禁止されてはいたが、可能だった、ということらしい。 <br />
<br />
このイベントに出席したという人がブログに詳しい内容を書いている。イベント名は「MORE SURPRISE KYORAKU PRESENTS AKB FESTIVAL 2012」で、新高輪プリンスホテルで行われた。招待状を持っている人しか入場できず、厳重な本人確認がなされたそうだ。 <br />
<br />
掲載されているパンフレットの画像には<br />
<br />
*「総選挙1位の椅子に座って記念撮影」<br />
*「AKB48の振り付けの先生が代表曲のダンスレッスンをする」<br />
*「好きなメンバーの衣装とヘアメークをしてプロカメラマンに撮影してもらう」 <br />
*「AKB48メンバーから突然電話がかかってくるサプライズテレフォン」<br />
*「『GIVE ME FIVE!』バンドセット展示」 <br />
*「AKB48のメンバーに囲まれて記念撮影できる『AKBランデブーポイント』」<br />
<br />
という企画の説明がある。メンバーによるライブも行われ、イベント自体は1時間程度で終了したようだ。 <br />
<br />
しかしイベントに出席したメンバーはブログやツイッター、Google+などにイベントについてあまり触れていない。[[板野友美]]さんがブログで「とあるイベントでしたー」、[[篠田麻里子]]さんが[[Google+]]で「今日は一日AKB案件なう」とお茶を濁したような書き込みをしているくらいだ。 <br />
<br />
=== 「アイドルって嘘つく時ありそう」メンバーが悩み吐露? === <br />
参加者の[[ツイート]]や[[ブログ]]を発見したファンは[[2ちゃんねる]]に「【パチンコ】チームサプライズ(京楽選抜)【接待】」というスレッドを立て、いろいろと意見を書き込んでいる。 <br />
<br />
「表向きは関係者向けステージイベント 裏ではホテルで…」 <br />
<br />
「いまや各テレビ局も[[パチンコ]]の[[CM]]でかなりもらってるから圧力でどこも報じない だからメンは誰1人ブログやぐぐたすでも触れてない」 <br />
<br />
「ヲタには金払って握手だけでお偉いさんにはサービスしまくりとか萎える」などという詮索と落胆の声や、 <br />
<br />
「まだ秘密なはずなのにばらしていいの?麻里子がAKB案件と多少は触れていた 内容はまだ発表できないからみんな触れないだけだろ」 <br />
<br />
「(未成年メンバーも出ているから)あくまで健全な企業向けイベントだよ」 <br />
<br />
など今回は普通のイベントであって、メンバーがあまり触れていないのは企業秘密の発表があったからでは、という書き込みもみられる。 <br />
<br />
真相はわからないが、[[島崎遥香]]さんが[[5月18日]]夜にGoogle+に意味深な書き込みをしている。 <br />
<br />
「アイドルって嘘つく時ありそうじゃない?どう思う?みんな?」<br />
<br />
「ファンの人に対しても嘘つかないよ、私。アイドルなのに。だめだね、私」<br />
<br />
「嘘つける人っていいな!ずるい。笑」 <br />
<br />
現在は削除されてしまっているが、この書き込みもファンの心配をあおっているようだ。 <br />
<br />
さらにイベント当日の19日、イベント出席メンバーのすっぴん写真をツイッターに投稿していた篠田麻里子さんが20日に突然「当分Twitterおやすみします!」「平和なTwitterになったら帰ってくる」とツイートしたこともファンの心配に輪をかけた。<br />
<br />
今回のイベントについてもっと知りたいファンが篠田さんに大量の返信をしたためではないか、いや「すっぴん写真がまずかったのでは」などと憶測が広がった。 <br />
<br />
イベントを公にしていないのはなぜか、今後AKB48と京楽との大きな仕事があるのか、京楽産業とAKB48を運営するAKSに問い合わせようとしたが、休日のためか電話がつながらなかった。 <br />
<br />
AKBがらみのイベントでは2011年10月にSKE48が京楽主催とみられる酒席イベントに出演し、その中に中学生のメンバーもいたとして騒動になったことがあった。このときは当時の運営会社である[[ピタゴラス・プロモーション]]が19時から21時までのイベントに18歳未満のメンバーが参加したことを認めたが、「ステージにて歌を披露したのみで、酒席についた事実は一切ございません」とコメントしていた。<br />
<br />
== 出演 ==<br />
<br />
====テレビ====<br />
2015年9月17日のワイドショー<br />
ZIP 。(2015年10月30日。日本テレビ。)<br />
2015年12月7日のワイドショー<br />
ミュージックステーション。(2016年3月11日。25日。テレビ朝日。)ヤフー乗っていた。25日はKAT-TUNと違い乗らなかった<br />
音楽祭り。(2016年6月18日。フジテレビ。)<br />
ミュージックデー。(2016年7月2 日。日本テレビ。)ヤフー乗っていた<br />
シュウイチ。(2016年7月10日。日本テレビ。)<br />
音楽祭り。(2016年7月18日。フジテレビ。)<br />
27TV。(2016年7月24日。フジテレビ。)<br />
<br />
== 書籍 ==<br />
=== 新聞 ===<br />
* 月刊AKB48グループ新聞(2011年12月16日 - 、日刊スポーツ新聞社) - 第3金曜日発行<br />
<br />
=== 雑誌・新聞連載 ===<br />
* [[BEAUTIFUL Lady & TELEVISION|B.L.T.]]([[東京ニュース通信社]]) - 「AKB48 CATCH THE DREAM!!」を連載。<br />
* [[週刊プレイボーイ]](毎週月曜日、[[集英社]]) - 「AKB48の夢叶ボイス」を連載。<br />
* memew(2009年2月27日 - 、[[近代映画社]]) - 「AKB48のマイフェバ☆」を連載。<br />
* [[読売新聞]](2009年10月 - 、[[読売新聞東京本社|読売新聞社]]) - 「AKB48の私服サプライズ」を月1連載。<br />
* [[りぼん]](2010年1月号 - 、集英社) - 「AKB48の私立ミラクルアイドル学園りぼん校」を連載。<br />
* [[FLASH (写真週刊誌)|FLASH]](2010年2月 - 、[[光文社]]) - 「AKB48を追っかけ隊ッ」・「縦横無尽AKB48」(不定期)を連載。<br />
* [[フライデー|FRIDAY]](2010年2月5日 - 、[[講談社]]) - 「AKB48 友撮」を連載。<br />
* [[UP to boy]](2010年4月23日 - 、[[ワニブックス]]) - 「AKB48おひとり様」を連載。<br />
* [[週刊少年サンデー]](2010年4月28日 - 、[[小学館]]) - 「AKB48の超人生相談 レスQ学園 あなたのお悩み大募集!!」を連載。<br />
* [[週刊朝日]](2010年10月5日 - 2011年4月5日・8月 - 、[[朝日新聞出版]]) - 「AKB48リレーインタビュー」を連載。<br />
* [[ザテレビジョン|週刊ザテレビジョン]](2010年6月16日 - 、[[角川マーケティング]]) - 「AKB48まで48センチ。」を連載。<br />
* [[BOMB]](2010年10月9日 - 、[[学研パブリッシング]]) - 「AKB48ステーション」・「GO!AKIBA」を連載。<br />
* [[小説宝石]](2010年12月21日 - 、光文社) - 「梅佳代が撮る、○○」を連載。※○○は掲載メンバー<br />
* [[日刊スポーツ]](2011年1月24日 - 毎日朝刊、日刊スポーツ新聞社) - 「AKB48 Diary」を掲載。<br />
* [[週刊ヤングジャンプ]](2011年4月 - 、集英社) - 「AKB48当番連載」をメンバーが交代で連載。<br />
* [[週刊ヤングマガジン]](2011年4月19日 - 、講談社) - 「YM7のやっぱり負けられない!」をYM7のメンバーで週替わりで連載。<br />
* 月刊ENTAME(2011年8月30日 - 、[[徳間書店]]) - 「AKB48月替わりInterview」を連載。<br />
'''過去の連載'''<br />
* [[TOKYO★1週間|TOKYO1週間]](隔週火曜日、[[講談社]]) - 毎号、カラー2-3ページで「AKB48虎の巻」という特集が組まれる。関東地方の書店・コンビニエンスストア・AKB48劇場などで購入できる。<br />
* [[FLOOR net|FLOOR.net]](2009年1月 - 2010年3月、FACTRY) - 「AKB48の基礎から学ぶダンスミュージック48手」を連載。<br />
* 日刊スポーツ(2010年4月13日 - 6月8日・毎日、日刊スポーツ新聞社) - 「AKB48総選挙マニフェスト」を連載。<br />
* 週刊ヤングジャンプ(2010年8月19日 - 3月、集英社) - 「AKB48当番連載 ぐるぐる4」を北原・指原・柏木・渡辺麻<!--連載担当順-->が交代で連載。<br />
* 週刊朝日(2010年10月5日 - 2011年4月5日、朝日新聞出版) - 「AKB48写真館」を連載。<br />
* [[日刊ゲンダイ]]特別版AKB48(2011年6月1日 - 12月28日、日刊現代) - 「スペシャルインタビュー」を隔週水曜日に連載。<br />
<br />
=== 漫画作品 ===<br />
* [[AKB49〜恋愛禁止条例〜]]([[講談社]]「[[週刊少年マガジン]]」2010年39号より連載中)<br />
* [[うざりの]](講談社「[[月刊ヤングマガジン]]」2010年10月号より連載中)<br />
* ダブルヒロイン(講談社「[[月刊少年ライバル]]」2010年12月号より連載中)<br />
* [[AKB0048]]<br />
** AKB0048 Episode0(講談社「[[なかよし]]」2012年2月号より連載)<br />
** AKB0048 ハート型オペレーション(講談社「[[別冊フレンド]]」2012年2月号より連載)<br />
** AKB0048外伝 とびだせ!AKBぜろぜろ女学園(講談社「[[マガジンSPECIAL]]」2012年No.2より連載)<br />
** AKB0048 宇宙で一番ガチなヤツ!(講談社「[[別冊少年マガジン]]」2012年3月号より連載)<br />
<br />
== 公演 ==<br />
=== 劇場公演 ===<br />
[[AKB48の劇場公演]]参照<br />
<br />
=== 定期ライブ ===<br />
* シンガポール定期公演(2011年5月15日 - 、*SCAPE)- SKE48、NMB48、SDN48による公演も含めて毎月1回で2公演の開催<br />
<br />
=== コンサート ===<br />
* AKB48 ファーストコンサート「会いたかった 〜柱はないぜ!〜」(2006年11月3日・4日、[[日本青年館]]) - チームA・K<br />
* AKB48 春のちょっとだけ全国ツアー 〜まだまだだぜAKB48!〜(2007年3月10日 - 4月1日) - チームA・K・B(井上・柏木が一部公演で秋元・大島優の代役)<br />
* AKB48 リクエストアワーセットリストベスト100(2008年1月21日 - 24日、[[SHIBUYA-AX]])<br />
* ライブDVDは出るだろうけど、やっぱり生に限るぜ! AKB48夏祭り(2008年8月23日、[[日比谷野外音楽堂|日比谷野外大音楽堂]]) - チームA・K・B・研究生(6期生3人含む)・SKE48(特別出演)<br />
* AKB48 まさか、このコンサートの音源は流出しないよね?(2008年11月23日、[[NHKホール]]) - with SKE48<br />
* 年忘れ感謝祭 シャッフルするぜ、AKB! SKEもよろしくね(2008年12月20日、[[ミーツポート#TOKYO DOME CITY HALL|JCBホール]]) - (秋元・浦野・石田・畑山除く、7期生20人含む)with SKE48<br />
* AKB48 リクエストアワーセットリストベスト100 2009(2009年1月18日 - 21日、SHIBUYA-AX) - with SKE48<br />
* 「神公演予定」* 諸般の事情により、神公演にならない場合もありますので、ご了承ください。(2009年4月25日・26日、NHKホール) - (梅田除く)with SKE48<br />
* 全国ツアー(2009年)<br />
** AKB48 分身の術ツアー(2009年8月11日・12日・15日、[[湊町リバープレイス#なんばHatch|なんばHatch]]・[[Zepp|Zepp Nagoya・Zepp Fukuoka]]) - チームK・B・A<!--出演日程順--><br />
** AKB104選抜メンバー組閣祭り(2009年8月22日・23日(23日は2回公演)、[[日本武道館]]) - with SKE48・SDN48(奥・倉持・多田・小原・石田・今井悠・佐藤す除く、増田は一部出演)<br />
* [[サウンドコニファー229]] AKB48 夏のサルオバサン祭り(2009年9月13日、[[富士急ハイランド|富士急ハイランド コニファーフォレスト]]) - 佐藤夏・小原・8期研究生除く<br />
* AKB48 NY公演 supported by スカパー!HD(2009年9月27日、WEBSTER HALL) - 初の日本国外単独コンサート<br />
* AKB48 リクエストアワーセットリストベスト100 2010 with アメーバピグ(2010年1月21日 - 24日、SHIBUYA-AX) - with SKE48&SDN48<br />
* AKB48 満席祭り<small>希望</small> 賛否両論(2010年3月24日・25日(25日は2回公演)、[[横浜アリーナ]]) - with SKE48&SDN48<br />
* AKB48 コンサート「サプライズはありません」(2010年7月10日・11日(11日は2回公演)、[[国立代々木競技場#第一体育館|代々木体育館]])<br />
* AKB48 AKBがやって来た!!(2010年8月17日 - 31日) - 6都市8日15公演(札幌のみ1公演)<br />
* AKB48 薬師寺奉納公演2010「夢の花びらたち」(2010年9月26日、[[薬師寺]])<br />
* KYORAKU presents AKB48 SKE48 LIVE IN ASIA supported by スカパー!(2010年11月16日、[[マカオ]]・Sands Theater)<br />
* AKB48 リクエストアワーセットリストベスト100 2011(2011年1月20日 - 23日、SHIBUYA-AX) - with SKE48 , SDN48 & NMB48<br />
* 見逃した君たちへ〜AKB48グループ全公演〜(2011年5月24日 - 6月12日、[[ミーツポート#TOKYO DOME CITY HALL|TOKYO DOME CITY HALL]]) - 19日間(6/9除く)全19公演<br />
* AKB48 コンサート よっしゃぁ〜行くぞぉ〜!in西武ドーム(2011年7月22日 - 24日、[[西武ドーム]])<br />
* AKBがいっぱい〜SUMMER TOUR 2011〜(2011年8月1日 - 31日) - 13都市15日26公演(本州は1日2公演、他は1日1公演)<br />
* AKB48 リクエストアワーセットリストベスト100 2012(2012年1月19日 - 22日、TOKYO DOME CITY HALL) - with SKE48 , SDN48 , NMB48 , HKT48 & JKT48<br />
* AKB48 ユニット祭り(2012年1月23日、TOKYO DOME CITY HALL) - AKB48派生ユニット<br />
* タイトル未定(2012年3月23日 - 25日、[[さいたまスーパーアリーナ]])<br />
<br />
====リクエストアワーセットリストベスト100====<br />
2008年より毎年1月に開催。それまでに発表されたAKB48および系列全グループ・ユニットの楽曲(一部対象外の楽曲あり)を対象とした人気投票を行い、上位100曲を25曲ずつ、4日間かけてランキング形式で発表するコンサートイベント。<br />
<br />
;1位の楽曲<br />
*2008 - 『[[桜の花びらたち]]』<br />
*2009 - 『[[涙サプライズ!|初日]]』<br />
*2010 - 『[[言い訳Maybe]]』<br />
*2011 - 『[[ヘビーローテーション_(曲)|ヘビーローテーション]]』<br />
*2012 - 『ヘビーローテーション』<br />
<br />
=== ライブイベント ===<br />
* AKB48 1st ANNIVERSARY LIVE 〜勢ぞろいだぜ!『A』『K』『B』!〜(2006年12月9日)<br />
* GEISAI MUSEUM #2(2007年5月、[[東京国際展示場|東京ビッグサイト]])<br />
* AKB48 1,000人限定超特別公演(2007年5月26日)<br />
* [[九州朝日放送|KBC]][[水と緑の物語#第11回(2007年)|水と緑のキャンペーン2007]] AKB48 LIVE(2007年8月4日、[[キャナルシティ博多]]サンプラザステージ) - 板野・大島麻・篠田・高橋み・中西里・峯岸・秋元・梅田彩・大島優・小野・河西・増田・宮澤・渡辺麻<br />
* [[メ〜テレライブ BOMBER-E|メ~テレ夏祭り BOMBER-E]]スペシャルライブ!(2007年8月5日、[[知多市]]新舞子シーサイドパーク)<br />
* Zoom Super Stage vol.3(2007年8月8日、汐留・日本テレビゼロスタ広場 ジャンボリーステージ)<br />
* [[GO!SHIODOMEジャンボリー|GO! GO! SHIODOME ジャンボリー]] AKB48 汐留夏ライブ「今回は0じ59ふんから始まりません」1st stage(2008年8月6日、汐留・日本テレビ敷地内) - チームB(浦野・菊地除く)・研究生(2名)<br />
* GO! GO! SHIODOME ジャンボリー AKB48 汐留夏ライブ「今回は0じ59ふんから始まりません」2nd stage(2008年8月16日、汐留・日本テレビ敷地内) - チームA(小嶋陽・前田敦・宮崎除く)<br />
* GO! GO! SHIODOME ジャンボリー AKB48 汐留夏ライブ「今回は0じ59ふんから始まりません」3rd stage(2008年8月29日、汐留・日本テレビ敷地内) - チームK(増田除く)・チームA(北原)<br />
* キャラホビ2008 SUNSHINE SAKAE出展ブース「AKB48×SKE48」(2008年8月30日・31日、[[幕張メッセ|幕張メッセ国際展示場]])<br />
* GEISAI#11(2008年9月14日、東京ビッグサイト) - チームK(秋元除く)・瓜屋<br />
* 第2回全日本アニソングランプリ決勝大会(2008年9月21日、[[ミーツポート#JCBホール|JCBホール]])<br />
* 秋葉原エンタまつり「大声ダイヤモンド発売記念 AKB48 Special Live @ UDX」(2008年10月25日、秋葉原UDX)<br />
* 浜松町/グリーン・サウンドフェスタ −浜祭−(2008年11月2日・3日、[[東京タワー]]・ハマサイトグルメ)<br />
* 激爽! OWY THE CLIMAX DAY(2008年12月14日、[[としまえん]]) - チームK<br />
* Push★1(2009年1月31日、[[品川プリンスホテル#品川ステラボール|品川プリンスホテルステラボール]]) - AKBアイドリング!!!・北原・高城・高橋み・中田・藤江・峯岸・宮崎・野中<br />
* CBC GREEN LIVE(2009年3月21日、[[中部日本放送|CBCホール]]) - 北原・篠田・前田敦・宮崎・秋元・梅田彩・小野・倉持・小林香・野呂・松原・宮澤・柏木・渡辺麻<br />
* [[Japan Expo|Japan Expo 2009]](2009年7月2日 - 6日、[[フランス]][[パリ|パリ市内]]) - 北原・佐藤亜・高城・峯岸・秋元・大堀・河西・倉持・小林香・野呂・浦野・小原・指原・仁藤・石田・菊地・小森・佐藤す<br />
* [[GO!SHIODOMEジャンボリー|GO! SHIODOME ジャンボリー ワッショイ!2009]] AKB48 夏のBINGO!ライブ(2009年8月25日、汐留・日本テレビ敷地内) - チームK<br />
* NEW YORK ANIME FESTIVAL(2009年9月26日、Jacob Javits Center) - 板野・北原・小嶋陽・佐藤亜・高城・高橋み・藤江・前田敦・峯岸・宮崎・秋元・大島優・小野・宮澤・岩佐・佐藤す<br />
* 国際テレビ番組見本市「mipcom」オープニングパーティ(2009年10月5日、Palais des Festivals)<br />
* 第125回明大祭(2009年11月2日、[[明治大学|明治大学和泉キャンパス]])<br />
* 読売ジャイアンツ・ファンフェスタ2009(2009年11月23日、[[東京ドーム]]) - 板野・北原・篠田・前田敦・宮崎・秋元・大島優・小野・河西・宮澤・指原・仁藤<br />
* AKB劇場4周年記念イベント「古参でよかった」(2009年12月8日、AKB48劇場) - 9期を除く全メンバー<br />
* Livejack Special II Stories-Drama×Songs-(2010年2月7日、[[大阪城ホール]]) - 板野・北原・小嶋陽・篠田・高城・高橋み・前田敦・峯岸・宮崎・秋元・大島優・小野・河西・宮澤・柏木・渡辺麻<br />
* [[Anime Expo|Anime Expo 2010]](2010年7月1日、[[L.A.ライブ|ノキア・シアター]]) - 倉持・小嶋陽・指原・高城・高橋み・前田敦・前田亜・秋元・板野・大島優・小野・仁藤・藤江・峯岸・宮澤・北原<br />
* Visit Zooキャンペーン応援プロジェクト AKB48 東京秋祭り supported by NTTぷらら(2010年10月9日・10日、[[葛西臨海公園]])<br />
* Asia Song Festival 2010(2010年10月23日、[[大韓民国|韓国]])<br />
* Anime Festival Asia(2010年11月12日、[[シンガポール]]・Suntec Convention & Exhibition Concert Hall 402) - 岩佐・多田・片山・仲川・前田亜・秋元・菊地・野中・宮澤・河西・小林香・小森・佐藤亜・佐藤夏・鈴木ま・渡辺麻<br />
* Japan Pop-Culture Festival 2010(2010年11月20日、[[モスクワ]]・35mm theater) - 大家・倉持・中田・仲谷・内田・梅田彩・藤江・米沢・北原・近野・増田・宮崎<br />
* AKB48 in Singapore Meet The Fans Session(2010年12月12日、シンガポール)<br />
* Japan AID Benefit Concert(2011年3月20日、ヒルトン・[[グアム]]・リゾート&スパ) - 岩佐・鈴木ま<br />
* アノヒヲワスレナイ神戸2011!スペシャルコンサートvol.1(2011年4月11日、[[ワールド記念ホール]]) - チームK + NMB48<br />
* Love in Action Meeting (Live)(2011年6月14日、日本武道館)<br />
* 上海ジャパンウィーク2011 (2011年9月24日、[[上海外国語大学]]松江キャンパス大舞台) - 多田・指原・倉持・高城・高橋み・中田・前田亜・梅田彩・仁藤・峯岸・横山・河西・北原・渡辺・阿部・市川<br />
* 早稲田祭2011 記念会堂イベント『Age×AKB48 -夢は、待っている-』(2011年11月5日、[[早稲田大学]]戸山キャンパス記念会堂) - チームB<br />
* [[美空ひばり]]メモリアルコンサート「だいじょうぶ、日本!」〜空から見守る 愛の歌〜(2011年11月12日、東京ドーム) - 岩佐・小嶋陽・篠田・高城・高橋み・前田敦・秋元・板野・大島優・峯岸・宮澤・横山・北原・増田・渡辺・阿部<br />
* AKB48 紅白対抗歌合戦(2011年12月20日、TOKYO DOME CITY HALL)<br />
* 日本ポップカルチャーフェスティバル「J-POP コンサート」(2012年2月25日、[[インドネシア]](バライ・カルティニ エクスポセンター)) - JKT48と共演<br />
<br />
=== ミュージカル ===<br />
* AKB歌劇団「∞・Infinity」(2009年10月30日 - 11月8日、シアターGロッソ) - 13公演<br />
<br />
== オーディション ==<br />
オーディションでは、スタッフと話し合った上で最終的には秋元康が合格者を決定する。メンバーを選ぶポイントとしては、正統派美少女ばかりを選ぶのではなく、ファンの好みの多様さに合わせて性格から容姿までなるべく幅広く選ぶことによって(学校の)一クラスのようなリアリティを生み出すようにしているという。<br />
* 合格者・不合格者のうち'''太字'''となっているのは2011年12月現在在籍しているメンバー<br />
'''主な実施要項'''(多少異なることがある)<br />
* 応募資格:AKB48メンバーとして芸能活動できる人。3期生までは10歳 - 22歳の範囲で設定されていたが、4期生以降は11歳 - 18歳位までのプロダクションに所属していない女性、経験不問<br />
* 第一次審査:書類選考<br />
* 第二次審査:テレビ電話オーディション、または面接<br />
* 最終審査:面接、ダンス・歌唱力審査<br />
* 合格者はレッスン料無料、衣装貸与<br />
** ただし、年齢制限や過去の芸能活動などにより応募資格から外れている応募者でも合格している例がある。<br />
* チーム研究生オーディション落選者は最終審査のみ参加<br />
<br />
=== メンバーオーディション ===<br />
オープニングメンバーおよび追加メンバーを募集したオーディション。4期生以降は研究生としての募集となっている。<br />
<br />
==== オープニングメンバーオーディション ====<br />
* 一次審査:応募数7924名<br />
* 二次審査:合格者45名<br />
* 最終審査(2005年10月30日):合格者24名<br />
; 合格者<br />
: '''板野友美'''、宇佐美友紀、浦野一美(現SDN48)、大江朝美、大島麻衣、折井あゆみ、川崎希、'''小嶋陽菜'''、駒谷仁美(現SDN48)、佐藤由加理(現SDN48)、'''高橋みなみ'''、戸島花(現SDN48)、中西里菜、成田梨紗、'''平嶋夏海'''、星野みちる、'''前田敦子'''、増山加弥乃、'''峯岸みなみ'''、渡邊志穂<br />
* 主な不合格者:'''篠田麻里子'''(2006年1月に劇場カフェスタッフから追加加入)、大堀恵、'''小林香菜'''、'''宮澤佐江'''、'''柏木由紀'''、[[藤岡静香]]、[[田中直乃]]、[http://www.sma.co.jp/artist/profile/index/98 茂木雅世]<br />
* 不合格であるが、劇場カフェ要員としての採用者:'''篠田'''(年明けに追加加入)、大堀恵(2期)、小原春香(5期)<br />
* 合格倍率:330.1倍<br />
: 劇場でメンバーの成長していく姿を見せていくため、経験や技術よりもやる気を重視してプロダクション等に所属する者を避け素人のメンバーが集められたとされる。また、大島麻・成田・川崎など数名はスカウトのため最終審査のみ参加。<br />
: 24名のオープニングメンバー候補生のうち20名が2005年12月7日の公開リハーサル、8日のグランドオープンの舞台に立ち、以降、(旧)チームAとして公演を行った。<br />
<br />
==== 第二期AKB48追加メンバーオーディション ====<br />
* 一次審査:応募総数1万1892名、合格者131名<br />
* 二次審査(2006年2月19日):合格者54名<br />
* 最終審査(2006年2月26日):合格者19名<br />
; 合格者<br />
: '''秋元才加'''、今井優、上村彩子、'''梅田彩佳'''、'''大島優子'''、大堀恵(現SDN48)、奥真奈美、小野恵令奈、'''河西智美'''、'''小林香菜'''、'''佐藤夏希'''、高田彩奈、野呂佳代(現SDN48)、早野薫、'''増田有華'''、'''松原夏海'''、'''宮澤佐江'''<br />
* 主な不合格者:'''渡辺麻友'''、'''中田ちさと'''、'''鈴木まりや'''、'''大場美奈'''、[[稲森美優]]<br />
* 合格倍率:625.8倍<br />
* 大島優子は審査直前まで子役として活動していた。大堀は審査前に劇場カフェスタッフとして勤務していた。<br />
: 合格者は2006年4月1日以降、(旧)チームKとして公演を行った。<br />
<br />
==== 第三期AKB48追加メンバーオーディション ====<br />
* 一次審査:応募総数1万2828名、合格者134名<br />
* 二次審査(2006年11月23日):合格者72名<br />
* 最終審査(2006年12月3日):合格者20名<br />
; 合格者<br />
: 磯怜奈、井上奈瑠、'''多田愛佳'''、大塚亜季、'''柏木由紀'''、'''片山陽加'''、'''菊地彩香'''(解雇後7期で復帰)、早乙女美樹、坂田涼、'''田名部未来'''、'''仲川遥香'''、'''仲谷明香'''、野口玲菜、藤島マリアチカ、堀江聖夏、松岡由紀、'''米沢瑠美'''、'''渡辺麻友'''<br />
* 主な不合格者:'''中田ちさと'''、中西優香、藤本紗羅、村中聡美、川島幸(元・[[ハロプロ研修生|ハロプロエッグ]])<br />
* 合格倍率:641倍<br />
: 合格者20名のうち13名に、チームAから移籍した3名を加えた16名が(旧)チームBとして、2007年4月8日から公演を行った。<br />
<br />
==== 第一回研究生(4期生)オーディション ====<br />
* 一次審査:応募総数約1万名、合格者148名<br />
* 二次審査(2007年5月20日):合格者56名<br />
* 最終審査(2007年5月27日):合格者18名→17名<br />
; 合格者<br />
: 飯沼友里奈、瓜屋茜、'''大家志津香'''、金子智美、'''倉持明日香'''、小塚里菜、佐伯美香、'''佐藤亜美菜'''、鈴木菜絵、出口陽(現SKE48)、中西優香(現SKE48)、'''中田ちさと'''、成瀬理沙、'''藤江れいな'''、藤本紗羅、村中聡美、吉岡沙葵、渡辺茉莉絵<br />
* 主な不合格者:'''鈴木まりや'''、'''仁藤萌乃'''、'''大場美奈'''<br />
* 合格倍率:約714.2倍<br />
: 合格者は研究生としてレッスンを受ける(以下の期も同様)。<br />
<br />
==== 第二回研究生(5期生)オーディション ====<br />
; 合格者<br />
: 有馬優茄、'''石田晴香'''、'''内田眞由美'''、'''北原里英'''、小原春香(現SDN48)、'''指原莉乃'''、'''近野莉菜'''、冨田麻友、'''中塚智実'''、'''仁藤萌乃'''、畑山亜梨紗、'''宮崎美穂'''、山田みずき(元[[AKBN 0]])<br />
* 主な不合格者:鬼頭桃菜(現SKE48)<br />
* 小原は劇場カフェスタッフとして勤務していたという経歴を持つ。<br />
<br />
==== 第三回研究生(6期生)オーディション ====<br />
* 最終審査:合格者5名<br />
; 合格者<br />
: 片野友里恵、'''高城亜樹'''、西澤沙羅、'''野中美郷'''<br />
* 主な仮合格者(候補生):上遠野瑞穂、'''鈴木紫帆里'''、'''松井咲子'''、石黒莉美<br />
* 主な不合格者:'''鈴木まりや'''<br />
<br />
==== 第四回研究生(7期生)オーディション ====<br />
; 合格者<br />
: 石黒莉美、'''岩佐美咲'''、上遠野瑞穂、'''菊地あやか'''(元3期生)、'''小森美果'''、'''佐藤すみれ'''、'''鈴木紫帆里'''(辞退後11期で復帰)、'''鈴木まりや'''、林彩乃、'''前田亜美'''、'''松井咲子'''<br />
* 主な仮合格者(候補生):佐野友里子<br />
<br />
==== 第五回研究生(8期生)オーディション ====<br />
; 合格者<br />
: 浅居円、石井彩夏、石部郁、今井悠理枝、植木あさ香、郭グレース、小水七海、小松瑞希、坂本莉央、佐野友里子、杉山未来、冨手麻妙、西川七海、三木にこる、村中聡美<br />
* 主な不合格者:'''横山由依'''、豊田早姫<br />
: このオーディション合格者からは一人の正規メンバー昇格者も出すことなく、全員が研究生のままグループから離脱している。のちに西川が乃木坂46・2期生(8ヶ月で引退)、佐野が「愛乙女☆Doll」からデビューしている。<br />
<br />
==== 第六回研究生(9期生)オーディション ====<br />
* 最終審査:(2009年9月20日)<br />
; 合格者<br />
: 石黒貴己、伊藤彩夏、'''大場美奈'''、絹本桃子、'''島崎遥香'''、'''島田晴香'''、高松恵理、'''竹内美宥'''、'''永尾まりや'''、'''中村麻里子'''、藤本紗羅、森杏奈、'''山内鈴蘭'''、'''横山由依'''<br />
<br />
==== 第七回研究生(10期生)オーディション ====<br />
* 二次審査(2010年3月7日):<br />
* 最終審査(2010年3月31日):<br />
; 合格者<br />
: '''阿部マリア'''、'''伊豆田莉奈'''、'''市川美織'''、'''入山杏奈'''、岩崎仁美、'''加藤玲奈'''、金沢有希、'''小林茉里奈'''、'''仲俣汐里'''、'''藤田奈那'''<br />
<br />
==== 第八回研究生(11期生)オーディション ====<br />
* 一次審査(2010年7月13日):<br />
* 二次審査(2010年7月18日):<br />
* 最終審査(2010年7月24日):<br />
; 合格者<br />
: 牛窪紗良、岡崎ちなみ、'''川栄李奈'''、川上麻里奈、'''小嶋菜月'''、'''鈴木紫帆里'''(元7期生)、豊田早姫、'''名取若菜'''、'''森川彩香'''、山口菜有<br />
<br />
==== 第九回研究生(12期生)オーディション ====<br />
* 一次審査:応募総数約1万名<br />
* 二次審査(2011年2月13日):合格者200名前後<br />
* 最終審査(2011年2月20日):合格者39名→最終仮合格者21名<br />
; 合格者<br />
: '''岩田華怜'''、'''大森美優'''、'''サイード横田絵玲奈'''、'''佐々木優佳里'''、'''鈴木里香'''、'''高橋朱里'''、'''田野優花'''、'''平田梨奈'''、'''武藤十夢'''<br />
* 主な不合格者:星野みなみ(乃木坂46)<br />
<br />
==== 第十回研究生(13期生)オーディション ====<br />
* 一次審査:合格者600名<br />
* 二次審査(2011年7月30日 - 9月1日):合格者61名<br />
* 最終審査(2011年9月24日):合格者57名→最終仮合格者33名<br />
; 合格者<br />
: '''相笠萌'''、'''雨宮舞夏'''、'''岩立沙穂'''、'''梅田綾乃'''、'''大島涼花'''、'''岡田彩花'''、'''北汐莉'''、'''北澤早紀'''、'''篠崎彩奈'''、'''高島祐利奈'''、'''長谷川晴奈'''、'''光宗薫'''、'''村山彩希'''、'''茂木忍'''、'''森山さくら'''、'''渡邊寧々'''<br />
<br />
=== チーム研究生オーディション ===<br />
実施時点で正規メンバーに昇格していないメンバーに対して行われる、一種の足きり。不合格者は卒業となるが、直後に開催されるオーディションを受ける場合は、最終審査から参加することができる。<br />
<br />
==== 第一回チーム研究生オーディション ====<br />
* 最終審査:2009年1月<br />
* 不合格者:有馬優茄、鈴木菜絵、冨田麻友、畑山亜梨紗、藤本紗羅、村中聡美<br />
<br />
==== 第二回チーム研究生オーディション ====<br />
* 最終審査:2009年5月<br />
<br />
==== 第三回チーム研究生オーディション ====<br />
* 最終審査:2009年11月30日<br />
* 不合格者:浅居円、石井彩夏、石部郁、郭グレース、小水七海、坂本莉央、杉山未来、冨手麻妙、三木にこる、村中聡美<br />
<br />
==== 第四回チーム研究生オーディション ====<br />
* 最終審査:2010年6月12日<br />
* 不合格者:石黒貴己、絹本桃子、藤本紗羅<br />
<br />
==== 第五回チーム研究生オーディション ====<br />
* 最終審査:2010年9月29日・30日<br />
* 不合格者:岩崎仁美、佐野友里子<br />
<br />
==== 第五回チーム研究生オーディション以後 ====<br />
従来のチーム研究生オーディションは第五回を最後に行われておらず、このオーディション不合格を理由に卒業する研究生は現れなくなった。これに代わり、12期生からは最終審査通過者を仮合格とし、その後で行われるセレクション審査に合格した者だけが正式に加入できるシステムが導入された。<br />
<br />
== 日本の女性グループアイドル史におけるAKB48 ==<br />
AKB48の登場より前に、同じく[[秋元康]]のプロデュースによってデビューした日本の女性グループアイドルとして、[[1980年代]]に活動した[[おニャン子クラブ]]がある。おニャン子クラブの特徴は、「素人の少女を[[オーディション]]で選び、50名前後の大人数グループにする」「([[うしろゆびさされ組]]・[[うしろ髪ひかれ隊]]など)数名のメンバーを選んで派生ユニットとして売り出す」「メンバーと同世代ぐらいの若いファンを主なターゲットする」といった点にあるが、これらはAKB48にも受け継がれている特徴である。他方、おニャン子クラブは『[[夕やけニャンニャン]]』をはじめとするテレビ番組を活動の中心としたのに対してAKB48は専用劇場を持ち劇場公演を主な活動として立ち上げられたプロジェクトであるという点は異なり、おニャン子クラブは番組の視聴率の低下に伴ってデビューから2年ほどで解散したがAKB48は2005年の結成から7年目の2012年現在も活動を継続している。また、おニャン子クラブではメンバーがオーディションを通過してデビューしていくさまをテレビで放送することによって「舞台裏」の様子を視聴者に公開してリアリティをアピールするという手法をとりながらも審査や放送内容を運営サイドがある程度コントロールすることが可能だったのに対して、AKB48では2009年後半頃までそれほど積極的にはテレビ番組に出演しておらず、「会いに行けるアイドル」というコンセプトの通りテレビ番組という中間項をも排除してファンとアイドルの間の距離を極限まで縮めたといえる。<br />
<br />
おニャン子クラブの解散後、決定的な人気を得る女性アイドルがなかなか登場しないアイドル冬の時代や1997年から現在まで活動を継続している[[モーニング娘。]]などのヒットを経て、[[地下アイドル]]文化を背景にその手法を導入する形で2005年にAKB48が結成される。AKB48の初期のファンにはモーニング娘。(あるいはそれを含む[[ハロー!プロジェクト]])のファンが流入したとみられるという意味で、AKB48が人気を得られた理由としてモーニング娘。が10年以上も解散せずに活動を持続していることがあるという見方もある。<br />
<br />
2009年頃にAKB48が爆発的にヒットしたのに少し遅れて、日本では[[KARA (音楽グループ)|KARA]]や[[少女時代]]をはじめとする[[韓国]]の[[K-POP]]ガールズユニットが人気を得ている。AKB48が「成長する過程をファンに見せる」ことをコンセプトの1つとしているのに対し、K-POPの女性アイドルユニットの多くはデビューまでの間に数年単位の練習期間を設定しており、初舞台の段階から完成度の高いパフォーマンスを見せられるようになっているという点が異なる。また、ビジュアル面についても、AKB48にはアニメのキャラクターのような幼女的な容姿のメンバーが揃っているのに対し、K-POPアイドルユニットには高身長でモデルのようにスタイルのいいメンバーが揃っており、この相違点の背景には日本のオタク文化が[[ロリコン]]志向なのに対して韓国では男性・女性ともに芸能人には肉体的な美しさが求められるという[[国民性]]の違いもあると考えられる。秋元康自身は、[[K-POP]]勢のガルーズユニットが常に一定のクオリティを保ち続けられることをプロとして評価できるとしつつ、AKB48の魅力とそれと対照的にどのタイミングでも同じAKB48は存在しないことであると述べている。<br />
<br />
コラムニストの[[中森明夫]]は、「アイドルは時代の反映ではなく、時代の先取りである」との持論がAKB48にも適用できるとしている。すなわち、[[美空ひばり]]・[[山口百恵]]・[[松田聖子]]がそれぞれ「戦後の[[高度経済成長]]」「経済の低成長時代」「[[バブル景気]]」を先取りしたのと同様に、AKB48は従来的なモデルでは経済復興が困難な日本でいかに楽しむか、というテーマを先取りしていたのだという。<br />
<br />
== AKB48の受容・ブームについての論評 ==<br />
AKB48(またはその姉妹プロジェクト)の消費様式として以下のような特色がある。<br />
<br />
=== 経済状況との関連 ===<br />
[[バブル景気#バブル崩壊|バブル崩壊]]後の不況・就職難の中で、若者は[[インターネット]]など限界費用の少ない趣味に没頭するような消費様式をとるようになり、ライターの[[速水健朗]]はそういった経済状況に適応して生まれた文化を'''デフレカルチャー'''と呼んでいる。[[経済学者]]の[[田中秀臣]]によれば、AKB48は不況下にも強いデフレカルチャーのひとつだと考えることができるという。[[2000年代]]に入ると音楽データの違法アップロードなどの問題もあって音楽CDの売り上げが急落し([[CD不況]])、ライブで収益金を確保するスタイルがJ-POPの音楽業界の主流になった。そのためコンサートの入場料金は高額に設定されがちであるが、AKB48の劇場公演のチケットは(値上げが行われたとはいえ)一般的なアーティストのライブに比べればはるかに安価であり(後述)、また写真集をはじめとする関連商品の価格も相場より低めに設定されている。これは収入の低い若年のアイドル[[おたく|オタク]]にターゲットを絞ったマーケティング戦略であるという。<br />
<br />
また、AKB48のメンバーの多くが[[ブログ]](あるいは[[Twitter]])を開設しており、ファンはそれをチェックするという形で事実上出費の伴わない消費を行っているが、これもデフレカルチャーの典型と考えられる。同時に、経済学者の[[テイラー・コウェン]]が「心の消費」と呼んだ、金銭を移動させることのない非経済的活動のひとつともいえる。<br />
<br />
経済学者の[[金子勝 (経済学者)|金子勝]]は、AKB48のビジネスモデルは低価格路線の維持のために低賃金労働で従業員を搾取する[[ユニクロ]]の経営手法と類似しておりデフレ経済を定着させるものだと批判している。この議論について田中秀臣は、そもそもアイドル市場は日本経済の影響を与えるほどのスケールではなく、結果と原因を取り違えていると述べている。つまり、AKB48の経営手法がデフレを生むのではなくデフレという経済状況に適応するために生まれたのがAKB48の戦略であり、これは経済弱者である若者に希望を与える成功モデルとして評価されるべきであるとしている。<br />
<br />
AKB48の系列グループとして、国内では名古屋市の[[栄 (名古屋市)|栄]]を拠点とする[[SKE48]]や大阪市の[[難波]]を拠点とする[[NMB48]]といった姉妹グループが地方に展開されているが、これは前述のデフレカルチャー浸透の一環として、高額な出費を避けようとする若者の地方回帰とリンクしている。同時にAKB48は[[動画共有サイト]]を通じて日本国外にもファンを増やしており、また系列グループは[[台湾]]や[[インドネシア]]といった日本国外への進出を表明しているなど、[[グローバル化]]の一面も存在する。ローカル化とグローバル化の同時進行([[グローカル化]])という意味では、AKB48の現代のカルチャー消費の特徴を備えているといえる。<br />
<br />
=== セカイ系・サヴァイヴ系・空気系 ===<br />
2000年代以降の日本の[[ポップカルチャー]]批評では、「[[セカイ系]]」「サヴァイヴ系/バトルロワイヤル系」「[[空気系]]」といったコンテンツの類型化がしばしば行われているが、AKB48もこれらの枠組みから言及されることがある。<br />
<br />
セカイ系とは1995年以降にオタク系文化を中心に広まった[[心理主義]]的な傾向で、「主人公の周辺の狭い人間関係が、(社会領域などの中間項を短絡して)世界規模の大きな事象に直結するという特徴を持つ作品に使われる。田中秀臣は、メンバーのブログなどを通じてファンがメンバーの「小さな私的物語」に自己を接続しようとしいることについて、これはまさにセカイ系的な行動にほかならないと述べている。<br />
<br />
ザヴァイヴ系/バトルロワイヤル系とは、評論家の[[宇野常寛]]が21世紀に入った頃から日本のポップカルチャー全域に目立ち始めたと指摘した作品傾向で、シビアな現実認知の感覚と(特権性の無い)複数の小さな価値観が乱立しせめぎあう構造を特徴とする。田中秀臣によれば、総選挙システムに代表される、AKB48の運営に導入された競争原理はまさに宇野常寛が指摘したゼロ年代特有の時代意識を反映したものであり、AKB48にはセカイ系の要素とサヴァイヴ系の要素の両方が存在しているのだという。宇野常寛自身は、「大きな物語」(社会全体に共有される価値観)が崩壊した[[ポストモダン]]の社会において、「大きな物語」の代替として「大きなゲーム」を利用するものがバトルロワイヤル系であると言い直した上で、AKB48のメンバーが「AKB48」という大きなゲームのプレイヤーとして動員されるという意味でその代表例であると述べている。<br />
<br />
空気系とは、広義では同性のみからなるコミュニティの内部での自己目的化した[[コミュニケーション]]([[つながりの社会性]])の連鎖が描かれそれが異性の消費者から支持されるという傾向の作品群であり、宇野常寛は(女性のみからなるコミュニティである)AKB48もこの流れの1つにも位置づけられるとしている。AKB48というコミュニティの内部ではブログなどを通じてメンバー間の親密な交友関係(擬似[[同性愛]]的な関係)をにおわせるという行為が事実上の男性ファンへのサービスとして行われていたり、メンバーが出演する[[テレビドラマ]]に同性愛関係を読み込んだ[[同人誌]]が(女性ファンによって)[[コミックマーケット]]で売買されていたりするが、こういった現象は、空気系とわれる作品の[[二次創作]]的な受容と類似したところがある。他方では前述したような競争原理の導入によって空気系にありがちな予定調和を効果的に破壊しているという面もある。<br />
<br />
=== キャラクター消費 ===<br />
宇野常寛や[[斎藤環]]は、AKB48のメンバーの[[キャラ (コミュニケーション)|キャラ]]がファンから消費されており、それが運営戦略と密接にかかわっていることが論じられている。各メンバーのキャラが必ずしも固定的ではないものの、例えば[[大島優子]]はおっさんキャラで[[高橋みなみ]]はすべりキャラといったような役割分担がおおむねなされており、メンバーが人気を維持できるか否かは容姿・スタイル・歌唱力といった要素よりもキャラの確立の成否に依存している面がある。<br />
<br />
斎藤環によると、チーム別のサブグループ編成や選抜総選挙という序列付けによってメンバーのキャラが固定化されやすく、また認識されやすいようなシステムが設計されており、さらに握手会をはじめとするふれあいを重視したコンセプトによりファンはメンバーのキャラ形成に直接的に関与できるという幻想をかきたてられるようになっているたのだいう。このように小集団内部で(人気の度合いを表す)序列化とキャラの分化が同時進行するという構造は、日本の現代の学校で生徒間に自然に形成される序列である[[スクールカースト]]のそれと同型といえる。<br />
<br />
宇野常寛はこの斎藤環の論を踏まえて、前述の「中間項としてのテレビ媒体を短絡してファンとの距離感を縮める」という手法により、ファンコミュニティと運営サイドの相互作用でメンバーのキャラを循環的に生成・強化させていることを論じている。すなわち、ファンたちは劇場公演やプログでの些細な発言などから得られるメンバー間の友人関係や性格といった様々な情報をネット上のコミュニティなどで共有し、それは例えば[[Wikipedia]]やAkepediaといった場に投稿されることによって[[集合知]]的に蓄積される。このような形でのファンコミュニティの後押しを受けて各メンバーのキャラ設定が効率的に生成されていくだけでなく、今度は運営サイドがそのキャラ設定を元にした(あるいはあたかも[[二次創作]]のように、それを元に少しアレンジが加えられた)キャラをメンバーが出演する[[テレビドラマ]]の役柄などとして与え、それをファンが消費することによってもともとのキャラの認識が強められるという「キャラクター消費の永久機関」になっているのだという。<br />
<br />
== AKB48の楽曲の歌詞 ==<br />
AKB48の楽曲の歌詞は大きく分けると「(女性視点からの)擬似恋愛的な歌詞」「(男性視点からの)恋愛/青春賛歌的な歌詞」「自己言及的な歌詞」という3つのタイプが存在する。時期に注目すると、初期段階では従来の女性アイドルの楽曲の歌詞では定番ともいえる「(女性視点からの)擬似恋愛的な歌詞」が存在していたが、ヒットのきっかけとなったシングル「[[大声ダイヤモンド]]」がリリースされた頃を境にそれらはあまり多くはみられなくなり、「(男性視点からの)恋愛/青春賛歌的な歌詞」「自己言及的な歌詞」の2つが主流になっていった。<br />
<br />
岡島紳士・岡田康宏による書籍『グループアイドル進化論』での記述によれば、女性目線の歌詞から男性目線の歌詞への変遷には、ファン層自体の変化が関連しているという。すなわち、従来の日本の女性アイドル文化におけるアイドルファンといえば「ファッションなどに興味の無い男性の[[アキバ系]]アイドル[[オタク]]」といった印象になりがちであるが、AKB48では握手会や劇場公演などアイドルとファンが直接的に接触する機会が多いこともあって「アイドルからみられる」ことをファンも意識するようになり、見た目にも気をつかう若い男性ファンや女性ファンの割合も増えている。それに呼応するように、擬似恋愛的な歌詞はあまり必要とされなくなり、青春観を疑似体験したり掛け声を通じてステージ上のアイドルと感情を共有できるような楽曲が増えているのだという。<br />
<br />
[[斎藤環]]は、秋元康によるAKB48の楽曲の歌詞を「絶望荒野と化した[[J-POP]]業界においてひときわ輝いている」と評価し、「ヤンキー性」の要素が歌詞に織り込まれていることに注目している。それによると、AKB48のメンバー自体に注目してもオタク受けする[[渡辺麻友]]とヤンキー受けする[[板野友美]]の両者が存在するというようにバランスがとられているが、秋元自身がオタク性とヤンキー性の両方を持った特異なタイプの人間であり、「[[桜の栞|マジスカロックンロール]]」「[[Beginner]]」など歌詞にはヤンキー特有の刹那主義・反知性主義的な価値観が掲げながらも、同時に自覚的にそういった振る舞いをしているという意識がみられるというバランスが絶妙なのであるという。このような意識は、前述の「サヴァィヴ系/バトルロワイヤル系」の傾向ともつながるものである。<br />
<br />
[[脚本家]]・[[作詞家]]の[[佐藤大]]は、同じく秋元康が手がけた[[おニャン子クラブ]]の楽曲では言葉遊びや内輪受けを狙った歌詞が多かったのに対し、AKB48の楽曲の歌詞は主観的・直球であると対比し、「自分がどうあるべきか」ということを鼓舞するシステムが内包された歌詞がAKB48のメンバー個人への教育になっていると評している。<br />
<br />
== 問題点とトラブル ==<br />
=== AKB商法 ===<br />
AKB48関連の商品に限らず、アイドルグループのCDには特典を付けることにより、熱心なファンが'''同じ商品を複数買うように誘導する'''手法が創生期の頃から取られてきた。AKBのブレイクと共に'''AKB商法'''と呼ばれている。しかし、イベント券の手法は既にとられていた手法であり、モーニング娘。やジャニーズ事務所所属タレントもイベント参加券をつけている。モーニング娘。などは「イベント抽選券」として1枚で必ず行けるものではなく、抽選によって決まる為多い程当たりやすくなっている。AKB48に限らず、姉妹グループである[[SKE48]]・[[SDN48]]・[[NMB48]]でも同様な発売方法が取られている。AKB48のブレイクをきっかけとして、同一商品の複数購入を促す手法はアイドル市場全般に[[ビジネスモデル]]として定着した。なお、握手券は無料の特典や[[証書#私署証書・私文書|私文書]]ではなく[[有価証券]]であることが[[東京地方裁判所]]によって認定されている。<br />
<br />
==== 実例 ====<br />
; 同一タイトルの複数仕様<br />
: 同じタイトルの曲を2種類以上の仕様で同時発売し、1人が複数枚同時購入するように誘導しており、これらは同じタイトルの曲として集計される。CDの場合、シングル「[[大声ダイヤモンド]]」から「劇場盤」と称する、仕様とノベルティの違う商品を併売している。通常盤についてもシングル「[[桜の栞]]」からは行っている。<br />
: 複数仕様に限れば、古くから国内外でほかのアーティストも行っているため一概にAKB48特有の商法とは言えない。しかし、AKB48ではそれらに加えて「握手」「投票権」などといった特典を封入することもある。<br />
: ただし販促キャンペーンの一環として一時的にCDに付加価値がつけられることは古今東西、慣例的にあったことである。[[レッド・ツェッペリン]]や[[アート・ガーファンクル]]は6種類のジャケット違いアルバムをリリースしたことがあり、[[ボブ・ディラン]]ではアルバムを全種類購入すると未発表音源CDを配布するというキャンペーンが度々行われた。また1990年代以降、J-POPのCDに初回盤仕様特別ジャケット、ブックレット封入などはごくごく普通に行われてきたことであり、こうした手法をとることによって「AKB商法」と言われる論拠は薄い。<br />
:<br />
; 生写真等<br />
: CD購入特典として、多種類の生写真等をランダムで添付する。生写真をすべて揃えるために大量購入する必要がある。<br />
; イベント参加券<br />
: 「選抜総選挙」や「リクエストアワーセットリストベスト100」などの投票権を、所定のCD1枚につき1票封入している。総選挙の投票権はCDを購入した分だけ得られるため、熱心なファンは自分の「推しメン」の選挙での順位を上げるために1人で大量に購入し、投票する例がある。<br />
: 「個別握手会」と呼ばれるメンバーと握手ができる券を商品1点あたり1枚封入。メンバー一人数秒あたり1枚利用できるため複数メンバーまたは個メンバーと長時間握手するためには複数枚購入する例がある。なお、これについてもライブ抽選券を封入するアーティストはほかにもいる。<br />
; 店舗特典<br />
: 販売チェーン店によって、オリジナルの特典も添付する。<br />
; 個別写真会<br />
: 携帯電話の写真撮影機能を使った、メンバーとのツーショット撮影会。シングル「桜の栞」の劇場盤で行われた。後にSKE48でも行うようになった。<br />
; 個別サイン会<br />
: アルバム『神曲たち』の劇場盤で実施。<br />
; 全国握手会<br />
: 12人程度のメンバーが全国各地の会場に向かい、ミニライブとグループに分かれての握手会を行う。シングル「大声ダイヤモンド」の通常盤から始まり、購入者は抽選なしに参加。<br />
; 着うた待受画像<br />
着うたでは複数種類の待受け画像をつけることにより、サビやAメロなどのタイプごとにそれぞれの異なったメンバーの待受画像が特典として付けられており、全種類待受画像をコンプリートする為には全種類のパターンをダウンロードする必要がある。<br />
; その他<br />
* 「AKB48 2nd Anniversary スペシャルフォトアルバム」:定価'''5万0400円'''(税込)で2000冊限定販売。特典として発売から'''約7年後'''の2015年12月8日開催予定の『AKB48劇場オープン10周年祭』招待券が付属した。<br />
* 「[[Baby! Baby! Baby!]]」:関連のコンテンツを'''25回以上ダウンロード'''すると握手会(開催日時、場所未定)に参加できる。その他ダウンロード数に応じた特典(待受、コメントムービーなど)をプレゼント。<br />
* DVD「AKB48 リクエストアワー セットリストベスト 100」(1万6800円):劇場で予約・購入すると2008年7月27日開催の握手会参加、当日公演メンバーのサイン色紙プレゼントのいずれかの特典が受けられる。<br />
<br />
==== 弊害や批判 ====<br />
* 商品の複数購入は客の自由意志に基づくもので販売者側が強要しているわけではないが、これらの手法については各方面から強く批判されている。また、「Everyday、カチューシャ」発売時には一部のファンが1人で数百枚から数千枚を購入していることがテレビでも報道されている。<br />
* 握手券や選抜総選挙の投票券だけを目当てにしてCDを大量購入し、握手券や投票券を抜き取りCDのみを中古書店等に即売却したり、インターネットオークションに原価を遥かに下回る価格で出品されていたり、極端な例ではCDショップ近辺に廃棄される例もあったとされる。<br />
** 商品の転売によって利益を得ようとする者が増えている。このため、「[[ポニーテールとシュシュ]]」の劇場盤握手会から身分証明書による本人確認を強化し転売しにくい仕組みになっている。<br />
** 音楽評論家の[[富澤一誠]]は「[[CD不況]]の中、ビジネスのアイデアとして評価できる」と評している一方、「特定のファンなど『取れるところから取る』発想が前面に出すぎると、ランキングや売り上げが高まる半面、国民に広く親しまれる作品は生まれにくくなる」と指摘している。<br />
* 2011年1月オリコンシングルチャートでは特典の付かない通常盤旧譜4枚が同時に3週連続トップ10入りを果たしている。また、「ポニーテールとシュシュ」や「[[ヘビーローテーション]]」、ベストアルバム『[[神曲たち]]』が70週以上連続でチャートインしてロングセラーとなるなど、購入特典がほぼ無力化しても売り上げを伸ばしている作品もある。『[[日経エンタテインメント!]]』2011年6月号では「AKBのシングル曲はキャッチーで覚えやすいから、世間に浸透しやすい」と評している。特典の恩恵を受けないカラオケランキングでも「ヘビーローテーション」が48週連続1位という新記録を樹立した。<br />
<br />
=== 独占禁止法違反騒動 ===<br />
シングル「[[桜の花びらたち#桜の花びらたち2008|桜の花びらたち2008]]」の劇場で販売するCDに期間限定で44種のソロポスター1枚をランダムで付け、44種のポスターを揃えれば特別イベントに参加できるという企画が設定されたが、後日[[私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律|独占禁止法]](不公正な取引)に抵触するおそれがあるとして、[[ソニー・ミュージックエンタテインメント (日本)|ソニー・ミュージックエンタテインメント]]ならびにデフスターレコーズ社内の法務担当の指摘によりこの企画は中止、未開封の商品とポスター持ち込みにより払い戻しが行われた。<br />
<br />
なお、1回も同じポスターが出ることなく全44種のポスターが揃う確率は、計算上では77京1468兆8909億1789万4000分の1とされ、ネット上をはじめとして批判が相次いだ。さらにポスター付のCDが販売されたのは[[AKB48劇場]]カフェのみで、販売期間は2008年2月26日から28日の3日間のみと限られたものであったことも批判の対象となった。<br />
<br />
=== 運営側の不備 ===<br />
; 音源流出騒動<br />
: シングル「[[大声ダイヤモンド]]」の未完成音源が発売前にネットに流出し、運営から法的手段をとる予定との声明が出されたが、その後報告はない。<br />
<br />
; 新体制延期に次ぐ延期<br />
: 2009年8月の日本武道館公演で発表されたチーム新体制は、当初同年10月開始とされていたが、同年12月、翌年2月と延期され、2010年3月開始。同年6月に完了すると発表されたが、最終的には同年7月に延期になった。<br />
<br />
その他、事前の説明不足・想定不足などにより、各種イベントで度々混乱が起こっている。<br />
<br />
== 受賞記録 ==<br />
=== 2009年 ===<br />
* Mnet Asian Music Awards ASIAN RECOMMEND賞<br />
* 第42回[[ベストヒット歌謡祭]] ゴールドアーティスト賞<br />
* [[第51回日本レコード大賞]] 特別賞(AKB48/秋元康)<br />
<br />
=== 2010年 ===<br />
* [[日本ボウリング場協会#ボウリングマスメディア大賞|第17回ボウリング・マスメディア大賞]] グランプリ<br />
* [[日本ゴールドディスク大賞|第24回日本ゴールドディスク大賞]] 特別賞<br />
* 第18回[[スポーツニッポン|スポニチ]]文化芸術大賞 優秀賞<br />
* Best of COSU MODE POWER 2010<br />
* 2010年度 [[グッドデザイン賞]] 金賞(エンターテインメントプロジェクトデザイン)<br />
* [[DIME (雑誌)#DIMEトレンド大賞|2010年小学館DIMEトレンド大賞]] 話題の人物賞<br />
* [[ギネス・ワールド・レコーズ]]認定「世界一人数の多いポップグループ」(正規メンバー48人)<br />
* [[第52回日本レコード大賞]] 優秀作品賞(「Beginner」)<br />
* 第43回[[ベストヒット歌謡祭]] ゴールドアーティスト賞<br />
* 2010年[[ユーキャン]][[新語・流行語大賞]]トップ10(「AKB48」)<br />
<br />
=== 2011年 ===<br />
* 第25回日本ゴールドディスク大賞<br />
** シングル・オブ・ザ・イヤー(「Beginner」)<br />
** ベスト5シングル(「Beginner」)・(「ヘビーローテーション」)・(「ポニーテールとシュシュ」)<br />
* 第2回[[ビルボード#Billboard JAPAN MUSIC AWARDS|Billboard JAPAN MUSIC AWARDS]] 優秀ポップアーティスト賞<br />
* 第11回[[東京スポーツ映画大賞#ビートたけしのエンターテインメント賞|ビートたけしのエンターテインメント賞]] 話題賞<br />
* 第16回AMDアワード 優秀賞(「AKB48コンセプト」)<br />
* [[日本有線大賞|第44回日本有線大賞]] 有線音楽優秀賞・特別賞(「フライングゲット」)<br />
* FUN OF THE YEAR 2011<br />
* 第53回日本レコード大賞 大賞・優秀作品賞(「フライングゲット」)<br />
<br />
=== 2012年 ===<br />
* 第26回日本ゴールドディスク大賞<ref>[http://www.golddisc.jp/award/26/index.html 第26回日本ゴールドディスク大賞]</ref><br />
** 邦楽部門アーティスト・オブ・ザ・イヤー<br />
** シングル・オブ・ザ・イヤー(「[[Everyday、カチューシャ]]」)<br />
** ベスト5シングル(「Everyday、カチューシャ」)・(「風は吹いている」)・(「桜の木になろう」)・(「チャンスの順番」)・(「フライングゲット」)<br />
** ベスト5ソング・ハイ・ダウンロード(「Everyday、カチューシャ」)<br />
** ベスト5アルバム(『[[ここにいたこと]]』)<br />
** ベスト・ミュージック・ビデオ(『AKBがいっぱい〜ザ・ベスト・ミュージックビデオ〜』)<br />
* Billboard JAPAN MUSIC AWARDS 2011<ref>[http://www.tv-osaka.co.jp/sp/billboard/ Billboard JAPAN MUSIC AWARDS 2011]</ref><br />
** Billboard JAPAN Artist of the Year 2011<br />
** Billboard JAPAN Top Pop Artists 2011<br />
** Billboard JAPAN Hot 100 of the Year 2011(「Everyday、カチューシャ」)<br />
** Billboard JAPAN Hot 100 Singles Sales of the Year 2011(「Everyday、カチューシャ」)<br />
* ギネス・ワールド・レコーズ認定<br />
** 「24時間以内に地上波放送で放送した同一商品のテレビCM最多バージョン数」(アサヒ飲料『ワンダ モーニングショット』「メッセージ」編)<ref>[http://gourmet.oricon.co.jp/2008008/full/ AKB48総出演“全90種CM”がギネス世界記録を更新](2012年3月6日、ORICON STYLE)</ref><br />
** 「最も多くのポップシンガーがフィーチャーされたビデオゲーム」(PSP/PS VITA用ゲームソフト『AKB1/149 恋愛総選挙』)<ref>[http://www.oricon.co.jp/news/movie/2019417/ AKB48、“大所帯生かし”ギネス世界記録認定 たかみな「進化まだまだ止まらない」](2012年12月6日、ORICON STYLE)</ref><br />
* [[中国中央電視台|CCTV]]-[[MTV]]音楽盛典 アジア最人気グループ賞<ref>[http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2012/08/23/kiji/K20120823003959340.html AKB48 中国の音楽アワードでアジア最人気グループ賞](スポニチアネックス、2012年8月23日)2012年8月23日閲覧。</ref><br />
* 第45回日本有線大賞 有線音楽優秀賞<ref>[http://www.tbs.co.jp/yusenaward/ 第45回日本有線大賞]2012年11月1日閲覧。</ref><br />
* Billboard JAPAN MUSIC AWARDS 2012<ref>[http://www.billboard-japan.com/common/special/award/2012/winners.html Billboard JAPAN MUSIC AWARDS 2012]</ref><br />
** Billboard JAPAN Artist of the Year 2012<br />
** Billboard JAPAN Top Pop Artists 2012<br />
** Billboard JAPAN Hot 100 of the Year 2012(「[[真夏のSounds good !]]」)<br />
** Billboard JAPAN Hot 100 Singles Sales of the Year 2012(「真夏のSounds good !」)<br />
* 第54回日本レコード大賞 大賞・優秀作品賞(「真夏のSounds good !」)<br />
=== 2013年 ===<br />
* 第27回日本ゴールドディスク大賞<ref>[http://www.golddisc.jp/award/27/index.html 第27回日本ゴールドディスク大賞]</ref><br />
** 邦楽部門アーティスト・オブ・ザ・イヤー<br />
** シングル・オブ・ザ・イヤー(「真夏のSounds good !」)<br />
** ベスト5シングル(「真夏のSounds good !」)・(「[[ギンガムチェック]]」)・(「[[GIVE ME FIVE!]]」)・(「[[UZA (曲)|UZA]]」)・(「[[上からマリコ]]」)<br />
** ベスト5アルバム(『[[1830m]]』)<br />
====備考====<br />
ジャニーズと違いヤフーにもメンバーの画像掲載される<br />
====関連項目====<br />
水戸ご当地アイドル。スーパーマリオが好きな最強のライバル。水戸っぽは会いたかった同様に粘れと連発している。スーパーマリオも実際に聞いた<br />
ニャーKB。妖怪ウォッチのパロディ。イナホのメラライオンのストーリーでジバニャンが観戦していた。このストーリーでケータに妨害されなかった。このストーリーはケータが出なかった為。このストーリーは2015年11月28日に再放送が放送された。この日は本家と対決した。めちゃイケ再放送出ていたため<br />
モーニング娘。こちらもライバル<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{脚注ヘルプ}}<br />
<br />
=== 注釈 ===<br />
{{reflist|group=注}}<br />
<br />
=== 出典 ===<br />
{{reflist|2}}<br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
* 『[[別冊カドカワ]] 総力特集 秋元康』[[角川マーケティング]]、2011年。ISBN 978-4048954204。<br />
* 『[[クイック・ジャパン]]』[[太田出版]]、87号、2009年。ISBN 978-4778312008。<br />
* [[田中秀臣]] 『AKB48の経済学』 [[朝日新聞出版]]、2010年。ISBN 978-4023308725。<br />
* 岡島紳士・岡田康宏 『グループアイドル進化論』 [[毎日コミュニケーションズ]]、2011年。ISBN 978-4839937713。<br />
* [[宇野常寛]] 「補論2 AKB48――キャラクター消費の永久機関」『リトル・ピープルの時代』 [[幻冬舎]]、2011年。ISBN 978-4344020245。<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* [http://www.akb48.co.jp/ AKB48公式サイト]<br />
** [http://www.akb48.co.jp/english/index.html AKB48 Offical Site(英語圏)] {{En icon}}<br />
** [http://www.akb48.com.cn/ AKB48中国官方网站(中国)] {{zh icon}}<br />
** [http://www.akb48.com.sg/ AKB48 SINGAPORE(シンガポール)] {{En icon}}<br />
* [https://www.youtube.com/AKB48 AKB48 Official Channel !] - [[YouTube]]<br />
* [http://ameblo.jp/akihabara48/ 〜AKB48 TOKYO DOME までの軌跡〜(公式ブログ)]<br />
* [http://www.google.com/intl/ja/+/project48/ AKB48 Now on Google+]<br />
** [https://plus.google.com/117147321771860727748 AKB48 - Google+]<br />
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* [http://www.2011-akb48.jp/ DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on「少女たちは傷つきながら、夢を見る」(ドキュメンタリー映画公式サイト)]<br />
<br />
{{AKB48}}<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:ええけえひいふおおていいえいと}}<br />
[[Category:AKB48|*]]<br />
[[Category:日本の歌手グループ]]<br />
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Fromm
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在日韓国・朝鮮人
2018-09-12T10:14:19Z
<p>Fromm: </p>
<hr />
<div>[[Image:在日朝鮮人1.jpg|400px|thumb|在日朝鮮人]]<br />
[[Image:在日朝鮮人2.jpg|400px|thumb|在日朝鮮人]]<br />
[[Image:在日朝鮮人3.png|350px|thumb|在日朝鮮人]]<br />
'''在日韓国・朝鮮人'''(ざいにちかんこくちょうせんじん)は、[[日本]]に[[居住|定住]]する[[朝鮮民族]]のこと。一般に在日韓国・朝鮮人と言ったときは、おおむね[[1945年]]以前から日本に住む者(一世)と、それらの子孫で日本で生まれ育った者(オールドカマー)、またはおよそ10年以上定住する人々(ニューカマー)を指すといわれる。しかし、厳密にどこまでを在日韓国・朝鮮人と呼ぶべきかについては、いくつかの議論があり、明確な定義があるわけではない。<br />
<br />
本国での国籍によって'''在日朝鮮人'''または'''在日韓国人'''と区別されることもある。国籍を問わない呼称として'''在日コリアン'''、または単に'''在日'''とも呼ばれる。韓国では日本国籍取得者を'''在日同胞'''とも呼んでいる。 <br />
<br />
残念なことに[[芸能人]]や[[アナウンサー]]、[[政治家]]などにもこれが混じっている。<br />
<br />
== 概要 ==<br />
[[Image:在日朝鮮人4.png|350px|thumb|在日朝鮮人]]<br />
[[Image:在日朝鮮人5.png|350px|thumb|在日朝鮮人]]<br />
在日韓国・朝鮮人という言葉は、[[日本統治時代の朝鮮|日本が朝鮮半島を統治していた時代]]から継続的に日本に在住し、現在は[[朝鮮籍]]あるいは韓国籍を持ちながら、日本に永住する資格([[特別永住者|特別永住者資格]])を持つ人々に限定して用いられることが多い。日本[[国籍]]を取得したものは、'''コリアンジャパニーズ'''(朝鮮系日本人または韓国系日本人)と呼ばれることがある。<br />
<br />
在日韓国・朝鮮人の性格には、出身地、定住する地域、本国での国籍、来日・定住を始めた時期によって大きな違いがあるといわれている。近年来日した人を「'''ニューカマー'''」、戦前からの在日韓国・朝鮮人やその子孫を「'''オールドカマー'''」と呼び、区別することもある。<br />
<br />
一部では、「在日朝鮮人の大半は戦時中に日本政府が強制労働をさせる目的でつれてきた」などとしているが、[[1959年]]の日本政府の発表では在日朝鮮人の総数は'''61万人'''だが、徴用労務者で在日朝鮮人となったものは'''245人'''で、現在、日本に居住している者は'''犯罪者を除き'''、'''自由意思によって残留'''したものであると明らかにしている。朝鮮人徴用者の日本移入は[[1944年]]9月から[[1945年]]3月までの期間実施された。[[1946年]]3月までに在日朝鮮人のうち'''140万人の帰還希望者'''が日本政府の手配などにより朝鮮に'''帰還している'''。なお、[[2009年]]の韓国政府の発表では、戦時中に12万人(未確認約16万人、朝鮮半島内・日本本土勤務の区別なく)の朝鮮人が徴用されたと発表している。戦後には、戦後の混乱期や[[済州島四・三事件]]・[[朝鮮戦争]]時に密入国した者もおり、密入国者は後に、[[パチンコ]]などで長者番付入りするもの、[[スポーツ選手]]として名声を得るもの、[[スパイ]]容疑者となるものから社会になじめないものなど多様である。[[韓国]][[外交通商部]]の[[2009年]]在外同胞現況によると在日韓国人は'''91万2655人'''である。<br />
<br />
== 在日韓国・朝鮮人の定義 ==<br />
[[Image:在日朝鮮人6.png|450px|thumb|在日朝鮮人]]<br />
[[Image:tibanosensi.jpg|300px|thumb|在日朝鮮人]]<br />
本項では'''在日韓国・朝鮮人'''を最も狭く捉える用法を冒頭で紹介している。しかし、これをさらに広く捉えると、[[大韓民国|韓国]]との[[国交]]樹立後、特に近年来日した韓国人(ニューカマー)や日本国籍を取得した者(コリアンジャパニーズ)も含む場合もある。<br />
<br />
[[帰化]]して日本国籍を取得した者は「朝鮮系日本人」と呼ばれるのが自然だが、現実にはそのような用例は少なく、単に「日本人」とみなされて朝鮮系であることがすぐにはわからない場合が多い。また、日本に帰化した者にも朝鮮系という出自を言明する者は少ない。これらの人々を「日本籍コリアン」と呼ぶこともある。<br />
<br />
「日本籍コリアン」は在日韓国・朝鮮人とは区別されるのみならず、単に「日本人」であるとみなされる場合がほとんどであった。帰化した韓国・朝鮮人も日本人と自認する場合がほとんどだった。また、そう自認する者しか帰化しない時期が長くつづいた。これには、日本在住が数世代を経ていっそう日本人からは区別がつかなくなっていること、帰化がかつて手続き的な国籍取得ではなく民族的同化を求めるものであったこと(現在はそうではないという主張と、現在もそうであるという主張もある)、日本国籍を取得しながら韓国・朝鮮人を自認し表明する者がほとんど見られなかったことなどが関係している。しかし、[[1980年代]]末から[[1990年代]]にかけて、日本国籍を取得しながら民族的出自を明らかにする者も増えつつある。また、日本籍コリアンを同胞視する在日韓国・朝鮮人も増えている。<br />
<br />
== 呼称 ==<br />
在日韓国・朝鮮人の呼称は、韓国・北朝鮮それぞれの正統国家としての立場と深く関係している。韓国を支持する在日朝鮮人組織・[[在日本大韓民国民団]](通称:韓国民団ないし民団)は'''在日韓国人'''であるべきだと主張していた。これに対して北朝鮮を支持する在日朝鮮人組織・[[在日本朝鮮人総聯合会]](通称:朝鮮総連ないし総連)では、引きつづき日本人は'''在日朝鮮人'''と呼ぶべきだと主張している。民団も総連も共に、日本に在住する朝鮮民族は全て自分達の団体および自分達が支持する国家に属するべきであり、呼称に関しても自分達が使用しているものを使用すべきであると主張しつづけている。これとは別に、国籍ではなく民族としての[[同一性|アイデンティティ]]から'''在日朝鮮人'''と呼ぶ場合もある。民族名([[朝鮮民族]])については、韓国では「韓族」「韓民族」などと呼ばれる。<br />
<br />
これら名前に関する南北の争いを避ける場合には、'''在日韓国・朝鮮人'''という呼称が使われることが多い。また、'''在日コリアン'''という表現が使われることもある。'''在日'''とだけ表現する場合は[[日本の外国人|在日外国人]]一般ではなく、在日韓国・朝鮮人を指すことが大半である。<br />
<br />
[[大韓民国|韓国]]、[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]においては、在日韓国・朝鮮人は一般に、「'''在日僑胞'''」(チェイルキョッポ、{{lang|ko|재일 교포}})または「'''在日同胞'''」(チェイルドンポ、{{lang|ko|재일 동포}})と呼ばれ、略して「キョッポ、トンポ」と呼ばれることもある。ただ、「同胞」とはいえ[[チョッパリ|パンチョッパリ]](半日本人)と呼ばれて本国人から差別されることもある。兵役など本国人に課せられている義務を免れていること、[[華夷秩序]]の観点から日本を植民地統治時代以前から軽蔑してきたことなど理由は様々である。<br />
<br />
[[池東旭]]などによって、在日韓国・朝鮮人としてのアイデンティティを獲得しようとの呼掛け・主張の中で、日本に住む朝鮮半島由来の住民(日本国籍を持たない者も含む)の総称として、「コリアンジャパニーズ」などが提唱されている。また、在日韓国人である[[金城一紀]]や[[新井英一]]などが自称として用いている。<br />
<br />
== 歴史 ==<br />
[[Image:Population of Koreans in Japan.gif|400px|right|thumb|[[日韓併合]] (1910年8月), [[土地調査事業]] (1910年~1918年), 「朝鮮人ノ旅行取締リニ関スル件」(朝鮮総督府、朝鮮から日本への渡航を制限, 1919年4月~1922年), [[関東大震災]] (1923年), 釜山での日本渡航制限措置 (朝鮮総督府, 1925年10月), 東亜通航組合結成、済州島~大阪間の朝鮮人による自主運航開始 (1930年4月~1935年), [[朴春琴]]、衆議院議員当選 (1932年2月), 「朝鮮人移住対策ノ件」日本への渡航抑制、日本在留朝鮮人の同化など方針策定 (日本政府, 1934年10月), 「朝鮮人労働者内地移住ニ関スル件」 (朝鮮における雇用制限の撤廃, 1939年9月), 「朝鮮人労務者活用ニ関スル方策」 (官斡旋, 1942年3月), 朝鮮半島からの徴用開始 (1944年9月), 第二次世界大戦終了と送還事業開始 (1945年), [[済州島四・三事件]] (1948年), [[朝鮮戦争]] (1950年), [[サンフランシスコ講和条約]] (1952年), 北朝鮮への帰国運動 (1959年12月~1984年), [[日韓基本条約]] (1965年), [[北朝鮮による日本人拉致問題|北朝鮮による日本人拉致]] (1977年~1983年), [[難民条約]]発効 (日本)、国民年金法の国籍条項撤廃、特例永住制度実施 (1982年), [[ソウル五輪]] (1988年), [[アジア通貨危機]] (1997年)]]<br />
<br />
=== 在日韓国・朝鮮人移入の背景 ===<br />
''注:ここで述べる背景・経緯は、朝鮮の植民地時代・日本の敗戦以前から日本に居住する在日韓国・朝鮮人に関するものである。''<br />
<br />
[[日韓併合]]以前から南部に住む朝鮮人は日本に流入しはじめており、[[留学]]生や季節労働者として働く朝鮮人が日本に在留していた。[[日韓併合]]以降はその数が急増した。[[内務省]][[警保局]]統計は、[[1920年]]に約3万人、[[1930年]]には約30万人の朝鮮人が在留していたとしている。<br />
<br />
朝鮮人が日本に移入した要因として、大きく分けて二つの社会的変化が挙げられる。第一に、朝鮮における農業生産体制の再編である。併合後の朝鮮では、農村を含めた経済システムが再編され、特に1910年から1918年にかけて行われた[[土地調査事業]]によって植民地地主制が確立し、日本人[[地主]]と[[チンイルパ|親日派]]朝鮮人地主へと土地所有権が移動した<br />
。これによって多くの農民が土地を喪失、困窮し、離農・離村した。これが日本移住につながった。また、[[産米増殖計画]]による[[米]]の増産と日本への過剰輸出が、朝鮮半島で一人当たりの米の供給量を激減させ、米価を高騰させて、[[小作農]]などの人々を困窮させたことも日本移住に拍車をかけたとする論もある。<br />
<br />
第二に、日本における[[資本主義]]の発展によって労働力需要が高まったこと、国際競争力の源泉である低賃金労働力として朝鮮人労働力を必要としたことが挙げられる。これが朝鮮人の日本移住を、いっそう促進した。<br />
<br />
さらに[[日中戦争]]、[[太平洋戦争]]の勃発により朝鮮人労働者の日本移住は増加の一途をたどった。併合当初に移入した朝鮮人は土建現場・鉱山・工場などで働く単身者が多くを占めていた。その後、次第に家族を呼び寄せる、または家庭を構えるなどして、日本に生活の拠点をおく者が増えた。<br />
<br />
[[1945年]]8月終戦当時の在日朝鮮人の全人口は約210万人ほどとする報告もある。その9割以上が朝鮮半島南部出身者であった。このうちの多くが日本敗戦前の10年間に渡航したものと思われる。<br />
<br />
* [[1939年]]9月 朝鮮総督府の事実上の公認のもと、民間業者による集団的な募集の開始<br />
* [[1942年]]3月 [[朝鮮総督府]]朝鮮労務協会による官主導の労務者斡旋募集の開始(細かな地域ごとに人数を割り当て)<br />
* [[1944年]]9月 日本政府が[[国民徴用令]]による徴用<br />
<br />
[[1959年]]に外務省は、朝鮮への[[国民徴用令]]適用による朝鮮人徴用は[[1944年]]9月から[[下関市|下関]]-[[釜山広域市|釜山]]間の運行が止まる[[1945年]]3月までの7ヶ月間であり、また、戦時中に徴用労務者として来た朝鮮人の内、そのまま日本に留まった者は1959年時点で245人に過ぎず、日本に在住している朝鮮人は、その'''大半が自由意志で来日・在留した者'''であるという調査結果を発表している。<br />
<br />
この時期は兵役により減少した日本での労働力を補うため、朝鮮半島からの民間雇用の自由化(1939年)、官斡旋による労務募集(1942年)により在日朝鮮人が急増したが、1944年9月から始まった朝鮮からの徴用による増加は第二次世界大戦の戦況の悪化もあってそれほど多くは無かった。[[1974年]]の[[法務省]]・編「在留外国人統計」では、朝鮮人の日本上陸は[[1941年]] - [[1944年]]の間で1万4514人とされ、同統計上同時期までの朝鮮人63万8806人のうち来日時期不明が54万3174人であった。官斡旋等による朝鮮半島での労務募集の実態 がどのようなものであったか、日本国内での朝鮮人労働者の待遇・生活がどのようなものであったか、については、その人数や規模などを含めて、今なお議論が続いている。<br />
<br />
なお、2005年の日韓基本条約関係文書公開に伴う韓国政府に対する補償申請者は、2006年3月の時点で総受理数21万件のうち在日韓国人からは39人に留まっており、これは[[樺太]](サハリン)からの5996件に比べても極端に低い数となっている。<br />
<br />
[[1945年]]以降は、[[済州島四・三事件]]や[[朝鮮戦争]]にともなう難民・密航者が日本に多数流入した。1945年に朝鮮半島に帰還したものの、その後に動乱を避けて再び日本に移入した者も多かった。彼らとその子孫も、オールドカマーのうちに入れられて考えられることが多い。<br />
<br />
=== 戦前の在日韓国・朝鮮人 ===<br />
{| class="wikitable" align=right style="margin:5px;"<br />
|+'''本籍地別構成(2005年)'''<br />
|-<br />
| 本籍<br />
| 人数<br />
| %<br />
|-<br />
| [[ソウル市]]<br />
| 57,574<br />
| 9.62<br />
|-<br />
| [[釜山市]]<br />
| 25,213<br />
| 4.21<br />
|-<br />
| [[光州市]]<br />
| 2,148<br />
| 0.36<br />
|-<br />
| [[大田市]]<br />
| 1,878<br />
| 0.31<br />
|-<br />
| [[京畿道]]<br />
| 26,523<br />
| 4.43<br />
|-<br />
| [[忠清南道]]<br />
| 11,220<br />
| 1.87<br />
|-<br />
| [[忠清北道]]<br />
| 9,449<br />
| 1.58<br />
|-<br />
| [[全羅南道]]<br />
| 41,120<br />
| 6.87<br />
|-<br />
| [[全羅北道]]<br />
| 10,627<br />
| 1.78<br />
|-<br />
| [[慶尚南道]]<br />
| 172,343<br />
| 28.79<br />
|-<br />
| [[慶尚北道]]<br />
| 125,392<br />
| 20.94<br />
|-<br />
| [[江原道]]<br />
| 4,579<br />
| 0.76<br />
|-<br />
| [[済州島]]<br />
| 99,421<br />
| 16.61<br />
|-<br />
| 不詳<br />
| 1,506<br />
| 0.25<br />
|-<br />
| [[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]地域<br />
| 3,001<br />
| 0.50<br />
|-<br />
| その他<br />
| 6,693<br />
| 1.12<br />
|-<br />
| 総数<br />
| 598,687<br />
| 100<br />
|}<br />
<br />
[[日韓併合]]により、日本による[[朝鮮半島]]の[[植民地]]化が進行していくのと並行して、朝鮮人は日本人による[[差別]]・蔑視の対象とされるようになった。要因は様々であるが、例えば、[[朝鮮語]]訛りの日本語を使う相手に対する偏見や、または彼らの順法意識や衛生知識の乏しさに起因する生活上のトラブルなどが原因とされる。[[朝鮮総督府]]は「『内地人([[日本人]])』による朝鮮人への差別的態度が朝鮮人の[[民族主義]]を育てている」と警告を発した。<br />
<br />
朝鮮人に対する政策は、日本政府においても朝鮮総督府においても紆余曲折を経ている。戦時動員体制の強化にともない朝鮮人の動員を強める必要に迫られたころ、日本政府は[[一視同仁]]の[[プロパガンダ]]のもと、日本人と朝鮮人を同じく扱う政策に傾いた。朝鮮人は旧来の[[日本国民]]([[内地人]])とは別個の法的身分に編入された。しかし、日本国民としては不完全ながら[[公民権]]の一部([[選挙権]]、[[被選挙権]]、公務就任権など)を与えられた。「民族的出自によって差別的な不利益処分を受けることは原則としてありえない」という宣伝に、朝鮮の知識人が動員された([[李光洙]]など)。朝鮮出身者の中にも、日本国民として官公庁に勤務した者がいた。<br />
<br />
[[第二次世界大戦]]の敗戦以前に行われた選挙では朝鮮名のままで立候補した者も存在し、実際に[[衆議院]]議員に当選した者([[朴春琴]])もいる。<br />
<br />
[[関東大震災]]の際には「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んでいる」との[[噂|流言蜚語]]により、多数の朝鮮半島出身者が「不逞鮮人」とされて、自称「自警団」に[[虐殺]]される事件が起きた。この事件の詳細については[[関東大震災]]の項目を参照のこと。<br />
<br />
=== 戦後の在日韓国・朝鮮人 ===<br />
==== 帰国と滞在 ====<br />
[[戦後]]の在日韓国・朝鮮人も差別にあった。[[戦前]]・[[戦中]]から、在日韓国・朝鮮人の多くは日本の一般社会との交流に乏しく、[[港湾]]や[[鉱山]]、[[工場]]などでの労働によって生活してきた。そのため[[日本語]]を巧く話すことはできず、日本で生活していく基盤は脆弱であった。「大部分の人々は終戦後早々に故郷へ帰ってしまったとしても不思議はなかった」が、約4分の1が敗戦後も日本に定住するに至ったのには、後に日本人からも在日韓国・朝鮮人からも「棄民政策」であったと批判される。<br />
<br />
朝鮮人の引揚に関しては、[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]と日本政府は引揚希望者を全員帰国させる方針であり、船便による具体的な送出人数に関してもGHQが指示を出している。また、日本国内(内地)の輸送に関しても具体的な指示が出ている。<br />
<br />
==== 『朝鮮高校の青春 ボクたちが暴力的だったわけ』金漢一 著 光文社 2005年4月刊 ====<br />
★朝日新聞在日社員の朝鮮校時代★<br />
<br />
「日曜日は仙台の繁華街で日本人狩り」 <br />
<br />
2~3人で[[仙台市]]内に繰り出し、2年生は お目付役として1年生にアイツをやれとか 目配せしたり ・・・<br />
<br />
日曜日に1年生が寮内にいたら先輩に、なぜ街に出て日本人を狩らないのか聞かれる。<br />
<br />
端から見てても気の毒なほど日本人をボコボコにしてるヤツもいるし、まわしケリ一発で決めるヤツもいる。相手が前かがみに倒れると、殺してしまったかと、さすがにビビるそうだ。<br />
<br />
先輩から命令されてやっていることが多いので、2~3人とカツアゲしても、目標額に達しないと焦ってくる。なかには給料袋のまま、数十万円もカツアゲしてくる勇者もいる。<br />
<br />
「おまえそれはひどいんじゃないか?」 <br />
<br />
「[[チョッパリ]]にはなにしてもかまわねえ」 <br />
<br />
警察に捕まった朝高生も、呼び出された先生も、我々朝鮮人を強制連行した日本政府が悪いんだと、話を政治問題に振り向けると、バカな仙台の警察官達は、黙りこくってしまい、お目こぼしされる。<br />
<br />
==== 戦後の入国 ====<br />
[[Image:在日朝鮮人7.jpg|400px|thumb|在日朝鮮人]]<br />
戦後の大きな朝鮮人の日本移入の起因となった最初のものとして、[[1948年]]の[[済州島四・三事件]]がある。同・事件で起きた済州島での虐殺は日本への難民/密航者を大量に生んだ。また経済的理由から[[密航]]して出稼ぎに来るものも多くいた。戦後にまもなくして来日した彼らは戦後のどさくさに紛れ、本来は対象者ではなかったが[[特別永住者|特別永住資格]]を得た。こうしたことから「朝鮮人には密航者が多い」との主張に結びつけられることもある。<br />
<br />
==== 阪神教育事件 ====<br />
[[阪神教育事件]]参照<br />
<br />
朝鮮人にとっては民族教育が必要であるとの主張があった。そのため戦後、日本各地に朝鮮人学級が設けられ、続いて朝鮮人学校が設置された。これに対して[[1948年]]に、[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]の意向により[[朝鮮学校閉鎖令]]が出され、阪神教育事件に発展した。<br />
<br />
==== 法的地位の変遷 ====<br />
[[Image:在日朝鮮人8.jpg|400px|thumb|在日朝鮮人]]<br />
[[朝鮮籍]]参照<br />
<br />
[[1952年]]に[[日本国との平和条約]]が発効すると、在日韓国・朝鮮人は朝鮮半島に帰属する民族である事となり、結果的にこの時点で彼らは日本国籍を喪失した。<br />
<br />
ここで国籍を喪失した者の範囲は、日本国との平和条約発効時([[1952年]][[4月28日]]午後10時30分)において、朝鮮戸籍令の適用を受けていた者である。したがって、現国籍法施行(1950年7月1日)より前に、朝鮮に地域籍をもつ者と婚姻した内地籍を有した妻や朝鮮籍を有した父に認知されるまで内地籍を有していた子も日本国籍をその時点で喪失したことになる。<br />
<br />
==== 就業実態と経済活動 ====<br />
戦後の在日韓国・朝鮮人にとって、就職・就業が困難な時期もあった。いわゆる[[3K]]職場や[[水商売]]に就く者も多かった。また、[[暴力団]]員になる者もおり、指定[[暴力団]][[会津小鉄会]]四代目会長・[[高山登久太郎]](本名・姜外秀/カン・ウェス)は、[[朝日新聞社]] 『[[論座]]』(1996年9月号 11頁)での[[インタビュー]]の中で、「[[ヤクザ]]の世界に占める在日韓国・朝鮮人は三割程度ではないか、しかし自分のところは約二割だ」という内容のことを答えている。<br />
<br />
=== 帰国運動 ===<br />
[[在日朝鮮人の帰還事業]]参照<br />
<br />
戦後、在日韓国・朝鮮人の帰国運動が盛り上がったのは、[[1958年]]の日本・北朝鮮[[赤十字社|赤十字]]会談の開催からである。これには[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]・日本・在日韓国・朝鮮人それぞれに三者三様の思惑があった。「[[千里馬運動]]」を掲げて、多数の労働者を必要とした北朝鮮政府と、当時に生活保護受給者の半数を占めていた在日問題を解決したい日本政府、さらには日本での貧困・差別から抜け出したい在日韓国・朝鮮人にとって、それぞれの思惑が一致した現象であると見ることができる。<br />
<br />
このとき、帰国運動に参加した在日韓国・朝鮮人のほとんどは[[朝鮮半島]]南部、すなわち[[大韓民国|韓国]]政府が支配する地域の出身者であった。しかしこのころ韓国は、[[朝鮮戦争]]による荒廃からまだ完全には立ちなおっておらず、とてもではないが帰国者を受け入れる態勢はとれなかった。このこともまた、韓国政府による「棄民政策」でなかったのかとして、後に様々な方面から批判されている。<br />
<br />
日本における在日韓国・朝鮮人団体である[[在日本朝鮮人総連合会]]は、北朝鮮政府の指示のもとで在日韓国・朝鮮人の『地上の楽園』北朝鮮への帰国を、強力に勧誘・説得する活動を展開した。日本の新聞各社、また民間の研究機関「現代コリア研究所」(旧・日本朝鮮研究所、代表・[[佐藤勝巳]])も、これに同調した。就職差別・他の在日韓国・朝鮮人をとりまく差別に対して効果的な対応策を打ち出せず、生活保護費の[[予算]]捻出に苦慮していた日本政府は、このキャンペーンをむしろ歓迎したようである。当時の[[内閣総理大臣]]・[[岸信介]]は[[国会]]答弁で帰国運動の「人道性」を訴えて、北朝鮮への帰国事業を正当化した。韓国はこれを「北送」と呼んで非難し、[[在日本大韓民国民団|韓国民団]]は「北送事業」への反対運動を展開した。<br />
<br />
大多数にとって出身地(故郷)ではない北朝鮮へ「帰国」した在日韓国・朝鮮人の生活は、過酷なものであった。帰国者は北朝鮮においても差別にさらされ、そのいくらかは[[強制労働]]に追いやられた。行方不明者が多く、処刑されたと言われている者も多い。在日韓国・朝鮮人の子弟であるほど、突然に[[スパイ]]容疑で[[強制収容所 (北朝鮮)|強制収容所]]に送られるケースが多かった、との証言もある。北朝鮮での待遇の実態が次第に在日韓国・朝鮮人社会へ伝わるにしたがって帰国者は急減し、[[1983年]]に帰国者が0人となったことで「帰国運動」は事実上終結した。<br />
<br />
現在では、帰国運動の際に在日韓国・朝鮮人と結婚して帰国運動の際に北朝鮮へ渡った「日本人妻」(一部「日本人夫」)の日本帰国も、日朝間で解決が必要な課題のひとつとなっている。ただし詳細は不明ながら、一時日本へ帰国したものの、再び北朝鮮へ渡る例もある。<br />
<br />
近年では、[[テッサ・モリス=スズキ]]がジュネーブの赤十字社資料から北朝鮮帰国運動の背景を明らかにしており、日本による追放政策としての側面を強調している。<br />
<br />
帰国者らは北朝鮮における身分制度である[[出身成分]]の最下層に分類されている。<br />
<br />
=== 吉田茂からマッカーサーへの報告 ===<br />
日本国は在日朝鮮人の全員送還を望む <br />
<br />
連合国最高司令官[[ダグラス・マッカーサー]][[元帥]]閣下 <br />
<br />
[[台湾人]]については、彼らが比較的少数であり、それほど問題を起こしておりませんので、しばし触れないことに致します。<br/><br />
しかし、総数約100万人、そのほぼ半数は不法入国者であるところの在日朝鮮人の問題について、われわれはいま早期の解決を迫られております。<br />
<br />
私はこれら朝鮮人がすべて、彼らの生国の半島に送り返されることを欲するものです。その理由は以下のとおりです <br />
<br />
#日本の食糧事情は、現在もまた将来においても、余分な人々を維持することを許しません。[[アメリカ]]の厚意によって、われわれは大量の食料を輸入していますが、その一部は在日朝鮮人を食べさせるために用いられています。これらの輸入は、将来何世代にもわたって我が民族の負債となることでありましょう。もちろん、われわれはそのすべてを返済する覚悟を固めておりますが、この対米負債のうち朝鮮人のために生じた分まで、将来の世代に負わしむるのは、公正なこととは思えません。 <br />
#これら朝鮮人の大多数は、日本の経済の債権に貢献しておりません。 <br />
#もっと悪いことには、これら[[朝鮮人]]は犯罪を犯す割合がかなり高いのです。彼らは我が国の経済法規を破る常習犯です。かなりの数が、[[共産主義]]者かその同調者であり、最も悪質な政治的犯罪を犯しがちなのです。投獄されているものは、既に7000人を超えています。 <br />
<br />
吉田茂=マッカーサー往復書簡集 袖井林次郎 編訳 講談社学術文庫<br />
<br />
== 現在 ==<br />
[[Image:在日朝鮮人9.jpg|350px|thumb|在日朝鮮人]]<br />
[[Image:在日朝鮮人10.jpg|350px|thumb|在日朝鮮人]]<br />
今日、在日韓国・朝鮮人は、日本に民族的アイデンティティーを重視した独自のコミュニティーを形成する者、新たに形成することを志す者、帰化する者、日本人[[配偶者]]を得て同化する者、それらの中間的立場や混合的立場をとる者、と多様な生き方を見出している。<br />
<br />
在日韓国・朝鮮人の諸組織・知識人・[[朝鮮学校]]からは、民族教育の必要性が主張されてきた。実際に、本名を名乗り自らの[[アイデンティティー]]を明確にすることで、在日韓国・朝鮮人が社会の中で認められるようになるケースも見られる。これに呼応して、行政側の対応にも変化が起こりつつある。朝鮮学校の卒業生は、[[各種学校]]卒のため、日本の[[学制]]から除外されている。しかし近年では、[[国公立大学]]でも[[2004年]]前後から朝鮮学校の卒業を大学入学資格として認定する動きが生じている。これも行政側の対応変化を反映していると思われる。<br />
<br />
近年では在日韓国・朝鮮人であることを最初から・あるいは途中から明らかにして、本名で活躍する有名人があらわれてきた。芸能人・スポーツ選手など日本人に触れやすい分野でも、在日韓国・朝鮮人の本名を見かけるケースが増えている。[[2002 FIFAワールドカップ|2002年FIFAワールドカップ]]日韓共催では両国間の友好を深めようとする動きが、その成功・失敗などの評価は別として、メディアを中心に大きく展開された。<br />
<br />
一時、改善の動きも見えた[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]との関係だが、[[2003年]]ごろから[[北朝鮮による日本人拉致問題|拉致問題]]、[[北朝鮮核問題|核兵器保有問題]]のあおりを受け、再び関係が悪化している。<br />
<br />
=== 強制連行されたという在日朝鮮半島人は以下の質問に答えなさい ===<br />
* 誰によってどこへ強制連行されたのか詳細を述べなさい。 <br />
* 戦後67年間,祖国から返還請求がない理由を述べなさい。 <br />
* 戦後67年間,祖国に助けを求めなかった理由を述べなさい。 <br />
* 戦後67年間,祖国が在日朝鮮半島人を問題視していない理由を述べなさい。 <br />
* 戦後67年間,自分達で帰国事業を立ち上げなかった理由を述べなさい。 <br />
* 戦後67年間,日本人に対して返還事業を提案しなかった理由を述べなさい。 <br />
<br />
質問に対する回答が無い場合,在日朝鮮半島人は「違法入国者」の末裔,もしくは当人であるとみなします。つまり「犯罪者」であるということです。 <br />
<br />
=== 在日朝鮮半島人のすばらしい「愛国心」 ===<br />
* 強制連行されてきた外国人のはずだが、祖国に帰らせろとは言わない。 <br />
* 祖国は日本よりすばらしいと言うくせに、帰ろうとはしない。徴兵も無視。 <br />
* 帰る祖国が存在するのに、帰る場所はないと言う。 <br />
* 日の丸を見るのも嫌な外国人のくせに、日本から出て行こうとはしない。 <br />
* 立派な朝鮮人名を名乗らず、屈辱なはずの日本人名を自らの意思で名乗る。 <br />
* 大嫌いなはずの日本人に、リアルでもネット上でも成りすます。 <br />
* 外国でトラブルに遭うと、祖国の大使館ではなく日本の大使館に泣きつく。 <br />
* 祖国に帰れば参政権があるのに、なぜか先に日本での参政権を要求する。 <br />
* 祖国を良くするための諫言はしないが、日本には内政干渉をする。<br />
<br />
=== 「見返りも無しに通名を止めろとは」 ===<br />
[[Image:在日朝鮮人11.jpg|350px|thumb|在日朝鮮人]]<br />
在日の生き方白熱討論…青年会35周年「ウリミレ祝祭」 <br />
<br />
通称名廃止で社会変革迫る。もう一つのディベートテーマは、古くて新しい「在日と名前」の問題。 <br />
<br />
神奈川本部の鄭榮誠会長が「明日から通称名を廃止します」を「マニフェスト」として掲げ、「子どもたちに私たちと同じ不愉快な思いをさせてもいいのか」と問題提起した。 <br />
<br />
反対派は仕事上や就職時のリスクを挙げながら、「リターンがないのに踏み切れるのか」と述べた。賛成派が日立就職差別裁判の判例をもとに「国籍差別は違法」と主張しても「強者の論理」と譲らなかった。 <br />
<br />
リスクだけでなく、通称名になじみ、愛着を持つという3世らしい声も根強かった。このほか、本名を名乗るにしても社会の環境が整っていないという発言も多かった。 <br />
<br />
これに対して賛成派は、「在日55万人が本名に変われば社会そのものが変わる。リスクは55万人で背負う」と提起すると、会場全体から大きな拍手があがった。「本名で生きられない社会をいつまで続けるのか。次の世代に負の遺産を引き継ぐのか」という意見も。 <br />
<br />
投票結果は賛成55票で反対44票を上回った。無効は3票だった。<br />
<br />
=== 「横浜の中華街みたいなコリアタウンを作る」神奈川韓人会が発足!(2013年6月) ===<br />
[[Image:在日朝鮮人12.jpg|350px|thumb|在日朝鮮人]]<br />
在日本神奈川県韓国人連合会(神奈川韓人会)が16日、横浜市内で創立総会を開いた。<br />
<br />
各地の韓人会代表者や駐横浜韓国総領事、[[民団]]神奈川関係者ら約100人が参加した。初代会長の徐允錫氏はあいさつで「なぜ横浜には中華街のような韓人タウンがないのか」と述べ、いつかは県内に[[コリアタウン]]を作りたいという抱負を明らかにした。<br />
<br />
[[2001年]]に東京で産声を上げた韓人会は、その後関西、九州、中部にもでき、今回の神奈川で全国5つめとなった。現在も他県で設立の動きがあるという。<br />
<br />
韓人会は会員相互の親睦や情報共有、地域社会発展と融和などを進めながら、'''在日韓国人の権益伸長'''を目的としている。<br />
<br />
会員は主に80年代以降に来日した「ニューカマー」と呼ばれる在日韓国人が多く、その点が在日2世・3世が中心となっている日本最大の民族団体・在日本大韓民国民団(民団)との最大の違いになっている。<br />
<br />
=== 年商数千万円で生活保護受給。韓国人のクラブ経営者逮捕(2013年5月) ===<br />
[[Image:在日朝鮮人13.jpg|350px|thumb|在日朝鮮人]]<br />
韓国人クラブを経営しながら[[生活保護]]を受給していたとして、[[警視庁]]組織犯罪対策1課は、詐欺で、韓国籍の韓国人クラブ「パートナー」([[東京都]][[新宿区]][[歌舞伎町]])経営、許愛栄(54)=同区戸山=を逮捕した。同課によると、「病気で働けないと言ってだました」と、容疑を認めている。<br />
<br />
許は[[平成17年]]3月から生活保護を毎月14万円受給。同店は[[平成20年]]9月~25年4月、[[クレジットカード]]だけで1億2700万円を売り上げており、同課はその間の生活保護費840万円をだまし取っていたとみている。<br />
<br />
同店では女性従業員が「店外デートは3万円」などと男性客を誘ってホテルを往復する姿が目撃されており、同課は[[管理売春]]の疑いもあるとみている。<br />
<br />
逮捕容疑は[[平成24年]]7月、同区の福祉事務所に「[[C型肝炎]]のため働けない」などとして無収入を申告し、24年8月~25年4月、生活保護費計約138万円をだまし取ったとしている。<br />
<br />
許は[[平成2年]]に日本人男性と結婚して[[平成8年]]に[[永住資格]]を得ており、無収入であれば受給資格があった。<br />
<br />
=== クラブ経営で1億円超収入も「無職」と申請(2014年2月) ===<br />
[[東京都]][[足立区]]に住む[[韓国]]籍の50代の女が韓国人クラブを実質的に経営して1億円超の売り上げがありながら、[[無職]]を装って[[生活保護]]費数百万円を不正受給していた。[[警視庁]]組織犯罪対策1課は7日夜、詐欺容疑で女と日本人の夫を逮捕した。夫妻は別居を続けており、組対1課は生活保護費を受給するための偽装結婚だった可能性もあるとみて実態解明を進める。<br />
<br />
夫妻は数年前、足立区役所で無職と偽って生活保護費を申請。女が約3年前に同区内で韓国人クラブを開業した後も毎月十数万円、総額数百万円の生活保護費を不正受給していた。申請時に入金がない預金通帳のほか、夫に持病があるとの診断書を提出し、夫の介護のために女も働けないと説明していた。<br />
<br />
クラブの名義上の経営者は知人男性だったが、組対1課は女が売上金やホステスを管理するなど実質的に経営していると判断。売り上げは約3年間で総額1億円超に上るとみられる。女は同区内のマンションで暮らし、高級車で通勤する姿が確認されている。夫にも廃品回収などで数百万円の年収があった。組対1課は生活保護費を夫妻で分配していたとみて資金の流れを調べている。<br />
<br />
=== 韓国籍の髙石こと髙崇絋(29)を、スーパーの女子トイレ侵入で逮捕(2014年2月) ===<br />
[[Image:在日朝鮮人14.jpg|300px|thumb|在日朝鮮人]]<br />
名張署は[[2月19日]]、[[名張市]]東町の会社員で韓国籍の髙石こと髙崇絋(29)を、建造物侵入で逮捕した。容疑を認めている。<br />
<br />
髙は同日午後7時35分ごろ、同市内の大型スーパーマーケットの女子トイレに侵入した。トイレにいた[[女子中学生]]が仕切りの上からカメラのようなものが見えたため、店内にいた母親に電話。駆け付けた母親が女子トイレから出てきた髙を発見し取り押さえた。<br />
<br />
トイレには当時、髙と女子中学生の2人しかいなかった。<br />
<br />
=== 「日本初の韓流温泉ホテルを作って大儲けニタ゛。ウェーッハッハ」 → 儲からずにホテルに放火 ===<br />
[[Image:在日朝鮮人15.jpg|300px|thumb|在日朝鮮人]]<br />
自分のホテルに放火、4億円保険金詐欺未遂容疑<br />
<br />
[[静岡県]][[下田市]]柿崎のホテル「オーシャンガーデン海山吾照」で[[2013年]]1月に起きた放火事件で、県警は2014年1月28日、韓国籍で[[東京都]][[町田市]]、会社役員・康徳秀(56)(非現住建造物等放火罪で起訴)を詐欺未遂の疑いで再逮捕した。<br />
<br />
康は2013年1月15日午後11時半頃、自身が経営の同ホテルに放火させ、建物の一部約170平方メートルを焼く火災を起こし、同10月10日頃、東京都内の損害保険会社に建物の損害や休業に対する補償などとして、保険金計約4億3500万円をだまし取ろうとした。<br />
<br />
保険金は支払われなかった。康は詐欺未遂については「やっていない」と容疑を否認している。康は、放火を実行した男らと共謀したとして、非現住建造物等放火罪で起訴されている。<br />
<br />
==== オーシャンガーデン海山吾照。日本初の韓流温泉旅館が下田に! ====<br />
全室オーシャンビュー!天然温泉100%のかけ流しの温泉と、岩盤浴・韓式サウナ入り放題!<br />
<br />
新鮮な下田の海の恵みを取り入れた和食も当然ながら本場韓国食材をふんだんに使った韓国料理は美容と健康に効果的!<br />
<br />
伊豆の下田にいながらに、和と韓の美味しい融合をまさにおなかいっぱい感じられるはずです。ドラマのワンシーンの様な至極の時を。<br />
<br />
=== 「パチンコで月に5万円ほど負けていたので」生活保護費約600万円不正受給。韓国籍の男ら2人逮捕(2013年11月) ===<br />
[[Image:在日朝鮮人16.jpg|500px|thumb|震災を喜ぶ在日朝鮮人]]<br />
実際の収入よりも低く偽って申告し、[[生活保護]]費およそ600万円を不正に受けとっていたとして、韓国籍の男ら2人が警視庁に逮捕された。<br />
<br />
逮捕されたのは、[[昭島市]]に住む、韓国籍の辛雲起(66)と向山一美(61)。2人は、[[2009年]]から去年にかけて、昭島市役所に対し、実際の収入よりも低い金額で申告し、生活保護費、およそ600万円を不正に受け取った。<br />
<br />
向山は、清掃作業員として月に17万円ほどの収入があったが、『2万円から3万円の収入』と偽った明細書を提出していた。2人は『[[パチンコ]]で月に5万円ほど負けていたので生活費の足しにしていた』と供述している。<br />
<br />
=== 韓国籍「唾吐き男」関与認める供述「ストレスはけ口」再逮捕(2014年1月) ===<br />
[[大阪市]]の路上で女児が唾を吐きかけられた事件で、暴行容疑で逮捕された[[韓国]]籍の会社員、趙昌彦(24)が「[[ストレス]]のはけ口にしていた」と関与を認める供述を始め、此花署が別の被害者に唾を吐いたとする暴行容疑で再逮捕する方針を固めた。<br />
<br />
付近では同様の事件が二十数件発生。趙は8歳女児の服に唾を吐きかけたとして今月9日に此花署に逮捕された。当初は「記憶がない」と容疑を否認していた。<br />
<br />
鑑定で女児の服に残っていた唾液の[[DNA型]]が趙と一致。他の女性数人に唾を吐きかけたことをほのめかしていることも明らかになった。趙とみられる男は唾を吐きかけた後、女性が驚く様子を確かめるように、逃走中に振り向いていたとの目撃情報もあった。<br />
<br />
=== マンション窃盗、余罪50件か。金東憲(37))ら韓国人兄弟逮捕(2014年2月) ===<br />
東京・代々木のマンション一室に忍び込み、バッグを盗んだなどとして、[[警視庁]]捜査3課は4日までに、[[窃盗]]などで、いずれも韓国籍で住所不詳、自称大学生の金東憲(37)と弟の無職※(※=恵の心が日)元兌(30)の両容疑者を逮捕した。いずれも容疑を認めている。<br />
<br />
金は「玄関がオートロック式の高級マンションは(住人が油断して)無施錠の部屋が多い。同じ手口で、昨年9月ごろから都内で50件ぐらいやった」と供述。盗品は[[韓国]]に持ち帰って転売していたといい、同課は被害額が少なくとも1000万円を超えるとみている。<br />
<br />
金兄弟は2013年11月11日未明、[[渋谷区]][[代々木]]の4階建てマンションで、70代男性宅に無施錠の玄関から侵入。現金や[[クレジットカード]]が入ったバッグ1個を盗んだ上、盗んだカードで[[豊島区]]内の[[現金自動預払機]](ATM)から11万円を引き出した。<br />
<br />
=== 13年前の強盗殺人未遂事件、韓国籍の男を大阪府警が逮捕(2014年2月) ===<br />
[[平成13年]]に[[大阪府]][[豊中市]]の民家に宅配業者を装った2人組の男が押し入り、住人の女性=当時70歳=の首を絞めて現金や[[キャッシュカード]]を奪ったうえ、室内が放火された事件で、[[大阪府警]]捜査1課は20日、強盗殺人未遂と現住建造物等放火などで、指名手配していた韓国籍の金冑勇(49)を逮捕した。<br />
<br />
金は「女性の家にいったが、共犯の男が首を絞め、金を奪った」などと容疑を否認している。金は行方不明になっていたが、昨年4月、韓国に潜伏しているとの情報が浮上。9月に日本側が[[日韓犯罪人引渡条約]]に基づき身柄の引渡しを請求し、11月、韓国の警察当局が取り押さえた。<br />
<br />
金は、13年[[5月22日]]午前10時ごろ、共犯の男とともに同市緑丘の民家に包丁を持って押し入り、女性の首を絞めて手足を粘着テープで縛った後、現金約13万円などが入ったバッグを強奪。約1時間後、集金のためにきた保険代理店の男性支店長=当時61歳=も緊縛して現金約1万8千円入りの財布を奪い、放火して殺害しようとした。女性は肋骨骨折の重傷、支店長は首に軽傷を負った。<br />
<br />
金らは同日、市内の銀行の現金自動預払機で現金計104万円を引き出して逃走。共犯の男は約2カ月後に逮捕され、懲役20年の実刑判決を受けて、収監中の[[平成17年]]に死亡している。<br />
<br />
=== 「ポルシェ」で万引、生活保護、49歳・韓国籍男の“仰天非常識”。“都市伝説”は本当だった、見過ごした行政の“怠慢” ===<br />
いずれも似つかわしくない取り合わせだった。男が「万引」の犯行現場に乗り付けた車、そしてこの男は生活保護受給者…。<br />
<br />
男の愛車は、万引と生活保護という2つの言葉とは縁遠い存在のドイツの高級車「[[ポルシェ]]」だったのだ。[[兵庫県警]]長田署に窃盗容疑で逮捕、起訴された男は、[[韓国籍]]で神戸市長田区の無職、朴永錦(49)。さらに交通事故で1千万円超の保険金を受け取ったにもかかわらず、生活保護費を不正受給していたことも判明し、詐欺容疑で再逮捕された。原則、所有が認められない高級外車を生活保護の受給中に購入したという呆れた行動。だが、保護費を支給していた神戸市も、不正を見破る機会をみすみす逃していたという。<br />
<br />
「生活保護をもらいながら外車に乗っている」。こんなフレーズは半ば都市伝説のごとく語られることはあったが、現実だった。<br />
<br />
[[平成25年]]10月、[[神戸市]]長田区の[[ホームセンター]]。朴は携帯型の発電機(約5万円相当)を店外に持ち出し、駐車場にとめていた愛車のポルシェに積もうとしていたところを、男性保安員に呼び止められた。<br />
<br />
保安員が朴を取り押さえ、通報で駆けつけた長田署員に引き渡した。朴は「買うつもりだった」と否認している。<br />
<br />
捜査の結果、朴が生活保護を受給していることが判明した。生活保護の受給者は原則的にマイカーを持てないはずだ。なぜ、高級車のポルシェなのか。捜査員らが調べを進めると、朴が以前に2度、交通事故で治療費を含み計1100万円超の保険金を受け取っていたことも分かった。この保険金をポルシェの購入資金に充てていたとみられる。<br />
<br />
朴は保険金を2度に渡って受け取っていたが、1度目は[[平成23年]]12月に兵庫県西宮市で乗用車にはねられ、鎖骨を骨折した交通事故。治療費や見舞金などとして、保険会社から約1040万円を受け取った。2度目は[[平成24年]]4月に神戸市須磨区で乗用車と接触して軽傷を負い、約90万円を受け取った。<br />
<br />
朴に生活保護を支給していた神戸市などによると、本来、生活保護受給者が事故に遭った場合、生活保護窓口に報告しなければならない。その際に必要な治療費は、医療費として生活保護から医療機関に直接支払われるからだ。そのため、受給者が勝手に保険会社から治療費を受け取ることはできない。<br />
<br />
だが、朴が受け取った保険金は1千万超と多額だ。関係者は「市に事故の報告をするよりも、黙っておいて多額の保険金を受け取ったほうが得だと考えたのではないか」と推測する。<br />
<br />
結局、万引に端を発した捜査は、事故で保険金を受け取ったことを市に届け出ないまま、生活保護を不正受給していたとする詐欺事件に発展。長田署は1月15日、朴を詐欺容疑で再逮捕した。当初は「(保険金は)働いて得た金じゃないのに(申請しないといけないことは)おかしい」と否認していたが、その後一転して「申請しなくてはいけないことは知っていた」と認めたという。<br />
<br />
朴が生活保護を受給し始めたのは[[平成23年]]9月だった。病気を理由に働くことができないとして、当時住んでいた神戸市東灘区で生活保護を受け取っていた。<br />
<br />
朴と同じ48歳の単身男性の場合、1カ月に生活費として約8万円と、家賃として最大4万2500円が支給される。その他、医療費なども支給され、朴も眼鏡や診察代、薬代などを医療補助費として受け取っていた。<br />
<br />
ポルシェを購入したのは、保険金を得た後の平成24年9月ごろ。車種は「[[911カレラ]]」というスポーツカータイプで、5~10年までに発売された993型。中古車として購入したが価格は約300万円。「残りの金は[[パチンコ]]など遊興費や飲食代に費やした」と説明している。<br />
<br />
朴のように、生活保護を受給しながら、高級車を所有するケースは後を絶たない。<br />
<br />
[[札幌市]]で平成24年、[[覚せい剤]]取締法違反(使用)で逮捕された男が、生活保護費を受給しながらベンツなど高級外車や軽乗用車など7台を所有していたのを隠していたとして、北海道警に詐欺容疑で再逮捕された。<br />
<br />
[[福岡市]]では同じ年、生活保護費を受給しているにもかかわらず、高級車など3台を所有していた男が、調査中の市職員を「車のことを話したら殺す」などと脅迫したとして暴力行為処罰法違反容疑で逮捕されている。<br />
<br />
身体障害者などを除き、原則的に生活保護受給者は車を所有することはできない。だが、朴に車を所有する特段の事情は確認されておらず、市関係者は「生活保護の受給対象に該当しない可能性も高い」という。<br />
<br />
ただ、車を所有しながら生活保護を受け取ること自体は、刑事罰には問われない。今回のケースでは、交通事故による保険金を受け取っていたのにもかかわらず申請しなかったことが違法だったとされる。<br />
<br />
[[神戸市]]によると、市内で生活保護受給者が車を所有しているのは2013年3月までで171件。うち、57件が本来なら認められないケースだ。車を所有していた人が職を失い、生活保護を受給せざるを得なくなった場合が多く、職員も「悪質な例はほとんどない」と話す。<br />
<br />
しかしなぜ、職員は朴のような事案を見抜けないのか。<br />
<br />
市などによると、平成24年10月、保険会社から市に「(朴が)事故に遭った。生活保護を受け取っている人か」と問い合わせがあった。職員が朴宅を訪問した際、朴は「軽い事故に遭ったが大したことはない」と説明。保険金が出る場合は連絡するよう求めたが、その返事はなかった。<br />
<br />
職員は年に4回ほど自宅を訪問している。車は近くの月極駐車場を借りて止めており、車の購入や事故の話などもなかったため、不正受給には気付かなかったという。<br />
<br />
神戸地検は、朴を詐欺罪でも起訴したが、不正受給額は約170万円に減額。減らされた約300万円分は、市が保険会社の照会で不正受給に気付けば、被害を防げた可能性が高かったと判断したとみられる。<br />
<br />
市はこの件について「通常なら気付くが、裁判への影響があり得るので詳しくは話せない」としている。生活保護の原資は税金だ。生活に困窮している人たちの手に渡るのは当然だが、支給する側の自治体には、せめて見抜ける不正は見逃さないという当たり前の手続きだけは怠らないでほしい。<br />
<br />
=== 大阪弁護士会所属・在日韓国人の梁英哲容疑者を逮捕。業務上横領、依頼人の2,000万円着服(2014年5月) ===<br />
弁護士業務で依頼者から預かっていた相続財産のうち現金2000万円を着服したとして、[[大阪府警]]南署は8日、業務上横領で、大阪弁護士会に所属する弁護士で韓国籍の梁英哲(40)=大阪市西区=を逮捕した。<br />
<br />
梁英哲は「(自分の)弁護士と相談する」と供述し、認否を明らかにしていない。梁英哲は2012年11月、[[大阪府]][[八尾市]]の男性(59)とその親族から預かった相続財産約2300万円のうち2000万円を着服した。<br />
<br />
男性らから財産を預かった直後に自分の口座に移し替えた。2013年9月、財産の分割作業が進まないことを不審に思った男性らが南署に相談した。<br />
<br />
=== 婦女暴行未遂で韓国人留学生の男を逮捕(2014年6月) ===<br />
[[神奈川県警]]相模原北署は30日、強姦未遂で、私立大学3年、柳 昌錫(リュウ・チャンソク)(22)=[[相模原市]]緑区橋本=を逮捕した。<br />
<br />
柳は、[[5月31日]]午前5時10分ごろから同55分ごろまでの間、自宅で[[介護士]]の女性(22)=[[東京都]][[町田市]]=に暴行しようとした。「キスしようとしたことはあるがそれ以上のことはしていない」と容疑を否認している。<br />
<br />
[[JR橋本駅]]近くの路上で、柳の友人が女性に声を掛け、3人で話していた。友人が去った後に柳は態度を変えて「殺すぞ」などと脅し、女性を自宅に連れ込んだ。<br />
<br />
=== あぶれ手当36万円を不正受給。詐欺で韓国籍の男逮捕(2014年7月) ===<br />
日雇い労働者が職につけなかった場合に国から支給される「あぶれ手当」と呼ばれる給付金をだまし取ったとして、[[奈良県警]]奈良署は2014年7月10日、[[詐欺]]で、[[大阪府]][[門真市]]桑才新町、韓国籍の運転手、鄭龍光(49)を逮捕した。<br />
<br />
「遊ぶ金が欲しかった」と容疑を認めている。<br />
<br />
鄭は[[平成22年]]10月21日~23年2月3日までの間、架空の建設会社「中島建設」関係者と共謀して23回にわたり、門真[[公共職業安定所]](門真市)に不正に書類を申請し、給付金計36万7500円をだまし取った。<br />
<br />
=== 20代女性にストーカー。韓国籍の男性医師逮捕(2014年8月) ===<br />
20代の女性の勤務先に押しかけるなど[[ストーカー]]行為を繰り返したとして、韓国籍の医師の男が警視庁に逮捕された。<br />
<br />
ストーカー規制法違反で逮捕されたのは、東京・[[国立市]]の医師で韓国籍の李俊烈(イ・ジュンリョル)(50)。李は2014年5月、女性の勤務先である[[八王子市]]内のブティックに押しかけるなどした。<br />
<br />
李は女性が以前勤めていたマッサージ店に客として訪れた際にこの女性と知り合い、「結婚しよう」「連絡先教えて」などとしつこく迫っていた。女性は2013年6月、[[警視庁]]に相談していた。<br />
<br />
取り調べに対し、李は「ブティックに行ったのは服を買うためだ」などと容疑を否認している。<br />
<br />
=== 日銀、韓国国民銀行に立ち入り調査(2014年9月) ===<br />
韓国最大手銀行の国民銀行東京、大阪支店による不正融資問題で、日銀が両支店への立ち入り調査(日銀考査)を検討している。担保水増しなどによる過剰融資が発覚したことで、日銀は国民銀の信用リスク対策が不十分だったとみている。東京を舞台にした韓国系銀行の不正では自殺者も出ている。<br />
<br />
9月初旬の週末、東京・[[新大久保]]の[[コリアタウン]]は若い女性でにぎわっていた。だが、新宿区を拠点にするタクシー運転手は「[[韓流ブーム]]最盛期に比べればだいぶ減ったよ」とこぼす。<br />
<br />
コリアタウンの発展には、国民銀など韓国系銀行の力が欠かせなかった。在日韓国人の担保の乏しさに目をつぶって積極支援してきたからだ。<br />
<br />
支店ぐるみの過剰融資だったとみられるが、韓国の金融事情に詳しい関係者は「日本の銀行からお金を借りられない在日韓国人を救うためのやむにやまれぬ不正だった」と同情する。<br />
<br />
邦銀は「お金を借りたまま韓国に逃げてしまうケースもある」として、在日韓国人への融資に及び腰だったという。<br />
<br />
国民銀は韓国系の企業に対しても、支店の限度額を超えて融資できるよう、同じ企業グループの複数法人に分割して貸し出す“裏技”を編み出した。<br />
<br />
平成10~20年代初頭の韓流ブームでコリアタウンは巨大化。うるおった在日韓国人や韓国系企業は、国民銀の支店幹部らに謝礼金(リベート)を贈っていた。<br />
<br />
ところが、韓流ブームは嫌韓ムードの広がりで一気にしぼんでしまう。在日韓国人や韓国系企業に貸したお金の返済が滞ったことで、国民銀の不正が一気に明るみに出たのだ。日韓の金融当局は、国民銀のほか、[[ウリ銀行]]、[[中小企業銀行]]など韓国大手銀の在日支店でも同じような不正があったとみており、処分が広がる可能性もある。<br />
<br />
大手邦銀の幹部は「同情すべき点はあるが、歴代の支店長や役職員ぐるみの不正であれば、組織のチェック機能が働いていなかったことになる」と批判する。<br />
<br />
一方、「コンプライアンスの徹底を求める日本社会に対し、韓国では儒教文化が根強く、上司の不正を告発しにくい」と解説するのは、国内外の金融事情に詳しい[[西村あさひ法律事務所]]の[[松尾直彦]]弁護士だ。<br />
<br />
国民銀の不正をめぐり、[[金融庁]]は8月末、東京と大阪の両支店に対し、4カ月間の一部業務停止命令を出した。同行の李建鎬(イ・ゴンホ)銀行長は今月4日に辞任表明した。<br />
<br />
韓国の検察当局は昨年末、数百億円に上る不正融資容疑で国民銀の元東京支店幹部らを逮捕。その直後、同支店の与信業務担当の韓国人行員が支店地下の書庫で首をつって死亡しているのが見つかった。<br />
<br />
さらに、今年4月に韓国北部にある墓苑の駐車場でウリ銀行の元東京支店長が焼死体で発見された。元支店長は在職中、不正融資の見返りにリベートを受け取っていたとして韓国金融当局の調査を受けており、警察は「自殺」と発表した。<br />
<br />
こうした事態を受け、日銀も韓国系銀行の考査に乗り出す方向で調整を始めた。<br />
<br />
日銀考査は、日銀と当座預金取引をする金融機関が対象で、行政権限に基づく金融庁検査とは異なる。また、法令順守などに重点を置く金融庁検査に対し、日銀考査は経営の健全性などをチェック。問題点が見つかれば改善を求める。<br />
<br />
関係者によると、国内の主要金融機関に対する日銀考査はほぼ2年に1度あるが、外銀への定期考査はなく、必要性が認められれば、考査に入るという。<br />
<br />
今回明るみに出た国民銀の過剰融資は、経営の健全性を損なう不正だ。一部の顧客は預金を引き上げ始めたとみられ、日銀は国民銀への考査を本格検討しているようだ。他の韓国系銀行の在日支店に対しても考査の必要性がないかチェックする。<br />
<br />
ただ、個別の考査結果は非公表のため、どこまで“闇”を暴けるかは不明だ。<br />
<br />
=== アパートに侵入、女性暴行し現金盗む韓国籍の男を逮捕(2016年10月) ===<br />
深夜に1人暮らしの女性宅に侵入し、暴行して現金などを盗んだとして、[[警視庁]]葛飾署は住居侵入と[[強姦]]、[[窃盗]]で、[[韓国]]籍で[[東京都]][[江東区]]亀戸の会社役員、厳(ゲン)允(イン)植(シュク)30歳を逮捕した。「やっていない」などと容疑を否認している。<br />
<br />
厳は[[2016年]][[9月12日]]深夜、[[葛飾区]]内のアパート1階の20代女性宅に侵入し、女性の首を絞めるなどしてわいせつな行為をし、女性の現金約3万円などを盗んだ。 女性宅の近くの[[防犯カメラ]]の画像などから厳が浮上した。葛飾署が侵入経路などを調べている。<br />
<br />
=== 韓国籍の男ら4人、4県でトラックやフォークリフト68台、カーナビ1,000点盗む。被害総額1億1500万円(2017年4月) ===<br />
[[静岡県警]]島田、菊川両署などの合同捜査班は7日、[[愛知県]]の男4人について、静岡、愛知、 岐阜、三重の4県で計69回、[[トラック]]の窃盗や器物損壊を繰り返していたことを裏付け、捜査を終結したと発表した。 <br />
<br />
被害総額は1億1,500万円に上るという。<br />
<br />
4人は[[愛知県]][[尾張旭市]]、韓国籍で自動車販売業・黄寛之こうかんし(44)(公判中)ら。2016年1~10月頃、4県の駐車場や資材置き場から、[[トラック]]や[[フォークリフト]]など 計68台、[[カーナビ]]など約1,000点を盗んだ。4人は容疑を認めている。 <br />
<br />
合同捜査班は7日、窃盗などで計60件分について[[静岡地検]]に追送検した。盗んだ[[トラック]]などは、[[自動車]]などの解体処理施設「ヤード」に運んだ後、一部は海外に輸出されたとみられるという。<br />
<br />
=== 女性の部屋に侵入し暴行、韓国籍の男に懲役8年判決(2017年6月) ===<br />
[[東京]]・[[新宿区]]の女性の部屋に侵入し、性的暴行を加えたうえ、けがをさせた罪に問われた[[韓国]]籍の男の[[裁判員裁判]]で、[[東京地裁]]は懲役8年の判決を言い渡した。 <br />
<br />
韓国籍の尹俊赫(ユン・チュンヒョク)(28)は、2017年1月、[[新宿区]]の[[マンション]]に侵入し、この部屋に住む当時21歳の女性に性的暴行を加えたうえ、全治1週間のけがをさせた。<br />
<br />
判決で[[東京地裁]]は、「被害者に刃物を示し、要求に応じなければ生命を奪うなどと告げていて、脅迫は強度だ。被害者が受けた精神的苦痛は計り知れない」などとして、尹被告に懲役8年の判決を言い渡した。<br />
<br />
=== ごみ収集車にあおり運転、横転させ逃走(2018年2月) ===<br />
[[神奈川県警]]は28日、[[横浜市]][[旭区]]四季美台、韓国籍の会社員・李義之(52)を[[自動車運転死傷行為処罰法]]違反(危険運転致傷)と道路交通法違反で逮捕した。<br />
<br />
李は[[1月13日]]午前11時半頃、同市[[保土ヶ谷区]]狩場町の[[横浜横須賀道路]]下り線で、走行していたごみ収集車を追い越して前に割り込んだ直後に急減速し、進路を妨害。衝突を避けようとハンドルを切った収集車を横転させ、運転していた男性(35)の首に軽傷を負わせたうえ、逃走した。<br />
<br />
調べに対し、「そんなことはやっていない」と否認している。<br />
<br />
県警によると、李が事故現場の約2キロ手前から収集車に後ろから接近したり、並走して幅寄せしたりする様子が、周囲の車のドライブレコーダーの映像などで確認された。<br />
<br />
=== 「かわいいね」公園で8歳女児をトイレに連れ込みわいせつ行為。韓国籍の男逮捕(2018年9月) ===<br />
[[岐阜市]]の公園で2018年4月、8歳の女の子に声をかけトイレに連れ込みわいせつな行為をしたとして名古屋の会社員の男が逮捕された。<br />
<br />
逮捕されたのは、[[名古屋市]][[中川区]]の会社員で韓国籍の山下徹こと李徹(44)。<br />
<br />
警察によりますと李は2018年4月、[[岐阜市]]の公園で当時8歳の女の子に「かわいいね」などと声をかけ、トイレに連れ込み体を触るなどした強制わいせつを行った。女の子の母親から「娘が知らない男から声をかけられた」などと通報があり、警察は周辺の防犯カメラなどから、別の事件で既に逮捕されていた李を特定した。<br />
<br />
調べに対し、李は「女の子にしたことについては思い出せない」と容疑を否認している。<br />
<br />
== 在日によるレイプ事件鬼畜度ランキング == <br />
*1位 「[[聖神中央教会]]連続少女強姦事件」 [[金保]] <br />
*2位 「[[摂理]]連続強姦事件」 [[鄭明析]] <br />
*3位 「[[国際福音キリスト教会]]事件」 [[卞在昌]] <br />
*4位 「[[ルーシーブラックマン事件]]」 [[織原城二]](金聖鐘) <br />
*5位 「洋服商殺人事件(日本のチェスマン事件)」 [[孫斗八]] <br />
*6位 「[[フジテレビ社員成りすまし連続少女強姦事件]]」 [[李昇一]] <br />
*7位 「[[カナヤマン事件]]」 [[金山昇一]] <br />
*8位 「[[浜松連続強姦事件]]」 [[李正遠]] <br />
*9位 「[[大阪市女性2人キャリーバッグ拉致強姦事件]]」 [[金平和]] <br />
*10位 「[[新宿尾行強姦事件]]」[[李桐昊]] <br />
*11位 「[[目白一人暮らし女性連続強姦事件]]」 [[宋治悦]] <br />
<br />
*選外 「[[愛媛マンダリンレイパーツ事件]]」 [[文相勲]] <br />
<br />
*New 「[[北区女子高生強盗強姦事件]]」 [[呉紘希]] <br />
*New 「[[MMEレコード韓国人経営者少女強姦事件]]」 角岡こと西本こと李泰成 <br />
*New 「[[女子大生モデル殺人事件]]」 丹羽雄治 <br />
*New 「[[東灘区女子大生連続強姦事件]]」 竹田直季 <br />
<br />
おまけ <br />
*大阪で200人強姦したのに「「産経新聞しか」」報道していない [[金允植]] <br />
*女子小学生14人を強姦した [[ぺ・ソンテ]] <br />
*小学4年生を強姦した [[張今朝]]<br />
<br />
== 在日韓国・朝鮮人を取り巻く諸論点 ==<br />
=== 徴用/強制連行と渡航 ===<br />
在日韓国・朝鮮人が日本に移入してきたのは、「戦前または戦時下の日本政府による[[徴用]]/[[強制連行]]」によるものと語られることが比較的多かった。<br />
また、同様の認識が漠然としたイメージのまま流布していた時期がある。[[1990年代]]に入って朝鮮人被害者への[[戦後補償]]問題が日本国内で国民的論争課題になると、「[[徴用]]/[[強制連行]]」に関してもさまざまな角度から議論がなされた。これについては、「徴用/強制連行」の定義も絡んで、いまなお認識が分かれている。しかし、少なくとも現在、在日韓国・朝鮮人のうち、その来歴に「旧日本軍などの政府機関による直接かつ組織的な徴用/強制連行」が関連する者は少数である、と考えられている。このことは、在日韓国・朝鮮人団体である[[在日本大韓民国民団]]の子団体、在日本大韓民国青年会の中央本部が、在日1世世代に対する聞き取り調査の結果をまとめ[[1988年]]に刊行した『アボジ聞かせて あの日のことを -- 我々の歴史を取り戻す運動報告書 -- 』にも、渡日理由のアンケート結果として、「[[徴兵]]・徴用13.3%」と明記されており、「その他20.2%」、「不明0.2%」を除いたとしても「経済的理由39.6%」「結婚・親族との同居17.3%」「留学9.5%」と65%以上が自らの意思で渡航してきたことがわかる。尚、このアンケートは渡航時12歳未満だったものは含まれておらず、これを含めるとさらに徴兵・徴用による渡航者の割合は減ることになる。なお、2005年の日韓基本条約関係文書公開に伴う韓国政府に対する補償申請者は、2006年3月の時点で在日韓国人からは39人に留まっている。<br />
<br />
=== 通名 ===<br />
日本式の[[人名|姓名]]、いわゆる[[通名]](通称名)を名乗って朝鮮半島系であることを隠す人々が多く存在する。但し近年では、民族としてのアイデンティティーを取り戻す意味で、朝鮮式の姓名を名乗る者が徐々に増えてきている。これには在日韓国・朝鮮人たちによる啓蒙活動に加えて、韓国の近年における経済発展によって日本での韓国の評価が上昇してきたことや、日本と韓国の文化交流が拡大発展を続けていることも無縁ではないと思われる。[[2009年]]の事例では、[[弾道ミサイル]]の発射台に転用できるトレーラーを日本から北朝鮮に不正輸出した容疑者が逮捕された[[北朝鮮タンクローリー不正輸出事件]]の報道で確認することができる。[[在日本大韓民国民団]]の発表では、韓国・朝鮮式の本名で暮らす人は全体では1割強にとどまり、3人に1人は「状況により使い分ける」としていることを明らかにした。<br />
<br />
==== 犯罪事件の通名報道 ====<br />
犯罪報道においても通名が用いられる場合があるが、その場合は本名が報道されないままとなる。[[在日外国人]]の場合、警察が通名を主として[[記者クラブ]]に発表する場合が多く、報道機関では[[編集]]や[[校閲]]についての社内規程で(字数制限もあって)通名を優先して掲載する場合が多いために、主に通名を名乗っている[[在日韓国・朝鮮人|在日コリアン]]などが[[犯罪]]を犯したとして警察発表が行われた事件では記事内で通名を用いる報道機関も存在する。例えば[[朝日新聞]]などは、通名か本名で容疑者名を報道するかは事件ごと選択している。そのため、朝日新聞の購読者には在日コリアンの犯罪というものが日本に存在していることが分かるが、多くは日本人の犯罪であるように受け止められる。そのため、「事実を報道するメディアの姿勢として問題」、「[[知る権利]]を軽視している」といった非難を受けることもある。<br />
<br />
==== 韓国籍の男が「通称(通名)」悪用して携帯電話など160台を不正売買、逮捕(2013年11月) ====<br />
外国人が日本で名乗る通称を悪用して携帯電話を不正売買したとして、[[埼玉県警]]組織犯罪対策課と大宮西署は1日、組織犯罪処罰法違反(隠匿)と詐欺容疑で、韓国籍の無職、文炳洙(ぶんへいしゅ)(通称・青山星心(しょうご))=別の同容疑で処分保留、[[さいたま市]]西区清河寺=を再逮捕した。<br />
<br />
通称を悪用した犯行を組織犯罪処罰法で立件するのは全国初。<br />
<br />
文は[[区役所]]で短期間に通称登録を何度も変更。新旧の通称を使い分け、[[平成22年]]10月以降、約160台の[[スマートフォン]]や[[タブレット]]などの端末を購入、[[古物商]]へ転売した。再逮捕容疑は[[8月7日]]、「青山星心」の通称で、さいたま市の家電量販店でスマートフォン2台を詐取。過去の通称だった「清永泰斗」を名乗り東京都内の古物商で転売し、約7万2千円を得た。<br />
<br />
文は端末代を分割して月々の料金に上乗せする制度で端末を購入したが、支払いは一切せずそのまま転売。同課の調べに「料金を踏み倒す気はなかった」と犯意を否認する一方、売却で得た金は[[競馬]]などのギャンブルに使った。<br />
<br />
頻繁に通称変更することを不審に思った区役所の届け出を受けて捜査したところ、犯行が発覚した。文は通称の違う複数の身分証を使い分け、売買を重ねていた。<br />
<br />
=== 社会保障問題 ===<br />
在日韓国・朝鮮人に対する[[社会保障]]についても、議論が多くある。<br />
<br />
[[1946年]]の旧法の時期を除き改定後しばらく、在日韓国・朝鮮人は[[生活保護]]を受けることができなかった。しかし、在日韓国・朝鮮人から最低保障としての生活保護を要求する声が高まったことを受けて、在日韓国・朝鮮人が行政実務において本国から切り離されていることを考慮し、[[1954年]]に通知が出され行政措置として、生活保護を[[外国人]]に準用するという行政運用が行なわれたという経緯をたどっている。これは、外国人の生活保護受給者に、生活保護にかかる行政行為等の行政処分についての異議申立権(審査請求及び再審査請求権)を認めなかったとしても、当該外国人の法的利益が侵害されたとはいえないことになる。しかしながら[[先進国]]の中で、永住権を持つ場合においてははほとんどの国が外国籍の者に生活保護および社会保障を国籍保有者と区別をつけずにを支給する。ただし日本のように日本国籍を持つものが生活保護を受けられないにも関わらず外国人には生活保護が受けられるという状況はない。これは終戦後に日本語もままならないような朝鮮人には就労の機会が乏しいとの判断からだったと見られる。<br />
<br />
ある観点では、生活保護の受給対象者とすることへの異議、また認定の方法・基準への異議が出されている。例えば、在日韓国・朝鮮人の生活保護受給率が日本人より多いことから、これを不当であると考え、日本国による生活保護負担を強調する論調がある。実際に、日本の裁判所は「憲法の要請する社会権の保障は、国家による国民の保護の義務を本来の形態とするため、外国人である在日韓国・朝鮮人を保護する義務はその国籍国にある」とする立場をとっており、日本国籍者に適用を限定して外国人を排除する意図から[[1950年]]以降の[[生活保護法]]には第一条において「国民」との用語が加えられた。<br />
<br />
==== ポルシェに乗って生活保護費受給。韓国籍男を再逮捕(2014年1月) ====<br />
保険金で得た収入を隠して[[生活保護]]費を不正に受給したとして、長田署は15日、詐欺容疑で韓国籍の神戸市の無職、朴永錦(48)=別の窃盗罪で起訴=を再逮捕した。朴容疑者は「働いて得た金じゃないのにおかしい」などと供述している。<br />
<br />
朴容疑者はドイツ製高級車「ポルシェ」を所有していたことなどから発覚した。<br />
<br />
再逮捕容疑は[[平成23年]]12月~今年1月、交通事故で得た保険金収入約1100万円を申告せず、生活保護費計約470万円を不正に受給した。朴容疑者は23年12月に西宮市で、24年4月に神戸市須磨区で歩行中、車にはねられるなどの交通事故で、2度、保険金を受け取った。<br />
<br />
==== 在日韓国人の14.2%が生活保護受給するナマポ民であることが発覚(2014年10月) ====<br />
在日韓国・朝鮮人世帯の[[生活保護]]率が突出していることが分かった。日本の総世帯数に占める生活保護世帯の割合は3.1%だが、在日韓国・朝鮮人世帯では14.2%が生活保護を受けている。<br />
<br />
生活保護法には国籍条項があり、本来、外国籍住民には適用されないが、60年間も行政措置として給付が続いてきた。<br />
<br />
[[厚労省]]は8日、今年7月時点で生活保護を受けているのが過去最多の160万8994世帯だと発表した。2010年の国勢調査での総世帯数(5115万8359世帯)で計算すると、生活保護率は3.1%になる。<br />
<br />
一方、同省の「被保護者全国一斉調査(基礎調査)」によると、2010年の韓国または[[北朝鮮]]を母国とする生活保護受給世帯主の総数は2万7035世帯で、総世帯数(19万246世帯)に占める生活保護率は14.2%となる。<br />
<br />
[[1950年]]に制定された生活保護法は対象を「生活に困窮する国民」と定めている。だが、[[1954年]]に当時の厚生省社会局長から各都道府県知事に宛てた「生活に困窮する外国人に対する生活保護の措置について」という通知で、行政措置として給付されてきた。<br />
<br />
[[次世代の党]]の[[桜内文城]]政調会長は6日に開かれた衆院予算委員会で、[[最高裁]]が[[7月18日]]、「永住外国人は生活保護法の適用対象ではない」と判断したことを取り上げ、「最高裁が判決を出したにも関わらず、法律が想定していない措置を行政が行うのはおかしいのではないか」と指摘した。<br />
<br />
同党は、生活保護の給付対象から外国人を除外するための生活保護法改正案を秋の臨時国会に提出する方針だ。<br />
<br />
[[麗澤大学]]の[[八木秀次]]教授は「本来、社会保障については、母国が第一義的に責任を負うべきだ。最高裁判決はその原則を明らかにした」といい、こう続けた。<br />
<br />
「韓国や北朝鮮はこれまで自国民(在日韓国・朝鮮人)の保護を怠ってきた。一方で、生活保護を担当する地方行政に対し、こうした権利を求める圧力団体の影響が大きかった。事実として外国人が優遇され、それが高い生活保護率の数字に表れている」<br />
<br />
ちなみに、2014年度の生活保護予算は2兆8823億円にのぼる。国民の負担は決して小さくない。<br />
<br />
==== 永住外国人の受給世帯増加。自治体を圧迫 ====<br />
外国人の[[生活保護]]受給世帯は年々増加しており、[[地方自治体]]の財政を圧迫する一因ともなっている。<br />
<br />
[[生活保護法]]をめぐっては[[最高裁]]が2014年7月、「法の適用対象に永住外国人は含まれない」として、永住外国人は生活保護法に基づく保護の対象ではない-との初判断を示した。<br />
<br />
しかし、実際には、人道的観点から外国人への同法の準用を認めた[[昭和29年]]の旧[[厚生省]]通知に基づき、各自治体が永住外国人や難民認定された外国人に対して生活保護を支給しているのが実情だ。矛盾した運用が行われている背景には、もともとこの通知自体にあいまいさが内包されていることがある。<br />
<br />
[[厚生労働省]]の最新調査(平成24年度)によると、生活保護の受給世帯総数は月平均155万8510世帯で、うち外国人世帯は4万855世帯と全体の約2.6%。総数が伸びる中、外国人世帯も10年前の約1.7倍に増加した。<br />
<br />
国籍別(23年7月時点)では、韓国・朝鮮人が約2万8700世帯と最も多く、[[フィリピン]](約4900世帯)、中国(約4400世帯)、[[ブラジル]](約1500世帯)と続く。<br />
<br />
外国人の受給世帯の増加が続く背景には、不景気が長引いたことや高齢化の影響があるとみられる。生活保護費は全体で年間約3兆6000億円で、厚労省の概算によると、外国人に対する生活保護費はそのうち約1200億円に上る。<br />
<br />
生活保護費は4分の3を国が、残りを自治体が負担しており、日本人に加えて外国人の受給世帯の増加が、地方自治体の財政を圧迫する結果になっている。<br />
<br />
==== 生活保護費を酒代で使い果たしついにコンビニ強盗。韓国籍の男逮捕(2016年8月) ====<br />
[[コンビニエンスストア]]にナイフを持って押し入ったとして、[[大阪府警]]西成署は[[8月19日]]、強盗未遂で、韓国籍で[[大阪市]][[西成区]]萩之茶屋の無職、魚 興秀(ぎょ・こうしゅう)(65)を現行犯逮捕した。<br />
<br />
「[[生活保護]]費を酒代に使い、金がなくなったのでコンビニ強盗をしようと思った」と容疑を認めている。<br />
<br />
魚は、19日午後2時35分ごろ、同区太子の[[ファミリーマート]]太子店で、カウンターにいた女性店員(43)に果物ナイフ(渡り約10センチ)を突きつけ、「金を出せ」などと脅し、現金を奪おうとした。同署によると、女性店員にけがはなく、犯行当時、店内に客はいなかった。男性店長(35)が非常通報装置を押し、駆けつけた署員がその場で魚容疑者を取り押さえた。<br />
<br />
=== 在日韓国・朝鮮人無年金訴訟 ===<br />
現在、日本政府は「年金など社会保障の責任は国籍の属する本国が行うべき」という立場から、年金を払い込んでいなかった在日韓国・朝鮮人に対して年金支給を行っていない。この日本政府の見解に対して「海外在住の日本人に日本政府は年金を支払っていない」と糾弾し、在日韓国・朝鮮人に対しても年金を支給するように要求している。(「日本国籍を有する者で海外に居住する20歳以上65歳未満の者」は日本の国民年金に任意加入することができる。)<br />
<br />
=== 北朝鮮問題との関連 ===<br />
北朝鮮問題への注目(拉致事件、核保有問題など)にともなって、在日韓国・朝鮮人、とりわけ朝鮮籍の者への圧力が高まったことに対し、在日韓国・朝鮮人の立場を『親族を北朝鮮政府に人質同然にされ、不本意ながら北朝鮮政府の意のままに操られている人たち』として同情視する向きもある。<br />
<br />
しかし一方で「在日朝鮮人は北朝鮮国政の選挙権・被選挙権ともに有しており、在日朝鮮人からは[[朝鮮総連]]議長や[[朝鮮大学校]]校長などの6名が北朝鮮の国会議員に選ばれており、日本からの送金もかなりの額にのぼるため、在日朝鮮人側の責任が皆無とは言い難い」との批判もある。また、朝鮮総連は本国の見解に乗っ取り、拉致問題を「解決済み」、「日本側にこそ問題がある」との立場を固守している。<br />
<br />
在日韓国・朝鮮人は北朝鮮の[[核兵器]]や[[生物兵器]]などの[[大量破壊兵器]]開発のために輸出規制されている物品を北朝鮮に不法に輸出する[[北朝鮮タンクローリー不正輸出事件]]や[[凍結乾燥機不正輸出事件]]などの事件を引き起こしている。<br />
<br />
=== チマチョゴリ事件 ===<br />
[[チマチョゴリ切り裂き事件]]参照<br />
<br />
=== 在日韓国・朝鮮人の参政権 ===<br />
在日韓国人・朝鮮人には二つの参政権論争が存在する。韓国および北朝鮮における本国参政権と、日本における地方参政権である。韓国においては、[[兵役]]、[[納税]]義務などが免除される在外国民に住民登録要件不備を理由に参政権を与えないことの違憲性についての議論が行われてきた。本国参政権のみの獲得を目指す在日以外の在外韓国人社会と違い、在日韓国・朝鮮人社会は日本での地方参政権の獲得も目指している。日本国内においては地方参政権獲得の議論が盛んであることに対して、本国参政権についての議論はあまり活発ではなく、欧米の在外韓国人の一部は、本国参政権獲得議論に消極的な在日社会を指して「在日韓国人はどうしてアクションを起こさないのか。民団の消極的姿勢は、参政権付与反対と言っているに等しい」と、非難する声もある。日本における[[国政参政権]]については、[[最高裁判所]]が「参政権は[[国民主権]]に由来し認められるものであるから、その享有主体は憲法上日本国籍を有する国民に限られる」との判断を示している。<br />
<br />
==== 在日韓国人の本国参政権 ====<br />
韓国における[[在外投票]]権の対象は、短期滞留者だけに限るか、[[永住権]]保有者までを含むようにすべきかで論争があった。これは韓国民短期滞留者はたまたま海外に在住している自国民であり、国民の権利として[[不在者投票]]権を要求することに国民的合意が得られやすいことに対し、永住権保有者は、[[兵役]]、[[納税]]義務などが免除されており、住民登録要件不備を理由に参政権を付与することには慎重だった(在日永住権者は35歳まで徴兵が延期され、36歳になると兵役の義務はなくなる。1962年10月、「在外国民の兵役免除」の項目が兵役法に法律第1163として追加された)。 一方、[[大韓民国憲法#第二章 国民の権利および義務]]第24条は「すべての国民は選挙権を持つ」としており、これに準拠して永住権保有者にも参政権を保証するべきとの議論が続いていた。<br />
<br />
これに対し、韓国[[憲法裁判所]]は2007年5月、海外の駐在員や留学生はもちろん、外国での永住権者も韓国の国籍を持ってさえいれば、韓国国内に住民登録がなくても選挙権と国民投票権を与えるべきという決定を下し、1999年3月の決定を覆した。また、憲法裁判所は2008年12月31日までに国会で必要な法改正を行うよう命じた。この決定の理由として「情報通信技術の発達」や「経済力の伸張」など10項目を挙げた。また、納税や国防の義務が免除されていることを問題とする考えについても、大韓民国憲法は参政権や平等権などの国民の基本権行使を、納税と国防の義務に対する反対給付として想定していない上、在外国民であっても兵役の義務を果たすことができ、また兵役が義務付けられていない女性も投票権を有しているとする原告の訴えを認めこれを退けた。<br />
<br />
これらの動きを受けて、海外短期滞留者をモデルとした不在者投票の準備作業が行われた。2006年12月には[[外交通商部]]と共同で50以上の海外公館で模擬投票を実施し、参加者の80%は「投票権を行使する」と回答した。この場合、実際の日本地域の短期滞留者は82000人になり、そのうち21000人が投票すると推算された。<br />
<br />
与野党とも在外韓国人に参政権を付与する方向では一致しており、2007年2月末までに中央選挙管理委員会や与野党から5つの選挙法改正案が韓国国会に上程された。しかし、在外投票の導入方法をめぐって紛糾し、当初目指していた2007年の[[大統領選挙]]からの在外投票導入は困難となった。海外永住者は一般的に保守傾向が強いとされており、これを取り込みたい保守派である[[ハンナラ党]]と、若年層にも支持基盤を持ち留学生や、外交官などの一時滞留者たちを取り込みたい[[ウリ党]]の党争によるものと指摘された。<br />
<br />
2012年の国政選挙から投票できる見通しとなったが、祖国での参政権に対する在日社会の関心は低く、そのメリットを知ってもらおうと、兵庫と大阪の在日韓国人で「在日韓国人本国参政権連絡準備会」を設立しPR活動を行っている。<br />
<br />
==== 朝鮮籍および、北朝鮮籍朝鮮人の本国参政権 ====<br />
朝鮮籍の17歳以上の在日朝鮮人は北朝鮮国政への選挙権、被選挙権ともに有しているため、[[2009年]]現在、在日朝鮮人からは[[徐萬述]][[朝鮮総聯]]中央本部議長をはじめとする朝鮮総連幹部や[[朝鮮大学校]]校長などの6名が、[[最高人民会議|北朝鮮最高人民会議]]の代議員(国会議員)に選出されている。 <br />
<br />
==== 地方参政権問題 ====<br />
[[外国人参政権]]参照<br />
<br />
[[在日本大韓民国民団]]は、[[2009年]][[8月30日]]投票の[[第45回衆議院議員総選挙]]から[[外国人参政権]]付与を掲げている[[民主党]]候補者らを全力で支援しており、民団の集会を通じて在日韓国人へ候補者当選へ抜けての全力支援を指導している。なお、朝鮮総連は在日朝鮮人は列記とした独立国の海外交民であるので、韓国政府の棄民政策や、戦前の日本政府による同化政策に繋がるものだとして外国人参政権の付与に反対である。<br />
<br />
=== 遊技業界 ===<br />
{| class="wikitable" align=right style="margin:5px;"<br />
|+'''日本全国1万7000店のパチンコオーナーの国籍'''<br />
|-<br />
| 本籍<br />
| %<br />
|-<br />
| 韓国籍<br />
| 50%<br />
|-<br />
| 朝鮮籍<br />
| 30-40%<br />
|-<br />
| 日本籍<br />
| 5%<br />
|-<br />
| 華僑<br />
| 5%<br />
|}<br />
[[パチンコ|パチスロ]]<br />
<br />
自営業が占める[[パチンコ]]産業に携わっている就業者の在日韓国・朝鮮人比率は他産業より高いとみられ、2007年12月27日の中央日報の記事によると業界の90%ほどを在日韓国人と朝鮮総連系が掌握しているとされる。そのため「パチンコはその実体が賭博であるにもかかわらず、賭博として規律されておらず、そのことで生まれた収益が北朝鮮への送金を支えている」という論評がある。[[2008年]]、在日本大韓民国民団顧問のチョン・ドンファは、「朝鮮総連はパチンコ事業で資金を集めたが、民団はどのようにしたのか?」と記者に問われると「民団の主な事業もパチンコだ。朝鮮総連は収入の全てを組職化して北に送った。」などと証言している。<br />
<br />
2007年10月からの[[5号機 (パチスロ)]]への完全移行に伴い、在日韓国人商工業の基盤ともいえる遊技業界の苦戦が懸念されている。<br />
<br />
韓国では賭博[[メダルチギ]]「[[海物語]]」の大流行とその弊害、およびそれに関わる関連公職者の告発が社会問題となった。<br />
<br />
=== 外国人犯罪と在日韓国・朝鮮人 ===<br />
日本国内に流通する[[覚醒剤]]の過半は北朝鮮産が占めていると言われており、問題の解決を困難なものにしている。<br />
根拠はないが<!--どうやら長らく出典が出ない・おそらく出せるはずがない-->第二次世界大戦後に朝鮮人による犯罪が増加したという噂があり、長く語り継がれている。これを事実と捉えたうえで、それが後々の日本人との間のわだかまりや先入観(「朝鮮人は恐い」などとして)を作り出し、日本人による[[差別]]・[[外国人恐怖症|忌避・嫌悪感情]]の温床になったと主張する層が戦後一貫して存在している。[[浅草米兵暴行事件]]のように、一地区に多く住んでいる在日韓国・朝鮮人による集団犯罪も問題の根を深くしている。外国人全般の犯罪率および在日韓国・朝鮮人の犯罪率と、それらの解釈・解釈方法については現在に至るまで、しばしば議論の対象になっている(詳細は、[[外国人犯罪]]参照)。<br />
<br />
==== 暴力団と在日韓国・朝鮮人 ====<br />
[[カプランとデュブロ]]によると、日本最大の広域[[暴力団]]である[[山口組]]の構成員のうち、約10%の者が在日朝鮮人であるという。四代目[[会津小鉄会|会津小鉄]]の会長だった[[高山登久太郎]](姜外秀)は講演で、「ウチの組は[[同和]]が3割、在日が3割だった」と発言したことがある(会津小鉄の場合、会長自身が在日韓国・朝鮮人だったため、割合が高かったと見られる)。<br />
<br />
元[[公安調査庁]]調査第二部長の[[菅沼光弘]]は2006年(平成18年)10月19日に東京・[[外国特派員協会]]で行った講演で、六代目[[山口組]]のナンバー2である若頭の[[髙山清司]]から聞いた話として、暴力団の出自の内訳は6割が[[同和]](被差別部落)、3割が在日韓国・朝鮮人、残りの1割が同和ではない[[日本人]]という見解を示した。<br />
<br />
元[[山口組]]顧問[[弁護士]]の[[山之内幸夫]]は『[[文芸春秋]]』昭和59年11月号に寄せた「山口組顧問弁護士の手記」において「ヤクザには在日朝鮮人や[[同和地区]]出身者が多いのも事実である」「約65万人といわれる在日朝鮮人のうち約50%が兵庫・大阪・京都に集中していることと山口組の発展は決して無関係ではなく、山口組は[[部落差別]]や在日朝鮮人差別の問題をなしにしては語れない」と述べた。<br />
<br />
[[警察庁]]発表による平成18年度末の暴力団の人数は、構成員が約41,500人・準構成員が約43,200人・計約84,700人である。<br />
<br />
==== 在日韓国・朝鮮人の起こした反社会的暴動事件 ====<br />
在日韓国・朝鮮人が起こした暴動事件の一例を挙げる。<br />
<br />
* 第1回[[生田警察署襲撃事件]]<br />
* 第2回[[生田警察署襲撃事件]]<br />
* [[富坂警察署襲撃事件]]<br />
* [[長崎警察署襲撃事件]]<br />
* [[富山駅前派出所襲撃事件]]<br />
* [[尾花沢派出所襲撃事件]]<br />
* [[下里村役場集団恐喝事件]]<br />
* [[東成警察署襲撃事件]]<br />
* [[木造地区警察署襲撃事件]]<br />
* [[広島地裁暴動事件]]<br />
* [[高田派出所襲撃事件]]<br />
* [[奈良警察官宅襲撃事件]]<br />
* [[五所川原税務署襲撃事件]]<br />
* 朝鮮総連[[RENK]]襲撃事件([[1994年]])<br />
<br />
==== 在日韓国・朝鮮人に関連した著名な刑事事件 ====<br />
在日韓国・朝鮮人という出自が事件の原因に深くかかわった刑事事件の一例を挙げる。<br />
* [[高田ドブロク事件]]<br />
* [[直江津駅リンチ殺人事件]]<br />
* [[金嬉老事件]]<br />
* [[文世光事件]]<br />
* 東京拘置所堀犬頭部遺棄事件<br />
<br />
=== 匿名口座と在日韓国・朝鮮人 ===<br />
在日韓国・朝鮮人には[[通名]]が認められているため、一部の銀行では[[通名]]での口座開設が可能である。そのため通名を変更後は事実上の匿名口座になるため、これが脱税等犯罪の温床であるとの指摘が多いが、在日外国人ならば誰でも通名を取得することができるので、在日韓国・朝鮮人だけに限られた問題ではない。<br />
<br />
2006年、[[最高裁判所]]は、[[朝銀信用組合|朝銀]]に架空名義で口座を開設し[[脱税]]資金を預金していたパチンコ店経営の在日韓国・朝鮮人の男性に対し、脱税した資金41億8千万円を公的資金で穴埋めする[[判決]]を下した。これは、脱税資金の匿名口座の金を公的資金で補填するという異常な判決であり、外国人の犯罪者(ただし脱税行為については[[時効]]が成立)に対し、公的資金で補填することに日本国民からの反発は極めて強い。遅延損害金6億7千万円も加算して支払っており、匿名口座で犯罪行為を行った者へ利子までつけて返金するという、極めて異常な判決は海外でも報道され、日本の司法制度の軟弱さが改めて世界中から注目されることとなった。<br />
<br />
=== 在日韓国・朝鮮人への住民税減額措置 ===<br />
[[三重県]]旧[[上野市]](現[[伊賀市]])、[[桑名市]]、[[四日市市]]に合併前の旧[[楠町 (三重県)|楠町]]では条例などを制定しないまま一部の在日韓国・朝鮮人の[[住民税]]を半額程度に減額する特例措置を長年続けていた。伊賀市は市民税と合わせて徴収する[[県民税]]も半額にしていた。遅くとも1960年代後半には始まっていたとみられ、伊賀市は税の公平性に反するとして2006年度でこの措置をやめた。桑名市も2008年度から是正する方針が示された。[[在日本大韓民国民団]]と[[在日本朝鮮人総聯合会]]に所属する在日韓国・朝鮮人のうち、税を窓口などで納付する[[住民税#普通徴収|普通徴収]]の人たちが対象になっていた。市が該当者分の納付書を民団と総連にまとめて送付し、それぞれの団体が取りまとめて納税していた。2006年度の対象者は伊賀市で約400人の在住者のうち[[個人事業主]]を中心に在日韓国人35人と在日朝鮮人18人、桑名市では減額率は民団が6割、朝鮮総連が5割で、約990人の在住者のうち約250人を対象とし年間数千万円であったとされる。<br />
<br />
伊賀市の減額措置は、昭和30年代から40年代にかけ、市と地元の民団や朝鮮総聯との交渉で開始、1980年代以前は、両団体支部を通じた在日韓国人らが窓口に来た際、一般職員ではなく係長級職員が直接受け付け、減額を行っていた。当時は納付しない人も多く、半額でも徴収したいとの上野市側の思惑もあったとされる。桑名市税務課では「減額の経緯は資料がなくわからないが、昭和四十年代に全国的に減税の動きがあったのでは」とコメントしている。<br />
<br />
伊賀市内の元在日韓国人が日本に帰化するのに伴い住民税が本来の額に上がるため相談を持ち掛け、これに応じた伊賀市の元総務部長がこれを利用して半分のままでいいから自分に渡すよう促し、2002年以降計約1800万円を受け取ったまま納付せずに着服していた疑いも発覚した。受け渡しの際、元総務部長は自作の預かり証を渡し、帰化した元在日韓国人は滞納状態だったが、数年間にわたり「督促しなくてよい」と職員に指示していた。<br />
<br />
この事件に対し、「他国籍の在住外国人も大勢いるなか、不適切な優遇」といった批判が市民の間から出ている。伊賀市側は在日韓国・朝鮮人に対する戦争補償の一環や戦後期の[[所得格差]]の解消などを理由に容認していたと述べた。また他町村との合併協議の中で減免措置に対する疑問が提示され、民団、総聯との協議の結果、2005年11月に翌2006年度で全廃することで合意した。民団三重県伊賀支部支団長によると、この減額措置を2004年に支団長になって知り、参政権などを求めるうえで日本人と違うのは不公平であると改善に応じ、一方、総聯伊賀支部委員長は、過去の経緯は話せないとコメントを避けた。三重県市町行財政室は「[[地方税]]上、条例の定めのない減免はできず、条例がないなら問題」、総務省市町村税課は「減免は各市町村が判断し条例で定めるが、このような例は初耳」、桑名市税務課では「条例の裏付けもなく続けてきたことは遺憾」とそれぞれ述べた。伊賀市では過去の資料が無いため詳細については定かではないが、減免措置は[[地方税法]]第323条に基づいて旧上野市が制定した市税条例第51条第1項第5号の「特別の理由があるもの」との規定により市長が必要であると認めたものについて、市が歴史的経過、社会的背景、経済的状況などを総合的に考慮し、減免することが妥当と判断したものであろうと思われる、とした。一方、この減免措置は本来、副市長(旧助役)の決裁が必要だが、税務課内部の判断で長年続いていたことも明らかになっている。<br />
<br />
== 子供手当ての申請をした同胞に差別した公務員 ==<br />
[[民団]]HPに投稿された在日の声より<br />
<br />
つい先日、兵庫県尼崎市に暮らされる同胞が、タイ国に残す、実子のように愛情込めて育てられた養子554人分の子供手当て(約8600万円)を申請したにもかかわらず拒否されたとのことです。これは人種差別ではないのでしょうか?<br />
<br />
この子供手当ては、実子・養子の区別なく、条件を具備すれば本来認めらるはずのものです。そのため、同胞の中には世界中の孤児院を巡っては、養子縁組により同手当ての恩恵を受け、前途ある子供の将来に希望を持たせようとしている者も多いと聞きます。中には、すでに数万人単位の養子縁組を実現したという者もいるようです。にもかかわらず、今となって拒否するのは人種差別そのものではないでしょうか?<br />
<br />
民主党代表にして内閣総理大臣の鳩山氏は、はっきりと「日本は日本人だけのものではない」と述べたはずです。だから、民潭および同胞が一団となり、民主党を選挙で勝利に導いたのです。しかし、地方参政権の約束も果たさず、先ほどのような人種差別も改善されていないのは、本当に腹が立ちます。 <br />
<br />
[http://megalodon.jp/2010-0424-0434-24/www.mindan.org/bbs/bbs_view.php?bbsid=9655&page=1&subpage=4037&sselect=&skey= 魚拓]<br />
<br />
== 在日韓国・朝鮮人の処遇と未来像に関する議論 ==<br />
=== 帰化と日本国籍取得 ===<br />
ながらく、在日韓国・朝鮮人を日本社会の構成員として取り扱おうという主張があった。この場合「日本社会の構成員」という語は、立場によって様々に意味を変える。「社会の構成員」と言うかぎりならば、これには単なる実態の反映でしかないという見方もある。しかしこれが、[[地方参政権]]の付与に至ると、議論が分かれる。([[外国人参政権]]を参照)<br />
<br />
2007年時点で民族名による帰化は保証されておらず、届出による日本国籍取得と民族名使用の保障などを盛り込んだ国籍取得特例法を求める運動が続いていた。[[自民党]]法務部会の「国籍問題に関するプロジェクトチーム」は2008年1月24日の会合で、在日韓国・朝鮮人などの特別永住者が日本国籍を簡単に得られるようにする[[特別永住者等の国籍取得の特例に関する法律案]](特別永住者国籍取得特例法案)を[[議員立法]]で2008年の第169回[[通常国会]]に提出する方針を決めた。<br />
<br />
在日韓国・朝鮮人から日本に帰化する者の数は、95年に一万人を超えたのを皮切りに年間で毎年9000―11000人に上っている。帰化を許可された者は[[国籍法]]第10条に基づき、『[[官報]]』に帰化前の名前・住所・生年月日が公示される。<br />
<br />
また[[1990年代]]までに比べれば、「日本籍コリアン」にも朝鮮系であることを周囲に言明する者が増えるなどし、帰化した後の生活スタイルも多様化しつつある。<br />
<br />
=== 日本人との婚姻 ===<br />
2006年、韓国・朝鮮籍所有者と日本国籍者の婚姻件数は8376件で、1961年の1971に比べおよそ4倍、日本国内全体の婚姻件数73万971件のうち、約1%を占めている。在日韓国・朝鮮人女性と日本人男性間の婚姻件数は1990年の8490件を最高に2006年には6041件、一方、韓国・朝鮮人男性と日本人女性間の婚姻件数は2006年末現在で2335件で1984年に2000件を超えて以来、ほぼ横ばいとなっている。<br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
* [[吉田光男]]・編・著『韓国朝鮮の歴史と社会』([[放送大学教育振興会]]、2004年)ISBN 4595237596<br />
* 朝鮮史研究会・編、旗田巍・編修代表『朝鮮の歴史』([[三省堂]]、1974年)ISBN 4385342555<br />
* [[福岡安則]]・[[金明秀]]著『在日韓国人青年の生活と意識』([[東京大学出版会]]、1997年)ISBN 4130560522<br />
* [[山中修司]]・[[大島隆行]]・[[谷寛彦]]・[[金正坤]]・文・写真 『ダブルの新風 -- 在日コリアンと日本人の結婚家族』( [[新幹社]]、1998年1月)ISBN 4915924858 <br />
* [http://world.lib.ru/k/kim_o_i/kkk7.shtml История иммиграции корейцев.Книга первая.Вторая половина 19в.-1945г.Глава 6.Иммиграция корейцев в Японию](『朝鮮移民史』第2巻、19世紀~1945年、第6章「日本への朝鮮人の移民」、[[ゲルマン・キム]])<br />
* [http://world.lib.ru/k/kim_o_i/kht7rtf.shtml Корейцы за рубежом:прошлое,настоящее и будущее.Корейцы в Японии](『在外朝鮮人:過去、現在、未来』、「在日朝鮮人」、ゲルマン・キム)<br />
* [[中村一成]]著『在日無年金訴訟をめぐるひとびと』(インパクト出版、2005年)ISBN 4755401534<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
*[[朝鮮民族]]<br />
*[[特別永住者]]<br />
**[[平和条約国籍離脱者]]<br />
;団体<br />
*[[在日本大韓民国民団]](民団)<br />
*[[在日本朝鮮人総連合会]](朝鮮総連)<br />
*[[在日本韓国人連合会]](ニューカマーの在日韓国人による団体)<br />
*[[在日韓国人をはじめとする永住外国人住民の法的地位向上を推進する議員連盟]]<br />
*[[高槻むくげの会]]<br />
;映画<br />
*[[カーテンコール (2005年の映画)]]<br />
*[[血と骨]]<br />
*[[チルソクの夏]]<br />
*[[パッチギ!]]<br />
**[[パッチギ! LOVE&PEACE]]<br />
*[[力道山 (映画)]]<br />
*[[GO (小説)]]<br />
;その他<br />
*[[在日朝鮮人文学]]<br />
*[[在日朝鮮人の言語状況]]<br />
*[[在日朝鮮語]]<br />
*[[在日語]]<br />
*[[在日特権]]<br />
*[[外国人参政権]]<br />
*[[コリア・タウン#日本]]<br />
*[[朝鮮籍]]<br />
*[[朝鮮学校]]<br />
*[[日本の民族問題]]<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* [http://www.j-koreans.org/index.html 在日韓人歴史資料館ホームページ]<br />
* [http://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~mizna/shinbun/ 戦前日本在住朝鮮人関係新聞記事検索] - [[京都大学人文科学研究所]]<br />
* [[wiki:利用者:Uaa|ウィキペディア日本語版のUaaの利用者ページ]] - Uaaは在日韓国人のウィキペディアンである。<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:さいにちかんこくちようせんしん}}<br />
[[Category:朝鮮]]<br />
[[Category:日本の民族]]<br />
[[Category:在日韓国・朝鮮人|*]]<br />
[[Category:反日主義]]<br />
[[Category:日本の左翼]]</div>
Fromm
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E3%83%99%E3%83%93%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%83%E3%82%BF%E3%83%BC%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6&diff=359864
ベビーシッター殺人事件
2018-09-11T15:27:37Z
<p>Fromm: </p>
<hr />
<div>[[Image:物袋勇治1.jpg|300px|thumb|殺人犯・物袋 勇治(もって ゆうじ)]]<br />
[[Image:物袋勇治2.png|400px|thumb|殺人犯・物袋 勇治(もって ゆうじのサイトでのプロフィール)]]<br />
'''ベビーシッター殺人事件'''とは、[[2014年]]3月に[[埼玉県]][[富士見市]]で発生した、物袋勇治(もって ゆうじ)による2歳児殺人事件である。<br />
<br />
== 事件概要 ==<br />
埼玉県富士見市のマンション一室で[[横浜市]][[磯子区]]に住む[[無職]]の母親(22)の長男、山田龍琥(りく)ちゃん(2)が遺体で見つかった。<br />
<br />
[[神奈川県警]]は2014年[[3月18日]]、死体遺棄で、ベビーシッターの物袋勇治(もって ゆうじ)(26)を逮捕した。また、県警は逮捕に先立ち、物袋が保育室として使っていたこの部屋を同容疑で家宅捜索した。<br />
<br />
17日朝、この部屋で死亡している龍琥ちゃんが見つかったほか、生後8カ月の次男とみられる男児が保護された。龍琥ちゃんの体には最近できたあざのような痕が数カ所あり、県警は18日に司法解剖して死因を調べる。<br />
<br />
母親は[[インターネット]]のシッター関連サイトを通じ、14~16日の約束で2人の世話を物袋に依頼した。しかし、2人を引き取る予定の16日になって物袋と連絡が取れなくなったことから県警磯子署に相談。<br />
<br />
捜索していた県警の捜査員が17日朝、物袋らが運営する「シッターズネット」の「みずほ台家庭保育室」として利用されていた富士見市のマンション一室で2人を見つけた。<br />
<br />
物袋は「14日に2人を部屋に連れてきて、食事を与えた。16日の昼ごろに薬を飲んで寝てしまい、17日朝に目が覚めたら亡くなっていた」と説明している。<br />
<br />
== 母親「以前、子供を預けた時に2回あざが…。今回は名前を変えていたので気づかなかった」 ==<br />
埼玉県内のマンションで、2歳の男の子が遺体で見つかった事件で、警察は、ベビーシッターの男を逮捕した。男の子の死因は、窒息死とみられる。そして18日夜、男の子の母親が、カメラの前で思いを語った。<br />
<br />
死亡した山田龍琥(りく)君(2)の母親(22)は、<br />
<br />
「一番大事な龍琥に申し訳なかったと思ってます。助けられなかったので、『ごめんね』ってしか。言えないです」<br />
<br />
「(容疑者とは)去年、『[[シッターズネット]]』で知り合って、預かってもらったことがあって。いつも、下の子(8カ月)を預けてたんですけど、上の子(龍琥君)を預けたときに、顔が腫れてたり、背中にあざがあったりして。(容疑者に何回ぐらい預けた?)週2回くらいですかね。(あざがあったのは、何回ぐらい?)上の子は、2回ありました。その人だって、わからなくて。わかってたら、なおさら預けてない。(容疑者が)名前を変えていたんで。(名前を変えていた?)はい。(どんな名前?)『ヤマモト』っていう名前で」<br />
<br />
などと話した。 <br />
<br />
また、物袋(もって)勇治(26)の父親が、逮捕直前、警察の取り調べから、一時的に家に戻った時の物袋の様子を語った。物袋の父親は「あざがあったとかなんとかあったので。そういうことを聞いたら、『いや、殴ってはいない』とか、そういう話はしたんですけど」と話した。<br />
<br />
滞在していたのは3時間ほどで、少しだけしか会話できなかったという。その後、預かっていた2歳の山田龍琥君の遺体を、自宅に放置して立ち去り遺棄した疑いで逮捕された物袋。<br />
<br />
開設していた訪問ベビーシッターの会社のウェブサイトには、「体力には自信があります。子どもたちとたくさん遊んで、たくさん笑って、たくさん仲よくなりたいです」などと書かれていた。 <br />
<br />
このサイトには、子どもたちに笑顔で寄り添う物袋の写真が何枚も掲載されていた。山田龍琥君の死因について、窒息死の疑いがあることが判明。警察は、死亡した経緯をくわしく調べている。<br />
<br />
== 2ちゃんねるでも話題の人物だった ==<br />
犯人であるモッチーは2013年の時点で犯罪臭がすると[[2ちゃんねる]][[育児版]]で噂されていた。本家サイトのベビーシッターにてコピペを連投し、有名になっていた。<br />
<br />
183: 名無しの心子知らず 2013/02/27 23:04:41 ID:1L6jbK7Z<br />
:何だか東京界隈の募集にコピペ貼ってるペド青年がいるな。まじ犯罪の臭いがするっ!<br />
<br />
184: 名無しの心子知らず 2013/02/28 06:14:45 ID:lR+fYTQo<br />
:育児経験云々のやつ?平日昼間からコピペやりまくって怖い<br />
<br />
186: 名無しの心子知らず 2013/03/08 15:27:26 ID:BXPecBvn<br />
:コピペて、資格も無い24才男のことだよね。気持ち悪いから誰も頼まないんじゃない?<br />
<br />
209: 名無しの心子知らず 2014/02/10 14:33:11 ID:0+owZ/mT<br />
:昨年までモッチーって名前で登録してたやつが叩かれて名前変えて登録してる。ダイバー。<br />
:保育科卒で資格があるわけじゃないのにこんなサイトまで立ち上げて、未資格母親、未資格の女と3人でベビーシッター? <br />
:チャイルドマインダーの学校に行ってますって保育士でも幼稚園教諭でもない公的資格じゃないしねw <br />
:他のシッター掲示板にも名前変えて多数載せて必死。<br />
<br />
217: 名無しの心子知らず 2014/03/17 12:31:10 ID:IDh8oVq3<br />
:うわ・・・ >>209のレスみただけで胡散臭さがひどい。預けた母親も間違えてこっちに頼んじゃったのかな<br />
<br />
257: 名無しの心子知らず 2014/03/17 15:02:53 ID:VfP9Dbqn<br />
:>>209の富士見市の住所でストリートビュー見たら見つかったマンションの現場写真とビンゴだね… <br />
:磯子の住所は何だこれありえん<br />
<br />
213: 名無しの心子知らず 2014/03/17 11:48:51 ID:PcksAPNJ<br />
:お昼のニュースでシッターズネットで2歳の子が死亡だって・・・ <br />
:埼玉って言ってたけど、どっちのシッターズネットなんだろうね。<br />
<br />
214: 467 2014/03/17 11:55:56 ID:wcXS2oEj<br />
:2歳の男の子死んじゃったね。なにされたんだろう。<br />
<br />
216: 名無しの心子知らず 2014/03/17 12:30:21 ID:0Fvh8Vx4<br />
:男性関係者ってサイトにある63年生まれの人だろ?<br />
<br />
219: 名無しの心子知らず 2014/03/17 12:37:06 ID:PcksAPNJ<br />
:一見HPは立派だけど、よくよく見てみると胡散臭さ満載。 <br />
:スタッフ少なすぎるし、保育歴は7年?5年?どっち??って感じだし。 <br />
:料金設定は決して低くないよね。死亡だなんて親御さんお気の毒・・・<br />
<br />
228: 名無しの心子知らず 2014/03/17 13:03:40 ID:IDh8oVq3<br />
:ネットで検索して預けたらしいな。まさかこんなことになるなんて思ってなかったろうに・・子供も母親もかわいそうすぎる<br />
<br />
234: 名無しの心子知らず 2014/03/17 13:16:13 ID:4h6mRMjS<br />
:物袋容疑者でFA?<br />
<br />
241: 今、お巡りさんいっぱい 2014/03/17 13:53:31 ID:zu5pUgI4<br />
:物袋○治、、以前のことシッター募集をかけたら、毎日メールが来た。女の子だからとお断りすると母親が行きますと、埼玉県冨士見市の自宅が近いので、とのことだった。自分の子供だったらと思うとぞーっとした。<br />
<br />
250: 名無しの心子知らず 2014/03/17 14:23:49 ID:2aW7z8hz<br />
:子供が本当に気の毒。でも仮に何日も預けざるをえない場合って最低でも1日1回は連絡取って様子聞いたり子供と話したりしたい気がするんだけどそういうことはしてなかったのかな?<br />
:途中までは連絡取れてたのかな?駅で受け渡しも信じがたいんだけどこういうのって普通にあるの?<br />
<br />
252: 名無しの心子知らず 2014/03/17 14:28:05 ID:IUkSrAJQ<br />
:保育士とか書いちゃダメだったね。ただの無資格シッターだわ<br />
<br />
262: 名無しの心子知らず 2014/03/17 15:13:42 ID:NnfeWjNn<br />
:シッターって資格とか登録なしで商売してもいいんだな。ネット検索でひっかかった得体の知れない二十代だか三十代の見ず知らずの男に駅で子供引き渡すって、シッター以前の問題だと思うぞ<br />
<br />
264: 名無しの心子知らず 2014/03/17 15:16:33 ID:IUXs1PW+<br />
:ニートが起業したんだろうな<br />
<br />
281: 名無しの心子知らず 2014/03/17 16:29:26 ID:PcksAPNJ<br />
:最初は親可哀想って思ってたけど、苗字とメアドしか知らない男に、丸2日子供預けるって、ちょっと理解できないや。<br />
<br />
635: 名無しの心子知らず 2014/03/18 23:24:30 ID:dcUmOzz9<br />
:亡くなったお子さん怖かっただろうな。毎回暴力振るわれるシッターに引き渡された時の気持ちを想像すると悲しくなる<br />
<br />
532: 名無しの心子知らず 2014/03/18 15:11:06 ID:k8GFfb4h<br />
:とにかく>>183 で1年以上前からモッチーのペド性癖が明らかになっていたのだから、サイト運営者は警察に届けるなどしていればよかったのに。<br />
:防げた事件だよね。本家のシッターズネットも無料仲介だから何もしなくていいわけじゃなくて、社会通念上通報する義務はあるような。それにしても2ch探偵は磯子警察よりも優秀だなあ。<br />
<br />
== 児童の裸を撮影、保存。シッター再逮捕(2014年5月) ==<br />
[[埼玉県]][[富士見市]]のマンションで横浜市の男児(当時2歳)が遺体で見つかり、弟(11か月)が保護された事件で、[[神奈川県警]]は20日、富士見市東みずほ台、ベビーシッター物袋(もって)勇治(26)(保護責任者遺棄致傷罪で起訴)を児童買春・児童ポルノ禁止法違反(製造)で再逮捕した。物袋の逮捕は4回目。<br />
<br />
物袋は2012年11月24日頃~2013年4月21日頃、ベビーシッターとして預かった当時1歳の女児と5歳の男児の自宅で、2人の裸などをデジタルカメラで約60枚撮影し、パソコンに保存した。物袋は「裸にしたことは間違いないが、わいせつ目的ではない」と供述している。<br />
<br />
物袋のパソコンからは、ほかにも幼児の裸などを写した画像約240枚が見つかっており、県警が被害者の特定を進めている。一方、[[横浜地検]]は20日、別の幼児2人に対する児童買春・児童ポルノ禁止法違反(製造)などで、物袋を[[横浜地裁]]に追起訴した。<br />
<br />
== 2歳児殺害の元シッター、懲役26年判決確定へ(2018年9月) ==<br />
[[埼玉県]][[富士見市]]で[[2014年]]、[[横浜市]]の男児(当時2歳)を殺害したなどとして殺人罪などに問われた元ベビーシッターの物袋勇治被告(30)について、[[最高裁]]第2小法廷(三浦守裁判長)は10日付の決定で被告の上告を棄却した。被告を懲役26年とした1審・横浜地裁と2審・東京高裁の判決が確定する。<br />
<br />
1、2審判決によると、物袋被告は2014年3月14日、シッター仲介サイトを通じて母親と連絡を取り、男児と弟を誘拐。自室で男児の鼻と口を手で塞いで窒息死させるなどした。<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[DQN]]<br />
* [[DQNネーム]]<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:へひいしつたあさつしんしけん}}<br />
[[Category:平成時代の殺人事件]]<br />
[[Category:2014年の日本の事件]]<br />
[[Category:富士見市の歴史]]<br />
[[Category:底辺]]<br />
[[Category:ロリコン]]</div>
Fromm
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E6%9C%9D%E6%97%A5&diff=359843
テレビ朝日
2018-09-10T14:24:40Z
<p>Fromm: </p>
<hr />
<div>[[Image:スイス政府の民間防衛.jpg|600px|thumb|スイス政府「民間防衛」]]<br />
[[ファイル:テレビ朝日本社 六本木ヒルズ.png|400px|thumb|テレビ朝日本社 六本木ヒルズ]]<br />
'''株式会社テレビ朝日'''('''テレビあさひ''')は、[[広域放送|関東広域圏]]を[[放送#放送対象地域|放送対象地域]]とする[[一般放送事業者]]である([[放送#放送区域|放送区域]]は、本来は[[沖縄県]]の放送対象地域である[[大東諸島]]が含まれる)。<br />
<br />
==概説==<br />
===特色===<br />
*[[1984年]]に米国[[Cable News Network|CNN]]と提携、[[1985年]]には[[プライムタイム]]に大型ニュース番組『[[ニュースステーション]]』を開始。現在も『[[報道ステーション]]』『[[スーパーJチャンネル]]』に代表される[[ニュース番組]]や、『[[朝まで生テレビ!]]』『[[サンデープロジェクト]]』等の討論番組、『[[ビートたけしのTVタックル]]』といった時事[[バラエティ番組]]の制作を得意とし、[[報道]]に強い局、というイメージ作りに成功している。後述する[[朝日新聞]]との関係は、報道には良い面でも、悪い面でも影響を与え、少なくとも他局とは違う独自性を見せる形にはなっている 。<br />
*筆頭株主である[[朝日新聞]]の影響を受けており、又社長や役員等が朝日新聞出身者で占められている為、一部では「朝日新聞の「[[天下り]]」先」とまで批判される事がある。<br />
*[[2008年]]までの[[アジアサッカー連盟|アジアサッカー連盟(AFC)]]が主催する全試合の中継権(これには[[FIFAワールドカップ]]・アジア地区予選が含まれる)を獲得。地上波では独占中継する事となっている。<br />
*月曜日から土曜日まで毎日[[2時間ドラマ|サスペンスドラマ]]の再放送を昼間に行なっており、小さな子供への悪影響が懸念されている。特に[[長崎県]][[佐世保市]]で起きた[[小学生]]が同級生の首を[[カッターナイフ]]で切り失血死させた事件は[[TBS]]系列で放送された「月曜ミステリー」にヒントを得たと報道されたがこの事件以降、サスペンスドラマ及びそれを毎日昼間に再放送するテレビ朝日への批判はますます激しくなっている。これに関しては、TBS系列のBSデジタル放送、[[BS-TBS]](旧BS-i)にも言えることである。(BS-TBSでは毎日サスペンス作品を昼夜問わず流しており、テレ朝に匹敵するレベルである)。また、[[殺人]]がテーマの番組が非常に多く、[[電子掲示板]]上では略称のテレ朝を捩った'''「テロ朝」'''と揶揄されたり「殺人テレビ」と呼ばれる事も多く、[[新聞]]の読者投稿欄でも厳しく批判されている。また[[BPO]]にもサスペンスドラマの昼間の再放送には毎月数多くの批判が寄せられている。然し自身が放送したドラマに対しては責任を棚上げし、若年者が犯罪を犯せば自分たちが原因ではなく[[ビデオゲーム|ゲーム]]や[[インターネット]]が引き金になったと責任転嫁をする発言を繰り返し、これらのユーザーから激しい怒りを買うことも少なくない。<br />
**現在は相棒再放送を16時から毎日放送している。2016年6月6日は桝添会見あったが予定通り放送された。また日本テレビやフジテレビ同様に一切韓流放送していない。ただしBSとCSでは放送している。<br />
*社長自ら[[消費者金融]]CMを自粛しないと公表したことにより、「モラル・公共性のないテレビ局」と激しい非難を浴びた([[タバコ広告]]規制以前はタバコCMも自粛していなかった)。<br />
*「[[スーパー戦隊シリーズ]]」等の実写[[特撮]]テレビ番組を「[[仮面ライダー]]」第1作([[毎日放送]]がANN系列時代に制作)以降はほぼ中断期なく放送しており、他系列民放が手を出さ無い時期も特撮[[ヒーロー]]の灯を守り続けた局である。これらの番組は、現在「[[スーパーヒーロータイム]]」として放送されている。<br />
*報道では自分の瑕疵はてんで棚に上げてあくまで被害者面を貫く傾向が強く、本来の報道機関としての質は粗悪そのものとしか言い様が無い。<br />
*民放局の中で改編率が極めて低く、長寿番組が非常に多い。その反面、前述の問題点により「日本、いや地球上に存在していること自体が何らかの誤りとしか言い様が無い程に酷いテレビ局」と批判されることもままある。<br />
2015年2月1日は子供向けが仮面ライダーとプリキュア除き放送されなかった<br />
最近は木曜日と金曜日除きゴールデンタイムに拡大隔週多い<br />
グッドモーニングの7時45分はスキャンダルや訃報ばかりやっている。2016年1月14日は船越栄一郎とディクシー放送された。ヤフー乗っていた。なぜ乗っていたかというと任侠ヘルパーが来た為<br />
==== 【報道しない自由】京大教授「朝日と毎日の報道番組は、もはやただの思想誘導だ」 ====<br />
京都大学公共政策大学院特別教授 [[佐伯英隆]]<br />
<br />
昔から議論のネタではあったが、近年、自公から民主へ、さらに民主から自公への政権交代過程に伴い、[[マスメディア]]の公平・中立性の議論が一段と喧しい。<br />
<br />
先の衆院選、参院選では、個々の弁士の演説終了後、かなりの頻度で取材中のマスコミ関係者に対し聴衆から「偏向マスコミ帰れ」の大合唱が沸き起こった。これまでに無い出来事である。<br />
<br />
「事実」という断片だけを繋ぎ合わせても記事や報道はできない。そもそも、どの「事実」を報道するのかという取捨選択から始まり、記事や番組の構成、強調点、誰のコメントを付すかなどに報道者の選択が入る事は避けられず、報道する側の主観を一切排除した完璧な公正・中立報道などは本来幻想でしかない。もともと報道各社ごとに政治的色彩の違いはあった。<br />
<br />
ただ、従来その色彩の違いが「何となく」であったものが、近年急速に鮮明かつ露骨になったのではないか。これまでマスメディアは一応、公平・中立という建前の旗印だけは降ろさずに来たが、最近その仮面もかなぐり捨てて、それぞれ思い思いの方向に突っ走り、タガが外れた印象がある。<br />
<br />
報道者側は報道する自由もあるが、「[[報道しない自由]]」もある。これを駆使すれば、自らの主張に沿う報道を作り上げることは極めて容易である。<br />
<br />
また、「議論を呼びそうだ」「問題となりそうだ」という表現を加えて世論を誘導することも簡単だ。そういった誘惑を報道人としての使命感と矜持で自制してもらいたいのだが、自制より報道各社の政治方針に沿う事の方が(出世のためには?)重要と見える。<br />
<br />
テレビの「報道番組」に至っては、視聴者を番組制作者側の政治的信条・主張に沿って誘導するショーと化している。<br />
<br />
新聞・雑誌と異なり、電波帯域という公共財を特別に使用する権能を付与されたテレビ・ラジオには、[[放送法]]第4条で政治的公平性と、意見対立案件についての多角的論点提示が義務付けられているのだが、それを意識している番組製作者が何人いるのだろうか。<br />
<br />
[[CNN]]や[[BBC]]では、意見対立案件については、双方の論者を画面に登場させて議論させるケースが多々見られるが、我が国では、コンセンサス形成という予定調和を望む傾向が強く、それが反映されるのか、双方が対立意見を戦わせるという番組の構成はほとんど見かけない。視聴者に選択させるという事をせず、「番組製作者が考えるコンセンサス」に誘導していこうという意図が見透かされるものが多い。<br />
<br />
新聞も一種の危機である。経団連調べによれば、新聞記事への信頼度は57%で、テレビやネットを大きく上回っているとの事だが、逆に言えば4割強の人が新聞記事を信頼していないという事であり、一昔前、新聞に書かれてあることをほとんどの人がそのまま真実だと受け取っていた「幸せな時代」からすれば劇的な変化だ。<br />
<br />
ネット情報に対する信頼度は確かに低いが、それはネットとは、さまざまな人が自己の主張や心情に基づき、さまざまな情報を展開する場であるという事を「皆が知っている」からである。<br />
<br />
しかし、その多様性ゆえにマスメディアの報道に対して「本当にそうか」自ら調べる検証装置、セカンドオピニオンの提供機能を果たしている。民衆は新聞記事を自ら検証する手段を史上初めて手に入れた訳である。新聞人はこの数字をもっと深刻に捉えるべきであろう。マスメディアが公正・中立という仮面まで捨ててしまうのは緩慢な自殺行為である。<br />
<br />
さえき・ひでたか [[大阪府]]出身。[[東京大学法学部]]、[[ハーバード大学]]J・Fケネディ行政大学院卒。[[1974年]]、[[通産省]](現経産省)に入省。在[[ジュネーブ]]日本政府代表部参事官、[[島根県警]]本部長、通商政策局審議官などを経て[[2004年]]に退官。現在、イリス経済研究所代表などを務める。<br />
<br />
==== ニュース番組でよく用いられる表現 ====<br />
① 「政府は何もやっていない」 → 自分たち好みの行動を取っていない<br />
<br />
② 「議論が尽くされていない」 → 自分たち好みの結論が出ていない<br />
<br />
③ 「国民の合意が得られていない」 → 自分たちの意見が採用されていない<br />
<br />
④ 「内外に様々な波紋を呼んでいる」 → 自分たちとその仲間が騒いでいる<br />
<br />
⑤ 「皆さんにはもっと真剣に考えてほしい」 → アンケートで自分達に不利な結果が出ました<br />
<br />
⑥ 「心無い中傷」 → 自分たちが反論できない批判(はやめろ)<br />
<br />
⑦ 「異論が噴出している」 → 自分たちが反対している<br />
<br />
⑧ 「本当の解決策を求める」 → 現実的な具体策は何もないがとにかく政府等のやり方はダメだ<br />
<br />
⑨ 「各方面から批判を招きそうだ」 → 批判を開始してください<br />
<br />
⑩ 「~なのは間違いありません」 → 証拠が何も見つかりませんでした<br />
<br />
⑪ 「両国の対話を通じて~」 → 中韓に都合の悪い行動はやめて中韓の言うことを聞け<br />
<br />
⑫ 「問われているのは~」 → 次に中韓と市民団体に騒いで欲しいのはここだ<br />
<br />
⑬ 「表現の自由・報道の自由」 → 捏造(記事)の自由・偏向(報道)の自由<br />
<br />
⑭ 「人権尊重」 → (中韓に有利になるように)人権を尊重しろ<br />
<br />
⑮ 「右翼」 → 自分達にとって都合の悪いことを言う人<br />
<br />
⑯ 「反発は必至」 → 早く抗議してください<br />
<br />
===ネットワーク===<br />
*[[All-nippon News Network|ANN]](“オール・ニッポン・ニュースネットワーク”)という[[ニュース系列]]の[[キー局]]であり、地方局各社とネットワークを結んでいる。また、[[系列局]]がない地方の報道取材は各主要系列局が分担しており、テレビ朝日は[[山梨県]]、[[富山県]]、[[鳥取県]]、[[島根県]]東部・隠岐を担当している。富山県は[[北陸朝日放送]]と共同。[[テレビ朝日甲府支局|甲府]]・富山・[[テレビ朝日鳥取支局|鳥取]]・[[テレビ朝日米子支局|米子]]に支局がある。また、[[徳島県]]と[[高知県]]は[[朝日放送]]が取材エリアとして担当しており、[[福井県]]・[[宮崎県]]の[[クロスネット]]局と合わせて全国をカバーしている。<br />
<br />
===略歴===<br />
''※詳細な社歴は[[#沿革|別項]]を参照''<br />
<br />
* [[1957年]]、テレビ業界への進出をうかがっていた[[東映]]、日本短波放送(現・[[日経ラジオ社|日経ラジオ社]])およびその親会社である[[日本経済新聞社]]、そして[[旺文社]]など出版関係者が中心となり、教育番組専門局として'''株式会社日本教育テレビ'''を設立。免許交付の条件は教育番組を50%以上、教養番組を30%以上放送するというものであり、営利を目的とした教育専門局は世界でも珍しかった。<br />
** しかし、この試みは事実上失敗に終わり、その後は例えば[[アニメーション]]や[[映画|外国映画]]を、それぞれ「子供の情操教育のため」「[[外国文化]]の紹介」の名目で「教育番組」や「教養番組」に指定し、対外呼称も『日本教育テレビ』から『'''NETテレビ'''』に変更。事実上の総合放送局化を図った。<br />
** [[1973年]]11月に、同じ教育専門局だった東京12チャンネル(のちの[[テレビ東京]])の深刻な経営不振などを理由に、NETにも総合局免許が交付され、名実ともに『総合局NET』として再出発することとなった。<br />
* 開局前に、東映は朝日新聞社と合弁して[[テレビ朝日映像|朝日テレビニュース社]]を設立して、NETは開局以来同社が制作したニュースだけを放送していた。しかし1966年に東映の持株の半分を朝日新聞社が譲受して以降、資本面や経営面でも朝日新聞社との結びつきが強化され、事実上朝日新聞社の傘下に入った。<br />
* [[1977年]]、'''全国朝日放送株式会社'''に社名変更して略称を『'''テレビ朝日'''』とする。<br />
* [[1996年]]10月1日、[[岩手朝日テレビ]]の開局をもってANN全国ネットワークの完成を宣言。同時に系列のシンボルマークを制定した。<br />
* [[2002年]]、前年の[[世界水泳選手権]]での取り組みをきっかけに、体質改善を目的として「全社変革推進運動」を開始し、[[2007年]]まで続けられた。この間に大幅な社内改革が行われ、結果として後述するような視聴率の向上につながった。<br />
* [[2003年]]の[[六本木ヒルズ]]新社屋移転を「第3の開局」と位置付け、社名を'''株式会社テレビ朝日'''に変更、企業[[ロゴタイプ|ロゴ]]も欧文主体のものに改めた。<br />
* [[2005年]]、年間視聴率ならびに年度視聴率で[[プライムタイム]]の視聴率が開局以来初の'''2位'''となった。これまでは「万年4位」と呼ばれるほど長期にわたって視聴率が低迷していた。ただし[[全日]]視聴率では、NETテレビ時代の[[1969年]]から[[1971年]]まで、[[日本放送協会|NHK]]に次ぎ'''在京局2位'''(在京民放首位)になったことがある。<br />
* [[2007年]]11月1日、会社創立50周年を迎える。2009年2月1日の開局50周年を挟んで、2009年3月31日までを「開局50周年記念期間」と位置付け、様々な記念番組の放送、及び企画・イベントを行なった。<br />
* [[2012年]]、4月の月間視聴率(2日 - 29日)ならびに四半期視聴率(4月第1週 - 6月第4週)で[[全日]]・[[ゴールデンタイム]]・[[プライムタイム]]・[[プライム2]]の時間帯すべてで首位となり、開局以来初の「'''四冠王'''」を獲得した。<br />
* 2012年度上半期の平均視聴率は、プライム・プライム2で首位を獲得。全日・ゴールデンは2位となったが、プライム・プライム2・ゴールデンでは開局以来初、全日では41年ぶりの記録となった。<br />
* 2012年の年間視聴率(2012年1月2日 - 12月30日)において、プライムタイムの時間帯で開局以来初の首位を獲得。ゴールデンタイムでも開局以来初の2位となり、全日では41年ぶり4回目の2位を獲得した。<br />
*また[[準キー局]]の[[朝日放送]]は、[[2012年]](ビデオリサーチ調べ、関西地区)の年間視聴率で、全日帯(午前6時~午前0時)、ゴールデン帯(午後7時~10時)、プライム帯(午後7時~11時)で1位になった。3冠獲得は[[1982年]]以来30年ぶり。同社によると、朝や夜のローカル番組やゴールデン帯の全国ネット番組が好調なためだという。<br />
* 2012年の年度視聴率(2012年4月2日 - 2013年3月31日)において、ゴールデンタイムの時間帯で開局以来初の首位を獲得。プライムタイムでも年間に続き首位を獲得し、初の視聴率2冠を達成した。全日は日本テレビ(7.9%)に0.1%差で2位につけた。また、2012年度下期(2012年10月1日 - 2013年3月31日)では全日も首位となり、テレビ朝日が独自に設定しているプライム2(午後11時 - 午前1時)を合わせ4冠を達成している。<br />
* 上記の視聴率首位獲得やかつて「民放の雄」だった[[TBSテレビ]]の長期低迷も相まって、テレビ朝日は単体売上高でも開局以来初めてTBSテレビを抜き民放キー局3位に浮上した。<br />
<br />
===英字略称===<br />
英字略称は'''NET'''、'''ANB'''を経て[[2003年]]から'''EX'''である。EXは、[[呼出符号]]であるJOEX-DTV(アナログはJOEX-TV)に因む。<br />
<br />
EXに変わったのが最近である事もあり、未だにANBと表記される事も少なからずある。例えば、[[芸能プロダクション]]の公式[[ホームページ]]などで公開される[[タレント]]プロフィールに多く、これが[[書籍]]や[[雑誌]]などでも[[校正]]されずにそのまま使われる事も多い。ただし、放送局関係(芸能関係ではなく)では以前からEXと言う略称も使われており、略称変更と言うよりは、EXに統一されたという方が正しい。<br />
<br />
=== ロゴ ===<br />
* 当初のロゴ「日本教育テレビ」(~1960.12)は今日では当時の朝日新聞縮刷版等で見ることが出来る程度。<br />
* NETロゴ(1960.12~1977.3)は「NET」の文字が活字のゴシック体でかつ斜体になった物。NETテレビ当時に本放映された番組の再放送のエンディングロール等で見ることが出来る。なお、「10」のロゴは大阪・[[讀賣テレビ放送|よみうりテレビ]]や[[琉球放送]](RBCテレビ)の現行の物と似ていた。<br />
* テレビ朝日旧ロゴ(1977.4~2003.9)は、赤く書かれることが多かった。10をかたどったマークもあったが、全国ネットではほとんど登場しなかった。1996年以降は、ほとんどの番組で、ネットワークシンボル表示されることが多かった。 例、製作著作(ネットワークシンボル)テレビ朝日<br />
* 現在のテレビ朝日のロゴは棒でできたような形をしているが〔/tv asahi〕〔tv asahi\〕、これは[[テクノ]]ユニット[[アンダーワールド (バンド)|アンダーワールド]]が参加していることで有名な[[イギリス]]のデザイナーユニット[[TOMATO]]とテレビ朝日のインハウスデザイナー製作によるもので、音に反応して[[コンピュータグラフィックス|CG]]によりランダムに切り替わり同じ動きを二度としないようになっている。[[コマーシャル|CM]]明けなどに3秒間画面の右上に(地上デジタル放送では『digital 5』の文字も含む。なお、当初は番組名も表示されるようになっていたが、それは後に無くなっている)表示されるほか、放送開始・終了時にも見ることができる(CS放送の[[テレ朝チャンネル]]も同様)。 これは、[[2003年]]秋の本社屋移動と同時に開始。 又、[[2004年]]9月からは生放送番組のエンドクレジットの際にもランダムな動きをするようになった([http://www.tv-asahi.co.jp/vi/ 参考リンク])。オープニング、クロージングではアンダーワールドの曲が使われている。ちなみにロゴタイプやその他VIで使用されている欧文[[フォント]]はAkzidenz Grotesk Bold、和文フォントはヒラギノ角ゴシック(W8)である。[[受信報告書]]を出した際に返信がくる[[ベリカード]]や、封筒、便箋等のステイショナリー類も、このデザインを使った数種類の色のタイプを製作・使用している。現在もプロジェクトチームによりデザインマネージメントが継続して行われており、[[2007年]][[1月]]になって、公式サイトや関東ローカル向けの広告等ではチャンネル番号の変更をPRするためか、『'''tv asahi/ digital5'''』の表記が多用されるようになった。<br />
<br />
===本社が六本木になった理由===<br />
開局時に本社選定にあたって以下の候補地が存在した。<br />
* [[お茶の水]]の[[岸記念体育会館]]<br />
* [[虎ノ門]]の[[ホテルオークラ]]の隣接地<br />
* [[原宿]]の[[青山通り]]に面した銀行の所有地<br />
* [[河田町]]のフジテレビの敷地(のちのタワービルが建設された場所)<br />
* [[東映]]の[[東映東京撮影所|大泉撮影所]]の敷地<br />
* [[六本木]]の東映敷地(現在の六本木ヒルズ本社の場所)<br />
などがあった。その中から<br />
# 交通の利便性が良いこと<br />
# 将来的な土地の拡張が可能であること<br />
# 通信系統や電力が容易が得られること<br />
# 建設がしやすいこと<br />
などを条件に検討を重ね六本木の東映敷地が選定された。<br />
<br />
=== その他 ===<br />
テレビ朝日の地上デジタル放送では音声を常時[[サンプリング周波数]]48kHzの高音質[[ステレオ放送|ステレオ音声]]信号(圧縮Bモードステレオ)で送出しており、編成上全ての番組がステレオ放送(一部はモノステレオ放送)となっている。これはANN系列局を含む他の民放テレビ局(地上波・BS・CS各局)の大半でもモノラル二重音声・5.1サラウンドを行わない限り常時ステレオ音声信号で送出している。音声多重放送や文字多重放送のマークではひよこのデザインが使われている。アナログ放送では通常、デジタル放送でしか表示されていない5.1サラウンドとデータ放送マークも表示されている。受信機表示アイコンは、在京キー局で唯一チャンネル番号によってロゴの色が異なっている。[[2005年]]公開のハリウッド映画『[[宇宙戦争 (2005年の映画)|宇宙戦争]]』で[[ウクライナ]]の大停電を現地から伝えるテレビ中継車の壁に『'''tv asahi テレビ朝日'''』の文字が見える。<br />
<br />
2008年'''5'''月'''5'''日(月・祝)には'''地上デジタルテレビ放送でのテレビ朝日の[[リモコンキーID]]「'''5'''」に因み「テレビ朝日の日」'''と題して、「[[やじうまプラス]]」から「[[ワイドスクランブル]]」までの4番組と、「[[スーパーJチャンネル]]」の計'''5'''番組でそれぞれクイズを出題。正解者の中から各番組1名(それぞれの番組に応募が必要)の計'''5'''名に、'''5'''0インチ相当の地上デジタル放送対応テレビをプレゼントする企画が行われた。2008年9月からは、デジタル放送普及と、デジタル放送でのテレビ朝日のチャンネルの周知を目的として、さまざまな番組で「地デジ」に関する情報が放送されている。また、アニメや映画等とのコラボレーションで制作されたPRスポットでは、アナログ10チャンと表現する際に全国朝日放送時代の旧ロゴで10(前述の0が菱形のもの)を使用している。地上デジタル放送のEPGでは、字幕放送を実施している番組については、本来のジャンルに加え「福祉番組」のジャンルも追加されている。このためチューナーによっては福祉番組のジャンルを選択した場合、これらの番組も表示されることとなる。<br />
<br />
== 送信所 ==<br />
* デジタル放送 <br />
** コールサイン:JOEX-DTV<br />
** [[リモコンキーID]]:5<br />
** 親局送信所(2013年5月31日からの親局) - 東京都墨田区押上1-1-13 [[東京スカイツリー]] 24ch 10kw<br />
** 予備送信所(2013年5月31日までの親局) - 東京都港区芝公園4-2-8 [[東京タワー]] 24ch<br />
<br />
==送信所==<br />
*アナログ放送 - JOEX-TV、東京10ch<br />
*デジタル放送 - JOEX-DTV、東京24ch([[リモコンキーID]]:5)<br />
:同局ではリモコンのチャンネル番号が変更されることに伴い、PRするためのスポットCMを放送している。(最後に「'''10チャン、5チャン、2011年7月24日までは、どちらもテレビ朝日。'''」と呼びかける。)<br />
<br />
===主な中継局===<br />
====《アナログ放送の中継局》====<br />
*[[東京都]]<br />
**大井町:76ch(SHF帯を使用。[[品川区]]大井町では、東京(タワー)10chを視聴している家庭がほとんど)<br />
**八王子:45ch(八王子市周辺でも、東京10chを視聴している家庭が多い)<br />
**多摩:57ch(東京10ch視聴者が多い)<br />
**新島:60ch(垂直偏波)<br />
**八丈島:10ch<br />
**小笠原父島:59ch<br />
*[[茨城県]]<br />
**水戸:36ch(垂直偏波)<br />
**鹿嶋:29ch<br />
**日立:60ch<br />
**高萩:59ch<br />
*[[栃木県]]<br />
**宇都宮:41ch<br />
**日光:60ch<br />
**矢板:59ch<br />
*[[群馬県]]<br />
**前橋:60ch<br />
**富岡:59ch(垂直偏波)<br />
**桐生:59ch<br />
**沼田:59ch<br />
*[[埼玉県]]<br />
**本庄:59ch(垂直偏波)<br />
**秩父:38ch<br />
*[[千葉県]]<br />
**成田:59ch<br />
**銚子:59ch<br />
**香取佐原:60ch<br />
**勝浦:59ch<br />
**館山:60ch(垂直偏波)<br />
*[[神奈川県]]<br />
**山下町:77ch([[中区 (横浜市)|中区]]山下町でも、東京10chを視聴している家庭が多い)<br />
**[[みなとみらい21|横浜みなとみらい]]:60ch(横浜市みなとみらい21周辺でも、東京10chを視聴している家庭が多い)<br />
**横須賀久里浜:35ch(北方向は水平偏波・西方向は垂直偏波)<br />
**平塚:41ch(垂直偏波)<br />
**小田原:60ch<br />
*[[沖縄県]]<br />
**南大東島:60ch<br />
**北大東島:48ch<br />
・・・他<br />
<br />
====《デジタル放送の中継局》====<br />
*茨城県<br />
**水戸:17ch<br />
*栃木県<br />
**宇都宮:17ch<br />
*群馬県<br />
**前橋:43ch<br />
*神奈川県<br />
**平塚:24ch(垂直偏波)<br />
<br />
==沿革==<br />
*1957年(昭和32年)11月1日、株式会社日本教育テレビ設立。<br />
*1959年(昭和34年)2月1日、教育放送局として正式に放送を開始。<br />
*1959年(昭和34年)3月1日、この日テレビ放送を開始した[[毎日放送|毎日放送(MBS)]]、[[九州朝日放送|九州朝日放送(KBC)]]とネットワークを結ぶ。<br />
*1960年(昭和35年)1月17日、出力を現在の映像50kW、音声12.5kWに増力。<br />
*1960年(昭和35年)12月10日、社名呼称を'''NETテレビ(えぬいーてぃーてれび)'''に統一。<br />
*1964年(昭和39年)4月1日、「木島則夫[[モーニングショー]]」スタート。<br />
*1964年(昭和39年)10月1日、福岡地区のKBCテレビが[[フジテレビジョン|フジテレビ]]との[[クロスネット局|複合ネット]]から、[[フルネット|単独ネット]]化に踏み切る。<br />
*1967年(昭和42年)4月3日、カラー放送がスタート(東京地区では4番目)。第一号は[[アニメーション|アニメ]]『[[魔法使いサリー]]』。<br />
*1970年(昭和45年)1月1日、ニュース番組のタイトルを「ANNニュース」に変更。<br />
*1971年(昭和46年)11月20日、報道を朝日テレビニュース(のちの[[テレビ朝日映像]])に委託(1978年11月に終了)。<br />
*1973年(昭和48年)4月1日、[[名古屋市|名古屋]]地域に於ける[[名古屋テレビ放送|名古屋テレビ(NBN)]]と[[中京テレビ放送]](CTV 開局当初は中京UHFテレビ放送)の2局による[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]との変則複合ネットが解消され、名古屋テレビがNETの単独ネット化に踏み切る。<br />
*1973年(昭和48年)10月1日、報道スタジオ完成。スポットニュースを除き、全てのニュースが[[アナウンサー]]顔出しとなる。<br />
*1973年(昭和48年)11月1日、総合放送局に移行。<br />
*1974年(昭和49年)1月7日、[[オイルショック|石油危機]]により深夜放送自粛(10月に全面解除)。<br />
*1974年(昭和49年)3月23日、創立以来続いてきた学校放送が全面終了(『[[親の目・子の目]]』のみ残ったが2004年3月で終了し、現在は後番組「[[いきいき!夢キラリ]]」)。<br />
*1975年(昭和49年)11月19日、[[キー局|準キー局]]を毎日放送(MBS)から[[朝日放送|朝日放送(ABC)]]に変更することで基本合意。MBSはこれまでABCとネットを組んでいた[[東京放送|東京放送(TBS)]]とネットを結ぶことになり、翌1975年(昭和50年)3月31日からNET-ABCの新ネットワークがスタート([[ネットチェンジ]])。いわゆる[[腸捻転]]状態が解消された。<br />
*1977年(昭和52年)4月1日、商号を'''全国朝日放送株式会社'''に変更。愛称を「テレビ朝日」とする。<br />
*1978年(昭和53年)12月17日、音声多重放送を開始。第一号は20:54の『[[ANNニュース]]』。ステレオ第一号は12月24日の「[[題名のない音楽会]]」。<br />
*1985年(昭和60年)9月28日、[[アークヒルズ]]社屋完成(六本木と赤坂の境目)。テレビマスターと報道機能を移転。<br />
*1985年(昭和60年)10月7日、[[久米宏]]をメインキャスターに起用した夜の大型ニュースショー『[[ニュースステーション]]』がスタートされた。<br />
*1986年(昭和61年)5月、[[アークヒルズ]]に本社を移転。旧本社社屋は『六本木センター』とし、制作部門が残る。<br />
*1993年(平成5年)7月、選挙報道において報道局長による中立違反疑惑が発生([[椿事件]])。<br />
*1996年(平成8年)10月、[[岩手朝日テレビ]](盛岡市)が開局し、ANNネットワーク(フルネット24局)が完成。<br />
*2000年(平成12年)10月3日、[[東京証券取引所]]市場第1部に株式を上場。<br />
*2000年(平成12年)12月1日午前11時、系列のBSデジタル放送『[[ビーエス朝日|BS朝日]]』(デジタルBS5Ch。本社・渋谷区神宮前)が開局。<br />
*2003年(平成15年)10月1日、商号を'''株式会社テレビ朝日'''、略称を[[コールサイン]]からとった“'''EX'''”(但し、EXの略称はこれ以前から業界で使われていた)に変更。同時に[[六本木ヒルズ]]内の新社屋が完成したことにより本社機能を[[アークヒルズ]]から移転し、[[テレビ朝日米子支局|エーサットサンイン]]を吸収合併。<br />
*2003年(平成15年)12月1日午前11時、地上デジタルテレビジョン開局。開始当初から、デジタル放送ではBS朝日向けの放送を含め、六本木本社スタジオからの生放送のほとんど全てを[[ハイビジョン]]で放送(ハイビジョン制作そのものは移転と同時に始まっている)。<br />
*2004年(平成16年)2月9日、アナログ・デジタル統合マスターの運用開始。時刻テロップも変更(それまではアナログ放送は新社屋移転後も引き続きアークヒルズ社屋のマスターから送出していた)。<br />
*2004年(平成16年)4月5日、18年半余り続いた『[[ニュースステーション]]』に代わって[[古舘伊知郎]]がメインキャスター起用の『[[報道ステーション|報道STATION]]』がスタート。<br />
*2005年(平成17年)5月21日、[[プロ野球]]・[[読売ジャイアンツ]]主催試合を初めて中継([[東京ドーム]]・対[[北海道日本ハムファイターズ]]戦)。<br />
*2006年(平成18年)4月1日、地上デジタルテレビジョン[[ワンセグ]]の本放送を開始。<br />
*2006年(平成18年) 6月18日、[[2006 FIFAワールドカップ]][[サッカー日本代表|日本]]VS[[サッカークロアチア代表|クロアチア]]戦を地上波で独占放送(系列局と系列局のない県の放送局を含む。)。<br />
<br />
==テレビ朝日の[[不祥事]]・事件==<br />
===過去の[[不祥事]]・事件===<br />
*1985年10月8日、『[[アフタヌーンショー]]』にて「激写!中学生女番長!セックスリンチ全告白!」というタイトルで番組ディレクターが知り合いの暴走族に女子中学生をリンチするように「[[やらせ]]」依頼し、暴行映像を撮影していたことが発覚して番組は打ち切りになる。この事件によって「[[やらせ]]」という業界用語が世間に表面化していった。<br />
*1993年、テレビ朝日の当時の報道局長であった椿貞良が民放連の会合に招かれた際に『小沢一郎氏のけじめをことさらに追及する必要はない。今は自民党政権の存続を絶対に阻止して、なんでもよいから反自民の連立政権を成立させる手助けになるような報道をしようではないか』などと発言したことが問題になり放送法違反が疑われ証人喚問される事態とまでなった。いわゆる[[椿事件]]である。<br />
*1995年7月8日、1995年6月24日放送の『[[ザ・スクープ]]』で松本サリン事件を特集した過程の中で、「長野県警に質問書を出したが回答がない」と放送したが、実際には長野県警に質問書を提出していなかったために長野県警に抗議され捏造が発覚。<br />
*1996年10月10日、当時のテレビ朝日報道局報道センター課長と、同社報道局映像センターカメラマンが大麻取締法違反容疑で逮捕される。職務質問を受けた際、ズボンのポケットに大麻を隠し持っていたため現行犯逮捕。<br />
*1997年1月7日、[[ペルー日本大使公邸占拠事件]]が発生(占拠されたのは1996年12月17日)した際、テレビ朝日のニュースネットワークの一員として取材に当たっていた[[広島ホームテレビ]]の取材クルーが、[[トゥパク・アマル革命運動|MRTA]]側の声明を取材し全世界に発信する目的でペルー大使館に突入を試みる事件が発生。結果的にMRTA側から拒絶された為大事にはならなかったが、日本・ペルー両政府のみならず世界中のマスコミから非難を受けた。([[ペルー日本大使公邸占拠事件#テレビ朝日の暴走]]を参照)<br />
*1999年2月、『[[ニュースステーション]]』で「埼玉県所沢産の野菜から高濃度のダイオキシンを検出したと誤報し同市産の野菜の価格が下落したことなどで被害を被った農家側に訴訟を起こされる。(「[[ニュースステーション#所沢ダイオキシン訴訟]]」を参照)<br />
*2000年8月10日、当時のテレビ朝日技術局制作技術センター職員が静岡県下田市白浜の民宿の風呂場脱衣所で着替えをしていた女性を窓の外からのぞき、ビデオ撮影してるところを脱衣中の女性に発見され逃走。その後、事態を聞きつけた民宿経営者に取り押さえられ軽犯罪法違反の疑いで現行犯逮捕。<br />
*2001年4月21日、当時の深夜番組『[[トゥナイト2]]』の制作スタッフが車内に大麻を隠し持っていたとして大麻取締法違反の現行犯で万世橋署に逮捕。<br />
*2001年10月26日、ワイドショー『[[スーパーモーニング]]』で、川村晃司元カイロ支局長が「ユダヤ人は米メディアをコントロールしているため、([[炭疽菌]])事件の標的になった」などと発言し、米国のユダヤ人団体に抗議される。<br />
*2001年12月15日、バラエティ番組『極楽とんぼのバスコーンだろ!!』で、千葉県の条例で車両乗り入れを禁止している九十九里浜に乗用車を走らせ撮影したことが発覚し、千葉県に陳謝する。<br />
*2002年6月29日、当時、BS朝日に出向中のテレビ朝日社員が住居侵入の疑いで逮捕される。さらに女性マンションに窓ガラスを割って侵入し窃盗容疑でも再逮捕されたが、その後、当時、『[[スーパーJチャンネル]]』などで報道していた渋谷、目黒区内で発生していた「連続レイプ事件」の犯人だった事が判明。被害者の中に芸能プロダクションに所属するタレントがいたことで、その住所を知ることができる立場の芸能関係者だと密かに捜査一課が内偵していた。住居侵入の時点でテレビ朝日はこの社員を解雇したが、強姦事件の件を知らされたため早々に責任を逃れるために解雇したと言われている。<br />
*2002年11月4日放送のテレビ朝日『スーパーモーニング」にて「古都騒然! 京都を騒がすギンギン族の実態』というコーナーで番組リポーターらが改造車の持ち主に暴走行為をするよう「やらせ」依頼し実際に暴走行為を行わせたとして[[道路交通法|道交法]]違反(暴走行為幇助)の疑いで書類送検される。<br />
*2001年から2002年にかけて[[不思議どっとテレビ。これマジ!?]]などで「アポロ計画の月着陸捏造疑惑」を繰り返し放送。(詳しくは[[アポロ計画陰謀論]]参照)外国のジョーク番組をドキュメンタリーであるかのように意図的に編集して放送した。さらに[[BPO]]への苦情に対しては「最後は、デヴィ夫人がMCや他のゲストたちに「月の土地」をプレゼントすることで、いつか自分の目で確かめに行ってくださいという締めくくりになっています。また、スタジオでの出演者の意見も肯定・否定の双方を取り上げると同じに、番組的な結論までは出していません」[http://www.bpo.gr.jp/youth/answer/answer_30.html]と解答。これに対しても苦情が殺到した。<br />
*2003年8月12日、ドラマ『[[西部警察 SPECIAL|西部警察 2003]]』の撮影の際、俳優の[[池田努]]が運転する撮影用の自動車が撮影を見物していた人集りに突っ込み、5人が骨を折るなどの重軽傷を負う大事故が発生し、番組は制作中止となる。<br />
*2003年9月24日、2003年の自民党総裁選の際に村岡兼造元官房長官が当時の野中広務元幹事長から「毒まんじゅう、食ったんか?」と言われたことを基に、テレビ朝日の報道記者が村岡兼造氏の自宅前に無断で勝手にまんじゅうを置き顰蹙を買う。<br />
*2003年12月24日、当時のテレビ朝日スポーツ局部長待遇が泥酔運転で当て逃げしたところ、110番で駆けつけた秋田署に道交法違反(酒酔い運転)の現行犯で逮捕される。<br />
<br />
===近年の不祥事・事件===<br />
*2004年1月14日、元早大ラグビー部主将で当時のテレビ朝日の営業局社員が2003年10月、東京都渋谷区内の違法カジノ店を賭博開張図利容疑で摘発した際、賭博の現行犯で警視庁に逮捕されていたことが発覚する。<br />
*2004年2年19日、テレビ朝日は『[[たけしのTVタックル]]』(2003年9月放送)で誤った方向へ導くための作為的な番組編集と、『[[ニュースステーション]]』(2003年11月放送)で[[民主党 (日本)]]を担ぎ上げる偏向報道を実施した事に対して[[自民党]]から抗議され「誤った編集や配慮に欠けた構成があった」として当時の編成制作局長ら関係者計7人の処分を発表。<br />
*2004年2月21日、深夜バラエティー番組『[[SmaSTATION|SmaSTATION-3]]』で、[[インスタントラーメン]]を食べると[[脳梗塞|脳こうそく]]につながると根拠のない誤解を与える放送をし、業界団体から抗議をうけ謝罪。<br />
*2004年2月24日、テレビ朝日が日本と国交のない北朝鮮の「朝鮮中央テレビの映像の使用に対して、著作権料を払っていたことを日刊ゲンダイに報道される。政府によると国交のない国の映像には著作権法の保護は及ばないとされている。<br />
*2004年2月25日、テレビ朝日、深夜アニメ『[[エリア88]]』で裸体の女性が倒れている映像を瞬間的に挿入する[[サブリミナル効果|サブリミナル]]的な表現をしていたことを指摘され該当部分を削除。ちなみに[[日本民間放送連盟]]の放送基準では、肉眼で知覚できない映像を挿入するサブリミナル的表現を禁止している。<br />
*2004年5月20日、情報番組『[[報道ステーション]]』の韓国人ディレクターが同番組の日本人ディレクターを暴行していた事が週刊新潮の報道で判明する。<br />
*2004年6月4日、2003年9月放送の『たけしのTVタックル』で、自民党の藤井孝男衆議院議員に関しての放送の際、民主党議員が北朝鮮の拉致被害者の問題を質疑している最中に、あたかも藤井議員が拉致問題の質疑に対して野次を飛ばしているかように編集し放送した問題で「放送と人権等権利に関する委員会」(BRC)はテレビ朝日に権利侵害を勧告。(実際は野次を飛ばしていたのは別の質疑に対してであった)。[http://www.soumu.go.jp/s-news/2004/040622_3.html 株式会社テレビ朝日の「ビートたけしのTVタックル」等における報道に関する問題への対応] また2004年11月4日放送の『[[ニュースステーション]]』で総選挙公示期間中にも関わらず一方的に、民主党が発表した閣僚名簿に関する報道を行い、これら二件について総務省から厳重注意される。<br />
*2004年8月2日、栃木県のセミナー団体『ホームオブハート』の関係施設に居た子供が児童相談所に一時保護された問題で児童虐待の疑惑を告発していた弁護士らを取材したテレビ朝日の取材メモなどが団体側に渡る。その後、団体関係者が弁護士らを相手に名誉棄損訴訟で、テレ朝取材メモなどを東京地裁に証拠提出したため、資料が団体側に流れている事を知った弁護士側はテレビ朝日に抗議。<br />
*2004年12月3日、週刊文春(文藝春秋)の報道により、バラエティ番組『[[銭形金太郎]]』でやらせが発覚。貧乏な生活を紹介する番組だったが実際にはスタッフの指示で貧乏な生活を装っていた事が週刊誌に暴露される。<br />
*2005年2月2日、『メディアリンクス』の架空取引に絡む横領事件で元テレビ朝日社員が大阪地検特捜部に業務上横領容疑で逮捕されるが、2006年4月11日、無罪判決が言い渡される。<br />
*2005年12月7日、2005年12月5日放送の情報番組『[[奇跡の扉 TVのチカラ|TVのチカラ]]』で霊視能力者が「1990年に札幌市内で発生した殺人事件の容疑者が近くにいる」とし、神戸市東灘区の小学校の映像を学校側に許可なく無断で放送し、同校の保護者や児童が不安を訴え集団下校や地域住人による見回り強化といった事態になり問題化する。同校はテレビ朝日に抗議。<br />
*2005年12月21日、『[[サンデープロジェクト]]』の契約ディレクターが無免許運転でバイクと衝突し警視庁荏原署に業務上過失傷害および道路交通法違反(無免許)の現行犯逮捕される。<br />
*2006年(平成18年)9月28日、[[東京国税局]]の税務調査を受け、[[2005年]]3月期までの3年間で約1億5000万円の[[申告漏れ]]を指摘されていた事が発覚。そのうち約1億3000万円は、情報番組等の下請け制作会社等への架空の外注費と判明し、国税局は'''悪質な所得隠し'''と認定。所得隠しに関わった編成制作局チーフプロデューサーを懲戒解雇処分とした。<br />
*2006年10月23日、テレビ朝日編成制作局放送統括部の男性社員が、東京都港区六本木の駐車場に駐車している乗用車のワイパーをもぎ取りフロントガラスを叩き割り、軽自動車のサイドミラーをもぎ取った器物損壊の疑いで、現行犯逮捕される。<br />
*2007年4月13日、テレビ朝日の情報番組『[[ワイド!スクランブル]]』で放送した内容が、[[毎日放送]](MBS)の夕方の報道番組『[[VOICE (ニュース)|VOICE]]』で取り上げた計3回分の報道内容([[都市再生機構]]の問題を取り上げた2本、有料[[高架道路]]の通行料金を踏み倒すバイクの実態を取り上げた1本)と酷似していた事が毎日放送の指摘で発覚。これを受けてテレビ朝日側が調査した結果、テレビ朝日の番組ディレクターが「毎日放送のホームページを参考にした」とパクリ行為を認めたため、毎日放送に対して文書で謝罪した。因みに毎日放送は、嘗ての準キー局でもある。<br />
*2007年4月17日の[[長崎市長銃撃事件 (2007年)|長崎市長銃撃事件]]に関して、犯行直前に犯人から反抗を示唆するともとれる文章を直前に受け取っていたことを[[報道ステーション]]で、「犯行声明」として放送した。その後、警察からの文書提出要請に非協力的態度を見せたものの、最終的には裁判所からの差し押さえ令状に対して提出に応じた。君和田正夫社長は24日の定例会見で、「今回の事件は言論に対する銃器を使ったテロということを総合的に検討して判断した」「令状があれば必ず提出するとは限らない」と話している。(法的に認められているのは[[抗告]]であるが、[[博多駅テレビフィルム提出命令事件]]も参照のこと。)<br />
* 2007年[[9月12日]]、当時の[[内閣総理大臣]]である[[安倍晋三]]が辞意を表明した際に臨時速報が行われたが、その際にテレビ朝日のデジタル放送において本番放送の2分30秒前からそのままオンエアしてしまい、[[坪井直樹]]アナと[[上山千穂]]アナの本番前やりとりがそのまま放映されるというアクシデントが発生した<ref>アナログ放送とデジタル放送のデータ不一致(不整合)がもたらした技術トラブルのひとつである。当時は、スタジオではアナログ放送を基準として番組制作が行われていたため、出演者やフロアディレクターなどが状況を把握できなかったといわれている(スタジオモニターにもアナログ放送のOA画面が表示されていた。現在はデジタルを基準としているため、スタジオモニターにはデジタル放送のOA画面が表示されている)。なお、同様のトラブルは在京を含めた他のテレビ局でも数例発生している</ref>。<br />
* 2007年[[12月7日]]、同年11月27日放送の『報道ステーション』で、[[日本マクドナルド]]の調理日時の改ざん問題報道において、[[やらせ]]とも受け止められる過剰演出が発覚。問題の報道は、調理日時の改ざんをしていた事を証言する元店長代理であった女性を証言者として出演させた際に、すでに辞職しているにも関わらず番組スタッフがアルバイト用の制服と店長代理バッジを着用させていたことが視聴者の指摘で判明する。2007年12月7日の番組内で司会者が謝罪し、事実関係を認めた。<br />
* [[2008年]][[2月7日]]、同年2月1日のテレビ朝日の情報番組『ワイド!スクランブル』で[[中国産食品の安全性|中国製毒ギョーザ問題]]で中国側の反応を紹介する際に、現地中国の新聞「参考消息」の記事を紹介し、その見出しの「日媒体炒作毒餃子事件」を「日本メディアが毒餃子を捏造している」などと訳して放送していたが、これが誤訳であったことが発覚し政府を巻き込んで騒動となった。[[外務省]]によると実際の訳は「炒作は『大げさに騒ぎ立てる』などというニュアンスで『捏造』という意味では使われない」と指摘している。また事の発端は、このテレビ朝日の誤報を真に受けた議員が、外務省に「中国に抗議するべきでは」と訴え外務省が調査した結果、テレビ朝日の誤報だと発覚する。この誤報においては、与党側が「ありもしない“捏造報道”を報じたため、かえって日本のメディアを攻撃する材料を与えてしまった。ただでさえ日中間にしこりを残しかねない問題なのに、さらに感情的なこじれを助長する可能性がある」と述べたと報じている。<br />
* 2008年[[4月15日]]、同年4月11日の『報道ステーション』で放送した青森県六ケ所村の使用済み核燃料[[再処理工場]]に関する特集で、[[日本原燃]]から抗議を受ける。抗議内容は、警備に支障を与える可能性のある映像の使用や無断撮影また、あたかも多量の放射能が放出されているかのような表現や「[[ドイツ]]や[[フィンランド]]では[[原子力発電]]を止めた」とした放送内容は誤りで事実誤認があるとして合計6点の偏向報道や事実誤認に関して抗議を受ける。<br />
* 2008年[[6月12日]]、通販番組で「ロデオボーイII」という乗馬のような[[運動]]機器を紹介する際に、3週間の利用で体験者が著しく体重が減量して痩せたように放送したのは、景品表示法第4条第1項第1号(優良誤認)に違反する恐れがあるとして、[[公正取引委員会]]の警告を受けた。問題となった番組は、『[[ちい散歩]]』『[[セレクションX]]』『セレクションX Morning』『セレクションX Deep』『セレクション サタデーX』『セレクション マンデーX』『通販スペシャル』など多数にわたった。これらの放送期間は2006年6月頃 - 2007年6月頃まで。公取委によると、毎日1時間を3週間使用して体重が最大6.6kg、ウエストが最大9.1cm痩せたなどとするデータを紹介したが、公取委が調査した結果、メーカーのデータなどでは同様の使用では0.4kg程度しかやせないことが判明。またテレビ朝日によると、問題のデータの体験者は[[モニター]][[派遣会社]]に所属する男女14人で、うち6人はロデオボーイII以外にも食事制限などの[[ダイエット]]を併用していたという。地上波放送局に対して[[公正取引委員会]]が警告を行ったのは初。<br />
* 2008年[[10月28日]]、[[金曜ナイトドラマ]]『[[サラリーマン金太郎]]』の[[東京都]][[杉並区]]での撮影時にアパート駐車場に止めてあった乗用車に、無断で小道具のナンバープレートを取り付け、所有者側から抗議を受けていたのが同月29日に発覚、同局は「弁明の余地がない」とコメントしたという。<br />
* [[2009年]][[1月10日]]に放送された『[[情報整理バラエティ ウソバスター]]』で、番組終盤に6つの雑学ブログを紹介。それを出演者らが回答した。しかしその後、視聴者から「投稿日付がすべて12月10日である」ことや「記事そのものが1件しかない」ことから不自然だと問い合わせがあり、番組制作会社のスタッフが作成した自作ブログだったことが判明。{{Main|テレビ朝日ブログ捏造問題}}<br />
* 2009年[[3月30日]]、2008年7月23日に放送された『報道ステーション』で、[[徳島県]]で起きた[[土地改良区]][[職員]]による[[横領]]事件のニュースを報道した際、事件に全く関連のない全国土地改良事業団体連合会の[[会長]]である[[野中広務]]の[[映像]]を流していた件に関し、BPOの放送人権委員会は、「[[名誉毀損]]をきたしかねない重大な放送倫理違反があった」と認定した。「重大な放送倫理違反」の認定は、これが2例目となる。テレビ朝日は4月5日放送の「はい!テレビ朝日です」の中で「今回の決定内容を真摯に受け止め放送倫理と人権に十分配慮してまいります」と謝罪した。<br />
* 2009年[[6月10日]]、正午前と夕方の『[[ANNニュース]]』で、「世界初 [[金正雲]]の最新写真を独自入手」という内容で、北朝鮮の[[総書記]]、[[金正日]]の三男である金正恩とみられる顔写真を公開した。[[大韓民国]](韓国)では、複数の[[メディア]]がテレビ朝日が公開した写真を「特ダネ写真」とWebサイトなどで伝えた。しかし、この写真が、韓国大手ポータルサイトの会員制ブログに掲載されていた金正日似の韓国人男性の写真であることが判明し、[[聯合ニュース]]が取材したところ、男性は自分の写真である事を認めた。テレビ朝日は誤報を認め、顔写真について報道する予定であった同日の『報道ステーション』内で、[[古舘伊知郎]]が謝罪した。また、翌11日の『ANNニュース』や『[[スーパーJチャンネル]]』でもアナウンサーが謝罪している。<br />
* 2009年[[11月9日]]の『報道ステーション』で、[[リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件]]の被疑者に関する報道をした際、被疑者の[[整形手術]]を施した医療機関とは全く関係の無い病院の看板を、「イメージ映像」の[[スーパーインポーズ (映像編集)|テロップ]]を入れずに流した。映像が流された病院には取材の承諾を取っていなかった。病院からの指摘で発覚し、テレビ朝日は翌日の『スーパーモーニング』と『報道ステーション』で謝罪した。<br />
* [[2010年]][[6月30日]]に放送した『[[そうだったのか!池上彰の学べるニュース]]』にて[[口蹄疫]]の問題を取り上げた中で、「宮崎産の子牛が全国各地に売られてブランド牛となり、『但馬牛』や『神戸牛』も含まれる」としたことについて、事実関係を誤っていたと発表した。「宮崎県や他都道府県の子牛が但馬牛や神戸牛になることはない」として、訂正とおわびの記事を同番組のホームページに載せた。<br />
* [[2011年]][[1月27日]]、25日に[[カタール]]の[[ドーハ]]で行なわれた、[[AFCアジアカップ]]準決勝の日本対韓国戦で、韓国代表の[[奇誠庸]]による猿真似行為(韓国では日本人を侮辱する際に猿が使われる)で奇に批判が集まる中、本人のツイッターで猿真似の原因が観客席の[[旭日旗]]とする文章を投稿した。これについてテレビ朝日の『ワイド!スクランブル』は、競技場に掲げられていた旭日旗をパネルで紹介し、日本人サポーターの旭日旗使用を非難する放送を行なった。しかし実際の競技場には旭日旗は確認されず、奇は発言を撤回した。またテレビ朝日が提示した旭日旗の写真には2階席があり、[[オランダの国旗]]が写っていた。実際の競技場には2階席が無いうえに、日韓戦なのでオランダ国旗が出る理由も無い。テレビ朝日はこの放送の翌日、写真は[[2010FIFAワールドカップ]]南アフリカ大会の日本対オランダ戦の観客席の写真だと修正放送を行った。ちなみに紹介された旭日旗の所有団体は放送内容はテレビ朝日の捏造だとし、旭日旗はカタールに持参していないうえに日韓戦では掲示を自粛しているとツイッターで語っている。<br />
* [[2012年]][[5月14日]]に放送したクイズ番組『[[クイズプレゼンバラエティー Qさま!!|Qさま!!]]』にて、「ここ10年で患者数が増えている病気を選ぶ」という問題を出題した際、その正答の一つとして[[自閉症]]を挙げ、男性が暗い部屋で頭を抱えながら落ち込んでいるという、[[引きこもり]]を想起させるような絵図を放送した。現在では、自閉症は先天的な脳の機能障害にその原因があると考えられており、番組放送中に視聴者などから指摘されたことを受け、テレビ朝日広報部は「事前のチェックが不十分で、問題として扱うには不適切だった」として番組公式ウェブサイト上に訂正・お詫び文を掲載した。<br />
* 2012年9月1日、『[[クイズプレゼンバラエティー Qさま!!]]』特番の収録において、お笑い芸人の[[スギちゃん]]が[[千葉県国際総合水泳場]]にある高さ10メートルの飛び込み台からプールへの[[飛込競技|飛び込み]]に挑戦した際、着水の衝撃で第12[[胸椎]]を破裂骨折する全治3ヵ月の重傷を負った。同月9日に放送予定だった番組は放送延期され、映画『[[バイオハザードII アポカリプス]]』に差し替えられた。<br />
* [[2013年]][[9月30日]]、同日の『[[情報満載ライブショー モーニングバード!]]』の生放送内でテレビ朝日アナウンサー[[小松靖]]が「[[大韓民国|韓国]]の[[対馬]]」と述べ、その後自身の[[Twitter]]アカウントに「私の不注意で、してはいけない言い間違いをしてしまいました。責任ある立場の人間として、自身の発言には今一度気をつけます。不快に思われた視聴者のみなさまに謝罪いたします。」。<br />
* [[2015年]][[1月26日]]、[[BS朝日]]の番組『[[3B juniorの星くず商事]]』にて、12歳の児童労働者が[[ヘリウム]]を吸い込んで救急搬送される事態が起きた。2月4日に謝罪した。このせいでアンジュルムが報道されなかった。<br />
* 2015年[[7月27日]]、[[タイ王国|タイ]]・[[バンコク]]支局の40代の男性支局長が、タイ外務省によって外国人記者向けに開設した無料通話アプリ[[LINE]]のグループ内に、自らの裸の下半身画像を誤って投稿した。グループには外国人記者など約150人が登録していた。タイは性表現に対してはとても厳しい国であり、日本のイメージにも繋がる国際的な問題でもあり、テレビ朝日はタイ外務省に謝罪し、本人を謹慎処分とした。。<br />
* [[2016年]][[2月4日]]、『[[報道ステーション]]』で、元[[プロ野球選手]]の[[清原和博]]の[[覚醒剤]]事件を巡り、元[[プロボクサー]]の[[渡辺二郎]]が清原に[[暴力団]]組員を紹介したかのように報じ、翌年6月29日、[[大阪地方裁判所]]に[[名誉毀損]]に当たるとして150万円の賠償を命じられた。{{main|報道ステーション#問題となった放送内容}}<br />
* 2016年[[6月16日]]、TBSと'''テレビ朝日'''のニュース番組の街頭インタビューで同一の女性が登場していたため「さくらか?」「やらせではないか」との声が続出した。なお、産経新聞はこの女性が市民団体の構成員であると報道した事について、事実確認をしていなかった事を認めて謝罪した。<br />
* 2017年7月下旬、同局のドラマ『[[黒革の手帖]]』の最終話までの全話がネタバレするという事態が起きた。このことについて同局は一切対応していない。<br />
<br />
=== 「たくさんの人でにぎわいました」と花見のニュースで津波に町が襲われる映像流す ===<br />
[[Image:テレビ朝日花見.jpg|350px|thumb|テレビ朝日の花見映像]]<br />
[[2012年]][[4月7日]]、テレビ朝日が放送するニュース番組「[[ANNスーパーJチャンネル]]」で、花見の映像を流すべきところで津波の映像が流れてしまい、「放送事故だ」とネット掲示板が一時騒然となった。<br />
<br />
番組では、「満開の週末 上野公園に過去最高の21万5千人」とテロップを打っており、上野公園で満開となった桜を楽しむ人々を紹介する映像が流れるはずだったのだろうが、実際に流れたのは津波によって車が流されている“地獄絵図”で、ネット掲示板には「不謹慎すぎる」「絶対に許さない」といった声が寄せられている。<br />
<br />
多くの人命を奪った津波の衝撃はいまだ視聴者の記憶に新しいためか、「シャレになってない」「東海テレビの『危険なお米 セシウムさん』より悪質だな」など、番組への批判が圧倒的に多かった。<br />
<br />
他にも、放送事故に悪意がなく単なる編集ミスだったとしても「被災者の気持ちになってみろ」「この間違い方はないだろ」「たくさんの人でにぎわいましたとナレーションしながらよりによって津波の映像を流すとは…。何の嫌がらせだよ」など、いまだ震災から立ち直っていない被災地への配慮が足りないとする意見が多く寄せられる結果となった。<br />
<br />
=== 安倍総裁を否定するコメントを強要(2012年11月) ===<br />
tusnjnhsn さんが 2012/11/27 に公開<br />
<br />
経済学者の飯田泰之さんがテレビ朝日:[[モーニングバード]]という番組で[[自民党]]・安倍総裁が発表した経済政策について、否定的な発言(「国が破綻する」「ハイパーインフレになる)」をするように強要した事実を激白しています。<br />
<br />
<pre><br />
例えばリフレの話ですね。金融政策が重要ですという話。<br />
ここでは自由にさせてくれますけど、相当きついです。<br />
はっきりいって、テレビで言うの。<br />
<br />
打ち合わせ時間が10倍とは言わないけど、打ち合わせ時間めっちゃ、<br />
<br />
「なんとかお願いします。なんとかお願いします。」<br />
「なんとか財政破綻とハイパーインフレとでお願いします」<br />
<br />
「それは絶対できません」ていうふうに言わないといけないので…。<br />
</pre><br />
<br />
=== 報道ステーション、横断幕問題でなぜか旭日旗取り上げる(2014年3月) ===<br />
[[Jリーグ]][[浦和レッズ]]対[[サガン鳥栖]]戦で「JAPANESE ONLY」と書いた差別的な横断幕が掲げられた問題について、[[2014年]][[3月13日]]放送の[[報道ステーション]]は番組トップで扱った。<br />
<br />
その中で、差別問題と直接関係のない客席の[[旭日旗]]にも言及し、問題があるかのように放映した。ネットでは「何が問題なのか」「取り上げ方がおかしい」と怒りの声があがっている。<br />
<br />
「応援の景気付けに国旗や旭日旗振って何が問題?」<br />
<br />
報道ステーションは横断幕問題の経緯を説明するVTRを流し、ネットに投稿された横断幕の写真を映した。ナレーションは「アルファベットで書かれた JAPANSE ONLY、 『日本人以外、お断り』という意味だ。その奥には旭日旗も見える」と、奥に写りこんだ旭日旗の存在に触れた。<br />
<br />
続く映像は[[2月13日]]に開かれたJリーグ・[[村井満]][[チェアマン]]の緊急記者会見の様子だった。記者からの質問に対して村井氏が「旭日旗に受ける印象はさまざまだろうと思います。私はこの場で何かコメントする立場にはないと思っています」と答えるシーンで、こちらにも旭日旗に関する要素が盛り込まれている。<br />
<br />
今回はサポーターの掲げた横断幕の内容が問題となったが、むろん旭日旗を使った応援に対する処分は下されていない。[[3月23日]]の清水戦([[埼玉スタジアム]])を無観客試合とする処分は、「スタジアム内において不適切な内容が書かれた横断幕が掲出されたにもかかわらず、試合終了後まで当該横断幕を撤去できなかった」のが理由と、Jリーグは発表している。<br />
<br />
旭日旗にあえて触れて報じる番組編集に違和感を覚えたのか、<br />
<br />
「ねぇ報ステさん、 旭日旗がなんだって?差別って言いたいの?」<br />
<br />
「民族差別は良くないことだが、応援の景気付けに国旗や旭日旗振って何が問題?」<br />
<br />
「旭日旗と差別幕はまったく違うものだろ! 報道ステーション、いい加減にしろ!!」<br />
<br />
などと反発する意見が[[ツイッター]]で出たほか、<br />
<br />
「旭日旗は浦和ゴール裏には以前から有りますんで」<br />
<br />
「浦和だけでなく他チームサポも用いてる」<br />
<br />
という指摘も出ている。<br />
<br />
旭日旗をめぐってはここ数年、[[韓国]]メディアが「日本軍国主義の象徴」としてたびたび騒ぎ、[[2013年]]9月には韓国内で旭日旗の使用することを禁止する「旭日旗禁止法案」も提出された。旭日旗を掲げた者に1年以下の懲役刑や300万ウォン(約27万5000円)以下の罰金を科す改正案だ。<br />
<br />
[[2014年]][[3月12日]]にもサッカー日本代表のユニフォームに施されたデザインは「旭日旗」であると報じられ、「競技場での政治的意思表現を禁止する」という[[FIFA]]の規定に反していると主張した。<br />
<br />
だが、旭日旗に政治性がないことは以前から日本政府が確認している。[[菅義偉]][[官房長官]]は[[2013年]][[9月26日]]の記者会見で、「大きな誤解があるのではないかと思っています」と発言し、「旭日旗のデザインは、[[大漁旗]]や出産・節句の祝い旗、[[海上自衛隊]]の艦船の旗など日本国内では広く使用されており、政治的主張だとか軍国主義の象徴であるという指摘は全く当たらない」と断言した。<br />
<br />
こうした判断が下されているにもかかわらず、報道ステーションはことさら旭日旗を取り上げ、問題があるかのごとく放送した。<br />
<br />
=== 外務省が“強く抗議”申し入れ「報道内容、事実と異なる」(2015年2月) ===<br />
[[外務省]]は[[2月3日]]、テレビ朝日に対し「事実に反する報道」が行われたとして、文書および口頭で申し入れを行ったと発表した。<br />
<br />
問題となったのは2月2日放送の「報道ステーション」内。同番組では[[安倍晋三]][[首相]]の[[中東]]・[[エジプト]]訪問について「外務省は[[総理官邸]]に対し中東訪問自体を見直すよう進言していた」と報じましたが、外務省によれば「事実と全く異なる」とのこと。<br />
<br />
外務省の発表によると、首相の中東訪問についてはさまざまな観点を総合的に判断して決めたもの。今回のような報道は「国民に無用の誤解を与えるのみならず、[[テロリスト]]を利することにもつながりかねないものであり、極めて遺憾と言わざるを得ません」と、番組に対し強く抗議するとともに、速やかな訂正を求めています。<br />
<br />
テレビ朝日によると、今後の放送内容については答えられないが、少なくとも2月3日の放送時点では特に訂正・謝罪などは行っていないとのこと。「報道ステーションの放送内容は取材に基づくものです。今後も正確な取材とていねいな報道にあたってまいります」(テレビ朝日 広報部)。<br />
<br />
==[[テレビ番組]]==<br />
*テレビ朝日(NET・ANB)の主な番組については、『'''[[テレビ朝日番組一覧]]'''』を参照のこと。<br />
*報道特別番組については、『[[All-nippon News Network#ANN報道特別番組|ANN系報道特別番組]]』を参照のこと。<br />
<br />
特徴としては[[ゴールデンタイム]]の[[バラエティ番組]]がかつてはそれほど多くなかったことである。[[1990年代]]後半~[[2000年代]]初期のテレビ朝日はゴールデンタイムのバラエティはそれほど多くなかったが、[[2004年]]10月の改編以降、大幅に増えていった(特に[[1997年]]頃のテレビ朝日ゴールデンバラエティは火曜19:00枠の[[炎チャレ]]と木曜19:00枠の[[超次元タイムボンバー]]の2番組しかなかった)。<br />
<br />
==テーマソング==<br />
*NETの歌<br />
*:作詞:[[サトウハチロー]]、作曲:[[團伊玖磨]]。<br />
*テレビ朝日の歌<br />
*:作詞:[[阿久悠]]、作曲:[[小林亜星]]。<br />
*:日本教育テレビ(NETテレビ)が、全国朝日放送(テレビ朝日)に社名変更された際に作られた歌。小林亜星はこの曲の依頼があった事を締切まですっかり忘れており、曲を貰いにきたテレビ朝日の担当者を待たせて即興で作曲したというエピソードがある。<ref>『[[タモリ倶楽部]]』[[2002年]][[2月15日]]放送分(関東地区)より<br />
<br />
==[[スタジオ]]==<br />
===六本木6丁目本社ビル([[六本木ヒルズ]])===<br />
[[幕張メッセ]]の設計でも知られる[[プリツカー賞]][[建築家]][[槇文彦]]の設計。スタジオは全部で12か所ある。[[高精細度テレビジョン放送|HD]]/SD切替方式。BS朝日向けの放送を含めて生放送番組はすべて[[ハイビジョン]]放送である。なお、第3・第4・第5スタジオおよびニュースルームは同一フロアに存在し、スーパーJチャンネル・報道STATION専用の第4スタジオとニュースルームのサブ(副調整室)は相互・統合運用を可能としている。なお、第5スタジオは、バーチャルシステム対応。<br />
*'''第1スタジオ'''(245坪) - 『第6回・オートバックス [[M-1グランプリ]]{{CURRENTYEAR}}』『[[ミュージックステーション (テレビ番組)|MUSIC STATION]]』『[[奇跡の扉 TVのチカラ]]』『FUKUDA STADIUM』『[[けものみち]]』など<br />
*'''第2スタジオ'''(205坪) - 『[[いきなり!黄金伝説。]]』『[[ロンドンハーツ]]』『[[愛のエプロン]]』『[[雨上がり決死隊のトーク番組アメトーク!]]』など<br />
*'''第3スタジオ'''(165坪) - 『[[スーパーモーニング]]』『[[ワイド!スクランブル]]』『[[虎の門]]』『[[朝まで生テレビ]]』『[[サンデープロジェクト]]』など<br />
*'''第4スタジオ'''(165坪) - 『[[スーパーJチャンネル]]』『[[報道ステーション|報道STATION]]』『[[サタデースクランブル]]』<br />
*'''第5スタジオ'''(65坪) - 『[[やじうまプラス]]』『[[Sunday!スクランブル]]』など<br />
*'''ニュースルーム'''(47坪) - 報道専用スタジオで背後にANNニュースセンターが覗ける。『[[ANNニュース]]』『[[ANN NEWS&SPORTS]]』『[[やじうまプラス]](5時台)』『[[スーパーJチャンネル]](週末・年末年始)』など。緊急報道の場合は『[[スーパーJチャンネル]]』『[[報道ステーション|報道STATION]]』などでもこのスタジオから放送されることがあるほか、BS朝日にもこのスタジオから地上波と同時で放送されることもある。<br />
*''21スタジオ''(22坪) - スポーツ中継用サブ<br />
*''22スタジオ''(15坪) - スポーツ中継用サブ<br />
*''61スタジオ''(23坪) - 『世界水泳』『サッカー日本代表戦』などのスタジオパート<br />
*''62スタジオ''(11坪)<br />
*''64スタジオ''(19坪) - 『[[サンデープロジェクト]]』の一部録画中継や、一般見学等に使用<br />
*''65スタジオ''(21坪) - 『[[News Access]]』([[BS朝日]])『[[ANN NEWS~六本木発]]』([[朝日ニュースター]])<br />
<br />
===アーク放送センター([[アークヒルズ]])===<br />
アークヒルズの区画内・東京都港区六本木一丁目1番1号にアーク放送センターが存在する。元々現社屋の敷地(六本木六丁目)に新社屋を建設する予定だったが、[[用途地域|住居地域]]指定だったために中高層のオフィスビルを建設できなかった。しかしマスターの老朽化と報道・情報番組の制作強化を事由に、当時[[森ビル]]が推し進めていたアークヒルズに進出、同社の土地と等価交換でアーク放送センターを設けた。その後本社機能もアーク森ビルに移し、六本木ヒルズ完成まで同社の中枢となっていた。現在はテレビ朝日の一部の部署及び、子会社の[[テレビ朝日映像]]、[[テイクシステムズ]]本社と、テイク社が管理する貸スタジオとして運用されており、実質的に本社別館として機能している。(現在の運用形態に関しては[[テイクスタジオ]]を参照)<br />
* Aスタジオ(190坪) - 『[[ニュースステーション]]』『[[やじうまワイド]]』で使用された<br />
* Bスタジオ(120坪) - 『[[ワイド!スクランブル]]』など歴代昼番組で使用された。<br />
* Cスタジオ(125坪) - 『[[スーパーモーニング]]』『[[スーパーJチャンネル]]』『[[こんにちは2時]]』などで使用されていた。<br />
* ニューススタジオ(80坪) - ほぼ全ての定時ニュース番組で使用されていた。現在はスタジオ機能を廃し、上記2社のオフィスとして供用されている。<br />
<br />
===原宿:BS(コロンブス・BS朝日本社ビル)===<br />
公開サテライトスタジオ「ガレリア」と、テレビスタジオ3つがあり、BS朝日向け番組制作の他に、テレビ朝日向け番組の収録も行われている。建物は2000年8月に完成。当然ではあるが全スタジオHD対応、テレビ朝日とは光ファイバーによる専用回線で相互接続されており、原宿にあるBS朝日のスタジオからテレビ朝日向けのHD生放送も可能であり、逆にテレビ朝日(六本木本社)からBS朝日へのHD生放送や地上波同時放送も可能である。<br><br />
<br />
なお、このビルには関連会社の「日本ケーブルテレビジョン(JCTV)」も入居しているが、これはもともと本社があった港区六本木のビルが「六本木再開発計画=現在の六本木ヒルズ建設計画」敷地にあたっていたため、同所から移転の必要があったことからである。<br />
<br />
なおかつて、六本木新本社建設計画に伴い、旧六本木センターの代替スタジオ確保を目的として、新宿区四谷一丁目に四谷放送センター(「[[トゥナイト2]]」などで使用、2005年CSデジタル放送制作会社に譲渡)、江東区新砂一丁目(大手運輸会社敷地内)に東陽町放送センター(「[[ミュージックステーション (テレビ番組)|ミュージックステーション]]」などで使用、2004年9月に閉鎖、解体)が存在した。<br />
<br />
==情報カメラ設置ポイント==<br />
<br />
===現在===<br />
*'''[[東京都]] ''' - [[六本木ヒルズ]]、[[アークヒルズ]]、[[プリンスホテル|新宿プリンスホテル]]、[[東京駅]]([[東京国際フォーラム]])、[[千住]]、[[東京国際空港|羽田空港]]、[[お台場]]<br />
*'''[[神奈川県]]''' - [[江の島]]、[[横浜]]([[ホテルニューグランド]])、[[小田原]]<br />
*'''[[千葉県]] ''' - [[成田国際空港|成田空港]]<br />
*'''[[山梨県]]''' - [[三つ峠]](富士山周辺を一望できる山梨県内の山)<br />
'''期間限定'''<br />
*'''[[東京都]] ''' - [[アルカディア市ヶ谷]](桜中継用)<br />
<br />
===過去===<br />
*'''[[東京都]]''' - [[築地]](築地浜離宮ビル)朝日新聞東京本社ビルに隣接したオフィスビル<br />
<br />
==オープニング・クロージング==<br />
===NETテレビ(日本教育テレビ)時代===<br />
*開局 - 1960.11 - バレリーナが踊る映像。<br />
*1960.12 - 1977.03 - 切り絵アニメーション。<br />
<br />
===テレビ朝日(全国朝日放送時代含む)===<br />
全国朝日放送時代のすべてのナレーションは「JOEX-TV・10チャンネル・テレビ朝日です。」もしくは「JOEX-TV・テレビ朝日・10チャンネルです。」のみだった。テロップは、JOEX-TV 10チャンネル TV Asahi。音声多重放送は、「JOEX-TAM・テレビ朝日テレビジョン音声多重放送・音声周波数・音声出力」のコール。ジョイナスバージョンのみ10の箇所は10のロゴ。2001年12月のバージョンから10が普通の書体の10に変更された。<br />
*1977.04 - 1987.09 : [[わが家の友だち10チャンネル]]時代バージョン(ナレーター:[[吉岡晋也]](開始)、[[高井正憲]](終了) / 音声多重放送ナレーター:[[堀越むつ子]]他)初回OPのみ歌詞付きのバージョンだった。<br />
*1987.10 - 1989.01・1990.04 - 1991.09 : 人文字バージョン(ナレーター:[[松井康真]]?(開始)、[[宮嶋泰子]](終了))<br />
*1989.01 - 1989.03 : [[昭和天皇]][[崩御]]の為の特別バージョン<br />
*1989.04 - 1990.03 : [[万里洋子]]バージョン。風景映像に合成で万里洋子が登場するというもの(ナレーター:不明)。クロージングでは、背景に当時のテレビ朝日本社(現在のアーク放送センター)も映った。※曲は先述の人文字バージョンと同じ。<br />
*1991.10 - 1992.03 : ジョイナス印象波バージョン(ナレーター:[[小林一枝]](開始)、宮嶋泰子(終了) / 音声多重放送ナレーター:[[渡辺宜嗣]]、[[松苗慎一郎]]、[[丸川珠代]]、他)<br />
*1992.04 - 1992.09 : ジョイナスON TV Asahiバージョン(ナレーターは同じ)クロージングは夜景の合成になった。<br />
*1992.10 - 2001.09.11 : ジョイナス世界の子供たちバージョン(ナレーターは同じ)新たに白人・黒人・黄色人種のそれぞれの子供たちの映像が合成されたバージョン。OPでは遊具を使って遊び、EDではナイトキャップを着用している。<br />
*2001.09.12 - 2001.11 : ジョイナス[[アメリカ同時多発テロ事件]]の差し替え最終バージョン(ナレーターは同じ)<br />
**アメリカ同時多発テロ事件が発生した為[[ワールドトレードセンター (ニューヨーク)|世界貿易センタービル]]が映っている映像を朝の海岸の映像に差し替えたバージョン。<br />
*2001.12 - 2003.09 : 朝の食卓と自然(開始)、[[赤ちゃん]]の夢の中バージョン(終了)(ナレーター:[[高橋真紀子]](前期)、[[萩野志保子]](中期)、[[佐分千恵]](後期))<br />
*2003.10 - 2008.03: 「tv asahi」バージョン。テレビ朝日の棒のシンボルマークと「tv asahi」のロゴが動くCGアニメーション(ナレーター:[[寺崎貴司]]、アナログ放送は地上デジタル放送の視聴方法つきのアナログ放送終了告知の[[スーパーインポーズ (映像編集)|字幕スーパー]]が出る)。<br />
*2008.04 - 2011.11: 「NEWAIR ONAIR tv asahi」バージョン(ナレーター:[[村上祐子 (テレビ朝日)|村上祐子]]、アナログ放送は上記バージョンと同様になる)。<br />
*2011.12 - 現在: オープニングのみ、マスコットキャラクターゴーちゃん。のアニメーション「地球にやって来た篇」で、クロージングは2012年4月までは引き続き「NEWAIR ONAIR tv asahi」バージョンが使われていたが、同年5月よりクロージングはゴーちゃん。のアニメーション「ぽよPOPダンス篇」に変更された。BGMは「ゴーゴー!ゴーちゃん。」<br />
<br />
:現行クロージングの流れ&lt;参考:日曜深夜放送終了&gt;<br />
:「大地震に備えて…」という名の地震に対する心構えや地震対策を促す告知CM(ここでウォーターマークが出る)→クロージング→地上アナログ放送終了告知画面(アナログ放送のみ、デジタル放送では黒画面で「受信できません」といったメッセージの表示)→[[減力放送]][[カラーバー]](無いときあり)→[[緊急警報放送]]試験信号(無いときあり)<br />
<br />
==歴代のキャッチコピー==<br />
*1977年~ - ''わが家の友だち10チャンネル'':社名変更(日本教育テレビ→全国朝日放送)記念。『[[#テーマソング|テレビ朝日の歌]]』も作られた。<br />
*1985年 - ''でんぱが元気''<br />
*1987年 - ''テレビ朝日は、時代に敏感です。''<br />
*1991年前期 - ''あなたをギュッ、地球をギュッ。''<br />
*1991年後期 - ''印象波''<br><br />
なお、''印象波''は、系列局の[[青森朝日放送]]で現在も使われている。<br />
*1992年 - ''ITSUMO(いつも。)'':テーマ曲に[[ジョン・レノン]]の「イマジン」を起用。<br />
*1993年 - ''On. Tv Asahi'':和服美人のアニメの春・夏・秋・冬バージョンがあった。<br />
*1994年 - ''あります。〔 〕Tv Asahi'':〔 〕内に文字が自由に入る方式。例:〔!〕〔ワクワク〕など。<br />
*1996年 - ''が、いいね!''、''○○さん、テレビ朝日ですよ!''、''ごらくだ''<br />
*2003年~ - ''オトナって、なんだろう?''(2006年現在、使用されていない)<br />
<br />
==テレビの[[時刻出し]]==<br />
*開始時~9:55(土日でない祝日は10:28:45まで延長の場合有り。土曜日のみ9:29 日曜日のみ7:59)まで。<br />
*『[[ぐっと朝]]』『[[朝鳥]]』はカスタム表示。<br />
(CM中とスポンサースーパー全面表示中は通常フォント)<br />
*平日16:53~17:36、17:54~18:38頃(『[[スーパーJチャンネル]]・スバッと予報』のコーナーの直後のCMあけ)まで、その後は左上に天気ループ表示。<br />
*かつては、平日の時刻出し終了は「[[スーパーモーニング]]」終了1分後までだった。<br />
*『[[裏Sma!!]]』および『[[SmaSTATION]]』(土曜日 22:57~23:54)ではアナログ時計のカスタム表示(『[[裏Sma!!]]』ではネット局に、『[[SmaSTATION]]』内ではANN系列へ全国送出)(CM中はOFF)<br />
生放送の時のみ表示される<br />
*かつて平日の夕方は「スーパーJチャンネル」放送の16:55~18:58(18:59まで表示したときもあった。)まで、断続的に時刻を表示していたこともあった他、1990年台の一時期月曜から金曜の昼ワイド番組(現在の[[ワイド!スクランブル]]枠)内でも表示を行っていた事があった(当初はCM中の表示を消していたが、後にCM中の表示も行っていた)。<br />
2013年からワイスクでも表示されている。CM以外で<br />
<br />
==主な事業==<br />
===テレビ朝日製作映画===<br />
* 1983年 - [[戦場のメリークリスマス]]<br />
* 1985年 - [[銀河鉄道の夜]]<br />
* 1987年 - [[源氏物語]]<br />
* 1989年 - [[舞姫]]<br />
* 1990年 - [[少年時代]]<br />
* 1990年 - [[オーロラ|オーロラの下で]]<br />
* 1992年 - [[外科室]]<br />
* 1992年 - [[豪姫]]<br />
* 1992年 - [[遠き落日]]<br />
* 1992年 - [[走れメロス (アニメ映画)|走れメロス]]<br />
* 1992年 - [[天国の大罪]]<br />
* 1993年 - [[夢の女]]<br />
* 1994年 - [[居酒屋ゆうれい]]<br />
* 1995年 - [[東洲斎写楽|写楽]]<br />
* 1996年 - [[宮沢賢治|わが心の銀河鉄道 宮沢賢治物語]]<br />
* 1997年 - [[北京原人 Who are you?]]<br />
* 2000年 - [[長崎ぶらぶら節]]<br />
* 2001年 - [[風花]]<br />
* 2001年 - [[ホタル (映画)|ホタル]]<br />
* 2001年 - [[伊能忠敬]] [[子午線|子午線の夢]]<br />
* 2001年 - [[千年の恋 ひかる源氏物語]]<br />
* 2002年 - [[凶気の桜]]<br />
* 2002年 - [[トリック劇場版]]<br />
* 2003年 - [[スパイ・ゾルゲ]]<br />
* 2003年 - [[バトル・ロワイアルII 鎮魂歌|バトル・ロワイアルII 【鎮魂歌】]]<br />
* 2003年 - [[座頭市 (2003年)|座頭市]]<br />
* 2003年 - [[あたしンち]]<br />
* 2003年 - [[精霊流し]]<br />
* 2004年 - [[恋人はスナイパー]]<br />
* 2004年 - [[CASSHERN]]<br />
* 2004年 - [[天国の本屋~恋火]]<br />
* 2004年 - [[機関車先生]]<br />
* 2004年 - [[スクール☆ウォーズ|スクール☆ウォーズ・HERO]]<br />
* 2004年 - [[デビルマン (映画)|デビルマン]]<br />
* 2004年 - [[レディ・ジョーカー]]<br />
* 2005年 - [[北の零年]]<br />
* 2005年 - [[鉄人28号]]<br />
* 2005年 - [[深紅]]<br />
* 2005年 - [[単騎、千里を走る]] (劇場公開は2006年)<br />
* 2005年 - [[男たちの大和/YAMATO|男たちの大和]]<br />
* 2006年 - [[サイレン ~FORBIDDEN SIREN~]]<br />
* 2006年 - [[トリック劇場版2]]<br />
* 2006年 - [[ラブ★コン]]<br />
* 2006年 - [[紙屋悦子の青春]]<br />
* 2006年 - [[出口のない海]]<br />
* 2006年 - [[武士の一分]]<br />
その他に映画[[ドラえもん (テレビ朝日版テレビアニメ)|ドラえもん]]シリーズの全作。(※但し、2005年は制作せず)。<br />
<br />
==他局との垣根を越えた中継・企画==<br />
*[[フジテレビジョン|フジテレビ]]との[[コラボレーション]]<br />
**[[2004年]][[7月24日]]に生放送した番組の『SmaSTATION-3』でフジテレビの毎夏恒例の『[[27時間テレビ|FNS27時間テレビ]]』内の『[[すぽると!]]』との2局同時中継が実現した。<br />
**[[2006年]][[5月5日]]に放送された『徹子の部屋』で、[[ガレッジセール]]の[[ゴリ (お笑い芸人)|ゴリ]]がフジテレビの人気バラエティ番組『[[水10!]]・[[ワンナイR&R]]』のキャラクター・[[松浦ゴリエ|ゴリエ]]として出演、[[黒柳徹子]]とトークを展開した(新聞のテレビ欄にも『ゴリエ』と表記)。<br />
2016年6月18日の秋葉原総選挙でフジテレビの中継の後に続けて放送された<br />
*[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]との[[コラボレーション]]<br />
**[[2005年]][[2月4日]]に生放送した長寿音楽番組の『[[ミュージックステーション (テレビ番組)|MUSIC STATION]]』で日本テレビの人気ドラマ『[[ごくせん (テレビドラマ)|ごくせん]]』の収録スタジオで[[KAT-TUN]]が曲を披露した。<br />
**[[2005年]][[8月27日]]に生放送した『SmaSTATION-4』で、日本テレビの『[[24時間テレビ 「愛は地球を救う」|24時間テレビ]]』との同時中継が行われた。司会の[[香取慎吾]]が『24時間テレビ』のチャリティーパーソナリティーとなったことで実現したもので、この時はテレビ朝日本社にも『24時間テレビ』の募金箱が設置された他、テレビ朝日としてチャリティーTシャツを100枚買い上げた。<br />
<br />
==[[日本のアナウンサー一覧#テレビ朝日(EX)|アナウンサー]]==<br />
===男性===<br />
*1977年入社:[[佐々木正洋 (テレビ朝日)|佐々木正洋]]、[[渡辺宜嗣]]、[[吉澤一彦]]<br />
*1980年入社:[[松苗慎一郎]](アナウンス部長)<br />
*1982年入社:[[森下桂吉]]<br />
*1984年入社:[[田畑祐一]]、[[藤井暁]]<br />
*1985年入社:[[寺崎貴司]]<br />
*1986年入社:[[松井康真]]<br />
*1987年入社:[[大熊英司]]<br />
*1988年入社:[[田原浩史]]<br />
*1989年入社:[[飯村真一]]<br />
*1991年入社:[[真鍋由]] <br />
*1992年入社:[[山口豊]]<br />
*1993年入社:[[坪井直樹]](妻は[[高橋真紀子]]アナ)、[[角澤照治]]<br />
*1994年入社:[[小久保知之進]]、[[中山貴雄]]<br />
*1995年入社:[[西脇亨輔]] (妻は[[村上祐子 (テレビ朝日)|村上祐子]]アナ) <br />
*1996年入社:[[古澤琢]]<br />
*1997年入社:[[勝田和宏]]、[[平石直之]]<br />
*1998年入社:[[小木逸平]]、[[小松靖]]<br />
*1999年入社:[[進藤潤耶]]、[[富川悠太]]<br />
*2000年入社:[[櫻井健介]]<br />
*2002年入社:[[吉野真治]]、[[清水俊輔]]<br />
*2003年入社:[[川松真一朗]]<br />
*2004年入社:[[佐々木亮太]]<br />
*2005年入社:[[中村昭治]]<br />
*2006年入社:[[加藤泰平]]<br />
<br />
===女性===<br />
*1977年入社:[[宮嶋泰子]]<br />
*1991年入社:[[山本明美]]<br />
*1985年入社:[[川瀬眞由美]]<br />
*1992年入社:[[岡田洋子]]<br />
*1993年入社:[[大下容子]]<br />
*1995年入社:[[下平さやか]]、[[高橋真紀子]](夫は[[坪井直樹]]アナ)<br />
*1996年入社:[[萩野志保子]]<br />
*1998年入社:[[上山千穂]]、[[野村真季]]<br />
*1999年入社:[[武内絵美]]<br />
*2000年入社:[[石井希和]]、[[佐分千恵]]<br />
*2001年入社:[[河野明子]]、[[村上祐子 (テレビ朝日)|村上祐子]](夫は[[西脇亨輔]]アナ)<br />
*2002年入社:[[松尾由美子]]<br />
*2003年入社:[[市川寛子]]、[[大木優紀]]、[[前田有紀 (アナウンサー)|前田有紀]]<br />
*2004年入社:[[上宮菜々子]]、[[堂真理子]]<br />
*2005年入社:[[久保田直子]]、[[矢島悠子]]<br />
*2006年入社:[[島本真衣]]<br />
<br />
==元アナウンサー(異動者・退職者)==<br />
=== 異動したアナウンサー ===<br />
;男性<br />
*[[安西陽太]](2001年、報道局記者)<br />
*[[石橋幸治]](1974年、お客様フロント部)<br />
*[[川島淳]](1996年、スポーツ局)<br />
*[[国吉伸洋]](1990年、報道局経済部記者)<br />
*[[高井正憲]](1971年、番組審査室)<br />
*[[中丸徹]](1999年、報道局社会部記者)<br />
*[[戸谷光照]](1977年、報道局)<br />
*[[保坂正紀]](1980年、広報部)<br />
;女性<br />
*[[岡田真由子]](1992年、秘書課→編成制作局プロデューサー)<br />
*[[川北桃子]](1997年、広報部)<br />
*[[木下智佳子]](1986年、お客様フロント部)<br />
*[[佐藤紀子]](1990年、人事部)<br />
*[[堀越むつ子]](1973年、取締役広報局長)<br />
*[[山口容子]](1984年)<br />
*[[龍円愛梨]](1999年、報道局社会部記者)<br />
<br />
=== 退職したアナウンサー ===<br />
;男性<br />
*[[朝岡聡]](1982年、[[フリーアナウンサー]])<br />
*[[押阪忍]]([[フリーアナウンサー]])<br />
*[[さとう一声]](1970年、[[フリーアナウンサー]]・リポーター)<br />
*[[辻よしなり]](1983年、[[フリーアナウンサー]])<br />
*[[銅谷志朗]]([[フリーアナウンサー]])<br />
*[[奈良和]]<br />
*[[古舘伊知郎]](1977年、[[フリーアナウンサー|フリー]][[アナウンサー]]・[[タレント]])<br />
*[[山崎正]](1973年、[[仙台放送]]→[[中京テレビ放送|中京テレビ]]から移籍し、2004年1月頃に定年退職)<br />
*[[吉岡晋也]](故人)<br />
*[[横舘英雄]]([[岩手朝日テレビ]]に出向)<br />
;女性<br />
*[[上田結香]]<br />
*[[加藤敬子]]<br />
*[[日下千帆]]([[フリーアナウンサー|フリー]])<br />
*[[小林一枝]](1974年)<br />
*[[小宮悦子]](1981年、[[フリーアナウンサー]]・[[ニュースキャスター]])<br />
*[[迫文代]](1982年、[[フリーアナウンサー]]・[[タレント]])<br />
*[[佐藤仁美_(アナウンサー)|佐藤仁美]]<br />
*[[篠田潤子]](1989年、[[フリーアナウンサー]])<br />
*[[曽根かおる]](1986年)<br />
*[[田中滋実]](1989年)<br />
*[[田中真理子]](1988年)<br />
*[[徳永有美]](1998年、[[ウッチャンナンチャン]]の[[内村光良]]夫人)<br />
*[[中里雅子]](1977年、[[フリーアナウンサー]])<br />
*[[西田百合子]](1978年)<br />
*[[野崎由美子]]<br />
*[[野村華苗]](1994年)<br />
*[[廣瀬雅子]]<br />
*[[丸川珠代]](1993年)<br />
*[[南美希子]](1977年、[[フリーアナウンサー]]・[[タレント]])<br />
*[[雪野智世]](1986年、[[フリーアナウンサー]]・[[タレント]])<br />
*[[吉元潤子]](1996年)<br />
*[[渡辺由佳]](1987年)<br />
<br />
==アナウンサー以外で在籍した著名人==<br />
===男性===<br />
*[[神田秀一]](皇室ジャーナリスト)<br />
*[[義田貴士]]<br />
*[[笠浩史]](衆議院議員)<br />
<br />
===女性===<br />
*[[白木清か]]([[北海道日本ハムファイターズ]]の[[金子誠]]夫人)<br />
*[[長島三奈]]※(父は[[読売ジャイアンツ]][[終身名誉監督]]の[[長嶋茂雄]]、兄は[[タレント]]の[[長嶋一茂]])<br />
*[[源純夏]]<br />
<br />
※長島三奈は、現在も契約社員として在籍中。<br />
<br />
==系列放送局等==<br />
系列放送局各社に関しては「[[All-nippon News Network|ANN]]」及び「[[民間放送教育協会]]」を参照のこと。<br />
<br />
===非連結の関連会社===<br />
*[[琉球朝日放送|琉球朝日放送株式会社]]<br />
*[[静岡朝日テレビ|株式会社静岡朝日テレビ]]<br />
*[[岩手朝日テレビ|株式会社岩手朝日テレビ]]<br />
*[[愛媛朝日テレビ|株式会社愛媛朝日テレビ]]<br />
*[[テレビ岩手|株式会社テレビ岩手]]<br />
*[[広島ホームテレビ|株式会社広島ホームテレビ]]<br />
*[[長崎文化放送|長崎文化放送株式会社]]<br />
<br />
===出資該当関係・協力会社===<br />
*[[福井放送|福井放送株式会社]]<br />
*[[名古屋テレビ放送|名古屋テレビ放送株式会社(メーテレ)]]<br />
*[[東映アニメーション|東映アニメーション株式会社]]<br />
*[[WOWOW|株式会社WOWOW]]<br />
*[[モバイル放送|モバイル放送株式会社]]<br />
*[[瀬戸内海放送|株式会社瀬戸内海放送]]<br />
*[[シンエイ動画|株式会社シンエイ動画]]<br />
*[[テレビ信州|株式会社テレビ信州]]<br />
*[[テレビ宮崎|株式会社テレビ宮崎]]<br />
<br />
==2005年9月30日現在の株主==<br />
括弧内は、出資比率を示す。<br />
<br />
#株式会社[[朝日新聞社]] (33.85%)<br />
#[[東映]]株式会社 (16.09%)<br />
#[[大日本印刷]]株式会社 (4.01%)<br />
#[[九州朝日放送]]株式会社 (3.20%)<br />
<br />
==グループ会社==<br />
===連結子会社===<br />
*株式会社[[テイクシステムズ]]<br />
*[[テレビ朝日映像]]株式会社<br />
*株式会社[[テレビ朝日クリエイト]]<br />
*株式会社[[テレビ朝日サービス]]<br />
*株式会社[[テレビ朝日ミュージック]]<br />
*株式会社[[ビデオ・パック・ニッポン]]<br />
*TV Asahi America, Inc.<br />
*株式会社[[テレビ朝日データビジョン]]<br />
<br />
ほか合計14社(2005年9月30日現在)<br />
<br />
===持分法適用関連会社===<br />
*株式会社[[シーエス・ワンテン]]<br />
*株式会社[[日本ケーブルテレビジョン]]<br />
*株式会社[[ビーエス朝日]]<br />
*株式会社[[文化工房]]<br />
*株式会社フレックス([[FLEX]])<br />
<br />
ほか合計7社(同)<br />
<br />
==支局==<br />
;放送対象地域内<br />
*テレビ朝日前橋支局([[前橋市]])<br />
*テレビ朝日宇都宮支局<br />
*テレビ朝日水戸支局<br />
*テレビ朝日城東支局<br />
*テレビ朝日多摩支局<br />
*テレビ朝日千葉支局<br />
*テレビ朝日横浜支局<br />
*テレビ朝日小田原支局<br />
*テレビ朝日さいたま支局([[さいたま市]][[浦和区]])<br />
*テレビ朝日成田支局第一ターミナル・第二ターミナル([[成田市]])<br />
;放送対象地域外<br />
*[[テレビ朝日甲府支局]](山梨県を担当)<br />
*[[テレビ朝日富山支局]]([[北陸朝日放送]]富山営業支局と共同。富山県を担当)<br />
*[[テレビ朝日鳥取支局]](鳥取県東部・中部を担当)<br />
*[[テレビ朝日米子支局]](鳥取県西部及び島根県東部・隠岐を担当)<br />
<br />
==関連項目==<br />
*[[リサーチQ]]<br />
*[[トレソーラ|株式会社トレソーラ]]<br />
*[[民間放送教育協会|財団法人民間放送教育協会]]<br />
*[[埼玉西武ライオンズ]](放映権を取得)<br />
*[[小学生クラス対抗30人31脚]](本局はこの大会の主催スポンサー)<br />
*[[SUPERヒーロータイム]]<br />
*[[大井競馬場]](NETテレビ時代に実況中継を行う)<br />
**[[東京盃]](1972年に「NET盃」として開催)<br />
*[[テレ朝チャンネル]]([[スカイパーフェクTV]])<br />
*[[朝日ニュースター]]([[スカイパーフェクTV]])<br />
*[[ドラえもん募金]](大地震被災地等に送るチャリティー)<br />
*[[メディアミックス・ジャパン|株式会社メディアミックス・ジャパン(MMJ)]]<br />
*[[テレテック|株式会社テレテック]]<br />
<br />
[[Category:テレビ朝日]]<br />
[[Category:日本のテレビ局|てれひあさひ]]<br />
[[Category:衛星役務利用放送事業者|てれひあさひ]]<br />
[[Category:東京都のマスメディア|てれひあさひ]]<br />
[[Category:東証一部上場企業|てれひあさひ]]<br />
[[Category:朝日新聞社の関連企業|てれひあさひ]]<br />
[[Category:ANN]]</div>
Fromm
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E8%8D%BB%E9%87%8E%E5%8F%8B%E8%8A%B1%E9%87%8C%E3%81%95%E3%82%93%E6%AE%BA%E5%AE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6&diff=359840
荻野友花里さん殺害事件
2018-09-10T11:29:58Z
<p>Fromm: </p>
<hr />
<div>[[Image:荻野友花里1.jpg|300px|thumb|殺害された荻野 友花里さん]]<br />
'''荻野友花里さん殺害事件'''とは、[[2009年]][[10月22日]]に[[千葉県]][[松戸市]]松戸の[[マンション]]2階で発生した[[殺人]][[放火]]事件。<br />
<br />
== 事件 ==<br />
[[Image:荻野友花里2.jpg|300px|thumb|殺害された荻野 友花里さん]]<br />
2009年10月、[[千葉県]][[松戸市]]のマンション2階で[[火災]]が発生し、焼け跡からこの部屋に住む[[千葉大学]][[園芸学部]]4年の荻野友花里さん(当時21歳)の[[裸|全裸]][[死体]]が見つかった。<br />
<br />
死体を調べた結果、[[刃物]]による傷があったため、[[殺人事件]]として[[警察]]は[[捜査]]。その結果、事件後に[[現金自動預け払い機]]の[[防犯カメラ]]から荻野友花里さんのカードで[[現金]]2万円を引き出す竪山辰美の姿が映っていた。警察はこの男の洗い出しを進め、すでに別の[[強盗]]・[[強姦]]事件で[[逮捕]]されていた[[住所]]不定・[[無職]]の竪山辰美(当時48歳)が[[強盗殺人]]並びに[[現住建造物等放火罪|現住建造物放火]]などの容疑で逮捕された。竪山辰美は1984年と2002年にそれぞれ強盗や強姦事件により[[懲役]]7年の[[判決]]を受けて、2009年9月に[[刑務所]]を出所してからわずか1か月半だった。強盗傷害などと合わせて[[起訴]]された。<br />
<br />
その後、2011年6月の[[千葉地方裁判所|千葉地裁]]の[[裁判員裁判]]において、千葉県松戸市で被告が荻野友花里さんのマンション宅に侵入して包丁を突き付けて現金約5000円と[[キャッシュカード]]を脅し取り、胸を刺すなどして刺殺した後に証拠隠滅のため22日に火を放ったと認定。<br />
<br />
争点となった殺意についても強い力で殺意をもって胸を刺したとした。[[検察]]側の[[求刑]]通り[[死刑]]判決が下された。[[波床昌則]]裁判長は判決理由について、「犯行態様は執拗で冷酷非情、結果も重大である。出所後も数多くの[[犯罪]]を重ねており、被告の更生の可能性は著しく低い。また、(弁護側の死刑回避の主張に対して)死亡した被害者が1人であっても、極刑を回避する決定的な理由にならない」とした。また、竪山辰美が「命を持って償いたい」と話していたにも関わらず、[[証言]]が[[証拠]]と食い違い真実が述べられておらず反省が認められないとも述べた。裁判員裁判において、「殺人の[[前科]]のない被告に、1人の殺人で死刑判決が出た」のは初めて。<br />
<br />
[[村井宏彰]]主任弁護人などの弁護側は死刑判決を不服として即日[[控訴]]した。2013年10月8日、[[東京高等裁判所]]において一審が破棄され、[[無期懲役]]の判決が下された。これについて[[村瀬均]]裁判長は「計画性が無く、1人殺害の強盗殺人事件で死刑となった例が無い」との判断を示した。裁判員裁判の死刑判決が控訴審で破棄されたのは2例目となる。<br />
<br />
== 識者・マスコミの偏見 ==<br />
[[画像:Yukari_Ogino.jpg|thumb|right|240px|荻野友花里さん]]<br />
荻野友花里さんは水商売の[[アルバイト]]をしていた。これが影響してか、「夢は[[農家]]・夜はキャバ嬢・千葉大生2つの顔」([[週刊文春]])や「彼と別れたばかりで殺された[[美人]][[女子大生]]。[[キャバクラ]]勤めの稼ぎ方」([[週刊新潮]])など、[[週刊誌]]で荻野友花里さんはあまりいいように扱われなかった。また、元警察幹部は週刊誌の取材で「荻野友花里さんが全裸で抵抗した形跡も無く、[[遺体]]には[[布団]]がかけられていた。さらに放火などという作業もしており、男女のもつれによる顔見知りの犯行」などと答えて、捜査を混乱させた。これらは逆に一部の有識者や[[マスコミ]]の権威を失墜させる一因となる(実際には荻野友花里さんと[[犯人]]の間に面識は無く、犯人による流しの犯行だった)。<br />
<br />
== 被害者・荻野友花里さん ==<br />
[[Image:荻野友花里3.png|300px|thumb|殺害された荻野 友花里さん]]<br />
荻野友花里さんは[[東京都|東京]][[台東区]]上野「FINE」のナンバーワンだった。整形[[美人]]であったと言われる。<br />
<br />
そして、このキャバクラは、店外デートがウリだった。指名して3回通うと店外デードで何処にでもついて来ることが可能だった。それとは別に、複数の男性に部屋の鍵を渡していたことを警察当局は把握していた。<br />
<br />
[[殺人|殺害]]された上、自宅[[マンション]]を放火された[[千葉大学]]園芸学部4年の[[女子学生]]荻野友花里さんは、消息筋によれば、多額の借金をかかえ、東京都台東区にあるキャバクラでアルバイトのキャバクラ嬢をしていた。また、韓国に何度も渡航し、カジノで遊んでいたという。借金は、[[カジノ]]での遊興によるものである可能性が出てきた。<br />
<br />
このキャバクラは、[[東京都|東京]][[台東区]]上野にある「ファイン」という店。荻野さんは8月まで千葉県松戸市にある[[居酒屋]]でアルバイトをしていたが、それをやめ、その後、このキャバクラで週2回程度の割合で働くようになった。荻野さんは、このキャバクラに2年前にも勤めていたが、その時は数ヶ月でやめたと同店では話している。荻野友花里さんは、このキャバクラでは、「美咲ゆかり」と名乗っていた。<br />
<br />
荻野さんは、殺害される1か月ほど前に[[恋人]]と別れており、また、殺害時、複数の男性に合い鍵を渡していたことがわかっている。<br />
<br />
荻野友花里さんは[[兵庫県]]出身で[[高校]]時代も[[陸上部]]の主将、3年の[[運動会]]で応援団長を務めるなど、明るく活発な人物だったという。また、大学卒業後は教員になるべく、試験に向けて勉強を重ねていた最中だった。<br />
<br />
== 凶悪犯・竪山辰美 ==<br />
[[Image:竪山辰美1.jpg|300px|thumb|殺人犯・竪山 辰美]]<br />
竪山辰美は[[鹿児島県]]出身で、中学卒業後に[[大阪府]]など各地を転々とした。職業も宅配・長距離トラック運転手、建築作業員、パン屋住み込み従業員などを転々としている。妻子もいるとされ、犯人を知る人たちは、「自治会の役員になったまじめな人」と語っている。<br />
<br />
初犯は[[2002年]]4月、[[神奈川県]][[海老名市]]のアパートで20歳前後の女性宅に侵入し、女性に怪我をさせて現金などを奪って逮捕された事件であるとされる。これが原因で妻子から縁を切られて[[網走刑務所]]に7年間服役した。松戸事件の1ヶ月前に出所したが、定職も金も無く、生活に困窮していた竪山辰美は千葉県内で盗みを繰り返していたという。ところが警察の調べで、生活費に困っていたはずなのに[[上野]]などで豪遊する竪山辰美の姿も目撃されており、窃盗で得た金で豪遊していたのではないかとされる。松戸事件ではベランダを伝って2階の荻野友花里さん宅に侵入。犯行に及んだ。<br />
<br />
竪山辰美には出所後に起こした窃盗及び女性を狙った強盗強姦の余罪が合計で11件もあり、裁判ではこれら(特に強盗強姦の5件)も一括で審理された。また、松戸事件で被害者の手足をストッキングで縛ったり、遺体に布団をかけて放火するなどの手口は[[1996年]]の[[柴又女子大生放火殺人事件]]と手口が酷似しており、この件も警察の追及を受けている。<br />
<br />
=== 供述(2010年1月) ===<br />
[[Image:竪山辰美2.jpg|300px|thumb|殺人犯・竪山 辰美]]<br />
[[Image:竪山辰美3.jpg|300px|thumb|殺人犯・竪山 辰美の行動]]<br />
「あの子が自分から服を脱ぎ始めたんですよ」<br />
<br />
あまりに卑劣な供述に捜査員は思わず吐き気を催した。こんな男がなぜ野放しにされ、鬼畜の凶行を重ねることができたのか。<br />
<br />
成人式の祝賀ムードに日本中が沸いていた一月の三連休中のこと。千葉大学園芸学部四年の荻野友花里さん(21)殺害放火事件の捜査本部が置かれた千葉県警松戸署は、重苦しい雰囲気に包まれていた。取調室で、住所不定・無職の竪山辰美(48)が、取調官の耳を疑うような供述を始めていた。<br />
<br />
「目の前で、あの子が自分から服を脱ぎ始めたんですよ」<br/><br />
「では、なぜ刺したんだ」<br/><br />
「『わたしも死にたい』と言われたんでね。『わたしを刺して、あんたも死ねばいい』と」<br />
<br />
竪山は悪びれるそぶりもみせず、荻野さんが自ら[[性交|性交渉]]を求め、揚げ句の果てに自殺願望者だったなどと口にした。松戸署に駆けつけた千葉県警捜査一課の中村修一課長は、その報告を聞くと殺気立つほどに顔を上気させた。ほかの捜査幹部たちも一様に顔をしかめ、吐き捨てるように言った。<br />
<br />
「まるで鬼畜じゃないか」<br />
<br />
荻野さんの事件は一月に入り、急展開を見せた。6日には、千葉県佐倉市の民家で30代の女性と60代の母親に暴行を働いた上、奪ったカードでコンビニのATMから現金55万円を引き出した強盗致傷容疑などで逮捕された。逮捕はこれで3度目。<br />
<br />
「これで竪山も、ようやく捜査本部が本気だと悟ったんです」<br />
<br />
そう地元記者も語るように、その直後から、竪山は「包丁で刺して、火を付けました」と自供を始め、上申書も提出。供述通り、荻野さん宅に近い園芸学部の寮が建つ敷地斜面から、血のついたTシャツにくるまれた包丁や、荻野さん宅のドアの鍵も発見されている。<br />
<br />
2009年11月の最初の逮捕当初こそ、荻野さんのキャッシュカードを使ってJR松戸駅近くのATMで現金2万円を引き出した男の画像を「自分です」と認め、「部屋に侵入してカードを盗んだ」と供述していた。<br />
<br />
しかし、あくまで荻野さんは不在だったと言い張り、やがて、殺人容疑を視野に本格的な弁護活動に乗り出すため弁護士が複数付くようになると、竪山はすっかり荻野さん事件について口を閉ざすようになる。<br />
<br />
しかも、2009年9月に[[刑務所]]を出たあとの惨めな境遇を自ら持ち出し、「冷たい世間に放り出されてしまった。仕事もないし、カネもない」と取調官の同情を誘うかのような話に終始する始末。<br />
<br />
「放火された荻野さんの部屋は、消防車の放水で指紋や足跡は押し流され物証の乏しい事件でした。[[強姦]]された可能性がありますが、肝心の下半身が焼けてしまい、タンパク質でできた体液も燃えてしまって検出できなかったんです。ちょうど、英会話講師リンゼイさん殺害事件の市橋達也容疑者も完全黙秘を続けていたときで、県警首脳は頭を悩ませていました」<br />
<br />
そんな折り、竪山から突然の自供が飛び出したのは、ある計算が働いたためだ。捜査関係者が語る。<br />
<br />
「三度目の逮捕でさすがに逃げ切れないと踏み、死刑だけは免れようと、竪山は殺意を否認した上で、ほかは認めようという捨て身の作戦に出たんだ。でも、反省の色なんてこれっぽっちもないよ。死者にむち打つようなひどい供述は、やむことはなかったんだ」<br />
<br />
「なぜ刺したんだ」と迫られた竪山は、やがて、奪ったキャッシュカードの暗証番号を聞き出すために刃物をちらつかせ、荻野さんを脅したと認める。そしてこう供述した。<br />
<br />
「ちょっと切りつけたらあの子が騒ぎ出して……。もみ合っているうちに、つい刺しちゃったんですよ」<br />
<br />
これも作り話ではないかと捜査関係者はみる。これまでの捜査で、荻野さんの遺体に激しく抵抗したあとは見つかっていない。そもそも、手足をグルグル巻きにされ、口にストッキングで猿ぐつわをはめられた荻野さんがもみ合ったり、抵抗できるはずもないからだ。<br />
<br />
しかし、冒頭のように、抵抗できなかったことを逆手にとり、荻野さんが自殺願望を唱えたかのように言い出す竪山。荻野さんが自ら誘うように服を脱いだと話したあと、笑みを浮かべながら付け加えている。<br />
<br />
「あの子は『わたしはキャバクラ嬢。いつも片手の指いっぱいの男と同時に付き合ってるの』と言い出したんですよ」<br />
<br />
過去三度の逮捕容疑からみて、荻野さん宅に押し入ったのも強姦目的だったことは容易に類推できる。なのに、殺害容疑から逃れようと腐心する男。<br />
<br />
2010年に入ったころから、竪山は留置場の中でしきりとノートに書き込みをするようになっているという。荻野さんの遺体の状況とつじつまが合うようにと供述を練っているのか。それとも自省の念をつづっているのか。<br />
<br />
少なくともいえるのは、自供後も、竪山の口から謝罪の言葉を聞くことは一切ないということだ。<br />
<br />
=== 報道されない前科 ===<br />
[[Image:荻野友花里4.jpg|300px|thumb|殺害された荻野 友花里さん]]<br />
[[Image:荻野友花里5.jpg|300px|thumb|殺害経過]]<br />
「[[裁判員制度]]の弊害ですね。制度導入に伴い、[[新聞]]・[[テレビ]]は裁判員に先入観を持たせないようにとガイドラインをつくり、前科前歴をはじめとする事件情報をまともに流さず、自己規制しているんです」(全国紙社会部デスク)<br />
<br />
例えば、竪山は過去7回にわたり女性を襲う事件を起こし、最後の[[2002年]]には、[[神奈川県]][[海老名市]]の女性看護師を襲った強盗傷害事件で実刑判決を受け、[[北海道]]の[[月形刑務所]]に服役しているが、こうした事実も報道すればガイドライン違反になる。<br />
<br />
2009年9月1日に出所したことすら、前科を想起させるからと、デスクの手を通らない新聞社もある。これで果たして、まともな報道などできるのだろうか。<br />
<br />
流れ流れて都内のサウナに宿泊し、土地勘のある千葉に出向いては次々と女性を襲っていたわけで、元をただせば、行政側の不行き届きが指弾されるべき事実。それを、前科報道自粛が邪魔をして、メディアに検証する術がないというのでは、本末転倒ではないか。<br />
<br />
しかも竪山は、出所後わずか2カ月ほどの間に、判明しているだけでも5人の女性を襲っており、その尋常ならざる手口をみれば「どれもこれも重大犯罪」(前出・捜査関係者)。<br />
<br />
なのに、荻野さん事件に関与したと判明するまで匿名扱いにされ、容疑者の人権ばかり保護されたのだ。<br />
<br />
「例えば、最初の逮捕容疑について、新聞・テレビは「11月2日朝、千葉県内の民家に侵入した48歳の男が30歳の女性を包丁で脅し、現金18万円を奪ったうえ暴行しようとした」と報じただけ。事件の核心はもうひとつの容疑名である『強姦未遂容疑』だったのにその点は軽視され、真相は何も伝わっていない。この容疑の適用にこそ、竪山の残虐ぶりを示すウラがある」(同前)<br />
<br />
竪山はこの日、家の主が出勤するのを見届けた午前8時40分ごろ、民家に侵入。二人の幼い子どもたちがいる前で女性を緊縛し、右手で頭を殴打して「騒げば、殺す」と脅迫。おびえて身動きを止めた女性を強姦しようとしたところ生理中と知るや、なんと、女性の肛門で射精していたのだ。<br />
<br />
「刑法では、これは[[性交]]とみなさないため、『強姦未遂』。しかし、生理中の女性に[[陵辱]]の限りを尽くした竪山のやり口は、むしろ法律の定める強姦なるものよりも下劣な行為じゃないか。なのに、荻野さんの別件報道になると恐れた新聞・テレビは、匿名にした上、この陵辱事件の事実関係をほとんど報じなかった」(同前)<br />
<br />
報道のあり方ばかりを批判するのも不公平かもしれない。竪山が月形刑務所を出所後に犯した「別件事件」を明らかにすることは、すなわち、千葉県警の捜査の失態そのものを暴露することにほかならないからだ。<br />
<br />
竪山の逮捕容疑だけ追ってみても、①2009年10月3日に松戸市の荻野さん宅近くにある76歳の女性宅で強盗致傷を起こし、②4日後、同県佐倉市で30代女性を[[強姦]]、一緒にいた60代の母親も暴行、③2週間後に松戸市に戻って荻野さん宅に侵入して殺人放火事件に手を染め、④11日後、2人の子供の目の前で30歳の女性を[[陵辱]]――このわずか1カ月の間に、5人の女性が性的暴行を含めた被害を受け、命すら落とす重大事件に巻き込まれていたのだ。<br />
<br />
「許せないのは、荻野さんの他殺体が見つかっても、千葉県警はまともな緊急配備を敷かず、竪山を事実上野放しにしていたことなんです。最後に、30歳女性が襲われたときも、現場では、駆けつけた佐倉署員が10人ほどオロオロするばかりの光景が目撃されています。素人目にみても、荻野さん事件の犯人ではないかと真っ先に疑うべきなのに、このときも、県警はまともな配備を怠りました」(前出・地元記者)<br />
<br />
ちなみに、千葉県警はこれらの「別件事件」の発生について一切報道発表していない。「性的被害の流布を恐れた」という理由だが、全国的にも凶悪犯罪として報じられた荻野さん事件の起きた後、逃亡する殺人犯につながるかもしれない情報を提供せず、いったいどうして住民は自己防衛をしたらいいのか。<br />
<br />
[[市橋達也]]のときも、千葉県警は緊急配備をせず、捕まえる手立てを講じなかった。市橋事件の教訓を忘れ、おぞましい再犯事件を繰り返す男を再び野放しにした千葉県警。そして、その体たらくを「人権報道」や「裁判員ガイドライン」を持ち出して検証しない報道のあり方こそが問われている。<br />
<br />
== 裁判 ==<br />
=== 「女性は常に強姦されたい」竪山、犯行時の認識語る(第3回公判) ===<br />
強盗殺人などの罪に問われた無職、竪山辰美(50)の裁判員裁判の第3回公判が10日、[[千葉地裁]]([[波床昌則]]裁判長)で開かれた。<br />
<br />
この日は荻野さんの事件以降に、竪山が[[酒々井町]]で起こした強盗強姦未遂など3事件について審理された。竪山は弁護側の被告人質問で、犯行時の認識について「女性は常に『強姦されたい』という思いがありながら、殺されるのが嫌だから拒むのだと思っていた」と話した。<br />
<br />
一方で「かよわい女性を襲うことは、男として人として情けなく思う」と述べ、現在は反省していることを強調した。<br />
<br />
また、冒頭に検察側は強盗強姦未遂事件の被害女性の供述調書を朗読。それによると、犯行時、竪山は包丁を突きつけながら、「以前に同じように脅したとき、『殺せるものなら殺せ』といわれ、本当に刺したことがある」と女性を脅迫した。<br />
<br />
=== 1審(裁判員裁判)死刑、2審無期。 検察・弁護双方が上告(2013年10月) ===<br />
[[Image:荻野友花里6.jpg|500px|thumb|裁判員裁判で量刑見直しの事案]]<br />
[[Image:荻野友花里7.jpg|300px|thumb|東京高裁の村瀬均裁判長]]<br />
裁判員の下した死刑という結論は、なぜ覆されたのか-。<br />
<br />
千葉県松戸市で平成21年、千葉大4年の荻野友花里さん=当時21歳=を殺害したなどとして強盗殺人罪などに問われた無職、竪山辰美(52)への死刑判決が控訴審で破棄された。<br />
<br />
検察側と弁護側双方が、判決を不服として[[上告]]。裁判員の死刑判断の適否を問う舞台は、最高裁に移された。「娘より犯人の命の方が重いのか」。荻野さんの両親は、極刑を求めて上告審の行方を見守る。<br />
<br />
「今日は4年前、友花里が竪山に殺されて燃やされた日です。昨日、高検から上告という知らせを受けて、友花里の日に上告していただいて、大変うれしく思っております。今回の裁判については全然、納得がいきませんでした」<br />
<br />
上告を受けて22日に会見した荻野さんの父、卓(たかし)さん(64)は、報道陣を前に、苦しい胸の内を語った。[[東京高検]]が上告した21日は荻野さんが亡くなったとされる日。弁護側が上告した22日は、竪山が現場に戻って室内に放火した日だ。<br />
<br />
今月8日、東京高裁が言い渡した判決は、卓さんと妻、美奈子さん(61)にとっては信じられないものだった。<br />
<br />
「主文、原判決を破棄する。被告人を無期懲役に処する」<br />
<br />
高裁の[[村瀬均]]裁判長が読み上げた主文の意味するところは「被告に科すべき刑は、死刑ではなく無期懲役」。1審千葉地裁の裁判員裁判が出した判決を覆すというものだった。<br />
<br />
「私も主人も、頭が真っ白になりました」と美奈子さん。卓さんも「え?!あんだけ何日もかかって死刑(判決)をもらったのに、と思った」と振り返る。<br />
<br />
1、2審判決によると、竪山は[[平成21年]][[10月20日]]夜ごろから21日未明にかけて、松戸市のマンションの荻野さん宅に侵入。包丁で脅して現金などを奪った上、胸を刺して殺害。翌22日には、証拠隠滅のため現場に戻り、室内に放火するなどした。<br />
<br />
竪山は、強盗致傷などの罪で懲役7年の判決を受けて服役。[[平成21年]][[9月1日]]に満期出所し、わずか約1カ月半後の犯行だった。<br />
<br />
裁判員裁判によって行われた1審では、荻野さんが殺害された、いわゆる「松戸事件」の前後に、竪山が強盗致傷や強盗強姦を繰り返していたことなどを重視。「松戸事件」以外の犯行でも刃物を使用しており、場合によっては他の事件でも被害者の生命身体に重篤な危害が及ぶ危険性があった、として「死刑をもって臨むのが相当」と結論づけた。<br />
<br />
これに対して、2審が死刑回避の理由として挙げたのが「先例」だ。<br />
<br />
「殺害された[[被害者]]が1人で、[[殺害]]行為に計画性がない場合には死刑は選択されないという先例の傾向がある」と指摘。先例とは異なる結論を採るにあたって「合理的かつ説得力のある理由を示したものとは言い難い」と判断した。「死刑以上の判決をずっと訴えてきたので、死刑は当たり前だと思っていた」という卓さん。無期懲役と結論づけた2審判決に、憤りをぶつけた。<br />
<br />
「友花里の無念さを晴らすために頑張ってきたつもりです。選ばれた裁判員さんが、何日もかかって決めたことを無視するかのように、覆すというのは、どうしても納得がいかない」<br />
<br />
平成21年10月23日、千葉県警松戸署からの連絡で、平穏な生活は大きく変わった。兵庫県の実家を離れて千葉県で暮らす友花里さんの死を伝える内容だった。あれから4年。ようやく得た死刑判決も、高裁でのわずか1度の審理で覆されてしまった。<br />
<br />
「被害者の命と犯人の命、どちらが重たいんでしょうか」と訴える美奈子さんもまた「死刑以上の重い罪があれば、そのような罪にしてほしい」と求める。美奈子さんは、「友花里は『お母さん、私の命、こんなもんとは違うでしょ。お父さんとお母さん、頑張ってよ』って言っていると思います」と話す。卓さんと美奈子さんは、最高裁でも審理に立ち会えるよう、被害者参加を求めている。「私らの無念を晴らしてくれるのは、裁判だと思っています」と卓さん。美奈子さんも「最高裁で、死刑の判決がきっちりと出されることを願っています」と話した。<br />
<br />
犯罪被害者支援弁護士フォーラムの事務局長、高橋正人弁護士は「裁判員裁判が、先例と違う判断をするのは当然。高裁の裁判官が『先例と異なる』として1審判決を破棄するのは、裁判員裁判の制度を否定することになる」としている。<br />
<br />
「先例主義ならロボットが判断すればいい」(全国犯罪被害者の会の松村恒夫代表幹事)との批判の声が上がる。機械的な尺度で死刑を破棄すれば、国民の健全な社会常識や生活感覚を反映させるのが狙いの裁判員裁判の意義を損ないかねないのだ。<br />
<br />
ただ、裁判員裁判で言い渡された求刑超えの量刑が上級審で見直される可能性も出てきた。大阪・[[寝屋川女児虐待死事件]](平成22年)では、1審大阪地裁は検察側の求刑の1.5倍となる懲役15年を言い渡した。2審も支持したが、最高裁は6月に結論の見直しに必要な弁論を開く。<br />
<br />
すでに上告審に舞台を移した1審死刑破棄のケースとともに、最高裁の判断が注目される。<br />
<br />
=== 裁判員裁判、初の死刑破棄確定へ「市民参加」何のため ===<br />
[[死刑]]という究極の刑罰を前に、市民感覚と公平性のバランスをどう保つのか?死刑と無期懲役で1、2審の判断が分かれた2件の強盗殺人事件の裁判は、[[最高裁]]決定により死刑回避で決着した。<br />
<br />
死刑を選択した[[裁判員裁判]]の判決が否定されたことに、遺族は「何のための市民裁判か」と憤り、審理に当たった裁判員経験者は複雑な胸の内を明かした。<br />
<br />
「泣き叫ぶというよりも、涙が出ないくらい怒りを覚える」。<br />
<br />
[[2009年]]に千葉県松戸市で殺害された千葉大4年、荻野友花里さん(当時21歳)の母、美奈子さん(62)は声を震わせた。<br />
<br />
友花里さんは、自宅[[マンション]]に侵入してきた竪山辰美(53)に包丁で胸を刺され、亡くなった。裁判員裁判の[[千葉地裁]]は死刑。出所直後から[[強姦]]事件などを繰り返したことが重視されたが、[[東京高裁]]で減刑され、最高裁も支持した。<br />
<br />
荻野さんは「娘は殺されて、[[裸]]にされて燃やされた。遺族には『公平』の言葉に意味はない」と怒気を込めて語り、「加害者は一人一人違い、被害者もいろいろなのに、結局、プロの裁判官に都合の良い言葉のまやかしではないか」と訴えた。<br />
<br />
一方、[[伊能和夫]](64)の裁判の補充裁判員だった女性は「先例重視を理由に結論を変えられたことには納得がいかないが、死刑が確定してもショックを受けていたと思う。どこにも落としどころがない」と心情を吐露した。一方で「経験が無駄だったとは思わない。裁判員になったからこそ死刑制度を考えるようになったし、国民が裁判に関わる意義はある」とも語った。<br />
<br />
裁判員裁判の死刑判決は全国で22件。うち今回の2件を含む計3件が控訴審で無期懲役に減刑された。残り1件は[[長野市一家3人殺害事件]]の被告で、2審は共犯者に比べて「関与が限定的」と指摘。検察が上告を見送ったため死刑には覆らない。3件は東京高裁の同じ裁判長が担当した。<br />
<br />
殺害された被害者が1人の事件で市民が加わった死刑判断の破棄を認めた最高裁決定は「先例の検討は裁判員裁判でも変わらない」と述べ、特に死刑判断の局面では過去の裁判例との公平性を重視すべきだとの姿勢を鮮明にした。<br />
<br />
[[司法研修所]]は[[2012年]]の研究報告で、被害者1人で死刑が確定したケースは、仮釈放中の無期懲役囚による例や、身代金目的の計画的事件などに限られており、「裁判員にも先例の理解が求められる」と指摘した。<br />
<br />
さらに最高裁は2014年、裁判員裁判の判決が求刑を大きく超えたケースで「他の裁判との公平性が保たれなければならない」とし、先例と異なる量刑判断には「従来の傾向を前提とすべきでない事情が具体的に示されるべきだ」との判断を示した。今回の決定もこれを踏襲して「死刑とする根拠が見いだしがたい」とした。<br />
<br />
死刑選択という極めて重い市民の判断が覆される例が相次げば、制度の存在意義が揺らぐ懸念もあるが、裁判官出身の千葉勝美裁判長は「過去の例を共通認識として死刑か否かを判断すれば、健全な市民感覚が生かされる」と補足意見を述べた。<br />
<br />
== 冷たい判決、冷たい裁判長、連続死刑判決「破棄」、遺族は震えた(2013年11月) ==<br />
「娘を殺されてから、ずっと涙の出ない日はありませんでした。でも、(死刑判決を破棄された)今の方が悔しいんです。私たちは司法に頼るしかないんです。でも、その司法に裏切られた…」<br />
<br />
[[兵庫県]][[稲美町]]の自宅で、荻野卓さん(64)はやりきれない思いを吐露した。妻の美奈子さん(60)も悔しそうな表情を浮かべる。2人のまな娘、友花里さん=当時(21)、千葉大4年=を殺害するなどし、強盗殺人をはじめ合計13もの罪に問われた[[竪山辰美]](52)に対して、[[東京高裁]]の[[村瀬均]]裁判長は[[10月8日]]、1審[[千葉地裁]]の裁判員裁判が下した死刑判決を破棄し、無期懲役に減刑する判決を言い渡した。<br />
<br />
村瀬裁判長は今年6月にも、強盗殺人罪に問われ、1審東京地裁が死刑を言い渡した[[伊能和夫]](62)に対し、死刑を破棄して無期懲役を言い渡している。2つの事件の被害者遺族らは「被害者の命より、加害者の命の方が重いというのか」と訴える。<br />
<br />
=== 出所後すぐに犯行重ね ===<br />
竪山が今回問われた「罪となるべき事実」は13にのぼり、別の強盗致傷事件などでの懲役7年の刑を終えて[[平成21年]]8月末に出所してから、わずか2週間あまりで最初の窃盗事件を起こしていた。<br />
<br />
4人の女性をナイフで脅してけがを負わせるなどし、金を奪った強盗事件(強盗強姦事件などを含む)に加え、[[10月20日]]深夜に友花里さん宅に侵入し、翌21日午前に帰宅した友花里さんを脅して現金やキャッシュカードを奪った後に殺害した。犯行の翌日になって友花里さん宅に舞い戻り、犯行の痕跡を消すために放火した。<br />
<br />
こうしてみると、今回の一連の事件では、確かに殺害された被害者は1人だけで、これまでの刑事裁判では死刑が回避されるケースが少なくなかった。<br />
<br />
しかし、1審千葉地裁の裁判員裁判は[[平成23年]]6月、「出所後3カ月あまりの間に犯行に及んでいることは強い非難に値し、一連の犯行が短期間のうちに反復して行われている」と指摘。さらに「松戸事件(友花里さんに対する殺害や放火などの事件)以外にも重大事案を複数回犯し、被害者の中には死亡してもおかしくないほどの重篤な傷害や、深刻な性的被害を受けた者がいる」などとして、検察の求刑通り、死刑を言い渡している。<br />
<br />
被害者参加制度で法廷に入った卓さんと美奈子さんに対し、竪山は謝罪をしなかった。被害弁償は、現在にいたるまでまったくなし。法廷での態度も不自然な弁解を繰り返すなど、とうてい反省しているとは思えないものだった。「今日は友花里にほめてもらえそうでうれしい」。1審判決の後の会見で、卓さんは涙を流しながら話した。<br />
<br />
=== 「冷たい」裁判 ===<br />
両親にとって、1審判決は「被害者参加をして、苦しい思いをして、やっと勝ち取った」(美奈子さん)死刑判決だった。しかし、東京高裁の村瀬均裁判長は死刑を破棄し、無期懲役に減刑する判決を言い渡した。<br />
<br />
村瀬裁判長は判決理由の中で「死刑選択の判断では、先例の傾向を十分に念頭に置いた上で判断する必要がある」と強調し、「殺害された被害者が1名の強盗殺人でその殺害行為に計画性がない場合には、死刑は選択されないという傾向がみられるといってよい」と判断している。<br />
<br />
そして「先例」を踏襲することに重きをおき、「死刑を選択すべきことが真にやむを得ないものとはならない」と結論づけた。通常、死刑の是非をめぐる刑事裁判で問題となる「被告が更生する可能性があるかどうか」については、全く触れられていなかった。<br />
<br />
事件の被害者や遺族にとっても重い判決だが、美奈子さんは「どこまでも、遺族に『冷たい』判決でした」と悔しがる。高裁で開かれた審理はわずか1回。その日で即日結審された。<br />
<br />
1審では、法廷で両親が意見陳述を読み上げたが、書類を提出するだけ。他の被害者の意見陳述も認められなかった。1審では認められた遺影の持ち込みも、友花里さんの姿が見えないよう、伏せるように言われた。最も重要な、死刑を回避すべき事情も、遺族には納得できないものだった。<br />
<br />
美奈子さんは「わずか1回の公判で、市民が加わって長い間議論して決めた死刑判決を覆した。事務的で、はじめから無期懲役に減刑することを決めていたような裁判でした」と話す。<br />
<br />
東京高裁から帰る新幹線の中、あまりのショックにひと言も話さなかった。「どう生活したかわからないほど落ち込みました。記憶もないんです」(美奈子さん)<br />
<br />
卓さんと美奈子さんの悔しい思いにこたえるかのように、[[東京高検]]は上告期限より1日前の21日、無期懲役に減刑した判決を不服として最高裁に上告した。ちょうど21日は友花里さんの命日にあたり、卓さんも美奈子さんもほっと胸をなでおろしたという。<br />
<br />
「無期懲役に減刑した高裁判決は、裁判長が机上で出した空論のような判決。市民感覚が加わった裁判員制度の意義を、最高裁はしっかり理解して判断してくれると思う」。美奈子さんは期待を込めた。<br />
<br />
=== 遺族「ありえない判断」 ===<br />
村瀬均裁判長は、6月にも1審東京地裁の裁判員裁判が、強盗殺人罪に問われた伊能和夫(62)に言い渡した死刑判決を破棄し、無期懲役を言い渡す判決を出している。<br />
<br />
伊能は[[昭和63年]]に妻を殺害し、自宅に放火し長女を焼死させたとして殺人罪などに問われ、懲役20年の判決を受けて服役。出所してわずか半年後に、強盗目的で東京・南青山のマンション一室に侵入し、金を奪う目的で何の面識もない五十嵐信次さん=当時(74)=を殺害した。<br />
<br />
1審の裁判員裁判は「冷酷非情な犯行で前科を特に重視すべきだ」などとして求刑通り死刑を言い渡した。しかし2審東京高裁の村瀬裁判長は6月、「前科を重視しすぎ」「前科の殺人と今回の強盗殺人には類似性がみられない」などと死刑を破棄し、無期懲役を言い渡した。<br />
<br />
この判決でも、「前科の内容となる犯罪と新たに犯した強盗殺人罪との間に顕著な類似性が認められるような場合に、死刑が選択される傾向にあるといってよい」と“傾向”を持ち出し、「(妻を殺害し、長男を焼死させた)前科は、無理心中であり、強盗殺人と類似性は認められないのであって、更生の可能性がないことは明らかとはいいがたい」などと結論づけている。2人の命を奪って刑に服し、出所後わずか半年で強盗殺人を行っても、「(1審の死刑判決は)前科を過度に重視しすぎた結果」としている。<br />
<br />
信次さんの長男、邦宏さん(47)は「『前科と類似性がない』という言葉は、私たちには意味がわかりません。3人の命の方が被告の命より軽いとの判断はありえない」と憤っている。<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
*[[裸|全裸]]<br />
*[[性犯罪]]<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:おきのゆかりさんさつかいしけん}}<br />
[[Category:平成時代の殺人事件]]<br />
[[Category:日本の全裸殺人事件]]<br />
[[Category:日本の放火事件]]<br />
[[Category:2009年の日本の事件]]<br />
[[Category:日本の性犯罪]]<br />
[[Category:松戸市の歴史]]</div>
Fromm
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E4%B8%89%E5%A5%BD%E6%A2%A8%E7%B5%B5&diff=359839
三好梨絵
2018-09-10T11:27:41Z
<p>Fromm: </p>
<hr />
<div>[[Image:小堤英統1.jpg|350px|thumb|元高校教師のストーカー、小堤 英統(40歳)]]<br />
[[Image:三好梨絵1.jpg|350px|thumb|ストーカーに殺された三好 梨絵さん(享年33歳)]]<br />
[[Image:三好梨絵2.jpg|350px|thumb|ストーカーに殺された三好 梨絵さん(享年33歳)]]<br />
'''三好 梨絵'''(みよし りえ)とは、[[神奈川県]][[逗子市]]のデザイナー。[[2012年]]11月、[[ストーカー]]となった元彼で元高校教師の小堤英統(こづつみ ひでと)に殺された。<br />
<br />
== 30代男女の変死体、女性は部屋の中で血まみれ刺し傷。男性は庭先で首つり ==<br />
[[2012年]][[11月6日]]午後3時10分ごろ、神奈川県逗子市小坪のテラスハウスで、近くを通行中の男性配達員から「男性が外で首をつっている」と119番通報があった。通報を受けて駆けつけた消防隊員が、テラスハウスの庭先で首をつっている男性と、部屋の中で血まみれで倒れている女性を発見した。 <br />
<br />
既に2人とも心肺停止状態だったといい、間もなく死亡が確認された。消防によると、部屋には鍵がかかっていた。 <br />
<br />
県警逗子署によると、男女はいずれも30代とみられる。同署によると、女性には刺し傷があり、室内に刃物があったという。同署で詳しい状況を調べている。 <br />
<br />
== ストーカーを繰り返した男、女性殺害し自殺か…被害者や警察に相談していた ==<br />
神奈川・逗子市で首をつった状態の男と刃物で刺された女性の遺体が見つかり、警察は、ストーカー行為をしていた男が、女性を殺害した後、自殺したとみて調べている。 <br />
<br />
警察によると、逗子市のアパートで6日午後、小堤英統(40)が首をつって死亡していて、その後、アパートに住む三好梨絵さん(33)が腹などを刺されて死亡しているのが見つかった。<br />
<br />
小堤は2011年、三好さんに「刺し殺す」などとメールを送り、逮捕・起訴されていた他、今年になって1000通を超えるメールを送りつけるなどのストーカー行為を繰り返し、三好さんは警察署に相談していた。 <br />
<br />
警察は、小堤が三好さんを殺害し、自殺したとみて、容疑者死亡のまま殺人の疑いで書類送検する方針。 <br />
<br />
== ネットで住所割り出しか ==<br />
逗子市小坪6丁目の集合住宅で6日、フリーデザイナー三好梨絵さんが殺害された事件で、三好さんを殺害後に自殺したとみられる小堤英統が事件前、インターネットを利用して三好さんの自宅の住所を割り出そうとしていた。<br />
<br />
ネットの質問コーナーに事件前、三好さんの自宅がある「逗子市小坪六丁目に在住の方に質問です」との書き出しの書き込みがあった。書き込みは「昔、お世話になった方を捜しています。逗子市小坪六丁目に住んでいるらしいのですが、詳しい住所が分かりません」などと記載され、三好さんの夫の名前を出した上で「もしご存知の方がいらっしゃったらmailで連絡してください」などとネット利用者に依頼していた。小堤が'''何らかの方法で三好さんの夫の名前や住所の町名を把握'''した上、詳しい住所を割り出そうとしていたとみられる。<br />
<br />
三好さんは2012年[[4月9日]]、小堤から、[[3月24日]]からの17日間で1089通のメールが送りつけられたと同署に相談。メールの内容は「別の男と結婚したのは契約不履行だ」などと書かれた。<br />
<br />
ストーカー規制法では、メールを繰り返し送る行為についての明文規定はない。同署は県警本部のストーカー対策室に問い合わせ、同法に抵触しないとの回答があり、立件を見送った。横浜地検横須賀支部は脅迫罪には当たらないと判断したという。<br />
<br />
また、小堤が東京都世田谷区の自宅最寄り駅から[[JR逗子駅]]まで電車で移動していたことが、所持品の「Suica」の履歴で分かった。同容疑者の死因は、首をつったことによる縊死だったことが司法解剖で判明。県警は同容疑者の自宅を家宅捜索、パソコンなどを押収した。<br />
<br />
== 逮捕状読み上げで被害女性の転居先漏らす ==<br />
三好梨絵さん(33)が刺殺された事件で、[[神奈川県警]]が[[2011年]]6月、脅迫容疑で元交際相手の無職・小堤英統(40)を逮捕した際、逮捕状に記載された三好さんの結婚後の名字や転居先の市名などを読み上げていた。 <br />
<br />
これを手掛かりに小堤が三好さんの住所を特定した可能性があり、県警は当時の対応を検証している。 <br />
<br />
逗子署の山口雅見副署長は「通常の逮捕手続きで、問題はない」と説明。一方で「名字を旧姓にするなど他の手があったかもしれない」と話している。 <br />
<br />
小堤は三好さんが以前勤めていた会社に身内を装って電話したり、インターネットで情報提供を求めたりして執拗に住所を調べていた。 <br />
<br />
また、ネットの掲示板に、三好さんの夫の名前を挙げ「昔、お世話になった方を捜しています。詳しい住所が分かりません。ご存じの方がいらっしゃったらmailで連絡して下さい」との書き込みがあった。県警は小堤容疑者が書いたとみている。自宅から押収したパソコンなどを解析して経緯を調べている。 <br />
<br />
三好さんは6日午後、逗子市の自宅で遺体で見つかり、室内で小堤容疑者が首をつって死亡。県警は三好さんを殺害後、自殺したとみて容疑者死亡のまま殺人容疑で書類送検する方針。<br />
<br />
== 事件翌日に届いた手紙。神奈川・逗子のストーカー殺人事件から1年。被害者の夫が心中明かす ==<br />
神奈川県逗子市でデザイナーの三好梨絵さん=当時(33)=が元交際相手の男=同(40)、事件後に自殺=に殺害された事件は1年。<br />
<br />
「梨絵はただおびえて生きていたのではない。自分の目標に向かって一生懸命生きて、人生を楽しんでいた」。そう取材に応じた梨絵さんの夫(43)の元に、事件後、梨絵さんから一通の手紙が届いていた。<br />
<br />
「今よりももっとパワフルでステキな未来きてる?」。<br />
<br />
そう書かれた手紙が届いたのは、事件翌日のことだった。宛名は「三好りえ様」。封筒に書かれた文字は梨絵さんの筆跡だとすぐに分かった。梨絵さんが1年前、未来の自分に宛てて手紙を書くというイベントに参加した際にしたためたものだと、一緒にイベントに参加した友人が教えてくれた。<br />
<br />
「知りあいが知り合いを呼んでステキな人に囲まれてますか?」「子供できた?」。手紙は希望に満ちた言葉であふれていた。<br />
<br />
夫によると、梨絵さんは事件の数年前から、ワークショップをコーディネートする会社の起業に向けて奮闘。講師を呼び、小物などを作るワークショップをコーディネートすることで、さまざまな人がつながる場を提供したいという夢があったという。<br />
<br />
友人が多く、人との出会いやつながりを大切にしていた梨絵さん。食卓ではよく、「今日、こんなすてきな人に会ったよ」と夫に報告していた。<br />
<br />
男から梨絵さんに送られたストーカーメールは1千通を超え、次第に梨絵さん周辺にも嫌がらせは及ぶようになる。しかし、梨絵さんは明るさを失わず、男を心配し、男の親に「このようなメールが来た」と連絡もしていたという。<br />
<br />
「僕に心配をかけたくないと、必死に頑張っていた」。[[住民票]]の閲覧制限を申請したり、電車に乗る際は最寄り駅ではない駅を使うなど対策も講じた。梨絵さんは仕事で使用する名前を変えた。<br />
<br />
事件の約5カ月ほど前からはメールもやみ、平穏な日々が続いた。「一生お願いするわけにもいかないから」と2人は県警と相談した上で、借りていた防犯カメラも返却した。<br />
<br />
「梨絵さんが亡くなりました」。<br />
<br />
県警から夫に連絡があったのは、その直後だった。数カ月後にはワークショップを開業するめどが立っていた。事件当日の朝には「名刺をリニューアルしていただきました。嬉しいな~」などと[[フェイスブック]]に投稿。これが梨絵さんの最後の投稿となった。<br />
<br />
「どうしたら(男の)殺意に気付くことができたのか」と自問をしても答えは出ない。ただ、「ずっと一番そばにいたのに助けてあげられなかった負い目はずっと背負っている」。<br />
<br />
「もし梨絵が生き返って言葉をかけられるとしたら、と考えることがあるが、言葉が見つからない。『ごめんね』と言ったら、向こうも『ごめんね』と言ってきそうで…」。夫は言葉を詰まらせた。<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[桶川ストーカー殺人事件]]<br />
* [[池田大作サリン襲撃未遂事件#その他被害|池田大作サリン襲撃未遂事件]]<br />
* [[彌彦神社事件]]<br />
* [[栃木リンチ殺人事件]]<br />
* [[新潟少女監禁事件]]<br />
* [[秋田児童連続殺害事件]]<br />
* [[姫路2女性殺害事件]]<br />
* [[神戸大学院生リンチ殺人事件]]<br />
* [[時津風部屋力士暴行死事件]]<br />
* [[坂本堤弁護士一家殺害事件]]<br />
* [[鳥取連続不審死事件]]<br />
* [[宮城保険金殺人事件]]<br />
* [[明石花火大会歩道橋事故]]<br />
* [[足利事件]]<br />
* [[長崎ストーカー殺人事件]]<br />
* [[市川女性刺殺事件]]<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:みよし りえ}}<br />
[[Category:警察不祥事]]<br />
[[Category:平成時代の殺人事件]]<br />
[[Category:2012年の日本の事件]]<br />
[[Category:神奈川県の歴史]]<br />
[[Category:逗子市]]<br />
[[Category:殺人被害者]]</div>
Fromm
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E3%83%95%E3%82%B8%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3&diff=359838
フジテレビジョン
2018-09-10T11:18:21Z
<p>Fromm: </p>
<hr />
<div>[[Image:スイス政府の民間防衛.jpg|400px|thumb|スイス政府「民間防衛」]]<br />
'''株式会社フジテレビジョン''' ({{lang-en|'''Fuji Television Network, Inc.'''}}) は、[[関東広域圏]]を[[放送#放送対象地域|放送対象地域]]とする[[放送局]]。<br />
<br />
略称は[[識別信号|コールサイン]] (''JOCX-TV'') から'''CX'''。通称は'''フジテレビ'''、'''フジ'''。<br />
<br />
近年は視聴率の低迷が叫ばれており、2016年の平均視聴率は民放最下位である。また、近年は偏向報道をはじめとした数々の不祥事が問題視されている。<br />
<br />
==会社概要==<br />
各地域の系列局28社で、番組の供給・ネットを目的とする'''[[フジネットワーク]]'''('''[[フジネットワーク|FNS]]''':Fuji Network System、[[フジテレビ番組一覧#スポーツ|FUJI NETWORK SPORT]])と、ニュース素材の供給・ネットを目的とする'''[[フジニュースネットワーク]]'''('''FNN''':Fuji News Network)を組織している。<br />
<br />
地上放送の他に[[スカパー!|スカイパーフェクTV!]](東経124・128度CS放送)、および委託放送事業者である[[サテライト・サービス]]を通じて[[e2 by スカパー!]](東経110度CS放送)で、[[フジテレビCS事業部|フジテレビ721・フジテレビ739・フジテレビCSHD]]の3つのチャンネルを放送していて、一部の[[ケーブルテレビ]]でも放送されている。<br />
<br />
メインバンクは、[[みずほコーポレート銀行]](旧[[富士銀行]])であり、FNSチャリティーキャンペーンにおけるフジテレビの振込先も[[みずほ銀行]]東京中央支店(旧[[富士銀行]]本店)である。また、以前フジテレビで[[芙蓉グループ]]提供の番組「感動エクスプレス」「満足!迷い旅」を放送していた。さらに、フジサンケイグループと芙蓉グループの合弁の広告会社[[富士アドシステム]]とフジサンケイグループ傘下の広告会社3社と合併した広告会社[[クオラス]]がある。<br />
<br />
===外国人持株問題===<br />
フジテレビの株主である株式会社フジ・メディア・ホールディングスにおいては2011年4月21日現在、外国人等の議決権比率は19.99%であった。電波法第5条は、放送業者の議決権の5分の1(20%)以上を外国人が有することを禁じており、ギリギリ法律の範疇にあった。ただし7月28日現在、フジ・メディア・ホールディングス株式の外国人直接保有比率は56.63%に達している。このことが[[2011年のフジテレビ騒動|フジテレビ抗議デモ]]のきっかけとなっている。<br />
<br />
===送信所===<br />
([[放送#放送区域|放送区域]]は、本来は[[沖縄県]]の放送対象地域である[[大東諸島]]が含まれる。これは、系列局の[[沖縄テレビ放送|沖縄テレビ]]が、大東諸島に中継局を設けていないため。[[東京放送|TBS]]=[[琉球放送]]並びに、[[テレビ朝日]]=[[琉球朝日放送]]の際も同様)。<br />
* アナログ放送<br />
** コールサイン:JOCX-TV<br />
** チャンネル:8ch(東京)<br />
** 映像出力:50kW<br />
** 音声出力:12.5kW<br />
* デジタル放送<br />
** コールサイン:JOCX-(D)TV<br />
** チャンネル:21ch(東京)<br />
** 出力:10kW<br />
** [[リモコンキーID]]:8<br />
<br />
====アナログ放送の主な中継局====<br />
* '''東京都'''<br />
** ※八王子 - 31ch<br />
** ※多摩 - 55ch<br />
** 新島 - 58ch<br />
** 父島 - 57ch<br />
** 母島 - 58ch<br />
** ※大井町 - 74ch<br />
* '''[[茨城県]]'''<br />
** 水戸 - 38ch<br />
** 日立 - 58ch<br />
** 常陸鹿嶋 - 41ch<br />
* '''[[栃木県]]'''<br />
** 宇都宮 - 57ch<br />
* '''[[群馬県]]'''<br />
** 前橋 - 58ch<br />
** 桐生 - 35ch<br />
** 利根 - 57ch<br />
* '''[[埼玉県]]'''<br />
** 秩父 - 29ch<br />
** 児玉 - 57ch<br />
* '''[[千葉県]]'''<br />
** 銚子 - 57ch<br />
** 成田 - 57ch<br />
** 館山 - 58ch<br />
* '''[[神奈川県]]'''<br />
** ※横浜みなと - 58ch<br />
** 横須賀久里浜 - 37ch<br />
** 平塚 - 39ch<br />
** 小田原 - 58ch<br />
** ※山下町 - 75ch<br />
* '''[[沖縄県]]'''<br />
** 北大東 - 46ch<br />
** 南大東 - 58ch<br />
他多数<br />
<br />
※はその中継局周辺でも東京8chを視聴する場合が多く、映りが良くない場合に視聴される。他局の同位置にある中継局も同様。<br />
<br />
====デジタル放送の主な中継局====<br />
* '''[[茨城県]]'''<br />
** 水戸 - 19ch<br />
** 日立 - 19ch<br />
* '''栃木県'''<br />
** 宇都宮 - 35ch<br />
* '''群馬県'''<br />
** 前橋 - 42ch<br />
* '''埼玉県'''<br />
** 秩父 - 21ch<br />
* '''千葉県'''<br />
** 銚子 - 21ch<br />
* '''神奈川県'''<br />
** 平塚 - 21ch<br />
** 小田原 - 21ch<br />
<br />
==沿革等==<br />
===沿革===<br />
* [[1957年]](昭和32年)[[11月18日]] - [[文化放送]]と[[ニッポン放送]]を主体とし、[[東宝]]、[[松竹]]、[[大映]]の[[映画会社]]各社が参加して、株式会社富士テレビジョン設立。(富士テレビに決定される前は中央テレビジョンで仮決定されていた。)<br />
* [[1958年]](昭和33年)12月 - 商号を'''株式会社フジテレビジョン'''に変更。<br />
* [[1959年]](昭和34年)[[1月9日]] - 本免許を受ける。<br />
* [[1959年]](昭和34年)[[3月1日]] - 地上アナログテレビジョン放送の本放送を開始(JOCX-TV)。開局は大阪・[[毎日放送]](MBS)と福岡・[[九州朝日放送]](KBC)と同日。関西地区においては、[[関西テレビ放送|関西テレビ]](KTV)と毎日放送とのネットワーク関係を結ぶが、翌年関西テレビに一本化する。<br />
* [[1959年]](昭和34年)6月 - 東名阪福の基幹4局でネットワーク協力体制に調印し、[[フジネットワーク|フジネットワークシステム(FNS)]]の基礎を確立。<br />
* [[1960年]](昭和35年)[[1月17日]] - 本局の送信出力を映像50KW、音声12.5KWに増力する。<br />
* [[1964年]](昭和39年)[[9月3日]] - [[東京オリンピック]]開始に伴い、カラー試験放送を開始(東京地区では3番目)。最初の番組は『僕は見たんだ』で、午前10時半からの30分番組。同放送は4日後の[[9月7日]]に本放送を開始する。<br />
* [[1966年]](昭和41年)10月 - フジニュースネットワーク([[フジニュースネットワーク|FNN]])発足。<br />
* [[1969年]](昭和44年)10月 - フジネットワークシステム([[フジネットワーク|FNS]])発足。<br />
* [[1971年]](昭和46年) - 制作局を廃止させ系列子会社化(「フジポニー」「フジ制作」「ワイドプロ」など)。報道・スポーツ・生番組以外の番組の制作を委託する([[1980年]]の機構改革で「制作局」を再発足、自社制作を復活させるまで系列子会社の再編をしながら続く)。<br />
* [[1973年]](昭和48年)『[[キンカン素人民謡名人戦]]』を最後に、自主制作番組が全部カラー放送になる。<br />
* [[1978年]](昭和53年)[[10月2日]] - 音声多重実用化試験放送開始。東京では[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]、[[日本放送協会|NHK(日本放送協会)]]に次いで3局目。第1弾は[[明治神宮野球場|神宮球場]]からの[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルト]]戦のステレオ放送。<br />
* [[1984年]](昭和59年) - [[フジサンケイグループ]]議長・[[鹿内春雄]]が将来の衛星放送事業(現在の[[BSフジ]]や[[フジテレビCS事業部|フジテレビ721、739、ディノスチャンネル]]など)参画による業務拡大に伴い、局舎面積拡大の必要性を訴え、当時はまだ更地であった[[お台場]]への社屋移転構想を発表する。([[#フジテレビお台場移転の経緯]]を参照。)<br />
* [[1985年]](昭和60年)[[12月8日]] - [[文字多重放送]]本放送開始。<br />
* [[1986年]](昭和61年) - [[フジサンケイグループ]]統一[[コーポレートアイデンティティ|CI]]導入に伴い、現在の「目玉マーク」のロゴ・マークに変更。<br />
* [[1988年]](昭和63年) - 開局30周年を記念して[[オリエント急行]]を日本で走らせる。<br />
* [[1989年]](平成元年)8月 - 第一世代[[クリアビジョン]]放送開始。<br />
* [[1989年]](平成元年)頃 - 民放では初めて、ソニー製の1インチ非圧縮デジタルハイビジョンVTR DVH-1000が導入される。<br />
* [[1990年]](平成2年)11月 - [[ハイビジョン]]試験放送開始。<br />
* [[1993年]](平成5年) - 新本社・演奏所となるFCGビルが着工。<br />
* [[1994年]](平成6年)11月 - ハイビジョン実用化試験局免許取得。<br />
* [[1995年]](平成7年)4月 - 株式会社フジサンケイグループ本社を合併。<br />
* [[1995年]](平成7年)9月 - ワイドクリアビジョン(EDTV-II)本放送開始。<br />
* [[1996年]](平成8年) 8月- [[東京都]][[港区 (東京都)|港区]][[お台場|台場]]のFCGビルが完成。河田町からの移転作業が部署別に順次開始される。<br />
* [[1997年]](平成9年)[[3月10日]] - 台場のFCGビルへの本社・演奏所機能の移転が完了。本社事業所所在地変更(東京都港区台場二丁目4番8号)。旧河田町本社ビルの解体作業開始。<br />
* [[1997年]](平成9年)8月 - [[東京証券取引所]]市場第1部に株式を上場。<br />
* [[1998年]](平成10年)4月 - [[放送法]]に基づき[[通信衛星|CSデジタル放送]]」2チャンネルの委託放送事業者の認定を受ける。<br />
* 1998年(平成10年)4月 - CSチャンネル「[[フジテレビCS事業部|フジテレビ721]]」放送を開始。<br />
* [[1999年]](平成11年)4月 - CSチャンネル「[[フジテレビCS事業部|フジテレビ739]]」放送を開始。<br />
* [[2000年]](平成12年)[[12月1日]] - 午前11時、系列のBSデジタル放送『[[BSフジ]]』(デジタルBS8Ch)開始。<br />
* [[2003年]](平成15年)[[12月1日]] - 午前11時、地上デジタルテレビジョン放送の本放送を開始(JOCX-DTV)。<br />
* [[2005年]](平成17年)[[1月17日]] - 系列ラジオ局の[[ニッポン放送]]株式の[[株式公開買い付け|公開買付]](TOB)を発表した。その結果、ニッポン放送発行済み株式の36.47%を取得した。<br />
* 2005年(平成17年)[[5月23日]] - [[ライブドア・パートナーズ]]を買収し同社の商号を『[[LFホールディングス]]』に変更([[7月12日]]に合併)。<br />
* 2005年(平成17年)[[6月13日]] - [[産業活力再生特別措置法|産業再生法]]に基づく事業再構築計画の認定を受ける。2008年(平成20年)5月まで。<br />
* 2005年(平成17年)[[7月15日]] - 地上波キー局として初めての[[ブロードバンド]]動画配信サービス、「[http://www.fujitvondemand.jp フジテレビ On Demand]」のサービスを開始。<br />
* 2005年(平成17年)[[9月1日]] - ニッポン放送と株式交換し、同社を完全子会社化。<br />
* [[2006年]](平成18年)[[1月22日]] - [[ライブドア]]が[[証券取引法]]違反で1月18日に家宅捜索される。<br />
* 2006年(平成18年)[[3月15日]] - [[ポッドキャスティング]]「[[フジポッド]]」の配信開始。<br />
* 2006年(平成18年)[[3月16日]] - 日枝会長が記者会見を行い[[USEN]]の[[宇野康秀]]社長にフジテレビが所有するライブドア持ち株を95億円で全株譲渡しUSENとの業務提携を発表。同時にライブドアとの提携解消と[[ライブドア・ショック]]により受けたフジテレビの損害総額345億円の賠償請求を行うことを決定した。<br />
* 2006年(平成18年)[[4月1日]]<br />
** 地上デジタルテレビジョン[[ワンセグ]]の本放送を開始。<br />
** ニッポン放送からアナウンサーを含む47人がフジテレビに転籍。<br />
* 2006年(平成18年)[[4月3日]] - 事業持株会社化し、フジサンケイグループの統括会社になる。これとともに株式会社ニッポン放送ホールディングス(旧ニッポン放送、これまでのラジオ放送事業・中波放送局免許は『株式会社ニッポン放送』を新設し、同社に承継)を吸収合併し、ニッポン放送保有のフジテレビ株式は吸収後消却され、[[ポニーキャニオン]]、[[ディノス]]等ニッポン放送傘下の企業がフジテレビ傘下に移動。<br />
* [[2007年]](平成19年)[[3月26日]] - ライブドアに対する345億円の損害賠償請求訴訟を東京地裁に提起したと発表した。<br />
* 2007年(平成19年)[[3月29日]] - ポニーキャニオンと扶桑社の発行済み全株式を取得し、完全子会社化。同時にBSフジへの出資比率を上げる。<br />
* 2007年(平成19年)[[9月1日]] - ハイビジョンでの報道取材を開始する(スポーツ報道の一部は以前からハイビジョン化されている)。<br />
* 2007年(平成19年)[[9月14日]] - 東京都[[江東区]][[青海 (江東区)|青海]]の[[東京臨海副都心|臨海副都心]]に建設した「[[フジテレビ湾岸スタジオ]]」の運用を開始。<br />
* [[2008年]](平成20年)[[4月1日]] - CSチャンネル「[[フジテレビCS事業部|フジテレビCSHD]]」放送を開始。在京民放キー局主体で初のCS放送によるハイビジョン放送である。<br />
* 2008年(平成20年)[[4月14日]] - 地上デジタルテレビジョン放送において、海賊版防止・著作権保護の観点による画面上に[[ウォーターマーク]]の表示を開始。(在京局では4局目)他の実施局よりは比較的薄めに表示されており、ワンセグでは非表示。<br />
* 2008年(平成20年)[[9月4日]] -[[総務大臣]]から、放送法に基づく認定放送持株会社の認定を取得し、また新設会社(2008年10月1日設立予定)へのテレビジョン放送免許の承継が許可された。<br />
* 2008年(平成20年)10月1日 - 株式会社フジテレビジョンが『株式会社フジ・メディア・ホールディングス』に商号変更、[[放送持株会社|認定放送持株会社]]に移行、同時に地上波放送関連事業を分社新設分割方式による事業子会社『株式会社フジテレビジョン(新設会社)』に放送免許共々承継。<br />
<br />
===番組史===<br />
* 1959年(昭和34年)3月 - 開局と同時に同局の看板トーク番組である『[[スター千一夜]]』放映開始。[[旭化成]]の一社提供、初回ゲストは[[長門裕之]]と[[津川雅彦]]、この回の司会は[[高橋忠雄]]が担当(1981年9月23日まで)。<br />
* 1959年(昭和34年)6月17日 - [[渡辺プロダクション]]の制作指揮による音楽番組『[[ザ・ヒットパレード]]』放送開始。初代司会は[[ミッキー・カーチス]](1970年3月まで)。<br />
* 1961年(昭和36年)4月 - 『きょうのプロ野球から』放映開始([[プロ野球]]シーズン期間中のみ放送)。後に『[[プロ野球ニュース]]』(第1期)に改題された(1965年9月に一旦終了)。<br />
* 1963年(昭和38年)1月1日 - 日本初の国産[[アニメ|テレビアニメ]]『[[鉄腕アトム]]』を放送(1966年12月31日まで)。<br />
* 1964年(昭和39年)1月1日、正月恒例の『[[新春かくし芸大会]]』開始。翌1965年からは司会者に[[高橋圭三]](1971年からは[[芳村真理]]も参加)を迎え規模を年々拡大。『[[NHK紅白歌合戦]]』などと並ぶ年末年始の風物詩的番組に発展。<br />
* 1964年(昭和39年)8月31日 - 現在も続く長寿音楽番組『[[ミュージックフェア]]』放映開始。初代司会は[[越路吹雪]]。<br />
* 1965年(昭和40年)5月1日 - [[テレビ朝日|NET(現:テレビ朝日)]]系列の朝の[[ワイドショー]]、『[[モーニングショー]]』に対抗し、[[日本放送協会|NHK]]の看板アナウンサーだった[[小川宏]]を招聘し、『[[小川宏ショー]]』をスタート。初代司会陣は小川宏と元[[東京放送|TBS]]アナウンサーの[[木元教子]]、それから当時アナウンサーだった[[露木茂]](1982年3月まで)。<br />
* 1965年(昭和40年)10月6日 - 日本初のカラーテレビアニメ『[[ジャングル大帝]]』放送。<br />
* 1968年(昭和43年)4月1日 - 不毛の時間帯とされた平日午後3時枠を開拓したワイドショー『[[3時のあなた]]』放送開始。初代司会は[[高峰三枝子]]と[[木元教子]](1988年4月1日まで)。<br />
* 1968年(昭和43年)11月4日 - 新感覚の歌謡番組と銘打ち『[[夜のヒットスタジオ]]』放送開始。幅広い出演者と歌手の素顔を映し出してゆくという番組構成が視聴者に浸透し、格上の音楽番組として後に評価されるようになる。初代司会は[[前田武彦]]、[[芳村真理]](〜1990年10月3日)。<br />
* 1969年(昭和44年) - 『[[オールナイトフジ (1969-1975)|オールナイトフジ]]』(第1期)放送開始。司会者は歌手の[[舟木一夫]]だった(レギュラー放送は1971年まで、スペシャル版は1975年まで放送)。<br />
* 1969年(昭和44年)10月 - 現在も続く長寿アニメ『[[サザエさん (テレビアニメ)|サザエさん]]』開始。<br />
* 1973年(昭和48年)4月2日 - 子供向け幼児教育番組『[[ひらけ!ポンキッキ]]』放送開始(〜1993年9月)。<br />
* 1974年(昭和49年)7月 - 第1回『[[FNS歌謡祭]]』放送。初代司会は小川宏と[[吉永小百合]]。当初は賞レース番組であったが、1991年からはショー形式の番組に変更。<br />
* 1975年(昭和50年)4月 - [[萩本欽一]]が[[ニッポン放送]]で担当していたラジオ番組をモチーフとする『[[欽ちゃんのドンとやってみよう!]]』スタート。当初は土曜19時30分〜の放送であったが、1981年春からは月曜21時枠に放送時間を移動し、「良い子悪い子普通の子」などシリーズ化。<br />
* 1976年(昭和51年)4月 - 『プロ野球ニュース』(第2期)開始。第2期スタート当初の司会は[[佐々木信也]]と[[はらたいら]]。<br />
* 1981年(昭和56年)10月 - 海外情報バラエティの先駆的存在『[[なるほど!ザ・ワールド]]』(司会は[[愛川欽也]]、[[楠田枝里子]]:1996年3月まで)、無敵の人気を誇ったTBS系『[[8時だョ!全員集合]]』に対抗すべく時の漫才ブームの立役者たちをメインキャストに据えた『[[オレたちひょうきん族]]』(出演者は[[ビートたけし]]、[[明石家さんま]]、[[山田邦子]]、他:1989年10月まで)をスタート。<br />
* 1981年(昭和56年)10月 - 後にスペシャル番組としてシリーズ化される『[[北の国から]]』がスタート。脚本は[[倉本聡]]、主演は[[田中邦衛]]。<br />
* 1982年(昭和57年)10月 - 現在も放送している[[タモリ]]が司会を務める平日昼の人気長寿生放送バラエティ『[[森田一義アワー 笑っていいとも!|笑っていいとも!]]』開始。<br />
2014年3月28日まで放送された<br />
* 1983年(昭和58年) - 『[[オールナイトフジ]]』(第2期)開始。現役の女子大生タレントを司会に登用し、人気を博す。<br />
* 1984年(昭和59年)10月 - 『[[FNNスーパータイム]]』開始。夕方ニュース戦争の幕開け。<br />
* 1985年(昭和60年)4月 - 『[[夕やけニャンニャン]]』開始。同番組の"主役"・[[おニャン子クラブ]]は後に社会現象的な人気を集める。<br />
* 1987年(昭和62年)1月 - 1981年4月より続いた[[萩本欽一]]による『欽ドン!』シリーズに代って、新たにドラマ枠(通称:"[[フジテレビ月曜9時枠の連続ドラマ|月9]]")を新設。『[[アナウンサーぷっつん物語]]』を最初に、『[[ラジオびんびん物語]]』、『[[東京ラブストーリー]]』、『[[101回目のプロポーズ]]』、『[[ロングバケーション (テレビドラマ)|ロングバケーション]]』などの大ヒット作を生み出し、業界ドラマやトレンディードラマブームの火付け役となる。<br />
* 1987年(昭和62年) - モータースポーツの最高峰である[[フォーミュラ1|F1]]全戦の放送を開始すると共に、同年から10年ぶりの復活となった「[[日本グランプリ]]」の[[冠スポンサー]]となる。<br />
* 1987年(昭和62年)7月 - 同局開局以来の24時間編成の大型番組として『[[FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島|テレビ夢列島]](現:[[FNSの日]])』を放送。総合司会は[[タモリ]]、[[明石家さんま]]。<br />
* 1988年(昭和63年) - 深夜枠のソフト充実を目的に『[[JOCX-TV2|JOCX-TV2(深夜黄金伝説)]]』スタート。以降、『[[やっぱり猫が好き]]』(出演:[[もたいまさこ]]、[[室井滋]]、[[小林聡美]]。作:[[三谷幸喜]]、他)や『[[カノッサの屈辱 (テレビ番組)|カノッサの屈辱]]』(出演:[[仲谷昇]]、他)など新感覚の番組が高い評価を受ける。<br />
* 1991年(平成3年) - [[ビートたけし]]と[[逸見政孝]]司会の『[[たけし・逸見の平成教育委員会|平成教育委員会]]』放送開始。翌1992年にはこの番組を基本として恒例の24時間テレビ編成が行われる。<br />
* 1994年(平成6年) - [[田村正和]]主演、[[三谷幸喜]]脚本による異色の[[刑事]]ドラマ『[[古畑任三郎]]』スタート。後にシリーズ化され、同局を代表するドラマシリーズに成長する。<br />
* 1997年(平成9年)3月 - 夕方ニュース戦争の幕開けだった『FNNスーパータイム』がついに終了し、『[[FNNニュース555 ザ・ヒューマン]]』へ移行と同時に開始時刻が夕方18:00から5分前倒して夕方17:55からの放送([[フライングスタート (テレビ番組)|フライングスタート]]移行)となる。<br />
* 2001年(平成13年)3月 - 『プロ野球ニュース』(第2期)の地上波での放送を終了。<br />
* 2003年(平成15年)10月 - フジテレビ開局45周年記念番組として、1978年に[[田宮二郎]]と[[山本學]]の主演で放送された社会派ドラマ『[[白い巨塔 (テレビドラマ 1978年)|白い巨塔]]』のリメイク版を半年間(2クール)にわたり放送。[[白い巨塔 (テレビドラマ 2003年)|リメイク版]]の主演は[[唐沢寿明]]と[[江口洋介]]。<br />
* 2005年(平成17年)1月 - お台場社屋からの主要生番組(『[[めざましテレビ]]』『[[情報プレゼンター とくダネ!|とくダネ!]]』『ニュース関係全般』など)が全てハイビジョン放送になる。<br />
* 2008年(平成20年) - 現在 韓国ごり押し報道が行われている。<br />
* 2011年、年間視聴率三冠王を2003年以来8年ぶりに[[日本テレビ]]に奪われる。2011年の年度視聴率においても、三冠王を日本テレビに奪われた。←'''ざまあみろ'''<br />
* 2012年、年間視聴率ではゴールデン、プライム、全日の全ての時間帯で3位に後退。2013年1月第4週(同月28日 - 2月3日)における全日帯の平均視聴率ではTBSに抜かれ4位に後退している。←'''あたりめぇだ、ドラマもろくに作れねぇんだから'''<br />
* 2014年[[7月14日]]からスタートした[[フジテレビ月曜9時枠の連続ドラマ|月9ドラマ]]『[[HERO (テレビドラマ)#第2期|HERO 第2シリーズ]]』が、[[文部科学省]]との[[タイアップ]]で[[道徳教育]]番組として位置づけられた<ref>[http://www.mext.go.jp/doutoku-hero/what.htm なぜ 道徳教育 x HERO ?] - 文部科学省ホームページ。</ref>。<br />
*2014年度を以て放送収入([[地上波]]放送における[[タイムCM]]と[[スポットCM]]の年度売上高の合計)でもついに日本テレビに追い抜かれてしまい、30年に渡り守ってきた放送収入民放トップの座から陥落した<ref>放送収入がフジの2013年度:233,316百万円→2014年度:231,121百万円に対し、日テレは2013年度:228,014百万円→2014年度:238,511百万円となり逆転した。</ref>。<br />
*2015年に入ると17年間放送された夕方のニュース番組『[[FNNスーパーニュース]]』と21年間放送された深夜のニュース番組『[[ニュースJAPAN]]』の打ち切りが相次いで発表される。春の改編でスタートした、及び時間帯を移しリニューアルした番組が、連続ドラマ枠を除いた全ての番組が視聴率一桁を記録する。<br />
<br />
===歴代社長===<br />
# [[水野成夫]](1957年設立〜1964年)<br />
# [[鹿内信隆]](1964年〜1968年)<br />
# [[浅野賢澄]](1968年〜1982年)<br />
# [[石田達郎]](1982年〜1985年)<br />
# [[羽佐間重彰]](1985年〜1988年)<br />
# [[日枝久]](1988年〜2001年)<br />
# [[村上光一]](2001年〜2007年)<br />
# [[豊田皓]](2007年〜)<br />
<br />
==社史概要==<br />
===1950年代〜1960年代===<br />
* [[1957年]]6月に、[[ニッポン放送]]、[[文化放送]]、[[東宝]]、[[松竹]]、[[大映]]らが免許を申請し、翌7月に予備免許が交付された。その後、事業体として同年11月、[[東京都]][[千代田区]][[有楽町]]一丁目7番地に資本金6億円で「株式会社''富士''テレビジョン」として設立(翌年12月に現在の商号に変更)。<br />
* 開局から[[1986年]](昭和61年)[[3月31日]]まではシンボルマークはチャンネルナンバー「8」を図案化したもの。([[関西テレビ放送]]や[[沖縄テレビ放送]]とは多少違う)ロゴは[[産経新聞]](当時はサンケイ)やニッポン放送の旧書体に似た旧フジサンケイグループ標準書体だった。<br />
* [[1959年]]1月に東京都[[新宿区]]市ヶ谷河田町7番地(後の新宿区河田町3-1)に本社ビルを完成させ(本社所在地の変更は[[1962年]])、同年3月1日に東京で3番目(開局順としては4番目だが、[[総合局]]と[[教育局]]の都合上現在は3番目)の[[テレビジョン放送局|テレビ局]]として[[放送]]を開始した(放送開始当時は映像出力10KW、音声出力2.5KW。[[1960年]][[1月17日]]に現在と同じ空中線電力となった。)。チャンネルは当初「[[1]]」を希望していたが、[[日本放送協会|NHK]][[NHK教育テレビジョン|教育テレビ]]→[[NHK総合テレビジョン|総合テレビ]]が獲得。『4』も既に[[日本テレビ放送網]]が、『6』もラジオ東京テレビ(KRT(現在の[[東京放送|TBS]]))が取得していたため、[[8チャンネル (テレビ)|第8チャンネル]]となった。これはのちに[[名古屋]]の[[東海テレビ]]で実現している。<br />
* [[1961年]][[4月1日]]、「[[きょうのプロ野球から]]」が放送開始。瞬く間に人気番組になる。翌[[1962年]]に「プロ野球ニュース」に改題。[[1965年]]に一旦終了。<br />
* [[1969年]]、フジテレビ労組で女子社員の25歳[[定年]]制の撤廃が議論される。同制度に抗議して全ての女子社員が赤いバラを胸に付けて抗議活動をした。同年、東京都地労委にあっせん申請。<br />
<br />
===1970年代〜1980年代===<br />
* [[1976年]]、「プロ野球ニュース」がキャスターに佐々木信也を迎えて放送再開される。アニメ・子供向け番組などでは注目されたが、全般としては、特に現代ドラマにおいて[[視聴率]]が低迷し迷走を極めていた1970年代を経て、1981年にそれまでの「母と子のフジテレビ」を改め、「'''楽しくなければテレビじゃない'''」というキャッチフレーズを打ち出した。面白い番組・視聴者の笑いを取れる番組を生み出そうという意識改革の[[スローガン]]であった。そこから[[横澤彪]]がプロデュースした『[[THE MANZAI]]』『[[オレたちひょうきん族]]』『[[森田一義アワー 笑っていいとも!|笑っていいとも!]]』など数々の人気番組が生まれていった。「'''軽チャー路線'''」(かる-ろせん)とも評された。<br />
* [[バラエティ番組]]中心の編成は結果として[[視聴者]]の支持を集め、1982年に「年間視聴率三冠王」(ゴールデン・プライム・全日でトップ)を獲得。その後「三冠王」は12年間続いた。<br />
* ただこの『軽チャー路線』が現在のバラエティ番組の『[[低俗番組]]』化を招き、日本の社会モラルが低下したとも言えよう。<br />
* [[1980年代]]後半の[[バブル景気]]時には、いわゆる「[[トレンディドラマ]]」が人気を博し、ゴールデン・プライム帯の視聴率を押し上げた。<br />
<br />
===1990年代===<br />
* [[1990年代]]前半には、『[[カノッサの屈辱 (テレビ番組)|カノッサの屈辱]]』など、深夜放送を中心とした人気番組が続々生まれた。しかし、1993年夏頃から「三冠王」のうちのいくつかをバラエティや巨人戦中継などの人気番組を持つ[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]に明け渡すようになってくると、その勢いも次第に衰えていった。1994年〜2002年には9年連続「年度視聴率四冠王」(ゴールデン・プライム・全日にさらにノンプライムを加えての表現)を[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]が達成した。<br />
* 1997年3月10日に東京都新宿区[[河田町]]から東京都[[港区 (東京都)|港区]][[お台場|台場]]のFCGビル(通称:フジテレビ本社ビル)に移転。新社屋の設計は[[丹下健三]]・都市・建築設計研究所、施工は[[鹿島建設]]。敷地面積21102.220m&sup2;、延べ床面積141825.438m&sup2;、地下2階 地上25階 塔屋1階。直径32[[メートル|m]]の球体展望室が印象的。収録に使用した道具や収録スタジオ([[V4スタジオ]])などが見られる見学者コースがあり、お台場周辺の観光スポットの1つになっている。ビル全体の“見た目サイズ”は[[ワイドクリアビジョン]]テレビの16:9をイメージしているとされる。<br />
* 建物は、低層部については公開スペースを1階に設け、スタジオを3階に設置するという珍しい構造で、高層部については「オフィスタワー」と「メディアタワー」の2棟を中央3フロアに合計6本ある渡り廊下(コリドール)が繋ぐ構造となっている。<br />
* かつてはメディアタワー棟22〜24階に、本社建て替え工事の間借りとして、系列ラジオ局のニッポン放送の本社があった(2004年9月6日にかつて本社があった千代田区有楽町に移転し、9月13日より全業務を開始した)。<br />
* 1999年にはイメージキャラクターの[[ラフくん]]が登場、2002年からは「'''[http://www.fujitv.co.jp/kikkake/ きっかけは、フジテレビ。]'''」の[[キャッチコピー]]で様々なキャンペーンを展開、毎年本社ビルで行われているイベントも名物となっている。不定期で社内を歩き回り、愛嬌を振りまいている。<br />
<br />
===2000年代〜===<br />
* 2003年度(2003年4月〜2004年3月)の調査では'''[[プライムタイム]]'''の視聴率が日本テレビを上回った。この結果[[2004年]]には「三冠」を日本テレビから奪還し低迷期から脱した。[[2004年]]度においては、「四冠」も獲得した。<br />
* 2004年度からはお笑い系のバラエティ番組だけでなく、『[[脳内エステ IQサプリ|IQサプリ]]』や『[[タモリのジャポニカロゴス]]』、『[[熱血!平成教育学院]]』などの教養系なバラエティ番組も多く制作しだした。これは今までこの様な番組を制作していた日テレよりも若干多くなっており、視聴率的にも成功している番組もあるが、低視聴率の番組も少なくない。<br />
* [[2008年]][[5月15日]]、フジテレビは2008年4月に施行の改正放送法に基づく『認定放送持株会社』制への移行を取締役会で決定した。<br />
** その概要は、現在の株式会社フジテレビジョンを純粋持株会社『株式会社フジ・メディア・ホールディングス (FUJI MEDIA HOLDINGS,INC.)』に商号変更、地上波テレビ放送事業は放送免許も含め、分社型新設分割方式によって新設する『株式会社フジテレビジョン(新設会社)』への移管・免許承継する予定。<br />
* 2008年[[6月27日]]、定時株主総会にて放送持株会社制への移行が承認された。今後、主務大臣の認可・法的な処理を実施の上、2008年[[10月1日]]から新体制に移行した。<br />
2016年4月。平日はみんな報道まですべて生放送になった<br />
<br />
==フジテレビお台場移転の経緯==<br />
[[1980年]](昭和55年)に掲げた「'''軽チャー路線'''」がようやく波に乗り出し、[[1984年]](昭和59年)には年間売上高も開局以来初めて[[キー局|在京キー局]]でトップに躍り出た。局舎の[[お台場]]移転構想が持ち上がったのはこのころである。<br />
<br />
当時の[[フジサンケイグループ]]議長[[鹿内春雄]]が、所用で当時はまだ更地だったお台場を訪れ「テレビ局を運営するなら[[建築物|ビル]]の林立した都心よりも、その都心を広々と見渡すことのできるお台場のような場所がいい」と考え、後のフジテレビ役員会議で提唱した。当時の[[東京都知事]][[鈴木俊一 (東京都知事)|鈴木俊一]]も「'''情報の集まる所に人は集まる'''」と考えており、「[[東京臨海副都心|臨海副都心計画]]を成功させるためにはお台場エリアに一大[[エンターテインメント]]も必要」という方針を打ち出していた。そのようなこともあり、かねてから親交が深かった春雄にフジテレビの誘致を積極的に行っていたことが、この移転構想へつながったと見られている。お台場は当時未開発の地であり、都心と比較しても地価が安く、用地も都から安価で提供してもらえたことも大きく影響した。<br />
<br />
当時は[[レインボーブリッジ]]や[[ゆりかもめ東京臨海新交通臨海線|ゆりかもめ]]はおろか、[[東京臨海高速鉄道りんかい線|臨海副都心線]]さえ開通していなかったことや、都心からも遠いこともあり、ほとんどの役員はお台場移転案に消極的であった。前述のように将来における民放の衛星放送への参画や、それに伴うスタジオの増設、局内のデジタル回線への変更などで当時の[[河田町]]の局舎では限界があったため、新局舎の建設が必要であることは役員の誰もが理解していた。このため、再三にわたる議論の末、<br />
# 河田町の局舎解体後、跡地に新局舎を建て直す案(移転不要案)<br />
# 都心に近くて広大な土地のある[[品川区]][[大崎 (品川区)|大崎]](現在の[[大崎ニューシティ]]やゲートシティ大崎がある[[大崎駅|JR大崎駅]]東口地区)への移転案<br />
# 春雄のお台場移転案<br />
の3つに絞られた。フジテレビの現場サイドも局舎そのものを観光名所にして、そこから新たな収益構造を作りたいという目的があったため、住宅地のど真ん中にある河田町では地理的に集客力に限界があり、この目的は達成できないとして1.の移転不要案は却下された。また、2.と3.を比べても、お台場は海沿いで眺めも良く、開発されつくした大崎エリアと比べても未開発で集客面でも将来性が大きかったことと、前述の地価の面でも大きく有利に動いた。これに加えて鈴木都知事の協力が得られたことにより、3.の春雄のお台場移転案が決定的になった。<br />
<br />
これを受け、春雄は局内に総合開発室を設置し、初代室長に当時取締役編成局長だった[[日枝久]]を抜擢。将来の台場新局舎の建設計画や用地取得、および衛星放送開始に備え、10年越しでの大プロジェクトを敢行し、現在の「お台場のフジテレビ」を築き上げた。また、これらのプロジェクトで費やした費用は10年間で実に数千億円に上ったという。<br />
<br />
==目玉マークの誕生==<br />
* [[目玉マーク]]を参照。<br />
<br />
==フジテレビの特記事項==<br />
* 他局での出演が少なく、フジテレビに好んで出演する[[芸能人]]や、フジテレビのことが好きな視聴者のことを、俗に「'''フジっ子'''」と言う。<br />
* ドラマ等の撮影は都内複数のスタジオで分散して行われていたため、それらのスタジオを集中・統合化する目的で本社から近い[[江東区]][[青海 (江東区)|青海]]に[[フジテレビ湾岸スタジオ]]を建設した。<br />
* 局舎は一つになっているように見えるが、実際はオフィスタワーとメディアタワーに大きく分かれており、その間をスタジオや見学者コース、「コリドール」と呼ばれる空中回廊で結ぶ構造になっている。<br />
* テロップのフォントは、フォント制作会社の[[ニィス]]と共同開発した物を使用している。これが先駆となって、他局や色々な印刷物にもこのフォントが使用されるようになった。<br />
<br />
==フジテレビの評価==<br />
* バラエティ番組やドラマは大変好評と称される局であるが、一方で報道番組や教養番組はバラエティ色を濃くしたものも多い事などから「[[報道2001]]」「[[ニュースJAPAN]]」以外の番組の評価は低い。しかし、[[1985年]][[8月12日]]の[[日本航空123便墜落事故]]では現場が特定困難であった山中から、翌日にTV上に最も早く事故現場の映像を流し速報を伝えたり、2003年12月14日の[[サッダーム・フセイン]]拘束のニュース速報を他局に先駆けて伝えた上に民放で唯一報道特番を組むなど、報道でも実績を残しているがさほど実績はない。後述するように最近は良く妖怪ウォッチの特集やっている。<br />
* 社員に有名人や[[クライアント|大手クライアント]]の子息や孫が多い。アナウンサーでは[[タレント]]・[[永六輔]]の娘[[永麻理]]アナ([[1993年]]退社)や[[俳優]]・[[竜崎勝]]の娘[[高島彩]]アナ、俳優・[[高橋英樹]]の娘[[高橋真麻]]アナ、元[[プロ野球]]選手・[[田淵幸一]]の息子[[田淵裕章]]アナなどがいる。アナウンサー以外にも元議長・[[鹿内信隆]]の孫の[[鹿内植]]や、[[中曽根康弘]]・[[村上勇]]の子息、[[大島渚]]の息子の[[大島新]]([[1999年]]退社)、[[宇津井健]]の息子の[[宇津井隆]]、[[遠藤周作]]の息子の[[遠藤龍之介]](同社取締役)、[[かまやつひろし]]の息子の[[TAROかまやつ]]も入社をしており、大手クライアントでは[[東宝]]や[[松竹]]、[[王子製紙]]の役員の子息や孫も入社している。これらに対しては、コネも実力の内という考えや、業務上の人脈確保などの観点から擁護する考えもあるが、放送業の公共性の高さゆえに批判もある。<br />
* インターネットを利用した一般新卒社員募集活動に熱心なテレビ局である。一般の四大卒応募希望者はエントリーから書類選考に相当する段階まで、メールアドレスを含むインターネット接続環境手段を持たないと応募はほぼ不可能である。また、サイト内採用情報(「こちらフジテレビ」)では、在籍社員のコメントも多種多様で充実していると称される。掲載内容ではアナウンサー職や制作職社員のコメントには秀逸なものも見受けられる一方、憧れのフジテレビに入社できたと歓喜のあまり極端に主観的なコメントを述べた社員を掲載してしまうこともある。過去には「面接で放送禁止用語(性器を表現する言葉)を叫んだところ受かってしまった」と豪語した国立大卒女性技術社員のコメントが掲載されていた(2003年度採用情報より)。<br />
* バラエティ番組では、女子アナをタレントのように扱うことが多く、クイズ番組等に回答者として自社アナを出演させる機会も多々ある(他の民放でも似た傾向はあるが、フジテレビはそれが顕著)。アナウンサーにタレント性を求めている影響から、入社以前に芸能活動経験をもつアナウンサーも多数在籍している。<br />
* それらのことから軽薄なイメージが強い社風であるが、一方で質の高いドキュメント番組も多く、放送関係の各賞の受賞回数は上位に位置する(代表的なのは[[NONFIX]]、[[ザ・ノンフィクション]]など)。<br />
* 軽チャー路線や[[トレンディードラマ]]などで1980年代以後の若者文化を牽引し、定着させた面がるが、その副作用として報道番組が軽薄の謗りを受ける面がある。[[正論 (雑誌)|正論]]路線を貫こうとする報道部門と、実利を追うドラマ、バラエティー部門には確執がある。報道部門は営業上の業績がドラマ部門・バラエティー部門の足元にも及ばず、「喰わせてもらっている」との負い目から、社内での発言力は極めて小さいとされる。<br />
* 在京キー局中、労働組合の活動状況や対経営側への影響力は最も弱いとも言われている。(民放労連会報・会員コメントより)<br />
* 2006年頃より、ネット上の各種コンテンツ掲載内容に関して敏感になってきている。<br />
=== 実態 ===<br />
* 他局同様放送の結果生じた損害について一切責任を負わず、放送内容の合法性、正確性、安全性等、あらゆる点において無保証であり、偏向報道や虚偽報道を対処せずに放置した上更に運営者自らがそれをやるなど、法に根本から違反することを日常的に行っていて、実態はソマリアのような無法地帯である糞テレビ局であり、犯罪組織である。現在、一般的にはNHKや朝日新聞を遥かに越える糞で犯罪者養成所で何の役にも立たない極悪超低欲犯罪者集団による危険極まりない悪徳テレビ局として有名である。 <br />
* フジテレビの真の目的は全ての放送ネットワークを恐怖支配し、マスメディアを完全に無法地帯化させることである。フジテレビ側は理想の視聴者像について、他局にはない質の高い番組及び世界で一番楽しめる番組を制作するのを理想としている。と述べているが、実際は現状のキチガイ社員を大歓迎していて理想だと思っており、むしろ当局が理想と述べている社員達が、ワンマン社長や数々の極悪社員共により粛清(解雇)されるということから、これは完全なる事実である。 そのため、ネット界隈を中心とした一部の人々からは'''ウジテレビ'''等とも呼ばれ、フジテレビやスポンサー企業に対し大規模な反フジデモが数度に渡って行われ、株主総会でも疑問視する質問が出ている。<br />
* 開局時から現在にかけて、偏向報道や虚偽報道、捏造報道が常に報じられており、 主要な社員はカルト信者や在日韓国人、犯罪者であり、また何らかのオタク、変質者でもあり、フジテレビ自体も、自己満足の為に社員がやりたい放題行う何かである。<br />
* その中でも特に一部の社員は、フジテレビの真の目的やらせや捏造を懲りなく繰り返したり、存在が不必要な番組の制作、視聴者いじめに専念する者も居る。その他にも、自分の私欲を満たす為に、視聴者を馬鹿にした番組を制作したり、自分に都合の良いように、低俗番組を乱立させたりしている。その様な無法地帯に暮らし続け、もはや人とは言えなくなり、完全にケモノと化した何かも存在する。人はそれをフジッ子と呼ぶ。また、もう何かとも言えなくなった、特異的な異常性を持つ産業廃棄物と化した人が集まるサークルをフジテレビクラブと呼ぶ。 そして、放送される番組も、混純が嘘と真実と問題行為を内包しているのと同様に、一応の客観的合理性を含むため、一部では放送された内容が、全面的に信頼に値する内容であると誤解されるが、スタージョンの法則によれば、その99%までもがカスとクソとバカの塊である。 また、ITMediaの調査によると、フジテレビ社員の99%は、老害、平和ボケ、アニオタ、キモオタ、キチガイ、パヨク、DQN、犯罪者、精神障害者、声豚、性欲に満ちた野獣、バカ、空気解読性障害者、発達障害者、誹謗中傷制御障害者、ADHD、ダウン症候群、韓国人、チンパンジー、給料泥棒、ヤクザであるという、社員層も他局では見られない特異的な異常性。このことから、もはや、放送番組の信憑性など皆無に等しいだろう。 <br />
* フジテレビ側は、フジテレビの質は世界一であり、放送される番組の内容は嘘一つ無い完全なる事実であると主張しているが、これは大きな誤りであり、事実とは全く異なる自分の都合を良くする為の大嘘や批判目的の嘘が報じられたニュース(フェイクニュース)が多数存在する。特に悪天候関連のニュースはその代表格である、実際の悪天候は海水温の上昇やエルニーニョ・ラニーニャ(ENSO)等による気候変動等が要因で起こり、地球環境問題の世紀といわれる21世紀では当然の現象である。しかし、フジテレビによると悪天候は魔物であり、イスラム過激派による襲撃事件よりも遥かに恐ろしいものであり、まるで戦争だといった批判や自分の都合の良いようにする為の毎日新聞やNHKよりも酷い大嘘が報じられている。この事から、フジテレビは自分の偏った思想や価値観を押し付け、それが事実と異なれば平気で悪意あるウソを吐く何かであり、もはや報じられている話題等いわゆる便所の落書き、或いはチラシの裏程度のものなのであろう。 <br />
* また、保守派が多く住み着いている為、多数右翼的なニュースが報じられている他、共同通信等出身等の革新派も複数いる。同局の討論番組内に於いては現状、保守派と革新派が相互に悪口・誹謗中傷を繰り返している。その為、特に政治・外交関連の討論では保守派と革新派による野次・誹謗中傷・罵声などが酷く、これらの政治討論は毎日新聞など他のマスコミからウヨサヨ罵声大会と言われ、揶揄されている。このように偏向した政治思想によるニュースが多々報じられているが為にウヨサヨによる無駄な野次や罵声が行われているにも関わらず、局が一向にこのようなゲストを出禁にしない為、日夜偏向的なニュースが報じられては罵声大会が起こり、同社の信用を落とすに至っている。これは自称中道派である同社による陰謀と奴の脳から発せられる怪電波の影響と言われるが正体は定かでは無い。<br />
* また、フジテレビのアナウンサーやディレクター等の約半分は、自己中、引きこもり等の社会的に障害が出る何らかの妖怪に取り憑かれており(低予算番組で済ませようとする内向的な考えの持ち主が多い)、非常に危険である。(テレビで当チャンネルを)見れば貴方も取り憑かれる。そもそもフジテレビがこのような条件・状態になったのは前述のように偏向報道や虚偽報道を繰り返した結果であり、自分達が悪い癖して、フジテレビは全て妖怪のせいにしている。そもそもこれを提唱した同社社員が精神障害者である可能性もあるが、気にしてはいけない。というより、自分達の責任を妖怪に転轍させるような同社社員のこの考え自体が子供っぽい、同社社員の大半は恐らく非常に幼稚であるのだろう。同時にこの事実は、フジテレビ社員が妖怪ウォッチの信者である事を露骨に表している(前述のように妖怪ウォッチの特集を最近はしばしば行っている)。これらの事実からフジテレビには、反日主義者が住み着いており、日本を著しく嫌っている可能性も極めて高いとの考察をする事が可能である。最早、彼らが右派か左派かさえも不明である。 <br />
* つまり、フジテレビ社員はもう完全に人とは言えなくなった獣物や怪物、ケモノであり、フジテレビはその恐ろしい集合体である事が反映されている。 <br />
* また、放送法に抵触しないならという自己中心的で閉鎖的な独自ルールで固めている為、経営陣及び、上層部、運営側に取って思想や意に反していたり、都合の悪いニュースは報じない他、別の都合の良いニュースに差し替える。また、都合の悪い視聴者の公式BBSを書き換えたり、その当事者を罵ったりする。 <br />
* 経営陣は、自分達や運営者に都合の良いニュースは、情報の信憑性や自由性等を求め、やらせ・捏造をほったらかす癖に、自分達や運営者に都合の悪いニュースには聞きたくない事等を理由に一切触れない場合が多い。全く自己中心的な奴らだ。果てにネットでは[[ブラック企業]]呼ばわりされる有様である。 <br />
* これらのことからフジテレビの主要な文化は主に捏造である。他局ではこんなもの全くもって文化とは言えないが、フジテレビでは立派な文化である。 同局は、「私達は一切捏造をしていません」と身勝手に主張しているが、同局のニュース番組にて前述のように気候変動を馬鹿にした他、同局自ら捏造は文化であると発言しており、話が矛盾している。 なお、同局はテレビを低俗にした全ての元凶である。非常に悪い奴だ。<br />
* 最早、TBSやNHK以下のどうしようもないテレビ局に成り下がった。<br />
* この現状を象徴するかのように、最近(2011年度以降)は[[伊藤利尋]]<ref>[http://www.47news.jp/CN/201205/CN2012051501002059.html フジ伊藤利尋アナが接触事故]共同通信 2012年5月15日</ref>や千野志麻らの交通事故やドラマプロデューサーの酒気帯び運転<ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXNZO41769030U2A520C1CC1000/ フジテレビ社員を逮捕 酒気帯び運転などの疑い、警視庁 ]日本経済新聞 2012年5月24日</ref>、社員のタクシー運転手への暴行<ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2201D_S2A520C1CC0000/ フジテレビ社員を逮捕 タクシー運転手に暴行容疑 ]日本経済新聞 2012年5月22日</ref>、フジテレビ『スーパーニュース』の信号無視<ref>[http://getnews.jp/archives/137077 「いっちゃおいっちゃお」と音声確認]ガジェット通信 2011年8月23日</ref>など、交通関係のトラブルが多発している。<br />
* TBSやNHK、日本テレビ等の他局の高視聴率番組はビデオリサーチの視聴率ランキングにすぐ出るにも関わらず、フジテレビは非常に出辛い(ランキングに一つも入っていない場合もある)。経営陣は「数字を調査する会社が一方的に差別している。」と主張しているが、そもそもフジテレビ自体が悪徳商法行為ややらせ・捏造等の犯罪行為等の宝庫となっている為、ビデオリサーチも近づけたくない筈であり、視聴率ランキングに同局の番組が出ないのは当然なのである。<br />
* このような行為が日常的に行われた結果、フジテレビは最早アングラ・スラム街・世紀末といった世相を成すようになり、2016年には月9ドラマ「[[いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう]]」にて物語で描かれた介護現場に関して日本介護福祉士会から因縁をつけられてしまい一触即発の危機に陥るが、極悪経営陣は一向に反省の態度を見せておらず、未だ膨大な数のやらせや捏造が放置されている。 <br />
* これらの事から包括してフジテレビは、自分達の都合のいいように身勝手に事実を折り曲げ、視聴者に対して、やらせや捏造は犯罪ではない、偏った価値観を持てという考え方や、カルト宗教への勧誘・洗脳を行ったりして、世の中を偏向と邪悪と独裁による反社会的な恐怖支配を行う為の会社であると結論付けられる。<br />
==== 視聴率挽回を目指しての会長・社長交代 ====<br />
前述のように視聴率低迷が囁かれる中、[[2017年]][[5月9日]]に社長の[[亀山千広]]と会長の[[日枝久]]の退任を発表し、[[6月28日]]に新社長に[[岡山放送]]社長・[[BSフジ]]社長を歴任した[[宮内正喜]]、新会長に[[フジ・メディア・ホールディングス]]社長の[[嘉納修治]]が就任した。<br />
* 『[[バイキング (テレビ番組)|バイキング]]』の7月の月間視聴率が5.9%を記録し、同時間帯初の横並び3位になり後続の『[[直撃LIVE グッディ!]]』も月間視聴率が2時台の第1部で過去最多タイとなる4.2%、3時台の第2部も過去最高の3.7%を記録した。さらに『[[めざましテレビ]]』に至っては、6時10分からの第2部の視聴率が9.3%を記録し[[2016年]][[1月]]以来、1年半ぶりに横並び1位を奪還した<ref>[http://www.sankei.com/entertainments/news/170731/ent1707310004-n1.html フジ系情報番組の視聴率が好調 「めざまし」「グッディ!」「バイキング」]</ref>。<br />
* 同年7月にスタートした『[[コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命-]]』(3rd season)は第1回の視聴率は16.3%を記録して以降も10%台の高視聴率を記録しており、社長の宮内も「素晴らしいスタートを切ることができました。札幌地区、名古屋地区などでは20%超え。タイムシフト視聴率も初回9.9%と多くの方に見ていただけた」と褒めたたえ<ref>[http://www.hochi.co.jp/entertainment/20170728-OHT1T50115.html フジ宮内社長、「コード・ブルー」16・3%に「素晴らしいスタート」]</ref>、「シリーズを重ねるごとにキャスティング、出演の皆さんの熟成度が上がってきているのが視聴者に受け入れられているのではないか」と好調の理由を分析し、同時に「系列局から雰囲気が変わったという言葉もいただいた。いい方向に向いている」とし、「今年の10月期、来年の4月期、10月期まで見越して低迷している視聴率をなんとか底上げをはかりたい。現場からいままでにないようなアイデアも出てきており、現場も私の意を介してくれているのではないかと考えている」と手応えを語った。 <ref>[https://mainichi.jp/articles/20170728/dyo/00m/200/010000c 「コード・ブルー」好調 「社内のムードよくなってきている」]<br />
</ref><br />
<br />
=== スポットCM大幅ダウン(2012年11月) ===<br />
最近、大手[[広告代理店]]営業関係者の間で、フジの営業的落ち込みを心配する声が広がっている。 <br />
<br />
具体的には上半期(2012年4~6月)のスポットCM。それまで毎月平均110億円前後の売り上げがあったが、2割前後も落ちていた。10月も前年同期比で81.9%。下半期(202年10月~2013年3月)が始まって、いきなりこの低い数字だ。そして11月はやや持ち直しているが87%である。 <br />
<br />
額では、10月は約90億円、11月が95億円程度と2カ月で35億円の落ち込みである。「1カ月平均で約18億円減。これを1年通しだと、ざっと見積もって200億円の減になる。フジの年間経常利益分が吹っ飛ぶ計算になります」(テレビ事情通) <br />
<br />
こうした結果になったのも、フジの視聴率が3位に転落したからだ。 <br />
<br />
その原因は3つほどある。まずは体質に“奢り”が感じられる点だ。昨夏、『電凸デモ隊』に包囲され抗議文を突きつられた時の対応がそれ。けんもほろろといった態度にはあきれてしまう。デモ隊も視聴者であることを忘れている。 <br />
<br />
フジ製作のヒット映画『[[海猿]]』の作者・[[佐藤秀峰]]氏もフジの傲慢さには激怒している。映画の宣伝と称し、アポ無しで事務所まで突撃取材を受けた。フジの傍若無人な振る舞いには抗議したそうだ。 <br />
<br />
最近では、映画『海猿』関連書籍が契約書なしに販売されていたこともあったという。佐藤氏は「フジテレビさんは信頼に値しない企業であると判断したため、今後は一切新規の取り引きはしないことにした」と絶縁状を叩きつけたといわれる。 <br />
<br />
ソフト制作面でも問題がある。番組面で吉本興業との軋轢が続いていたのだ。フジはフジ・メディア・ホールディングス名義で12.13%の吉本株を所有している筆頭株主。 <br />
<br />
それを背景に7月期クールで、[[ダウンタウン]]のようにギャラが高くて低視聴率の『[[HEY!HEY!HEY]]』など一連の吉本銘柄番組を切ろうとしたが、吉本の抵抗などで延び延びとした。終わる番組にはあまり金をかけないのがテレビ局。そのためいい加減な出来になり、視聴者離れが加速したとみることができよう。<br />
<br />
=== 視聴率3位と低迷期からなかなか抜け出せない(2013年1月) ===<br />
視聴率3位と低迷期からなかなか抜け出せないフジテレビだが、同局の将来は「2人の名物プロデューサー」の双肩にかかっている――と期待を込めるフジ関係者は少なくない。 <br />
<br />
フジの持ち株会社「フジ・メディア・ホールディングス」がグループ内にVC(ベンチャーキャピタル)を設立した。今後、SNS(交流サイト)やEC(電子商取引)企業への投資を加速させるという。<br />
<br />
放送業界によるインターネットの積極活用は今さら珍しくもないが、VCの社長に就いたのが[[亀山千広]]常務だったことで、業界内の注目度は俄然高まった。<br />
<br />
亀山氏といえば、自らプロデュースした『[[あすなろ白書]]』や『[[ロングバケーション]]』、そして『[[踊る大捜査線]]』といったドラマでことごとく高視聴率を叩き出し、2003年には新設の映画事業局局長に栄転。近年は『[[海猿]]』や『[[テルマエ・ロマエ]]』の映画を手掛けて、1本70~80億円と記録的な興行収入を上げたヒットメーカーだ。<br />
<br />
そんな局にとって貴重な“稼ぎ頭”が、なぜ畑違いの新規事業を託されたのか。 <br />
<br />
「『海猿』は原作者とケンカして終わり、『踊る~』は現場の軋轢によってファイナルを迎え、シリーズ映画で亀山氏の活躍する土壌がどんどん狭まってきている。<br />
<br />
そこで“世界の亀山モデル”と揶揄された、CMを大量投下してヒット作を生み出す彼の広告手腕を生かして、ネットの新しいビジネスモデルを築いてほしいというのが社長の意向でしょう」(フジ社員)<br />
<br />
だが、これまでフジはまったくネット事業に無関心だったわけではなく、むしろ積極的にネットとの親和性を高めてきた。番組に対するツイートが投稿できる自社SNSサイトの「イマつぶ」は、会員登録数が100万人を突破。他社との連携では、グーグルと組んでユーチューブで番組配信をしたり、グリーと業務提携して番組連動のソーシャルゲーム開発をしたりと、収益拡大の布石は着々と打っている。 <br />
<br />
放送評論家の金沢誠氏も、フジの改革意欲を評価する。<br />
<br />
「視聴率低迷で100億~150億円の広告収入減になったとの噂もある中、フジはもはや地上波だけでは生き残れません。そこで、放送外収入の食いぶちとして、有望市場のソーシャルゲームや携帯アプリの開発に種を蒔いてきた意義は大きいといえます」<br />
<br />
=== フジテレビ関係者も呆れた「アゲるテレビ」視聴率1%台、ミヤネ屋と勝負どころか、テレ東の午後のロードショーさえ下回る惨状 ===<br />
「放送から3回目で、早くも視聴率は1%台に低迷。[[ミヤネ屋]]と勝負するどころか、[[テレビ東京]]の『[[午後のロードショー]]』さえ下回る惨状ですよ」 <br />
<br />
フジテレビ関係者も呆れた。放送開始直前、[[大塚範一]]キャスター(64)の[[白血病]]再発が報じられ、図らずも注目された平日昼の新番組「[[アゲるテレビ]]」。 <br />
<br />
若手の局アナを代わりに立ててスタートしたが、早くもつまずいた。初回(4月1日)から2.1%と深夜番組並みの数字で、翌日こそ3%台と上向いたが、再び急降下。第1部の全国ネットで1.9%を出したのだ。 <br />
<br />
番組は茶の間の主婦の気分を“アゲアゲ”にする最新や最先端の情報を紹介するという触れ込み。元日テレアナで フリーの[[西尾由佳理]](35)と、フジの[[中村光宏]]アナ(28)がMCを務め、日替わりで「アゲメン」と称する企業社長や気鋭の起業家が登場する。 <br />
<br />
番組を見た[[コラムニスト]]の[[桧山珠美]]氏は、「低視聴率で打ち切りとなった『[[知りたがり!]]』と、なーんにも変わらない。失敗がこれっぽっちも生かされていない」と、指摘した。 <br />
<br />
「[[住吉美紀]]で懲りたはずなのに、同じようにデキる女気取りの西尾を起用するあたりからしてダメ。ああいう隙のないタイプは、主婦受けがいいとは思えません。アゲメンのネーミングも視聴者をバカにしている感じ。東大卒というブランドだけで選ばれたと思わせる、名の知れない若手落語家が 天気予報を読むのもどうしたものか。キャラ弁や料理レシピサイトを紹介した特集もヒドかった。手あかのついた企画や情報ばかり。放送中に『アゲる』を連呼するもんだから、懸賞番組かと期待する人もいたはず。看板に偽りありとはこのこと。気分はダダ下がりでした……」 <br />
<br />
大塚キャスターは再入院し、治療に専念中。本人も血縁者も高齢で骨髄移殖は困難という報道もある。すぐの復帰は見込めないし、いざ回復しても、番組があるのか疑わしくなってきた。ま、戻っても地獄か。<br />
<br />
=== 「制作費数億円『女信長』視聴率20%を目指す!」 → 8%の大爆死! ===<br />
フジ討ち死に 天海「女信長」視聴率1ケタ<br />
<br />
[[ナイナイ]][[矢部浩之]](41)と元[[TBS]][[青木裕子]]アナ(30)の“披露宴”を生中継した[[2013年]][[4月6日]]の「[[めちゃ×2イケてるッ]]」が、瞬間最大視聴率22.9%をマーク。低迷中だけに大喜びかと思いきや、フジ関係者の顔は浮かない。めちゃイケのすぐ後に放送した[[天海祐希]](45)主演の特番ドラマ「[[女信長]]」が、なんと視聴率1桁台と大惨敗だったからだ。<br />
<br />
5、6日の2夜連続放送。キャストも超豪華でTBSドラマ「とんび」で“視聴率男”となった[[内野聖陽]](44)、[[小雪]](36)や[[西田敏行]](65)らが脇を固めた。<br />
<br />
「映画さながらのキャストで、制作費も数億円。社運を賭けた一大プロジェクトだった」なのに、平均視聴率は5日が8.9%で6日は8.7%。特に第2部は“めちゃイケ効果”に加え、日本列島を[[爆弾低気圧]]が通過し在宅率が高いと思われただけに、この数字は衝撃的だ。ちなみに同時間帯トップは[[テレビ朝日]]の[[土曜ワイド劇場]]「タクシードライバーの推理日誌 殺人ツアーの乗客」で16.2%だった。<br />
<br />
「[[日テレ]]にもTBSにも惨敗。危うく[[テレ東]]『[[出没!アド街ック天国]]』の8.3%にも負けるところだった。放送前は『20%超えを目指す』と鼻息も荒かったのに、すっかり意気消沈して、お通夜状態」<br />
<br />
敗因についてネットでは、[[織田信長]]を演じた天海の「ヒゲが似合っていなかった」「演技が[[宝塚]]みたいでクサかった」という声がある。いくら天海が男勝りな配役で同世代女子から支持されているからといって、信長を演じるのはさすがに無理があったんじゃない?<br />
<br />
=== 株主「『韓流押し』が視聴率低下につながっている」→太田副社長「ニーズがあるから放送してきた。低迷と韓流は無関係」(2013年7月) ===<br />
フジは時代に取り残されてしまった?「[[韓流]]押し」「懐古主義」に不満の声<br />
<br />
株主からの質疑でも「フジテレビはもう、時代に取り残されてしまった」という視聴率低迷に対する批判が多かった。これに対する会社側の回答は次のようなもの。 <br />
<br />
「短期的にはドラマ、中期的にはバラエティ、中長期的には報道情報番組をテコ入れしていく。4月の番組改編以降、1~3月期よりも視聴率は上がっているので、反転攻勢に向かっている」(太田副社長) <br />
<br />
番組の内容についても株主の不安は大きく、北海道から来たという株主とのやり取りはこんな風だった。<br />
<br />
「『韓流押し』が視聴率低下につながっているのではないか。ネットではフジテレビの韓流押し批判が続いている。そういう批判が結果的に企業価値を落としているのではないか」 <br />
<br />
「今はかなり減っている。韓流ドラマや[[K-POP]]もニーズがあるから放送してきた。数字の低迷は金属疲労みたいなもので、韓流とは関係ない」(太田副社長)<br />
<br />
=== フジ関係者 「視聴率首位の週は全社員に1万円配られた」「あの頃の勢いが信じられない……」 ===<br />
8月の視聴率戦争でフジテレビが2部門で4位に転落。テレビ業界が騒然としている。<br />
<br />
「テレビ界にトップとして君臨していたフジが4位に転落しようとしている。フジの全盛期を知っているテレビマンにとっては信じられない事態です。80年代後半からテレビ界はフジが引っ張ってきたも同然ですから。いくらなんでもここまで落ちるとは……」(ベテラン放送記者)<br />
<br />
フジは82年から93年までの12年間連続して「3冠王」を達成。この頃が第1次黄金時代だ。80年に就任した[[鹿内春雄]]副社長(当時)の号令のもと軽チャー路線で、「[[オレたちひょうきん族]]」(81年)、「[[笑っていいとも!]]」(82年)、「[[夕やけニャンニャン]]」(85年)など次々とヒットを飛ばした。<br />
<br />
また、80年代後半から90年代初頭にかけては「[[君の瞳をタイホする!]]」「[[東京ラブストーリー]]」「[[101回目のプロポーズ]]」などの[[トレンディードラマ]]で若者の心をガッチリわしづかみにした。<br />
<br />
「視聴率が首位の週には決まって全社員に1万円が配られ、お祭り騒ぎでした」(フジ関係者)<br />
<br />
その後、94年から03年までの10年間は[[日テレ]]にトップを譲るが、04年から10年までの7年間「3冠王」を奪還、第2次黄金時代を築いた。<br />
<br />
2011年は「[[家政婦のミタ]]」の大ヒットがあり、日テレに8年ぶりに奪い返される。そして、2012年は[[テレビ朝日]]が躍進し、万年4位から首位に。フジはこの段階で3位に転落したが、いまやかつてのテレ朝のポジションに沈もうとしている。<br />
<br />
「親会社のフジ・メディア・ホールディングスは近い将来、お台場を舞台に展開される見込みのカジノビジネスの準備に熱心です。ただ、もともとドラマやバラエティーには強く、再浮上の可能性は十分ありますが。今後の攻めが注目されます」(芸能評論家の金沢誠氏)<br />
<br />
[[亀山千広]]新社長も頭が痛いはずだ。<br />
<br />
=== フジ社員「ケチのつき始めは韓流偏向抗議デモだった。あの時まともに対応していれば、ここまで嫌われることはなかった」 ===<br />
フジテレビの人気バラエティ番組『[[ほこ×たて]]』で[[やらせ]]演出が発覚した問題について、当のフジテレビ社員たちの間でも賛否の声が上がっている。<br />
<br />
中堅ディレクターA氏が語る。<br />
<br />
「正直、対決の順番を入れ替えたり、ゆっくりと車を走らせてもらうぐらいのことは日常的に行なわれている演出のひとつ。これをやらせと言われたらキツい。ただ、[[ラジコンカー]]を強引に負けさせたことと猿の一件はやりすぎ。モラル的に許されないでしょう」<br />
<br />
一方、若手社員B氏はこう話す。<br />
<br />
「フォローが甘かったんだと思う。過去に2回、ラジコンの人が“過剰な演出”を受け入れてくれたから、今回も大丈夫だとタカをくくっていたんじゃない?丁寧に交渉すれば、こんな結果にならなかったはず。もったいない」<br />
<br />
まるで運が悪かったと言わんばかりの口ぶり。ふたりともどこか他人事である。<br />
<br />
やらせといえば、[[2007年]]に下請けの制作会社がデータを捏造して打ち切りになった『[[発掘!!あるある大事典?]]』([[関西テレビ]]制作)が思い出されるが、『ほこ×たて』も制作会社に丸投げだった。<br />
<br />
「現場が演出に頼りたくなる気持ちはわかります。今のバラエティ番組は、スタジオ収録に合わせてロケが組まれることが多い。それまでにネタを決め、ギリギリのスケジュールで撮影しないといけないんです。特に今回はアメリカまでロケに行っているから、制作会社としては『面白いものが撮れませんでした』とは絶対に言えない」(ある番組制作会社社員)<br />
<br />
それにしても、フジテレビはここ最近、パッとしない。2013年8月に放送された『[[FNS27時間テレビ]]女子力全開2013』の「生爆烈お父さん」コーナーが[[BPO]](放送倫理・番組向上機構)で問題視された。<br />
<br />
「2010年まで7年連続で視聴率三冠王だったのに……。今思えば、ケチのつき始めは2011年の韓流偏向抗議デモだったのかな。あのとき、まともに対応していれば、ここまで嫌われることはなかったはず。当時は社内の誰もが、あれを視聴者の声だと思っていなかった」(前出・A氏)<br />
<br />
[[上智大学]]新聞学科(メディア論)の[[碓井広義]](うすい・ひろよし)教授が指摘する。<br />
<br />
「フジの番組作りを見ていると、いまだに自分たちが時代をリードしていると勘違いしていて、さらに視聴者を見下しているフシがある。今回のやらせが顕著な例。過去の栄光にすがり、成功体験の権化みたいな人たちがトップに居座っている限り、体質はまだまだ変わらないんじゃないでしょうか」<br />
<br />
==フジテレビ制作番組==<br />
フジテレビ制作の番組については、[[フジテレビ番組一覧]]を参照。<br />
制作セクションは編成制作局にあり、第三制作部までに分かれていた。ドラマ制作センター(旧・第一制作部、[[英語]]ではdivision1→[[ディビジョン1]])はドラマ、バラエティ制作センター(旧・第二制作部)はバラエティ・音楽番組、情報番組センター(旧・第三制作部)はドキュメンタリー・情報番組などを作っている(2002年7月に第三制作部は生活情報局に移行、2004年6月に情報番組センターに改称)。また、報道特番については[[フジニュースネットワーク#報道特別番組|FNN系報道特別番組]]を参照。<br />
<br />
===ニュース・情報===<br />
『[[FNNニュース]]』、『[[FNNスピーク]]』、『[[FNNスーパーニュース]]』、『[[ニュースJAPAN]]』などの[[報道番組|ニュース番組]]を報道局が制作。『[[めざましテレビ]]』、『[[情報プレゼンター とくダネ!]]』などの[[情報番組]]や[[ワイドショー]]番組は、情報制作センター(旧・第三制作部)が制作している。フジテレビ以外の系列局の映像には、当該系列局名のテロップが入る。(ただし、[[とくダネ!]]など一部の番組を除いて、[[2005年]]4月以降、当該系列局名のテロップは廃止された。現在は、画面左下に『FNNNEWS』と入り、その横にその[[ニュース]]の[[取材]]場所などが表示されるようになっている。これは、フジテレビ、それ以外の系列局の[[取材]]に関係なく表示される。)<br />
<br />
===スポーツ===<br />
『[[すぽると!]]』、『[[ジャンクSPORTS]]』、中継番組全般をスポーツ局が制作。また、レーベル表記は「[[FUJI NETWORK SPORT]]」を2001年10月より使用(2005年4月より中継番組のみの使用)。<br />
* 1987年以来、[[フォーミュラ1|F1]]世界選手権を放送しており、日本グランプリの[[冠スポンサー]]でもある。その他、[[バレーボール・ワールドカップ]]、[[世界柔道選手権大会|世界柔道選手権]]([[2003年]]・大阪大会以後)もフジテレビ系列の地上波独占中継である。<br />
* [[FIFAコンフェデレーションズカップ]]など[[国際サッカー連盟]](FIFA)公認のナショナルチーム同士による国際大会([[FIFAワールドカップ|W杯]]は除く)は、フジテレビ系列および[[Japan News Network|TBS系列]]が共同放送制作している(2004年アテネオリンピックのバレーボール最終予選もフジ・TBSの共同製作だった)。2007年の大会はフジテレビ系列独占放送となる。<br />
* かつては[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]中継は[[清水エスパルス]]や[[鹿島アントラーズ]]などの主催試合を中継していたが、2002年以降は[[Jリーグカップ|ヤマザキナビスコカップ]]決勝のみの中継となっている。<br />
* 開局の1959年以来、[[スーパー競馬|中央競馬]]の日曜[[東京競馬場|東京]]・[[中山競馬場|中山]]および夏季ローカル開催のメインレース中継を放送している。また、「フジテレビ賞[[スプリングステークス]]」の冠スポンサーにもなっている。尚[[2005年]]の[[菊花賞]]では初めて[[関西テレビ放送|関西テレビ]]との共同制作で中継された。(従来の[[京都競馬場|京都]]・[[阪神競馬場|阪神]]の中継は関西テレビが担当している。)<br />
* 格闘技は前述の世界柔道選手権の独占中継をはじめ、[[日本大相撲トーナメント]]の主催・中継を行っている。[[ボクシング]]中継では[[ファイティング原田]]、[[輪島功一]]らの国民的スターを輩出し、現在では「[[ダイヤモンドグローブ]]」で月1回の放送を実施している。プロレスでは過去に[[全日本女子プロレス]]の中継や[[WWE]]の日本語版放送を実施してきた。さらに現在では[[K-1]]や[[PRIDE]]の中継放送や格闘技専門番組「[[SRS (テレビ番組)|SRS]]」を放送している。しかしPRIDEに関しては、2006年6月にPRIDE主催側に契約違反があったとして、放送の打ち切りを発表している。<br />
<br />
===バラエティ===<br />
バラエティ制作センター(旧・第二制作部、[[港浩一]]バラエティ制作センター室長がチーフとなり[[吉田正樹]]部長らが所属)が制作している。主に『[[森田一義アワー 笑っていいとも!|笑っていいとも!]]』、『[[めちゃ×2イケてるッ!]]』など。『[[ネプリーグ]]』、『[[クイズ!ヘキサゴンII]]』等の[[フジテレビ番組一覧#クイズ番組|クイズ番組]]や、『[[ライオンのごきげんよう]]』等の[[フジテレビ番組一覧#トーク・討論番組|トーク番組]]もバラエティ制作センターで制作している。<br />
<br />
スポンサー料の安い深夜・早朝枠は、逆に「視聴率を稼がなくても良い」と解釈され、実験的な番組が多数作られた。1987年10月改編で正式に「24時間放送」を開始、「プロ野球ニュース」終了後以降の深夜枠に「JOCX-TV2」という「ゾーンタイトル」を付加、社内組織的にも編成局内に「深夜の編成部」なる深夜編成担当チームが組まれ、ゾーンタイトル独特のタイトルバックがさらに人気を高めた。これらの枠から人気を博した番組に「[[カノッサの屈辱]]」「[[ウゴウゴルーガ]]」「[[Flyer TV]]」がある。<br />
<br />
深夜枠のゾーンタイトルでは「[[JOCX-TV2]]」以降、「JOCX-TV PLUS」「JOCX-TV GARDEN」「MIDNIGET TV PLUS」「[[JUNGLE]]」「音楽美学」など、深夜枠内共通のゾーンジングルが1990年代後半まで付加されたが、編成方針の変更により「深夜の編成部」が廃止され、「ゾーンタイトル」など「深夜枠」という特定のカテゴリー自体もこれをもって廃止された。<br />
<br />
===音楽===<br />
バラエティ同様、バラエティ制作センターが担当。『[[HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP]]』『[[新堂本兄弟]]』『[[ミュージックフェア|MUSIC FAIR21]]』などは[[きくち伸]]プロデューサー率いる[[音組]]が担当している。バラエティと化しつつある音楽番組の中で、唯一質の高い音楽番組が、30年以上の歴史を誇る[[ミュージックフェア]]である、([[石田弘]]エグゼクティブプロデューサー役員待遇)が長く担当し、提供に[[シオノギ製薬]]で長寿番組として現在もミュージックフェア21として放送されている。<br />
<br />
===ドラマ===<br />
ドラマ制作センター(旧・第一制作部)が制作している。<br />
現在、ドラマを放送している時間帯(以下[[日本標準時|JST]])は[[フジテレビ月曜9時枠の連続ドラマ|月曜午後9時]](月9)、[[フジテレビ火曜9時枠の連続ドラマ|火曜午後9時]]、[[木曜劇場 (フジテレビ)|木曜午後10時]]、[[フジテレビ土曜11時枠の連続ドラマ|土曜午後11時]](2007年4月から)の4枠。<br />
* [[日本のテレビドラマ一覧]]<br />
<br />
===アニメ===<br />
日本初の[[テレビアニメ]]『鉄腕アトム』を放送し、『[[ゲゲゲの鬼太郎 (アニメ)|ゲゲゲの鬼太郎]]』『[[世界名作劇場]]』『[[科学忍者隊ガッチャマン]]』や『[[ドラゴンボール (アニメ)|ドラゴンボール]]』シリーズを初めとする[[週刊少年ジャンプ]]の[[漫画]]原作作品などの人気アニメ番組を数多く放送するなど、かつてフジテレビは民放一のアニメ局であった。現在でもアニメ番組では視聴率トップクラスの『[[サザエさん (テレビアニメ)|サザエさん]]』を、日曜午前9時台には数多くの人気作品を放送している。<br />
<br />
しかし、[[1997年]]以降、『[[世界名作劇場]]』の終了や、[[テレビ東京]]でのアニメ本数の増加、[[ポケモンショック]]、[[少子化]]などで次第に地位が低下し、[[2001年]]には平日枠(深夜枠以外)のアニメ番組が消滅した。このはるか前、1980年代までは[[タツノコプロ]]との関係が深かったが、[[1983年]]の「[[イタダキマン]]」の不振がきっかけとなって絶縁し(最後の作品は[[1985年]]の「[[アルペンローゼ|炎のアルペンローゼ]]」)今日に至っている。[[2004年]]には『[[こちら葛飾区亀有公園前派出所]]』が終了、『[[ONE PIECE (アニメ)|ONE PIECE]]』も[[2006年]]10月より日曜日午前9時半([[ローカルセールス枠]])からの放送になった事により、ゴールデンタイム枠のアニメ番組は消滅した。<br />
<br />
==== [[深夜アニメ]] ====<br />
2002年〜2003年にかけて番組数が比較的多かったが、当時[[地上デジタルテレビ放送]]の準備による放送機器メンテナンスが相次ぎ放送スケジュールが不安定になり、それに伴う地上波放送の打ち切り・枠廃止も相次いだことから視聴者や制作会社から不満の声が高まり、その影響で関東地区では[[独立UHF局|独立U局]]でのネットに切り替える作品が相次ぎ(その名残で、現在も関西・中京圏では従来通り系列局の[[関西テレビ放送|関西テレビ]]および[[東海テレビ放送|東海テレビ]]での放映作品枠が1本ある)、[[2004年]]10月にすべての枠が一旦廃止となった([[深夜アニメ#フジテレビの深夜アニメ迷走劇とその影響|深夜アニメ]]の項を参照)。<br />
<br />
しかし、[[2005年]][[4月14日]]から『[[ノイタミナ]]』枠でスタートした『[[ハチミツとクローバー]]』(木曜深夜0:35〜)で復活することになったが、『[[蟲師]]』がまたもシリーズ途中で地上波放送では打ち切りになるなど、依然として他局と比べても異常に不安定な放映状況を完全には解消出来ていない。2007年12月現在は『ノイタミナ』枠のほかは土曜深夜に1本(2008年4月からは『[[二十面相の娘]]』)放映しているのみである。<br />
<br />
===子供向け番組===<br />
関連会社のフジテレビKIDSが[[BSフジ]]で[[ポンキッキシリーズ]](現在は『[[Beポンキッキ]]』)などを制作している。2007年3月に『[[ポンキッキ]]』が終了して以降、地上波でのレギュラー子供向け番組は消滅している。<br />
<br />
===その他===<br />
毎年恒例の『[[27時間テレビ|FNS27時間テレビ]]』を始め、『[[FNSドキュメンタリー大賞]]』『[[FNSソフト工場]]』といったコンテンツを[[フジネットワーク|FNS]]各局が総力を挙げて制作。単発でバラエティー、ドキュメンタリー、スポーツ、ドラマ、映画などを放送。[[ミニ番組]]については[[ミニ番組#フジテレビ]]を参照。<br />
<br />
==フジテレビの不祥事・事件・トラブル==<br />
===事件・事故===<br />
* [[1993年]][[6月24日]] - バラエティー番組『[[ウッチャンナンチャンのやるならやらねば]]』の収録中に香港のロックバンドメンバーがセットから転落して死亡。この事故を受けて番組は打ち切られた。<br />
* [[1998年]]9月2日 - 『[[めざましテレビ]]』の生放送中、災害時に高所から脱出する避難器具の体験リポートを行っていたフジテレビアナウンサー[[菊間千乃]]がマンション5階(地上約13m)の窓から落下、全治3ヶ月の重傷([[脊椎|腰椎]][[圧迫骨折]])を負った。<br />
* [[2003年]] - 深夜番組『[[退屈貴族]]』に出演した素人に「火渡りに挑む日本のランボー」と銘打って、灯油を振りかけた藁に火を付け、パンツ1枚の格好で火渡りをさせ、下半身の3割にも及ぶ大ヤケドを負わせた。数年後、この素人はヤケドが原因の肝機能低下により死亡した。なお、この素人が[[認知症]]患者であった可能性も指摘され、認知症患者を笑いものにする番組姿勢も批判された。<br />
* 2005年10月 - 有名人気女子アナウンサーを標的にした連れ去り未遂事件、爆破予告事件が起こる。犯人はいずれも逮捕された。(月刊サイゾー2006年8月号掲載)<br />
* 2009年7月 - [[長坂哲夫]]アナウンサーが、南アフリカで開催されたサッカーワールド杯コンフェデレーションカップで実況席で女性スタッフに[[セクハラ]]行為を起こし、総務部に異動したが、受け入れに難色を示し、他の部署への異動を模索したが、拒否され、8月いっぱいの退社と、9月からの出入り禁止を[[豊田晧]]社長(当時)が、定例会見で表明した。この定例会見の締めくくりに「まことにお恥ずかしい限りでたいへん責任意識を感じています。」と謝罪した。ちなみに、総務部に異動した際、アナウンス部の上司6人に減給処分を受けている。<br />
* 2012年2月2日、お笑いコンビ[[ずん]]の[[やす]]が『[[とんねるずのみなさんのおかげでした]]』の企画で新潟県内のスキー場での収録中にゲレンデを水上スキー用のゴムボートで走行、スピードが出過ぎていたため雪で作った停止点で止まることができず、その先のトタンに腰を強打、腰の骨を折るケガをした。<br />
* 2013年10月20日に放送された『[[ほこ×たて]] 2時間スペシャル』における「スナイパー軍団vsラジコン軍団」が、スナイパーが銃弾を命中させて勝利したという番組の内容であったが、対決の順番を変更されるなど意図的に編集側が内容に手を加えたとする「捏造」があったことが、出演したラジコン操縦者による抗議文の掲載により発覚した。フジテレビは不適切な演出があったことを認め、全放送回の内容を確認するとして当面の放送自粛を発表した<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20131024-OYT1T00954.htm フジ「ほこ×たて」当面自粛…不適切な演出確認] 読売新聞 2013年10月24日</ref>。さらに、2012年10月21日に放送された『絶対に捕まえられないラジコンカーvsどんな物でも捕まえる猿軍団』においても、猿を糸で結ぶことによってあたかも猿がラジコンカーを追いかけているように見せる細工をするようスタッフに強要されたことも出演者の指摘で発覚した<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20131026-OYT1T00200.htm?from=navr ほこ×たて、昨年も過剰演出…車と猿を糸で結ぶ] 読売新聞 2013年10月26日</ref>。<br />
** 上記の問題で放送見送りとなった『ほこ×たて』の代替として2013年10月27日に放送された『美川・はるな愛のぶらり旅 長瀞へSL列車で行っちゃいました。松茸もあるヨSP』においても、画面が左右反転して日本国内なのに道路を車が右側走行をしている映像が使用されており、「制作側が『こういう画がないとダメ』とゴールを決めて融通が利かなくなっている」点が『ほこ×たて』と同様であると指摘する匿名テレビ業界関係者のコメントがマスコミで紹介された<ref>[http://gendai.net/articles/view/geino/145539 ほこ×たて代替番組でも「捏造」発覚! フジテレビの貧すれば鈍す…] 日刊ゲンダイ 2013年10月29日</ref>。<br />
* 2014年5月20日 - バラエティ番組『[[めちゃ×2イケてるッ!]]』のリハーサル中、アイドルグループ[[AKB48]]のメンバー・[[木崎ゆりあ]]が左手首を骨折するけがを負う<ref>木崎ゆりあ「めちゃイケ」で左手首骨折…全治3~4週間 スポーツニッポン、2014年5月22日</ref>。<br />
* 2015年2月 - 関根麻里が対決嵐で怪我した。26日のYahoo!で明らかなった<br />
* 2016年11月10日に放送された『[[めざましテレビ]]』内のクイズコーナー「もの知りじゃんけん」で、ヤンキース・田中将大投手の居所について事実とは一切異なる内容を正解だとして放送し、翌11日には本人がツイッター上で否定しフジテレビから何の相談もなくクイズの問題にされたことについて関係者に抗議した。なお、田中将大投手の抗議の際に、フジテレビ関係者は謝罪こそしたものの「クイズ形式になっていることを知らなかった。知っていれば本人サイドに電話等で確認していた」と釈明した。なお、12日には番組内容を変更し、メインキャスターの[[三宅正治]]による謝罪放送が行われ、問題については全選択肢を正解扱いとする対応が執られた<ref><br />
[http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/baseball/616520/ ヤンキース・田中 フジテレビに激怒の真相激白] 東スポWeb、2016年11月13日</ref>。<br />
<br />
===同局の番組がきっかけとなった事件===<br />
* 2012年5月28日、19歳の女性が同系列のバラエティ番組『[[人志松本の○○な話]]』をまねて[[千葉県]][[松戸市]]の市道(2010年9月18日の放送で紹介)を走行中、歩道に乗り上げ4人が死傷する事故を起こし逮捕された。なおこれ以外にもフジテレビ番組がきっかけとなった事件が多発しており、問題視されている。<br />
<br />
===報道姿勢に対する批判===<br />
*1998年 - 情報バラエティー番組「[[ウォンテッド!!]]」で「仕事をマジメにしない自堕落な看護婦」を紹介する際「[[看護師|看護婦]](当時の呼び名)の実態」というタイトルで放送し、医師団体から「看護婦のイメージを損ねる」として抗議。その後番組は打ち切られた。<br />
* [[1998年]][[11月29日]] - 情報番組『[[スーパーナイト]]』で取り上げた隣人トラブルについて、片方の言い分だけを鵜呑みにし、相手方を一方的に非難した内容で放映した。それにより、非難された側の経営する会社が倒産に追い込まれ、娘の婚約が破談になるなどの[[報道被害]]を受け、[[放送倫理・番組向上機構|BRC]](放送と人権等権利に関する委員会)へ救済を訴えた。BRCはフジテレビの報道姿勢に対し、「人権への配慮が不十分で、放送倫理上問題があった」と認定した。<br />
*2002年10月25日 - 『FNN報道特別番組』として[[北朝鮮による日本人拉致問題|北朝鮮拉致]]被害者横田めぐみさんの娘とされている[[キム・ウンギョン|キム・ヘギョン]]の独占インタビューなどを放送した。放送途中からフジテレビやその系列局に「北朝鮮の[[プロパガンダ]]に乗せられたのでは」などの抗議があったほか、[[北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会|救う会]]や[[北朝鮮による拉致被害者家族連絡会|家族会]]などが会見し批判した。<br />
*2004年6月 - [[新潟県]][[長岡市]]にある[[田中直紀]][[参議院]]議員の選挙事務所前の民家を借り、事務所の様子を密かに撮影していたことが発覚し、田中議員と後援会が選挙妨害と盗撮だとしてフジテレビに損害賠償と謝罪を求めて新潟地方裁判所に訴状を提出した。2007年2月7日、新潟地裁で判決が下り、「撮影の目的自体は不当ではないが、正当な取材範囲を逸脱する違法なもの」としてフジテレビ側に36万円の賠償を命じた。<br />
*2006年5月4日の『FNNスーパーニュース』内で、[[中華民国]]([[台湾]])の国旗として[[中華人民共和国の国旗|五星紅旗]]([[中華人民共和国]]の国旗)を掲載したことから、中華民国政府の[[台北経済文化代表処|駐日代表処]]を含む、中華民国関係者の抗議を受けた。<br />
*2006年6月29日 - 南北[[離散家族]]面会行事を特集した際に、[[金英男]]氏の近くにいた[[大韓民国|韓国]]政府統一部職員を“元工作員”[[安明進]]のコメントを元に「金氏を監視する担当の北側工作員」と“指摘”。韓国政府から申し入れを受け、7月4日のFNNスーパーニュース内で訂正。<br />
*2007年10月5日 - 10月3日に放送された[[FNNスーパーニュース|スーパーニュース]]で[[双津竜順一|時津風親方]]のインタビューを[[日本相撲協会]]の許可を得ず放送したため、2007年11月に行われる大相撲九州場所千秋楽まで試合映像の放映や力士のテレビ出演などができなくなる制裁措置を受けた。<br />
*2008年12月15日、『[[とくダネ!]]』にて「浅田真央逆転Vも… キム・ヨナ“実力”に差」という題で、視聴者に「[[浅田真央]]よりも[[キム・ヨナ]]のほうが実力が上」と感じさせる報道をしたところ、大きな反発を招いた。18日に同番組内で訂正及び謝罪を行った。<br />
*2009年9月26日、CS放送の『フジアナスタジオ まる生2009』において、局アナの[[長谷川豊]]が、『ニュースJAPAN』でキャスターが交代した件で、新キャスターは「この間までやってた'''外人'''([[滝川クリステル]])より、ずっと上手い」と発言し、「外国人に対し差別意識を持っている」といった批判が寄せられた。番組責任者は「外人は不適切な発言であり、この発言が出たときにすぐに訂正すべきでした。番組の制作サイドも反省しておりまして、番組の視聴者や不快になられた方に本当に申し訳ない」とコメントを出した。<br />
*2010年3月12日放送の[[金曜プレステージ]]『[[居場所を下さい…#第4弾|熱血教師スペシャル第1夜「居場所をください 〜愛と涙の密着1000日〜」]]』にて、2010年に撮影したものを2009年内に撮影したかのように編集し使用したため、やらせ疑惑が浮上した。フジテレビ広報室長の[[小田多恵子]]は2010年3月20日放送分の『[[新・週刊フジテレビ批評]]』にて、「制作サイドに事実をねじ曲げる意図はまったくな」いとし、やらせを否定した。<br />
*2010年10月12日に韓国のソウルで行われたサッカー親善試合・日本代表対韓国代表戦について、[[すぽると!]]は試合1週間前の10月4日と10月5日の2日連続で「韓日戦」と放送し視聴者から批判を浴びた。広報部によると、ホームとアウェーを明確にするため以前からホームチームを先に表記していたとのこと。10月6日以降からは「韓国戦」に修正した。ただし、2011年8月には、日本がホームの国際戦でも、日韓戦という表記をしていない。<br />
*2011年3月12日 - [[東北地方太平洋沖地震]]に関する首相会見の中継の際に「ふざけんなよ。また原発の話なんだろ、どうせ」「笑えてきた」「くそだよ」という音声が流れた。放送から9日後の3月21日に、「音声機器のトラブルによるもの」で、「誤解を招くような発言が外に出たのは反省している」と広報部はコメントした。発言者の公表はしなかった。台湾の[[中天電視]]では、[[秋元優里]]ではないかと報道している。<br />
*2011年[[9月8日]] - 『[[それでも、生きてゆく]]』にて、「JAP18」という表記のある架空の雑誌が画面に映りこんでいたが、[[JAP]]が日本人を差別する言葉であり、『18』の韓国語での発音が同言語での卑語の発音に似ていることから、批判の声がネットに上がった<ref>[http://getnews.jp/archives/140499 フジテレビ「JAP18」表記の犯人捜し始まり特定される「セシウムさん」レベルの不祥事か?]ガジェット通信 2011年11月11日</ref>。<br />
*2011年10月25日のとくダネ!にて、文部科学省の放射能汚染マップをパネルで紹介したところ、山梨県の位置に埼玉県、埼玉県の位置に山梨県を表示してあり、これに関し、以前から韓流押しや在日朝鮮人特別採用枠のあるフジテレビ内には日本人がいないためだと揶揄されている。<br />
*2011年に高岡そうすけが[[Twitter|ツイッター]]で韓流ドラマばかりやっていると批判後に謝罪した<br />
*2012年9月27日 - 『情報プレゼンター とくダネ!』において、出演者の[[小倉智昭]]とコメンテーターの[[田中雅子]]が、[[安倍晋三]]の自民党新総裁選出に関するコメントで、安倍が2007年に[[潰瘍性大腸炎]](厚生労働省指定の難病である)の悪化により首相を辞職した事を取り上げ、「子供みたいだ」などと揶揄し、当病患者を差別し茶化したとして、潰瘍性大腸炎患者をはじめ視聴者やインターネット上で批判の声が上がり、4日後の10月1日に小倉が番組内で謝罪する事態となった。なお、田中サイドは一切謝罪をしていない。<br />
*2012年10月21日 - 「[[黒子のバスケ]]」のイベントに脅迫文が届いた事件を報道した際、イベント会場内を取材許可を得ずに[[盗撮|無断撮影]]した映像を使用した。イベント主催者の「[[スタジオYOU]]」からの抗議に対し、フジテレビは会場敷地外からの撮影なので問題は無く、「報道のステップを踏んでいる」との見解から、フジテレビのウェブサイト上からの画像削除の要求も拒否した。これらの問題から、主催者側は弁護士に相談する運びとなった。また「スタジオYOU」は、問題なく終了したイベントを脅迫文に関連付ける形で報じる必要性ならびに、フジテレビがイベント参加者の画像をウェブサイト上から削除せず、理由も明かさないことから、無断撮影とともにプライバシー保護の観点からも問題視しており、弁護士に相談した。「スタジオYOU」は、今後、取材のあり方とプライバシーに対する報道のあり方に論点の比重を置き、フジ側に質していくとした。<br />
*2012年10月26日 - フジテレビで放送されたドラマ「[[海猿]]」の原作者の[[佐藤秀峰]]が、「海猿」関連書籍が著作権所有者(すなわち佐藤)との契約書なしでフジテレビにより無断販売された、と[[Twitter]]上で暴露した。また、以前に、フジテレビが佐藤の事務所へ[[アポイントメント|アポ]]無し取材をして傍若無人な振る舞いを行ったが、謝罪を受けたため穏便に済ませた一件があったことも明らかにした。フジテレビは佐藤に直接会って謝罪したいとしていたが、佐藤は「フジテレビは信頼できない企業であることから、もう会う気は無い、関わることも無い」とした。。<br />
*2013年2月25日 - 『[[森田一義アワー 笑っていいとも! ]]』内の放送終了直前のゲームコーナー「曜日対抗いいともCUP」において雛人形をかたどったパネルを的にして扇子で当てて倒すというゲームが行われたが、放送後、ネット上で「日本の伝統工芸を侮辱しており、不謹慎だ」また、「『お内裏様』は天皇陛下、『お雛様』は皇后陛下を表すもので天皇を侮辱している」等の非難が浴びせられ、抗議も殺到した。これを受け2月28日からは点数パネルに変更した。3月1日のコーナー終了後に生田竜聖アナウンサーが、「皆様が大切にされている雛人形を的にするという演出は配慮が欠けていました」と謝罪した。<br />
*2013年3月14日 - 東日本大震災をテーマとした『[[最高の離婚]]』で、小道具の名刺に書かれているメールアドレスが「tsunami-lucky」となっており、この名詞の所持者の「都並達也」の名前部分を逆読みすると「津波やった」と読めること、また、放送日が震災発生日<ref>3月11日</ref>に近い日付であったことから不謹慎であるとの声があがった。なお、「都並達也」はいわゆる「チョイ役」であり、この名前やメールアドレスをあえて設定する意味はない<ref>[http://getnews.jp/archives/491587 フジテレビが震災ドラマの小道具に「tsunami-lucky」と記載し物議に]ガジェット通信 2014年1月11日</ref>。<br />
*2013年8月28日 - 柔道中継中に中断し目覚ましで再開された時には試合が終了しているというハプニングが発生した。<br />
*2013年10月18日 - 7月に放送された「とくダネ!」内の、インターネットによる「事実無根」の中傷をされた恐怖体験を語る企画に出演した、大阪市の住宅設備機器販売会社『[[エステート24|エステート24ホールディングス]]』社長が、実際に[[みずほ銀行]]から融資金をだまし取ったとして詐欺容疑で逮捕された<ref>[http://getnews.jp/archives/439555<br />
フジ『とくダネ!』で「2ちゃんねる中傷被害」を訴えていたベンチャー社長が逮捕]</ref>。<br />
*2014年 - 対決嵐で任天堂に無許可でマリオパーティー2の車でコイン集めパクった<br />
*2014年 - 世界行って見たらでナスカ取ったら警告された<br />
*2015年 - バボ饅頭に異物混入していた為販売中止なった。1月10日のYahoo!乗っていた<br />
*2015年 - 12月20日のワイドナのミスチル盗作の話題で女性の写真間違えて使用した。2016年1月10日のエンディングで謝罪した。ヤフー乗っていた。<br />
*2016年1月24日 - 同日放送の日曜日ファミリアで日本テレビに無許可でダマされた大賞パクった。<br />
*2016年12月19日 - [[報道局]][[社会部]]に所属し数年前まで[[警視庁]]担当だった30代の男性記者が、取材の過程で知り合った[[暴力団]]関係者から高額な[[接待]]を繰り返し受けた上で、当該関係者の乗用車購入のために名義を貸す利益供与をした疑いがある事が判明した。フジテレビでは11月上旬に発覚した時点で当該記者を記者職から外しており、今後調査を進めた上で厳正な処分を下すとしている<ref>[http://www.asahi.com/articles/ASJDM6TCRJDMUCVL030.html フジテレビ記者、暴力団関係者に名義貸しか 車の購入で],朝日新聞デジタル,2016年12月19日</ref><ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG19HDN_Z11C16A2CZ8000/ フジテレビ記者、暴力団関係者に車購入で名義貸しか],日本経済新聞,2016年12月19日</ref>。2017年3月21日、男性記者と暴力団関係者は電磁的公正証書原本不実記録・同供用容疑で[[書類送検]]された。<br />
*2017年7月27日 - 情報番組「[[とくダネ!]]」において、[[医師法]]違反容疑で[[松山市]]の男性が逮捕された事件を伝えた際、無関係の男性のインタビュー画像を容疑者のものとして報じた<ref>[http://sp.yomiuri.co.jp/national/20170728-OYT1T50077.html フジ「とくダネ!」一般男性を容疑者として放送]読売新聞 2017年7月28日</ref>。<br />
*2017年8月8日<ref>余談だが、奇しくもこの日は[[宮内正喜]]社長就任後では初めてとなる「[[フジテレビの日]]」でもあった。</ref> - 『情報プレゼンター とくダネ!』にて、[[Twitter]]上にアップロードされていた[[8月7日|昨日]]より当日の台風5号の影響で[[姉川]]が氾濫した様子の動画を番組の情報収集用アカウントが動画を撮影・アップロードしたユーザーに使用する許可を求めた際、「午前8時までに回答が得られなかった場合は、使用する」という趣旨の返信をユーザーを行い。その後その動画が放送されたため、Twitter上で「[[著作権侵害]]である」などという批判が相次ぎアカウントが炎上する事態となった。しかし、実際には当該ユーザーの承諾を得た上で放送していたことが明らかになっている<ref>[https://www.j-cast.com/2017/08/08305447.html?p=all 「とくダネ!がツイート無断使用!」 ネット炎上→実は許可取っていました],J-CASTニュース,2017年8月8日</ref>。<br />
<br />
=== 利益相反・電波の私物化 ===<br />
* タイムCM・スポットCMとは別に、番組内で自社製作の映画<ref name="thetelevision">[[ザテレビジョン]]編『2000年のテレビジョン 放送メディア大激変のシナリオ』角川書店、1993年、p.20</ref>や自社のイベント・商品、関連会社が権利を有する楽曲<ref name="shibutsuka">フジ・メディア・ホールディングスの第73期有価証券報告書[http://www.fujimediahd.co.jp/ir/l_statement.html]には、映像・音楽事業について、ポニーキャニオンは「フジテレビジョンとの連携を強化する」と書かれているが、連携の形については具体的には述べられていない。</ref>などを大々的に取り上げることや、番組内で頻繁に他の番組の[[番組宣伝|宣伝]]を行うことには、公共の電波の私物化であると批判されている<ref name="shibutsuka"/>が、フジテレビ自身はそれを真摯に受け止めていない<ref>口答えさえしている</ref>。<br />
<br />
== フジテレビ不祥事(2010年以降) ==<br />
* 2010.01.23 - 熊本の大家族7男3女のお母さんが、フジテレビのやらせを告発。 <br />
* 2010.03.12 - 「金曜プレステージ 熱血教師SP第一夜『居場所をください~愛と涙の密着1000日~』」でアニメのOPでやらせ発覚 <br />
* 2010.03.16 - FNNニュースで[[鳩山邦夫]]議員の発言を意図的に編集。[[外国人参政権]]や[[夫婦別姓]]などを隠蔽<br />
* 2010.05.17 - [[宮崎県]]「[[口蹄疫問題]]」で消毒せずに取材 <br />
* 2010.07.27 - [[我が家]]の[[杉山裕之]]がTV番組収録中に負傷 <br />
* 2010.08.11 - [[陣内智則]]、あばら骨にひび「[[オレワン]]」収録 <br />
* 2010.08.18 - 「オレワン」でまたけが人。22日の放送見送り <br />
* 2010.09.08 - 契約スタッフが[[小笠原諸島]]のサンゴを無断で採取 <br />
* 2010.10.06 - 「[[すぽると!]]」サッカーの国際試合で韓日戦とテロップ。アナウンサーも「韓日戦」と発言。 <br />
* 2010.10.17 - 「[[Mr.サンデー]]」でのやらせ放送謝罪。「[[恋のから騒ぎ]]」に出演していた「民謡」こと永峯恵さんにインタビューを依頼し、都合のいいようにしゃべらせていた <br />
* 2011.02.15 - ニンテンドー3DSの値段・25000円を26000円と捏造 <br />
* 2011.02.23 - 「[[笑っていいとも]]」でアンケートデータを捏造 <br />
* 2011.02.25 - [[ニュージーランド地震]]で足を切断した学生に「もうスポーツできませんね」と不適切なインタビューをして物議<br />
* 2011.03.11 - 夫と娘が生き埋めになっている女性への不適切なインタビュー <br />
* 2011.03.11 - 「あwww笑えてきたwww」と被災者を冒涜 <br />
* 2011.04.21 - フジテレビ記者が東電社内で酒盛り <br />
* 2011.07.24 - [[27時間テレビ]]「すぽると!」枠で苛めともとれる放送。視聴者からクレーム多数殺到 <br />
* 2011.08.07 - [[前田敦子]]主演ドラマの中で原爆投下翌日に[[リトルボーイ]]のシャツで広島を侮辱し、県から配慮要請。 <br />
* 2011.08.25 - [[とくだね]][[小倉智明]]キャスター「みなさんの周辺でも、闇社会の人が解決してくれるってことはある」 <br />
* 2011.09.04 - [[田中大貴]]アナ「(日本代表ハーフナーに)顔を見ていただくと、あきらかに日本人じゃないなという感じ」 <br />
* 2011.09.09 - フジテレビがドラマで「JAP18(日本ファック)」という文字を放送 <br />
* 2011.10.25 - ニュース番組の日本地図で埼玉と山梨の位置を間違える <br />
* 2011.11.04 - 韓国女子大生失踪事件、フジ「犯人は韓国語のうまい日本語を話す男」 <br />
* 2011.12.29 - [[ブータン国王]]を侮辱<br />
* 2012.01.01 - 生放送の「第45回爆笑ヒットパレード2012」実際は収録番組 <br />
* 2012.04.09 - 「[[HEY!HEY!HEY!]]」90年代以降のカラオケ名曲ランキング1位は[[KARA]]<br />
* 2012.05.16 - フジテレビ伊藤アナ、車運転中に接触事故 <br />
* 2012.05.20 - フジテレビ社員を逮捕 クレジットカード使えずタクシー運転手に暴行 <br />
* 2012.05.23 - フジテレビ社員、また逮捕=飲酒運転で追突事故の疑い <br />
* 2012.05.31 - 愛知・岡崎の火災:別人の写真放映、フジテレビ謝罪 <br />
* 2012.06.01 - フジテレビ情報番組「[[ノンストップ!]]」で緊急地震速報のチャイム音が流れる <br />
* 2012.06.07 - フジテレビ『スーパーニュース』、[[香川真司]][[マンU]]入団報道で誤って市川中車([[香川照之]])の顔写真を放送 <br />
* 2012.0612 - フジテレビ[[長谷川豊]]アナウンサー、NY滞在関連費用を不正使用で降格処分 <br />
* 2012.06.12 - フジテレビ、[[ブラザー・コーン]]容疑者出演番組にテロップ 親子で「ハモネプ★スターリーグ」出演 <br />
* 2012.06.13 - フジテレビ「[[めざましテレビ]]」が番組内の「ココ調」で意図的な操作があったことを謝罪 <br />
* 2012.06.18 - フジテレビ「めちゃイケ」酒豪企画に、謝罪放送と再発防止を求める抗議文…「イッキ飲み防止連絡協議会」等3団体 <br />
* 2012.06.19 - フジテレビ『[[人志松本の○○な話]]』の「[[チンさむロード]]」で紹介された道路で無職少女(19)が大学生ひき殺す <br />
* 2012.06.19 - フジテレビ系列テレビ熊本、暴力団に同僚殺害を依頼した容疑で関連会社の元ADの女を逮捕 <br />
* 2012.06.23 - フジテレビ、禁止されている一般学生への取材を強行、[[早稲田大学]]はディーン元気の公開練習での取材を拒否 <br />
* 2012.06.26 - フジテレビ「ストローアート」の作家酷評、作家の申し立てで放送人権委員会審理入り <br />
* 2012.06.26 - フジテレビ局内のトイレで元[[ニッポン放送]]アナウンサー[[塚越孝]]さん首吊り自殺 <br />
* 2012.10.21 - 主催者側に取材NGされているにもかかわらず、イベント隠し撮りVTRを放送・訴えられる。<br />
* 2013.07.16 - カスペでコストコの子供と紹介したが無関係だった、8月27日に謝罪した<br />
* 2013.10.20 - ほこたてのラジコン対決でヤラセ勝手に映像編集した<br />
2015年12月20日。ワイドナのミスチル盗作の話題で女性の写真間違えて使用した<br />
===不思議な円グラフで印象操作===<br />
[[Image:フジテレビのグラフ1.jpg|350px]][[Image:フジテレビのグラフ2.jpg|350px]]<br />
===柔道日本代表問題===<br />
* ロンドンオリンピック柔道日本代表選考会後の代表発表会見において、補欠の選手が代表に選ばれた選手と同席するのは敗者への敬意と尊厳にかかわると問題視されていた。しかし、その後の吉村強化担当理事の話で「代表になった選手はいいが、補欠は嫌だろう」と交渉したものの、フジテレビ側が「どうしても」ということで決まったという経緯が明らかとなった<ref>[http://www.jiji.com/jc/c?g=spo_date1&k=2013020500849]時事通信 2013年2月5日</ref>。<br />
<br />
===バラエティ番組などの演出に対する批判=== <br />
* [[1991年]][[10月31日]] -「[[とんねるずのみなさんのおかげです]]」にて、[[盲腸]]で入院していた[[木梨憲武]]がまるで亡くなったかのような演出を行い、抗議の電話が殺到あった(→[[とんねるずのみなさんのおかげです#おかげです事件史|参考記事]])。<br />
* [[1999年]] - バラエティー番組『[[愛する二人別れる二人]]』でやらせが発覚。出演者がやらせを告白した遺書を残して[[自殺]]し、スポンサーが降板を申し出たために番組は打ち切られた。<br />
* 2000年12月24日- アニメ『[[サザエさん (テレビアニメ)|サザエさん]]』にて、[[サンタクロース]]を題材にした物語を放送したが、サンタクロースは実際は家族の人だったと分かるストーリーだったため、番組を見た視聴者からフジテレビに「子供の夢を壊さないで」などの苦情や抗議があった。<br />
** 2007年の暴れん坊ママでも同じことやらかした。このことは読売新聞にも乗っていた。<br />
* 2003年 - 『[[ネプリーグ]]』(深夜時代)の番組内で通行人の持ち物をひったくってその被害者と競争するといった企画があり、番組内でラグビーの日本代表ユニフォームを着ていたことから、ラグビー協会抗議、フジテレビ側が謝罪した。<br />
* 2003年8月13日 - 『[[ワンナイR&R]]』内の「ジャパネットはかた」というコントで[[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス(当時)]]・[[王貞治]]監督の顔を模した便器(王シュレット)を販売するというコントを放送、同球団と王貞治本人が激怒し、同球団は地元局である[[テレビ西日本]](TNC)を含め、フジテレビ系列の取材を一切拒否、後日フジテレビは放送上等で謝罪するが、同年の[[日本選手権シリーズ|日本シリーズ]]での放送権を剥奪され、また通信販売業の[[ジャパネットたかた]]、[[ウォシュレット]]を製造している[[TOTO (企業)|TOTO]]からも「あまりに良識の範囲を超えている」と抗議された([[王シュレット事件]]を参照)。またこの8月13日の放送では[[和光堂]]の粉ミルク「ぐんぐん」を妊婦に扮した出演者にかけるというコントも放送しており、これに対しても視聴者から「育児に不可欠な粉ミルクを軽率に扱うとは何事か」などの苦情が殺到し、和光堂からも「企業イメージを損ねた」として抗議された。<br />
* 2005年11月 - バラエティー番組『[[幸せって何だっけ]]』内で、[[細木数子]]が[[養鶏場]]で生産される[[鶏卵]]について「薬漬けのニワトリが24時間照明を点けられて一日2〜3個の卵を産まされている」と発言し、養鶏業者団体から猛抗議を受けた。これを受けフジテレビは後日養鶏業者団体に謝罪し、番組内で細木自らが養鶏業者に出向いた。<br />
* 2006年9月 - 『[[めざましテレビ]]』内のコーナー「めざまし調査隊」でやらせがあったことが発覚。やらせを行ったフリーのディレクターとの契約は打ち切られ、コーナーも打ち切られた。また、管理責任を問われ情報制作局長を減俸、情報制作センター室長を減給処分とした。<br />
* 2006年9月28日放映のバラエティー番組『恐怖の食卓』で、[[ADHD]]に対する誤解と偏見に満ちた報道がなされたと患者団体から訂正と謝罪を求められたが、フジテレビは拒否した。<br />
* 2006年10月4日 - [[V6 (ジャニーズ)|V6]]主演番組『[[VivaVivaV6]]』内での罰ゲームであった「浜辺の清掃」シーンを[[神奈川県]][[鎌倉市]]腰越海岸で収録中、フジテレビスタッフが持参したゴミをまき散らし、撮影準備をしているところを住民に見咎められトラブルとなった。<br />
* 2006年4月に放映した[[ドラマ]]『[[トップキャスター]]』の第3話の内容に関して、細木数子から「ドラマに登場した『女性占い師』は明らかに自分をモデルにしており、名誉毀損に当たる」として抗議を受けたため、11月に発売した[[DVD]]では第3話をカットして発売した。<br />
* [[2007年]]1月6日に放送されたバラエティ番組が[[高校野球]]を冒とくする内容だとして、[[日本高等学校野球連盟|日本高野連]]は10日、「教育の一環として行われている高校野球の目的から著しく逸脱する番組構成で誠に遺憾」とする抗議文を同局に送付した。また、番組制作に協力した兵庫県西宮市の旅館を甲子園大会時の指定宿舎から外す方針も決めた。<br />
** 番組は6日夜に放送された『[[めちゃ×2イケてるッ!|めちゃ×2イケてるッ!中居&ナイナイ日本一周健康の旅スペシャル]]』。[[SMAP]]の[[中居正広]]とお笑いコンビの[[ナインティナイン]]が、昨夏の甲子園で優勝した[[早稲田大学系属早稲田実業学校初等部・中等部・高等部|早稲田実業]]の宿舎を訪れ、選手が使用した酸素室などを試す内容で、出演者に下劣な行動がみられた。1983年から東京都代表の宿舎に指定されているこの旅館は、日本高野連や早稲田実業側に了解を得ていなかった。<br />
* 2007年[[1月7日]]に放送された『[[発掘!あるある大事典II]]』([[関西テレビ放送|関西テレビ]]制作)では、[[納豆]]ダイエットの実験データが捏造されていた(『[[発掘!あるある大事典#データ捏造問題]]』も参照のこと)。<br />
* 2007年に放映された[[FNS27時間テレビ (2007年)|27時間テレビ]]内の企画で、霊能者[[江原啓之]]の霊視の結果と編集された放送内容に対し、霊視を受けた人物から抗議を受け、BPOから「非科学的」「出演者への配慮を欠く」と改善意見を受ける。フジテレビは出演者に謝罪し、後日フォローする番組を放映する。また同時に、番組で取り上げる切っ掛けとなった投稿の手紙がヤラセであり、霊視会場にいた観客の過半数が[[サクラ (おとり)|サクラ]]であることも発覚した。<br />
* 2007年7月16日10時13分頃[[新潟県中越沖地震]]が発生し、フジテレビでは[[わかってちょーだい!]]を生放送中だった。スタジオでも地震の揺れを感じ、速報テロップが表示されたにもかかわらす、司会の[[川合俊一]]は'''ヘラヘラと笑いながら「何か出た? ウチってちゃんと地震伝えなきゃいけない番組でしたっけ?」'''と発言。この発言に対する謝罪や訂正は一切なかった。<br />
2009年12月のサプリの小林幸子のシーン見たジバニャンが本当の事と勘違いし電話してしまった。ジバニャンは電話した責任取ってサプリ見やめた<br />
* 2010年1月 - 2007年6月19日放送の『世界びっくり人間!ニッポン(珍)滞在記』でやらせがあったと、出演した大家族の母親がブログ上で告発した。フジテレビは「取材や内容に問題はなかった(中略)結果として配慮が十分でなかった」と事実上謝罪した。<br />
*[[2011年]][[8月7日]] ドラマ「[[花ざかりの君たちへ〜イケメン☆パラダイス〜2011]]」において、ドラマの主人公を演じる[[前田敦子]]が、「LITTLE BOY」と書かれた黄色の[[Tシャツ]]をドラマの中で着用した。[[第二次世界大戦]]中に[[アメリカ軍]]が[[広島市]]に投下した[[原子爆弾]]の[[コードネーム]]が「[[リトルボーイ|LITTLE BOY]]」であり、ドラマの放送日が[[広島市への原子爆弾投下|広島原爆忌]](8月6日)の翌日である事や、Tシャツの色が[[天然ウラン#ウランの粗精錬|イエローケーキ]](広島型原爆や核燃料の原料となるウラン精鉱)を連想する黄色だった事から、配慮が足りないと指摘された。[[読売新聞]]の報道によると「不謹慎だ」とするメールや電話などが、[[広島県]]に約130件、広島市に約150件あり、広島県がフジテレビに対して配慮の申し入れを行った。(→[[フジテレビ原爆名Tシャツ問題]]を参照)<br />
* 2011年8月24日に放送された「[[情報プレゼンター とくダネ!]]」で出演者の[[小倉智昭]]が島田紳助引退報道に関係するコメントで[[暴力団]]による[[民事介入暴力]]を肯定する発言を行い、視聴者やインターネット上で批判の声が上がった。<br />
* 2011年12月28日 - 『[[笑っていいとも!特大号|笑っていいとも!年忘れ特大号2011]]』において、[[劇団ひとり]]と[[秋元才加]]([[元AKB48]]チームK)が[[ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク|ブータン国王]]夫妻のものまねをするコントを放送。この内容に対し、侮辱的だとしてインターネット上で非難を浴びた。<br />
* 2012年4月期放送予定の連続ドラマ「家族のうた」が、1987年にTBSで放送された連続ドラマ「[[パパはニュースキャスター]]」と設定が似ていると一部報道で指摘された。この件について、フジテレビ編成制作局のドラマ担当責任者とプロデューサーが、「パパはニュースキャスター」の脚本を手がけた[[伴一彦]]とプロデューサーだった[[八木康夫]]と2012年2月20日に直接会い話し合いをもったことを、同月24日のフジテレビ社長・豊田皓が定例会見にて明かし、「模倣や盗作といわれるのは本意ではない。ご指摘の部分にはアレンジをする、直すなど現在、検討している。」とした。<br />
* 2012年2月15日放送の『[[アイアンシェフ]]』ノミニー山田宏巳は現在リストランテ・ヒロソフィーのオーナーシェフであることを紹介しなかった。<br />
* 2013年2月5日放送の「全日本温泉宿アワード2013」において、生放送中の視聴者の電話投票による温泉宿のナンバー1がやらせであることが発覚している。<ref>[http://www.j-cast.com/tv/2013/02/22166567.html?p=2 フジテレビやらせ?最初から仕組まれてた「全日本温泉宿アワード」1位旅館]j-cast 2013年2月22日</ref><br />
* 2013年8月4日の27時間TVの爆裂父さんで加藤浩次がAKBのまゆゆの顔蹴ったこれが原因で加藤浩次に対し殺害予告が出され、インターネットにやりすぎの批判が出た<br />
* 2013年10月20日のほこたてのラジコン対決でヤラセあったその為、10月27日から放送されなかった<br />
* 2014年9月5日のボクシングで結果出してしまい翌週に社長が謝罪した。Yahoo!乗っていた<br />
2016年1月22日のジュニアで日本地図が奇妙になっていた。謝罪した。ヤフー乗っていた<br />
<br />
===[[派遣モデル女子大生殺害事件]]の報道===<br />
[[Image:朝日なつみ5.jpg|350px|thumb|フジテレビの報道映像]]<br />
丹羽雄治の自宅には「愛知県テコンドー協会雲竜館道場一宮支部」の看板があったが、[[韓流]]ゴリ押し真っ最中のフジテレビだけは、看板にモザイクを入れ、[[テコンドー]]の表記を隠した。<br />
<br />
=== フジテレビ社員を逮捕、運転手に暴行容疑(2012年5月) ===<br />
タクシー運転手に暴行したとして、[[警視庁]][[三田署]]が[[5月20日]]、フジテレビ営業局社員・吉田高次容疑者(31)([[東京都]][[港区]])を暴行と器物損壊容疑で現行犯逮捕した。<br />
<br />
吉田容疑者は20日午後6時頃、港区三田の路上でタクシーを降りる際、[[クレジットカード]]が使えないことに腹を立て、50歳代の男性運転手の腕を引っ張るなどした上で、タクシーを蹴飛ばし、傷を付けた疑い。酒に酔っており、「覚えていない」と供述している。<br />
<br />
同社広報部は「事実関係を確認した上で、厳正な対処を行う方針」とコメントしている。<br />
<br />
=== フジテレビ社員の転落人生 ===<br />
飲酒運転の上、タクシーに追突し、運転手に1週間のけがを負わせたとして[[警視庁]][[原宿署]]に道交法違反(酒気帯び運転)と自動車運転過失傷害で現行犯逮捕されたフジテレビ社員、保原賢一郎(42)。スマートフォン向け放送「NOTTV」に出向中の不祥事に、業界内では「左遷でストレスがたまっていたのでは」という観測で持ちきりだ。 <br />
<br />
“島流し”に遭った理由が「ジャニーズ絡みだった」という声も……。 <br />
<br />
保原は宮城県女川町出身。中央大を卒業後、[[1992年]]にフジテレビに入社した。ドラマ「[[鬼平犯科帳]]」で下積みを経験して、マンネリ化で視聴率が低迷していた時代劇のなかで「[[大奥]]」をヒットさせたことで一躍、敏腕プロデューサーの座にのし上がった。 <br />
<br />
「ロン毛にメガネの文学青年風だった。フジテレビのプロデューサーでは珍しく、『トレンディードラマなんて興味ないんだよね』なんて言っていた。 <br />
<br />
会いに行った時はちゃんとエレベーターの前まで見送ってくれたり、自分が関係しないドラマの記者会見に出席し様子を見たりと、丁寧な性格だった」とは、保原を知る業界の事情通だ。 <br />
<br />
フジテレビ内でも評価の高かった保原だが、その立場を崖っぷちに追いやったのが、[[月9ドラマ]]「婚カツ!」(2009年4~6月放送)だ。満を持して中居正広を主演として起用。だが、伝統の枠にもかかわらず、放送中に何度も視聴率が1桁台に落ち込むなど歴史的に低迷したドラマは「中居君を起用していて、この数字はないだろう。ジャニーズ事務所に対して顔向けができないという空気が業界内で流れていた」(制作会社関係者)。 <br />
<br />
案の定、その後の受け持ちは鬼平スペシャルなど単発ものばかりとなり、2011年4~6月の「BOSS」セカンドシーズンが連ドラの“遺作”となり、同年7月からNOTTVへ出向となっていた。 <br />
<br />
「懇親会でも1、2杯飲んだら帰っちゃうタイプ。飲酒運転するって感じじゃないんだけどね」とは前出の事情通。ある芸能ジャーナリストは、「『水戸黄門』以来、各局で逆風が吹き続ける時代劇人気下落。大河ドラマも風前のともしび。そんな中で、自身の能力を使う場所もなく、むしゃくしゃしていたんじゃないのかな」<br />
<br />
=== ノロウィルス感染世界地図で「韓国は無し」と表示(2012年12月) ===<br />
[[Image:韓国ノロウイルス.jpg|450px|thumb|韓国ではノロウイルスが未発生としたフジテレビ]]<br />
* 日本国内でウイルス変異株出現・韓国ではノロウイルス汚染、キムチ751トン<br />
* 年末年始が怖いノロウィルス・パンデミック<br />
<br />
[http://npn.co.jp/article/detail/16589588/ リアルライブ2012/12/23]<br />
<br />
* 西安東農協・豊山キムチ工場が先月9日から今月4日にかけて生産したキムチや調味料751トンがノロウイルスに汚染された可能性があることが分かった。このうち50トン余りのみが回収できた。<br />
<br />
[http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2012/12/06/2012120600765.html 朝鮮日報2012/12/6]<br />
<br />
=== 『終の信託』大コケ、『海猿』絶縁、大晦日『鉄人』惨敗確定(2012年12月) ===<br />
「今、色んな媒体でうちがヤバいヤバいと書かれてますが、あながち間違ってないんですよね。現場のムードは最悪ですし、社内もかなりどんよりした空気になってます。大晦日も視聴率は取れないでしょうし、社内では“転職”っていう言葉もチラホラ聞こえ出しましたね」(フジテレビ社員)<br />
<br />
とにかく、今、フジテレビが危ないという。昨年は7年間続けていた視聴率3冠を日本テレビに奪われ、今年は「振り返ればテレビ東京」などと長年揶揄されてきたテレビ朝日にまでも抜かれてしまった。<br />
<br />
「韓国偏重とネットで叩かれたり、デモが行われたりと散々ですが、極めつけは『アイアンシェフ』と映画事業の失敗でしょうね。『アイアンシェフ』に至っては、大晦日に6時間特番ですからね。“和の鉄人”の道場六三郎さんが復帰ということですが、今の若い世代で道場さんを知ってる人がどれだけいるのか。お金がなくて外食さえままならない人が多いのに、そういう空気が読めなかったんでしょうね」(芸能事務所関係者)<br />
<br />
映画事業では、先日もフジのドル箱コンテンツである『海猿』の原作者である[[佐藤秀峰]]氏から“絶縁状”を突きつけられたことも記憶に新しい。<br />
<br />
「また、10月末に公開された[[周防正行]]監督の『[[終の信託]]』が大惨敗に終わりました。主演の[[草刈民代]]さんを他局のバラエティ番組にまで引きずり回してプロモーションした挙句、1カ月でたった興収3億円ですからね。担当者は左遷されるんじゃないかって、もっぱらのウワサですよ。『[[アイアンシェフ]]』も、大晦日の結果次第では、番組は打ち切りになって担当者は飛ばされるでしょうね」(前出・フジテレビ社員)<br />
<br />
=== 映画「海猿」関連書籍が契約書無しで販売される→原作者・佐藤秀峰「フジテレビは信頼に値しない企業、海猿の続編は絶対にありません」 ===<br />
[[佐藤秀峰]]@shuhosato<br />
:代表作「[[海猿]]」「[[ブラックジャックによろしく]]」 連載中「特攻の島」 ピークを過ぎた漫画家です。後は余生だ!!<br />
:東京都武蔵野市<br />
:https://twitter.com/shuhosato<br />
<br />
最近、知らない人からメールや手紙をいただいたり、飲み会に呼ばれて行ったら、どこぞの社長がいて「私がフジテレビとの仲介をしてあげよう」みたいのがすごく多いのですが、その内何割が仕組まれたものなのでしょうか…。 代理人立ててるし、これ以上ないって言ってんじゃん…。<br />
:https://twitter.com/shuhosato/status/303321147049664514<br />
<br />
知り合いの編集さんも「うちの会社の顧問弁護士が『どうやったら佐藤秀峰を落とせるか教えてほしい』とフジテレビから相談された」て言ってたなぁ…。 「二度と仕事しない」という意味は、「二度と仕事しない」という意味なんですけど、どう言えば伝わるのかな…。<br />
:https://twitter.com/shuhosato/status/303322614745673728<br />
<br />
最近届いた怪文書系は、海猿の次回作のシナリオの断片らしき文章のコピーと、僕のファンだという女子中学生(なぜか僕の職場の住所を知っている)からの映画続編を希望するお手紙と、フジテレビの副社長と知り合いだという女性からのお手紙など。<br />
:https://twitter.com/shuhosato/status/303361579305562113<br />
<br />
会社の住所はwebで調べれば分かることなので、直接、手紙が届くこと自体は不思議ではないのだけど、これまではなかった現象だなぁ…。 どこかで不快に感じていることを意思表明しておかないと、さらに続きそうなので書いておきますね。 フジテレビとは二度と仕事をしません。<br />
:https://twitter.com/shuhosato/status/303363973368147969<br />
<br />
違うテレビ局、映画会社から続編なら全然OKなんだけどね。 制作会社さんは同じで<br />
:https://twitter.com/shuhosato/status/303396892082044928<br />
<br />
=== フジテレビやらせ告発・・・最初から仕組まれてた『全日本温泉宿アワード』出演者「スタッフに騙された」 ===<br />
2月5日(2013年)に放送されたフジテレビ系の「全日本温泉宿アワード2013」という番組があったが、これが「やらせ」だった。<br />
<br />
生放送で視聴者による電話投票でナンバー1の温泉宿を決定するというものだが、この制作過程で旅行評論家A氏は、制作会社から『やらせ』の依頼を受けたというのである。<br />
<br />
制作会社からお薦めの温泉宿を教えてほしいといわれ、3件の宿を書いて返信した。何度かやり取りをした後に「蟹御殿」というのを知っているかというメールがきた。そこの紹介者になってほしいという内容だったので、行ったこともないし、聞いたこともないと返事をし、その話はなくなった。<br />
<br />
しかし、選考場面に出たカメラマンの立木寛彦はこう話している。<br />
<br />
「最後に番組スタッフから台本を手渡され、この通り喋ってくれと言われた。その時、初めて自分が蟹御殿(佐賀県・太良獄温泉)の推薦者になっていたことを知ったのです。杉本(圭カメラマン=筆者注)さんは行ったことがあるとのことでしたが、私はありませんでした。ただ、風景の素晴らしい温泉だとネットなどで知っていたので台本通り話しました。正直、スタッフに騙されたという気持ちです」 <br />
<br />
蟹御殿は番組に登場することが決まっていて、推薦者を必死に探していたのであろう。しかも、視聴者の推薦によって「日本一」を決めると謳っているのに、アナウンサーが「蟹御殿に決定しました!」と発表するだけで、獲得投票数も発表されず2位以下の順位の発表もなかった。<br />
<br />
イカサマではないかという声があがったのも無理からぬことであろう。この蟹御殿は温泉が21度と低く、源泉掛け流しの湯と比べるといい湯だとはいえないと温泉評論家の郡司勇がいっている。 <br />
<br />
テレビの効果は絶大で、蟹御殿は2か月先まで予約がいっぱいになっているそうだ。フジテレビ側は当然ながら『やらせ』を否定しているが、これだけ批判が出ているのだから、BPO(放送倫理・番組向上機構)で検証してもらったほうがいいのではないか。こんなことをやっているとテレビ離れはますます進むはずだ。<br />
<br />
=== スッキリが浅田真央とキム・ヨナの写真を悪意のある使い方をして炎上中 ===<br />
[[Image:フジテレビの浅田真央とキム・ヨナ.jpg|350px]]<br />
<br />
==== フジテレビのWBCへのネガティブキャンペーンが酷いと話題(2013年3月) ====<br />
今日のとくダネ[[WBC]]特集<br />
* 野球好き家族と野球興味ない家族を取材<br />
* 野球好き家族、中継見ながら途中で寝てしまう「眠くなる試合だった」<br />
* 興味ない家族、母子どもは違う番組見たいのに父が野球を見たがる→父を迫害しTV奪還<br />
* スタジオのBBAコメンテーター「イケメンがいない」<br />
* 笠井「イケメン見たいならフィギュア見よう!」<br />
* 世界では人気ないWBC<br />
* 笠井「さて、次はWBCより世界が注目するコンクラーベの話題です」<br />
<br />
[http://www.dailymotion.com/video/xy68jl とくダネ動画]<br />
<br />
フジサンケイグループのニュース<br />
* [http://www.sanspo.com/etc/news/20130312/amk13031205000000-n1.html侍JAPANの好視聴率はドラマ「とんび」のおかげ サンスポ]<br />
<br />
* [http://www.zakzak.co.jp/sports/baseball/news/20130309/bbl1303090707001-n1.htm韓国戦がないのでWBCの視聴率は伸びない 民放は頭抱えてる 夕刊フジ]<br />
<br />
===== 視聴者の反応 =====<br />
* だって[[韓国]]負けたからね。ここはしょうがないね <br />
* 韓国のテレビ局だから普通だろw <br />
* 韓国が負けたのが本当に悔しかったんだな・・・w <br />
* 韓国が絡まないとこれか。またこれか。 <br />
* 結構盛り上がってるんだからわざわざ水をさすような報道必要ないよね <br />
* 韓国が残ってたら、どういう内容になってたんだろう <br />
* そこは韓国がどうして負けたのか特集組まないと視聴率上がらないよ <br />
* [[女子サッカー]]の視聴率がサッパリなのと下チョンが1次予選で負けちゃった腹いせでディスってんだろ。女子サッカーはフジ以外でやれば視聴率も取れたかも知れないけどね<br />
* しょーもないテレビ局だな。そりゃ4位に落ちるわ <br />
* 負け惜しみか。最近ウジってこんなんばっかだな <br />
* わざわざWBCに女子サッカーぶつけて勝てると思ってたのがフジw <br />
* むしろWBCにウジが絡まんでよかったわ。視聴率稼いでる他社に八つ当たりとかプライドも捨て去ったんだな <br />
* スポンサーの国が負けちゃいましたもんね^^; <br />
* ひたすら日本が嫌いってどんな放送局だよw <br />
* 日韓戦で全局を挙げて韓国をプッシュする予定だったんだろうな。どれほどの煽り方をするつもりだったのかはちょっと興味がある <br />
* まぁWBCの影響でなでしこ空気&視聴率爆死。世界フィギュアも始まるのに空気だしな <br />
* なでしこがワールドカップで優勝した時は「韓国では女子サッカーは盛り上がってない」とかやってたよね <br />
* まーたフィギュアで[[キムヨナ]]のごり押し始まるんだろ <br />
* WBCでなく女子サッカー放送しちゃうトコが、いかにも落ち目のフジっぽいな <br />
* 2006年なんて韓国が日本に勝っててもネガキャンしてたぞ。韓国なんて関係なくWBCが憎いんだよフジはw <br />
* この夫婦も母国が勝ち進めば見るんだろ?いくら強がっても火病は隠せないぞ <br />
* ワイドショー使ってネガキャンとかフジ腐りすぎだろ <br />
* [[テレ東]]に抜かれる日もそう遠くない <br />
* マジで気持ち悪いテレビ局だわ <br />
* [[放映権]]ないから人の足を引っ張ってるのかクズすぎる <br />
* 最近もう隠さなくなってきたな <br />
* 「興味がない」っていう特集をするって、ホントにネタが無いんだなぁ。阿呆だな <br />
* [[視聴率]]低下の原因がまだ分かってないようだなw<br />
<br />
==== フジ「とくダネ!」報道に批判が続出。詐欺容疑社長を「ネット中傷被害者」と取り上げる ====<br />
[[Image:エステート24.jpg|350px|thumb|エステート24]]<br />
詐欺容疑で逮捕されたベンチャー企業社長をネット中傷被害に遭ったと擁護していたとして、フジテレ ビ系ワイドショー「とくダネ!」に批判が相次いでいる。しかし、フジ側は、この騒ぎに沈黙したままだ。<br />
<br />
大阪市のこのベンチャー企業「エステート24ホールディングス」は、自ら太陽光発電システム販売で実績ナンバー1とうたい、[[読売新聞]]によると、「ベンチャーの旗手」とも呼ばれていた。 <br />
<br />
「とくダネ!」は、[[2013年]][[7月5日]]に放送したネット中傷の特集で、[[10月19日]]に詐欺の疑いで大阪府警に逮捕された社長の秋田新太郎(28)をその被害者として取り上げていた。<br />
<br />
秋田には、番組のディレクターが取材し、1月ごろから会社を中傷するコメントがネット上の あらゆるところで書き込まれるようになったと紹介した。ある掲示板には、社員を名乗って、「給料の 支払いが遅れています」「秋田氏、偽造パスポートで海外逃亡計画中」との書き込みがあったとした。 <br />
<br />
番組では、秋田は、偽造パスポートについて苦笑して、「ありえないですよね」と言い、給料 遅配についても、「1回も遅れたことないですね」と否定していた。 <br />
<br />
今回の事件では、他行から融資を受けたとウソをつくなどして、[[みずほ銀行]]から2億円を融資させて だまし取ったとされている。もしこの容疑が事実なら、「返す気ないのに銀行から融資を引っ張りまくっている」といった掲示板書き込みは当たっていたことになるが、番組では、「会社の評判を貶めるウソ」と断定して紹介した。 <br />
<br />
さらに、番組は、会社がメーカーとの取引がなくなるなど数十億円の被害を受け、毎月1000万円 以上をかけて中傷書き込みを消しているとの秋田のコメントをそのまま流していた。 <br />
<br />
「とくダネ!」の秋田新太郎擁護については、ネット上で、その内容が紹介されて、批判的な意見が続出している。<br />
<br />
「これは裏取りをしなかったフジが悪いな」「最初から『ネット=悪』と決めつけてかかるからこうなる」「フジはきちんと説明しないと 犯罪者擁護したことになるね」<br />
<br />
今回の事件報道によると、エステート24ホールディングスは、2012年9月にはみずほ銀行をだましていた 疑いがある。さらに、月刊誌「ファクタ」はこの年の12月号で、会社について、最近になって一部の金融機関 に対する借入金の返済が滞っていると噂されていると報じ、疑惑の一端が浮上し始めていた。2013年3月には、 情報サイトにこうしたお金に関するトラブルが続出していると書かれるなど、ネット上でも疑問が持ち上がって いた。<br />
<br />
フジは、調べれば分かる可能性もあったのに、なぜそうしなかったのか。今回の事件では、余罪がある疑いも報じられており、フジが擁護したために、被害が広がった恐れはないのだろうか。<br />
<br />
「とくダネ!」の2013年10月21日放送では、事件についても触れられていない。フジテレビの広報部では、取材に対し、「番組の制作内容、取材経緯の詳細についてはお答えしておりません」とだけ回答している。<br />
<br />
なお、会社は9~10月に、芸能人や政治家らをイベントに呼んで、事業のPRをしており、ネット上では、こうした動きにも批判が出ている。会社のホームページはすでに削除されており、本社に電話をしても応答がなかった<br />
<br />
=== 千葉市長・熊谷俊人氏「小中学校のエアコン設置」めぐり、フジテレビの取材についての不満をTwitterで投稿 ===<br />
[[2014年]][[7月16日]]、千葉市長の[[熊谷俊人]]氏が[[Twitter]]でフジテレビの取材に対する不満を明かしている。<br />
<br />
熊谷市長が言及したのは、6月に千葉市議会で否決となった、市立小中学校などにエアコン設置を求める請願について。同委員会で[[自民党]]の委員が「環境への適応能力をつけるにはある程度、耐える能力を鍛えることも必要だ」と精神論めいた発言をしたことが、[[新聞]]や[[インターネット]]ニュースなどで取り上げられるなど波紋を呼んだ。<br />
<br />
これについて、6月27日、熊谷市長は記者会見で「将来は導入したいが、直近五年は無理」「学校の耐震補強が本年度末で終了した後、学校施設の老朽化対策が必要」「優先順位の考え方で、エアコンだけでなく全体を見てほしい」などとコメントをしている。<br />
<br />
その前後にも、熊谷市長はTwitterで、エアコン設置の請願否決の理由が「精神論」ではなく、市の予算配分の優先順位にあることをたびたび説明していた。<br />
<br />
そんな中、16日に熊谷市長はTwitterで「フジテレビのニュース番組で例の千葉市議会のエアコン請願について取材を受けました」と、再度テレビでこの問題が報道されることを報告。<br />
<br />
続けて「これから暑くなるので取り上げるそうですが、今週で授業は終わりなんですけどね…。」と取材のタイミングに疑問を呈した上で「わざわざ例の議員の発言を大きく取り上げたり、税と優先順位について深掘りする気は無いと諦観しつつ対応しました。」と綴り、問題の取り上げ方に不満を抱いていたことを明かした。<br />
<br />
=== 放送事故 ===<br />
1987年9月16日。ドラゴンボールスタート前にスパイ流れてしまった。しばらくお待ち下さいなった。オープニングカットされた。孫悟空が走っているシーンで謝罪出た<br />
1989年3月。ひょうきん放送中に暗くなりゴールデンの途中から復帰した<br />
2003年12月。めちゃイケ放送中にレインボーブリッジになった。開始5分後に復帰した。読売乗っていた<br />
* 2011年7月1日 - フジテレビから系列局への番組配信のトラブルにより、系列5局で放送が最大3分間中断する放送事故があった。放送が中断するトラブルがあったのは、関西テレビ、東海テレビ、テレビ西日本、岡山放送、及びテレビ長崎である。5つの放送局は、『超ド級!世界のありえない映像烈伝5』をフジテレビからの配信で放送する予定であったが、番組開始時刻の19時57分より最大3分間、「しばらくお待ちください」の画面が表示される状態となった。これについてフジテレビは、「番組を系列局に送る過程で何らかのトラブルがあったとみられる。原因は、分かっておらず、これから調査したい」としている。<br />
* 2012年6月1日 - 情報番組『[[ノンストップ!]]』を放送中の10時16分頃に[[緊急地震速報]]のチャイム音が誤って放送される事故が起こり、番組内で謝罪がなされた。なお、当番組は系列局でも放送されていたが、チャイムが流れたのはフジテレビのみであった。<br />
<br />
=== 関係者の不祥事 ===<br />
* 1999年 - 美容師の腕を競わせる番組『[[シザーズリーグ]]』に出演していた「カリスマ美容師」が無免許であることが発覚した。同番組のプロデューサーは制作会社からの制作費のキックバックを受けていた事等が発覚し退社。その後、金融業者・無免許美容師・美容院を恐喝し逮捕された。<br />
* 1999年11月 - [[露木茂|役員待遇であった男性アナウンサー]](当時)が同局の[[公金]]を横領したとの疑惑が浮上した。公金は政界への工作資金と報道され、男性アナは出演していた報道番組を降板した。しかしアナ本人やフジテレビ側は一切事実関係を明らかにせず、男性アナは定年まで勤め上げた後2年間も役員として同局に在籍していた(処分が行われなかったのは同アナが長年フジテレビの政界工作担当者を務めていたため、暴露されるのを怖れたためともいわれている)。<br />
* 2001年2月3日 - 男性アナウンサー(当時)が自動車運転中に人身事故を起こし、被害者男性が死亡した。アナウンサーは業務上過失致死傷容疑で逮捕されたが、被害者家族と示談が成立して不起訴処分となる。社内での処分は1年間の謹慎であった。<br />
* [[2005年]]2月8日 - フジテレビ人事局(当時)に所属する元・金メダリストの[[モーグル]]スキー選手[[里谷多英]]が、[[泥酔]]して東京[[六本木]]のクラブ店内で同伴の男性とみだらな行為に及び、止めに入った店員に暴行を加えたとして警察の取調べを受け一時留置、後に被害者と和解が成立し、被害者が被害届を取り下げたため起訴猶予処分となった。フジテレビは5日間の謹慎処分を下した。<br />
* 2005年7月23日-男性アナウンサーが、バラエティー番組で同年6月に行われた[[FIFAコンフェデレーションズカップ2005]]実況のためドイツに逗留中、[[売春|買春]](ドイツでは合法)を行った事を告白。公共の電波に下品な猥談を流した事に批判が集まる。<br />
* 2005年11月14日 - [[ジャニーズ事務所]]所属のアイドルグループ[[NEWS (ジャニーズ)|NEWS]]の未成年メンバーが[[仙台市]]内で泥酔し、トラブルを起こし補導された。その後、フジテレビの女子アナウンサー(当時)が、補導された同メンバーが未成年であることを承知で酒席に呼び出していたことが発覚。ジャニーズ事務所は同メンバーを無期限謹慎処分としてNEWSメンバーから外し、研修生に降格とした。一方、フジテレビは同女子アナに1週間の謹慎処分を下し、同アナの他、酒席に参加していた同局常務など10名の社員に減給減俸処分を下した。<br />
* 2005年の[[ライブドア]]によるニッポン放送株買い占め事件により、日枝会長の私邸がフジテレビ社屋建築の際、建築を請け負ったゼネコンからのキャッシュバックとして建てられたものだとの疑惑が報道される。<br />
* 2006年8月30日-総務局次長が酒宴で、女性派遣社員にセクハラ行為を行い、降格処分を受ける。<br />
* 2007年6月29日、前報道局長が、私的な飲食や遊興の領収書や架空領収書を使い、913万円を不正流用していたことから懲戒解雇された。同年3月末に[[東京国税局]]から、実体のない取引や接待を指摘され、社内調査で発覚した。また同時に局自体による所得隠しが発覚し、[[附帯税|追徴課税]]された。<br />
* [[2008年]]6月27日、同局の技術局制作技術センター所属の職員がタクシーに払った料金を奪い取って逃走し、強盗容疑で逮捕された。<br />
* 2009年8月13日、30歳代の男性社員が福岡県内で女性に暴力行為を働いたとして、フジテレビは同社員を懲戒休職処分とし、上司2人も減俸処分とした。<br />
* 2011年7月、自費で東日本大震災からの復興のために被災地を訪れたボランティアが、フジテレビスタッフの指示により、フジテレビの27時間テレビの会場設営に利用された。参加者からは「なんでテレビ局の仕事を手伝うんだろうね」「これってフジテレビへのボランティアじゃない?」との声があがった。フジテレビは、番組のためではなく、同場所で行われた地元主催の「復興市」の一環だと主張しているが、'''被災地ボランディアが目的ではないとされている。'''<br />
* 2011年8月7日にフジテレビの偏向報道・韓国文化の過剰なごり押しに抗議すると主張するフジテレビ抗議デモがお台場で行われた(警察からデモの許可が下りなかったため、散歩と称して行われた。主催者はこの日は21日のデモ本番に向けたミーティングだとしていた)。参加人数は600人。また、デモに関連して、翌日に不視聴運動が起きたとされる。同年8月21日には、再びお台場フジテレビ本社周辺で7日と同主張のデモがあった。参加人数は主催者発表では約4000人から6000人、警察発表では3500人、警察集計(2回あったデモの合計数)では延べ5300人、8000人と伝えるメディアもあった。このデモは韓国などの日本国外メディアでも報じられたが、フジテレビは一切報道しなかった。(→[[2011年のフジテレビ騒動]]参照)<br />
* 2012年4月中頃から[[日本テレビ]]が同様の状況に陥ったのを気に韓国偏向は減少傾向に陥った。またフジテレビ関係者が「今K-POPアイドルを番組に出すと、露骨に数字(視聴率)が下がるようになってしまいました。まだKARAや少女時代などの下がり幅はマシな部類ですが、あまり名前の知られていないグループだと、本当にひどい。さすがにスタッフは頭を抱えていますよ。これまでのように、K-POPや韓流ブームと騒いでいられなくなる日は近いでしょう」と発言し今後も韓国偏向が徐々に減少していく方向を示している。しかしそれでも、フジテレビの視聴率の低下には変わりが無いようだ。<br />
* フジテレビの約6000億円の売上に対して3億円の電波料金(TBS、日本テレビ、テレビ朝日、テレビ東京もほぼ同じ金額)しか支払っていないにもかかわらず、大量の[[著作権]]を保有するK-popの宣伝を兼ねた放送で金儲けと外国の宣伝工作を行っているとして非難がなされている。<br />
* フジテレビの社員が視聴者プレゼントをヤフーオークションに出品していたことが発覚した事件を、フジテレビが報じないことについて、報道しなくてはならないのではないか、と指摘されている。<br />
* 2012年6月12日 - 米・ニューヨーク支局勤務の[[長谷川豊]]が、滞在関連費用の不正使用を行っていたことが発覚した。フジテレビは業務規定違反を理由に長谷川を降格処分としたが、既に全額を返還していることから、刑事告訴はしないとしている。<br />
* 2014年元社員だった[[杉尾敦弘]]がお金(同社の運転資金約1億円)を無断使用しその事実を秘密にしていた事が明らかになる。そして、3月27日の超報道で鶴丸アナが謝罪した。<br />
<br />
=== フジテレビを擁護する人物 ===<br />
*一方でこのような罪深きフジテレビを擁護する情けない人物もいる。[[ビートたけし]]は「いやならみなきゃいいじゃねーか」、[[岡村隆史]]は「見ーひんにやったら見ーひんかったらええのよ」、李信恵は「テレビ消してみなきゃいいのに」とフジテレビの番組構成を擁護している。また、[[田村淳]]はTwitterで「じゃあ見ないと言う選択で良くない? 何でも否定するのがカッコ良いスタンスは俺には理解できない」と述べた。<br />
<br />
==スタジオ==<br />
===臨海副都心===<br />
====台場・FCGビル(フジテレビ本社ビル)====<br />
* '''[[V1スタジオ]]'''(3階 100坪)- ワイドショー等の情報系番組用スタジオ。『[[情報プレゼンター とくダネ!]]』などで使用。<br />
* '''[[V2スタジオ]]'''(3階 150坪)- 大型多目的スタジオ。<br />
* '''[[V3スタジオ]]'''(3階 120坪)- 大型多目的スタジオ。『[[ライオンのごきげんよう]]』『[[とんねるずのみなさんのおかげでした]]』などで使用。<br />
* '''[[V4スタジオ]]'''(3階 300坪)- 大型多目的スタジオ。本社では最大の広さを誇る。主に『[[FNSの日]]』等スペシャル番組などで使用される。<br />
* '''[[V5スタジオ]]'''(3階 210坪)- 大型多目的スタジオ。『[[めちゃ&sup2;イケてるッ!]]』などで使用。<br />
* '''[[V6スタジオ]]'''(6階 100坪)- 情報系番組用スタジオ。『[[新報道2001]]』などで使用。<br />
* '''[[V7スタジオ]]'''(6階 70坪) - 主に[[BSフジ]]の番組で使用。<br />
* '''[[V8スタジオ]]'''(メディアタワー9階 90坪) - スポーツニュース専用スタジオ。『[[すぽると!]]』などで使用。<br />
* '''[[V9スタジオ]]'''(メディアタワー12階 100坪)- ニュース専用スタジオ。緊急報道番組の際には可動壁を取り除いて、報道センターと一体化させることができる。定時ニュース・臨時ニュース・『[[めざましテレビ]]』『[[FNNスーパーニュース]]』『[[ニュースJAPAN]]』などで使用。臨時ニュースがある場合、デジタル放送では設備の関係上ハイビジョンでなく、アナログ放送と同様4:3SD画質で放送される場合がある。<br />
* '''[[V10スタジオ]]'''(メディアタワー14階 17坪)- 『[[めざにゅ〜]]』などで使用。<br />
* '''[[VGスタジオ]]'''([[フジテレビCS事業部|CS事業部]]内)- 主にCS放送のフジテレビ721・739・CSHDのオリジナル番組で使用。<br />
<br />
スタジオ内にあるテレビカメラは、全てハイビジョン対応(1997年3月10日の運用開始当初から)。しかし、サブ周りの機器は一部河田町からの移設やSD対応機材だったため、その「HD非対応」スタジオについては段階的にHD対応に移行させている。<br />
<br />
====青海・[[フジテレビ湾岸スタジオ]]====<br />
* '''M1スタジオ'''(約1000m²)<br />
* '''M2スタジオ'''(約1000m²)<br />
* '''M3スタジオ'''(約700m²)<br />
* '''M4スタジオ'''(約700m²)<br />
* '''D1スタジオ'''(約1000m²)<br />
* '''D2スタジオ'''(約1000m²)<br />
* '''D3スタジオ'''(約700m²)<br />
* '''D4スタジオ'''(約700m²)<br />
<br />
* 都内に分散する番組収録スタジオ([[渋谷ビデオスタジオ]]、[[東京メディアシティ#フジテレビ砧スタジオ|フジテレビ砧スタジオ〔TMC〕]]等)を統合・集約する事により、作業効率・費用効率の向上、企画から収録・編集・放送までの一貫したコンテンツ制作体勢の構築を目的として建設された。<br />
* テレビスタジオは8ステージ・HDフルデジタルシステムを導入し、スタジオ床面積は5459m&sup2;で、一部のスタジオは、自社の[[V4スタジオ]]や[[NHK放送センター]]の101スタジオを凌ぐ日本最大級の広さとなっていて、台場本社とは光ケーブル等で大容量の双方向回線で結ばれている。また台場本社と異なり、展示ギャラリー・ショップ等がある1階と屋上の公開エリア以外の建物内は一般人の立ち入りが完全に規制できる事から、今後大規模番組等の収録の中心はこちらに移るものと思われる。<br />
* 屋上緑化や壁面を二重構造にするなどして従来のスタジオよりもエネルギー消費量を約2割削減して省エネルギー化をはかり、また敷地内に1万本以上の樹木を植樹するなどして環境に配慮した設計になっている。<br />
* [[FNS27時間テレビ (2007年)|FNS27時間テレビ みんな“なまか”だっ!ウッキー!ハッピー!西遊記!]]の[[クイズ!ヘキサゴンII|クイズ!ヘキサゴンII クイズパレード!!27時間スペシャル]]でフジテレビ湾岸スタジオ生放送としては初めて使用された。また、番組中、同スタジオの名前はまだ決定ししていなかったため「フジテレビ新スタジオ」としていた。<br />
<br />
===その他===<br />
* '''大手町取材センター'''(千代田区大手町)<br />
** 台場に本社がある関係でアクセスが良くない大手町周辺の取材拠点として、東京サンケイビル・産経新聞本社内に設置している。経済系ニュースの取材拠点。簡易スタジオがあるほか、アナウンサーが常駐している。<br />
* '''国会記者会館'''(千代田区永田町)<br />
** 政治ニュースの取材拠点であり、会館の周辺には首相官邸などの重要施設が集中している。オフィス内に簡易スタジオ設備と専用の中継回線があり、必要があればいつでも放送が行えるようになっている。<br />
* '''[[東証アローズ]]'''(中央区日本橋兜町[[東京証券取引所]] 東証アローズ・メディアセンター内)<br />
** 経済ニュースの拠点の一つ。東証アローズの一角にあるメディアセンター内に設けられたミニスタジオ。市場を管理しているマーケットセンターのグラスシリンダー部全体が見渡せるようになっている。<br />
* '''新宿支局(フジテレビ第一別館)'''(新宿区[[市谷仲之町]])<br />
** 本社が台場という埋立地に有る事によるアクセスの特殊性を考慮し、旧本社敷地付近にある第一別館に報道の取材拠点を設置。常設の簡易スタジオがある他、中継車も常駐している。なお、こちらの建物は河田町本社時代のものをそのまま使用しており、通り沿いにある看板も「フジテレビ第一別館」のままである。<br />
<br />
==情報カメラ設置ポイント==<br />
* '''[[東京都]] '''・・・[[お台場]](本社屋上)[HD]、[[新宿]]([[スタジオアルタ]])、[[天王洲アイル|天王洲]]、[[築地]]([[聖路加ガーデン]])、[[丸の内]][HD]、<br />
** [[東京駅]]([[サンケイビル]]内大手町取材センターより)、[[東京国際空港|羽田空港]]第1・第2ターミナル<br />
* '''[[神奈川県]] '''・・・[[横浜市|横浜]]([[クロスゲートビル]])、[[江の島]]、[[小田原]]<br />
* '''[[千葉県]] '''・・・[[成田国際空港|成田空港]]<br />
* '''[[青森県]] '''・・・[[青森空港]]<br />
<br />
==キャッチフレーズ==<br />
* 明るい家庭に楽しいテレビ(1959年開局時)<br />
* 母と子どものフジテレビ(1960年頃)<br />
* 青春は8ビート燃える秋のフジテレビ(1979年秋)<br />
* テレビカルサマー8チャンネル(1981年夏季のみ)<br />
* 軽チャーっぽい。春の8チャンネル(1984年春)<br />
* スーパーTV宣言(1987年)<br />
* お世話になったあの人に、フジテレビ。(1987年末)<br />
* 不意のお客様に、フジテレビ。(1988年1月)<br />
* フジテレビばかり見てると、ウマになるよ。(1988年夏)<br />
* 4月からのフジテレビに気をつけよう。(1989年春改編)<br />
* なんか、変化。(1989年後期)<br />
* ゆく変化、くる変化。(1989年末)<br />
* 変化新年。(1990年1月)<br />
* それ、世の中動かしてみませんか(1990年前期)<br />
* フジテレビがLOVEと言い始めた(1990年後期)<br />
* 新しいルールとご一緒しませんか(1991年)<br />
* みんなそろそろホントのことを(1992年前期)<br />
* 「哲学」(1992年後期)<br />
* サービスとは何でしょうか?(1993年)<br />
* JUNGLE(1992〜1993年)<br />
* テレビって…(1994年前期)<br />
* PUSH(1994年後期)<br />
* フジテレビが、いるよ。(1995年)<br />
* 歌えフジテレビの歌(1996年)<br />
* お台場ちゃんねるフジテレビ(1997年)<br />
* また、お会いしましたね(1997年)<br />
* マジ?フジ(1999年)<br />
* フジテレビギン(2000年)<br />
* ガッチャ!フジテレビ(2001年)<br />
* きっかけは、フジテレビ(2002年〜2005年、2008年、なお、「きっかけは、〜」は、現在系列局の[[北海道文化放送]]で使われている。)<br />
* ちょっぴりハッピー→ちょぴハピ きっかけは、フジテレビ(2006年)<br />
* HAVE YOUR MEASURE きっかけは、フジテレビ(2007年)<br />
* 50ッス!!(2009年、開局50周年限定)<br />
* 生みます。(2010年秋)<br />
* ミトカナイトフジ!!(2011年春)<br />
:: 系列局では「ミトカナイト!」として使用。<br />
* ピカる★フジテレビ(2012年春)<br />
* ドラマ×バラエティフェスティバル ドバドバ!フジテレビ(2012年夏)<br />
* モテる☆フジテレビ(2012年秋)<br />
* フジテレビの定義(2012年秋)<br />
* フジテレビとは、____________である。(2013年)<br />
* 5539(ゴーゴーサンキュー)55年目、目の色 変えます。フジテレビ(2013年、開局55周年)<br />
* ヘンシン!新型フジテレビ(2014年春)<br />
* 今日よりちょっといい明日。プラス フジテレビ(2014年秋)<br />
* LIFE !S LIVE(2015年春)<br />
<br />
===コーポレート・スローガン===<br />
* 母と子のフジテレビ(〜1980年)<br />
* 楽しくなければテレビじゃない(1981年〜)<br />
* 夢・を・つ・く・る(1986年〜)<br />
<br />
==テレビの時刻出し==<br />
===現在===<br />
* 放送開始時〜12時58分(土曜は〜10:42:30、日曜は〜9:31:30。ただし、平日9:54:00以降および土曜9:55:00以降のCM中・提供スーパー全面表示時は表示オフ)特種は2014年3月から変更された<br />
:2014年からワイドナショーでも表示されている<br />
2015年からバイキングでも表示されている<br />
* 『[[めざにゅ〜]]』『[[めざましテレビ]]』『[[めざましどようび]]』『めざましどようびメガ』はカスタムで表示。かつては[[2004年]]10月から[[2005年]]3月まで毎週土曜日の13時〜14時に放送された「[[エンタ!見たもん勝ち]]」でも前述の3番組と同じタイプがカスタムで表示されていた。<br />
:* アナログ放送のフォントは赤色(「エンタ!見たもん勝ち」は青色)付きの斜字体で、[[フォント]]は[[JTCウイン]]Sシリーズ(CM中は斜字体・モノクロでフォントはJTCウインRシリーズ)。<br />
:* デジタル放送はマスター(アナログ・デジタルとも[[東芝]]製)自体がアナログ・デジタルで別々に置かれているため、全くの別フォント(「後期丸フォント」に酷似)で、太さもアナログ放送よりも細い。<br />
* 平日15時50分〜18:56:25『[[みんなのニュース|みんなのニュース]]』内(CM中・提供スーパー全面表示時は表示オフ。2015年12月まで。2016年1月から表示オン)<br />
:* アナログ放送は[[モノクロ]]の正字体でフォントはJTCウインS、デジタル放送は上記と同じ理由で別フォントの丸文字で、表示についてはすべて[[SD]](4:3)の位置である。平日9:54:00以降および土曜9:55:00以降については、CM中および[[提供クレジット]]時には表示されない。「[[ハピふる!]]」内(9:55:00〜11:21:05)の時刻表示の字体は9:54:00以前のフォントを橙色かつ斜体に変えて表示される。<br />
* 時刻出し以外にも先述のとおり、マスター自体がアナログ・デジタルで別々になっていることから[[提供クレジット]](スタジオサブ表示を除く)・[[ハイビジョン制作]]・[[字幕放送]]表示は同じフォントであっても点灯・消去の速さはアナログ・デジタルで異なっている。<br />
:* アナログ放送ではフェードイン〜フェードアウトの速さが番組により違っている(時にはカットイン〜カットアウトに近い状態もある)。<br />
:* デジタル放送ではフェードイン〜フェードアウトは常に一定の速さに固定されている(フェードアウトは企業のCM画面にすぐ切り替わらないときのみ)。<br />
2016年からバイキング以外の番組でもCM 中も表示されている<br />
<br />
===過去===<br />
* かつて土曜日は11:24まで、日曜日は9:57(一時期10:00)まで時刻出しを行っていた事があった他、[[2004年]]4月〜6月には9:57以降のCM中および提供クレジット時を除き「[[笑っていいとも!増刊号]]」終了5秒前(11:42:25)まで時刻出しを行っていた事もあった。また、[[1995年]]〜[[1999年]]頃には平日14・15時台にも表示を行っていた(「[[ビッグトゥディ]]」放送時、ただし提供クレジットとCM中は除く)。さらに[[1992年]][[7月19日]]の[[FNSの日]]内では(5:58頃〜)10:01過ぎまで表示していた他、かつては放送終了後の[[フィラー]]からの表示や[[2002年]][[10月26日]]〜[[2003年]][[3月22日]]の土曜深夜に放送された[[深夜戦隊ガリンペロ]](CM中非表示)でも独自のフォントで表示があった。<br />
* 最近では[[2007年]][[2月5日]]から[[3月30日]]まで「[[こたえてちょーだい!]]」(放送終了、現在は「[[ハピふる!]]」)で手前の番組「[[情報プレゼンター とくダネ!]]」から引き続き10:50過ぎまで時刻表示があった(9:55以降はCM時表示オフ)。<br />
* なお、旧社屋時代には[[1995年]]11月から[[1996年]]10月頃まで[[フィラー]]や午前の番組で一時期興和フォントが使用されていた事があった(フィラーについては残存している8ミリビデオテープで確認)。<br />
<br />
===時刻フォント===<br />
1979年未明から1996年6月30日までの間、長らく写植マールを使用していたが、度々マイナーチェンジが施されていた。1997年3月のお台場移転からはJTCウインを基にしたフォントに変更された。<br />
*初代:1979年未明〜1985年中期:初期型写植マール(数字幅が大きかった) <br />
*2代目:1985年中期〜1991年9月29日:幅が少し縮小され、完全なマール体となった。(この頃まで縁取りが影であった)<br />
*3代目:1991年9月30日〜1994年7月30日:縁取りが追加された。<br />
*4代目:1994年8月1日〜1996年6月30日:テロップマスターをJTCウインに統一したのを機に字体が少し大きくなり、表示位置も少し左上になった。<br />
*5代目:1996年7月1日〜1997年3月9日:この頃から翌年の台場移転に伴い暫定的に通常の興和フォントが使用された。<br />
*6代目:1997年3月10日〜2008年11月30日:お台場移転に伴い時刻フォントもJTCウインに基にしたものに一新された。<br />
*7代目:2008年12月1日〜現行<br />
<br />
お台場新マスター稼働に伴いマイナーチェンジが施され、少しだけマール体に近くなった。 <br />
<br />
1994年4月1日の[[めざましテレビ]]開始に伴いカスタムフォントも導入されたが、1994年8月1日のテロップマスター更新に伴いマイナーチェンジが施され、1997年3月のお台場移転からもまたマイナーチェンジが施された。<br />
<br />
==テレビ放送以外==<br />
===映画事業局===<br />
フジテレビは、テレビ局であると同時に日本最大級の映画制作集団であり、[http://www.fujitv.co.jp/saiyo/divisions/2005eiga.html 映画事業局]が映画製作とテレビでの映画放送を行っている。<br />
<br />
映画事業局は、劇場用映画を制作する「[http://www.fujitv.co.jp/movie/index2.html 映画制作部]」と、『[[プレミアムステージ]]』などテレビ等で放送する映画放映権の獲得交渉・宣伝を行う「映画調整部」の2セクションに分かれる。規模で言えば既存の映画制作会社を凌ぎ日本でも最大級である。制作する映画のほとんどは映画制作部が主体となる。映画事業局は同局々長である[[亀山千広]]を中心に[[関口大輔]]や臼井裕詞などの映画プロデューサーが所属。彼らが中心となり企画から制作、配給契約、宣伝、DVD化、テレビ放送、海外セールスまでを同局が一括して管理している。配給は[[東宝]]系列で行われることが多い。<br />
<br />
現在、フジテレビは同局が中心となり株式会社[[GDH (企業)|GDH]](アニメーション製作会社である[[ゴンゾ|GONZO]]の持ち株会社)の株を第三者割当により10%取得して資本関係を結び、[[アニメーション映画|アニメ映画]]の共同製作(第一作は[[宮部みゆき]]原作、2006年夏公開の『[[ブレイブ・ストーリー]]』)を行うとする一方、『[[攻殻機動隊]]』シリーズで世界的な名声を誇るアニメーションおよびCG制作スタジオ[[Production I.G]]と共同で有限責任事業組合フジ・IG・ラボ・フォー・ムービーズ(FILM。現 [[FILM LLP|FILM有限責任事業組合]])を設立、同組合専用のデジタルスタジオ「FIX STUDIO」を立ち上げ、同スタジオと米国の音楽制作プロダクション[[スカイウォーカー・サウンド]]のスタジオ間に専用の大容量ネットワーク回線「[[スカイ・リンク]]」を敷設し、日米で同時並行作業が可能な体制を整える<br />
など、劇場用実写・アニメーション映画の制作力向上に対して積極的な姿勢を取っている。<br />
<br />
====フジテレビ制作映画====<br />
; 1983年<br />
* [[南極物語]]<br />
; 1985年<br />
* TAN TAN たぬき([[チェッカーズ]])<br />
* [[ビルマの竪琴]]([[中井貴一]])<br />
; 1986年<br />
* [[おニャン子ザ・ムービー 危機イッパツ!]]<br />
* [[子猫物語]]<br />
; 1987年<br />
* [[私をスキーに連れてって]]<br />
* [[スケバン刑事]]([[東映]]と共同)<br />
; 1988年<br />
* [[優駿 ORACION]]<br />
; 1990年<br />
* [[病院へ行こう]]<br />
* [[タスマニア物語]]<br />
; 1991年<br />
* [[就職戦線異状なし]]<br />
* [[江戸城大乱]]<br />
* [[波の数だけ抱きしめて]]<br />
; 1992年<br />
* [[女殺油地獄]]<br />
* [[七人のおたく]]<br />
* [[病院へ行こう#第2作「病は気から 病院へ行こう2」|病は気から 病院へ行こう2]]<br />
; 1993年<br />
* 水の旅人 侍KIDS<br />
* [[新宿鮫 (映画)|新宿鮫]]<br />
; 1994年<br />
* とられてたまるか!?([[武田鉄矢]]、[[明石家さんま]])<br />
* [[ヒーローインタビュー (映画)|ヒーローインタビュー]]<br />
; 1995年<br />
* ぼくたちの映画シリーズ<br />
** [[白鳥麗子でございます!]]([[松雪泰子]])<br />
** [[花より男子]]([[内田有紀]])<br />
* [[Love Letter]]([[中山美穂]])<br />
* [[鬼平犯科帳]]劇場版<br />
; 1996年<br />
* [[That's カンニング! 史上最大の作戦?]]<br />
; 1997年<br />
* [[ときめきメモリアル (映画) |ときめきメモリアル]]<br />
* [[キャッツ・アイ#実写映画版|CAT'S EYE]]<br />
* [[東京日和]]([[竹中直人]]、[[中山美穂]])<br />
; 1998年<br />
* [[がんばっていきまっしょい]]([[田中麗奈]])<br />
* [[踊る大捜査線]] [[踊る大捜査線 THE MOVIE|THE MOVIE]]<br />
; 1999年<br />
* [[メッセンジャー (映画)|メッセンジャー]]<br />
* [[梟の城]](中井貴一)<br />
* [[GTO (漫画)|GTO]]<br />
; 2000年<br />
* [[スペース・トラベラーズ]]<br />
* [[ジュブナイル (映画)|ジュブナイル]]<br />
; 2001年<br />
* [[大河の一滴]]<br />
* [[ウォーターボーイズ|WATER BOYS]]<br />
* [[プラトニック・セックス]]<br />
* [[冷静と情熱のあいだ]]<br />
; 2002年<br />
* [[ナースのお仕事|ナースのお仕事 ザ・ムービー]]<br />
; 2003年<br />
* [[T.R.Y.]]<br />
* [[踊る大捜査線]] [[踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!|THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!]]<br />
* [[g@me.]]<br />
; 2004年<br />
* [[解夏]](げげ)<br />
* [[海猿]]([[伊藤英明]]、[[加藤あい]]、[[藤竜也]])<br />
* [[NIN×NIN 忍者ハットリくん THE MOVIE]]([[香取慎吾]])<br />
* [[スウィングガールズ]]<br />
* [[笑の大学]]<br />
; 2005年<br />
* [[レイクサイド マーダーケース]]<br />
* [[ローレライ (映画)|ローレライ]]<br />
* [[電車男]]<br />
* [[星になった少年]]<br />
* [[踊る大捜査線|THE ODORU LEGEND CONTINUES]] [[交渉人 真下正義]]([[ユースケ・サンタマリア]])<br />
* [[踊る大捜査線|THE ODORU LEGEND CONTINUES]] [[容疑者 室井慎次]]([[柳葉敏郎]])<br />
* [[春の雪]]<br />
; 2006年<br />
* [[THE 有頂天ホテル]]<br />
* [[県庁の星]]<br />
* [[ブレイブ・ストーリー]]<br />
* [[LIMIT OF LOVE 海猿]]<br />
* [[チェケラッチョ!!]]<br />
* [[UDON]]<br />
; 2007年<br />
* [[それでも僕はやってない]]<br />
* [[ゲゲゲの鬼太郎 (実写映画)|ゲゲゲの鬼太郎]]<br />
* [[眉山 (さだまさし)|眉山-びざん-]]<br />
* [[西遊記 (2007年の映画)| 西遊記]]<br />
* [[HERO (2007年の映画)| HERO]]<br />
; 2008年<br />
* [[ガチ☆ボーイ]]<br />
* [[容疑者Xの献身]]<br />
; 2009年(予定)<br />
* [[SP (テレビドラマ)|SP]]の続編(題名未定)<br />
; 公開時期未定<br />
* [[踊る大捜査線]] THE MOVIE 3(仮題・2009年クランクイン予定)<br />
: これらの他に、「[[こちら葛飾区亀有公園前派出所]]」や「[[ONE PIECE|ワンピース]]」等の[[アニメ]]作品の映画版もある。<br />
===事業部===<br />
====イベント====<br />
イベントは事業部が主催している。<br />
<br />
=====総合イベント=====<br />
* 国際スポーツフェア(1984年〜1992年、毎年4月29日〜5月5日、[[国立代々木競技場]])<br />
* 夢工場(1987年〜1988年、晴海見本市会場・河田町駐車場ほか)<br />
* [[LIVE UFO]](1993年〜1995年、毎年4月〜5月、国立代々木競技場とその周辺)<br />
* LIVE WORKS(1996年4月27日〜5月6日、国立代々木競技場、[[渋谷]]ほか)<br />
* お台場Do Donpa!(1997年7月19日〜8月8日、お台場フジテレビ本社、[[ホテル日航東京]]など)<br />
* [http://www.fujitv.co.jp/kissme/index2.html KISS ME ODAIBA](1997年〜2004年、12月〜1月、お台場フジテレビ本社、ホテル日航東京など)<br />
* P-KIESワンダーランド(1998年7月18日〜8月31日、お台場フジテレビ本社とその周辺)<br />
* [[BANG×PARK]](1999年7月20日〜8月29日、お台場フジテレビ本社、ホテル日航東京など)<br />
* [[お台場どっと混む!]]〜o-daiba.com〜(2000年7月20日〜9月3日、お台場フジテレビ本社、ホテル日航東京など)<br />
* お台場どっと混む!(2001年7月20日〜9月2日、お台場フジテレビ本社、ホテル日航東京など)<br />
* お台場どっと混む!(2002年7月21日〜9月1日、お台場フジテレビ本社、ホテル日航東京など)<br />
* [[お台場冒険王]](2003年7月20日〜8月31日、2005年、お台場フジテレビ本社、ホテル日航東京など)<br />
* Adventure Kingお台場冒険王2004 〜レインボーブリッジは封鎖するな!〜(2004年7月17日〜9月5日、お台場フジテレビ本社、ホテル日航東京など)<br />
* [[お笑いホープ大賞|東京国際コメディフェスティバル]](2003年4月〜5月、2004年4月〜5月)<br />
* [http://www.fujitv.co.jp/fantasy/index2.html HOT FANTASY☆ODAIBA](2003年12月〜2004年1月、2004年12月10日〜2005年1月3日、2005年12月10日〜2006年1月9日、お台場フジテレビ本社)<br />
* [http://www.fujitv.co.jp/odaiba-gakuen/index3.html お台場学園〜文化祭〜](2005年4月29日〜2005年5月8日、お台場フジテレビ本社)<br />
<br />
* このほか、河田町時代には毎年[[8月8日]]"[[フジテレビの日]]"に河田町本社の一部と駐車場を会場に『フジテレビまつり』が開催されていた。内容は本社内部見学ツアーや、駐車場に当時の番組のブースが設けられ物販が販売されたり、駐車場の仮設ステージ上で所属アナウンサー進行によるクイズ大会や、若手芸人・タレントが参加してのステージなど。なおこの日は、本社地下のレストランで一般の人でも食事をとることが出来た。<br />
<br />
=====[[シルク・ドゥ・ソレイユ]]日本公演=====<br />
([[東京]]・[[原宿]]ビッグトップをはじめ、[[横浜市|横浜]]・[[名古屋市|名古屋]]・[[大阪市|大阪]]・[[福岡市|福岡]]の各都市で開催)<br />
* [[サルティンバンコ]](1994年)<br />
** サルティンバンコ2000(2000年)<br />
* アレグリア<br />
** [http://www.alegria2.jp/ アレグリア2](2004年)<br />
* QUIDAM(2003年)<br />
<br />
なお、今後の国内公演に関しては、[[オリエンタルランド|オリエンタルランド(OLC)]]がシルク・ドゥ・ソレイユ社、[[ウォルト・ディズニー・カンパニー|ディズニー社]]と業務提携し、[[千葉県]][[浦安市]]の[[東京ディズニーリゾート]]内に専用常設劇場「[[シルク・ドゥ・ソレイユ シアター東京]]」を建設、OLCシアトリカル事業部が興行の運営業務も受託するため、今度もフジテレビが主催しての公演を行うかどうかは不明である。<br />
<br />
==オープニング・クロージング==<br />
===オープニング===<br />
*初代:富士山(1959年3月1日(開局)-1969年)<br />
*2代目:富士山〜局舎(1970年-1976年)<br />
**ここからカラー化。<br />
*3代目:富士山(1976年-1978年3月)<br />
**BGMは[[クロード・ドビュッシー|ドビュッシー]]の「夢」。<br />
*4代目:[[愛のメッセージ]](1978年4月-1981年3月)<br />
*5代目:I・愛・eye(1981年4月-1986年3月)<br />
*6代目:目玉マーク紹介(1986年4月-1986年8月)<br />
**ナレーション:逸見政孝<br />
**効果音とナレーションの台詞を変更した同一映像を2回流した。<br />
*7代目:目玉タウン(オープニング版)(1986年9月-2001年10月21日)<br />
**BGMの作曲は[[有澤孝紀]]。<br />
*8代目:未来のお台場バージョン(2001年10月22日-2003年11月)<br />
**ナレーション:近藤雄介<br />
*9代目:未来のお台場バージョン・その2(2003年12月-)<br />
**ナレーション:向坂樹興<br />
**基本的には8代目と同じだが、一部シーンが短縮されている。また、最後のコールサイン部分のテロップが変更され、「フジテレビ JOCX-TV(文字ロゴではない)」が「JOCX-TV 目玉マーク フジテレビ(文字ロゴ・アナログ放送)」に変更、また出力及び周波数の表示が消えた。<br />
<br />
===クロージング===<br />
*初代:富士山(1959年3月1日(開局)-1969年)<br />
*2代目:局舎〜宇宙(1970年-1976年)<br />
**ここからカラー化。<br />
**初代と第2代目は最終番組終了後、「子供を交通事故から守ろう」「吸い殻のポイ捨てはやめましょう」といった、公共広告的な一枚絵(フリップ)が放送されていた。<br />
*3代目:富士山と夜景(1976年-1978年3月)<br />
**BGMはドビュッシーの「夢」。<br />
*4代目:愛のメッセージ(1978年4月-1984年3月)<br />
*5代目:I・愛・eye(1979年4月-1986年3月)<br />
**4代目と5代目が連続して流された日もある。<br />
*6代目:目玉マーク紹介(1986年4月-1986年8月)<br />
**ナレーション:逸見政孝<br />
**オープニングと完全に同一の映像である。<br />
*7代目:目玉タウン(クロージング版)(1986年9月- 2001年10月22日)<br />
**この第3-7代目途中(1987年頃まで)の頃まで、最終番組終了後、夜空をイメージしたイラストと「本日の放送を終了いたします。」との一枚絵(フリップ)を最初に写してから局舎の写真を使ったコールサイン→クロージングとしていた。第7代途中(1987年秋ごろ以後1997年3月まで)は、コールサイン映像冒頭に「放送開始までしばらくお休みさせていただきます。」との字幕があったが1994年10月からの[[JOCX-TVフィラー]]放映時には字幕は表示されずにそのままコールサインへと流れた。1987年頃までは短縮版も存在した。<br />
**また、新社屋での放送開始前日である1997年3月9日では、コールサインとクロージングの前に開局から河田町社屋移転までの歴史をプレイバックし、クロージング後のフィラーに河田町への惜別メッセージを挿入した特別版を放映した。<br />
*8代目:未来のお台場(オープニングと同じフルバージョンまたはラスト5秒のみのいずれか)(2001年10月23日-2003年11月)<br />
**ナレーション:近藤雄介<br />
**放送機器点検などのときは、クロージングの前または後に55秒間告知のフリップがアナウンスやBGM無しで流される。メンテナンスの日は、未来のお台場ラスト5秒だけが流れる。<br />
*9代目:未来のお台場バージョン・その2(2003年12月-)<br />
**ナレーション:向坂樹興<br />
**放送機器点検などのときのフリップやメンテナンスの日は、未来のお台場ラスト5秒だけなのは同じ(効果音とテロップは変更された)。その後フジテレビのイメージキャラクターの「ラフくん」が持つカンペに、「放送機器の管理・保守工事のため、この後放送を休止いたします。ご了承ください。放送は午前(放送開始時刻)時の「(放送開始直後の番組名)」から再開致します。」と表示された静止画がしばらく放映され、[[カラーバー]]を流して[[停波]]となる。<br />
<br />
===OP/CL前アナウンス===<br />
*放送開始<br />
**1986年4月〜1989年3月 メイン:[[長野智子]] サブ:[[陣内誠]] <br />
**1989年4月〜1997年3月9日 メイン:[[城ヶ崎祐子]] サブ:陣内誠<br />
**1997年3月10日〜2001年10月21日 メイン:[[武田祐子]] サブ:[[森昭一郎]]<br />
*放送終了<br />
**1986年4月〜1993年3月 メイン:陣内誠 サブ:[[牛尾奈緒美|中村奈緒美]]<br />
**1993年4月〜1994年3月 メイン:陣内誠 サブ:[[河野景子]]<br />
**1994年4月〜1994年9月 メイン:陣内誠 サブ:[[西山喜久恵]]<br />
**1994年10月〜1997年3月10日 メイン:[[奥寺健]] サブ:[[大坪千夏]]<br />
**1997年3月11日〜2001年10月22日 メイン:[[森昭一郎]] サブ:武田祐子<br />
*映像の流れ<br />
**〜1986年4月:局舎写真やスタジオ写真などの一枚画を用いた、様々なバージョンが存在する。<br />
**1986年4月〜9月:OP/ED同様。局舎をバックに右上に白字で「JOCX-TV」中央下にマゼンタで「目玉マーク フジテレビ」と表示。<br />
**1986年10月〜1987年9月:OP/ED同様。青い枠の中に局舎の白黒写真をバックに右上に緑字で「JOCX-TV」左下にマゼンタで「目玉マーク フジテレビ」と表示(初代8マークから「目玉マーク フジテレビ」に切り替わるバージョンもある)。<br />
**1987年10月〜1989年3月:OPは主調整室の映像のバックに右上にオレンジ字で「JOCX-TV」右下に初代8マークからマゼンタ字で目玉マークに切り替わる。<br/>EDは「放送開始までしばらくお休みさせていただきます。」テロップを表示したのち、青枠の中に主調整室の映像をバックに左上に「目玉マーク フジテレビ」右下「JOCX-TV」と白字で表示するバージョンと、同じく「放送開始までしばらくお休みさせていただきます。」テロップを表示したのち、OP同様右上にオレンジ字で「JOCX-TV」右下に初代8マークからマゼンタ字で目玉マークに切り替わるバージョンが存在する。<br />
**1989年4月〜1997年3月9日:「JOCX-TV」のフォントが変更され、斜体ではなくなった。OPは最初は主調整室の映像から始まり、局舎(タワービル)とアンテナが並ぶ映像に切り替わり、中継車が続々と出発していく映像になる。テロップは左中央(時刻表示の下)に、青い縁取りの白字で「JOCX-TV」→ピンクの縁取りの白字で「目玉マーク フジテレビ」に切り替わる。<br/>EDは四分割で主調整室・中継車・放送機器などの映像が流れる。「放送開始までしばらくお休みさせていただきます。」テロップを表示したのち、左上に「目玉マーク フジテレビ」右下に「JOCX-TV」と表示(JOCX-TVフィラー放送時は冒頭のテロップの場面がカットされる)。<br />
**1997年3月9日(EDのみ):主調整室の映像が流れる(途中でアングルが切り替わる)。河田町からの放送を終了し翌朝からお台場の新社屋での放送を開始する旨の告知字幕を表示したのち、左上に「目玉マーク フジテレビ」右下に「JOCX-TV」と表示。<br />
**1997年3月10日〜3月31日:お台場移転に伴いテロップを一新。OPは朝日の映像。EDは波打ち際の映像に徐々背景の色が変わっていく映像。中央上に「目玉マーク フジテレビ」中央下に「JOCX-TV」と表示。<br />
**1997年4月〜2001年10月:OPは朝焼けのお台場フジテレビ局舎から主調整室・放送機器などの四分割映像が流れ最後に台場駅側から見たフジテレビ局舎に切り替わりOPへと流れる。右下に「目玉マーク フジテレビ JOCX-TV」と表示。<br/>EDはレインボーブリッジ側から見た夜のフジテレビ局舎の映像からOP同様主調整室の映像が四分割で流れ最後にテレコムセンター側から見たフジテレビ局舎とレインボーブリッジの映像が流れEDへ。上に「目玉マーク フジテレビ」、下に「JOCX-TV」と表示。<br />
<br />
==アナウンサー==<br />
数字は入社年。また、[[2006年]][[4月3日]]付けを持って[[ニッポン放送]]の親会社・ニッポン放送ホールディングスをフジテレビが吸収合併したため、ニッポン放送から移籍した[[アナウンサー]]もいる。<br />
<br />
===男性===<br />
* [[須田哲夫]](1971年)◇[[堺正幸]](1975年)◇[[福井謙二]](1976年)◇[[向坂樹興]](1982年)◇[[牧原俊幸]](1983年)◇[[川端健嗣]](1984年)◇[[軽部真一]]、[[三宅正治]](1985年)◇[[笠井信輔]]、[[塩原恒夫]](1987年)◇[[青嶋達也]](1988年)◇[[境鶴丸]]、[[野島卓]](1989年)◇[[福原直英]](1992年)◇[[奥寺健]](1993年)◇[[伊藤利尋]]、[[森昭一郎]](1995年)◇[[竹下陽平]](1996年)◇[[西岡孝洋]](1998年)◇[[長谷川豊]](1999年)◇[[森下知哉]]、[[渡辺和洋]](2001年)◇[[田中大貴]](2003年)◇[[倉田大誠]](2004年)◇[[田淵裕章]](2005年)◇[[小穴浩司]](2006年)◇[[中村光宏]](2007年)◇[[榎並大二郎]](2008年)<br />
<br />
===女性===<br />
* [[益田由美]](1977年)◇[[松尾紀子]](1983年)◇[[吉崎典子]](1984年)◇[[阿部知代]](1986年)◇[[佐藤里佳]]、[[木幡美子]]、[[田代尚子]](1989年)◇[[西山喜久恵]](1992年)◇[[武田祐子]](1994年)◇[[高木広子]]、(1995年)◇[[佐々木恭子]]、[[藤村さおり]](1996年)◇[[春日由実]](1997年)◇[[島田彩夏]](1998年)◇[[梅津弥英子]](2000年)◇[[森本さやか (アナウンサー)|森本さやか]]、[[高島彩]](2001年)◇[[中野美奈子]]、[[中村仁美]](2002年)◇[[石本沙織]]、[[戸部洋子]]、[[長野翼]](2003年)◇[[高橋真麻]]、[[斉藤舞子]](2004年)◇[[遠藤玲子]]、[[平井理央]]、[[宮瀬茉祐子]](2005年)◇[[本田朋子]]、[[松尾翠]]、[[秋元優里]](2006年)◇[[大島由香里]]、[[生野陽子]](2007年)◇[[加藤綾子]]、[[椿原慶子]](2008年)<br />
<br />
===[[ニッポン放送]]から転籍したアナウンサー===<br />
* [[小野浩慈]]、[[川野良子]]、[[桜庭亮平]]、[[鈴木芳彦]]、[[田代優美]]、[[塚越孝]]、[[冨田憲子]]、[[福永一茂]]、[[松元真一郎]]、[[山本麻祐子]]<br />
* 他には[[栗村智]]がいたが、その後ニッポン放送に復帰している。<br />
<br />
===[[共同テレビジョン|共同テレビ]]所属の専属契約アナウンサー===<br />
* [[滝川クリステル]](2003年までは研修出向)<br />
<br />
==歴代アナウンサー==<br />
===異動したアナウンサー===<br />
; 男性<br />
* [[岡田浩揮]](報道局)<br />
* [[小泉陽一]](報道局・現パリ支局長)<br />
* [[近藤雄介]](視聴者総合センター)<br />
* [[桜井堅一朗]](スポーツ局)<br />
* [[佐野瑞樹 (アナウンサー)|佐野瑞樹]](ニューヨーク支局)<br />
* [[陣内誠]](番組審議室)<br />
* [[智田裕一]](報道局)<br />
* [[浪久圭司]]([[BSフジ]]代表取締役会長)<br />
* [[野崎昌一]](広報局広報部長)<br />
* [[八馬淳也]](報道局)<br />
* [[増田明男]](解説委員)<br />
* [[横井克裕]](総務局副部長)<br />
* [[吉沢孝明]](営業局・現名古屋支社長)<br />
* [[渡邉卓哉]](人事局)<br />
<br />
; 女性<br />
* [[青木美枝]](報道局)<br />
* [[筒井櫻子]](編成制作局編成部)<br />
* [[本間淳子]](映画事業局)<br />
* [[桜井郁子]](制作局、後に[[カノッサの屈辱 (テレビ番組)|カノッサの屈辱]]や[[ウゴウゴルーガ]]などのプロデューサーを務める)<br />
<br />
===退社したアナウンサー===<br />
====男性====<br />
* [[逸見政孝]](司会者)<br />
* [[今井彬]]<br />
* [[岩佐徹]]([[WOWOW]]アナウンサー→現[[フリーアナウンサー]])<br />
* [[大川和彦]]<br />
* [[大林宏 (アナウンサー)|大林宏]](解説委員)<br />
* [[角谷優]]<br />
* [[露木茂]](フリーキャスター、[[東京国際大学]]教授)<br />
* [[鳥居滋夫]](『[[プロ野球ニュース]]』幻の初代キャスター。“幻”としたのは、局側が公式には1976年放送開始、且初代キャスターは[[佐々木信也]]としている為。)<br />
* [[長坂哲夫]](アナウンサーで初の出入り禁止となった。)<br />
* [[永島信道]]<br />
* [[能村庸一]]<br />
* [[野間脩平]]<br />
* [[松倉悦郎]]<br />
* [[盛山毅]]<br />
* [[山田祐嗣]]([[ニッポン放送]]から移籍)<br />
* [[山中秀樹]](フリーアナウンサー)<br />
* [[吉田伸男]]<br />
<br />
====女性====<br />
* [[相川梨絵]](当時[[共同テレビジョン|共同テレビ]]所属・専属契約、現在フリー)<br />
* [[荒瀬詩織]]([[横浜ベイスターズ]]・[[石井琢朗]]選手夫人)<br />
* [[有賀さつき]](元タレント)<br />
* [[安藤幸代]](当時[[共同テレビジョン|共同テレビ]]所属・専属契約、現在フリー)<br />
* [[石毛恭子]]<br />
* [[佐々木紀代子|石野紀代子]](現姓・佐々木)<br />
* [[岩瀬惠子]](タレント)<br />
* [[海野まり子]]<br />
* [[永麻理]]<br />
* [[宇田麻衣子]]<br />
* [[内田恭子]](フリーアナウンサー)<br />
* [[大坪千夏]]<br />
* [[大野香菜|大野かおり]]<br />
* [[大橋マキ]](タレント)<br />
* [[織田恵美子]]<br />
* [[菊間千乃]]<br />
* [[木佐彩子]]([[埼玉西武ライオンズ]]・[[石井一久]]夫人)<br />
* [[小出美奈]]([[メリルリンチ日本証券]]勤務)<br />
* [[花田景子|河野景子(現:花田景子)]]([[貴乃花光司|貴乃花親方]]夫人、元タレント)<br />
* [[古賀万紀子]]([[テレビ朝日]]:[[佐々木正洋 (テレビ朝日)|佐々木正洋]]アナウンサー夫人/現姓:佐々木)<br />
* [[小島奈津子]](フリーアナウンサー)<br />
* [[小玉美意子]]<br />
* [[小林節子 (フリーアナウンサー)]]<br />
* [[近藤サト]](タレント)<br />
* [[斎藤裕子]]<br />
* [[酒井ゆきえ]](タレント)<br />
* [[城ヶ崎祐子]]<br />
* [[関戸めぐみ]]当時[[共同テレビジョン|共同テレビ]]所属・専属契約、現在リポーター)<br />
* [[田丸美寿々]](フリーキャスター、[[東京放送|TBS]]「[[報道特集NEXT]]」メインキャスター)<br />
* [[千野志麻]]<br />
* [[寺田理恵子]]<br />
* [[坂野尚子|土井尚子]]<br />
* [[富永美樹]](タレント、[[まこと (ミュージシャン)|まこと]]夫人)<br />
* [[豊原ミツ子]]<br />
* [[中井美穂]](タレント、元[[東京ヤクルトスワローズ]]・[[古田敦也]]夫人)<br />
* [[中野安子]]<br />
* [[長野智子]](レポーター、フリーキャスター)<br />
* [[中村江里子]](タレント)<br />
* [[牛尾奈緒美|中村奈緒美(現:牛尾奈緒美)]](明治大学助教授)<br />
* [[中村洋子]]<br />
* [[濱田典子]]([[福原直英]]アナウンサー夫人)<br />
* [[平松あゆみ]](フリーキャスター)<br />
* [[深澤里奈]]<br />
* [[福元英恵]]([[テキサス・レンジャース]]・[[福盛和男]]夫人)<br />
* [[政井マヤ]]<br />
* [[松井みどり]]<br />
* [[松田朋恵]]([[野崎昌一]]元アナウンサー夫人)<br />
* [[三上彩子]]<br />
* [[皆川寿美]]<br />
* [[八木亜希子]](タレント)<br />
* [[山村美智|山村美智子]]<br />
* [[頼近美津子]]<br />
* [[渡辺直子]]<br />
<br />
==アナウンサー以外の出身者==<br />
* [[王東順]]([[通信販売]]会社社長)<br />
* [[小田多恵子]]<br />
* [[五社英雄]](映画監督)<br />
* [[坂井義則]]([[東京オリンピック]][[聖火リレー]]最終ランナー)<br />
* [[沢雄二]]([[公明党]][[参議院]]議員)<br />
* [[妹尾河童]](舞台美術家)<br />
* [[俵孝太郎]]([[政治]][[評論家]])<br />
* [[長島一由]](前[[逗子市|逗子市長]]、[[ブルッキングス研究所]]客員研究員)<br />
* [[山川千秋]](在籍中に死去。ニュースキャスター、報道記者)<br />
* [[横澤彪]](元[[吉本興業]]取締役、現吉本興業相談役)<br />
* [[すぎやまこういち]]([[作曲家]])<br />
<br />
==アナウンサー以外の在籍者==<br />
* [[坂井義則]](元[[陸上選手]]、[[東京オリンピックの開会式]]で[[聖火|聖火リレー]]の最終ランナーを務めた)<br />
* [[岡田寿也]](シンガーソングライター)<br />
* [[かまやつ太郎]]([[シンガーソングライター]])<br />
* [[里谷多英]]([[スキー]]選手・[[長野オリンピック]]金メダリスト)<br />
* ディレクター・プロデューサーについてはそれぞれ[[フジテレビプロデューサー一覧]]、[[フジテレビディレクター一覧]]を参照。<br />
* [[山懸慎司]](3代目いいとも青年隊のスタッフ隊)<br />
* [[吉田正樹]](3代目[[いいとも青年隊]]のスタッフ隊)<br />
* [[亀山千広]](映画事業局長、ドラマ・映画プロデューサー・[[踊る大捜査線]]シリーズ エグゼクティブ・プロデューサー)<br />
<br />
==主なスタジオ技術系協力会社==<br />
* 株式会社[[ニユーテレス]]<br />
* 株式会社マルチバックス<br />
* 株式会社[[共同テレビジョン]]<br />
==現在のゴールデンタイム・プライムタイム編成==<br />
※2011年10月現在<br />
{|class="wikitable" style="width:100%; text-align:center; font-size:small"<br />
|-align=center<br />
|-<br />
|style="width:2.7%"|\<br />
!style="width:13.9%"|月曜日<br />
!style="width:13.9%"|火曜日<br />
!style="width:13.9%"|水曜日<br />
!style="width:13.9%"|木曜日<br />
!style="width:13.9%"|金曜日<br />
!style="width:13.9%"|土曜日<br />
!style="width:13.9%"|日曜日<br />
|-<br />
!19<br/>時<br/>台<br />
|[[ネプリーグ]]<br />
|rowspan="2"|[[カスペ!]]<br />
|[[おじゃマップ]]<br />
|[[VS嵐]]<br />
|[[ペケ×ポン|ゲーム&クイズバラエティ<br />ペケポン]]<br />
|[[〜あらゆる世界を見学せよ〜潜入!リアルスコープ|リアルスコープZ]]<br />
|[[ほこ×たて]]<br />
|-<br />
!20<br/>時<br/>台<br />
|[[HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP|HEY!HEY!HEY!<br/>MUSIC CHAMP]]<br />
|[[はねるのトびら]]<br />
|[[奇跡体験!アンビリバボー]]<br />
|[[奥の深道〜同類くんの旅〜]]<br />
|[[めちゃ×2イケてるッ!]]<br />
|[[爆笑!大日本アカン警察]]<br />
|-<br />
!21<br/>時<br/>台<br />
|【[[フジテレビ月曜9時枠の連続ドラマ|連続ドラマ]]】<br />リッチマン・プアウーマン<br />
|【[[フジテレビ火曜9時枠の連続ドラマ|連続ドラマ]]】<br />息もできない夏<br />
|[[ホンマでっか!?TV]]<br />
|[[とんねるずのみなさんのおかげでした|とんねるずの<br />みなさんのおかげでした]]<br />
|rowspan="2"|[[金曜プレステージ]]<br />
|rowspan="2"|[[土曜プレミアム]]<br />
|【[[ドラマチック・サンデー]]】<br />[[ビューティフルレイン]]<br />
|-<br />
!22<br/>時<br/>台<br />
|[[SMAP×SMAP]]<br />
|【[[関西テレビ制作・火曜夜10時枠の連続ドラマ|連続ドラマ]]】<br />[[GTO (テレビドラマ)|GTO]]<br />
|[[ピカルの定理]]<br />
|【[[木曜劇場]]】<br />[[東野圭吾ミステリーズ]]<br />
|[[Mr.サンデー]]<br />
|-<br />
|}<br />
<br />
==系列局==<br />
系列放送局各社に関しては「[[フジニュースネットワーク|FNN]]」および「[[フジネットワーク|FNS]]」の項目を参照。<br />
<br />
===関連衛星放送===<br />
* フジテレビ直営<br />
** [[フジテレビCS事業部]](フジテレビ721・739・CSHD)<br />
* 連結子会社・持分法適用関連会社<br />
** [[サテライト・サービス]]<br />
** [[BSフジ]]<br />
** [[日本映画衛星放送]]([[日本映画専門チャンネル]]・[[時代劇専門チャンネル]])<br />
* その他<br />
** [[スカパーJSAT]]([[スカパー!]]・[[スカパー!e2]])<br />
*** 旧[[JスカイB]]の主要株主であり、合併後も元編成局長の[[重村一]](現[[ニッポン放送]]会長)が社長に就任するなど関連が深い<br />
** [[J SPORTS]](J sports ESPN・1・2・Plus)<br />
*** 旧JスカイBの番組供給会社「スカイエンターテイメント」が前身。[[スポーツ・アイ ESPN]]との合併により[[東京放送|TBS]]も資本参加<br />
** [[WOWOW]] ※約10%を保有する筆頭株主<br />
<br />
==主要株主==<br />
2008年10月1日現在<br />
<br />
# 株式会社[[フジ・メディア・ホールディングス]](100%)<br />
<br />
==放送区域外の[[ケーブルテレビ]]再送信局==<br />
* [[山梨県]]<br />
** [[日本ネットワークサービス]](デジタル・アナログとも)<br />
** [[山梨CATV]]<br />
** [[河口湖有線テレビ放送]]<br />
** 他、山梨県内ほとんどのケーブルテレビ会社<br />
* [[長野県]]<br />
** 県内のほとんどのCATV局(アナログのみ、一部局では2014年までの期間限定でデジタルも)<br />
* [[静岡県]]<br />
** 県東部・伊豆地方のCATV局(アナログのみ)<br />
<br />
==参考文献==<br />
* 『SD別冊29号 フジテレビ本社ビルの記録』 鹿島出版会、1996年。<br />
<br />
==関連項目==<br />
* [[BSフジ]]<br />
* [[スタジオドリームメーカー]]<br />
* [[フジテレビ青森支局]]([[青森県]]内の報道取材のために設置している。)<br />
* [[フジテレビ山形支局]]([[山形テレビ]]の[[ネットチェンジ]]により、[[さくらんぼテレビジョン]]開局までのつなぎとして開設。)<br />
* [[フジテレビ甲府支局]]([[山梨県]]内の報道取材のために設置している。)<br />
* [[フジテレビ高知支局]]([[高知県]]内の報道取材のため設置していたが、[[高知さんさんテレビ]]の開局に伴いこの支局は閉鎖された。)<br />
* [[リアリー?マドリッド]](アナウンサーによるフットサルチーム)<br />
* [[愛のメッセージ]](かつてのイメージソング)<br />
* [[中日新聞 (東京新聞) ニュース|東京新聞ニュース]](スタジオ収録のみ)<br />
* [[POP STOCK]]([[江東区]][[有明 (江東区)|有明]]・[[東京国際展示場|東京ビッグサイト]]内のライブスペース。1996年のみ運営)<br />
* [[フジテレビサンデードラマチックモーニング]](フジテレビ提供の文化放送の[[ラジオ番組]]※2004年10月〜2005年4月に毎週日曜日に放送、終了)<br />
* [[とことん笑顔!きっかけ先生]](フジテレビ提供のニッポン放送のラジオ番組※2004年4月〜2004年10月に毎週金曜日に放送、終了)<br />
* [[着ラジ]](フジテレビ1社提供のコーナーあり、終了)<br />
* [[フジテレビ20ミニッツ]](冠スポンサーのラジオ番組)<br />
* [[ラヴシーン]](アナウンサーによる朗読劇)<br />
* [[野村克也]]([[東北楽天ゴールデンイーグルス|楽天]]監督、元[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルト]]・[[阪神タイガース|阪神]]監督)<br />
* [[ニッポン放送の経営権問題]]<br />
* [[ラヂオプレス]](河田町時代の局内に事務所を構えていた)<br />
* [[放送持株会社]]<br />
* [[広域放送]]<br />
* [[県域放送]]<br />
* [[マスメディア集中排除原則]]<br />
* [[ガジェットちゃんねる]]<br />
* [[メディア問題]]<br />
* フジテレビ関連[[ラジオ番組]]<br />
** [[フジテレビサンデードラマチックモーニング]](文化放送、一社提供スポンサー、2004年10月-2005年4月 毎週日曜日、現在は終了)<br />
** [[とことん笑顔!きっかけ先生]](ニッポン放送、一社提供スポンサー、2004年4月-2004年10月 毎週金曜日、現在は終了)<br />
** [[着ラジ]](ニッポン放送、「着フジテレビ」スポンサー、現在は終了)<br />
** [[フジテレビ20ミニッツ]](ニッポン放送、冠スポンサー、現在は終了)<br />
** [[ミューコミ]](ニッポン放送、「サポーターズパーティ」月曜スポンサー、現在は終了)<br />
** [[メダマ!?ラジオ]](ニッポン放送、現在は終了)<br />
** [[開局!フジテレビラジオ|開局!フジテレビラジオ→ザ・フジテレビラジオ]](ニッポン放送)<br />
* [[2011年のフジテレビ騒動]]<br />
ワイドショー講座。超報道のやくみつるの元ネタ<br />
ジバニャン。中学生の旅行で行った。ピンカの本とモナカ買った<br />
<br />
==脚注==<br />
<references /><br />
==外部リンク==<br />
*[http://www.fujitv.co.jp/ フジテレビ]<br />
*[http://www.fujitv.co.jp/rights/index.html?1#B 著作権]<br />
*[http://www.fnn-news.com/ FNN-NEWS.COM]<br />
*[http://www.fujitv.co.jp/shop/ オフィシャルグッズSHOP フジテレビDAIBA'S MARKET]<br />
*[http://www.fujisankei-g.co.jp/about.html フジサンケイグループとは?]<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:ふしてれひ}}<br />
[[Category:フジテレビ|*]]<br />
[[Category:フジテレビ系列|*]]<br />
[[Category:日本のテレビ局]]<br />
[[Category:テレビ制作会社]]<br />
[[Category:日本民間放送連盟会員]]<br />
[[Category:衛星役務利用放送事業者]]<br />
[[Category:関東地方の放送]]<br />
[[Category:フジサンケイグループ]]<br />
[[Category:東京都のマスメディア]]<br />
[[Category:お台場]]<br />
[[Category:メディア問題]]<br />
[[Category:韓国の企業]]<br />
[[Category:韓流]]<br />
[[Category:反日主義]]<br />
[[Category:売国奴]]<br />
[[Category:日韓関係]]<br />
[[Category:キチガイ]]<br />
[[Category:創価学会]]<br />
[[Category:島田紳助に本当に潰されるべき人物]]<br />
[[Category:蛆虫]]<br />
[[Category:ニッポン放送]]</div>
Fromm
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6&diff=359837
慰安婦
2018-09-10T11:16:25Z
<p>Fromm: </p>
<hr />
<div>[[Image:従軍慰安婦1.jpg|350px|thumb|朝日新聞により流布された従軍慰安婦説]]<br />
[[Image:韓国人の慰安婦謝罪要求1.jpg|300px|thumb|「日本国民は謝罪しろよ」]]<br />
[[Image:韓国人の慰安婦謝罪要求2.jpg|300px|thumb|「日本人は過ちを認めろよ」]]<br />
[[Image:韓国人の慰安婦謝罪要求3.jpg|300px|thumb|「日本人は保証しろよ」]]<br />
[[Image:韓国人の慰安婦謝罪要求4.jpg|300px|thumb|「日本は正当に補償しろよ」]]<br />
[[Image:韓国人の慰安婦謝罪要求5.jpg|300px|thumb|「日本人は慰安婦を認めて金を払え」]]<br />
[[Image:韓国人の慰安婦謝罪要求6.jpg|300px|thumb|「竹島は韓国の地だ」]]<br />
'''慰安婦'''(いあんふ)とは[[日中戦争]]、[[太平洋戦争]]、[[朝鮮戦争]]及び[[韓米軍事合同訓練]]並びに[[アメリカ軍]]、[[連合国 (第二次世界大戦)|連合軍]]及び[[国連軍]]の駐留時などに、当時の戦地、訓練地、駐留アメリカ軍基地の周りの基地村などに設置された[[慰安所]]と呼ばれた施設で[[旧日本軍]]や[[韓国軍]]やアメリカ軍や国連軍の[[軍人]]に対して、性的サービスを行っていた婦女の総称である。<br />
<br />
== 概略 ==<br />
[[Image:プロ市民3.jpg|350px|thumb|慰安婦をネタに利権を要求する[[プロ市民]]]][[Image:Ianfu-fake.jpg|thumb|自称慰安婦の朝鮮売春婦に抗議する日本人]]<br />
* 支那・大連生まれの元毎日新聞記者 「[[千田夏光]]」 が「従軍慰安婦」という言葉を創造、1973年「従軍慰安婦」を出版 <br />
* 1983年 「[[吉田清治]]」 が自著「私の戦争犯罪」にて「済州島でイアンフ狩りをした」と記載 <br />
* [[1989年]]ハングル版出版、と同時に 「[[青柳敦子]]」 が韓国で「訴訟費用は負担します」とビラ配り <br />
* 驚いた済州島で、地元紙「済州新聞」が綿密な取材を敢行、89年8月14日に『「私の戦争犯罪」は捏造』と報道 <br />
* 2年後の1991年8月11日、突如 「朝日新聞」 が、「元慰安婦に聞き取り調査開始」と報道(いわゆる「イアンフ捏造キャンペーン」開始) <br />
* 記者は「韓国太平洋戦争犠牲者遺族会」理事の娘と結婚していた 「植村隆」 。 <br />
* NHKが終戦記念日企画として「イアンフ」捏造番組を放送。 <br />
* 「[[青柳敦子]]」 が連れてきた「元イアンフ」は 「金学順」 。この後に東京地裁に提訴、訴状には「親に売られた」と記述(ここまで朝日は、常に韓国を『軍事独裁国家』と呼んで蔑んでいた) <br />
* 翌92年1月11日、 「朝日新聞」 が「慰安所 軍関与示す資料」と、 「吉見義明」 の記事を報道。(内容は、軍と警察が違法業者を取り締まるという内容だった) <br />
* 1月16日 「宮沢喜一」 訪韓、何の検証もなしにいきなり謝罪、 <br />
* 1月23日、またしても 「朝日新聞」 が、夕刊コラムで「 吉田清治」 の「私の戦争犯罪」を紹介 <br />
* 6~7月、正論8月号&諸君7,8月号にて、秦郁彦氏が 「吉田清治」 の捏造を看破、騒動が急速に沈静化 <br />
* 「第一次サハリン裁判」で 「吉田清治」 が偽証、担当弁護士は翌年インドネシアで「元イアンフ2万人募集」をやる 「高木健一」 。 <br />
* 「[[加藤紘一]]」 が「慰安所には軍が関与」とし、1993年8月4日 「河野洋平」 が談話発表。 <br />
* 1997年1月3日、『[[朝まで生テレビ!]]』で 「[[吉見義明]]」 が「強制連行&挺身隊が慰安婦にさせられた例は未確認」と自白。 <br />
* 2001年、「[[金学順]]」 東京地裁で敗訴(判決前に既に死亡)、控訴&上告、2004年最高裁にて棄却<br />
<br />
== 在日の[[つかこうへい]]氏の取材の結果 ==<br />
[[Image:慰安婦1.jpg|300px|thumb|「強制連行される女性なんて見たことがない」と証言する韓国の老人たち]]<br />
「悲惨さを調べようと思っていたら、思惑が外れてバツが悪かったが、慰安婦と日本兵の恋はもちろん、心中もあった。僕は『従軍慰安婦』という言葉が戦後に作られたことや、慰安婦の主流が日本人だったことも知らなかった。彼女たちの境遇は必ずしも悲惨ではなかったことが分かった」 <br />
<br />
「常識的に考えて、いくら戦中でも、慰安婦を殴ったりけったりしながら引き連れていくようなやり方では、軍隊は機能しない。大東亜共栄圏をつくろうとしていたのだから、業者と通じてはいても、自分で住民から一番嫌われる行為である“あこぎな”強制連行はしていないと思う。マスコミの多くは強制連行にしたがっているようだけど」 <br />
<br />
=== つかこうへい後日談 ===<br />
日韓文化交流のためつかこうへい劇団で韓国を訪れた際に劇団員がレイプされる。レイプした後、韓国の教授は「友好のためなんだからレイプぐらいでガタガタ騒ぐな」とマスコミの取材にコメントした。<br />
<br />
[[練馬劇団員強姦未遂事件]]を参照。<br />
<br />
== 「新談話ものすごく効果」「国会で朝日、白黒つけよ」2014年8月21日の自民党政調会議抄録 ==<br />
[[Image:慰安婦2.jpg|300px|thumb|「強制連行される女性なんて見たことがない」と証言する韓国の老人たち]]<br />
[[Image:慰安婦3.jpg|300px|thumb|「強制連行される女性なんて見たことがない」と証言する韓国の老人たち]]<br />
21日に開かれた[[自民党]]政調会議の主な内容は次の通り。<br />
<br />
[[高市早苗]][[政調会長]]「未来志向の外交も非常に重要だが、私たちにとっては国家、国民、そして子孫の名誉を守りぬくことも大切なことだ」<br />
<br />
内閣官房担当者「(当時の)朝日新聞の報道で対日批判が強まった。日本政府は強制連行は確認できないとの姿勢を貫いていた」<br />
<br />
外務省担当者「(米カリフォルニア州グレンデール市などに設置されている慰安婦像について)大使館などを通じて、このような動きを阻止できるよう努めている」<br />
<br />
[[片山さつき]]環境部会長「グレンデールの慰安婦だけでなく、日本海を『東海』に変えろというのは同じ(反日)運動だ。組織的に対応しないといけない。河野談話に対しては新談話を出すとものすごく効果がある」<br />
<br />
[[城内実]]外交部会長「(日本と韓国以外の)第三国には粘り強く丁寧に説明し、誤解を解いていかなければならない」<br />
<br />
[[佐田玄一郎]]元行政改革担当相「(河野談話は)どうしてこんな文書になったのか、どこが問題かを内閣官房は言わないとまずい。(韓国は)内政干渉に近いことを言ってきている。日本を大きく毀損した[[朝日新聞]]には、閉会中審査でもいいので、国会で白黒はっきりつけるべきだ」<br />
<br />
[[佐藤正久]]参院議員「(慰安婦を『性奴隷』とした国連欧州本部自由権規約委員会がある)[[ジュネーブ]]できちんと正しい情報を発信すべきだ。外務省が真剣にやらないといけない」<br />
<br />
[[大西英男]]衆院議員「朝日新聞が誤った報道をしたせいで、世界に『性奴隷』という情報が広がっている。朝日の当時の経営者や記者を国会で証人喚問すべきだ」<br />
<br />
[[山田賢司]]衆院議員「自民党として河野談話を総括しないといけない。談話を見直さないのなら、新談話を出すべきだ」<br />
<br />
[[柴山昌彦]]衆院内閣委員長「国際的に権威のある人権機関が正しいコメントを発表するようにしないといけない」<br />
<br />
[[赤池誠章]]副幹事長「改めて新談話を出すのが大事だ。自民党が主導してきちんと強制連行がなかったことを主張しないといけない」<br />
<br />
高市氏「新談話が必要との要望があれば、党として[[菅義偉]][[官房長官]]に要請したい。閣議決定していない河野談話を、なぜ政府が継承するのかというそもそもの疑問もある」<br />
<br />
[[有村治子]]参院議員「虚偽のことを垂れ流し、(旧日本軍の)尊厳を踏みにじる自由は朝日新聞にはない。(同紙が強制連行の証言報道を虚偽と認めたことで)河野談話は根底から揺らいでいる」<br />
<br />
[[丸山和也]]参院議員「韓国とは火花を散らすのではなく、その動きを国際社会の中で封じ込めるのがいい」<br />
<br />
[[簗和生]]衆院議員「朝日新聞の所業についてはしっかりと追及すべきだ」<br />
<br />
== また問題のすり替えとごまかしか 朝日、再度の慰安婦特集記事(2014年8月) ==<br />
[[Image:慰安婦4.jpg|300px|thumb|「強制連行される女性なんて見たことがない」と証言する韓国の老人たち]]<br />
[[Image:慰安婦5.jpg|300px|thumb|「強制連行される女性なんて見たことがない」と証言する韓国の老人たち]]<br />
朝日新聞は28日付朝刊記事で、「[[河野談話]]、吉田証言に依拠せず」との見出しを取り、河野談話が作成されるに至ったことと、自社が執拗に吉田清治氏の「強制連行証言」を取り上げ、国内外に広めたこととは無関係だと印象付けようとしているようだ。その根拠の一つとして、朝日新聞は今回、こう指摘している。<br />
<br />
「(河野談話は)吉田氏が言うような『強制連行』ではなく、女性たちが自由意思を奪われた『強制性』を問題とした」<br />
<br />
朝日新聞は、5日付の特集記事でも「([[平成5年]]8月の談話発表時に)読売、毎日、産経の各紙は、河野談話は『強制連行』を認めたと報じたが、朝日新聞は『強制連行』を使わなかった」と主張した。だが、そこには朝日新聞が触れなかった点が隠されている。<br />
<br />
河野談話の主役である[[河野洋平]][[官房長官]](当時)が、談話発表の記者会見で「強制連行があったという認識なのか」と問われ、こう答えている部分だ。<br />
<br />
「そういう事実があったと。結構です」<br />
<br />
この河野氏自身が強制連行を認めたという事実は、朝日新聞の2度にわたる慰安婦特集記事からは抜け落ちている。政府が今年6月20日に公表した河野談話の作成過程を検証した報告書でも、河野発言は1章を設けて特記されているにもかかわらずだ。<br />
<br />
つまり、河野氏自身は強制連行があったことを前提に河野談話を主導したのだろう。その河野氏の認識に、朝日新聞のおびただしい慰安婦強制連行に関する報道が影響を及ぼさなかったとどうしていえよう。<br />
<br />
朝日新聞は、[[平成6年]]1月25日付朝刊の創刊115周年記念特集記事では「政治動かした調査報道」と題し、こう書いていた。<br />
<br />
「(慰安婦問題など)戦後補償問題に、朝日新聞の通信網は精力的に取り組み、その実像を発掘してきた」「(3年に)韓国から名乗り出た元慰安婦三人が個人補償を求めて東京地裁に提訴すると、その証言を詳しく紹介した。年明けには宮沢(喜一)首相(当時)が韓国を訪問して公式に謝罪し、国連人権委員会が取り上げるに至る」<br />
<br />
河野談話につながる一連の政治の動きに、自社が大きく関与してきたことを誇らしげに宣言している。<br />
<br />
また、朝日新聞は今回、「韓国、元慰安婦証言を重視」との見出しも取り、現役の韓国政府関係者と韓国元外交官の匿名証言をもとに、吉田証言と韓国での慰安婦問題の過熱はかかわりがないと言わんとしている。<br />
<br />
だが、韓国政府が[[1992年]](平成4年)7月に発表した「日帝下の軍隊慰安婦実態調査中間報告書」で、慰安婦動員の実態について「奴隷狩りのように連行」と書いた際の証拠資料とされたのは、吉田氏の著書であり吉田証言だった。<br />
<br />
朝日新聞の28日付特集の主見出しは「慰安婦問題 核心は変わらず」とある。<br />
<br />
5日付記事と照らし合わせると、大事なのは女性の人権の問題だと言いたいのだろう。とはいえ、この論理も、自社が積み重ねた誤報や歪曲報道を枝葉末節の問題へとすり替えたいのだと読み取れる。<br />
<br />
== [[池田信夫]]「朝日新聞のねらいは『慰安婦』ではなく『国家賠償』だった」 ==<br />
[[Image:慰安婦6.jpg|300px|thumb|「強制連行される女性なんて見たことがない」と証言する韓国の老人たち]]<br />
[[Image:慰安婦7.jpg|300px|thumb|「強制連行される女性なんて見たことがない」と証言する韓国の老人たち]]<br />
朝日新聞の誤報事件を解明する上で重要なのは、なぜ彼らがこんなマイナーな数十人の(真偽も疑わしい)紛争に30年以上もこだわってきたのかという疑問だ。この口火を切ったのが、[[清田治史]]記者の書いた[[1982年]]9月の記事だ。<br />
<br />
[[朝鮮人]]男性の抵抗に備えるため、完全武装の日本兵十人が同行した。集落を見つけると、まず兵士が包囲する。続いて吉田さんの部下九人が一斉に突入する。若い女性の手をねじあげ路地にひきずり出す。こうして女性たちはつぎつぎにホロのついたトラックに押し込められた。連行の途中、兵士たちがホロの中に飛び込んで集団暴行した。<br />
<br />
ところが清田記者の[[1983年]]の記事では、慰安婦は消えている。彼の重点は、国家賠償にあった。当時は(男性の)強制連行が話題になり、韓国政府が日本政府に個人補償を要求していた。戦時中に日本に渡ってきた朝鮮人は100万人以上いたので、それにすべて個人補償すると巨額の費用が必要になる。<br />
<br />
国際法的には、賠償の問題は[[日韓基本条約]]で解決ずみだが、韓国政府は強制連行に「超法規的」な国家賠償を要求していた。その中では数十人の慰安婦はマイナーな問題だが、セックスがからむので男性の炭鉱労働より興味を引く。朝日はそれを利用して、韓国の「強制連行に個人補償しろ」という主張を応援したのだろう。<br />
<br />
[[高木健一]]・[[福島みずほ]]などの弁護士の目的も、個人補償の「1兆円訴訟」だった。法的には勝てる見込みはないが、弁護士手数料さえ <br />
取れればいいので、話をなるべく大きくして原告を増やすことが彼らの戦術だった。そのもくろみ通り、日本政府は1993年に河野談話を出し、アジア女性基金という「示談金」を出したが、これがかえって問題を長期化した。 <br />
<br />
このころまでに、産経などの報道で吉田証言が嘘だということがはっきりし、朝日は河野談話の記事では「強制連行」ではなく「強制」という言葉を使った。検証記事では、「東京社会部の記者(53)は[[産経新聞]]の記事の掲載直後、デスクの指示で吉田氏に会い、裏付けのための関係者の紹介やデータ提供を要請したが拒まれた」と書いている(この記者は[[市川速水]]報道局長だと思われる)。<br />
<br />
強制連行がないことがわかっても、朝日だけは「強制性」を根拠に国家賠償を求め続けた。彼らの目的は、政府から個人補償を取ろうとする[[梁順任]]などのたかり行為を応援することにあったからだ。もともと法的根拠はないのだから、強制連行だろうと強制だろうと、政府に責任が <br />
あればいい。 <br />
<br />
ところが、たかりの方便だった慰安婦問題だけがクローズアップされて韓国で「炎上」し、本丸だった(男性の)強制連行が吹っ飛んでしまった。数十人の慰安婦だけ金を取ってもしょうがないので、韓国側はアジア女性基金を拒否し、あくまでも国家賠償を求めた。この点で、日本政府が国家賠償を拒否したのは正解だった。朝日も清田氏が退職してからからは、国家賠償の主張を取り下げた。<br />
<br />
もともと国家賠償は国際法上も無理であり、日本は「示談」に応じたのだから、話は1993年で終わっている。それなのに国家賠償にこだわって撤退しなかったことが、朝日の最大の失敗だった。これは第一報を出した外報部の有力者、清田記者の利害がからんでいるものと思われる。 週刊文春の取材にも彼は答えないようだから、清田氏(もう朝日の社員ではない)を国会に喚問することが事態の解明に不可欠だ。<br />
<br />
== 慰安婦批判に潜む韓国の「意図」ヴァンダービルト大学名誉教授ジェームス・E・アワー ==<br />
[[Image:慰安婦8.jpg|300px|thumb|「強制連行される女性なんて見たことがない」と証言する韓国の老人たち]]<br />
[[Image:慰安婦9.jpg|300px|thumb|「強制連行される女性なんて見たことがない」と証言する韓国の老人たち]]<br />
[[Image:慰安婦10.jpg|300px|thumb|「強制連行される女性なんて見たことがない」と証言する韓国の老人たち]]<br />
[[中国]]が日本を批判するのは、ある意味で当然といえる。中国政府は、自国民の民主的権利を否定する一方で、[[中華人民共和国]]の歴史全体よりも長期にわたり民主国家として成功している日本におびえているとみられる、[[中国共産党]]の専制支配下にあるからだ。<br />
<br />
しかし韓国は、日本に続き民主国家として成長し、その経済・教育制度は日本統治時代を手本にして発展してきたのに、なぜ[[1990年代]]に入って日本を非難するようになったのだろう。それも、日本が今後、韓国の自由や独立への脅威となるからという理由でなく、優に半世紀以上も前の行為に対し、日本が行ったはずの謝罪と償いが不十分だとの理由でだ。<br />
<br />
日本は[[1930年代]]から[[1945年]]まで中国の日本軍に慰安所が提供されたことや、そこで働いていた女性のなかに[[朝鮮人]]がいたことを否定していない。日本は、政府として慰安所を管理した記録は存在しないと度々述べているものの、日本の首脳級の人たちはこれまであらゆる機会に、いかなる形の強制にせよ、行われたと想定される場合には謝罪し、朝鮮の女性が経験した虐待や苦痛に関して、謝ってきた。<br />
<br />
人体実験([[731部隊]])を含む医学的研究を計画し、それに関与した日本の当局者たちは、米国が研究資料を欲したために、連合国軍の占領期間中に告発や起訴されることはなかった。これに対し、慰安所の制度が処罰の対象とならなかったのは、朝鮮や日本の女性の多くは、自ら進んで慰安婦になるか、困窮する親に売られたのであって、拉致されたり、本人の意思に反して強制されたりしたのではないことが、彼女らへの聞き取り調査で結論づけられたからだ。<br />
<br />
多くの日本人は今日に至るまで、慰安婦は比較的高給をもらい、総じて待遇も良く、中には日本兵と結婚する者もいたと信じている。他方、多くの韓国人は現在、慰安婦への強制行為や虐待が横行していたと信じ込んでいる。<br />
<br />
ここで、確認しておくべきとみられる幾つかの事実を挙げたい。<br />
<br />
# 昔も今も売春婦の中には、奴隷とまでいえずとも不本意な労働をさせられている人はいる。が、売春は肉体的束縛という意味では必ずしも「奴隷」ではない。<br />
# 1930年代の日本の慰安婦制度は、日本政府の目には違法ではなかったし、日本政府の民間人や軍当局者を起訴し、戦犯として処刑またはそれより軽い刑で処罰した占領当局の誰もが、それを起訴に値する問題だとは考えなかった。<br />
# 韓国政府が[[1970年代]]、自国経済を救済する目的で韓国駐留米兵のために売春制度を組織したことは、戦後生まれの韓国人の多くが知っているが、彼らは日本が1930年代に朝鮮人女性を違法に誘拐、抑圧、虐待したりはしなかった、とは考える気がないようだ。<br />
# 日本が強制行為への当局の関与をいくら否定しようとしても、韓国人の多くや日本人ではない一部の人々には、日本政府の隠蔽工作と受け取られる。<br />
# [[朝日新聞]]が[[2014年]]8月、同紙が長年報じてきた、済州島の朝鮮人女性が日本に強制連行されたとする一連の衝撃的な記事は誤報だったと認めた。韓国などにいる日本を批判する人々は、これに関し、これらの記事が原因で韓国人が日本に怒りを向けるようになったのではないとしつつ、朝日新聞が日本の強制行為を繰り返し強調したことで、その信憑性が一層増したことは否定し難い、としている。<br />
<br />
今日、日本や韓国、その他多くの国々で売春は違法とされる。だが、「世界最古の職業」としばしば呼ばれる売春は、ほとんどの場合は無理強いというよりも、人間の性により、いまだに存在する。<br />
<br />
また、日本人は過度に順法主義だと類型化されるのに対し、日本を批判する人々は、日本は民主的な意思決定と法の支配の面で弱点を抱えると主張する。1930~1940年代の慰安婦問題、1970~[[1980年代]]の「不公正」な取引慣行、そして現在の捕鯨やイルカ漁は、日本の特質を表す証拠に挙げられる。<br />
<br />
公平を期すれば、国内法や国際法を順守しようとする日本の努力は、こうした法律を称揚しつつも日本ほど熱心に順守するわけではない諸外国から、何の法的根拠もなく批判されることがあるという事実は認識されるべきだ。<br />
<br />
戦時中にどのような強制行為や虐待があったとしても、それに対して日本が謝罪するときに誠実さを表す最大の根拠となるのは、敗戦後60数年間にわたる日本の良き振る舞いだ。[[1998年]]、[[金大中]]大統領は[[小渕恵三]]首相と発表した共同宣言で日本の謝罪を受け入れた。<br />
<br />
だが、金氏の後任の大統領たちは、いかなる理由からか、小渕氏と金氏の合意をほごにする代わりに、1945年以降の日本の行いを無視し、物議の的となっている歴史を強調することに決めた。国内政治が動機となっていると推察するのは難しくないが、日本の成功への嫉妬と、日本が順法国家であろうとする努力に対し、故意に知らないふりをしているか、本当に無知だという事情もあるのだろう。<br />
<br />
==概観==<br />
制度としての慰安婦は、軍相手の「管理[[売春]]」という商行為をおこなう存在であったが、実態については、慰安婦達に報酬が払われていたとはいえ過酷な[[セックスワーカー|性労働]]を強いた性的な奴隷に等しいとする主張もあり、旧日本軍のケースでは慰安婦を[[強制連行]]したのか否か、強制的なものであったか等の点に疑問が呈されており、日本の国としての責任や女性の[[人権]]などの観点をめぐって、政治的・社会的に大きな議論を呼ぶ問題となっている。<br />
<br />
韓国のケースでは[[韓国]]政府やアメリカ政府による強制があったとされている。朝鮮戦争中に韓国軍に逮捕された北朝鮮人女性達は強制的に慰安婦にされることもあった。さらに韓国軍の北派[[工作員]]は北朝鮮で[[拉致]]と[[強姦]]により慰安婦をおいていた。少なくとも[[1980年代]]までは韓国人女性達はアメリカ軍相手の売春を韓国政府やアメリカ人により強制されていた。[[1990年代]]の韓国では、アメリカ軍基地の近くで韓国人業者により[[フィリピン]]人女性達が売春を強制されていた。1990年代中ごろから[[2002年]]までに5000人もの[[ロシア人]]やフィリピン人女性達が韓国に[[密入国]]させられた上で売春を強制させられていた。[[2000年代]]の韓国では、韓国軍相手の女性達の90%がロシア人やフィリピン人女性などの外国人であるとされている。<br />
<br />
[[日本]]政府としては、[[1951年]][[9月8日]]に[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]諸国と[[日本国との平和条約]]を締結し、関係諸国との2国間条約を締結し請求権問題を解決した。[[1965年]][[6月22日]]には[[韓国]]と[[財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定]]を締結し、両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認した。近年では、[[1994年]][[8月31日]]に[[村山富市]][[内閣総理大臣]]は元慰安婦に対して謝罪の談話を出している。また、[[1996年]]には[[橋本龍太郎]]内閣総理大臣は元慰安婦に対して謝罪の手紙を出している。同時に、[[サンフランシスコ平和条約]]、[[日本の戦後補償条約一覧|二国間の平和条約及び諸条約]]([[日韓基本条約]]など)で法的に解決済みであることを明らかにしている。しかしながら、女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であるとの認識のもと、道義的責任の観点から、[[アジア女性基金]]の事業への協力、日本人女性を除く元慰安婦に対する医療・福祉支援事業に対し資金拠出などを行った。1997年1月よりアジア女性基金は償い金の給付と医療福祉援助を行い、韓国人、台湾人、オランダ人、フィリピン人女性などが受給した。<br />
<br />
韓国では、[[1997年]]に11名の元日本軍慰安婦がアジア女性基金による償い金を受領したが、[[1998年]]に韓国政府はアジア女性基金の償い金の受け取りは認めない方針を示した。これに対して日本側は医療施設建設など事業転換を提案したが、[[1999年]][[6月]]に韓国政府は改めて拒否を通告した。これにより、韓国政府はアジア女性基金による償い金受けとらないと誓約した元日本軍慰安婦には生活支援金を支給することとし、韓国政府認定日本軍慰安婦207人のうち、アジア女性基金から受給した元慰安婦や既に亡くなったものを除く142人に生活支援金の支給を実施している。一方、アメリカ軍相手の売春を強制されていた女性達は謝罪と補償を求めているが、自発的な[[売春婦]]であるとして一切の謝罪・補償をおこなっていない。アメリカ軍相手の売春を韓国政府やアメリカ人により強制されていた女性達は韓国政府の日本に対する絶え間ない賠償要求は韓国自身の歴史に対する欺瞞であると訴えている。2000年代以降、[[韓国挺身隊問題対策協議会]]や韓国政府主催の[[世界韓民族女性ネットワーク]]は日本軍慰安婦への謝罪と賠償を求める活動を[[世界]]各国で繰り広げている。<br />
<br />
[[2007年]][[7月30日]]、[[アメリカ合衆国]]議会は日本政府によって日本軍のために、いまだかつてないほどの残酷さと規模であった[[20世紀]]最大の人身売買の1つであるとし、性奴隷にされた慰安婦とされる女性達への公式な謝罪、歴史的責任、あらゆる異論に対する明確な論破及び将来の世代にわたっての教育をすることを日本政府に要求するとした[[アメリカ合衆国下院121号決議]]を採択した。アメリカ合衆国の動きを受けて、[[9月20日]]に[[オーストラリア上院慰安婦問題和解提言決議]]、[[11月20日]]に[[オランダ下院慰安婦問題謝罪要求決議]]、[[11月28日]]に[[カナダ下院慰安婦問題謝罪要求決議]]、[[12月13日]]に欧州連合(European Union)の欧州議会本会議、[[2008年]][[3月11日]]に[[フィリピン]]下院外交委、[[10月27日]]に[[韓国国会]]は[[謝罪]]と賠償、[[歴史教科書]]記載などを求める決議採択、[[11月11日]]に[[台湾]]の立法院(国会)が日本政府による公式謝罪と被害者への賠償を求める決議案を全会一致で採択されるなど、[[サンフランシスコ講和条約]]締結国から次々に日本のみを対象とする決議が出されている。これらの諸国は朝鮮戦争に国連軍としても参加している。軍事裁判や講和条約でその責任や賠償は終わっている、サンフランシスコ講和条約以前のことを持ち出すことは[[国際法]]違反であると指摘されている。[[アラブ]]メディアは、アメリカ合衆国は日本と中国・韓国との間に問題を創出したいのであると報じている。2009年に入ると日本に謝罪を要求する[[国連決議]]が可決されるよう[[アメリカ合衆国下院|アメリカ合衆国下院議員]]たちや[[ナヌムの家]]が活動を行っており、韓国政府はこれらの動きを努力を評価すると明らかにしている。アメリカ合衆国では日本軍の慰安婦を対象とした「従軍慰安婦[[記念碑]]」を「[[ユダヤ人虐殺]]記念碑」と同等とみなして全米各地で建立する運動が[[韓国人]]によって行われており、図書館などの公共施設の入り口に設置することが許可されている。2009年9月現在は、アメリカ合衆国議会によって、日本政府に謝罪を求めるとした国連決議がなされるよう働きかけが行われている。<br />
<br />
日本国内では、「慰安婦」問題に対して日本政府が誠実な対応をするよう求めるとした意見書を、[[2008年]][[3月28日]]に兵庫県宝塚市議会が採択したのをはじめ、[[6月25日]]には東京都清瀬市議会、[[11月7日]]には北海道札幌市議会、[[2009年]][[3月25日]]には福岡県福岡市議会、[[6月22日]]には大阪府箕面市議会、[[6月23日]]には東京都三鷹市議会、[[6月24日]]には東京都小金井市議会、[[6月29日]]には京都府京田辺市議会が、それぞれ同様の意見書を賛成多数で採択している。[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]らによって日本人女性を除く元日本軍慰安婦に対して新たな謝罪と補償と戦時性的強制被害者という新たな呼称を定めるための[[戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案]]が提出されており、政権獲得後に実現させるとしている。<br />
<br />
[[2009年]][[8月14日]]、[[大韓民国外交通商部]]の見解によると[[財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定]]で日本政府から[[無償]]で支給された3億ドル([[1965年]]当時のレートで1080億円)に未払い賃金分が含まれており、すでに補償は解決済みとしていることが明らかになった。<br />
<br />
== 慰安婦の概要 ==<br />
=== 呼称 ===<br />
==== 当時の呼称 ====<br />
当時女性達は、「'''慰安婦'''」という呼称が用いられていた。当時の文献によると、「慰安婦」という呼称のほかに「(料理店の店員を名目として)'''酌婦'''」「(慰安所)'''従業婦'''」「(慰安所)'''稼業婦'''」「'''醜業婦'''(売春婦)」などという呼称が存在していた。<br />
<br />
また現地の軍人は、慰安婦のことを「'''ピー'''」、慰安所のことを「ピー屋」」と呼んでいたとも言われている。慰安所に限らないが「'''娘子軍'''(=からゆき=海外出稼ぎ娼婦)」という言い方も多い。また、海軍では「'''特要員'''」の名の下に戦地に送られたとも言われている。朝鮮戦争後は「'''美軍慰安婦'''」「'''洋パン'''(ヤン・セクシ)」「'''洋姫'''(ヤン・コンジュ)」「'''[[挺身隊]]'''」とも呼ばれていた。 <br />
<br />
==== 「慰安婦」か「従軍慰安婦」・「戦時性的強制被害者」か====<br />
[[1980年代]]以降、旧日本軍が戦地の女性を慰安婦にするため、[[強制連行]]したという主張がなされ、社会問題となった当初は、[[千田夏光]]が自著の題名を自身の造語である『従軍慰安婦』([[双葉社]] [[1973年]])としたことの影響もあり、日本軍の慰安婦は「'''従軍慰安婦'''」と呼ばれることが多かった。<br />
<br />
これに対し“従軍”という言葉を巡り、慰安婦は旧日本軍による強制ではなかったとする立場から「旧日本軍が[[強制連行]]した証拠はない」、「当時、『従軍慰安婦』という言葉はなく、『慰安婦』と呼ばれていた」という主張や、また強制であったとする立場においても、女性団体などから「従軍という言葉は自発的なニュアンスを感じさせる」との批判や抗議などがなされたため、近年の[[マスメディア]]による報道では概ね「慰安婦」という呼称が用いられるようになった。<br />
<br />
現在でも一部に「従軍慰安婦」という呼称が用いられる例がある。[[2009年]][[7月10日]]、[[埼玉県]]平和資料館で[[在日本大韓民国民団]]が歴史年表の「従軍慰安婦」から「従軍」の2文字が削除されたことについて復元するよう抗議を行った。<br />
<br />
日本では[[2000年代]]から[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]などによって日本軍慰安婦(日本人女性のみ排除)は「'''戦時性的強制被害者'''」という新たな名称で呼ばれており、民主党などが提出する元日本軍慰安婦とされる女性たちへの新たな謝罪と賠償を行うとする法案名は「[[戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案]]」とされている。<br />
<br />
==== 海外における呼称 ====<br />
[[大韓民国|韓国]]では、日本軍を対象とした慰安婦問題が起こった当初から、「[[女子挺身隊]]」との混同から呼ばれてきた「'''挺身隊'''」という呼称が一般に定着している。なお、アメリカ軍相手の慰安婦は韓国警察や韓国公務員により挺身隊とも呼ばれていた。<br />
<br />
日本軍のみを対象とした慰安婦問題の代表的団体である「[[韓国挺身隊問題対策協議会]](挺対協)」は「従軍慰安婦という言葉は正しい表現ではない」とし、「'''日本軍慰安婦'''」と呼んでいる。。<br />
<br />
[[英語]]圏では、「慰安婦」を直訳した“'''Comfort Woman'''”という呼称が用いられている場合が一般的である。しかし近年、慰安婦制度を人権問題や戦争責任問題などとして告発する立場などにおいては、性奴隷の訳語に当たる“'''Sex Slave'''”の用語が用いられることもある。『[[ニューヨーク・タイムズ]]』は日本軍相手の女性達を'''性奴隷'''もしくは'''慰安婦'''と呼称しているが、アメリカ軍相手の女性達は日本軍の慰安婦とは異なるとして'''売春婦'''と呼称している。一方、アメリカ軍や韓国軍などを相手とした女性達への当時の韓国政府や韓国報道機関による公式呼称は'''慰安婦'''である。<br />
<br />
==== その他の呼称 ====<br />
慰安婦制度に批判的な者の中には、「慰安婦」という言葉は実態を反映していないとして、「'''日本軍性奴隷'''」という用語を使用したり、慰安婦を括弧付きで使用している者もいる。<br />
<br />
=== 総数 ===<br />
====日本軍慰安婦====<br />
'''日本における諸説'''<br />
*日本政府調査([[1991年]] - [[1993年]])では、慰安婦の総数を示した資料も、それを推認するに足りる資料もなかったので、総数を確定することは困難であるが、長期かつ広汎に慰安所が設置された数多くの慰安婦が存在したものと認められるとしている。<br />
*[[日本大学]]教授[[秦郁彦]]は総数'''2万人'''程度と推定している。<br />
*[[中央大学]]教授[[吉見義明]]は、総数を'''8万人'''から'''20万人'''と推定している。<br />
*[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]公式ホームページでは'''8万人''' - '''20万人'''としている。<br />
<br />
'''韓国における諸説'''<br />
*[[韓国|韓国政府]]認定の元日本軍慰安婦は'''207人'''である。<br />
*[[2009年]]現在、韓国で元日本軍慰安婦であると名乗り出ているものはすでに亡くなったものを含めて'''234人'''である。<br />
*[[李榮薫]][[ソウル大学]]教授によると、[[1937年]]に日本軍首脳は兵士150人につき1名の慰安婦を充当せよという指令を出したとしている。<br />
*[[中央日報]]では、名前は明らかにしないが歴史学者たちによると'''20万人以上'''としている。<br />
<br />
'''アメリカ合衆国における諸説'''<br />
*[[ニューヨークタイムズ]]は名前は明らかにしないが[[日本人]][[歴史学者]]達によると日本軍慰安婦は'''最大20万人'''であったとしている。<br />
*アメリカ合衆国の[[歴史教科書]]『Tradition & Encounters:A Global Perspective on the Past』では、最大で'''30万人'''もの14-20歳の女性たちを強制的に徴集して性行為を強要したとしている。さらに、「日本軍は慰安婦たちを[[天皇]]の贈り物と言いながら兵士などに提供した。慰安婦たちは韓国と台湾、満洲、フィリピンなど東南アジア各国から連れてこられ、80%が韓国出身であった。逃げようとしたり性病にかかると日本兵などによって殺され、戦争が終わるころには兵士などが隠蔽するために慰安婦たちを大挙虐殺した。」などとしている。この歴史教科書は[[2003年]]より数千校で100万人以上の学生に使用されている。<br />
<br />
====韓国軍・アメリカ軍慰安婦====<br />
*韓国陸軍本部が1956年に編さんした公文書『後方戦史(人事編)』によると韓国軍慰安婦は1952年における4小隊に限ったケースだけでも'''89人'''の慰安婦が204,560回の行為を行わされていたとされる。総数は不明である。<br />
*[[1955年]]のソウル市警察局によると米軍相手の性売買女性は'''61,833名'''であった。<br />
*[[1962年]]の韓国ではアメリカ兵相手の慰安婦として'''2万名以上'''が登録されていた。<br />
<br />
==== 諸説 ====<br />
==== 総数についての諸説 ====<br />
: [[1969年]]、韓国の日刊紙が挺身隊動員を受けた女性が20万人(日本における挺身隊の結成率は1944年5月でわずか7%であり、挺身隊の結成率があまりにも低かったため、1944年8月の女子挺身勤労令で挺身隊は強制動員になった。1944年以降の12歳以上の生徒や学生の動員は300万人だったという。(1940年当時の日本の人口は7,000~7,500万)、その内、朝鮮人が5 - 7万と報じる)。<br />
<br />
: [[1973年]][[1974年]]、[[千田夏光]]。慰安婦に関する著作の中で、慰安婦35人に対し朝鮮人は1人の比率で計算し、慰安婦8.4万人、朝鮮人が6.5万人と推計。 他に韓国の資料が「挺身隊20万の内、5 - 7万が慰安婦とされている」ことに言及(慰安婦と挺身隊との混同の始まりとされる)。<br />
: [[1976年]]、在日朝鮮人作家、[[金一勉]] (キム・イルミョン)。業者が29:1が好ましい数字だと語っていたことから慰安婦17 - 20万人。内、8、9割が朝鮮人。<br />
: [[1984年]]、元『[[東亜日報]]』編集局長の[[宋建鎬]](ソン・ゴンホ)の「日帝支配下の韓国現代史」で「日本が挺身隊という名目で連行した朝鮮人女性は、ある記録によると20万人で、うち5 - 7万人が慰安婦として充員された」に変わる(1969年の報道記録からと見られるという)。(業者が貧しい娼婦に声をかけたり、顔役を通じてだまして慰安婦にしたという)。<br />
: [[1993年]]、「挺身隊研究会」会長の[[鄭鎮星]] (チョン・ジンソン)ソウル大学教授。「8万人から20万人と推定される慰安婦のうち、絶対多数を占めると思われている朝鮮人慰安婦」と書いており(独自根拠不明)、[[詐欺]]を強制に含めている。<br />
: [[1993年]]、[[日本大学]]教授[[秦郁彦]]。50:1の比率から、6万、交代して9万(のちに変更)。<br />
: [[1995年]]~[[1990年代]]後半、[[中央大学]]教授[[吉見義明]]。[[上海]]で[[1939年]]、[[性病]]防止のために「陸軍は上から兵100人に1人の「慰安婦」と言われた」ことと、それに現地の軍が独自に(犯罪を含めて)集めた数を加えた数字の範囲で、29:1の比率(交代率2)から8~20万人と推定。(これらの説では当時の下級兵士の回想から、朝鮮人女性が多かったと見ている)<br />
: [[1999年]]、[[日本大学]]教授[[秦郁彦]]。華南での兵力と慰安婦の比率、慰安所の数、経営上の計算、[[コンドーム]]使用量、国内公娼の客と[[娼妓]]の比率、どれからしても3万以下が妥当で、交代率をかけずに2万人程度と推定している(泰郁彦の計算は、狭義の慰安婦であり、民間の娼婦が別に数千人程度いたと想像している。また、在中国[[領事館]]のこの業種全体の統計から、朝鮮人は意外と少ないと見、また南方現地人、中国系の多さを指摘している)。<br />
: [[1996年]]、[[上海師範大学]]教授[[蘇智良]](Su Zhiliang)。中国・[[天津]]の慰安所研究により、慰安婦の総計を40万人として朝鮮人20万人を引いて中国人と日本人が10万ずつとしていた(のち変更)。<br />
: [[1998年]]、国連に提出の「[[マクドゥーガル報告書]]」の付属文書。20万人以上。朝鮮人14万人が死亡。→根拠 は1965年(昭和40年)6月、日本は韓国との間で締結した「[[日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約|日韓基本条約]]」 において多額の援助を約束した。その援助は、無償援助が政府年間予算の1割、極めて長期で無償に近いと言われたものを入れると、年間予算の1/4に相当した。 [[荒船清十郎]]代議士は条約締結の半年後、自身の選挙区の集会において、日本が朝鮮に対して大変なことをしたのに、補償額を大幅に負けさせたという話をした。<br/><br />
荒船は、「強制連行の中から兵士にして戦死したのが56万7千人、慰安婦を消耗品にして14万2千人、貯金として、1100億円、その他、文化財を役人が奪ったものをすべてで50億ドル請求していたのを3億ドル(1100億円)にまけさせた」と語った。<br/><br />
この発言が後に、1998年の「[[マクドゥーガル報告書]]」において、旧日本軍が慰安婦を性奴隷にし、大虐殺したことの根拠とされた。これについて「アジア女性基金」は、韓国政府は、韓国人労務者、軍人軍属のうち10万2603人が負傷ないし死亡したと指摘したが、「慰安婦」のことは一切持ち出しておらず、数字などすべては荒船の嘘であるとしている。(また、文化財も民間所有であり、3億[[ドル]]とは別に寄付ということで韓国に引き渡されている)また、中国では金一勉の論文から荒船発言を知り、自身の推定した36万~41万人の慰安婦」総数のうち14万2千人を引いて、中国人「慰安婦」は20万人とする研究も出ているという。<br/><br />
なお、「[[荒船清十郎]]」代議士は運輸大臣、衆院副議長経験者であるが、放言と地元への利益誘導などで有名である。<br/><br />
またさらにこの報告書は、1965年の荒船発言を、1975年の声明として引用している(『マクドゥーガル報告書: [[1999年]] - [[2003年]]、再度、上海師範大学教授蘇智良。総数36万 - 41万人、朝鮮人14万人、強制連行されて慰安婦にされた中国人が20万人に及ぶとしている。<br />
: [[2004年]]、アジア女性基金では、100:1が妥当な数字とし、マクドゥーガル文書における朝鮮人慰安婦の人数・死亡者数に根拠はないとしている。<br />
: [[2005年]]4月、[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]の国連代表部金永好書記官が[[ジュネーブ]]の国連人権委員会で、慰安婦の数は20万人で、強制連行された人数は840万人だと主張。この頃の韓国の高等学校の教科書は慰安婦の数を「数十万人」と、「強制的に連れて行かれた」人々を「650万人」と教えている。<br />
<br />
* 慰安婦の総数を推定する上で、当時の朝鮮半島の人口、日本軍の総数等が参照される場合があるので、以下に参考として記述する。<br />
: 全体: 陸軍は慰安施設を、[[1942年]]9月頃に400箇所([[満州国|満州]]を除く)作ったとされる。<br />
: 当時の朝鮮半島の総人口は『[[朝鮮総督府]]統計年報 明治42-昭和15年度』によれば約2500万人前後であった。<br />
: 日本の女子挺身隊の結成率は1944年5月では7%。。<br />
<br />
* 韓国政府に旧日本軍の元慰安婦として登録されている女性は合計215人で、内88人が亡くなっている(2005年1月現在)。<br />
<br />
==== 民族別の内訳 ====<br />
* 政府の調査においては、慰安婦には、[[日本人]]、[[朝鮮民族|朝鮮人]]、[[台湾人]]、[[中国人]]、フィリピン人、インドネシア人、オランダ人がいたことが確認されている。<br />
* [[1940年]]([[昭和]]15年)1月時の[[性病]]に感染した兵士が相手にした女性の内訳の記録として、日本人26.3%、朝鮮人45.3%、中国人28.4%というデータが残っている。<ref>「北支派遣多田舞台冨塚舞台副島隊調査」(昭和15年1月)</ref>また、同様に1940年(昭和15年)10月時の性病の感染相手の女性別の記録として、日本人16.4%、朝鮮人29.8%、中国人20.7%というデータが残っており、朝鮮人が多くなっている旨の言及も残されている。<ref>「[[日中戦争|支那事変]]ニ於ケル軍旗風紀ノ見地ヨリ考察セル性病ニ就テ」(1936年(昭和15年)10月)</ref><br/><br />
* 吉見義明らは、これらのデータから、慰安婦で最も多いのは朝鮮人であり、これに次いで中国人の割合が多かったと推定している。このような割合は、元慰安婦の証言や、兵士の回想録とも概ね整合している。<!--・・・意味がわからないためコメントアウト(他面、当時中国人娼婦の感染率が高いとされていたこと・・・もしかして感染者の間違い?→ いいえ、感染率です。太平洋戦争前の華北の軍の調査だったと思います。 アジア女性基金の政府資料から)、回想者は末端の慰安所を利用することの多かった下級兵士が多いとの指摘もある。--><br/><br />
* 一方、渡航目的等を記録した公的な資料等によれば、慰安婦の出身者としては日本人が多かったことも分かっている。秦郁彦は、日本国内の[[遊郭]]などから応募した者が40%程度、現地で応募した者が30%。朝鮮人が20%、中国人が10%程度としている。残存している公的な資料に記録されていない場合もあるため、正確な内訳を把握することは困難になっている。<br />
<br />
=== 慰安所の設置と背景 ===<br />
* 日本政府調査によれば、慰安所は、日本、中国、[[フィリピン]]、[[インドネシア]]、マラヤ(現:[[マレーシア]])、[[タイ王国|タイ]]、ビルマ(現:[[ミャンマー]])、[[ニューギニア島|ニューギニア]](当時)、[[香港]]、[[マカオ]]及び[[フランス領インドシナ]](当時)に設置されたことが確認されている。<br />
* [[1950年]]、韓国[[釜山]]に軍慰安所の設置、[[馬山]]に連合軍の慰安所の設置がされる<ref name="tongiltv20081017">[http://s03.megalodon.jp/2009-0421-1838-16/www.tongiltv.net/www/bbs/board.php?bo_table=new8&wr_id=278 "米国と韓国の軍の性売買は国際法違反" (“미국과 한국의 미군성매매는 국제법 위반”)] 統一TV 2008年10月17日 (韓国語)</ref><br />
* [[1951年]]、釜山慰安所74ヶ所と国連軍専用ダンスホール5ヶ所の設置が許可される<ref name="tongiltv20081017"/>。韓国軍慰安所が設置される(特殊慰安隊)<ref name="tongiltv20081017"/>。 <br />
* 朝鮮戦争中には韓国にも設置されたことが韓国陸軍本部が1956年に編さんした公文書『後方戦史(人事編)』<ref name="asahi20020223"/>に以下のように記録されている。<br />
{{quotation|士気昂揚はもちろん、戦争という事実に伴う避けることの出来ない弊害を未然に防ぐことができるだけでなく、長時間にわたる報われない戦闘によって後方との行き来が絶えているため、この性に対する思いから起こる生理作用による性格の変化などによって鬱病、その他の支障を招くことを予防するために、本特殊慰安隊を設置させた。<br/>''陸軍本部軍事監室「後方戦史(人事編)」1956年、148頁''<ref name="LeeYoungHoon"/>}}<br />
<br />
その他、慰安所を中心とした視点と詳細については、「[[慰安所]]」の記事を参照。<br />
<br />
=== 募集 ===<br />
[[File:COMFORTAdd.GIF|thumb|600px|朝鮮半島の新聞に載せられた慰安婦募集広告]]<br />
(※軍の関与・強制性、強制連行の有無の点については論争となっている。詳細は[[#論点|論点の節]]を参照)<br />
* [[1944年]]に、当時の朝鮮の最大手の新聞『[[京城日報]]』(7月26日付)が「慰安婦至急募集」との紹介業者の広告を掲載。300円([[京城帝国大学]]の卒業生の初任給75円の約4倍に当たる)以上の月収と記載されていた。また [[朝鮮総督府]]の機関紙『[[毎日新報]]』(10月27日付)の「軍慰安婦急募集」との紹介業者の広告では行き先は部隊の慰安所であると明記されている。これらの募集の待遇が非常に好条件であることから、慰安婦が強制連行され、悲惨な生活を強いられたとする主張に疑問を投げかけられており、連絡先に朝鮮人らしき名前も見られることから、朝鮮人自体も慰安婦募集に関わっていたことが指摘されている<ref name="tyannerusakura20050615">『日本文化チャンネル桜』2005年6月15日放送 </ref>。<br />
* 『京城日報』(1944年7月26日付)「慰安婦至急募集」<br />
** 年齢 17歳以上23歳まで<br />
** 勤め先 後方○○隊慰安部<br />
** 月収 300円以上(前借3000円まで可)<br />
* 『毎日新報』(1944年10月27日付)「軍慰安婦急募集」<br />
** 行先 ○○部隊慰安所<br />
** 応募資格 年齢18歳以上30歳以内身体強健女性<br />
** 募集期日 10月27日より11月8日<br />
** 契約及待遇 本人面接後即時決定<br />
** 募集人員 数十名<br />
** 希望者 左記場所に至急問議の事<br/>京城府鍾路区○園町195 朝鮮旅館内光○2645 (許氏)<br />
* 1992年・1993年の[[宮澤内閣]]当時の日本政府の調査報告や「河野談話」においては、「軍当局の要請を受けた慰安所の経営者が、斡旋業者に慰安婦の募集を依頼することが多かった、戦争の拡大とともに慰安婦の必要人数が高まり、業者らが甘言や脅迫等によって集めるケースが数多く、官憲等が直接これに荷担するケースもみられた[<ref name="kankeisiryousyuusei"/>,1・14頁]」と報告されている。ただし、「軍ないし官憲などの公権力による強制連行」を示す資料はなかったが、総合的に判断した結果、一定の強制性があるとしたものであることが1997年の国会での政府答弁<ref name="k19970130">[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/140/1380/14001301380002c.html 第140回国会 参議院 予算委員会 第2号] 平成9年(1997年)1月30日</ref><ref name="k19970312">[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/140/1380/14003121380008c.html 第140回国会 参議院 予算委員会 第8号] 平成9年(1997年)3月12日</ref>や河野洋平元官房長官、や[[石原信雄]]元官房副長官などによって明らかにされている。<br />
* 慰安婦問題の研究者[[秦郁彦]]は([[女衒]]と呼ばれる)[[ブローカー]]が親または本人と話し合い、慰安所の業者に送ったのであり、業者は日本人と朝鮮人が半々だが、ブローカーは100パーセント朝鮮人だと語っている。<ref name="takajinnnosokomade20050410">『[[たかじんのそこまで言って委員会]]』2005年4月10日放送</ref><br />
* [[海軍省]]の[[潜水艦]]本部勤務を経て[[ペナン]]島の潜水艦基地司令部に勤務していた[[井浦祥二郎]]によれば、軍中央がペナン島に将兵の娯楽ために慰安所を設置することを公然と指示し、各地の司令部が慰安所の管理をしたという。井浦は「わざわざ女性を戦地にまで連れてきたことをかわいそうだ」と感じ、「そのくらいならば、現地女性を慰安婦として募集した方がよかった」という旨を自著で述べている。<ref name="name">[[井浦祥二郎]] <!-- この書籍自体の記事はないので、内部リンクは不適当→ -->『潜水艦隊』 [[学研ホールディングス|学習研究社]] (2001年6月)</ref><br />
*[[1961年]][[9月14日]]付け[[東亜日報]]には、13日から国連軍相手の慰安婦登録実施と記載されている<ref name="アメリカ・国連軍慰安婦"/>。<br />
<br />
=== 現地への輸送 ===<br />
* 旧日本軍は、業者が慰安婦らを船舶等で現地に送るに際には、彼女らを特別に[[軍属]]に準じた取扱いにし、渡航申請に許可を与え、日本政府が[[身分証明書]]等の発給を行ったりした。軍の船舶や車両によって戦地に運ばれたケースも少なからずあり、現地に置き去りにされた事例もあったという。<ref name="kankeisiryousyuusei"/><br />
<br />
* 吉見義明によると、地域の状況を問わず、軍の進出に伴い、兵士が存在する地域には慰安所が設置されていったため、慰安婦が前線基地に派遣される場合も多く、そのため、慰安婦が空襲や爆撃の被害を受けたこともあったという<ref name="yosimijyugunianhu">吉見義明 『従軍慰安婦』 [[岩波新書]] 1995年 4月</ref><ref name="yosimi30true&amp;false">吉見義明、[[川田文子]] 『「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実』 [[大月書店]]1997年 7月</ref><ref>1962年の国会において、厚生省(現:[[厚生労働省]])は「慰安婦は、軍属にはなっていないが、敵襲を受けるなどの部隊の遭遇戦で亡くなった場合は戦闘参加者として準軍属の扱いをしているはず」と答弁している。[http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_dispdoc.cgi?SESSION=8716&SAVED_RID=1&PAGE=0&POS=0&TOTAL=0&SRV_ID=2&DOC_ID=12432&DPAGE=1&DTOTAL=1&DPOS=1&SORT_DIR=1&SORT_TYPE=0&MODE=1&DMY=9087 第040回国会 衆議院 社会労働委員会 第27号] 昭和37年(1962年)4月11日</ref>。<br />
<br />
* 朝鮮戦争中は、ドラム缶に女性を一人ずつ押し込んでトラックに積んで前線を移動して回っていた<ref name="LeeYoungHoon"/>。<br />
<br />
=== 慰安所の管理・運営 ===<br />
; 日本国<br />
* 1993年、弁護士の[[高木健一]]らが日本政府を訴える元慰安婦を探しにインドネシアを訪ねた模様を紹介した[[ドキュメンタリー]]で「あの朝鮮人は誰だったろう。全員がいなくなってしまったんです。私たちは無一文で置き去りにされたんです」との証言があり、慰安婦の経営は朝鮮人も行っていたことが明らかになっている<ref>[http://www2s.biglobe.ne.jp/%7Enippon/jogbd_h11_2/jog107.html Media Watch: 「従軍慰安婦」問題(下)~仕掛けられた情報戦争~]によれば、 [[中京テレビ放送|中京テレビ]]製作の『IANFU(慰安婦)インドネシアの場合には』において、元慰安婦の話に対する日本語の[[なぞりテロップ|テロップ]]は「戦争が終わると日本人は誰もいなくなっていたんです。私たちは無一文で置き去りにされたんです。」となっていたが、実際には、元慰安婦は[[インドネシア語]]で「あの朝鮮人は誰だったろう…」と語っていたという。</ref>。<br />
<br />
* 太平洋戦争の生き残りの兵士として有名になった[[小野田寛郎]]は[[1940年]]前後に、商事会社の漢口(現・[[武漢]])支店に勤務していた時代に、朝鮮半島ではあくどく詐欺的な手段で女を集めた者がいると言う話をしばしば聞いたという。中国[[江西省]]南昌の「慰安所」は連隊本部の守備陣地の一隅に鉄条網で囲まれて営業しており、軍規の維持と[[ゲリラ]]の奇襲攻撃を警戒するため、鉄帽を被り、銃と剣を携えた歩哨らが、慰安所の内部まで巡察し、利用者数の記録を確認したという。<ref name="watasigamita"/><br />
<br />
; 韓国<br />
* 韓国軍は直接慰安所を経営することもあり、韓国陸軍本部は特殊慰安隊実績統計表を作成していた<ref name="asahi20020223"/><ref name="Ilyosisa20020326"/>。<br />
<br />
* 韓国軍は部隊長の裁量で、周辺の私娼窟から女性を調達し、兵士達に補給した<ref name="LeeYoungHoon"/>。<br />
<br />
* 韓国軍によりトラックで最前線まで補給された女性達は、夜になると開店しアメリカ兵も大いに利用した<ref name="LeeYoungHoon"/>。<br />
<br />
* 韓国におけるアメリカ軍相手の女性達は性病の疑いをもたれると韓国警察により[[モンキーハウス]]と呼ばれる窓に柵のされた施設に留置され強制的に薬を完治するまで飲まされることとなっていた<ref name="NYTimes20090108"/>。また、性病に罹患した女性達は治るまでの間は強制的に拘置所に隔離されていたと在韓米軍の性病報告に記録されている<ref name="Former sex workers in fight for compensation"/>。また、病気ではないと証明された場合には犬のようにタグを付けることを強制された<ref name="Openly revealing a secret life">[http://joongangdaily.joins.com/article/view.asp?aid=2600608 Openly revealing a secret life] JoongAng Daily ([[中央日報]]) July 31, 2005</ref>。<br />
<br />
* 韓国におけるアメリカ軍相手の女性達は容易に行為の相手から見分けがつき易いように番号札をつけることを強制されていた<ref name="NYTimes20090108"/>。<br />
<br />
* 韓国におけるアメリカ軍相手の女性達は韓国政府から特別な講義をしばしば受け、「真の愛国者」や「ドルを稼ぐ妖精」と称賛されていた<ref name="Openly revealing a secret life"/>。また、韓国政府は女性達に韓国を助けるために来た兵士達が満足するように清潔にしなさいと指導した<ref name="Openly revealing a secret life"/>。<br />
<br />
* [[全斗煥]]大統領(1980年 - 1988年)による基地コミュニティー浄化キャンペーンが実施されると売春婦とアメリカ兵との関係の発展を目指して、エチケット講義が行われるとともに頻繁に薬物療法が行われるようになった<ref name="Openly revealing a secret life"/>。医師免許を持たない医者達の前で脚を広げることを強制され、抗生物質を打たれて死にいたる女性もいた<ref name="Openly revealing a secret life"/>。女性達が逆らうと彼らに暴力を振るわれて監禁されることとなっていた<ref name="Openly revealing a secret life"/>。<br />
<br />
=== 生活状況 ===<br />
* 慰安婦を求める兵士の数と比較して、慰安婦の数は不足気味であった。元慰安婦らの証言によれば、戦況次第では一日に十人以上の兵士との性行為に従事する場合も少なくなかった。そのような場合に慰安婦に拒否する自由はほとんど与えられておらず、体調にかかわらず兵士の相手をしなければならなかった。<ref name="watasihaianhudehanai">戦争犠牲者を心に刻む会 (編) 『アジアの声(第11集) 私は「慰安婦」ではない』 [[東方出版]](大阪) 1997年8月</ref>吉見義明は、慰安婦の状況を「1日数10人などの肉体的に過酷な条件のため、陰部が腫れ上がり、針も通らないようになった」事がたびたび(年数回)あったと書いている。<ref name="yosimijyugunianhu"/><br />
* 慰安婦との性行為の際には、主として軍が作成した慰安所規程において、[[コンドーム|避妊具]](当時は、「[[コンドーム|サック]]」と呼ばれた)の使用が義務づけられていた[<ref name="kankeisiryousyuusei"/>4巻,p293]。ただし、元慰安婦らの中には、慰安所での性行為によって[[妊娠]]したと訴えている者も存在する。<br />
* 慰安婦の多くは故郷から戦地へと派遣されていた場合が多く、そのような場合は、事実上慰安所から逃亡することはほぼ不可能であった。許可制により外出が認められていた場合はあるが<ref>文玉珠は主計将校と偽の結婚の約束をして、結婚前の準備のため家に帰るとして中国の慰安所から朝鮮の家までの通行許可証を得ることで慰安所を脱走したという。</ref><ref>韓国挺身隊問題対策協議会『証言・強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち』([[明石書店]] 1993年)</ref>、多くの場合、軍機密や安全等の必要から制限を課されていた。しかし、ビルマ中部の[[マンダレー]]では経営者の許可証があれば外出でき、セレベス島では原住民慰安婦ばかりで外出自由であったという。また、自らだけの意思で慰安婦を辞めることは事実上不可能であり、辞めることを許されたのは、妊娠後期になったり、[[精神病|精神的疾病]]を発症して、慰安婦としての任務を遂行できなくなった場合に限られていたのがほとんどであった<ref name="yosimijyugunianhu"/>との報告もあるが、[[アメリカ中央情報局|米軍情報部]]の日本人の慰安所経営者及び慰安婦からの聴き取り調査によれば、北ビルマ(現:[[ミャンマー]])のミートキーナー(ミチナ、Myitkyina)の慰安婦らは、1943年後半、陸軍は借金を返済した女性に帰省を命じ、何人かの女性は韓国へ帰国することをゆるされたという。そこでは個室を与えられており、接客を断る自由もあり、週一日は検診のため休日であり、生活はかなり豊かで町へ買い物に行くこともゆるされ、娯楽やスポーツやパーティを楽しんだりしたという。<ref name="beigunrepo"> [[アメリカ国立公文書記録管理局|米国立公文書館]]所蔵の米軍のレポート“UNITED STATES OFFICE OF WAR INFORMATION Psychological Warfare Team Attached to U.S.Army Forces”([[1944年]]夏、北ビルマのミートキーナーにおいて捕らえられた朝鮮人慰安婦二十人と雇い主の日本人夫婦に対して行なった尋問の内容が報告されている)。</ref>もっとも反論もあり、他に慰安婦の待遇が良かったという実例記録は見当たらず、これをもって全慰安婦らの生活がすべて良好であったという証拠にはならないという指摘もある(後記)。実際の慰安所での待遇は、各地域と戦況さらに部隊の質によって千差万別であったと推測されている。<br />
* [[1938年]]から終戦まで七年間の中国北部で兵士を務め、戦後作家になった[[伊藤桂一]]は慰安婦達の相談係りのような役目もしたといい、自身が見た慰安婦については「借金を返済し、結婚資金を貯え、結婚の際の家具衣装箱も充分用意していた。」として生活は「かなり恵まれていた」と述べている。<ref name="guntaiianhu">[[金一勉]] 『軍隊慰安婦―戦争と人間の記録』([[徳間書店]] 新装改訂版版 1992年2月)</ref><br />
* 日本軍慰安婦の契約期間は通常2年間であった<ref name="LeeYoungHoon"/>。ただし、船便が途絶える場合などもあり、相当の数の慰安婦は2年間というわけには行かなかった<ref name="LeeYoungHoon"/>。<br />
* 韓国におけるアメリカ軍相手の女性達は自殺や中毒により亡くなることもあった<ref name="Openly revealing a secret life"/>。[[1957年]][[7月21日]]付け東亜日報で、アメリカ軍慰安婦がわが身を悲観して自殺したと報道される<ref name="アメリカ・国連軍慰安婦"/>。[[1959年]][[7月30日]]付け東亜日報で、慰安婦が悲觀自殺したと報道される<ref name="アメリカ・国連軍慰安婦"/>。<br />
* [[1959年]]9月の韓国保健社会省の性病保菌実態の報告では、接待婦の15.6%、私娼の11.7%、慰安婦の4.5%、ダンサーの4.4%が罹患していた<ref name="LeeYoungHoon"/>。<br />
*[[1959年]][[10月18日]]付け東亜日報で、慰安婦の66%が保菌者であると報道される<ref name="アメリカ・国連軍慰安婦"/>。<br />
<br />
=== 報酬 ===<br />
'''報酬を得ていたとするもの'''<br />
* [[李榮薫]][[ソウル大学]]教授の著書によれば、日本軍相手の慰安婦は兵士と将校には区別があったが、兵士はおおむね1円から2円であり、当時の兵士の月給は7円から10円であったとしている<ref name="LeeYoungHoon"/>。売上金はおおむね慰安婦と業者間で折半されたが、業者に負った前借金が多すぎたり、悪徳業者に出会った場合は、首尾よく金を稼ぐことができない場合もあったとしている<ref name="LeeYoungHoon"/>。<br />
* 当時の[[陸軍]][[大将]]の[[俸給]]は年に約6600円、[[二等兵]]の給料は年間72円であった<ref name="senjyounosei"/><ref name="watasigamita"/>。<br />
* 元慰安婦の1人[[文玉珠]]は、1992年、慰安婦時代の2年半の間に貯めた[[郵便貯金]]2万6145円の返還請求訴訟を行ったが、[[日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約|日韓基本条約]]に付随する[[財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定|日韓請求権並びに経済協力協定]]で解決済みとされ敗訴した。裁判で明らかにされたところによると、26,245円の貯金から5,000円を朝鮮の実家に送っていたという<ref name="nirumasensen">P138 [[文玉珠]] 『ビルマ戦線 楯師団の「慰安婦」だった私』([[梨の木舎]] 1996年)</ref><ref name="LeeYoungHoon"/>。この元慰安婦自身の体験記によれば「千円もあれば故郷の[[大邱広域市|大邱]]に小さな家が一軒買えた」という<ref name="yaminiidomu">p301 [[西岡力]] 『闇に挑む!』([[徳間文庫]] 1998年9月)</ref>。[[上野千鶴子]]の慰安婦裁判の取材によれば、郵便預金返還訴訟を起こした文玉珠の[[貯金]]は、性交労働の代償ではなく、軍人からの[[チップ (サービス) |お駄賃]]をため込んだものであるという。<br />
*中国[[漢口]]の日本人女性130名と朝鮮人女性150名が在籍していた慰安所では、慶子という名前の朝鮮人慰安婦おり、すでに3万円を貯めたが5万円になったら京城(ソウル)で小料理屋をもつことを夢見ているとの彼女の話が司令官に伝わり「なんとたいしたオナゴであるか」として表彰されたとされている<ref name="LeeYoungHoon"/>。<br />
* 米軍作成の日本人慰安所経営者及び慰安婦に対する尋問レポートによれば、北ビルマのミートキーナの慰安所の慰安婦たちは売り上げの半分を報酬としてもらい、稼ぎは月に1000 - 2000円、年季は半年から一年で一部は帰還した者もいる。<ref name="syouwasinonazowoouge">秦郁彦 『昭和史の謎を追う 下』[[文藝春秋社]] 1999年12月</ref>兵士の月給は15円 - 25円。<ref name="senjyounosei"/>,p270]<br />
* フィリピンの[[マニラ]]の慰安所を利用した日本兵捕虜に対する連合軍の尋問記録によると、慰安婦は通常、スペイン人とフィリピン人の混血であり、利用料金は10円ないし20円……日本人及び朝鮮人女性については2円ないし3円であった」という[<ref name="siryousyuu">[[吉見義明]](編)『従軍慰安婦資料集』I[[大月書店]] 1992年12月</ref>,P487] <ref name="senjyounosei"/>。<br />
* 中国漢口の約三十三万人と全兵士の金銭出納帳を調べたら、三分の一が飲食費、三分の一が郵便貯金、三分の一が「慰安所」への支出だったといい、ある内地人(日本人)の慰安婦は「内地ではなかなか足を洗えないが、ここで働けば半年か一年で洗える」と語っていたという。慰安所の料金は女性の出身地によって上中下にランク分けされており、兵士の方は、階級が上であるほど、利用できる時間は長くなり、料金は割高になっていたという。<ref name="watasigamita"/><br />
* [[吉原 (東京都) |吉原]]で10年間、[[遊女|娼婦]]をしていた[[高安やえ]]は、内地(日本)で商売を始めるために、10倍稼げるという理由で、[[ラバウル]]へ行き、慰安婦となったといい、「一人5分と限り、一晩に200円や300円稼ぐのはわけがなかった」と回想している<ref>[[高安やえ]]「女のラバウル小唄」(『戦中派の遺言〈続〉』 [[櫂書房]]1979年)</ref>。<br />
* スマラン事件(「[[白馬事件]]」のBC級裁判の判決文が引用した証人・被害者に対する警察の尋問調書によれば、何人かの女性は報酬を断ったが、受け取った女性はそのお金で自由な時間を得ることができたことを報告している。「将校倶楽部」では、一晩に一人の男性の相手にし、男性が料金として支払った4[[ギルダー]]のうち、1ギルダー1セントを受け取り、そのお金で食べ物や衛生用品を購入したとされ、「慰安所日の丸」では、一時間1ギルダー50セントの料金のうち、45セントを受け取ったと慰安婦自身が証言している。<ref name="orandahoukoku">[http://www.awf.or.jp/program/pdf/p107_141.pdf 日本占領下インドネシアにおける慰安婦---オランダ公文書館調査報告] 山本まゆみ、ウイリアム・ブラッドリー・ホートン</ref><br />
* '''からゆきとの労働条件比較'''<ref>[[山崎朋子]]『サンダカン八番娼館』([[文藝春秋]] [[1975年]]1月)</ref><br />
<br />
: からゆきさんとして有名な北川サキの、大正中期から昭和前期の[[ボルネオ島|ボルネオ]]の例では、<br />
: 一人2円のうち娼婦の取り分は1/2、その内で借金返済分が1/4、残り1/4から着物・衣装などの雑費10円を出すのに、月20人の客を取る必要があった。「返す気になってせっせと働けば、そっでも毎月百円ぐらいずつは返せたよ」 といい、それは最少で月110人に相当する。<br />
: (余談だが、フィリピン政府の衛生局での検査の場合、週一回の[[淋病]]検査、月1回の[[梅毒]]検査を合わせると、その雑費の二倍が娼婦負担にさせられていた。)<br />
: 普段の客はさほど多くないが港に船が入ったときが、どこの娼館も満員で、一番ひどいときは一晩に30人の客を取ったという。<br />
: 泊まり無しで2円。客の一人あたりの時間は、3分か5分、それよりかかるときは割り増し料金の規定だった(接待時間ではなく、性交労働時間だったと思われる)。<br />
: 当時の物価だが、のちに慰安婦が増えた時期と同水準だったと言える。<ref><br />
日本の円の価値は、この時期は安定していたが、[[ブロック経済]](又は[[満州事変]])と前後して急低下して[[日華事変]]の頃まで6割のレベルが続き、欧州戦争開始以後さらに低下している。<br />
[http://www.e.u-tokyo.ac.jp/~tito/course2006/JS/InternationalFinance/if_9.pdf 「国際金融」第9回 「円の歴史、PPP」 p13]<br />
<br />
また、当時日本の大正中期から昭和の第二次大戦前までの物価はほぼ同じレベルにあり、米価は上下変動があり、[[第二次上海事変]]からとくに欧州戦争が始まってから大きく上昇が始まる。なお、北川サキの前借りは、10歳で売られた時で300円だったが、3年経って娼婦になるまでの渡航費用と食事代と利息で2,000円になると聞かされたが、北川サキ自身は疑っている。</ref><br />
::現地人を客にすることは一般に好まれず、ある程度接客拒否ができたようである。<br />
::しかし、月に一度は死にたくなると感想を語り、そんなときに休みたくても休みはなかったという。<br />
* [[1962年]]の韓国の相場では、ショートタイムで2ドル、ロングタイムで5ドルであった<ref name="LeeYoungHoon"/>。固定的な性的関係を持つことによって月給をもらう女性もいた<ref name="LeeYoungHoon"/>。<br />
<br />
'''報酬を得ていなかったとするもの'''<br />
* 吉見義明や[[尹明淑]]の著書によれば、現在証言の得られる元慰安婦のほとんど(9割以上)は給料を貰っていないと証言している。<ref>吉見義明・林博史他 『共同研究日本軍慰安婦』 [[大月書店]] 1995年</ref>。その背景としては、慰安婦の直接の雇用主である業者が、慰安婦から「前借金」「衣装代」「食料代」等の名目で給与を天引きしており、実際に慰安婦の手元に渡された給料はほんのわずかというケースが少なくなかったことが挙げられる。<br />
* 慰安婦に対する給与の支払いは、多くは[[軍票]](軍用手票)という特殊な紙幣によってなされていたが、戦後この軍票に対する日本政府の支払義務が免除されたため、軍票が紙くず同様になってしまい、払戻しが受けられなくなったケースが多かった。また、戦地において軍票が大量発行されたため、軍票の価値が暴落しており、慰安婦が受け取る軍票の額面は膨れあがったケースがあった。吉見義明は、「慰安所の開設にあたって最大の問題は、軍票の価値が暴落し、兵たちが受け取る毎月の棒給の中から支払う軍票では、慰安婦たちの生活が成り立たないということであった。」と推定している<ref name="yosimijyugunianhu">吉見義明 『従軍慰安婦』 [[岩波新書]] 1995年 4月</ref>。<br />
<br />
=== 兵士との関係 ===<br />
* [[近衛師団]]の通信隊員であった[[総山孝雄]]の回想録によれば、シンガポール陥落の時、イギリス兵相手だった売春婦たちが自発的に慰安婦に志願したが、予想もしない人数を処理するという彼女らには未経験の種類の過酷な労働だったので、一人が4、5人目でもうできないと言い出し、当番兵が打ち切りを宣言したところ、戦闘が終わった後で列を成して待っていた兵士達が騒ぎだし、怯えた当番兵は、ベッドに縛り付けてそのまま兵士の相手をさせようとしたこともあったという(その次の順番に当たって中に入った兵士(目撃者)が驚いて逃げ帰ったので、その後の情報はない)。<br />
<br />
* 元兵士の伊藤桂一は慰安婦らは「ときには性具のように取扱われはしても、そこにはやはり連帯感のつながりがあった。だから、売りものに買いもの、という関係だけではない、戦場でなければ到底持ち得ない、感動のみなぎる劇的な交渉も、しばしば持ち得たのである。」と述べ、当時の兵士と慰安婦たちの人間的な交流があったエピソードを紹介している。<br />
<br />
* 吉見義明は、兵士から見れば慰安婦は血なまぐさい戦場で、身近の唯一の女性であり、恋愛を含めた心の交流があったと話す場合が多いが、元慰安婦の証言からはそうした状況はまったく違って述べられているという。慰安婦側から見れば、愛想良く対応しないと殴られる、兵士の求めるような形で応対する事で少しでも楽に「仕事」を済ましたい、将校と仲良くなることで少しでも待遇をよくしてもらいたい、という動機であるとしている。<br />
<br />
* 北ビルマのミートキーナーの慰安所においては、日本の軍人からの[[求婚]]が極めて多く、中には実際に結婚したものがいることが報告されている。<br />
<br />
* このほか、酒に酔った兵に脅された例、逆に刀を刺してしまった例、無理心中させられそうになった例、慰安婦に頼まれて自由にする金を横領した主計将校など様々な逸話がある。<br />
<br />
* 韓国におけるアメリカ軍への売春を強制されていた女性達はアメリカ兵に残忍に殺害されることや、アメリカ兵によるとされる放火で命を落とすこともあった。<br />
<br />
== 「慰安婦」問題 ==<br />
=== 概要 ===<br />
[[1970年代]]に、旧日本軍が戦地の女性を[[強制連行]]し、慰安婦にしたとする本が数冊出版された。中でも、元[[陸軍]][[軍人]]の[[吉田清治 (文筆家)|吉田清治]](本名:吉田雄兎)は『朝鮮人慰安婦と日本人』([[新人物往来社]] [[1977年]])で、軍の命令で自身が韓国の[[済州島]]で女性を「強制連行」して慰安婦にしたと告白。そして、日本、韓国、アメリカなどで講演を行なったり、新聞やテレビなどの[[マスメディア]]に精力的も出演し<ref>『朝日新聞』とその系列の「[[テレビ朝日]]」にしばしば登場した</ref>、裁判の証人としても朝鮮人の奴隷狩りを証言したり、[[1990年代]]には[[国際連合|国連]]の[[国際連合人権委員会|人権委員会]]に働きかけるなど、この問題を世の中に大きく広めた。済州島の[[郷土史家]][[金奉玉]]は、「数年間も追跡調査を行った結果、事実ではないことが明らかになった。この本は日本人の浅ましさをあらわす軽薄な[[商魂]]の産物であると考える」と述べている。<br />
<br />
韓国においては、吉田のこの著書は[[翻訳]]して出版され、史実として[[ドラマ]]化もされた。これらを受けて[[1990年]]、10年前から慰安婦の調査を行なって来た[[梨花女子大]]元教授の[[尹貞玉]] (ユン・ジョンオク)がこの問題を新聞などのメディアで告発し、多数の女性団体が結集した「挺身隊対策協議会」を初めとして、様々な団体がこの問題に取り組み慰安婦問題が大きな運動になる。[[1991年]]には、韓国で元慰安婦が初めて名乗り出て、自らの体験を語った。その後も韓国、フィリピン、台湾などで、元慰安婦であったと名乗り出る女性が多数出、日本の弁護士らの呼びかけで、日本政府に謝罪と賠償を求める訴訟がいくつも起こされるようになる。<br />
<br />
日本ではこの問題の報道を『[[朝日新聞]]』が主導した。吉田の証言を紹介し、韓国の元慰安婦が名乗り出たこと、慰安所に対する旧日本軍の関与を示す資料が見つかったことなどと大々的に報じた。それらの報道は韓国でも伝えられ、[[反日感情]]が高まり、慰安婦問題は日韓の政治問題となっていった。<br />
[[1992年]] 、[[反日]]デモが高まる中、訪韓した[[宮澤喜一]]首相は[[盧泰愚]]大統領との首脳会談で慰安婦問題について謝罪し、真相究明を約束する。政府の第一次調査では「軍の関与」は認めたものの、「強制連行」を立証する資料は無かったとしたが、反日世論の中で韓国政府が受け入れなかったため、[[1993年]]、第二次の調査を行ない、その結果発表の際に、[[河野洋平]][[官房長官]]がいわゆる「[[慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話|河野談話]]」を発表。慰安婦の募集について「官憲等が直接これに加担したこともあった」、「慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。」として、旧日本軍による強制連行を認め、反省とお詫びの意を示した。これにより、[[1994年|平成六]]度版の高校[[歴史]][[教科]]書から、韓国政府から強く要請されていた慰安婦の記述がなされるようになり、やがて、中学校の歴史教科にも及び、ほとんどの歴史教科書で慰安婦についての記述が掲載されるようになって行った。<br />
<br />
[[1995年]]、日本政府は慰安婦問題を認めた責任から、民間(財団法人)からの寄附という形で元慰安婦への支援を行うため、「[[女性のためのアジア平和国民基金]](アジア女性基金)」を設立したが、特に韓国ではあくまでも国家として賠償すべきと政府や元慰安婦支援団体の反対運動により、多くの元慰安婦が基金からの支援を拒否した。<br />
<br />
[[1996年]]、国連人権委員会に提出されたいわゆる「クマラスワミ報告書」と呼ばれる女性への暴力を取り上げた報告書において、慰安婦制度が[[国際法]]違反であると指摘され、日本政府は慰安婦に対する賠償すべきと勧告したのを初め、国際機関などにおいても、慰安婦問題への批判がなされる動きも出てきた。<br />
<br />
[[1992年]]から、現代史家の[[秦郁彦]](元[[日本大学]]教授)を初めとする歴史学者などが、吉田の証言やその経歴や著書において嘘や矛盾があると指摘していたが、[[1996年]]、吉田清治が自身の証言における「時」と「場所」はフィクションであることを明らかにしたことで、慰安婦の強制連行の大きな根拠とされて来た吉田証言への信憑性が揺らぐこととなる。そして、慰安婦の強制連行を認めない[[保守]]系の論客や、メデイアは、吉田証言を大きく取り上げて来た『朝日新聞』に対して、それまでの慰安婦報道において事実の歪曲があったということを含め、厳しい批判を浴びせた。このように軍が女性を強制的に連行していたことを裏付ける根拠が弱まった頃から、吉見義明が「強制連行」という「'''狭義の強制性'''」に対し、女性たちが甘言や詐欺により慰安婦にされたこと、旧日本軍による慰安婦の募集や慰安婦の慰安所での生活がきわめて不自由であったことなども問題であるとし、これらを「'''広義の強制性'''」問題だとして批判しはじめ、以降そのような観点からも慰安婦制度への批判がなされるようになった。同年6月に文部省(現:[[文部科学省]])が[[検定]]結果を公表した中学校教科書では全ての歴史教科書に慰安婦に関する記述がなされていた。これらを問題とした有識者らが同年12月に「[[新しい歴史教科書をつくる会]]」(略称・つくる会)を発足、それらの教科書を「[[自虐史観]]」であると批判し、それらに対抗する新しい歴史教科書をつくる運動を精力的に進めることとなり、慰安婦問題は「[[歴史認識]]問題」、「[[歴史教科書問題]]」にもなっていった。「[[自由民主党|自民党]]」においても、若手議員らが、「つくる会」と同様に現在の日本の歴史認識を「自虐的」として修正を求める運動を始めるようになる。翌[[1997年]]には、「河野談話」発表に至る調査に関わった政府関係者が、強制連行の証拠となる資料は一切なかったが、韓国政府の強硬な要請に押され、政治判断として強制性を認めたことなどを明かしたことから、証拠もなく、日本を不利な立場に立たせたとして、「河野談話」への批判もなされるようになり、強制連行の有無などをめぐり激しい議論がマスメディアで繰り広げられるようになる。「河野談話」で強制性を認めた政府ではあったが、ときおり、自民党の議員が強制連行を否定する発言をしたことが報じられ、[[中華人民共和国|中国]]、韓国からの強い反発を招くということが繰り返されている。<br />
<br />
[[2001年]]4月、「つくる会」の中学校歴史教科書が検定を合格したが、強い反対運動もあり、実際にはほとんどの中学校で採択されなかった。一方、同年に検定通過した他の教科書においては慰安婦の記述が減少し、[[1999年]]には中学歴史教科書からは「従軍慰安婦」という用語が消えた。<br/> [[2006年]]、総理就任後間もなく、[[安倍晋三]]は内閣として「河野談話」を引き継ぐことを公言したが、後に「旧日本軍の強制性を裏付ける証言は存在していない」と発言したことが「河野談話」を否定するものではないかと国内外で大きな波紋を呼んだ。2007年、[[アメリカ合衆国下院|アメリカの下院]]で慰安婦をめぐる対日非難決議案の提出が注目を集め、これを巡って日米間の政治問題ともなって来ている。<br />
<br />
=== 経過 ===<br />
==== 戦時中の朝鮮(挺身隊) ====<br />
* もともと朝鮮では徴用を忌避する傾向があり、太平洋戦中には挺身隊に行くと慰安婦にされるという噂があった。ただし1960年代までは、その噂を事実と認める韓国の研究者はいなかった。<ref name="teisyn-party"/><ref>終戦後にアメリカ占領軍相手の女性達を警察が取り締まりの区別上、「特別挺身隊」と呼んでいたという話もあるが、このことは慰安婦と女子挺身隊混同の一因とは見られていない。([[いのうえせつこ]]『占領軍慰安所』 [[新評論]] (1995年8月31)</ref><br />
<br />
==== 慰安婦に関する出版物 ====<br />
* [[1972年]](前史)<br />
** 女性史研究者 [[山崎朋子]]の『サンダカン八番娼館』が刊行され、ベストセラーとなる。社会の底辺に生きた海外売春婦「からゆきさん」を取材。<ref>近年出版された[[小熊英二]]『1968』下巻 [[新曜社]] ISBN 4788511649・第17章「リブと『私』」p.713、p.721によれば、初期ウーマン・リブの運動家であった[[田中美津]]が1970年当時に書いた著作の中に、「従軍慰安婦という一大便所集団」の「大部分は朝鮮人であった」(同書p.713・便所集団とは、性処理の対象という意味の田中流の言い方)、あるいは「貞女と慰安婦は私有財産制下に於ける性否定社会の両極に位置した女であり、対になって侵略を支えてきた」(同書p.721)という記述があるとされる。</ref><br />
* [[1973年]]<br />
** 元「[[毎日新聞社]]記者で[[ノンフィクション作家]]の[[千田夏光]]が『従軍慰安婦―"声なき女"八万人の告発』を出版(1974年に続編の『続・従軍慰安婦』を出す)。これらの本では「挺身隊」の名の元に動員された朝鮮人女性20万人のうち、5 - 7万人が慰安婦にさせられたとしている。<br />
* [[1975年]]<br />
** 禾晴道『海軍特別警察隊 アンボン島BC級戦犯の手記』が出版。<br />
* [[1976年]]<br />
** 1月 『天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦』(金一勉 『三一書房』)が出版。<br />
* [[1977年]]<br />
** 3月 吉田清治『朝鮮人慰安婦と日本人―元下関労報動員部長の手記』([[新人物往来社]])が出版。<br />
** 12月 『軍隊慰安婦―戦争と人間の記録』(金一勉 『[[現代史出版会]]』)が出版。<br />
* [[1978年]]<br />
** 12月 山田清吉 『武漢兵站 -支那派遣軍慰安係長の手記-』([[図書出版社]])が出版。<br />
* [[1982年]]<br />
** 9月・11月 第二次世界大戦の戦前、戦中に、当時日本領だった樺太(現[[サハリン州]])に渡った朝鮮人の韓国への帰還を日本政府に対して請求する「樺太裁判」([[樺太残留者帰還請求訴訟]])で、吉田清治が[[原告]]側の[[証人]]として朝鮮人の「奴隷狩り」(強制連行)を証言。<br />
<br />
==== 吉田証言以降 ====<br />
* [[1983年]]<br />
** 1月 [[吉田清治 (文筆家)|吉田清治]]が『私の戦争犯罪-朝鮮人連行-』において韓国の済州島において慰安婦にするための205人の女性を強制連行したと告白。初めての加害証言となる。[[大韓民国|韓国]]の[[天安市]]に「謝罪の碑」を建立。韓国の[[テレビ]]が「謝罪の旅」として1時間番組を放映。日本、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]などで謝罪講演をして回る。<br />
** 11月10日 『朝日新聞』が「ひと」欄で、吉田清治が「謝罪の碑」を韓国に建てたことを写真入で紹介。<br />
* [[1989年]]<br />
** 吉田の著書が[[朝鮮語|韓国語]]に[[翻訳]]され、韓国で出版され、史実としてドラマ化され、韓国で「従軍慰安婦問題」への関心が高まる。<br />
** 5月 大分市の主婦で「[[朝鮮と朝鮮人に公式謝罪を・百人委員会]]」<ref>「朝鮮と朝鮮人に公式謝罪を・百人委員会」は、半年後には[[五十嵐広三]]、[[田英夫]]などの[[国会議員]]や、[[橋本大二郎]]([[橋本龍太郎]]元首相の弟)を含む120人以上の個人と10以上の団体の賛同を得る。</ref>の事務局員、[[青柳敦子]] <ref>[[宋斗会]]に私淑し、在日二世の日本国籍確認訴訟に取り組む。2005年5月には『朝鮮人徴兵・徴用に対する日本の戦後責任―戦後日本の二重基準』という著作を出版した。</ref>が『[[朝日ジャーナル]]』(1989年5月19日号)に、「日本国は朝鮮と朝鮮人に公式に陳謝せよ」という意見広告を出す(同年12月まで隔週で15回)。<br />
** 8月14日 吉田清治の記述内容に疑問を持った『[[済州新聞]]』の[[許栄善]]記者が現地調査したルポを『[[済州新聞]]』(8月14日付)に発表。慰安婦狩りの話を裏づける証言する人はほとんどおらず、島民たちが吉田の本の信頼性に疑問を呈していること、[[郷土史]]家の[[金奉玉]]が追跡調査した結果、吉田の本が事実でないことを発見し、「この本は日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物と思われる」と憤慨したことなどを報告。<br />
** 11月16日 [[韓国挺身隊問題対策協議会]]結成<ref>[今日の歴史(11月16日) http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2006/11/09/0200000000AJP20061109000500999.HTML] 聨合ニュース 2006/11/09</ref>。<br />
** 11月19日 青柳敦子と[[在日コリアン|在日朝鮮人]]の[[宋斗会]]<ref>戦後、「[[浮島丸]]」事件の訴訟を起こしたり、[[指紋]]押捺を義務づけていた[[外国人登録制度]]に抗議をして、[[霞が関]]で自らの外国人登録証を焼き捨てたり、慰安婦問題に対して日本政府に謝罪を求める意見広告を新聞に出したりするなど、在日の立場から発言した。</ref>が日本政府に謝罪と[[補償]]を求める裁判を起こすため、韓国で訴訟費用を負担する条件を付け「慰安婦裁判の原告募集」のビラをまく。<ref name="subetehaasahi"/>数週間後に[[ソウル特別市|ソウル]]の「[[太平洋戦争犠牲者遺族会]]」から協力したいという申し入れが来る。<br />
* [[1990年]]<br />
** 1月 4日~24日 『ハンギョレ新聞』(現:[[ハンギョレ]])紙上で、韓国の[[梨花女子大学]]教授の[[尹貞玉]]が「"挺身隊"怨念の足跡取材記」と題する4回に渡る連載で慰安婦問題を告発し、韓国で大きな反響を呼ぶ。<br />
** 6月6日 [[参議院]]の[[予算委員会]]で、[[日本社会党 #日本社会党 (1945-1996)| 日本社会党]][[本岡昭次]]の朝鮮人の強制連行に関する質問において、政府([[厚生労働省|労働省]]職業安全局長)は「[[国家総動員法]]に基づく業務として慰安婦の強制連行は行っていなかった」、「古い人の話等からも、民間業者が慰安婦を軍と共に連れ歩いていたらしく、実態調査はできかねる」という旨の答弁をする<ref name="k19900606">[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/118/1380/11806061380019c.html 第118回国会 参議院 予算委員会 第19号] 平成2年(1990年)6月6日</ref>。<br />
** 7月10日 韓国において、慰安婦問題の真相究明と問題解決のために「挺身隊研究会」(現:「[[韓国挺身隊研究所]]」)が結成される。<br />
** 10月17日、韓国の37の女性団体が日本の[[海部俊樹]]首相に慰安婦問題に関する政府への6項目の要求<ref name="6koumoku">要求した六項目とは<br/>1・日本政府が朝鮮人女性たちを従軍慰安婦として強制連行した事実を認める。<br/>2.公式謝罪する。<br/>3・蛮行の全てを自ら明らかにする。<br/>4・慰霊碑を建てる。<br/>5・生存者・遺族への補償。<br/>6・歴史教育で(慰安婦問題に関する)事実を教える。<br/>(後に責任者処罰が加えられる。)</ref>を示した公開書簡を送付。6月6日の国会で慰安婦の強制連行を否定した労働省職業安全局長の発言を「歴史的事実に反する無責任な発言」と糾弾。<br />
** 11月 韓国で「[[韓国挺身隊問題対策協議会]]([[挺対協]])」が発足。ソウルの日本[[大使館]]前で日本軍による「慰安婦問題」に対する抗議デモを行なう(以降毎週水曜日にデモ(水曜デモ)を行なうことが恒例となる)。<br />
* [[1991年]]<br />
** 4月1日 [[参議院]]の[[予算委員会]]で、[[日本社会党 #日本社会党 (1945-1996)| 日本社会党]][[本岡昭次]]の従軍慰安婦に関する質問において、労働省の政府委員は「手がかりになる資料がない」という旨の答弁をする。<br />
** 4月24日 ソウルの日本大使館が[[尹貞玉]][[韓国挺身隊問題対策協議会]]代表を呼び、「日本軍が強制連行した証拠はない」、「[[補償]]は[[日韓協約]]で解決済み」と伝え、挺対協からの六項目の要求<ref name="6koumoku"/>を拒否すると回答。<br />
** 5月22日 『朝日新聞』大阪版が「木剣ふるい無理やり動員」との見出しで吉田清治の慰安婦狩りの証言を写真入で紹介。<br />
** 10月10日 『朝日新聞』大阪版が井上祐雅編集委員による吉田清治のインタビュー記事を掲載。 吉田は「慰安婦には人妻が多く、しがみつく子供を引きはがして連行した」、「政府は資料を隠している」などと述べる。<ref name="onnatatinotaiheiyousensou3">[[朝日新聞社]] 『女たちの太平洋戦争(3)---暗い青春の日々』 朝日新聞社 1992年3月</ref><br />
** 11月 改定版として出版された『広辞苑』第4版(岩波書店)に、初めて以下の2語が収録される。<br />
*** 【朝鮮人強制連行】日中戦争・太平洋戦争期に百万人を超える朝鮮人を内地・樺太(サハリン)・沖縄などに強制的に連行し労務者や軍夫などとして強制就労させたこと。女性の一部は日本軍の従軍慰安婦とされた。<br />
*** 【従軍慰安婦】日中戦争・太平洋戦争期、日本軍将兵の性的慰安のために従軍させられた女性。<br />
<br />
==== 元慰安婦の登場以降 ====<br />
** 8月11日 『朝日新聞』が「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」(韓国[[特派員]][[植村隆]]のソウル発記事)との見出しで、<ref>記事を書いた植村記者は、慰安婦問題で訴訟を起こした「太平洋戦争犠牲者遺族会」の女性幹部の娘と結婚していおり、義母からの情報提供で、韓国よりも先に[[スクープ]]を書いた</ref>で、「日中戦争や第2次大戦の際、「女子挺身隊」の名で<ref name="teisinntainonade"/>戦場に連行され<ref>この元慰安婦[[金学順]]の同年8月14日の韓国ソウルでの記者会見の話によると、17歳の時、義父によって、華北の日本軍部隊に連れて行かれたことになるが、この[[1939年]](昭和14年)に「[[女子挺身隊]]」は未だ存在していなかった。</ref>、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり、「韓国挺身隊問題対策協議会」(尹貞玉・共同代表、16団体約30万人)が聞き取り作業を始めた。」と報じる。<br />
** 8月14日 元慰安婦の[[金学順]]がソウルで記者会見。14歳の時、家が貧しかったので[[妓生|キーセン]]ハウス(売春宿)に売られ、17歳になったとき、キーセンハウスの経営者である義父に[[華北]]にある日本軍の慰安所に連れて行かれた<ref>秦郁彦との対談で、千田夏光は「訴訟を起こした金学順さんの講演記録を読むと、軍による強制連行だったかどうかは不明確なんです。」と述べている。(出典↓)<br />
</ref><ref name="rekisironsou">「歴史論争を総括する」(『[[論座]]』 1999年9月号)</ref>事などを述べる。<ref>『ハンギョレ新聞』(現:『[[ハンギョレ]]』)1991年8月15日付</ref><br />
** 12月6日 金学順を初め3名の元慰安婦を含む35人の[[原告]](主任弁護士:[[高木健一]])が日本政府を相手取り、謝罪と補償を求め提訴([[アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件]])。<br />
* [[1992年]]<br />
** 1月8日 [[韓国挺身隊問題対策協議会]]により[[宮沢喜一]]内閣総理大臣の訪韓を契機として、[[駐韓日本大使館]]前における日本政府の日本軍慰安婦への謝罪を求める第一回[[水曜集会]]が開かれる<ref>[http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2008/02/27/0200000000AJP20080227004300882.HTML 日本大使館前の水曜集会、今年の女性運動賞受賞] 聨合ニュース 2008/02/27</ref><ref name=chuonippou20040317/><ref name=yonhapnews20080214>[http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2008/02/14/0200000000AJP20080214000500882.HTML 日本大使館前の水曜集会、問題解決求め800回目に] 聨合ニュース 2008/02/14</ref>。以来、[[2008年]][[2月13日]]には第800回水曜集会が開かれ、一度も欠かすことなく継続中である<ref name=yonhapnews20080214/>。<br />
** 1月11日 [[宮澤喜一]]首相訪韓の5日前のこの日、『朝日新聞』は一面トップで「慰安所、軍関与示す資料」、「部隊に設置指示 募集含め統制・監督」との見出しで、「日本軍が慰安所の設置や、従軍慰安婦の募集を監督、統制していたことを示す通達類や[[陣中日誌]]が、防衛庁の防衛研究所図書館に所蔵されていることが明らかになった」、「太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は8万人とも20万人ともいわれる」と報じる。<!-- 記述が正確性を欠き、この報道によって政府が調査を始めたという記述の出典もないため、以下のコメントアウト ノートの「政府が嘘をついたという表現」を参照 この報道の前は政府は「資料がない」「調査できない」と表明していた。この報道で「資料がある」ことが明らかになり、政府は調査を行うことを決める。 --><br />
** 1月14日 韓国の多数のマスメデイアが、前年に日本のテレビで女子児童が挺身隊として勤労動員されたという報道を誤解し、「国民学校の生徒(小学生)まで慰安婦にさせた[[日本帝国主義|日帝]]の蛮行」などと報道<ref>『日韓新考』([[黒田勝弘]] 産経新聞出版/扶桑社 2005年 2月)によれば、前年の日本のテレビで、教え子の6人の女子児童を「女子挺身隊」として日本の軍需工場に派遣したソウルで[[国民学校]]の教師をしていた日本女性が、戦後、韓国で教え子たちの消息をたずね歩き、全員が無事だったことを確認したという美談が、慰安婦として強制連行されたと誤解されたという。</ref>。<br />
** 1月16日 韓国を訪問した宮沢首相は慰安婦問題の報道により反日デモが高まる状況に、首脳会談で8回謝罪し、「真相究明」を約束する。韓国国会においても「実に心の痛むことであり、誠に申し訳なく思っています」と述べる。[[盧泰愚]]大統領は、記者会見で「韓日が同伴者関係を構築するためには、日本が過去の歴史を正しく認識し、過ちを謙虚に反省する土台が必要」と語る。<br />
** 1月23日 『朝日新聞』夕刊の「窓」欄で、「強制連行した女性は950人」、「強制連行した朝鮮人のうち、男性の半分、女性の全部が死んだと思います」との吉田清治のインタビューを掲載。<br />
** 2月17日 日本弁護士連合会の[[戸塚悦郎]]弁護士が、国連人権委員会において、慰安婦問題を人道上の罪だとして国連の介入を求める。<br />
** 2月25日、韓国政府が被害者申告センターを設置し、被害の申告と証言の受付を始める。<br />
** 5月1日発売の『[[正論(雑誌)|正論]]』(1992年6月号)の「昭和史の謎を追う-第37回:従軍慰安婦たちの春秋」と題するルポで、[[秦郁彦]]は済州島での実地調査により、吉田清治が現地で205名の慰安婦狩りをしたという事実はないことが判明したと主張。<br />
** 5月25日 『朝日新聞』が7月、吉田清治が韓国に「謝罪の旅」に出ること、吉田は強制連行した体験を「国会でもどこでも行って話す」つもりと語っていることなどを紹介。<br />
** 7月6日 日本政府が吉見教授の資料発見を受けて行った慰安婦問題に関する調査結果を発表。100を超える関係資料を公開。[[加藤紘一]]官房長官(当時)は「朝鮮人女性の強制連行を裏付ける資料は発見されなかった」としながらも、「慰安所の設置や運営・監督などに政府が関与していた」ことを初めて公式に認める。<br />
** 7月7日 『朝日新聞』が日本政府が上記慰安婦問題に関する調査結果の資料を改変していたことが見つかる<ref>「パナイ島接客業組合」という資料において、「事業内容」の部分で、酒場、映画などの六項目のうち、最後の「慰安所」という項目だけが、白く消されて公開されていた。その後に公刊された政府資料には、「慰安所」という項目名が復活するが、その下にある責任者の名が黒く消されている。ここは、事業種と事業者・責任者のリストである。(「政府調査「従軍慰安婦」資料集成」2巻202頁)</ref>(『[[朝日新聞]]』 1992年7月7日付 31面 )。<br />
** 7月 韓国政府が「日帝下の軍隊慰安婦実態調査中間報告書」を発表し、「日本政府による慰安婦の威圧的連行があった」と主張。「強制連行なし」とした日本政府に追加調査を求めるとともに、日本の歴史教科書への記述と学校教育を通じた「過去の正しい認識」の周知を要請。<br />
** 12月 [[中央大学]]教授[[吉見義明]]が『従軍慰安婦資料集』([[大月書店]])を刊行。その中で「一般には、強制連行というと人狩りの場合しか想定しない日本人が多いが、これは『狭義の強制連行』であり、詐欺などを含む『広義の強制連行』の問題をも深刻に考えてしかるべきであろう」と「広義の強制性」という主張を始める。<br />
** 12月25日 韓国[[釜山市]]などの元慰安婦ら10名が、日本政府に公式謝罪と賠償を求めて[[山口地方裁判所]]に提訴([[釜山従軍慰安婦・女子勤労挺身隊公式謝罪等請求訴訟]])。<br />
* [[1993年]]<br />
** 2月1日 韓国で元慰安婦らの証言集『強制連行された朝鮮人「慰安婦」たち』(韓国挺身隊問題対策協議会、挺身隊研究会編)が刊行される(2001年末現在第5集まで刊行。日本ではその10月に『証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち』として刊行)。<br />
** 『[[現代コリア]]』(1993年2・3月号)紙上で、現代史研究家の[[加藤正夫]]が、千田夏光の『従軍慰安婦』(講談社文庫 1984年)の中の嘘を暴露。<br />
** 3月 韓国政府が国内の元慰安婦135名に対して500万[[大韓民国ウォン|ウォン]](約74万円)の支給などの支援策を発表。また、日本の教科書に慰安婦に関した記述をするよう求める。秦郁彦が『正論』と『諸君』の記事をまとめ『昭和史の謎を追う』(文芸春秋社)を出版し、同年[[菊池寛賞]]を受賞。<br />
** 4月2日 フィリンピンの19人の元「慰安婦」らが日本政府の謝罪と補償を求めて東京地裁に提訴。原告は、最終的には46名となる。1998年10月9日、地裁で慰安婦側の請求を棄却、2000月12月6日、控訴棄却、同年12月25日、最高裁判所への上告が棄却され、慰安婦側の敗訴が確定。<br />
** 4月 元慰安婦の[[宋神道]](ソン・シンド)が、二次大戦中約七年間にわたりいわゆる従軍慰安婦とされ肉体的精神的苦痛を受けたとして、日本政府を相手取り、国際法及び民法に基づき、日本政府に謝罪のみを求め(後には損害賠償を求める)、東京地裁に提訴(1999年10月1日、一審で請求棄却、2000年11月30日、控訴審の判決も請求棄却)。<br />
** 6月 高校日本史[[教科用図書検定|検定]]済み[[教科書]]7社9種類のすべてに、従軍慰安婦に関する記述が掲載されることが判明。<br />
** 6月11日 韓国で「日帝下日本軍慰安婦に対する生活安定支援法」が制定、同年8月から元「慰安婦」に一時金、生活費の支給を行う。<br />
<br />
==== 河野談話以降 ====<br />
* 8月4日 日本政府が「慰安婦問題に関する第二次調査報告結果」を公表。それに関連し、[[河野洋平]]内閣官房長官が旧日本軍の強制連行を認める「[[慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話|河野談話]]」を発表。 「慰安所設置等に旧軍が関与し、慰安婦の募集も本人の意思に反して集められた事例が数多かった」とし、慰安婦に対し、「心からお詫びと反省を申し上げる」と謝罪。談話発表後の記者会見で「強制連行の事実があったという認識か」との記者の質問に、「そういう事実があったと。(それで)結構です」と答えた。これを受けた韓国外務省は「全体として強制性を認め、被害者に謝罪と反省を表明し、今後の歴史の教訓としていく意思を表明したことを評価する」との声明を発表。<br />
** 8月4日 [[NHK教育テレビジョン]]が『50年目の"従軍慰安婦"』を放映。元慰安婦らが共同生活している「[[ナヌムの家]]」を紹介し、日本の反省や償いについて論じる。<br />
** 8月31日 [[村山富市]]首相が、談話「平和友好交流計画」に関する談話の中で 、「いわゆる従軍慰安婦問題は、女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、私はこの機会に、改めて、心からの深い反省とお詫びの気持ちを申し上げたいと思います。」と謝罪。<br />
** [[高木健一]]ら、日本の弁護士3人が[[インドネシア]]の地元紙に「日本政府に対して補償を求める裁判のために元慰安婦は名乗り出て欲しい」という内容の広告を出す。<br />
* [[1994年]]<br />
** 「[[国際法律家委員会]]」(ICJ)が「慰安婦」報告書において、幼い少女たちを含む多数の女性たちが戦時中、日本の軍事施設に監禁されたのみならず、殴打や[[拷問]]を受け、繰り返し[[強姦]]されたと指摘。<br />
** 5月3日 [[羽田内閣]]の[[永野茂門]][[法務大臣]]が記者会見で「慰安婦は当時の[[青線#公娼と私娼|公娼]] であって、それを今の目から女性蔑視とか、韓国人[[差別]] とかは言えない。」と述べたことが中国、韓国を初め、[[アジア]]諸国の激しい反発を招く。4日後、永野法務大臣は謝罪し、就任から僅か10日で引責辞任。<br />
* [[1995年]]<br />
** 1月 『[[週刊新潮]]』(1995年1月5日号)が取材の結果、吉田清治の証言が事実無根である事が判明したとの記事を掲載。<br />
** 1月24日 「[[日本弁護士連合会]]」が「従軍慰安婦問題に関する提言」を政府に提出。立法措置などにより、元慰安婦らに補償するよう求める。<br />
** 7月19日 元慰安婦への償い金を民間から募ることなどを目的として、日本政府の主導で[[財団法人]]「[[女性のためのアジア平和国民基金]](アジア女性基金)」が発足。<br />
** 8月15日 社民党の村山富市首相(当時)が過去の日本の侵略戦争や植民地支配について公式に謝罪した[[戦後50周年の終戦記念日にあたっての村山首相談話|村山談話]]を発表。<br />
** 8月15日 「[[大東亜戦争]]」([[アジア・太平洋戦争]])を総括する目的で自民党が1993年8月に立ち上げた「[[歴史・検討委員会]]」(委員長:[[山中貞則]])が『大東亜戦争戦争の総括』([[展転社]])を出版。「『大東亜戦争』は、自存・自衛のアジア解放戦争であり、侵略戦争ではなかった」、「『[[南京大虐殺]]』や『従軍慰安婦』は事実ではない」、「加害・戦争犯罪はなかった」と総括。<br />
** 8月22日 韓国で、元「慰安婦」および支援35団体が「民間基金構想撤回と被害者個人への謝罪と補償を求める共同声明」を発表。<br />
** 11月22日 「国際法律家委員会」(ICJ)が、慰安婦被害者には個人補償請求権があるとする報告書を発表。<br />
* [[1996年]]<br />
** 2月6日 [[スイス]]の[[ジュネーヴ]]で開かれた[[国際連合人権委員会]]に[[スリランカ]]の著名な[[法律家]]である[[ラディカ・クマラスワミ]](Radhika Coomara-swamy)が特別報告者として「女性への暴力特別報告」と題する報告書(通称:[[クマラスワミ報告]]書)を提出。この報告書は主に家庭内暴力についてであったが、付属文書で日本の慰安婦問題を取り上げ、「慰安婦」を「性的奴隷」と規定し、日本の行為を「『[[人道に対する罪]]』、[[奴隷制度]]を禁じた[[慣習法#国際法における慣習法|国際慣習法]]に違反する」と断定し、平和国民基金等で道徳的責任を果たしつつあることは評価しながらも、日本が法的責任を取って犠牲者に補償すること、[[公訴時効]]に関係なく責任者を処罰すること、さらに日本は教育課程にこの歴史的事実を含めることなどを勧告した(クマラ スワミ勧告)。<ref>同年3月、日本政府は報告書に対する非公式な反論文書を各国に配布したが、強い反発を受けたため、「従軍慰安婦問題」は国際法的には解決済みだとして、「女性のためのアジア平和国民基金」への理解を求める内容に修正した文書を国連に提出したが、各国の理解は得られなかった。(留意)ながらも全会一致で採択される(「報告者の活動」に対する評価は"welcome"(歓迎)であった)。<br />
** 5月29日付の『[[週刊新潮]]』でのインタビューで、吉田清治が『私の戦争犯罪 -- 朝鮮人強制連行』中の記述において、人間狩りをしたという主張は否定しなかったが、「人間狩りを行なった場所がどこであるかについては創作を交えた」と認める。<br />
** 6月4日 自民党の[[奥野誠亮]]元法相が「従軍記者や[[従軍看護婦]]はいたが、『従軍』慰安婦はいない。商行為に参加した人たちだ。戦地で交通の便を(国や軍が)図っただろうが、強制連行はなかった」と発言。中国や韓国の政府から抗議を受ける。<br />
** 6月4日 来日中の韓国人元慰安婦(73歳)が自民党の[[板垣正]]参院議員と面会。「一部の日本人が強制がなかったとか妄言を吐くので、胸の中がかきまわされる思いだ。私が発言しないとわからないのか、と名乗り出た」と訴える。対価としてお金をもらっていないとの元慰安婦の話に板垣は「そういう例があったとはまったく信じられない。」と疑問を呈した。<br />
** 6月末 [[橋本龍太郎]]首相が[[金泳三]]韓国大統領との首脳会談後、慰安婦間題を謝罪。<br />
** 中学校用歴史教科書の7年度検定結果が発表され、教科書を発行する7社が一斉に「強制連行」の一環として「慰安婦」問題を掲載していることが明らかになる。<br />
** 8月 雑誌『[[SAPIO]]』連載の『新・ゴーマニズム宣言』第24章で、[[小林よしのり]]が慰安婦問題を取り上げ、大きな反響を呼ぶ。<br />
<br />
===[[河野談話]]、証拠ゼロだが「韓国に配慮。問題収まると思い強制認めた」と作成者証言 ===<br />
「慰安所の設置、管理および慰安婦の移送については、旧日本軍が直接、あるいは間接にこれに関与した」「(慰安婦の)募集、移送、管理なども、甘言、強圧による等、総じて本人の意思に反して行われた」 <br />
<br />
これが河野談話の要点だ。「関与」の意味はあいまいで、「甘言」「強圧」の主語も明確にしないまま「おわびと反省」を表明している。慰安婦問題に対する国内の異なる見解、主張に配慮してわざと文意をぼかしたのだろうが、その手法は海外では通用しない。 <br />
<br />
河野談話は「日本政府が慰安婦強制連行を公式に認めた」と世界で独り歩きし、日本は「性奴隷の国」との印象を与えた。その後、日本側が反論しても「談話という形でコメントが出ているではないか」([[マイク・ホンダ]]米下院議員)と言い返される始末だ。韓国にしても、河野談話という「根拠」がなければここまで高飛車になることはなかったろう。 <br />
<br />
「慰安婦問題における政府の関与については平成5年の河野談話を発表したときの調査を踏まえ、すでに考え方は公表している」 <br />
<br />
野田首相は[[7月25日]]の参院社会保障・税一体改革特別委員会でこう述べ、河野談話を踏襲し、折に触れて海外に発信しているとの認識を表明した。だが、その河野談話は極めて恣意的でいいかげんなものだ。よりどころは、韓国における元慰安婦女性16人からの聞き取り調査(内容は非公開)だけなのである。 <br />
<br />
日本軍・官憲が強制的に女性を集めたことを示す行政文書などの資料は、一切ない。談話作成にかかわった[[石原信雄]]元[[官房副長官]]は[[産経新聞]]の2度にわたるインタビューでこう証言している。 <br />
<br />
「国外、国内、[[ワシントン]]の[[公文書館]]も調べたし、[[沖縄]]の[[図書館]]にも行って調べた。関係省庁、[[厚生省]]、[[警察庁]]、[[防衛庁]]とか本当に八方手をつくして調べた。政府の意思として女性を強制的に集めて慰安婦にするようなことを裏付けるデータも出てこなかった」 <br />
<br />
「あるものすべてを出し、確認した。(河野談話作成のため)できれば(強制を示す)文書とか日本側の証言者が欲しかったが、見つからない」 <br />
<br />
にもかかわらず、「強制性」を認定したのは強硬な態度をとる韓国への配慮からだった。当時の日本政府に「強制性を認めれば、問題は収まるという判断があった」(石原氏)からである。 <br />
<br />
「河野談話は、事実判断ではなく政治判断だった」 <br />
<br />
石原氏は19年には、民主党の会合でもこう正直に語っている。5年当時、[[内閣外政審議室]]などには連日、慰安婦訴訟の原告団や支援団体メンバーがつめかけ、泣き叫ぶような状況が続いていた。 [[宮沢喜一]]首相も河野氏も、元慰安婦の名誉回復を求める韓国政府の要求とこうした物理的圧力に屈し、史実を曲げてしまったのだ。 <br />
<br />
百歩譲って、河野談話で慰安婦問題が解決したのならば一定の評価もできよう。だが、実際は事態を複雑化して世界に誤解をまき散らし、問題をさらにこじらせ長引かせただけではないか。そもそも、政治家は歴史家でもその道の専門家でもない。歴史問題を扱う際にはもっと謙虚・慎重であるべきだろう。 <br />
<br />
河野談話見直しについては、[[安倍内閣]]時代に検討されたが実現しなかったのが記憶に新しい。 <br />
<br />
「かつて[[自民党]]は歴代政府の政府答弁や法解釈などをずっと引きずってきたが、政権復帰したらそんなしがらみを捨てて再スタートできる。もう[[村山談話]]や[[河野談話]]に縛られることもない」<br />
<br />
[[安倍晋三]]元首相は[[2012年]]5月の産経新聞のインタビューでこう述べている。そうだとすると、不毛だった政権交代にも多少の意味はあったといえる。<br />
<br />
==== 歴史教科書問題以降 ====<br />
** 6月 自民党の「終戦50周年国会議員連盟」を改組して結成された「明るい日本・国会議員連盟」(会長:[[奥野誠亮]]会長、事務局長:[[板垣正]])が教科書問題をめぐり、慰安婦は公娼であったとの主張を展開。<br />
** 9月22日 「[[日本を守る国民会議]]」が教科書からの「慰安婦」関連記述の削除を求めて、1カ月の全国縦断キャラバンを開始。<br />
** 12月2日 [[藤岡信勝]]、[[西尾幹二]]、[[小林よしのり]]』、[[坂本多加雄]]、[[高橋史朗]]ら9名の呼びかけで「[[新しい歴史教科書をつくる会]]」が結成される。翌1997年1月30日、[[小杉隆]][[文部大臣]]に教科書の慰安婦についての記述の削除を申し入れる。<br />
* [[1997年]]<br />
** 1月 アジア女性基金による償い金の支給が始まる<ref>[http://web.archive.org/web/20020224032420/www.asahi.com/national/update/0220/018.html 韓国での慰安婦基金、受給拒まれたまま事業終了へ] 朝日新聞 2002年2月24日</ref>。<br />
** 1月3日 『[[朝まで生テレビ!]]』に出演した吉見義明教授は、「植民地での奴隷狩り的強制連行は確認されていない」こと、「挺身隊が慰安婦にさせられた例も確認されていない」ことを認める。<br />
** 1月30日 慰安婦に関する調査を実施した平林博・内閣外政審議室室長は、参議院予算委員会において、政府が調査した限りの文書の中には軍や官憲による慰安婦の強制募集を直接示すような記述は見出せなかったが、「総合的に判断した結果、一定の強制性がある」との判断で「河野談話」の表現になった旨を答弁。河野談話の根拠となった韓国の遺族会がまとめた元慰安婦の証言集に対する裏付けは取っていない旨を述べる。<ref name="k19970130"/><br />
** 2月27日 自民党の[[安倍晋三]]の主導で自民党の当選5回以下の議員を中心に「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(事務局長:安倍晋三、幹事長:[[平沼赳夫]]、現・「[[日本の前途と歴史教育を考える議員の会]]」)が結成される。<br />
** 3月 韓国の中学校、高校用の国定歴史教科書に従軍慰安婦に関する記述が今学期から掲載される。中学校の教科書では、、「女性までも挺身隊という名でひいていかれ、日本軍の慰安婦として犠牲にもなった。」、高等学校の教科書では、「女性たちまで挺身隊という名でひいていかれ、日本軍の慰安婦として犠牲にもなった。」と説明される。<br />
** 3月9日 元内閣官房副長官の[[石原信雄]]が『[[産経新聞]]』の[[インタビュー]]で、募集の文書や担当者の証言を初め、日本側のデータには強制連行を裏付けるものはなかったことや、元慰安婦の名誉のため、強制性を認めるように強行に要請していた韓国政府に対し、「強制性を認めれば、問題は収まる」という判断で、元慰安婦らの証言だけで強制性を認めたという「河野談話」発表に至る経緯を明かす<ref name="sankei19970309"/>。河野官房長官は、産経新聞のインタビューは断ったが、同年3月の朝日新聞のインタビューには応じた。<ref>[http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/30961/ 河野・慰安婦談話と石原元官房副長官の証言](『国を憂い、われとわが身を甘やかすの記』 2006/08/28 15:48)</ref><br />
** 3月10日 [[ジャーナリスト]]の [[櫻井よしこ]]が『[[文藝春秋 (雑誌)|文藝春秋]]』4月号の「[[密約]][[外交]]の代償」と題する論文で、[[加藤紘一]]元官房長官、石原信雄元官房副長官、[[谷野作太郎]]元外政審議室長などに対する直接取材の結果として、証拠に基づかずに、政治的判断で強制連行を認めた政府の外交を批判。<br />
** 3月12日 参議院の予算委員会において、平林博外政審議室長は、「政府の発見した資料の中には強制連行を直接示す記述は見当たらなかったが、総合的な調査の結果についての総合判断により、一定の強制性を認めた」旨の答弁をする。<ref name="k19970312"/><br />
** 河野洋平元官房長官が自身の講演会で、「女性を強制的に徴用しろといいますか、本人の意思のいかんにかかわらず連れてこい、というような命令書があったかといえば、そんなものは存在しなかった。調べた限りは存在しなかったということは申しあげていいと思うんです。『資料がなかった』ということは事実としてはっきりさせておかなければいけない」と語る<ref>『WILL』2007年5月号</ref><br />
** 3月31日 『朝日新聞』が2ページの慰安婦問題の特集記事を掲載。吉田証言に関し、「間も無くこの証言を疑問視する声が上がった。済州島の人たちからも氏の著述を裏付ける証言は出ておらず、真偽は確認できない。吉田は『自分の体験をそのまま書いた』と話すが、『反論するつもりはない』として、関係者の氏名などデータの提供を拒んでいる」と、これまでの主張を修正し、「吉田証言の真偽は確認できない」とした。河野洋平元官房副長官のインタビューも掲載。<br />
** 5月 中学校教科書の慰安婦の記述削除を求める請願が各地の地方議会で相次ぐ。その問題に対して、「[[日本弁護士連合会]]」が「二度と過ちを犯さないため、事実を歴史教科書に記載して子供たちに伝えていくことが必要」と、請願を採択しないように地方議会に呼びかける声明を発表。<br />
** 6月27日 1997年度用中学校社会科教科書の検定に合格した7冊すべてに慰安婦に関する記述があることが判明。<br />
* [[1998年]]<br />
** 4月27日 元慰安婦3人と元挺身隊員7人の計10人の韓国人女性が日本政府に総額5億6400万円の損害賠償と公式謝罪を求めた訴訟([[釜山従軍慰安婦・女子勤労挺身隊公式謝罪等請求訴訟|関釜裁判]])で初の司法判断。山口地裁下関支部は請求の一部を事実認定し、河野談話の後、国会議員に賠償立法の義務が生じたとし、国の立法義務、立法の不作為を認め、国に対し、「慰安婦」一人あたり30万円の支払いを命じる。河野談話が強制連行の証拠と認定される。しかし、[[控訴]]審(2001年3月29日、広島高裁)は、一審判決を破棄し、最高裁への慰安婦側の[[上告]](2003年3月25日)も[[棄却]]され、最終的には慰安婦側の敗訴が確定)<br />
** 4月28日 『産経新聞』(1998年4月28日付)が「主張」の欄で、「慰安婦訴訟 禍根を残した『河野談話』」との記事で、慰安婦側の訴えた認めた前日の判決を批判。裏づけとなる証拠がない「河野談話」を根拠に強制連行を認めたこと、河野談話によって、国会での立法義務が生じたとされたこと、戦後補償問題を清算した「[[日韓基本条約]]」締結との関係が不明確である点を批判。<ref name="sankei19980428"/><br />
** 7月31日 [[小渕内閣]]の[[中川昭一]]は [[農林水産大臣]]就任直後の記者会見で、「中学校の教科書に従軍慰安婦に関する記載があるのは疑問」、「強制連行があったかどうかは分からない」などと述べ、中国、韓国からの強い反発を受け、翌日、発言を撤回した。<br />
** 8月 国連人権委員会差別防止・少数者保護小委員会で、アメリカのゲイ・マクドゥーガル国連人権委員会特別報告者の「武力紛争時における組織的[[強姦]]、性奴隷及び奴隷類似慣行に関する最終報告書」(「[[マクドゥーガル報告書]]」)が採択され、付属文書で、日本の慰安婦の制度は「[[奴隷制]]」であり、慰安所は「強姦[[収容所]]」、慰安婦は強姦、性暴力を受けた「[[性的奴隷|性奴隷]]」であるとし、慰安婦の日本政府に対する賠償請求権を認め、政府、軍関係者、兵士個人も訴追し、裁くべきであるとした。これは人権小委員会の勧告としては採択されず。<br />
** 8月 韓国で、「ナヌムの家」の隣に建てられた「日本軍慰安婦歴史館」がオープン。<br />
** 8月4日 『[[読売新聞]]』が「『慰安婦』問題をもてあそぶな」と題した[[社説]]で、「わざわざ韓国の反発をそそのかしているような報道がある」、中川農相が発言を撤回したのは、「歴史を捏造していた一部マスコミが、捏造への反省も訂正もないまま、重ねて問題発言だとして騒いだからだ。」と『朝日新聞』を暗に批判する。<br />
** 8月11日 読売新聞が「国連の権威損なう『慰安婦』報告」と題し、「慰安婦強制連行説」を捏造した者とそれを追認した「河野談話」を厳しく批判。<br />
** 11月 [[月刊]][[雑誌]]『[[諸君!]]』(1998年11月号)において、秦郁彦が吉田清治本人が自著をフィクションであることを認めたと述べる。<br />
** 11月 改定版として出版された広辞苑5版は、旧版に加筆修正された。<br />
*** 【朝鮮人強制連行】日中戦争・太平洋戦争期に百万人を超える朝鮮人を内地・樺太(サハリン)・沖縄・'''東南アジア'''などに強制的に連行し、労務者や軍夫などとして強制就労させたこと。女性の一部は日本軍の従軍慰安婦とされた。<br />
*** 【従軍慰安婦】日中戦争・太平洋戦争期、日本軍によって将兵の性の対象となることを強いられた女性。'''多くは強制連行された朝鮮人女性。'''<br />
* [[2000年]]<br />
** 7月 中学校歴史教科書の検定申請本8種の内容が公開され、「慰安婦」についての記述が3社に減少することが判明。<br />
** 12月8日から12日 東京で慰安婦制度など戦時中の旧日本軍による性暴力を裁こうと、[[VAWW-NETジャパン]]を初め、日本とアジアの[[非政府組織]](NGO)が東京で民間の模擬法廷、「[[女性国際戦犯法廷]]」を開く。最終日には四人の裁判官が「性奴隷化を図った慰安婦制度は当時の国際法に違反する犯罪」とする判決を発表。<br />
* [[2001年]]<br />
** 2月17日 元職員(女・43)から[[セクシャルハラスメント|セクハラ]]を告発されていた『ナヌムの家』の園長が、女性職員らとの性関係を認め、園長職から退き、僧籍を離れることを表明。<ref>『[[朝鮮日報]]』2001年2月19日付</ref><br />
** 3月1日 『読売新聞』は社説で慰安問題が捏造であると指摘。「特定マスコミが、戦時の勤労動員だった女子挺身隊を強制的な"慰安婦狩り"制度だったと歴史を捏造した結果、一時、日韓関係を極度に悪化させた。歴史を捏造してまで日本を比類のない悪の権化に貶めようなどというのは、「自虐史観」の極みである。中韓両国は、 こうした特定マスコミの報道に便乗して対日外交カードとするようなことがあってはなるまい」と主張。<br />
** 5月8日 韓国政府が日本政府に対して中学校の「つくる会」の歴史教科書などに対し、記述修正を要求。<br />
** 5月16日 中国政府が日本政府に対し、「つくる会」の歴史教科書教科書の8項目について記述修正を要求<br />
** 7月9日 [[文部科学省]]が韓国・中国政府の修正要求に対して、「つくる会」歴史教科書に対する訂正は求めない方針を示す。<br />
* [[2002年]]<br />
** 韓国女性省は、新学期から使用される中学2年と高校1年の歴史教科書の慰安婦関連の記述について「多数の女性を強制動員して、日本軍が駐屯する[[アジア]]各地に送り、慰安婦として非人間的な生活を強要した」などと、詳細且つ具体的な表現にする方針を発表、教育省に提案。<ref>この当時の韓国教科書では「女性まで挺身隊の名で連れ去られ慰安婦として犠牲にもなった」と記述されている。</ref>韓国女性省は「慰安婦が強制動員だったことと、性の奴隷としての生活を強いられたことを明確にする」、「慰安婦問題についてのビデオCDを教師向け教材として全国の中・高校に配布する」などの方針を示す。<br />
** 2月24日 [[立命館大学]]で開かれた「東アジアの平和と人権」国際[[シンポジウム]]日本大会([[朝日新聞社]]後援)において、韓国・ [[慶南大学]][[客員教授]](社会学)の金貴玉(キム・ギオク)(40)が、[[朝鮮戦争]]時の韓国軍にも慰安婦制度があったと発表<ref name="asahi20020223"/>。<br />
** 3月28日 在日韓国人で唯一元慰安婦であると名乗り出た[[宋神道]](80)が日本政府を相手取り、謝罪と補償を求めていた訴訟で、最高裁第二小法廷(北川弘治裁判長)は宋側の上告を棄却し、宋の敗訴が確定。<br />
** アメリカとイギリスで田中ユキという正体不詳の著者による“Japan's Comfort Women”(日本の慰安婦)という英文の書が出版される。400人を超える女性への聞き取り調査に言及。<br />
* [[2003年]]<br />
** 3月25日 「関釜裁判」の上告が棄却され、慰安婦側の敗訴が確定。<br />
* [[2004年]]<br />
** 3月17日 [[韓国挺身隊問題対策協議会]]が韓国、日本、米国、フィリピン、台湾、スペイン、ベルギー、ドイツの8ヶ国で水曜集会600回を記念して1000人余りで日本政府に公式謝罪と賠償を求めるデモを行った<ref name=chuonippou20040317>[http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=49730&servcode=400&sectcode=400 慰安婦「水曜デモ」、8カ国で同時開催] 中央日報 2004.03.17</ref>。<br />
** 9月2日 「過去史真相究明論争」をテーマにした「MBC100分討論」において、[[ソウル大学]]の[[李栄薫]]教授(経済学部)が、慰安婦を売春業になぞらえたかのような発言を行った。また、「韓国戦争当時の韓国人による慰安所や米軍部隊近くのテキサス村に対する韓国人の反省と省察がない」「朝鮮総督府が強制的に慰安婦を動員したと、どの学者が主張しているのか」「日本は挺身隊を管理した責任があるが、韓国民間人の問題も取り上げるべきだ」と主張したことに対し、[[インターネット]]上で抗議が殺到し、「[[韓国挺身隊問題対策協議会]]」が教授職辞任を要求する声明書を出す<ref name="李栄薫ソウル大教授「従軍慰安婦は売春業」"/>。同年9月6日、李教授は「ナヌムの家」を訪問し、元慰安婦らに謝罪。<br />
** 11月27日 [[中山成彬]][[文部科学省]]大臣<ref>当時、中山文科相は、歴史教科書の見直しを推進する自民党内の「日本の将来と歴史教育を考える若い議員の集い」での代表であった。</ref>が[[大分県]][[別府市]]での[[タウンミーティング]]の席上で、歴史教科書について「極めて自虐的で、やっと最近、いわゆる従軍慰安婦とか強制連行とかいった言葉が減ってきたのは本当に良かった」と述べたことが、反発を招く。<br />
** 『親日派のための弁明』の著者、[[金完燮]]が7年前に19万部のベストセラーとなった『娼婦論』に慰安婦制度を肯定する最終章を加えた日本版『娼婦論』([[日本文芸社]]刊)を出版。韓国の女性団体が主張する「日本軍用女性奴隷」という用語は、「日本の国家的イメージを失墜させようとする意図が見え隠れする」と指摘、「慰安婦制度は戦場となった住民の安全を守るために必要不可欠だった」と肯定、「韓国の教科書で教える10万とも20万とも言われる女性が連行されたとする内容も情報操作された数字だ」とした。<br />
** 12月3日 [[細田博之]]内閣官房長官が民主党の[[岡崎トミ子]]副代表(当時)の求めで、衆院第2議員会館において、閣僚として初めて元慰安婦(韓国人の[[李容珠]](75)とフィリピン人のベアトリス・トゥアソン)と非公開に面談。「(慰安婦問題)は父親の世代の罪。心から反省し、おわびする」と謝罪。<br />
* [[2005年]]<br />
** 3月27日 [[安倍晋三]]自民党幹事長代理が講演会で、「従軍慰安婦は作られた話」と述べる。<ref>『[[中央日報]]』 2005年4月2日付2面</ref>。<br />
** 4月 中学歴史教科書では、「慰安婦」の記載は申請段階で1社となる。<br />
** 6月 中山文科相が「従軍慰安婦という言葉はその当時なかった」と発言したことが、韓国などから反発を招く。<br />
** 8月10日 第二次世界大戦終結60周年世界60都市同時集会・デモが東京、ソウル、マニラ、サンフランシスコなどで日本政府や在外公館に対する集会やデモとして取り組まれた。日本政府に対し、国連勧告に従い元「慰安婦」への賠償を訴える。<br/>「[[アムネスティ・インターナショナル]]」が、第二次世界大戦終結から60年を迎える直前のこの日の「水曜デモ」を機に、慰安婦とその支援者らに賛同することを発表。<ref>[http://www.amnesty.or.jp/modules/news/article.php?storyid=48 60年もの間求め続ける正義:2005年8月10日の「水曜デモ」を機に、元「従軍慰安婦」とその支援者に連帯を表明する。]</ref><br />
<br />
==== 安倍政権以降 ====<br />
* [[2006年]]<br />
** 10月5日 安倍晋三首相が「河野談話」を「私の内閣で変更するものではない」とし、政府として引き継いでいくことを明言する。<br />
** 10月25日 内閣官房副長官の[[下村博文]]が東京・有楽町の[[日本外国特派員協会]]における講演で、「河野談話」について、「もう少し事実関係をよく研究し、時間をかけて、客観的に科学的な知識を収集し考えるべきだ」と述べる。<br />
<br />
* [[2007年]]<br />
** 1月末 [[マイク・ホンダ]]ら6人の[[民主党 (アメリカ)| 民主党]]の米下院議員が共同署名で[[アメリカ合衆国下院|米下院]]に慰安婦問題に対する日本政府の謝罪要求決議案(H.Res.121)を提出。戦時中に日本が、アジアの女性たちを強制的に「性奴隷」にしたことに対する首相の公式謝罪などを求める内容。<br />
** 2月15日 米下院院外交委員会アジア太平洋・地球環境小委員会における[[公聴会]]で、[[李容洙]]、[[金君子]]、[[ジャン・ラフ・オハーン]]の3人の元慰安婦が証言。<br />
** 2月19日 衆院予算委員会において、[[麻生太郎]][[外務大臣]]が慰安婦をめぐる対日非難決議案にある「日本軍による強制的な性奴隷化」という記述について「決議案は客観的事実に基づいていない。日本政府の対応を踏まえておらず、はなはだ遺憾だ」と不快感を表明。麻生外相は同年3月11日、フジテレビの番組で、この対日非難決議案をめぐる動きについて「日米(関係)を離間させる有効な手段だ。」として、第三国による対日工作の可能性を指摘。司会者の「北朝鮮や中国による工作か」との質問に同意する<ref>「時事ニュース」 2007/03/11-10:49 </ref>。<br />
** 2月25日 [[フジテレビジョン|フジテレビ]]系列の『[[報道2001]]』に中継で出演したマイク・ホンダは、「謝罪要求決議案は、[[反日]]の決議案ではなく、和解・平和ということを意識した決議案である」、「国会において、総理大臣が正式にきちんと陳謝するというプロセスが重要である」という旨を述べる。また、強制連行があった根拠を問われ、「被害者の証言」や「アジア女性基金による支援」、「河野談話」、「総理の謝罪」がなされたこと自体が根拠だと主張。<br />
** 3月1日 自民党の「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」が「慰安婦に対して、日本軍の強制連行はなかった」との見解を明らかにし、政府に慰安婦問題に対する調査を要求<ref name="tyuounippou20070302">『[[中央日報]]』 2007年3月2日付。</ref>。<br />
** 3月1日、安倍晋三首相が「河野談話」に関する記者の質問に対して「旧日本軍の強制性を裏付ける証言は存在していない」と語り、国内外から波紋を呼ぶ。<br />
** 3月5日 参院予算委員会において、安倍首相が、「(米下院に提出された慰安婦問題をめぐる対日非難)決議案は客観的事実に基づいていない」、「決議があっても謝罪することはない」と答弁する。<br />
** 3月14日 自民党の議員連盟「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」会長の中山成彬 元文部科学相と下村博文官房副長官との会談で、当面は慰安婦問題に関する再調査しないことで合意。<br />
** 3月16日 日本政府は閣議において、[[社会民主党 (日本 1996-)|社会民主党]]の[[辻元清美]]の慰安婦問題に関する[[質問主意書]]<ref>[http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a166110.htm 安倍首相の「慰安婦」問題への認識に関する質問主意書]</ref>に対して、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示す記述は見当たらなかった」とする答弁書<ref>[http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b166110.htm 衆議院議員辻元清美君提出安倍首相の「慰安婦」問題への認識に関する質問に対する答弁書]</ref>を出す。<br />
** 3月23日 「[[日本外国特派員協会]]」(東京・有楽町)で記者会見した[[中曽根康弘]]元首相に慰安婦問題に関する質問がなされる。海軍将校だった中曽根が[[ボルネオ島]]で「慰安所」を設営したと回顧録で述べていることに対し、外国人ジャーナリストらが追及。中曽根は「私は飛行場を作る施設部隊にいた。(相当な期間を要するので、)徴用した工員たちのための娯楽施設を設営した」と説明。「『娯楽』とはどんな娯楽か」「強制はあったのか……」との質問に「海軍におったのでその点は知らない」とし、慰安婦問題については「河野談話を踏まえて謝罪すべきは謝罪する……」と答える。<ref>[http://www.janjan.jp/government/0703/0703232269/1.php 慰安婦問題でトバッチリ喰らった中曽根元首相](『[[JanJan]]』 2007年3月24日付)</ref><br />
** 3月24日 米紙『[[ワシントン・ポスト]]』が「安倍晋三の二枚舌(Shinzo Abe's Double Talk)」と題する社説を掲載。歴史的な記録により、日本が慰安婦を強制連行したことは「北朝鮮が日本の市民を拉致した証拠に劣らず説得力がある」、「拉致問題で国際的な支援を求めるなら、彼は日本の犯した罪の責任を率直に認め、彼が名誉を傷つけた被害者に謝罪すべきだ」とし、「河野談話」を後退させてはならないと主張した。<br />
** 3月28日 アメリカで最も使われている歴史教科書「伝統と出会い:過去に対する世界的 展望(Tradition & Encounters: A Global Perspective on the Past)」に、日本軍が当時、最大 30万人に達する女性たちを慰安婦として強制連行したとの記述があることが判明<ref>[http://www.yonhapnews.co.kr/bulletin/2007/03/28/0200000000AKR20070328002600071.HTML米歴史教科書"日本軍、慰安婦強制動員" ]『[[聨合ニュース]]』(韓国語)。</ref>。<br />
** 3月31日 元従軍慰安婦への償い事業を十二年間行ってきた「アジア女性基金」が解散。<br />
** 3月31日 米の『[[ニューヨーク・タイムズ]]』が国際面の1ページを使って吉見教授のインタビューを掲載。「軍の関与を示す資料発掘によって論争に終止符が打たれたのに、安倍晋三に先導された若い[[民族主義]]者の政治家らが河野談話の撤回に向けたロビー活動を行った。」という旨の批判。<br />
** 4月3日 アメリカ議会調査局の専門家らが「日本軍の『慰安婦』システム」と題する議員の審議用資料とする報告書を作成。「軍による女性の強制徴用」について、「日本軍はおそらくほとんどの徴募を直接に実行はしなかっただろう。特に朝鮮半島ではそうだった」との見解を示す。また、「アジア女性基金」の設立や「河野談話」など、日本政府が謝罪や賠償の努力を重ねてきたことを指摘、日本へ更なる謝罪や賠償を要求することに疑問を呈す。<ref>「組織的強制徴用なし」 慰安婦問題 米議会調査局が報告書(『[[産経新聞]]』2007年4月12日)</ref><br />
** 4月17日 [[林博史]][[関東学院大学]]教授が[[外国特派員協会]]における記者会見で、「従軍慰安婦」問題に関する新資料七点を発表。戦後の[[東京裁判]]でオランダ、フランス、中国の検察団が提出した尋問調書や陳述書が旧日本軍が慰安婦を強制連行し、性行為を強要したたことを示していることを指摘。<br />
** 4月26日 米紙『[[ワシントン・ポスト]]』が「[[慰安婦問題ワシントン連合]]」(徐玉子会長)をはじめとする在米韓国系団体の「慰安婦の真実」と題した全面広告を掲載。「日本はこの犯罪に全面的な責任を取ったことは一度もない」と非難、慰安婦問題に関し日本政府の謝罪を求める下院対日決議案の採択を求める。<br />
** 4月27日 総理として初の訪米した安倍晋三は[[アメリカ合衆国議会|連邦議会]]においての上下両院幹部との会談で、「慰安婦問題について「私の真意が正しく伝わっていない」、「辛酸をなめられた元慰安婦の方々に、個人として首相として心から同情するとともに、極めて苦しい状況に置かれたことに申し訳ないという気持ちでいっぱいだ」と元慰安婦らに対する同情とおわびを表明。<ref>(『[[時事通信]]』2007年4月27日)</ref><br />
<br />
* [[2008年]]<br />
** 1月に刊行された広辞苑6版では、従軍慰安婦について大幅に修正された。<br />
*** 【朝鮮人強制連行】日中戦争・太平洋戦争期に100万人を超える朝鮮人を内地・樺太(サハリン)・沖縄・東南アジアなどに強制的に連行し、労務者や軍夫などとして強制就労させたこと。女性の一部は日本軍の'''慰安婦'''とされた。<br />
*** 【従軍慰安婦】日中戦争・太平洋戦争期、日本軍によって将兵の性の対象となることを強いられた女性。'''植民地・占領地出身の女性も多く含まれていた。'''<br />
** 10月30日 [[国際連合人権委員会]]は慰安婦問題について日本政府に法的責任の認識と謝罪を初めて勧告した<ref>[http://sankei.jp.msn.com/world/europe/081031/erp0810310934003-n1.htm 日本に死刑廃止検討求める。国連委、慰安婦でも初勧告]産経ニュース2008年10月31日</ref>。<br />
* [[2009年]]<br />
** 1月8日 米紙『[[ニューヨークタイムズ]]』が韓国政府やアメリカ人によってアメリカ軍に対する売春を強制されていた女性達の声を掲載した<ref name="NYTimes20090108"/>。<br />
** 1月10日 麻生総理が韓国大統領と強制徴用と慰安婦問題について謝罪要求放棄を誓約 <br />
** 1月27日 元慰安婦の損害賠償請求権譲渡を可能に、法改正推進国会の[[金映宣]](キム・ヨンソン)政務委員長は、日本軍従軍慰安婦被害者らの日本政府に対する損害賠償請求権を家族や友人、民間団体などに譲渡できるようにした「[[日帝下日本軍慰安婦被害者に対する生活安定支援及び記念事業などに関する法律]]」改正案を国会に提出した。改正案が成立すれば、慰安婦被害者の死後にも日本に持続的に賠償を請求できるようになる<ref>[http://japanese.yonhapnews.co.kr/relation/2009/01/27/0400000000AJP20090127000400882.HTML 元慰安婦の損害賠償請求権譲渡を可能に、法改正推進] 聯合ニュース 2009/01/27</ref>。また日韓基本条約については無効としている。<br />
<br />
=== 論点 ===<br />
==== 強制連行の有無 ====<br />
実際に強制性が存在したかについては、いわゆる強制連行の有無や、[[売春]]が強制下で行われたのではないかなどを含めて様々な議論がある。強制的に連れ去られた事実が存在したのか、また存在したとしてそれを行い売春を強要させた主体が日本政府(軍)だったのか、被害者の両親と金銭取引を行い、本人の意思を無視して連れ去った民間業者だったのかで意見が分かれる。<br />
<br />
* 2006年9月13日に米上院外交委員会に提出された日本軍慰安婦問題に関し日本政府に謝罪を求める決議案(H.Res.759)は「日本政府は性奴隷にする目的で慰安婦を組織的に誘拐、隷属させた」としており、2007年1月31日に提出された同様の決議案(.Res.121)は「日本政府は「帝国軍への性行為という唯一の目的のために若い女性を職務として連行した」としている。<br />
*[[ソウル]]大学教授[[安秉直]]は[[韓国挺身隊問題対策協議会]]と共同で3年間に渡って日本軍慰安婦について調査をしたが、強制連衡があったとする客観的資料は一つも見つからなかったと明らかにしている<ref name=dailyseop20061206>{{ko icon}}{{cite web<br />
| url = http://web.archive.org/web/20080129121328/http://www.dailyseop.com/section/article_view.aspx?at_id=52265<br />
| title = 教科書フォーラムの安秉直、「慰安婦は自発的」妄言で波紋<br />
| publisher = デイリー・サプライズ<br />
| accessdate = 12月6日<br />
| accessyear = 2006年<br />
}}</ref>。<br />
* [[韓国陸軍]]元[[大佐]]の評論家[[池萬元]]は、元日本軍慰安婦は大半が厳しい経済事情のため自ら性売買を望んだ人だとしている<ref>[http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=62513&servcode=400&sectcode=400 池萬元氏「偽の慰安婦」疑惑を提起、波紋広がる] 中央日報 2005.04.14</ref>。<br />
* [[中央大学]]教授[[吉見義明]]は、秦郁彦が済州島での実地調査で吉田証言がウソであったことが判明したと報告して間もなく、人狩りのようなことは“狭義”の強制連行であるが、詐欺などを含む「“広義”の強制連行」というものも問題であると主張するようになった<ref name="siryousyuu"/>。後に吉見教授は、自身の見解を質された際に、「植民地での奴隷狩り的強制連行は確認されていない」こと、「挺身隊が慰安婦にさせられた例も確認されていない」ことを認めている。<ref>『[[朝まで生テレビ!]]』1997年1月3日放送</ref><br />
* [[小林よしのり]]は、吉見義明をはじめとする慰安婦制度批判派が、旧日本軍による強制連行を批判してきたのに、証拠が無いとわかっても自説の訂正や謝罪はせず、「広義の強制性」を持ち出してきたことを「論点のすり替え」だとして批判している。<ref name="gomanism5">[[小林よしのり]]『新ゴーマニズム宣言 5』 [[小学館]] 2002年9月</ref><br />
* 秦郁彦は実質的に強制であるかどうかではなくて、物理的な強制連行の有無が問題だとし、「そうしないと、ある世代の全員が『強制連行』になりかねない。」と吉見義明の「狭義の強制性」論に異議を唱えている。<ref name="rekisironsou"/>また、「強制連行」については、志願者が多数いたので「強制連行」する必要性はなかったとし、「強制連行」されたという証言は元慰安婦の証言のみで、第三者の目撃証言はこれまで一切なく、2000年の「国際女性法廷」において、配られた60数人の元慰安婦の来歴には誰が慰安所に強制連行したかといういう主語が一切省かれていたと指摘している<ref name="takajinnnosokomade20050410"/>。<br />
* 『朝日新聞』は1997年3月31日付の社説で、「旧日本軍の従軍慰安婦をめぐって、日本の責任を否定しようとする動きが続いている。これらの主張に共通するのは、日本軍が直接に強制連行したか否か、という狭い視点で問題をとらえようとする傾向だ」と主張。<br />
* [[親日]]的で知られる[[日本]][[国籍]]を取得した[[韓国]]出身の[[日本]]の[[評論家]][[呉善花]]は自身がインタビューした「生活者の連帯意識も民族意識や民族愛も強い当時の朝鮮人が、娘たちが強制的に連れて行かれるのを見て黙っているわけがなく、そんな世界で女狩りなんてできるはずがない」 という当時を知る日本人の証言を紹介し、自身が韓国にいた間、「慰安婦」の話を耳にしたことがなかった意味が、ようやくわかったと自著で述べている。 <ref name="mrauwanai">[[呉善花]] 『「反日韓国」に未来はない』([[小学館]] 2001年9月)</ref><br />
* 慰安婦に関する調査を実施した平林博・内閣外政審議室室長や[[石原信雄]]官房副長官は、政府の調査おいて、軍や官憲による慰安婦の強制募集を直接示すような証拠も証言もなかったと国会答弁<ref name="k19970130"/><ref name="k19970312"/>や新聞<ref name="sankei19970309"/>、雑誌<ref name="mituyaku">[[櫻井よしこ]]「[[密約]][[外交]]の代償」(『[[文藝春秋 (雑誌)|文藝春秋]]』4月号)</ref>等のインタビューにおいて語っている。<br />
* インドネシアの抑留所を管理していた第16軍軍政監部は、強制しないこと、自由意思で応募したことを証するサイン入り同意書を取るように指示していたが、それに反し、ある幹部候補生隊がオランダ人女性35人をスマランの慰安所に強制連行したこと(「[[白馬事件]]」)が戦後、[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]によるB,C級法廷で裁かれ、軍人のほかに 、慰安所を経営していた日本人業者のうち、一人が死刑、10人が有罪となったとの記録が残っており、これが強制連行を行なっていた証拠であるとの指摘<ref name="kyoudoutuusin200070512">『共同通信』2007年5月12日付</ref>がある一方、軍は事件後慰安所を閉鎖しており、元もと自由意思で応募する者だけを慰安婦にする方針だったので、むしろ強制連行を行なっていなかった証拠であるとの反論がある。<ref>「[http://www.sankei.co.jp/kokusai/usa/070310/usa070310004.htm 慰安婦問題 対日非難は蒸し返し]」(Sankeiweb 2007/03/10 06:09)</ref><br />
<br />
==== 「公娼」か「性奴隷」か ====<br />
* 中国の[[山西省]]南部の陸軍病院の[[軍医]]として従軍し、朝鮮人慰安婦の性病検査なども行なった[[湯浅謙]]([[中国帰還者連絡会]]会員)は、当時の軍人にとって慰安婦は料金も払うし、愛想もよかったので、「[[公娼]]」に見えたが、[[植民地]]支配下にあって、彼女たちは抵抗することも「強制され連れて来られた」と異議を唱えることもできない状況下にあったので、「[[性的奴隷]]」であった旨を語っている。<ref name="watasigasiru">[http://www.ne.jp/asahi/tyuukiren/web-site/backnumber/05/yuasa_ianhu.htm 私が知る「従軍慰安婦」]湯浅謙 (季刊『[[中帰連]]』第五号 1998年6月)</ref><br />
* 日本の戦争犯罪・戦争責任を追及しているNGO「[[日本の戦争責任資料センター]]」は、「『日本軍慰安婦』制度は、慰安婦たちに居住の自由、廃業の自由、外出の自由や慰安所での使役を拒否する自由をまったく認めていなかった」、「故郷から遠く離れた占領地から逃亡することは不可能だった」などの理由から、「公娼制度を事実上の性奴隷制度とすれば、『日本軍慰安婦』制度は、より徹底した、露骨な性奴隷制度であった」旨を主張している。<ref name="nihongunianhmondainikansuruseimei">[http://space.geocities.jp/japanwarres/center/hodo/hodo37.htm 「日本軍「慰安婦」問題に関する声明」] 日本の戦争責任資料センター 2007年2月23日</ref><br />
* 米会員の対日決議案(H.Res.121)は「強制軍売春という『慰安婦制度』は“残忍さという点で前例のないもの”と認識されており、“20世紀における最大の人身売買の一つ”である」と主張している。<br />
* 秦郁彦は、慰安婦を「戦前の日本に定着していた公娼制度の戦地版と位置づけるべきだ」と主張している。<br />
* 商社員として約三年半の間、中国[[漢口]]の慰安所について見聞きして来た小野田寛郎は自著<ref name="watasigamita"/>で、慰安婦制度の背景について、「兵士も、やはり(女性を求める)若い人間であり、一方にはそうまでしてでも金を稼がねばならない貧しい不幸な立場の女性のいる社会が実際に存在した」とし、「『従軍慰安婦』なるものは存在せず、ただ戦場で「春を売る女性とそれを仕切る業者」が軍の弱みにつけ込んで利益率のいい仕事をしていたと言うだけのことである。」と述べている。<br />
* 親日的な著作で知られる韓国の作家、[[金完燮]]は「軍隊という血気さかんな若者の集団にどうやって性欲を発散させるかは、どの国の軍隊にとっても重要な問題であり、“性奴隷”というのは反日キャンペーンのために発明された用語だ」と批判している<ref name="sintihanotamenobenmei2">『親日派のための弁明2』 [[扶桑社]] 2004年11月27日</ref>。<br />
<br />
* 産経新聞は米軍が1944年にビルマにおける慰安所経営者と慰安婦20人を尋問した報告書では、「すべての慰安婦は以下のような条件で契約を交わして雇用していた」とあることから、商業ベースでの契約に基づいて雇用されていた実を率直に記されているとし、「慰安婦の雇用条件や契約条件が明記されており、慰安婦の女性が一定額の借金を返せば解放されるという条項があるという点で、当時の米軍当局が日本軍の“強制徴用”や“性奴隷”とは違った認識を持っていた証拠になる」と指摘している(報告書の詳細はの[[#証言・証拠資料]]の節の「米軍作成の捕虜尋問報告書」を参照)<ref name="sankei20070518">『産経新聞』2007年5月18日付</ref>。<br />
<br />
==== 政治的背景の指摘 ====<br />
* 軍人に対する売春に従事した婦女は日本に限らず、[[アメリカ合衆国|米国]]、[[韓国]]、[[ドイツ]]を含む他国にも存在しており<ref name="toikaketeirumono">[[天児都]] 『「慰安婦問題」の問いかけているもの』 [[石風社]] 2001年7月 </ref><ref>2002年、韓国・ [[慶南大学]][[客員教授]](社会学)の金貴玉が、[[朝鮮戦争]]時の韓国軍にも慰安婦制度があったことを明らかにした。1956年に陸軍本部がに編纂した公式記録や目撃者たちの証言がある。韓国軍は1948年の政府の公娼廃止令に背いて、約3年間不法に公娼を設置・運営していた(『朝日新聞』2002年 2月24日付)</ref><ref>米人女性[[ジャーナリスト]]、[[スーザン・ブラウンミラー]](Susan Brownmiller)は自著”Against Our Will”(1975年)で、[[ベトナム戦争]]中、米軍がベトナム人女性がいる軍公認の慰安所を利用していたことについて詳細なルポを書いている。また、戦後の日本において、「[[パンパン]]」などと呼ばれていた進駐軍相手の日本人娼婦がいたことはよく知られている。</ref><ref>2005年1月、ドイツで放映されたドキュメンタリー番組「Frauen als Beute -Wehrmacht und Prostitution(戦利品としての女性・ドイツ国防軍と売春)」は、ドイツ軍が1904年、フランス人の売春婦を使い官製の慰安所を始め、後には[[ポーランド]]や[[ウクライナ]]の女学校の生徒を騙して連れて行き、慰安婦にしたことなどを数多くの報告書や指令文書を元に報じた。</ref>、自国にも存在したにもかかわらず日本のケースのみを韓国<ref>韓国に対しては、ベトナム戦争時に、韓国軍が現地の女性を多数強姦し、私生児を残したことが社会問題になったことなどが指摘されている。</ref><ref name="seiron200503">『正論』2005年3月号</ref>や中国が殊更取り上げることについては、政治的なカードとして利用する[[プロパガンダ]]であると日本の右派・[[保守派]]は主張している<ref name="seiron200503"/><ref>[http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/130519 世界各国にもあった慰安婦・慰安所](『国を憂い、われとわが身を甘やかすの記』 2007/03/09 16:54 )</ref><ref>「[http://www.sankei.co.jp/kokusai/usa/070314/usa070314000.htm 民族的快感、沸く韓国 米の慰安婦決議案 ホンダ議員、英雄扱い]」(『Sankeiweb』 2007/03/14 03:24)は日本に対する道徳的優位を誇示するために韓国は慰安婦問題を日本の国家的強制によるものとすることに力を注いできていると指摘している。</ref><ref>「日豪安保宣言が中国『慰安婦カード』を無効にする」 [[浅川晃広]](『[[諸君!]]』2007年6月号)</ref>。また、特定の政治的意図を持った日本国内のマスコミや団体や人物などの工作と指摘する声もある<ref>「河野談話」発表に関わった当時、内閣官房副長官だった石原信雄は、国会議員との会合において、初期の段階では韓国政府が慰安婦問題をあおるということはなく、むしろこの問題をあまり問題にしたくないような雰囲気を感じたが、ある日本の弁護士が韓国で、慰安婦問題を掘り起こして大きくし、それに呼応する形で国会で質問を行うという連携プレーのようなことがあり、「韓国政府としてもそう言われちゃうと放っておけない」という状況があったこ語っている。</ref><ref name="kyoukasyohenogimon">日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会(編) 『歴史教科書への疑問』 [[展転社]] 1997年12月23日、p314]</ref><ref>韓国の盧泰愚大統領は慰安婦問題の発生について、「日本の言論機関の方がこの問題を提起し、我が国の国民の反日感情を焚きつけ、国民を憤激させてしまいました。」と語っている。(『[[文藝春秋 (雑誌)|文藝春秋]]』1993年3月号 )</ref>。また、当時は国が売春を認める「公娼制度」があった時代であり、性に対する倫理感覚、女性に対する人権感覚は現在と違っているのに、過去の歴史の出来事を現在の基準で裁くのは間違いだとの指摘もある<ref name="seiron200303">『正論』 2003年3月号</ref>。<br />
* 日韓基本条約で日韓の戦時中の問題は解決を見ているのに、韓国や[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]などが未だにこの問題を非難するのはおかしいという指摘もある。<br />
<br />
== 証言・証拠資料 ==<br />
=== 著作 ===<br />
* 『[[現代コリア]]』(1993年2・3月号)紙上で、現代史研究家の[[加藤正夫]]が、千田夏光に、『従軍慰安婦』(講談社文庫 1984年)の中の矛盾点を問い詰め、島田俊彦([[武蔵大学]]教授)の『関東軍』([[中央公論社]] 1965年)に載っていた話を引用したとの答えを引き出し、「関東軍特別[[演習]]に備え、慰安婦を集めたとことを後方担当参謀だった原善四郎元[[少佐]]より直接聞き取った」という旨の記述は嘘であったことを暴露した。その島田の著作も[[出典]]はなく「慰安婦を集めた」と記載されているだけであった。<br />
* 女医の[[天児都]]は2001年に出版した自著で、千田の『従軍慰安婦』に裏付けのない記述や矛盾が多いと指摘した。千田は1996年4月、軍医だった天児の父、[[麻生徹男]]が自身の論文で娼楼でない軍用娯楽所(音楽、活動写真、図書等)の設立を希望したのに、娼婦が不可欠のものと主張していると誤解し、父親を慰安婦制度を考案した責任者のようにほのめかしてしまったことを娘の天児に謝罪したが、その後も出版元の三一書房と講談社はその部分を改訂しなかったという。天児は「慰安婦問題」は千田の誤りを検証しないまま、それを事実として書かれた後の著作によって誤りを再生産して日本中に広め、それが海外へ流出して日本叩きの材料とされた事件だ」という旨を述べている<ref name="toikaketeirumono"/>。<br />
<br />
=== 加害証言 ===<br />
現在の所、慰安婦を強制連行したという公になされた加害証言は吉田証言のみとされているが、その吉田証言はその信憑性が問題視され、慰安婦問題を批判する側からも採用されなくなりつつある。<br />
<br />
==== 吉田証言 ====<br />
自著で、韓国の済州島において、慰安婦にするための205人の女性を強制連行したと告白し、日本、韓国、アメリカなどで、何度もそのことを証言して来た。自著では当時の命令書の内容まで詳細に記載していた。初めての、かつ今日まで唯一の加害証言として旧日本軍の慰安婦に対する強制連行の有力な証言として、扱われてきたが、秦郁彦、[[中村粲]]、[[板倉由明]]、[[上杉千年]]らの[[歴史学者]]の検証によって、その証言をはじめ、吉田の語っていた軍の命令系統から本人の経歴に嘘や矛盾があると指摘されたため、旧日本軍による「強制連行」を否定する側からは捏造だと批反されている。<br />
<br />
* それらの証言に対する検証にやがて、吉田本人も慰安婦狩り自体を行なったということまでは否定していないが、時と場所だけは創作を交えたので事実ではないことを認め、その後も真実は明かしていないため、慰安婦制度を批判している吉見義明<ref>1993年5月に吉田を訪ね、積極的に反論するよう勧めたが、「日記を公開すれば家族に脅迫などが及ぶことになるのでできない」、「回想には日時や場所を変えた場合もある」と言われ、吉田の回想は証言としては使えないと確認したという。</ref>や [[上杉聰]](日本の戦争責任資料センター事務局長も「吉田証言」は歴史証言としては採用できないとしている。<br />
<br />
* 秦郁彦によれば、1998年9月2日、吉田に電話で「著書は小説だった」という声明を出したらどうかと勧めたら、「[[人権屋]]に利用された私が悪かった」とは述べたが、「私にもプライドはあるし、85歳にもなって今さら……このままにしておきましょう」との返事だったという。<br />
<br />
* 付属文書で、当時の日本の慰安婦制度を国際法違反であるとした[[国連人権委員会|国連人権委]]に提出された「クマラスワミ報告書」は吉田証言を強制連行の証拠として引用している。<br />
<br />
* 米国下院が慰安婦問題で対日非難決議案を審議する際の資料とされた同議会調査局の報告書(2006年4月10日付)に「日本軍による女性の強制徴用」の有力根拠として「吉田証言」が明記されていた。改訂版の報告書(2007年4月3日付)では「吉田証言」が削除された。<br />
<br />
=== 私が見た従軍慰安婦の正体-[[小野田寛郎]] ===<br />
首相の[[靖国神社]]参拝や従軍慰安婦の問題は、全く理由のない他国からの言いがかりで、多くの方々が論じているところだ。[[南京大虐殺]]と同様多言を弄することもあるまいと感じていたのだが、未だに妄言・暴言が消え去らない馬鹿さ加減に呆れている。<br />
<br />
戦後六十年、[[大東亜戦争]]に出征し戦場に生きた者たちが少なくなりつつある現今、私は証言として、「慰安婦」は完全な「商行為」であったことを書き残そうと考えた。<br />
<br />
外地に出動して駐屯する部隊にとって、治安維持と宣撫工作上最も障害になる問題は、兵士による強姦と略奪・放火である。そのためにどこの国もそれなりの対策を講じていることは周知の通りである。大東亜戦争時、戦場には「慰安婦」は確かに存在した。当時は[[公娼]]が認められている時代だったのだから至極当然である。<br />
<br />
野戦に出征した将兵でなくとも、一般に誰でも「従軍看護婦」と言う言葉は常識として知っていたが、「従軍慰安婦」と言う言葉は聞いた者も、また、使った者もいまい。それは日本を貶める為に後日作った造語であることは確かだ。 <br />
<br />
淫らな言葉だが、中国戦線では「ツンコ・ピー」「チョウセン・ピー」と呼んでいた筈であるが、他の人の見ている所でする筈のないことだけに、「慰安所」のことも「慰安婦」のことも、公の場で自己の見聞を正確に発表する人が少ない。<br />
<br />
あまり詳しいと「よく知ってるね」と冷笑されるのが落ちだろう。では何故、君は、と私に聞かれるだろうが、幸い私はその実態を外から観察出来る立場にあったから、何も臆することなく、世の誤解を解くために発表することが出来るのだ。<br />
<br />
商社員として十七歳の春、中国[[揚子江]]中流の[[漢口]](現武漢)に渡った私は、日本軍が占領してまだ五カ月しか経っていない、言わば硝煙のにおいが残っている様な街に住むことになった。<br />
<br />
当時、漢口の街は難民区・中華区・日華区・フランス租界・日本租界・旧ドイツ租界・旧ロシア租界・旧英国租界に分かれていて地区ごとにそれぞれ事情に合った警備体制が敷かれていた。日華区とは日本人と中国人とが混じって住んでいる地区で、そこに住む中国人は中華区に住む者と同様「良民証」を携帯しており、そうでない者は警備上難民区に住まされていた。<br />
<br />
難民区は日本兵も出入りを禁止されていて、私たち在留邦人は届け出て許可を得なければ出入り出来なかった。それだけ危険な場所だった。私は、仕事が貿易商だから、難民区以外はよく歩いた。<br />
<br />
ある日、汚れた軍服を着た兵士に「慰安所はどこか知りませんか」と路上で尋ねられ、一瞬思い当たらず戸惑った。しかし看板に黒々と「漢口特殊慰安所」と書いて壁に掲げていて、その前に歩哨と「憲兵」の腕章をつけた兵隊が立っている場所を思い出したのでその通り教えてあげた。 <br />
<br />
映画館と同様に日華区にあった。汚れた軍服から推測して、作戦から帰ってきた兵士に間違いない。街を警備している兵士は、そんな汚れた軍服で外出してないからだ。私は「特殊慰安所」か、なるほど作戦から帰った兵士には慰安が必要だろう。小遣い銭もないだろうから無料で餅・饅頭・うどん他がサービスされるのだろうと早合点していた。<br />
<br />
ところが、私の知人が営む商社は日用品雑貨の他に畳の輸入もしていて、それを「慰安所」にコンドームなどと一緒に納入していたので「慰安所」の出入りが自由であった。彼に誘われて一般在留邦人が入れない場所だから、これ幸いと見学に行った。私たちは、憲兵に集金の用件を話してまず仕事を済ませた。日が暮れていたので「お茶っぴき」(客の無い遊女)が大勢出てきて、経営者と私たちの雑談に入ろうとしてきたが追い払われた。<br />
<br />
そこには内地人も鮮人も中国人もいた(現在、鮮人は差別用語とみなされ、使われない。しかし朝鮮半島が日本統治だった当時は「日本人、朝鮮人」などと言おうものなら彼らに猛烈に反駁された。彼らも日本人なのだからと言う理由である)。<br />
<br />
群がってきた彼女たちは商売熱心に私たちに媚びてきた。憲兵は特別な事情の時以外は、部屋の中まで調べに来ないからである。<br />
<br />
料金は女性の出身地によって上中下がある。また、利用時間も兵士は外出の門限が日没までだから日中に限られるが、下士官は門限が長く、将校になれば終夜利用出来る。料金も階級の上の方が割高で、女性たちは当然、同じ時間で多く稼げることになる。<br />
<br />
半島出身者に「コチョ(伍長─下士官)かと思ったらヘイチョウ(兵長─兵士)か」「精神決めてトットと上がれ ネタン(値段)は寝間でペンキョウ(勉強)する」とか、笑うどころではない涙ぐましいまでの努力をしているのも聞いた。<br />
<br />
内地人のある娼妓は「内地ではなかなか足を洗えないが、ここで働けば半年か一年で洗える」といい、中には「一日に二十七人の客の相手をした」と豪語するつわものもいた。<br />
<br />
ここで親しくなった経営者の話を紹介しよう。 <br />
<br />
「体力的に大差がない筈なのに、内地人は兵士たちと言葉が通じるために情が通うのか、本気でサービスして商売を忘れ健康を害してしまう。<br />
そのために送り返さねぱならず、経営者にとって利益が少ない。兵隊さんには内地人ばかりで営業するのが本当だが」と本音を漏らしていた。 <br />
<br />
私の育った街には花柳界があったので、芸妓と酌婦をよく眼にしたが、当時は玄人女と呼ばれた彼女たちの外出姿でも一般の女性と見分けることが出来た。その目で見れば漢口の街でも同様だったが、特に朝鮮人の女たちは特色があった。<br />
<br />
というのは彼女たちは数人で外出してくるのだが、民族衣装ではなく、着慣れないツーピースの洋装のせいで着こなしが悪く、また歩き方にも特徴があって一目で見分けられた。彼女たちは実に明るく楽しそうだった。その姿からは今どきおおげさに騒がれている「性的奴隷」に該当する様な影はどこにも見いだせなかった。<br />
<br />
確かに、昔からの言葉に、「高利貸しと女郎屋の亭主は畳の上で往生出来ぬ」というのがあった。[[明治時代]]になって人身売買が禁止され「前借」と形は変わったが、娘にとっては売り飛ばされた」ことに変わりはなかった。<br />
<br />
先述の「足を洗う」とは前借の完済を終えて自由の身になることを言うのだが、半島ではあくどく詐欺的な手段で女を集めた者がいると言う話はしばしば聞いた。<br />
<br />
騙された女性は本当に気の毒だが、中にはこんな話もある。「『従軍看護婦募集』と騙されて慰安婦にされた。私は高等女学校出身なのに」と兵士や下士官を涙で騙して規定の料金以外に金をせしめているしたたかな女もいた。またそれを信じ込んでいた純な兵士もいたことも事実である。日本統治で日本語が通じた故の笑えない喜劇でもある。<br />
<br />
ところで、その「慰安所」にどれだけの金が流れたのだろうか。これが「慰安婦」が「商行為」であった確かな事実である。<br />
<br />
私の次兄が主計将校で、漢口にある軍司令部に直接関係ある野戦衣糧廠にいたので「慰安所」について次のような統計があると教えてくれた。当時、漢口周辺には約三十三万人という兵力が駐屯していたが、ある理由で全軍の兵士の金銭出納帖を調べた。三分の一が飲食費、三分の一が郵便貯金、三分の一が「慰安所」への支出だった。<br />
<br />
貯金は給料の僅かな兵士たちにとって嬉しいことではなかったが、上司から躾として教えられている手前せざるを得なかったのが実情だった。 私も初年兵として一ケ年、江西省南昌にいたが、食べたいのを我慢して貯金した。一人の兵士がそれぞれ三等分して使った訳ではないだろうが、人間の三大欲は食欲、睡眠欲と性欲と言われるだけに、貯金を睡眠に置き換えると全く物差しで測った様な数字である。<br />
<br />
ちなみに当時の給料は兵は一カ月平均十三円程で、その三分の一を約四円として計算すると三十三万人で総額約百三十二万円になる。「零戦」など戦闘機一機の価格は三万円と言われたが、実に四十四機分にも相当する。サラリーマンの初任給が四十円そこそこの頃だったのだから、経理部の驚くのも無理のない話である。<br />
<br />
以上が、私が商社員として約三年半の間、外部から眺め、また聞き得た「慰安所」と「慰安婦」の実態である。私が漢口を去った昭和十七年夏以降に、漢口兵站(作戦軍の後方にあって車両・軍需品の前送・補給・修理・後方連絡線の確保などに任ずる機関)の副官で「慰安所」等を監督した将校の著した『漢口兵站』と照合してみたが、地名・位置等について多少の相違点は見いだしたが、本題の「慰安所」について相違はなく、より内情が詳しく記されていた。<br />
<br />
これでは誰がどう考えても「商行為」であるとしか言いようがないだろう。「商行為」ではない、軍による「性的奴隷」であるとそれでも強弁するとすれば、知らな過ぎるのか、愚かで騙されているのか、そうでなければ関西人が冗談めかして言う「いくらか貰うてんの・」なのかもしれないが、あまりにも馬鹿げた話である。 <br />
<br />
次に、軍関与の暴論について証言する。私は二十歳で現役兵として入隊、直ちに中支の江西省南昌の部隊に出征した。初年兵教育が終わって作戦参加、次いで幹部候補生教育、途中また作戦と、一ケ年一度の外出も貰えずに久留米の予備士官学校に入校してしまったから、外出して「慰安所」の門を潜る機会に恵まれなかった。<br />
<br />
だが初年兵教育中、古い兵士には外出がある。外出の度にお土産をくれる四年兵の上等兵に「外出でありますか」と挨拶したら「オー、金が溜ったから朝鮮銀行に預金に行くんだ」と笑って返事をしてくれた。周りは周知の隠語だからクスリと笑うだけだった。 南昌には師団司令部があった。<br />
<br />
「慰安所」には内地人も朝鮮人も中国人もいて、兵士は懐次第で相手を選んで遊んだのだろう。私は幹部候補生の教育を、南昌から三十キロ以上も離れた田舎の連隊本部で受けた。<br />
<br />
「慰安所」は連隊本部の守備陣地の一隅に鉄条網で囲まれて営業していた。教育の末期に候補生だけで本部の衛兵勤務につくことになった。もちろん勤務は二十四時間である。<br />
<br />
私は営舎係だったので歩哨に立たないから何度も歩哨を引率して巡察に出た。巡察区域の中に「慰安所」も含まれていた。前線の歩哨は常時戦闘準備をしている。兵舎内の不寝番でさえ同様だ。鉄帽を被り、銃には弾を装填し夜間はもちろん着剣である。<br />
<br />
その姿で「慰安所」の周囲だけならまだしも、屋内も巡察し、責任者の差し出す現在の利用者数の記録を確認する。軍規の維持とゲリラの奇襲攻撃を警戒しているからである。<br />
<br />
考えてみるまでもない、そこで遊んでいる兵士は丸腰どころではない。もっと無防備で不用心な姿の筈である。その将兵を守るべき責任は部隊にあるのは当然だ。<br />
<br />
それに性病予防の問題もある。そんな田舎に医師や病院がある筈がない。性病予防のため軍医や衛生兵が検査を実施するしかない。「慰安所」の経営者は中国人だったし、日本では当時公認の娼妓と呼ばれた女たちも中国人だった。彼らも食料やその他の生活用品が必要だ。大人数なのだから、それなりの輸送手段もいる。辺鄙な場所だから部隊に頼る以外方法がない。部隊が移動する時もそうなるだろう。<br />
<br />
私の話す湖北省の言葉もだいたい通じたので、経営者と立ち話をして彼女たちについてそれなりの様子も聞き出せた。今でも「慰安所」の両側に部屋のある中廊下を巡察した不粋な自分の姿を思い出すが、こんな漫画にもならない風景が現実にあったのだ。これは私の部隊だけではないと思う。<br />
<br />
もう六十年も昔のことである。時代が変わり、また平時と戦時の違いもある。したがって娼妓(ここでは慰安婦に相当する)に対する解釈も当然変化している。そうであるにもかかわらず、すでに証拠も不完全になっていることを幸いに、今更これを問題にして騒ぎ出す者たちの狙いは何なのか。<br />
<br />
言えることはただ一つ、不完全だからこそ喚き散らしていれぱ、何かが得られると狙っているということだ。戦場に身を曝し、敵弾の洗礼を受けた者として最後に言っておく。このことだけは確かだ。野戦に出ている軍隊は、誰が守ってくれるのだろうか。周囲がすべて敵、または敵意を抱く住民だから警戒を怠れないのだ。自分以上に強く頼れるものが他に存在するとでも言うのならまた話は別だが、自分で自分を守るしか方法はないのだ。<br />
<br />
軍は「慰安所」に関与したのではなく、自分たちの身を守るための行為で、それから一歩も出ていない。<br />
<br />
「異常に多く実を結んだ果樹は枯れる前兆」で「種の保存の摂理の働き」と説明されるが、明日の命も知れぬ殺伐とした戦場の兵士たちにもこの「自然の摂理」の心理が働くと言われる。<br />
<br />
彼らに聖人君子か、禅宗の悟りを開いた法師の真似をしろと要求することが可能なのだろうか。現実は少ない給料の中から、その三分の一を「慰安所」に持って行ったことで証明されている。有り余った金ではなかったのだ。 <br />
<br />
「兵隊さん」と郷里の人々に旗を振って戦場に送られた名誉の兵士も、やはり若い人間なのだし、一方にはそうまでしてでも金を稼がねばならない貧しい不幸な立場の女性のいる社会が実際に存在していたのだ。<br />
<br />
買うから売るのか売るから買うのかはともかく、地球上に人が存在する限り、誰も止めることの出来ないこの行為は続くだろう。根源に人間が生存し続けるために必要とする性さがが存在するからだ。<br />
<br />
「従軍慰安婦」なるものは存在せず、ただ戦場で「春を売る女性とそれを仕切る業者」が軍の弱みにつけ込んで利益率のいい仕事をしていたと言うだけのことである。こんなことで騒がれては、被害者はむしろ高い料金を払った兵士と軍の方ではないのか。<br />
<br />
=== 元慰安婦の証言 ===<br />
* 韓国で初めて慰安婦であったことを証言した[[金学順]]を初め、慰安婦と名乗り出た者の証言の中に矛盾があるとして、その証言の信憑性を疑問視する指摘がこれまである(秦郁彦は雑誌『諸君』(2007年5月号)などで氏名不明の旧軍人との証言の突合せなどにより疑問を提起している。<br />
* 吉見義明は1997年、研究者も強制連行であるとしていない文玉珠に対し、強制連行ではないと主張しても研究上では意味をなさないとしている。<br />
* 1993年の韓国の挺対協などによる調査において、文玉珠の証言はそのときの最も明白な強制連行証言であった。それ以前の訴状には、騙されて掠われたことになっている。<br />
* [[ハイナンNET]]による台湾元慰安婦の調査報告や[[石田米子]]・[[内田知行]]らの著作によれば、最近の調査では1人の元慰安婦に数時間のインタビューを数回行い、日時・場所などについては他の資料とつき合わせて確認しており、研究者は証言の信頼性を確認しながら調査を行っているという。<br />
* 河野洋平は官房長官として慰安婦に対する軍の強制性を認めた談話を発表した後、1997年3月31日付の『朝日新聞』のインタビューにおいて、「半世紀以上も前の話だから、その場所とか、状況とかに記憶違いがあるかもしれない。だからといって、一人の女性の人生であれだけ大きな傷を残したことについて、傷そのものの記憶が間違っているとは考えられない。実際に聞き取り調査の証言を読めば、被害者でなければ語り得ない経験だとわかる。相当な強圧があったという印象が強い。」と語っている。<br />
* 1992年、[[ソウル大学]]教授の[[安乗直]]ら「挺身隊研究会」が慰安婦と名乗り出たうちの生存者55人中約40人に聞き取り調査を行なった。このとき一人あたり5、6回以上の長時間の面接調査、記録資料との確認、スタッフは報告書を3回以上輪読、その後の再面談、を経てまとめられたという。結果は半数以上が「意図的に事実を歪曲していると感じられる」などの理由から脱落し、最終的に証言集に掲載できたのは19人であった。この調査報告書では強制連行は詐欺(主)を含めて大部分だとしている。<br />
* 現代朝鮮研究者の[[西岡力]]は、雑誌『WILL』で上記の証言集に掲載できた19人のうち、官憲等による「強制連行」だったと証言する女性は4人だけであり、その4人のうちの2人が自分が連行されたと語った慰安所は実際には実在しないことが判明。残りの[[金学順]]と[[文珠珠]]の二人は両名共、日本政府を訴えた裁判の[[訴状]]では元「[[妓生|キーセン]]」であったことを述べており、西岡が『文藝春秋』紙上でこのような指摘した後、金学順は「キーセンに売られて中国に連れて行かれたのだけど、業者の人と北京の食堂でご飯を食べていたら日本の軍人が来て連行された」とそれまでの証言を変えたという。<br />
* [[日本放送協会|NHK]]職員(当時)の[[池田信夫]]は[[1991年]]にNHKの終戦に関する番組制作のため、韓国で数十人の強制連行されたという関係者に取材したが、軍が連行したという証言は得られなかったという。<br />
* 1993年、宮沢内閣は「河野談話」発表の前に、韓国政府の強い要請を受け、元慰安婦16人の証言を聞いた。この元慰安婦の人選は韓国の「太平洋戦争犠牲者遺族会」が行い、証言書には福島瑞穂弁護士などの立会い人が付き添った。日本政府はこの証言に対しては質問することも、裏付け調査をすることも許されず、この調査における慰安婦の氏名も証言内容も非公開とされたという。<br />
<br />
* 旧日本軍に強制連行されたと証言している慰安婦<br />
** [[金学順]]<br />
** [[ジャン・ラフ・オハーン]]<br />
<br />
==== 韓国人元慰安婦のキムボットンさん「在日朝鮮人は日本で優遇されるべき存在。日本は謝罪し差別無くせ」 ====<br />
南朝鮮から来日した日本軍「慰安婦」被害者である金福童さんと吉元玉さんは集会で、「慰安婦」としての自身の悲惨な体験とともに、平和への切実な思いを訴えた。 <br />
<br />
金福童さんはとりわけ、在日朝鮮人に送る激励の言葉をたびたび口にした。 <br />
<br />
「現在日本には在日朝鮮人と呼ばれる人たちがいるが、その人たちは望んで日本にやって来た人たちだろうか。過去の戦争時にどうしようもなく日本にやってきた青年たちが日本で苦労しながら生きてきて、その人たちの子孫が今の在日朝鮮人である。日本人と同じく税金を収めており、しかも過去の(植民地支配の)歴史を考えるとむしろ日本政府から優待されるべき彼らが、今なお差別を受けている状況を見ると胸が痛い。日本政府がすべての過去に対し謝罪し、心を入れ替え、私たちの同胞である在日朝鮮人に対する差別をなくしてもらいたい」 <br />
<br />
金さんは、「私たちの同胞には、日本で差別に負けずに力強く生きていってほしい。みなさんには私たちがついている。日本のみなさんも、私たちの同胞と仲良く平和に暮らしていってほしい」と話した。 <br />
<br />
==== 韓国人元慰安婦のキム・ボットンさん、証言と自身の年齢のつじつまが合わず1947年まで強いられた計算 ====<br />
沖縄タイムスは2013年[[5月20日]]、[元「慰安婦」証言]「私の存在が証拠です」と題した社説を掲載し。その社説には、旧日本軍慰安婦とされる韓国人の金福童(キムボクトン)さん(87歳)が5月18日に沖縄の証言集会に参加したことに触れて、以下のように書かれている。<br />
<br />
『金さんは14歳のころ、旧日本軍に「軍服を作るために日本へ行く」と日本統治下の韓国から連行された。アジア各地の前線を転々とし、8年間、「慰安婦」を強いられた』。<br />
<br />
また、時事通信社の『時事ドットコム』が25日付で伝えたニュースによると、金さんは25日に大阪で開催された集会においても「工場に行くと言われたのは14歳」と沖縄タイムスの社説と同様の発言をしている。<br />
<br />
ここで注目すべきは金さんの誕生年への言及がないことだ。もし彼女が現在87歳であれば、14歳当時は1940年。2013年に満88歳を迎えるのなら、14歳当時は1939年。日本は1945年に終戦を迎えたので、彼女の証言に基づくと、終戦後の数年間も慰安婦を強いられたということを意味する。<br />
<br />
なお、ツイッター上では、記事を読んだネットユーザーの「マスコミは足し算や引き算が出来ないのか」「慰安婦自らが証言する言葉に耳を傾けるべき」「私は橋下(徹)大阪市長の味方ではないが、肝心の証言が疑いをかけられるようなものでは…」「計算が合わないことは問題ではない」といったさまざまな意見がつぶやかれている。<br />
<br />
==== 自称「慰安婦」の矛盾だらけの証言 ====<br />
慰安婦問題には物的証拠は何もなく、彼女たちの「証言」が唯一の根拠だ。 <br />
<br />
しかしNYタイムズの田渕記者などは、いまだに記者会見で橋下徹氏に「慰安婦が嘘つきだというんですか!」などと詰問しているので、彼女たちが嘘つきであることを証明しておこう。 <br />
<br />
橋下氏に面会するといって来日しながら、なぜか直前にキャンセルした金福童(87)と吉元玉(84)の2人は、大阪市内で開かれた集会には参加した。 <br />
<br />
朝鮮新報によれば、「金福童さんはまず、14歳の時に軍需工場に連れて行くと騙され、南洋群島の戦場に慰安婦として送られた」という。彼女の証言は次のようなものだ。 <br />
<br />
最初、中国・広東の慰安所に入れられた。そこには陸軍司令部の本部があり、私たちは将校と軍医官に身体検査をされ、すでに用意してあった部屋に行かされた。日本政府は『自分たちがやったことではない』と言っているが、民間人がどうやって軍人相手のための慰安所を作ることができるのか。<br />
<br />
まず彼女が最初に送られたのが南洋群島(パラオ・サイパンなど)なのか広東なのかという事実が、同じ記事の中で食い違っている。 <br />
さらに金は「広東から香港、マレーシア、スマトラ、インドネシア、ジャワ、シンガポール…、前線地帯の戦地を日本軍と共に転々とした」という。 <br />
<br />
日本軍の部隊でも、このように太平洋を数千kmも移動した将兵はなく、まして慰安婦がそれに随行することはありえない。 <br />
<br />
金は87歳というから、「14歳の時」というのは1939年か40年だ。そのころ朝鮮半島に徴用令は出ていないので、「軍需工場に連れて行くと騙した」のは民間人だろう。<br />
<br />
軍医が身体検査をするのは当然で、衛生管理のためである。「民間人が軍人相手のための慰安所を作る」のはもうけるためで、何の不思議もない。要するに、彼女は民間人にだまされて民間の慰安所で働いたと言っているのだ。どこにも「強制連行」は出てこない。 <br />
<br />
他方、沖縄タイムスによると、金は「アジア各地の前線を転々とし、8年間、慰安婦を強いられた」という。慰安婦になったのが1939年だったとしても、8年たったら1947年。そのころ日本軍は存在しない。各地の(民間の)売春宿を渡り歩いていたのではないか。 <br />
<br />
もう一人の吉元玉は、毎日新聞によれば「11歳だった1940年から旧日本軍の慰安所で兵士の相手をさせられた」という。11歳というのは小学5年生で、当時は初潮もなかっただろう。これは現在の年齢と辻褄を合わせるための嘘だと思われるが、集会でも慰安婦としての体験は具体的に何も話していない。 <br />
<br />
田渕記者の信じる慰安婦の「証言」は、みんなこんなものだ。このように二転三転し、歴史的事実と矛盾する「証言」をいくら集めても、証拠能力はゼロである。<br />
<br />
今回、彼らが橋下氏との面会をドタキャンしたのも、事前の市当局との話し合いの中で反対尋問に耐えられないと支援団体が判断したためだろう。慰安婦なるものはこういう詐欺師であり、橋下氏が謝罪するような相手ではない。 <br />
<br />
<br />
オフイス・マツナガ@officematsunaga <br />
:今回、橋下発言に抗議目的で来日した「元従軍慰安婦」だが、年齢が判明した模様。 <br />
:「証言通りだとしたら、当時、7歳ぐらいになって計算あわない」と在大阪記者。 <br />
:さすがの朝日新聞も気づいたようで、報道を控えている。「年齢詐称・・・」と北岡絶句。 <br />
<br />
https://twitter.com/officematsunaga/status/339191795953045504<br />
<br />
==== 「10万人いた」?自ら「父に売られた」証言も…韓国紙報道に疑問・矛盾の数々 ====<br />
日本統治時代の「慰安婦」問題をこじらせている理由の1つに韓国メディアの極端な報道姿勢があることは以前から指摘されてきた。<br />
<br />
特に最近、具体的な証拠をもって検証するという姿勢は消えうせ、これまで以上に一方的な思い込みや元慰安婦・反日団体の主張を垂れ流して問題の拡大再生産を続ける。韓国メディアが伝えた“証言”や“情報”を詳細に見ると、おかしなことに気づく。<br />
<br />
===== 「日本右翼が死を待つ人々」 =====<br />
[[朝鮮日報]](電子版)は2013年8月17日、「日本の右翼が一日も早く死ぬのを待っている人々がいる。旧日本軍の従軍慰安婦の被害者だったおばあさんたちだ」と始まる記事を掲載した。<br />
<br />
記事によると、元慰安婦の女性らは、日本側が「組織的かつ暴力的な慰安婦動員の証拠を出さない中」での、「日本の過去の蛮行を詳細に明らかにした証言者だ」と主張する。<br />
<br />
そして「日帝(日本帝国)統治からの解放から63年の長い歳月を経て、推定10万人あまりいた元慰安婦の数は(8月13日)現在、57人に減った」としている。<br />
<br />
問題は「10万人」という数字だ。<br />
<br />
最近では「20万人が性奴隷となった」などと喧伝され、一人歩きする数字の典型例となっているが、これにしても出所不明、根拠不明瞭この上ない数字だ。<br />
<br />
朝鮮人慰安婦の数をめぐっては、確定した数字はない。歴史研究者による調査・分析の結果から推定したものが根拠となることが多い一方で、政治家ら一定の発言力がある人物が発信した出所不詳の数字が検証されずに伝えられたものまであるのが実態だ。<br />
<br />
科学的な根拠から事実関係究明しようとしてきたが、研究者によって推定には開きがある。<br />
<br />
韓国メディアはこうした「過去の事実」については一切「直視」しようとしていない。<br />
<br />
===== 「朝鮮人慰安婦」8000~8万人? =====<br />
慰安婦問題を詳細かつ実証的に論じた「慰安婦と戦場の性」などの著作で知られる歴史学者、[[秦郁彦]]氏は[[1993年]]、中国などに展開していた兵員数を約300万人とし、将兵50人に慰安婦1人という割合、さらに慰安婦の休日のための予備人員の係数(交代率)から1.5倍の人数を要したとの推計を前提に、慰安婦の総数を約9万人とした。<br />
<br />
秦氏はその後、[[1999年]]に兵員数を250万人、将兵150人に慰安婦1人の割合だったとの見方を示し、慰安婦の総数は約2万人だったとの分析結果を示した。<br />
<br />
慰安婦問題解決のため、[[1995年]]に設置された「女性のためのアジア平和国民基金」が日本政府の調査を基にまとめた「政府調査『従軍慰安婦』関係資料集成」では、過去の記録を基に[[台湾]]の[[台北]]や[[台南]]、[[高雄]]など6地域を経由して最終的に[[中国]]に移設されていった慰安所での従業員や関係者らの割合を示している。<br />
<br />
これによると、「朝鮮人」慰安婦の割合は40.1%と推計。秦氏の総数9万人説を基にすると、朝鮮人慰安婦は約3万6000人。総数2万人説を基にすると8000人となる。<br />
<br />
このほか、慰安婦が日本による「性奴隷制度」の下にあったとの立場をとる歴史学者の[[吉見義明]]氏は、兵員数300万人、割合を100人に1人、交代率を1.5とする説と、割合を30人に1人、交代率を2とする説を発表。これによると、慰安婦の総数は4万5000人から20万人となる。この場合でも、朝鮮人慰安婦の数は最大20万人の40.1%で8万2000人となり、韓国の反日団体が主張する20万人はおろか、10万人にも届かない。<br />
<br />
論拠を示さずに「10万人」の主張を繰り返すのが、朝鮮日報の報道姿勢だ。<br />
<br />
===== 「空腹の弟たちのため」2度売られ… =====<br />
朝鮮日報は一方で、元慰安婦の女性たちが暮らしている施設でインタビューした結果として、女性らの当時の境遇をまとめている。女性らが訴える境遇は悲惨で、深い同情を禁じ得ないものだが、中にはこんな証言もある。<br />
<br />
[[平壌]]出身で91歳になるキム・スンオクさんという女性は「暮らし向きが苦しく、7歳から他人の家で生活していると、空腹の弟たちの生活の一助にと父親の勧めで、[[妓生]](キーセン)として売られた」と述べている。<br />
<br />
キムさんはもう一度、家に帰りたいと思う一心で、金を稼ぎ借金を完済。家に戻ったが、父親は再びキムさんを売り、[[中国]]・[[黒竜江省]]の「石門子」という慰安所に行くことになった。<br />
<br />
約5年間、慰安婦として働かされた-。キムさんは同紙にこう述べている。<br />
<br />
赤貧ゆえに2度にわたって父親に売られたという事実には、だれもが同情を禁じ得ないだろうが、きっかけは「父親が娘を売った」という事実である。<br />
<br />
朝鮮日報のインタビューでは他にも、「工場で働けば、お金を稼げると聞いたが、慰安婦の募集だった」という女性の話や、「家が苦しく学校に行けず、[[1940年]]に、お金も稼げて勉強もさせてもらえるという誘い話に乗って[[蔚山]](ウルサン)の旅館で働き、[[1942年]]に朝鮮人1人と日本人1人に中国の延吉に連れていかれ、3年間、慰安婦として過ごした」という女性などの話が出てくる。<br />
<br />
===== 地元出身者による女性連れ去り多発 =====<br />
朝鮮日報など韓国メディアは、こうした話をたびたび引用して日本批判のよりどころにしているのだが、当時の社会状況などについては検証することはない。<br />
<br />
当時の韓国では、朝鮮出身者が女性を連れ去った事件([[1939年]][[8月31日]]付の[[東亜日報]])や、朝鮮半島出身者による少女買春事件([[1933年]][[6月30日]]付同紙)などが多発していた一方、日本の治安機関が連れ去られた女性らを救出したという出来事([[1939年]][[3月15日]]付同紙)があった。<br />
<br />
こうした事実を提示し、社会情状況を重ね合わせて検証するという報道姿勢は、韓国メディアには望めないのだろうか。<br />
<br />
=== 評論家・呉智英 「しっかりとした歴史知識があれば、強制連行がなかったと言える。貧困や、親の借金で売られたりした」 ===<br />
一般の女性を拉致して慰安婦にしたことは、朝鮮人に関して「ない」と言われていました。なのにペテン師というか、虚言癖のある吉田氏が、ありもしない話を本にして、それ以来、強制的に拉致されたと言われるようになったのです。<br />
<br />
従軍慰安婦を“性奴隷”と最初に表現したのは、作家の[[吉田清治]]氏。[[1977年]]、『朝鮮人慰安婦と日本人』(新人物往来社)という著書で、戦時中に日本軍人が朝鮮人女性を強制連行して慰安婦にしたことを本人から聞き、発表。のちに全てが創作であることがわかり、本人も認めた。<br />
<br />
外国と戦争をして、敵国の女性を拉致して売春婦にする例はあります。日本人も敗戦後は、[[ソ連]]兵に何万人も強姦されています。<br />
<br />
ただ、ここで踏まえておかなければいけないのは、当時、日本は朝鮮を併合して植民地化していたことです。「朝鮮人」というのは岩手人とか、九州人とか、一種の県人名のようになり、敵国どころか日本人だったのです。<br />
<br />
日本国民として選挙権があり、[[朝鮮人]]で陸軍中将や、国会議員になった方もいます。形式的とはいえ、同じ日本人女性に銃剣を突きつけて、強制で慰安婦にするなんて考えられません。<br />
<br />
しっかりとした歴史知識があれば、強制連行がなかったという問題に対して、すぐに反論できることです。<br />
<br />
[[産経新聞]]の記事で、出身地や生年月日などがはっきりしないというのは、ウソというより、戦前の一般的な娼婦の人たちの多くが文字を読み書きして、理解できる人が少なかったということです。当然、記述も曖昧になってきます。<br />
<br />
このスクープの重要なところは、日本政府がどのように調査して、内部的にどう合議していたのかが、わかったことです。「[[河野談話]]」は崩れたので、今後日本政府は、否定するべきでしょう。感情論ではなく、実証論として取り組むべきです。<br />
<br />
慰安婦の中には運がよくて、将校より給料がよかった人もいます。だからといって、羨ましいとなるわけじゃない。貧困や、親の借金で売られたりした背景があるのです。<br />
<br />
=== 米国戦争情報局資料「慰安婦は客を断る特権を与えられていた。平均月収は1500円だった(当時下士官の月収15円)」 ===<br />
根拠なく慰安婦募集の強制性を認めた[[河野談話]]が出されて以降、世界で慰安婦イコール性奴隷と流布されているが、現実はどうだったか。過去の米国の資料からは、それとは全く別の慰安婦像が浮かび上がる。 <br />
<br />
米国戦争情報局資料「心理戦チーム報告書」(1944年10月1日)は、米軍が[[ビルマ]](現ミャンマー)・ミートキーナ(同ミチナ)で捕らえた朝鮮人慰安婦20人らから尋問した内容をまとめている。<br />
<br />
それによると慰安所における慰安婦の生活の実態は、次のように記されている。<br />
<br />
「食事や生活用品はそれほど切り詰められていたわけではなく、彼女らは金を多く持っていたので、欲しいものを買うことができた。兵士からの贈り物に加えて、衣服、靴、たばこ、化粧品を買うことができた」「ビルマにいる間、彼女らは将兵とともにスポーツを楽しんだりピクニックや娯楽、夕食会に参加した。彼女らは蓄音機を持っており、町に買い物に出ることを許されていた」<br />
<br />
報告書はまた、「慰安婦は客を断る特権を与えられていた」「(日本人兵士が)結婚を申し込むケースが多くあり、現実に結婚に至ったケースもあった」と書いている。雇用契約に関しては、慰安所経営者と慰安婦の配分率は50%ずつだが、平均月収は1500円だった(当時の下士官の月収は15円前後)。<br />
<br />
国連人権委員会に[[1996年]]、慰安婦を性奴隷と位置づける報告書を提出した[[クマラスワミ]]特別報告官と会い、慰安婦問題について説明したことがある現代史家の[[秦郁彦]]氏は次のように語る。<br />
<br />
「クマラスワミ氏は、河野談話は『強制連行』とは書いていないが、それを否定していないと解したのだろう。河野談話は日本政府の談話であり、国連などの場で他者を説得するには一番便利だ。また、外国人の感覚では『悪いことをしたから謝るのだろう。やはり強制連行をしたのだ』と受け止めるのも無理はない」<br />
<br />
=== 国会で中山成彬により事実が公表(2013年3月) ===<br />
[[Image:国会での慰安婦捏造説明1.jpg|300px]] [[Image:国会での慰安婦捏造説明2.jpg|300px]] [[Image:国会での慰安婦捏造説明3.jpg|300px]] [[Image:国会での慰安婦捏造説明4.jpg|300px]] [[Image:国会での慰安婦捏造説明5.jpg|300px]] [[Image:国会での慰安婦捏造説明6.jpg|300px]] [[Image:国会での慰安婦捏造説明7.jpg|300px]] [[Image:国会での慰安婦捏造説明8.jpg|300px]]<br />
<br />
[[2013年]][[3月8日]]、[[衆院予算委員会]]で、[[中山成彬]]委員([[日本維新の会]])が慰安婦問題などについて、「日本人が何かやったということは調べても出てこない」と述べた。<br />
<br />
「ウソも100回言えば本当になると、[[プロバガンダ]]に励む国民もいることを忘れちゃいけません、国際社会ではダブルスタンダードで生きていけない」として、歴史認識を訴えていく必要性を強く述べた。<br />
<br />
[[強制連行]]についても、[[平成4年]]の[[朝日新聞]]の一面記事「慰安所 軍関与示す資料」を示しながら、中山氏によると、官憲が出した資料は、悪徳業者が募集に関与しているので注意するようにとの通達だとして、朝日新聞は事実の歪曲だとしている。<br />
<br />
さらに、中山氏は「日本の戦前の統治、欧米諸国の植民地主義、略奪を目的としてものと違っていたと思う」と持論を展開。<br />
<br />
日本は学校、病院、鉄道、道路などのインフラを[[朝鮮半島]]に積極的に作ったことを説明。[[地下鉄銀座線]]が開通した[[1939年]]の翌40年には[[京城]](ソウル)に、地下鉄を作っている。また、[[京城帝国大学]]を、[[大阪帝国大]]、[[名古屋帝国大]]よりも早く作っている事実などを挙げ「日本が韓国の近代化にいかに熱心であったかがわかる」と述べた。<br />
<br />
また、公立学校が100校しかなかったが4200校まで増やしており、しかも鉄筋コンクリートの校舎で「わたしの小学校は木造のオンボロ校舎でした。本当に内地と同じ統治をしたとご理解いただきたい」とした。<br />
<br />
道議会議員の約8割が日本人ではなく、警察もナンバー2や幹部は現地の人だったとしている。当時の報道を示しながら「警察がしっかり仕事をしていたことがわかるし、日本人が何かやったということは調べても出てこない」とした。<br />
<br />
また卯委員長に対して「集中審議をお願いしたい。その際には、朝日新聞の関係者にも来ていただきたい」と要請した。<br />
<br />
なお、[[マスコミ]]はこれを報道せず、[[NHK]]は[[YouTube]]にアップされた国会中継動画を削除した。<br />
<br />
=== 当事者も否定した「日本軍連行」報道、日本外交歪めた元朝日記者は今も沈黙 ===<br />
[[平成4年]][[1月16日]]からの首相、[[宮沢喜一]]の韓国訪問直前のことだった。<br />
<br />
「朝日新聞が、慰安婦問題で政府の関与を示す資料を[[中央大]]教授、[[吉見義明]]が発見したと報じたことで、政府内は蜂の巣をつついたような大騒ぎとなった」<br />
<br />
慰安婦募集の強制性を認めた翌5年8月の[[官房長官]]、[[河野洋平]]の談話作成に関わった内閣外政審議室の元幹部はこう振り返る。そして「一連の流れをみると意図的な動きを感じる」と付け加えた。一連の流れとは、次のようなものだ。<br />
<br />
[[平成3年]]12月に、韓国の民間団体「太平洋戦争犠牲者遺族会」を母体とし、弁護士の[[高木健一]]、[[福島瑞穂]]([[社民党]]前党首)らが弁護人となって韓国人元慰安婦、金学順らが日本政府を相手取り損害賠償訴訟を起こす。<br />
<br />
朝日新聞はそれに先立つ同年8月11日付朝刊の[[植村隆]]の署名記事「元朝鮮人慰安婦 戦後半世紀重い口を開く」で、こう書いていた。<br />
<br />
「日中戦争や第二次大戦の際、『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり、(中略)体験をひた隠しにしてきた彼女らの重い口が、戦後半世紀近く経って、やっと開き始めた」<br />
<br />
大きな反響を呼んだ記事ではこの女性は匿名となっているが、実は[[金学順]]だった。金が女子挺身隊の名で連行された事実はない。裁判の訴状で金は「[[キーセン]](朝鮮半島の芸妓・娼婦)学校に3年通った後、養父に連れられて中国に渡った」と述べている。<br />
<br />
記者会見やインタビューでは「母に40円でキーセンに売られた」とも語っており、植村の記事は歪曲だといえる。その上、植村は[[太平洋戦争]]犠牲者遺族会の幹部の娘婿でもあった。<br />
<br />
そして冒頭の外政審議室元幹部の証言通り、朝日は宮沢訪韓5日前の4年1月11日付朝刊1面トップで、次の6本もの見出しを立てた特大記事を掲載する。<br />
<br />
「慰安所 軍関与示す資料」「防衛庁図書館に旧日本軍の通達・日誌」「部隊に設置指示」「募集含め統制・監督」「『民間任せ』政府見解揺らぐ」「参謀長名で、次官印も」<br />
<br />
記事本文とは別に「多くは朝鮮人女性」という解説記事もあり、「約八割が朝鮮人女性だったといわれる」「主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した」「人数は8万とも20万ともいわれる」と、いずれも事実と異なる根拠不明の説明を加えている。<br />
<br />
だが、吉見が発見したという「軍慰安所従業婦等募集に関する件」という文書は実際には「軍の威信を傷つけかつ一般市民の誤解を招くおそれあるもの」「不統制に募集し社会問題を惹起する恐れあるもの」「募集の方法、誘拐に類し警察当局に検挙取り調べ受けるもの」など、悪質な業者には気をつけろという通達だ。<br />
<br />
少なくとも、強制連行とは何の関係もない。現代史家の[[秦郁彦]]は「もともと明らかになっていた文書で、朝日の記事が出る2週間ほど前に会った吉見は『近々この資料が朝日で出る』と言っていた。朝日は宮沢訪韓のタイミングを狙ったのだろう」と振り返る。<br />
<br />
宮沢内閣は事実関係の確認・検証より事態の沈静化を優先させた。官房長官、[[加藤紘一]]は2日後の13日の記者会見で「事実を厳粛に受け止めたい」「このような過ちを決して繰り返してはいけない」と謝罪談話を発表した。<br />
<br />
16日に訪韓した宮沢は大統領、[[盧泰愚]]との会談で「肝に銘じている」「衷心よりおわびし、反省したい」と8回にわたり謝罪し、慰安婦問題の調査と真相究明を約束した。<br />
<br />
まず「謝罪ありき」であり、この姿勢が河野談話へとつながっていく。植村が現在勤務する[[札幌市]]内の[[北星学園大学]]に取材を申し込んだが回答はなかった。<br />
<br />
朝日新聞広報部は「一連の記事は今もなお正しい報道だと認識するか」との質問に対し、次のような回答を寄せた。<br />
<br />
「従軍慰安婦問題は最初から明確な全体像が判明したという性格の問題ではありません。お尋ねの記事は、そのような全体像が明らかになっていく過程のものです。当社はその後の報道の中で、全体像を伝える努力を続けています」<br />
<br />
「全体像」が何を指すかは不明だが、慰安婦問題は朝日があおりたてた結果、国際問題化したことに変わりはない。なかでも朝日が作り上げた“事実”を利用したのが北朝鮮だった。<br />
<br />
=== 元朝日ソウル特派員「日本人が無理やり娘をさらったら暴動が起きましたよ」 ===<br />
慰安婦問題が過熱した1990年代初め、朝日新聞ソウル特派員として[[前川惠司]](現在は退社しジャーナリスト)は、韓国内で元慰安婦らに取材した。日本にいたときも「韓国・[[済州島]]で奴隷狩りをした」との虚偽の強制連行証言をし、朝日が繰り返し取り上げてきた[[吉田清治]]とも会った。<br />
<br />
「確か80年に川崎支局で『韓国・朝鮮人』という続き物をやっていたころ、吉田が『自分の話を聞いてほしい』と支局に電話をかけてきた。彼の自宅に行って3、4時間ぐらい話を聞いたが、(核心部分の)済州島の話はまったくでなかった。尋ねるたびに話のつじつまが合わなくなるので結局、多くは書かなかった」<br />
<br />
こう語る前川は、元韓国人慰安婦にインタビューし、「女子挺身隊」の名で慰安婦が戦場に連行されたと、事実をねじ曲げて伝えた朝日新聞[[平成3年]][[8月11日]]付朝刊の[[植村隆]](2014年3月退社、北星学園大学講師)の署名記事についても首をひねる。<br />
<br />
「『勘違いしているな』と直感し、すぐに訂正がでるだろうと思った」<br />
<br />
挺身隊が慰安婦と異なるのは、少しでも戦時下の日本について調べればすぐ分かる常識だったからだ。<br />
<br />
前川はこの4月、ソウル時代に元慰安婦を取材したエピソードを「戦場の慰安婦哀譚昨今」(亜細亜大学アジア研究所所報第154号)と題したエッセーにつづった。そこから浮かび上がるのは、元慰安婦の女性らが支援団体らの主義主張に「利用」されているという一面だ。<br />
<br />
エッセーには、前川のこんな忘れられない光景が記されている。<br />
<br />
[[1993年]]11月、当時の首相、[[細川護煕]]と韓国大統領、[[金泳三]]による首脳会談が韓国の慶州で行われたときのことだ。元慰安婦を支援する韓国の団体が、元慰安婦ら十数人を中心としたデモを展開した。<br />
<br />
厳しい寒さの中、元慰安婦らは、薄い生地の白いチマジョゴリで、傘もささず雨の中を歩かされていた。時折、デモの指導者のかけ声に合わせ、「日本は補償しろ」と叫んではいたものの、顔面は蒼白だった。前川が「おばあさんたちが風邪をひいてしまう」と案じていると、その目の前で1人が倒れてしまった。<br />
<br />
「これが[[人権屋|人権団体]]のやることか」<br />
<br />
前川は憤りを禁じ得なかった。ほかにも、こんなエピソードが記されている。<br />
<br />
別の集会では、元慰安婦らは「『今度、[[国連]]に訴えたので、もらえるお金もうんと増えるといわれたの。本当かしら』と、嬉しそうに顔をくしゃくしゃにし、金を得たら、これを買う、あれを買うと皮算用を膨らませていた」。<br />
<br />
前川が当時韓国で、元軍人、大学教授から友人の母親まで、つてを総動員して60歳以上の人々に「日本兵や日本の警察官に無理やり連れていかれた娘がいたか。そんな噂を聞いたことがあるか」と尋ねて回っても「ある」とうなずいた人は皆無だった。逆にある人は「無理やり娘を日本人がさらったりしたら、暴動が起きましたよ」と言った。<br />
<br />
「あのころのおばあさんたちは、苦しい生活のなかで、名乗り出ればお金がもらえるんだと、単純に考えていた印象です。素朴なおばあさんたちでしたから」<br />
<br />
こう振り返る前川は、少女の慰安婦像まで用いて「元慰安婦イコール性奴隷」との表現が盛んになされている現状に大きな違和感を抱いている。<br />
<br />
「そこまで朝鮮半島の女性を侮辱する言葉が、[[李朝時代]]を含めてあっただろうか。自分たちの民族の女性が公然と『性奴隷』と貶められて、侮辱を感じないのだろうか」<br />
<br />
前川は疑問を投げかけ、エッセーをこう結んだ。<br />
<br />
「あちこちに従軍慰安婦像を建てようとしている人たちが、本当に貶めているのは誰なのか、気になってならない」<br />
<br />
=== 「済州島で連行」吉田氏の証言。裏付け得られず虚偽と朝日が判断(2014年8月) ===<br />
〈疑問〉日本の[[植民地]]だった朝鮮で戦争中、慰安婦にするため女性を暴力を使って無理やり連れ出したと著書や集会で証言した男性がいました。 朝日新聞は80年代から90年代初めに記事で男性を取り上げましたが、証言は虚偽という指摘があります。 <br />
<br />
慰安婦問題を考える <br />
<br />
男性は[[吉田清治]]氏。著書などでは日雇い労働者らを統制する組織である山口県労務報国会下関支部で動員部長をしていたと語っていた。 朝日新聞は吉田氏について確認できただけで16回、記事にした。初掲載は[[1982年]][[9月2日]]の大阪本社版朝刊社会面。<br />
<br />
大阪市内での講演内容として「[[済州島]]で200人の若い朝鮮人女性を『狩り出した』」と報じた。執筆した大阪社会部の記者(66)は「講演での話の内容は具体的かつ詳細で全く疑わなかった」と話す。<br />
<br />
1990年代初め、'''他の新聞社も'''集会などで証言する吉田氏を記事で取り上げていた。<br />
<br />
[[1992年]][[4月30日]]、[[産経新聞]]は朝刊で、[[秦郁彦]]氏による済州島での調査結果を元に証言に疑問を投げかける記事を掲載。週刊誌も「『創作』の疑い」と報じ始めた。 東京社会部の記者(53)は産経新聞の記事の掲載直後、デスクの指示で吉田氏に会い、裏付けのための関係者の紹介やデータ提供を要請したが拒まれた。<br />
<br />
[[1997年]][[3月31日]]の特集記事のための取材の際、吉田氏は東京社会部記者(57)との面会を拒否。虚偽ではないかという報道があることを電話で問うと「体験をそのまま書いた」と答えた。済州島でも取材し裏付けは得られなかったが、吉田氏の証言が虚偽だという確証がなかったため、「真偽は確認できない」と表記した。その後、朝日新聞は吉田氏を取り上げていない。<br />
<br />
しかし、[[自民党]]の[[安倍晋三]]総裁が[[2012年]]11月の日本記者クラブ主催の党首討論会で「朝日新聞の誤報による吉田清治という詐欺師のような男がつくった本がまるで事実かのように日本中に伝わって問題が大きくなった」と発言。一部の新聞や雑誌が朝日新聞批判を繰り返している。 <br />
<br />
今年4~5月、済州島内で70代後半~90代の計約40人に話を聞いたが、強制連行したという吉田氏の記述を裏付ける証言は得られなかった。<br />
<br />
干し魚の製造工場から数十人の女性を連れ去ったとされる北西部の町。魚を扱う工場は村で一つしかなく、経営に携わった地元男性(故人)の息子は「作っていたのは缶詰のみ。父から女性従業員が連れ去られたという話は聞いたことがない」と語った。<br />
<br />
「かやぶき」と記された工場の屋根は、韓国の当時の水産事業を研究する[[立命館大]]の河原典史教授(歴史地理学)が入手した当時の様子を記録した映像資料によると、トタンぶきとかわらぶきだった。[[1993年]]6月に、吉田氏の著書をもとに済州島を調べたという韓国挺身隊研究所元研究員の姜貞淑(カンジョンスク)さんは「数カ所でそれぞれ数人の老人から話を聞いたが、記述にあるような証言は出なかった」と語った。<br />
<br />
吉田氏は著書で、[[1943年]]5月に西部軍の動員命令で済州島に行き、その命令書の中身を記したものが妻(故人)の日記に残っていると書いていた。しかし、今回、吉田氏の長男(64)に取材したところ、妻は日記をつけていなかったことがわかった。吉田氏は[[2000年]]7月に死去したという。<br />
<br />
吉田氏は[[1993年]]5月、[[吉見義明]]・[[中央大]]教授らと面会した際、「(強制連行した)日時や場所を変えた場合もある」と説明した上、 <br />
動員命令書を写した日記の提示も拒んだといい、吉見氏は「証言としては使えないと確認するしかなかった」と指摘している。<br />
<br />
戦時中の[[朝鮮半島]]の動員に詳しい[[外村大]]・[[東京大]]准教授は、吉田氏が所属していたという労務報国会は[[厚生省]]と[[内務省]]の指示で作られた組織だとし、「指揮系統からして軍が動員命令を出すことも、職員が直接朝鮮に出向くことも考えづらい」と話す。<br />
<br />
吉田氏はまた、強制連行したとする[[1943年]]5月当時、済州島は「陸軍部隊本部」が「軍政を敷いていた」と説明していた。この点について、[[永井和]]・[[京都大]]教授(日本近現代史)は旧陸軍の資料から、済州島に陸軍の大部隊が集結するのは[[1945年]]4月以降だと指摘。「記述内容は事実とは考えられない」と話した。<br />
<br />
■読者のみなさまへ<br />
<br />
吉田氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します。<br />
<br />
当時、虚偽の証言を見抜けませんでした。済州島を再取材しましたが、証言を裏付ける話は得られませんでした。研究者への取材でも証言の核心部分についての矛盾がいくつも明らかになりました。<br />
<br />
==== 門田隆将・従軍慰安婦「記事取り消し」でも開き直った朝日新聞 ====<br />
本日(8月5日)紙面で朝日新聞が、突如、従軍慰安婦の大特集を組んだ。しかし、まるで子どものようなひとりよがりの記事に、私は絶句してしまった。“僕だけじゃないもん!”――そんな駄々っ子のような理屈に、言葉を失った読者は多いのではないだろうか。<br />
<br />
「この記事は、本当に朝日が従軍慰安婦報道を反省し、撤回したものなのか」。私は、本日の朝日新聞の大特集を読みすすめながら、そう思った。「これは、逆に火に油をそそぐものかもしれない」と。<br />
<br />
従軍慰安婦問題とは、朝日新聞が一貫して報じてきた「強制連行問題」にある。あの貧困の時代、さまざまな事情で、春を鬻(ひさ)ぐ商売についていた薄幸な女性たちが数多く存在した。そういう商売が「公娼制度」として現に認められていた、今とは全く異なる時代のことである。<br />
<br />
彼女たちは当時の兵士の給料の30倍という「月収300圓」を保証されて慰安婦となった女性たちである。新聞に大々的に業者による「慰安婦募集」の広告が打たれ、その末に集まった女性たちだ。なかには親に売り飛ばされた女性もいただろう。彼女たちの不幸な身の上には、大いに同情しなければならないと思う。<br />
<br />
だが、これが、無理やり日本軍、あるいは日本の[[官憲]]によって「強制連行された」となれば、まったく様相は異なる。それを主張してきたのが、ほかならぬ朝日新聞である。<br />
<br />
「強制連行」とは、すなわち、従軍慰安婦たちは日本によって「拉致」「監禁」「強姦」された被害者だった、という意味である。意思に反して連行されたのなら「拉致」であり、無理やり慰安所に閉じ込められたのなら「監禁」であり、望まない性交渉を強いられたのなら、それは「強姦」であるからだ。<br />
<br />
現在、韓国が主張し、世界中に広まっている日本による「従軍慰安婦=性奴隷(sex slaves)」という論拠は、まさにそこにある。その結果、今や世界各地に日本糾弾のための「慰安婦像」が建ち、さまざまな議会で日本非難の決議がなされ、日本の若者の国際進出に対する大きな「障壁」となっているのは、周知の通りだ。<br />
<br />
言いかえれば、韓国と歩を一にして、「日本を貶めつづけた」存在が朝日新聞にほかならない。私はそのことに対して、どの程度の真摯な反省が記述されているのか、今日の記事を読みすすめた。まず第1面に〈編集担当 [[杉浦信之]]〉という署名で書かれた〈慰安婦問題の本質 直視を〉と冠する記事には、こう書かれている。<br />
<br />
〈私たちは元慰安婦の証言や数少ない資料をもとに記事を書き続けました。そうして報じた記事の一部に、事実関係の誤りがあったことが分かりました。問題の全体像がわからない段階で起きた誤りですが、裏付け取材が不十分だった点は反省します〉<br />
<br />
私は、これは朝日新聞が真摯な反省をするのかと思い、期待した。しかし、それはすぐに失望に転じた。それは、次のくだりである。信じられない朝日独特の論理がそこには展開されていた。<br />
<br />
〈似たような誤りは当時、国内の他のメディアや韓国メディアの記事にもありました。こうした一部の不正確な報道が、慰安婦問題の理解を混乱させている、との指摘もあります。しかし、そのことを理由とした「慰安婦問題は捏造」という主張や「元慰安婦に謝る理由はない」といった議論には決して同意できません。<br />
<br />
被害者を「売春婦」などとおとしめることで自国の名誉を守ろうとする一部の論調が、日韓両国のナショナリズムを刺激し、問題をこじらせる原因を作っているからです。見たくない過去から目を背け、感情的対立をあおる内向きの言論が広がっていることを危惧します。<br />
<br />
戦時中、日本軍兵士らの性の相手を強いられた女性がいた事実を消すことはできません。慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質なのです〉<br />
<br />
「えっ?それはないだろう」。<br />
<br />
この言い分を読んで納得する人がどれだけいるだろうか。ここにこそ、朝日新聞特有の巧妙な論理の“すりかえ”がある。<br />
<br />
彼女たちが薄幸な女性たちであることは、もとより当然のことである。貧困のために、心ならずも身を売らなければならなかった不幸な女性たちに、今も多くの人々が同情している。私もその一人だ。<br />
<br />
しかし、朝日新聞は、彼女たちが自分たちの意思に反して無理やり「日本軍や日本の官憲」によって、「戦場に連行」された存在だった、としてきたのである。だからこそ、日本は「拉致」「監禁」「強姦」国家である、という汚名を着せられているのだ。<br />
<br />
その根拠なき「強制連行」報道を反省すべき朝日新聞が、〈「慰安婦問題は捏造」という主張や「元慰安婦に謝る理由はない」といった議論には決して同意できません〉と、改めて主張したのである。<br />
<br />
これは、一部勢力の過激な「従軍慰安婦論」を持ち出すことによって、自分自身を“善”なる立場に持ち上げて「擁護」し、自らの「正当性」を訴えているのだ。これは一体、何なのだろうか。<br />
<br />
さらに、この記事は、問題の本質をこう捻じ曲げている。〈戦時中、日本軍兵士らの性の相手を強いられた女性がいた事実を消すことはできません。慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質なのです〉<br />
<br />
この手前勝手な論理に、私は言葉を失ってしまった。〈問題の本質〉とは、朝日新聞が“虚偽の証言者”を引っ張ってくることによって、歴史の真実を捻じ曲げ、従軍慰安婦のありもしない「強制連行問題」をつくり上げたことではなかったのだろうか。<br />
<br />
そして、そのことによって、日本人が将来にわたって拭い難い汚名を着させられ、国際社会で「性奴隷を弄んだ日本人」として、謂われなき糾弾を受けていることではないのだろうか。<br />
<br />
私が、「こんなひどい論理が許されるのだろうか」と思う所以である。私は記事を読みすすめた。1面で開き直りの宣言をおこなった朝日新聞は、今度は16面、17面をブチ抜いて、〈慰安婦問題 どう伝えたか 読者の疑問に答えます〉という記事を掲げている。<br />
<br />
ここでは、5つの事象で、読者に対して「説明」をおこなっている。しかし、その5つの説明は、どれも納得しがたい論理が展開されている。特に驚くのは、肝心の「強制連行」に関するものだ。そこには、こう書かれている。<br />
<br />
〈読者のみなさまへ 日本の植民地だった朝鮮や台湾では、軍の意向を受けた業者が「良い仕事がある」などとだまして多くの女性を集めることができ、軍などが組織的に人さらいのように連行した資料は見つかっていません。一方、[[インドネシア]]など日本軍の占領下にあった地域では、軍が現地の女性を無理やり連行したことを示す資料が確認されています。共通するのは、女性たちが本人の意に反して慰安婦にされる強制性があったことです〉<br />
<br />
すなわち〈軍などが組織的に人さらいのように連行した資料は見つかっていません〉と、このことでの誤りを認めたのかと思ったら、〈軍の意向を受けた業者が「良い仕事がある」などとだまして多くの女性を集めること〉ができた、さらに〈インドネシアなど日本軍の占領下にあった地域では、軍が現地の女性を無理やり連行したことを示す資料が確認されています〉と、逆に「強制連行はあった」という立場を鮮明にしたのである。<br />
<br />
ここでいう〈インドネシア〉の事例というのは、[[スマラン]]という場所で起きた日本軍によるオランダ女性に対する事件である。「強姦罪」等で首謀者が死刑になった恥ずべき性犯罪だが、この特定の犯罪をわざわざ持ち出してきて、これを朝日新聞は強制連行の“実例”としたわけである。<br />
<br />
まさに開き直りである。結局、読みすすめていくと、朝日新聞は、韓国・済州島で「慰安婦狩りをした」という衝撃的な告白をおこなった自称・元山口県労務報国会下関支部動員部長、吉田清治氏の発言を繰り返し報道したことに対してだけ〈虚偽だと判断し、記事を取り消します〉としたのである。<br />
<br />
また、戦時中の勤労奉仕団体である「女子挺身隊」を、まったく関係のない慰安婦と混同して、記事を掲載したことに関しては、〈当時は、慰安婦問題に関する研究が進んでおらず、記者が参考にした資料などにも慰安婦と挺身隊の混同がみられたことから、誤用しました〉と言い訳しながら、しぶしぶ間違いを認めている。<br />
<br />
驚くのは、この検証記事のなかで、ほかの新聞も吉田清治氏の証言を取り上げていたと、わざわざ各新聞社の名前を挙げて、各紙の広報部のコメントまで掲載していることだ。まるで、“(悪いのは)僕だけじゃないもん!”と、駄々っ子がゴネているような理屈なのである。<br />
<br />
さらに、朝日新聞は、元韓国人慰安婦、金学順氏の証言記事を書き、〈『女子挺身隊』の名で戦場に連行〉と、実際の金氏の経験とは異なった記事を書いた[[植村隆]]記者に関しては〈意図的な事実のねじ曲げなどはありません〉と擁護している。<br />
<br />
記事を書いた植村記者の妻が韓国人で、義母は当時の慰安婦訴訟の原告団幹部だったことは、今では広く知られている。そのことに対して、朝日はこう弁明しているのだ。<br />
<br />
〈91年8月の記事の取材のきっかけは、当時のソウル支局長からの情報提供でした。義母との縁戚関係を利用して特別な情報を得たことはありませんでした〉<br />
<br />
ソウル支局長の情報提供によって、大阪からわざわざ植村記者が「ソウルに飛んだ」ということを信じる人が果たしてどれだけいるのだろうか。情報提供したのが〈ソウル支局長〉なら、なぜ本人か、あるいはソウル支局の部下たちが金学順氏を取材し、記事を執筆しないのだろうか。大阪から、わざわざ“海外出張”までさせて、取材・執筆させる理由はどこにあったのだろうか。<br />
<br />
さらに言えば、植村記者は、なぜ金学順氏が妓生([[キーセン]])に売られていた話など、自らが主張したい「強制連行」に反する内容は書かなかったのだろうか。<br />
<br />
私は、朝日新聞の今回の従軍慰安婦の検証記事は、完全に“開き直り”であり、今後も肝心要の従軍慰安婦の「強制連行」問題では「一歩も引かない」という宣言であると思う。<br />
<br />
つまり、朝日新聞は、「日本が慰安婦を強制連行した」ということについては、まったく「譲っていない」のである。今日の記事で、従軍慰安婦問題が新たな段階に入ったことは間違いない。しかし、それは朝日新聞の“新たな闘い”の始まりに違いない。<br />
<br />
すなわち、どう検証しても「虚偽証言」が動かない吉田清治氏についての記事は「撤回する」が、そのほかでは「闘う」ということにほかならない。<br />
<br />
私は、不思議に思うことがある。<br />
<br />
それは、「朝日新聞は、どうしてここまで必死になって日本人を貶めたいのか」ということだ。<br />
<br />
歴史の真実を書くことはジャーナリズムの重要な使命であり、役割だ。しかし、朝日新聞は、「真実」が重要なのではなく、どんなことがあっても「日本は悪いんだ」と主張しつづけることの方が「根本にある」ような気がしてならない。<br />
<br />
なぜ、事実を捻じ曲げてまで、朝日新聞はそこまで「日本人を貶めたい」のだろうか。私はそのことが不思議だし、そんな新聞を今も多くの日本人がありがたく購読していることもまた、不思議でならない。<br />
<br />
従軍慰安婦問題で肝心要の「強制連行」を撤回しなかった朝日新聞――日本を貶めたいこのメディアへの風当たりは「一部記事の撤回」によって、今後、ますます激しくなっていくだろう。<br />
<br />
=== 詐欺罪で元朝日・植村記者の義母逮捕「日本政府から補償金を受け取ってやる」会費15億ウォン(約1億2000万円)をだまし取る。遺族会の幹部39人も摘発 ===<br />
太平洋戦争犠牲者遺族会の会長だった[[梁順任]]は、2011年12月に詐欺で韓国の警察に逮捕された。彼女は[[朝日新聞]]の[[植村隆]]記者の妻の母親である。<br />
<br />
容疑は、日本統治時代の戦時動員被害者に「日本政府から補償金を受け取ってやる」といって会費15億ウォン(約1億2000万円)をだまし取ったというもので、遺族会の幹部39人も摘発された。<br />
<br />
これは朝日新聞の「『元慰安婦 初の証言』記事に事実のねじ曲げない」という記事と関係がある。ここでは植村記者が韓国メディアより早く金学順の記事を書いた経緯について「当時のソウル支局長からの連絡で韓国に向かった」と書いているが、ソウル支局長がこんなスクープを自分で書かないで、大阪社会部に知らせることはありえない。<br />
<br />
彼が情報を入手したのは、挺対協を支援していた義母からの情報提供による疑いが強い。このときの金学順の録音テープには「14歳から[[キーセン]]学校に3年間通った」という話があったが、植村記者の第一報(8月11日)では、「女子挺身隊の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた」となっている。<br />
<br />
これについて朝日の検証記事は「証言テープ中で金さんが[[キーセン]]学校について語るのを聞いていない」という植村記者の話をそのまま紹介しているが、彼は12月の提訴の後も「強制連行」と書いた。強制連行は挺対協の訴状には出てこないのに、なぜそんな嘘を書く必要があったのか。<br />
<br />
それは慰安婦より大きなマーケットである戦時動員被害者として、金学順を利用する必要があったからだ。当初、福島みずほ氏がNHKに売り込んできたときは元キーセンだった金学順を、植村記者が(義母の資金源である)強制連行に仕立てることで、遺族会と挺対協が共闘できたのだ。 <br />
<br />
なぜこれが重要かというと、植村記者が義母の詐欺を支援するために強制連行という嘘をついたとすると、彼は義母の詐欺の共犯になるからだ。つまり詐欺のために捏造した強制連行という作り話が、その後20年以上も日韓関係を狂わせたことになる。 <br />
<br />
大阪社会部のデスクが当時、こういう彼の意図を知っていたとは思えないが、結果的には朝日の紙面を使って詐欺の片棒をかついだことになる。 <br />
<br />
少なくとも朝日の記事によって、梁順任が3万人もの被害者(ほとんどは元慰安婦ではない)から金を集めやすくなったことは間違いない。 <br />
<br />
これは犯罪にかかわる疑いがある。植村記者は記者会見を開いて「強制連行」という嘘をついた理由を説明すべきだ。<br />
<br />
=== 米政府の慰安婦問題調査で「奴隷化」の証拠発見されず。日本側の主張の強力な後押しに ===<br />
米政府が[[クリントン]]、ブッシュ両政権下で8年かけて実施したドイツと日本の戦争犯罪の大規模な再調査で、日本の慰安婦にかかわる戦争犯罪や「女性の組織的な奴隷化」の主張を裏づける米側の政府・軍の文書は一点も発見されなかったことが明らかとなった。<br />
<br />
戦時の米軍は慰安婦制度を日本国内の売春制度の単なる延長とみていたという。調査結果は、日本側の慰安婦問題での主張の強力な補強になることも期待される。<br />
<br />
米政府の調査結果は「ナチス戦争犯罪と日本帝国政府の記録の各省庁作業班(IWG)米国議会あて最終報告」として、2007年4月にまとめられた。米側で提起されることはほとんどなかったが、慰安婦問題の分析を進める米国人ジャーナリスト、[[マイケル・ヨン]]氏とその調査班と[[産経新聞]]の取材により、慰安婦問題に関する調査結果部分の全容が確認された。<br />
<br />
調査対象となった未公開や秘密の公式文書は計850万ページ。そのうち14万2000ページが日本の戦争犯罪にかかわる文書だった。<br />
<br />
日本に関する文書の点検基準の一つとして「いわゆる慰安婦プログラム=日本軍統治地域女性の性的目的のための組織的奴隷化」にかかわる文書の発見と報告が指示されていた。だが、報告では日本の官憲による捕虜虐待や民間人殺傷の代表例が数十件列記されたが、慰安婦関連は皆無だった。<br />
<br />
報告の序文でIWG委員長代行のスティーブン・ガーフィンケル氏は、慰安婦問題で戦争犯罪の裏づけがなかったことを「失望」と表明。調査を促した在米中国系組織「世界抗日戦争史実維護連合会」の名をあげ「こうした結果になったことは残念だ」と記した。<br />
<br />
IWGは米専門家6人による日本部分の追加論文も発表した。論文は慰安婦問題について<br />
<br />
# 戦争中、米軍は日本の慰安婦制度を国内で合法だった売春制の延長だとみていた<br />
# その結果、米軍は慰安婦制度の実態への理解や注意に欠け、特に調査もせず、関連文書が存在しないこととなった<br />
<br />
と指摘した。<br />
<br />
ヨン氏は「これだけの規模の調査で何も出てこないことは『20万人の女性を強制連行して性的奴隷にした』という主張が虚構であることを証明した。日本側は調査を材料に、米議会の対日非難決議や国連のクマラスワミ報告などの撤回を求めるべきだ」と語った。<br />
<br />
=== 日本政府・軍関係 ===<br />
==== 河野談話 ====<br />
日本政府が慰安婦に対する強制性を公式に認めた談話ではあるが、その意義や根拠について賛否両論を呼んでいる。<br />
* 慰安婦裁判において、1998年4月の「関釜裁判」で山口地裁下関支部は河野談話の発表後、国会議員に賠償立法の義務が生じたとし、国の立法義務、立法の不作為を認め、国に対し、「慰安婦」側の損害賠償の訴えを一部認めた(結果的には控訴審で棄却されることになる)。<br />
* 秦郁彦は「日韓基本協約」において、日本は韓国に経済協力を支払ったが、当時の韓国政府は慰安婦に対する補償はまったく念頭になかったが、後に元慰安婦の補償を求める声が高まったため、補償はするが日本は慰安婦に対する「強制連行」を求めよとの要請に、(日本が「強制連行」したともしなかったとも取れる)玉虫色の「河野談話」が出されたと主張している。<br />
(詳細は「[[慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話]]」を参照)<br />
<br />
'''慰安婦問題、政府報告にも韓国介入'''<br/><br />
慰安婦募集の強制性を認めた[[平成5年]]の「河野洋平官房長官談話」が韓国側の修正要求に沿った「日韓合作」だった問題で、河野談話と同時発表された政府の慰安婦に関する調査結果報告(公式事実認定)も、韓国側の修正要求を大幅に取り入れていたことが2014年1月7日に分かった。政治性を排除すべき事実認定にまで韓国側の介入を許していたことで、政府の慰安婦問題に対する認識・見解の正当性・信憑性は事実上、失われた。<br />
<br />
当時の政府関係者らが詳細に証言した。韓国側からの調査結果報告への修正要求は、河野談話発表4日前の7月31日に届いた。<br />
<br />
調査結果報告は(1)慰安所設置の経緯(2)慰安所が設置された時期(3)慰安所が存在していた地域(4)慰安所の総数(5)慰安婦の出身地(6)慰安所の経営および管理(7)慰安婦の募集(8)慰安婦の輸送等-の8点について、政府の事実認定を記述している。<br />
<br />
証言によると、韓国側は(1)と(7)に対して、河野談話への修正要求と同じく「軍当局の意向」を強制性が明らかな「指示」と改めるよう求め、協議の末に「要請」で決着した。<br />
<br />
韓国側は、(4)に関しては日本側の原案に「慰安所が存在しなかった地域も存在し、また兵隊に対する慰安婦の割合も地域ごとにさまざまで、書物などの試算が当時の実態と合致していたか否かは全く不明」とある部分の全面削除を要求。その上で韓国側は「長期に、また、広範な地域にわたって慰安所が設置されていたことから、相当の数の慰安婦が存在したと推定される」との代替案を示し、これがほぼ日本の事実認定として採用された。<br />
<br />
韓国側は(6)の部分では、原案の「(慰安婦は)自由な境地とはほど遠いところにあった」という記述について、「自由もない、痛ましい生活を強いられた」と書き換えるよう求め、日本側はそのまま受け入れた。<br />
<br />
一方で、(7)の原案の「業者らが或いは甘言を弄し、或いは畏怖させる等の形で本人たちの意向に反して集めるケースも数多く」の部分では、韓国側は「業者ら」を「官憲または業者ら」にすることなどを求めたが、日本側は拒否した。<br />
<br />
慰安婦に関する調査結果報告 政府による慰安婦関係資料の調査は[[平成3年]]12月に始まり、[[平成4年]]7月に政府の関与を認める第1次調査結果が公表された。ところがその後も韓国側からも「強制性の認定」が強く求められたため、[[平成5年]][[8月4日]]、河野談話と合わせて強制性を認める第2次調査結果が発表された。<br />
<br />
===== 元慰安婦報告書、ずさん調査浮き彫り。慰安所ない場所で「働いた」など証言曖昧。河野談話の根拠崩れる =====<br />
慰安婦募集の強制性を認めた[[平成5年]]8月の「[[河野洋平官房長官談話]]」の根拠となった、韓国での元慰安婦16人の聞き取り調査報告書を入手した。<br />
<br />
証言の事実関係はあいまいで別の機会での発言との食い違いも目立つほか、氏名や生年すら不正確な例もあり、歴史資料としては通用しない内容だった。軍や官憲による強制連行を示す政府資料は一切見つかっておらず、決め手の元慰安婦への聞き取り調査もずさんだったと判明したことで、河野談話の正当性は根底から崩れたといえる。産経新聞は河野氏に取材を申し入れたが、応じなかった。<br />
<br />
平成5年[[7月26日]]から30日までの5日間、[[ソウル]]で実施した聞き取り調査に関しては[[平成9年]]、当時の[[東良信]][[内閣外政審議室]]審議官が[[自民党]]の勉強会で「(強制性認定の)明確な根拠として使えるものではなかった」と証言している。ところが政府は、この調査内容を「個人情報保護」などを理由に開示してこなかった。<br />
<br />
産経新聞が今回入手した報告書はA4判13枚で、調査対象の16人が慰安婦となった理由や経緯、慰安所での体験などが記されている。だまされたり、無理やり連れて行かされたりして客を取らされるなどの悲惨な境遇が描写されている。<br />
<br />
しかし、資料としての信頼性は薄い。当時、[[朝鮮半島]]では[[戸籍制度]]が整備されていたにもかかわらず、報告書で元慰安婦の生年月日が記載されているのは半数の8人で空欄が6人いた。やはり朝鮮半島で重視される出身地についても、大半の13人が不明・不詳となっている。<br />
<br />
肝心の氏名に関しても、「呂」と名字だけのものや「白粉」と不完全なもの、「カン」などと漢字不明のものもある。また、同一人物が複数の名前を使い分けているか、調査官が名前を記載ミスしたとみられる箇所も存在する。<br />
<br />
[[大阪]]、[[熊本]]、[[台湾]]など戦地ではなく、一般の[[娼館]]はあっても慰安所はなかった地域で働いたとの証言もある。元慰安婦が台湾中西部の地名「彰化」と話した部分を日本側が「娼家」と勘違いして報告書に記述している部分もあった。<br />
<br />
また、聞き取り調査対象の元慰安婦の人選にも疑義が残る。調査には、日本での慰安婦賠償訴訟を起こした原告5人が含まれていたが、訴状と聞き取り調査での証言は必ずしも一致せず二転三転している。<br />
<br />
日本側の聞き取り調査に先立ち、韓国の安秉直[[ソウル大]]教授(当時)が中心となって平成4年に行った元慰安婦への聞き取り調査では、連絡可能な40人余に5~6回面会した結果、「証言者が意図的に事実を歪曲していると思われるケース」(安氏)があったため、採用したのは19人だった。<br />
<br />
政府の聞き取り調査は、韓国側の調査で不採用となった元慰安婦も複数対象としている可能性が高いが、政府は裏付け調査や確認作業は一切行っていない。<br />
<br />
談話作成に関わった事務方トップの[[石原信雄]]元官房副長官は産経新聞の取材に対し「私は報告書は見ておらず、担当官の報告を聞いて判断したが、談話の大前提である証言内容がずさんで真実性、信憑性を疑わせるとなると大変な問題だ。人選したのは韓国側であり、信頼関係が揺らいでくる」と語った。<br />
<br />
* 河野談話 - 平成5年8月、[[宮沢喜一]]内閣の河野洋平官房長官が元慰安婦に心からのおわびと反省の気持ちを表明した談話。慰安婦の募集に関し、強制連行の存在を示す政府資料が国内外で一切見つかっていないにもかかわらず、「官憲等が直接これに加担したこともあった」「募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」などと強制性を認定した。閣議決定はされていない。<br />
<br />
===== 「韓国を信頼し『公正・冷静に語れる人を』と言い韓国は約束した」石原元官房副長官 =====<br />
河野談話作成時に事務方トップだった石原信雄元官房副長官は、産経新聞のインタビューに次のように語った。<br />
<br />
--聞き取り調査結果を見ると生年月日や氏名、出身地の明記がない者が多い<br />
<br />
「証言者の身元がかなりあやふやという印象を持ったわけですね。(身元は)証言内容を判断する上で非常に重要な要素だ」<br />
<br />
--16人の中には、安秉直ソウル大教授(当時)らの調査で信頼性が低いとされ、韓国側の証言集から省かれた人が含まれているようだ<br />
<br />
「信用できない人について日本政府が聞き取りしたと?」<br />
<br />
--日本の複数の新聞や韓国側の調査に対し、それぞれ異なる証言をした人も含まれている<br />
<br />
「うーん。そういう話になると、基本がおかしくなる。もともとの証言の信憑性が揺らいでくる」<br />
<br />
--そういうことになる<br />
<br />
「証言者の人選は韓国側が行った。私たちは韓国側を信頼し『反日運動をやっておらず、公正・冷静に自分の過去を語れる人を選んでくれ』と言い、韓国側がそれを約束したから調査に行った。その根っこが揺らぐと何をか言わんやだ」<br />
<br />
--対日裁判を起こした当事者も5人含まれる<br />
<br />
「反日運動に関わっている人は外してくれと言い、韓国側はそうします、と言っていた」<br />
<br />
--石原さんら日本側の理解はそうでも、現実は違っていた可能性が高い<br />
<br />
「残念ながら、当時の状況では身元調べというか、裏打ちするまで能力がなかった。だから信頼関係でやったわけだ、あくまで。その信頼が崩れるとなると何をか言わんやだ」<br />
<br />
--裁判を起こした5人についても、訴状と安氏、日本政府の聞き取りに対する証言が食い違う<br />
<br />
「ああ、そういうことになると、何が真実かということになってくると、証言自身の信憑性というか、価値が下がってくる」<br />
<br />
--調査報告書では台湾の地名を「娼家」と間違えている箇所もあった<br />
<br />
「証言内容をチェックする時間はなかった。私は担当官の報告を聞いて判断した。紙は見ていない。報告を聞いての心証で河野談話をまとめた」<br />
<br />
--河野談話が強制性を認めた根拠は、16人の証言が決め手だったはずだが<br />
<br />
「そうだ。担当官の報告を聞いて、大部分は家が貧しく泣く泣くなったのだろうが、中には筋の良くない人たちが相当悪辣な手段で集めたということが否定できない。そういう心証であの文書(談話)になった」<br />
<br />
--業者の悪辣な行動は日本軍の責任ではない<br />
<br />
「だから『加藤談話』(平成4年の加藤紘一官房長官談話)は、わが方が直接連行したことを裏付けるものがないので(軍の関与は)ないとした」<br />
<br />
--聞き取り調査は証拠資料たり得ないのでは<br />
<br />
「(証言者は)真実を語れる人、というのが調査の前提だった。その日本側の善意が裏切られたということになる。それに基づいて世界中に強制的に慰安婦にされたということが事実として広まっていくとなると、全く心外な話だ」<br />
<br />
--強制性を認めるための調査ではなかったか<br />
<br />
「そんな意図は私にはなかった。国の名誉が関わる問題だから。ただ、役人としては時の政権の方針に従ってやるしかない。一切の弁解はしない」<br />
<br />
==== 軍関係者の証言 ====<br />
* 宮沢内閣の慰安婦に関する二次に渡る調査において、元慰安婦を強制的に連れてきたという人の証言を得ようと探したがなかったと元内閣官房副長官の石原信雄は語っている。<br />
* 「クマワスワミ報告書」においても、「慰安婦の募集に関する公文書はなく、証拠は元慰安婦の証言だけである」旨を記している。<br />
<br />
===== これだけある元軍人証言をなぜ軽視するのか =====<br />
「[[産経新聞]]が頑張ってくれて、慰安婦問題の本質とか、(慰安婦募集の強制性を認めた)[[河野談話]]がどんなものだったのか、やっと国民にも伝わってきているんじゃないか」<br />
<br />
[[日本維新の会]]共同代表の[[橋下徹]][[大阪市]]長は2014年5月13日、記者団にこう語った。そして、橋下氏が続けて述べた次の言葉にも賛同する。<br />
<br />
「歴史問題は外交戦争に使われることもある。日本として認めるところは認めるけれど、言うべきところは言っていかなきゃいけない。どの国だって、事実と違うことを言われた場合は異議を申し立て、抗議するのは当たり前の話だ」<br />
<br />
日本の軍や官憲が嫌がる[[朝鮮人]]女性を強制連行したり、性奴隷として扱ったりした証拠は一切なく、その目撃者も誰もいないという事実を主張するのは当然だということである。<br />
<br />
ただ、こうした事実関係を指摘すると、いつも「そうは言うが『無理やり連れて行かれてひどい目に遭った』というハルモニ(おばあさん)たちがいるではないか」との反論を受ける。<br />
<br />
韓国の[[朴槿恵]]大統領も2014年3月1日の独立運動記念式典で「歴史の真実は生きている方々の証言だ」と強調。河野談話の唯一の根拠となったのも、元慰安婦16人の聞き取り調査だった。<br />
<br />
とはいえ、元慰安婦の証言だけを無謬の真実だとして採用するやり方には無理がある。当時を知る「生きている方々」は、何も元慰安婦に限った話ではない。<br />
<br />
常々、そう思っていたところ、[[埼玉県]][[本庄市]]の松井敬子さん(87)から「慰安婦問題に関する元軍人の証言」(平成9年刊)という小冊子をいただいた。7人の旧軍関係者が見聞きした慰安婦の実態がつづられており、例えば中国戦線にいた[[札幌市]]の伊庭野さんはこう記す。<br />
<br />
「駐屯して1カ月ほどたった頃、1人の朝鮮人がやってきて、私に『朝鮮の女性を7人連れてきました。兵隊さん方の慰安所を開きますのでよろしくお願いします』と語った。(中略)彼らは日本軍と関係なく、親方が女を募集して連れてきて自発的に営業した」<br />
<br />
[[満州]](現中国東北部)にいた[[静岡県]][[裾野市]]の勝又さんは、上官に「この朝鮮女性たちは軍が集めたのか」と聞いた。上官は「金を目当てに朝鮮の親分が集めてくる」と答えたという。<br />
<br />
勝又さんの手記によると[[軍曹]]の月給が25円だった当時、朝鮮半島出身の女性は土・日の2日間で25円から30円の収入を得ていた。<br />
<br />
7年間にわたり中国北部を転々とした[[北海道]][[旭川市]]の外川さんは次のように証言している。<br />
<br />
「戦地では慰安婦を何人か(6~7人が多い)連れて、それを商売にしている朝鮮人や中国人が必ずいたのである。(彼女たちに)『なぜこの道に入ったのか』と聞くと、『家が貧しいのでよい金になるからといわれ、働いて親元にお金を送るため』と答えた」<br />
<br />
小冊子にはこのほかさまざまなエピソードが掲載されているが、共通するのは実体験に基づく「日本軍による強制連行などない」という確信だ。元慰安婦の証言なら無条件に信用する一方で、軍関係者のそれは無視・軽視するというこの問題への向き合い方には、合理性も誠実さも感じられない。<br />
<br />
==== 日本の資料 ====<br />
* [[1934年]]3月、[[陸軍省]][[兵務局]][[兵務課]]が立案し、梅津陸軍次官が決裁した『[[軍慰安所従業婦等募集に関する件]]』とする[[通牒]]が[[北支方面軍]]及[[中支派遣軍]][[参謀長]]宛てに出されていることが、旧日本軍が慰安婦の募集や慰安所の運営、管理に関与していた証拠であると吉見教授が主張し、『朝日新聞』が1992年に一大スクープとして取り上げたが、これに対して、[[漫画家]]の[[小林よしのり]]は「慰安婦を[[誘拐]]まがいの募集を行なう業者がいるから注意せよという「関与」を示すものだ」と「よい関与論」を唱え反論した。しかし後に、これは、これに先立つ警察資料「支那渡航婦女の取り扱いに関する件」(警保局長通牒)1938-2-23などのそれ以前の流れから読むべきであるという指摘がなされている。<br />
* [[1938年]]、[[内務省]]が各庁府県長官に宛てた通達では、中国に渡航させる慰安婦は満21歳以上の、現役の娼妓や醜業を営む女性に限定し、身分証明書の発行の際には、婦女売買または誘拐などがないかよく注意することや、募集に際し、軍の名をかたったり、募集の広告宣伝をする者、虚偽や誇大なことをいう者も厳重に取り締まるよう命じている。支那渡航婦女の取扱に関する件(秘) 内務省警保局長 各庁府県長官宛 ([[1938年]]2月23日)(全文)軍慰安所従業婦等募集に関する件<br/><br />
[[日中戦争|支那事変]]地に於ける慰安所設置の為、内地に於て之が従業婦等を募集するに当り、<br/><br />
故らに軍部了解等の名義を利用し 為に軍の威信を傷つけ 且つ一般民の誤解を招く虞あるもの、<br/><br />
或は従軍記者、慰問者等を介して不統制に募集し 社会問題を惹起する虞あるもの、<br/><br />
或は募集に任ずる者の人選適切を欠き 為に募集の方法 [[誘拐]]に類し警察当局に 検挙取調を受くるものある等、<br/>注意を要するもの少なからざるに就ては 、<br/>将来 是等の募集に当たりては 派遣軍において統制し 募集に任ずる人物の選定を周到適切にして、<br/><br />
その実施に当たりては 関係地方の[[憲兵 (日本軍)|憲兵]]及警察当局との連繋を密にし、<br/><br />
以て軍の威信保持上 並に社会問題上 遺漏なき様配慮相成度、<br />
依命通牒す。<br />
<br />
* この当時、陸軍省は「従軍慰安婦」の果たす「役割」を高く評価しており、その認識にたち、慰安婦の意義を説く教育参考資料『支那事変の経験より観たる軍紀振作対策』を各部隊に配布している。その内容は、軍慰安所は軍人の志気の振興、軍規の維持、略奪・強姦・[[放火]]・[[捕虜]]虐殺などの犯罪の予防、性病の予防のために必要であると説いている。<br />
<br />
『支那事変の経験より観たる軍紀振作対策』(原文)<br/><br />
事変勃発以来の実情に徴するに、赫々たる武勲の反面に略奪、強姦、放火、俘虜惨殺等、[[皇軍]]たるの本質に反する幾多の犯行を生じ、為に聖戦に対する内外の嫌悪反感を招来し、聖戦目的の達成を困難ならしめあるは遺憾とするところなり。・・(中略)・・犯罪非行生起の状況を観察するに、戦闘行動直後に多発するを認む。・・(中略)・・事変地においては特に環境を整理し、慰安施設に関し周到なる考慮を払い、殺伐なる感情及び劣情を緩和抑制することに留意するを要す。・・(中略)・・特に性的慰安所より受くる兵の精神的影響は最も率直深刻にして、之が指導監督の適否は、志気の振興、軍紀の維持、犯罪及び性病の予防等に影響するに大ならざるを思わざるべからず。<br />
<br />
* [1942年][9月3日]の[[陸軍省]]課長会報で倉本敬次郎恩賞課長は、「将校以下の慰安施設を次の通り作りたり」としてその結果を報告した。それによると、設置された軍慰安所は、[[華北]]100、[[華中]]140、[[華南]]40、南方100、南海10、樺太10、計400ヶ所であった。<br />
<br />
* 台湾軍が南方軍の求めにより「従軍慰安婦」50人を選定し、その渡航許可を陸軍大臣に求めた公文書「台電 第602号」がある。<br/><br />
「台電 第602号」(全文)<br/><br />
陸密電第63号に関し、「ボルネオ」行き慰安土人50名、為し得る限り派遣方、南方総軍より要求せるを以て、陸密電第623号に基き、憲兵調査選定せる左記経営者3名渡航認可あり度、申請す。<br />
<br />
* [[1944年]][[6月27日]]、内務大臣請議「[[朝鮮総督府]]部内臨時職員設置制中改正の件」(抜粋)<br/><br />
勤労報国隊の出動をも斉しく徴用なりとし、一般労務募集に対しても忌避逃走し、或は不正暴行の挙に出ずるものあるのみならず、未婚女子の徴用は必至にして、中には此等を慰安婦となすが如き荒唐無稽なる流言巷間に伝わり、此等悪質なる流言と相俟って、労務事情は今後益々困難に赴くものと予想せらる。<br />
* 旧日本軍の慰安婦に関する関与を認めた「河野談話」発表に至る経過をめぐり、[[1997年]]1月と3月に、調査を実施した平林博・内閣外政審議室室長は、国会において「政府が調査した限りの文書の中には軍や官憲による慰安婦の強制募集を直接示すような記述は見出せなかった 」と答弁。同年3月には当時宮沢内閣の内閣官房副長官であった[[石原信雄]]も『[[産経新聞]]』の[[インタビュー]]で、「随分探したが、日本側のデーターには強制連行を裏付けるものはない。」と明かした。<br />
* 朝鮮半島・[[台湾]]などでは[[国家総動員法]]に次ぐ[[国民徴用令]]に基づいた[[挺身隊]](女子の動員は1943年9月から)から、[[植民地]][[女性]]を中心に慰安婦にさせられた場合があったとされているが、当人の証言以外には証拠は見つかっておらず、命令書等の公文書も存在しない。<br />
* 慰安婦問題を批判する側からは、「強制連行」を指示する資料が見つからないのは旧日本軍が証拠資料を既に処分したという主張がなされている。河野洋平も2007年3月、「従軍慰安婦の徴集命令に関する旧日本軍の資料は「処分されていたと推定もできる」と指摘している。吉見義明は焼却された政府資料があり、まだ公開されていない資料もあるとしている。<br />
* 「日韓基本協約」の締結に至る過程での日韓の懸案事項についての話し合いにおいて、「慰安婦問題」は一切持ち出されていない。<br />
<br />
=== 韓国の資料 ===<br />
韓国陸軍本部が1956年に編さんした公文書『後方戦史(人事編)』では朝鮮戦争中の韓国軍慰安婦や慰安所についての記録や統計がなされている<ref name="asahi20020223"/><ref name="Ilyosisa20020326"/>。<br />
<br />
=== 海外の資料 ===<br />
==== 米軍作成の捕虜尋問報告書 ====<br />
日本人がどのようにして韓国人「慰安婦」を募集したか、彼女らの生活、仕事の状況、彼女らの日本軍人に対する関係と反応、そして彼らの軍事情勢に対する理解度を明らかにする目的で、北ビルマ(現:ミャンマー)のミートキーナー(ミチナ、Myitkyina)で捕虜となった慰安所経営者の日本人夫婦及び朝鮮人慰安婦20名に対して、米国陸軍の戦争情報局心理作戦班が”UNITED STATES OFFICE OF WAR INFORMATION Psychological Warfare Team Attached to U.S.Army Forces”(「戦闘地域の日本軍の売春所」 [[アメリカ国立公文書記録管理局|米国立公文書館]]所蔵)と題する報告書を1944年9月に作成、同年11月、米軍の東南アジア翻訳尋問センターが作成した尋問報告書の中に含まれていたこの報告書は、29年後の1973年に公開された。<br />
<br />
===== 主な内容 =====<br />
* 「慰安婦」とは、日本軍に特有の語で、軍人のために軍に所属させられた売春婦もしくは「職業的野営随行者」(professional camp follower)に過ぎない。日本軍は1942年にこのような朝鮮人慰安婦を703人ほどビルマに向けて出航させたと報告されている。<br />
* [[1942年]]5月上旬、日本の斡旋業者が、日本が新たに勝ち取った東南アジアの属領で、「慰安奉仕」をさせる韓国人女性を徴募するために朝鮮に赴いた。この「奉仕」の中身は明らかにされていなかったが、病院で負傷者を見舞ったり、包帯を巻いたり、一般的に兵士を慰労すること考えられていた。、「多くの収入が得られる」、「家族の借金を返すことがでる」、「簡単な仕事」、「新しい土地(シンガポール)で新しい生活が出来る」などの斡旋業者の偽りの誘い文句によって、多くの少女達が海外での仕事に応募し、前金として数百円が与えられた。<br />
* 彼女らの大半は無知で教育も受けていなかった。以前から「地球最古の職業」(売春)に関係していた者もわずかながらいた。<br />
* 彼女らは、家族の借金返済の為に前借りした借金額に応じて6ヶ月から1年、軍の規則と慰安所の経営者のための仕事に従事する契約に署名した。<br />
* 約800人の少女達が集められ、日本人の慰安所経営者と共に1942年8月20日に[[ラングーン]]入りした。彼女らは8人から22人のグループに分けられ、大抵はビルマの各地の軍拠点の近くの街に派遣された。<br />
* ミッチーナでは、彼女らは通常2階建ての大きな建物に住んでおり、個室で生活し、仕事をした。食事は慰安所経営者が準備した。<br />
* 彼女らはほしいものを買えるだけの多くのお金を持っており、暮らしぶりは良好であった。彼女らは、服、靴、タバコを買えたし、実家から慰問袋を受け取った多くの軍人からの多くのプレゼントで化粧品をまかなえた。<br />
* 将兵と共に、スポーツ、ピクニック、娯楽、社交ディナー等を楽しんだ。[[蓄音機]]も持っており、買い物に行くことも許された。<br />
* 接客を断る自由もあり、軍人が泥酔していた時には断ることもしばしばあった。<br />
* 彼女らの健康状態は良く、各種の避妊用具を十分に支給されていた。<br />
* 決まった日本軍医が週1回訪れ、病気が見つかった女性は全員治療を受け、隔離され、最終的には病院へ送られた。<br />
* 日本の軍人からの求婚が極めて多く、中には実際に結婚した者もいた。<br />
* 慰安所経営者は彼女らが契約時に借りた借金額に応じて、彼女らの総収入の50 - 60%を受け取っていた。すなわち、彼女らは月平均で1500円の総収益を上げ、750円を経営者に返済した。さらに、多くの経営者は慰安婦の食事や品物に高値を付け、彼女らの生活を大変厳しいものにした。<br />
* 1943年後半、陸軍は借金を返済した女性に帰省を命じ、何人かの女性は韓国へ帰国することをゆるされた。<br />
* 連合軍の爆撃のため、慰安婦らは捕らえられる直前には、ほとんど壕の中で過ごした。1 - 2名の慰安婦はそこでも仕事を続けた。慰安所は爆撃に遭い、何人かの慰安婦は負傷したり、死亡したりした。<br />
<br />
===== 同報告書を巡る議論 =====<br />
* 秦郁彦は、同報告書を「資料的価値は高い」と評価としている。<br />
* 小林よしのりらは、『新ゴーマニズム宣言』において、同報告書の内容は、それまでに伝えられていた慰安婦の生活状況が悲惨であるということとは程遠く、むしろ恵まれていたのではないかと主張している。<br />
* これに対して[[京都大学]](永井和研究室)の[[白石秀人]]は、「慰安婦の容姿が水準以下であるとか、無知でわがままであるとか、慰安婦自身が答えている」、「『彼女たちの暮らし向きはよかった』とある一方で、『彼女たちは生活困難に陥っていた』との記載もある」。彼女たちは[[1942年]]に上陸し、[[1943年]]には特に生活状態が良く、1944年には敗色濃い中で爆撃も受け、捕虜となった。(吉見資料集)(註: 軍票の価値の下落によって生活困難が生じることはすでに、他の研究者によって指摘済み)などと、報告書自体の不自然さや矛盾と思うものを指摘し、また慰安婦の待遇が良かったという例はこれ一つ位しか見あたらず、これをもって全慰安婦らの生活が良好であったかのように主張するのは論理が飛躍していると反論している。<br />
: また、白石はその中で、吉見が「秦氏らが比島軍政監部の慰安所規定などの「一次資料」を無視して、前記米軍の資料を使用している」と批判しているとも言う。<br />
* 旧日本軍には:ビルマ・[[マレー]]・インドシナ・フィリピン・[[オセアニア]]など様々な[[方面軍]]があり、最終配置としては南方8方面が知られ、1992年、1993年発表の政府資料には、マレー、ビルマ方面の慰安所規定がある。<br/><br />
: その一つ、1943年の中部ビルマの[[マンダレー]](2007年現在のビルマの首都)の駐屯地慰安所規定1938-5-26によれば、「慰安婦の他出に際しては、経営者の証印ある他出証を携行せしむるものとす」とあり、 料金時間は下兵30分、他に「慰安所における軍人軍属など使用者の守るべき注意事項」として、 「過度の飲酒者は遊興せざること」「従業員(慰安婦を含む)に対し粗暴の振る舞いをなさざること」「サック」を必ず使用し確実に洗浄を行い性病予防を完全ならしむること」「違反者は慰安所の使用停止のみならず、会報に載せられ、その部隊の使用停止につながりうる」という規定が存在する。<br />
<br />
=== その他の資料 ===<br />
* 中国占領日本軍の 工場就職口実 従軍慰安婦募集 詐欺 (「[[極東国際軍事裁判]]」判決)[http://www.ibiblio.org/hyperwar/PTO/IMTFE/IMTFE-8.html Judgment International Military Tribunal for the Far East] , p1022<br />
* [[日本国との平和条約|サンフランシスコ講和条約]] 11 条項: Japan accepts the judgments of the International Military Tribunal for the Far East (日本は 「極東国際軍事裁判」の判決を 認める)<br />
<br />
=== 「慰安婦」訴訟 ===<br />
[[大韓民国|韓国]]人、中国人などを中心に、元慰安婦であると名乗り出た人々がこれまでに強制的に慰安婦にされたとして、日本政府に対し、[[謝罪]]と[[賠償]]を求める訴訟を起こして来たが、[[時効]]・[[除斥期間]]の経過、[[大日本帝国憲法]]が定めていた「[[国家賠償法#制定の背景|国家無答責の法理]]」([[官吏]]が公権力の行使に当たる行為によって市民に損害を加えても国家は損害賠償責任を負わないとする)、「個人を国際法の主体と認めない」などの理由で全て敗訴している。<br />
* 慰安婦側の請求が唯一認められたのは、「[[釜山従軍慰安婦・女子勤労挺身隊公式謝罪等請求訴訟]]」(関釜裁判)における一審判決(1998年4月27山口地裁下関支部)であり、原告らが売春を強制されたことを事実認定し、国の立法義務、立法の不作為を認め、「慰安婦」一人あたり30万円の支払いを命じ、一部ながら国の責任を認めた判決として注目を集めた。しかし、[[控訴]]審(2001年3月29日、広島高裁)は、一審判決を破棄し、原告に対して、立法行為への規制が司法判断になじまない事、該当事項に関する立法責任が明文化されていない事などを理由に慰安婦側の請求を「全面[[棄却]]」。最高裁への[[上告]](2003年3月25日)も棄却され、最終的には慰安婦側の敗訴が確定した。<br />
* 在日韓国人女性が1993年4月に[[東京地方裁判所|東京地裁]]に提訴した謝罪・補償請求訴訟で、2000年11月に東京高裁は原告の請求を棄却する判決を出した。この際、判決効力に関連のない[[傍論]]<ref>判決としては被告の勝訴なのに、傍論で原告側の主張に沿う憲法判断を示すことを「ねじれ判決」([[國學院大學]]の[[大原康男]]教授の命名)と言い、これまでにもいくつかそのような判決が出ており、上告を封じるものになるなどの点で専門家からも批判がある。</ref>において、裁判長は旧日本軍の慰安婦に対する行為が[[国際法]]違反であるとの意見を述べた。原告は「国際法違反であるとの判断を示したこと」については僅かながら評価したが判決を不服として上告したもの敗訴した。なお、この傍論をもって[[VAWW-NETジャパン]]などの一部勢力は「国際法違反であると認定された」と解釈しているが、日本同様に国際社会においても、この慰安婦問題に対する評価は確定していない。<br />
<br />
=== 「慰安婦」と外交問題 ===<br />
==== 日本政府の対応 ====<br />
* [[1965年]]の[[日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約|日韓基本条約]]により、日本と韓国の間の請求権の問題は法的に解決されたとことになっているため、日本政府は、医療・福祉支援事業や民間の寄付を通じた「償い金」の支給などの元慰安婦に対する償い事業のために、1995年、「[[女性のためのアジア平和国民基金]]」を設立。運営経費や活動資金を負担した。歴代総理からのお詫びと反省の手紙を各慰安婦に送った。フィリピン、韓国、台湾において、計285名の元慰安婦に対し、一人当たり200万円の「償い金」を贈るほか、医療・福祉支援事業を実施。元慰安婦の認定が行われていないオランダに対しては現地の慰安婦関係者に対する生活改善支援事業に対し援助。元慰安婦の特定が困難であるとするインドネシアに対しては、同国政府の行う高齢者社会福祉事業を援助した。韓国や台湾では日本政府に対し、「法的責任を認め、国家補償を行なえ」という主張を掲げる運動体の影響が強く、「アジア女性基金」を受け取ろうとする元慰安婦に対して、受け取るべきでないと圧力が加えられたり、政府や民間団体が「基金を受け取らないと誓約すれば300万円・200万円を支給する」ことを表明したため、韓国では半数以上の元慰安婦が受け取りを拒否した。<br />
<br />
== アメリカ,テキサス、売春取り締まりで韓国人女性大量検挙(2012年5月) == <br />
[[Image:韓国人売春婦1.jpg|350px|thumb|現代の慰安婦]]<br />
[[Image:韓国人売春婦2.jpg|350px|thumb|現代の慰安婦]]<br />
アメリカ,テキサス州で不法マッサージ店を構えて性売買を日常的に行ってきた韓国人女性たちが、大量に警察に検挙された。 <br />
<br />
[[2012年]][[5月11日]](現地時間)、テキサス地域メディアによると、最近ヒューストン地域ハリスカウンティ警察の退廃業者取り締まりで、アジア系女性7人が性売買および斡旋疑惑で拘束された。<br />
<br />
警察は先月末、韓国出身などアジア系女性たちがマッサージ店で現地人を相手に性売買をしているという機密情報を入手、去る4日に特殊機動隊を動員して韓国人業者3か所を一斉に急襲した。<br />
<br />
警察は緊急逮捕された被疑者は皆女性なのに足首に鉄製の鎖までして連行し、韓国人女性たちが鎖で身体的苦痛を訴えながら警察署に引きずられて行く姿が現地放送で生中継され、人権侵害論議も起きている。<br />
<br />
被疑者7人のうち6人が韓国人、1人が中国系であり、これらのうち韓国人チャン某氏、ホ某氏は当局の許可なしでマッサージ店舗を運営した疑惑を受けていると現地メディアは伝えた。 <br />
<br />
ヒューストン総領事館関係者は聯合ニュースとの通話で「警察が逮捕された女性たちの身元を公開していないので韓国国籍者なのかは確認されていない」として「領事館は被疑者が助けを要請してこそ事件処理過程に関与することができる」と話した。<br />
<br />
一方、警察は不法マッサージ店の運営に韓国人犯罪組織がかかわった情況も確保して、韓国人業者を相手に捜査網を拡大すると発表されて波紋が広がる展望だ。テキサス韓国人社会人士は「ロサンゼルスやニューヨーク、アトランタで活動する韓国人暴力団がアメリカでそれなりに景気が最も良いテキサスで勢いを拡張しているという話が多かった」として「今回の事件は来るものが来たものなのでそれほど驚くこともないが、韓国人に対するアメリカ主流社会の認識が悪くなるか心配になる」と話した。<br />
<br />
== 韓国の年寄りが証言「慰安婦?大嘘だよ。当時は皆日本国民だよ。」 ==<br />
日本会議川崎北支部主催で、元韓国空軍大佐崔三然氏の講演会が行われた。崔氏は以下を語った。<br />
<br />
「私は日本人・朝鮮人が半々の学校に通った。現在でも同窓会が開かれている。そこで差別を受けて喧嘩したなどの記憶は無い。社会が非常に安定しており、これは(日本人も朝鮮人も)法的に平等であったことが大きいと思う。人種間の多少の感情的なものがあっても、制度上の差別が無いというのは(社会として)上等である」<br />
<br />
また[[従軍慰安婦問題]]については、<br />
<br />
「韓国の日本大使館の前に、慰安婦の石像を建てる話などが持ち上がっているが、とんでもない。慰安婦達は大変結構な給料をもらって働いていたのだ。もしも皆さんが、中国や韓国が本当に事実を知らずに南京大虐殺や従軍慰安婦問題を言っているのだと思ったら、それは大間違いだ。彼らはわかって言っているのだ。そうして日本の反応を引き出し、それをまた材料にして騒ごうと思っているのだ。日本はそんな手に乗ってしまってはいけない」<br />
<br />
== 韓国教授(88)が告白「殺される覚悟で言う。韓国人は強制従軍慰安とか歴史捏造をやめるべきだ」 ==<br />
"私は88才です。 もう事実を話したいと思います。" チェ・キホ伽耶大学客員教授<br />
<br />
朝鮮末期の私は[[1923年]]の生まれです。もう韓国のためでも、日本のためでもなく「事実」を話したいと思います。それは相当な覚悟が必要です。 生命の危険も覚悟しています。しかし、これは私の使命であると信じています。 <br />
<br />
私は[[ソウル]]に住んでいました。そして、時々、平壌や東京に行きました。その当時の韓国人は「日本人以上の日本人」でした。 <br />
<br />
「親切でやさしい日本人」という印象を、必死に消すために「反日」を指導者はそそのかしてきました。韓国と日本の歴史教育を比較すると、日本が10%の歪曲といえば、韓国は90%が歪曲です。 <br />
<br />
朝鮮末期の正常ではないで政治腐敗を教えず、日本が関与しなければ独立ができたことのように使われています。韓日合邦によって「教育」 「医療」 「工業」 「社会インフラ」が整備されました。近代国家の基礎が出来たことは明らかな事実です。 <br />
<br />
その実績を「日本帝国主義の侵略政策の産物だ!」と糾弾する韓国にはあきれます。より一層「日帝が民族産業を停滞させた!」という主張にはコメントする気持ちもなくなります。 <br />
<br />
民族産業を殺したのは、朝鮮王朝です。近代化を主張する先進的な思想家は反逆者とし、親族までも処刑されました。韓国人は「日帝の虐待! 性奴隷!」と叫んでいますが、私は信じることができません。歴史の真実を知っているためです。 <br />
<br />
朝鮮語でキウン「地獄」でした。それは大韓帝国時代になっても同じでした。[[1904年]]、日本は朝鮮の惨状を救うために、財政支援を決断します。例えば[[1907年]]度、朝鮮王朝の歳入は748万円だったが、歳出は3000万円以上でした。その差額は日本が負担していました。[[1908年]]にはより一層増加し、3100万円を支出しています。<br />
<br />
== 早く自虐教育をやめさせないと(2013年3月 中山成彬) ==<br />
去る3月8日の私の国会質問がネットで騒がれているようだ。[[NHK]]が[[YouTube]]の画面を削除したというので更に騒ぎが大きくなっていると聞いた。<br />
<br />
私は中国や韓国が「歴史を直視して未来志向で」という決まり文句に我慢がならない。これは、日本が侵略国で中国や朝鮮に多大な被害をもたらし、従軍慰安婦や南京事件は実在のものであるということを確定した上で、だから日本は永久に中国や朝鮮に謝罪し続けなければならないという事を言いたいのだ。 <br />
<br />
これらのことを捏造したのが日本の[[朝日新聞]]であり、拡げたのが[[日教組]]であり、情けないのは、それを許したのが[[自民党]]であるという事だ。<br />
<br />
私は、[[日本維新の会]]の議員として質問に立ったが、自民党ではなかなか言えないことも言えたという意味で、私が維新の会にいることの意味もあるのかなと思う。<br />
<br />
今回は、[[創氏改名]]と[[従軍慰安婦]]の問題を取り上げ、創氏改名は強制では無かった、朝鮮女性を強制連行した事実は無かったと、当時の新聞記事等の一次資料を使って証明した。<br />
<br />
実は[[南京事件]]についても、今から4年前、「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」の会長として、当時の1次資料を徹底的に調べて、「南京事件は通常の戦闘であり、それ以上でもそれ以下でもなかった」と結論づけた。そして「南京の実相」という本を出版し、英訳してアメリカの上下両院の議員全員にも送付した。<br />
<br />
調査で特に印象深かったのは、橋の上を歩く中国女性達の前後を日本兵が銃を担いで守っている写真であった。アサヒグラフの原画をみると女性達は笑っている。これを薄暗くして表情が分らないようにして、「The Rape of Nankin」や南京の抗日記念館で従軍慰安婦として強制連行している証拠の写真としていたのだ。<br />
<br />
当時の中国内は軍閥や匪賊が出没し一般人を苦しめており、日本軍が占領した地区の住民は安心して暮らしていたのだった。なおこの写真は本の出版後、南京の抗日記念館から消えたという話もあるが、この目では確かめていない。次に質問の時間をもらえたらこの南京事件についても「直視」してみたい。アサヒグラフの写真など資料は沢山ある。 <br />
<br />
それにしても、最近の話だが、高校の時、修学旅行で中国に連れて行かれ、南京の抗日資料館を見学した後、現地の高校生と交流会があり、中国の高校生に英語でこてんぱんにやられたという女性の体験談を聞いた。真の歴史を教えられず、英語の不得意な日本の学生達が中国の学生達に頭が上がらなかったのは当然だ。 <br />
<br />
中国や韓国に子供達を連れて行き、残虐記念館を見せ、「自分たちの祖先は中国で悪いことをした、中国の人は可哀そう」という反省文を書かせる教師達は子供達の将来を考えているのだろうか。<br />
<br />
子供達が社会に出て、反日愛国教育で鍛えられた中・韓の子供たちに相対した時に気力で負けるのは当たり前だ。もう遅いかも知れないが、一日も早く、この自虐教育は辞めるべきだ。<br />
<br />
そして、[[安倍総理]]の言う「日本人として自信と誇りを持った子供達を育てる」という一項目を教科書検定の最初に置くべきではなかろうか。 <br />
<br />
更に言えば、歴史教科書は国定教科書でいいはずだ。同年代で日本の歴史を語り合うとき、意気投合できてこそ日本人としての一体感が生まれるというものだ。<br />
<br />
== 韓国からの出稼ぎデリヘル嬢「1000万円貯めて帰国したい」経営者「求人広告をだすと、応募が殺到する」 ==<br />
日本の風俗業界で巻き起こっている“[[韓流]][[デリヘル]][[ブーム]]”。韓国メディアが一斉に「人身売買」と批判する問題ともなっている。東京を例にとると、かつては[[日暮里]]や[[大塚]]あたりが韓デリの本場だったが、今は[[鶯谷]]がメインになっている。鶯谷のホテル街では、デリヘル嬢がホテルから別のホテルへ駆け足で移動する姿も見られるという。 <br />
<br />
風俗雑誌『俺の旅』の生駒明編集長が解説する。 <br />
<br />
「90分で3万円が相場だったのが、最近は値崩れが進み60分1万5000円、中には1万円という店もあります」 <br />
<br />
韓デリの経営者もこう証言する。 <br />
<br />
「[[韓国人]]女性の求人は完全な買い手市場だね。日本の韓国人向け新聞やサイトに広告をだすと、応募が殺到するから」 <br />
<br />
経営者によると、各店とも摘発防止のために店名をしょっちゅう変えるため、「[[キャバクラ]]のような人気店はない」とのこと。韓国人デリヘル嬢の実態についても質問してみた。 <br />
<br />
「お金に困ってる子がほとんど。日本滞在が3か月以内ならビザがいらないから、風俗で働く目的で来日する子も少なくないんだ。しかも今は円高だから韓国より効率よく稼げる。[[新大久保]]あたりに住めば日本語なんて一切不要で生活できるし、滅多に母国でバレはしない」 <br />
<br />
前出の生駒氏もいう。 <br />
<br />
「出稼ぎデリヘル嬢に聞くと、みな申し合わせたように『1000万円貯めて帰国したい』といいます。昼間は上野あたりのサウナでタオルを畳む仕事をして、夜にデリヘルで稼ぐケースが多いようです」<br />
<br />
== 【赤旗】「慰安婦、お金をもらっていたら被害者ではないのか」(2012年9月) ==<br />
戦時下における性暴力の実態調査や告発を行っている[[市民団体]]「戦争と女性への暴力」リサーチ・アクション・センター([[バウラック]])は9月29日、東京都新宿区でシンポジウム「日本人『慰安婦』の被害実態に迫る」を開いた。<br />
<br />
バウラックは2011年から日本人「慰安婦」についての調査・分析を開始。活動の中間報告や被害者の足跡などを発表した。 <br />
<br />
バウラック共同代表の[[西野瑠美子]]さんは、日本人「慰安婦」の実態解明が遅れているのは、「公娼制度下にあったため」と指摘した。<br />
<br />
「お金をもらっていたら被害者ではないのか。『強制』させられることだけが被害なのか。『慰安婦』問題とは何か捉え直したい」とのべた。<br />
<br />
== 「月に400万円」にダマされて(2012年9月) ==<br />
甘い言葉につられて来日しタコ部屋暮らし――。いま韓国人風俗嬢たちが泣いている。 <br />
<br />
警視庁は[[2012年]]9月、東京・荒川区の韓国デリヘル「OPPA(オッパ)」を摘発、韓国人の女性経営者(32)ら3人を逮捕した。この店のサービス嬢たちは「月に200万~300万円稼げる」と誘われて来日していた。 <br />
<br />
「経営者は月に一度韓国に帰り、風俗嬢をスカウトしていた。“月収400万円も可能”と大風呂敷を広げることもあったが、日本のデリヘル嬢だってトップクラスは月収150万円。オッパは本番が80分2万円と単価は高いものの、せいぜい稼いでも月収50万円止まりです」(風俗店関係者) <br />
<br />
韓国人風俗嬢は劣悪な環境で暮らしている。オッパには6万円の12時間コースもあった。指名された女の子は3万円以上の取り分をもらえるが、朝まで眠ることも許されずフェラとセックスを強要されるケースも多かったという。 <br />
<br />
悪質業者は女の子が寮から逃げないよう、「外出禁止」を強制している。風俗ライターの蛯名泰造氏が言う。 <br />
<br />
「“竹島問題で日本人に殴られる”“売春防止法で逮捕される”と口実をもうけて外に出さないのです。彼女たちはコンビニ弁当ばかり食べて栄養が偏るばかり。唇が割れ、唇の端が切れているのはビタミン不足のせいです。言葉が通じないストレスから胃をやられたり不眠に苦しめられたりもする。業者は胃薬や精神安定剤を通常の2、3倍で売りつけます」 <br />
<br />
中出しOKの店の子はピルを飲んで避妊はしているが性病のリスクは高い。病気になっても業者は治療費を出してくれない。 <br />
<br />
「寮では女の子が仲間のサイフを盗むトラブルも起きている。万が一のため、お札に自分の名前を書く子もいるくらいです。狭い部屋に5、6人が暮らし、ケンカが絶えません」(蛯名泰造氏) <br />
<br />
タコ部屋というより、「地獄」である。<br />
<br />
== 売春産業の規模は韓国GDPの5%、「売春大国」韓国。年間売春件数4605万件 ==<br />
「売春大国」の汚名を返上すべく、韓国では売春の摘発が強化されたが、なくなるどころか地下に潜り、さらには“輸出”までされて、ますます世界から白い目で見られている。 <br />
<br />
例えば、韓国の高速鉄道KTXのソウル駅前には、いわゆる「ちょんの間」が密集していた。日本で言えば、上野駅前に大風俗街があるようなものだ。それが法改正によって壊滅した。 <br />
<br />
古くから韓国に存在する「頽廃理髪所」は、表向きは理髪店だが、別室で売春を行なう風俗店だ。 <br />
<br />
売春なしの理髪店との違いはサインポール(日本の床屋にもある、赤・青・白の回転するポール)が非常に大きいなどで、ひと目で「セックスあり」とわかるようになっている。比較的女性の年齢が高いことや、髪を切りたいだけの若い男性は美容室に行くことなどから、特別法が出来る以前から廃れていたが、2004年以降はいよいよ見かけなくなった。 <br />
<br />
また、「チケット茶房」は表向きは喫茶店だが、ウェイトレスがコーヒーを配達しに来て売春を行なう。もちろんコーヒーはインスタントで、実態は日本のデリヘルに近い。しかしこれも店舗を構えるため摘発の対象となりやすく、近年は減少傾向にある。 <br />
<br />
逆に増加の一途を辿っているのが、オフィステル(事務所+簡易宿泊施設。ワンルームタイプが多い)やマンションの一室を借りて、そこで売春するケースだ。ソウルでは江南エリアに集中しており、街を歩けばそこらじゅうにピンクチラシが落ちている。 <br />
<br />
かつて日本の電話ボックスに貼ってあった同種のチラシと違ってB5サイズほどの大きなもので、もちろん通りを歩いている高校生や主婦の目にもとまる。店舗を構えておらず、記載されている電話番号も携帯電話のため、警察も摘発しにくい。 <br />
<br />
また、キスバンと呼ばれる、個室で客とホステスが1対1になり、キスまではOKというサービスがあるが、このキスバンを装って売春するケースも増えている。こちらは女子大生など若い女性が小遣い稼ぎで働いていることが多い。 <br />
<br />
看板は出していないが、今も変わらず売春産業は根強く生き残っている。2004年の法律制定後も風俗産業は一向に衰えず、現在も一大産業となっている。 <br />
<br />
韓国政府の女性家族部がソウル大女性研究所に依頼して調査・作成させた『2010年性売買実態調査』の内容には驚く。結果は非公開だったが、それを入手した『ハンギョレ21』が2011年11月にスクープした。 <br />
<br />
それによれば、売春産業の規模は最大8.71兆ウォン(約6300億円)と報告され、韓国GDPの約5%を占めている。また、同調査では、年間売春件数が4605万件、売春従事者は14万2000人余であることを明らかにしている。 <br />
<br />
2010年11月にはハンナラ党最高委員を務めたホ・テヨル議員が、「観光事業を育成するため『フリーセックス』、『カジノフリー』のタブーのない特区を作らなければならない」と、闇の売春産業を認めて公然化する主張をしたため問題となった。 <br />
<br />
この時代に売春を観光の起爆剤にしようという発想が出てくるほど、韓国は売春大国なのだ。<br />
<br />
== 根深い韓国の性売買文化を根絶するためには ==<br />
キム・ジヘさん(32、仮名)はソウル下月谷洞にある「ミアリテキサス」で働いている。 一日平均3、4人の男性を相手にしている。ジヘさんが初めて売春を始めたのは学校の授業料のためだった。 2004年にソウル江南の「ルームサロン」が最初の職場だった。<br />
<br />
その年、性売買特別法が施行された。風俗街が強制的に閉鎖された時期だった。このため売買春が可能な他の遊興店が“特需”を迎えた。ジヘさんは江南・瑞草などのルームサロンを転々としながら学費を稼いだ。しかし家に生活費を入れていたうえ、お金を遣うことも増え、休学と復学を繰り返し、結局、卒業できなかった。 <br />
<br />
ジヘさんがミアリテキサスに入ったのは2011年2月。性売買特別法でミアリテキサスがすべて消えたという噂は事実でなかった。ジヘさんは3カ月間、月平均500万ウォン(約38万円)稼いだ。これで学費は十分だと考えて復学した。しかし生活費がまた厳しくなった。他のアルバイトもしたが、給料があまりよくない。ジヘさんは2012年9月、またミアリに戻ってきた。<br />
<br />
11月4日、ミアリテキサスでジヘさんに会った。ジヘさんは「事実上取り締まりもしないのに性売買特別法を作り、売春女性だけが犯罪者になった」と話した。ジヘさんのように風俗街を一度離れた後、また戻ってきたという女性が多かった。<br />
<br />
この女性たちは「すぐにも家族の生計を維持する責任がある状況で、他の仕事に移るのは容易でなかった」と主張した。ソウル地域の風俗街で働くイさん(34)は「2010年以降、1回も取り締まりを見ていない。意味のない法をそのまま置いておく必要があるのか」と語った。性売買従事者と事業主からなる「全国ハント連合会」は9月、憲法裁判所に性売買特別法に対する違憲法律審判を申請した。<br />
<br />
これに関し2004年に性売買特別法を代表発議した趙培淑(チョ・ベスク)元民主党議員は「性売買特別法のおかげで風俗街が大きく減り、女性の人権が改善された」と主張した。しかし趙氏も「当時、性売買集結地の問題に集中したため、新種の変態性売買への対応は不足していた」と話した。金康子(キム・カンジャ)韓南大警察行政学科客員教授はソウル鍾岩警察署長当時の2000年、ミアリテキサスで大々的な取り締まりを行った経験がある。<br />
<br />
しかし金教授は「生計のための売春女性に対する具体的な支援策を用意せず、特別法に基づいて制裁したため、単発性の効果に終わった面がある」と述べた。金教授は「当初の目標とは違って新種の売春が広がり、よりいっそう肥大化してしまった」と指摘した。<br />
<br />
金教授は「制限的な公娼制度は考慮するに値する」と主張した。しかし一部の女性団体はこうした主張に強く反対している。「性売買特別法は最小限の法であり、公娼制は女性を商品化するという発想」という理由からだ。実際、一部の店では今でも女性従業員に負債を抱えさせ、強制的に売春を要求したりもする。 <br />
<br />
2011年2月、Aさん(28)は500万ウォンが突然必要になり、知人の紹介でルームサロン経営者に会った。この経営者は「日本で男性と友人のように話をするだけで2000万ウォンを貯められる」と説得した。しかしAさんは日本に到着するとすぐにパスポート(旅券)を取り上げられ、宿舎に監禁された。その後、一日に5、6回ほど売春をすることになった。出血があっても綿で抑えて仕事を続けるように言われた。Aさんは日本女性団体の助けで辛うじて宿舎から抜け出せた。 <br />
<br />
韓国社会に根付いた性売買文化を根絶するためには、持続的な取り締まりとともに、女性の自活への誘導が重要だと、専門家は指摘している。ソウル江南区庁は2012年7月から違法店舗を取り締まるTFチームを設置し、大々的に取り締まりを行っている。現在まで257店舗が摘発され、18億9500万ウォンの税金・履行強制金を科した。申燕姫(シン・ヨンヒ)江南区庁長は「住宅街にまで入り込んでいるため取り締まりに難しさはあるが、続けていくことが重要」と強調した。<br />
<br />
女性家族部は全国自活団体9カ所で女性の職業・進学教育を支援している。自活プログラムに参加する女性は年平均560人にのぼる。<br />
<br />
== 「慰安婦像設置は間違っていた」米市長発言。韓国紙は「波紋広がる」と報道(2013年10月) ==<br />
韓国紙、朝鮮日報は12日付で、今年7月に韓国以外で初めて「慰安婦」の像を設置した米[[カリフォルニア州]][[グレンデール市]]のウィーバー市長が、「像の設置は間違っていた」と発言して波紋が広がっていると報じた。<br />
<br />
同紙によると、ウィーバー市長は先月、日本のインターネットテレビ「[[チャンネル桜]]」のインタビューで、「われわれは蜂の巣を突いてしまった。少女(慰安婦)像を建てるべきではなかった」と語った。市長は「像の設置後、1千通を超す(抗議)メールを受けた」とし、「グレンデールが日本人の最も憎む都市になったことは残念だ」とも述べたという。<br />
<br />
ウィーバー市長は慰安婦像の設置後、市議会議員5人が交代で務める市長に就任。像の設置が決まった議会の投票のさい、5議員のなかで唯一、反対票を投じていた。<br />
<br />
[[朝鮮日報]]は市長の発言について、「市議会では議決権を正面から否定したものとみなし、弾劾事由に該当すると考えている」とし、「次週の議会会議でこの問題を正式に取り上げるだろう」との市関係者のコメントを紹介している。<br />
<br />
== ブエナパーク市のアートブラウン市議会議員のような正しい歴史認識を(2013年) ==<br />
[[グレンデール市]]の近くにある[[ブエナパーク市]]では[[7月23日]]の市議会にて市議会議員であるアートブラウン氏が「慰安婦問題の提起自体には妥当性を認めるが、少女像設置は判断の時間がさらに必要だ」と発表しました。すぐ近くのグレンデール市で慰安婦像の設置が決まり、その嫌な流れが浸透してしまうかと思った矢先でのアートブラウン氏のこの発言は、実はアートブラウン氏が正しい歴史認識をしてくれたからなのです。 <br />
<br />
ブエナパーク市の市議会議員の中にオー(OH)さんという韓国系の議員がいます。この人が、今回のグレンデール市の決議を受け、ブエナパーク市でもこれを大きく取り上げるべきだと議会に持ち込みました <br />
<br />
この公聴会ではオーさんをはじめ、韓国系市民たちが、如何に韓国は被害を受けたか、慰安婦はどれだけ苦労したかと、先ほども述べたような同情心をくすぐるような発言をします。<br />
<br />
そんな中、公聴会に参加していた日本人が「それは間違っている」と立ち上がり意見を述べました。そして、別の白人男性も「戦争には様々な被害者がいる。それなのに慰安婦だけを取り上げ、像を設置するなんておかしい」と主張したのです。 <br />
<br />
この公聴会を聞いたアートブラウン氏は「私はこの慰安婦問題よく知らないので、自分なりに調べたい」と発言しました。 <br />
<br />
それから約1ヶ月後の[[8月27日]]、アートブラウン氏は「私なりに今回の問題を調べましたところ、私は慰安婦像設置に対して支持をしないということを表明します」と決断したのです。 <br />
<br />
実のところ、もともと公聴会の段階で市議会は慰安婦像に関しては支持しない方針だったのですが、アートブラウン氏の発言によって、もうひと押しされ、改めて設置が中止となりました。 <br />
<br />
この件に関して、私たちなでしこアクションも抗議のメールをたくさん送りました。それが響いてくれたのかなとも信じていますが、諸外国の方が正しい歴史認識を持ってくれたことをただただ喜んでいます。 <br />
<br />
―慰安婦像設置対象市と姉妹都市<br />
<br />
今回、慰安婦像が設置されたグレンデール市ですが、[[大阪府]]の[[東大阪市]]と[[姉妹都市]]関係にあります。 <br />
<br />
この慰安婦像設置に関して東大阪市は現地にて「賛同した」と報道されました。さらに、その慰安婦像の維持費は姉妹都市の1つである東大阪市も協力していくということになっています。 <br />
<br />
しかし、これはまったくのウソです。むしろ東大阪市はそれに対して怒りをあらわにし、グレンデール市に対して「適切な対応をしない場合、姉妹都市関係を解消する」と、抗議をしています。 <br />
<br />
そして現在、慰安婦像が設置されかねない「[[ミルピタス市]]」と「[[アーバイン市]]」ですが、両方とも[[茨城県]][[つくば市]]が姉妹都市です。東大阪市のようなことがないように、つくば市に教えてあげないといません。 <br />
<br />
―日本政府の対応を望む人々<br />
<br />
私たちは何から何まで「韓国反対!」というわけではありません。何故私たちが抗議をしているかと言うと、正しい歴史をねじ曲げ、韓国にとって都合の良い事を捏造し、あまつさえそれを本当の歴史として世界に浸透させようとしていることが許せないからです。私たちの最終目標は「正しい歴史認識を持ってもらうこと」に尽きます。 <br />
<br />
しかし、これはあくまで最終目標です。それにむかって突き進む前に、真っ先に実現してほしいことがあります。 <br />
<br />
それは「日本政府がきちんと対応してくれること」です。現在、従軍慰安婦関係は国際的にもナイーブな問題だとは思います。そのために政府はなかなか積極的な言動を行いません。 <br />
<br />
政府が行動してくれないと、私たちがどれだけ抗議をし、どれだけ活動をしても、アメリカという国単位から見れば「ちっぽけな集団が尖ったことを言っているぞ。日本は国として何も言ってないし、あいつらは無視しよう」ということになってしまいます。 <br />
<br />
今回のグレンデール市の設置に関しても日本領事館は慰安婦関連なので「政治・外交問題にしない」を貫いてしまいました。「反対しない=容認」と取られてしまいますので、私たちがどれだけ反対を唱えても、活動が無意味になってしまいます。 <br />
<br />
また、日本政府が動くことにより、多くの日本人は自信を持って正しい歴史認識を世界に主張することができます。 <br />
<br />
韓国政府はウソの歴史を発言し、韓国人もそれにならって自信満々に世界へと語っています。 <br />
<br />
それに比べて、正しい歴史を知る日本が正しい主張をすることに何の落ち度があるというのでしょうか。繰り返しになりますが、「政府がしっかり行動し、世界に対して正しい歴史認識を発言し、国民の後押しをする」ことこそが、私たちなでしこアクションが現在望むことです。 <br />
<br />
最後に、この場を借りまして、実際に会った方や、協力をしてくれているお顔も見ぬ皆様に感謝を伝えたいと思います。これからもどうぞよろしくお願いします。<br />
<br />
== 高齢者売春問題。60代娼婦たち「若いアガシたちのように、日本に体を売りに行くことできない」 ==<br />
最初に答えたのは、紅い口紅とアイシャドーが艶めかしい美形の五十路娼婦だ。<br />
<br />
「2年前までは生活保護をもらいながら、キャリジという手押し車で段ボールを集めていたのよ。でも、生活保護費は49万ウォン(約4万9000円)、それに1カ月間段ボールを集めても、2万5000ウォン(約2500円)にしかならない。それでこの公園で客を引くようになったのよ」<br />
<br />
この娼婦によれば、当時の宗廟公園は、日曜日ともなれば4000人近くの人出があったという。そのため、当局の取り締まりが厳しくなった現在と違い、売春稼業を始めた当初は「客が入れ食い状態だった」というのだ。<br />
<br />
「うまくいけば、月額60万ウォン(約6万円)近くは稼げた。今は稼ぎが減ったけれど、それでも美人のハルモニなら50万ウォン(約5万円)は稼げる。生活できない段ボール集めをしているより、はるかにいい生活ができるのよ」(同)<br />
<br />
また、60代と思しき熟女娼婦たちが口々に言う。<br />
<br />
「60代や70代のお客は、しつこくなくてHも早い(笑)。情に厚くて、月に一度は私を買いに来てくれる。この齢になっても男に抱かれ、生活も潤うとなればやめられないでしょ。若いアガシたちのように、日本に体を売りに行くこともできないし…。ここで商売している人たちは、そんな女ばかりなのよ」(65歳の娼婦) <br />
<br />
「セックスするだけで3度の食事にありつけるなら、何度でもする。韓国の貧乏なハルモニは家賃にも困っているし、生活費にも事欠いている。 <br />
だから売春の値段は、中国や北朝鮮より安いはず。娼婦の中には、『ここは世界で一番セックスの値段が安い場所』という人もいるほどなの」(67歳の娼婦) <br />
<br />
もっとも、こうした熟女娼婦たちの証言から透けて見えるのは、高齢者の多くが貧困に喘いでいるということだ。なぜ、韓国の高齢者たちは、それほど困窮しているのだろうか。<br />
<br />
その原因は、どうやら同国の社会保障制度の脆弱さにありそうだ。韓国事情に詳しい経済アナリストがこう明かす。 <br />
<br />
「実は、韓国は公的年金の歴史が浅く、65歳以上の年金受給者は35%。しかもその平均受給額は、4万4000円と極めて低い。また、生活保護をもらうにも子供やその配偶者に一定の収入があると受けられないばかりか、資格自体が厳しく、なかなか受給できないシステムになっているのです」<br />
<br />
要は、高齢者が安心して社会生活を送れるシステムが根本的に破綻しているのだが、熟女売春婦の急増には無論、崩壊寸前の経済事情も影響を及ぼしている。<br />
<br />
「『サムスン』など10大財閥の収益が軒並み地盤沈下したことで、韓国経済が傾いたが、この煽りを受けた子供世代が親まで扶養できない悲惨な状況に陥っている。また、韓国の高齢化の速度は世界有数。'11年の『OECD』(経済協力開発機構)の調べでは、全人口に対する65歳以上の割合が7%増えるのに要した時間は、日本が12年、米国は27年、韓国はわずか8年と突出しているのです。その高齢者のうち貧困に喘ぐ層は48.6%で、『OECD』加盟国34カ国中トップ。韓国の主要新聞の報道によれば、1日950円という古紙、廃品回収などに携わる高齢者も200万人いると伝えられているのです」(同) <br />
<br />
つまり、経済事情の悪化と世界でもダントツの高齢化の波が、熟女娼婦の急増に拍車を掛けているのである。<br />
<br />
== 橋下市長「朝日や毎日のような主張を言えば政治的中立害さない、というのはおかしい」 ==<br />
--[[NHK]]会長の慰安婦発言で、[[民主党]]が追及の構えだが、市長の見解は<br />
<br />
「民主党はもうちょっと歴史を勉強したほうがいいんじゃないですか。籾井さんが言っていることはまさに正論ですよ。その通りですよ。あの主張に反論なんかできる人なんていないと思いますよ。僕が言い続けてきたことと全く一緒です。あの意見について、まぁ朝日は毎日、メディアは大誤報やってくれて、主語とかすっとばして、正当化したとギャーギャー言っていたが、籾井さんの言っていることは僕がずっと言い続けてきたことで、あの点についてきちっと反論できる人はいないと思いますよ。もっとね、皆さんも含めてね、歴史を勉強しないといけないし、今この時期、この状況になってね、[[中国]]や[[韓国]]のこの状況をみて、歴史というものが外交戦争に使われているということもある。日本は今までそういうことやってこなかった。日本の[[外交官]]もそういうこと言わずに、とにかく相手の気を害さないようにとやってきたが、中国もね、それなりの力を持ってきて、今までのアメリカ一極の世界秩序の中で我慢するような状況でなくなったときには、歴史については主張してきますよ」<br />
<br />
「[[安重根]]の問題だって、韓国の主張だって中国の主張だって、彼らの主張でそういう主張あると思うが、日本であんな主張認められませんよ。歴史は当事者によって主張や認識が違うのはあたりまえ。だから自衛戦争だと言っても相手方から見たら侵略だし、相手が侵略と言ってもこっちからしたら自衛だということもある。でも僕は[[サンフランシスコ講和条約]]を結んだ以上は、世界から侵略戦争と評価されること、言われることについては日本の政治家として受け入れざるを得ないが、その他の歴史問題については、今までのように黙っていたらいいなんてそんなことやってたら、外交戦争に敗北しますよ」<br />
<br />
「どれだけ中国や韓国が今、世界で[[プロパガンダ]]やっているんですか。今まで日本人は相手の気持ちを害してはいけないということで「言うな」「言うな」となりましたが、慰安婦問題は最たるもの。きちっと言わないといけない。日本人として。認めるところは認め、反省するところ反省する。世界から不当な評価受けるようなことについてはしっかり言わないと」<br />
<br />
「[[アメリカ人]]も[[ヨーロッパ]]も、完全に勘違いしている。僕が言っているのは、世界の、国際社会においては価値観は多様化している。一定の価値観を押しつけたって理解はしてくれない。でも世界共通の物差しは、フェアかアンフェアか。慰安婦問題はアンフェアです。日本だけを袋だたきするような世界の態度はアンフェだと言えばいい。戦争は悲惨だし、二度とやってはいけないが、そういう状況の中で、似たり寄ったりのことはどの国だってやっていたし、戦争と性の問題は、どの国だって抱えてきた不幸な歴史なんですよ。そういうことは二度と繰り返さない、今の価値観においてはそんなことあってはならない。だけど、日本だけが不当に袋だたきされているのは何故かというと、日本人が主張してこなかったからだ」<br />
<br />
「慰安婦問題について、どういう問題なのか。[[河野談話]]の問題点とかきちっと言わなかったから。籾井さんの言っていることは至極正当で、民主党はもっと歴史を勉強すべきだし、[[自民党]]の方から批判が出るのは非常に残念です。こういう問題になって必ず出てくる政治的中立性ですよ。出ましたよ、またこれ」<br />
<br />
「政治的中立性ってね、だいたい何か発言したら政治的な価値観は必ず含まれるものでね。メディアからしたら、毎日、朝日にしたら、籾井さんとは慰安婦問題で反対意見だから、ああいう発言をしたら政治的中立性を害するというが、朝日や毎日のような考えだったらあれも政治的な見解ですよ。ひとつのね。籾井さんの考え方も政治的な考え方。僕の考え方も政治的な考え方。もっと言えば、慰安婦問題について、世界から袋だたきにあっても良いという主張も政治的な考え方」<br />
<br />
「だから朝日とか毎日とか、ああいう主張をNHKの会長が仮に言えば、それはまた政治的中立性を害することになる。政治的中立性というのは、権力を使って番組の編集権に介入してくるのが中立性を害するということ。トップが発言すれば、政治的な意味は入ってきます。たまたまそれが、政権側の考え方なのか、朝日新聞や毎日新聞の考え方なのか、どっちかは知りませんが、たまたま今回のような主張を言えば政治的な中立性を害すると言って、朝日や毎日が言っているような主張を言えば政治的な中立性を害さない。そんなのはおかしいです」<br />
<br />
「僕は籾井さんが言っていることは極めて正論。日本人が、特に僕らの世代が籾井さんの考え方を勉強して、反論できるなら反論を考えた方が良い。学校現場で。どこが問題なのか。今まではそういうことを考えることなく、発言すること自体がダメという風潮だったが、非常にね、僕が言ったところで世間はわーっと「橋下が言った」ということでこうなったが、NHK会長で、それなりの経歴のある人がああいうことを言われたということで、日本国民はしっかりここで考えなきゃいけないと思う。発言が悪いというなら、どの部分が悪いのか論理的に言わないといけない。論理的に論破できる人はいないと思いますよ」<br />
<br />
--政治家や新聞社と違い、NHKは放送法で中立が定められている。受信料で成り立っている。NHK会長が発言したことについては政治的に意味ない発言…なんてのはあり得ないのでは?<br />
<br />
「問題ないんじゃないですか。だから、政治的中立性と言うが、政治的に意味のない発言なんてのはあり得ない。何か発言すれば、必ずそこには何か政治的な意味が含まれていて、今まではメディア、特に朝日や毎日がすぐ騒ぐから、彼らが反対するようなことを言わなければ、たまたま何も騒がれなかっただけ。でもそこに政治的な意図は入っていると思いますよ。NHKの番組自体だって、政治的な意図は入っているじゃないですか。慰安婦問題とか、戦争責任を追及した裁判の番組にしたって、番組には必ず政治的な意味っていうのは入っている。でもそれは仕方ない。中立性というものは、現場が何か作るときに政治権力で編集権や番組作るところに介入してくることが問題だが、トップが発言することというのは何ら問題ないと思う。発言したうえで、そのような見解で現場に介入したら問題だと思うが。政治的中立性という言葉も、もうそろそろ、日本人は考えないといけないと思います。何かやろうと思えば、政治的な意味は含まれてくる。政治的中立性というのはどういうことなのかをしっかりしっかり考えないといけない」<br />
<br />
--維新としては国会では問題にする必要ないと?<br />
<br />
「いやどこが問題なんですか籾井さんの発言の。誰もたぶん、論理的に反論できないと思う。僕が言っていることと同じだから、僕だって論理的に批判受けたら論破する自信はあるが、そういう議論の場が与えられなかったから一方的に悪いと言われたが。籾井さんや僕の発言に問題があるならどこかということ。モラル上は悪い、現在は悪い。当時だって、やっていいことかといったらだめなことでしょう。二度とやってはいけない。でも世界各国、当時、戦争時は似たり寄ったりのことはみんな戦場と性の問題は、現代の紛争においてすらずっとある。古代の戦争からずっとあったわけです。そいうことをどうやって止めるかをこれから考えないといけないが、そういうことはあったのは歴史的な事実。日本も反省するが、日本だけが袋だたきに遭っている状況は『違う』ということを言わないといけない。米国だって、こういうことはやってはいけない、やめていこうと、ヨーロッパや米国の価値観だったらそういう。でも現実問題として、[[第二次世界大戦]]とかそれ以降、米国も英国もフランスだって、戦場で女性を性の対象としてみんな利用していた。なぜ日本だけが袋だたきに遭うのか。それは、国家が組織的に女性を拉致した。人身売買した。世界の戦場の性の問題とは特殊なことをやっていたという風に、世界に広まってしまっているから」<br />
<br />
「日本だけが特殊だと批判を受けている。日本だけが本当に特殊なんですか。反省はするし、二度とやってはいけないが、日本がやっていたことだけが世界から袋だたきに遭うような特殊性があったなら、どこが特殊なのかしっかり検証しないといけない」<br />
<br />
「[[韓国]]だって、[[朝鮮戦争]]の時には慰安婦制度をしっかり設けてやっていた。なぜ設けるかと言ったら、強姦が多発するとか、性病が蔓延するといろんな理由でね、慰安婦制度を朝鮮戦争の時に持っていたというのは、韓国の軍事史の中でもはっきり位置づけられている。そういうことを検証せずに日本だけ言われっぱなしで、朝日や毎日などのメディアがずっと日本が悪い、一切発言できないような雰囲気を作ってきたからこういう状況になったけれど、ちゃんと歴史を勉強して、戦場と性の問題、どういう事実が歴史的にあったのか、二度とやってはいけないが、日本だけが袋だたきに遭うというのはどういうことか、日本人は考えないといけないと思いますよ」<br />
<br />
== 韓国への修学旅行で強制的に慰安婦に謝罪させられる日本の高校生達 ==<br />
旅行中、元従軍慰安婦のおばあさんのお話を聞く機会があったんです。<br />
<br />
お話が終わって、信じられないことを私たちは要求されました。司会をしていた男性が「このおばあさんに手をついて謝りましょう」と言ったのです。 <br />
<br />
???、確かにに私たちは日本人だけど、どうして手をついてまで謝らなくちゃいけないんだろうと疑問に思っていたら先生方が「それでは、みんな正座して頭を下げて申し訳ありませんと言いましょう」<br />
<br />
と言いだし、先生が「申し訳ありません」と最初に頭を下げました。 突然のことにみんな少し唖然としていると、「おい、早くしないか!」と先生の怒鳴り声! <br />
<br />
私のクラスのちょっと態度の悪い男の子達が「どうして俺が土下座しなくてはならないのか!」と答えると、体格のいい教師が強引にその生徒を座らせました。 <br />
<br />
その生徒は普段みんなに怖がられている悪い生徒でしたが、このときばかりはみんなその生徒に同調していました。<br />
<br />
一番頭のいい男子生徒が普段は先生に口答えとかしたとこ見たことないのですが、猛烈に先生に 抗議しました。それに同調するかのように「私はしない」「やらない」の声があがり始めもう周りは騒然としました。 <br />
<br />
そうしたら韓国の関係者の方々がなにやら怒りだして先生に怒鳴りつけていました。 元慰安婦のおばあさんが激しい怒った口調で言っています。 <br />
<br />
それからしばらく先生の謝れというのと一部生徒の拒否で口論した後、先生方が<br />
<br />
「土下座ではなく座っていてもいいから頭を下げなさい。おまえ達は 日本の恥を外国で晒す気か!」<br />
<br />
と言って、結局、私たちは頭を下げさせられ「申し訳ありません」と謝りました。私は納得がいかない思いでいっぱいでした。 <br />
<br />
確かに私たち日本人の祖先が過去に韓国の人に苦痛を与えたのかもしれませんがその理由で私たちが土下座をする必要があるのでしょうか? <br />
<br />
これは修学旅行の第一日目におこったことでその後は、もうめちゃくちゃでした。 友達の中には先生に切れてさらに韓国が大嫌いになった人もたくさんいます。 <br />
<br />
こういうこと(謝ること)は普通なのですか?<br />
<br />
== 付け火して煙り喜ぶ朝日新聞。藤岡信勝氏「白旗を掲げつつ進軍ラッパを吹くような卑劣で許しがたい挙に出た」 ==<br />
[[拓殖大学]]客員教授・[[藤岡信勝]]氏 <br />
<br />
世界に広げられた慰安婦問題の解決には、2つのルートしかないと考えてきた。一つは政府による河野談話の撤廃であり、もう一つは、このプロパガンダの製造・普及の責任主体である朝日新聞社が、報道の誤りを認め、公表し、謝罪することだ。<br />
<br />
この度、朝日新聞は自社の慰安婦報道の核心をなす3点の誤りをついに認めるに至った。すなわち<br />
<br />
# 慰安婦を強制連行したとする吉田清治証言を「虚偽だ」と判断し、記事を取り消した<br />
# 女性を戦時動員した女子勤労挺身隊と慰安婦を同一視した記事の誤りを認めた<br />
# 朝鮮や台湾では「軍などが組織的に人さらいのように連行した資料は見つかっていません」と認めた<br />
<br />
の3点である。 <br />
<br />
画期的なことだ。これによって“慰安婦強制連行説”は完全かつ最終的に崩壊した。残るのは「戦地にも遊郭があった」という単純な事実だけである。<br />
<br />
世界中のどの国の軍隊も将兵の性処理システムを持っていた。日本の慰安婦制度は(1)戦場での敵国女性の保護(2)将兵の性病予防-という2つの目的を果たす模範的な制度だった。 <br />
<br />
ところが、朝日新聞は8月5日付1面に[[杉浦信之]]編集担当の「慰安婦問題の本質 直視を」と題する論文を掲載し「私たちはこれからも変わらない姿勢でこの問題を報じ続けていきます」と宣言した。これでは元の木阿弥となる。 <br />
<br />
一体、何が問題なのか。 <br />
<br />
論文は「軍の関与の下でアジア各地に慰安所が作られ、女性の尊厳と名誉が深く傷つけられた」ことが「問題の本質」だと主張する。「女性の尊厳と名誉」なる文言は河野談話からとったのだろうが、慰安所があったことが本質だと言うのだから話にならない。<br />
<br />
付け火して煙り喜ぶ朝日新聞-。<br />
<br />
朝日報道への批判は燎原の火の如く広がっている。今回の異例の検証は、朝日新聞のコアな読者層にまで疑念が広がったことへの危機感の表れではないか。<br />
<br />
だが、朝日は根本的な路線転換を避けている。まるで白旗を掲げつつ進軍ラッパ<br />
<br />
== 声を上げた保守系市民「慰安婦の実像知って」(2014年7月) ==<br />
「慰安婦問題が世界に広まっているのは、[[プロ市民|左派系市民団体]]が[[国連]]に働きかけているのが原因だ。国連に問題があることを多くの人に知ってもらい、立ち上がってほしい」<br />
<br />
東京都内に住む主婦、[[山本優美子]]が今月中旬、[[国連欧州本部]](スイス・ジュネーブ)を訪れたのはこんな思いからだった。<br />
<br />
15、16両日に開かれた自由権規約委員会の対日審査をめぐり、左派・リベラル系の非政府組織([[NGO]])による委員へのロビー活動に可能な限り楔を打ちたいと考えたのだ。<br />
<br />
山本は、国内外での反日活動の阻止を目指す民間グループ「[[なでしこアクション]]」代表でもある。国内では慰安婦問題で事実と異なる意見書などを決議した地方議会、海外では慰安婦碑・像の設置案が浮上している自治体などに対し、手紙やファクス、電子メールで慰安婦の実像を伝えてきた。<br />
<br />
[[平成23年]]に[[インターネット]]上にサイトを立ち上げ、今では世界各地からネットを通じて反日活動の情報をいち早く入手している。<br />
<br />
今回、ジュネーブ入りしたのは、山本をはじめ米カリフォルニア州[[グレンデール]]の慰安婦像撤去訴訟の原告の一人、[[目良浩一]]や、「[[テキサス親父]](おやじ)」の呼び名で知られる米テキサス州在住の評論家、トニー・マラーノら計11人。<br />
<br />
慰安婦問題で日本の名誉を守ろうとする立場の個人・諸団体によって25年7月に結成された連絡組織「慰安婦の真実国民運動」として、国連側に参加を登録した。<br />
<br />
山本は慰安婦問題がなくならないのは「左派系市民団体と国連の間にマッチポンプの関係があるから」とみている。<br />
<br />
左派・リベラル系団体が「日本が慰安婦問題で謝罪していない」などと主張する誤った内容の報告書を人権関係の委員会に届け、委員会はそれを基に日本に謝罪や賠償などを求める勧告を出す。その勧告を使って報告書を書いた団体が日本政府に圧力をかける-という構図だ。<br />
<br />
「国連は人権侵害の被害者側に立つ組織とはいえ、事実を知る必要があるのではないか」<br />
<br />
そう考える山本たちは「慰安婦イコール性奴隷」説を否定する見解をまとめた資料を作成した。[[ビルマ]](現ミャンマー)で米軍に捕らえられた慰安婦たちが、破格の高収入を得て、買い物やスポーツを楽しんでいたと認定した[[1944年]]の米軍報告書や、朝鮮半島での慰安婦募集の広告のコピーなどを説明した資料を添付したものだ。<br />
<br />
山本たちは15日の審査が始まる前のわずかな時間を使い、審査会場に姿をみせた委員たちに「読んでください」といいながら資料を手渡した。<br />
<br />
すると、委員の一人が「慰安婦のことならもう知っている」と反応した。山本は間髪を入れずに「これは違う立場の主張です」と付け加えた。この委員が「知っていること」とは、90年代から左派・リベラルが主張する「慰安婦イコール性奴隷」説だ。彼らの20年以上にわたるロビー活動は国連にすっかり浸透していることがうかがえた。<br />
<br />
そんな山本たちのそばでは、民族衣装「[[チマチョゴリ]]」を着た日本の朝鮮大学校の女子学生らが、朝鮮学校の高校無償化除外問題の資料やDVDを配っていた。さまざまな団体がそれぞれの主張をまとめた資料を委員の机上に置いていく。<br />
<br />
「すでにこんなに資料をもらっている」と困惑顔の委員もいた。国連は熾烈なロビー活動の舞台なのだ。<br />
<br />
== 慰安婦捏造事件への「朝日バッシング」に声あげる~「もの言えぬ社会つくるな」「いまは朝日の応援が大事」 ==<br />
[[2014年]][[9月16日]]、超党派の国会議員が呼びかけた緊急リレートーク「もの言えぬ社会つくるな」は、参議院会館で開かれ各界で活躍する識者15人が登壇した。焦点は「[[朝日新聞]]バッシング」問題。<br />
<br />
「売国奴・国賊という言葉が復活し、週刊誌は儲かる嫌韓路線に転換した。戦前と同じ状況」([[篠田博之]])、「戦争ファシズムはすぐ来るのではなく初期は反対派の排除から始まる。いまはその段階」([[五野井郁夫]])、「誤報はどの社もある。朝日叩きは自分に跳ね返る。全メディアが萎縮し権力が暴走することが心配」([[森達也]])。<br />
<br />
急速な右傾化への危機感が会場を包んだ。そして異口同音に強調されたのは「いまは朝日を応援することが大事」ということだった。<br />
<br />
「慰安婦」問題に詳しい[[渡辺美奈]]さんは、世界の世論をつくったのは吉田証言ではなく[[1991年]]のキムハクスンさんだったこと、[[2007年]]の狭義の強制を否定した安倍発言が現在の国際非難の原因をつくったことなどを指摘し、朝日バッシングの虚偽性を鋭く批判した。<br />
<br />
'''参加者'''<br/><br />
* [[渡辺美奈]] - 女たちの戦争と平和資料館〔WAM〕事務局長<br />
* [[北原みのり]] - ラブピースクラブ主宰<br />
* [[黒澤いつき]] - 明日の自由を守る若手弁護士の会共同代表<br />
* [[伊藤和子]] - [[弁護士]]、ヒューマンライツ・ナウ事務局長<br />
* [[永田浩三]] - [[武蔵大学]]教授<br />
* [[前田朗]] - [[東京造形大学]]教授<br />
* [[篠田博之]] - 月刊「創」編集長<br />
* [[新崎盛吾]] - 新聞労連委員長<br />
* [[内田浩]] - 出版労連書記次長<br />
* [[清水雅彦]] - [[日本体育大学]]教授<br />
* [[中野晃一]] - 立憲デモクラシーの会呼びかけ人<br />
* [[森達也]] - 映画監督<br />
* [[海渡雄一]] - 弁護士<br />
* [[五野井郁夫]] - [[高千穂大学]]准教授<br />
* [[佐高信]] - [[週刊金曜日]]<br />
<br />
'''9.16集会のお問い合わせ・連絡先'''<br/><br />
* [[白眞勲]]事務所<br />
* [[有田芳生]]事務所<br />
* [[神本美恵子]]事務所<br />
* [[仁比聡平]]事務所<br />
* [[福島みずほ]]事務所<br />
<br />
'''ネット反応'''<br/><br />
* 見事にクズばっかww<br />
* なんかもう、お決まりの顔ぶれだな。<br />
* 分かりやすく酷いメンツww <br />
* 朝日のは誤報ではなく捏造だろ<br />
* 虚言を糊塗しようと必死みたいだな <br />
* 朝日叩きも言論だろ?どっちがもの言えぬ雰囲気に甘えてきたんだよ。 <br />
* 慰安婦とか原発とかの議論を許さない、ものいえぬ社会作ったのはアカヒだろ <br />
* どれだけ日本に損害をもたらしてると思ってんだよこのバカどもは。 <br />
* 捏造賛成かよwww <br />
* 捏造を肯定するバカな識者15人 <br />
* なんで、「ねつ造報道を許すな」って発想にならないんだろ?とくに森達也。<br />
* 誤報はしょうがないけど捏造は叩かれても当然 <br />
* もの言えぬじゃない。捏造記事を世界に発信してきた売国企業だぞ <br />
* 朝日の捏造によって日本国民の名誉が傷つけられたときはダンマリ、むしろ推奨。朝日が批判されたら言論弾圧ニダ!!とわめくブサヨ。 <br />
* 事実と偽って捏造を撒き散らす自由とかあるん?<br />
* 「誤報に対して謝罪するようになったら萎縮して報道が出来なくなる!」一般人からしてみればまさしく「はぁ?」だわ。自分の言葉に責任もてなくて何がジャーナリストだよ。<br />
* ソース見たらどこかのアホは「誤報はどこにでもある」とか言ってますがここまで国が毀損された誤報はそれじゃあ済まないでしょう。まったくサヨクてアタマがおかしい、日本が嫌いなら出て行けばいいのに。<br />
* 誤報じゃねーし。ある意図を持って情報を捩曲げるのは非難されて当然。コラム掲載拒否や広告の黒塗り掲載。朝日の捏造に対して声をあげられない社会を目指すのかと。<br />
* 朝日については記者のモラルとかそういうレベルじゃなくて、報道機関としての適格性が問われてるってわかんないのかな?<br />
* 粉臭い連中ばっかだな<br />
* こんな連中にしか応援されないアカヒ新聞www <br />
* 捏造してバッシングを受けてるくせに、誤報は誰にでもある、萎縮するだと?お前らのせいでメディアの信頼性が地に落ちたという認識がまるでない。開き直りと逆ギレと責任転嫁が日本人のメンタリティと明らかに違う。<br />
* むしろ間違いを犯したのであればそれ相応の行動を取れって言われてるんだから、ものをいえぬ社会とか関係ないと思うけどな。つーかこの件でその話をするとそっちの方が「黙ってろ」と言うような。所謂言論封殺に当たるんだけど。<br />
* 嘘八百で日本を貶めてた連中を応援ですか?日本の悪口言えれば嘘だろうと何だっていいって自白してるようなもんだ。<br />
* >「もの言えぬ社会つくるな」嘘言えぬ、だろ <br />
* さんざん言ってきて自分たちが言われる側になったら「もの言えぬ社会つくるな」だって。それが「もの言えぬ社会」だろ反論があるなら反論しろクソみてえな事言ってないで。<br />
* 嘘しか言えないからものが言えなくなるんですね、分かります。 <br />
* 朝日擁護の彼らはまるで朝日新聞が被害者みたいな主張展開してるけど、アレ加害者だから。何もかも根本的に間違ってる。<br />
* 捏造に対して謝罪しない、撤回しないことに抗議してんのに、それを擁護しちゃったらダメでしょ <br />
* 朝日応援団弱すぎワロタwwww <br />
* むしろ朝日含めたメディア批判もできる今ってまさに「モノ言える社会」じゃん。 <br />
* ほんの20年前までは、新聞に読者投稿の葉書送って採用されるか、街頭でビラ配りながらわめく以外に個人がモノ言うこと出来なかったのにな。現在はモノ言える社会だわ。<br />
* 物が言えない社会ってなんだろう?朝日みたいに、大嘘を何十年も世界に喧伝する社会?そんなの要らねえよ。<br />
* この手の連中に応援されても全く支援にならないのにね。自分達が嫌われ者って理解してないのかよ。<br />
* 何故バッシングされるか考えたことあるのか?www <br />
* 朝日新聞の言論弾圧に加担してるに等しいな。こんなアホな連中が進歩的とか名乗ってるから衰退するんだろう。<br />
* つまりこいつ等の主張は捏造して誰かを貶めてもいいと言う事だなw<br />
* 国家による言論弾圧はもちろん許されないが、報道機関による言論弾圧ももちろんダメなんだよ。自分たちだけにその権利があるとでもいうのか?内省の足りなさ、これに尽きるんだよ。<br />
* 嘘・捏造が批判されてる話を、言論弾圧だの思想批判だのと問題点をすり替える。朝日擁護はそんなのばかり。だからなおさら批判される。 <br />
* 朝日というかマスゴミを批判するなってそれこそ「もの言えぬ社会」だと思うけど?<br />
* ものいえぬ社会だったから朝日の嘘が罷り通ってきたんだろうがよ <br />
* 批判とバッシングをいっしょにすんな。批判されるべくして批判されてんだろうが。むしろなんでもかんでもバッシングとかヘイトスピーチとかレッテル貼りして封殺しようとしてるのが怖いわ<br />
* 誤報じゃなくて捏造だしなぁwやってないのにやった事にされて文句言ってるのにバッシングとか意味不明w <br />
* マスゴミが嘘をつけない社会になればいいとおもうのだが、こいつらは詐欺師が暗躍する社会を求めているみたいだな。<br />
* 嘘つきを庇うのは同類と相場は決まってる。自分達の嘘がばれたり嘘がつけなくなるから必死だな。<br />
* 物言えぬ社会。池上はじめ朝日批判の言論封殺したのはだれよ?<br />
* 普段権力を叩いてるやつほど朝日を擁護するな。マスコミも第四の権力と言われているのにな。<br />
* 今産経の記者を拘束してる韓国政府に抗議した方が良いんじゃね? <br />
* 朝日新聞のねつ造はマスコミの力を利用したファシズムだろ<br />
* 捏造を擁護する声を上げるの?そんな自由は行使しないでくれ。真実を追究する声を上げろ。<br />
* 真実を語れなくしていた張本人が他でもない朝日だというのに寝ぼけるのも大概にしておけよ<br />
* 盛大にやらかしたんだから批判されない方がおかしい。批判もできない「もの言えぬ社会」をお望みか?<br />
<br />
== 元慰安婦への聞き取り映像を一部公開した韓国団体の計算と思惑 ==<br />
韓国で戦後補償問題に取り組む太平洋戦争犠牲者遺族会(梁順任会長)が2014年9月15日、日本政府が[[平成5年]]7月にソウルの遺族会事務所で行った元慰安婦16人への聞き取り調査の映像を一部公開した。<br />
<br />
遺族会は今回、非公開を約束していたものを一方的に公開した形だ。<br />
<br />
「[[安倍政権]]が談話を極度に傷つけているため、証言の証拠が存在することを知らせる」<br />
<br />
遺族会は映像公開の理由について、こう説明した。おそらく政府が2014年6月20日、根拠なく慰安婦募集の強制性を認めた[[河野談話]]の作成過程を検証した報告書を公表したことが一つのきっかけだ。談話が日韓合作だったことや、聞き取り調査実施以前に原案ができていたことが明らかになったのが気に入らなかった。<br />
<br />
もっとも、非公開とされてきた聞き取り調査の中身については、産経新聞が非公開の政府文書を入手し、2013年10月16日付朝刊ですでに「元慰安婦報告書 ずさん調査」「氏名含め証言曖昧」と詳細に報じている。<br />
<br />
一方で遺族会が今回初めて公開した映像は、5日間にわたる調査をわずか約17分に編集していた。9月17日付読売新聞朝刊によると、「キム・ボクソン」と「ユン・スンマン」と名乗る2人の女性がそれぞれの体験を証言する内容だ。<br />
<br />
ちなみに、遺族会は平成3年12月に日本政府を相手取って慰安婦賠償訴訟を起こした当事者団体であり、調査対象16人のうち裁判の原告が5人いた。政府の聞き取り調査報告書では、キム氏は裁判の原告と記されており、ユン氏は遊郭はあっても軍専用の慰安所などなかった大阪や下関で働いたと証言している。<br />
<br />
「(遺族会が)一部だけを公開したことは理解に苦しむとともに大変遺憾だ」<br />
<br />
[[菅義偉]]官房長官は9月16日の記者会見でこう不快感を表明した。全体のごく一部が切り取られた映像が独り歩きし、元慰安婦の証言が遺族会の都合のいいように広まっていくことに懸念を覚えたからではないか。<br />
<br />
聞き取り調査実施直前の平成5年7月、遺族会事務所で梁氏と事前の打ち合わせをした日本政府関係者は、政府の慰安婦問題に関する調査について、梁氏から繰り返しこう要求されている。<br />
<br />
「裁判のために作成した重要な資料である訴状を、当然、参考資料として使用するべきである」<br />
<br />
また、聞き取り調査中のビデオ撮影に消極的な日本側に対し、梁氏はこう強調していた。<br />
<br />
「外部に公表するためにビデオを入れるわけではない。あくまでも遺族会の記録とする」<br />
<br />
さらに日本側が慰安婦問題の調査目的について「歴史を明らかにし、真相究明を行うことだ」と説明すると、梁氏はこう反論した。<br />
<br />
「歴史を明らかにして何が残るのか。責任はどうなるのか。罪の意識はないのか」<br />
<br />
こうした梁氏の強引で赤裸々な主張に対し、政府関係者は「慰安婦問題について今後の裁判、日本への補償要求につなげていく意図も随所に見られる」ときちんと分析していた。<br />
<br />
にもかかわらず聞き取り調査は遺族会ペースで進み、今になって勝手に一部映像を公開された。日本の対韓事なかれ主義は、政府が一民間団体にすら手玉に取られる結果を生んでいる。<br />
<br />
== 慰安婦に対する海外の認識 ==<br />
=== 韓国 ===<br />
2004年2月、韓国国内で挺身隊(韓国では慰安婦の意)をテーマにした映像・写真集が民間業者によって企画・撮影されたが、被写体の女性が上半身裸であったことから「商業的[[ヌード]]に挺身隊のイメージを利用するのは冒涜だ」と市民から猛抗議が起きた。結果、企画は中断されることとなったが、未だに韓国で慰安婦問題が大きな問題として存在していることを象徴する事件であった。<br />
<br />
==== 韓国「慰安婦事業」予算、2.3倍に増額(2014年1月) ====<br />
韓国女性家族省は27日、従軍慰安婦関連の事業予算を2014年度(1~12月)、昨年度比2.3倍の45億8700万ウォン(約4億3400万円)に増額したと発表した。<br />
<br />
ここ数年では最多。広報予算を大幅に増やし、慰安婦問題を国内外でアピールする狙いがある。<br />
<br />
同省によると、「被害者の名誉回復、歴史意識の向上事業」に、予算全体の約7割に当たる33億8300万ウォン(約3億2000万円)を配分した。主な事業としては、国内2か所の慰安婦関連施設の建設に7億ウォン(約6600万円)を投じる。<br />
<br />
==== 「日本軍は私たちを生き埋めにし、自殺強要した」慰安婦でたらめ証言、韓国HPで子供向けに ====<br />
韓国・女性家族省の公式ホームページに掲載されている慰安婦問題を扱ったコーナーで、真偽が明らかでない元慰安婦たちの証言がそのまま真実のように扱われ、子供たちの教育資料として使われていることが5日までに分かった。<br />
<br />
同省のサイト内にある「日本軍慰安婦歴史館」には、子供たちにも慰安婦問題を分かりやすく理解してもらおうと、写真やアニメーションなどを使って制作された「おばあさんの一生」という動画コーナーがある。<br />
<br />
このコーナーでは、アニメで元慰安婦のおばあさんが登場し、「日本軍慰安婦とは何ですか」「“慰安婦”たちはどのようにしてどこへ行ったのですか」といった子供の質問に答える形で、慰安婦問題を説明している。<br />
<br />
その内容をみると、慰安婦については「日本軍の性的奴隷になった女性たちをいう」と定義した上で、「日本の軍人に虐待されて死に、生きて帰ってきた人は多くなかった」と証拠もなく、真偽が疑われる内容をそのまま紹介。また、「[[朝鮮総督府]]が警察と憲兵などを動員して暴力的に女性たちを強制的に連れて行ったりした」と説明している<br />
<br />
さらに「拒否すれば鞭で打たれ、徹底的に日本軍が監視していたので逃げるのも難しかった」「日本軍は性犯罪の残虐性が世の中に知られるのを恐れ、戦争に負けると同時に私(慰安婦)たちを生きたまま土に埋めたり、自殺を強要するなどさまざまな方法で殺そうとした」などと、明白なでたらめや史実を脚色した内容も含まれていた。<br />
<br />
日韓問題に詳しい日本の専門家は「慰安婦問題については、韓国政府やマスコミが元慰安婦の支援団体『挺身隊問題対策協議会』などによる“日本たたき”に同調し、事実を誇張したり、脚色したりして国民や国際社会に伝えている実情がある。そのため韓国民は、日本政府が公式に慰安婦の存在と責任を認めていることなどを知らされておらず、問題解決を難しくする一因となっている」と指摘している。<br />
<br />
=== モンゴル ===<br />
[[中国]]・[[内モンゴル自治区]]出身の文化人類学者で、現在は日本に帰化して[[静岡大]]の教壇に立つ大野旭(ペンネーム・楊海英)教授から近著が送られてきた。書名は『モンゴル人ジェノサイドに関する基礎資料(5)』(風響社)といい、モンゴル人女性たちが中国人から受けた性的被害を記した記録である。<br />
<br />
添えられた手紙にはこうしたためられていた。<br />
<br />
「[[朝日新聞]]による(慰安婦報道の)でっちあげとは異なり、私は長年にわたって調査研究してきております」「戦時ではなく、平時における中国政府と中国人による性犯罪をこれから、国際社会は裁くべきだ」<br />
<br />
大野氏が調べた中国政府の公式見解によると、[[文化大革命]]時に内モンゴル自治区では34万人が逮捕され、2万7000人が殺害されたほか、12万人が身体に障害が残る傷を負った。当時、自治区で暮らしていた[[モンゴル人]]の実に50人に1人が殺された計算となる。<br />
<br />
そしてその過程で、「(妊娠中の女性に対し)手を陰部から入れて子宮から4カ月になる胎児を引き出した」「女性の下着を脱がせて、水に漬かった麻縄で会陰部を前後に鋸のように引く」(ともに同書から引用)などの残虐行為が繰り返されたのだという。<br />
<br />
こうした原体験を持つモンゴルでは、[[韓国]]などが非難する慰安婦問題はどう映るのか。大野氏に聞くと、こんな答えが返ってきた。<br />
<br />
「先の大戦では、戦勝国側も日本と似たシステムで女性の性を利用していた。韓国も[[ベトナム戦争]]時に戦場の性の問題を起こしており、それを封印して慰安婦問題で日本批判のキャンペーンをするのは国際的に公正ではない」<br />
<br />
「中国はモンゴルだけでなく[[チベット]]、[[ウイグル]]でも平時に性的犯罪を行っている。それに対して謝罪も賠償もされていない。それを省みず、日本だけを批判するのは問題だ」<br />
<br />
物事は第三者の立場でみると理解しやすい。韓国の[[朴槿恵]]大統領は[[バイデン米副大統領]]と会談した際、「[[安倍晋三]]首相の歴史認識が変わらない限り、会っても成果がない」と述べたとされる。もっと謙虚に歴史を直視すべきだろう。<br />
<br />
慰安婦問題では、日本の軍・官憲が組織的に韓国人女性を強制連行した資料・証拠は何も見つかっていない。この点について大野氏は「かなりいいかげんな話だ。一方、私の本は被害者、加害者双方の名前入りの中国政府に事実認定された1次資料だ」と語った。<br />
<br />
また、大野氏は「戦後、[[満州]]などから引き揚げた日本人居留民が朝鮮半島や中国で受けた犯罪を、日本はずっと不問にしてきた」と指摘し、日本のメディアのあり方にも矛先を向けた。<br />
<br />
「慰安婦問題が政治問題化したのは朝日の偏向報道がきっかけであり、それに一部の左派研究者もくみした。彼らは中国が私たちマイノリティー(少数民族)に対してやったことは正面から取り上げない。それはフェアじゃない」<br />
<br />
大野氏の労作は、現在進行形の犯罪には頬かむりし、事実関係の怪しい過去の掘り起こしに血道をあげることの愚かさを教えてくれる。<br />
<br />
=== 欧米 ===<br />
欧米の研究者は慰安婦を“性奴隷”として捉えている人物が多い。ジョージ・ヒックスの著作”The Comfort Women”はその信憑性が破綻している吉田証言に依拠していると言われ、アンドルー・ゴードンはヒックスを重視してまとめたという。国連報告をまとめた[[クマラスワミ報告]]も参考文献はヒックスのみに依拠しているという。また、同じく国連で報告書をまとめた[[マクドゥーガル報告書]]は慰安所を等しくレイプセンターと呼び、慰安婦20万のうち3分の4の朝鮮人慰安婦が死んだとしていることについて「アジア女性基金」は自民党代議士の放言に過ぎず、まったく根拠のない主張と批判している。さらに、吉見義明はマクドゥーガルが政府調査に基づくと報告した中で実際に政府資料にない箇所を本人を前に指摘したが、マクドゥーガルは無視したという。<br />
<br />
国連の他の問題においても性奴隷という言葉が用いられるが、1992年以降、日本弁護士連合会は、NGOと共に国連において慰安婦問題を性奴隷として扱うように働きかけ、1993年のウィーンの世界人権会議において性的奴隷制という用語が国連で採用されたのが始まりであると語っている。<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{脚注ヘルプ}}<br />
{{Reflist|2}}<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
=== 政府・軍関係 ===<br />
* [[慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話]](「河野談話」)<br />
* [[軍慰安所従業婦等募集に関する件]]<br />
* [[女性のためのアジア平和国民基金]]<br />
* [[戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案]]<br />
* [[白馬事件]]<br />
=== 政策・施設 ===<br />
* [[慰安所]]<br />
* [[ナヌムの家]]<br />
* [[特殊慰安施設協会]]<br />
=== 裁判・法律関係 ===<br />
* [[アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件]]<br />
* [[釜山従軍慰安婦・女子勤労挺身隊公式謝罪等請求訴訟]]<br />
* [[女性国際戦犯法廷]](日本軍性奴隷制を裁く2000年女性国際戦犯法廷)<br />
* [[高木健一]]・[[福島瑞穂]]<br />
* [[芸娼妓解放令]]<br />
=== 国連関係 ===<br />
* [[クマラスワミ報告]] ・[[マクドゥーガル報告書]]<br />
=== 歴史認識 ===<br />
* [[強制連行]]・[[性的奴隷]]・[[人身売買]]<br />
* [[歴史修正主義]]・[[否認主義]]<br />
* [[自虐史観]]・[[オーラル・ヒストリー]]<br />
* [[歴史教科書問題]]<br />
* [[戦争犯罪]]・[[日本の戦争謝罪発言一覧]]<br />
=== 元慰安婦 ===<br />
* [[金学順]]・[[李容洙]]・[[姜徳景]]<br />
* [[金君子]]・[[金順徳]]・[[李玉善]]<br />
* [[鄭書云]]・[[文玉珠]]・[[ジャン・ラフ・オハーン]]<br />
=== 強制連行肯定派 ===<br />
* [[吉田清治 (文筆家)|吉田清治]] ・[[吉見義明]]<br />
* [[マイク・ホンダ]]・[[岡崎トミ子]]・[[上杉聰]]<br />
* [[VAWW-NETジャパン]]・[[辛淑玉]]<br />
=== 強制連行否定派 ===<br />
* [[秦郁彦]]・[[西岡力]]・[[小林よしのり]]<br />
* [[中村粲]]・[[板倉由明]]・[[上杉千年]]<br />
* [[櫻井よしこ]]・[[中西輝政]]・[[池田信夫]]<br />
* [[李栄薫]]・[[池萬元]]・[[金完燮]]・[[安秉直]]<br />
* [[新しい歴史教科書をつくる会]]・[[藤岡信勝]]・[[西尾幹二]]<br />
=== 比較項目 ===<br />
* [[売春]]・[[妓生]]・[[遊女]]<br />
* [[青線#公娼と私娼|公娼]]・[[赤線]]・[[遊廓]]・[[女衒]]<br />
* [[セックスワーカー]]<br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
=== 政府資料 ===<br />
{{Refbegin}}<br />
* 「[[女性のためのアジア平和国民基金]]」(編)『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』 [[龍溪書舎]] 1997年3月20日<br />
{{Refend}}<br />
<br />
=== 慰安婦制度の批判論者の文献 ===<br />
{{Refbegin}}<br />
* 大韓民国の物語 [[李榮薫]]著 永島広紀訳 文藝春秋 2009/02 ISBN 4163703101<br />
* 韓国挺身隊問題対策協議会・挺身隊研究会 (編集)、従軍慰安婦問題ウリヨソンネットワーク (翻訳) 『証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち』 [[明石書店]] (1993年11月) ISBN 9784750305486<br />
* [[千田夏光]] 『従軍慰安婦―"声なき女"八万人の告発』([[双葉社]]1973年)、[[三一書房]] 1978年 9月 ISBN 9784380780127<br />
* [[吉田清治 (文筆家)|吉田清治]] 『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』 三一書房 1983年1 月 ISBN 4380832317<br />
* [[吉見義明]] 『従軍慰安婦資料集』 [[大月書店]] 1992年12月 ISBN 9784272520251<br />
* 吉見義明 『従軍慰安婦』 [[岩波新書]] 1995年 4月 ISBN 4004303842<br />
* 吉見義明 ・川田文子 『「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実』 [[大月書店]] 1997年 6月 ISBN 4272520504<br />
* 吉見義明・林博史他 『共同研究日本軍慰安婦』 大月書店 1995<br />
* [[倉橋正直]] 『従軍慰安婦問題の歴史的研究』 共栄書房 1994年<br />
* [[ジョージ・ヒックス]] 『性の奴隷従軍慰安婦』 三一書房 1995<br />
* [[池田恵理子]]他 『慰安婦戦時性暴力の実態1:日本・台湾・朝鮮編』 緑風出版 2000<br />
* 池田恵理子他 『慰安婦戦時性暴力の実態2:中国東南アジア太平洋編』 緑風出版 2000<br />
* [[朱徳蘭]] 『台湾慰安婦関係資料集』第1巻・第2巻 不二出版 2001<br />
* [[尹明淑]] 『日本の軍隊慰安所制度と朝鮮人軍隊慰安婦』 明石書店 2003<br />
* [[鈴木裕子]] 『日本軍「慰安婦」関係資料集成』上下 明石書店 2006<br />
* [[アジア女性資料センター]]編 『「慰安婦」問題Q&A編―「自由主義史観」へ 女たちの反論』 明石書店 1997<br />
* ゲイ・J. マクドゥーガル他著、バウネットジャパン訳『戦時・性暴力をどう裁くか―国連マクドゥーガル報告全訳』凱風社 2000<br />
* [[国際法律家委員会]]著 『国際法からみた「従軍慰安婦」問題』 明石書店 1995<br />
* [[ VAWW-NETジャパン]]他著『裁かれた戦時性暴力―「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」とは何であったか 』白沢社 2001<br />
{{Refend}}<br />
<br />
=== 慰安婦制度を問題視することに否定的な論者の文献 ===<br />
{{Refbegin}}<br />
* [[秦郁彦]] 『慰安婦と戦場の性』 [[新潮社]] 1999年6月 ISBN 4106005654<br />
* [[藤岡信勝]]『自虐史観の病理』[[文藝春秋]]<br />
* [[西岡力]]『よくわかる慰安婦問題』[[草思社]]<br />
* [[西岡力]] 『日韓「歴史問題」の真実 「朝鮮人強制連行」「慰安婦問題」を捏造したのは誰か』 [[PHP研究所]] 2005年6月 ISBN 9784569643168<br />
* [[阿部晃]] 『日本人なら知っておきたい「慰安婦問題」のからくり』 [[夏目書房]] 2005年5月 ISBN 9784860620394<br />
* [[大師堂常慰]] 『慰安婦強制連行はなかった―河野談話の放置は許されない』 [[展転社]] 1999年 2月 ISBN 9784886561633<br />
* [[黄文雄 (評論家)|黄文雄]]『「従軍慰安婦」問題』[[WAC]]<br />
{{Refend}}<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
=== 韓国軍 ===<br />
* [http://www.tamanegiya.com/kannkokugunniannfu-.html 韓国軍にも慰安婦制度]<br />
<br />
=== [[外務省]]関係 ===<br />
* [http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/pdfs/im_050804.pdf いわゆる従軍慰安婦問題について(平成5年8月4日)(PDF)]<br />
* [http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/ianfu.html 従軍慰安婦問題に対する日本政府の施策(平成19年4月) ]<br />
* [http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kato.html 朝鮮半島出身者のいわゆる従軍慰安婦問題に関する加藤内閣官房長官発表(平成4年7月6日)]<br />
* [http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kono.html 慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話(平成5年8月4日)]<br />
* [http://www.awf.or.jp/ アジア女性基金] '''政府調査の資料'''<br />
* 「「従軍慰安婦」関係資料集成」1~5<br/>[http://www.awf.or.jp/program/index.html 入り口]・[http://www.awf.or.jp/program/pdf/ianfu_1.pdf 1]・[http://www.awf.or.jp/program/pdf/ianfu_2.pdf 2]。[http://www.awf.or.jp/program/pdf/ianfu_3.pdf 3]・[http://www.awf.or.jp/program/pdf/ianfu_4.pdf 4]・[http://www.awf.or.jp/program/pdf/ianfu_5.pdf 5]<br />
* [http://www.awf.or.jp/woman/pdf/ianhu_wa.pdf 「慰安婦」問題とアジア女性基金]<br />
<br />
=== 慰安婦制度批判派のサイト ===<br />
* [http://www.truetruth.org/etc/japaness.htm 韓国挺身隊研究所](日本語・文字化け有り/他に英語、ハングル)<br />
* [http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Ocean/3716/nanum_00.html ナヌムの家・日本軍「慰安婦」歴史館]<br />
* [http://www1.jca.apc.org/vaww-net-japan/ 「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク(VAWW-NETジャパン)]<br />
* [http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/index.html 日本の現代史と戦争責任についてのホームページ 林 博史(関東学院大学教授)]<br />
** [http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/12paper.htm#%88%D4%88%C0%95w 日本軍慰安婦問題/軍隊と性暴力」論文リンク集]<br />
** [http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper32.htm 「従軍慰安婦」に関する新史料を発見]<br />
* [http://dmoz.org/Society/Issues/Warfare_and_Conflict/War_Crimes/Japan/Comfort_Women/ Comfort Women] (オープンディレクトリー: Society: Issues: Warfare and Conflict: War Crimes: Japan)(英語)<br />
<br />
=== 強制連行否定派のサイト ===<br />
* [http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jog/jogix0.htm#070.15_従軍慰安婦問題 070.15 「従軍慰安婦」問題](国際派日本人養成講座)<br />
<br />
=== リンク集 ===<br />
* [http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/sp/sp-ianfu.html SPリンク集 従軍慰安婦問題リンク集]<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:いあんふ}}<br />
[[Category:慰安婦問題|*]]<br />
[[Category:歴史教科書問題]]<br />
[[Category:日韓関係]]<br />
[[Category:日米関係]]<br />
[[Category:在韓米軍]]<br />
[[Category:日本の戦後処理]]<br />
[[Category:戦争における女性]]</div>
Fromm
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E5%A4%AA%E9%83%8E&diff=359836
山本太郎
2018-09-10T11:13:53Z
<p>Fromm: </p>
<hr />
<div>[[Image:山本太郎1.jpg|400px|thumb|山本 太郎]]<br />
'''山本 太郎'''(やまもと たろう、[[1974年]](昭和49年)[[11月24日]] - )は、[[日本]]の[[俳優]]、[[タレント]]、反原発活動家で「新党 今はひとり」党首。[[兵庫県]][[宝塚市]]出身。<br />
<br />
所属事務所はネスト ([[1991年]] - [[1998年]])・[[シス・カンパニー]] ([[1998年]] - [[2011年]][[5月27日]])を経て、[[フリーランス]] ([[2011年]][[5月28日]] - )。<br />
<br />
== 来歴 ==<br />
[[箕面自由学園高等学校]]在学中に『[[天才・たけしの元気が出るテレビ!!]]』の「[[ダンス甲子園]]」出場がきっかけとなりTV界入り。<br />
<br />
出演時のグループ名は「アジャコング&[[戸塚ヨットスクール|戸塚ヨットスクールズ]]」。ちなみにこのグループ名にも入っている戸塚ヨットスクールズの由来は本人が小さいころに、いたずらをすると必ず母に「戸塚ヨットスクールに入れるぞ!!」と言われていて、「なんとなくつけた」と本人が語っている。オイルを塗った逞しい身体に、その時々の「Q(メロリンQやダブリQなど)」を油性ペンで胸に書き、際どい競泳パンツ、黄色の競泳帽姿に[[ステッキ]]というアイテムで、[[ボディビル]]の様なポーズでヘヴィメタルバンド[[ジューダス・プリースト]]の代表曲『ペインキラー』をバックに迫り来るような奇妙なダンスを踊り、締めに「Q!」と叫ぶ。強烈なパフォーマンスや、当時再ブレイクし始めていた[[ポール牧]]の指パッチン等で注目を浴びる。一方、山本自身は遊び感覚で出演していたが、「あんな裸踊りをさせるような学校には通わせられない」と保護者から学校に苦情が寄せられたことで親や学校との関係が悪くなりながらも出演するなど、苦労も多くイジメの被害者になった事もあったという。本人も当時ネタにしている通り、高校を留年し(のち中退)、そこから「ダブリQ!」を編み出した。<br />
<br />
当初はデビューの経緯もあり、[[バラエティ番組]]向けのタレントであったが、トーク下手であったなどから一発屋で終わるかと思われた。しかし役者として、田舎の気のいいあんちゃんなど肉体派でありながら、どこか素朴さを持つ優しく真面目な面と、ヤクザの若頭などの強面も出来る面が定着。ドラマなどで俳優としての起用が増える。以来50本以上の映画、ドラマ等にて俳優として多方面にて出演。演じる役のほとんどが関西出身の設定であるため(本人も関西出身である)、関西弁で演じている。<br />
<br />
[[テレビドラマ]]出演デビューは[[1992年]](平成4年)の『[[しあわせの決断]]』で、[[1996年]](平成8年)には[[日本放送協会|NHK]][[連続テレビ小説]]『[[ふたりっ子]]』にヒロインの相手役である海東壮平役で出演。[[2000年]](平成12年)の映画『[[バトル・ロワイアル (映画)|バトル・ロワイアル]]』では重要な役柄を演じた。特に『[[難波金融伝 ミナミの帝王]]』シリーズの出演回数は20本を超えている。2004年にはNHKの大河ドラマ『[[新選組!]]』に登場するなど時代劇役者としても活躍している。また、NHK教育のトーク番組『[[トップランナー]]』では[[2005年]](平成17年)から[[2008年]](平成20年)まで司会を務めた。<br />
<br />
近年は[[NEC]]の『[[LaVie]]/[[VALUESTAR]]』のドラマ[[コマーシャルメッセージ|TVCM]]にて、[[玉木宏]]と共演している。<br />
<br />
また2003年には、同年12月に開催された「[[サントリー1万人の第九]]」第21回公演に、一般の合唱参加者に混じって、テノール・パートにて合唱出演。当時「第九」はおろかクラシック音楽を歌うこと自体初めてだったという自身の公演本番に至る奮闘ぶりは、後日に放映された「1万人の第九」ドキュメンタリー『1万人の第九 山本太郎「第九」を歌う』にて紹介された。<br />
<br />
[[2011年]]4月、反原発運動を開始。同年5月末には所属事務所を退社。6月には退社前に決まっていたミュージカルに出演したが、その後、俳優としての目立った活動はない。<br />
<br />
[[2012年]]4月16日、太陽光発電施工事業を展開する株式会社ソーラーリフォーム(横浜市)に就職することが明らかになった。同月18日、入社した。週5回、法人を相手に、太陽光発電を売り込む営業を担当するとみられる。同社からは芸能活動継続の許可を得ているという。<br />
<br />
2012年5月29日、結婚したことをTwitterで発表した。相手は18歳年下の一般女性で、2年前に友人として出会っていたが2012年4月の終わりに再会し、1か月経たないうちに結婚を決めたという。<br />
その後の報道等で結婚相手はプロサーファーの割鞘(わりさや)朱璃と判明した。<br />
しかし同年8月に<br />
離婚していたことを<br />
1年後の8月6日に語っていた<br />
DVから守るためにしたとのこと<br />
2012年7月17日、株式会社ソーラーリフォームとの契約が満了し、同社を退社した。退社理由は、本業が忙しくなったためとしている。<br />
<br />
2012年12月1日、[[第46回衆議院議員総選挙]]に出馬を表明し、「新党今はひとり」を立ち上げると表明した。最終的には、[[東京都第8区|東京8区]]から無所属([[日本未来の党]]・[[社会民主党]]推薦)で出馬。おもに反原発、反TPP等を訴え、71,028票を獲得するも次点で落選した。<br />
<br />
== 人物・エピソード ==<br />
* 近年は政治的発言が目立つ。後述のように反原発を主張しており、様々な政治的活動に積極的に参加している。反原発派を中心に支持者が多く、社民党の福島みずほ氏との関わりもある。<br />
* 趣味は[[サーフィン]]。仕事の合間を縫い、よく仲間と海へ行っている。<br />
* メロリンQというフレーズは、小学生時代に短期ホームステイ先のフィリピンで食べた「バナナQ」というデザートが由来だという。ただ語呂が悪いと言うことでメロンQ→メロリンQへと変化したとのこと([[2009年]][[4月15日]]放送 『[[おもいッきりDON!]]』より)。<br />
* 『[[伊集院光のオールナイトニッポン]]』にゲスト出演した際、番組冒頭で「元気いっぱいですね~」と言われて返した「ハイ!!〇〇(禁制薬物の名)打ってます」発言で[[ニッポン放送]]にもしばらく出入り禁止になっていたと、『[[ピストン西沢のオールナイトニッポンGOLD]]』に電話出演した際に語っている。また[[伊集院光]]とは芸能界でも互いが認め合う無二の親友である。<br />
* 大河ドラマの『[[新選組!]]』では[[平山五郎]]を殺害する[[原田左之助]]を演じたが『[[輪違屋糸里#テレビドラマ|輪違屋糸里]]』では平山五郎を演じた。[[幕末高校生]]では、タイムスリップした幕末で新撰組隊士を演じている。<br />
* 2008年7月20日、[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]の『[[たかじんのそこまで言って委員会]]』で「[[竹島 (島根県)|竹島]]は[[韓国]]にあげたらよい」と発言し、批判が集中した。その後に[[田原総一朗]]との対談番組にて誤解を解きたいと釈明したが、その内容は「竹島を日本領と主張する引きこもりのネット右翼から猛反発を喰らったが逆に聞きたい。何故貴方達は竹島に突入しないのか?そんな度胸も無いのに日本領と言うな」「韓国は軍隊を導入して竹島を防衛している。領土を主張するとはそれくらいの覚悟がいる」「だから韓国と竹島を共同管理しようとか言うべきだ」というものであった。<br />
* [[ジェットコースター]]が好き。そのため、USAの恐いという評判のコースターに「ジェットコースター王」として挑戦する企画をTVのバラエティー番組でおこなった。<br />
* 下戸である。<br />
* 世界ウルルン滞在記の最多出場者。ウルルン滞在記の海外ロケでは、必ず避妊具を持って行くらしい。特にアフリカでは性感染症予防のためと特別番組内でトークしたが、誰もリアクションを起こさなかった。特に他の芸能人が行かないような危険な場所に行くことが多い。<br />
<br />
=== 反原発活動 ===<br />
* [[2011年]](平成23年)[[4月9日]]、自身の[[Twitter]]上にて「黙ってテロ国家日本の片棒担げぬ」と発言し、翌日の[[4月10日]]には[[福島第一原子力発電所事故]]([[東日本大震災]])に関連した[[原子力撤廃]]デモへ参加した。同5月25日、Twitter上で「原発関連の発言が原因で同7、8月に予定されていたドラマの仕事を降板することになった」と、発言した。ただし所属事務所はドラマの仕事があったことを否定している。同年5月27日、所属事務所のシス・カンパニーを退社。会社から慰留されたが、最終的には「事務所に迷惑をかけるわけにはいかない」という自身の意思による。「オペレーション・コドモタチ」公式サイト上で「東北で生活するのはあり得ない。[[がん]]になるのを待っているだけ」「このまま放射能汚染が続くなら、俳優業引退・疎開も考えている」と述べている。<br />
*([[京都党#概要]]も参照)7月11日、佐賀県庁で行われた反原発デモに参加。[[玄海原子力発電所]]廃止を訴え、「知事は出てこい」など訴えながら、県知事の[[古川康]]に玄海原発再稼働中止の請願書を渡そうと、約150人のデモ隊の一人として佐賀県庁に進入。1時間ほど県職員や守衛警備員らともみ合ったが、知事に嘆願書を手渡すことはできず職員への手渡しにとどまった。今後も反原発デモがあれば参加する意向ということである。この顛末について8月、京都市在住の行政書士が[[建造物侵入罪]]の容疑で佐賀地検に告発し、9月20日に受理されたことが告発者当人を名乗るブログにて事の次第を掲載され、一部マスメディアでも報道された。告発状の内容の一部は報道によれば「憲法が保障する表現の自由から著しく逸脱している。法治国家として是認できない。被告発人のような過激なものを野放しにせず、厳重な処罰が行われるよう、速やかに捜査に着手することを求める」などとされている。<br />
* 同月13日、自身のツイッターにて「遂に菅さんが脱原発宣言した。震災から4ヶ月、険しい道のりだったけど、やっとここまで来た。そして、こっからが更に険しい。でも、頑張らなきゃね。子ども達の未来のために。」とつぶやき、同日行われた当時の首相である[[菅直人]]の記者会見を評価している。<br />
* 同月18日、環境NGO「[[欧州放射線リスク委員会]]」委員の物理化学博士[[クリストファー・バズビー]]の講演会に参加。合間にツイッターで講演を実況した。フリーになってからツイッターのフォロワーが11万人を超過。「欧州では(内部被ばくの危険性を示す)データで出ている。食べられないものが出てきて、病気の人も増えて労働力が下がっていくことを食い止めたい」「将来の日本の、そして子どもたちのために、僕が動くことでリスクを訴え続けていかなければならないんです」「今は、ツイッターに興味がないもっと年齢が上の層にも、僕の声を広げていきたい。だから、取材はこれからも受けます」と今後も反原発活動を続けることを改めて明かした。<br />
* 7月20日のトークショーにて、反原発活動を行うきっかけは、2011年4月に[[ソフトバンク]]社会長[[孫正義]]のツイッターにて「原発に賛成?反対?アンケートとってみよう」というつぶやきに、原発反対とつぶやいたが「抑えていたものがあふれたのか、涙が止まらなくなり、1人で嗚咽していた。それで、俺は原発反対を訴えていこうと決めた」と語った。山本自身は8年ほど前から母親の薦めで環境保護団体「[[グリーンピース (NGO)|グリーンピース]]」の支援をしていたが、原発に対し「未来に負の過去を残すようなもの」という不安を行動に起こすことなく過ごしており、今回の原発事故が起こったことから「放置してきた自分に怒り、悶々としていた」とのことである。<br />
* 7月23日に[[龍谷大学]]で行われた講演会を聴講していたが、サプライズゲストとして「日本政府がやっていることは、日本の将来をあきらめたとしか思えない。このままだと日本は核廃棄物の処理場になってしまう」「この状況を変えるには世論が変わるしかない。そのための底上げの活動を、草の根でやっていけたら」などと5分ほど演説をした。<br />
* [[2011年]](平成23年)[[11月5日]]の、BSジャパン『勝間和代#デキビジ』(ニコニコ生放送でも中継)にて「[[東日本女子駅伝]]を中止に追い込みたい」「『復興しましたよ』ってアピールのためだけの行事」などと発言した。これに対して、主催者である東北陸上競技協会理事長の安田信昭は「放射線量も毎週計測して、大丈夫だという判断になっています。駅伝なので走る時間も限られている。復興の象徴として盛り上げようとしているのに、この発言は風評被害になりますよ。福島県民に対して失礼なんじゃないか」と発言した。<br />
<br />
== 中核派が参院選を支援 ==<br />
[[Image:中核派HPのトップに山本太郎.jpg|350px|thumb|中核派HPのトップに山本太郎]]<br />
参院選東京選挙区から出馬している俳優の山本太郎氏(38)に、[[中核派]](革命的共産主義者同盟全国委員会)が支援を表明している。 <br />
<br />
2013年7月8日発売の機関紙「[[前進]]」では、 <br />
<br />
「原発再稼働とTPP、大失業攻撃と改憲に突き進む日帝・安倍への怒りを込めて、東京選挙区から立候補した山本太郎さんの必勝へ総力決起しよう」との文面が掲載されている。<br />
<br />
== 山本太郎氏当選に思う--噛みしめるべき格言「教育のない民主主義は無意味」 - 石井 孝明 ==<br />
山本太郎氏当選に思う、科学と理性に背を向けた人を信任<br />
<br />
[[7月21日]]の[[参議院選挙]]は自民党圧勝という結果になった。私は特定政党を支持しないが、自民党の影響力が強まり政治が混迷して、何も決められない状況が終わることは一国民としてうれしい。<br />
<br />
ところが残念なことがあった。東京選挙区で反原発を過激に主張する俳優の山本太郎氏が当選したことだ。<br />
<br />
おかしな議員が一人増えたという簡単な問題ではない。かなり根の深い問題をはらむ。私は原則として選挙での民意を尊重する。<br />
<br />
しかし山本氏は当選するべきではないと考えていた。これまで問題政治家は多かったが、山本氏は特異な異様さを持っている。彼は福島原発事故をめぐってデマの発信を繰り返し、[[テロリスト]]や[[極左暴力集団]]との関係を公言。さらに科学、理性、そして選挙関連の法律の無視を公然と行った。もっと恐ろしいことは、この人に東京都民で60万人以上の多数の投票があったことだ。<br />
<br />
偉そうに聞こえたら恐縮だが、私はこの結果に「日本社会の敗北」という感想さえ抱いた。そして「悪霊」(意味は後述)が社会を覆った恐怖を感じた。<br />
<br />
科学的な判断力を養わない教育、有名人に面白がって投票する幼稚な政治文化、理性的な判断をしない情報弱者の多さ、民主主義を壊しかねないセンセーショナリズムに陥るメディアなど、日本で観察される問題の悪しき集大成が、山本氏の当選につながっているように思えてしまう。総じて日本人の大半の人の見識の高さを私は信頼しているが、一部に危うい行動をする人がいることを確認できた。<br />
<br />
もちろん私は山本氏を全否定することも、会ったこともない彼を激しく憎むこともない。山本氏は福島原発事故への怒りを前面に出したが、それは私も共感する。彼の強調した放射能への不安も当然だろう。そしてすべてを放り出して、愚直に政治運動をした彼の姿を嫌いでない日本的な心情を私は持つ。<br />
<br />
しかし科学と理性に背を向けた山本氏の異様な行動については決して認められない。<br />
<br />
山本氏による騒擾は混乱だけを生んだ<br />
<br />
私はエネルギー・環境問題の取材を続ける記者だが、そこで福島原発事故に遭遇した。放射能をめぐるデマを機会があれば打ち消し、機会あるごとに以下の主張をした。<br />
<br />
「放射能について不正確な情報を垂れ流す事は、誤った行動を誘発し、人の生活、命、健康に情報で害を与えかねない」<br />
<br />
「原発の是非の主張と、今起きている放射能のリスク評価の問題はまったく別である。前者は自由に語ればいい。人々の不安につけ込んで後者を強調して前者を語ってはいけない。誤った情報は風評被害を生み、福島という地域を壊し、ムダな損失を人の人生と社会と日本全体に加える」<br />
<br />
「各種調査で示されているように、今回の原発事故で健康被害が起こる可能性は極小である。それなのに膨大な対策を行うことで、福島と被災地の復興が遅れ、数兆円単位の無駄なカネが使われている。冷静になって現状を考えるべきだ」<br />
<br />
ところが状況は、これらの主張と真逆に動いている。エネルギー政策、放射能防護政策で今起こっていることを一言でまとめれば、「混乱」だ。多くの人々が冷静に原発事故に対処したのに、一部のノイジーマイノリティーが、科学的知見を無視。そして理性ではなく「怖い」「原発嫌だ」という感情を爆発させ、社会の合意形成と政策の遂行を妨げている。<br />
<br />
山本太郎氏はこの2年半、騒擾の中心の一人だった。いちいち取り上げるのは面倒であり、以下のNEVERまとめを参照してほしい。<br />
<br />
「[[デマッター]]としても著名な山本太郎さんが、ついに選挙演説でもデマをまきちらし始めた」<br />
<br />
「【参院選2013】反原発山本太郎への登場を検討していたが、調べてみたらカオスすぎてやばい件」<br />
<br />
さらに山本氏の周囲には異様な取り巻きがいる。選挙では、テロリスト集団の中核派が支援を表明。([[池田信夫]]氏記事「山本太郎は中核派支援候補」)また[[菅直人]]元首相周辺に食い込んで、[[北朝鮮]]と関係のある[[新左翼]][[セクト]]「MPD ・平和と民主運動」の関係者が山本氏の選対に入り込んでいる。<br />
<br />
21世紀になって、1970年代に暗躍したテロ集団らが亡霊のように復活した。こうした団体の関与の全貌を部外者が掴むことはできないだろうが、とても不気味だ。山本氏はこれらの集団は勝手に応援したとしているようだが、どこまで恐ろしさを認識しているのだろうか。<br />
<br />
冗談ではなく、参議院と議員会館の治安・防諜対策を、各議員と議会事務局がしなくてはならない。山本氏を利用して、中核派や北朝鮮関係団体が活動する可能性がある。民主主義を否定する集団が、民主的手段の選挙によって国政に入り込む。この状況は異常だ。<br />
<br />
山本氏は、当選インタビューで「当然原発利権に絡んだ人たちが僕を妨害してきます。僕の味方は一票を投じてくれた有権者だけです」と述べた。勝手に脳内に敵と味方をつくり対決姿勢を強めている。6年地位にある参議院議員という立場で、これまでの2年半の騒擾を繰り返すのだろうか。うんざりだ。<br />
<br />
=== 非科学的な「悪霊」から社会を守る ===<br />
こうした混乱を見て、私は米国の歴史を思い出していた。人類史上初めて米国は「国民の、国民のための、国民による政府」(16代大統領リンカーン「[[ゲティスバーグ演説]]」より)を、人為的につくった。建国の父たちは、この民主主義政体がかなり特殊で壊れやすいものであり、構成員の質が政体の成果を決めると考えていた。<br />
<br />
「独立宣言の起草者、ヴァージニア信教自由令の起草者、そしてヴァージニア大学の設立者[[トーマス・ジェファーソン]]ここに眠る」 <br />
<br />
第三代大統領のジェファーソン(1743-1826)は、墓石にこのように刻ませたという。彼にとって人生では、大統領という世俗権力者ではなく、思想家・教育者であったことの方が重みを持つものであった。<br />
<br />
彼は次の言葉を残している。「最善の政治形態のもとでさえ権力を委ねられた人は時日が経つにつれて、その政治形態を暴挙へと変えてしまう。これを予防する最も効果的な手段は、民衆一般の知性をできるだけ 実際的に啓蒙することである。教育のみが民主主義を守る」「教育のない民主主義は無意味である」<br />
<br />
自分たちが利害を持つ政府を、構成員が熟議を重ねることで適切に運営することを民主主義政体では期待する。しかし、それは賢明な人が関わらなければ、即座に衆愚の器に堕落する。こうした危機意識が彼らにはあった。<br />
<br />
ジェファーソンの理想は今でも教育に取り入れられようと努力が重ねられてきた。アメリカの物理学者で教育エッセイでも知られた[[カール・セーガン]]氏(1934-1996)の『科学と悪霊を語る』(新潮社)という本でジェファーソンは繰り返し引用される。ここでいう「悪霊」とは人間を束縛する、そして身近にある非科学的な概念の総称だ。<br />
<br />
「市民が教育を受け、自分の意見を形成するようになれば、そのとき権力を持つ者も我々のためになることをする。すべての国で、科学の手法と、権利の章典の意義とを子供たちに教えてゆかなくてはならない。品位も謙遜も、共同体意識も、そこから芽生えてくるだろう。悪霊に憑かれたこの世界で、迫り来る暗闇から我々を守ってくれるのは、ただそれだけかも知れない」。セーガン氏は著書の最後にこのような言葉を記している。<br />
<br />
民主主義は華やかな選挙だけで動くのではない。前提に教育、それによって学び賢明に活動する市民の存在が必要なのである。<br />
<br />
=== 山本氏が行うべきこと--教育による科学的知見の獲得 ===<br />
私の言葉が届くかどうか分からないが、山本太郎氏、そしてその支援者は、セーガン氏の言葉を噛みしめてほしい。当選によって、自己満足に浸るべきではない。これまでのようにその行動と発言によって多数派の他の日本国民、特に被災地、福島の人々に迷惑をかけ、悲しませないでほしいと私は願う。<br />
<br />
これからは理性と科学に背を向けた行為を続けることは、国政に議席を持つ責任を引き受けた以上、決して許されない。そのために今後、エネルギー問題と放射能について自発的に学び、また専門家から教育を受けて科学的な知見を身につけ、理性的な判断力を養ってほしい。<br />
<br />
そして山本氏を当選させたのが民意なら、彼を警戒し、監視するのも民意である。誤った行動は徹底的に批判されなければならない。<br />
<br />
私はまだ「話せば分かる」という希望を持っている。この人たちも、そしてそれを批判的に眺める多くの人も「教育のない民主主義は無意味である」という言葉を噛みしめてこの選挙結果に向いあうべきだ。学び、科学と理性を尊重する取り組みをすれば、「迫り来る暗闇」にはまることは避けられる可能性が高い。その先に恐怖からの解放、そして放射能問題の解決と、福島の復興があるはずだ。<br />
<br />
== 隠し子報道に「計り知れない大きな力が働いていると感じるのは僕だけでしょうか?」 ==<br />
隠し子報道に関して、2013年9月4日に自身の公式ブログを更新し「我が子を守りたい1人の親としての、今の僕の気持ち」と題して現在の心境などを明かした元俳優の山本太郎参院議員(38)が怒りの矛先を向けたのが、相手女性への取材方法だった。<br />
<br />
「毎度お馴染みのタブロイド週刊誌が彼女の実家や親戚、ご近所や不動産屋、家主など手当たり次第に慇懃無礼な態度で取材活動を開始、直接訪問だけで無く、何故だか取材対象者ほぼ全員の携帯番号まで入手しており、執拗に追い回される結果となってしまいました」<br />
<br />
とぶちまけ、「関係者の皆様に対し多大な恐怖感とご迷惑をお掛けし申し訳ありませんでした」と謝罪。<br />
<br />
一方で「ごく限られた『信頼出来る身内』と『役所』しか知り得ない、まだ決まって間もない『子どもの名前』を言える取材者は、どうやって戸籍など個人情報にアクセス出来たのでしょうか?」<br />
<br />
と疑問を投げかけ<br />
<br />
「計り知れない大きな力が働いていることをハッキリと感じるのは、僕だけでしょうか?」<br />
<br />
「これは、普通には考えられないことだ、と弁護士チームは言っています」と続けている。<br />
<br />
そして<br />
<br />
「僕個人の力で守るのではなく、全てさらけ出し皆で守って貰うことの方が、安全度は高まると考え直しました」とし「子を持つ親の立場になり今までの思いが、より一層強く燃え上がっているのを感じます。子どもたちの目に映る未来が今よりも過酷な景色にならぬ様、精一杯走ります」と決意を表明している。<br />
<br />
「国会議員という公職についているとはいえ、家族などのプライベートは、守りたいと考えています」という思いは当然で、今後については「内容によって弁護士チームが対応いたします」とも。最後は「つまらないネガティブキャンペーンに時間を割く余裕は全くないのです。今やるべき事、やって行きます」と力強く締めくくっている。<br />
<br />
=== ネット上の反応 ===<br />
* 自分がだらしないだけだろ <br />
* 「計り知れない大きな力」とやらはそんなに暇じゃないだろ(´・ω・`) <br />
* お前には計り知れない性の力が働いてんだよ <br />
* 事実をリークされただけじゃねーか <br />
* まずてめえが選挙影響恐れて隠してたんだろが<br />
* キチガイだな <br />
* そりゃ政治家に隠し子いたらとことん追求されんだろw <br />
* 週刊誌が有名人(政治家含む)の周りうろつくのって珍しい事なのか?元々芸能人だし、叩く前に埃がまってそうだけど。 <br />
* 単にお前の燃料棒がだらしないだけだろアホw <br />
* 陰謀論が好きなのか統合失調症なのか… <br />
* 反原発運動しながら中出し子作りしてたのも陰謀なのか?(´・ω・`)そりゃおまえの淫棒だろうが <br />
* 闇の大きな力により中田氏してしまった <br />
* ネガティブキャンペーンをやりだしたのは自分だということに気づかないと <br />
* 隠し子って一般人でも非難されるのに。 <br />
* 国会議員でしょ?これぐらいマスコミにリークされるのは普通だろう。<br />
* どうしても「国家に都合の悪い意見を言う俺を陥れようとしている!」という立場になりたいわけ? <br />
* 病院いってこい <br />
* 放射能漏れを叩く前に自分の精子だだ漏れを何とかしろよ <br />
* っていうか隠し子がいるってのは事実なのかよwてっきり報道の内容に反論してるのかと思ったらw <br />
* こいつは一体誰と戦ってるんだよ。こんなキチガイが政治家やってるとか終わってるわ <br />
* 大きな力と隠し子作った過失は関係ねえだろw <br />
* 計り知れないって子供作ったのは自分でやった事だろ何で他人のせいなんだよ <br />
* 自分が率先して情報開示しろよ(´・ω・`)公人だろうが <br />
* [[中核派]]に囲まれてる奴が何言ってんだ <br />
* 気軽に陰謀論言い出す奴は知性が無い <br />
* 俺がいま金欠なのもイルミナティ300人委員会の仕掛けた陰謀だし <br />
* 計り知れない大きな力で離婚したり妊娠させたりしたんだな。よくあることだ <br />
* 「計り知れない大きな力」の発動先が「東スポ」wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww <br />
* 謎の組織に狙われるほどの大物だと思ってる辺り計り知れないアホだと感じるのは僕だけでしょうか? <br />
* このキチガイ、いつまで[[プロ市民]]運動家気取りなんだよ。すでに自分が国会議員という権力側にいる自覚すらねえのかよ。同じ市民運動家上がりの[[菅直人]]以上に暴走するタイプだわ <br />
* 中田氏には強い圧力があった。[[CIA]]、[[フリーメイソン]]、[[ユダヤ教]]、[[国際金融資本]]、[[タルムード]]、米政府、[[ペンタゴン]] <br />
* 都合の悪いことはすべて大きな力で説明できるな <br />
* 被害者意識が強いですね <br />
* なんでこんな奴が議員になれるんだ <br />
* コイツの妄想はキチガイの領域だろ、まじで <br />
* 働いたのは性欲だろ何言ってんだ<br />
<br />
== まるでヤカラ!“天皇不敬騒動”山本太郎議員の「新潮記者恫喝動画」がヒドすぎると話題に ==<br />
[[園遊会]]で[[天皇陛下]]に手紙を手渡して大騒動となった山本太郎議員が、このほど“アンチ太郎”の急先鋒である「[[週刊新潮]]」(新潮社)の記者とガチンコバトルを繰り広げ、その一部始終が動画サイト[[YouTube]]などにアップされ大炎上している。<br />
<br />
ことの発端は不敬騒動を機に山本議員がワイドショーなどで「陛下に会うのは叶わないので、[[二重橋]]でいつも謝っている」と発言したこと。徹底的な取材で知られる新潮は「本当に謝っているのか?」と裏取りを開始。イケイケのT記者がさっそく、山本議員を二重橋前で“捕獲”したのだが……。<br />
<br />
「T記者が同行者と談笑する山本議員に対し『毎日お詫びしていると言っていたが、嘘じゃないのか?』と問いただしたところ、山本議員と同行者が激怒。同行者は山本議員の頭を下げている動画を撮影しており、記者に『そんな失礼な言い方あるか!』とブチ切れたんです」(事情を知る人物)<br />
<br />
と、これだけ聞けば新潮記者に非がありそうだが、山本サイドがアップした動画はネチネチと、時には怒声をあげて記者を吊るし上げる様が鮮明に映っている。<br />
<br />
「終始恫喝していた同行者は、[[横川圭希]]という男性で“山本太郎を支援する一個人”と主張していますが、山本議員の政策会議に出席するほど関係性は濃い。その男の振る舞いはまさにヤカラで、記者に『(俺の名前を)書いたらどこまでも追い詰めてやるからな!』とヤクザまがいのセリフで脅すシーンもありました。山本議員もテレビと違って『私の話に答えて下さいよ』や『また話、変えましたよね』『顔洗って出直して来てくださいよ』など、相手を挑発するイヤ~な感じでした。山本サイドは新潮記者の無礼な取材を糾弾するためにこの動画をアップしたのでしょうが、まったくの逆効果ですよ」とは社会部記者。<br />
<br />
実際、ネット上では新潮記者よりも、山本サイドのガラの悪さに対して批判的な書き込みが目立つ。ワイドショー関係者は「そもそも、なぜ山本議員が頭を下げている動画を撮っているのでしょうか。1人で行けばいい話でしょ。現場には他のマスコミもいたようですし、パフォーマンスと言われても仕方がないのでは?」と話す。<br />
<br />
まさかの“自爆”で山本議員の風当たりは強くなるばかりだ。<br />
<br />
=== 【前進】山本太郎氏への与野党とマスコミの攻撃粉砕しよう!日帝・自民党がすがる天皇制、山本氏非難の大合唱は福島圧殺そのもの【中核派】 ===<br />
[[10月31日]]に行われた[[園遊会]]で、[[福島原発事故]]が引き起こしている深刻極まる現実を訴えて、[[山本太郎]][[参院議員]]が[[天皇]]に手紙を直接渡した。<br />
<br />
このことに対し、[[自民党]]を始めとする国会の与野党および[[マスコミ]]が、山本氏に許すことのできない卑劣な攻撃を集中している。山本氏に「議員辞職」を迫ったり、参議院としての処分を検討したりと、天皇制イデオロギーと白色テロルの恫喝による、山本氏の闘いの圧殺がたくらまれている。<br />
<br />
山本氏が国会内で記者団に語った手紙の核心は、福島原発事故により「子どもたちの未来が危ないです。健康被害というものも出てきております。福島の原発収束作業員も、本当にひどい労働環境の中で働かされている現実があります」ということだ。これはあまりにまっとうな、差し迫った思いと危機感の表明であり、同時に福島原発事故に対して、自民党・[[安倍政権]]と[[東京電力]]が自らの責任を放棄し、福島の現実と怒りの圧殺に躍起となっていることへの正当極まる弾劾である。<br />
<br />
安倍や自民、公明、民主を始めとする与野党とマスコミは、この山本氏が身をもって訴えていることに、なんと答えるのか。汚染水流出や[[甲状腺がん]]の多発や被曝労働の深刻さをどうするのだ。それにまともに答えず、天皇に直接手紙を渡したことが問題だと山本氏を攻撃することは、天皇制と[[白色テロル]]を振りかざした、さらなる福島圧殺攻撃そのものであり、断じて許しがたい。<br />
<br />
今まさに、福島圧殺攻撃とともに、改憲を「歴史的使命」と宣言する[[安倍政権]]のもとで、戦争・改憲の動きが本格化している。一方で国鉄決戦が圧倒的な階級攻防の焦点にせり上がると同時に、他方で改憲阻止をめぐる攻防が日本[[階級闘争]]の正面課題となっている。<br />
<br />
原発再稼働と[[特定秘密保護法]]の絶対反対を訴え、福島の子どもたちや原発労働者の現実を何とかしたいと必死に訴える山本氏を、卑劣な手段で葬り去ろうとする策動を労働者人民の怒りと決起で絶対に粉砕しよう!<br />
<br />
体制危機の時代に日帝・自民党がすがる[[天皇制]]<br />
<br />
山本氏の今回の行動に対して、[[官房長官]]の菅がまず憎悪に満ちた「不快感」を示した。これに続き、「天皇の政治利用そのもので、議員辞職ものだ」([[下村文科相]])、「常軌を逸した行動だ」([[古屋国家公安委員長]])、「見過ごしてはならない」([[石破自民党幹事長]])、「議員辞職すべきだとの意見には非常に共感する」([[松原民主党国対委員長]])、「憲法の規定にそぐわない行動だ」「常識を欠いて不適切」([[志位日本共産党委員長]])などなど、閣僚や与野党幹部が一斉に非難し、処分や議員辞職の大合唱を行っている。<br />
<br />
いったい何が「常軌を逸した行動」だ。「常識を欠いている」だ。ふざけるな!<br />
<br />
今回の件で天皇制の問題が前面に登場してきている。<br />
<br />
「資本家的政治支配、階級支配が解体的動揺に陥る中で、天皇制は[[帝国主義]][[ブルジョアジー]]の反革命的結集のシンボルとなる。労働者階級は[[プロレタリア革命]]の一環として、天皇制の一切の形態を粉砕し、根こそぎに一掃する」(革共同綱領草案)。<br />
<br />
このような立場だけが、労働者階級が天皇制に対してとるべき原則的で路線的な立場であり回答である。もともと天皇の園遊会など、労働者人民は徹底的に拒否し、粉砕し、怒りで蹂躙し尽くすべきものである。<br />
<br />
ところが[[日本共産党]]を含め、すべての与野党やマスコミがまたしても天皇制のもとにひれ伏し、山本氏への非難と攻撃を行っている。<br />
<br />
大恐慌下に最末期の脱落日帝・新自由主義の危機の中で、天皇制が「帝国主義ブルジョアジーの反革命的結集のシンボル」として登場してくることに対しては、労働者階級人民の「生きさせろ!」の怒りと決起がさらに激しく巻き起こっていく。われわれはどこまでも山本氏とともに、国鉄決戦と反原発決戦を軸に闘いぬくであろう。<br />
<br />
階級的労働運動と国際連帯で闘い勝利しよう <br />
<br />
そもそも「天皇の政治利用」を一貫して行ってきた常習犯は、日帝・政治委員会と自民党だ。最近でも沖縄圧殺の「主権回復の日」式典(4月)、福島視察(7月)、東京五輪誘致活動(9月)、水俣訪問(10月)と、天皇・皇后や皇族を頻繁に登場させてきた。自民党改憲案で天皇を「元首化」しようとしていることこそ最大の政治利用ではないか。<br />
<br />
このような天皇・皇族の再登場=政治利用の恒常化は、日帝の政治支配が危機に陥っていることの表れだ。<br />
<br />
激化する大恐慌下で[[新自由主義]]は崩壊を開始した。階級対立が非和解的に激化し、支配階級は今や統治能力を失い絶望的な危機に陥っている。日帝ブルジョアジーとその共犯者となっている連合に対し、労働者階級人民の怒りは地に満ちている。この間、小泉の地元・[[横須賀市]]や[[菅官房長官]]の地元・[[川崎市]]で、自公あるいは自公民(連合)の相乗り候補が敗北(勝った神戸市長選も辛勝)していることはその象徴である。<br />
<br />
危機の中で日帝ブルジョアジーと自民党が最後にすがりつこうとしているのが、超階級的な装いをとる天皇制とその反革命イデオロギー、国家主義的な「虚偽の共同性」「国民融合」のイデオロギーであり、それをテコとして労働者人民を動員することだ。日本共産党[[スターリン]]主義はこれに完全に屈服し、山本氏への攻撃で反動的役割を果たしている。共産党は今や「憲法にある制度として、天皇制と共存するのが道理ある態度」だと言い、象徴天皇制の擁護者と成り果てている。 <br />
<br />
だがすでに天皇制・天皇制イデオロギーは、[[昭和天皇]]ヒロヒトの死と現天皇アキヒトへの「代替わり儀式」の大反革命に対し、革共同と労働者人民が実力で闘った90年天皇決戦の爆発によって、根底から粉砕されたものとしてある。<br />
<br />
この危機の天皇制・天皇制イデオロギーを立て直そうと、日帝と安倍政権は改憲による天皇の「元首化」などで必死になっている。しかし階級的労働運動と労働者国際連帯の力強い発展の前には、天皇制などまったく無力だ。<br />
<br />
11・3集会が高らかに宣言した階級的労働運動と国際連帯で、崩壊する新自由主義と闘おう。国鉄新10万筆署名と100万人の大運動で最高裁決戦に攻め上ろう。14年3・11郡山に向け反原発決戦の壮大な爆発をかちとろう。山本氏への卑劣な非難・攻撃を粉砕し、勝利へ団結して闘おう。<br />
<br />
== 「マスコミが騒がなければ、政治利用といわれることはなかった」(2013年11月) ==<br />
山本太郎参院議員が秋の園遊会で[[天皇陛下]]に手紙を渡した行為について1日、閣僚や与野党幹部から、「(天皇の)政治利用そのもので、議員辞職ものだ」([[下村博文]][[文部科学相]])などと、批判が相次いだ。[[自民党]]の[[脇雅史]]参院幹事長は党役員連絡会で、山本氏が辞職しない場合は辞職勧告決議案の提出を検討すべきだとの考えを示した。<br />
<br />
[[参院議院運営委員会]]は同日午前の理事会で、山本氏に対する処分をめぐり対応を協議。[[岩城光英]]委員長が山本氏を国会内に呼び、事情を聴取した。山本氏はこの後、記者団に対し「[[マスコミ]]が騒がなければ、政治利用といわれることはなかった。議会の沙汰があれば受け止める」と述べ、自ら辞職する考えがないことを強調した。<br />
<br />
[[古屋圭司]][[国家公安委員長]]は記者会見で「常軌を逸した行動だ。国民の多くが許されざる行為だと怒りをこめて思っているのではないか」と批判。[[新藤義孝]][[総務相]]は「[[皇室]]へのマナーとして極めて違和感を覚える。国会議員ならば、新人とはいえ自覚を持って振る舞ってほしい」と語った。[[安倍晋三]][[首相]]も周囲に「あれはないよな」と不快感を示した。<br />
<br />
与野党でも厳しい意見が上がり、自民党の[[石破茂]]幹事長は記者会見で「見過ごしてはならないことだ」と言明。[[公明党]]の[[井上義久]]幹事長は「極めて配慮に欠けた行為だ」と指摘した。<br />
<br />
[[日本維新の会]]の[[橋下徹]]共同代表([[大阪市長]])は[[市役所]]で記者団に対し「日本の国民であれば法律に書いていなくてもやってはいけないことは分かる。しかも国会議員だ。信じられない」と批判を強めた。[[民主党]]の[[松原仁]]国対委員長も記者会見で「到底許されない」との認識を示した。<br />
<br />
== 主な出演作品 ==<br />
=== テレビドラマ ===<br />
*[[しあわせの決断]](1992年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]) - 岩崎 役<br />
*[[まったナシ!]](1992年、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]])<br />
*[[キライじゃないぜ]](1992年、[[TBSテレビ|TBS]]) - 武内伸男 役<br />
*[[いとこ同志 (1992年のテレビドラマ)|いとこ同志]](1992年、日本テレビ) - 日下裕二 役<br />
*[[大人は判ってくれない (テレビドラマ)|大人は判ってくれない]] 第7回「1992年のバタフライ」(1992年、フジテレビ)<br />
*[[17才-at seventeen-|17才]](1994年、フジテレビ) - 木村浩介 役<br />
*[[幕末高校生]](1994年、フジテレビ) - 小松原誠 役<br />
*[[さんかくはぁと]](1995年、[[テレビ朝日]]) - 森沢拓也 役<br />
*[[金田一少年の事件簿 (テレビドラマ)#第1シリーズ(1995年)|金田一少年の事件簿]](1995年、日本テレビ) - 巽龍之介 役(第6話ゲスト)<br />
*[[ベストフレンド (1995年のテレビドラマ)|ベストフレンド]](1995年、日本テレビ) - 山田太介 役<br />
*[[ワイン殺人事件25歳の夏]](1995年、[[日本放送協会|NHK]])<br />
*[[ふたりっ子]](1996年、NHK) - 海東壮平 役<br />
*[[ビーチボーイズ (テレビドラマ)|ビーチボーイズ]](1997年、フジテレビ) - 清水(第5話ゲスト)<br />
*[[木曜の怪談#魔法じかけのフウ|木曜の怪談・魔法じかけのフウ]](1997年、フジテレビ)<br />
*蛍の宿(1997年、TBS)<br />
*古都の恋歌(1997年、TBS)<br />
*[[はみだし刑事情熱系]] PART2 第16話(1998年、テレビ朝日)<br />
*[[天涯の花]](1999年、NHK) - 佐川典夫 役<br />
*[[雨に眠れ]](2000年、TBS) - 木下幸嗣 役<br />
*[[熱血!周作がゆく]](2000年、テレビ朝日) - 次郎吉 役<br />
*強行犯捜査第七係(2002年、NHK)<br />
*お美也(2002年、NHK)<br />
*[[女将になります!]](2003年、NHK) - 吉沢裕介 役<br />
*[[新選組!]](2004年、NHK) - [[原田左之助]] 役<br />
*テーマソングス♪?ここにおるで!(2004年、フジテレビ)<br />
*轟法律事務所 見えない絆(2004年、[[テレビ東京]])<br />
*[[めだか (テレビドラマ)|めだか]](2004年、フジテレビ) - 矢部弘紀 役<br />
*[[産隆大學應援團]](2005年、フジテレビ)<br />
*[[怪談スペシャル#「鬼婆」|怪談スペシャル・鬼婆]](2005年、フジテレビ)<br />
*象列車がやってきた(2005年、NHK)<br />
*初仕事納め(2005年、フジテレビ) <br />
*[[神はサイコロを振らない|神はサイコロを振らない~君を忘れない~]](2006年、日本テレビ) - 木内哲也 役<br />
*[[氷壁#2006年版|氷壁]](2006年、NHK) - 北沢彰 役<br />
*[[レガッタ~君といた永遠~]](2006年、[[ABCテレビ|朝日放送]]・テレビ朝日) - 滝大輔 役<br />
*[[次郎長背負い富士]](2006年、NHK) - 石松 役<br />
*[[魂萌え!]](2006年、NHK) - 関口彰之 役<br />
*[[ミヤコ蝶々ものがたり]](2007年、テレビ朝日) - [[南都雄二]] 役<br />
*[[探偵学園Q#連続ドラマ|探偵学園Q]](2007年、日本テレビ) - 七海光太郎 役<br />
*[[どうぶつ119]](2007年、日本テレビ) - 岡田隼人 役<br />
*[[孤独の歌声]](2007年、WOWOW) - 松田隆史 役<br />
*[[輪違屋糸里#テレビドラマ|輪違屋糸里?女たちの新選組?]](2007年、TBS) - [[平山五郎]] 役<br />
*[[Real Clothes|リアル・クローズ]](2008年、[[関西テレビ放送|関西テレビ]]) - 田淵優作 役<br />
*[[252 生存者あり#252 生存者あり episode.ZERO|252 生存者あり episode.ZERO]](2008年、日本テレビ) - 宮内達也 役<br />
*[[アイシテル〜海容〜#テレビドラマ版|アイシテル〜海容〜]](2009年、日本テレビ) - 野口和彦 役<br />
*人間動物園 (2009年7月19日、WOWOW) - 家野輝一郎 役<br />
*[[最後の赤紙配達人~悲劇の召集令状64年目の真実~]](2009年、TBS) - 八木守三 役<br />
*[[だましゑ歌麿]](2009年9月12日、テレビ朝日)- 菊弥役<br />
*[[柳生武芸帳]](2010年1月2日、テレビ東京)<br />
*[[離婚シンドローム]](2010年6月30日、日本テレビ) - 田中勉 役<br />
*[[アイシテル〜海容〜#スペシャルドラマ版|アイシテル〜絆〜]](2011年9月21日、日本テレビ) - 森田和彦 役<br />
*約束~[[名張毒ぶどう酒事件]] 死刑囚の生涯~(2012年6月30日、[[東海テレビ]]) - 若き日の奥西勝 役<br />
*[[ピロートーク〜ベッドの思惑〜]] 最終話(2012年12月20日、関西テレビ) - 熊男 役<br />
<br />
=== 映画 === <br />
*[[代打教師 秋葉、真剣です!]](1991年、[[東映]]) - 田中広樹 役<br />
*[[リング・リング・リング]](1993年、東映)<br />
*突然炎のごとく(1994年、[[ビターズ・エンド]]) - 太郎 役<br />
*[[岸和田少年愚連隊]](1996年、[[松竹]]) - 薫 役<br />
*7月7日、晴れ(1996年、[[東宝]]) - 池田公彦 役<br />
*[[That's カンニング! 史上最大の作戦?]](1996年、東映) - 力丸一道 役<br />
*[[マルタイの女]](1997年、東宝) - ナカムラ 役<br />
*ラブ・レター(1998年、松竹) - 中山サトシ 役<br />
*[[極道の妻たち|極道の妻たち 決着]](1998年、東映) - 工藤雄太 役<br />
*ビッグ・ショー! ハワイに唄えば(1999年、東宝) - 漁火伸二 役<br />
*[[難波金融伝・ミナミの帝王]]([[ケイエスエス]]) - 新庄公平 役<br />
**劇場版 XIV 借金極道(2000年)<br />
**劇場版 XV 商工ローン 保証人の落とし穴(2000年)<br />
**劇場版 XVI 借金セミナー(2001年)<br />
**劇場版 XVII プライド(2001年)<br />
*[[バトル・ロワイアル (映画)|バトル・ロワイアル]](2000年、東映) - 川田章吾 役<br />
*バトル・ロワイアル 特別篇(2001年、東映)- 川田章吾 役<br />
*[[GO (小説)|GO]](2001年、東映) - タワケ 役<br />
*[[光の雨 (映画)|光の雨]](2001年、[[シネカノン]]) - 倉重鉄太郎 役<br />
*[[走れ!イチロー]](2001年、東映) - 橘恵太郎 役<br />
*[[千年の恋 ひかる源氏物語]](2001年、東映) - [[藤原惟光|惟光]] 役<br />
*夜を賭けて(2002年、シネカノン) - 主演・金義夫 役<br />
*[[精霊流し (曲)#映画|精霊流し]](2003年、[[日活]]=[[東北新社]]) - 池田洋治 役<br />
*[[MOON CHILD (映画)|MOON CHILD]](2003年、松竹) - トシ 役<br />
*[[完全なる飼育#第4作『 - 秘密の地下室』|完全なる飼育 秘密の地下室]](2003年、[[アートポート]]) - 主演・タケル 役<br />
*[[ゲロッパ!]](2003年、シネカノン) - 太郎 役<br />
*[[赤い月]](2004年、東宝) - 牧田将一 役<br />
*[[IZO (映画)|IZO]](2004年、[[チームオクヤマ]]) - 鬼二 役<br />
*歌舞伎町案内人(2004年、キネマスターフィルム) - 劉剛 役<br />
*[[きょうのできごと (小説)|きょうのできごと]](2004年、コムストック) - 山田 役<br />
*[[同じ月を見ている]](2005年、東映) - 金子優作 役<br />
*[[オペレッタ狸御殿]](2005年、[[角川ヘラルド・ピクチャーズ|日本ヘラルド映画]]・松竹) - 駝鳥道士 役<br />
*[[スクールデイズ (映画)|スクールデイズ]](2005年、[[ファントム・フィルム]]) - 高井戸(一平) 役<br />
*[[力道山 (映画)|力道山]](2006年、[[ ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント (日本)|ソニー・ピクチャーズ]]) - 葛西紘一 役<br />
*[[佐賀のがばいばあちゃん]](2006年、[[ティ・ジョイ]]) - 中野先生 役<br />
*[[おろち]](2008年、東映) - 大西弘 役<br />
*[[釣りバカ日誌19 ようこそ!鈴木建設御一行様]](2008年、松竹) - 高田大輔 役<br />
*[[252 生存者あり]](2008年、[[ワーナー・ブラザーズ|ワーナー・ブラザース]]) - 宮内達也 役<br />
*[[ジェネラル・ルージュの凱旋]](2009年、東宝) - 佐藤拓馬 役<br />
*海の上の君は、いつも笑顔。(2009年、オフィスキタ) - 洋一 役<br />
*[[火天の城]](2009年、東映) - 熊蔵 役<br />
*[[賭博黙示録カイジ#映画|カイジ 人生逆転ゲーム]](2009年、東宝) - 船井 役<br />
*[[仮面ライダー×仮面ライダー オーズ&ダブル feat.スカル MOVIE大戦CORE]](2010年、東映) - マツ(松井誠一郎) / スパイダー・ドーパント(声) 役<br />
*[[賭博黙示録カイジ#映画2作目|カイジ2 人生奪回ゲーム]](2011年11月5日、東宝、[[佐藤東弥]]監督) - 船井 役<br />
*[[マイウェイ 12,000キロの真実]](2011年、CJ Entertainment/東映) - 野田 役<br />
*[[EDEN]](2012年11月17日、SUMOMO)- 主演・ミロ 役<br />
<br />
=== オリジナル・ビデオ ===<br />
*かっとびブギ2 フラットアウト・ベイビー(1993年) - '''初主演作品''' <br />
*プロミスリング~鹿島アントラーズ物語(1993年)<br />
*ツッパリ・ハイ・スクール1 武闘派高校伝(1994年) <br />
*ツッパリ・ハイ・スクール2 校外乱闘篇(1995年) <br />
*ツッパリ・ハイ・スクール3 新天地抗争(1995年) <br />
*ツッパリ・ハイ・スクール4 広島代理戦争(1995年)<br />
*鉄爪(トリガー)(1996年) <br />
*悪玉志願(1996年)<br />
*[[ビー・バップ・ハイスクール|BE-BOP-HIGHSCHOOL 愛徳VS城東 代理戦争篇]](1997年)<br />
*[[難波金融伝・ミナミの帝王]]シリーズ - 新庄公平 役<br />
**破産 金融屋殺し(1999年)<br />
**アリバイ証明の罠(2000年)<br />
**トイチの身代金(2001年)<br />
**非情のライセンス(2001年)<br />
**極道金融(2001年)<br />
**騙しの方程式(2001年)<br />
**裏金略奪(2001年)<br />
**闇の裁き(2002年)<br />
**絆?KIZUNA?(2002年)<br />
**裏切りの報酬(2002年)<br />
**男たちの過去(2003年)<br />
**詐欺の手口(2003年)<br />
**海に浮く札束(2003年)<br />
**誘惑の華(2003年)<br />
**一千万の銃弾(2004年)<br />
**仮面の女(2004年)<br />
<br />
=== 舞台 ===<br />
*DECIMA 出島(2000年)<br />
*[[LOVE LETTERS]](2008年、[[パルコ]]) - 主演・アンディ 役<br />
*薔薇とサムライ(2010年、[[劇団☆新感線]])<br />
<br />
=== CM ===<br />
*[[三菱自動車工業]]「[[三菱・リベロ|リベロ]]」(1995年 - 1996年)<br />
*[[エバラ食品工業]]「浅漬けの素」(1996年)<br />
*[[ライオン]]「植物物語」(1997年)<br />
*[[サントリー]]<br />
**[[モルツ]](2000年) <br />
**マグナムドライ(2002年)<br />
*[[本田技研工業]]<br />
**[[ホンダ・ザッツ|That's]](2002年) - ナレーター<br />
**[[ホンダ・CR-V|CR-V]](2002年5月) - ナレーター<br />
*[[トヨタ自動車]] 「[[トヨタ・ノア|NOAH]]」(2004年 - 2007年)<br />
*[[エーザイ]] 「サクロン」(2004年 - 2006年)<br />
*[[花王]]「[[クリアクリーン|クリアクリーンプラス]]」(2007年)<br />
*[[日本電気|NEC]]<br />
**「[[LaVie]]」(2004年 - 2010年)<br />
**「[[VALUESTAR]]」(2005年 - 2010年)<br />
<br />
=== ラジオ ===<br />
*山本君と田中君(1991年、[[ニッポン放送]])<br />
*[[BAY LINE 7300|TOKYO BAY LINE 7300]](1998年 - 2000年、[[ベイエフエム|bayfm]])<br />
*[[MBSヤングタウン]](1999年、[[MBSラジオ]]) - レギュラー(金曜日)<br />
*山本太郎のパーソナリティスペシャル!(2001年、[[TBSラジオ&コミュニケーションズ|TBSラジオ]])<br />
*[[HAYALIUTA]](2011年5月 - 、[[エフエムナックファイブ|NACK5]])<br />
<br />
=== バラエティー・文化系番組 ほか ===<br />
* [[学校では教えてくれないこと!!]](1994年) - レギュラー<br />
* [[森田一義アワー 笑っていいとも!]](1996年 - 1997年、フジテレビ) - レギュラー(隔週水曜日)<br />
* [[世界ウルルン滞在記]](1996年 - 2002年、[[MBSテレビ|毎日放送]])<br />
* [[真夜中の王国]](1997年、NHK) - 司会<br />
* [[ぷらちなロンドンブーツ]](1998年、テレビ朝日) - 準レギュラー<br />
* [[元気モンTV]](1998年、[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]) - レギュラー(火曜日)<br />
* [[いつでも笑みを!]](1998年 - 1999年、関西テレビ) - レギュラー<br />
* [[稲妻!ロンドンハーツ]](1999年、テレビ朝日) - レギュラー<br />
* 若者討論・あなたならどうする?21世紀の日本人の人生(2001年、NHK) - 司会<br />
* [[ワイドABCDE?す]](2002年、朝日放送) - レギュラー(月曜日)<br />
* 列島クイズ!都道府県太郎(2003年、[[BS朝日]]) - 司会<br />
* [[チューボーですよ!]](2004年)<br />
* [[トップランナー]](2005年 - 2008年、NHK) - 司会<br />
* JNN共同制作番組「山本太郎のスルメイカの旅」(2005年3月21日、[[長崎放送]])<br />
* [[どうぶつ奇想天外!]](2008年 - 2009年、TBS) - ナレーション<br />
* 新チバリヨ★スター([[琉球放送]]) - レギュラー<br />
* [[世界ふれあい街歩き]](NHK) - ナレーション<br />
* [[いいはなシーサー]](テレビ朝日)<br />
* [[素敵な宇宙船地球号]]( - 2009年、テレビ朝日) - ナレーション<br />
* [[熱中時間 忙中"趣味"あり]](NHK) - ナレーション<br />
* [[クイズプレゼンバラエティー Qさま!!]](2009年、テレビ朝日)<br />
* [[アジアンスマイル]](NHK) - ナレーション<br />
* [[課外授業 ようこそ先輩]](NHK) - ナレーション<br />
* [[たったひとりの反乱]](NHK) - 司会<br />
* [[アートエンターテインメント 迷宮美術館]](NHK)- ゲスト([[キュレーター]])<br />
* [[アナザースカイ]](2010年1月、日本テレビ) - レポーター<br />
* [[ためしてガッテン]](2010年2月、NHK) <br />
* [[テレビで中国語]](2010年3月30日 - 2011年3月25日、[[NHK教育テレビジョン|NHK教育]]) - 生徒役<br />
* [[あさイチ]](2010年6月、2011年7月21日、NHK)- 旅人<br />
* [[みんなでニホンGO!]](2010年、NHK)<br />
* [[土曜マルシェ]](2011年、NHK)<br />
* [[和風総本家]](2011年、テレビ東京)<br />
* [[たかじん胸いっぱい]](2012年、関西テレビ)<br />
* [[アスリートの魂]](2012年5月21日、NHK) - ナレーション<br />
<br />
== 書籍、DVD ==<br />
* [[ガラダマ天国]]((vol.107「おっかけ」で参加)[[ぴあ]]刊、[[唐沢俊一|唐沢商会]]著、ISBN 978-4892150487 )<br />
* 母ちゃんごめん普通に生きられなくて(ぴあ刊、ISBN 489215055X)<br />
* 世界ウルルン滞在記 Vol.6(2009年1月23日、{{ASIN|B001FWITEG}})<br />
* ひとり舞台 脱原発-闘う役者の真実 集英社刊 ISBN 978-4087806359<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{脚注ヘルプ}}<br />
{{reflist}}<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[日本の男優一覧]]<br />
* [[兵庫県出身の人物一覧]]<br />
* [[原子力撤廃]]<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* [http://gree.jp/yamamoto_taro/ 山本太郎 公式ブログ]<br />
* {{twitter|yamamototaro0|山本太郎}}<br />
* {{Imdb name|id=0945500|name=Taro Yamamoto}}<br />
* [http://imahahitori.jimdo.com/ 新党 今はひとり公式サイト]<br />
* [http://www.taro-honto.jp/ 太郎ホントの話]<br />
{{日本の反核運動}}<br />
<br />
{{デフォルトソート:やまもと たろう}}<br />
[[Category:日本の俳優]]<br />
[[Category:Vシネマ俳優]]<br />
[[Category:ナレーター]]<br />
[[Category:兵庫県出身の人物]]<br />
[[Category:福島第一原子力発電所事故]]<br />
[[Category:日本の反原発活動家]]<br />
[[Category:日本の国政選挙の立候補経験者]]<br />
[[Category:1974年生]]<br />
[[Category:キチガイ]]<br />
[[Category:中核派]]<br />
[[Category:反日主義]]</div>
Fromm
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E9%9D%A9%E5%91%BD%E7%9A%84%E5%85%B1%E7%94%A3%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E8%80%85%E5%90%8C%E7%9B%9F%E5%85%A8%E5%9B%BD%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A&diff=359835
革命的共産主義者同盟全国委員会
2018-09-10T11:11:53Z
<p>Fromm: </p>
<hr />
<div>'''革命的共産主義者同盟全国委員会'''(かくめいてききょうさんしゅぎしゃどうめいぜんこくいいんかい)は、[[マルクス・レーニン主義]]を掲げる[[日本]]の[[新左翼 (日本)|新左翼]][[政治団体]]である。通称'''中核派'''(ちゅうかくは)、[[関西派]]離脱以降は'''中核派中央派'''(ちゅうかくはちゅうおうは)と呼ばれることもある。公然拠点は[[前進社]](関西支社を除く)。<br />
<br />
[[Youtube]]で'''[[前進チャンネル]]'''放送中。出演者は[[洞口朋子]]ほか。<br />
<br />
==概要==<br />
[[内ゲバ]]等、多くの暴力事件を起こしており、[[警察庁]]及び[[公安調査庁]]から[[極左暴力集団]]・[[過激派]]と呼称されている。また、後述のゲリラ闘争(千葉県収用委員会長襲撃事件や脅迫など)から、かつては国際的にテロリストとして認知されていた時期もある(現在組織はほぼ公然化しており、[[オウム真理教]]事件以降のテロに対する厳罰化など時代の流れからテロは行っていない)。<br />
<br />
「反[[帝国主義]]・[[反スターリン主義]]の旗のもと万国の[[労働者]]団結せよ!」をメイン[[スローガン]]に、日本[[革命]]・世界革命の達成と[[共産主義]]社会の実現を目指している。[[暴力革命]]による[[プロレタリア独裁]]の樹立を掲げ、1960年代、権力に対する街頭武装闘争、大学闘争などで新左翼最大の規模・勢力を持つに至った。1970年代、1980年代は物理的な党派闘争(いわゆる「内[[ゲバ]]戦争」)、[[ゲリラ闘争]]を行った。1990年代以降は内ゲバや[[ゲリラ]]よりも「大衆運動」を重視する路線に転換した。2006年頃から「帝国主義戦争を[[内乱]]へ」のスローガンに表現される旧来の路線を否定して、[[国鉄千葉動力車労働組合|動労千葉]]を軸とした「労働運動重視路線」にさらに転換した。それへの反発などから2007年頃に関西の組織などいくつかの分裂と離脱を引き起こし、「動労千葉派」を自称するいわゆる「中央派」は現在「[[労働運動]]の力で革命やろう」をスローガンにしている。<br />
<br />
中核派は革命的共産主義者同盟全国委員会における[[黒田寛一]]派とのいわゆる「第三次革共同分裂」によって、1962年に形成された(黒田派は革マル派を形成)。黒田寛一が提唱した政治理論である反スターリン主義を中核派も引き継ぎ、分裂後1967年頃までは「我々こそが黒田哲学の真の継承者」と自称していた。「真の共産主義の実現のため資本主義国家の転覆(反帝国主義)」とともに、かつての[[ソビエト連邦]]や、[[中華人民共和国]]・[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]・[[キューバ]]などの「現存社会主義国家」を「帝国主義と同等の打倒の対象」を目指すとしている。また、[[日本共産党]]などの既存政党も「スターリン主義」だとして「国家権力と同等の打倒対象」としている。<br />
<br />
結成から現在まで一貫した中核派の特徴として情勢認識を40年以上にわたって「革命情勢は成熟している」と規定し続け、その情勢認識からラディカルな路線を打ち出している。その路線から、その時々で大学闘争、街頭闘争、三里塚や部落解放などの諸闘争、革マル派への「内ゲバ戦争」、[[テロ]]・[[ゲリラ]]闘争を行ってきた。とくに1980年代から1990年代初頭にかけて、全党挙げての非公然活動重視、武装闘争中心の運動方針を実践し、死者、負傷者などを多数出すことになった。1990年代以降は、武装闘争路線によって疲弊した党組織の立て直しを図り、その方針を労働運動重視路線へと転換し、同派系と友好的な労組以外の労組および労働運動は、押し並べて「体制内労働運動」と規定して敵対している。<br />
<br />
==理論==<br />
「反帝国主義・反スターリン主義の旗のもと万国の労働者団結せよ!」、中核派の基本スローガン。日本・[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・欧州などの[[資本主義]]の最終段階である帝国主義の打倒とともに、中国・北朝鮮・キューバなどの「現存社会主義国」を「帝国主義と同等の打倒対象であるスターリニスト官僚国家」としている。また、日本共産党に対しても「革命を裏切ったスターリン主義政党であり国家権力と並ぶ打倒対象」と規定している。<br />
<br />
「労働者の団結による世界革命」を目指すが、「唯一反スターリン主義の党が存在する日本の革命運動こそ世界で最も先進的である」という認識から、「まず日本革命を起こしてから、その権威で世界党を形成して世界革命へと広げる」という方針を掲げる。<br />
<br />
「闘うアジア人民と連帯し[[侵略戦争]]を内乱に転化せよ!」を1970年代以降のスローガンにして、「日本人民にはアジアを侵略した血の債務がある。日本の労働者は排外主義・差別主義にまみれており、 そのままでは革命の主体にはなれない」(いわゆる「血債の思想」)を唱えて被差別部落、女性、在日外国人などに対する反差別闘争や、天皇制闘争に取り組んだ。また、組織内外の「差別発言」を問題化し、言わば吊るし上げる「代理糾弾闘争」(被差別当事者の「代理人」として「差別者」を糾弾する、の意)に熱心に取り組んだ。<br />
<br />
「労働運動の力で革命しよう!」2007年頃からの「中央派」のスローガン。「労働者階級に徹底的に依拠し、労働組合の闘い、及び世界的な労働者の団結によって革命を目指す」としている。同時に、それまでの「血債の思想」は、一転して「労働者と被差別者を分断する階級性のない『被差別主義』」として否定されるようになり、現在では「革命によって労働者が解放されれば被差別者も解放される」としている。<br />
<br />
== 呼称 ==<br />
「'''中核派'''」という呼称は本来、革共同の分裂後、学生組織であるマルクス主義学生同盟の本多支持派が名乗った分派名であるが、上部団体である全国委員会も中核派を公称している。なお、機関紙名から当初は「'''前進派'''」と呼ばれることもあった。2007年の分裂以降、革共同再建協議会は「'''安田一派'''」、第三者は「中央派」と呼称している。<br />
<br />
== 組織 ==<br />
*創始者:[[本多延嘉]]<br />
*現在の主な執行部:議長/[[清水丈夫]]、副議長/中野洋の死去により空席、書記長/[[天田三紀夫]]<br />
*機関紙:週刊『前進』(1974年、革マル派による印刷所襲撃によって『前進』は発行不能に陥り、代わりに『革共同通信』を発行していた)、『三里塚』など<br />
*機関誌:『共産主義者』(理論誌)、『国際労働運動』(旧『コミューン』および『武装』)など<br />
*学生組織:[[マルクス主義学生同盟]]・中核派('''マル学同中核派''')<br />
*青年労働者組織:マルクス主義青年労働者同盟(マル青労同)<br />
*非公然軍事組織:人民革命軍(革命軍・武装遊撃隊)、糺察隊(各大学の防衛部隊。革マル派は求殺隊と蔑称)<br />
*公然拠点:[[前進社]] かつては豊島区千早にあった際、現代に[[千早城]]が蘇ったかのように要塞化されていたことから千早城と呼ぶこともあった。現在は、江戸川区松江にある。<br />
*ヘルメット:白。前面に黒字で「中核」。ヘルメットによっては、「カクマル(革マル派のこと)せん滅」などのスローガンが書かれているものもある。<br />
<br />
== 歴史 ==<br />
=== 前史 ===<br />
[[1955年]]の[[日本共産党第6回全国協議会]](六全協)や、[[1956年]]の[[スターリン批判]]、[[ハンガリー動乱]]などの事件によって、[[日本共産党]]の権威は大きく揺らぎ、共産主義者の新組織を結成する動きが始まった。[[1957年]]1月、[[黒田寛一]]や[[太田竜]]らを中心に結成された[[日本トロツキスト連盟]]はその一つである。同組織は日本共産党への加入戦術で組織拡大に成功。同年12月に[[革命的共産主義者同盟 (日本)|革命的共産主義者同盟]](革共同)に改称した。<br />
<br />
間もなく革共同では、太田竜や西京司を中心とした[[トロツキスト]]派と黒田や[[本多延嘉]]を中心とした「革命的マルクス主義者グループ」(RMG)が[[トロツキー]]への評価や[[第四インターナショナル]]への合流などを巡り対立を開始。1958年、太田派が革共同から離脱し日本トロツキスト同志会を結成した(「革共同第一次分裂」)。<br />
<br />
続いて[[1959年]]初頭に黒田が[[日本民主青年同盟]]の情報を警視庁に売ろうとして未遂に終わっていたことが発覚し(「黒田・大川スパイ問題」)、同年8月の革共同第一回大会で黒田は「スパイ行為という階級的裏切り」を理由に除名された。同時に、残された本多延嘉(後の中核派の指導者)らRMGも黒田の後を追って革共同を離党。黒田とともに「反帝・反スターリン主義」をテーゼとする'''革命的共産主義者同盟全国委員会'''(革共同全国委)を結成した(「革共同第二次分裂」)。黒田は議長、本多は書記長に就任した。さらに革共同全国委は[[共産主義者同盟]](ブント)とその学生組織である社会主義学生同盟(社学同)に対抗する形で独自の学生組織として[[マルクス主義学生同盟]](マル学同)を組織し、60年安保闘争を追い風にして勢力を伸張させた。<br />
<br />
安保闘争後はブントが闘争の総括を巡り分解していったのとは対照的に組織を維持した。その結果、崩壊していったブントから多数の活動家を革共同全国委に吸収し、組織拡大に成功。ブントから流入した活動家の中には[[清水丈夫]]、[[北小路敏]]、[[陶山健一]]など後の中核派幹部の姿もあった。<br />
<br />
[[1962年]]6月、第6回参議院議員通常選挙全国区に黒田寛一を革共同全国委公認(マルクス主義青年労働者同盟、全学連推選)の候補として擁立する。選挙スローガンに「米ソ核実験反対」「憲法改悪阻止」「大学管理制度改悪粉砕」「闘う労働者党を創ろう」「帝国主義打倒、ソ連官僚主義打倒」を掲げて組織の総力を挙げて選挙戦を戦ったが、得票数約2万3千票余りで落選した。[[大日本愛国党]]総裁の[[赤尾敏]]が、同選挙において12万票余りを獲得したのと比べれば、惨敗であった。これが、「中核派」と「革マル派」に分裂する以前の革共同全国委の最大の闘争となった。<br />
<br />
=== 誕生 ===<br />
[[1962年]]9月、第三回革共同全国委総会(いわゆる「三全総」)が開かれ、党建設方式や労働運動戦術を巡り、本多派と黒田派が対立した。対立は組織を二分する大論争に発展。三全総から半年後の[[1963年]]4月、ついに革共同全国委の議長[[黒田寛一]]や副議長[[松崎明]]らが脱党し、革共同全国委から分離する形で[[日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派]](革マル派)を結成した。中核派と革マル派の誕生である(革共同第三次分裂)。なお中核派の名称であるが、本多派が全国委政治局の多数を握ったことから、引き続き正式名称は「革共同全国委」のままとなった。しかし、学生組織[[マルクス主義学生同盟]]の多数は黒田についたために、学生組織は新設されることになり、マルクス主義学生同盟中核派と名づけられたことから、上部組織の革共同全国委も「中核派」と通称されるようになる。<br />
<br />
=== 70年安保・沖縄闘争 ===<br />
[[1960年代]]後半から激しさを増していった[[ベトナム戦争]]に対して世界的な[[反戦運動]]が高まる中で、一貫して[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の政策を支持していた当時の[[内閣総理大臣]]・[[佐藤栄作]]が[[1967年]][[10月8日]]に、[[ベトナム共和国|南ベトナム]]を訪問するために[[東京国際空港|羽田空港]]に向かったとき、これを阻止しようとして集まった三派全学連(中核派、ブント、[[社青同解放派]]系自治会で構成する全学連)や反戦青年委員会が初めて[[ヘルメット]]と角材で「武装」して、[[警察]]の[[機動隊]]を突破しようとした。この事件以降、急進的な学生や青年労働者は[[1968年]]1月の[[佐世保基地]]における[[原子力空母]][[エンタープライズ (CVN-65)|エンタープライズ]][[佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争|寄港阻止闘争]]や同年の10.21[[国際反戦デー]]闘争など、「ベトナム反戦-日本の参戦国化阻止」を掲げて激しい街頭闘争を繰り広げることになる。中核派はこれらの闘争を70年安保の前哨戦とし「激動の7ヶ月」と呼称して全力突入、その動員力、戦闘性において群を抜く存在だった。<br />
<br />
また同時期、[[学生運動]]では当時世界的に広がったステューデント・パワーが、[[東京大学|東大]]、[[日本大学|日大]]をはじめ日本全国の[[大学]]にも波及し、全学ストライキとバリケード封鎖の嵐が巻き起こった。それは既成自治会を飛び越えて作られた[[全学共闘会議]]が主導することが多く、この時期の学生運動は「全共闘運動」とも呼称される。中核派も含む新左翼諸党派は、この「学生反乱」を「70年安保闘争」と一体のものとして参画していく。<br />
<br />
警察の取り締まりによって組織が消耗した結果、70年6月の安保条約自動延長に際してはゲバルト=街頭実力闘争を手控えた中核派だが、戦闘力の回復した71年にはふたたび激しい街頭闘争を展開することになる。[[三里塚闘争]]における3月、7月、9月の[[行政代執行]](強制代執行)において、他の新左翼党派同様に中核派も組織を挙げて現地闘争に参加した。<br />
<br />
また、同時期に[[沖縄返還]]闘争(中核派のスローガンは「沖縄奪還」)にも熱心に取り組み10.21国際反戦デー、大坂正明が中村常雄巡査を残忍極まりない手口で殺害した[[渋谷暴動事件]]、[[松本楼]]を放火し、警備員を殺害した日比谷暴動闘争を取り組んだ。これらの闘争は、「日本帝国主義はすでに政治的には崩壊状態であり、機動隊によってかろうじて維持されている'機動隊国家'である」という情勢認識から「機動隊せん滅」という警察官の殺傷そのものを目的としたスローガンが公然と掲げられた。この一連の「沖縄決戦」において中核派は大量の逮捕者を出したが、68年の時期と比べると大衆的な広がりをもったとは言えず政治的な成果は乏しいものだった。また、革マル派の武装襲撃とそれに対する報復もこの時期に激しさを増し、70年安保・沖縄闘争における敗北感と路線喪失が次の時期の「内ゲバの季節」につながっていく。<br />
<br />
=== 内ゲバの激化 ===<br />
70年安保闘争期、中核派を始めとする多くの新左翼党派は街頭実力闘争に熱心に取り組んだ。それに対して、組織の維持拡大を重視する革マル派は大学自治会の支配権獲得に力を注ぎ、街頭実力闘争を「権力に対する挑発行為」と批判。さらに[[東大闘争]]において[[1969年]][[1月]]の機動隊導入の直前に「敵前逃亡」し、革マル派は完全に孤立した。そこで革マル派は「暴力的党派闘争による他党派解体と勢力拡大」を目指す路線を取り、民主青年同盟ならびにすべての新左翼、さらにはノン[[セクト]]に対してまで暴力的襲撃をはじめた。とりわけ、新左翼党派で同じく最大級の規模を持つ中核派と解放派に対しては激しく行われた。中核派は街頭実力闘争による大量逮捕で組織を弱体化させていたので、この攻撃で一時大きなダメージを受ける。これに対して中核派と解放派は組織を「軍隊化」させ、暴力的報復を開始。この中核派・解放派と革マル派の「内ゲバ」は、互いの組織壊滅を目的とした、凄惨な「殺し合い」へとエスカレートしていくことになる。血で血を洗うこれらの内ゲバは学生運動を弱体化させ、大衆が新左翼から離れてゆく大きな原因の一つとなった。<br />
<br />
[[1975年]][[3月14日]]、中核派の最高指導者だった本多延嘉が[[日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派|革マル派]]のメンバーによって殺害された。この「最高指導者の暗殺」という事態に中核派は革マル派幹部である「[[黒田寛一]]、[[松崎明]]、[[土門肇]]の革命的処刑」を宣言し、凄まじい報復を行った。しかし、現在に至るまで3氏の「革命的処刑」は実現していない(黒田は2006年に78歳で病死。中核派は「恥多き死を強制した」と称している)。<br />
<br />
中核派の「軍事部門」を指揮してきた清水丈夫がまとめた統計によると「73年9.21以来の中核派の対革マル派『赤色テロ』は件数で436戦闘、『完全殲滅』(死亡)43人、そのうち、75年3.14(革マル派による本多殺害)以後の革マル派の死亡は31人」。革マル派と解放派の抗争の死者を併せて「内ゲバ戦争」は百名近くの死者を出した。<br />
<br />
被害は両派とは関係のない一般人にまで及んでいる。1974年2月6日に[[琉球大学]]構内で中核派が革マル派と誤認して無関係な一般学生を殺害するなど、中核派は一般人を革マル派と間違って襲撃する「誤爆」事件を複数起こしている。このような一般人の巻き添えについては、中核派はそもそも誤爆であると認めておらず、したがってこれまでのところ被害者に対する謝罪などはほとんど行われていない(例外として、在日朝鮮人の女性を負傷させた際に、[[在日本大韓民国民団|民団]]、[[在日本朝鮮人総聯合会|朝鮮総連]]による組織的な抗議を受けて謝罪を表明した事がある)。<br />
<br />
80年代に入ると、[[成田空港問題|三里塚闘争]]で、「一坪再共有化運動」の是非をめぐって反対同盟内部での対立が激化し反対・賛成両派が分裂した。共有化運動を推進したのは「熱田派」と呼ばれ、[[日本革命的共産主義者同盟(第四インターナショナル日本支部)|第四インター統一書記局]]派らが支持。共有化運動を「土地の売り渡し」「金儲け運動」として反対したのは「北原派」で、中核派・革労協狭間派らが支持した。反対同盟内部の対立はそれぞれの支援党派の対立に発展してゆく。中核派は、第四インター派を「公団に土地を売り渡そうとする新しい型の反革命」と規定した。<br />
<br />
そして1984年1月、全国一斉に五箇所の第四インター派メンバー宅を襲撃、7月にふたたび一斉に三箇所の第四インター派メンバー宅を襲撃した。これらのテロによって8人が重傷を負い、その内一人は頭蓋骨陥没、一人が片足切断の重傷となった。『前進』紙上でこのテロの「戦果」を発表した際には(1月23日付1169号と7月23日付1195号)、襲撃した第四インター派メンバーの本名と職場、そして地番までの住所を掲載した。さらに中核派は、第四インター派のメンバーや「熱田派」所属の空港反対派農家、あるいは「一坪共有者」の自宅や勤務先に押しかけたり、脅迫電話を掛けて「次はお前だ」などと組織的に恫喝を展開した。また、成田現地闘争の際に、熱田派所属の農家や1987年に北原派から離脱した小川派の農家の軒先で、名指しで「脱落派○○を粉砕するぞ」とシュプレヒコールをあげるなどした。ところが1998年に中核派は「脱落派の再共有化に応じた人びとを含む全国千二百人の一坪共有者に訴える。その権利を絶対に守り抜くことは人民の正義であり、三里塚闘争勝利のために不可欠である」と、「一坪再共有化運動」に対する態度をそれまでの総括なく180度転換した。ただし、第四インター派へのテロや非北原派の反対派農家への恫喝について謝罪はしていない。ただし「中央派」と決別した[[革命的共産主義者同盟再建協議会]](いわゆる「関西派」、「中央派」は「塩川一派」と呼称)が2009年に第四インターへのテロについて、「革命軍戦闘という方法での軍事的せん滅戦は、明らかな誤りであった」と「階級全体」に自己批判するとしているが、第四インターや被害者への謝罪はしていない。<br />
<br />
第四インターへのこうした内ゲバに対しては、被害を受けた第四インターからはもちろんのこと、外部からも批判が集中した。のちに中核派を離脱した[[小西誠]]によると中核派組織内においてすら批判的な声は少なくなかったが、指導部の「批判するものは組織を去れ」という統制によって中核派内部の批判が公然化することはなかったという。この第四インターへの内ゲバは、それまで新左翼各党派や各種の大衆運動界隈の一部に存在していた中核派への好意的空気、同情的空気を決定的に失わせた。また、[[成田空港問題|三里塚闘争]]の分裂は各種の大衆運動の分裂へと波及し、中核派はいくつかの大衆運動から革マル派とともに排除される傾向が強まることになった。当時の中核派は統一戦線より独自路線による運動展開を優先した側面もある。<br />
<br />
=== ゲリラ闘争の激発 ===<br />
全共闘運動当時のような大衆的な拡大・勢いを失った中核派は、その後、80年代に入って[[ゲリラ]]闘争にその活路を見出し、数々のテロに明け暮れていくようになった。同派の非公然組織「革命軍」はこれまでに、[[建設省]](現・[[国土交通省]])幹部宅や[[新東京国際空港公団]](現・[[成田国際空港株式会社]])幹部職員宅などに対する放火・放火未遂ゲリラ事件、同派を批判した人々の言論を封殺するための[[脅迫]]事件、[[自由民主党]]本部や空港施設などを狙った[[火炎瓶]]や[[火炎放射器]]を用いた放火ゲリラ事件、[[警察署]]襲撃事件、警察官の自宅への放火ゲリラ事件、[[国電同時多発ゲリラ事件]]など、150件を超える事件を引き起こしている。<br />
<br />
[[1985年]]頃からは圧力釜爆弾・時限発火装置の製造や、飛距離数キロメートルに及ぶ[[迫撃弾]]・[[ロケット砲]]も使用するようになった。85年10月20日には[[革労協]]などと共に[[10.20成田現地闘争]]で機動隊との大規模な衝突事件を引き起こし、翌86年の東京サミットでは、成田空港と迎賓館に向けて迫撃弾と飛翔弾([[ロケット弾]])を発射する事件、放火事件、[[皇居]]の爆破未遂事件を引き起こした。<br />
<br />
1988年9月21日には、千葉市内の路上で、当時千葉県[[収用委員会]]会長で[[弁護士]]の小川彰を襲撃している([[千葉県収用委員会会長襲撃事件]])。小川弁護士は全身を鉄パイプで殴られ、両足と左腕を骨折するという重傷を負った(小川弁護士は2003年7月にこのテロの後遺症を苦に自殺する)。このテロに中核派は犯行声明を出し、「収用委員会解体闘争」と称して「電話と手紙を集中せよ」として、他の収用委員全員の住所と電話番号を機関紙『前進』に掲載した。中核派は収用委員に組織的に「家族ごと殺す」などと脅迫を行い、その結果翌月ついには収用委員全員が辞任する事態となる(千葉県収用委員会は2004年に再建された)。<br />
<br />
また、[[昭和天皇]]崩御と[[明仁]]の即位に関連して、[[1989年]]から約2年間にかけては「天皇決戦」「大嘗祭粉砕」と称して、[[大山祇神社]]や三千院・仁和寺・青蓮院など皇室とゆかりの深い神社仏閣に対する器物損壊・放火事件を起こしたのを皮切りに、往来妨害、[[新幹線]]爆破未遂事件、造船所放火事件、成田空港行きの[[京成電鉄]]列車への放火事件など、100件を超える多くのテロ・ゲリラ事件を引き起こした。<br />
<br />
これらの中核派による「ゲリラ闘争」に関連して、複数のゲリラ事件で一般人の巻き添えと犠牲者を出している。1975年9月4日、中核派活動家が横須賀緑荘アジトで爆弾を製造しているところ、誤って爆発させ、同アパート住人2名が死亡(中核派活動家も3名死亡)した([[横須賀緑荘誤爆事件]])。1983年6月7日には千葉県[[四街道市]]の成田空港関連の航空燃料用パイプライン敷設工事現場の飯場に放火して労働者2名を焼死させている。1984年10月1日には、[[佐原市]]にある成田用水事業の請負業者社長宅を放火。社長宅のほかに成田空港問題とは無関係の近接した住宅2棟も全焼させた。これらの「ゲリラ闘争」における一般人の巻き添えについて、中核派は未だ一つとして被害者遺族らに謝罪も賠償もしていない。<br />
<br />
対立党派で宿敵である革マル派との内ゲバも、1980年代に入ると両派ともに組織が「内ゲバ戦争」によって疲弊化したことで徐々に小康化していったが、国鉄分割民営化をめぐる過程で、革マル派同盟員と目されていた[[国鉄動力車労働組合]]や真国鉄労働組合(真国労)、[[全日本鉄道労働組合総連合会|JR総連]]の活動家を襲撃するなどした。また、かつて革マル派が行ってきたような、大学構内から他党派や[[ノンセクト]]の活動家を暴力的に排除する「党派による恐怖支配」を中核派も[[法政大学]]、[[京都大学]]をはじめ、各地の大学で強めることになる。<br />
<br />
=== 「5月テーゼ」と近年の動向 ===<br />
テロ・ゲリラ闘争は、一般からまったく支持されなかったばかりか、逆に返って警察の厳しい取り締まりを招き、運動の孤立化を強める結果となった。さらにこの間の無謀な非公然活動重視、武装闘争路線によって組織が著しく疲弊し、活動もままならなくなる事態となった。そのために以後テロ・ゲリラなどの武装闘争を控えて組織拡大に重点を置き、[[市民運動]]や[[労働組合]]への浸透を図る戦術を採っている。これは[[1991年]]に中核派が「将来の武装闘争に備えてテロ・ゲリラ戦術を堅持しつつも、当面は武装闘争を控え、大衆闘争を基軸に党建設を重視する」との方針を決めた「五月テーゼ」(03年以降は「新指導路線」と呼んでいる)に基づいた戦術である。ここで注意しなければいけないのは組織拡大とは単に同派の同盟員を増やすことだけではなく、同派と関連がある労組・団体(影響の程度は団体によってかなり異なる)の拡大や設立、かつてはほとんど関係がなかった団体との交流による影響力拡大も含まれることである。労働運動の分野では自治体、郵政、教育、JRを「四大産別」として、労組への影響力拡大を図っている。また、毎年11月頃に「全国労働者総決起集会」を東京で開催しており、2009年に行なわれた「11.1全国労働者総決起集会」では2300人(警察発表)を動員した。[[歴史教科書問題]]では、2005年、[[新しい歴史教科書をつくる会]]が執筆した[[扶桑社]]発行の [[教科書]]採択反対運動に積極的に介入し、[[東京都]][[杉並区]]などで激しい反対運動を起こしている。東京都杉並区、[[神奈川県]][[相模原市]]、[[大阪府]][[泉佐野市]]、[[高槻市]]、[[八尾市]]の議会には中核派系の議員がおり、議会への進出度は[[日本労働党]]と並び、日本の新左翼の中では屈指。[[東京都知事選]]で[[青島幸男]]、国政選挙で[[社会民主党 (日本 1996-)|社会民主党]](個人では[[大田昌秀]]ら)、中核派系政治団体「都政を革新する会」の[[長谷川英憲]]を支援した。長谷川は、[[1989年]]の[[1989年東京都議会議員選挙|東京都議選]]で当選しており、これは新左翼では史上初の都道府県議員であった。<br />
<br />
=== 第六回全国大会 ===<br />
[[2001年]]前半に「第六回全国大会」を開催したが、その内実は、政治局が代議員を指名するという非民主的なものであった。このような非民主的な運営に嫌気がさして離党したものもいる。<br />
<br />
「第六回全国大会」では、黒田寛一の主張する哲学(いわゆる「黒田哲学」)の徹底批判がおこなわれ、革マル派に対する「勝利宣言」が出された。また、中核派批判を行なっていた[[白井朗]]元政治局員への「粉砕」宣言がなされた(白井朗は翌年の2002年12月、何者かによって襲撃される)。<br />
<br />
=== 「党の革命」と内部の分裂・確執 ===<br />
1997年以降、中核派の指導体制は議長:[[清水丈夫]]、副議長:[[中野洋]](安田)、書記長:[[天田三紀夫]]として確立された。しかし、清水丈夫による党内の独裁体制、中野洋による労働運動重視(実際は動労千葉至上主義)の指導方針について党内で次第に対立が生じた。<br />
<br />
2006年「関西委員会指導部の腐敗、堕落」を訴えて関西を中心とする党員の一部が決起(3・14決起)、関西地方委員会の議長であった与田を追放し、指導部に対して自己批判、路線の転換を求めた。これら内部の動きについて指導部は、クーデターである、と判断し、統制を行おうとしたものの逆に内部の強い反発を招いた。これをきっかけに、党組織は「動労千葉派」を自称し労組内での主導権を重視する清水議長、中野(安田)副議長を中心とした「労働戦線派」(または「中央派」もしくは「安田・中野派」)と、これまでの路線を踏襲し各方面での大衆運動に関わることを重視する関西地方委員会中心の「諸戦線派」(いわゆる「関西派」、「中央派」は「塩川派(塩川一派)」と呼称)へと分裂していく。その過程で、九州を中心とした平田派(その中心は元政治局員の永瀬か)も離脱した。さらに、全国各地で「反中央派」とされた党員に除名などの処分が行なわれた。これらの一連の動きを、中央派は「党の革命」と呼称している。<br />
<br />
これら両派の対立の背景には急激な路線転換の際に切り捨てられた「革命軍」の兵士たちの処遇をめぐる確執があるものとの推測もある。2006年に現役杉並区議2名も、議会闘争方針の対立から中核派の政治団体「都政を革新する会」から離脱(のちに中核派から除名処分)し、「無所属区民派」を結成した。さらには運動の進め方を労働戦線に集中して、部落解放闘争を労働戦線の付随とするような運動方針をめぐって、これまで共闘関係にあった[[部落解放同盟全国連合会]](全国連)とも関係が悪化し、2008年2月には全国連から「広島差別事件」として糾弾を受ける立場になった。中核派はこの問題において、糾弾を受けた2月時点では沈黙していたが、4月になって全国連を「塩川一派」と規定して、「広島差別事件はデッチ上げだ」などと機関紙で公然と批判し始め、公式サイトから全国連サイトへのリンクを削除した。対する全国連側も中核派との「関係断絶」を宣言したほか、2009年11月には中核派と共闘関係を維持している「西群支部」(大阪)、「杉並支部」(東京)、「品川支部」(同)の3支部に対し、「支部承認の取り消し」などといった「統制処分」を通告するなど、その対立の溝は拡大している。更に杉並では都革新と無所属区民派の間で裁判沙汰となっており、対立が広がっている。<br />
<br />
関西前進社を拠点として、中央派に対抗して革共同関西地方委員会は機関紙『革共同通信』、理論誌『展望』を発行し執行部批判などを行っていたが、2008年5月に反中央派が結集し革命的共産主義者同盟再建協議会を結成、その後2009年以降機関紙名を『未来』へ改題した。従来はその主張について中央派批判を中心としていたが、現在では独自の運動方針を積極的に進めるようになっており、関西で活動している他の新左翼グループ、特にブント系の組織などに接近して共闘関係を組むよう模索している。その過程で[[1984年]]の第四インターに対するテロルについての「自己批判文書」が発表された。ただし、この自己批判は「内ゲバ」そのものを否定したものではないうえ、政治的思惑の産物とも見られており、旧第四インター各派は反発する姿勢を見せている。<br />
<br />
=== 山本太郎氏への与野党とマスコミの攻撃粉砕しよう!日帝・自民党がすがる天皇制、山本氏非難の大合唱は福島圧殺そのもの(2013年10月) ===<br />
[[10月31日]]に行われた[[園遊会]]で、[[福島原発事故]]が引き起こしている深刻極まる現実を訴えて、[[山本太郎]][[参院議員]]が[[天皇]]に手紙を直接渡した。<br />
<br />
このことに対し、[[自民党]]を始めとする国会の与野党および[[マスコミ]]が、山本氏に許すことのできない卑劣な攻撃を集中している。山本氏に「議員辞職」を迫ったり、参議院としての処分を検討したりと、天皇制イデオロギーと白色テロルの恫喝による、山本氏の闘いの圧殺がたくらまれている。<br />
<br />
山本氏が国会内で記者団に語った手紙の核心は、福島原発事故により「子どもたちの未来が危ないです。健康被害というものも出てきております。福島の原発収束作業員も、本当にひどい労働環境の中で働かされている現実があります」ということだ。これはあまりにまっとうな、差し迫った思いと危機感の表明であり、同時に福島原発事故に対して、自民党・[[安倍政権]]と[[東京電力]]が自らの責任を放棄し、福島の現実と怒りの圧殺に躍起となっていることへの正当極まる弾劾である。<br />
<br />
安倍や自民、公明、民主を始めとする与野党とマスコミは、この山本氏が身をもって訴えていることに、なんと答えるのか。汚染水流出や[[甲状腺がん]]の多発や被曝労働の深刻さをどうするのだ。それにまともに答えず、天皇に直接手紙を渡したことが問題だと山本氏を攻撃することは、天皇制と[[白色テロル]]を振りかざした、さらなる福島圧殺攻撃そのものであり、断じて許しがたい。<br />
<br />
今まさに、福島圧殺攻撃とともに、改憲を「歴史的使命」と宣言する[[安倍政権]]のもとで、戦争・改憲の動きが本格化している。一方で国鉄決戦が圧倒的な階級攻防の焦点にせり上がると同時に、他方で改憲阻止をめぐる攻防が日本[[階級闘争]]の正面課題となっている。<br />
<br />
原発再稼働と[[特定秘密保護法]]の絶対反対を訴え、福島の子どもたちや原発労働者の現実を何とかしたいと必死に訴える山本氏を、卑劣な手段で葬り去ろうとする策動を労働者人民の怒りと決起で絶対に粉砕しよう!<br />
<br />
体制危機の時代に日帝・自民党がすがる[[天皇制]]<br />
<br />
山本氏の今回の行動に対して、[[官房長官]]の菅がまず憎悪に満ちた「不快感」を示した。これに続き、「天皇の政治利用そのもので、議員辞職ものだ」([[下村文科相]])、「常軌を逸した行動だ」([[古屋国家公安委員長]])、「見過ごしてはならない」([[石破自民党幹事長]])、「議員辞職すべきだとの意見には非常に共感する」([[松原民主党国対委員長]])、「憲法の規定にそぐわない行動だ」「常識を欠いて不適切」([[志位日本共産党委員長]])などなど、閣僚や与野党幹部が一斉に非難し、処分や議員辞職の大合唱を行っている。<br />
<br />
いったい何が「常軌を逸した行動」だ。「常識を欠いている」だ。ふざけるな!<br />
<br />
今回の件で天皇制の問題が前面に登場してきている。<br />
<br />
「資本家的政治支配、階級支配が解体的動揺に陥る中で、天皇制は[[帝国主義]][[ブルジョアジー]]の反革命的結集のシンボルとなる。労働者階級は[[プロレタリア革命]]の一環として、天皇制の一切の形態を粉砕し、根こそぎに一掃する」(革共同綱領草案)。<br />
<br />
このような立場だけが、労働者階級が天皇制に対してとるべき原則的で路線的な立場であり回答である。もともと天皇の園遊会など、労働者人民は徹底的に拒否し、粉砕し、怒りで蹂躙し尽くすべきものである。<br />
<br />
ところが[[日本共産党]]を含め、すべての与野党やマスコミがまたしても天皇制のもとにひれ伏し、山本氏への非難と攻撃を行っている。<br />
<br />
大恐慌下に最末期の脱落日帝・新自由主義の危機の中で、天皇制が「帝国主義ブルジョアジーの反革命的結集のシンボル」として登場してくることに対しては、労働者階級人民の「生きさせろ!」の怒りと決起がさらに激しく巻き起こっていく。われわれはどこまでも山本氏とともに、国鉄決戦と反原発決戦を軸に闘いぬくであろう。<br />
<br />
階級的労働運動と国際連帯で闘い勝利しよう <br />
<br />
そもそも「天皇の政治利用」を一貫して行ってきた常習犯は、日帝・政治委員会と自民党だ。最近でも沖縄圧殺の「主権回復の日」式典(4月)、福島視察(7月)、東京五輪誘致活動(9月)、水俣訪問(10月)と、天皇・皇后や皇族を頻繁に登場させてきた。自民党改憲案で天皇を「元首化」しようとしていることこそ最大の政治利用ではないか。<br />
<br />
このような天皇・皇族の再登場=政治利用の恒常化は、日帝の政治支配が危機に陥っていることの表れだ。<br />
<br />
激化する大恐慌下で[[新自由主義]]は崩壊を開始した。階級対立が非和解的に激化し、支配階級は今や統治能力を失い絶望的な危機に陥っている。日帝ブルジョアジーとその共犯者となっている連合に対し、労働者階級人民の怒りは地に満ちている。この間、小泉の地元・[[横須賀市]]や[[菅官房長官]]の地元・[[川崎市]]で、自公あるいは自公民(連合)の相乗り候補が敗北(勝った神戸市長選も辛勝)していることはその象徴である。<br />
<br />
危機の中で日帝ブルジョアジーと自民党が最後にすがりつこうとしているのが、超階級的な装いをとる天皇制とその反革命イデオロギー、国家主義的な「虚偽の共同性」「国民融合」のイデオロギーであり、それをテコとして労働者人民を動員することだ。日本共産党[[スターリン]]主義はこれに完全に屈服し、山本氏への攻撃で反動的役割を果たしている。共産党は今や「憲法にある制度として、天皇制と共存するのが道理ある態度」だと言い、象徴天皇制の擁護者と成り果てている。 <br />
<br />
だがすでに天皇制・天皇制イデオロギーは、[[昭和天皇]]ヒロヒトの死と現天皇アキヒトへの「代替わり儀式」の大反革命に対し、革共同と労働者人民が実力で闘った90年天皇決戦の爆発によって、根底から粉砕されたものとしてある。<br />
<br />
この危機の天皇制・天皇制イデオロギーを立て直そうと、日帝と安倍政権は改憲による天皇の「元首化」などで必死になっている。しかし階級的労働運動と労働者国際連帯の力強い発展の前には、天皇制などまったく無力だ。<br />
<br />
11・3集会が高らかに宣言した階級的労働運動と国際連帯で、崩壊する新自由主義と闘おう。国鉄新10万筆署名と100万人の大運動で最高裁決戦に攻め上ろう。14年3・11郡山に向け反原発決戦の壮大な爆発をかちとろう。山本氏への卑劣な非難・攻撃を粉砕し、勝利へ団結して闘おう。<br />
<br />
=== 大坂容疑者逮捕で浮上「中核派」驚きの実態(2017年6月) ===<br />
あの過激派は今――。[[1971年]]の[[渋谷暴動事件]]で殺人など5つの容疑で[[警視庁]]に[[指名手配]]されていた左翼過激派「中核派」の活動家・大坂正明(67)とみられる別件逮捕の男が[[大阪府警]]の[[DNA検査]]で本人と特定され、7日に警視庁に殺人などで再逮捕された。<br />
<br />
人生の大半を逃げることに費やしてきた大坂と、同容疑者をかくまってきた中核派の実態は…。<br />
<br />
大坂とみられる男は[[5月18日]]、潜伏先の[[広島市]]内で[[大阪府警]]に公務執行妨害で逮捕された。6月6日、[[DNA鑑定]]の結果を受けて府警は男を大坂本人と特定。[[警視庁公安部]]は7日に殺人などで再逮捕し、身柄を[[東京]]に移送した。<br />
<br />
[[渋谷暴動事件]]は[[1971年]][[11月14日]]に発生。[[東京]]・[[渋谷]]で[[沖縄返還協定]]に反対する[[デモ]]に参加していた大坂は、現場で警備に当たっていた[[新潟県警]]の中村恒雄巡査(21=当時)を仲間と一緒に火炎瓶などで襲い、殺害するなどした。<br />
<br />
46年に及ぶ逃亡生活の末に捕まった大坂は、待ち構える報道陣の前に白髪で老いた姿をさらした。手配写真と並べても、本人と判断するのは困難だ。そんな“過激派のスター”を守ってきた中核派の根幹はテロ集団であり、スパイ集団でもある。<br />
<br />
かくまわれていた都内のアジトから、警視総監や警察庁長官の経験者ら100人前後の私用携帯電話の番号リストなどが見つかった。警察トップの個人情報まで手に入れる情報収集力は注目に値する。<br />
<br />
元警視庁刑事で犯罪心理学者の北芝健氏は「中核派は下火になっているとはいえ、資金力があり、殺し屋部隊『糾殺隊』もまだ存在している。情報収集も得意」と説明する。情報収集活動としては「警察のデジタル無線を傍受していた」「溶ける紙や暗号を使っていた」などの報道もある。<br />
<br />
北芝氏は「デジタル無線の傍受なんてお茶の子さいさい。メンバーの中には[[京大]]クラスの理系出身者がゴロゴロいて、IITどのスキルも十分に有している。溶ける特殊紙は英国の[[MI6]]など世界中のスパイ機関で使用されている。中核派は欲しい物はなんでも入手できる」と解説する。<br />
<br />
また、「かつて[[革マル派]](左翼過激派)の拠点から公安警察官の家の鍵が200本見つかったこともあった。尾行されて自宅住所を割られるのは、警察官にとって非常に不名誉なことです。『自宅がバレた』と分かっても、上層部に報告しない者もいたでしょう。それにしてもキャリア警察官の情報が入手されていたのは警察組織にとってもショックでしょうね」とも。<br />
<br />
漏れていた連絡先は、一体どのように入手したのか。「公安内部に中核派のシンパはいないはず。公安関係者の知人や家族から情報を入手していたと思われます」(同)<br />
<br />
そのやり口の一つがサークル活動だという。<br />
<br />
「料理同好会や[[自己啓発]]セミナーに見せかけて人を集めます。入会させた相手の中から脈のありそうな人をセクトに引きずり込み、情報を引き出すのです」(同)<br />
<br />
活動家の魔の手は一般人の生活圏内に間違いなく届く。メンバーは“人たらし”の極意も身につけている。<br />
<br />
「大学の講師や准教授らが『合宿する』と称して、実はセクトの訓練に参加していることがあります。ここでは戦闘技術のほか、諜報活動の知識も伝授されるのです」と北芝氏。<br />
<br />
大坂の逮捕は、中核派にとって大打撃を与えるだろう。<br />
<br />
北芝氏は「特に資金提供者や支援者は戦々恐々としているはず。大坂は組織のすべてを知っています。警察に口を割れば、芋づる式の逮捕もあり得ますからね。中核派は高齢化が進んでおり、いかにすごい闘士といわれた者でも、病気を持って弱っているはず。相手の弱点を知り尽くした“落としのプロ”が語らせるはずです」と指摘した。<br />
<br />
==中核派の労働運動==<br />
中核派は創世期は学生中心であったが、[[1960年代]]末に中核派系の[[反戦青年委員会]]の労働者が続々と街頭武装闘争に参加するようになった。以降、沖縄闘争や三里塚闘争、狭山闘争などの闘いに労働者が決起した。また[[1970年代]]の対革マル戦、[[1980年代]]のゲリラ闘争においても労働者が革命軍の武闘を支えた。[[1990年代]]のゲリラ戦から労働運動への転換によって「4大産別」での闘いが重要視されるようになり、[[2000年代]]の「階級的労働運動路線」からは4大産別だけではなく、あらゆる業種の職場での闘いも重要視されるようになっている。2000年代後半からは、「4大産別」に医療・福祉と非正規などを軸とする産別闘争が加わり、「6大産別」と呼ばれるようになった。<br />
<br />
[[公安調査庁]]からは、中核派が傘下大衆団体を隠れ蓑として労働組合などへの浸透を強化させており、[[武装闘争]]路線を堅持しながら組織拡大に向けた取組を継続・強化させていると指摘されている。<br />
<br />
===4大産別(6大産別)===<br />
* [[日本国有鉄道|国鉄]]([[JR]])<br />
* [[日本郵政グループ労働組合|全逓]](郵政)<br />
* [[教労]]<br />
* [[自治体]]<br />
* [[医療・福祉]]<br />
* [[合同労組]]<br />
<br />
===支持・共闘関係の労働組織===<br />
:*[[国鉄千葉動力車労働組合]](動労千葉) 「中核派労働運動の精華」あるいは「世界革命の司令塔」「[[新自由主義]]に打ち勝っている世界で唯一の労組」などと自称し、「階級的労働運動路線のもとすべての労働者は動労千葉のように闘おう」と呼びかけている。動労千葉の元委員長中野洋(故人)は中核派の副議長であり同派の実質的な最高指導者と目されていた。現委員長の田中康宏も政治局員の一人といわれている。<br />
:*[[国鉄水戸動力車労働組合]](動労水戸)<br />
:*[[国鉄西日本動力車労働組合]](動労西日本)<br />
:*[[全国労働組合交流センター]](中核派系の[[ナショナルセンター]]。各地に支部がある)<br />
:*[[国労闘争団]]<br />
<br />
==学生運動==<br />
中核派の学生政治組織として、「マルクス主義学生同盟・中核派(マル学同中核派)」がある。学生大衆組織には[[全日本学生自治会総連合]](全学連)がある(いわゆる中核派全学連)。過去から現在、中核派の学籍者がいるとされている[[大学]]は以下の通り。<br />
<br />
*[[九州大学]]<br />
*[[慶應義塾大学]]<br />
*[[東北大学]]<br />
*[[東海大学]]<br />
*[[富山大学]]<br />
*[[上智大学]]<br />
*[[広島大学]]<br />
*[[弘前大学]]<br />
*[[法政大学]]<br />
*[[岡山大学]]<br />
*[[京都大学]]<br />
<br />
2006年3月14日、法政大学「当局」の立て看板撤去に抗議していた中核派活動家など29人(内法大生など大学関係者は5人)が[[建造物侵入]]と[[威力業務妨害]]の容疑で逮捕された。逮捕時には約200人の[[公安警察]]が動員された。中核派はこの事件を「2006・3・14法政大学弾圧事件」と称し強く反発した。25日には29人全員が釈放され、そのうち法大生であった5人には停学や退学処分が下された。その後、処分生5人や法政大学無関係者も含む逮捕者を中心に「3・14法大弾圧を許さない法大生の会」という団体をつくり、学内外で抗議活動を現在も行っている。大学側は警備員を常駐させるなどして対処している。06、07年中に停学学生に対して無期限停学や退学など追加処分が下され、(大学無関係者含めて)逮捕者は40名を超えている。<br />
<br />
2007年4月27日、退学処分に対する中核派などのデモ中、中核派全学連活動家の学生ら2名が大学職員への暴行容疑で逮捕された。しかし、デモに参加した[[外山恒一]]によると、逮捕は「[[転び公妨]]」の変形で、職員が事前の打ち合わせ通り首を絞められたと騒ぎ立て、逮捕の口実にしたという。<br />
<br />
2009年4月24日、東京地裁による「情宣活動禁止等仮処分命令」、大学側による処分発令などに対する中核派らによる抗議集会とデモにおいて、中核派全学連活動家の学生ら6人が[[公務執行妨害]]などの容疑で逮捕(集会中に5人、デモ後に警察署前で行われた抗議行動で1人)された。<br />
<br />
==諸戦線==<br />
===支持・共闘関係の大衆組織===<br />
:*[[三里塚・芝山連合空港反対同盟(北原派)]]<br />
:*[[杉並親の会]] <br />
:*[[全国部落青年戦闘同志会]]<br />
:*[[都政を革新する会]](都革新) <br />
:*[[部落解放同盟全国連合会]](現在は「差別問題」などを理由とした対立により一部の支部を除いては中央派との関係が事実上断絶している。)<br />
:*[[被爆者青年同盟]]<br />
:*[[百万人署名運動]]<br />
:*[[婦人民主クラブ全国協議会]]<br />
:*[[青年アジア研究会]]<br />
<br />
==中核派用語集==<br />
:[[10月8日|10・8(じっぱち)]]=中核派が初めて武装闘争を行った1967年の[[羽田事件|羽田闘争]]のこと。その闘いは「10・8精神」として称揚されている。<br />
:MWL=[[マルクス主義青年労働者同盟]](マル青労同)<br />
:MSL=[[マルクス主義学生同盟]](マル学同)<br />
:NC=革命的共産主義者同盟全国委員会<br />
:SOB=学生組織委員会<br />
:WOB=労働者中央組織委員会<br />
<br />
== 年表 ==<br />
* [[1956年]]<br />
: 10月 [[ハンガリー動乱|ハンガリー革命]]がソ連によって弾圧。反乱したハンガリー労働者を支持する反スターリン主義運動が始まる。<br />
<br />
* [[1957年]]<br />
: 1月 黒田寛一や太田竜らを中心として、日本トロツキスト連盟が結成される。<br />
: 12月 名称を、日本トロツキスト連盟から、[[革命的共産主義者同盟 (日本)|革命的共産主義者同盟]](革共同)に改称。<br />
: 太田らが中心の[[トロツキズム|トロツキー派]]と、[[反スターリン主義|反スターリン派]]の黒田寛一・本多延嘉ら「革命的マルクス主義者グループ」(RMG)が対立していく。<br />
<br />
* [[1958年]]<br />
: 7月 太田派が革共同から離脱し、日本トロツキスト同志会を結成([[革共同第一次分裂]])。<br />
<br />
* [[1959年]]<br />
: 8月 日本民主青年同盟の情報を警視庁に売ろうとしていたことを理由に、黒田が革共同から除名される。その後を追うように、本多延嘉らRMGのメンバーも革共同から離脱。[[反帝国主義]]・[[反スターリン主義]]の基本戦略を掲げて、革命的共産主義者同盟全国委員会(革共同全国委)が結成される([[革共同第二次分裂]])。<br />
<br />
* [[1960年]]<br />
: 4月 マル学同(革共同の学生組織)結成。<br />
: 6月 安保闘争<br />
<br />
* [[1961年]]<br />
: 3月 分裂したブント([[共産主義者同盟]])の半数が革共同へ移行する。中核派これをもって新左翼は革命的に統一されたとする。<br />
: 4月 全学連第17回大会。[[覇権|ヘゲモニー]]をめぐりマル学同と「つるや連合」(ブント・[[社青同解放派]])などが衝突。マル学同は角材で武装して突撃。<br />
<br />
* [[1962年]]<br />
: 6月 [[第6回参議院議員通常選挙]]に黒田寛一が出馬するも、落選。<br />
: 9月 [[議長]]・黒田寛一派と[[書記長]]・本多延嘉派の対立が表面化する。<br />
<br />
* [[1962年]]<br />
: 9月 [[革共同第3回全国委員会総会]](3全総)。社会党・共産党をのりこえて階級闘争を戦闘的に推進していくことを確認。議長・黒田寛一派と書記長・本多延嘉派の対立が表面化する。<br />
:10月末 政治局内の本多延嘉が「本多フラクション(本多、野島、陶山、北川、白井)」を発足。<br />
<br />
* [[1963年]]<br />
: 4月 黒田派が脱党して[[日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派|革マル派]]を結成。執行部を抑えた本多派は中核派を形成する([[革共同第三次分裂]])。<br />
中核派はブント、解放派、[[構造改革]]派(構改派)と連合4派を組み、全学連を独占する革マル派と対抗していく。<br />
: 9月13日 「清水谷公園乱闘事件」―中核派ら連合4派250名が集会しているところへ、革マル派150名が押しかけ、角材で乱闘。<br />
<br />
* [[1964年]]<br />
: 7月2日 「早大殴り込み事件」―革マル派の拠点である早大に、中核派、解放派、構改派の3派が殴り込み。投石、角材で渡り合う。<br />
: 7月 全学連第20回大会。会場を占拠する革マル派に対し、中核派130名がスクラムを組んで突入し激突。<br />
<br />
* [[1965年]] <br />
: 連合4派から構改派が抜け落ちた中核派、社学同、解放派が三派都学連を結成。<br />
: [[日韓闘争]]([[日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約|日韓条約]]締結反対闘争)。学生運動の復活が始まる。<br />
<br />
* [[1966年]] <br />
: 革共同第3回全国大会―安保粉砕・日本帝国主義打倒の基本路線をうちだす。そのもとで[[70年安保]]・[[沖縄闘争]]に突入していく。<br />
<br />
* [[1967年]]<br />
: 10月20日 [[羽田事件#第一次羽田事件|10・8羽田闘争]]。[[佐藤栄作|佐藤]]首相(当時)の南ベトナム訪問阻止闘争。三派全学連を構成する中核派はヘルメットと角材で武装して弁天橋で機動隊と激突。この闘いで中核派学生・[[山崎博昭]]が死亡。<br />
: 11月[[羽田事件#第二次羽田事件|第二次羽田闘争]]<br />
<br />
* [[1968年]]<br />
: 1月 [[佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争|米原子力空母エンタープライズ佐世保寄港阻止闘争]]。佐世保市民の支持を得る。<br />
: 2月~ [[王子野戦病院設置阻止闘争|王子闘争]]。市民が闘いに加勢する。3月28日のデモで49人が基地内に突入。<br />
: 10月21日 10・21[[国際反戦デー]]。都内各地で諸セクトが決起する中、中核派部隊は米軍タンク車の輸送を阻止するため新宿駅で闘争。新宿は2万人の群衆が暴動に加わり、[[騒乱罪]]が適用された。<br />
: 11月21日 東大・日大闘争勝利全国学生総決起大会。<br />
[[日大]]・[[東大]]を先頭に全国で[[大学闘争]]が高揚。<br />
<br />
* [[1969年]] <br />
: 1月18日~19日 [[東大安田講堂事件|東大安田砦攻防戦]]。中核派は法研棟を死守。<br />
: 4月27日 本多延嘉が[[破壊活動防止法]]違反(予備・陰謀)で逮捕される。<br />
: 4月28日 4・28沖縄闘争。銀座で市街戦。<br />
: 6月 都議会選挙。北小路敏が出馬するも落選。<br />
:: 8日 [[アジア太平洋協議会|アスパック]]粉砕闘争。中核派学生の乗っていた電車車両が切り離され全員逮捕。<br />
: 8月17日~18日 広島大学闘争。<br />
: 9月20日~22日 京大時計台闘争。<br />
: 10月~11月 「第1の11月決戦」――「沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」「日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ」のスローガンのもとに学生とともに労働者が武装闘争に決起した。<br />
: 10月21日 国際反戦デー。新宿で市街戦。1600人逮捕(半数は労働者)。<br />
: 11月16日~17日 佐藤訪米阻止闘争。蒲田で市街戦。2500人逮捕(半数は労働者)。<br />
::16日 中核派主力は午後3時30分、東京駅に約200名の部隊を結集、途中品川駅で200の部隊と合流して400の部隊で午後4時20分に京浜東北線蒲田駅東口に到着。機動隊との戦闘状態に入り、火炎瓶と催涙弾が応酬するが、20分で壊滅した。あとは電車が到着するたび200、100の小部隊が投入されるが次々に粉砕されてしまう。<br />
<br />
* [[1970年]]<br />
: 4月28日 全国全共闘と全国反戦、6月行動委が共催の4・28闘争。デモ解散地に革マル派1000名が突入しようとするが入場を阻止。<br />
: 6月 安保闘争―武装をひかえた肉弾デモで闘う。<br />
: 7月7日 中国人青年からの糾弾を受けて自己批判を行い、「連帯戦略」を形成・深化させる(プロレタリア国際主義の7・7路線)。以降、中核派はありとあらゆる反権力的な大衆闘争にコミットしていく。<br />
: 8月4日 [[東京教育大学]](現[[筑波大学]])の革マル派・海老原俊夫を[[法政大学]]構内で殺害する([[東京教育大学生リンチ殺人事件]])。夕刻から革共同大政治集会。<br />
<br />
* [[1971年]]<br />
: 69年のダメージのため70年は武装実力を控えていたが71年に入り戦闘力が復活。現段階は69年11月決戦で質的に一歩高めた階級闘争を、さらにもう一歩すすめるための「死闘的調整期」であるとした。<br />
: 2月 [[三里塚闘争|三里塚]]第一次土地強制収用阻止闘争。3週間、激しい闘争が繰り広げられた。<br />
: 3月 破壊活動防止法違反で逮捕され、2年近く拘留されていた本多延嘉が解放。<br />
: 6月15日~17日 沖縄返還協定阻止闘争。<br />
::17日 69年並の武闘が復活。明治公園に中核派を中心とする2万人のデモ隊が結集、公園周辺にバリケードを築き1時間にわたって解放区を現出。デモ隊に紛れ込んだ赤軍派により爆弾が投じられ大混乱に。逮捕者732名。<br />
: 7月 三里塚農民放送塔死守闘争。ダイナマイトが使用される。<br />
: 8月4日 革共同大政治集会ー秋期大決戦突入の号令。大衆によるコザ暴動、三里塚での農民の闘い、ノンセクトの爆弾闘争の頻発。これらの事件に中核派は影響を受け、「全人民的規模での「10・8」を!」と呼びかける。<br />
: 9月 「三里塚決戦」第二次土地強制収用阻止闘争。中核派は数千人を投入。<br />
: 10月20日 横国大で革マル派の美術学校生・水山を殺害。<br />
::21日 10・21闘争。ゲリラ戦の号令。新橋、有楽町で解放区型闘争。210名逮捕。<br />
::23日 首都圏の中核派拠点大学に革マル派がテロ攻撃。<br />
: 11月14日 沖縄返還批准阻止を掲げて渋谷で機動隊と衝突。大坂正明が中村常雄巡査を残忍極まりない手口で殺害([[渋谷暴動事件]])。<br />
::19日 日比谷の[[松本楼]]が放火され、警備員が殺害。<br />
: 12月4日 関西大学で、中核派の学生2人が革マル派の襲撃を受け死亡。<br />
<br />
* [[1973年]]<br />
: 3月 対革マル戦争の路線対立で政治局員・[[田川和夫]]が除名。<br />
: 9月 部落問題をめぐる意見の対立から[[沢山保太郎]]が除名。<br />
<br />
* [[1974年]]<br />
: 2月6日 [[琉球大学]]構内で、活動と無関係の一般学生を「革マル派メンバー」として殺害する([[琉球大学内ゲバ誤認殺人事件]])。<br />
<br />
* [[1975年]]<br />
: 3月6日 革マル派の機関紙「解放」発行責任者・堀内利昭(難波力)が、東京都渋谷区日通航空新宿営業所内で鉄パイプで襲撃され殺害。<br />
: 3月14日午前3時頃 中核派の最高指導者[[本多延嘉]]が川口市戸塚のアパートで革マル派に殺害される([[中核派書記長内ゲバ殺人事件]])。<br />
: 3月16日 中核派が記者会見。革マル派幹部である[[黒田寛一]]、[[松崎明]]、[[土門肇]]の「革命的処刑」を宣言するなど、革マル派への全面復讐を宣言。<br />
: 3月20日午前0時過ぎ 革マル派の岡本良治及び中島章ら3人が潜伏していた荒川区東日暮里今村のマンションに、中核派が鉄製の三段式のはしごで侵入。3人をバールで殴打し殺害。<br />
: 3月27日午後4時40分 革マル派の川崎市職員・西田はるみが神奈川県川崎市役所裏で鉄パイプで襲撃され死亡。初の女性死者。<br />
: 4月1日午後10時過ぎ 革マル派千葉県委員長・船崎新が東京都墨田区内の喫茶店で殺害される。<br />
<br />
*[[1978年]]<br />
: 車両基地に停車していた[[京成電鉄]]の[[スカイライナー]][[京成AE形電車 (初代)|AE型]]に時限発火装置を仕掛けて全焼させるテロ事件を起こす([[京成スカイライナー放火事件]])。<br />
<br />
* [[1980年]]<br />
: 対革マル戦争を担いロンドンに亡命していた[[上口孝夫]]が帰国し、正統本多派と称して「『勝利に向っての試練』編集委員会」(試練派)を立ち上げ、中核派から分裂した。(後に試練派は1983年、[[日本革命的共産主義者同盟(第四インターナショナル日本支部)|第四インター]]に近づくが失敗し、86年に「第四インターナショナル・ボルシェヴィキ派(準備委員会)」(ボル派)を結成し、機関誌『ボルシェヴィキ』を創刊した)<br />
: 10月30日 大田区南千束の路上で革マル派活動家を襲撃。一度に5人を殺害。<br />
<br />
* [[1983年]]<br />
: 3月8日 主に「一坪再共有化運動」の是非をめぐって[[三里塚・芝山連合空港反対同盟]]が分裂。「再共有化運動」に反対した中核派は、「北原派」を支持する。<br />
<br />
* [[1984年]]<br />
: 1月 全国一斉に五箇所の[[日本革命的共産主義者同盟(第四インターナショナル日本支部)|第四インター]]派メンバー宅を襲撃。一人に頭蓋骨陥没させる重傷を負わせる。<br />
: 7月 全国一斉にふたたび三箇所の第四インター派メンバー宅を襲撃。一人に片足切断の重傷を負わせる。<br />
: 9月19日 中核派の地下軍事組織である「人民革命軍」が、火炎放射器で自由民主党の本部を襲撃。本部ビルの一部を焼失させる([[自由民主党本部放火襲撃事件]])。実行犯として中核派活動家1人が逮捕されたが、後の裁判で無罪が確定している。<br />
<br />
* [[1985年]]<br />
: 10月20日 三里塚第一公園での集会後、三里塚交差点付近で丸太、鉄パイプ、火炎瓶などを武器に機動隊と大規模衝突。機動隊員に重傷者9名を含む59名に重軽傷を負わせたほか、活動家らが多数逮捕される([[10.20成田現地闘争]])。<br />
: 11月29日 [[首都圏]]・[[大阪]]地区の[[国電]]運転線区で同時多発的に通信ケーブルを切断。さらに、[[浅草橋駅]]に突入・占拠し、放火([[国電同時多発ゲリラ事件]])。<br />
以降、街頭実力闘争は行っていない。<br />
<br />
* [[1986年]]<br />
: 1月20日 中核派全学連の副委員長代行を務めていた京都大学学生福島慎一郎が、一般学生に扮した数人の革マル派武闘派の鉄パイプによる襲撃で白昼の京大教養部構内にて殺害される。<br />
: 4月15日 [[在日米軍]]の[[横田飛行場]]を狙って、車の荷台から「迫撃弾」と称した金属の塊5個を射ち込む。<br />
: 5月4日 [[主要国首脳会議|東京サミット]]の式典会場となっていた[[迎賓館]]などを狙って、近くの[[マンション]]から「迫撃弾」「飛翔弾」と称した発射物5発を射ち込む([[迎賓館ロケット弾事件]])。その後、実行犯として中核派活動家4人が逮捕・起訴される。<br />
<br />
* [[1988年]]<br />
: 7月1日 京都大学で、中核派活動家6人が革マル派の襲撃を受け負傷。<br />
: 9月21日 千葉県収用委員会会長で弁護士の小川彰氏を鉄パイプで襲撃し、両足と左腕を骨折させる重傷を負わせる([[千葉県収用委員会会長襲撃事件]])。それとともに「収用委員会解体闘争」として収用委員全員に組織的に脅迫じみた手紙、電話などを送り続け、翌月、収用委員全員が辞任し千葉県収用委員会の機能が完全に停止する。<br />
<br />
* [[1989年]]<br />
: 7月3日 [[1989年東京都議会議員選挙|東京都議会選挙]]で中核派系とされる[[長谷川英憲]](杉並選挙区)が当選(「杉並革新連盟」として出馬、のちに「都政を革新する会(都革新)」と改称)。<br />
<br />
* [[1990年]]<br />
: 4月 [[日本飛行機専務宅放火殺人事件]]について、中核派革命軍による犯行声明が出される。<br />
<br />
* [[1991年]]<br />
: 5月 「五月テーゼ」(03年以降は「新指導路線」と呼称)を決定<br />
: 9月 [[外務省審議官実父宅放火殺人事件]]<br />
<br />
* [[1997年]]<br />
: 年末 第20回拡大全国委員会総会(20全総)。議長に清水丈夫を、書記長に天田三紀夫をそれぞれ選出。<br />
<br />
* [[1998年]]<br />
: 2月25日 午前二時三十分、革命軍が東京都世田谷区桜丘の運輸省(現・[[国土交通省]])元航空局長の新築中の住宅に時限式発火装置を仕掛け、放火。「「成田空港二〇〇〇年平行滑走路完成」攻撃を絶対に粉砕することを明らかにする戦闘宣言」と発表。<br />
<br />
* [[1999年]]<br />
: 11月 [[新東京国際空港公団]](現・[[成田国際空港株式会社]])次長の自宅に時限式発火装置を仕掛け、放火。<br />
<br />
* [[2000年]]<br />
: 6月5日 公式サイトを開設<br />
: 8月26日 [[運輸省]](現・[[国土交通省]])幹部の車両に時限式発火装置を仕掛け、放火。革命軍が「農民の営農破壊、生活破壊のためだけに暫定滑走路工事を強行してきた張本人」「強烈無比の爆破戦闘は、乗用車を大破し、家屋をも徹底的に破壊した」と軍報。<br />
<br />
* [[2001年]]<br />
: 前半頃 「革共同第6回全国大会」を開催。「黒田哲学」に対する批判と、革マル派に対する「勝利宣言」が出される。<br />
<br />
* [[2002年]]<br />
: 4月 [[千葉県]]職員宅に時限式発火装置を仕掛け、放火。<br />
: 5月27日 [[革命的共産主義者同盟全国委員会|中核派]]幹部や活動家、[[国労]]組合員が、同じ[[国労]]組合員に殴る、蹴る、首を絞めるなどの[[暴行]]をしたとして、10月7日、[[警視庁公安部]]は、国労闘争団員2人を含む[[国労]]組合員5人と中核派3人を[[逮捕]]した。検察は勾留満期の10月28日、8人のうち6人すなわち[[国労]]組合員5人全員と中核派1人が[[起訴]]され、中核派2人が釈放された。その翌日の29日、警視庁公安部は[[国労]]組合員2人をさらに逮捕した。11月18日、2人とも起訴された。<br />
: 12月18日 中核派元幹部で中核派を批判する本を書いていた[[白井朗]]が何者かに襲われ、負傷。<br />
<br />
* [[2003年]]<br />
: 8月 [[千葉県警]]幹部と[[同姓同名]]の男性が住む民家に爆発物を仕掛け、放火(県警幹部と誤認した可能性が指摘されている)。<br />
<br />
* [[2005年]]<br />
: 8月4日 杉並区役所での「[[新しい歴史教科書をつくる会]]」教科書採択反対デモの中で、参加者の中核派活動家[[北島邦彦]](現[[杉並区]]議会議員)が、ビデオ撮影をしていた男性に暴行を加えたとして逮捕される(後に釈放)。<br />
: 11月6日 同派及び関係労組らが主催する「全国労働者総決起集会」で過去最高の2700人(警察発表)を動員。<br />
: 12月 [[警察庁]]の「治安の回顧と展望」と[[公安調査庁]]の「[[内外情勢の回顧と展望]]」は中核派について、同派と関係のある[[市民団体]]と共闘して、「つくる会」の教科書の採択反対運動に関与していることを強く示唆。<br />
<br />
* [[2006年]]<br />
: 3月 関西地方委員会の一部党員が「指導部の腐敗、堕落」を訴えて「決起」。同地方委員会の議長を務めていた与田らを追放したほか、指導部に対して自己批判を求める。<br />
これ以降、「動労千葉派」を自称する「中央派」と、関西を中心とする「関西派」(「中央派」は「塩川一派」と呼称)との対立が表面化し、各地で「反中央派」の党員に対する処分が相次ぐ。<br />
: 3月3日 迎賓館や在日米軍の横田飛行場などを狙って迫撃弾を発射し、[[爆発物取締罰則]]違反の罪に問われた中核派活動家に対し、[[東京地方裁判所]]が[[懲役]]12年の実刑[[判決]]を言い渡す。[[被告人]]側は即日[[控訴]]。<br />
: 3月14日 中核派系全学連委員長ら29人が、法政大学で、大学敷地内で立て看板の撤去作業に抗議し、建造物侵入と威力業務妨害の容疑で現行犯逮捕される。<br />
: 秋頃 第22回拡大全国委員会総会(22全総)を開催。関西地方委員会の議長だった与田ら5名に対する除名処分が決議される。<br />
<br />
*[[2007年]]<br />
: 7月 政治局によって「7月テーゼ」が発表される。<br />
: 夏頃 第23回拡大全国委員会総会(23全総)開催。政治局から発表されていた「7月テーゼ」が全国委員会として正式決定される。党指導部から求められていた自己批判を拒否したとして、政治局員2人を除名。あわせて、「都政を革新する会」のメンバーだった現役杉並区議と前杉並区議の2名に対する除名処分も決議される。<br />
: 秋頃 第24回拡大全国委員会総会(24全総)。「関西派」の中心人物とされる塩川らを除名。<br />
: 12月 「関西党員総会」を開催。中央派と関西派の一連の対立で機能停止状態だった「関西地方委員会」(中央派)の再建が宣言される。<br />
<br />
* [[2008年]]<br />
: 5月28日 中核派系全学連委員長ら5人が、傷害と公務執行妨害の容疑で逮捕される。<br />
: 5月29日 法政大学でデモが起こり、中核派学生活動家33人が逮捕される。<br />
: 6月29日 渋谷で[[洞爺湖サミット]]反対デモが起こり、中核派活動家ら8人が、[[公務執行妨害]]の容疑で逮捕される。後日、前進社へ[[家宅捜索]]。<br />
: 7月3日 中核派活動家3人が、[[法政大学]]の敷地内に無断で侵入したとして、建造物侵入容疑で逮捕される。容疑者は、仲間の退学処分に抗議するためキャンパス内に侵入した。<br />
<br />
* [[2009年]]<br />
: 4月24日 法政大学でデモが起こり、中核派活動家6名が公務執行妨害等の現行犯で逮捕される。<br />
: 5月12日 千代田区一番町でデモ行進中、警備に当たっていた警察官に体当たりなどをした中核派全学連委員長織田陽介(28)が公務執行妨害で逮捕される。<br />
: 秋頃 第25回拡大全国委員会総会(25全総)において、「綱領草案」が採択される。<br />
<br />
*[[2010年]]<br />
: 2月5日 法政大学で、大学側による処分の撤回などを訴えていた中核派学生活動家6人が、威力業務妨害などの容疑で現行犯逮捕される(2月26日に全員釈放)。<br />
: 3月4日 副議長の中野洋が胆管ガンのため病死(享年70)。<br />
: 3月16日 中核派系全学連副委員長、京大法学部学生原田幸一郎(26)が京阪電鉄上り特急電車の中で、女子大学生の太ももを触った疑いで逮捕される。<br />
: 11月13日 北小路敏が敗血症のため病死(享年74)。<br />
<br />
==現在、指名手配されている中核派のメンバー==<br />
()内は現在、生存していると仮定した時の年齢。<br />
* 大坂正明 - 1949年9月29日生まれ、北海道出身。殺人([[渋谷暴動事件]]で中村常雄巡査を残忍極まりない手口で殺害)、放火など。<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
<references /><br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
*立花隆 『中核vs革マル』上巻 講談社〈文庫〉、1983年、ISBN 4061341839<br />
*立花隆 『中核vs革マル』下巻 講談社〈文庫〉、1983年、ISBN 4061341847<br />
*小西誠 『中核派vs反戦自衛官』社会批評社、2002年<br />
*小西誠 『新左翼運動その再生への道』 社会批評社、2000年<br />
*小西誠ほか 『検証 内ゲバ』part1 社会批評社、2001年<br />
*小西誠ほか 『検証 内ゲバ』part2 社会批評社、2002年<br />
*小西誠ほか 『検証 党組織論』 社会批評社、2004年<br />
*[[野村旗守]] 『[[Z(革マル派)の研究]]』月曜評論社 2003年、ISBN 4990163702<br />
*警察庁 「[http://www.npa.go.jp/keibi/biki5/index.html 平成17年の警備情勢を顧みて-回顧と展望-]」『焦点』272号、2006年<br />
*警察庁 「[http://www.npa.go.jp/kouhousi/biki3/index.html 平成16年の警備情勢を顧みて-回顧と展望-]」『焦点』270号、2005年<br />
*警察庁 「[http://www.npa.go.jp/kouhousi/biki2/index.htm 警備警察50年-警備警察50年 ~現行警察法施行50周年記念特集号-]」『焦点』269号、2004年<br />
<br />
==関連項目==<br />
*[[前進派]]<br />
*[[前進社]]<br />
*[[反スターリン主義]]<br />
*[[スターリニズム]]<br />
*[[日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派]]<br />
*[[マルクス主義学生同盟]]<br />
*[[マルクス主義青年労働者同盟]]<br />
*[[全日本学生自治会総連合]]<br />
*[[反戦高校生協議会]]<br />
*[[国鉄千葉動力車労働組合]]<br />
*[[全国部落青年戦闘同志会]]<br />
*[[部落解放同盟全国連合会]]<br />
*[[自由民主党本部放火襲撃事件]]<br />
*[[国電同時多発ゲリラ事件]]<br />
*[[中核vs革マル]]<br />
*[[百万人署名運動]]<br />
*[[先制的内戦戦略]]<br />
*[[国労闘争団]]<br />
*[[国鉄労働組合]]<br />
<br />
==外部リンク==<br />
*[http://www.zenshin.org/ 中核派(前進)](公式サイト)<br />
*[http://kakukyodo.jp/ 革共同再建協議会(関西派)]<br />
*[http://giron.ws/ 反戦共同行動・福岡(平田派)]<br />
*[http://syusyu.main.jp/ 現代革命論争資料蒐集(平田派?)]<br />
*[http://www.zengakuren.jp/ 全日本学生自治会総連合](中核派系)<br />
*[http://www.zenkokuren.org/ 部落解放同盟全国連合会]<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:かくめいてききようさんしゆきしやとうめいせんこくいいんかい}}<br />
[[Category:中核派|*]]<br />
[[Category:マルクス主義]]<br />
[[Category:政治的極左]]<br />
[[Category:日本のテロ組織]]<br />
[[Category:極左]]<br />
[[Category:反日主義]]</div>
Fromm
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E9%A6%AC%E9%B9%BF&diff=359834
馬鹿
2018-09-10T11:09:27Z
<p>Fromm: </p>
<hr />
<div>[[Image:バカ1.png|400px|thumb|バカ]]<br />
[[Image:バカ2.jpg|400px|thumb|バカ]]<br />
'''馬鹿'''(ばか)とは、[[日本語]]で相手をからかったり[[侮蔑]](その立場を低く見なす事で、相手の[[感情]]を損なう・[[人格]]の否定)するため、最も普通に使われる。<br />
<br />
漢字では'''莫迦'''、'''馬稼'''、'''破家'''、'''跛家'''等と表記するが、馬鹿を含めいずれも[[当て字|借字]]である。[[平仮名]]や[[片仮名]]で'''ばか'''・'''バカ'''と表記する場合もある。また、インターネット上では「ヴァカ」や「βακα」([[ギリシャ文字]]等の特殊な字を使う[[クサチュー語]]表記)などと表記されることもある。<br />
<br />
== 分析 ==<br />
[[Image:バカ3.jpg|350px|thumb|バカ]]<br />
この語は、あまりにも普遍的に用いられる事が多い事から、使う人・使われる相手(または対象)・使われる場により意味が変動する様子が見られる。一般的に[[関東地方|関東]]では軽い揶揄程度で使われることが多いが、[[近畿地方|関西]]では本当に罵り倒すときに使用されるなど、地域性の違いも見られる。相手の出身によって受け取られ方も大きく違う事も注意を要する(下記[[馬鹿#方言と分布状況|方言と分布状況]]参照)。<br />
<br />
比較的多く見られる[[ニュアンス]]では「知識が足りない」や「思慮が足りない」、更には「理解の度合いが足りない([[ステレオタイプ]]を乱用している)」という意味合いで用いられる。ただ、基本的に当人の理解しようとする[[意思]]や[[努力]]が不足しているとする傾向が強く、類語である[[阿呆]](あほう:理解したり思考する能力が不足している)との違いも見られ、先に挙げた関西と関東の「罵り程度の強弱」は、阿呆と馬鹿で逆転している傾向も見られる。意味自体に地域性は無いが、関東では阿呆というと、かなり強い軽蔑の意味を持つことが多い。<br />
<br />
その一方で、罵る意味が欠落する場合も多い。典型的な例としては、親しい間柄や恋人(特に男性が女性に)の間でかわされる会話が挙げられる。この場合の意味にはののしる意味はない。「親しさ」の表現や「恥じらい」、または「本気で愛している」を表現する上での[[符丁]]のように、様々な局面で用いられる。いずれにせよ長所も短所も併せて好き合っている間柄でないと同語はあまり使用されず、非常に親密な状態を示すバロメータと言えよう。<br />
馬鹿の「ばっ」という言葉を用いる場合もあるがこの場合は馬鹿と言いかけそうになった場合で本当に言ってる訳ではない。<br />
<br />
他方では、何かに熱中している人を指し・または自称で「馬鹿」とする場合がある。これは熱中する余り、他への配慮が等閑(なおざり)になっている様子を指している。例えば漫画を原作とする映画シリーズでは『[[釣りバカ日誌]]』が[[邦画]]の中でも好調な興行成績を挙げているが、同映画に登場するのは「[[釣り]]のためなら仕事を放り出す[[サラリーマン]]」と、「歳を取って釣りに出会い、その面白さについ没頭してしまう経営者」のユーモラスな友情である。この場合の「バカ」は主に自称であるが、時に一種の尊称として扱われる場合もある。もっと昔からいわれてきた「大馬鹿」に似た表現で、ごく最近の若者言葉では、あまりにも踏み外した者を「超馬鹿」「激馬鹿」など馬鹿の前に修飾する事で踏み外し度合いを強調することもある。<br />
<br />
しかし、同語は多かれ少なかれ感情的な意味合いを含む言葉であるため、その用法は公的な場では制限される事が多い。例えば、所属組織の上司に向かい同語を用いると、社会人として致命的な状況に追い込まれる可能性がある。また、子供同士の他愛の無い[[喧嘩]]などで、お互いにバカだ何だと罵り合う・掴み合う様がしばしば見られるが、これは傍目には、双方が馬鹿のように見える一つのケースである。さらに、同語を繰り返し用いると、相手の気分を害したり、人を見下す意味合いになる場合もある。<br />
<br />
=== 他の語と組み合わされる場合 ===<br />
先述のように、馬鹿を強調する場合には前に「大」を付ける「大馬鹿(おおばか)」が一つの定型である。そして、もう一つの定型としては、後ろに[[野郎]]がつく「馬鹿野郎」がある。また、「馬鹿者(ばかもの)」という使われ方もある。<br />
<br />
さらに、強調ではなく個人を特定する表現で「馬鹿者」がある。これを強調する場合には「大馬鹿者(おおばかもの)」が使われる。<br />
<br />
罵倒語同士の組み合わせとしては「馬鹿たれ」がある。<br />
<br />
逆に皮肉な表現としては「小馬鹿(こばか)」がある。<br />
<br />
=== 肯定的に扱われる場合 ===<br />
[[Image:バカ4.jpg|500px|thumb|バカ]]<br />
たとえば『[[空手バカ一代]]』のように、不器用ながらも一つの道を曲げずに歩き続けることで何らかのものを大成する、そのような姿をバカという例もある。「愚直の一念」といった表現もある。また、素直ではあるが気が利かないために役に立たない者は、しかしその真っ直ぐさのために何らかの感動を与える場合もある。<br />
<br />
ややこしい考えやたくらみを練らなければ、生きてゆく上では失敗や損もあるだろう。特にだまされることはあるに違いない。「正直者が馬鹿を見る」との言葉もある。しかし、だますのは罪だがだまされるのは罪ではない(場合が多い)。このような馬鹿は、少なくとも正直者ではいられる。『[[イワンの馬鹿]]』や『[[雨ニモマケズ]]』はこの方向かと思われる。<br />
<br />
やや似ているが、様々な状況を配慮し、それにそう形で物事を解決するような大人の判断に対して、それでは[[正義]]が真っ直ぐに貫けない場合がある。若者がそういった状況に耐えられずに真っ直ぐに進む様を「馬鹿」という例もある。'''馬鹿正直'''などは場合によってはこれを意味する。あるいは若者の暴発しがちなエネルギーをさして馬鹿という例もある。たとえば年を感じて「もう馬鹿はできないなあ」というのが逆説的であるがそれを示している。<br />
<br />
他方、物事を考える力が弱く、うまく物事を進められない場合、様々な失敗をすることになるが、その姿は、むしろ色々なことに気を遣い、先を読んで動かざるを得ない社会においては、一服の清涼剤ともなるであろう。[[禅僧]]の一つの姿としての[[良寛]]などはこれに近い。漫画『[[天才バカボン]]』のキャラクターである[[バカボンのパパ]]もそういう役割を担うことがある。<br />
<br />
[[遠藤周作]]の小説『おバカさん』はキリストを模しているとされる。<br />
<br />
なお、より大きな馬鹿は大物となり得る、といった表現は文学などで見ることがある。例えば[[司馬遼太郎]]は小説『[[項羽と劉邦 (小説)|項羽と劉邦]]』にて[[漢]]の高祖[[劉邦]]をそのように描いている。<br />
<br />
=== 馬鹿のもつ意味合いと使用される状況の例 ===<br />
;とりあえず失敗した場合に罵倒する。<br />
;愚かな行為や人物<br />
:「馬鹿なことをした」「馬鹿者!」など。知的障害者は知能が低いために馬鹿であるとみなされることがある。<br />
;一般常識、知識の乏しい人物<br />
:「○○も知らないの?お前馬鹿だな」「テスト0点だったの?馬鹿だね」など。<br />
;何かにこだわるなどして客観的で理性的な判断が出来ない状態<br />
:親馬鹿など。<br />
;ある特定分野にのみ通暁し、一般常識が欠落している人物を評する場合<br />
:「あいつは数学馬鹿だから」(ある得意分野には秀でているが他の知識は著しく疎い状態・または人、という否定的意味で使われるが、数学の知識だけは豊富に持ち、その方向には異常な執着を示す人物という肯定的意味で使われる場合もある)・「サッカーバカ」・「野球バカ」・「専門バカ」・「戦馬鹿」など。『[[空手バカ一代]]』『[[釣りバカ日誌]]』という[[漫画|マンガ]]もある。<br />
;役に立たないことを指す場合<br />
:「ネジが馬鹿になる」(過度の締付トルクで雌ネジ部を破損した状態。いくら締めてもネジはクルクルと回るだけで締結できない)など。<br />
;並外れて凄いものを表現する接頭語<br />
:「馬鹿正直」「馬鹿騒ぎ」「馬鹿でかい」など。「バカ受け」「バカ売れ」などはずいぶん新しい。一方、新潟地方では古くから「馬鹿~」で”程度が甚だしい”という方言として用いられていたと「[[ばかうけ]]」という米菓を製造する[[栗山米菓]]HPに記述がある。<br />
<br />
== 歴史 ==<br />
[[Image:ジャニオタ7.jpg|400px|thumb|[[ジャニヲタ]]]]<br />
文献における出典は次のとおり。<br />
*「かかるところに、いかなる推参の馬鹿者にてありけん」(太平記-巻第十六)<br />
*「馬鹿 或作母嫁馬嫁破家共狼藉之義也」(文明本節用集)<br />
*「馬鹿 指鹿曰馬之意」(運歩色葉集)<br />
*「此家中には、何たる馬嫁も、むさと知行を取ぞと心得て」([[甲陽軍鑑]]-品十三)<br />
*「女朗まじりの大桶、みるから此身は馬鹿となって」(浮世草子・好色一代男-五・三)<br />
南北朝時代の[[太平記]]での「馬鹿者(バカノモノ)」の使用が初出である。<br />
初期の頃での「馬鹿者」は[[文明本節用集]]にあるとおり「狼藉をはたらく者」で、現在の「愚か」の意味を含む言葉ではなかった。「愚か」を指す言葉には他に古代から使われていた「[[烏滸|烏呼者(ヲコノモノ)]]」があり、そちらが使用されていた。'''馬鹿'''が「愚か」の意を含むようになるのは江戸時代の[[好色一代男]]あたりからである。<br />
<br />
=== 無職少年(16)カップ麺を万引き、数分後に店に戻りお湯を注いで食べ始め現行犯逮捕 ===<br />
和歌山東署は[[2012年]][[10月2日]]、[[和歌山市]]在住の無職少年(16)を窃盗容疑で現行犯逮捕した。<br />
<br />
少年はコンビニエンスストアでカップ麺を万引きしたが、数分後に盗んだ店に戻り、店内のポットでお湯を注いで駐車場で食べ始めたため、不審に思った店長(58)が取り押さえた。少年は2日午前5時30分頃、和歌山市手平のコンビニでカップラーメン1個(販売価格248円)を盗んだ。<br />
<br />
少年は「ラーメンが食べたかった」と供述している。<br />
<br />
=== 特別支援学校の生徒死亡で処分(2011年6月) ===<br />
2011年に県立の特別支援学校の生徒が修学旅行中に体調を崩して死亡した問題で、新潟県教育委員会は、生徒には持病があり十分な休憩をとるなどゆとりのある計画を立てるべきだったのに配慮が足りなかったとして、教員ら4人を訓戒処分にした。 <br />
<br />
死亡したのは、[[県立はまぐみ特別支援学校]]高等部の当時3年生だった17歳の女子生徒。 <br />
<br />
女子生徒は2011年6月、学校の修学旅行に参加し、埼玉県から群馬県にバスで移動中に吐き気を訴えるなど体調を崩して2日後に死亡した。死亡した生徒には持病があり、学校ではバスなどで移動する場合は1時間ごとに休憩をとるという目安を設けていたにもかかわらずこの旅行ではおよそ2時間半、休憩をとらずバスで移動を続けた。 <br />
<br />
このため県教育委員会は、十分な休憩をとるなどゆとりのある計画を立てるべきだったのに配慮が足りなかったとして、旅行の計画や健康管理を担当した教員4人を文書訓戒や口頭訓戒の処分とした。 <br />
<br />
また、生徒が死亡した要因として、持病に加え前日の夜や当日の朝に食事をとっておらず、脱水症状になったことなども考えられるということで、県教育委員会は、特別支援学校の校長を対象に、生徒の健康管理のための研修会を開くなどして再発防止に努めることにしている。<br />
<br />
=== 「県民が本気になればオスプレイを止められる」市民団体がたこ揚げで抗議(2012年10月) ===<br />
沖縄平和運動センターのメンバーら約20人が2日、普天間飛行場南側の森川公園でたこを揚げて抗議した。[[オスプレイ]]が[[普天間]]に着陸する直前には大謝名からも揚がった。<br />
<br />
野嵩ゲートで座り込んだ人は「もっとたこや風船を揚げ続けるための募金を集めよう」と呼び掛け、約130人から約7万円が集まった。山城博治事務局長は「県民が本気になれば、オスプレイを止められる」とたこ揚げや風船掲揚を広く呼び掛ける考えだ。<br />
<br />
森川公園ではフェンス越しに海兵隊憲兵隊が軍用犬を連れて警戒、公園を管理する宜野湾市職員や警察官が約20人訪れ、たこ揚げを遠巻きに見ていた。<br />
<br />
飛行ルートに住む[[宜野湾市]]愛知の男性(44)はこの日早朝の野嵩の抗議集会に訪れて知り、たこ揚げ行動に賛同。「気合を入れてたこ揚げするなんて、沖縄の悲しい状況があるが、意思表示したい」と話した。<br />
<br />
伊波義安さん(70)は「戦後67年の怒りが爆発するのはこれからだ。沖縄の人が誇りを持って扱われるまで終わらない」と話した。<br />
<br />
=== 愛国掲げ4歳児連れて富士登山した中国人、食料や装備が不十分で日本人に助けられネットで叩かれる(2012年10月) ===<br />
[[Image:富士山の中国人.jpg|300px|thumb|愛国掲げ4歳児連れて富士登山した中国人]]<br />
スパルタ教育で知られる中国の男性が、4歳の息子を連れて富士山に登った。鍛錬と領土問題を訴える狙いだったが、食料や装備が不十分で登頂を断念。山小屋の日本人に助けられた。中国は教育熱が高く、「愛国」のさなかにもかかわらず、「児童虐待」「恥知らず」と批判を浴びている。<br />
<br />
「鷹式教育」と名付けて、子どもを極限状態に追い込む方法で知られる江蘇省南京市の何烈勝さん。著書もあり、「イーグル・パパ」と呼ばれている著名人だ。4歳の息子、多多(トゥオトゥオ)ちゃんは聴講生として小学校に通う。<br />
<br />
江蘇省の地元紙・揚子晩報などによると何さんは、多多ちゃんとその姉とともに9月277日に日本に到着。翌日、中国国旗をデザインした服を着て5合目から登り始めた。<br />
<br />
だが、夏の登山シーズンが終わっていると知らず、食料はパンやチョコレートなどわずかだった。雨が降り始め、気温は零下に迫る。疲労や高山病で子どもたちは泣き出した。8合目の山小屋で、<br />
日本人に手袋や帽子、服をもらい、「これ以上は危険だ」と諭されて下山したという。<br />
<br />
=== 【気合確認】自ら110番しパトカーに追われて気合いの有無確認(2012年10月) ===<br />
バイクに分乗して暴走行為を行ったとして、[[神奈川県警]]交通捜査課などは[[10月29日]]、道交法違反(共同危険行為)の疑いで横須賀市と三浦市に住む16~18歳の建設関係や無職などの少年7人を逮捕、1人を書類送検した。<br />
<br />
逮捕・書類送検容疑は[[平成23年]][[12月1日]]午前3時5分ごろから約8分間、[[横須賀市]]津久井から[[三浦市]]南下浦町にかけての国道で、計11人でバイク6台に分乗し、赤信号無視や蛇行運転を繰り返したとしている。同課によると、全員容疑を認めている。 <br />
<br />
少年8人は横須賀市と三浦市を勢力範囲とする暴走族「渋川連合」の新人メンバー。先輩格の少年が「これから暴走族が走ります」と110番通報し、パトカーに追いかけられながら走らせることで、気合が入っているかを見ていたという。<br />
<br />
=== "お金の心配なく学びたい" 私学助成の増額や私学の無償化を求めてパレード ===<br />
[[Image:バカ5.jpg|300px|thumb|バカ]]<br />
京都の私立中学・高校生が中心となって運営するイベント「京都私学フェスティバル2012」が2012年[[11月18日]]、[[京都市]]東山区の円山音楽堂で行われ、約2000人が参加した。 <br />
<br />
会場では、中高生による模擬店や、各校のダンス部・バトン部・吹奏楽部などによる演奏のほか、東日本大震災の復興支援に関わっている高校生の報告などもあった。また、私立学校への助成金増額を求める署名活動も行われ、約250人分が集まった。この署名は、12月に国会へ提出する。 <br />
<br />
イベント後、観光客でにぎわう四条通りで、私学助成の増額や私学の無償化を求めてパレードした。参加した高校生は、吹奏楽部の演奏とともに、<br />
<br />
「お金の心配なく学びたい」「教育に公平を」「We Love 私学」<br />
<br />
などとアピールした。実行委員長で[[同志社高校]]2年生の浅井香帆さんは、<br />
<br />
「私立高校の学費は未だに高く、公立との格差が開いている。私たちが訴えることで、社会を変えていきたい」と語った。<br />
<br />
このパレードを見ていた人達からは、「なぜ公立へ進学しないのか?」「私立と公立の学費が違うのは当然」との意見が多数であった。<br />
<br />
=== 「生活保護を受けていたが生活が苦しかった。死のうと思ったが死にきれなかった」23歳妻を絞め殺す。無職男(22)を逮捕 ===<br />
[[Image:バカ6.jpg|300px|thumb|バカ]]<br />
妻の首を絞めて殺害したとして、[[福岡県警]]西署は[[2012年]][[11月20日]]、[[福岡市]]西区拾六町、無職石橋朗((22)を殺人容疑で逮捕した。 <br />
<br />
石橋容疑者は結婚したばかりだったが、「生活が苦しく無理心中しようと思った」と容疑を認める供述をしている。石橋は[[11月16日]]午後11時頃、自宅マンションで妻、かすみさん(23)の首を後ろから腕で絞め上げ、窒息させて殺害した。<br />
<br />
石橋は20日正午頃、「嫁を殺した」と110番。駆けつけた署員らがマンションのベッドで亡くなっているかすみさんを発見した。<br />
<br />
2人は夏頃から同居し、[[11月9日]]に婚姻届を提出していた。石橋は「仕事もなく、生活保護を受けていたが、夏頃から食べるものにも困っていた。首をつって死のうと思ったが死にきれなかった」と供述している。<br />
<br />
=== 女装男が女湯侵入、39歳派遣社員、下着姿で逮捕(2012年12月) ===<br />
女性の裸が見たくて女装して公衆浴場の女湯に侵入したとして、[[山形県警]]米沢署は[[2012年]][[12月20日]]までに、同県[[飯豊町]]の派遣社員の男(39)を建造物侵入容疑で逮捕した。長髪のかつらにスカート姿、さらにブラジャーなど女性用下着を着用しての犯行だったが、女性従業員に見破られ、通報された。男は「どうしても女性の裸が見たかった」と容疑を認めている。<br />
<br />
事件があったのは[[米沢市]]の国道沿いにある、レストランやマッサージルームなどを併設したスーパー銭湯。隣町の飯豊町に住む男は19日午後3時頃、長髪のかつらを着け、ブラウスに膝下丈のスカート姿で現れ、入場料を払ってフロントを通過。男湯の奥にある女湯に入った。<br />
<br />
女性従業員は、不審に思い、後ろから様子をうかがった。脱衣所で下着姿になって、浴室の中をのぞき見している「女」の下半身が盛り上がっているのを確認。110番通報した。犯行当時は雪が降っており、'''女性客は一人もいなかった'''。<br />
<br />
女性従業員は「最初から女性の体形には見えなかったが、念のため様子をうかがってから通報した」と話している。<br />
<br />
=== AKBオタが出会い系サイトの「AKB☆あっちゃん」を前田敦子と思いこみ270万円を貢ぐ・・・昨年だけでAKB48詐欺に2,100人がひっかかり2億円を騙し取られる ===<br />
[[Image:バカ7.jpg|300px|thumb|バカ]]<br />
[[出会い系サイト]]で[[芸能人]]などになりすまし、高額な利用料をだまし取る「サクラサイト」の被害が後を絶たない。全国の消費生活センターに寄せられている相談は年間約3万件。[[千葉県警]]は2012年、アイドルグループ「AKB48」のメンバーなどをかたって約2,100人から約2億1000万円をだまし取ったとみられるサイト運営会社の元社長らを逮捕した。その手口は人の心の隙間に入りこむ、巧妙なものだった。<br />
<br />
==== 仕事で落ち込んでいるの ====<br />
関東の20代男性に<AKB☆あっちゃん>を名乗る人物からメールが届き始めたのは2011年4月ごろ。男性はAKB48の元メンバー、[[前田敦子]]さんを連想し、半信半疑でやりとりを始めた。<劇場開演5分前><公演、今終わったよ>。本人のブログなどで確認すると一致点が多かった。<br />
<br />
メールの送り主は、[[アグライアジャパン]]の[[アルバイト]]従業員とみられる。約20人がタレントのブログなどを参考にメールし、交代時はやりとりを引き継いでいた。メールはサイト経由限定で、やりとりするほど同社がもうかる仕組み。無料のサービス期間が終わり、送信1回で450円が課金されるころには、男性はすっかり<あっちゃん>との恋人気分に浸っていた。<br />
<br />
一度<朝早くなら、ばれない>というメールを信じ、東京都内の駅で待ち合わせたが<マネジャーが来た>と会えずじまい。それでも「AKBは恋愛禁止だから会えなくて、よかったかも」と疑わず、最終的に約270万円をつぎ込んだ。<br />
<br />
「かけがえのない存在だった。だからこそ許せない」。男性はそう落胆しているという。<br />
<br />
=== 鳥人間コンテストを提訴「落下の衝撃で動けない身体に」 ===<br />
[[Image:バカ8.jpg|300px|thumb|バカ]]<br />
「事故後はほとんど体が動かず、いっそのこと死んでしまおうと思うほどの日々でした。でも、どうせ死ぬならと思い、九州から東京に出てきたんです……」<br />
<br />
と語るのは、川畑明菜さん(26)。[[2007年]][[7月29日]]、[[読売テレビ]]主催の『第31回鳥人間コンテスト』に出場した彼女は、人力飛行機で滑走中に左主翼が折れ曲がり約10メートルの高さから落下。その衝撃が原因で『[[脳脊髄液減少症]]』という後遺症を患うことになった。<br />
<br />
脳脊髄液減少症とは、脳脊髄液が漏れてしまうことが原因で頭痛やめまいや耳鳴りなどの症状が起こる疾患。川畑さんの場合は、日常生活もままならないほどで地獄のような6年間を過ごしてきたという。そんな彼女は2013年4月、読売テレビと当時籍を置いていた[[九州工業大学]]、人力飛行機を制作したサークルの顧問、リーダーや設計責任者や政策責任者などの幹部学生らを相手取り、4305万8800円の支払いを求める裁判を起こした。<br />
<br />
第一回口頭弁論は6月14日に行われた。<br />
<br />
「裁判になってしまったのは非常に残念です。ただ提訴の期限が迫っていたため、決意しました。訴える前には、テレビ局の方ともお会いしました。しかし『裁判をするとお互いのためにならないよ』などと言うばかり。今後の安全対策についてなど、私が満足するの話し合いはできませんでした。私は、なぜこんな事故が起きてしまったのかを知りたかった。それに今後、二度と同じことが起こらないようにしたいと思ったんです」<br />
<br />
彼女が出場した『鳥人間コンテスト』は読売テレビが1977年から始めたもので、人力飛行機の滞空時間や飛行距離を競う大会。川畑さんは九州工業大学のサークル『KITCUTS』の操縦士として参加。人力飛行機の製作は約1年前から準備されていたが彼女は操縦士として1日40~80キロを自転車で走るなどの別メニューをこなしていたという。<br />
<br />
「今考えれば、とても人を乗せて飛ばせる機体ではなかったのでしょう。大会に間に合わせるために十分な飛行試験も行われず、荷重試験もできていませんでしたから……。事故直後は『あっ、飛んだのかな』と思った瞬間、機体から放り出されました。湖面に落ちたとき、全身に激痛が走ったのを覚えています」<br />
<br />
=== 「奨学金に人生を狂わされた」就職難や非正規増影響… 奨学金で自己破産 ===<br />
[[Image:私立高校をタダにしろ1.jpg|350px|thumb|私立高校の馬鹿「教育に平等を!」「私学も無償に」と勉強せずに行進]]<br />
[[就職難]]や[[非正規雇用]]の増加を背景に、学生時代に借りた[[奨学金]]の返済滞納者が増えている。[[千葉市]]の男性(25)もその一人で、返済ができずに[[自己破産]]に至った。<br />
<br />
男性は高校卒業後、都内のアニメ専門学校に入学する際、[[日本学生支援機構]]を通じ、奨学金を借りた。共働きの両親の月収30万円では、進学できなかったからだ。<br />
<br />
一年半ほど通ったが、父親が親戚から借りた約200万円の返済に奨学金を充てざるを得なくなり、学費がなくなって中退。利子を含めて借りた奨学金約300万円が負債として残った。その後、[[警備会社]]で[[アルバイト]]したが、月十数万円の手取りでは返済は進まなかった。<br />
<br />
10年6月、コンビニ店のオーナーから「ゆくゆくは店長にするから」と店の仕事に誘われた。仕事は見つかったが、父親が男性名義で百万円以上の借金をしていたことが新たに分かり、借金は500万円近くに膨らんだ。<br />
<br />
仕事もオーナーが12年1月に突然店を閉めたため失った。借金返済を相談した[[司法書士]]から「ほかの借金だけなら何とかなるが、奨学金も合わせると破産しかない」と言われ、自己破産した。 <br />
<br />
「奨学金に人生を狂わされた。借りなければ、もっと良い人生が歩めたかな…」と疑問を抱く男性。父親も亡くなり、現在は[[生活保護]]を受けながら仕事を探す。だが、高卒で車の運転免許もなく、仕事はアルバイトぐらいしか見つからないという。<br />
<br />
=== 痴漢交流サイト“なりすまし”に騙され?堂々お触りの男逮捕 ===<br />
和歌山東署は2013年[[5月8日]]までに、電車で女性(23)に痴漢行為をしたとして強制わいせつで、[[大阪府]][[岸和田市]]の元[[介護士]]、小川雅矢(26)を逮捕した。<br />
<br />
痴漢の[[インターネットサイト]]を利用した同容疑者は、合意の上での「痴漢プレー」を主張しているが、女性はこれを全面否定。同署は、何者かがネット上で女性に成り済ましたとみて調べている。 <br />
<br />
[[ゴールデンウイーク]]の谷間の[[4月30日]]午前7時過ぎ、[[JR和歌山線]]の[[粉河]]発[[和歌山]]行き普通列車内で、驚きの痴漢事件が発生した。<br />
<br />
通勤のため、対面タイプの4人乗りボックス席の窓側に座っていた[[紀の川市]]に住む女性のスカート内に、隣に座る小川の手が伸びてきたのだ。遠慮などない。手は女性の太ももや腹をはい回ったという。<br />
<br />
痴漢行為を働いていたのは小川だけではなかった。電車の出入り口付近に立っていた男が女性の背後から手を伸ばし、胸を触ってきたという。<br />
<br />
女性が「やめてください」と言うと、立っていた男は途中の駅で下車した。ところが、小川はやめない。約20-30分、痴漢行為を続けた。そして、電車が終点の[[和歌山駅]]に停車すると、女性は小川の腕をつかんで駅員に引き渡し、逮捕に至った。<br />
<br />
小川は「痴漢をしたい人と、されたい人が出会うインターネットのサイトを見てやった。サイトで女性から電車の時間と車両を指定された」と供述。しかし、女性は「サイトを利用したことはない」と全面否定している。<br />
<br />
和歌山東署によると、小川が利用したとみられる痴漢プレー掲示板には「和歌山線で痴漢してくれる人いませんか」などの書き込みがあり、座っている車両も指定していた。途中駅で下車した男もこのサイトを利用したとみられる。<br />
<br />
この掲示板の自称管理人は「逮捕者が出ました」などと書き込むなど、騒ぎが広がっている。 <br />
<br />
女性は通勤時、いつも同じ席に座っていたという。同署はこの習慣を知る人物が成り済ましたのではないかとみて、調べを進めている。<br />
<br />
=== 派遣社員女性(23)「会社に行きたくない」→「2人組の男に襲われたの☆(ゝω・)vキャヒ゜」 ===<br />
[[Image:バカ9.jpg|250px|thumb|バカ]]<br />
「会社に行きたくない」とウソの強盗被害届 <br />
<br />
[[石川県警]]金沢西署は2013年[[6月23日]]、[[金沢市]]畝田西の[[派遣社員]]女性(23)が虚偽の強盗被害を届け出たと発表した。<br />
<br />
女性は同日午後2時35分頃、同日午前に自宅アパートに2人組の男が押し入り、刃物を示して現金約5万円を奪って逃げたとして、交番に届け出た。女性の供述があいまいだったため、同署が追及すると虚偽であることを認めたという。調べに対し、女性は「会社に行きたくなかった」と話している。<br />
<br />
=== 【職業体験】社員「切断機に絶対触らないこと」→ 高校生「つまり触れって事ですね、わかります」 ===<br />
職場体験の高2、人さし指切断…機械監視中に <br />
<br />
大分県教委は[[2013年]]7月9日、[[大分市]]の[[県立情報科学高]]2年の男子生徒が職場体験中に右手人さし指を切断したと発表した。生徒は病院で手術を受け、命に別条ないという。<br />
<br />
県教委高校教育課によると、生徒は同日午前11時頃、訪問先の電子部品製造会社の工場(大分市)で、電線のカバーを自動切断する機械の監視を体験。社員から機械に触れないように注意を受けていたが、誤って指を出してしまい、指先を切断したという。<br />
<br />
=== おもちゃの“100万円札”で両替…「あまりにも稚拙」高校生2人逮捕(2013年11月) ===<br />
「100万円」と書かれた玩具の[[紙幣]]で両替を依頼し、現金をだまし取ったとして、[[大阪府警]]吹田署は4日、詐欺容疑で、府内の私立高校1年の男子生徒(16)と同級生の男子生徒(15)の2人を逮捕した。<br />
<br />
逮捕容疑は同日午前11時35分ごろ、同府吹田市寿町のたばこ店で、男性店主(76)に玩具の100万円札紙幣のコピーを渡し、1万円札に見せかけて両替を依頼。千円札10枚を受け取ったとしている。<br />
<br />
「[[コンビニ]]などで出せばすぐにばれるが、小さな店ならだませると思った」と容疑を認めている。<br />
<br />
店主がすぐに偽物だと気付き、110番。緊急配備中の署員が現場から北東に約2.5キロ離れた同市内の路上で、年齢や服装のよく似た2人組の少年を見つけ、事情を聴いたところ容疑を認めた。<br />
<br />
通常、偽札の使用には偽造通貨行使容疑が適用されるが、「あまりにも稚拙で偽札とはいえない」(同署)として詐欺容疑で逮捕した。<br />
<br />
=== 息子は市採用試験に合格していたのに母が金を ===<br />
息子を市職員に採用するよう便宜を図ってもらうため、[[山形県]][[尾花沢市]]長に現金を渡そうとしたとして、県警捜査2課は2013年9月17日、同市の農業の女(65)を贈賄容疑で逮捕した。<br />
<br />
同容疑者は2010年10月中~下旬、市職員に息子を採用するよう便宜を図ってもらおうと、市内で[[加藤国洋]]市長に現金数百万円を手渡そうとした疑い。加藤市長は受け取りを拒んだという。<br />
<br />
容疑者は加藤市長の後援会員。調べには「息子を市の職員にしたかった」と供述しているという。<br />
<br />
息子は第1次の筆記試験に合格しており、現金受け渡しの申し込みは、1次の合格発表があった同年10月12日から、2次試験があった11月7日までに行われた。<br />
<br />
息子は試験に合格し、2011年4月に市職員となったが、現在は退職している。<br />
<br />
県警は、筆記試験や2次の論文試験の点数が高いことや、最近になって母親から賄賂を申し込んでいた事実を聞かされたことなどから、息子が共犯である可能性はないと判断した。<br />
<br />
加藤市長は読売新聞の取材に対し、「2010年10月、容疑者が現金を封筒に入れて自宅に来たが、『ばかなことをするな』と諭して帰らせた。いくら入っていたのかも知らない。息子さんはしっかり試験を受け、優秀な成績だったので合格した」と話した。 <br />
<br />
市によると、次男は翌11年4月の採用後、健康福祉課主事として勤務。新庄市内で2012年6月、飲酒後に酒気を帯びた状態で車を運転したとして、道交法違反容疑で摘発され、7月に懲戒免職処分となった。<br />
<br />
=== 空自の戦闘機に乗ったら突然、戦死した若者の遺影が頭に浮かんだ。若者を戦闘に巻き込まないようにしなければ ===<br />
[[航空自衛隊]][[小松基地]]を見学させてもらった。基地の概要説明、隊員の昼食試食、管制塔業務、戦闘機、救難隊の説明など盛りだくさんで勉強になった。<br />
<br />
戦闘機の説明で不思議な体験をした。操縦かんや計器の説明をしてくれたのは、若くて精悍な顔つきのパイロット。<br />
<br />
コックピットに座り、説明を聞いていると突然、昔テレビで見た太平洋戦争で戦死した若者たちのずらりと並んだ遺影が頭に浮かんだ。若いパイロットからは「戦闘」という言葉が何度か聞かれた。<br />
<br />
若者を戦闘に巻き込まないようにしなければ。([[中日新聞]] 小松支局長・前田清市)<br />
<br />
=== サービス三流懲りた新幹線 主婦(岐阜県 59歳) ===<br />
3月下旬、2泊3日の東京巡りをして、たくさんの楽しい思い出を胸に、東京発「ひかり」に飛び乗りました。<br />
空席が多かったので荷物を右の座席に置いて腰を下ろしました。<br/> <br />
その時、車掌さんがけんさつに来ました。<br/><br />
私の切符を見て、4千円余りを支払って下さいとの事でした。<br/><br />
[[グリーン車]]でした。 <br />
<br />
財布の中は2千円少々しか入っていませんでした。<br/><br />
自由席を3両歩きましたが、全部満席。<br/><br />
疲れが出て、それ以上空席を探す気になれません。<br/><br />
出入り口のドア近くにバッグを置いて腰掛け、足は対面の壁にくっつけて疲れを癒しながら考えました。<br/><br />
切符は、金券ショップの格安店3点を回って買った9,300円のものです。 <br />
<br />
車掌さんは横を通っても声をかけるでもなく、むなしい1時間50分でした。<br/><br />
180円の切符を買っても「ありがとうございます」という言葉をかけてくれる私鉄の駅員さんがいるかと思えば、JRは1万円近い切符でも空席の案内もありません。 <br />
<br />
二度とJR新幹線は利用したくありません。<br/> <br />
サービスは三流です。 <br />
<br />
朝日新聞2002年4月7日名古屋版<br />
<br />
=== 子持ち男性「満員電車にベビーカーが乗ってきたら、5人降りてスペースを作るべき!」 ===<br />
赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない。<br />
<br />
赤ちゃんの泣き声について議論をすることがそもそも理解できない。いいとか悪いとか、そういう対象ではないと思うからだ。赤ちゃんを[[飛行機]]に乗せるなとか、[[ベビーカー]]を通勤電車に乗せるなとか、何を言っているのだろうとぼくは思う。<br />
<br />
子供が産まれてよくわかったのは、子育ての大変さだ。大変なんてもんじゃない。戦いだ。修羅場だ。赤ちゃんは良妻賢母的なママがだっこすれば泣きやみ、あとはパパがお風呂に入れればいい、などというきれい事ではない。<br />
<br />
飛行機の中で赤ちゃんが泣きやまない。じゃあみんなであやしてあげよう。子育ての先輩たちは、うちのはこうして泣きやんだことがある、と知恵を出してあげてもいい。満員電車にベビーカーを押して母親が乗ってきた。じゃあその周りの5人くらいは電車を降りて、みんなで空間を作ってあげればいい。遅刻したら堂々と「ベビーカーに譲ったので」と報告して、上司は「それはよいことをしたね」と褒めればいい。<br />
<br />
そんな非効率なことできるか、と言いたい?でも赤ちゃんが増えないことは、人口が減っていくことは、どれだけその社会にとってネガティブな事態をもたらすだろう。<br />
<br />
日本の人口は世界で何番目か知ってるだろうか。1位中国、2位インド、3位アメリカ。そのあとは工業化が遅れていた国々が並んで、10位が日本。ドイツが8千万人、イギリスやフランスは6千万人。日本のGDPがずっと2番目だったのは、工業化が進んだ国の中で人口が2番目だったからだ。人口が多いことは重要なのだ。多い方が経済的に有利だし、減ってしまうと経済的に不利になる。<br />
<br />
ベビーカーに譲って遅刻することは、だから日本経済のためにはいいのだ。人道的だけでなく、日本の国力を高める行為なので褒められるべきなのだ。<br />
<br />
=== 婚活で交際…実はセールス。マンション購入後疎遠に。男女12人が集団提訴(2014年2月) ===<br />
「婚活サイト」で知り合った交際相手はセールス目的で勧められて不要な投資用マンションを買わされた後、遠ざかっていった…。<br />
<br />
同様の被害に遭ったと主張する男女12人が26日、元交際相手が勤務する不動産関連業者などを相手に総額約2億円の賠償を求める集団訴訟を東京地裁に起こす。<br />
<br />
[[国民生活センター]]によると、同じ被害が全国の都市部などで急増している。<br />
<br />
集団訴訟の原告は30~40代の女性10人と男性2人。訴状などによると、サイトを通じて知り合った相手とデートなどを重ねていたところ、勧められてローンを組み、平均約2800万円のマンションを購入した。1人で2戸買った原告もおり購入後、相手と疎遠になったという。それぞれの元交際相手は、都内の5業者の従業員で、ほとんどの場合、交際時には肩書や目的を明かしていなかった。<br />
<br />
原告側は「[[結婚]]を望む真剣な気持ちに乗じ、利回りが期待できない物件を高く買わされた」と批判。安易に融資審査をした責任があるとして、金融機関3社にも賠償を求めている。<br />
<br />
=== 長瀞でバーベキューして飲酒してから飛び込んだ男性が川に流され不明(2014年6月) ===<br />
14日午後、[[埼玉県]][[長瀞町]]の荒川で、会社の同僚らと川に飛び込んで遊んでいた男性が、そのまま流されて行方が分からなくなり、警察と消防が捜索している。14日午後1時20分ごろ、長瀞町井戸の荒川で、[[千葉県]][[柏市]]の27歳の会社員の男性が、川岸の高さ3メートルほどの岩の上から飛び込んだあと、そのまま流されて行方が分からなくなった。警察と消防がおよそ50人の態勢で日没まで捜索したが、男性は見つかっていない。<br />
<br />
男性は午前中から会社の同僚3人と共に[[バーベキュー]]や川遊びをするため、岩場近くのキャンプ場を訪れ、ビールなどを飲んでいた。現場の川は、先週からの長雨の影響でふだんより水量が多く、飛び込んだところは深さ4メートルほどで、流れも速くなっていた。また、この岩場の周辺では、過去にも水難事故が相次いでいて、警察などが日頃から注意を呼びかけていた。<br />
<br />
=== 夫婦関係めぐってガス自殺、途中で目が覚めタバコに火。とんだ迷惑男性がやけど ===<br />
2014年3月2日午後5時15分ごろ、[[滋賀県]][[長浜市]]法楽寺町の男性会社員(51)方から出火。木造2階建て同住宅1棟のうち2階部分70平方メートルを焼き、男性が避難する際、顔などにやけどを負った。<br />
<br />
滋賀県警長浜署の調べに対し、男性は「ガス自殺を図ったことを忘れ、たばこを吸おうとしたら爆発が起こった」と話している。<br />
<br />
同署によると、男性は妻と2人暮らしで妻は当時、外出中だった。男性は夫婦間のことで悩んでいたといい、自殺を図るため2階寝室に小型のガスボンベを持ち込んで開栓し、睡眠薬を服用。その後、目が覚めた際にライターでたばこに火をつけたなどと供述している。<br />
<br />
===【辺野古工事】炎天下の中、抗議活動を頑張ってきたのに、夜中に別のゲートから搬入するとは許せない。未明のブイ搬入にプロ市民ら憤り ===<br />
「これで終わりではないぞ」「最後まで闘い抜こう」-。<br />
<br />
[[米軍普天間飛行場]]の代替施設建設に伴い施工区域を示すためのブイが[[2014年]][[7月20日]]未明、[[名護市]][[辺野古]]の[[キャンプ・シュワブ]]内に運ばれたことを知ったプロ市民らは、午前7時ごろからゲート前に続々と集まり、怒りの拳を突き上げた。人々の目を避けるかのような未明の搬入に「ふざけるな」「許せない」と猛反発。緊急の集会を開催し、約70人が「基地建設反対」と声を張り上げアピールした。 <br />
<br />
マイクを握った、ヘリ基地反対協議会の[[安次富浩]]共同代表は、人々が寝静まった真夜中にブイが搬入されたことに<br />
<br />
「この間、絶対に食い止めようと、炎天下の中みんなで頑張ってきた。だが週末の夜、しかも工事車両専用と表示されているゲートとは違う新ゲートから入るという、ふざけた行為が起きた」<br />
<br />
と怒り心頭の様子で声を張り上げた。 <br />
<br />
集まった人々も「深夜にこっそり来るのは政府の常とう手段だ」「悔しいが、これで終わりじゃない。われわれが諦めれば、県民も諦めてしまう」と互いに決意を語り、ゲート前で抗議の行進を繰り返した。 <br />
<br />
途中、夜中にブイを運んだ大型のトレーラーが基地から出てくると、十数人ほどで取り囲み「この車で運んだのか」「業者は基地建設のための資材搬入をやめて」などと訴え、警察に止められる一幕も。30度を超える暑さの中で何度も休みながら、午後まで行進と座り込みを繰り返し「ジュゴンの海を守ろう!」と訴えた。<br />
<br />
=== 死産の娘画像を母親がTwitterにUP ===<br />
[[Image:死産の娘1.jpg|300px]] [[Image:死産の娘2.jpg|300px]] [[Image:死産の娘3.jpg|300px]]<br />
<br />
=== 母らがBBQ中、近くの「遊泳禁止」の川で男児溺死→客ら「泳いではいけないなんて…」(2014年7月) ===<br />
休日を楽しむ家族連れの歓声が、悲鳴に変わった。[[東京都]][[あきる野市]]の秋川で27日、都内在住の小学生の男児二人=ともに(7つ)=が溺れ、一人が死亡した事故。<br />
<br />
居合わせた人が人工呼吸を施したが、かなわなかった。現場はバーベキュー場「[[秋川ふれあいランド]]」の脇。川は中央付近で深くなっており、遊泳禁止だったが、多くの人が川に入っていた。<br />
<br />
「うちの子がいない」。<br />
<br />
現場にいた人たちによると、二人の男児のうち、最初の男児が水中から見つかると、大人が「みんな上がれ」と大声を掛け、泳いでいた子どもらを河原に呼び寄せた。<br />
<br />
直後、もう一人の男児がいないことが判明。母親が「青い水着の男の子を見ませんでしたか」と言って尋ね回った。居合わせた人たちが協力して沈んでいるところを見付け、河原に引き上げた。<br />
<br />
二人に人工呼吸や心臓マッサージをした[[武蔵村山市]]の会社員男性(38)は「一人目の子は顔色が戻り、目も開いたが、二人目の子どもの状態はよくなかった。亡くなったのは残念」と肩を落とした。<br />
<br />
福生署によると男児二人は友人同士。川遊びやバーベキューをしに家族と一緒に訪れていた。事故当時はほかにも大勢の家族連れがバーベキューや水遊びを楽しんでいた。<br />
<br />
現場は川がせき止められた上流側。流れは緩やかだが、近所の男性(49)は「川の真ん中辺りは結構深いから、小さな子どもは浅瀬で遊ばせている」と話す。<br />
<br />
河原には、警察や都が設置した「危険につき遊泳禁止」という看板もある。バーベキュー場の管理事務所で働く男性は「遊びに来た人はみんな川で遊ぶ。こんなに暑いのだから、川に入らない方がおかしい」。<br />
<br />
子ども連れの武蔵村山市の主婦(40)は「泳いではいけないなんて思わなかった。まさか亡くなるなんて」と絶句した。<br />
<br />
=== カラーギャング募集中です!! ===<br />
[[Image:カラーギャンング1.png|450px]] [[Image:カラーギャング2.png|450px]] [[Image:カラーギャング3.png|450px]] [[Image:カラーギャング4.png|450px]] [[Image:カラーギャング5.png|450px]] [[Image:カラーギャング6.png|450px]] [[Image:カラーギャング7.png|450px]] [[Image:カラーギャング8.png|450px]] [[Image:カラーギャング9.png|450px]] [[Image:カラーギャング10.png|450px]] [[Image:カラーギャング11.png|450px]]<br />
<br />
=== 「ガザに平和を」とどけ、日本から。市民団体がキャンドルで人文字 ===<br />
[[イスラエル]]軍とイスラム組織[[ハマス]]との戦闘が続く2014年[[7月21日]]、[[パレスチナ問題]]に関わる日本の市民団体が東京・[[明治公園]]で集会を開き、ろうそくで人文字を作って即時停戦と和平を訴えた。戦闘開始から、パレスチナ自治区ガザの死者は500人を超えた。<br />
<br />
参加者が持つ紙コップのろうそくに火がともされると、平和を示すマークの隣で「GAZA」の人文字が浮かび上がった。開発支援や人権などの14団体が呼びかけ、約500人が集まった。<br />
<br />
'''ネット反応'''<br/><br />
* あーあーあーいいよそういう自己満<br />
* 自称平和団体のオナニー行為。<br />
* こんなんで平和になるのなら戦争なんかせんわ<br />
* あっという間にお花畑に変わった<br />
* なぜここでお得意の9条持ち出さないんだよ <br />
* サヨクは人文字とかキャンドルとか好きだよねw <br />
* [[北朝鮮]]の[[マスゲーム]]に繋がるね <br />
* 市民団体にとって戦争はみんなイベントになるんたな <br />
* 脳になんか障害でもあるのかなコイツら <br />
* ヒント:[[西早稲田]]<br />
* こういう奴が海外の被災地に千羽鶴を押し付けるんだよ <br />
* NO MORE candle!!<br />
* 次は千羽鶴だろ?わかってるぜw <br />
* 防衛力なければ侵略されるのが常識 <br />
* カンパお願いします(^O^) <br />
* こいつらがこういう行動に出るってことは[[イスラエル]]が正しいんだな。 <br />
* せめてガザ行ってやろうぜ… <br />
* 東京でアピってもわりと無意味 <br />
* [[生活保護]]で遊んで暮らしてる人達って暇なんだねえw羨ましいわ <br />
* こいつらこんなことでどうにかなると思ってるの? <br />
* 話し合いで解決してこいよw <br />
* 公開オナニーしないでガザ行って九条のチカラで止めて来いよ <br />
* 「私いい人」って自己満足を得るためだけのイベントだな。 <br />
* ガザ地区に最新のロケット弾を送ってあげるのが支援というものだろう <br />
* なぜか拉致被害者に冷たい自称平和団体 <br />
* 市民団体にキャンドルっていったら、[[朝鮮人]]じゃねぇか <br />
* 現地にいって、人間の盾やってこいよw <br />
* なにこの安全なところから心のこもった応援 <br />
* サヨクは憲法9条持って戦争止めて来いよ <br />
* 日本でじゃなくて現地に行ってやれよ <br />
* 平和ボケした国はこういう何の意味もない事を平気でするよね <br />
* チョンは日本で何やってんだ?そんな暇があるなら半島に帰れよ、ウザい <br />
* また、お金集めてたんでしょ?www [[ピースボート]]とかアノあたりアレでしょ?www <br />
* 届くわけねえだろwww 現地でやれwww <br />
* 天下無敵の盾、「9条」様を持って、現地に行って人間の鎖でも作ってろや。<br />
* 9条が何か役立ってますか? <br />
* 頭の中がお花畑すぎて大草原<br />
<br />
=== クイズ番組で大賞を獲得したドイツ人女性、貧しい生活の中に死去 ===<br />
海外メディアによると、ドイツ人女性Marlene Grabherrさんは[[2001年]]5月、ドイツテレビのクイズ番組「Wer wird Millionaer?」(誰が百万長者になるか?)に参加し、100万マルクの賞金を獲得した。だが、急に金持ちになった彼女は[[2013年]]、貧しい生活の中、死亡した。<br />
<br />
ドイツのテレビの最も成功したクイズ番組「Wer wird Millionaer?」は[[1999年]]9月にスタートした。[[2001年]]、48歳のMarleneさんは初めて100万マルクの賞金を獲得した女性となった。<br />
<br />
もともと定職がなく、急にお金持ちになったMarleneさんは車や高級住宅や旅行に散財し、悪友に取り囲まれたため、わずか数年で賞金を使い切った。[[2011年]]にメディアの取材を受けた際、Marleneさんはお金がなく、たとえ歯医者にかかるとしても食費を切り、詰め物を節約しなければならないと訴えた。<br />
<br />
体がずっと弱く、さらに腫瘍切除手術を受ける必要のあったMarleneさんは60年の生涯に幕を下ろした。<br />
<br />
=== 橋下徹が、授業料をタダにしろという私立高校生を泣かせる ===<br />
女子高生「(私は)私立にしか行けなかったんです。家は決して裕福ではなく、父親は中学3年生の時にリストラにあいました。橋下知事は『子供が笑う大阪に』とおっしゃってましたが、私たちは苦しめられています。笑えません」 <br />
<br />
男子高生「僕は今、私立の大阪高校という高校に通っているんですけど、僕の家は母子家庭で決して裕福な家ではなくて、僕はそんな母をこれ以上苦しめたくなくて、だから私学の助成金とかを減らさないでください」 <br />
<br />
橋下市長「なぜ公立を選ばなかったんだろう?」 <br />
<br />
男子高生「公立に入ったとしても勉強についていけるかどうか分からないって(教師から)言われて」 <br />
<br />
橋下市長「追いつこうと思えば公立に入ってもね、自分自身で追いつく努力をやれる話ではあるよね。いいもの(私立)を選べば、いい値段がかかってくる」 <br />
<br />
女子高生「だから、そこ(私立)にしか行けないって(教師に)言われたんですよ」 <br />
<br />
女子高生「大阪の財政を良くするというのは私たちが苦しむことなんですか?ちゃんと税金取ってるんだったら、ちゃんと教育、医療、福祉に使うべきです。アメリカ軍とかに使っている金の余裕があるんやったら、ちゃんとこっちに金を回すべきです」 <br />
<br />
橋下市長「じゃあそれはね、あなたが政治家になってそういう活動をやってください」 <br />
<br />
女子高生「それは私が政治家になってすることじゃないはずです。高速道路なんか正味あんなぎょうさんいらないと思います」 <br />
<br />
橋下市長「それはあなたがそう判断しているだけ。私自身は必要な道路は必要だと思っている」 <br />
<br />
橋下市長「皆さんが完全に保護されるのは義務教育まで。高校になったらもうそこから壁が始まってくる。これが大学になったらもう定員。社会人になっても定員。先生だって定員をくぐり抜けて来てるんですよ。それが世の中の仕組み」 <br />
<br />
女子高生「その世の中の仕組みがおかしいんじゃないですか?」 <br />
<br />
橋下市長「僕はおかしいとは思わない。16(歳)からはそこにぶつかって、ぶつかって、失敗して…」 <br />
<br />
女子高生「倒れた子はどうなるんですか?」 <br />
<br />
橋下市長「最後の所は救うのが今の世の中。生活保護制度というのがちゃんとある」 <br />
<br />
橋下市長「今の日本は自己責任が原則ですよ。誰も救ってくれない」 <br />
<br />
女子高生「そこがおかしいです」 <br />
<br />
橋下市長「それはもう国を変えるか、この自己責任を求める日本から出るか、国を変えるしかない」<br />
<br />
[https://www.youtube.com/watch?v=0xKVFoPkdKg 橋下と私立高校生徒の会話]<br />
<br />
=== 「イカの締め方」動画に虐待の指摘 「イカの気持ちになってください」(2017年5月) ===<br />
ある釣り好きなツイッターユーザーが「イカの締め方」を実践した動画を投稿したところ、一部のユーザーから想定外の反応が返ってきてしまった。<br />
<br />
「イカを締める時の動画」を投稿したのは、「水族館の飼育員」を目指して勉強に励む男子学生。釣り好きの人達に向けて「参考になれば」と、手際よく釣ったイカを締める様子を動画で撮影し、ツイッターに投稿。<br />
<br />
しかし、一部のユーザーから「かわいそう」といった声や中には「動物虐待だ!」と指摘するコメントも寄せられた。<br />
<br />
* かわいそう…<br />
* なんか、イカの拷問みたいだ<br />
* イカの気持ちになってください<br />
* あなたは人間もしめるつもりですか?動物も人間と同じ命。なんで人間のために苦しめなければいけないのかよく考えてツイートしてください<br />
* うん、わーすごい技術!犬殺して動画あげてるのと変わらない気がするんですけど<br />
<br />
確かに、ひとつの生き物の命が失われようとしていることに変わりはない。しかし、これは決して虐待などではなく、「食べる」ためにする行為であり、極論を述べるならば、食べることをやめてしまったら人は死んでしまう。中には、「動物虐待」を指摘するコメントを「面白半分で書いた」といったユーザーも見られ、大きく波紋を広げている。<br />
<br />
== 語源 ==<br />
[[語源]]についてはいくつか説があるが、決定的なものはない。ただし、文献による初出が太平記における「馬鹿者」であり、「馬鹿」という用法はそれより後世である事から、当初は「馬鹿者」という熟語としてのみ使われたと思われ、それを前提とした説のほうが若干優勢であると言える。<br />
; [[史記]]の「鹿を指して馬という」の故事を語源とする説<br />
: 最も普及している説。[[秦]]の2代皇帝・[[胡亥]]の時代、権力をふるった[[宦官]]の[[趙高]]は謀反を企み、廷臣のうち自分の味方と敵を判別するため一策を案じた。彼は宮中に鹿を曳いてこさせ『珍しい馬が手に入りました』と皇帝に献じた。皇帝は『これは鹿ではないのか』と尋ねたが、趙高が左右の廷臣に『これは馬に相違あるまい?』と聞くと、彼を恐れる者は馬と言い、彼を恐れぬ気骨のある者は鹿と答えた。趙高は後で、鹿と答えた者をすべて殺したという。しかし「馬鹿」のうち鹿の「か」は訓読みであり、中国風の音読みで馬鹿を「ばか」と読むことはできないなどの問題がある。<br />
<br />
; [[サンスクリット]](梵語)説<br />
: サンスクリット語で「痴、愚か」を意味する''moha''の音写である'''莫迦'''の読みからくるとする説。僧侶が使っていた[[隠語]]であって馬鹿という表記は後の当て字であるとする。江戸時代の国学者[[天野信景]]が提唱した説であり、[[広辞苑]]をはじめとした主要な国語辞典で採用されている。しかし馬鹿に「愚か」という意味が当初はなかったことから、疑問視する研究もある。<br />
: 同じサンスクリット語の''mahailaka''('''摩訶羅''':無知)あるいは''maha''('''摩訶''':おおきい、偉大な)を語源とする説もある。<br />
: [[バングラデシュ]]の公用語である[[ベンガル語]]でも「バカ」という単語は日本語と同じく愚かな者を指す。ベンガル語は[[サンスクリット]]を祖語とする。<br />
; 若者説<br />
: 「若者(wakamono)」のw音がb音に転じて「馬鹿者」となったとする説。民俗学者[[柳田國男]]は、[[広辞苑]]の編者・[[新村出]]が提唱したと書いているが、新村が文章として残していないため不明。新村は広辞苑でサンスクリット説を採用しているが、積極的な採用ではなかったようである。<br />
; 破家説<br />
: 禅宗の仏典などに出てくる破産するという意味の「破家」と「者」をくっつけて、「破産するほど愚かな者」というところから「馬鹿者」という言葉が生まれたとする説。東北大学の佐藤喜代治によって提唱され、[[日本国語大辞典]]で採用されている。<br />
; 馬家説<br />
: 中国にいた馬という姓の富裕な一族が、くだらぬことにかまけて散財し、その家が荒れ放題となったという[[白居易]]の'''[[白氏文集]]'''にある詩の一節から生まれたとする説。「馬家の者」から「馬鹿者」となったとする。『全国アホ・バカ分布考』で[[松本修 (プロデューサー)|松本修]]が提唱した。<br />
; はかなし説<br />
: [[雅語形容詞]]である「はかなし」の[[語幹]]が変化したという説。[[金田一春彦]]はこの説によっており、これをとる国語辞典もある。<br />
; をこ説<br />
: 古語で愚かなことを「をこ」といい、これがなまったとする説(アホもこれに由来するのではないかともいうが、いずれも証拠はない)。<br />
<br />
== 方言と分布状況 ==<br />
関東は「馬鹿」、関西は「'''[[阿呆]]'''('''アホ''')」であるとする場合もあるが、実際の分布状況はそう簡単ではない。<br />
<br />
大阪の[[朝日放送]]のバラエティ番組『[[探偵!ナイトスクープ]]』において「『アホ』と『バカ』の境界線はどこか」という視聴者からの依頼を元にした調査が行われた。この際に名古屋で「タワケ」が用いられていたこと、番組に秘書として出演している[[長崎県]]出身の[[岡部まり]]が「(長崎では)『バカ』と言っていた」と発言したこと、これを見た視聴者から全国各地の「バカ」に相当する[[方言]]が寄せられたことなどから、出演者の[[上岡龍太郎]]の提案でより本格的な調査が試みられた。[[1991年]]([[平成]]3年)、(当時の)全ての市町村の[[教育委員会]]を対象にしたこの種の表現の分布状況についての大規模なアンケート調査が行われ、その調査結果に基づいた特別番組が放映され、多数の賞を受賞したほか日本方言研究会でも注目された。この制作過程を記した『全国アホ・バカ分布考 はるかなる言葉の旅路』(同番組プロデューサー・[[松本修 (プロデューサー)|松本修]]著、ISBN 4101441219)に非常に詳しい調査結果と考察が載っている。<br />
<br />
この番組で制作された「全国[[アホ・バカ分布図]]」によれば、「馬鹿」は近畿以西でも却って使われており、また全国各地の方言において「馬鹿」以外の表現も数多く見られる。例えば東北地方では「ホンジナシ」という言葉やこれに似た言葉が多く見られるが、「バカ」系の言葉や「タクランケ」「ハンカクサイ」という言葉も見られる。愛知県は「タワケ」が多いと言われるがこれは西部(尾張地方)で、東部(三河地方)では静岡県の一部などと共に「トロイ」が多い。三重県や岡山県には「アンゴウ」という言葉が見られる。富山県・石川県や鳥取県・島根県東部には「ダラ」、「ダラズ」という言葉が見られる。また沖縄地方では「フリムン」や「プリムヌ」という言葉が見られる(これらは一例であり、これら以外の語彙もそれぞれの地域に見られることに注意する必要がある)。「ボケ」などといったその他の言葉も含めて、同心円状に分布しており、同書ではその円の中心が長らく日本の首都であった[[京都]]であると指摘している。これは[[柳田國男]]が『[[蝸牛考]]』で考察している他の言葉の分布状況とも対応する。<br />
<br />
馬鹿と阿呆のどちらが厳しい表現か、「概要」の節で触れたように、関東の人は「アホ」と言われると非常に侮辱されたと感じる場合が多いし、関西の人は「バカ」と言われると非常に見下されたと感じる場合が多い。ややこしいのが北海道で、移住した人々がそれぞれに「バカ」「アホ」その他の言葉を持ち込んだのだが、地域によってどの言葉がより厳しい表現なのかが異なっている。<br />
<br />
要は、これに依れば馬鹿はアホより古い言葉であるが、関東圏が明治以後に文化の中心となり、その地域の語を元に[[標準語]]が制定されたため、これに類する語の基本が「馬鹿」になった、と言うことである。<br />
<br />
== 実在する動物:馬鹿(ばろく) ==<br />
[[中国]]には'''馬鹿'''(ばろく)という、[[シカ|鹿]]の一種がいる。[[ヨーロッパ]]や[[中東]]の[[アカシカ]](学名:Cervus elaphus)に近縁で、[[北米]]北部と[[ユーラシア大陸]]北東部に分布する[[アメリカアカシカ|ワピチ]](学名:Cervus canadensis )のうち、[[北東アジア]]に住むものであり、「馬鹿」を「マールー」と発音する。馬鹿の古い角が、脱落した後に新生する幼角を乾燥させたものは、[[漢方薬]]の[[鹿茸]](ロクジョウ)として珍重されている<br />
KONAMIの天外魔境のマントーはこれがモデルだと思われる。余談であるがアニメ声優でピチューと共演している<br />
<br />
== 妖怪:馬鹿(むましか) ==<br />
[[百鬼夜行絵巻 (松井文庫)|百鬼夜行絵巻]]に収録されている[[妖怪]]。馬の顔に鹿の体を持ち、顔は「馬鹿」という名を表した様な滑稽な表情をしている。この妖怪に関しては[[多田克己]]・[[京極夏彦]]著の[[妖怪図巻]]でも言及されている。<br />
<br />
== 「バカ」という言葉の流行と相次ぐ「バカ論」の出版 ==<br />
近年「バカ」という言葉がブームになっている。古典的には、このような風潮は、ホルスト・ガイヤーの『馬鹿について 人間――この愚かなるもの』がヒットした1960年代まで遡ると思われるが、とりわけ『バカの壁』の大ヒット以降、「バカ」を冠した書籍が相次ぎ発刊されている。ただし当の『バカの壁』については、著者が述べたのとは違う意味で理解され、言葉そのものが一人歩きしてしまったという点がたびたび指摘される。<br />
<br />
*『[[バカの壁]]』[[養老孟司]]<br />
*『続バカの壁』養老孟司<br />
*『バカとは何か』[[和田秀樹]]<br />
*『まれに見るバカ』[[勢古浩爾]]<br />
<br />
また、「[[平成之大馬鹿門]]」騒動というのもあった。これは、[[彫刻家]]の[[空充秋]]が[[佛教大学]]に寄贈した石造りの門柱にこの語が彫り込まれていたのが発端である。佛教大学は「馬鹿という言葉は大学には不適切」としてこの語を削ることを求めたが、空がこれを拒否したことなどにより大騒ぎに発展した。結局門柱は佛教大学から撤去されたが、空の思想に共感した[[兵庫県]][[宍粟郡]][[千種町 (兵庫県)|千種町]](現:兵庫県[[宍粟市]])がこの門柱を引き取り、町内の2つの山の山頂に1本ずつ移設された。<br />
<br />
==馬鹿キャラ==<br />
馬鹿キャラとは、馬鹿な[[キャラ (コミュニケーション)|キャラクター]]を意味する語である。<br />
<br />
[[落語]]においては、知恵の足らない馬鹿の代表に[[与太郎]]がある。また、常識を知らない馬鹿の代表に[[権助]]などがある。<br />
<br />
[[2007年]]([[平成]]19年)ごろから日本ではバカ(無知)なキャラクターを売りにした[[タレント]]である'''おバカタレント'''(バカタレ)がブームとなった(おバカタレントブーム)。このブームのきっかけはテレビのクイズ番組である[[クイズ!ヘキサゴンII]]だといわれる。<br />
バカ殿様がある。妖怪ウォッチのニャーダが殿様になっている<br />
2015年9月29日のおはすたで鈴木奈々が関東地方の名前間違えた<br />
<br />
== 日本国外における馬鹿 ==<br />
米国で、知ってる日本語を挙げよと言えば「バカタレ」が高頻度で挙げられる。これは日本からの初期アメリカ移民の出身地が、この語を多用する中国・九州地方であったことからと考えられ、映画「二世部隊」のセリフの中でもたびたび聞かれる。<br />
<br />
[[第二次世界大戦]]末期、日本の特攻兵器「[[桜花 (航空機)|櫻花]]」には連合軍から日本語の馬鹿に由来する「BAKA」のコードネームが与えられていた。<br />
<br />
[[中華人民共和国|中国]]でも戦後から現在まで無数に作られてきた抗日題材の映画やドラマでは、日本兵は口癖のように「バカヤロ」({{lang|zh|八格牙鲁}})と口にするものとして描かれる。「バカヤロ」は同じく日本兵の口癖とされる「ミシミシ」(米西米西=「飯、飯」)に次ぎ頻繁に中国のメディアに登場する日本語である。<br />
<br />
[[大韓民国|韓国]]では[[2008年]]([[平成]]20年)に[[知的障害]]者が登場する『[[バカ (映画)|バカ]]』いう映画が公開された。<br />
<br />
== 釣り用語の『バカ』 ==<br />
ここでは魚釣りではなく「スタブ」の意味。<br />
<br />
述べ竿([[リール (釣具)|リール]]を用いない釣竿)を用いた[[釣り]]を行う場合、特に渓流釣りでは竿の長さに対して道糸、ハリス含めた仕掛けの全長が長くなった分を「バカを出す」という。例えば、全長3mの竿に対し仕掛けの長さが3m10cmあった場合、10cmがバカとなる。<br />
<br />
本来、糸の巻き取り能力が無い述べ竿において竿よりあまりに長い仕掛けは釣った魚を取り込むという、釣り最大の目的を達成できなくさせるため、仕掛けの長さは竿と概ね等しいことが望ましいが、渓流の深場狙いやテンカラ等といった釣りの方法では多少なりバカを出す必要がある。<br />
2015年9月25日のauで金太郎いなかったのはドラマの撮影したためである<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[DQNの川流れ]]<br />
* [[イラク3馬鹿事件]]<br />
* [[阿呆]]<br />
* [[役に立つ馬鹿]]<br />
* [[知的障害]]<br />
* [[DQN]]([[インターネットスラング]])<br />
* [[厨房 (ネット用語)|厨房(インターネットスラング)]]<br />
* 四月馬鹿([[エイプリルフール]])<br />
* [[フールプルーフ]]<br />
* [[馬鹿祭り]]([[東京都]][[北区 (東京都)|北区]][[赤羽]]で行われる[[祭り]])<br />
* [[イワンのばか]]:[[レフ・トルストイ|トルストイ]]<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:はか}}<br />
[[Category:思想]]<br />
[[Category:日本の俗語]]<br />
[[Category:バカ]]</div>
Fromm
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=mixi&diff=359833
mixi
2018-09-10T11:07:06Z
<p>Fromm: </p>
<hr />
<div>'''mixi'''(ミクシィ)は、株式会社[[ミクシィ (企業)|ミクシィ]]が運営する、国内最大級のシェアを持つ[[ソーシャル・ネットワーキング・サービス]] (SNS)である。<br />
<br />
== 歴史 ==<br />
[[2004年]][[2月]]にサービス開始。[[Gocoo]]([[2003年]][[12月]]開始、[[2005年]][[6月]]終了)、[[GREE]](2004年2月開始)と並び、日本では最も早い時期からサービスを展開していたSNSのひとつである。<br />
<br />
サービス名の「mixi」は、公式サイトの説明によると、「mix(交流する)」と「i(人)」を組み合わせた造語で、利用者同士の交流が深まることを願って名づけられたもの。<br />
<br />
== ミクシィ、身売りを検討 (2012年5月) ==<br />
=== 突然不自然な経営体制刷新 ===<br />
日本の[[SNS]](ソーシャル・ネットワーキング・サービス)業界を牽引してきたミクシィが身売りを検討していることが明らかになった。社長の[[笠原健治]]氏が保有する約55%の株式について、売却に向けた交渉への参加を複数の企業に打診し始めた。近く行われる入札には[[グリー]]や[[DeNA]](ディー・エヌ・エー)といった競合他社などが参加する見通しだ。 <br />
<br />
ある金融筋は「今春、ミクシィから競合他社に株式売却の話が持ち込まれた」と証言する。笠原社長の意を受けた証券会社が株式の売却を持ちかけたといい、「第一段階では笠原社長の保有株式の一部を譲渡して資本提携し、その後、将来的に全株式を放出する案が示された」と続ける。 <br />
<br />
ミクシィが身売りを検討するのは、今回が初めてではない。過去に一度、[[ヤフー]]との間で資本提携が実現まであと一歩のところまで進んだことがある。両社の交渉は2011年2月末にプレスリリースを配信する直前まで進んだが、最終局面で条件が折り合わず結局、白紙に戻ってしまったという経緯がある。 <br />
<br />
ミクシィがSNSを開始したのは[[2004年]]2月。当初は同時期にサービスを開始したグリーに比べて圧倒的に多くの会員を獲得し、日本のSNS業界を牽引してきた。しかしその後、携帯電話に主軸を置き、ソーシャルゲームを事業の中心に据えたグリーとDeNAが急成長。一方、[[リーマンショック]]の影響や[[スマートフォン]]の台頭で、収益の大半を[[パソコン]]や[[携帯電話]]の広告に依存してきたミクシィの業績は低迷を続けた。 <br />
<br />
[[2011年]]11月には方針転換を決意し、従来から提供していたSNS上のアプリのうち、ゲームのみを集約した「ミクシィゲーム」を新設。他社に比べて出遅れていたソーシャルゲーム分野のテコ入れによって、広告モデルから課金収入モデルへのシフトを加速させている。 <br />
<br />
だが、グリーやDeNAに比べると業績の差は歴然としている。ミクシィの[[2012年]]3月期の売上高は前年同期比横ばいの133億3400万円。営業利益は同34.9%減の21億9400万円に落ち込み、純利益は7億4900万円と同45.8%減少した。 <br />
<br />
ミクシィへの資本参加に関心を示している1社と見られるDeNAの2012年3月期の売上高は1457億2900万円と、前年同期比29.3%増加した。純利益は同9.1%増の344億8500万円。同じく売却交渉に参加すると見られるグリーの2012年6月期の連結業績予想は売上高が1600億~1700億円、純利益は440億~500億円。こちらは前年度比2倍超の成長を見込む。 <br />
<br />
成長力の差は3社の時価総額に端的に表れている。ピーク時の2007年秋に約3000億円に達したミクシィの時価総額は約250億円にまで減少(5月14日時点)。DeNA(時価総額約3000億円)やグリー(同約3400億円)とは10倍以上の開きがある。 <br />
<br />
=== フェイスブック台頭で窮地 ===<br />
ミクシィが窮地に立たされた一番の理由は、世界最大手のSNSである米[[フェイスブック]]の国内市場での台頭だ。現在全世界で9億人を超すユーザーを持つ米フェイスブックだが、本格的な日本市場開拓は[[2010年]]から。完全実名によるSNS利用を推進するフェイスブックの存在は、ソーシャルゲームと一線を画してきたミクシィの独自性を奪い去った。<br />
<br />
グリーやDeNAはゲームを通じて利用者同士がつながるが、ミクシィは知人や友人同士が現実でつながることを推し進めてライバルと差異化を図ってきた。そこに実名での利用を前提とするフェイスブックが本格参入してきたことで、ミクシィの立ち位置が不明瞭になり、利用者の多くがフェイスブックへと流れる結果となった。 <br />
<br />
ミクシィも無策だったわけではない。2011年8月にはフェイスブックが提供していた企業や団体が無料でマーケティングに利用できる「フェイスブックページ」に対抗し、「ミクシィページ」を開始。また、「タウン構想」を発表し、コミュニケーションの場をプライベート空間とそれ以外に分ける「ホーム・タウン構想」を掲げるなど、懸命にフェイスブックとの違いを打ち出してきた。 <br />
<br />
しかし、ミクシィが圧倒的な開発力を持つフェイスブックと対峙していくのはそもそも無理がある。[[IPO]](新規株式公開)で巨額の資金調達を予定しているフェイスブックが今後、日本市場への攻勢を強めてくるのは確実で、単独での生き残りはますます難しくなる見込み。今回の株式売却交渉は、同業他社との連携に活路を求める動きと言える。 <br />
<br />
=== 揺れるSNS業界 ===<br />
[[消費者庁]]が「[[コンプリートガチャ]]」と呼ばれるソーシャルゲーム内の課金システムの規制に乗り出す方針であることが報じられ、SNS各社の株価が軒並み急落した連休明け。コンプガチャの扱いを巡るSNS各社の経営トップの発言に注目が集まる中、ミクシィは5月11日、2012年3月期の決算発表に合わせて経営体制の刷新を発表した。 <br />
<br />
ただ内容は「突然で、不自然としか思えない」(SNS業界関係者)ものだった。これまで笠原社長とともにミクシィを率いていた[[原田明典]]副社長が取締役に降格したほか、経営管理を担当してきた小泉文明取締役が役員から退き、顧問に就任する内容だったためだ。<br />
<br />
ミクシィは「笠原社長に権限を集中させ、意志決定を迅速にするためだ」と説明するが、当の笠原社長は決算発表会の席上で、「原田氏には今後も施策などのアドバイスをいただく」「引き続きいくつかの案件を担当してもらう予定」など、つじつまの合わない説明を繰り返した。 <br />
<br />
突然の経営体制刷新を身売りに向けた地ならしと見る向きがある一方、経営幹部の降格や退任を受け、証券業界では「ミクシィ社内が混乱状態にあるのではないか」と指摘する声もある。もしこれが真実なら、身売りを含めた同社の行方はさらに不透明なものになる。<br />
<br />
== SNSの「老舗」はなぜ間違えたのか(2012年6月) ==<br />
国内最大のソーシャル・ネットワーキング・サービス「mixi」を運営するミクシィが揺れている。5月には突然の幹部異動発表にともない、身売り報道さえあった。昨年末には「ネット視聴率調査」で訪問者数が急減したように見える「騒動」があり、成長のかげりまで指摘された。同じSNSの「フェイスブック」の勢いが加速するなか、国産のmixiはライバルを意識するあまり、自らのメリットを放棄しているように思える。<br />
<br />
=== 国内SNS市場では依然として大きな存在だが ===<br />
ゴールデンウィーク明けの5月11日、ミクシィのホームページに副社長の原田明典氏の取締役降格と、取締役の小泉文明氏の顧問就任が掲載された。原田氏は2008年に[[NTTドコモ]]からミクシィに入社し、メディアなどの取材でも前面に立つなど、ミクシィの最近の施策をけん引する中心的な存在と見られていた。<br />
<br />
ミクシィが同日行った決算発表によると、12年3月期の売上高は133億3400万円で前年横ばいだったが、営業利益は34.9%減の21億9400万円、純利益も45.8%減の7億4900万円と落ち込んだ。さらに方針説明の発表でも、友人とのコミュニケーションは「ホーム」、ニュースやゲーム/コマースなどを「タウン」と分ける従来の「TOWN構想」を繰り返すにとどまった。mixiがどこへ進むのか、明確な方針を示さなかった。<br />
<br />
mixiの12年3月時点の月間ログインユーザーは約1500万人で、登録ユーザーが約2700万人、ページビュー(PV)は200億もあるなど、日本のSNSでは依然として大きな存在である。だが、ログインユーザー数は一年前とほぼ変わらず、PVは一年前から100億も減少している。ユーザーの利便性を優先しているためページビューが出にくくなっているとミクシィは説明しているが、過去1年で3分の1を失っている。<br />
<br />
ネットレイティングスによる「ネット視聴率調査」でも、12年4月の国内の「訪問者」はフェイスブックが1483万人、「ツイッター」は1486万人で、mixiが691万人、「グーグル+(プラス)」は303万人。フェイスブックの数値はmixiの約2倍だが、もはやネットでは大きな騒ぎにならなかった。<br />
<br />
ミクシィはどこで間違えたのか。同社の歴史を振り返ってみた。<br />
<br />
=== 機能変更のたびにユーザーと摩擦 ===<br />
mixiのサービス開始は04年で、[[フェイスブック]]や[[グリー]]の「GREE」のサービス開始と同じ年だった。一時、「国内3大SNS」といわれた[[ディー・エヌー・エー]](DeNA)の「モバゲー」は06年の開始である。ソーシャルゲームで業績を伸ばしているGREEだが、サービス開始当時はmixiと同様にユーザーの交流中心のSNSだった。<br />
<br />
グリーは04年9月に「GREE Night 2.0」 というイベントを開き、登録者数で国内ナンバーワンのSNSになったことを祝った。しかしその後、mixiが急追し05年夏に100万IDを突破した。GREEの100万人突破は07年だから、SNSではmixiに完全に後塵を拝していた。追い抜かれた[[GREE]]この後、モバイルに活路を見出し、飛躍していく。<br />
<br />
激動のなかでもmixiは順調にユーザーを増やし、様々な機能も追加していった。08年にはツイッターと同様な機能といえる「エコー」を用意し、これを09年には「mixiボイス」としてリニューアルしている。さらにフェイスブックの「ページ」と同様な「mixiページ」を11年に導入するなど、ライバルへの対策も打っている。<br />
<br />
一方で、mixiでは大きな変更を行うたびに、ユーザーと摩擦が起こっていた。<br />
<br />
例えば、07年10月の表示デザインのリニューアルや、08年3月発表の利用規約改定、09年3月のコミュニティの大量削除などでは、いずれもユーザーから反発があった。使い慣れたサービスを新しくする際には、ユーザーの反発があるものだが、毎年のようにユーザーの反対運動があるのも珍しい。最大のものは11年6月の「足あと」機能の廃止だろう。1万7000人分の実名署名が集まり、ミクシィへの陳情もあった。<br />
<br />
=== 「コミュニティ」へのアクセスを下げる方針に ===<br />
反対運動の中核は、mixi内の「コミュニティ」だった。反対を議論するコミュニティが次々と立ち上がり、議論や署名活動が行われることになった。コミュニティには人が集まり、行動まで起こさせるパワーがあった。<br />
<br />
その後のmixiは、コミュニティへのアクセスを下げる方針をとった。具体的には、ユーザーが利用する画面でコミュニティへのリンクを目立たない位置に変えた。その代わり、友達の書き込みなどを目立つ位置にした。ミクシィが「リアルグラフ」という言葉で表現する、現実における人と人のつながりを重視したためだという。<br />
<br />
ツイッターは「ニュースグラフ」と呼べる存在で、有名人や影響力を持つ人が中心に利用しているが、片方向(受信中心)のつながりが多く、主なユーザーは30代以上の男性だという。フェイスブックは「パブリックグラフ」と呼べるという。中心となるのは仕事関係や友人関係。150~200人とのつながりがあり、完全実名の30代以上の男性が多いと分類していた。<br />
<br />
これらに対し、mixiは「プライベートグラフ」であり、親しい友人が中心。平均40人ほどのつながりで、実名制(ニックネーム併用)、20~30代の女性が中心と位置づけた。このプライベートグラフもリアルグラフと同じような意味だ。ミクシィは言葉の定義についても熱心になり、時にライバルを「SNSではない」とした。<br />
<br />
=== ライバルへの対抗意識が自らの強みを消し去る ===<br />
フェイスブックが普及し始めた数年前、実名で出身大学や所属企業も明らかになるリアルなサービスは、匿名性が高い日本では流行らないとされた。その点、mixiはハンドルネームなど匿名も使えるなど、ゆるやかなサービスが特徴といえた。<br />
<br />
そのゆるやかなつながりが、いつのまにか現実の「人と人」というつながりへと運営側に定義されていった。コミュニティがあるにもかかわらず、フェイスブックの機能に似たmixiページも導入した。<br />
<br />
足あと機能の廃止や訪問者数減少の騒動のなかで、ミクシィの幹部は「反対しているのはヘビーユーザーの一部」「現在の利用者はライトユーザーが中心で、ヘビーユーザーは使ってもらわなくてもいい人たちだ」と反論した。しかしフェイスブックへの過剰な対抗意識こそが、自らの強みを消し去ったといえるのではないだろうか。コミュニティ機能は、ビジネスライクなフェイスブックには存在しないユニークな機能であり、足あとは「いいね!」を代替していたともいえる。<br />
<br />
mixiに残った「ヘビーユーザー」たちは、いまでもコミュニティを利用して意見を交わす。足あとが廃止になって1年が経過しているにもかかわらず、足あと復活を呼びかけるコミュニティもある。5月末にはあるユーザーグループが、意見交換会をミクシィ側に提案した。提案にかかわったユーザーの一人は「mixiの事情を鑑みつつ、ユーザーの思いも反映させたくて続けています。笠原社長の目指す、居心地の良いSNSを実現する力になりたいのです」と参加の動機を答えてくれた。<br />
<br />
果たしてユーザーの思いは届くのか。笠原社長を始めとする運営側がソーシャルメディアに登場することはまれだ。ユーザーへのメッセージは、会社の広報かマスメディアを通じたものが中心となり、SNS会社の幹部がSNSを利用しないという状況になっている。これはフェイスブックの創業者であるマーク・ザッカーバーグ氏が自らの結婚式の写真までもフェイスブックで公開した姿勢とは、対照的とさえいえるのではないか。<br />
<br />
== いきなり研修部屋へ。ミクシィ不可解人事(2013年11月) ==<br />
老舗の国産[[SNS]]として知られる、ミクシィが揺れている。人の交流プラットフォームを本業とする企業であるにもかかわらず、人の感情を無視したかのような、やや乱暴な人事異動を実施。社内外に大きな波紋が拡がっている。<br />
<br />
ミクシィは[[フェイスブック]]など競合SNSに押され、苦戦が続く。広告収入の減少により、2014年3月期の売り上げは80億円(前期126億円)へと急縮小、営業利益は16億円の赤字に転落する見込みだ(前期25億円の黒字)。<br />
<br />
この危機を打開するため、6月に就任した[[朝倉祐介]]社長をトップとする新経営陣は、50億円の[[M&A]]資金を用意して矢継ぎ早に事業買収を敢行。400人以上いる社員のうち半分以上を配置転換する大胆な人事異動も進めている。その配置転換の過程で、“事件”が起こった。<br />
<br />
中身は次のようなものだ。[[10月18日]]、時短勤務の女性社員を含む複数部署の正社員約30人が[[渋谷]]・[[道玄坂]]にある貸会議室に呼び出された。会議室に現れた人事担当者は、集まった社員に対し、[[11月1日]]付でカスタマーサポート部門へと異動するよう内示。あわせてミクシィ本社内のセミナールームを研修用の部屋へと転用。土日を挟んだ翌営業日である[[10月21日]]からはセミナールームに引っ越すことを命じたうえで、本社には戻らず帰宅するよう指示した。<br />
<br />
この内示後、当該社員は、社外から社内ネットワークにアクセスするための[[VPN]](バーチャル・プライベート・ネットワーク)アカウントが無効となり、社内ネットワークに入れなくなった。<br />
<br />
21日午前、ミクシィでは大規模な席替えが行われ、その渦の中で異動対象者はセミナールームに荷物を運び込んでいった。ただならぬ様子で複数の社員がセミナールームへと向かっていく異例の席替えに、戸惑う社員も少なくなかったという。ある社員は「何か大きな事が起こっているのはわかるが、それを聞けるような雰囲気ではなかった」と語る。<br />
<br />
'''これは「追い出し部屋」?'''<br/><br />
それまで取り組んでいた業務を強制的に中断させられ、いきなりカスタマーサポートのトレーニングを強いられる──。これは、退職勧奨のための、いわゆる「追い出し部屋」ではないのか。<br />
<br />
この疑問に対し、会社側は次のように説明する。「今回のカスタマーサポートへの人事異動は人員削減を目標としたものではない。弊社では経営戦略に基づき、適宜、適材適所の人事異動・組織変更を実施しており、[[11月1日]]付の人事異動も同様のものだ」(広報部)。<br />
<br />
理屈としては、そういうことで押し通すのだろう。とはいえ、社内の人心はざわめいており、人の口に戸は立てられない。複数の社員によると「[[荻野泰弘]][[CFO]]、[[2007年]]に[[ドリコム]]で[[リストラ]]の実行部隊として事業再建に取り組んだ実績を持つ法務部長などが主導した、実質的な人員削減策だ」という。約30人の異動は序の口であり、今回のような人事異動の第2弾が実施される可能性について示唆する者もいる。<br />
<br />
キャッシュは豊富にあるにもかかわらず、[[グリー]]が行ったように特別退職金付きの希望退職募集を避けて、苛酷な人事異動を実施したのはなぜだろうか。ある社員は「辞めてほしくない有能な社員を温存し、実質的な指名解雇を行いたいからだ」と解説する。<br />
<br />
経営手腕を期待されて外部から招かれた現経営陣は、短期間でミクシィの収益改善を図ろうと、必死の思いのようだ。しかし、だからといって何でもやっていいわけではない。新興企業らしからぬ今回のやり口は、極めて違和感のある経営判断といわざるをえない。<br />
<br />
== ミクシィ、通期で赤字転落へ。mixiゲーム課金不振で売り上げ大幅減(2013年10月) ==<br />
ミクシィは[[10月1日]]、2014年3月期通期の連結業績予想を下方修正し、営業損益が16億円の赤字に転落する見通しだと発表した(前回予想は10億~20億円の黒字、前期実績は25億7400万円の黒字)。<br />
<br />
売上高は前回予想の120億~135億円から、40億~55億円減の80億円へと大幅減となる見通し。前期実績(126億3200万円)からも大きく落ち込む。スマートフォン版mixiゲームのリニューアルによる課金売上高の拡大を見込んでいたが、当初計画を下回って推移した。<br />
<br />
中国開発拠点の閉鎖などコスト構造の見直しを進めているが、法人化した「ノハナ」やスマートフォン向けネイティブゲームなど新規事業のユーザー拡大に向けた先行投資もあり、営業赤字に転落。経常損益も27億~37億円の赤字(前回予想は10億~20億円の黒字、前期実績は26億2900万円の黒字)となり、業績見通しの下方修正に伴い繰延税金資産の取り崩しを迫られる結果、最終損益は31億~37億円の赤字(同5億~11億円の黒字、16億5400万円の黒字)となる見通し。<br />
<br />
8月9日に発表した4~6月期連結決算では2億5300万円の最終赤字に転落していた。赤字決算は上場来初。課金収入に加え、mixiの広告売り上げも不振だった。<br />
<br />
業績不振に陥った経営責任を明確化するため、来年3月までの半年間、取締役(社外取締役除く)の報酬月額を100~20%カットする。<br />
<br />
== 参加方法 ==<br />
mixiは、既に入会している登録ユーザーから招待を受けないと利用登録ができない、完全招待制を採用している。招待制をとることで、ユーザーそれぞれの素性が明らかになり、健全で安心感のある居心地の良い[[コミュニティ]]を維持するという目的で採用されている。<br />
<br />
18才未満の者の参加については、利用規約で禁止されている。mixiは年齢制限が無ければ、「[[インターネット異性紹介事業を利用して児童を誘引する行為の規制等に関する法律|出会い系サイト規制法]]」に抵触する可能性があるためである。しかし、現在でもそのような利用者は後を絶たないのが現状である。以前はPCアドレスを持っていないと登録できなかったが、[[2006年]][[12月4日]]より、[[携帯電話]]でも登録可能となった。ただし、従来どおり既に登録している人からの招待状が必要である。また、[[2007年]][[3月27日]]より[[PC]]の[[フリーメール]]アドレスでの登録には、[[携帯電話]]の[[メールアドレス]]が必要になった。2007年[[4月4日]]からは、[[ウィルコム]]の公式コンテンツとして登録されている。<br />
<br />
== 利用者数 ==<br />
利用者数(アクティブユーザー数)は、2006年[[10月]]現在では520万人。月間PVは27億6631万。平均利用時間は3時間29分で日本ドメインでは2位となっている。また、ミクシィの調査によると、男女比率は男性が52.2%、女性が47.8%。年齢層で最も多いのは20~24歳の33.8%、次いで25~29歳が28.4%、30~34歳が17.6%。最終ログインが3日以内のユーザーの割合が70%をかつては占めていたが、アクティブユーザー率は少しずつ下がり、2007年5月現在は64%である。<br />
<br />
== 機能 ==<br />
=== マイミクシィ ===<br />
ユーザーごとにあるリストの名前。また、そのリストに登録された他のユーザー。略して「マイミク」とも呼ぶ。<br />
<br />
事務局が想定しているのは、すでに友人や知人の関係にあるユーザー同士を[[リンク]]する使用法である。そのため、mixi内の表示で、マイミクシィを「友人」と言いかえている部分もある。実際には、mixi内で出会ったユーザー同士が、まずマイミクシィに登録するところから親交を深めていくという場合も多い。<br />
<br />
マイミクシィに登録するには、まず、一方のユーザーが「マイミクシィに追加」のボタンから登録依頼をする。登録依頼を受け取ったユーザーが登録を承認すると、互いのマイミクシィに追加される。マイミクシィのリストからはずすには、どちらかが「マイミクシィの管理」ページから操作すれば可能。招待したユーザー同士は、ユーザー登録した時点でマイミクシィに登録されていて、3ヶ月間はマイミクシィをはずすことができない。<br />
<br />
マイミクシィになると、閲覧制限された日記やアルバムの内容、プロフィールのうち誕生日や職業など一部の項目などを読むことができる特権が与えられる。マイミクシィの新規に執筆した日記のタイトルをリスト表示する機能、コミュニティの存在をマイミクシィに知らせる、同報メッセージの機能などもある。マイミクシィについて紹介文を登録する機能は、マイミクシィになったユーザーのキャラクターを他のユーザーに知らせ、信頼と親近感を与えて新しい関係を築くのに役立つ。<br />
<br />
なお、マイミクシィ0人の状態になると、3日以内にマイミクを最低1人は作らなければ、強制退会となる。<br />
<br />
=== 足あと ===<br />
ユーザーのページを他のユーザーが閲覧すると、「足あと」リストに閲覧したユーザーのニックネームが日付と時刻とともに追加される。一般には「[[アクセス]]ログ」などと呼ばれる機能である。このリストの名称から、他のユーザーのページを閲覧することを、ユーザーのあいだで「足あとを付ける」と呼ぶこともある。同一のユーザーが頻繁に閲覧を繰り返した場合、1日のうちで1回のみ、直近の閲覧時刻がリストに残る。後述する「アクセスブロック」機能にIDを登録したユーザーは、それ以後、足あとリストに名前が残らなくなる。<br />
<br />
mixi開設当初は閲覧のたびにリストに追加されていた。初期ユーザーのあいだで訪問を多数繰り返す「足あとつけ競争」が流行して、足あとのリストが特定のユーザーばかりになったり、[[サーバー]]が動作不良を起こすほど負荷がかかったりしたために、現在のような仕様に変わった。<br />
<br />
ユーザー登録以降の通算の閲覧数がカウントされている。加えて、閲覧数が設定値に達した時点でmixiからメールが届く機能「足あとお知らせメール」がある。ネットには、mixiの開設以前から、たとえば500や2,000、10,000といった「キリ番(きりのいい番号)」にアクセスカウンターが達したときに「踏んだ(訪問した)」閲覧者に、ウェブマスターが特別の感謝をする習慣がある。この習慣を継承した機能が、足あとお知らせメールである。メールの届く閲覧数は、「設定変更」画面にて自由に設定することができる。<br />
<br />
足あとは、自身の注目度や人気度を端的に表す指標であり、また、mixi内での人間関係を明示するものでもある。足あとリストからユーザーのページをたどることを、「足あとを踏み返す」と呼ぶユーザーが多い。足あとのリストから自分に興味のあるユーザーを発見することで、新たな関係が生まれることもある。<br />
<br />
営業目的のユーザーが無差別多数の訪問を繰り返す、足あとリストへの[[スパム (メール)|スパム]]行為もある。営業目的の記載があるスパマーのユーザーページを閲覧させるために、足あとを踏み返す風習を悪用したものである。<br />
<br />
=== 日記 ===<br />
基本的な使い方は、いわゆる「[[ブログ]]」と同じである。日記の本文には、画像を埋め込むこともできる。[[コメント]]をつける機能もある。日記はいつでも修正でき、削除することもできる。コメントは、日記の主が削除できるほか、コメントをつけたユーザーが自分のコメントを削除することもできる。日記の公開範囲を、全ユーザー、友人の友人、友人のみの3段階から選択できる。楽天広場、はてなダイアリー、ドリコムブログなど、主なブログサービスを日記として使うこともできる。<br />
<br />
mixiの参加者数は数百万に上り、また原則的に参加者による招待のみを認証要件として参加できるシステムであるため、日記の公開範囲を全ユーザーとした場合において、ブログの[[炎上 (ブログ)|炎上]]と同様の現象が起こった例がある。このようなケースでは日記の記述内容等が外部に無断転載される事がある。日記の炎上を発端に、後述のコミュニティ乗っ取りがなされた例もある。<br />
<br />
=== コミュニティ ===<br />
2004年[[4月1日]]から提供開始の機能。掲げられたテーマに同調する者が集まり、[[電子掲示板|掲示板]]などを利用する仕組み。[[コミュニティ]]は、mixiのユーザーが誰でも自由に作ることができる。ただし、既存のコミュニティと類似するテーマでコミュニティを新設することは好まれない風潮がある。コミュニティを開設すると管理人になるが、コミュニティの他のメンバーに管理権を渡すことも可能。コミュニティ開設時に選択する[[カテゴリ]]には、[[音楽]]や[[映画]]、[[アダルト]]など約30ほどの種類がある。なおカテゴリをアダルトにした場合、コミュニティを閲覧しようとすると「このページから先はアダルト(成人向け)コンテンツが含まれています。」というメッセージが表示され、同意しない限りそのページにアクセスできないようになっている。<br />
<br />
コミュニティでは、[[電子掲示板|掲示板]]機能を[[トピック]]と呼ぶ。新しいトピックは、誰でも作成可能、もしくはコミュニティの管理人のみ作成可能のどちらかに設定できる(2006年[[9月18日]]より。それ以前は誰でも作成できた)。mixi全ユーザーが誰でも自由に参加できるようにすることも、コミュニティの管理人の承認制にも設定できる。承認制にすると、トピックをメンバー以外に非公開にすることもできる。<br />
<br />
トピックのほかに、[[イベント]]と[[アンケート]]の機能がある。どちらも基本は掲示板。特定の期日を指定して、メンバーの中から参加者を募る機能があるのがイベント。択一式の回答をメンバーに求める機能があるのがアンケート。アンケートはプレミアム会員のみ作成することができる。<br />
<br />
コミュニティは基本的に掲示板の集合体であるため、ネットの掲示板ではありがちのいざこざが起こることもある。紛争を回避するため、ユーザーをコミュニティから退会させたり、特定のユーザーを参加させない参加ブロック機能も備わっている。ブロックされたユーザーがコミュニティに参加しようとすると「(コミュニティ名)には参加できません」と表示される。なおこの機能は、一つのコミュニティにつき12ユーザー(mixiモバイル利用時は6ユーザー)であるほか、非公開でない限りトピックの閲覧も可能である。トピックやアンケートなどの作成を、コミュニティの管理人のみに限定することもできるようになった(2006年[[9月21日]]に追加)。<br />
<br />
また最近になって、コミュニティリンク機能が作られた。これは関連性のあるコミュニティに直接行けるというものである。コミュニティリンクの追加は管理人のみ、参加者全員の中から選べる。初期設定は「管理人のみ追加可能」である。なおコミュニティリンクは拒否することができ、拒否されたコミュニティがコミュニティリンクに追加しようとすると「このコミュニティはコミュニティリンクを拒否しているため、追加することはできません。」というメッセージが表示される。<br />
<br />
事務局の承認を明記した上で、企業や企業の代理人が自社製品・サービスに関するコミュニティを立ち上げることもある。開設数は100万件を超えた。なお、現存する最古のコミュニティは「音楽好き系mixi's」である。<br />
<br />
===アクセスブロック===<br />
mixi内には、商業利用を目的としたり、[[荒らし]]行為をする悪質ユーザーが少なからず存在する。そのため、それらのユーザーがページを見られないようにするアクセスブロック機能がある。1ユーザーにつき12ユーザーまでブロックできる。<br />
<br />
これを設定すると、ページの閲覧だけでなく、メッセージの送信などその人とは一切[[コミュニケーション]]が取れなくなるだけでなく、そのユーザーの足あとにも残らなくなる。ブロックされたユーザーがブロックしたユーザーを見に行こうとすると見に行こうとすると「申し訳ございませんがこのユーザーのページにはアクセスできません」というページにリダイレクトされる。ただし、アクセスブロックされた側がその人をお気に入りに追加していた場合はアクセスはできないがお気に入りからは削除されず、ログイン時間などはすべて閲覧可能である。またこの機能を「キリ番を踏ませないため」、「そりが合いそうにない」、「荒らしはされていないがこの人には見られたくない」と言う本来の目的とは異なる主観的な理由で設定する者もいる(規約違反ではない)。<br />
<br />
またかつてアクセスブロックに「0」を入れると自分は非公開の日記、コミュニティなどの閲覧が可能になる一方、すべてのユーザーがその人のページを見に行けなくなると言う事態になり、さらにその状態を解除できなくなる事態になり後に修正された。<br />
<br />
=== カレンダー ===<br />
月割りの[[カレンダー]]。ユーザーの予定を書き込めるほか、1週間分の[[天気予報]]と、マイミクシィの[[誕生日]]、イベントの開催を表示する機能がある。ユーザーが参加中のコミュニティにイベントが設定されると、イベントのタイトルが自動的に表示される。ユーザーがイベントに参加表明すると、青い旗が赤く変わる。<br />
<br />
=== お気に入り ===<br />
特定ユーザー・コミュニティーを[[ブックマーク]]する機能。マイミクシィと違い、相手ユーザーの承認は不要だが、自分のユーザーページ上で日記の更新などを表示させることはできない。システム上、相手ユーザーに自分の足あとを付けずに[[ログイン]]後の経過時間を把握することが出来る。これは登録されている側がアクセスブロックを設定しても見ることができるため、問題になっている。<br />
<br />
=== mixiニュース ===<br />
2006年[[2月2日]]に追加された、[[ニュース]]の表示機能。トップページに最新ニュース6つを表示できる。ニュースを提供しているのは、[[読売新聞]]、[[毎日新聞]]、[[時事通信社]]、[[日刊ゲンダイ]]、[[CDジャーナル]]、[[ITmedia]]、[[Impress Watch]]、[[R25 (雑誌)|R25]]など。掲載されたニュースをもとに、ユーザーが日記を書くと、記事のページの「このニュースに関する日記を書いた人」欄からリンクが自動的に張られる機能がある。機能追加に伴う[[レイアウト]]変更で横幅が増えたため低[[解像度]]だとすべて表示しきれない、表示には[[JavaScript]]が必須で非対応のWebブラウザーで表示できない、などの批判がある。トップページに掲載の情報が増えたため、3[[カラム]]と2カラムの2種類のレイアウトがデザインされ、切り替えて使用できるようになった。<br />
<br />
=== おすすめレビュー ===<br />
自分の観賞した[[音楽]]や[[書籍]]、[[映画|映画作品]]などについての[[レビュー]]を書くことができる機能。<br />
<br />
レビューは作品ごとに見ることが出来る他、あるユーザーが書いたレビューを見ることもできる。さらに、レビューされた作品を、[[Amazon.co.jp]]や[[イープラス]]より、詳細情報の[[閲覧]]・購入をすることが可能。<br />
<br />
===フォトアルバム===<br />
以前はプレミアムユーザー(後述する有料会員)のみが使用できたが、2007年6月27日全ユーザーに開放された。有料会員は1GB、無料会員は100MBまで使用可能で1度に5MBまでアップ可能である。公開レベルは「友人までの公開」「全体に公開」「非公開」の3種類があり、非公開の場合は閲覧キーを指定し、閲覧キーを入れた場合のみ見ることができる。日記と異なりアルバムごとに公開レベルの変更が可能である。<br />
<br />
===動画===<br />
動画の投稿機能は、2007年2月5日よりプレミアムユーザー限定でサービスを開始した。同年6月に一般ユーザーに公開開始し、7月にはすべての一般ユーザーが利用可能になっている。1回の動画で5分までアップロードできる。最大容量はプレミアムユーザーが1GB、一般ユーザーが200MBである。<br />
<br />
=== プレミアムサービス ===<br />
一般ユーザーは[[無料]]で利用できるが、[[有料]]のプレミアムサービスに登録することにより[[mixi#フォトアルバム|フォトアルバム]]や、日記の容量増大、日記内の特定[[タグ]]の使用、メッセージ無期限保存(通常は最後の送受信があってから60日分まで)、アンケートトピックの作成、公開などを行うことができる。またプロフィールページの写真の下の部分にmixi premiumの[[ロゴタイプ|ロゴ]]が付く。<br />
<br />
=== ミュージック ===<br />
2006年[[5月22日]]に[[mixi#プレミアムサービス|プレミアム会員]]向けに開始、同年[[6月28日]]には全ユーザーが利用できるようになった。[[Macintosh]]及び[[Microsoft Windows|Windows]]用プログラム「mixi station」をインストールすることにより、パソコン内で自分が再生した曲名などをmixi上に表示できる。対応するプレイヤー[[ソフトウェア|ソフト]]は[[Windows Media Player]](Windowsのみ)と[[iTunes]]と[[Winamp]]の3種類。なお、mixiが公式にWinampに対応したため開発が終了しているが、有志によって開発されたプラグインによって[[foobar2000]]からもWinamp用のmixi stationをブリッジさせる形で利用することもできる(有志による開発なのでmixiからのサポートはない)。<br />
<br />
2006年[[12月21日]]からは、[[iPod]]の再生履歴をアップロードできるようにもなった。また[[2007年]][[3月22日]]からは、歌詞が公開されているものについては、歌詞も表示できるようになった。<br />
<br />
アーティストのページは、[[ウィキ|Wiki]]方式になっておりmixiに参加してから30日以上経過していれば編集が可能である。<br />
<br />
===機能要望===<br />
mixiでは利用者から、どのような機能が欲しいかというのを要望できるようになっている。全ユーザーはその要望に対して賛否を唱えることができる。<br />
<br />
== 受賞 ==<br />
* 月刊''Yahoo! Internet Guide''誌 [[Web of the Year]] 2005 年間総合大賞・特別賞受賞<br />
* 2005年 日経優秀製品・サービス賞 審査委員特別賞<br />
* Web of the Year 2005「年間総合大賞」<br />
* Web of the Year 2005「話題賞:1位」<br />
* Web of the Year 2005「コミュニティ部門:2位」<br />
* 第3回[[Webクリエーション・アウォード]]「Web人賞」<br />
* [[デジタル・コンテンツ・オブ・ジ・イヤー]]'04「Best Producer/ Director」<br />
* 第19回[[デジタルコンテンツグランプリ]]「優秀賞」<br />
* 2006年 [[新語・流行語大賞|ユーキャン新語・流行語大賞]]トップ10<br />
<br />
== 公称登録者数 ==<br />
=== 累計登録者数 ===<br />
退会者・多重登録者を含めた、発行ID数。<br />
<br />
* 1万ID [[2004年]]5月<br />
* 5万ID [[2004年]][[7月21日]]<br />
* 10万ID [[2004年]][[9月15日]]<br />
* 25万ID [[2004年]][[12月16日]]<br />
* 50万ID [[2005年]][[3月21日]]<br />
* 75万ID [[2005年]][[5月28日]]<br />
* 100万ID [[2005年]][[7月15日]]<br />
* 200万ID [[2005年]][[11月17日]]<br />
* 300万ID [[2006年]][[2月7日]]<br />
* 400万ID [[2006年]][[4月16日]]<br />
* 500万ID [[2006年]][[6月14日]]<br />
* 600万ID [[2006年]][[8月18日]]<br />
* 700万ID [[2006年]][[10月9日]]<br />
* 800万ID [[2006年]][[12月5日]]<br />
* 900万ID [[2007年]][[1月16日]]<br />
* 1000万ID [[2007年]][[2月25日]]<br />
<br />
※現在の発行ID数はmixiカウンターから確認することができる。<br />
<br />
=== 有効ID数 ===<br />
退会者を除いた実利用ID数。ただし、規約違反の多重登録者を含む。<br />
<br />
* 100万人 [[2005年]][[8月1日]]<br />
* 200万人 [[2005年]][[12月7日]]<br />
* 300万人 [[2006年]][[3月1日]]<br />
* 400万人 [[2006年]][[5月15日]]<br />
* 500万人 [[2006年]][[7月24日]]<br />
* 600万人 [[2006年]][[10月1日]]<br />
* 800万人 [[2007年]][[1月29日]]<br />
*1000万人 [[2007年]][[5月20日]]<br />
<br />
== 事件や問題点 ==<br />
=== 有名人ユーザー ===<br />
[[上場企業]]の[[社長]]、[[作家]]、[[タレント]]など、広く名前の知られた人物も数多くmixiを利用している。中にはファンを集めたコミュニティをタレント自ら立ち上げて[[オフ会]]を開催するなど、積極的な利用もみられる。[[東方力丸]]など、仕事を得る為にmixiを利用している例もある。なお[[2006年]][[11月29日]]の朝日新聞朝刊でmixiが紹介された際に[[サンプラザ中野]]がmixiに参加していることが書かれていた。<br />
<br />
歌手の[[宇多田ヒカル]]が2006年4月11日に自身の[[ウェブサイト]]上で、mixiの登録ユーザーであると公表したところ、mixi内の宇多田のページに多数のユーザーからメッセージが殺到し、宇多田は退会した。<br />
<br />
週刊文春2007年2月8日号に[[高円宮承子女王]]がmixiなどのサイトのユーザーであることが報じられた。<br />
<br />
一方で、[[有名人]]の名を騙るユーザーの存在がある(他人へのなりすまし行為は規約違反に当たる)。[[お笑いタレント|お笑い芸人]]の[[ヒロシ]]は自身の公式サイトで、mixiに参加しておらず、名を騙る偽者がmixiに[[存在]]している事を不快に感じていると発表した。結果、ヒロシに成りすましていた偽者は他のユーザーから批判を受けてmixiを退会した。また、[[アンガールズ]]の[[田中卓志]]や[[波田陽区]]を詐称するユーザーも存在したが、こちらは[[ワタナベエンターテインメント|所属事務所]]の[[ワタナベエンターテインメント|ナベプロ]]が素早く対応し、両人のmixi参加を所属事務所が公式に否定すると、偽者は退会した。<br />
<br />
=== チェーン日記 ===<br />
mixiでは[[チェーンメール]]ならぬ「チェーン日記」が急速に広まったがために混乱が生じる事例が発生している。<br />
<br />
2006年[[6月]]、「特定のタイトルの日記のコメントすると、自分の日記にも自動的に投稿され、個人情報が漏洩する。[[コンピュータウイルス|ウイルス]]の一種であり、急速に増殖しているので、友人にも伝えてほしい」という日記が投稿された。この日記が掲載された直後に急速に同様の日記が投稿され混乱を来した。事務局では問題となった脆弱性を修正しており、また公式の告知で「この日記を広めないように」と注意を呼びかけた。<br />
<br />
2006年[[9月]]、「ある写真家がロサンゼルスで行方不明になった。本人のmixiに家族がアクセスしているので、情報を持っている人は情報提供するとともに、この情報を広めてほしい」という日記が投稿された。これ以後日記やコミュニティのトピック、さらに個人ブログにも転載されたことから、ユーザーのあいだで情報が急速に広まり、写真家の日記のコメント欄には応援のメッセージで埋まり情報提供ができない状況となった。さらに一部の日記には家族の携帯電話番号も書かれていたため、家族に電話が殺到し、連絡をとるのに支障が生じる事態となった。なお、この写真家は[[2006年]][[10月30日]]に遺体で発見された。<br />
<br />
=== 個人情報との照合 ===<br />
mixiでは実名による登録を推奨しているが、同時にmixi内で公開する個人情報について運営側は保護の責任を負わないとしている。現在のところプロフィール欄に記入した名前など(随時変更可)は全参加者に公開される。その他、日記同様に公開レベルを設定できる個人情報項目や記入が任意の項目もある。<br />
<br />
最近では、何かしらの事件に巻き込まれた被害者や加害者が実名で登録していた場合に、[[2ちゃんねる]]を初めとする掲示板などに公開される場合がある。mixiでも独自に対処する場合があり、殺人事件の被害者が実名登録していた場合、実名報道が行われた数時間後には非公開とされる場合がある。<br />
<br />
2006年[[10月5日]]、[[コンピュータウイルス]]に感染した男性所有のコンピュータから、[[ファイル共有ソフト]]「[[Share (ソフトウェア)|Share]]」を経由した情報が漏洩し、交際相手と見られる被害者の女性の写真が[[インターネット]]に流出したことが発端となり、漏洩した情報とmixiに登録していた実名が[[匿名掲示板]]2ちゃんねるにて照らし合わされ、2ちゃんねるをはじめとしてネット中にその話題や[[個人情報]]が流布した([[ケツ毛バーガー]]事件)。<br />
<br />
=== [[渋谷区短大生遺体切断事件]]におけるマスコミ ===<br />
2006年[[1月3日]][[東京都]][[渋谷区]]で起きた[[短大生遺体切断事件]](現時点での事案、[[殺人事件]]に変更される思われる)において、[[2ちゃんねらー]]が被害者の実名からmixi上でのIDを特定、掲示板や日記で公開した(それらの行為を行った2ちゃんねらーは即時アカウントを抹消されたが、その後無差別招待によって復帰、事務局の監視の目を逃れるため、画像やコミュニティの[[URL]]によって被害者のIDを再公開した)。これらの行為が行われた事に対して、事務局は被害者のアカウントを表示不可にしたが、マイミクシィはURLを直接入力する事で閲覧できる事から、[[マスコミ]]は被害者のマイミクシィに対して情報を求めるメッセージを大量に送付したり、加入コミュニティを元に記事を書いて発表した。<br />
<br />
=== mixi八分 ===<br />
mixiは、完全招待制というその性質上、全てのインターネット参加者に開かれたサービスではない。それ故mixiに参加したくとも招待を受けないため参加できないという事例が生じる。特定の人物を意図的に招待しない、mixi八分と呼ばれる現象も発生している。<br />
<br />
=== mixi疲れ ===<br />
'''mixi疲れ'''(ミクシィづかれ)とは、多くのコミュニティやマイミクを登録しているmixiのヘビーユーザーが、mixiを介したコミュニケーションに負担を感じ、コメントの投稿や日記の書き込みを突然やめてしまう現象をいう。<br />
<br />
[[野村総合研究所]]上席研究員の[[山崎秀夫]]によると、mixiはコミュニケーションツールとしての側面が強いため、自分に宛てられたコメントに返事をすることが望ましい。これが高じると、全てのコメントに返事をすることが「義務」となり、またマイミク登録した友人の日記も投稿直後にすべて読み、できるだけ速やかに返事することが自分に求められているように考えてしまう。結果的に、大量にふくれあがるコメントを処理することができなくなり、コミュニティの維持そのものを断絶してしまうという。<br />
<br />
=== 迷惑メール ===<br />
発信元を「mixi(裏)運営事務局」とした、招待を偽装した迷惑メールが2006年[[11月23日]]に出回った。翌24日付けで、mixi運営事務局はこのメールに対し、詐欺などの恐れがあるためURLをクリックしたり返信したりしないように告知を出している。またこのメール自体、mixi招待状と内容が酷似しているため著作権侵害の可能性がある。<br />
<br />
=== 無差別招待 ===<br />
mixiに参加するためには、友人・知人からの招待が必要であるが、全く面識のない人物から招待を受け、mixiに参加登録を行う目的のウェブサイトが存在するとされている。[mixiの利用規約]では無差別招待は禁止事項として明記されており(禁止事項として「掲示板等でまったく面識のない方を無差別に招待する行為」「[[オークション]]サイト等で招待状を売買する行為」などがあげられている)、mixi側でも無差別招待が存在することを認識しているといえる。<br />
<br />
また、[[インプレス]]の人気コラムである「[[Impress Watch|やじうまWatch]]」では、書き込みに、アカウントの不正売買が行われていることを示す記述があり、不正な手段で参加しようとする利用者がいることが示唆されている。<br />
<br />
一時、2ちゃんねるにてメールアドレスを公募し、無差別招待を受け入れるという時期があった。mixi事務局は掲載されたメールアドレスで登録されたアカウントを全て削除した。次に、メールを送ると自動的に招待するボットが設置された。これは招待画面に画像で数字を表示させ、ボットに理解させられなくする事で対処した。公募先メールアドレスを2ちゃんねるに掲載し、そこから受け取ったメールを手動で処理することによる無差別招待が、現在でも行われている。<br />
<br />
[[ニュース速報(VIP)板]]のような、全体の書き込み数が非常に多いためmixi事務局に見つかりにくいと思われる掲示板では、メールアドレスを記入しての無差別招待行為が時折行なわれている。この場合、招待してほしい人が自分のメールアドレスを「メールアカウント」「アットマーク」「ドメイン名」の3行に改行して書き込み、招待者が手動でそのアドレスに招待状を送信するという方式が一般的である。3行にするのはmixi事務局に見つかりにくくするためとされているが、その効果があるのかどうかは不明。<br />
<br />
2007年[[1月]]頃、ユーザーに対して招待を制限する機能が追加された。同一の[[IP]]で複数のメールアドレスを使用していた場合などでアカウントを削除されると、再度招待してもらっても制限を受け「友人を招待する」をクリックしても「ただいま招待機能は利用停止中です。」と表示され、招待する事が出来なくなる。なお、この措置は現時点では恒久的に行われており、制限を解除されたユーザーは未だいない。これらの措置は、アカウント削除から制限に至るまでの一切が規約に明記されている訳では無いため、招待を抑制する意図以上の事は不明である。また、3月よりフリーメールを利用しての新規招待者に対して、携帯電話端末を用いた認証方法を行うことになった。<br />
<br />
=== コミュニティ乗っ取り ===<br />
コミュニティの趣旨やタイトルを書き換えて全く別のコミュニティにしてしまう行為。乗っ取り行為は以前からも見られたが、2006年末頃から多発している。<br />
<br />
[[管理人]]がいないコミュニティの管理権限を取得して内容を書き換えるほか、管理人がいるコミュニティでも、乗っ取りを仕組む悪意あるユーザーが、対象となるコミュニティを荒らし、「事態を収拾させる」と偽って管理人から管理権を譲り受け、同様の乗っ取りが行われている。<br />
<br />
2006年[[12月27日]]、mixi運営事務局では「副管理人」制度を導入して管理権限の分散化を図るほか、2007年[[1月18日]]には管理人および副管理人を、コミュニティ参加期間が当該コミュニティ設立から連続して3割以上参加しているユーザーに限定するようにした。<br />
<br />
=== 中傷行為など ===<br />
mixi内における相手の個人情報を提示した[[中傷]]罵倒行為がしばしばmixi外に露呈し、社会的問題となっている。例えば、アイドルのファンなどに対する悪口・中傷がmixi内で発見され、その書き手が所属する企業側が謝罪・厳重注意して対応するという事件が起こっている。また、[[大学生]]が皮膚病患者を隠し撮りし、mixi内で「ミイラが来店」「刺激臭を観測…くせぇ」などと中傷して公開したところ、それを知った同じ病気で苦しむ関係者らが抗議し、[[大学]]の学部長が本人に注意するという事件が起こっている。このほか、[[パネルクイズ アタック25]]における大学生大会の優勝者がmixi内にて予選でのカンニングを暴露→後日、大学から呼び出しを受ける→同級生らと未成年飲酒と自身が全裸になった写真でどんちゃん騒ぎをWebページで公開していることが暴露→後日、またもや大学から呼び出し→本人に厳重注意・・・といった、公共の電波を使ったお粗末な騒動もあった。<br />
<br />
マイミクシィを断られたユーザーが断ったユーザーに対し、謂われの無い誹謗中傷を自身のブログに掲載した結果、民事裁判にまで発展した例もある。<br />
<br />
2007年[[4月]]には、[[ガイナックス]][[赤井孝美]]取締役が、自身のmixiの日記にて2ちゃんねるの投稿について「肛門に顔を近づけて深呼吸をするようなもの」と記載。他にもガイナックス女性社員が同様にmixiの日記にて「'''キモヲタ死ね'''」と記載していたことも発覚。ガイナックスへの非難が殺到し、赤井孝美が取締役と担当しているアニメのプロデューサーの2つに対し辞任を発表するまでに至った。<br />
<br />
=== わいせつ画像の流布 ===<br />
<br />
mixi日記やアルバムは不特定多数に見せないように設定できるため、しばしばアダルト画像の交換に使用された。また女性や[[ゲイ]]の利用者が自分や他人のわいせつな画像を公開することがあった。こうした行為を総称してエロミクと呼ばれる。特に、”[[ケツ毛バーガー]]”や”人間フランクフルト”、”自称・○ェラ○オの達人”等といったものが一部で話題となっていた。<br />
<br />
=== 裏ミク ===<br />
裏mixiのことを言う。<br />
<br />
以前は、足あとをつけずに日記を閲覧したりコメントを書き込んだりする行為のことを言っていた。現在は別メールアドレスでもう一つ取った方のアカウントを言う。「複垢(複数アカウント)」などとも言われるが、もちろん規約違反である。表mixiのほうでは現実での知り合いが多数いて、書けないことも多いというユーザーや、アダルト系コミュニティに参加するために取得しているという人が多い。<br />
<br />
アダルト系コミュニティにおいて、自分の裸体写真を掲載したり性体験を書いている女性は、そのほとんどが裏ミクか、[[アダルトサイト]]の業者である。なおmixiでは[[性行為]]や[[性器]]を表す言葉などの卑猥な言葉の掲載を規約で禁止している。<br />
<br />
前述のとおり、2007年3月より、一人のユーザーが複数のアカウントを取る行為を防ぐため、新規登録には携帯電話のメールアドレスの記入及びその確認が必須となった。多重登録行為の抑制に大きな効果を発揮するとみられるが、携帯電話を持っていないユーザーが加入できないことなどから、一部では批判の声があがっている。<br />
<br />
=== 画像のリンク ===<br />
mixiにログインしていなくても、URLがわかれば画像に誰もがアクセスできる状態となっている。このため、画像のURLが2ちゃんねるなど外部の掲示板に暴露されることがあった。現在は、画像へのリンクのURLが自動的に生成されるようになっている。生成されたURLは、ある期間が経つと無効になり、画像を閲覧することができなくなる。掲示板やブログなどで画像が曝されることになっても、ごく短時間でみられなくなる。<br />
<br />
===著作権・肖像権の侵害===<br />
mixiではこれら権利侵害をする画像のアップロードを禁止している。しかし多くのユーザーは芸能人の写真を自分のページのTOP画像として使ったり、コミュニティーのTOP画像として利用している。芸能人コミュニティーはそうでないと成り立たないケースも多いからである。2007年5月中旬に[[絢香]]など[[研音]]に所属する芸能人のコミュニティーに対し、mixi事務局から画像を削除するようにとの依頼がなされた。<br />
<br />
=== ミクシィ悪用、デート商法…詐欺で14人逮捕(2013年) ===<br />
ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)で知り合った若い男女をデートに誘い、「必ずもうかる」と偽って投資用ソフトウエアを販売したとして、[[大阪府警]]生活経済課は5月28日、大阪市西区のソフト販売会社「WAO」社長で、韓国籍の片和男(33)(大阪市西区)ら男女14人を詐欺、特定商取引法違反(不実の告知)容疑で逮捕した。<br />
<br />
片らは近畿や東海など18府県の延べ約1000人に販売し、約9億5800万円を売り上げたといい、府警はSNSを使った新手のデート商法とみて全容解明を進める。<br />
<br />
他の逮捕者は、いずれも同市のソフト販売会社「WISH」経営者で、同籍の李相成(33)(大阪市西区)、同「フェーズノート」経営の長棟聖司(36)(大阪府茨木市)両容疑者ら。<br />
<br />
片らは一昨年8月~昨年9月、会員制交流サイト「ミクシィ」利用者だった大阪、兵庫両府県の男女10人(22~26歳)に「自動的に投資するので、素人でも利益が出る」などと偽り、投資ソフト(約100万円)19本を計1830万円で販売した。<br />
<br />
片は「どのように販売したかは知らない」と容疑を否認。李、長棟両容疑者ら6人も否認している。<br />
<br />
== 関連書籍 ==<br />
* mixiと第二世代ネット革命(監修:[[根来龍之]]、編者:[[早稲田大学IT戦略研究所]]、[[東洋経済新報社]]、ISBN 4492501622)<br />
* ソーシャル・ネットワーキング・サービス 縁(えん)の手帖(著者:猪蔵、原田和英、[[ふぁる]]、ユキピタスマン、[[翔泳社]]、ISBN 4798108022)<br />
* mixiの本(著者:[[林信行]]、[[野田幾子]]、[[アスペクト (企業)|アスペクト]]、ISBN 4757211333)<br />
* SNS(mixi・GREE・キヌガサ・フレンドパークetc…)を深ーく知って長ーく楽しむための本。(著者:[[寺崎美保子]]、ケイズプロダクション、[[ラトルズ (企業)|ラトルズ]]、ISBN 4899771096)<br />
* mixiで友達の輪が広がった!([[宝島社]]、ISBN 4796645691)<br />
* mixiでこんなことまでできた!(著者:mixiの達人クラブ、[[青春出版社]]、ISBN 4413007905)<br />
* mixi(ミクシィ)完全攻略マニュアル(著者:[[田口和裕]]、[[森嶋良子]]、[[インプレス]]、ISBN 4844321714)<br />
* mixiコンプリート・ハンドブック―詳解カラー図説!(著者:[[小板橋英一]]、[[ユービック]]、[[マガジンファイブ]]、ISBN 4434071335)<br />
* 愛よ広がれ―mixi十六夜日記より(著者:[[十六夜]]、[[新日本文芸協会]]、ISBN 4903311007)<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{脚注ヘルプ}}<div class="references-small"><references /></div><br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[ソーシャル・ネットワーキング・サービス]]<br />
* [[ソーシャル・ネットワーキング・サービスの一覧]]<br />
* [[mixi依存症]]<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:みくしい}}<br />
[[Category:mixi|*]]<br />
[[Category:ソーシャル・ネットワーキング・サービス]]</div>
Fromm
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E5%AE%AE%E5%8F%B8%E6%84%9B%E6%B5%B7&diff=359832
宮司愛海
2018-09-10T11:02:39Z
<p>Fromm: </p>
<hr />
<div>[[Image:宮司愛海1.jpg|300px|thumb|宮司 愛海]]<br />
'''宮司 愛海'''(みやじ まなみ、[[1991年]][[7月29日]] - )は、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]の女性[[日本のアナウンサー|アナウンサー]]。<br />
<br />
== 経歴 ==<br />
[[Image:宮司愛海2.jpg|300px|thumb|宮司 愛海]]<br />
[[福岡県]]出身。<br />
<br />
[[西南学院高等学校]]、[[早稲田大学]][[早稲田大学文化構想学部|文化構想学部]](表象・メディア論系)卒業。<br />
<br />
早大在学中は「ミスサークルコンテスト2010」「[[ミスキャンパス|早稲田コレクション]]2011」でそれぞれグランプリを受賞。また、[[早稲田大学放送研究会]]やファッション系の出版サークルに所属していた。<br />
<br />
2013年1月から7月までの半年間、大学を休学して[[シンガポール]]で[[インターンシップ]]をしていた。<br />
<br />
2015年[[フジテレビジョン|フジテレビ]]入社。同期入社は[[内野泰輔]]、[[小澤陽子]]、[[新美有加]]。同期の小澤とは同じ[[生年月日]]である。<br />
<br />
== 人物 ==<br />
[[Image:宮司愛海3.jpg|300px|thumb|宮司 愛海]]<br />
* 身長158cm。<br />
* 3人兄弟の長女。妹が居る。<br />
* [[日本漢字能力検定]]2級、[[日本語検定]]3級の資格を所持。<br />
* [[落語]]好きで、早朝勤務明けや休日などには[[鈴本演芸場]]などの寄席に足を運ぶ。特に[[古典落語]]を好み、お薦めの演目は『[[明烏]]』。<br />
* 得意な料理は[[卵料理]]。<br />
* [[左利き]]である。<br />
<br />
== 現在の出演番組 ==<br />
* [[めざましテレビ]]<br />
** エンタメキャスター(2018年4月6日 - ) - 毎週金曜日担当<br />
* [[さまぁ〜ずの神ギ問]](2015年10月16日 - ) - 進行<br />
* [[潜在能力テスト]](2017年4月25日 - )- 進行・アシスタント<br />
* [[S-PARK]](2018年4月1日 - ) - メインキャスター<br />
<br />
== 過去の出演番組 ==<br />
=== テレビ ===<br />
[[Image:宮司愛海4.png|300px|thumb|宮司 愛海]]<br />
* [[めざましテレビ]]<br />
** 気象情報(2015年9月4日) - [[小野彩香]]夏季休暇時の代理出演<br />
** 情報キャスター(2016年4月4日 - 2018年3月30日) - 2016年9月29日までは月-木のみ。<br />
* [[めざましテレビ|めざましテレビ アクア]] (2015年9月28日 - 2016年9月29日)<br />
* [[志村けんのだいじょうぶだぁ|志村けんのだいじょうぶだぁスペシャル]] - ナレーション<br />
* [[土曜プレミアム]]「[[プロ野球珍プレー・好プレー大賞|中居正広のプロ野球珍プレー好プレー大賞]]」(2015年12月5日・2016年11月5日) - 進行アシスタント<br />
* [[ネプリーグ]](2016年1月25日・3月21日・5月2日・11月14日) - ゲスト出演<br />
* [[チャギントン|GO!GO!チャギントン]](2016年2月7日 - 2017年2月26日) - チャギントンナビゲーター<br />
* [[FNS27時間テレビ (2016年)|FNS27時間テレビフェスティバル!]](2016年7月23日・24日) - [[佐野瑞樹 (アナウンサー)|佐野瑞樹]]・[[永島優美]]と共に進行<br />
* [[Mr.サンデー]](2016年9月11日) - [[椿原慶子]]夏季休暇時の代理出演<br />
* 珍発見! ギャップオファーGP (2016年10月3日)- 進行アシスタント<br />
* [[VS嵐]](2016年11月17日) - [[三宅正治]]・[[生田竜聖]]・永島優美・[[岡副麻希]]・[[伊野尾慧]]と共にゲスト出演<br />
* [[チャンネルΣ]]「[[FNS歌謡祭]]SP!!」(2016年11月26日) - スタジオ部分進行<br />
* [[スポーツジャングル]](2016年4月11日 - 2017年3月14日)- 進行<br />
* 土曜プレミアム「[[ギリギリ昔話]]」(2017年12月16日) - 進行<br />
* [[とんねるずのみなさんのおかげでした]] (不定期出演)- 進行アシスタント<br />
<br />
=== ラジオ ===<br />
* [[スフィアのオールナイトニッポンR]](2016年2月20日、[[ニッポン放送]]) - ゲスト出演<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
[[Image:宮司愛海5.png|300px|thumb|宮司 愛海]]<br />
* [[フジテレビのアナウンサー一覧]]<br />
* [[早稲田大学の人物一覧]]<br />
<br />
{{デフォルトソート:みやし まなみ}}<br />
[[Category:フジテレビのアナウンサー]]<br />
[[Category:早稲田大学出身の人物]]<br />
[[Category:西南学院高等学校出身の人物]]<br />
[[Category:福岡県出身の人物]]<br />
[[Category:1991年生]]</div>
Fromm
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:%E5%AE%AE%E5%8F%B8%E6%84%9B%E6%B5%B75.png&diff=359831
ファイル:宮司愛海5.png
2018-09-10T11:01:01Z
<p>Fromm: </p>
<hr />
<div></div>
Fromm
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:%E5%AE%AE%E5%8F%B8%E6%84%9B%E6%B5%B74.png&diff=359830
ファイル:宮司愛海4.png
2018-09-10T11:00:39Z
<p>Fromm: </p>
<hr />
<div></div>
Fromm
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:%E5%AE%AE%E5%8F%B8%E6%84%9B%E6%B5%B73.jpg&diff=359829
ファイル:宮司愛海3.jpg
2018-09-10T11:00:15Z
<p>Fromm: </p>
<hr />
<div></div>
Fromm
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:%E5%AE%AE%E5%8F%B8%E6%84%9B%E6%B5%B72.jpg&diff=359828
ファイル:宮司愛海2.jpg
2018-09-10T10:59:56Z
<p>Fromm: </p>
<hr />
<div></div>
Fromm
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:%E5%AE%AE%E5%8F%B8%E6%84%9B%E6%B5%B71.jpg&diff=359827
ファイル:宮司愛海1.jpg
2018-09-10T10:59:33Z
<p>Fromm: </p>
<hr />
<div></div>
Fromm
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E5%AE%AE%E5%8F%B8%E6%84%9B%E6%B5%B7&diff=359826
宮司愛海
2018-09-10T10:59:00Z
<p>Fromm: ページの作成:「宮司 愛海 '''宮司 愛海'''(みやじ まなみ、1991年7月29日 - )は、フジテレビジョン|フジテ...」</p>
<hr />
<div>[[Image:宮司愛海1.jpg|300px|thumb|宮司 愛海]]<br />
'''宮司 愛海'''(みやじ まなみ、[[1991年]][[7月29日]] - )は、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]の女性[[日本のアナウンサー|アナウンサー]]。<br />
<br />
== 経歴 ==<br />
[[Image:宮司愛海2.jpg|300px|thumb|宮司 愛海]]<br />
[[福岡県]]出身。<br />
<br />
[[西南学院高等学校]]、[[早稲田大学]][[早稲田大学文化構想学部|文化構想学部]](表象・メディア論系)卒業。<br />
<br />
早大在学中は「ミスサークルコンテスト2010」「[[ミスキャンパス|早稲田コレクション]]2011」でそれぞれグランプリを受賞。また、[[早稲田大学放送研究会]]やファッション系の出版サークルに所属していた。<br />
<br />
2013年1月から7月までの半年間、大学を休学して[[シンガポール]]で[[インターンシップ]]をしていた。<br />
<br />
2015年[[フジテレビジョン|フジテレビ]]入社。同期入社は[[内野泰輔]]、[[小澤陽子]]、[[新美有加]]。同期の小澤とは同じ[[生年月日]]である。<br />
<br />
== 人物 ==<br />
* 身長158cm。<br />
* 3人兄弟の長女。妹が居る。<br />
* [[日本漢字能力検定]]2級、[[日本語検定]]3級の資格を所持。<br />
* [[落語]]好きで、早朝勤務明けや休日などには[[鈴本演芸場]]などの寄席に足を運ぶ。特に[[古典落語]]を好み、お薦めの演目は『[[明烏]]』。<br />
* 得意な料理は[[卵料理]]。<br />
* [[左利き]]である。<br />
<br />
== 現在の出演番組 ==<br />
* [[めざましテレビ]]<br />
** エンタメキャスター(2018年4月6日 - ) - 毎週金曜日担当<br />
* [[さまぁ〜ずの神ギ問]](2015年10月16日 - ) - 進行<br />
* [[潜在能力テスト]](2017年4月25日 - )- 進行・アシスタント<br />
* [[S-PARK]](2018年4月1日 - ) - メインキャスター<br />
<br />
== 過去の出演番組 ==<br />
=== テレビ ===<br />
* [[めざましテレビ]]<br />
** 気象情報(2015年9月4日) - [[小野彩香]]夏季休暇時の代理出演<br />
** 情報キャスター(2016年4月4日 - 2018年3月30日) - 2016年9月29日までは月-木のみ。<br />
* [[めざましテレビ|めざましテレビ アクア]] (2015年9月28日 - 2016年9月29日)<br />
* [[志村けんのだいじょうぶだぁ|志村けんのだいじょうぶだぁスペシャル]] - ナレーション<br />
* [[土曜プレミアム]]「[[プロ野球珍プレー・好プレー大賞|中居正広のプロ野球珍プレー好プレー大賞]]」(2015年12月5日・2016年11月5日) - 進行アシスタント<br />
* [[ネプリーグ]](2016年1月25日・3月21日・5月2日・11月14日) - ゲスト出演<br />
* [[チャギントン|GO!GO!チャギントン]](2016年2月7日 - 2017年2月26日) - チャギントンナビゲーター<br />
* [[FNS27時間テレビ (2016年)|FNS27時間テレビフェスティバル!]](2016年7月23日・24日) - [[佐野瑞樹 (アナウンサー)|佐野瑞樹]]・[[永島優美]]と共に進行<br />
* [[Mr.サンデー]](2016年9月11日) - [[椿原慶子]]夏季休暇時の代理出演<br />
* 珍発見! ギャップオファーGP (2016年10月3日)- 進行アシスタント<br />
* [[VS嵐]](2016年11月17日) - [[三宅正治]]・[[生田竜聖]]・永島優美・[[岡副麻希]]・[[伊野尾慧]]と共にゲスト出演<br />
* [[チャンネルΣ]]「[[FNS歌謡祭]]SP!!」(2016年11月26日) - スタジオ部分進行<br />
* [[スポーツジャングル]](2016年4月11日 - 2017年3月14日)- 進行<br />
* 土曜プレミアム「[[ギリギリ昔話]]」(2017年12月16日) - 進行<br />
* [[とんねるずのみなさんのおかげでした]] (不定期出演)- 進行アシスタント<br />
<br />
=== ラジオ ===<br />
* [[スフィアのオールナイトニッポンR]](2016年2月20日、[[ニッポン放送]]) - ゲスト出演<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[フジテレビのアナウンサー一覧]]<br />
* [[早稲田大学の人物一覧]]<br />
<br />
{{デフォルトソート:みやし まなみ}}<br />
[[Category:フジテレビのアナウンサー]]<br />
[[Category:早稲田大学出身の人物]]<br />
[[Category:西南学院高等学校出身の人物]]<br />
[[Category:福岡県出身の人物]]<br />
[[Category:1991年生]]</div>
Fromm
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篠崎愛
2018-09-10T10:45:02Z
<p>Fromm: </p>
<hr />
<div>[[Image:篠崎愛 1.jpg|thumb|300px|篠崎愛]]<br />
'''篠崎 愛'''(しのざき あい、[[1992年]][[2月26日]] - )は、[[日本]]の[[グラビアアイドル]]、[[歌手]]。[[マーブル (企業)|マーブル]]所属。<br />
<br />
愛称は「あいちゃん」。出身地[[東京都]]、血液型= A型、[[2009年]]現在は身長= 160cm、バスト= 87cm、ウエスト= 62cm、ヒップ= 92cm、カップ= G。デビューは [[2006年]]。<br />
<br />
[[集英社]][[週刊ヤングジャンプ]]「読者投票型アイドル[[オーディション]] [[全国女子高生制服コレクション|制コレGP]]」準グランプリ。<br />
<br />
(画像は[[篠崎愛画像]]にあります。)<br />
<br />
== 来歴 ==<br />
[[2006年]]、[[集英社]][[週刊ヤングジャンプ]]の読者投票型アイドル[[オーディション]]「[[全国女子高生制服コレクション|制コレGP]]」で準グランプリを獲得。<br />
<br />
[[2008年]][[3月26日]]に1stシングル「M」で夢であった歌手デビューを果たす。<br />
<br />
== 人物 ==<br />
* 胸が大きくなり始めたのは小学生のころ。写真で自分の胸を見ると『でか、って思う。なんか丸い。横にでかいし張ってる感じがする』と思うという。また、もう少し小さくてもよいと感じるとも語っている。<br />
* 趣味は歌うこと。声質は低音でやや[[ハスキーボイス|ハスキー]]である。目標の歌手は[[倖田來未]]。<br />
* 好きな食べ物は[[スルメ]]、いちご味の[[ポッキー]]、[[マシュマロ]]、[[クレープ]]、[[ハンバーグ]]、[[から揚げ]]、[[たこ焼き]]。嫌いな食べ物は[[セロリ]]、[[納豆]]、[[梅干]]。<br />
* 得意な教科は家庭科。苦手な科目は理科と社会。<br />
<br />
== リリース作品 ==<br />
[[Image:篠崎愛 2.jpg|thumb|300px|篠崎愛]]<br />
<br />
=== シングル ===<br />
* M([[2008年]][[3月26日]]、[[フォーサイドドットコム|FOR-SIDE RECORDS]])<br />
: [[プリンセス・プリンセス]]の曲「[[Diamonds#M|M]]」のカバーである。<br />
<br />
=== 写真集 ===<br />
* START DUSH!! (2006年7月、[[彩文館出版]]) ISBN 4-7756-0134-2<br />
* Bon! Bon! Ai-bomb (2007年12月、[[ぶんか社]]) ISBN 978-4-8211-2688-0<br />
* みるく色の愛 (2008年5月、[[アクアハウス]]) ISBN 978-4-86046-114-0<br />
* おっきな愛 (2008年12月、[[学研パブリッシング]]) ISBN 978-4-05-403784-7<br />
* 恋愛〜renai〜 (2009年4月、彩文館出版) ISBN 978-4-7756-0388-8<br />
<br />
=== 雑誌 ===<br />
* [[週刊ヤングジャンプ]]([[集英社]])<br />
* [[週刊プレイボーイ]](集英社)<br />
* [[チューボー|Chu→Boh]](海王社)<br />
* [[スコラ]](スコラ社)<br />
* [[ヤングチャンピオン烈]]([[秋田書店]])<br />
* [[BOMB]](学研パブリッシング)<br />
<br />
=== DVD ===<br />
[[Image:篠崎愛 3.jpg|thumb|300px|篠崎愛]]<br />
# 篠崎愛(2006年8月25日、[[彩文館出版]])<br />
# 愛 LOVE YOU(2006年9月27日、[[トラフィックジャパン]])<br />
# 愛しのピーチパイ(2006年11月22日、[[エアーコントロール]])<br />
# Pure Smile(2007年2月23日、[[竹書房]])<br />
# あいの島から…(2007年5月25日、[[GPミュージアムソフト]])<br />
# F-MATES、15-MATES(2007年7月20日、[[スパイスビジュアル]])※[[植野千尋]]と共演作<br />
# LOVEちゃん(2007年8月24日、竹書房)<br />
# First Kiss Balloooooon(2007年11月30日、[[ぶんか社]])<br />
# ONE(2008年2月22日、スパイスビジュアル)<br />
# みるく色の愛(2008年5月23日、スパイスビジュアル)<br />
# 愛-Link 〜あいりんく〜(2008年8月22日、[[イーネット・フロンティア]])<br />
# おっきな愛(2008年12月17日、学研パブリッシング)<br />
# 愛いっぱい。(2009年2月20日、[[ラインコミュニケーションズ]])<br />
# 恋風(2009年2月20日、ラインコミュニケーションズ)<br />
# 「愛」がんばってます!(2009年5月22日、彩文館出版)<br />
# フラウ(2009年8月28日、竹書房)<br />
# スール(2009年8月28日、竹書房)<br />
# 約束〜北海道遠距離恋愛〜(2009年11月27日、イーネット・フロンティア)<br />
# 晴れ!!(2009年11月27日、イーネット・フロンティア)<br />
# Beach Angels 篠崎愛 in 奄美大島・加計呂麻島(2010年2月24日、[[バップ]])[[Blu-ray Disc]]版も同時発売<br />
<br />
== 主な出演作品 ==<br />
=== バラエティ番組 ===<br />
* 2008年!アイドルマニアが選ぶ!必ずブレイクするアイドル([[2007年]][[12月28日]] [[日本テレビ放送網|日本テレビ]])<br />
* [[グラビアの美少女]]([[MONDO21]]、2007年)<br />
<br />
=== ドラマ ===<br />
* 24のひとみ(2007年10月〜2008年3月、[[東京放送|TBSテレビ]])<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
[[Image:篠崎愛 4.jpg|thumb|300px|篠崎愛]]<br />
* [[全国女子高生制服コレクション|制コレGP]]<br />
<br />
== 篠崎愛の画像 ==<br />
<gallery caption="篠崎愛画像" widths="300px" heights="300px" perrow="3"><br />
Image:篠崎愛_5.jpg<br />
Image:篠崎愛_6.jpg<br />
Image:篠崎愛_7.jpg<br />
Image:篠崎愛_8.jpg<br />
Image:篠崎愛_9.jpg<br />
Image:篠崎愛_10.jpg<br />
Image:篠崎愛_11.jpg<br />
Image:篠崎愛_12.jpg<br />
Image:篠崎愛_13.jpg<br />
Image:篠崎愛_14.jpg<br />
Image:篠崎愛_15.jpg<br />
Image:篠崎愛_16.jpg<br />
Image:篠崎愛_17.jpg<br />
Image:篠崎愛_18.jpg<br />
Image:篠崎愛_19.jpg<br />
Image:篠崎愛_20.jpg<br />
Image:篠崎愛_21.jpg<br />
Image:篠崎愛_22.jpg<br />
Image:篠崎愛_23.jpg<br />
Image:篠崎愛_24.jpg<br />
Image:篠崎愛_25.jpg<br />
Image:篠崎愛_26.jpg<br />
Image:篠崎愛_27.jpg<br />
Image:篠崎愛_28.jpg<br />
Image:篠崎愛_29.jpg<br />
Image:篠崎愛_30.jpg<br />
Image:篠崎愛_31.jpg<br />
Image:篠崎愛_32.jpg<br />
Image:篠崎愛_33.jpg<br />
Image:篠崎愛_34.jpg<br />
Image:篠崎愛35.jpg<br />
Image:篠崎愛36.jpg<br />
Image:篠崎愛37.jpg<br />
Image:篠崎愛38.jpg<br />
Image:篠崎愛39.jpg<br />
Image:篠崎愛40.jpg<br />
Image:篠崎愛41.jpg<br />
Image:篠崎愛43.jpg<br />
Image:篠崎愛44.jpg<br />
Image:篠崎愛45.jpg<br />
Image:篠崎愛46.jpg<br />
Image:篠崎愛47.jpg<br />
Image:篠崎愛49.jpg<br />
Image:篠崎愛50.jpg<br />
Image:篠崎愛51.jpg<br />
Image:篠崎愛52.jpg<br />
</gallery><br />
<br />
{{DEFAULTSORT:しのさき あい}}<br />
[[Category:グラビアアイドル]]<br />
[[Category:全国女子高生制服コレクション]]<br />
[[Category:東京都出身の人物]]<br />
[[Category:1992年生]]<br />
[[Category:巨乳]]<br />
[[Category:画像が多い記事]]</div>
Fromm
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E9%A3%9B%E7%94%B0%E6%96%B0%E5%9C%B0&diff=359821
飛田新地
2018-09-10T08:53:24Z
<p>Fromm: </p>
<hr />
<div>[[ファイル:Tobita Red Light District.jpg|thumb|right|250px|飛田大門跡。ガス灯を模した照明の附近に門の跡がある。]]<br />
[[ファイル:Tobitashinchi20080817 060130.jpg|250px|thumb|飛田新地]]<br />
[[ファイル:Taiyoshihyakuban20060723.jpg|250px|thumb|鯛よし百番]]<br />
'''飛田新地'''(とびたしんち)は、[[大阪市]]の[[遊廓]]、[[赤線]]である。[[大正時代]]に築かれた[[日本]]最大級の遊廓と言われた。<br />
<br />
== 概要 ==<br />
[[ちょんの間]]エリア西の横綱である。[[横浜黄金町]]が滅亡した今、一人横綱状態。もともとの流れは遊郭で、戦後に赤線となった。<br />
<br />
一帯はすべてが料亭で、建物も戦災を逃れた和風のそれで、非常に趣がある。建前上は料亭で、女は女中というコンセプトなので、玄関先で女の顔をじっくりと吟味することが出来る。店舗数は160軒くらい。<br />
<br />
玄関先にはやり手ババアとライトアップされた女が一人座るスタイルで、その衣装もセーラー服やチャイナなど、アツいコスチュームで、目が合うと笑顔を見せ、時には[[パンチラ]]サービスをして我々の気を引くように教育がなされています。女のクオリティは非常に高い。<br />
<br />
通りによって女の年齢層が変わり、それに伴いプレイ時間と料金設定も変動する。基本料金は15分11,000円、20分16,000円、30分21,000円、45分31,000円K、60分41,000円。大体20~30分で15,000円くらいが相場である。<br />
<br />
店によっては15分の時間設定もあるが、これは建前で、やんわりと20分からのプレイの選択を迫られる場合もある。大阪だけに値引きが出来そうであるが、料金はビタ一文まからない。が、迷うふりをすればお約束で5分サービスしてくれる。<br />
<br />
「青春通り」と呼ばれる北東部分の通りは若い子が多く、最も南の通りは、年齢層も高めで「妖怪通り」とか「年金通り」と呼ばれる。青春通りから離れるに従い、年齢層が高くなる傾向がある。青春通りは料金も高く、16,000円~の強気の設定が多い。妖怪通りは30分10,000円くらいから。<br />
<br />
有名どころだけに、車で乗り付ける冷やかし客も多い。週末ともなれば[[縁日]]のような人出になる。営業時間は13時くらい~24時まで。妖怪通りは比較的早くから開店している。最も女を選びやすい時間は17時~18時くらい。客数が少なく目星を付けた女が確実に買える。<br />
<br />
最近は不景気のせいか妖怪通りでもレベルの高い女が多い。でもバケモンも多数いる。24時には一斉に店が閉まる。定休日は無いが、暮れと正月は休み。監視カメラもあるので、あまり派手な行為は禁物。隣接する「[[あいりん地区]]」は日本最強のドヤ街なので、あまりうろつかないほうが良い。<br />
<br />
== 外観 ==<br />
[[Image:飛田新地2.jpg|400px|thumb|飛田新地]]<br />
1958年の[[売春防止法]]施行以後は料亭街『飛田料理組合』となっているが、現在も当時の雰囲気を伝えている。ほとんどの「料亭」は看板は料亭であるが、営業内容は1958年以前と何ら変わりがない。表向き料亭に転向することにより、料亭内での客と仲居との自由恋愛という脱法行為として売春防止法を逃れられたためである。同様に大阪市内には[[松島遊廓|松島新地]]([[西区 (大阪市)|西区]])や[[今里 (大阪市)|今里新地]]([[生野区]])等、現代に生き残った旧赤線がある。<br />
<br />
現在料亭(本来の[[料亭]])として営業している[[鯛よし百番]]は、大正中期に遊廓として建てられた建物を使用しており、2000年をもって国の[[登録有形文化財]]となった。<br />
<br />
==歴史==<br />
難波新地乙部遊廓が全焼した後、[[1916年]](大正5年)に築かれた。規模は、22600坪。[[1918年]](大正7年)には既に100軒あまりの妓楼が並んでいた。妓楼の数は昭和初期には200軒を超える。花街も戦災を免れた唯一の廓である。戦後にいわゆる[[赤線]]となった。<br />
<br />
== 遊び方 ==<br />
=== お店と女の子を決めるまで ===<br />
[[Image:飛田新地1.jpg|300px|thumb|飛田新地]]<br />
飛田新地での遊び方は、道沿いに女の子が座って顔を見せている店が沢山あるので、まずうろちょろして気に入った子を探す。女の子に光を上手く当てて、可愛く見せる技ライトマジックは一流。<br />
<br />
しかしながら上手に遊ぶコツとしては、可愛いと思ったらさくっと入るのが良い。チェックしておいて他も回ってみよう、と思っても、戻ってくると他のお客さんに入られてしまっていなくなっていることが多々ある。競争率は関西新地でダントツ。<br />
<br />
座っている女の子は、少し時間が経てば交代する。誰も座っていないのに電気がついている店は、その店の女の子が皆接客中であるということ。<br />
<br />
うろちょろ中にトイレに行きたくなっても、新地内には公衆トイレやコンビニはない。事前に済ませておきましょう。上がったお店でなら借りることもできます。トイレだけ貸してくれることはありません。<br />
<br />
=== 女の子を決めたら ===<br />
[[Image:飛田新地3.jpg|300px|thumb|飛田新地]]<br />
気に入った子がいれば、入り口に入っておばちゃんに交渉する。気に入らなければ出ても構わない。話すのが面倒な方は、おばちゃんに「この子で」と伝えるだけでも大丈夫。<br />
<br />
値段も交渉できるが、あまり無理を言っても無駄で恥ずかしいだけである。<br />
<br />
基本的には、これから相手をしてもらう女の子が座っている横でおばちゃんに交渉することになるので、会話が女の子にも当然伝わる。女の子にもプライドがあり、値切った客にはその分気持ち的にサービスが低下することは避けられない。<br />
<br />
逆におばちゃんの方から、相場より安い値段で声をかけてくることもある。(妖怪通り方面がほとんど)<br />
<br />
=== お店に入ってから ===<br />
交渉が成立すれば、二階の部屋に案内される。お店のトイレを借りるなら、部屋に入る前が良い。<br />
<br />
部屋は女の子によってだいたい決まっている。4畳半〜8畳ぐらいの部屋に、布団と机がある。上着を脱ぎ、軽く挨拶などの雑談後、女の子が時間を聞いてくるので、選んでお金を払う。料金表もある。提示された料金以外のぼったくりの心配はない。<br />
<br />
お金を払うと、女の子がお茶とおしぼりとお菓子類を持ってくる。そして女の子はプレイの準備をしに行く。女の子は一日に何人も接客するので、このタイミングで予めローションを仕込んでいたりする。男もこの時ある程度脱いでおくと良い。<br />
<br />
=== プレイ ===<br />
[[Image:飛田新地4.jpg|300px|thumb|飛田新地]]<br />
シャワーはなく、ヘルスのようなイソジンでのうがい等もない。ウェットティッシュなどで女の子が綺麗にしてくれるが、あらかじめ清潔にしていく。<br />
<br />
飛田新地では基本的にフェラの前にゴムを女の子が付ける。ゴムフェラが基本。<br />
<br />
フェラで勃起したらそのまま本番。ゴム無しが可能かどうかは女の子による。せんべい布団なので、上になって余り頑張るとヒザが痛くなったりする。<br />
<br />
=== フィニッシュ後 ===<br />
フィニッシュ後、時間が来るまではお茶やお菓子を頂いたり、煙草を吸ったりしながら女の子と話を楽しむ。時間が来たらブザーが鳴る。5分前ぐらいに鳴らしてくれるお店もある。<br />
<br />
女の子が気に入って、また遊びたい場合は、名前、出勤予定(曜日・時間帯など)を聞いておくとよい。<br />
<br />
メアドを教えてくれたりすることも稀にありますが、プライベートでしつこくせず、出勤確認をするぐらいに心がける。服を着て、階段を下り、女の子とおばちゃんにお礼を言ってお店を出る。当然帰り道でも他のお店のおばちゃんに声をかけられるが、おばちゃん達にプレイ後であることを知らせるためには、女の子が持ってきてくれたお菓子の中から、棒のついたよくある飴を頂いておくとサインになる。<br />
<br />
==地理==<br />
[[大阪府]][[大阪市]][[西成区]]山王3丁目一帯。<br />
<br />
== 飛田新地マップ ==<br />
[http://tobita.main.jp/index.php?%E9%A3%9B%E7%94%B0%E6%96%B0%E5%9C%B0%20%E9%9D%92%E6%98%A5%EF%BC%8F%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%EF%BC%8F%E5%A4%A7%E9%96%80%20%E9%80%9A%E3%82%8A%20%E5%9C%B0%E5%9B%B3 ⇒最新地図はこちら(外部サイト)]<br />
[[Image:飛田新地5.jpg|300px|thumb|飛田新地]]<br />
[[Image:飛田新地6.jpg|300px|thumb|飛田新地]]<br />
[[Image:飛田新地7.jpg|300px|thumb|飛田新地]]<br />
[[Image:飛田新地マップ.jpg|700px|thumb|地図]]<br />
<br />
== 2012年の様子 ==<br />
[[Image:飛田新地8.jpg|300px|thumb|飛田新地]]<br />
[[Image:飛田新地9.jpg|300px|thumb|飛田新地]]<br />
[[Image:飛田新地10.jpg|300px|thumb|飛田新地]]<br />
かつて堅牢な門が存在したことを示す大門の支柱に「嘆きの壁」と呼ばれる高塀――。 <br />
<br />
1958年の売春防止法施行以前の遊廓の面影を色濃く残す飛田新地は、今なお妖しい魅力を放ち、男と女を引き寄せている。 <br />
<br />
この色街を12年にわたって取材しているフリーライターの[[井上理津子]]氏が飛田の色と欲を描く。映画のロケ地のようだと驚くなかれ。 <br />
<br />
「おにいちゃん、おにいちゃん、おにいちゃん……」 <br />
<br />
男が通るたび、玄関脇にいる曳き子が連呼し、おいでおいでと手招きする。 <br />
<br />
「ほら、こんなかわいい子やで~」「遊んでいってや~」 <br />
<br />
緋毛氈が敷かれた上がり框に、白熱電球で煌々と照らされた女の子が、ちょこんと座っている。ずばり、美人ばかりだ。ラメが光るキャミソールからはみ出した胸がはちきれそうな子、ショートパンツからむき出しの足が艶かしい子……。彼女らは、上目遣いに、品をつくって男に微笑みかける。 <br />
<br />
「かわいいなぁ」男が思わずつぶやくと、「かわいいだけちゃうで。ええ仕事するでぇ」と、曳き子が返す。 <br />
<br />
「ちょっと待って。一回りしてくるわ」の男には、「はいよ、待ってるよ~」と決して引き止めないが、頬がゆるんだ男には、「さすがおにいちゃん、目が高いわ。どうぞどうぞ」 <br />
<br />
壁に貼った料金表を指す。〈15分、1万1000円~〉そうして、一人、また一人と男たちが、店の中に吸い込まれていく――。 <br />
<br />
ここは、大阪の飛田新地。東西南北約400メートル四方の元遊廓である。<br />
<br />
いや、「元」でないことは推して知るべし。入口に欄間を施した、間口2間の同じ造りの店がずらりと並んでいる。2012年3月現在、155軒。推計400~500人の「女の子」がいる。 <br />
<br />
1918年(大正7年)に、すでに通天閣が聳えていた繁華街・新世界からも、木賃宿が建ち並んでいた釜ヶ崎からも500メートルほどのこの地に、大阪府認可の「飛田遊廓」として誕生。 <br />
<br />
大阪市の発展に沿って隆盛化し、不夜城となった昭和前期には3000人を超える女性が春をひさいだ。戦災に遭わなかったため、戦後はいち早く復興し、赤線に。1958年の売春防止法完全施行後も一致団結して生き残り、今に至っている。 <br />
<br />
店は「料亭」と呼ばれる。飲食店として警察に届け出て、営業。2階の部屋に運ばれるお茶とお菓子が「料理」で、お客と女の子が偶然にもたちまち“恋愛関係”に陥る。表向きにはそういう仕組みになっていて、公然と性的サービスが行われているのである。 <br />
<br />
実は私は、足かけ12年、この町に通い、昨年『さいごの色街 飛田』(筑摩書房)を上梓したのだが、この日、「久しぶりやな」と迎えてくれた飛田新地料理組合の役員は、 <br />
<br />
「男と女がいる限り、うちみたいなところはやっぱり絶対に必要やん。こんな時代やからこそ、(お客さんに)楽しく遊んで帰ってもらい、次の日の仕事の活力にしてもらわにゃ」と、10年前にも2年前にも言っていたのと同じ台詞を言った。 <br />
<br />
──で、どうですか。このごろ景気は。 <br />
<br />
「リーマンショック以降、客単価は下がりっ放しよ。でも、おかげさまで(お客の入りは)横ばいやね」 <br />
<br />
──お客用の無料駐車場、増えましたね。 <br />
<br />
「そうそう。気持ちよく、安全に足を運んでもらえるように、我々も努力してるんよ」 <br />
<br />
──ホームページ、見当たらないですね。 <br />
<br />
「我々は目立ったらアカンから。電話で訊かれたら、料理店としか答えられへんし……」 <br />
<br />
とはいうものの、飛田の「料亭」は、この1年で22軒が閉店し、19軒が新規開店している。例年の入れ代わりは10軒程度。最近の動きが大きいのは、高齢や営業不振で従来からの大きな店が閉店して空いた土地が、2、3軒に分割されているからだそうだ。 <br />
<br />
スクラップ&ビルド。そういえば、以前は見かけなかった真新しい店もちらほら。真新しい店も、間口2間、欄間、上がり框のスタイルが従来店と同じで、町の統一感は損なわれず。むしろ、大阪不況、どこ吹く風のようにも見受けられる。<br />
<br />
== 飛田、松島…風俗店なのに警察が「掃討作戦」を実行しないワケ ==<br />
飛田新地、松島新地といえば、聞いたことのある人も少なくないだろう。かつては華やかな遊郭だった[[赤線]](公認の売春地帯)地域だ。今も日本有数の「ちょんの間」街、つまり風俗街である。客が店に金を支払い、女の子と本番行為を行う性風俗店が乱立するが、不思議なのはどの店も「料理店」として営業許可を出していること。菓子などを〝料理〟として提供し、「店員と客の自由恋愛」という体裁で売春が行われる。実態と明らかに異なる届け出なのに、なぜかほとんどの店舗が警察当局の摘発から逃れている印象が強い。当局は本気を出せばできそうな「掃討作戦」をなぜ実行しないのか。その背景を探った。<br />
<br />
「はい、そこのお兄さ~ん、いらっしゃ~い」<br />
<br />
[[大阪市]]西区の市営地下鉄中央線、[[阪神なんば線]]の[[九条駅]]からほど近くにある松島新地。市民が憩う商店街「ナインモール九条」を抜けると突如、昔ながらの日本を感じさせる建物が現れ、あちこちから「やり手婆」と呼ばれる客引きの高齢女性の声が聞こえる。こちらに向けて手招きし、中では化粧をした20~30代の女性が手を振って客を今か今かと待っていた。<br />
<br />
何とも異様な光景。地元の人たちが[[自転車]]に乗って普通に通り、地域に溶け込むようにたたずんでいるのも驚きだ。現在営業しているのは約90店舗。約160店舗を構える飛田新地(同市西成区)に次いで国内2番目の規模とみられるが、飛田より金額は比較的安く、愛好家も多い。そんな一大風俗エリアで先日、警察による店舗の摘発があった。<br />
<br />
[[大阪府警]]西署は1月、売春防止法違反容疑で、松島新地の料理店「恋心(ここ)」の経営者の女と引き子役にあたる「やり手婆」の女の計2人を逮捕。逮捕容疑は共謀し、2016年11月6日と25日の夜、店内で20代と30代の女性に男性客2人を売春相手として引き合わせたとしている。同署の調べに、2人は「料理を出すことはありません」と容疑を認めた。<br />
<br />
同署などによると、店は少なくとも平成25年1月から料理店の許可を取って営業。20分1万円で、10分増えるごとに5,000円が加算されていくシステムだった。同署は実際に性的サービスを受けた帰りの男性客から「売春営業を受けた」との話を聞いて捜査を始め、逮捕にこぎ着けたようだ。ただ、男性客の話を聞くだけで逮捕できるなら、もうすでに新地が壊滅していてもおかしくはない。どの店舗も実質、「性風俗店」なのは明らかだが、なぜか警察による摘発は少ないのが現状だ。<br />
<br />
松島新地では4年前、店舗の経営者や、店に女性を送り込んだスカウトグループの関係者らを一斉逮捕。[[暴力団]]関係者を通じてグループと知り合い、性接待などを受けた男性警部補が処分される事態にまで発展した過去がある。ただ、それ以降は大規模な「掃討作戦」はみられない。<br />
<br />
そもそも松島新地はいつの時代に誕生し、なぜ「自由恋愛」の営業スタイルになったのか。<br />
<br />
[[昭和33年]]発行の「松島新地誌」(松島新地組合)によると、かつては「松島遊郭」と呼ばれ、今から約150年前の[[明治元年]]に設置許可が下り、翌年に開設された。「松島」という地名は寺島という地域に松の大木があったことが由来といわれているそうだ。今とは別の場所にあったが、先の大戦中の大阪大空襲で大半が焼失。現在の場所に移ったのは戦後のことだ。<br />
<br />
しかし、[[昭和33年]]に[[売春防止法]]が施行。売春行為そのものが法律に禁止と明記され、遊郭などの流れをくむ売春の実質的公認地帯だった〝赤線〟が消滅した。松島の各店舗の存続も危うくなり、各店舗は届け出上は「料理店」として営業許可を取得するという〝抜け道〟を考案。「店員と客による自由恋愛」という名目で性的サービスを提供するようになり、当局側が黙認する形で続いてきたとされている。<br />
<br />
飛田新地など他の遊郭も同じ理由から同様の営業手法になったというのが通説で、現在も「~新地」などの呼び名で性風俗店の名残が残っている。今でも店に行けば、まずはじめに茶や菓子がふるまわれる。これも「料理店」としての体裁を保つため。当時の営業許可の名残のようなものだ。<br />
<br />
ただ、やはりどうしても気になるのは、明らかな売春行為なのに、なぜ警察は「料理店」としての営業許可を認めているのか、そして積極摘発をしないのか、だ。<br />
<br />
「警察はグレーゾーンだと認識しながらも、店がなくなったときの社会のリスクを考えて料理店の営業許可を出しているはずだ」<br />
<br />
そう語るのは、飛田新地の内情を描いた「飛田で生きる」([[徳間書店]])の著書で知られる杉坂圭介氏。飛田新地で約10年の店舗経営経験があり、今はスカウトマンとして活動する杉坂氏は「世の中から性風俗店がなくなれば性犯罪が増えかねない。そうした社会的リスクを考え、グレーゾーンの料理店を黙認して営業許可を出しているのでは」と指摘する。<br />
<br />
摘発件数が少ない背景については、「街を取り仕切る料理組合の存在が大きい」とみる。<br />
<br />
新地で店を新規に構える場合、料理組合の許可を得なければならないが、そこでは厳しいチェックが行われるという。「組合は暴力団の徹底排除など、安心安全でクリーンな街にするよう努めている。もし、暴力団とつながりのある店が見つかれば、組合で自主廃業を促すこともある。警察も営業許可を出す際、『ちゃんと組合の許可は下りるんだろうね』と新規参入者に話すようだ。暗黙の協力関係があるのかもしれない」と話す。<br />
<br />
飛田新地では、組合を挙げて定期的な清掃活動を行うほか、街の防火のために水の備蓄を行うなど、「きれいな街」を常に心がけている。松島新地でもいたる場所に「麻薬撲滅」や「暴力追放の街」などと書かれた看板が掲げられ、飛田と同様、街を取り仕切る料理組合がクリーンな街を意識しているようだ。<br />
<br />
「過去の摘発店舗は、店員が[[覚醒剤]]をやっていたり、暴力団とつながりがあったりしたところが多い。売春行為は別の事件から波及する形で問われることがほとんど」と杉坂氏。警察も数カ月に1回、[[住民票]]の確認など各店舗の名簿チェックを行うが、組合が犯罪の芽を事前に見つけて対処していることも多く、「組合の活動が摘発数を必然的に少なくしているのだろう。警察もある意味、組合を信頼している」とする。<br />
<br />
とはいえ、松島関係者の関係者は「最近は摘発がなかったから本当に怖い。一斉摘発なんてあったらどうしよう」と戦々恐々としている。<br />
<br />
「料理店内で何が行われているかという事実関係は確認しづらいが、売春行為を見つければ逮捕する。それだけだ」と捜査関係者は語る。<br />
<br />
「何でも透明に」との考えが強い現代社会で、なおも残るグレーゾーンの世界・新地。料理組合が自警団的な役割を続ける限り、警察は店舗の積極摘発に動かない方針なのか。犯罪を抑止し、健全な社会を保つため、グレーゾーンを見て見ぬふりをする…。暴力団を「必要悪」とする一つの価値観とどこか通じるものがあるのかもしれない。<br />
<br />
==最寄り駅==<br />
[[Image:飛田新地11.jpg|300px|thumb|飛田新地]]<br />
*[[今池駅 (大阪府)|今池駅]]([[今池町駅]])<br />
*[[今船駅]]<br />
*[[動物園前駅]]<br />
*[[新今宮駅]]<br />
*[[天王寺駅]]<br />
<br />
*[[飛田駅]] 現在は廃止されている。<br />
*[[飛田本通駅]] 現在は廃止されている。<br />
*[[大門通駅]] 現在は廃止されている。<br />
*[[曳舟駅 (大阪府)|曳舟駅]] 現在は廃止されている。<br />
<br />
==名所・旧跡==<br />
*母子観音像 山王3丁目5<br />
<br />
==関連項目==<br />
*[[遊廓]]<br />
*[[松島新地]]<br />
*[[あいりん地区]]<br />
<br />
== 飛田新地の画像 ==<br />
<gallery caption=" 飛 田 新 地 " widths="300px" heights="400px" perrow="3"><br />
Image:飛田新地12.jpg<br />
Image:飛田新地13.jpg<br />
Image:飛田新地14.jpg<br />
Image:飛田新地15.png<br />
</gallery><br />
<br />
{{DEFAULTSORT:とひたしんち}}<br />
[[Category:大阪市の建築物]]<br />
[[Category:西成区]]<br />
[[Category:釜ヶ崎]]<br />
[[Category:遊廓]]<br />
[[Category:大阪市の歴史]]<br />
[[category:大阪の花街]]<br />
[[category:日本の売買春]]<br />
[[category:画像が多い記事]]</div>
Fromm
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E9%A3%9B%E7%94%B0%E6%96%B0%E5%9C%B0&diff=359820
飛田新地
2018-09-10T08:51:42Z
<p>Fromm: </p>
<hr />
<div>[[ファイル:Tobita Red Light District.jpg|thumb|right|250px|飛田大門跡。ガス灯を模した照明の附近に門の跡がある。]]<br />
[[ファイル:Tobitashinchi20080817 060130.jpg|250px|thumb|飛田新地]]<br />
[[ファイル:Taiyoshihyakuban20060723.jpg|250px|thumb|鯛よし百番]]<br />
'''飛田新地'''(とびたしんち)は、[[大阪市]]の[[遊廓]]、[[赤線]]である。[[大正時代]]に築かれた[[日本]]最大級の遊廓と言われた。<br />
<br />
== 概要 ==<br />
[[ちょんの間]]エリア西の横綱である。[[横浜黄金町]]が滅亡した今、一人横綱状態。もともとの流れは遊郭で、戦後に赤線となった。<br />
<br />
一帯はすべてが料亭で、建物も戦災を逃れた和風のそれで、非常に趣がある。建前上は料亭で、女は女中というコンセプトなので、玄関先で女の顔をじっくりと吟味することが出来る。店舗数は160軒くらい。<br />
<br />
玄関先にはやり手ババアとライトアップされた女が一人座るスタイルで、その衣装もセーラー服やチャイナなど、アツいコスチュームで、目が合うと笑顔を見せ、時には[[パンチラ]]サービスをして我々の気を引くように教育がなされています。女のクオリティは非常に高い。<br />
<br />
通りによって女の年齢層が変わり、それに伴いプレイ時間と料金設定も変動する。基本料金は15分11,000円、20分16,000円、30分21,000円、45分31,000円K、60分41,000円。大体20~30分で15,000円くらいが相場である。<br />
<br />
店によっては15分の時間設定もあるが、これは建前で、やんわりと20分からのプレイの選択を迫られる場合もある。大阪だけに値引きが出来そうであるが、料金はビタ一文まからない。が、迷うふりをすればお約束で5分サービスしてくれる。<br />
<br />
「青春通り」と呼ばれる北東部分の通りは若い子が多く、最も南の通りは、年齢層も高めで「妖怪通り」とか「年金通り」と呼ばれる。青春通りから離れるに従い、年齢層が高くなる傾向がある。青春通りは料金も高く、16,000円~の強気の設定が多い。妖怪通りは30分10,000円くらいから。<br />
<br />
有名どころだけに、車で乗り付ける冷やかし客も多い。週末ともなれば[[縁日]]のような人出になる。営業時間は13時くらい~24時まで。妖怪通りは比較的早くから開店している。最も女を選びやすい時間は17時~18時くらい。客数が少なく目星を付けた女が確実に買える。<br />
<br />
最近は不景気のせいか妖怪通りでもレベルの高い女が多い。でもバケモンも多数いる。24時には一斉に店が閉まる。定休日は無いが、暮れと正月は休み。監視カメラもあるので、あまり派手な行為は禁物。隣接する「[[あいりん地区]]」は日本最強のドヤ街なので、あまりうろつかないほうが良い。<br />
<br />
== 外観 ==<br />
[[Image:飛田新地2.jpg|400px|thumb|飛田新地]]<br />
1958年の[[売春防止法]]施行以後は料亭街『飛田料理組合』となっているが、現在も当時の雰囲気を伝えている。ほとんどの「料亭」は看板は料亭であるが、営業内容は1958年以前と何ら変わりがない。表向き料亭に転向することにより、料亭内での客と仲居との自由恋愛という脱法行為として売春防止法を逃れられたためである。同様に大阪市内には[[松島遊廓|松島新地]]([[西区 (大阪市)|西区]])や[[今里 (大阪市)|今里新地]]([[生野区]])等、現代に生き残った旧赤線がある。<br />
<br />
現在料亭(本来の[[料亭]])として営業している[[鯛よし百番]]は、大正中期に遊廓として建てられた建物を使用しており、2000年をもって国の[[登録有形文化財]]となった。<br />
<br />
==歴史==<br />
難波新地乙部遊廓が全焼した後、[[1916年]](大正5年)に築かれた。規模は、22600坪。[[1918年]](大正7年)には既に100軒あまりの妓楼が並んでいた。妓楼の数は昭和初期には200軒を超える。花街も戦災を免れた唯一の廓である。戦後にいわゆる[[赤線]]となった。<br />
<br />
== 遊び方 ==<br />
=== お店と女の子を決めるまで ===<br />
[[Image:飛田新地1.jpg|300px|thumb|飛田新地]]<br />
飛田新地での遊び方は、道沿いに女の子が座って顔を見せている店が沢山あるので、まずうろちょろして気に入った子を探す。女の子に光を上手く当てて、可愛く見せる技ライトマジックは一流。<br />
<br />
しかしながら上手に遊ぶコツとしては、可愛いと思ったらさくっと入るのが良い。チェックしておいて他も回ってみよう、と思っても、戻ってくると他のお客さんに入られてしまっていなくなっていることが多々ある。競争率は関西新地でダントツ。<br />
<br />
座っている女の子は、少し時間が経てば交代する。誰も座っていないのに電気がついている店は、その店の女の子が皆接客中であるということ。<br />
<br />
うろちょろ中にトイレに行きたくなっても、新地内には公衆トイレやコンビニはない。事前に済ませておきましょう。上がったお店でなら借りることもできます。トイレだけ貸してくれることはありません。<br />
<br />
=== 女の子を決めたら ===<br />
[[Image:飛田新地3.jpg|300px|thumb|飛田新地]]<br />
気に入った子がいれば、入り口に入っておばちゃんに交渉する。気に入らなければ出ても構わない。話すのが面倒な方は、おばちゃんに「この子で」と伝えるだけでも大丈夫。<br />
<br />
値段も交渉できるが、あまり無理を言っても無駄で恥ずかしいだけである。<br />
<br />
基本的には、これから相手をしてもらう女の子が座っている横でおばちゃんに交渉することになるので、会話が女の子にも当然伝わる。女の子にもプライドがあり、値切った客にはその分気持ち的にサービスが低下することは避けられない。<br />
<br />
逆におばちゃんの方から、相場より安い値段で声をかけてくることもある。(妖怪通り方面がほとんど)<br />
<br />
=== お店に入ってから ===<br />
交渉が成立すれば、二階の部屋に案内される。お店のトイレを借りるなら、部屋に入る前が良い。<br />
<br />
部屋は女の子によってだいたい決まっている。4畳半〜8畳ぐらいの部屋に、布団と机がある。上着を脱ぎ、軽く挨拶などの雑談後、女の子が時間を聞いてくるので、選んでお金を払う。料金表もある。提示された料金以外のぼったくりの心配はない。<br />
<br />
お金を払うと、女の子がお茶とおしぼりとお菓子類を持ってくる。そして女の子はプレイの準備をしに行く。女の子は一日に何人も接客するので、このタイミングで予めローションを仕込んでいたりする。男もこの時ある程度脱いでおくと良い。<br />
<br />
=== プレイ ===<br />
[[Image:飛田新地4.jpg|300px|thumb|飛田新地]]<br />
シャワーはなく、ヘルスのようなイソジンでのうがい等もない。ウェットティッシュなどで女の子が綺麗にしてくれるが、あらかじめ清潔にしていく。<br />
<br />
飛田新地では基本的にフェラの前にゴムを女の子が付ける。ゴムフェラが基本。<br />
<br />
フェラで勃起したらそのまま本番。ゴム無しが可能かどうかは女の子による。せんべい布団なので、上になって余り頑張るとヒザが痛くなったりする。<br />
<br />
=== フィニッシュ後 ===<br />
フィニッシュ後、時間が来るまではお茶やお菓子を頂いたり、煙草を吸ったりしながら女の子と話を楽しむ。時間が来たらブザーが鳴る。5分前ぐらいに鳴らしてくれるお店もある。<br />
<br />
女の子が気に入って、また遊びたい場合は、名前、出勤予定(曜日・時間帯など)を聞いておくとよい。<br />
<br />
メアドを教えてくれたりすることも稀にありますが、プライベートでしつこくせず、出勤確認をするぐらいに心がける。服を着て、階段を下り、女の子とおばちゃんにお礼を言ってお店を出る。当然帰り道でも他のお店のおばちゃんに声をかけられるが、おばちゃん達にプレイ後であることを知らせるためには、女の子が持ってきてくれたお菓子の中から、棒のついたよくある飴を頂いておくとサインになる。<br />
<br />
==地理==<br />
[[大阪府]][[大阪市]][[西成区]]山王3丁目一帯。<br />
<br />
== 飛田新地マップ ==<br />
[http://tobita.main.jp/index.php?%E9%A3%9B%E7%94%B0%E6%96%B0%E5%9C%B0%20%E9%9D%92%E6%98%A5%EF%BC%8F%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%EF%BC%8F%E5%A4%A7%E9%96%80%20%E9%80%9A%E3%82%8A%20%E5%9C%B0%E5%9B%B3 ⇒最新地図はこちら(外部サイト)]<br />
[[Image:飛田新地5.jpg|300px|thumb|飛田新地]]<br />
[[Image:飛田新地6.jpg|300px|thumb|飛田新地]]<br />
[[Image:飛田新地7.jpg|300px|thumb|飛田新地]]<br />
[[Image:飛田新地マップ.jpg|700px|thumb|地図]]<br />
<br />
== 2012年の様子 ==<br />
[[Image:飛田新地8.jpg|300px|thumb|飛田新地]]<br />
[[Image:飛田新地9.jpg|300px|thumb|飛田新地]]<br />
[[Image:飛田新地10.jpg|300px|thumb|飛田新地]]<br />
かつて堅牢な門が存在したことを示す大門の支柱に「嘆きの壁」と呼ばれる高塀――。 <br />
<br />
1958年の売春防止法施行以前の遊廓の面影を色濃く残す飛田新地は、今なお妖しい魅力を放ち、男と女を引き寄せている。 <br />
<br />
この色街を12年にわたって取材しているフリーライターの[[井上理津子]]氏が飛田の色と欲を描く。映画のロケ地のようだと驚くなかれ。 <br />
<br />
「おにいちゃん、おにいちゃん、おにいちゃん……」 <br />
<br />
男が通るたび、玄関脇にいる曳き子が連呼し、おいでおいでと手招きする。 <br />
<br />
「ほら、こんなかわいい子やで~」「遊んでいってや~」 <br />
<br />
緋毛氈が敷かれた上がり框に、白熱電球で煌々と照らされた女の子が、ちょこんと座っている。ずばり、美人ばかりだ。ラメが光るキャミソールからはみ出した胸がはちきれそうな子、ショートパンツからむき出しの足が艶かしい子……。彼女らは、上目遣いに、品をつくって男に微笑みかける。 <br />
<br />
「かわいいなぁ」男が思わずつぶやくと、「かわいいだけちゃうで。ええ仕事するでぇ」と、曳き子が返す。 <br />
<br />
「ちょっと待って。一回りしてくるわ」の男には、「はいよ、待ってるよ~」と決して引き止めないが、頬がゆるんだ男には、「さすがおにいちゃん、目が高いわ。どうぞどうぞ」 <br />
<br />
壁に貼った料金表を指す。〈15分、1万1000円~〉そうして、一人、また一人と男たちが、店の中に吸い込まれていく――。 <br />
<br />
ここは、大阪の飛田新地。東西南北約400メートル四方の元遊廓である。<br />
<br />
いや、「元」でないことは推して知るべし。入口に欄間を施した、間口2間の同じ造りの店がずらりと並んでいる。2012年3月現在、155軒。推計400~500人の「女の子」がいる。 <br />
<br />
1918年(大正7年)に、すでに通天閣が聳えていた繁華街・新世界からも、木賃宿が建ち並んでいた釜ヶ崎からも500メートルほどのこの地に、大阪府認可の「飛田遊廓」として誕生。 <br />
<br />
大阪市の発展に沿って隆盛化し、不夜城となった昭和前期には3000人を超える女性が春をひさいだ。戦災に遭わなかったため、戦後はいち早く復興し、赤線に。1958年の売春防止法完全施行後も一致団結して生き残り、今に至っている。 <br />
<br />
店は「料亭」と呼ばれる。飲食店として警察に届け出て、営業。2階の部屋に運ばれるお茶とお菓子が「料理」で、お客と女の子が偶然にもたちまち“恋愛関係”に陥る。表向きにはそういう仕組みになっていて、公然と性的サービスが行われているのである。 <br />
<br />
実は私は、足かけ12年、この町に通い、昨年『さいごの色街 飛田』(筑摩書房)を上梓したのだが、この日、「久しぶりやな」と迎えてくれた飛田新地料理組合の役員は、 <br />
<br />
「男と女がいる限り、うちみたいなところはやっぱり絶対に必要やん。こんな時代やからこそ、(お客さんに)楽しく遊んで帰ってもらい、次の日の仕事の活力にしてもらわにゃ」と、10年前にも2年前にも言っていたのと同じ台詞を言った。 <br />
<br />
──で、どうですか。このごろ景気は。 <br />
<br />
「リーマンショック以降、客単価は下がりっ放しよ。でも、おかげさまで(お客の入りは)横ばいやね」 <br />
<br />
──お客用の無料駐車場、増えましたね。 <br />
<br />
「そうそう。気持ちよく、安全に足を運んでもらえるように、我々も努力してるんよ」 <br />
<br />
──ホームページ、見当たらないですね。 <br />
<br />
「我々は目立ったらアカンから。電話で訊かれたら、料理店としか答えられへんし……」 <br />
<br />
とはいうものの、飛田の「料亭」は、この1年で22軒が閉店し、19軒が新規開店している。例年の入れ代わりは10軒程度。最近の動きが大きいのは、高齢や営業不振で従来からの大きな店が閉店して空いた土地が、2、3軒に分割されているからだそうだ。 <br />
<br />
スクラップ&ビルド。そういえば、以前は見かけなかった真新しい店もちらほら。真新しい店も、間口2間、欄間、上がり框のスタイルが従来店と同じで、町の統一感は損なわれず。むしろ、大阪不況、どこ吹く風のようにも見受けられる。<br />
<br />
== 飛田、松島…風俗店なのに警察が「掃討作戦」を実行しないワケ ==<br />
飛田新地、松島新地といえば、聞いたことのある人も少なくないだろう。かつては華やかな遊郭だった[[赤線]](公認の売春地帯)地域だ。今も日本有数の「ちょんの間」街、つまり風俗街である。客が店に金を支払い、女の子と本番行為を行う性風俗店が乱立するが、不思議なのはどの店も「料理店」として営業許可を出していること。菓子などを〝料理〟として提供し、「店員と客の自由恋愛」という体裁で売春が行われる。実態と明らかに異なる届け出なのに、なぜかほとんどの店舗が警察当局の摘発から逃れている印象が強い。当局は本気を出せばできそうな「掃討作戦」をなぜ実行しないのか。その背景を探った。<br />
<br />
「はい、そこのお兄さ~ん、いらっしゃ~い」<br />
<br />
[[大阪市]]西区の市営地下鉄中央線、[[阪神なんば線]]の[[九条駅]]からほど近くにある松島新地。市民が憩う商店街「ナインモール九条」を抜けると突如、昔ながらの日本を感じさせる建物が現れ、あちこちから「やり手婆」と呼ばれる客引きの高齢女性の声が聞こえる。こちらに向けて手招きし、中では化粧をした20~30代の女性が手を振って客を今か今かと待っていた。<br />
<br />
何とも異様な光景。地元の人たちが[[自転車]]に乗って普通に通り、地域に溶け込むようにたたずんでいるのも驚きだ。現在営業しているのは約90店舗。約160店舗を構える飛田新地(同市西成区)に次いで国内2番目の規模とみられるが、飛田より金額は比較的安く、愛好家も多い。そんな一大風俗エリアで先日、警察による店舗の摘発があった。<br />
<br />
[[大阪府警]]西署は1月、売春防止法違反容疑で、松島新地の料理店「恋心(ここ)」の経営者の女と引き子役にあたる「やり手婆」の女の計2人を逮捕。逮捕容疑は共謀し、2016年11月6日と25日の夜、店内で20代と30代の女性に男性客2人を売春相手として引き合わせたとしている。同署の調べに、2人は「料理を出すことはありません」と容疑を認めた。<br />
<br />
同署などによると、店は少なくとも平成25年1月から料理店の許可を取って営業。20分1万円で、10分増えるごとに5,000円が加算されていくシステムだった。同署は実際に性的サービスを受けた帰りの男性客から「売春営業を受けた」との話を聞いて捜査を始め、逮捕にこぎ着けたようだ。ただ、男性客の話を聞くだけで逮捕できるなら、もうすでに新地が壊滅していてもおかしくはない。どの店舗も実質、「性風俗店」なのは明らかだが、なぜか警察による摘発は少ないのが現状だ。<br />
<br />
松島新地では4年前、店舗の経営者や、店に女性を送り込んだスカウトグループの関係者らを一斉逮捕。[[暴力団]]関係者を通じてグループと知り合い、性接待などを受けた男性警部補が処分される事態にまで発展した過去がある。ただ、それ以降は大規模な「掃討作戦」はみられない。<br />
<br />
そもそも松島新地はいつの時代に誕生し、なぜ「自由恋愛」の営業スタイルになったのか。<br />
<br />
[[昭和33年]]発行の「松島新地誌」(松島新地組合)によると、かつては「松島遊郭」と呼ばれ、今から約150年前の[[明治元年]]に設置許可が下り、翌年に開設された。「松島」という地名は寺島という地域に松の大木があったことが由来といわれているそうだ。今とは別の場所にあったが、先の大戦中の大阪大空襲で大半が焼失。現在の場所に移ったのは戦後のことだ。<br />
<br />
しかし、[[昭和33年]]に[[売春防止法]]が施行。売春行為そのものが法律に禁止と明記され、遊郭などの流れをくむ売春の実質的公認地帯だった〝赤線〟が消滅した。松島の各店舗の存続も危うくなり、各店舗は届け出上は「料理店」として営業許可を取得するという〝抜け道〟を考案。「店員と客による自由恋愛」という名目で性的サービスを提供するようになり、当局側が黙認する形で続いてきたとされている。<br />
<br />
飛田新地など他の遊郭も同じ理由から同様の営業手法になったというのが通説で、現在も「~新地」などの呼び名で性風俗店の名残が残っている。今でも店に行けば、まずはじめに茶や菓子がふるまわれる。これも「料理店」としての体裁を保つため。当時の営業許可の名残のようなものだ。<br />
<br />
ただ、やはりどうしても気になるのは、明らかな売春行為なのに、なぜ警察は「料理店」としての営業許可を認めているのか、そして積極摘発をしないのか、だ。<br />
<br />
「警察はグレーゾーンだと認識しながらも、店がなくなったときの社会のリスクを考えて料理店の営業許可を出しているはずだ」<br />
<br />
そう語るのは、飛田新地の内情を描いた「飛田で生きる」([[徳間書店]])の著書で知られる杉坂圭介氏。飛田新地で約10年の店舗経営経験があり、今はスカウトマンとして活動する杉坂氏は「世の中から性風俗店がなくなれば性犯罪が増えかねない。そうした社会的リスクを考え、グレーゾーンの料理店を黙認して営業許可を出しているのでは」と指摘する。<br />
<br />
摘発件数が少ない背景については、「街を取り仕切る料理組合の存在が大きい」とみる。<br />
<br />
新地で店を新規に構える場合、料理組合の許可を得なければならないが、そこでは厳しいチェックが行われるという。「組合は暴力団の徹底排除など、安心安全でクリーンな街にするよう努めている。もし、暴力団とつながりのある店が見つかれば、組合で自主廃業を促すこともある。警察も営業許可を出す際、『ちゃんと組合の許可は下りるんだろうね』と新規参入者に話すようだ。暗黙の協力関係があるのかもしれない」と話す。<br />
<br />
飛田新地では、組合を挙げて定期的な清掃活動を行うほか、街の防火のために水の備蓄を行うなど、「きれいな街」を常に心がけている。松島新地でもいたる場所に「麻薬撲滅」や「暴力追放の街」などと書かれた看板が掲げられ、飛田と同様、街を取り仕切る料理組合がクリーンな街を意識しているようだ。<br />
<br />
「過去の摘発店舗は、店員が[[覚醒剤]]をやっていたり、暴力団とつながりがあったりしたところが多い。売春行為は別の事件から波及する形で問われることがほとんど」と杉坂氏。警察も数カ月に1回、[[住民票]]の確認など各店舗の名簿チェックを行うが、組合が犯罪の芽を事前に見つけて対処していることも多く、「組合の活動が摘発数を必然的に少なくしているのだろう。警察もある意味、組合を信頼している」とする。<br />
<br />
とはいえ、松島関係者の関係者は「最近は摘発がなかったから本当に怖い。一斉摘発なんてあったらどうしよう」と戦々恐々としている。<br />
<br />
「料理店内で何が行われているかという事実関係は確認しづらいが、売春行為を見つければ逮捕する。それだけだ」と捜査関係者は語る。<br />
<br />
「何でも透明に」との考えが強い現代社会で、なおも残るグレーゾーンの世界・新地。料理組合が自警団的な役割を続ける限り、警察は店舗の積極摘発に動かない方針なのか。犯罪を抑止し、健全な社会を保つため、グレーゾーンを見て見ぬふりをする…。暴力団を「必要悪」とする一つの価値観とどこか通じるものがあるのかもしれない。<br />
<br />
==最寄り駅==<br />
[[Image:飛田新地11.jpg|300px|thumb|飛田新地]]<br />
*[[今池駅 (大阪府)|今池駅]]([[今池町駅]])<br />
*[[今船駅]]<br />
*[[動物園前駅]]<br />
*[[新今宮駅]]<br />
*[[天王寺駅]]<br />
<br />
*[[飛田駅]] 現在は廃止されている。<br />
*[[飛田本通駅]] 現在は廃止されている。<br />
*[[大門通駅]] 現在は廃止されている。<br />
*[[曳舟駅 (大阪府)|曳舟駅]] 現在は廃止されている。<br />
<br />
==名所・旧跡==<br />
*母子観音像 山王3丁目5<br />
<br />
==関連項目==<br />
*[[遊廓]]<br />
*[[松島新地]]<br />
*[[あいりん地区]]<br />
<br />
== 飛田新地の画像 ==<br />
[[Image:飛田新地12.jpg|300px]][[Image:飛田新地13.jpg|300px]][[Image:飛田新地14.jpg|300px]][[Image:飛田新地15.png|300px]]<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:とひたしんち}}<br />
[[Category:大阪市の建築物]]<br />
[[Category:西成区]]<br />
[[Category:釜ヶ崎]]<br />
[[Category:遊廓]]<br />
[[Category:大阪市の歴史]]<br />
[[category:大阪の花街]]<br />
[[category:日本の売買春]]<br />
[[category:画像が多い記事]]</div>
Fromm
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E3%82%AB%E3%83%86%E3%82%B4%E3%83%AA:%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%96%B0%E8%81%9E&diff=359819
カテゴリ:日本の新聞
2018-09-10T08:48:21Z
<p>Fromm: </p>
<hr />
<div>日本の新聞に関する記事の一覧をまとめたカテゴリ。<br />
<br />
{{デフォルトソート:にほんのしんふん}}<br />
[[Category:日本のメディア事業者]]<br />
[[Category:日本の逐次刊行物]]<br />
[[Category:各国の新聞]]<br />
[[Category:アジアの新聞]]</div>
Fromm
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E3%82%AB%E3%83%86%E3%82%B4%E3%83%AA:%E5%8F%8D%E6%97%A5%E4%B8%BB%E7%BE%A9&diff=359818
カテゴリ:反日主義
2018-09-10T08:46:49Z
<p>Fromm: </p>
<hr />
<div>日本とその政府、そして日本人がとにかく憎い人達のカテゴリ。<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:はんにちしゆき}}<br />
[[Category:対外情緒]]<br />
[[Category:対日感情]]</div>
Fromm
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E6%9C%9D%E6%97%A5%E6%96%B0%E8%81%9E&diff=359813
朝日新聞
2018-09-10T04:11:18Z
<p>Fromm: </p>
<hr />
<div>[[Image:朝日新聞1.jpg|550px|thumb|朝日新聞]]<br />
[[Image:朝日新聞5.jpg|500px|thumb|朝日新聞]]<br />
[[Image:スイス政府の民間防衛.jpg|600px|thumb|スイス政府「民間防衛」]]<br />
[[Image:朝日新聞2.jpg|500px|thumb|捏造報道を続ける朝日新聞]]<br />
'''朝日新聞'''(あさひしんぶん)は[[朝日新聞社]]が編集・発行する[[プロパガンダ]]新聞である。上層部は[[全共闘世代]]であり、購読者層も[[団塊の世代]]のため、反[[自民党|自民]]・反米・反日を訴えている。支持政党は[[民主党]]と[[社民党]]であり、[[中華人民共和国]]と[[韓国]]の国益の代弁者となっている。<br />
<br />
== 沿革 ==<br />
[[Image:週刊朝日3.jpg|350px|thumb|常に人権や平等を振りかざしてきたが、[[橋下徹]]は[[同和地区]]出身だと叩く]]<br />
* [[1879年]]1月 [[大阪]]で創刊。<br />
* [[1882年]] [[政府]]と[[三井銀行]]から経営資金援助を受け始める。<br />
* [[1888年]]7月 東京の「[[めさまし新聞]]」を買収し「[[東京朝日新聞]]」を創刊、東京進出。<br />
* [[1889年]] 大阪本社発行の新聞を「大阪朝日新聞」と改題。<br />
* [[1915年]] 大阪朝日が[[夕刊]]の発行を開始。大阪朝日が全国中等学校野球大会(現[[全国高校野球選手権大会]])を開催。<br />
* [[1918年]] [[白虹事件]]<br />
* [[1935年]]2月 西部本社で発行開始。<br />
* [[1935年]]11月 名古屋本社で発行開始。<br />
* [[1936年]][[2月26日]] [[2・26事件]]で反乱軍が東京朝日新聞社の社屋を襲撃。<br />
* [[1940年]] 大阪朝日と東京朝日は題号を統一、朝日新聞とした。<br />
* [[1942年]] [[ゾルゲ事件]]で東京本社政治経済部長[[田中慎次郎]]([[3月15日]])、同部員[[磯野清]]([[4月28日]])が検挙 。<br />
* [[1950年]]9月27日 潜行中の[[日本共産党]]幹部伊藤律との単独会見記事を掲載。後にこれが担当記者により捏造されたものであると判明する。<br />
* [[1959年]]6月 北海道支社で発行開始。<br />
* [[1963年]][[12月24日]] 村山社主家が常務取締役・東京本社業務局長永井大三を解任。社内紛争「村山事件」が始まる。<br />
* [[1980年]]11月 東京本社が[[千代田区]]有楽町から[[中央区 (東京都)|中央区]]築地に移転。[[鉛活字]]を一切使わず、[[コンピュータ]]製作による新聞製作システム「'''ネルソン'''」導入。<br />
* [[1987年]]5月 兵庫県西宮市の阪神支局で記者殺傷事件が発生、「[[日本民族独立義勇軍 別動 赤報隊|赤報隊]]」と名乗る者から犯行声明(未解決のまま2003年に時効成立)。<br />
* [[1988年]]6月 大阪本社を最後に、鉛活字による新聞製作の歴史に幕。全本社がコンピュータ新聞製作システム「ネルソン」に完全移行。<br />
* [[1988年]]6月 いわゆる「[[リクルート事件]]」スクープ。<br />
* [[1989年]]4月 所属記者が[[沖縄県]]の[[珊瑚]]に[[落書き]]する(別掲)。<br />
* [[1996年]] 西部本社の製作(組版など)が福岡本部へ転居。<br />
* [[2002年]]3月 46年間続いた日曜版を廃止、4月より新たに土曜版「[[be (朝日新聞)|be]]」を発刊する。<br />
* [[2003年]]6月 西部本社を[[北九州市]][[小倉北区]]内で新築移転。<br />
* [[2004年]][[1月1日]] [[南極]]支局を開設。<br />
* [[2005年]][[4月1日]] コンピュータ製作による新聞製作システムをメーンフレームの「'''ネルソン'''」から新メディア系システムに移行、経営営業系システム等と統合へ。<br />
* [[2005年]][[4月3日]] 実質的な日曜版の復活となる「be on Sunday」創刊。土曜日は「be on Saturday」に改題。<br />
* [[2005年]]会員制サイト・[[アスパラクラブ]]スタート<br />
* [[2006年]][[1月]] 朝日新聞創刊127周年記念した「[[ジャーナリスト宣言。]]」というキャッチコピーのもと、[[ANN系列]]外でも大々的に宣伝する。<br />
* [[2007年]][[2月]] 読売新聞Webサイトの記事盗用発覚により、「[[ジャーナリスト宣言。]]」キャンペーンを自粛する。<br />
<br />
=== 朝日報道、妄導と煽動の戦後史 ===<br />
[[ソ連]]、[[中国]]、[[北朝鮮]]、そして[[安保]]。偏向の誹りを免れえない戦後報道の根底にあるのは何か?<br />
<br />
「(新聞人の責任とは)できるだけ均衡の取れた形で、その日その日の紙面に表現し、真実を伝達することである」<br/><br />
「その均衡感覚の著しくちがった方面から見れば、あるいは偏向という批判をあびせたくなるのかもしれぬ。だが、その批判者には借問したい。なぜ、自分と違った他人の均衡の感覚が偏向であり、自分の感覚は偏向でないか、と。かりに、他人の持っている思想や考え方が、世間の多数から外れているとしても、それが偏向であるか否かは、永い歴史の審判する所である」<br />
<br />
この文章は、[[1968年]][[10月15日]]「新聞人の責任」という題で掲載された朝日新聞の社説である。戦後の朝日報道の問題点を考えるとき、真っ先に思い浮かぶのがこの文章だ。現在結論ははっきり出ている。朝日報道の主流は「長い歴史の審判」によって、偏向に他ならない。しかも朝日は、過ちを認め責任を引き受けることもなく口を拭ってきた。現在話題になっている慰安婦報道は、実はその一部にすぎない。<br />
<br />
'''【ソ連報道】「平和共存」の美名のもと共産党独裁の代弁者に'''<br/><br />
[[Image:朝日新聞4.jpg|300px|thumb|朝日新聞の不買運動]]<br />
[[Image:朝日新聞6.jpg|300px|thumb|朝日新聞の不買運動]]<br />
[[ソ連]]・[[東欧]]の[[共産主義]]独裁体制が崩壊して既に20年以上が経過した。そこで崩れ去ったのは、言論の自由、平和、民主主義、人権--といった価値観を否定する独裁・[[全体主義]]体制だった。朝日新聞は戦後、こうした価値観の擁護を高く掲げてきた。であるならば、朝日にとってソ連共産党独裁体制は「敵」であり、肯定的に報じられるはずがなかったはずだ。ところが朝日は、こうした独裁体制を一貫して擁護していたのである。<br />
<br />
確かに欧米を含め多くの左派・リベラル派知識人が、ソ連幻想に捕らわれた時代もあった。しかし、[[1953年]]の[[スターリン批判]]、56年の[[ハンガリー動乱]]、68年の[[チェコ進駐]]、そして何よりも[[ソルジェニーツィン]]の「[[収容所群島]]」の発行、[[サハロフ博士]]の民主化運動への弾圧などで、ソ連が自由と民主主義の敵であることは次第に明らかになっていた。そして、[[1979年]][[12月24日]]の[[アフガニスタン侵略]]によって、その侵略性と軍事的覇権主義は明確になった。<br />
<br />
[[1978年]]、[[アフガニスタン]]では人民民主党による親ソ政権が成立したが、この政権は[[イスラム教]]や反ソ武装抵抗勢力により崩壊の直前まで追いつめられた。ソ連は親ソ政権を維持するために軍事介入し、当時の[[アミン大統領]]は処刑され、[[バブラク・カルマル]]政権が樹立された。この事件を朝日新聞は、12月29日社説「アフガン・クーデターとソ連」で次のように報じた。<br />
<br />
「このカルマル政権は、ソ連の強力な支持の下に、誕生した可能性が強い」が「ソ連部隊が今度のクーデターにどの程度関与したのか、カルマル新政権がソ連のかいらい政権かどうかは、即断はできない。」「ソ連が真に『覇権主義』に反対ならば、必要最小限の援助要員以外、直ちに部隊を撤収し、アフガニスタンの運命は民族自決に任せる原則を貫徹してほしい」<br />
<br />
ソ連がチェコ侵略以後、東側社会主義陣営を維持するために「各国の主権は制限されても構わない」という[[ブレジネフ・ドクトリン]]を掲げていたことは当時すでに国際社会では常識だった。<br />
<br />
「ソ連が真に『覇権主義』に反対ならば」などとソ連を「平和勢力」としてかばい立てするその姿勢は、[[尾崎秀実]]以来の親ソの伝統ゆえか。<br />
<br />
なお、アフガン侵攻に抗議して日本を含む世界各国が[[モスクワ・オリンピック]]をボイコットしたが、朝日新聞は断固としてオリンピック参加を唱え続けた。<br />
<br />
このアフガニスタン侵略は、ソ連の正体を白日のもとに曝し、日本でも「ソ連脅威論」も生まれたのだが、朝日はなんと[[1980年]][[11月28日]]から14回にわたって「ソ連は脅威か」というソ連徹底擁護の連載を掲載した。<br />
<br />
簡略すると、ソ連脅威論は根拠がなく、日本の軍事増強を企む[[防衛庁]]や一部勢力がソ連脅威論を煽っているだけであり、ソ連の軍事力は日本侵攻を果たす能力も意志もない--とする内容で、「ひたすらソ連を非人間的な悪ものに描き、恐怖をあおりたてるような論じ方は、世論や政策対応を誤らせる方向に導かないだろうか」(連載最終回)と結んでいる。<br />
<br />
[[中国]]や[[北朝鮮]]の体制を批判する論者に朝日がしばしば投げかける言葉とそっくりである。このように中立を装いつつ独裁政権の悪を矮小化しようとする姿勢こそ、自由な社会を守る気概も、独裁体制下で呻吟する民衆への同情も共感もない西側の自称リベラル・平和主義言論の道徳的退廃なのだ。<br />
<br />
さらに朝日は、[[1982年]]2月に社を挙げた訪ソ団を送り、[[チーホノフ首相]]との単独会見に成功するが、その時のインタビューと解説「ソ連首相と会見を終えて」([[秦正流]]記者)は、今読めばまさに犯罪的なものである。<br />
<br />
[[1980年]]から[[ポーランド]]では労働組合「連帯」による民主化運動が高まっていたが、[[1981年]]12月、[[ヤルゼルスキ]]政権は戒厳令を敷き[[ワレサ]]をはじめとする「連帯」指導者を逮捕し、軍政を敷いていた。<br />
<br />
朝日のインタビューで、[[チーホノフ首相]]は、欧米の「連帯」への支持を「主権国家であるポーランド人民共和国に粗暴な圧力を加えること」と非難し、「戒厳令は無政府状態、混乱、そして内戦からポーランドの社会を救った」と平然とうそぶいている。<br />
<br />
[[ヤルゼルスキ]]政権の強硬策の背後にソ連の圧力があることは明らかだったが、朝日はチーホノフ首相の発言に何ら異を唱えていない。それどころか、<br />
<br />
「ソ連が今何にもまして緊急かつ重大な課題としているのは、緊張緩和(デタント)の復活である。つまり、軍拡競争を打ち止め(中略)軍縮への軌道修正を図ること」<br />
<br />
だと、まるで平和の使徒のようにソ連を見なし、<br />
<br />
「ソ連は革命以来65年(中略)今日のような巨大な工業力を作り上げ、それなりに国民生活をも向上させてきた大国だけあって、困難に耐える強さと自信を他のどの国よりももっている」と讃えたのである。<br />
<br />
ところが、この後わずか9年でソ連が崩壊するや、朝日のソ連評価は180度転換する。[[1991年]][[8月25日]]の社説はこう論じている。<br />
<br />
「『自由な共和国による揺るぎない連邦』スターリンの時代以来、ソ連の指導者は自国をこう讃えてきた。それは建前に過ぎず、実はどの共和国も、共産党とそれが支配する軍、[[KGB]]などの『鉄の腕』に締めあげられてきた。中央権力は民族の文化、言語を軽んじ、時にその抹殺さえはかった。抵抗する人たちは迫害した」<br />
<br />
また翌26日社説「ソ連共産党の崩壊と新世界」では「74年にわたってソ連に君臨し、[[マルクス・レーニン主義]]の論理と価値観をもって世界に『挑戦』しつづけてきたソ連共産党がついに崩壊した」「[[1956年]]の[[ハンガリー動乱]]、あるいは[[1968年]]の『[[プラハの春]]』のとき、[[ペレストロイカ]]の開始でやっと公に論じられた問題点の多くが、すでに指摘されていたのである」と述べている。<br />
<br />
では[[チェコ]]や[[ハンガリー]]同様、いや、直接的には[[ソ連崩壊]]や[[東欧民主化]]の先駆けとなった[[ポーランド]]の「連帯」を誹謗するソ連首相談話を恭しく紹介し、しかもソ連体制は強く安泰だと予言した82年当時の報道は何だったのか。この点について、朝日はこれまでなんら反省していない。<br />
<br />
ついでに朝日に提言しておきたい。現在、「民族の文化、言語を軽んじ、時にその抹殺さえはか」り、「抵抗する人たちは迫害」しているのは中国である。このような体制は必ず斃れることを、歴史の教訓として堂々と表明すべきだろう。<br />
<br />
'''【中国報道】文革礼賛から四人組批判に「転向」'''<br/><br />
[[文化大革命]]とは、[[劉少奇]]ら経済改革派の台頭に脅威を感じた[[毛沢東]]が、青年たちを扇動し[[紅衛兵運動]]を全国的に展開、改革派を攻撃させて毛沢東派が権力を握るが、同時に紅衛兵の暴力的な行動で全土に大混乱が生じ、伝統文化の破壊、少数民族の虐殺、知識人への迫害などが相次ぐ。そして国家秩序を維持するために[[人民解放軍]]が出動し、数百万を超える犠牲者を出した内戦に近い混乱と悲劇の時代だった。<br />
<br />
朝日新聞[[1966年]][[5月2日]]社説は、この文化大革命を、中国で新たな特権階層が中農や知識層の中に現れてきたことへの第二革命と評価し<br />
<br />
「そこには、いわば『道徳国家』とも言うべきものを目指すと共に、中ソ論争の課題に答えようとする『世紀に挑む実験』といった意欲も感じられなくはないのである」と述べていた。<br />
<br />
これはソ連を資本主義国と妥協する修正主義国家とみなしていた中国政府の立場を反映し、しかも文革を実態とかけ離れた「道徳国家」とみなす礼賛記事に他ならない。だが、この時期の朝日には、冷静な分析も載っていた。[[1966年]][[8月31日]]社説「中国の文化大革命への疑問」では、街頭で壁新聞を貼り、父親の世代を糾弾し、宗教施設や古い美術品などを惜しげもなく破壊しつつ毛主席万歳を叫ぶ紅衛兵を批判的に論じている。<br />
<br />
== 「朝日」が立派に育てた中国「反日暴徒」。「靖国参拝」も「教科書問題」も、火付け役は朝日新聞だった ==<br />
おそらく、[[中国]]の反日デモを目の当たりにした朝日新聞の胸中には複雑な思いが去来したに違いない。日本大使館に石を投げる人民の主張は、朝日が口を酸っぱくして繰り返した「歴史認識」とすっかり重なっていたからだ。<br />
<br />
ならば、胸を張るがいい。<br />
<br />
[[中国共産党]]と力を合わせて種を蒔き、水をやった努力が今、「反日暴徒」の実を結んだのである。<br />
<br />
そもそも、日中間で政治問題化した歴史認識問題、つまり[[靖国参拝]]や教科書などを記事で大きく取り上げて、中国で火がつくように仕組んだのは朝日新聞だった。朝日が大きく報道し、中国政府がそれに反応して大騒ぎする。この構図の中で、中国は、国民に根強い反日感情を植え付けてきた。つまりここ3週間に起きたデモは、朝日が繰り返し、日本は誤った歴史認識を持っていると報じた結果、若者達に高じた反日感情がベースで、朝日のとった親中路線を進めた結果の出来事なのだ。<br />
<br />
朝日新聞が編み出したのが、中国共産党と″一心同体〝となった「御注進ジャーナリズム」と呼ばれる手法だった。OBの稲垣氏が説明する。<br />
<br />
「御注進ジャーナリズムとは、中国が反発すると予想できることを、朝日が大々的に報じて、中国政府に反発という反応をさせ、また、その反応を大々的に報じて増幅させる手法です。私は朝日は親中というよりも、中国に媚びている″媚中〝だと思っていますが、この媚中メディアの書くことは外交カードになるということを中国に知らせてしまった罪は大きかったのです。」<br />
<br />
== [[橋下徹]]騒動を呼んだ、朝日新聞出版の“社内事情” ==<br />
朝日新聞社の100%子会社である朝日新聞出版の[[神徳英雄]]社長が辞任した人事は、朝日新聞社内では「自業自得の辞任」と言われている。<br />
<br />
辞任の直接の原因は、朝日新聞出版が発行する「[[週刊朝日]]」(10月26日号)が掲載したノンフィクション作家・[[佐野眞一]]氏による記事『ハシシタ 奴の本性』が、橋下徹・大阪市長の人権を著しく侵害したとの批判を受けたことによるものだが、今回の問題の背後には、神徳氏の経営判断のミスもある。<br />
<br />
神徳氏は、親会社の朝日新聞社常勤[[監査役]]から2012年6月に朝日新聞出版の社長に異動した。監査役に就く前に朝日新聞の取締役出版担当を務めていた当時、人件費削減のために出版部門の分社化を推進した。しかし、分社化に対しては社内には反論もあった。その理由は「朝日の出版部門の主力は、『AERA』と『週刊朝日』という雑誌ジャーナリズムであり、ハウツー系などの書籍ではない。人材交流も含めて社会部や政治部、経済部といった本体の新聞と連携して、事実を確認したり、情報交換をしたりしている。コスト削減を狙って単純に分社化しても、運営はうまくいかない」(関係筋)というものだった。<br />
<br />
「こうした安易な改革は、出版も朝日新聞のジャーナリズムを担う一部門という意識が欠けているし、分社化して給与体系の安い社員を入れても、雑誌としての品質は維持できない」という声も出ていた。「週刊朝日」や「AERA」は取材と人事の両面で朝日新聞本社との交流が深いため、一体運営をしてこそ新聞社系の雑誌の威力が出せるという意味である。<br />
<br />
現に分社化によって、朝日新聞出版は本体から今まで以上に一段低い存在として見られるようになり、これまでは本社から優秀な記者が視野を広げる勉強のために出版に「異動」していたのが、「リストラ要員」的な人材が出版に「出向・転籍」するケースが増えた。また、外部から給料の安い若手を採用したものの、記者としての心得の訓練を受けていない人材も入ってきた。この結果、分社化によって士気は下がる一方で、出版不況とも相まって「週刊朝日」や「AERA」は部数凋落の一途をたどった。<br />
<br />
=== 不慣れな若手記者を「トカゲのしっぽ切り」 ===<br />
2011年には、こんな問題も発生している。「AERA」では中途採用した不慣れな若手記者を民族派団体の取材に行かせ、その記者が「美人局」に引っかかってしまって朝日新聞出版は民族派団体から脅しを受けた結果、責任を取らせる形でその若手記者を退社させている。上司である編集長や取材の指示を出したデスクらは責任逃れしたため、社内では「トカゲのしっぽ切り」だとの批判も起こった。<br />
<br />
ちなみに、その責任逃れしたデスクが、今回の「橋下原稿」を担当したデスクであるというから、開いた口がふさがらない。出版社としてのガバナンスは、一体どうなっているのだろうか――。<br />
<br />
取材に不慣れな若手記者の採用について、あるジャーナリストはこう指摘する。<br />
<br />
「『AERA』の記者が電話でコメントを求めてきたので、対応しました。後でコメントを打ち返してきたのを見ると、しゃべったことの半分程度しか理解しておらず、文章も下手なうえ、書いた記事全体も何が言いたいかがよくわからない内容で、よくこんな企画が通ったものだと思いました。その記者の社歴を聞くと、中途採用された経験の乏しい若い方で、これまでのAERA記者とは違ったイメージを持ちました」<br />
<br />
「美人局騒動」のケースも見ても、経験の乏しい記者を育てる雰囲気や仕組みが、朝日新聞出版から消えてしまったということではないだろうか。こうして「週刊朝日」や「AERA」のコンテンツ力は劣化し、部数凋落の大きな要因をつくり出したのである。<br />
<br />
=== 質の高い原稿は、文藝春秋や講談社へ ===<br />
その結果、焦ってセンセーショナルな記事に走ろうとして誕生したのが、橋下氏の人権を無視した出自を暴く企画である。「週刊文春」や「週刊新潮」などの雑誌は、出版社の社員である編集者が外部の契約記者や作家を使いこなしているが、もともと朝日新聞出版は、海千山千の外部筆者を使いこなすエディターシップが高くない。<br />
<br />
さらに言うと、外部の作家もこれまでの付き合いの深さから文藝春秋や講談社、新潮社といった出版社を優先させて原稿を出すので、質の高い原稿を外部から取ることは期待できない。だから、一流のノンフィクション作家だと世間では見られている佐野氏も、「勝負原稿」を朝日新聞出版に出したわけではない。佐野氏にしては原稿の内容が薄かったという指摘すらある。<br />
<br />
こうした負の連鎖を招いた張本人が、出版部門を分社化した神徳氏なのである。社長が原稿を書いたわけでもなく、編集を担当したわけでもない。しかし、結局、神徳氏が出版担当取締役時代に、コスト削減だけを重視するだけで、肝心のコンテンツをどのようにつくるのかという戦略的かつ本質的な議論がないまま、分社化の方向へ向かったのが間違っていたのだ。<br />
<br />
そもそも神徳氏は、分社化した朝日新聞出版の初代社長になるはずだったが、構造的不況の中にある出版社の経営を切り盛りする「自信がない」という理由で火中の栗を拾うことから逃げた人物でもある。<br />
<br />
取締役退任後、常勤監査役に退き、2012年6月の役員人事で2代目朝日新聞出版の社長に就いていた。自分がまいた「不幸の種」が巡り巡って自分の社長時代に「開花」してしまったというわけだ。このため、「自業自得」と言われ、朝日社内でも同情する人が少ない。<br />
<br />
神徳氏は朝日新聞で経済部を中心に歩んできた。早稲田大学大学院を出て1973年に入社。ニューヨーク特派員や朝日新聞労働組合委員長を歴任した「スーパーエリート」で、同じく経済部OBで消費者金融などと広告関連で癒着して、朝日ジャーナリズムを破壊した[[箱島信一]]元社長の側近中の側近である。<br />
<br />
朝日新聞は政治部と経済部が交代で社長を出してきたので、政治部出身の[[秋山秋太郎]]社長(現会長)の後は神徳氏が次期社長の有力候補の時期もあったが、箱島氏の威光を借りて態度があまりにも傲慢で「好き嫌い人事」を横行させたために、社内で敵を多くつくり、常勤監査役に失脚してしまった。この時も朝日社内では「箱島の威を借る神徳は、箱島の失脚とともに消え去った。自業自得だ」と言われた。「驕る神徳久しからず」と言う人もいたそうだ。天は神徳氏の「悪行」をまだ忘れておらず、今回の問題で、きつい「お灸」を据えたということであろう。<br />
<br />
== 取材先に「電話に出やがらねぇ」 ==<br />
[[土井まひろ]](38) @KENXY <br />
<br />
朝日新聞様。朝8時から事前の予告もなく、おそらく焦眉の急のお電話頂いたにも関わらず、病床故、お声の通り呼び出し中に「電話に出やがらねえ」で誠に相済みませんでした。<br />
<br />
あと老婆心ながら、電話は録音前からメッセージ聞こえているので、言葉遣いは常に考えられた方が宜しい、絶対、マジ、多分。 <br />
<br />
https://twitter.com/KENXY/status/384472484545720320<br />
<br />
== 橋下市長「朝日や毎日のような主張を言えば政治的中立害さない、というのはおかしい」 ==<br />
[[Image:朝日新聞7.jpg|300px|thumb|朝日新聞の不買運動]]<br />
[[Image:朝日新聞8.jpg|300px|thumb|朝日新聞の不買運動]]<br />
--[[NHK]]会長の慰安婦発言で、[[民主党]]が追及の構えだが、市長の見解は<br />
<br />
「民主党はもうちょっと歴史を勉強したほうがいいんじゃないですか。籾井さんが言っていることはまさに正論ですよ。その通りですよ。あの主張に反論なんかできる人なんていないと思いますよ。僕が言い続けてきたことと全く一緒です。あの意見について、まぁ朝日は毎日、メディアは大誤報やってくれて、主語とかすっとばして、正当化したとギャーギャー言っていたが、籾井さんの言っていることは僕がずっと言い続けてきたことで、あの点についてきちっと反論できる人はいないと思いますよ。もっとね、皆さんも含めてね、歴史を勉強しないといけないし、今この時期、この状況になってね、[[中国]]や[[韓国]]のこの状況をみて、歴史というものが外交戦争に使われているということもある。日本は今までそういうことやってこなかった。日本の[[外交官]]もそういうこと言わずに、とにかく相手の気を害さないようにとやってきたが、中国もね、それなりの力を持ってきて、今までのアメリカ一極の世界秩序の中で我慢するような状況でなくなったときには、歴史については主張してきますよ」<br />
<br />
「[[安重根]]の問題だって、韓国の主張だって中国の主張だって、彼らの主張でそういう主張あると思うが、日本であんな主張認められませんよ。歴史は当事者によって主張や認識が違うのはあたりまえ。だから自衛戦争だと言っても相手方から見たら侵略だし、相手が侵略と言ってもこっちからしたら自衛だということもある。でも僕は[[サンフランシスコ講和条約]]を結んだ以上は、世界から侵略戦争と評価されること、言われることについては日本の政治家として受け入れざるを得ないが、その他の歴史問題については、今までのように黙っていたらいいなんてそんなことやってたら、外交戦争に敗北しますよ」<br />
<br />
「どれだけ中国や韓国が今、世界で[[プロパガンダ]]やっているんですか。今まで日本人は相手の気持ちを害してはいけないということで「言うな」「言うな」となりましたが、慰安婦問題は最たるもの。きちっと言わないといけない。日本人として。認めるところは認め、反省するところ反省する。世界から不当な評価受けるようなことについてはしっかり言わないと」<br />
<br />
「[[アメリカ人]]も[[ヨーロッパ]]も、完全に勘違いしている。僕が言っているのは、世界の、国際社会においては価値観は多様化している。一定の価値観を押しつけたって理解はしてくれない。でも世界共通の物差しは、フェアかアンフェアか。慰安婦問題はアンフェアです。日本だけを袋だたきするような世界の態度はアンフェだと言えばいい。戦争は悲惨だし、二度とやってはいけないが、そういう状況の中で、似たり寄ったりのことはどの国だってやっていたし、戦争と性の問題は、どの国だって抱えてきた不幸な歴史なんですよ。そういうことは二度と繰り返さない、今の価値観においてはそんなことあってはならない。だけど、日本だけが不当に袋だたきされているのは何故かというと、日本人が主張してこなかったからだ」<br />
<br />
「慰安婦問題について、どういう問題なのか。[[河野談話]]の問題点とかきちっと言わなかったから。籾井さんの言っていることは至極正当で、民主党はもっと歴史を勉強すべきだし、[[自民党]]の方から批判が出るのは非常に残念です。こういう問題になって必ず出てくる政治的中立性ですよ。出ましたよ、またこれ」<br />
<br />
「政治的中立性ってね、だいたい何か発言したら政治的な価値観は必ず含まれるものでね。メディアからしたら、毎日、朝日にしたら、籾井さんとは慰安婦問題で反対意見だから、ああいう発言をしたら政治的中立性を害するというが、朝日や毎日のような考えだったらあれも政治的な見解ですよ。ひとつのね。籾井さんの考え方も政治的な考え方。僕の考え方も政治的な考え方。もっと言えば、慰安婦問題について、世界から袋だたきにあっても良いという主張も政治的な考え方」<br />
<br />
「だから朝日とか毎日とか、ああいう主張をNHKの会長が仮に言えば、それはまた政治的中立性を害することになる。政治的中立性というのは、権力を使って番組の編集権に介入してくるのが中立性を害するということ。トップが発言すれば、政治的な意味は入ってきます。たまたまそれが、政権側の考え方なのか、朝日新聞や毎日新聞の考え方なのか、どっちかは知りませんが、たまたま今回のような主張を言えば政治的な中立性を害すると言って、朝日や毎日が言っているような主張を言えば政治的な中立性を害さない。そんなのはおかしいです」<br />
<br />
「僕は籾井さんが言っていることは極めて正論。日本人が、特に僕らの世代が籾井さんの考え方を勉強して、反論できるなら反論を考えた方が良い。学校現場で。どこが問題なのか。今まではそういうことを考えることなく、発言すること自体がダメという風潮だったが、非常にね、僕が言ったところで世間はわーっと「橋下が言った」ということでこうなったが、NHK会長で、それなりの経歴のある人がああいうことを言われたということで、日本国民はしっかりここで考えなきゃいけないと思う。発言が悪いというなら、どの部分が悪いのか論理的に言わないといけない。論理的に論破できる人はいないと思いますよ」<br />
<br />
--政治家や新聞社と違い、NHKは放送法で中立が定められている。受信料で成り立っている。NHK会長が発言したことについては政治的に意味ない発言…なんてのはあり得ないのでは?<br />
<br />
「問題ないんじゃないですか。だから、政治的中立性と言うが、政治的に意味のない発言なんてのはあり得ない。何か発言すれば、必ずそこには何か政治的な意味が含まれていて、今まではメディア、特に朝日や毎日がすぐ騒ぐから、彼らが反対するようなことを言わなければ、たまたま何も騒がれなかっただけ。でもそこに政治的な意図は入っていると思いますよ。NHKの番組自体だって、政治的な意図は入っているじゃないですか。慰安婦問題とか、戦争責任を追及した裁判の番組にしたって、番組には必ず政治的な意味っていうのは入っている。でもそれは仕方ない。中立性というものは、現場が何か作るときに政治権力で編集権や番組作るところに介入してくることが問題だが、トップが発言することというのは何ら問題ないと思う。発言したうえで、そのような見解で現場に介入したら問題だと思うが。政治的中立性という言葉も、もうそろそろ、日本人は考えないといけないと思います。何かやろうと思えば、政治的な意味は含まれてくる。政治的中立性というのはどういうことなのかをしっかりしっかり考えないといけない」<br />
<br />
--維新としては国会では問題にする必要ないと?<br />
<br />
「いやどこが問題なんですか籾井さんの発言の。誰もたぶん、論理的に反論できないと思う。僕が言っていることと同じだから、僕だって論理的に批判受けたら論破する自信はあるが、そういう議論の場が与えられなかったから一方的に悪いと言われたが。籾井さんや僕の発言に問題があるならどこかということ。モラル上は悪い、現在は悪い。当時だって、やっていいことかといったらだめなことでしょう。二度とやってはいけない。でも世界各国、当時、戦争時は似たり寄ったりのことはみんな戦場と性の問題は、現代の紛争においてすらずっとある。古代の戦争からずっとあったわけです。そいうことをどうやって止めるかをこれから考えないといけないが、そういうことはあったのは歴史的な事実。日本も反省するが、日本だけが袋だたきに遭っている状況は『違う』ということを言わないといけない。米国だって、こういうことはやってはいけない、やめていこうと、ヨーロッパや米国の価値観だったらそういう。でも現実問題として、[[第二次世界大戦]]とかそれ以降、米国も英国もフランスだって、戦場で女性を性の対象としてみんな利用していた。なぜ日本だけが袋だたきに遭うのか。それは、国家が組織的に女性を拉致した。人身売買した。世界の戦場の性の問題とは特殊なことをやっていたという風に、世界に広まってしまっているから」<br />
<br />
「日本だけが特殊だと批判を受けている。日本だけが本当に特殊なんですか。反省はするし、二度とやってはいけないが、日本がやっていたことだけが世界から袋だたきに遭うような特殊性があったなら、どこが特殊なのかしっかり検証しないといけない」<br />
<br />
「[[韓国]]だって、[[朝鮮戦争]]の時には慰安婦制度をしっかり設けてやっていた。なぜ設けるかと言ったら、強姦が多発するとか、性病が蔓延するといろんな理由でね、慰安婦制度を朝鮮戦争の時に持っていたというのは、韓国の軍事史の中でもはっきり位置づけられている。そういうことを検証せずに日本だけ言われっぱなしで、朝日や毎日などのメディアがずっと日本が悪い、一切発言できないような雰囲気を作ってきたからこういう状況になったけれど、ちゃんと歴史を勉強して、戦場と性の問題、どういう事実が歴史的にあったのか、二度とやってはいけないが、日本だけが袋だたきに遭うというのはどういうことか、日本人は考えないといけないと思いますよ」<br />
<br />
== 「人民日報」より中国を愛し、「朝鮮日報」より韓国を礼賛する朝日新聞 ==<br />
[[Image:朝日新聞9.jpg|300px|thumb|朝日新聞の不買運動]]<br />
朝日新聞が「売れるから『嫌中憎韓』」という特集記事を2014年2月11日に掲載した。そこでは、「嫌中憎韓」が出版界のトレンドになりつつあると解説し、要は売れるからという理由で中国、韓国に対する悪感情を煽っていると解説している。<br />
<br />
しかし、いまの日本に渦巻く嫌中憎韓のムードはいかに生まれたのか。<br />
<br />
朝日新聞は、これまで政権批判の常套手段として、[[従軍慰安婦問題]]についても[[靖国参拝問題]]についても、「中国や韓国が反発している」ということを自らの批判の根拠としてきた。<br />
<br />
たとえば、[[安倍首相]]が靖国神社に参拝した12月26日当日の夕刊では、「中韓、強く抗議」「中韓との関係悪化を懸念」と2つも大きな見出しを使って取り上げ、参拝翌日の社説でも、〈安倍首相の参拝に、侵略の被害を受けた中国や韓国は激しく反発している。外交にいらぬ火種をつくる。下策である〉と重ねた。<br />
<br />
他のメディアは、安倍首相の参拝を「自己都合によるもの」で「国際社会へ説明不足」と批判していたが、「中韓が反発するからやめろ」といったことは一度もない。自分たちの批判の根拠をあくまで中韓の反発に置く、というやり口なのだ。<br />
<br />
「これは朝日に限りませんが、どこかの発表に基づく『発表報道』が主流になっていて、取材に基づく言論というものが非常に貧弱になっている。いわゆる『ご注進報道』などといわれる、記事の持つべき力を他国の『外圧』に頼るこの種の報道は、その流れの上にあるものだと思います。主張すべきことがあるのなら、きちんと自分らで取材をして、自前の議論をすべきです」([[田島泰彦]]・[[上智大学]]教授)<br />
<br />
だからこそ、朝日は韓国で起きたこと、発表されたことは、過剰なほど大きく取り上げる。たとえばこの2月、[[村山富市]]・元首相が訪韓し、元慰安婦と面会し、植民地支配を謝罪した「[[村山談話]]」の継承をアピールした件では、二度も写真入りで報じる力の入れようで、他紙を圧倒した。<br />
<br />
ほかにも、韓国の外相が元慰安婦を訪問すれば「日本の指導層の歴史を歪曲した妄言には断固対応する」(外相)「日本の暴言がひどくなっている。私が死ぬ前に間違いを認めさせて欲しい」(元慰安婦)といった発言を論評抜きでそのまま紹介し、韓国の女性家族省が「元慰安婦の日」を制定しようとすれば、これも取り上げる。<br />
<br />
週刊誌よりも朝日新聞のほうが、よほど「韓国」や「慰安婦」の見出しが好きなようだ。<br />
<br />
== 朝日新聞がマッチポンプで積み重ねた記事を材料に中国・韓国が反日確立 ==<br />
[[Image:長谷川千秋1.jpg|500px|thumb|長谷川千秋]]<br />
朝日新聞は2014年[[2月11日]]、「売れるから『嫌中憎韓』」という記事を掲載した。要するに、日本の雑誌が「売れるから」という理由で中韓を揶揄するような記事を出していると指摘したのである。<br />
<br />
だが、現在の日本に渦巻く嫌中憎韓のムードは、そもそも反日に凝り固まった中韓に原因がある。中韓をしてそうなさしめたのは、[[韓国]]にとっての[[従軍慰安婦]]であり、[[中国]]にとっての[[南京大虐殺]]、[[靖国問題]]という反日の大きな柱ができたことによる。そして、それらの先鞭を付けたのは、すべて朝日新聞なのである。<br />
<br />
朝日は、これまで中韓を利する記事を繰り返してきた。たとえば[[2005年]]3月、当時論説主幹だった[[若宮啓文]]氏(後の主筆)の「竹島と独島 これを『友情島』に…の夢想」というコラム。<br />
<br />
<pre><br />
例えば竹島を日韓の共同管理にできればいいが、韓国が応じるとは思えない。 <br />
ならば、いっそのこと島を譲ってしまったら、と夢想する。見返りに韓国はこの英断をたたえ、島を「友情島」と呼ぶ<br />
</pre><br />
<br />
あるいは[[2007年]]3月、[[第一次安倍政権]]時代の記事。<br />
<br />
<pre><br />
「シンゾー・アベは拉致問題には熱心だが、従軍慰安婦問題に対する態度と矛盾するのでは?」<br />
「従軍慰安婦」研究の吉見(義明・中央大学商学部教授)も、このふたつの問題に共通性を見いだしている。<br />
拉致被害者も、「いい仕事がある」などと「甘言」にだまされ、連れ去られた例がある。<br />
朝鮮人の少女が業者から「赤いワンピースと革靴」を見せられ、「いい暮らしができるよ」と戦地の軍慰安所に送られたのもまた、<br />
「甘言」による「拉致」ではないか<br />
</pre><br />
<br />
竹島を譲るのも、拉致と慰安婦を同一視するのも、まるで「朝鮮日報」のコラムを読んでいるような気がしてくる。もちろん、取材対象の立場に立つことはジャーナリズムに置いて重要なことは認めるが、これは明らかにそのレベルを逸脱した、韓国への偏愛としか思えない。<br />
<br />
近年では[[2012年]]8月、夕刊のコラム「素粒子」に書かれた内容が物議を呼んだ。<br />
<br />
<pre><br />
すきを突いた韓国の速攻。自陣のラインがたがたで防ぎ切れず。増税の日を狙ったかのように李大統領が竹島に。<br />
中国ともロシアとも韓国ともギクシャク。元より北朝鮮は話にならず。いよいよ米国頼みの単細胞になりそうな。<br />
あふれる韓流やKポップ。どこにでもある韓国食材。この落差は何?在日の友とマッコリ飲みながら考えよう<br />
</pre><br />
<br />
この頃になると、ネットには「朝日新聞の素粒子がいくらなんでも酷いと話題に」というトピックが立てられ、批判が集まるようになった。つまり、こうした記事を朝日が積み重ね、中韓がそれを材料に「反日路線」を確立したことが、日本国民のなかに徐々に「嫌中憎韓」の感情を植え付けていったのだ。<br />
<br />
朝日新聞は、自らが焚きつけた火が燃え移った「嫌中憎韓」の炎を鎮火しようと躍起になっている。だが、それを「マッチポンプ」だと認めない限り、説得力はないだろう。<br />
<br />
一つこれだけはいえる。もし「嫌中憎韓」が売れるとすれば、それは朝日のおかげだと。<br />
<br />
== 朝日新聞という病 - 池田 信夫 ==<br />
私がマスコミに勤務していた20年前に比べると、[[インターネット]]の世界は激変したが、マスコミは驚くほど変わらない。 <br />
<br />
最近の集団的自衛権をめぐる朝日新聞の報道は異常というしかない。[[2014年]][[7月2日]]の紙面は、次のような見出しで埋め尽くされている。 <br />
<br />
* 平和主義覆す解釈改憲<br />
* 「強兵への道」許されない<br />
* 危険はらむ軍事優先<br />
* 周辺国刺激 緊張招く懸念<br />
* 抑止力 逆に低下する恐れ<br />
* ねじ曲げられた憲法解釈<br />
* 「自衛措置」強引に拡大<br />
* 論理の暴走 戦前と同じだ <br />
<br />
私が入社試験を受けたとき、朝日新聞の役員のリベラルな感じは[[NHK]]の官僚的な感じより好感がもてたが、サツ回りはしたくなかったので朝日の内定を断った。私が最後に現場にいたのは[[1993年]]に[[細川内閣]]のできる前だったが、朝日の圧勝だった。首班指名の前に朝日は1面で「細川首相」、読売は「羽田首相」という大見出しを掲げた。<br />
<br />
そのころマスコミ全体が(産経を除いて)[[55年体制]]の終焉を歓迎する論調だったが、[[小沢一郎]]氏が政局運営に失敗し、その後は日本の政治にとっても「失われた20年」だった。それでも[[小泉内閣]]のときは、朝日はまだ改革派だったが、民主党政権あたりから「先祖返り」が始まった。労働問題では労組べったりになり、原発事故のあとは「原発ゼロ」になり、安全保障をめぐっては冷戦時代どころか[[60年安保]]に戻ったようだ。<br />
<br />
その一つの原因は、就職偏差値が落ちたことだと思う。私のころまではマスコミの競争率は100~200倍で、社員にもエリート意識があったが、今は普通の会社と同じで、銀行の滑り止めになってりしている。経営が危ないという点では、中小企業なみのランクだろう。2014年4月入社の社員は、東大卒がゼロになったらしい。昔は(NHKと同じく)半分近く東大卒だったのだが、変わり果てたものだ。<br />
<br />
東大生は「空気」の変化に敏感だ。原発や慰安婦問題などの異常な報道を見ると、最近は朝日新聞=頭が悪い、あるいは朝日新聞=嘘つきというブランドが確立された。そうなると彼らは入らないので、その下の大学の左翼的な思い込みの強い学生が入社する。<br />
<br />
その結果が「朝日新聞女子組」を名乗る次のようなアカウントだ。 <br />
<br />
憲法は権力の暴走を止めるためにある。憲法を守らなあかんのは国民やなくて権力者。<br/><br />
国民が守らなあかんのは法律。 #集団的自衛権 朝日新聞女子組 (@asahi_joshigumi) 2014, 7月 5 <br />
<br />
朝日新聞の記者は「権力の暴走を止めるためには、自分たちは[[憲法]]を守らなくてもいい」と信じているらしい。そういう特権的な地位はとっくに失われたのだが、大阪本社の「女子組」は、いまだに新聞が権力者と対峙しているという思い込みで仕事をしているのだろう。論理の誤りは指摘すればなおせるが、頭の悪さはなおせない。<br />
<br />
もう一つの原因は、読者の高齢化だ。紙の新聞の読者のメディアンは60歳ぐらいで、主要な購買層は[[団塊]]老人だ。朝日新聞の最近の極左的な紙面は、彼らにターゲットを絞っている。これは営業政策としては正解だが、紙の読者は決して増えない。[[団塊の世代]]がいなくなるのが早いか、紙がネットに負けるのが早いかはわからないが、あと10年はもたないだろう。<br />
<br />
[[儒教国家]]では権威(学問的知識)と権力(肉体的暴力)を[[官僚]]に集中させたが、[[キリスト教国家]]では両者を聖俗に分離した。これは果てしなく続く戦争を休戦して異なる宗派が平和共存するためには必要だったが、学問が現実的権力を失うと形骸化する一方、権力が精神的権威を失うと堕落する。<br />
<br />
マスコミはそういうギャップを埋める「世俗的な学問」として一定の役割があった。新聞には資本も権力もないが、媒体を独占することで知的な権威になる一方、「第4の権力」を獲得した。しかしこれも身分不相応な事実上の権力をもつと堕落する。媒体の独占が終わった時代に、こういう権力が消えるのは、歴史的な宿命である。<br />
<br />
== 付け火して煙り喜ぶ朝日新聞。藤岡信勝氏「白旗を掲げつつ進軍ラッパを吹くような卑劣で許しがたい挙に出た」 ==<br />
[[拓殖大学]]客員教授・[[藤岡信勝]]氏 <br />
<br />
世界に広げられた慰安婦問題の解決には、2つのルートしかないと考えてきた。一つは政府による河野談話の撤廃であり、もう一つは、このプロパガンダの製造・普及の責任主体である朝日新聞社が、報道の誤りを認め、公表し、謝罪することだ。<br />
<br />
この度、朝日新聞は自社の慰安婦報道の核心をなす3点の誤りをついに認めるに至った。すなわち<br />
<br />
# 慰安婦を強制連行したとする吉田清治証言を「虚偽だ」と判断し、記事を取り消した<br />
# 女性を戦時動員した女子勤労挺身隊と慰安婦を同一視した記事の誤りを認めた<br />
# 朝鮮や台湾では「軍などが組織的に人さらいのように連行した資料は見つかっていません」と認めた<br />
<br />
の3点である。 <br />
<br />
画期的なことだ。これによって“慰安婦強制連行説”は完全かつ最終的に崩壊した。残るのは「戦地にも遊郭があった」という単純な事実だけである。<br />
<br />
世界中のどの国の軍隊も将兵の性処理システムを持っていた。日本の慰安婦制度は(1)戦場での敵国女性の保護(2)将兵の性病予防-という2つの目的を果たす模範的な制度だった。 <br />
<br />
ところが、朝日新聞は8月5日付1面に[[杉浦信之]]編集担当の「慰安婦問題の本質 直視を」と題する論文を掲載し「私たちはこれからも変わらない姿勢でこの問題を報じ続けていきます」と宣言した。これでは元の木阿弥となる。 <br />
<br />
一体、何が問題なのか。 <br />
<br />
論文は「軍の関与の下でアジア各地に慰安所が作られ、女性の尊厳と名誉が深く傷つけられた」ことが「問題の本質」だと主張する。「女性の尊厳と名誉」なる文言は河野談話からとったのだろうが、慰安所があったことが本質だと言うのだから話にならない。<br />
<br />
付け火して煙り喜ぶ朝日新聞-。<br />
<br />
== 「朝日新聞は事実を曲げてまで日本人をおとしめたいのか」ジャーナリスト、門田隆将氏 ==<br />
東京電力福島第1原発事故で現場指揮を執った[[吉田昌郎]]所長に対する「吉田調書」について、吉田氏らを取材したジャーナリスト、[[門田隆将]]氏が寄稿した。<br />
<br />
[[産経新聞]]が入手した「吉田調書(聴取結果書)」を読んで、吉田昌郎所長と現場の職員たちの命をかけた闘いのすさまじさに改めて心を動かされた。「本当に感動したのは、みんな現場に行こうとするわけです」と、危機的な状況で現場に向かう職員たちを吉田氏は褒めたたえている。<br />
<br />
いかに現場が事態を収束させようと、そして故郷、ひいては日本を救おうと頑張ったのかがよくわかる内容だ。<br />
<br />
私は拙著『死の淵を見た男』の取材で、吉田氏や現場の職員たちに数多くインタビューしている。どんな闘いが繰り広げられたかは取材を通じて知っていたが、その時のことを思い出した。<br />
<br />
また、[[菅直人]]首相や[[細野豪志]]首相補佐官らとの電話によって、事故対策を講じる吉田氏の貴重な時間がいかに奪われていたかもよくわかる。くり返される官邸からの電話に「ずっとおかしいと思っていました」と吉田氏は述べている。<br />
<br />
特に細野氏が毎日のように電話をかけてきたことで、吉田氏が相当困惑していた様子が伝わってくる。<br />
<br />
全員撤退問題については、「誰が撤退と言ったのか」「使わないです。“撤退”みたいな言葉は」と、激しい口調で吉田氏が反発しているのも印象的だ。吉田氏がいかにこの問題に大きな怒りを持ち、また当時の[[民主党]]政権、あるいは東電本店と闘いながら、踏ん張ったかが伝わってくる。<br />
<br />
それにしても朝日新聞が、この吉田調書をもとに「所員の9割が所長命令に違反して撤退した」と書いたことが信じられない。自分の命令に背いて職員が撤退した、などという発言はこの中のどこを探しても出てこない。<br />
<br />
逆に吉田氏は、「関係ない人間(その時、福島第1原発に残っていた現場以外の多くの職員たち)は退避させますからということを言っただけです」「2F(福島第2原発)まで退避させようとバスを手配したんです」「バスで退避させました。2Fの方に」と、くり返し述べている。<br />
<br />
つまり、職員の9割は吉田所長の命令に“従って”2Fに退避しており、朝日の言う“命令に違反”した部分など、まったく出てこない。<br />
<br />
だが、朝日の報道によって、世界中のメディアが「日本人も現場から逃げていた」「第二のセウォル号事件」と報じたのは事実だ。最後まで1Fに残った人を「フクシマ・フィフティーズ」と称して評価していた外国メディアも、今では、所長命令に違反して所員が逃げてしまった結果にすぎない、という評価に変わってしまった。<br />
<br />
事実と異なる報道によって日本人をおとしめるという点において、先に撤回された[[慰安婦]]報道と図式がまったく同じではないか、と思う。なぜ朝日新聞は事実を曲げてまで、日本人をおとしめたいのか、私には理解できない。<br />
朝日報道への批判は燎原の火の如く広がっている。今回の異例の検証は、朝日新聞のコアな読者層にまで疑念が広がったことへの危機感の表れではないか。<br />
<br />
だが、朝日は根本的な路線転換を避けている。まるで白旗を掲げつつ進軍ラッパを吹くかのような、卑劣で許しがたい挙に出たのである。検証記事も詭弁と卑怯な言い訳に満ちている。朝日新聞はその代償を払わされることになるだろう。<br />
<br />
== 1989年 “サンゴ落書き捏造” 記事に見る、朝日新聞 「虐日偽善」の姿 ==<br />
この事件では写真の捏造ばかりが問題になったが、実は、記事の文章も「極めて悪質」と言わざるを得ない。その末尾は次のようになっていた。 <br />
<br />
「日本人は、落書きにかけて今や世界に冠たる民族かもしれない。だけどこれは、将来の人たちが見たら、80年代日本人の記念碑になるに違いない。百年単位で育ってきたものを、瞬時に傷つけて恥じない、精神の貧しさの、すさんだ心の…。にしても、一体『K・Y』ってだれだ」 <br />
<br />
仮に写真が本物であったとしても、この文章は二重の意味で明らかに間違っている。<br />
<br />
第1に、犯人はまったく不明なのだから、日本人の犯行と断定することはできない。アルファベットのイニシャルだから、外国人の可能性も十分考えられる。 <br />
<br />
第2に、犯人が日本人だとしても、一部の人間の行為を日本人全体の犯罪として糾弾し、モラルなき悪質民族と決めつけるのは、誠に異様である。それは、「世界に冠たる民族」「80年代日本人の記念碑」といった極端な表現に現れている。 <br />
<br />
ではなぜ、こんな発想が出てくるのか。 <br />
<br />
日本人を悪者として貶めたい欲求があるからではないのか。日本や日本人を「悪」と決めつけて糾弾することで、自分自身は正義の側に立つことができる。他を貶めることで自分を美化し、道徳的優越感を享受したいのであれば、それは根本的に偽善である。日本や日本人同胞を虐げる偽善だから「虐日偽善」と表現すべきである。<br />
<br />
== なぜ朝日新聞は自民党員・党友の意識調査をこれほど歪めて読み解こうとするのか(2015年12月) ==<br />
朝日新聞はどこまで[[安倍晋三]]首相のことが嫌いなのだろうか。[[自民党]]結党60年に合わせた朝日新聞の記事を読んでつくづくこう思った。<br />
<br />
[[自民党]]総裁に返り咲いた[[安倍首相]]が、[[衆院選]]で[[民主党]]を打ち破り、[[第2次安倍政権]]を発足させたのは[[平成24年]][[12月26日]]。まもなく丸3年を迎える。<br />
<br />
この間に[[アベノミクス]]による経済再生に取り組むとともに、[[特定秘密保護法]]や[[集団的自衛権]]の行使容認を含む安保法制など国家の根幹をなす外交・安全保障の立て直しに力を入れた。戦後民主主義にすっかり毒された野党は激しく反発し、安倍内閣は何度か内閣支持率を大きく落とした。これは野党だけでなく、朝日新聞をはじめ一部メディアが、無責任なレッテル貼りを含む激しい反安倍キャンペーンを繰り広げたことが大きい。その朝日新聞は次なる攻撃目標を、安倍晋三首相による憲法改正に定めたようにみえる。<br />
<br />
[[11月30日]]付朝刊の1、2面で展開した、[[自民党]]の党員・党友を対象にした意識調査はその証左だろう。1面の記事の見出しは「改憲『急ぐ必要ない』57% 自民60年党員意識本社調査」だった。<br />
<br />
[[自民党]]が党是とする憲法改正を「早く実現した方がよい」が34%にとどまり、「急ぐ必要はない」の57%が上回ったことを強調した上で「[[安倍晋三]][[首相]]は改憲に強い意欲を示しているが、党員らとの意識の違いも浮かんだ」と結論づけた。あたかも安倍首相だけが「憲法改正」に前のめりになっており、自民党員の思いとかけ離れていると言わんばかりではないか。<br />
<br />
[[自民党]]に一番力を入れてほしい政策を6つの選択肢から選ぶ質問項目も紹介。「社会保障」と「景気・雇用」がともに30%と高く、「憲法改正」は6%にすぎないと記した。実生活と直結する「社会保障」や「景気・雇用」が上位を占めるのは当然かと思えるが、これを改憲への意識の低さに結びつけたかったようだ。<br />
<br />
安保法制成立については「よかった」が58%、「よくなかった」の27%を大きく上回ったが、記事では「議論が『尽くされた』は28%で『尽くされていない』は57%に上った」の方をむしろ強調した。<br />
<br />
調査では歴代総裁への評価も聞いている。「小泉旋風」を巻き起こした[[小泉純一郎]]氏や「今太閤」ともてはやされた[[田中角栄]]氏らを押さえ、トップに立ったのは、安倍首相だった。安倍首相19%、小泉氏17%、田中氏16%と続き、長期政権を築いた[[中曽根康弘]]氏や[[佐藤栄作]]氏、[[池田勇人]]氏はいずれも1桁台。驚きの調査結果だといえるが、1面記事では「歴代総裁で最も評価する総裁は、現総裁の安倍氏が19%でトップだった」と触れただけだった。<br />
<br />
2面は意識調査を元に「『安倍』『角栄』二つの層 改憲・政策考え方に差」の見出しで安倍首相を最も評価する層と[[田中角栄]]元首相を最も評価させる層を二分させ、分析した記事を載せた。こちらは両者の支持層の細かいデータを開示していないので、評価しようがないが、改憲の是非をめぐり、自民党支持層を二分させようという朝日新聞の思惑が透けてみえる。<br />
<br />
朝日新聞は[[11月30日]]付の社説でも「自民党60年 敵対から統合への道を」と題して党員意識調査に触れ、党員の意見が党運営や政策に十分反映されていないと回答した層では「最も評価する総裁では[[田中角栄]]氏の方が多くなる」と指摘している。安倍首相が歴代総裁1位となったのが、よほど気にくわなかったのか、「(安倍首相は)国民の分断へのおそれも感じられない。先の国会での安保法案の強引な進め方も、沖縄の民意に耳を傾けない[[普天間飛行場]]の([[名護市]])[[辺野古移設]]もそうだ」とお決まりの個人攻撃を繰り広げている。<br />
<br />
朝日新聞の歪んだ視点と論調を紹介するだけでは、何となく気持ちが落ち着かないので、ここで強調しておきたい。<br />
<br />
国家の存亡と国民の安全を守るのは政府の責務だ。安倍首相の祖父、[[岸信介]]氏も大規模な反対デモに遭いながら[[日米安全保障条約]]改定に踏み切った。戦後、日本が戦争に巻き込まれず、侵略されなかったのは、[[自衛隊]]の存在と、日米同盟による抑止力があったからだ。一部野党が主張するように「憲法9条のおかけで平和が守られた」わけでは断じてない。安保法制も[[普天間飛行場]]移設問題も、野党やメディアの批判を恐れ、放置してきた歴代政権こそ批判されてしかるべきではないか。<br />
<br />
国家の存立と国民の安全を守り抜く使命を果たすため、政治は時に決断を迫られる。そして自民党員・党友の多くは安倍首相の「決断」を高く評価している。朝日新聞の意識調査を素直に読めば、こういう結論に導かれるはずだ。<br />
<br />
朝日新聞に逆に聞きたい。[[天声人語]]や社説で繰り返す外交・安全保障のスタンスで果たして本当に「読者」の安全を守れると考えているのか。<br />
<br />
※以下、朝日新聞より転用<br />
<br />
■自民党員への朝日新聞社調査 質問と回答■<br />
:(数字は%。小数点以下は四捨五入。質問文と回答は一部省略)<br />
<br />
◆[[自民党]]が結党60年を迎えました。[[自民党]]の60年間の歩みを、全体として、どの程度評価しますか。(選択肢から一つ選ぶ=択一)<br />
:大いに評価する19<br />
:ある程度評価する70<br />
:あまり評価しない9<br />
:まったく評価しない1<br />
<br />
◆歴代の自民党総裁の中で、最も評価する総裁は誰ですか。1人だけあげてください。<br />
:[[安倍晋三]]19▽[[小泉純一郎]]17▽[[田中角栄]]16▽[[中曽根康弘]]5▽[[佐藤栄作]]3▽[[池田勇人]]3▽[[大平正芳]]1▽[[竹下登]]1▽[[橋本龍太郎]]1▽[[小渕恵三]]1▽[[岸信介]]1▽[[三木武夫]]1▽[[麻生太郎]]1▽[[福田赳夫]]1▽その他の総裁2▽その他・答えない27<br />
<br />
◆最近の[[自民党]]について、いくつかうかがいます。最近の[[自民党]]はよくなったと思いますか。悪くなったと思いますか。それとも、とくに変わらないと思いますか。<br />
:よくなった31<br />
:悪くなった19<br />
:とくに変わらない46<br />
<br />
◆最近の[[自民党]]で、党員や党友の意見は、党の運営や政策に十分反映されていると思いますか。十分反映されていないと思いますか。<br />
:十分反映されている28<br />
:十分反映されていない54<br />
<br />
◆最近の[[自民党]]は、[[自民党]]以外も含めた幅広い意見を、国民政党として、十分尊重していると思いますか。十分尊重していないと思いますか。<br />
:十分尊重している41<br />
:十分尊重していない44<br />
<br />
◆あなたと、地元の[[自民党]]の[[国会議員]]との距離は、近くなりましたか。遠くなりましたか。それとも、とくに変わりませんか。<br />
:近くなった31<br />
:遠くなった11<br />
:とくに変わらない56<br />
<br />
◆[[公明党]]との連立についてうかがいます。自民党が公明党と連立を組んできたことをどの程度評価しますか。(択一)<br />
:大いに評価する11<br />
:ある程度評価する51<br />
:あまり評価しない27<br />
:まったく評価しない8<br />
<br />
◆[[自民党]]に一番力を入れてほしい政策は何ですか。(択一)<br />
:景気・雇用30<br />
:[[社会保障]]30<br />
:[[原発]]・エネルギー6<br />
:[[教育]]9<br />
:[[外交]]・安全保障16<br />
:[[憲法]]改正6<br />
<br />
◆[[日本]]や[[アメリカ]]など12カ国の間で、[[貿易]]など[[経済]]の自由化を進める[[TPP]]、[[環太平洋経済連携協定]]について、うかがいます。[[日本]]が[[TPP]]に参加することに、賛成ですか。反対ですか。<br />
:賛成64<br />
:反対19<br />
<br />
◆[[集団的自衛権]]を使えるようにしたり、[[自衛隊]]の海外活動を広げたりする[[安全保障関連法]]が成立したことは、よかったと思いますか。よくなかったと思いますか。<br />
:よかった58<br />
:よくなかった27<br />
<br />
◆[[安全保障関連法]]について、[[国会]]での議論は、尽くされたと思いますか。尽くされていないと思いますか。<br />
:尽くされた28<br />
:尽くされていない57<br />
<br />
◆[[憲法]]改正についてうかがいます。[[憲法]]改正を早く実現した方がよいと思いますか。それとも、急ぐ必要はないと思いますか。<br />
:早く実現した方がよい34<br />
:急ぐ必要はない57<br />
<br />
◆[[憲法第9条]]を変える方がよいと思いますか。変えない方がよいと思いますか。<br />
:変える方がよい37<br />
:変えない方がよい43<br />
<br />
◆[[自民党]]の[[総裁]]の任期は2期6年までで、[[安倍首相]]の総裁としての任期は、3年後の2018年の秋までです。[[安倍首相]]が[[総裁]]の任期を延ばして続けたほうがよいと思いますか。そうは思いませんか。<br />
:任期を延ばして続けた方がよい42<br />
:そうは思わない46<br />
<br />
◆次の[[首相]]にふさわしいのは誰だと思いますか。[[自民党]]の[[国会議員]]の中から1人だけあげてください。<br />
:[[石破茂]]18▽[[安倍晋三]]7▽[[小泉進次郎]]7▽[[谷垣禎一]]5▽[[麻生太郎]]1▽[[野田聖子]]1▽[[菅義偉]]1▽その他の人8▽答えない・分からない52<br />
<br />
=== 朝日新聞の政治部記者、“安倍総理スケジュール”を喫茶店のゴミ箱にポイ!朝日新聞認める「あってはならないこと」(2015年12月) ===<br />
「書を捨てよ、町へ出よう」そう言ったのは劇作家の[[寺山修司]]だが、喫茶店のゴミ箱に大量の資料を捨てて雑踏に消えて行ったのは、朝日新聞の記者だったのか。問題は、そこに書かれていた内容である。<br />
<br />
「[[週刊新潮]]」にその資料が送り付けられたのは、晩秋のとある日のこと。提供者いわく、喫茶店の客が捨てたものだという。<br />
<br />
「11月18日の夜、都内の喫茶店にいたら大量の資料をテーブルに広げている男性がいたんです。チラッと見たら、[[安倍総理]]のスケジュールみたいなことが書いてある。“政府の人か新聞記者かな”と思っていたら、紙束をバサッとゴミ箱に突っ込んで出て行ったのです」 <br />
<br />
男性は、40代ぐらい。ジャケット姿で[[サラリーマン]]風だったという。<br />
<br />
「男性が店にいたのは20分ぐらい。まるで、資料を捨てるために来たような感じでした。破いたり、クシャクシャにせず、丸のまま捨てたことにビックリ。お店の人に声をかけてから拾ってみたのです」(同)<br />
<br />
そんな経緯で持ちこまれた資料だが、一読して驚いた。紙はA4判で百枚以上。[[外務省]]が配布したものや、[[国土交通省]]、[[内閣府]]、[[自由民主党]]が作成したものもある。いずれも、マスコミ配布用だが、中には安倍総理の中東・東南アジア歴訪の日程を記したものも。11月13日~23日の日程で行われた[[イスタンブール]]訪問、[[G20]]、[[APEC]]、[[ASEAN首脳会議]]の詳細なスケジュールだから、当時は外遊中ではないか。注意書きには、〈時間、場所はオフレコ〉とあるから、ポイ捨てしていいはずがない。<br />
<br />
全国紙の元政治部記者に聞くと、 <br />
<br />
「私が政治部にいた頃は“持ち出し禁止”と書いてファイルしておくか、捨てる時は必ずシュレッダーにかけていたものです。11月18日は、パリで同時多発テロが起きた直後。マスコミは“日本のテロ対策は大丈夫なのか”と警鐘を鳴らす立場なのに、万が一、過激派組織が手に入れたらどうするのでしょうか。彼らにとっては、喉から手が出るほど欲しい資料です」<br />
<br />
もともとの持ち主はすぐに分かった。政府資料に混じってメールのコピーが数枚入っていたのだ。プリントアウトした紙の左上には朝日新聞政治グループ(政治部)の「T」という名前がある。<br />
<br />
「Tさんは、総理官邸担当のサブキャップ(取材チームの副リーダー)です。防衛省担当、外務省担当のほか、小泉元総理や、民主党政権時代は鳩山元総理の担当もしたことがある。安保法案で紛糾していた時は、朝日の記者らしく反対の立場から署名記事も書いています」(別の新聞の政治部記者) <br />
<br />
そこで、朝日新聞に問い合わせると、記者が捨てたことを認めたうえで、 <br />
<br />
「不必要になったコピーや古い資料などと一緒に、誤って廃棄した可能性があります。(中略)第三者の目に触れる可能性がある外部のごみ箱に、そうした書類を捨てることはあってはならないことです」(広報部)<br />
<br />
届けられたのが本誌だったのが、良かったのか不運だったのか……。<br />
<br />
== 紙面・論調 ==<br />
[[Image:週刊朝日2009.jpg|350px|thumb|[[民主党]]政権を賛美]]<br />
*一般的に[[左派]]・[[リベラル]]言論の代表紙である。[[保守]]派からは[[左翼]]的、[[自虐史観]]的、中国の政策や北朝鮮の[[独裁政治]]に対する批判の欠如が問題視される傾向にある。実際の内容を見ると、中国・北朝鮮に対してほぼ無批判である。しかしながら記事ごとの思想的差異はかなり狭い。ただし後述するように、朝日新聞の論調は各時代で相当の変遷を経ていることにも注意されたい。<br />
<br />
*中国や北朝鮮、韓国に好意的な立場であり続ける一方、日本政府や公務員(但し[[日教組]]は除く)、保守思想に対する批判(保守を超えて[[日の丸]]、[[君が代]]に批判的)では容赦が無い。また、[[社説]]欄や[[天声人語]]だけでなく、投書欄(「声」欄)や読者投稿の短歌(「[[朝日歌壇]]」)においてそのような政治的意見や揶揄を語らせることもある。<br />
<br />
* [[中国共産党]]の機関誌[[人民日報]]と提携しており、何度も社説・コラムで[[中華人民共和国]]擁護の姿勢を示すなど、[[親中]]的な立場を取る。また、[[中国人民解放軍]]による[[チベット侵攻]]以後の[[チベット人]]に対する迫害についても、度々容認的論調を展開するなど、中国共産党の代弁者であるかのように振舞った。<br />
<br />
* 言論の自由などの侵害の恐れが指摘される[[人権擁護法案]]については、全国紙でほぼ唯一容認的な意見を度々表明している。<br />
* [[保守]]派からは「[[左翼]]的」「[[自虐史観]]的」と批判されている。特に[[産経新聞]]、『[[正論 (雑誌)|正論]]』、『[[諸君!]]』などの一部保守系論壇雑誌からは厳しい論調で批判されることが多い。<br />
<br />
* [[自由民主党 (日本)|自由民主党]]と対立することが多い。特に近年は政策批判だけではなく、発言などの政策以外の批判をすることも多く、[[ネガティブ・キャンペーン]]との批判も受けている。例えば、[[第21回参議院議員通常選挙]]前の[[安倍晋三政権]]に対する報道を、[[東海新報]]はネガティブキャンペーンと批判。特に安倍の首相辞職に際し、"責任を放棄した"の意で「アベする」が流行していると報道したが、逆に"捏造する"の意で「アサヒる」の語が新語として広まった'''(詳細は''[[アサヒる問題]]''を参照)'''。また[[第45回衆議院議員総選挙]]前の[[麻生太郎政権]]に対する報道については、[[西村博之]]が「政治家を批判する記事を書くとして、政策についての議論であれば、日本の未来の方向性についての予測が立てられたりするので、読む側としても価値を感じられます。 けれど、ホテルのバーの値段がどうこうとか、漢字がどうこうとか、カップラーメンの値段がどうこうってどうでもいい」と批判したほか、[[加地伸行]]も「自民党攻撃はすさまじかった」と批判した。なお両選挙とも自民党が敗北している。<br />
<br />
*他紙と比べると、科学欄ではかなり踏み込んだ専門的な記事もあり、文化欄や読書欄などでも紙面の充実を図っていることが特徴的である。<br />
<br />
* [[在日外国人]]の内、[[在日]][[朝鮮人]]・[[韓国人]]の氏名表記にあたっては、他紙が母国名を掲載している場合であっても、原則として[[通名]](日本名)での表記を行っており他紙との違いを見せている。この件について[[辛坊治郎]]は、日本テレビ『[[ズームイン!!SUPER]]』(2008年9月10日)のコーナーにて「在日朝鮮人が犯罪を起こした時に通名で報道する朝日はおかしい」と批判した。。<br />
<br />
朝日新聞の論調は、敗戦を契機として百八十度の極端な変化がみられた日教組と同じく[[敗戦]][[トラウマ]]と揶揄されることが多いが、基本的に「[[戦後民主主義]]を先導する社会的エリート」という意識が強すぎるため、プライドが高くて他を見下す傾向にあり、報道におけるミスがあってもすんなり謝罪したり認めたりしないという点が認められる。<br />
<br />
*2001年で終わった土曜版の一コーナーである「紙面批評」の末期にはあえて自社を批判する評論家に書かせようとしたものの、社内幹部による記事検閲が執拗におこなわれ、かえって「紙面批評」が消滅する原因となった。<br />
<br />
*小泉政権以降、若い世代の右傾化に強い危機感を持っている。[[ネット右翼]]を含む、若者の右傾化についてしばしば特集記事を掲載している。2006年の小泉総理靖国参拝の際、NHKが携帯電話で賛否をとったことを、若い世代の意見に偏ると批判した。また同じ時期、ファッション欄に掲載されたワンポイントマーク復活の記事において、「メンズウエアの胸元に、ワンポイントマークが復活している。かつては中年男性のゴルフ用ポロシャツに、必ずついていた傘や熊などのマーク。それが今、おしゃれな装飾としてさまざまな形に進化している。」という書き出しから「'''そういえば、自らの国家や民族に固執する右翼系の若者が世界的に増えているという事実も、多少気になるところだが。'''」と結論付けた。<br />
<br />
* 漫画家の[[小林よしのり]]と対立関係にあり、彼の作品である「[[新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論|戦争論]]」等を巡って社説で数回にわたり直接批判した。朝日新聞が社説において個人を複数にわたり批判したのは、政治家等以外の立場の人物では小林のみである。<br />
<br />
=== 北朝鮮学校の無償化を急げ(2012年3月3日紙面) ===<br />
[[Image:朝日新聞3.jpg|450px|thumb|朝日新聞]]<br />
卒業式の季節になった。だが文部科学省には、年度内に解決すべき課題が残っている。高校無償化を朝鮮学校にあてはめる判断だ。「厳正に審査」がずっと続いている。生徒や親をどこまで待たせるのか。 <br />
<br />
他の外国人学校生や日本の公私立高生は、2年前から無償化の恩恵を受けている。普通の家庭で年12万円弱になる。その財源にと、特定扶養控除の一部が減らされた。この負担は朝鮮学校生の家庭にも等しく課されている。 <br />
<br />
[[民主党]]が衆院選[[マニフェスト]]に掲げた高校無償化について、民主、自民、公明の3党が効果を検証する協議を始めることになった。検証するのは制度全体である。朝鮮学校を外し続ける事情にはならない。 <br />
<br />
立法の目的として説明された「すべての意志ある若者が教育を受けられるよう」をあてはめれば、認めるのが自然だ。無償化は日本人拉致問題で軟化したメッセージを送ることになる、と反対する声がある。 <br />
<br />
だが拉致行為や北朝鮮の体制に責任のない生徒たちに、責めを負わせてはなるまい。民主党政権は「教育に外交上の問題をからめない」と確認している。そうであるならば、政治の思惑によって、少数派であり、多感な年代である生徒たちを疎外するべきではない。 <br />
<br />
[[在日本朝鮮人総連合会]](朝鮮総連)と結びついた学校のあり方にも疑念の声がある。文科省はそうした点にも踏み込み、調査を続けてきた。 <br />
<br />
その間の議論を通じ、学校側は開かれた教育への姿勢を示しつつある。教科書の記述も改める動きが出てきた。父母の間にも、祖国の「3代世襲」に違和感を持つ人はいる。教室に肖像画を掲げることも考え直す時期だろう。そして、自国の負の部分も教えるべきだ。多様な学びの場の一つとして認めた上で、自主的改善を見守る。そんな関係を築けばよい。 <br />
<br />
歴史を思えば、私たちは在日の人たちとその社会をもっと知る努力をすべきだ。 <br />
<br />
韓流ドラマの翻訳を支えるのは民族の言葉を学んだ在日だ。年末の全国高校ラグビーには、大阪朝鮮高校がホームタウンの代表として3年連続で出た。彼らは北朝鮮だけを背負っているわけではない。生まれ育った国と祖国の間で悩み、揺れながら生きる若者がいる。なぜ自分たちがハンディを負わされるのか――。政治の動きに巻き込まれ、生徒たちは苦しんできた。アウェーの寒風をいつまでも浴びせてはならない。<br />
<br />
=== 中国の国益守れ(東京都の[[尖閣諸島購入]]) ===<br />
[[石原慎太郎]]・東京都知事がきのう、米・[[ワシントン]]で、[[沖縄県]]の[[尖閣諸島]]を都が購入する計画だと明らかにした。知事は「東京が尖閣諸島を守る」と語った。[[中国]]に四の五の文句など言わせるものか、という態度である。こんな知事発言に、[[インターネット]]上では拍手を送る書き込みがあふれている。 <br />
<br />
確かに、知事の発言には本人をはじめ、中国の対応を不快に思ってきた人々の留飲を下げる効果はあるだろう。だが本来、政治家の仕事は複雑に絡み合った懸案を、一つひとつ丁寧に解決していくことだ。それに、そもそもこれは東京都の仕事ではないはずだ。 <br />
<br />
知事は「島々を舞台にしてさまざまな施策を展開する」という。けれど、日本人が上陸しただけで反発してくる中国のことだ。問題はいっそうこじれるだろう。そうなった時、首都とはいえ自治体の長の石原氏に、領土が絡む問題を解決する手だてはない。政府の外交に悪影響を与えることを承知で大風呂敷を広げるのは、無責任としかいいようがない。 <br />
<br />
尖閣諸島といえば、[[2011年]]9月、中国の漁船が日本の巡視船に衝突してきた事件があった。この3月に、双方の政府が周辺海域の無人島に新たな名前をつけてからは、中国の監視船などが領海侵入といった挑発的な活動を続けている。さらに、石原発言を受けて、中国国内では、政府に強硬な対応を求めるネット世論が噴出している。 <br />
<br />
私たちは、こうした中国側の対応にも自制を求める。日中両国民がお互いに批判しあって、何か得るものがあるのか。体制が変わったばかりの北朝鮮への対応でも、日本と中国との連携は欠かせない。国交正常化40年を迎える隣国同士でもある。こうした両国の関係を、石原氏はどう考えているのか。 <br />
<br />
そもそも、都民の税金を使って島を買うことの説明がつくかも疑問だ。都議会に予算案を提出するというが、そう簡単に理解が得られるとは思えない。石原氏には、新党構想が取りざたされている。その折から、税金を使って選挙向けのパフォーマンスをしているようにも見える。<br />
<br />
=== 「沖縄人は豚ですか?」2012年5月掲載 ===<br />
[[Image:週刊朝日2009a.jpg|350px|thumb|[[自民党]]の選挙敗北を喜ぶ]]<br />
「やっぱり私たちは『豚』なんだ」。<br />
<br />
劇団比嘉座の座長・比嘉陽花(ひが・はるか)さん(29)は今、大阪で暮らす。 <br />
<br />
「海きれい?」と興味深そうに近づいてくる本土出身者(ナイチャー)たち。私の沖縄は悲しい島。灰色だ。本当の私たちを見ていない。 <br />
<br />
昨年、自作の演劇「わーわー」を沖縄県内で演じた。わーは沖縄の言葉(ウチナーグチ)で「豚」。「人間」の社会に組み込まれ、笑われ、無視される。そこから逃れるために、豚語を捨て、姿も変える。<br />
<br />
「人間」は日本人、「豚」は沖縄の人(ウチナーンチュ)。「強烈な芝居」と話題になり、公民館や中学校からも依頼がきた。上演後の反応は割れた。 <br />
<br />
「沖縄と本土を分けるのはおかしい」「いや、これこそ現実だ」 <br />
<br />
昨年まで住んだ実家は米軍嘉手納基地のそば。母が通った小学校には53年前に米軍機が墜落し児童ら17人が死んだ。母は生き、私が生まれた。ではあの子たちは、なぜ死なねばならなかったのか。 普天間飛行場の県内移設を訴える政治家を見て気づいた。私たちを見ていない、うつろな目。 <br />
<br />
我慢してください。1億の「人間」のために――。「そうか。私たちは『人間』じゃないんだ」 <br />
<br />
劇のクライマックス。「豚」たちは結局「人間」に食われる存在ではないかと自問する。老いた「豚」が観客に語りかける。 <br />
<br />
「『豚』が『人間』になれるわけがない。本当は差別されているんだよ」 <br />
<br />
大学院生の親川志奈子さん(31)は宜野湾市でウチナーグチ講座を開いている。9年前、ハワイ大学で先住民について学んだ。米国に王制を倒され、言葉を奪われ、基地を置かれたハワイ。まるで植民地。沖縄と日本の関係と同じだと気づいた。日本の言葉しか話せない自分に涙ぐんだ。かつては痛みを他者に押しつけまいと思ったが、いまは違う。<br />
<br />
「基地は日本へ引き取って」<br />
<br />
=== 「生活保護受給者は楽しみを持ってはいけないのでしょうか。暗く生きていかねばならないのでしょうか」 ===<br />
天声人語 <br />
<br />
このあいだに続いて[[堀口大学]]にお出まし願う。仏文学の翻訳で知られる氏に、批評家[[グールモン]]の短章の訳がある。その一文をかつて読み、ノートに書きとめた。 <br />
<br />
「女を悪く云う男の大部分は或る一人の女の悪口を云って居るのである」<br />
<br />
卓見だと思う。人はごく狭い知見や印象で全体を語りがちだ。だから文中の「女」は何にでも取り換えがきく。たとえば若者、オジサン、アメリカ人、医者、新聞記者……そして生活保護受給者もまた、しかりではないだろうか。<br />
<br />
去年、お笑いタレントの母親の受給問題をきっかけにバッシングが起きた。あれなど、一人を悪く言うことで全体をあげつらう一例だったろう。 <br />
働かない、ギャンブルで浪費している、といった後ろ指も、一部への批判が全体への色眼鏡になっているようで気にかかる。<br />
<br />
行きつくところと言うべきか、[[兵庫県]][[小野市]]が議会に条例案を提出した。受給者が[[パチンコ]]などで浪費しているのを見つけた市民に通報を義務づけるのだという。耳を疑ったが[[エープリルフール]]にはまだ間がある。<br />
<br />
筆者と違う意見もあろう。だが、そもそも誰が受給者なのか一般市民には分からない。効果は疑わしいうえ、小野市だけでなく全国で色眼鏡が濃くなりかねない。生活保護の切り下げについて、受給する女性が声欄に寄せていた。<br />
<br />
「受給者は楽しみを持ってはいけないのでしょうか。貧しい気持ちを持ったまま、暗く生きていかねばならないのでしょうか」。身に染む声ほど小さく震える。<br />
<br />
=== 尖閣諸島購入に寄付金は疑問(5月5日朝日新聞東京版朝刊「声」欄) ===<br />
[[Image:高野明日香3.png|350px|thumb|高野 明日香]]<br />
大学生 [[高野明日香]](神奈川県厚木市・21歳) <br />
<br />
東京都が尖閣諸島の購入に向け、寄付金の受け皿となる専用口座を開設したそうです。<br/> <br />
違和感を感じたのは私だけでしょうか。<br/> <br />
今でも多くの方が震災の影響で元の生活に戻れない苦労をなさってます。<br/><br />
そんな時に出た石原慎太郎・東京都知事の尖閣諸島購入の発言。そして寄せられた賛同する意見。<br/><br />
私は尖閣諸島が日本の領土だと主張することは必要だと思います。<br/><br />
そのための石原都知事の行動も、少々大胆ですが必要だと思います。<br/><br />
ただ、果たして今、私たちがお金を出してまで購入しなければならないのでしょうか。<br/><br />
日本人はどうも、時間が過ぎるとすぐ新しいものに飛びつく傾向があるような気がします。<br/><br />
東日本大震災発生直後に多く集められた寄付金ですが、1年以上経った今、寄付をする人は一体どれぐらいいるでしょうか。<br/><br />
あまりにも短い周期で移りゆくブームのように、今も続く被災者の苦労すら既に忘れ去られてはいませんか。<br />
<br />
=== 尖閣と竹島…中国の反日デモに過剰反応するべきでない。韓国に制裁すべきではない。(2012年8月) ===<br />
[[Image:週刊朝日2.jpg|350px|thumb|[[プロ市民]]出身の[[菅直人]]を賛美]]<br />
中国でまた、反日デモが起きた。尖閣諸島に不法に上陸した香港の活動家を、日本側が逮捕したことが引き金になった。日韓が領有権を争う竹島では韓国が李明博(イ・ミョンバク)大統領の名を刻んだ石碑を建てた。大統領の上陸に続く、無分別な行動だ。 <br />
<br />
感情をたぎらせ、ぶつけあう。隣国同士でこんな不毛なことをいつまで続けるのか。 <br />
<br />
野田政権の基盤は弱い。秋に世代交代を控える中国の指導部は動きが取りにくい。年末に大統領選がある韓国では、李大統領の求心力低下が著しい。難しい時期だが、事態を収めるべき政治が対立をあおるような振る舞いは理解しがたい。本来の外交の場で引き取り、沈静化を図るべきだ。 <br />
<br />
中国のデモは、尖閣沖での衝突事件の後に反日が吹き荒れた一昨年の再現のようだった。北京や上海では厳戒態勢が敷かれ、デモは散発的だった。だが、香港の隣の深セン(センは土へんに川)などでは参加者が暴れ、日本車や日本料理店を壊す騒ぎになった。 <br />
<br />
日中の貿易総額が年間27兆円余りとなるなど、相互依存は強まるばかりなのに、きわめて残念だ。粗暴な行いが国際社会でのイメージ悪化にもつながることを中国は知るべきである。ただ、反日に過剰に反応するべきではない。<br />
<br />
一方、韓国に対しては、李大統領の天皇への謝罪要求発言もあり、日本政府は態度を硬化させている。国際司法裁判所に提訴する方針を発表したほか、安住淳財務相は日韓通貨スワップ(交換)の融通枠拡充取りやめを示唆している。 <br />
<br />
日本の立場を表明することは大事だが、あたかも制裁のように関係のない問題を持ち出すのはいかがなものか。韓国経済の不安定化は、日本にとってもマイナスになりかねない。 <br />
<br />
安住氏は、今月下旬の日韓財務対話への出席も取りやめた。だが、こういうときこそ、韓国としっかり話し合うべきだ。日中も、日韓も、前に進めていかなければならない関係だ。何が本当の国益なのか、冷静に考える必要がある。<br />
<br />
=== 朝日新聞中国版ツイッターが謝罪。石原氏関連記事に「小鬼子」で炎上(2012年11月) ===<br />
[[Image:週刊朝日2012.jpg|350px|thumb|[[自民党]]の政権奪回を悔しがる]]<br />
朝日新聞の中国語版ツイッター(微博)が、他の利用者の書き込みに対して書き込んだコメントが「炎上」し、謝罪コメントを発表した。一部のツイッター利用者が「朝日新聞が[[石原慎太郎]]さんや日本人を、超侮辱した言葉"小鬼子"と呼んでくださいと中国人に呼びかけています。どこまで反日新聞ですか?」などと猛反発していた。<br />
<br />
この記事を転載した微博の書き込みに対して、朝日新聞のアカウントが[[11月4日]]夜、「『小鬼子』を叱らなきゃ」とコメントを付けたのだ。「小鬼子」という言葉は、石原氏をはじめとする、中国では右派だとみなされている政治家に対する蔑称として使われることがある。<br />
<br />
コメントを付けた書き込みは石原氏の写真付きだったため、石原氏に対して朝日新聞が「小鬼子」と言う言葉をぶつけた、と受け取った人もいた。<br />
<br />
「微博で朝日新聞が石原慎太郎さんや日本人を、超侮辱した言葉"小鬼子"と呼んでくださいと中国人に呼びかけています。どこまで反日新聞ですか?狂っています!!」「中国人は喜んでコメントで日本を馬鹿にします。朝日は中共の新聞ですか?なぜ日本人は朝日新聞を読みますか?日本が大好きな台湾人のわたしはとても悲しいです」などと猛反発。この書き込みが拡散し、日本のネット上でも騒ぎが広がっていた。<br />
<br />
=== 「日本維新の会の[[橋下徹]]氏がおでこを出す正統保守型に変えた。何が目的か分からない年の差婚をしたしたたかな女のようだ」 ===<br />
天声人語(2012年11月19日) <br />
<br />
髪形をいじるのは心機一転の表れでもある。日本維新の会の橋下徹氏が、おでこを出す正統「保守型」に変えた。<br/> <br />
この勝負髪で衆院選に挑むという。37歳上の[[石原慎太郎]]氏を新代表に迎え、しおらしく従う覚悟らしい <br />
<br />
▼合流は第三極の受け皿を広げ、既存政党や官僚支配への不満をさらう狙いとみえる。両氏の合意文書には「強くてしたたかな日本をつくる」と表題がついた。<br/> <br />
「弱くてお人よしの日本」は耐えがたいと <br />
<br />
▼片や石原氏に気を使い、「原発ゼロ」の語は消えた。政策より大同団結、小異は捨てたというが、コーヒーと紅茶を混ぜたようなドタバタ感が漂う。<br/> <br />
色が似ていればいいというものではない <br />
<br />
▼なるほど、コーヒー党、紅茶党の独自色より、候補者の調整が先に立つのが[[小選挙区制]]だ。<br/> <br />
野合との批判に、石原氏は「民主党や自民党が人のことを言えるのか」と反発、橋下氏も「趣味嗜好まで同じなら[[北朝鮮]]」と開き直る <br />
<br />
▼とはいえ、地方分権や行政効率に重きを置く橋下氏の現実主義と、米中なにするものぞの石原流がどう混じり合うのか。<br/> <br />
みんなの党や減税日本とも組むとなれば、昔の[[民主党]]顔負けの「選挙互助会」だ <br />
<br />
▼石原氏がほれたと公言する橋下氏は、政界でいう「じじごろし」に違いない。新代表を最強のリーダーと持ち上げ、ヘアスタイルを変えた。<br/> <br />
「何が目的か分からない年の差婚をした、したたかな女のよう」。きのうの東京紙面にあった、山本貴代さんの見立てに納得した。その縁の吉凶は知らない。<br />
<br />
=== 安倍氏選ぶ自民党の劣化ぶり(2012年10月) === <br />
[[Image:週刊朝日.jpg|500px|thumb|思想が表れている表紙]]<br />
朝日新聞2012年10月5日(金)朝刊「声」欄より<br />
<br />
小学校教員([[日教組]]) 大越慶久(福島県古殿町 44歳)<br />
<br />
安倍晋三氏が自民党総裁に選ばれた。5年前の突然の首相辞意表明。臨時国会で所信表明演説をしてわずか2日後のことだった。 <br />
<br />
国民の誰もがあぜんとしたであろう。体調の問題とはいえ、あのタイミングでの首相辞任は、まさに政権の放り出し以外の何物でもない行為であった。その人物が再び総裁の椅子に返り咲いたのだ。 <br />
<br />
総裁選では党員・党友による地方票の6割近くが石破茂氏を支持したが、国会議員票による決選投票で安倍氏が逆転勝利を収めた。党員は、自民党を民意の最前線で支える人々である。その声を無視する形で、国会議員は安倍氏を選んだ。これをどう理解すればよいのだろうか。 <br />
<br />
安倍氏は政権放り出しで、どれだけ多くの迷惑をかけたのか、そのことを考えれば、再びそのような地位を目指すなど、日本人としての価値観としてはいかがなものだろうか。それにも増して、私は自民党の国会議員の多くが、そんな安倍氏に投票したことにショックを受けた。<br />
<br />
民主党の分裂騒動などのゴタゴタにも嫌気がさしたが、自民党の国会議員も、もはや劣化しているように感じられ、残念である。<br />
<br />
=== 「民主党がんばれマジ全力で頑張れ。今は耐えて耐え忍ぶんだ。また政権復帰するときのために」(2012年12月) ===<br />
政権を担うということが、いかに難しく、厳しいものか。総選挙で衝撃的な惨敗を喫した民主党は、そのことを身をもって学んだに違いない。 <br />
<br />
衆院に小選挙区比例代表並立制が導入されて18年。6度目の総選挙の結果は、想定されていた二大政党制の姿とはほど遠い「自民党一人勝ち」の様相となった。それでも、野党第1党にふみとどまった民主党の役割はいぜん大きい。包括的な政策の体系と全国規模の組織をもち、政権がつまずけばいつでも交代する用意がある。そんな野党の存在が、民主主義には欠かせないからだ。<br />
<br />
落胆している暇はない。この3年間の教訓をふまえ、民主党はみずからの政策と組織を根本から鍛え直してほしい。振り返れば、あまりにも未熟だった。<br />
<br />
ことあるごとに党内で内紛が起き、分裂を繰り返す。「ムダの排除などで16.8兆円の新規財源を生み出す」などといった無責任なマニフェストがまかり通る。今回の惨敗は、そうした民主党政権に対する民意の「懲罰」の意味合いが濃い。<br />
<br />
一方で、将来世代への責任を果たそうとしたことが、少なくとも二つあった。消費増税をふくむ社会保障と税の一体改革と、「2030年代の原発ゼロ」である。2009年総選挙で、民主党は「増税の前にやるべきことがある」として消費増税を否定した。それは、将来世代にツケを回すことにほかならない。それに気付いたからこその増税への転換だったのではないか。<br />
<br />
注目したいのは、今回の総選挙のマニフェストに「将来世代の声なき声に耳を傾ける」という理念を新たに掲げたことだ。来夏の参院選に向け、党をあげてこの理念を具体的な政策の体系にまとめてはどうか。<br />
<br />
所属議員は激減した。だがその分、一体感のある議論がしやすくなったとも言える。有権者の耳に痛い政策を、いかに説得力をもって打ち出すか。政権を担った経験をそこに生かしてほしい。もう一つ、求めたいのは建設的な「責任野党」の姿を今度こそ見せることだ。政権が行き過ぎるようなことがあれば、ブレーキ役を果たすのは当然のことだ。同時に、協力すべきは協力する。<br />
<br />
やられたらやり返す。そんな不毛な政治の混迷を乗り越えることは、民主党が政権に復帰したときに必ず生きる。<br />
<br />
=== 週刊朝日、社団法人を騙り全国の病院施設に多額の広告料を要求(2012年12月) ===<br />
<pre><br />
緊急のお知らせ<br />
(週刊朝日からの特別広告企画の案内について)<br />
<br />
前略<br />
本日、週刊朝日が2013年2月発売予定の「手術数でわかるいい病院 2013 全国」に掲載する広告企画の案内を、<br />
【取材協力:日本肝胆膵外科学会 理事長 宮崎勝】と表し、多くの病院施設に広告掲載を持ちかけ、<br />
広告料として 100 万円以上のお金を要求していることが判明いたしました。<br />
<br />
本学会および宮崎個人は、週刊朝日の同企画に対し、一切の関わりを持っておりません。<br />
その旨ご承知いただき、ご注意くださいますようお願い申し上げます。<br />
<br />
なお、本学会として、このような広告掲載企画を無断で各施設に案内している<br />
週刊朝日に対し、抗議文の送付ともに説明を求める予定です。<br />
事情が明らかになり次第、本学会会員の皆様に報告申し上げます。<br />
<br />
今後とも本学会へのご支援・ご協力をお願い申し上げます。<br />
草々<br />
</pre><br />
<br />
=== 「安倍政権の歴史認識を疑問視する声が米国内で急速に広がっている。このままでは日本の国際的孤立さえ招きかねない」 ===<br />
社説:歴史認識―孤立を避けるために <br />
<br />
「東北アジア地域の平和のためには、日本が正しい歴史認識を持たなければいけない」 [[韓国]]の[[朴槿恵]]大統領が、[[オバマ米大統領]]との会談で対日関係に言及した。 <br />
<br />
言うまでもなく、歴史認識をめぐる[[安倍首相]]の言動や、[[麻生副総理]]らの[[靖国神社参拝]]を念頭に置いての発言である。本来、隣国同士で率直に話し合うべき問題がこうした形で取りあげられるのは残念だが、それほど日本への不信感が強いということだろう。韓国の対日不信を決定的にしたのは、先月の閣僚らによる靖国参拝と、それに続く安倍首相の国会答弁だ。<br />
<br />
首相は「侵略という定義は学界的にも国際的にも定まっていない」と発言。これが韓国では「植民地支配や侵略戦争を否定したもの」ととらえられた。今年に入って日韓間では関係改善を探る努力が続けられてきたが、以来、政府間の交流は再び滞ってしまった。安倍政権の責任は大きい。<br />
<br />
この問題は、日米関係にも影を落とし始めている。2013年5月発表された米議会調査局の報告書は、首相の歴史認識について「侵略の歴史を否定する修正主義者の見方を持っている」と指摘。[[ワシントン・ポスト]]など米主要紙も首相発言を批判している。 <br />
<br />
さらに、[[慰安婦問題]]をめぐる[[河野談話]]見直しの動きがあることについて、[[シーファー前駐日大使]]は「見直しを受け入れる人は米国にはまったくいない」と語った。安倍政権の歴史認識を疑問視する声が、米国内で急速に広がっている。このままでは、日本の国際的な孤立さえ招きかねないことを、首相は深刻に受けとめるべきだ。<br />
<br />
首相は、[[5月8日]]の[[参院予算委員会]]で「アジアの人々に多大な損害と苦痛を与えた」と、[[1995年]]の村山談話と同様の認識を示すなど軌道修正を図りつつある。歴史認識で対立を煽るような言動は厳に慎み、一致できる部分で連携を深める。各国の信頼を回復する道はそれしかない。<br />
<br />
=== 「新任のNHK経営委員を首相にごく近い人たちで固めたがる。『みなさまのNHK』が『あべさまのNHK』にならないか」(2013年11月) ===<br />
天声人語 <br />
<br />
「放く」と書いて「こく」と読む。いささか品を欠くけれども、何かを体の外へ放つことを表す。若い人たちは「調子放いて……」などと言う。調子に乗る、図に乗るの意味だが、さて[[自民党]]である。<br />
<br />
▼[[昭和]]の名文記者、[[門田勲]]のユーモラスな一節を思い出す。「通勤で混み合う電車の中の広告に、真っ赤な蛸の画があった。ねじ鉢巻で、盃をもって踊ってる。えらく景気のいい蛸だ。蛸は自民党かもしれない」。前にも引いたが、数の力で我が世の春をうたった頃の文だ <br />
<br />
▼今は[[特定秘密保護法案]]である。これほど危うい法案を短期国会で通そうとすること自体、数を頼んだ驕りではないか。同じ流れで、新聞の首相動静もマル秘にという発言が、元閣僚から事も無げに飛び出してくる。<br />
<br />
▼さらに、婚外子の相続差別を違憲とした最高裁決定に公然と異論が湧き、三権の一角を軽んじる。新任の[[NHK]]経営委員を首相にごく近い人たちで固めたがる。どこか怖いものなしの感がある。<br />
<br />
▼後者について案じる声は少なくない。「みなさまのNHK」が「あべさまのNHK」にならないか、と。他にも原発あり、改憲あり。経済だ、株だとかまけるうちに面舵いっぱい、気がつけば国の鼻先はあらぬ方に向いていたと悔やむのは避けたい。<br />
<br />
景気のいい[[安倍政権]]に自民党の[[リベラル]]派は蒸発してしまったかのようだ。野党はどうにも影が薄い。「決められる政治」はいいが、アクセルだけの車は怖い。大事なのはブレーキだと古今の歴史は教えている。<br />
<br />
=== 「この国民にして、この政府…ごり押しと混乱の永田町を眺めつつ思う。私たちはこのレベルか」 ===<br />
天声人語 <br />
<br />
ユーモアの奥底に真実がひそむことがある。<br/><br />
終戦から間もないころ、[[吉田茂]]首相は国内の食糧不足量を多く見積もりすぎて[[マッカーサー]][[元帥]]に文句を言われたそうだ。<br/><br />
すかさず「日本の統計が正確だったら、戦争に負けていませんよ」と切り返して言い逃れたというから、この人らしい <br />
<br />
▼「正確なら負ける戦争など仕掛けなかった」といった意味合いだったろう。記憶の底でホコリをかぶっていた逸話が、きのうの本紙オピニオン面を読むうちに浮かび上がってきた<br />
<br />
▼[[東大]][[教授]]の[[岡崎哲二]]さんによれば、金属・機械・化学各工業の統計が日米開戦の2年前から「秘」扱いになった。つまり国力の基本的な情報を一般国民には秘したまま、開戦は決断されたのだという<br />
<br />
▼工業統計だけでなく、様々に目隠しをされたまま国策が決まった時代。どこへ連れて行かれるのか分からない人々の不安は想像できる。結局、相手の物量に対抗するためにおびただしい人命を注ぎ込んで、戦争は終わった<br />
<br />
▼国民は自分たちのレベルに見合った政府しか持ちえないという。[[英国]]の[[歴史家]][[カーライル]]は「この国民にして、この政府」と警句を残したそうだ。ごり押しと混乱の[[永田町]]を眺めつつ思う。私たちはこのレベルか。もう少しましな政治が持てそうなものだが <br />
<br />
▼秘密法案の強行成立を、与党は譲らない。「決められない政治」に懲りて[[自民党]]に衆参で多数を与えた。その結果がこれでは、一票を悔やむ人は多いだろう。不信感の統計は膨大に違いない。<br />
<br />
==== ネット反応 ====<br />
* 朝日があまりにも左傾化した結果がこれだ。責任は朝日にあるかもしれない <br />
* 自分らの意見に合わないからって、とうとう国民全体をもディスりはじめたか <br />
* わかったから愚痴垂れつつ[[サンゴ]]でも彫ってろ <br />
* 民主党政権のときにはなんで言わないの?w <br />
* 「ペンは無力」とかいつも言ってるよねこういう時 <br />
* 朝日は何様のつもりなんだ?おまえらその国民の金で飯食ってる自覚無いのか? <br />
* 「この国民にして、このマスメディア…ごり押しと混乱の新聞を眺めつつ思う。私たちはこのレベルか」 <br />
* この購読者にして、この新聞…朝日の記者はこのレベル。「か」じゃなくて「このレベル」 <br />
* 自分らの思い通りにならないと国民を攻撃し始める「社会の公器」様であった <br />
* この偏向報道にして、この不正義・・・朝日新聞の報道姿勢を眺めつつ思う。日本のマスコミはこのレベルか <br />
* いつもの朝日のパターンだな。自分たちの意にそぐわない状態になるとまるで日本国民全員が愚民のような捨て台詞を吐く。 <br />
* 朝日新聞が言う逆の事が正しいんだよね? <br />
* 朝日って安倍政権を叩くことが社是なんだっけ?ゴシップ新聞と何が違うの? <br />
* 朝日が受験問題に使われるのは日教組とグルだからなんだろうね。学生を受験で脅して朝日新聞を購読させて洗脳させるシステム怖いわw <br />
* スパイが反対する法案っていうけど、まさにその通りだなw朝日にもうじゃうじゃスパイいるだろ。どんどん逮捕してほしいw <br />
* 火のないところに火をつける。それが朝日w <br />
* 民主党ならダダ漏れの情報とか、隠蔽とか恐ろしくて夜も眠れない。必要な法律を、無思慮に反対してる連中が多いから、まともな法律へ修正する時間が失われる。民主党や社民党なんか不要。こんな政党に投票する馬鹿のおかげだ。 <br />
* この前、今時地下鉄で朝日新聞広げてる人久々に見たわwいかにも教師やってそうな小汚ない雰囲気のおばさんだったわ… <br />
* つか馬鹿騒ぎに惑わされずに淡々と採決したのは以前よりレベル上がってんじゃね政府も国民も。朝日とその取り巻きだけがずっとレベルが変わらないだけで<br />
<br />
===「両院制した自公政権…民意とのねじれ恐れよ。有権者は日本の針路を丸ごと安倍政権に委ねたわけではない」===<br />
[[2013年]][[7月21日]]、「1強体制」の本格到来を思わせる、安倍自民党の勝ちっぷりである。<br />
<br />
自民、公明両党は、非改選とあわせて参院の半数を大きく上回る議席を得た。昨年の衆院選に続き参院も自公が制したことで、[[2007年]]の参院選以来、政権の国会運営を左右してきた衆参両院の「ねじれ」は当面、解消する。同時に、安倍首相はかつての自民一党支配時代をほうふつさせる安定した権力基盤を手にしたことになる。<br />
<br />
向こう3年は国政選挙はないというのが、政界のもっぱらの見方だ。この間、ジェットコースターのような変転きわまりない政治が続いた。首相交代は年中行事のようになり、「決められない」が政治の枕詞になった。安定した政治のもと、景気回復など山積みになった内政・外交の懸案に腰を据えて取り組んでほしい――。今回の選挙結果は、そんな切羽詰まった民意の表れといえるだろう。<br />
<br />
とはいえ、有権者は日本の針路を丸ごと安倍政権に委ねたわけではない。首相は経済のほかは十分に語らなかったし、投票率も振るわなかった。 <br />
<br />
小泉首相による2005年の「郵政解散」以降、衆院選で大勝した政権党が、その次の参院選で過半数を割る逆転劇が繰り返されてきた。その始まりとなったのが、安倍氏が首相として初めて臨んだ2007年参院選での自民党の歴史的大敗だった。<br />
<br />
この6年の「負の連鎖」を、今回、安倍政権がみずから断ちきることができたのは、その経済政策「アベノミクス」が、一定の信認を得たからにほかならない。民主党政権の末期に比べ、株価は5千円ほど高くなった。円安も進み、首相は選挙戦で[[国内総生産]]がマイナスからプラスに転じた、2012年度の公的年金の運用益が過去最高となったと胸を張った。野党は、賃金が増えていないのに食品の値段が上がっているなどと、アベノミクスの副作用を訴えた。<br />
<br />
それでも、ひとまずは数字を残した安倍政権に寄せる本格的な景気回復への期待が、声高な批判を打ち消した。 <br />
<br />
ただし、この期待は両刃の剣であることを、首相は忘れてはならない。景気が腰折れしたり副作用が高じたりすれば、失望の矛先はまっすぐに首相へと向かう。<br />
<br />
政権の実力が本当に試されるのは、これからなのだ。<br />
<br />
中小企業や地方で働く人たちの賃金は上がるのか。消費税率を予定通りに引き上げられるのか。それで医療や介護を安定させられるのか。いずれも、くらしに直結する課題である。安定政権の強みは、こうした分野でこそ大いに生かしてもらいたい。一方で、有権者は決して政権にフリーハンドを与えたのではない。与党も含め政治に注ぐ視線は依然厳しい。そのことを首相は肝に銘じるべきだ。<br />
<br />
首相は締めくくりの街頭演説で「誇りある国をつくっていくためにも憲法を変えていこう」と改めて持論を強調した。[[日本維新の会]]や[[みんなの党]]をあわせて機運が高まれば、やがて改憲も視野に入るという思いなのかもしれない。<br />
<br />
だが、朝日新聞の最近の世論調査では、改憲手続きを定めた[[憲法96条]]の改正には48%が反対で、賛成の31%を上回った。連立を組む[[公明党]]の山口代表が「憲法改正を争点にするほど(議論が)成熟しなかった」と語ったが、その通りだろう。首相が意欲を見せる、停止中の原子力発電所の再稼働にも56%の人が反対している。<br />
<br />
首相が民意をかえりみず、数を頼みに突き進もうとするなら、破綻は目に見えている。衆参のねじれがなくなっても、民意と政権がねじれては元も子もあるまい。誤りなきかじ取りを望みたい。<br />
<br />
それにしても、つい7カ月前まで政権を担っていた民主党の退潮は目を覆うばかりだ。改選議席は半分を割りこみ、2大政党の一翼の面影はない。 <br />
<br />
1996年の結党以来、「政権交代可能な二大政党制」を意図した制度のもとで野党結集の軸となった。もっとも、こうした党のなりたちが、「政権交代」のほかに党員をたばねる理念や目標を持つことのできない弱点にもつながっていた。<br />
<br />
下野から半年あまりたったいまも、この弱みは克服できないままだ。昨年の国政進出で民主党に迫る勢いをみせた[[日本維新の会]]もまた、[[橋下徹]]大阪市長の一枚看板に頼らざるを得ないもろさをあらわにした。野党の自壊といっていい。<br />
<br />
自公両党は、憲法改正をのぞけば「補完勢力」など必要としない状況にある。しばらくは続きそうな1強体制に、野党はただ埋没するだけなのか、それとも再生に歩み出すのか。野党だけの問題ではない。日本の民主主義が機能するかどうかが、そこにかかっている。<br />
<br />
=== アルジェリア人質事件。遺族ら「氏名公表避けて」→朝日「死者7名の氏名公表すべき」と安倍首相らに要請 ===<br />
アルジェリア南東部イナメナスの天然ガス関連施設で起きた人質事件で、朝日新聞社などが加盟する内閣記者会は、政府が公表していない被害者の氏名と年齢のうち少なくとも死亡が確認された7人分の公表を安倍晋三首相と菅義偉官房長官に申し入れた。 <br />
<br />
申入書では「事件に対する国民の関心は非常に高く、日本政府が公的に安否確認を行うとともに、情報収集、救出、帰国支援に全面的に関与している」と指摘。「最も基礎的な情報」である氏名と年齢の公表を求めている。 <br />
<br />
日本政府は2004年4月と10月にイラクで起きた人質事件では被害者の氏名を公表している。菅氏は記者会見で、氏名の公表について「(被害者の勤務先である)日揮がご家族の意向をまとめている。しばらく様子を見守りたい」と語った。<br />
<br />
'''朝日新聞にはガッカリ。朝日新聞の記者のモラルを疑います'''<br/><br />
昨夜、菅官房長官が被害者の実名は公表しないと明言してくれたので安心していたところ、今朝の朝日新聞を見てガッカリしました。実名を公表しないという約束で答えた取材の内容に実名を加え、さらにフェイスブックの写真を無断で掲載しておりました。 <br />
<br />
ただでさえ昨夜の発表を受け入れるのが精一杯の私たち家族にとって、こんなひどい仕打ちはありません。記者としてのモラルを疑います。 <br />
<br />
16日の事件発生から昨夜まで、日揮の情報はとても少なくて、私たち家族は日本の報道や海外メディアの不確かな情報に一喜一憂し、振り回されておりました。なぜ日揮はここまで情報を出すのに慎重に慎重を重ねていたのか疑問だったのです。それが昨夜の菅官房長官の「被害者の実名は公表しません」という言葉で分かりました。彼らは私たち被害者家族を守るために細心の注意を払っていたのです。 <br />
<br />
いまだ大変危険な状態のイナメナスに命がけで安否確認のために現地入りした、日揮の川名浩一社長と城内実外務政務官、人命よりもテロ掃討を優先し、価値観、考え方、近隣諸国との社会情勢など様々な事情により、まったく話が通じないアルジェリアを相手にイニシアチブをとって情報を引き出してくれた安倍首相、現地で訳の分からない扱いを受けることなく日本人の形式でしっかり棺に入れていただき、専用機で日本まで連れて帰ってくれるということなど今回の一連の対応に心から感謝したいと思います。 <br />
<br />
技術者として世界を舞台に第一線で活躍していた叔父を誇りに思います。一日も早く日本に帰ってきてもらい「おかえりなさい、お疲れ様でした。」と言いたいです。<br />
<br />
'''体罰教師を実名で報じず、テロ被害者を実名報道する腐れメディア'''<br/>=<br />
アルジェリアで犠牲にあった日本人被害者を、メディアは約束を破って次々と実名、写真入り報道をしている。「事件を多くの国民の記憶に刻み込み、このような悲惨な出来事が再び起きないよう社会に力強く訴えるという観点から名前の報道が必要」という大層な謳い文句だ。しかし何の説得力もない。<br />
<br />
事件を国民の記憶に刻み込むのに、実名かどうかは関係ないし、悲惨な出来事が再び起きないようにするなら、悲しみにくれ、過剰報道で迷惑している遺族を追い回すのではなく、アルジェリアの現地にでも行って、なぜこうしたテロが起きたのか取材すべきだろう。<br />
<br />
結局マスメディアは大層な使命を振りかざしてはいるが、<br />
* 危険なアルジェリアには行きたくない<br />
* 日本で遺族を追い回して、お涙頂戴物語を報道すれば、視聴率が上がる、売上が上がる<br />
<br />
というただそれだけの理由だろう。<br />
<br />
しかもそんなに実名報道することが使命なら、なぜ高校2年生に30~40発も殴って暴力をふるい、自殺に追い込んだ[[桜宮高校]]の顧問の実名を報道しないのか?その方がよっぽど、「事件を多くの国民の記憶に刻み込み、このような悲惨な出来事が再び起きないよう社会に力強く訴えるという観点から名前の報道が必要」ではないのか。<br />
<br />
結局、メディアがやっていることは、死人に口なしという態度だろう。<br />
<br />
テロで犠牲になった人はもう死んじゃったから、遺族が何と言おうが、本人ではないから、関係ないと開き直り、一方、体罰高校は、生徒は死んでしまっているが、体罰教師は生きているので、生きている教師から何かクレームつけられたら困るという、逃げ腰の姿勢から、実名は報道しない。<br />
<br />
でも校長は実名で会見したり報道でも出ているわけだ。顧問が刑罰に処せられるかはともなく、なぜ校長だけがテレビカメラの前に出てきて、新聞報道でも名前を報じられるのに、肝心要の顧問の実名がないのか。顧問がカメラの前で謝罪し、事実関係を明らかにするのが筋だろうが、その点、マスコミは追求せず、顧問の実名も写真も報道せずに、ひたすら亡くなったテロの被害者をさらし、遺族を苦しめるという犯罪行為を堂々と行っている。<br />
<br />
例えばアルジェリアに10万人日本人が住んでいて、無差別テロで誰が亡くなったかわからず、安否確認を報道に期待している人が多くいるなら、実名報道に意味はあるだろうが、ある企業の社員だと特定されているわけだから、別に全国ニュースで実名と写真をさらすことに何の使命もない。<br />
<br />
マスメディアが思い上がっているんです。おまえら何様かと。被害者を苦しめ、加害者を守ることが報道の使命なのか。しかもその報道は記者名もなく、会社という看板で守られるというふさげた話。<br />
<br />
一貫して実名報道を重視し、体罰顧問の名前も明らかにしているならともかく、そういうところでは逃げをうって、死人に対しては冷酷な態度をとるメディアの、とんだ勘違いがマスメディア離れを加速させ、むしろそのせいで、ネットで体罰教師の実名、写真やプロフィールなどが出まわるという、状況になっているのだと思う。<br />
<br />
ちなみに体罰のせいで子供を亡くした父親は、「体罰ではなく暴行」であるとし、顧問を刑事告訴している。<br />
<br />
=== 『尖閣国有化前(民主時代)に射撃レーダー照射あった』という記事削除、理由は不明 ===<br />
[[Image:朝日新聞削除前.png|500px|thumb|削除前]]<br />
[[Image:朝日新聞削除後.jpg|500px|thumb|削除後]]<br />
朝日新聞は、2013年2月6日付夕刊1面で、東シナ海での中国軍による自衛隊への射撃用レーダー照射が昨年9月に尖閣諸島を国有化する前にもあったことがわかったなどと報じた。<br />
<br />
これと同じ内容の記事が「尖閣国有化前から射撃レーダー照射 政府関係者明かす」という見出しで、ニュースサイト「朝日新聞デジタル」無料版にも掲載された。しかし、記事掲載から約2時間後の同日午後10時ころ、記事がニュースサイトから削除された。この記事が短時間で削除された理由はわかっていない。<br />
<br />
朝日新聞の問い合わせ窓口では「個別の記事の削除理由についてはお答えできない」としている。<br />
<br />
=== さりげなく安倍晋三の出自を攻撃する朝日(2013年3月深沢明人) ===<br />
3月18日付け朝日新聞朝刊の[[天声人語]]。 <br />
<br />
「占領は終った。六年八カ月間の長い長い占領は終った」と[[1952年]][[4月28日]]の小欄は筆を起こしている。<br />
<br />
末尾は「占領よ、さようなら」の言葉で締めくくった。独立という、戦後の新しいステージへの静かな高揚が伝わってくる<br />
<br />
▼サンフランシスコ平和条約が発効したその日、日本は主権を回復した。同時に沖縄、奄美、小笠原は本土から切り離された。沖縄ではその後20年にわたって米軍統治が続くことになる。「屈辱の日」として記憶されてきたゆえんである<br />
<br />
▼平和条約をめぐって、国論を分かつ議論が起きたのはよく知られる。東西の両陣営と講和するか、米国など西側だけとの講和か、である。世論は沸騰した。しかし「日本」とは本土だけを指し、沖縄は忘れられていた<br />
<br />
▼それから61年、「主権回復の日」の式典なるものを政府が初めて行うそうだ。沖縄から反発の声が上がったのは当然だろう。復帰後も基地は集中し、治外法権的な地位協定は残る。今なお「占領よ、さようなら」と言えずにいる人は少なくあるまい<br />
<br />
▼「日本には長い占領期間があったことも知らない人が増えている」と安倍首相は言う。その通りだろうが、4・28は沖縄などを「質草」にしての主権回復だった。沖縄では日の丸も自由に掲げられなかった<br />
<br />
▼安倍さんの祖父の岸信介氏らは条約発効に伴って公職追放が解かれている。それはともかく、沖縄への想像力を持たずしてこの日は語れない。万歳三唱で終わるなら、やる意味もない。 <br />
<br />
末尾近くの、「安倍さんの祖父の岸信介氏らは条約発効に伴って公職追放が解かれている。それはともかく、」唐突なこの一節は何だろうか。この流れでこんな話を持ち出す必要があるのだろうか。<br />
<br />
いや、筆者の意図はわかる。<br />
<br />
安倍晋三が[[岸信介]]の孫であることを改めて思い起こさせること。その岸信介は[[A級戦犯]]容疑者として拘束され、釈放された後も主権回復までは公職追放されていたことをも思い起こさせること。まるで祖父の公職追放解除を祝いたいのだろうと言わんばかりだ。<br />
<br />
こんな下衆な文章を大新聞の1面コラムに載せていいのか。「天声人語書き写しノート」なるものも販売されているというのに。あるいは、こんな下衆な文章が書けないと大新聞の論説委員は務まらないのか。<br />
<br />
同じ日の夕刊のコラム「窓 論説委員室から」は[[川戸和史]]が「満州国と安倍バブル」と題して次のように述べている。<br />
<br />
〔前略〕東大教授の安富歩さんは、バブル経済と満州事変などの戦争が似ていると指摘してきた。「安倍バブル」に1980年代のバブルの熱気はないが、今の閉塞感はむしろ事変の当時により近いかもしれない。安富さんに聞いた。<br />
<br />
「社会の倫理が崩壊して暴走の歯止めを失うプロセスはバブルも戦争も同じなのです。過ちを犯さないためには、政治家が本質的な問題は何かを国民に率直に訴え、ごまかさずに正面から取り組むことです。しかし、往々にして政治家は話をすり替えて国民に安易な逃げ道を示し、大失敗する。満州国は新興財閥を動員して大陸に王道楽土を建設すると、良いことずくめの話でしたが、結果は破滅的な損失でした」 <br />
<br />
満州国を取り仕切った一人が安倍晋三首相の祖父、岸信介元首相であったことはさておき、アベノミクスも一歩間違えば政府の誘導と民間の依存心の悪循環を生む危うさが漂う。<br />
<br />
「既得権益を破って成長産業を育てるという真の課題から逃げ、脱デフレの期待をあおるのでは、逆に問題を悪化させます」と安富さん。<br />
<br />
気をつけよう、王道楽土の甘い期待は高くつく。祖父が取り仕切った満洲国は破滅したから、「安倍バブル」もわが国を破滅させるおそれがあると言わんばかりである。<br />
<br />
満洲国が破滅したのは必ずしもその構想自体が誤っていたからではなく、もっと別の要因によるものだと思うが。<br />
<br />
朝日には、安倍首相と戦中・戦後の歴史をセットで語る時には、必ず岸信介に触れなければならないという決まりでもあるのか。<br />
<br />
しかも、「それはともかく」「であったことはさておき」と、あたかも本筋ではなく、ただちょっと触れてみただけという逃げの姿勢がまたいやらしい。<br />
<br />
こういうことを言うと、いや安倍は自ら岸の孫であることをウリにしているのだから、岸の負の面も継承すべきであるといった反論があるのだが、私はそれはおかしいと思う。<br />
<br />
本人が自分の出自や祖先を語るのはよい。自分にまつわることであり、その発言の責任は自分がとればよいのだから。しかし、他人が、ある人の出自を、その人を批判する材料として用いるのはよくない。何故なら、人は親を選べない。先祖が行ったことは本人の責任ではない。その人の責任ではないことで、その人を批判するべきではないと思うからだ。<br />
<br />
公人が、出自はもちろん、家族や学歴、職歴、趣味嗜好、交友関係など、ある程度プライバシーをさらけ出さなければならないのは仕方ない。それがその人物を判断する材料に成り得るからだ。<br />
<br />
しかし、本人のあずかり知らないことや、本人ではどうにもならないことを、本人を批判する材料として用いるのはよくない。それは、アンフェアだからだ。<br />
<br />
安倍晋三が岸信介の孫であること。岸信介が満洲国を取り仕切ったこと。A級戦犯容疑者として拘束され、釈放後も主権回復まで公職追放されていたこと。<br />
<br />
これらはいずれも安倍本人にはどうしようもないことである。その人自身ではどうしようもないことを、その人を批判する材料として用いるべきではない。<br />
<br />
主権回復の日に疑問を呈すのに岸信介に触れる必要はないし、満洲国と「安倍バブル」を論じるにしても岸信介に触れる必要はない。上で引用した2記事は、いずれも岸信介の箇所がなくても成立するものだ。それを敢えて触れるというのは、それによって安倍政権にマイナスのイメージを与えようという意図があるからにほかならないだろう。<br />
<br />
公人の出自をもって、公人本人を批判する人に対しては、ではその批判者自身の出自はどうなのかと問いたい。批判者自身の先祖はどうなのか。戦中・戦後はどう過ごしたのか。一族郎党はどのような人物なのか。<br />
<br />
そうした点を明らかにしないまま、立場上プライバシーを明らかにせざるを得ない公人の出自をもって、その公人を批判するとすれば、それはフェアとは言えないのではないか。暗闇から石を投げるようなものではないか。<br />
<br />
半年ほど前に、朝日新聞社の子会社が発行する雑誌が、「出自を根拠に人格を否定するという誤った考えを基調とし、人間の主体的尊厳性を見失っている」記事を載せて問題となり、朝日新聞社自身も「前例のない深刻な事態として、非常に重く受け止めています。差別を許さず、人権を守ることは朝日新聞社の基本姿勢であり、」「この基本姿勢を当社内にも改めて徹底する」と述べているのだが、どうも全く懲りていないように見受けられる。<br />
<br />
=== 金子議員の天ぷら擁護ツイートに朝日新聞・上丸洋一「お前それ凍え死んだ人の前で言えんの?」 ===<br />
金子洋一・民主党参議院議員「天ぷらくらい、文句を言わずに食べさせてやれよ!総理が牛丼食べてちゃおかしいだろ!」<br />
<br />
金子参議院議員のツイートだが、[[上丸洋一]]・朝日新聞編集委員はこのツイートに対して <br />
<br />
“@Y_Kaneko: 天ぷらくらい、文句を言わずに食べさせてやれよ!総理が牛丼食べてちゃおかしいだろ!”<br/><br />
→あなたは、この言葉を、雪の中で身動きもならず凍え死んでいった人たちに語れますか?問題は言うまでもなく、天ぷらではなくて、首相の国民に向き合う姿勢なのです。<br />
<br />
とメンションを飛ばしていた。 <br />
<br />
上丸氏は[[2月16日]]に <br />
<br />
[[福島第一原発]]の事故発生後、現場や東電本店に乗り込んだ菅首相(当時)を事故拡大の元凶であるかのように、この時とばかりに非難した[[読売]]、[[産経]]。大雪で深刻な被害が出ているのに、赤坂で天ぷらを食べていた[[安倍首相]]を両紙はどう書くのか。批判するのか、弁護するのか、それとも知らんぷりか。<br />
<br />
とツイートを行いネット上で話題になっていた。上記ツイートには <br />
<br />
「これは驚いた。菅直人の視察が事態に悪影響を及ぼさなかったと本気で思ってるんですか?イデオロギーのために常識をねじ曲げるのはやめましょう。まずは事故調の目的を理解することです。」と返信が寄せられるなどして菅元首相の原発直後の視察への非難が起っていた。<br />
<br />
また、先のツイートには <br />
<br />
「死者に憑依して自分の立場の絶対性を確立する、実に朝日らしい、そして古臭い主張。」<br/><br />
「私の祖父の代はお前らに人殺しの強姦魔呼ばわりされたままですが。」 <br />
<br />
といったようなコメントが寄せられている。<br />
<br />
==== ネット反応 ====<br />
* 首相の仕事はこれだけじゃないだろ<br />
* 何で凍死した人と天麩羅無理矢理つなげようとするんだよ?本当にマスゴミは麻生の時から変わらねえなあ・・・鳩ポッポの時は無視だったけどw <br />
* すげーな典型的な逆差別アタックだわ <br />
* 亡くなった人が「天ぷらなんか食ってんじゃねー」と言ったんか <br />
* 朝日新聞に関係のある奴の食ったもののリスト新聞に載せろや <br />
* 「災害の時は被災者の立場を考え、天ぷらを食べてはいけません」朝日新聞 上丸洋一 <br />
* 死人が出たら俺が死者の代弁者だって。アホかよ。こいつこそ死者を冒涜してんだよ <br />
* 批判のためなら死者であろうと利用。相変わらずクズっぷり <br />
* 凍え死んだ人からしたら天ぷら食ってる人もツイッターやってる人も同じじゃねえの?批判できるのはあの日現地入りして救助活動した人だけだ<br />
* 天ぷら食わなくても死んでいたと思いますが <br />
* でもこの新聞社は国民を飢え死にさせてる指導者がいる民族が大好きなんだよね <br />
* 亡くなった人も最期の最期で朝日にダシにされてさぞかし無念だろう。 <br />
* 首相が一緒に凍え死ぬ以外何してても叩かれそう <br />
* そんなことになっても危機管理がなってないとか言って死んだ後も叩かれるわ<br />
<br />
=== 日韓の緊密化で古代史解明を ===<br />
朝日新聞2013年02月22日(金)朝刊「声」欄より <br />
<br />
無職 大田正(三重県明和町・67歳)<br />
<br />
日韓関係が悪化したことで、日韓の歴史に興味が以前より増した。<br />
<br />
そこで日本書紀現代語訳を読み、さらにインターネットでも古代日韓関係の事項を調べてみると、両国の関係が兄弟のように親密なものであったことがよくわかった。 <br />
<br />
私はこれらの史実がより明らかになれば、邪馬台国論争の決着も夢ではないと思ってきた。<br />
<br />
ただ問題は宮内庁の管理下にある天皇を中心にした陵墓の発掘が認められず、客観的物証がはなはだ手薄なことである。 <br />
<br />
日本書紀の応神天皇、継体天皇、欽明天皇の項を見ると、百済・新羅その他名前の知らない朝鮮の古国名や人名、事件などこれが日本の歴史書かと驚かされるほど記述されている。<br />
<br />
これは当時の倭・百済・新羅の関係が密であったことを如実に表している。 <br />
<br />
東アジアの発展と平和の一助にするためにも、大和朝廷に関係する墳墓の学術的研究に、国が積極的に貢献することを願う。 <br />
<br />
=== 朝日新聞2013年08月07日(水)朝刊「声」欄より ===<br />
隣国を思いやる度量見せる時 無職 村上博彦(愛知県 77) <br />
<br />
8月15日。安倍政権の[[稲田朋美]]行革相はいち早くその日に靖国神社参拝の意向を固め、首相官邸の了承を得たという。稲田氏はその理由を、「自分の国のために命を捧げた人に対し、感謝と敬意、追悼の意を表すことは主権国家として許されるべきだ」と述べた。ほかにも安倍内閣の閣僚の参拝が予想されるが、韓国や中国などの苦悩を思いやる自省はないのか。 <br />
<br />
ソウルであったサッカー東アジア杯の日韓戦で、「歴史を忘れる民族に未来はない」という横断幕が観客席に掲げられた問題について、[[菅義偉]][[官房長官]]は「極めて遺憾」と述べ、日本サッカー協会は主催の東アジア連盟に抗議文を送った。<br />
<br />
さらに[[下村博文]][[文部科学相]]は、「その国の民度が問われると思う」とまで述べた。そこには、日本の応援団が韓国にとっては植民地支配の屈辱となる巨大な旭日旗をスタンドに掲げたことへの自省はない。これでは不信を増すばかりとなろう。 <br />
<br />
[[日本国憲法]]は、前文に普遍的な政治道徳の法則として「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」とうたう。中韓との関係改善のために、日本は屈辱を受けた相手を思いやり、その法則を進んで実行する度量を見せる時ではないか。 <br />
<br />
[http://atamaga.jp/whitepage/index.php/25/14/45.html]<br />
<br />
=== 「お隣とけんかしつつ客を呼ぶ?中韓は喜んで来るか。で、それでも靖国に行くか」 ===<br />
朝日新聞 夕刊1面 「素粒子」(9月9日)<br />
<br />
<pre><br />
浮かれてばかりはいられない。<br />
7年間で片付ける宿題が山積み。<br />
汚染水。そんなに胸張って大丈夫か、安倍首相。<br />
<br />
お隣とけんかしつつ客を呼ぶ?<br />
中韓は喜んで来るか、気持ちよく迎えられるのか。<br />
で、それでも靖国に行くか。<br />
<br />
よもや仮設が残っているなんてことは。<br />
被災地で一緒に楽しめるか。<br />
そして首都直下を抑えこむ。これは神頼み<br />
</pre><br />
<br />
=== 靖国問題―なぜ火種をまくのか(2013年4月) ===<br />
近隣諸国との関係改善が必要なときに、[[安倍政権]]はいったい何をしているのか。<br />
<br />
[[麻生副総理]]・財務相ら3閣僚が、春季例大祭に合わせて[[靖国神社]]を参拝した。安倍首相は参拝を控えたが、神前に捧げる供え物「真榊」を奉納した。<br />
<br />
これに反発して、[[韓国]]は今週末に予定していた尹炳世外相の訪日を取りやめた。[[中国]]外務省も日本に「厳正な申し立て」をしたと発表した。<br />
<br />
[[菅官房長官]]は会見で「影響を外交に及ぼすべきではない」と語った。だが、靖国参拝は歴史認識に関わる問題であり、両国の反発は当然、予想されたはずである。<br />
<br />
日本外交にとって、いま最も優先すべき課題のひとつは、核・ミサイル問題で挑発を強める[[北朝鮮]]に日中韓が結束して当たることだろう。韓国外相の来日もその調整の一環だった。<br />
<br />
たしかに、日本と中韓両国とは[[尖閣]]や[[竹島問題]]をめぐって緊張が続いている。中国の監視船が尖閣周辺の日本領海を侵犯するなどの行為に対して、抗議するのは当然だ。<br />
<br />
同時に、首相自身が「大局的な観点から関係を進める」と語ったように、粘り強く関係修復をはかる。そうした微妙な時期である。それを、靖国問題でことを荒立てるのでは、方向が逆ではないか。<br />
<br />
きのうの国会では、過去の植民地支配と侵略へのおわびと反省を表明した[[村山談話]]について「安倍内閣として、そのまま継承しているわけではない」と述べた。高い支持率で、緊張感が薄れているのではないか。閣僚の言動も含め、自制を求めたい。<br />
<br />
=== 【靖国参拝】朝日新聞がついに激怒!「日本はいったい、何を考えているのか。隣国の神経を逆なでする行動が流行のように政治家に広がることを憂慮せざるを得ない」 ===<br />
靖国問題―政治家は大局観を持て<br />
<br />
日本はいったい、何を考えているのか。この国の為政者全体の国際感覚が、そう疑われても仕方がない。 <br />
<br />
安倍政権の3閣僚に続いて、与野党の国会議員がきのう、大挙して靖国神社を参拝した。 <br />
<br />
「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」によると、その数168人。人数の把握を始めた[[1987年]]以降で最多という。政府や党の要職にある議員たちも多く加わった。国会議員の参拝数は、昨年の同じ時期と比べると、一気に倍増した。 <br />
<br />
隣国の神経を逆なでする行動が流行のように政治家に広がることを憂慮せざるを得ない。 <br />
<br />
参拝問題をめぐる日韓の摩擦の再燃について、米国務省の報道官も「対話で違いを乗り越えてほしい」と苦言を呈した。 <br />
<br />
[[自民党]]の[[高市早苗]]政調会長は「外交問題になる方が絶対おかしい」と語ったが、それはあまりにも独りよがりの発想だ。 <br />
<br />
外交とは、国同士の相互関係で紡ぐものであり、一方が問題ないと片づけることはできない機微にふれる問題なのである。歴史問題をめぐる政治家らの思慮を欠く対応は、私たち日本自身の国益を損ねている。<br />
<br />
北朝鮮に対する日米韓のスクラムでは、日韓のパイプが目づまりしてきた。さらに歴史問題がこじれれば、軍事情報の交換をめぐる懸案の協定も結べず、チームワークは進まない。<br />
<br />
日中韓をめぐっては、自由貿易協定論議が遠のくだけではない。日本を置いて、韓国は中国への傾斜を強めている。 <br />
<br />
来月に外遊を始める朴槿恵(パククネ)大統領はまず米国を訪れ、その次は日本ではなく中国を考えている。歴代政権で異例のことだ。 <br />
<br />
北東アジアの多国間外交において、日本の孤立を招きかねない事態を、安倍首相はじめ政治家はどう考えているのか。 <br />
<br />
首相が立て直したと自負している米国との関係も誤解してはならない。 <br />
<br />
オバマ政権は従軍慰安婦問題をめぐる「河野談話」の見直しや、尖閣諸島問題をめぐる不用意な言動を控えるよう安倍政権に警告してきた。 <br />
<br />
国内の一部の感情を優先して近隣外交を揺らすような日本の姿は、米国にとっても信頼に足る同盟国とは言えない。 <br />
<br />
だからこそ安倍首相は2月の訪米時に、アジアとの関係を重んじる決意を誓ったのではなかったか。 <br />
<br />
「地域の栄えゆく国々と歩みをともにしてゆくため、より一層の責任を負う」と。 <br />
<br />
何よりも肝要なのは、中国、韓国との信頼関係づくりに歩を進めることだ。国を思うなら真の大局観を失ってはならない。<br />
<br />
=== 小野寺防衛相は「日本の右傾化は誤解」と言うなら、安保問題は中国・韓国の了承を得よ ===<br />
「日本の右傾化を指摘する声や、国際秩序への挑戦を試みているという批判もある。まったくの誤解だ」 <br />
<br />
小野寺防衛相がシンガポールで開かれたアジア安全保障会議の講演で、そう語った。 <br />
<br />
安倍政権の歴史認識や外交姿勢をめぐり、国内外から疑念が突きつけられている。やむにやまれず、この機に反論し、局面の転換をこころみたのだろう。だが、防衛相が国際会議でこんな弁明をしなければならないのは尋常ではない。 <br />
<br />
そもそも安倍首相がとなえる「戦後レジームからの脱却」ははっきり説明されていない。歴史の見直しを含む動きがあれば、戦後秩序への挑戦と受けとられても仕方あるまい。 <br />
<br />
慰安婦問題をめぐる日本維新の会共同代表の橋下徹氏の一連の発言も、海外では、安倍政権下での日本の問題として見られているのが実情だ。 <br />
<br />
小野寺氏は講演で「野党の一党首が不適切な発言を繰り返した。そのような発言や歴史認識にくみしない」と述べたが、他人ごとで済ます話ではない。歴史認識をめぐっては、首相自身の発言が不信を招いた。<br />
<br />
閣僚らが靖国神社を参拝したことで中国と韓国が反発すると、「どんな脅かしにも屈しない」と言い切った。植民地支配と侵略へのおわびと反省を示した村山談話について「そのまま継承しているわけではない」と発言。批判を浴びると、継承の明言に転じた。 <br />
<br />
歴史をめぐる安倍政権の「価値観」とは何か、どこに向かうのか。その見えにくさが「右傾化」批判を招く一因だろう。歴史発言に始まる負の連鎖の果てに、近隣国とのつき合いを損ねてしまう。そんな安倍外交の不手際には、首相がもっとも重んじる同盟相手の米国からも困惑の声が寄せられている。 <br />
<br />
各国の懸念を「誤解」と弁明するならば、行動でみせるしかない。とくに中国、韓国との冷えた関係を解きほぐし、建設的な対話につなげる糸口にしてもらいたい。 <br />
<br />
小野寺氏は、防衛費の増額などについて「地域の安定へ、より能動的、創造的な貢献を目的としたものだ」と説明した。<br />
<br />
ならば、海洋、宇宙、サイバー空間のルールづくりといった21世紀型の安保問題への取り組みも、隣国と積極的に論議してはどうか。 <br />
<br />
後ろ向きの弁明から脱却し、アジアの安定への道筋を率直に提案する新しい日本の姿を見せる。それが「軍国化日本」の否定にもつながるだろう。<br />
<br />
=== 解釈変更を「暴挙」と報じる朝日と東京。感情論、見透かされる扇動 ===<br />
[[安倍内閣]]による[[集団的自衛権]]の行使容認をめぐる議論で目立ったのは、これに反対するメディアの感情的で恣意的な報道ぶりだった。2014年7月2日付の在京各紙の社説を見ると、朝日新聞と東京新聞が今回の閣議決定について、それぞれ次のように「暴挙」と断じていた。<br />
<br />
「この暴挙を超えて」(朝日)「9条破棄に等しい暴挙」(東京)<br />
<br />
この中で朝日は「[[民主主義]]が、こうもあっさり踏みにじられるものか」と嘆き、東京は「憲政史上に汚点を残す暴挙だ」と決めつけた。ともに、行使容認には憲法改正が必要だとの立場を取っている。<br />
<br />
だが、[[憲法9条]]に関する政府解釈は、国際情勢の変化に伴い変遷してきたのが事実だ。<br />
<br />
例えば、[[吉田茂]]首相(当時)は[[昭和21年]]6月、国会で「自衛権発動としての戦争も交戦権も放棄した」と答弁している。その後、[[昭和29年]]7月に[[自衛隊]]が創設され、同年12月には[[大村清一]]防衛庁長官(同)が国会で「国土を防衛する手段として武力を行使することは、憲法に違反しない」と述べ、政府解釈を大きく転換した。もちろん、別に憲法は改正されていない。<br />
<br />
両紙は2013年12月、[[特定秘密保護法]]が成立した際の社説でも「憲法を骨抜きにする愚挙」(朝日)「民主主義を取り戻せ」(東京)と厳しい論調で政権を非難していた。<br />
<br />
とはいえ、こうした国民の不安と危機感をあおり、世論を動かして自社の主張に政府を従わせようという手法は、もう見透かされているのではないか。<br />
<br />
朝日は[[第1次安倍内閣]]時代の[[平成18年]]12月に、[[改正教育基本法]]と防衛庁「省」昇格法が成立したときの社説「『戦後』がまた変わった」ではこう記した。<br />
<br />
「長く続いてきた戦後の体制が変わる。日本はこの先、どこへ行くのだろうか」「戦後日本が変わる転換点だった。後悔とともに、そう振り返ることにならなければいいのだが」<br />
<br />
東京もこのときの社説「行く先は未来か過去か」で朝日とそっくりな論調でこう訴えていた。<br />
<br />
「悔いを残す思い出としないために、時代と教育に関心をもち続けたい」<br />
<br />
まるで教育基本法改正で日本が暗黒社会に向かうか、戦前に回帰するかのような書きぶりだが、現実は当然のことながらそうはならなかった。そして同様の根拠の薄い感情論を、特定秘密保護法のときも今回の集団的自衛権をめぐっても繰り返しているのだ。<br />
<br />
集団的自衛権に関しては、両紙はこんな手法も駆使している。6月24日、[[安倍晋三]]首相と[[フィリピン]]のアキノ大統領が会談した際のことだ。アキノ氏は共同記者会見で、日本の憲法解釈の見直し方針についてこう歓迎の意向を表明した。<br />
<br />
「日本政府が能力を持って他者を救援することになることは必ずやメリットのあることだ。特に集団的自衛権という分野においてはそうではないか」<br />
<br />
「それに対して警戒の念を抱くことは、私どもは全く思っていない」<br />
<br />
[[産経新聞]]、[[読売新聞]]、[[毎日新聞]]、[[日経新聞]]は翌25日付朝刊で、アキノ氏の行使容認支持について濃淡はあっても報じている。<br />
<br />
ところが、朝日は「安全保障面で日比両国の連携を強化していくことで一致」とは書いたものの、アキノ氏の行使容認支持については触れていない。東京には日比首脳会談の記事自体が見当たらなかった。社論に都合が悪いので省いたとみられても仕方あるまい。<br />
<br />
「日米同盟はこれまでと次元の異なる領域に入る。そのうち中国も『日本ともちゃんとうまくやりたい』と頭を下げてくるだろう」<br />
<br />
今回の[[閣議決定]]を受け、ある[[外務省]]幹部はこう指摘した。主義・主張は各紙の自由だが、朝日、東京両紙ではこういう見解はまず読めない。<br />
<br />
=== 【世論操作】集団的自衛権、行動容認反対63%・・・ 実は中国・韓国での調査だった ===<br />
集団的自衛権、行使容認反対63%に増 朝日新聞調査 2014年4月6日<br />
<br />
http://www.asahi.com/articles/ASG3L72L6G3LUZPS007.html<br />
<br />
[[安倍政権]]が[[集団的自衛権]]の行使容認に向けた姿勢を強めるなか、朝日新聞社は憲法に関する全国郵送世論調査を行い、有権者の意識を探った。それによると、集団的自衛権について「行使できない立場を維持する」が昨年の調査の56%から63%に増え、「行使できるようにする」の29%を大きく上回った。憲法9条を「変えない方がよい」も増えるなど、平和志向がのきなみ高まっている。<br />
<br />
安倍内閣支持層や自民支持層でも「行使できない立場を維持する」が5割強で多数を占めている。<br />
<br />
安倍晋三首相は政府による憲法解釈の変更で行使容認に踏み切ろうとしているが、行使容認層でも「憲法を変えなければならない」の56%が「政府の解釈を変更するだけでよい」の40%より多かった。首相に同意する人は回答者全体で12%しかいないことになる。<br />
<br />
_________<br />
<br />
(ここからは登録した者しか閲覧不可能)(そして登録して見てみると・・・最後にこんな一文が)<br />
<br />
調査は日本と中国で2~3月、韓国で2月に行い、中国調査は主要5都市で実施した。有効回答は日本2045件、中国1千人、韓国1009人。<br />
<br />
(回答の半分が中国と韓国での物です)(しかし目次にも、未登録で見られるページにも、その事は一切書かれていません)<br />
<br />
=== 朝日新聞「中国と韓国の機嫌を損ねるな!」 ===<br />
集団的自衛権行使容認の閣議決定([[2014年]][[7月1日]])を受け、2日付新聞各紙には大見出しが躍った。<br />
<br />
なかでも[[産経新聞]]は「『積極的平和』へ大転換」という大見出しでその歴史的意義を強調。中見出しで「今後50年日本は安全だ」という首相発言を掲げた。対照的に[[朝日新聞]]は1面で「9条崩す解釈改憲」、2面で「ねじ曲げられた憲法解釈」、3面で「危険はらむ軍事優先」という見出しを打ち、日本が戦争に巻き込まれる危険性を警告した。<br />
<br />
産経は集団的自衛権行使容認によって戦後日本の国の守りがあるべき国家の姿に近づいたと評価。政治家も国民も共に考え、日本がより主体性をもって判断すべき時代を迎えたという。朝日は戦後日本が築いてきた民主主義が踏みにじられるとの懸念を示した。この政権の暴挙をはね返すには国会論戦だけでなく、メディアを含めた草の根の異議申し立てが必要だとした。<br />
<br />
こうした両紙論調のコントラストはこれが初めてではない。[[慰安婦問題]]の「[[河野談話]]」を検証した政府報告書(2014年6月20日公表)でも顕著だ。<br />
<br />
産経は河野談話が「日韓合作」だったという特ダネをすでに報じていただけに「根拠のない談話により日本の名誉は著しく傷つけられている。談話は破棄、撤回を含め見直さなければならない」と断じた。一方、朝日はもともとこの問題の火元であるせいか、元慰安婦たちの救済を重視すると同時に、韓国政府の猛反発を懸念。「もう談話に疑義をはさむのはやめるべきだ」と幕引きを主張している。<br />
<br />
集団的自衛権や河野談話について両紙の論調に違いがあることは別に問題ではない。それぞれ社の方針に沿った主張があっていい。その違いが安倍晋三首相の政治信条や国家観に対する評価の違い、ないしは日米同盟、日中韓関係に対する評価の違いに起因していることは間違いない。<br />
<br />
保守を自任する産経がナショナリストと評される安倍首相の肩を持ち、中国の東アジア地域での急台頭を牽制する日米同盟強化を支持するのは当然だ。逆にリベラルを自任する朝日が安倍首相の「戦後レジームの転換」を批判、どちらかといえば反米、親中に傾くのも不思議ではない。両紙論調が併存していることはむしろ日本の言論界の健全性を物語るともいえよう。<br />
<br />
いま日本の言論界に求められているのはその健全性よりも平和国家日本のビジョンを語ることだ。歴史の教訓を踏まえ過去の過ちを繰り返すことなく未来志向の展望を切り開くことだ。戦争の危険性をいくら論じたところで戦争は防げない。戦争をいかにして防ぐか。その知恵を絞るのに保守もリベラルもない。<br />
<br />
=== 道徳教材の『日本人としての自覚』『我が国を愛し発展に努める』といった記述。食事中に砂粒をかんだような感じがする ===<br />
★天声人語 <br />
<br />
世の中にたえて花粉のなかりせば、とつぶやく。列島が黄や赤の花粉情報に染まっていくのを見ると、かゆい目がますますむずがゆい。アレルギーと呼ばれるこの症状、何かを「異物」として排除する免疫の過剰な働きらしい<br />
<br />
▼いわばけんかである。迷惑だが、花粉も免疫もそれぞれ大切な役目があって、両成敗ともいかない。どうか仲良く、と願いつつ、このほど公開された道徳教材を開くと、「ともだちとなかよく」。低学年用の本にあった<br />
<br />
▼いじめ防止が狙いの一つで、来月、全国の小中学生が手にする。共に生きる大切さを教え、命の尊重を説く。異論はない。ただ「日本人としての自覚」「我が国を愛し発展に努める」といった記述に、ふと立ち止まる。食事中に砂粒をかんだような感じがする<br />
<br />
=== 猛然と走って逃げた朝日新聞「慰安婦」記者(2014年1月) ===<br />
東京都知事選だが、早くも趨勢は決したようだ。『[[週刊新潮]]』のタイトルが「勝者は一目瞭然の『世論調査』生データ公開」。<br />
<br />
[[自民党]]、[[民主党]]、ある通信社と新聞社、どの世論調査でも[[舛添要一]]候補がダブルスコアで優勢との結果が出ているという。一例を挙げると自民党が1月25、26日に行った3回目の調査。舛添氏が41ポイント、細川氏は17ポイントだった。一向にその差は詰まりそうにない。<br />
<br />
[[細川護煕]]候補の“即原発ゼロ”に関して[[京大]]大学院の[[佐伯啓思]]教授はこう斬って捨てる。「あれは一種の非現実的な理想主義」「細川さんが落選すれば、それは安倍政権にとって、敵がオウンゴールしたようなものです。夏にも行なわれる原発再稼働に向けて、この都知事選の結果が後押ししてくれるのではないでしょうか」<br />
<br />
やっぱり、殿は“御乱心”だったと言うべきだろう(この場合の“殿”は[[小泉純一郎]]元総理も含む)。<br />
<br />
このところ精力的に[[韓国]]批判を続けている『[[週刊文春]]』はワイド型式で「韓国の『暗部』を撃て!」。なかでも注目は「“[[慰安婦]]捏造”朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に」。<br />
<br />
日本軍による慰安婦強制連行があったとする一連の記事を書いた[[植村隆]]記者が今年3月で朝日を早期退社、神戸松蔭女子学院大学の教授になるのだという。<br />
<br />
「大学で研究活動に入る前に自らの誤報について検証すべきではないか」「記者だったら、自分が書いた記事ぐらいきちんと説明してもらえませんか」<br />
<br />
文春記者の呼びかけに、その男は五十過ぎとは思えないほどの勢いで猛然と走り出し、タクシーに乗って逃げたという。こんな記者が、女子大でいったい何を教えることやら。<br />
<br />
'''当事者も否定した「日本軍連行」報道、日本外交歪めた元朝日記者は今も沈黙'''<br/><br />
[[平成4年]][[1月16日]]からの首相、[[宮沢喜一]]の韓国訪問直前のことだった。<br />
<br />
「朝日新聞が、慰安婦問題で政府の関与を示す資料を[[中央大]]教授、[[吉見義明]]が発見したと報じたことで、政府内は蜂の巣をつついたような大騒ぎとなった」<br />
<br />
慰安婦募集の強制性を認めた翌5年8月の[[官房長官]]、[[河野洋平]]の談話作成に関わった内閣外政審議室の元幹部はこう振り返る。そして「一連の流れをみると意図的な動きを感じる」と付け加えた。一連の流れとは、次のようなものだ。<br />
<br />
[[平成3年]]12月に、韓国の民間団体「太平洋戦争犠牲者遺族会」を母体とし、弁護士の[[高木健一]]、[[福島瑞穂]]([[社民党]]前党首)らが弁護人となって韓国人元慰安婦、金学順らが日本政府を相手取り損害賠償訴訟を起こす。<br />
<br />
朝日新聞はそれに先立つ同年8月11日付朝刊の[[植村隆]]の署名記事「元朝鮮人慰安婦 戦後半世紀重い口を開く」で、こう書いていた。<br />
<br />
「日中戦争や第二次大戦の際、『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり、(中略)体験をひた隠しにしてきた彼女らの重い口が、戦後半世紀近く経って、やっと開き始めた」<br />
<br />
大きな反響を呼んだ記事ではこの女性は匿名となっているが、実は[[金学順]]だった。金が女子挺身隊の名で連行された事実はない。裁判の訴状で金は「[[キーセン]](朝鮮半島の芸妓・娼婦)学校に3年通った後、養父に連れられて中国に渡った」と述べている。<br />
<br />
記者会見やインタビューでは「母に40円でキーセンに売られた」とも語っており、植村の記事は歪曲だといえる。その上、植村は[[太平洋戦争]]犠牲者遺族会の幹部の娘婿でもあった。<br />
<br />
そして冒頭の外政審議室元幹部の証言通り、朝日は宮沢訪韓5日前の4年1月11日付朝刊1面トップで、次の6本もの見出しを立てた特大記事を掲載する。<br />
<br />
「慰安所 軍関与示す資料」「防衛庁図書館に旧日本軍の通達・日誌」「部隊に設置指示」「募集含め統制・監督」「『民間任せ』政府見解揺らぐ」「参謀長名で、次官印も」<br />
<br />
記事本文とは別に「多くは朝鮮人女性」という解説記事もあり、「約八割が朝鮮人女性だったといわれる」「主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した」「人数は8万とも20万ともいわれる」と、いずれも事実と異なる根拠不明の説明を加えている。<br />
<br />
だが、吉見が発見したという「軍慰安所従業婦等募集に関する件」という文書は実際には「軍の威信を傷つけかつ一般市民の誤解を招くおそれあるもの」「不統制に募集し社会問題を惹起する恐れあるもの」「募集の方法、誘拐に類し警察当局に検挙取り調べ受けるもの」など、悪質な業者には気をつけろという通達だ。<br />
<br />
少なくとも、強制連行とは何の関係もない。現代史家の[[秦郁彦]]は「もともと明らかになっていた文書で、朝日の記事が出る2週間ほど前に会った吉見は『近々この資料が朝日で出る』と言っていた。朝日は宮沢訪韓のタイミングを狙ったのだろう」と振り返る。<br />
<br />
宮沢内閣は事実関係の確認・検証より事態の沈静化を優先させた。官房長官、[[加藤紘一]]は2日後の13日の記者会見で「事実を厳粛に受け止めたい」「このような過ちを決して繰り返してはいけない」と謝罪談話を発表した。<br />
<br />
16日に訪韓した宮沢は大統領、[[盧泰愚]]との会談で「肝に銘じている」「衷心よりおわびし、反省したい」と8回にわたり謝罪し、慰安婦問題の調査と真相究明を約束した。<br />
<br />
まず「謝罪ありき」であり、この姿勢が河野談話へとつながっていく。植村が現在勤務する[[札幌市]]内の[[北星学園大学]]に取材を申し込んだが回答はなかった。<br />
<br />
朝日新聞広報部は「一連の記事は今もなお正しい報道だと認識するか」との質問に対し、次のような回答を寄せた。<br />
<br />
「従軍慰安婦問題は最初から明確な全体像が判明したという性格の問題ではありません。お尋ねの記事は、そのような全体像が明らかになっていく過程のものです。当社はその後の報道の中で、全体像を伝える努力を続けています」<br />
<br />
「全体像」が何を指すかは不明だが、慰安婦問題は朝日があおりたてた結果、国際問題化したことに変わりはない。なかでも朝日が作り上げた“事実”を利用したのが北朝鮮だった。<br />
<br />
'''元朝日ソウル特派員「日本人が無理やり娘をさらったら暴動が起きましたよ」'''<br/><br />
慰安婦問題が過熱した1990年代初め、朝日新聞ソウル特派員として[[前川惠司]](現在は退社しジャーナリスト)は、韓国内で元慰安婦らに取材した。日本にいたときも「韓国・[[済州島]]で奴隷狩りをした」との虚偽の強制連行証言をし、朝日が繰り返し取り上げてきた[[吉田清治]]とも会った。<br />
<br />
「確か80年に川崎支局で『韓国・朝鮮人』という続き物をやっていたころ、吉田が『自分の話を聞いてほしい』と支局に電話をかけてきた。彼の自宅に行って3、4時間ぐらい話を聞いたが、(核心部分の)済州島の話はまったくでなかった。尋ねるたびに話のつじつまが合わなくなるので結局、多くは書かなかった」<br />
<br />
こう語る前川は、元韓国人慰安婦にインタビューし、「女子挺身隊」の名で慰安婦が戦場に連行されたと、事実をねじ曲げて伝えた朝日新聞[[平成3年]][[8月11日]]付朝刊の[[植村隆]](2014年3月退社、北星学園大学講師)の署名記事についても首をひねる。<br />
<br />
「『勘違いしているな』と直感し、すぐに訂正がでるだろうと思った」<br />
<br />
挺身隊が慰安婦と異なるのは、少しでも戦時下の日本について調べればすぐ分かる常識だったからだ。<br />
<br />
前川はこの4月、ソウル時代に元慰安婦を取材したエピソードを「戦場の慰安婦哀譚昨今」(亜細亜大学アジア研究所所報第154号)と題したエッセーにつづった。そこから浮かび上がるのは、元慰安婦の女性らが支援団体らの主義主張に「利用」されているという一面だ。<br />
<br />
エッセーには、前川のこんな忘れられない光景が記されている。<br />
<br />
[[1993年]]11月、当時の首相、[[細川護煕]]と韓国大統領、[[金泳三]]による首脳会談が韓国の慶州で行われたときのことだ。元慰安婦を支援する韓国の団体が、元慰安婦ら十数人を中心としたデモを展開した。<br />
<br />
厳しい寒さの中、元慰安婦らは、薄い生地の白いチマジョゴリで、傘もささず雨の中を歩かされていた。時折、デモの指導者のかけ声に合わせ、「日本は補償しろ」と叫んではいたものの、顔面は蒼白だった。前川が「おばあさんたちが風邪をひいてしまう」と案じていると、その目の前で1人が倒れてしまった。<br />
<br />
「これが[[人権屋|人権団体]]のやることか」<br />
<br />
前川は憤りを禁じ得なかった。ほかにも、こんなエピソードが記されている。<br />
<br />
別の集会では、元慰安婦らは「『今度、[[国連]]に訴えたので、もらえるお金もうんと増えるといわれたの。本当かしら』と、嬉しそうに顔をくしゃくしゃにし、金を得たら、これを買う、あれを買うと皮算用を膨らませていた」。<br />
<br />
前川が当時韓国で、元軍人、大学教授から友人の母親まで、つてを総動員して60歳以上の人々に「日本兵や日本の警察官に無理やり連れていかれた娘がいたか。そんな噂を聞いたことがあるか」と尋ねて回っても「ある」とうなずいた人は皆無だった。逆にある人は「無理やり娘を日本人がさらったりしたら、暴動が起きましたよ」と言った。<br />
<br />
「あのころのおばあさんたちは、苦しい生活のなかで、名乗り出ればお金がもらえるんだと、単純に考えていた印象です。素朴なおばあさんたちでしたから」<br />
<br />
こう振り返る前川は、少女の慰安婦像まで用いて「元慰安婦イコール性奴隷」との表現が盛んになされている現状に大きな違和感を抱いている。<br />
<br />
「そこまで朝鮮半島の女性を侮辱する言葉が、[[李朝時代]]を含めてあっただろうか。自分たちの民族の女性が公然と『性奴隷』と貶められて、侮辱を感じないのだろうか」<br />
<br />
前川は疑問を投げかけ、エッセーをこう結んだ。<br />
<br />
「あちこちに従軍慰安婦像を建てようとしている人たちが、本当に貶めているのは誰なのか、気になってならない」<br />
<br />
'''「済州島で連行」吉田氏の証言。裏付け得られず虚偽と朝日が判断(2014年8月)'''<br/><br />
〈疑問〉日本の[[植民地]]だった朝鮮で戦争中、慰安婦にするため女性を暴力を使って無理やり連れ出したと著書や集会で証言した男性がいました。 朝日新聞は80年代から90年代初めに記事で男性を取り上げましたが、証言は虚偽という指摘があります。 <br />
<br />
慰安婦問題を考える <br />
<br />
男性は[[吉田清治]]氏。著書などでは日雇い労働者らを統制する組織である山口県労務報国会下関支部で動員部長をしていたと語っていた。 朝日新聞は吉田氏について確認できただけで16回、記事にした。初掲載は[[1982年]][[9月2日]]の大阪本社版朝刊社会面。<br />
<br />
大阪市内での講演内容として「[[済州島]]で200人の若い朝鮮人女性を『狩り出した』」と報じた。執筆した大阪社会部の記者(66)は「講演での話の内容は具体的かつ詳細で全く疑わなかった」と話す。<br />
<br />
1990年代初め、'''他の新聞社も'''集会などで証言する吉田氏を記事で取り上げていた。<br />
<br />
[[1992年]][[4月30日]]、[[産経新聞]]は朝刊で、[[秦郁彦]]氏による済州島での調査結果を元に証言に疑問を投げかける記事を掲載。週刊誌も「『創作』の疑い」と報じ始めた。 東京社会部の記者(53)は産経新聞の記事の掲載直後、デスクの指示で吉田氏に会い、裏付けのための関係者の紹介やデータ提供を要請したが拒まれた。<br />
<br />
[[1997年]][[3月31日]]の特集記事のための取材の際、吉田氏は東京社会部記者(57)との面会を拒否。虚偽ではないかという報道があることを電話で問うと「体験をそのまま書いた」と答えた。済州島でも取材し裏付けは得られなかったが、吉田氏の証言が虚偽だという確証がなかったため、「真偽は確認できない」と表記した。その後、朝日新聞は吉田氏を取り上げていない。<br />
<br />
しかし、[[自民党]]の[[安倍晋三]]総裁が[[2012年]]11月の日本記者クラブ主催の党首討論会で「朝日新聞の誤報による吉田清治という詐欺師のような男がつくった本がまるで事実かのように日本中に伝わって問題が大きくなった」と発言。一部の新聞や雑誌が朝日新聞批判を繰り返している。 <br />
<br />
今年4~5月、済州島内で70代後半~90代の計約40人に話を聞いたが、強制連行したという吉田氏の記述を裏付ける証言は得られなかった。<br />
<br />
干し魚の製造工場から数十人の女性を連れ去ったとされる北西部の町。魚を扱う工場は村で一つしかなく、経営に携わった地元男性(故人)の息子は「作っていたのは缶詰のみ。父から女性従業員が連れ去られたという話は聞いたことがない」と語った。<br />
<br />
「かやぶき」と記された工場の屋根は、韓国の当時の水産事業を研究する[[立命館大]]の河原典史教授(歴史地理学)が入手した当時の様子を記録した映像資料によると、トタンぶきとかわらぶきだった。[[1993年]]6月に、吉田氏の著書をもとに済州島を調べたという韓国挺身隊研究所元研究員の姜貞淑(カンジョンスク)さんは「数カ所でそれぞれ数人の老人から話を聞いたが、記述にあるような証言は出なかった」と語った。<br />
<br />
吉田氏は著書で、[[1943年]]5月に西部軍の動員命令で済州島に行き、その命令書の中身を記したものが妻(故人)の日記に残っていると書いていた。しかし、今回、吉田氏の長男(64)に取材したところ、妻は日記をつけていなかったことがわかった。吉田氏は[[2000年]]7月に死去したという。<br />
<br />
吉田氏は[[1993年]]5月、[[吉見義明]]・[[中央大]]教授らと面会した際、「(強制連行した)日時や場所を変えた場合もある」と説明した上、 <br />
動員命令書を写した日記の提示も拒んだといい、吉見氏は「証言としては使えないと確認するしかなかった」と指摘している。<br />
<br />
戦時中の[[朝鮮半島]]の動員に詳しい[[外村大]]・[[東京大]]准教授は、吉田氏が所属していたという労務報国会は[[厚生省]]と[[内務省]]の指示で作られた組織だとし、「指揮系統からして軍が動員命令を出すことも、職員が直接朝鮮に出向くことも考えづらい」と話す。<br />
<br />
吉田氏はまた、強制連行したとする[[1943年]]5月当時、済州島は「陸軍部隊本部」が「軍政を敷いていた」と説明していた。この点について、[[永井和]]・[[京都大]]教授(日本近現代史)は旧陸軍の資料から、済州島に陸軍の大部隊が集結するのは[[1945年]]4月以降だと指摘。「記述内容は事実とは考えられない」と話した。<br />
<br />
■読者のみなさまへ<br />
<br />
吉田氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します。<br />
<br />
当時、虚偽の証言を見抜けませんでした。済州島を再取材しましたが、証言を裏付ける話は得られませんでした。研究者への取材でも証言の核心部分についての矛盾がいくつも明らかになりました。<br />
<br />
'''門田隆将・従軍慰安婦「記事取り消し」でも開き直った朝日新聞'''<br/><br />
本日(8月5日)紙面で朝日新聞が、突如、従軍慰安婦の大特集を組んだ。しかし、まるで子どものようなひとりよがりの記事に、私は絶句してしまった。“僕だけじゃないもん!”――そんな駄々っ子のような理屈に、言葉を失った読者は多いのではないだろうか。<br />
<br />
「この記事は、本当に朝日が従軍慰安婦報道を反省し、撤回したものなのか」。私は、本日の朝日新聞の大特集を読みすすめながら、そう思った。「これは、逆に火に油をそそぐものかもしれない」と。<br />
<br />
従軍慰安婦問題とは、朝日新聞が一貫して報じてきた「強制連行問題」にある。あの貧困の時代、さまざまな事情で、春を鬻(ひさ)ぐ商売についていた薄幸な女性たちが数多く存在した。そういう商売が「公娼制度」として現に認められていた、今とは全く異なる時代のことである。<br />
<br />
彼女たちは当時の兵士の給料の30倍という「月収300圓」を保証されて慰安婦となった女性たちである。新聞に大々的に業者による「慰安婦募集」の広告が打たれ、その末に集まった女性たちだ。なかには親に売り飛ばされた女性もいただろう。彼女たちの不幸な身の上には、大いに同情しなければならないと思う。<br />
<br />
だが、これが、無理やり日本軍、あるいは日本の[[官憲]]によって「強制連行された」となれば、まったく様相は異なる。それを主張してきたのが、ほかならぬ朝日新聞である。<br />
<br />
「強制連行」とは、すなわち、従軍慰安婦たちは日本によって「拉致」「監禁」「強姦」された被害者だった、という意味である。意思に反して連行されたのなら「拉致」であり、無理やり慰安所に閉じ込められたのなら「監禁」であり、望まない性交渉を強いられたのなら、それは「強姦」であるからだ。<br />
<br />
現在、韓国が主張し、世界中に広まっている日本による「従軍慰安婦=性奴隷(sex slaves)」という論拠は、まさにそこにある。その結果、今や世界各地に日本糾弾のための「慰安婦像」が建ち、さまざまな議会で日本非難の決議がなされ、日本の若者の国際進出に対する大きな「障壁」となっているのは、周知の通りだ。<br />
<br />
言いかえれば、韓国と歩を一にして、「日本を貶めつづけた」存在が朝日新聞にほかならない。私はそのことに対して、どの程度の真摯な反省が記述されているのか、今日の記事を読みすすめた。まず第1面に〈編集担当 [[杉浦信之]]〉という署名で書かれた〈慰安婦問題の本質 直視を〉と冠する記事には、こう書かれている。<br />
<br />
〈私たちは元慰安婦の証言や数少ない資料をもとに記事を書き続けました。そうして報じた記事の一部に、事実関係の誤りがあったことが分かりました。問題の全体像がわからない段階で起きた誤りですが、裏付け取材が不十分だった点は反省します〉<br />
<br />
私は、これは朝日新聞が真摯な反省をするのかと思い、期待した。しかし、それはすぐに失望に転じた。それは、次のくだりである。信じられない朝日独特の論理がそこには展開されていた。<br />
<br />
〈似たような誤りは当時、国内の他のメディアや韓国メディアの記事にもありました。こうした一部の不正確な報道が、慰安婦問題の理解を混乱させている、との指摘もあります。しかし、そのことを理由とした「慰安婦問題は捏造」という主張や「元慰安婦に謝る理由はない」といった議論には決して同意できません。<br />
<br />
被害者を「売春婦」などとおとしめることで自国の名誉を守ろうとする一部の論調が、日韓両国のナショナリズムを刺激し、問題をこじらせる原因を作っているからです。見たくない過去から目を背け、感情的対立をあおる内向きの言論が広がっていることを危惧します。<br />
<br />
戦時中、日本軍兵士らの性の相手を強いられた女性がいた事実を消すことはできません。慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質なのです〉<br />
<br />
「えっ?それはないだろう」。<br />
<br />
この言い分を読んで納得する人がどれだけいるだろうか。ここにこそ、朝日新聞特有の巧妙な論理の“すりかえ”がある。<br />
<br />
彼女たちが薄幸な女性たちであることは、もとより当然のことである。貧困のために、心ならずも身を売らなければならなかった不幸な女性たちに、今も多くの人々が同情している。私もその一人だ。<br />
<br />
しかし、朝日新聞は、彼女たちが自分たちの意思に反して無理やり「日本軍や日本の官憲」によって、「戦場に連行」された存在だった、としてきたのである。だからこそ、日本は「拉致」「監禁」「強姦」国家である、という汚名を着せられているのだ。<br />
<br />
その根拠なき「強制連行」報道を反省すべき朝日新聞が、〈「慰安婦問題は捏造」という主張や「元慰安婦に謝る理由はない」といった議論には決して同意できません〉と、改めて主張したのである。<br />
<br />
これは、一部勢力の過激な「従軍慰安婦論」を持ち出すことによって、自分自身を“善”なる立場に持ち上げて「擁護」し、自らの「正当性」を訴えているのだ。これは一体、何なのだろうか。<br />
<br />
さらに、この記事は、問題の本質をこう捻じ曲げている。〈戦時中、日本軍兵士らの性の相手を強いられた女性がいた事実を消すことはできません。慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質なのです〉<br />
<br />
この手前勝手な論理に、私は言葉を失ってしまった。〈問題の本質〉とは、朝日新聞が“虚偽の証言者”を引っ張ってくることによって、歴史の真実を捻じ曲げ、従軍慰安婦のありもしない「強制連行問題」をつくり上げたことではなかったのだろうか。<br />
<br />
そして、そのことによって、日本人が将来にわたって拭い難い汚名を着させられ、国際社会で「性奴隷を弄んだ日本人」として、謂われなき糾弾を受けていることではないのだろうか。<br />
<br />
私が、「こんなひどい論理が許されるのだろうか」と思う所以である。私は記事を読みすすめた。1面で開き直りの宣言をおこなった朝日新聞は、今度は16面、17面をブチ抜いて、〈慰安婦問題 どう伝えたか 読者の疑問に答えます〉という記事を掲げている。<br />
<br />
ここでは、5つの事象で、読者に対して「説明」をおこなっている。しかし、その5つの説明は、どれも納得しがたい論理が展開されている。特に驚くのは、肝心の「強制連行」に関するものだ。そこには、こう書かれている。<br />
<br />
〈読者のみなさまへ 日本の植民地だった朝鮮や台湾では、軍の意向を受けた業者が「良い仕事がある」などとだまして多くの女性を集めることができ、軍などが組織的に人さらいのように連行した資料は見つかっていません。一方、[[インドネシア]]など日本軍の占領下にあった地域では、軍が現地の女性を無理やり連行したことを示す資料が確認されています。共通するのは、女性たちが本人の意に反して慰安婦にされる強制性があったことです〉<br />
<br />
すなわち〈軍などが組織的に人さらいのように連行した資料は見つかっていません〉と、このことでの誤りを認めたのかと思ったら、〈軍の意向を受けた業者が「良い仕事がある」などとだまして多くの女性を集めること〉ができた、さらに〈インドネシアなど日本軍の占領下にあった地域では、軍が現地の女性を無理やり連行したことを示す資料が確認されています〉と、逆に「強制連行はあった」という立場を鮮明にしたのである。<br />
<br />
ここでいう〈インドネシア〉の事例というのは、[[スマラン]]という場所で起きた日本軍によるオランダ女性に対する事件である。「強姦罪」等で首謀者が死刑になった恥ずべき性犯罪だが、この特定の犯罪をわざわざ持ち出してきて、これを朝日新聞は強制連行の“実例”としたわけである。<br />
<br />
まさに開き直りである。結局、読みすすめていくと、朝日新聞は、韓国・済州島で「慰安婦狩りをした」という衝撃的な告白をおこなった自称・元山口県労務報国会下関支部動員部長、吉田清治氏の発言を繰り返し報道したことに対してだけ〈虚偽だと判断し、記事を取り消します〉としたのである。<br />
<br />
また、戦時中の勤労奉仕団体である「女子挺身隊」を、まったく関係のない慰安婦と混同して、記事を掲載したことに関しては、〈当時は、慰安婦問題に関する研究が進んでおらず、記者が参考にした資料などにも慰安婦と挺身隊の混同がみられたことから、誤用しました〉と言い訳しながら、しぶしぶ間違いを認めている。<br />
<br />
驚くのは、この検証記事のなかで、ほかの新聞も吉田清治氏の証言を取り上げていたと、わざわざ各新聞社の名前を挙げて、各紙の広報部のコメントまで掲載していることだ。まるで、“(悪いのは)僕だけじゃないもん!”と、駄々っ子がゴネているような理屈なのである。<br />
<br />
さらに、朝日新聞は、元韓国人慰安婦、金学順氏の証言記事を書き、〈『女子挺身隊』の名で戦場に連行〉と、実際の金氏の経験とは異なった記事を書いた[[植村隆]]記者に関しては〈意図的な事実のねじ曲げなどはありません〉と擁護している。<br />
<br />
記事を書いた植村記者の妻が韓国人で、義母は当時の慰安婦訴訟の原告団幹部だったことは、今では広く知られている。そのことに対して、朝日はこう弁明しているのだ。<br />
<br />
〈91年8月の記事の取材のきっかけは、当時のソウル支局長からの情報提供でした。義母との縁戚関係を利用して特別な情報を得たことはありませんでした〉<br />
<br />
ソウル支局長の情報提供によって、大阪からわざわざ植村記者が「ソウルに飛んだ」ということを信じる人が果たしてどれだけいるのだろうか。情報提供したのが〈ソウル支局長〉なら、なぜ本人か、あるいはソウル支局の部下たちが金学順氏を取材し、記事を執筆しないのだろうか。大阪から、わざわざ“海外出張”までさせて、取材・執筆させる理由はどこにあったのだろうか。<br />
<br />
さらに言えば、植村記者は、なぜ金学順氏が妓生([[キーセン]])に売られていた話など、自らが主張したい「強制連行」に反する内容は書かなかったのだろうか。<br />
<br />
私は、朝日新聞の今回の従軍慰安婦の検証記事は、完全に“開き直り”であり、今後も肝心要の従軍慰安婦の「強制連行」問題では「一歩も引かない」という宣言であると思う。<br />
<br />
つまり、朝日新聞は、「日本が慰安婦を強制連行した」ということについては、まったく「譲っていない」のである。今日の記事で、従軍慰安婦問題が新たな段階に入ったことは間違いない。しかし、それは朝日新聞の“新たな闘い”の始まりに違いない。<br />
<br />
すなわち、どう検証しても「虚偽証言」が動かない吉田清治氏についての記事は「撤回する」が、そのほかでは「闘う」ということにほかならない。<br />
<br />
私は、不思議に思うことがある。<br />
<br />
それは、「朝日新聞は、どうしてここまで必死になって日本人を貶めたいのか」ということだ。<br />
<br />
歴史の真実を書くことはジャーナリズムの重要な使命であり、役割だ。しかし、朝日新聞は、「真実」が重要なのではなく、どんなことがあっても「日本は悪いんだ」と主張しつづけることの方が「根本にある」ような気がしてならない。<br />
<br />
なぜ、事実を捻じ曲げてまで、朝日新聞はそこまで「日本人を貶めたい」のだろうか。私はそのことが不思議だし、そんな新聞を今も多くの日本人がありがたく購読していることもまた、不思議でならない。<br />
<br />
従軍慰安婦問題で肝心要の「強制連行」を撤回しなかった朝日新聞――日本を貶めたいこのメディアへの風当たりは「一部記事の撤回」によって、今後、ますます激しくなっていくだろう。<br />
<br />
=== また問題のすり替えとごまかしか 朝日、再度の慰安婦特集記事(2014年8月) ===<br />
朝日新聞は28日付朝刊記事で、「[[河野談話]]、吉田証言に依拠せず」との見出しを取り、河野談話が作成されるに至ったことと、自社が執拗に吉田清治氏の「強制連行証言」を取り上げ、国内外に広めたこととは無関係だと印象付けようとしているようだ。その根拠の一つとして、朝日新聞は今回、こう指摘している。<br />
<br />
「(河野談話は)吉田氏が言うような『強制連行』ではなく、女性たちが自由意思を奪われた『強制性』を問題とした」<br />
<br />
朝日新聞は、5日付の特集記事でも「([[平成5年]]8月の談話発表時に)読売、毎日、産経の各紙は、河野談話は『強制連行』を認めたと報じたが、朝日新聞は『強制連行』を使わなかった」と主張した。だが、そこには朝日新聞が触れなかった点が隠されている。<br />
<br />
河野談話の主役である[[河野洋平]][[官房長官]](当時)が、談話発表の記者会見で「強制連行があったという認識なのか」と問われ、こう答えている部分だ。<br />
<br />
「そういう事実があったと。結構です」<br />
<br />
この河野氏自身が強制連行を認めたという事実は、朝日新聞の2度にわたる慰安婦特集記事からは抜け落ちている。政府が今年6月20日に公表した河野談話の作成過程を検証した報告書でも、河野発言は1章を設けて特記されているにもかかわらずだ。<br />
<br />
つまり、河野氏自身は強制連行があったことを前提に河野談話を主導したのだろう。その河野氏の認識に、朝日新聞のおびただしい慰安婦強制連行に関する報道が影響を及ぼさなかったとどうしていえよう。<br />
<br />
朝日新聞は、[[平成6年]]1月25日付朝刊の創刊115周年記念特集記事では「政治動かした調査報道」と題し、こう書いていた。<br />
<br />
「(慰安婦問題など)戦後補償問題に、朝日新聞の通信網は精力的に取り組み、その実像を発掘してきた」「(3年に)韓国から名乗り出た元慰安婦三人が個人補償を求めて東京地裁に提訴すると、その証言を詳しく紹介した。年明けには宮沢(喜一)首相(当時)が韓国を訪問して公式に謝罪し、国連人権委員会が取り上げるに至る」<br />
<br />
河野談話につながる一連の政治の動きに、自社が大きく関与してきたことを誇らしげに宣言している。<br />
<br />
また、朝日新聞は今回、「韓国、元慰安婦証言を重視」との見出しも取り、現役の韓国政府関係者と韓国元外交官の匿名証言をもとに、吉田証言と韓国での慰安婦問題の過熱はかかわりがないと言わんとしている。<br />
<br />
だが、韓国政府が[[1992年]](平成4年)7月に発表した「日帝下の軍隊慰安婦実態調査中間報告書」で、慰安婦動員の実態について「奴隷狩りのように連行」と書いた際の証拠資料とされたのは、吉田氏の著書であり吉田証言だった。<br />
<br />
朝日新聞の28日付特集の主見出しは「慰安婦問題 核心は変わらず」とある。<br />
<br />
5日付記事と照らし合わせると、大事なのは女性の人権の問題だと言いたいのだろう。とはいえ、この論理も、自社が積み重ねた誤報や歪曲報道を枝葉末節の問題へとすり替えたいのだと読み取れる。<br />
<br />
=== 慰安婦に関する嘘だらけの報道をタレ流し続けた朝日新聞。謝罪の言葉一つない、その傲慢体質に、愛想を尽かす人たちが続出 ===<br />
朝日新聞の罪と罰 [[川村二郎]](元「[[週刊朝日]]」編集長)×[[河内孝]](元[[毎日新聞]]常務) <br />
<br />
慰安婦に関する嘘だらけの報道をタレ流し続けた朝日新聞。国際社会における日本の信用を傷つけた罪は限りなく重いが、謝罪の言葉一つない。その傲慢体質に、愛想を尽かす人たちが続出している。 <br />
<br />
河内<br />
:8月5日付の朝日新聞による慰安婦報道の検証記事が、メディア界のみならず、全国民を巻き込んで大きな議論を呼んでいます。[[1980年代]]から[[1990年代]]にかけて、朝日新聞は「日本軍が強制的に慰安婦を狩り集めた」という内容の報道を行ってきました。<br />
:しかしその後、証言を行った[[吉田清治]]氏が話を作っていたことが判明しました。最初の誤報から30年以上もたった今になって、朝日は吉田証言に関する記事を誤報だと認めて、取り消すことになったのです。<br />
<br />
川村<br />
:朝日は最近になって他メディアからの追及が厳しくなって追いつめられ、詰め腹を切らされたという形でしょう。いかにもあわてて訂正しましたという感じで、みっともないですね。<br />
:とくに編集担当役員の[[杉浦信之]]氏が一面に書いた文章は読むに堪えませんでした。回りくどい自己弁護ばかりで、なにが言いたいのかさっぱり頭に入ってこない。こんなに歯切れの悪い文章を「記者の頭領」が書いてはいけません。<br />
<br />
河内<br />
:検証報道が出て数日して、新聞社のOBたちが集まる日比谷の日本記者クラブに行きました。すると年配の元記者たちが次から次へとやってきて、朝日の記事のコピーを取っていくんです。<br />
:それだけ業界関係者の関心が高く、話題になっているということがわかりましたが、もう一つ明らかになったことは「朝日新聞を自宅で取っている人がそれだけ少ない」ということですね……。<br />
<br />
川村<br />
:今回の記事が出てから、支局や販売店にまで抗議の電話がかかってきている。本社には[[右翼]]の[[街宣車]]が来るというので、ガードマンを増員したり、築地署に来てもらったりしている。さっさと謝ればすむことです。<br />
<br />
河内<br />
:今のタイミングで、検証に踏み切ったのは、経営判断もあると思う。朝日が深刻な部数減少に直面していることとも関係があるのでしょう。朝日の公称発行部数は760万部ですが、ここ十数年ずっと右肩下がりで、毎年のように10万部単位で部数を落としている。<br />
:慰安婦報道の問題を放置していると、朝日バッシングが過熱し、不買運動が広がる可能性もあった。それを懸念して、この時点で慰安婦問題とケリをつけようとしたのでしょう。 <br />
<br />
川村<br />
:しかし、これではとてもケリをつけられたとはいえないでしょう。[[東大]]出のエリートが中心の朝日は、ケンカの作法をわかっていませんね。<br />
:今回の検証記事は、吉田証言の他に、[[1991年]]に[[植村隆]]記者が書いた従軍慰安婦のインタビュー記事についても取り上げていますが、こちらについては「捏造はなかった」の一点張りです。<br />
:しかし今、自分がデスクの立場になったと想像してこの記事を読んでみると、明らかに取材不足の内容です。<br />
:取材が充分でなく、それが原因で反論や批判が寄せられたなら、取るべき態度は二つでしょう。徹底的に論戦をくり広げるか、潔く誤りを認めて謝罪するかです。<br />
:ところが朝日は、ひたすら嵐が去るのをやり過ごそうと逃げ回っている感じです。挙げ句の果てに「朝日以外の新聞も吉田証言を取り上げていました」などと、他紙にも責任を負わせようとしている。他も書いたから、自社の罪が軽くなるといわんばかりです。 <br />
:朝日は「慰安婦を雇ったのは日本だけではない」と発言した[[橋下徹]]・大阪市長を批判しましたが、同じ穴のムジナですよ。 <br />
<br />
河内<br />
:[[リベラル]]であることを自任している朝日は、すぐに「女性の人権」とか「戦争の悲惨さ」といった言葉を持ち出してきます。しかし、事の本質は「嘘つきの話を信じて、間違った記事を書いてしまった」という一点に尽きるんです。<br />
:朝日新聞は[[1989年]]に、[[サンゴ写真捏造事件]]というのを起こしています。朝日のカメラマンが自分で沖縄のサンゴに傷をつけて写真を撮り、日本人のモラル低下を嘆く内容の記事を書いたという事件で、当時の[[一柳東一郎]]社長は引責辞任に追い込まれました。<br />
:慰安婦報道は間違った歴史認識を日本人や韓国人をはじめ世界中の人々に植え付けて、いまなお続く不毛な反日運動を勢いづかせたという意味で、サンゴ事件よりずっと深刻な問題です。[[木村伊量]]社長の進退にかかわる話に発展してもおかしくありません。<br />
<br />
川村<br />
:私が「週刊朝日」の編集長を辞め、編集委員として朝日新聞に戻ったのは、ちょうど[[ベルリンの壁]]が崩壊した後で、左がかった編集委員たちが小難しい顔をして、「なぜ[[共産主義]]は敗北したのか」「冷戦後のジャーナリズムの役割とはなにか?」なんて大真面目に議論をしていた。<br />
:しかし、本当のジャーナリズムというのは、現場に行って、当事者や関係者の話を聞いて事実を集めることでしょう。[[イデオロギー]]が先に立って、それに合わせて取材して記事を書いているようでは、リベラルでもなんでもありませんよ。<br />
:私はリベラリズムとは「是々非々主義」だと思っています。思想信条や社会的立場のちがいを越えて、いいものはいい、悪いものは悪いと言うのが本当のリベラリズムです。今の朝日にはこういう気風が消えかけています。<br />
<br />
河内<br />
:戦後、「一億総ざんげ」をして再出発した日本人にとっては、「非核」と「非戦」というのが大きなアイデンティティになってきました。 <br />
:しかし、それは[[アメリカ]]の核の傘に守られている状況下での平和主義であり、根本的な矛盾がありました。そのようなねじれた非戦思想に寄り添ってきたのが朝日新聞なのかもしれません。<br />
:いずれにしてもアジアの融和を説く朝日の過失が、結果として日韓両国において偏狭な[[ナショナリズム]]を増長させることになってしまった。まさに皮肉としかいいようがありません。<br />
<br />
=== [[池田信夫]]「朝日新聞のねらいは『慰安婦』ではなく『国家賠償』だった」 ===<br />
朝日新聞の誤報事件を解明する上で重要なのは、なぜ彼らがこんなマイナーな数十人の(真偽も疑わしい)紛争に30年以上もこだわってきたのかという疑問だ。この口火を切ったのが、[[清田治史]]記者の書いた[[1982年]]9月の記事だ。<br />
<br />
[[朝鮮人]]男性の抵抗に備えるため、完全武装の日本兵十人が同行した。集落を見つけると、まず兵士が包囲する。続いて吉田さんの部下九人が一斉に突入する。若い女性の手をねじあげ路地にひきずり出す。こうして女性たちはつぎつぎにホロのついたトラックに押し込められた。連行の途中、兵士たちがホロの中に飛び込んで集団暴行した。<br />
<br />
ところが清田記者の[[1983年]]の記事では、慰安婦は消えている。彼の重点は、国家賠償にあった。当時は(男性の)強制連行が話題になり、韓国政府が日本政府に個人補償を要求していた。戦時中に日本に渡ってきた朝鮮人は100万人以上いたので、それにすべて個人補償すると巨額の費用が必要になる。<br />
<br />
国際法的には、賠償の問題は[[日韓基本条約]]で解決ずみだが、韓国政府は強制連行に「超法規的」な国家賠償を要求していた。その中では数十人の慰安婦はマイナーな問題だが、セックスがからむので男性の炭鉱労働より興味を引く。朝日はそれを利用して、韓国の「強制連行に個人補償しろ」という主張を応援したのだろう。<br />
<br />
[[高木健一]]・[[福島みずほ]]などの弁護士の目的も、個人補償の「1兆円訴訟」だった。法的には勝てる見込みはないが、弁護士手数料さえ <br />
取れればいいので、話をなるべく大きくして原告を増やすことが彼らの戦術だった。そのもくろみ通り、日本政府は1993年に河野談話を出し、アジア女性基金という「示談金」を出したが、これがかえって問題を長期化した。 <br />
<br />
このころまでに、産経などの報道で吉田証言が嘘だということがはっきりし、朝日は河野談話の記事では「強制連行」ではなく「強制」という言葉を使った。検証記事では、「東京社会部の記者(53)は[[産経新聞]]の記事の掲載直後、デスクの指示で吉田氏に会い、裏付けのための関係者の紹介やデータ提供を要請したが拒まれた」と書いている(この記者は[[市川速水]]報道局長だと思われる)。<br />
<br />
強制連行がないことがわかっても、朝日だけは「強制性」を根拠に国家賠償を求め続けた。彼らの目的は、政府から個人補償を取ろうとする[[梁順任]]などのたかり行為を応援することにあったからだ。もともと法的根拠はないのだから、強制連行だろうと強制だろうと、政府に責任が <br />
あればいい。 <br />
<br />
ところが、たかりの方便だった慰安婦問題だけがクローズアップされて韓国で「炎上」し、本丸だった(男性の)強制連行が吹っ飛んでしまった。数十人の慰安婦だけ金を取ってもしょうがないので、韓国側はアジア女性基金を拒否し、あくまでも国家賠償を求めた。この点で、日本政府が国家賠償を拒否したのは正解だった。朝日も清田氏が退職してからからは、国家賠償の主張を取り下げた。<br />
<br />
もともと国家賠償は国際法上も無理であり、日本は「示談」に応じたのだから、話は1993年で終わっている。それなのに国家賠償にこだわって撤退しなかったことが、朝日の最大の失敗だった。これは第一報を出した外報部の有力者、清田記者の利害がからんでいるものと思われる。 週刊文春の取材にも彼は答えないようだから、清田氏(もう朝日の社員ではない)を国会に喚問することが事態の解明に不可欠だ。<br />
<br />
=== 安倍首相「安倍政権打倒が朝日の社是だ」(2014年2月) ===<br />
「数カ月間行われてきた言辞が正しかったかどうか。3年後に自民党で検証していただければ極めて有意義だ」。<br />
<br />
[[安倍晋三]]首相は5日の[[参院予算委員会]]で、メディアの多くが[[特定秘密保護法]]への反対論を展開していることに強い不快感を示した。 <br />
<br />
[[自民党]]の[[脇雅史]]氏の質問に対し、首相は「飛んでいく(米海兵隊の新型輸送機)[[オスプレイ]]を[[写メール]]で撮り、友人に送ったら懲役5年という議論もあった」と指摘。<br />
<br />
「実際に誰かやって、そうなるか確かめてみたらいい。全くそんなことは起きない。言った人は責任を取っていただきたい」と発言した。<br />
<br />
さらに、朝日新聞の社名を挙げて「安倍政権打倒が朝日の社是だと聞いた。そういう新聞だと思って読んでいる」と言及した。<br />
<br />
=== 虐待担当の酔っ払い朝日記者が会見で県職員を“虐待”(2014年6月) ===<br />
虐待問題を取材していたはずなのに…。<br />
<br />
朝日新聞千葉総局の記者が、記者会見で大暴れしていた。5月20日に[[千葉県庁]]で行われた「千葉県社会福祉事業団問題等第三者検証委員会」の後に開かれた会見で、この記者は酔っ払った状態で出席。県職員に食って掛かるわ、机を叩くわなどして会見を台無しにした。その後、記者は謹慎したという。関係者は「虐待問題に関する会見で記者が県職員を“虐待”するなんて…」とあきれ、大騒ぎになっている。<br />
<br />
問題が起きたのは、千葉県庁で開かれた5月20日の同委員会終了後だった。会議が非公開ということもあり、午後10時20分ごろから内容を説明するための記者会見が設けられた。問題の県政担当の朝日記者は酒のにおいを漂わせながら会見場に現れ、同委員会の事務局の県職員を「無能!」と何度も繰り返して罵倒し始めたという。<br />
<br />
この記者は、ある程度の経験を積んだ50代ベテラン記者。そんな人が、県職員に向かって人格を否定するような暴言を吐くだけでなく、机を叩くなどして、会見をぶち壊してしまった。<br />
<br />
酔っ払いが会見に紛れ込んでいては、質疑応答どころではないだろう。事情を知る関係者は「会見までの待ち時間に酒を飲んでいたようです。泥酔していて、かなりしつこく県職員に絡んでいたといいます。まるで独演会のようだったとか」と明かす。<br />
<br />
もちろんこのままでは済まされない。朝日新聞社は事情を把握すると、この記者を取材現場から外し、謹慎させた。朝日関係者が県に謝罪に出向き、会見に出席していた他社にも事情を説明するなど対応に追われた。<br />
<br />
この一件で後味が悪いのは、虐待問題が関係していることだ。同検証委員会は、[[知的障害]]のある児童らが入所する「[[袖ヶ浦福祉センター]]」で起きた虐待事件の再発防止のために設置されていた。<br />
<br />
昨年、同センターに入所していた少年(19=当時)がセンター職員(当時)から虐待を受けて死亡。職員らは千葉県警に傷害致死の疑いで逮捕された。これまでの調査で、職員らが複数の入所者に対して日常的に虐待をしていたことが明らかになっている。千葉県は事件を重く受け止め、[[森田健作]]県知事が同センターを視察している。森田知事は「しっかり検証する必要がある」と決意を述べていた。同委員会も1月17日から会合を開き、今回は8回目だった。<br />
<br />
「虐待問題を取材する記者が県職員を“虐待”するなんて…と話題になっています」。確かにシャレにもなっていないだろう。<br />
<br />
千葉県庁広報担当者は「誰から聞いたんですか?会見の内容に関わることではありませんし、会見自体が私どもと記者クラブの共催になっています。そういう立場もあるので、コメントは控えさせてください」と話す。県はあくまで被害者だが、記者クラブとの関係から詳細を明かさない方針のようだ。<br />
<br />
一方、当の朝日新聞社の広報部は書面で「ご指摘の記者会見に当社の記者が出席し、不適切な発言などで会見の進行を妨げたのは事実です。関係者におわびするとともに、本人には厳重に注意しました。今後このようなことがないように記者教育の徹底に努めます」と事実関係を認めるコメントを出した。<br />
<br />
当の朝日記者は謹慎を経て、現在は関係者への謝罪回りをしているという。<br />
<br />
=== 朝日新聞「特許、無条件で会社のもの」という捏造・誤報記事を垂れ流す ===<br />
問題の記事:審議会当日の朝に速報で掲載され大量にリツイートされホットエントリーに(2014年9月4日)<br />
<br />
政府は、社員が仕事で発明した特許を「社員のもの」とする特許法の規定を改め、無条件で「会社のもの」とする方針を固めた。これまでは、十分な報償金を社員に支払うことを条件にする方向だったが、経済界の強い要望を踏まえ、こうした条件もなくす。企業に有利な制度に改まることになり、研究職の社員や労働団体は反発しそうだ。<br />
<br />
http://www.asahi.com/articles/ASG924QNWG92ULFA00K.html<br />
<br />
[[Image:朝日新聞の特許記事捏造1.png|thumb|400px|朝日新聞の特許記事捏造]]<br />
<br />
これ、誤報ですから。訂正がいつ出るか、存じませんが。<br />
<br />
日経は「条件付き」と。「無条件」とした朝日とはまったく逆。これ、日経が正しいというより、水曜の審議会を取材して書いてるということ。朝日は敢えて当日朝に観測記事を出し、誤報に終わった。功を焦ったか、誤った見通しで世論誘導を図ったか。 <br />
<br />
<br />
日経の記事 - 社員の発明、特許は企業に 産業界が報酬ルールに理解 <br />
<br />
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS03H1X_T00C14A9EE8000/<br />
<br />
<br />
昨日の職務発明に関する小委員会を傍聴。冒頭、事務局より、「朝日の記事は全く根拠ない」との説明。事務局からは、事務局案の提示はなく、具体的制度設計の過程で生じた新たな論点の説明のみ。<br />
<br />
[[Image:朝日新聞の特許記事捏造2.png|400px|thumb|朝日新聞の特許記事捏造]]<br />
[[Image:朝日新聞の特許記事捏造3.png|400px|thumb|朝日新聞の特許記事捏造]]<br />
[[Image:朝日新聞の特許記事捏造4.png|400px|thumb|朝日新聞の特許記事捏造]]<br />
<br />
'''ネットの反応'''<br/><br />
* 朝日を信じる奴はアホ、はっきりわかんだね<br />
* とにかく政権にダメージを与えたい朝日さんwww返す刀で自らに特大ダメージwwwwwwwww<br />
* 朝日の記事は基本嘘と思って間違いないな<br />
* [[虚構新聞]]よりたちわるいな<br />
* 朝日、まじでヤバいな。この捏造しかやらない新聞読んでる奴って頭おかしいんじゃないか?<br />
* 朝日新聞は捏造新聞に名前変えたほうがいいんでないの<br />
* そうか、またか。<br />
* 滅びるアカヒ<br />
* 呼吸をするみたいに嘘も吐くんだな、朝日新聞さんは。<br />
* 知る権利(真実とは言ってない)<br />
* まーた朝日か<br />
* ひどいな…日本捏造新聞に名称変更しろよ!<br />
* さっさと廃刊にしとけ<br />
* またお前か<br />
* うわぁ、相変わらずですな<br />
* いくらやんでも酷すぎ。もはやメディアとしての自覚や品位を感じない<br />
* なんで誰もいないところで自爆するんだろうね。この人達は……。傷ついてるのは自分だけっていう。<br />
* 32年後に訂正します<br />
* こういう嘘の報道した場合の罰則を作る必要があるんじゃね?朝日は報道の自由とかほざくんじゃねーぞ<br />
* 捏造は、朝日の社是!<br />
<br />
=== 朝日新聞が福島原発周辺の「手抜き除染」について自作自演で記事を書いていたことが発覚。新聞協会賞も受賞したスクープ記事が自作自演の捏造(2014年10月) ===<br />
[[Image:朝日新聞10.jpg|350px|thumb|自作自演の捏造記事]]<br />
「手抜き除染は自作自演」 朝日新聞スクープ記事で週刊新潮報道<br />
朝日新聞が平成25年度に新聞協会賞を受賞した福島第1原発周辺の「手抜き除染」の記事に「自作自演があった」と、8日発売の週刊新潮(10月16日号)が報じることが7日、分かった。<br />
<br />
新潮の記事では元除染作業員が実名で「証言」。元作業員は、朝日の記者からプレゼントされたICレコーダーを使い、現場監督から不法投棄の言質を取ったとしている。記者が元作業員に行ったインタビューでも、事前に記者が渡したメモを読むように指示されたという。<br />
<br />
さらに、新潮の記事によると、24年12月末に元作業員が環境省へ送った告発文は、実際は記者が指南して作成。記者が元作業員に実名を文書に書くよう求めるなどしたとしている。<br />
<br />
朝日新聞広報部は産経新聞の取材に対し、告発文については「(元作業員が)文書を出す以前から、自ら環境省に告発する電話をかけている。文書を出したのも(元作業員の)意思によるもの。文書は、記者が元作業員から頼まれ、話を聞きながらパソコンでまとめた」などと説明。その上で「週刊新潮の記事は事実に反しており、当社と記者の名誉と信用を著しく毀損(きそん)する内容のため、同誌に対し厳重に抗議した」とコメントした。<br />
<br />
=== 懲りない朝日新聞、「強制売春」という曖昧な言葉を使い始める(2014年10月) ===<br />
朝日新聞は慰安婦問題報道で自らの大誤報を認めた後も、相変わらず実態をゆがめる報道を続けている。 <br />
<br />
「日本軍による組織的な女性たちの強制連行」が虚構だったことを認めながらも、なおも論点を巧妙にずらして、「強制」を拡大し、自紙の大誤報を正当化しようとする姿勢が顕わである。反省の色はまったく見られないと言ってよい。<br />
<br />
朝日新聞のそんな歪曲報道の最近の実例が、10月5日朝刊の国際面に載った「『強制売春 何の疑いもない』」という見出しの記事だった。副見出しには「インドネシア売春婦 オランダ外相発言」と記されていた。ハーグ発の梅原季哉記者の記事である。<br />
<br />
この記事は以下のような記述から始まる。 <br />
<br />
「オランダのティマーマンス外相は3日、第2次世界大戦中に日本軍が占領した旧オランダ領東インド(現インドネシア)での慰安婦問題は、『強制売春そのものであることには何の疑いもない、というのが我々の立場だ』と発言し、慰安婦問題を巡る謝罪と反省を表明した河野談話について、見直しを求める日本国内の動きを牽制した。ハーグの同国外務省で、日本メディアを対象にした記者会見で発言した」<br />
<br />
この記述だけでも、これまでの焦点をずらし、ぼかしている点が2つある。まず、「強制売春」という用語の曖昧さである。<br />
<br />
これまでのいわゆる慰安婦問題での日本糾弾ではまず「強制売春」という言葉はほとんど使われることがなかった。核心はあくまで「強制連行」だった。「強制連行」と言えば、その主語は日本軍とされ、日本軍による組織的な女性の連行こそが日本の国家犯罪として糾弾されたのだ。それをこの記事は「強制売春」という、より定義の不明な、曖昧な言葉に入れ替えてしまった。<br />
<br />
第2は「強制売春」という言葉の主語が分からない点である。 <br />
<br />
売春を強制したのは日本軍なのか、それとも中間に入った民間の売春業者なのか。この記事ではオランダ外相がどう解釈しているのか不明である。問題の記事は次のように続く。 <br />
<br />
「ティマーマンス氏は『河野談話は、この問題に関する両国間の対話の良い前提となってきた。我々は、日本政府が河野談話を継承する意向であることを完全に支持する』と表明」<br />
<br />
「1994年1月に、オランダ政府が公文書館で調査した結果をふまえて当時の外相が出した強制性についての報告書を根拠に『自発的な売春行為などではない』と断言。『実際に経験したオランダ国民はその子孫にとっては、今なお痛みを伴うことであり、両国が高官級で接触する際には、常に提起されるということを理解してもらいたい』とも語り、終わった過去の歴史ではないことを強調した」 <br />
<br />
以上の記述は、これまた最大焦点の「強制連行」にはまったく触れていない。慰安婦問題の核心部分としてあれだけ強調し、非難してきた「強制連行」という点は消してしまっている。そしてもっぱら意味の不明な「強制売春」という言葉で「強制」だけを強調してみせるのである。<br />
<br />
=== 安倍首相「今日の朝日新聞ですね。そういう報道がありました。これは捏造です。」(2014年10月) ===<br />
[[夕刊フジ]]が29日に詳報した関連政治団体の不透明収支に批判が集まるなか、「政治とカネ」問題で政権を追及したところで、「説得力を欠く」(民主党中堅)のは避けられない。<br />
<br />
実際、枝野氏の「政治とカネ」に関する質問は、[[安倍首相]]に見事にかわされてしまった。<br />
<br />
枝野氏「首相が、近い議員に『誹謗中傷合戦は止めるべきだ』『撃ち方やめになればいい』と述べたと報道されている。事実関係をお答えください」<br />
<br />
安倍首相「今日の朝日新聞ですね。そういう報道がありました。これは捏造です。朝日新聞は安倍政権を倒すことを社是としている、と前主筆が語ったという。私に確認もないまま、言ってもいない発言が出ているので驚いた」<br />
<br />
閣僚の不祥事続出で逆風だった安倍首相だが、完全に戦闘モードに戻ったようだ。<br />
<br />
枝野氏は、政治資金問題が発覚した[[江渡聡徳]][[防衛相]]らに説明責任を果たすよう指示すべきだとも指摘したが、安倍首相は、枝野氏にも不透明収支があったことを挙げ、「予算委で言い合うのは生産的ではない。[[TPP]](環太平洋戦略的経済連携協定)や[[消費税]]などの課題に真摯に向き合っていくべきだ」と切り返した。<br />
<br />
=== とうとう韓国までが中国主導の投資銀行に参加へ。太平洋で独りぼっちの気分(2015年3月) ===<br />
「素粒子」―3月27日<br />
<br />
それではまるで9・11。担当の副操縦士によるハイジャックか。ドイツ機墜落。「意図的」の意図が腹に落ちず。 <br />
<br />
とうとう韓国までが。中国主導の投資銀行に参加へ。アジアの新事態がのみ込めず。太平洋で独りぼっちの気分。 <br />
<br />
「八紘一宇」も「我が軍」にしても。当の国会の反応の鈍さよ。このぶんではいずれお試し改憲も「まいっか」。<br />
<br />
=== 安倍首相はバンドン演説で「植民地支配・侵略・おわび」を絶対に言わなければならなかった(2015年4月) ===<br />
アジア・アフリカ会議(バンドン会議)60周年首脳会議での安倍首相のきのうの演説は、肩すかしに終わった。首相は、60年前に採択された「平和10原則」の一つである「侵略行為の抑制」を引用し、「この原則を、日本は先の大戦の深い反省とともに、いかなる時でも守り抜く国であろうと誓った」と述べるにとどめた。<br />
<br />
10年前の会議では、[[小泉首相]]が戦後50年の[[村山談話]]を踏襲し、「わが国はかつて植民地支配と侵略によって、アジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」と表明。この表現はそのまま戦後60年談話に生かされた。<br />
<br />
きのうの首相演説は、歴史認識の表明に主眼があったわけではない。ただ、10年前の経緯もあり、安倍氏が日本のかつての過ちにどのように触れるのか、来週の米議会での演説とともに注目を集めていた。<br />
<br />
首相は会議に発つ前夜のテレビで、村山談話について「引き継いでいくと言っている以上、もう一度書く必要はないだろう」と述べ、戦後70年の安倍談話には「植民地支配と侵略」「おわび」などは盛り込まないことを示唆した。きのうの演説はこれに沿った内容だ。<br />
<br />
この考えには同意できない。 <br />
<br />
「侵略の定義は定まっていない」といった言動から、首相は村山談話の歴史観を本心では否定したいのではと、アジアや欧米で疑念を持たれている。引き継いでいるからいいだろうとやり過ごせば、疑念は確信に変わるだろう。表立って批判されなくとも、国際社会における信頼や敬意は損なわれる。<br />
<br />
それがいったいだれの利益になるというのか。 <br />
<br />
一部の政治家が侵略を否定するような発言を繰り返すなか、村山談話は国際的に高く評価されてきた。その後のすべての首相が引き継ぎ、日本外交の基礎となった。率直に過去に向き合う姿勢が、「未来への土台」となったのだ。それをわざわざ崩す愚を犯す必要はない。<br />
<br />
首相はきのうの演説後、中国の[[習近平]]主席と5カ月ぶりに会談した。両国関係を発展させ、アジアや世界の安定と繁栄に貢献をしていくことで一致したという。歓迎すべき流れだ。<br />
<br />
そうであればなおさら、首相はごまかしのない態度で過去に向き合う必要がある。「植民地支配と侵略」「おわび」を避けては通れない。<br />
<br />
=== 反射的に安倍政権けなす「朝日」。偏見打破どころか、歪んだステレオタイプを拡散 ===<br />
「今朝の朝日新聞の1面記事を見たかい。わざわざ[[菅義偉]][[官房長官]]の名前を出してあおっていた。安全保障法制は危険だと印象付けるのが狙いだろう」<br />
<br />
政府高官は[[2015年]][[5月26日]]夜、周囲にこう指摘した。その記事は「集団的自衛権どこまで」「菅氏『新3要件下で敵基地攻撃も』」との見出しで、リード部分には「他国のミサイル発射を防ぐための敵基地攻撃も可能とする見解が示された」と書いている。見出しとリードだけ読むと、読者は安全保障関連法案によって、新たに敵基地攻撃が可能となったように誤解しかねない。だが実際は、すでに[[昭和31年]]に当時の[[鳩山一郎]]首相が衆院内閣委員会で次の有名な政府統一見解で示している。<br />
<br />
「座して自滅を待つべしというのが[[憲法]]の趣旨とするところだとは、どうしても考えられない。他に手段がないと認められる限り、誘導弾等の基地をたたくことは、法理的には自衛の範囲に含まれ、可能である」<br />
<br />
つまり、これはもともと個別的自衛権で認められていた範囲であり、新たな安保法制下でも可能なのは理の当然だろう。にもかかわらず朝日の記事は、「敵基地攻撃も他国領域での武力行使の『例外』として加えることで、新3要件に当てはまれば行使の範囲が際限なく広がる可能性が出てきた」と書くのである。<br />
<br />
[[5月24日]]付朝日朝刊の[[杉田敦]][[法政大]][[教授]]と[[長谷部恭男]][[早稲田大]][[教授]]の対談記事「安保法制安倍政権の『話法』から考える」も、その手法に同様の危うさを感じた。[[安倍晋三]][[首相]]に関する以下のやりとりがそれだ。<br />
<br />
杉田氏「首相は党首討論で、[[ポツダム宣言]]を『読んでいない』とし、先の大戦の評価についての質問に答えなかった」<br/><br />
長谷部氏「読んでもいないものから脱却しようとは、マジシャンそこのけです」<br />
<br />
安倍首相は「その部分をつまびらかに読んでいない」と答弁しただけで、全部「読んでいない」などと言っているのではない。安倍政権の「話法」をうんぬんする前に、自分たちの言葉遣いにもっと注意した方がいい。また、ポツダム宣言については、[[民主党]]の[[岡田克也]]代表も[[5月22日]]の記者会見でこう述べている。<br />
<br />
「今まで何度か読んだことあるが、中身をあまり鮮明に覚えているわけではない。党首討論の後、また読んだが、非常にわかりにくい文章だという印象だ」<br />
<br />
安倍首相を繰り返し批判するのであれば、岡田氏のこの発言も批判的に取り上げないと筋が通らないはずだ。とにかく、安倍首相とその政権の言うことなすことステレオタイプに「問題がある」「危険だ」ととらえ、反射的にけなすという姿勢はいかがなものか。ステレオタイプという言葉を定着させた米国のジャーナリスト、リップマンは著書『世論』([[1922年]]刊行)でこう戒めている。<br />
<br />
「われわれはたいていの場合、見てから定義しないで、定義してから見る」「ステレオタイプが無批判に受け入れられると、配慮されなければならない多くのことがふるい落とされてしまう」「われわれは自分の反対者を悪者や陰謀家に仕立てる」<br />
<br />
本来、メディアには社会の固定観念や偏見を打破する役割が求められている。ところが現実は、メディアが率先してゆがんだステレオタイプを広めている。<br />
<br />
=== 朝日記者、かぎ十字写真を「首相支持派」と紹介(2015年8月) ===<br />
朝日新聞社の冨永 格(ただし・特別編集委員)が[[8月2日]]、同社の公認を受けた[[ツイッター]]で、ナチスの紋章「かぎ十字」が描かれた旗を持つ人たちの写真を紹介し、「東京で行われた日本人の国家主義的デモ。彼らが安倍首相を支持している」と英語で書き込んでいたことがわかった。<br />
<br />
冨永氏はその後、ツイッターから写真と文章を削除した。<br />
<br />
同社広報部などによると、冨永氏はインターネット上にあったデモの写真をツイッターに掲載。ネット上では、安倍首相に対する悪意ある書き込みだとして批判が集まった。同社は、冨永氏から書き込みについて報告を受けたことから、厳しく注意し、おわびの掲載を指示したという。<br />
<br />
冨永氏は削除の際、[[日本語]]と[[英語]]、[[フランス語]]で「嫌韓デモに参加する人たちには安倍首相の支持者が多いという趣旨でしたが、『一般的に』の言葉が抜けていたので、彼らがこぞって首相を支持しているかの印象を与えるツイートになってしまいました」などと書き込んだ。<br />
<br />
=== 「死刑廃止社説」に弁護士団体が猛反論「『ただ批判するだけ』なのは朝日」(2016年10月) ===<br />
[[日本弁護士連合会]](日弁連)の死刑廃止宣言について肯定的に書いた朝日新聞の社説が、「誤った知識及び偏った正義感にもとづく一方的な主張」だとして、「犯罪被害者支援弁護士フォーラム」は[[10月19日]]、朝日新聞社に対して公開質問状を提出する。<br />
<br />
同フォーラム事務局長の[[高橋正人]][[弁護士]]は、弁護士ドットコムニュースの取材に対し「朝日新聞は死刑廃止を当然の前提としているように見えます。あれを読んだ被害者や遺族がどんな気持ちになるかなんて、考えていないのではないでしょうか。被害者側としては、『何で私たちが死刑を望むようになってしまったのか』という心情を理解して欲しいのに、デリカシーがなさすぎます」と、批判した。<br />
<br />
フォーラムが問題視しているのは、「死刑廃止宣言 日弁連が投じた一石」と題された、10月9日付朝刊の社説だ。この中で、朝日新聞は日弁連の死刑廃止宣言を「批判や反発、抵抗を覚悟のうえで、大きな一歩を踏みだした」と高く評価した。<br />
<br />
一方、犯罪被害者支援に取り組んできた弁護士らに対しては、「宣言をただ批判するのではなく、被害者に寄り添い歩んできた経験をふまえ、いまの支援策に何が欠けているのか、死刑廃止をめざすのであれば、どんな手当てが必要なのかを提起し、議論を深める力になることだ」としていた。<br />
<br />
質問状では、この部分について、<br />
<br />
* 「ただ批判する」とは、犯罪被害者の支援に取り組む弁護士らが何ら根拠なく、感情的に反対しているとの趣旨か<br />
* 犯罪被害者の支援に取り組む弁護士らが、既に、被害者支援のため、現状や施策につき具体的提案をし続けていることを知っているのか<br />
* (社説中の)「死刑廃止を目指すのであれば」とは、凶悪犯罪で家族を殺された被害者遺族や、それを支援する弁護士も、死刑廃止をめざすのが当然という趣旨か。そのような趣旨だとして、なぜ、被害者遺族や支援する弁護士も、死刑廃止を目指さなければならないのか。その理由は何か。<br />
* 被害者遺族も死刑廃止を目指すべきだと言われて、被害者遺族がどのような気持ちになるか、考えなかったのか<br />
<br />
などと痛烈な批判を加えている。<br />
<br />
「私たちは支援のあり方を散々提言して、被害者参加や損害賠償命令制度などを実現させてきました。朝日新聞はちゃんと取材したのでしょうか。『ただ批判するだけ』なのは、朝日新聞の方ではないでしょうか」(高橋弁護士)<br />
<br />
質問状は、「(朝日新聞が)報道機関としての矜持を保ち、説明責任を果たし、被害者のために誠実に質問に答えて頂けることを期待します」と締めくくられている。<br />
<br />
=== 稲田防衛相の靖国参拝、極めて残念だ。アジアを含む国際社会との「和解」をめざすなら放置してはならない(2016年12月) ===<br />
[[稲田防衛相]]が[[靖国神社]]に参拝した。極めて残念だ。[[安倍首相]]が[[オバマ米大統領]]と[[真珠湾]]を訪ね、日米の「和解」を強調したばかりである。稲田氏も同行したこの[[真珠湾]]訪問で、日本の過去の歴史をめぐる問題は清算された。稲田氏がそう考えているとしたら、それは大きな誤りだ。<br />
<br />
稲田氏は「祖国のために命を捧げた方々に敬意と追悼の意を表するのは、どの国でも理解をしていただける」と語った。戦争で命を失った肉親や友を悼むため、遺族や一般の人々が靖国で手を合わせる。そのことは、自然な営みである。だが首相をはじめ政治指導者の参拝となると、その意味は異なる。靖国には、若者たちをアジアや太平洋地域の戦場に送った側の[[A級戦犯]]が合祀されているからだ。そこに政治家が参拝することに、割り切れない思いをもつ遺族もいる。[[中国]]、[[韓国]]、さらには欧米など国際社会にも、日本がかつての戦争責任から目を背けようとしているとの疑いを広げかねない。まして稲田氏は[[自衛隊]]を指揮監督する立場の防衛相である。<br />
<br />
[[A級戦犯]]が罪を問われた[[東京裁判]]には、勝者による裁きという批判もある。それでも、日本はこの裁判を受け入れ、平和国家としての一歩を踏み出したことを忘れてはならない。首相はかねて、日本の過去の侵略と植民地支配を認めた[[村山談話]]を疑問視してきた。3年前、靖国に参拝した際には、中韓との関係が悪化し、オバマ政権から「近隣諸国との緊張を悪化させるような行動に失望している」と批判を浴びた。<br />
<br />
首相が[[2015年]]4月の米議会演説で「先の大戦に対する痛切な反省」や「アジア諸国民に苦しみを与えた事実」に触れ、今回、真珠湾を訪問したのは、そうした経緯を踏まえ、日本の首相としての歴史認識に変わりがないことを示すためだったはずだ。首相が重用し続けている稲田氏の言動は、個人の行為にとどまらず、政権の意思と受け止められかねない。首相のこれまでの積み重ねを傷つけ、その真意に再び疑念を広げるだろう。<br />
<br />
稲田氏の参拝は、首相を支持する右派へのメッセージと見ることもできる。首相の真珠湾での演説も、旧日本軍が悲惨な被害をもたらしたアジア太平洋地域への視線は希薄だった。稲田氏の参拝について首相はコメントを避けた。だがアジアを含む国際社会と真の意味での「和解」をめざすなら、稲田氏の参拝を放置してはならない。<br />
<br />
=== 朝日人権委、誤報正さず。巨人契約金報道(2017年1月) ===<br />
朝日新聞の敗訴が確定した[[読売巨人軍]]の選手契約金報道を巡り、巨人軍が朝日の第三者機関「報道と人権委員会」(人権委)に対し、記事は真実だと結論づけた人権委の「見解」の訂正などを求めた申し立てについて、人権委は11日、巨人軍に「審理しない」と通知した。巨人軍は「人権委は被害救済の役割を果たさなかった」と批判し、識者からも「第三者機関としての存在意義が損なわれる」などの指摘が出ている。<br />
<br />
巨人軍によると、人権委は通知書で、「見解を不服として起こした裁判が確定している」ことや、「同一の事件についての申し立て」であることなどを理由に、再審理の必要性はないと結論づけたが、確定判決によって「見解」が否定されたことには言及しなかった。契約金報道を巡り、巨人軍などが[[2012年]]4月、訂正を人権委に申し立てたところ、人権委は同年7月12日、「記事はすべて真実」との見解を公表。朝日は翌日の朝刊で見解を詳細に引用し、「報道と取材に問題なし」などと大きく報じた。<br />
<br />
巨人軍は朝日を提訴。[[東京地裁]]判決は請求を棄却したものの、[[東京高裁]]判決は名誉毀損きそんの成立を認め、朝日に330万円の賠償を命じ、[[最高裁]]で確定した。これを受け、巨人軍は12月22日、人権委に、見解の見直しと、見解を報じた記事の訂正・謝罪を朝日に求めるよう申し立てた。<br />
<br />
人権委は見解で、選手の成績に応じて支払われる出来高払い(報酬加算金)を契約金とみなしたが、確定判決は「年俸に加算する報酬であり、契約金とは性質が異なる」と認定。また、巨人軍の契約は[[日本野球機構]](NPB)の厳重注意処分に相当すると報じた記事について、人権委は真実だとしたのに対し、確定判決は「巨人軍が処分を受ける可能性はなく、記事は真実ではない」と判断した。さらに、人権委は朝日の取材について「NPBへの取材もなされている」との見解を示したが、確定判決はNPB関係者に取材しなかったと認定した。こうしたことから、巨人軍は申し立ての中で、「見解の誤りは明白で、これを報じた記事の責任は重い」と批判していた。<br />
<br />
人権委の見解について、朝日は、報道などに問題がないと判断された他のケースは小さく報じているが、契約金報道の見解は1ページを費やす異例の扱いだった。巨人軍は、「見解の報道が新たな人権侵害を引き起こした」と二次被害を訴えたものの、人権委は11日の通知書でこの点に一切触れなかった。朝日は確定判決を報じる紙面で「記事の根幹部分は真実だと認められた」とするコメントを掲載しており、巨人軍は今後、記事の訂正などを求めて人権委に新たな申し立てを行う。<br />
<br />
人権委は[[2001年]]に発足した朝日新聞社内の第三者機関。現メンバーは憲法学者の[[長谷部恭男]]・早大教授と[[宮川光治]]・元最高裁判事、[[今井義典]]・元[[NHK]]副会長。<br />
<br />
読売巨人軍広報部の話「朝日新聞の契約金報道による名誉毀損を認めた司法判断が確定したにもかかわらず、『報道と人権委員会』が見解を正さないばかりか、再度の審理すらしないことに驚きを禁じ得ません。報道被害の救済機関であるはずの人権委が、その役割を果たさなかったことは誠に残念です。朝日新聞は判決で誤報だったと認定されたにもかかわらず、紙面で『記事の根幹部分は真実だと認められた』と判決の趣旨を歪ゆがめるコメントを掲載しており、今後、その見直しも人権委に求めていきます」<br />
<br />
=== 首相訪韓、当然の判断である。安倍政権が、合意ですべてが解決したかのように振るまうのは適切ではない(2018年1月) ===<br />
韓国で[[2018年]][[2月9日]]に始まる[[平昌冬季五輪]]の開会式に、[[安倍首相]]が出席する意向を表明した。 <br />
<br />
'''当然の判断である'''。<br />
<br />
[[東アジア]]はこれから平昌を皮切りに、[[東京]]、[[北京]]と2年ごとに五輪の舞台となる。そのスタートの式典に日本の首相の姿がなければ、何とも不自然だろう。<br />
<br />
[[自民党]]の一部には、最近の慰安婦問題をめぐる韓国の動きに反発し、出席に否定的な声がくすぶっている。だが、政府間の摩擦を理由に、'''五輪の式典参加を左右させるのは不見識だ'''。<br />
<br />
国際的な対立や困難を乗り越える平和の祭典の実現に最大限協力するのが、日本のあるべき姿である。 <br />
<br />
日韓両政府の関係を立て直すうえでも、首相の訪韓は好ましい。この機を逃さず、[[文在寅]]大統領と腹蔵のない意見交換を図り、異論があっても自然に対話できる関係を築くべきだ。<br />
<br />
首相は、2年前に結んだ[[慰安婦問題]]をめぐる日韓合意の履行と[[北朝鮮]]問題を話し合いたい、としている。韓国側は合意をめぐる新方針として、日本に再交渉は求めないとしつつ、自発的な誠意ある行動を期待すると呼びかけた。<br />
<br />
日韓双方が汗をかき、困難な決断をした合意であり、尊重すべきだ。元慰安婦らの心の傷をいかに癒やすかが合意の本質だったことも忘れてなるまい。 <br />
<br />
ただ、政府が合意しても、不幸な歴史をめぐる国民感情をときほぐすには時間を要し、その過程では両政府の不断の行動の積み重ねが求められる。 <br />
<br />
その意味で'''安倍政権が、合意ですべてが解決したかのように振るまうのは適切ではない'''。 <br />
<br />
文政権も、[[朴槿恵]]前政権を批判するあまり、当時できた合意を突き放すなら無責任だ。両政府とも率直な対話を厭わず、それぞれが自国民に向かって両国関係を前進させる価値を説く機会を増やすべきだろう。<br />
<br />
喫緊の懸案である[[北朝鮮]]問題をめぐっては、[[金正恩]]政権が韓国との対話に乗りだす局面が新たに生まれている。これを本格的な緊張緩和につなげるには、やがて米朝、日朝の対話へも導く必要がある。その意味でも日韓と米国の緊密な意思疎通が欠かせない。<br />
<br />
脅威は依然衰えぬままだが、北朝鮮の選手団も加わって[[平昌五輪]]は幕を開ける。だからこそ日韓首脳は肩を並べて祭典を祝し、ともに平和への決意を示さなければならない。<br />
<br />
そのうえで今回の首相の訪韓を、両首脳が合意している「シャトル外交」再開に向けた一歩とするよう望みたい。<br />
<br />
=== 「昔は若者が反政府デモをしていたのに今は与党支持が多い。教育のせいか…」ネット「今の若者はマスコミに騙さない。それだけ」(2018年9月) ===<br />
この政党は保守か革新か 揺らぐ「常識」、若者のリアル <br />
:気温35度の土曜日。額から汗を垂らしながらビラを配る年長世代を、若者たちが軽い身のこなしでひらりと避ける。見ていて、いたたまれない気持ちになる。[[東京]]・[[巣鴨]]の駅頭で改憲に反対する活動に立ち会った。若者グループ[[SEALDs]]に影響を受けて結成した主に60代以上の人たちで、その名もOLDs。大学名誉教授の[[高橋正明]]さん(73)が今の政権でいいんですかと呼びかけると「いいでーす」と答える。「安倍さんをいじめないで」と言った人もいた。メンバーが若かりし頃、世界で若者が反政府デモをしていた。だが今、若い世代の政権与党への支持は高い。昨年の総選挙の出口調査で比例区の自民党に投票した人は60代で29%だったが、20代は47%に上った。教育のせいなのか。周囲から浮くのを恐れるのか。50代の記者も加わって議論したが、答えは出ない。<br />
<br />
'''ネット上のコメント'''<br/><br />
* 若い人が自民支持が多い理由を教育が悪いとかまわりから浮くのを恐れているだとか徹底的に「若者は理解してないから自民支持なんだ」みたいな書き方。若者はそれなりに考えて自民支持なんだよ<br />
* 安倍さんをいじめないで、はよくわからんなw野党もメディアも問題点をキチンと指摘すればいいのに。ワケわからん事ばっかりやってるから安倍政権が支持されちゃうんだよなぁ<br />
* 若者も捨てたもんじゃないってこっちゃ。SEALDsや自民党以外のどこの国の人間かわからんもんを支持する馬鹿は若者には少ないのかも知れん。<br />
* 保守だろうと革新だろうと持続する経済成長しか必要としない世代に、打ち止め老人の戯言など聞かれる筈もありません。考えないで生きてきた52歳=[[バブル世代]]のバカ達が当たり前を突きつけているんだ<br />
* 解を求めるのでは無く、理解しよう、受け入れようって心意気が無いのでは?自分基準で考えてるから、キレる老人とか出現しちゃうんだよ。<br />
* 僕はいつも言ってるし声高々に言いたいけど 上の世代が今の若者はどうのこうのって言うけど、おめーらの負債がこっちに来てんだからもう口を出すな お前らなんて年金もらって慎ましく生きてくれ<br />
* 新聞記者がこういう書き方していいのか?若者だからとか、差別? 意見が違えば、「ゆとり」、今の若者はとか まず、目的地にあるいてんのにびら渡されても邪魔なだけだろ。なぜ受け取る前提なんだ<br />
* だから庶民の生活を顧みない「反政権」は要らないんだって。都合のいいときだけ庶民を“ツール”に使っても見透かされる。なんでわからないかな。<br />
* だから朝日新聞の常識が通用しなくなっただけでしょ?まだ天下の朝日と思ってる?<br />
* いまの老人、つまり当時の若者の時代にはネットがなかった。マスコミに騙されっぱなしだった。今も老人はネットを見ない。今も騙されっぱなし。今の若者はマスコミにだまさない。ただ、それだけ。<br />
<br />
== 歴史 ==<br />
*歴史的に見れば、朝日新聞の論調はその時々の時代状況などに応じて変化し、一定ではなかった。<br />
<br />
*まず創刊期には、[[参議]][[伊藤博文]]らが参議[[大隈重信]]を政府から追放した[[明治十四年の政変|明治14年政変]]の翌年以降、政府と[[三井銀行]]から極秘裡に経営資金援助を受ける御用新聞として経営基盤を固めた。そしてその間に東京の「めさまし新聞」を買収して「[[東京朝日新聞]]」を創刊し、東京進出を果たした。さらに[[日露戦争]]前には主戦論を展開し、日露講和にも反対した。<br />
<br />
*[[大正デモクラシー]]期には憲政擁護運動の一角を担い[[桂太郎]]内閣を批判。[[寺内正毅]]内閣期には、同内閣だけでなく、[[鈴木商店]]を米の買い占めを行っている悪徳業者であると攻撃して[[米騒動]]を煽り、鈴木商店は焼き討ちにあった([[白虹事件]]を参照)。しかしこの事件を再調査した[[城山三郎]]によれば、当時、鈴木商店が米を買い占めていた事実はなく、焼き討ちは大阪朝日新聞が事実無根の捏造報道を行ったことによる「[[風評]]被害」で、鈴木商店と対立していた三井と朝日の「共同謀議」という仮説を立てている。<br />
<br />
*[[第一次世界大戦]]後は[[軍縮]]支持、[[シベリア出兵]]反対、[[普通選挙]]実施を主張していたこともあった。[[満州事変]]以降は概して対外強硬論を取るようになり、特に[[太平洋戦争]]中は他紙と同様、戦争翼賛報道を行う。そして終戦後、社説「自らを罪するの弁」(1945年8月23日)、声明「国民と共に立たん」(1945年11月7日)を発表して、路線転換する。ただ、終戦後の「転向宣言」や社説だけでもって、単純に社の性格を規定することはできない。また、[[2006年]][[12月9日]]の社説「開戦65年 狂気が国を滅ぼした」内での「無謀な戦いを止められなかった無力を思うと」といった、自らが戦争を賛美・先導していた立場にもかかわらず、あたかも反戦派であったかのような論調は、執筆者ごとの世代の大きな間隔が見て取れる。<br />
<br />
* [[1930年代]]後半から、朝日新聞は近衛文麿首相の戦時政府([[近衛新体制|近衛新体制運動]])を熱心に支持し、朝日新聞の編集長であった[[緒方竹虎]]の下で厳しく資本主義を批判した。[[笠信太郎]]、[[佐々弘雄]]、さらに有名なスパイであった[[リヒャルト・ゾルゲ]]の情報提供者だった[[尾崎秀実]]といった朝日新聞の有力な論説委員は近衛政治の[[シンクタンク]]であった[[昭和研究会]]の中心メンバーであった。<br />
<br />
* 緒方は[[頭山満]]によって[[1881年]]に結成された[[玄洋社]]の主要なメンバーの一人である。玄洋社は組織犯罪の大物や極右の政治信条を持つものからなる超国家主義者の団体であった。後に[[A級戦犯]]として絞首刑となった[[広田弘毅]]も玄洋社の主要なメンバーの一人で緒方の親友だった。広田は頭山の葬儀委員長、緒方は副委員長であった。<br />
<br />
* 朝日新聞に入社する前は[[大原社会問題研究所]]の[[マルクス主義]]経済学者だった[[笠信太郎]]はその著書『日本経済の再編成』([[1939年]])の中で中央政府による計画経済を主張した。超国家主義の政治家である[[佐々友房]]の息子である[[佐々弘雄]]は近衛を支持するため、元大蔵大臣の[[井上準之助]]、[[三井財閥]]の総帥[[團琢磨]][[男爵]]及び[[犬養毅]]首相を暗殺した[[皇道派]]と呼ばれる極右の将軍やテロリストたちと手を組んだ。1944年、彼等は[[日本軍]]内部で皇道派と対立していた[[統制派]]のメンバーだった東条英機首相の暗殺を企てている。<br />
<br />
* [[大日本帝国陸軍]]が[[満州事変]]を起こし、[[満州国]]を[[建国]]した後、[[国際連盟]]に拒否され、脱退した事については「'''連盟よさらば'''」という歌まで作って[[松岡洋右]]代表を褒めている。<br />
<br />
* 特に[[太平洋戦争]]中は他紙と同様、戦争翼賛報道を行う。そして終戦後、社説「自らを罪するの弁」([[1945年]][[8月23日]])、声明「国民と共に立たん」(1945年11月7日)を発表して、路線転換する。ただ、終戦後の「転向宣言」や社説だけでもって、単純に社の性格を規定することはできない。朝日新聞の戦前の軍国主義、日中戦争推進は表面的には軍部に迎合していることを装ったうえで、日本の敗戦革命による東アジアの共産化の推進の意図が隠されていたとされる([[ゾルゲ事件]]で元朝日新聞記者の[[尾崎秀実]]らとともに、東京本社政治経済部長田中慎次郎、同部員磯野清が検挙、なお、[[近衛上奏文]]、[[砕氷船理論]]参照)。したがって、戦前からの経緯から中国共産党の独裁の行為の多くを評価し、その機関誌「[[人民日報]]」と提携している朝日新聞のこのような転向宣言は、戦前の二面性の全体について「転向」をし、「共産化」のために人民を犠牲にした過去を反省し、本来の意味での自由化、民主化を指向したものとはとりえないのではないかとの疑問がある。そのような経緯から、[[2006年]][[12月9日]]の社説「開戦65年 狂気が国を滅ぼした」内での「無謀な戦いを止められなかった無力を思うと」といった、自らが戦争を賛美・先導し、さらに利用しようとしていた立場にもかかわらず、あたかも反戦派であったかのような論調は、現在まで続く朝日新聞の体質問題として広く批判を浴びることとなった。<br />
<br />
* 戦後の一時期まで、朝日新聞社は、購読者層として政官財のトップエリートを含む社会の高学歴層に支持されてきた傾向があった。戦後、この層に濃厚に見られた社会の「進歩」への憧れ、あるいはこれを刺激する商品作りを進めたことが、朝日新聞の「進歩的」な論調の背景にあるとともに、反面としてそのステレオタイプな「進歩」についてのとらえ方が、カンボジアのポルポト政権の本質を見誤らせたり、中国共産党の[[チベット動乱|チベット侵略]]などの行為や、北朝鮮の政権への批判を遅らせたともされる。<br />
<br />
*戦後の朝日新聞社においては、購読者層として政官財のトップエリートを含む社会の高学歴層に支持されてきた傾向がある。戦後、この層に濃厚に見られた社会の進歩への憧れ、あるいはこれを刺激する商品作りを進めたことが、朝日新聞の進歩的な論調の背景にあるという面も見逃せないが、(エリートとは無縁な)庶民意識との乖離も見られる。<br />
<br />
*[[公害]]問題や[[環境]]破壊を積極的に取り上げた側面も無視できない。またこのような社風は熱心な[[文化事業]]の展開につながってきた。[[イラク日本人人質事件]]においては契約記者が武装勢力に拉致されるという出来事が起こったが、朝日新聞社広報室はいち早く「イラク入りは本社の要請ではない」と発表。当該記者の[[自己責任]]を強調した。ただし自己責任とは本来「我が社の責任ではない」という意味であって、それ以上の責任追及をするものではないとくわえた。しかし、他紙ほどではないが[[山形浩生]]の「自由には必ず責任伴う」(2004年[[4月15日]]号)など、「自己責任」のフレーズで被害者を批判する記事も見られた。<br />
<br />
<br />
=== 注目を集めた報道 ===<br />
*[[1959年]][[7月14日]]号にて[[熊本大学]][[医学部]]の水俣奇病総合研究班が[[水俣病]]の原因が有機水銀中毒であることを確認したと[[7月21日]]に予定されていた医学部水俣病研究会報告に先駆けてスクープ。先にこの情報をキャッチしていたらしい状況証拠のある[[熊本日日新聞]]は地元との利害関係に縛られて自由に動けなかったと推測されており、これより2日遅れの報道となる。この時点まで新日本窒素肥料水俣工場首脳部は工場付属病院が熊本大学に出している研究生から水銀説が確認されつつあるとの情報を得ていたものの黙殺しており、この報道で急遽水銀説否定のための資料集めを開始している。<br />
<br />
=== 疑義が持たれた報道、スキャンダル ===<br />
[[Image:従軍慰安婦1.jpg|350px|thumb|朝日新聞により流布された従軍慰安婦説]]<br />
*[[1989年]][[4月20日]]付の夕刊において、[[沖縄]]の[[自然環境保全地域]]指定海域にある世界一の大きさを誇る[[サンゴ|アザミサンゴ]]に傷がつけられていることを取り上げ、その象徴として「K・Y」という[[イニシャル]]が刻まれた珊瑚の写真と共にモラル低下を嘆く記事を掲載する。しかし、疑問に思った地元ダイバーらの調査の結果、記者自身によって無傷の状態であったのに「K・Y」というイニシャルが刻まれたという[[捏造]]が発覚。社長が引責辞任に追い込まれる事態へと発展した。こうして、朝日新聞は[[リクルート事件]]という一大スクープを放ったにもかかわらず、その年の新聞協会賞受賞を逃すことになる。<br />
<br />
*[[1991年]]から翌年にかけて「[[従軍慰安婦]]」問題の連載キャンペーンを展開、[[吉田清治 (文筆家)|吉田清治]]著の『私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録』にある「昭和18年([[1943年]])に軍の命令で韓国の[[済州島]]で女性を強制連行して慰安婦にした」という体験談を、4回にわたり報道した。 この「体験談」は現代史家・[[秦郁彦]]の調査により嘘であることが判明し(『正論』[[1992年]]6月号)、吉田清治本人もフィクションであることを認めたにも関わらず(「諸君!」[[1998年]]11月号 秦郁彦)、朝日新聞は何ら反応を示さなかった。又、[[1991年]][[8月11日]]付け朝日新聞は、社会面トップで「思い出すと今も涙」「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」とのタイトルで、「[[日中戦争]]や[[第二次世界大戦|第二次大戦]]の際、[[女子挺身隊]]として戦場に連行され、日本軍人相手に[[売春]]行為を強いられた朝鮮人従軍慰安婦のうち、一人が名乗り出た」と報じた。 この朝鮮人慰安婦の「女子挺身隊として戦場に連行され」たという話にも、「当時、女子挺身隊という制度自体が無いばかりか彼女は親により公娼として売られたことを語っており、全くの捏造である」との反対意見が出されたが(『諸君』[[1996年]]12月「慰安婦『身の上話』を徹底検証する」秦郁彦著)、朝日新聞は反応を示していない。<br />
<br />
*[[1996年]]、フリージャーナリストの岩瀬達哉は、雑誌『Views』に発表した「株式会社朝日新聞社の研究」(のち「朝日新聞社の研究」と改題して『新聞が面白くない理由』に収録)において、巻頭コラム「天声人語」の執筆者だった疋田桂一郎や、海外ルポルタージュで知られる[[本多勝一]]らの著名記者が、[[リクルート]]から、[[リクルート事件]]が発覚する前年の[[1987年]]に接待を受けていたと報じた。本多は編集長を務める雑誌『[[週刊金曜日]]』や、雑誌『[[噂の真相]]』での自身の連載記事・コラムで岩瀬の記事を捏造と非難した上、岩瀬に対し「講談社の番犬」「狂犬」「売春婦よりも本質的に下等」「(フリージャーナリストは)卑しい職業」の言葉を浴びせた。これに対し岩瀬は本多と疋田を名誉毀損で告訴し、本多も[[反訴]]した。東京高裁は[[2005年]]3月、岩瀬の記事について名誉毀損、また本多の反論も「限度を越えた」と認定、互いに敗訴で確定。<br />
<br />
*[[2002年]]6月には[[FIFAワールドカップ]]に関連して、「日本代表での最後の W 杯。 国の名誉という鎧を着せられた試合は楽しめない。 [[中田英寿]]選手が周囲に語る」との記事を掲載し、中田選手が否定して抗議したにもかかわらず謝罪しなかった。4ヵ月後、中田選手が再び日本代表になったときも、「記事内容と異なる結果になったことをお詫びします」と謝罪しつつ、あくまで報道自体は正しかったと主張した。<br />
<br />
*[[2002年]][[4月20日]]の朝刊に掲載された[[有事法制]]に関する FAQ の中で、「'''ミサイルが飛んできたら?'''」という問いに対して「武力攻撃事態ということになるだろうけど、'''1発だけなら、誤射かもしれない'''」と回答した。<br />
<br />
*2004年、社会部記者が取材でミニディスクに無断録音し、さらに録音内容を第三者に渡したため朝日は記者を退社処分にした。朝日は処分の理由は無断録音ではなく、取材相手に敵対する側に内容を渡したからと説明しているが、結果的に今後取材の録音には相手の内諾を得ると内規を作った。<br />
<br />
*2005年1月12日、自民党の安倍晋三・中川昭一両議員から2001年1月30日放送のNHK番組の編集についてNHK上層部に圧力があったのではないかとする報道を行った。7月に、朝日新聞は上記報道の検証記事を掲載した。8月に社内関係者が番組改変の証拠とされる録音テープを魚住昭にリークして講談社の月刊誌『現代』に書かせた。9月30日、朝日新聞がNHK番組改変疑惑の信憑性の検証を委託した第三者機関「『NHK報道』委員会」が「(記者が疑惑を)真実と信じた相当の理由はあるにせよ、取材が十分であったとは言えない。」(「NHK報道」委員会の見解より引用)という見解を出す。これを受けて朝日新聞は取材の不十分さを認めた。一方で記事の訂正や、謝罪はなかった。委員会の見解でも、朝日新聞は検証が十分ではないと指摘されている。番組改変の記事を執筆した記者は激しい批判を受け、2006年に異動になった。<br />
<br />
*[[2005年]][[8月21日]]の朝刊に[[亀井静香]]と[[田中康夫]]が[[長野県]]内で会談を行なったという記事が掲載された。この記事は、取材をともなわない虚像のメモをもとに作成されたもので、実際は[[東京都]]内で会談が行なわれていた。この事件などをきっかけとして朝日新聞の改革が行なわれた。詳細は[[朝日新聞の新党日本に関する捏造事件]]を参照。<br />
<br />
*[[2005年]][[10月19日]]の朝刊で「首相の靖国参拝 賛否二分」という世論調査を元にした記事が掲載されたが、その記事の内容をめぐって前日に社員同士が暴力沙汰を起こし築地署に110番通報していたことが判明した。40代社員が30代社員に暴行を加え、警察に助けを求めようとした際に携帯電話を破壊したとされる。<br />
<br />
*皇室典範改正について2006年2月02日の社説で寛仁親王に発言を控えるよう忠告するが、昭和天皇の靖国に関する発言(いわゆる[[富田メモ]])が報じられた後の7月21日の社説において「重く受け止めたい」とし、皇族の発言の政治利用についてオポチュニズムが徹底している。<br />
<br />
*[[2006年]]末から[[2007年]]初頭にかけて、静岡総局長の私有パソコンから[[Winny]]を通じて個人情報および業務情報が流出した。これによって社員年収の情報も露呈して、格差社会の頂点に立つ朝日新聞の実情が明らかとなり、インターネットの掲示板で批判と羨望を受けた。<br />
<br />
*[[2007年]][[1月6日]]の夕刊で「スポーツ総合誌 苦境」という記事が掲載された。この記事はスポーツ総合誌を「冬の時代に入った」と批判する内容であったが、"[[Sports Graphic Number|Number]]"([[文藝春秋]]社)に関して事実と反する部分が存在した。<br />
<br />
*[[2007年]][[2月1日]]、1月30日の夕刊で掲載された[[富山県]]の[[かんもち]]作りに関する記事で、朝日新聞東京本社編集局の駐在員が、[[読売新聞]]のインターネット版に27日に掲載された「寒風で育つかんもち」という記事を盗用していたことが判明する。問題の駐在員は、「読売新聞のホームページの記事を参考にしながら自分の原稿を書き直した」と話しているという。朝日新聞東京本社では1日午後に読売新聞に謝罪した。後に他の2件の記事も同じく読売新聞のホームページ記事から引用されていることが分かり、記事を書いた記者を解雇するなどの処分を行った。<br />
<br />
*漫画家の[[小林よしのり]]と対立関係にあり、彼の作品である「戦争論」等を巡って社説で数回にわたり直接批判した。朝日新聞が社説において一般人(政治家等以外の立場の人物)を複数にわたり批判したのは小林のみである。<br />
<br />
===社会主義陣営に対する報道とそれに対する批判===<br />
*朝日新聞の中国報道は批判の中でよく言及される。'''[[朝日新聞の中国報道問題]]'''を参照。<br />
<br />
*主に朝日新聞の特定の記者への批判がなされている。<br />
<br />
*また、[[北朝鮮]]についても同様のことが行われたと主張する論説もある。詳細は'''[[帰国事業]]'''を参照<br />
<br />
===安倍首相 朝日新聞社長と会談で詫び受け入れたと側近が証言===<br />
厳しい[[安倍晋三]]首相批判が売りだった朝日新聞だが、社説で経済政策をべた褒めするなど、このところ論調が一変している。<br />
<br />
安倍首相と朝日には因縁がある。[[NHK番組改変事件]]だ。「朝日にとってそれが“トラウマ”になっている」(同紙政治部記者)のだという。<br />
<br />
この事件は、朝日新聞が[[2005年]]1月に、「NHK『慰安婦』番組改変 中川昭・安倍氏『内容偏り』前日、幹部呼び指摘」との見出しで報じた。NHKの従軍慰安婦問題番組の放映前、安倍氏が、「公平ではない」として番組内容を変えるように政治圧力をかけたという報道だ。<br />
<br />
当時、自民党幹事長代理だった安倍氏は報道を否定して朝日の取材を拒否する抗議の姿勢を取り、両者の関係は決定的に悪化した。その1年半後、安倍氏は首相に就任する。朝日のトラウマはそこから生まれた。同紙の政治部記者が“苦悩の安倍政権時代”を振り返る。<br />
<br />
「当時は安倍総理だけでなく、秘書官や官房副長官ら官邸まるごとわが社の取材に協力してくれない状況だった。安倍総理に食い込んでいた社がスクープを抜く中で、うちは記者が情報をつかんでも、裏が取れないから書けない。特オチもひどかった。事務所費問題で辞任した佐田玄一郎・行革担当相の後任に渡辺喜美氏が起用されたときは、完全に他紙に抜かれた」<br />
<br />
記者クラブメディアにとって政権から情報を遮断されるのは死活問題だ。追い込まれた朝日は“相打ち”に持ち込もうとした。<br />
<br />
「こっちも、“だったら政権を潰してやろう”という気になる。当時、安倍さんは公務員改革で官僚の反発を浴びていたから、政権批判の材料なら官僚からどんどんリークが来る。官僚と仲良くなって、追い落としをかけたら政権が本当に潰れてしまった」(同前)<br />
<br />
第1次安倍内閣では閣僚のスキャンダルが相次ぎ、「官邸崩壊」と報じられて支持率が急降下した。その背景に官邸情報から干しあげられた朝日と、公務員改革を骨抜きにしたい霞が関の共同戦線があったことを物語る証言だ。<br />
<br />
そんな朝日にすれば、6年後に安倍氏が再登板する情勢になったとき、“悪夢の再来”と背筋が寒くなったことは十分に想像できる。社説で安倍氏の自民党総裁返り咲きに「大きな不安を禁じ得ない」と書いたのは、自分たちへの“報復の恐怖”だったのではないか。<br />
<br />
そこで朝日は先手を打って、安倍氏が総理になる前に手打ちに動いた。昨年10月3日、朝日新聞に驚くべき記事が掲載された。就任したばかりの安倍総裁のインタビューが他紙にさきがけて載ったのである。「なぜあの朝日に」と他紙の記者たちを慌てさせたほどの“事件”だった。その裏では極秘会談がもたれたという。安倍側近の1人が明かす。<br />
<br />
「なんの挨拶もないまま安倍さんが朝日のインタビューに応じる理由がない。総裁選後に朝日の[[木村伊量]]・社長が安倍さんと会談した。安倍さんにとっても、総選挙をひかえて朝日を敵に回したままではマイナスが大きい。言ってみれば朝日の詫びを受け入れたということだ」<br />
<br />
この会談は、朝日の政治部記者の間にも伝わった。「政治部は総裁選の前から、安倍さんに番記者をつけて関係修復を図ってきた。その集大成がトップ会談。そこで関係修復できたから、安倍さんが一番にわが社のインタビューに応じてくれた。おかげで他紙を出し抜けたし、7年前のような取材拒否にあわなくてすむ」<br />
<br />
== 題字とその地紋 ==<br />
*朝日新聞の題字は、唐の書家・[[欧陽詢]]の『宗聖観記』の中の筆跡から作字したもので、1879年の創刊から使われている。題字の「新」の中の「木」の部分は「未」となっている。これは古い字体であり、この文字が書かれた当時は誤字ではなかった。またその「新」の字が『宗聖観記』の中に無かったことから、「親」の偏と「柝」の旁から点を取り除いたものを組み合わせて「新」を作字した。<br />
<br />
*題字の地紋は、東日本(静岡県以東)と西日本(愛知県以西)で異なっている。東京本社と北海道支社の地紋は、1888年に「東京朝日新聞」として東京に進出した頃から使用している「[[サクラ]]」。「朝日ににほふ山桜花」の古歌の意味を表わしている。大阪本社と西部本社、名古屋本社の地紋は「浪速の葦(なにわのあし)」で、大阪で生まれた新聞であることを表わしている。なお、社旗も東日本と西日本で異なっており、東日本は朝の字が左端にあって旭光が右に向かっているのに対し、西日本はその逆となっている。それぞれ朝日が東日本・西日本を照らしている意味からきている。<br />
<br />
== 【報道しない自由】京大教授「朝日と毎日の報道番組は、もはやただの思想誘導だ」 ==<br />
京都大学公共政策大学院特別教授 [[佐伯英隆]]<br />
<br />
昔から議論のネタではあったが、近年、自公から民主へ、さらに民主から自公への政権交代過程に伴い、[[マスメディア]]の公平・中立性の議論が一段と喧しい。<br />
<br />
先の衆院選、参院選では、個々の弁士の演説終了後、かなりの頻度で取材中のマスコミ関係者に対し聴衆から「偏向マスコミ帰れ」の大合唱が沸き起こった。これまでに無い出来事である。<br />
<br />
「事実」という断片だけを繋ぎ合わせても記事や報道はできない。そもそも、どの「事実」を報道するのかという取捨選択から始まり、記事や番組の構成、強調点、誰のコメントを付すかなどに報道者の選択が入る事は避けられず、報道する側の主観を一切排除した完璧な公正・中立報道などは本来幻想でしかない。もともと報道各社ごとに政治的色彩の違いはあった。<br />
<br />
ただ、従来その色彩の違いが「何となく」であったものが、近年急速に鮮明かつ露骨になったのではないか。これまでマスメディアは一応、公平・中立という建前の旗印だけは降ろさずに来たが、最近その仮面もかなぐり捨てて、それぞれ思い思いの方向に突っ走り、タガが外れた印象がある。<br />
<br />
報道者側は報道する自由もあるが、「[[報道しない自由]]」もある。これを駆使すれば、自らの主張に沿う報道を作り上げることは極めて容易である。<br />
<br />
また、「議論を呼びそうだ」「問題となりそうだ」という表現を加えて世論を誘導することも簡単だ。そういった誘惑を報道人としての使命感と矜持で自制してもらいたいのだが、自制より報道各社の政治方針に沿う事の方が(出世のためには?)重要と見える。<br />
<br />
テレビの「報道番組」に至っては、視聴者を番組制作者側の政治的信条・主張に沿って誘導するショーと化している。<br />
<br />
新聞・雑誌と異なり、電波帯域という公共財を特別に使用する権能を付与されたテレビ・ラジオには、[[放送法]]第4条で政治的公平性と、意見対立案件についての多角的論点提示が義務付けられているのだが、それを意識している番組製作者が何人いるのだろうか。<br />
<br />
[[CNN]]や[[BBC]]では、意見対立案件については、双方の論者を画面に登場させて議論させるケースが多々見られるが、我が国では、コンセンサス形成という予定調和を望む傾向が強く、それが反映されるのか、双方が対立意見を戦わせるという番組の構成はほとんど見かけない。視聴者に選択させるという事をせず、「番組製作者が考えるコンセンサス」に誘導していこうという意図が見透かされるものが多い。<br />
<br />
新聞も一種の危機である。経団連調べによれば、新聞記事への信頼度は57%で、テレビやネットを大きく上回っているとの事だが、逆に言えば4割強の人が新聞記事を信頼していないという事であり、一昔前、新聞に書かれてあることをほとんどの人がそのまま真実だと受け取っていた「幸せな時代」からすれば劇的な変化だ。<br />
<br />
ネット情報に対する信頼度は確かに低いが、それはネットとは、さまざまな人が自己の主張や心情に基づき、さまざまな情報を展開する場であるという事を「皆が知っている」からである。<br />
<br />
しかし、その多様性ゆえにマスメディアの報道に対して「本当にそうか」自ら調べる検証装置、セカンドオピニオンの提供機能を果たしている。民衆は新聞記事を自ら検証する手段を史上初めて手に入れた訳である。新聞人はこの数字をもっと深刻に捉えるべきであろう。マスメディアが公正・中立という仮面まで捨ててしまうのは緩慢な自殺行為である。<br />
<br />
さえき・ひでたか [[大阪府]]出身。[[東京大学法学部]]、[[ハーバード大学]]J・Fケネディ行政大学院卒。[[1974年]]、[[通産省]](現経産省)に入省。在[[ジュネーブ]]日本政府代表部参事官、[[島根県警]]本部長、通商政策局審議官などを経て[[2004年]]に退官。現在、イリス経済研究所代表などを務める。<br />
<br />
== 朝日が日本を国際社会の笑い物に…歪曲された麻生発言(2013年8月 [[櫻井よしこ]]) ==<br />
なるほど、朝日新聞はこのようにして事柄を歪曲していくのか。麻生太郎副総理発言を朝日新聞が報じる手口を眼前にしての、これが私自身の率直な感想である。<br />
<br />
8月1日と2日、朝日の紙面は麻生発言で「熱狂」した。日によって1面の「[[天声人語]]」、社会面、社説を動員し、まさに全社あげてといってよい形で発言を批判した。<br />
<br />
討論会の主催者兼司会者として現場に居合わせた私の実感からすれば、後述するように朝日の報道は麻生発言の意味を物の見事に反転させたと言わざるを得ない。<br />
<br />
7月29日、私が理事長を務める国家基本問題研究所(国基研)は「日本再建への道」と題した月例研究会を主催した。衆議院、都議会、参議院の三大選挙で圧勝、完勝した安倍自民党は、如何にして日本周辺で急速に高まる危機を乗り越え、日本再建を成し得るかを問う討論会だった。<br />
<br />
日本再建は憲法改正なしにはあり得ない。従って主題は当然、憲法改正だった。<br />
<br />
月例研究会に麻生副総理の出席を得たことで改正に向けた活発な議論を期待したのは、大勝した自民党は党是である憲法改正を着実に進めるだろうと考えたからだ。<br />
<br />
が、蓋を開けてみれば氏と私及び国基研の間には少なからぬ考え方の開きがあると感じた。憲法改正を主張してきた私たちに、氏は「自分は左翼」と語り、セミナー開始前から微妙な牽制球を投げた。<br />
<br />
セミナーでも氏は「最近は左翼じゃないかと言われる」と述べ、改正論議の熱狂を戒めた。私はそれを、改正を急ぐべしという国基研と自分は同じではないという氏のメッセージだと、受けとめた。<br />
<br />
「憲法改正なんていう話は熱狂の中に決めてもらっては困ります。ワァワァ騒いでその中で決まったなんていう話は最も危ない」「しつこいようだが(憲法改正を)ウワァーとなった中で、狂騒の中で、狂乱の中で、騒々しい中で決めてほしくない」という具合に、氏は同趣旨の主張を5度、繰り返した。<br />
<br />
事実を見れば熱狂しているのは護憲派である。改憲派は自民党を筆頭に熱狂どころか、冷めている。むしろ長年冷めすぎてきたのが自民党だ。いまこそ、自民党は燃えなければならないのだ。<br />
<br />
にも拘わらず麻生氏は尚、熱狂を戒めた。その中でヒトラーとワイマール憲法に関し、「あの手口、学んだらどうかね」という不適切な表現を口にした。「[[ワイマール憲法]]が[[ナチス]]憲法に変わった」と氏はいうが、その事実はない。有り体に言って一連の発言は、結局、「ワイマール体制の崩壊に至った過程からその失敗を学べ」という反語的意味だと私は受けとめた。<br />
<br />
憲法改正に後ろ向きの印象を与えた麻生発言だったが、朝日新聞はまったく別の意味を持つものとして報じた。<br />
<br />
たとえば1日の「天声人語」子は、麻生発言を「素直に聞けば、粛々と民主主義を破壊したナチスのやり方を見習え、ということになってしまう」と書いた。前後の発言を合わせて全体を「素直に聞」けば、麻生氏が「粛々と民主主義を破壊」する手法に習おうとしているなどの解釈が如何にして可能なのか、不思議である。天声人語子の想像力の逞しさに私は舌を巻く。<br />
<br />
朝日の記事の水準の高さには定評があったはずだ。現場にいた記者が麻生発言の真意を読みとれないはずはないと思っていた私は、朝日を買いかぶっていた。<br />
<br />
朝日は前後の発言を省き、全体の文意に目をつぶり、失言部分だけを取り出して、麻生氏だけでなく日本を国際社会の笑い物にしようとした。そこには公器の意識はないのであろう。朝日は新たな歴史問題を作り上げ、憲法改正の動きにも水を差し続けるだろう。そんな疑惑を抱くのは、同紙が他にも事実歪曲報道の事例を指摘されているからだ。<br />
<br />
典型は「読売新聞」が今年5月14、15日付で朝日の誤報が慰安婦問題を政治問題化させたと報じた件だ。読売の朝日批判としては珍しいが、同件について朝日は説明していない。<br />
<br />
古い話だが、歴史問題にこだわるなら、昭和20年8月の朝日の報道も検証が必要だ。終戦5日前に日本の敗戦を示唆する政府声明が発表され、朝日新聞の編集局長らは当時こうした情報を掴んでいた。新聞の使命としていち早く、日本敗戦の可能性を国民に知らせなければならない。だが、朝日新聞は反対に8月14日、戦争遂行と戦意高揚を強調する社説を掲げた。これこそ、国民への犯罪的報道ではないか。朝日の歴史認識を問うべきこの事例は『朝日新聞の戦争責任』(安田将三、石橋孝太郎著、太田出版)に詳しく、一読を勧めたい。<br />
<br />
これらのことをもって反省なき朝日と言われても弁明は難しい。その朝日が再び麻生発言で歴史問題を作り出し、国益を害するのは、到底許されない。<br />
<br />
それはともかく、自民党はまたもや朝日、中国、韓国などの批判の前で立ちすくむのか。<br />
<br />
中国の脅威、韓国、北朝鮮の反日、米国の内向き志向という周辺情勢を見れば、現行憲法改正の急務は自明の理だ。それなのに「冷静な議論」を強調するのは、麻生氏を含む多くの自民党議員は憲法改正に消極的ということか。<br />
<br />
日本が直面する危機に目をつぶり、結党の志を横に措き、憲法改正の歩みを緩めるのだろうか。であれば、護憲の道を歩む朝日の思う壺ではないか。自民党はそれでよいのか。私の関心は、専ら、この点にある。<br />
<br />
== 【集団的自衛権】若い世代は国内の反日メディアに同調せず。朝日新聞などの過激な報道はそれへのイラ立ち ==<br />
「[[東アジア]]で[[集団的自衛権]]を認めないのは、[[中国共産党]]と[[日本共産党]]、[[社民党]]だけだ」<br />
<br />
[[マイケル・グリーン]]米元国家安全保障会議アジア上級部長は、自民党議員にこう語ったが、正確な分析だ。中韓両国を除くアジア諸国は、わが国の集団的自衛権の行使容認を支持している。<br />
<br />
6月には、[[フィリピン]]のアキノ大統領と、[[オーストラリア]]のビショップ外相が、5月には[[シンガポール]]の[[リー・シェンロン]]首相と、[[ベトナム]]のダム副首相が、4月には[[マレーシア]]のナジブ首相が、昨年9月には[[タイ]]のユタサック国防副大臣が、同年1月には[[インドネシア]]のユドヨノ大統領が、それぞれ支持を表明している。<br />
<br />
いずれも、中国の台頭に手を焼く「被害者の会」のような諸国だ。アジアの平和と安定のためには、日本のこれまで以上の貢献が必要とみている。今日のアジア情勢を踏まえた常識的かつ現実的な判断だ。<br />
<br />
だが、日本の一部メディアや勢力の見方は違う。[[安倍晋三]]首相を「国民の敵」に設定したいようだ。特に、朝日新聞は連日、「戦争になる」「徴兵制になる」などと読者の不安をあおり続けている。<br />
<br />
政治面だけでなく、<br />
<br />
「さて閣下あとは開戦待つばかり」(7月2日付「朝日川柳」)<br/><br />
「暦を1枚めくるともう戦後ではなかった。理性も良心もかなぐり捨てて。自衛隊発足60年の日からの新たな戦前」(同1日付夕刊「素粒子」)<br/>「『教え子を戦地に送るな』と声を上げた小学校教諭の男性(45)は大分県から夜行バスで駆けつけた」(同1日付夕刊社会面)-。<br />
<br />
と煽動し続けている。官公労中心の抗議活動の写真も掲載している。<br />
<br />
現行憲法は、[[第2次世界大戦]]敗戦後の占領中、日本を連合国共通の「敵」とする「[[ポツダム体制]]」の下で作られた。9条はその趣旨を固定するものだ。だが、[[東西冷戦]]が始まり、「ポツダム体制」は壊れた。占領が終わり、日本は主権を回復し、新たな国際秩序「サンフランシスコ体制」に復帰した。そこでは日米は敵対関係ではなく、同盟関係となった。[[自衛隊]]と[[日米安保条約]]はそこに位置付けられるものだった。 <br />
<br />
憲法とわが国が属している国際秩序とは、その立脚する原理を異にする。本来であれば、主権回復した時点で憲法は改正されるべきものだった。実際、何度も試みられた。が、その都度、旧社会党など社会主義勢力と一部メディアに阻まれた。今日、集団的自衛権の政府憲法解釈に変更に反対しているのはその嫡流だ。<br />
<br />
若い世代は彼らに同調しない。ネットで世界の現実を知り、メディアを疑ってみているからだ。 <br />
<br />
一部の過激な報道は、それへのイラ立ちと見てよい。<br />
<br />
== 板橋連続不審火、朝日新聞配達員の男を再逮捕。2人死傷の民家火災など8件 ==<br />
[[東京都]][[板橋区]]で2014年3月、駐車場の車に火を付けたとして器物損壊で逮捕された朝日新聞配達員の長岩拓人(32)が直前にコンビニ店で商品に火を付けた疑いが強まり、警視庁捜査1課が4月7日にも同容疑などで長岩容疑者を再逮捕する方針を固めた。現場周辺では2人死傷の民家火災など8件の連続不審火が起きており、捜査1課はいずれも長岩の犯行とみている。<br />
<br />
長岩は2014年3月17日午後10時半ごろ、同区大山町のコンビニ店で、木炭が入った段ボール箱にライターで火を付けて焼損させた。店内の防犯カメラに木炭の陳列棚付近をうろつく様子が写っていた。<br />
<br />
長岩は同11時ごろ、近くの駐車場で車のバンパーが燃える不審火が起きた直後、ライター2個を持っていたところを警戒中の警察官に取り押さえられ、器物損壊容疑で現行犯逮捕されていた。<br />
<br />
現場周辺の半径約150メートルの範囲では同10時以降、コンビニ店と駐車場の他に、民家が全焼し、住人の無職女性(88)が死亡、息子(64)がやけどで重傷を負うなどの不審火が6件発生。いずれも長岩の新聞配達のルート沿いで起きていた。<br />
<br />
長岩は逮捕時に泥酔状態で、「むしゃくしゃしてやった。他にもやったと思う」と供述。その後は「酔っていて覚えていない」と話している。<br />
<br />
== 朝日新聞の読み方 ==<br />
* 「しかし、だからといって」 = ここから先が本音であるという意味 <br />
* 「議論が尽くされていない」 = 朝日の望む結論が出ていないという意味 <br />
* 「国民の合意が得られていない」 = 朝日の意見が採用されていないという意味 <br />
* 「異論が噴出している」 = 朝日が反対しているという意味 <br />
* 「政府は何もやっていない」 = 朝日好みの行動を取っていないという意味 <br />
* 「内外に様々な波紋を呼んでいる」 = 朝日とその仲間が騒いでいるという意味 <br />
* 「心無い中傷」 = 朝日が反論できない批判という意味 <br />
* 「皆さんにはもっと真剣に考えてほしい」 = アンケートで朝日に不利な結果が出てしまいましたという意味 <br />
* 「アジア諸国」 = 中国、韓国および北朝鮮の事、それ以外の多くのアジアの国は含まれない <br />
* 「そうではないと私たちは考える」 = お前たちもそう考えろという意味<br />
<br />
== 文字表記 ==<br />
*1950年代から、当用漢字表外の漢字の表記について、朝日新聞社が独自に簡略化した通称[[朝日文字]]と呼ばれる字体が使用されている。2007年1月15日からは、約900について朝日文字の使用を取りやめ、[[康煕字典体]]を使用している。<br />
<br />
== 広告 ==<br />
*大学教員や学校教師が愛読して他人にも読まそうとするので学生の読者も多い。そのためか就職情報などの広告が他紙に比べて多く大学入試の試験問題にも良く出される。<br />
<br />
*『[[週刊新潮]]』など自社に都合の悪いことを書くメディアの広告を拒否したり検閲したりする。<br />
<br />
*近年はさまざまな理由で広告収入減の傾向にある(そのためかもともと受け入れない方針の[[創価学会]]の広告を受け入れるようになった)。<br />
<br />
=== 朝日新聞が一般家庭に朝刊を無料でバラ撒き非難轟々「ゴミを入れるな」「タダでもいらない」(2014年10月) ===<br />
朝日新聞が一般家庭に無料で新聞をバラ撒き始めたとしてネットで話題になっている。朝日新聞が朝刊を無料でポストに入れているとしてネットで話題になるとともにバッシングの強さを改めて感じさせている。<br />
<br />
"突然に朝日新聞の配達をして、申し訳ありません。誠に勝手ではありますが、朝日新聞朝刊を無料でお届けさせていただきます。”<br />
<br />
新聞のサンプル配達は広く行われておりそれ自体に目新しさはないが、朝日新聞が行っているということで不快感を露にする方が続出している。<br />
<br />
ネットで話題になることで朝日新聞への嫌悪感が強いことが改めて浮き彫りとなる形となっておりサービスしている朝日新聞にとっては皮肉な結果になっている。<br />
<br />
無料配達は販売店単位で行っている施策である可能性もあるため、朝日新聞の本社が関与しているかどうかについては不明。しかしネットでは「嫌がらせだ」「見たくもない」「有害図書を配るな」などと非難轟々。<br />
<br />
朝日新聞及び販売店など関係者一同は自分たちが国民からどのように見られているのか、再度省みた上で施策を検討したほうがよさそうだ。<br />
<br />
== 地方局の反応について ==<br />
*朝日新聞は大阪腸捻転解消、メ~テレや九州朝日放送のネット一本化など、厄介なことに関わっているので、多くの地方局から嫌われているのは事実である。<br />
<br />
== 関連著名人 ==<br />
* [[安藤正純]](元[[歴代の文部大臣|文部大臣]])<br />
* [[池辺三山]](元東京朝日新聞社主筆)<br />
* [[石井光次郎]](元[[衆議院]]議長)<br />
* [[石川啄木]]([[歌人]])<br />
* [[伊豆冨人]](元[[熊本日日新聞]]社社長)<br />
* [[上野精一]](元朝日新聞社社長)<br />
* [[上野理一]](元朝日新聞社社長)<br />
* [[うつみ宮土理]](タレント・作家)<br />
* [[緒方竹虎]](元[[自由党_(日本)|自由党]]総裁)<br />
* [[尾崎秀実]]([[ゾルゲ事件]]で処刑)<br />
* [[川本三郎]]([[評論家]])<br />
* [[河野一郎]](元[[農林水産大臣|農林大臣]]・[[歴代の建設大臣|建設大臣]])<br />
* [[小坂徳三郎]](元[[経済企画庁]]長官・[[歴代の運輸大臣|運輸大臣]])<br />
* [[佐々弘雄]](元[[参議院議員]]・[[熊本日日新聞]]社社長)<br />
* [[佐藤昇]]([[ジャーナリスト]]・朝日新聞を正す会事務局長・週刊報道サイト社長)<br />
* [[志賀健次郎]](元[[防衛庁長官]])<br />
* [[篠田弘作]](元[[自治大臣]])<br />
* [[下村宏]](元国務大臣(内閣[[情報局]]総裁)・[[日本放送協会|NHK]]会長)<br />
* [[杉村楚人冠]]([[随筆家]]、[[俳人]])<br />
* [[鈴木正文]](元[[労働大臣]])<br />
* [[田岡俊次]](ジャーナリスト・軍事評論家)<br />
* [[田川誠一]](元[[新自由クラブ]]代表・[[自治大臣]])<br />
* [[筑紫哲也]](ジャーナリスト・テレビニュースキャスター)<br />
* [[永井道雄]](元[[歴代の文部大臣|文部大臣]])<br />
* [[中野正剛]](元[[衆議院議員]]・[[東方会]]総裁)<br />
* [[夏目漱石]]([[小説家]])<br />
* [[野田武夫]](元[[自治大臣]])<br />
* [[野村秀雄]](元[[日本放送協会|NHK]]会長・[[熊本日日新聞]]社社長)<br />
* [[橋本登美三郎]](元[[歴代の建設大臣|建設大臣]]・[[官房長官]]・[[歴代の運輸大臣|運輸大臣]])<br />
* [[長谷川如是閑]](ジャーナリスト、文明評論家)<br />
* [[羽田武嗣郎]](元[[衆議院議員]]。元内閣総理大臣[[羽田孜]]の父)<br />
* [[服部敬雄]](元[[山形新聞]]社社長)<br />
* [[広岡知男]](元朝日新聞社社長)<br />
* [[藤井丙午]](元[[新日鉄]]副社長・[[参議院議員]])<br />
* [[二葉亭四迷]]([[小説家]])<br />
* [[古垣鐵郎]](元[[日本放送協会|NHK]]会長)<br />
* [[細川護熙]](元[[内閣総理大臣]])<br />
* [[本多勝一]](ジャーナリスト)<br />
* [[前田多門]](元[[歴代の文部大臣|文部大臣]]・初代[[ソニー]]社長)<br />
* [[前田義徳]](元[[日本放送協会|NHK]]会長)<br />
* [[松井やより]](ジャーナリスト)<br />
* [[松島みどり]]([[自由民主党]][[衆議院議員]])<br />
* [[松本清張]](作家)<br />
* [[美土路昌一]](初代[[全日本空輸|全日空]]社長・元朝日新聞社社長)<br />
* [[村山長挙]](元朝日新聞社社長)<br />
* [[村山美知子]](朝日新聞社社主)<br />
* [[村山龍平]](元朝日新聞社社長)<br />
* [[笠信太郎]](元朝日新聞社論説主幹(常務取締役))<br />
<br />
==関連項目==<br />
*[[女性国際戦犯法廷]]<br />
*[[下村満子]]<br />
*[[プロパガンダ]]<br />
*[[捏造]]<br />
*[[情報操作]]<br />
*[[偏向報道]]<br />
<br />
== 4コマ漫画 ==<br />
* [[ののちゃん]](となりの山田くん) - [[いしいひさいち]]作 - 2005年12月現在連載中<br />
* [[地球防衛家のヒトビト]] - [[しりあがり寿]] - 2005年12月現在連載中<br />
* [[サザエさん]] - [[長谷川町子]]作 - 1940年代後半~[[1974年]][[2月21日]]<br />
* [[フジ三太郎]] - [[サトウサンペイ]]作 - [[1965年]][[4月1日]]~[[1991年]][[9月30日]]<br />
<br />
==[[ポッドキャスティング]]==<br />
*[[スポーツポッドコーナー]]<br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
* [[古森義久]]+[[井沢元彦]]+[[稲垣武]](共著)『朝日新聞の大研究』([[扶桑社]])<br />
* 稲垣武『朝日新聞血風録』(文春文庫)<br />
* 片岡正巳『朝日新聞の「戦後」責任』([[展転社]])<br />
* [[小林よしのり]]、井沢元彦『朝日新聞の正義』([[小学館]])<br />
* [[読売新聞]]論説委員会編『読売VS朝日 21世紀・社説対決』『読売VS朝日 社説対決・北朝鮮問題』『読売VS朝日 社説対決・50年』([[中公新書]]ラクレ)<br />
* [[城山三郎]]『鼠 鈴木商店焼打ち事件』([[文春文庫]])<br />
* 安田将三+石橋孝太郎(共著)『朝日新聞の戦争責任』([[太田出版]])<br />
* [[平頂山事件|田辺敏雄]]『朝日に貶められた現代史』([[全貌社]])<br />
* [[国際情勢風刺寓話集ニホンちゃん]]<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* [http://www.asahi.com/ asahi.com:朝日新聞の速報ニュースサイト] - 朝日新聞による公式ニュースサイト<br />
* [http://aspara.asahi.com/ 朝日新聞アスパラクラブ] - 愛読者のクラブ<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:あさひしんふん}}<br />
[[Category:日本の新聞]]<br />
[[Category:朝日新聞社|*]]<br />
[[Category:朝日新聞社の出版物]]<br />
[[Category:日本の左翼]]<br />
[[Category:反日主義]]<br />
[[Category:プロパガンダ]]</div>
Fromm
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E6%9C%9D%E6%97%A5%E6%96%B0%E8%81%9E&diff=359812
朝日新聞
2018-09-10T04:00:42Z
<p>Fromm: </p>
<hr />
<div>[[Image:朝日新聞1.jpg|550px|thumb|朝日新聞]]<br />
[[Image:朝日新聞5.jpg|500px|thumb|朝日新聞]]<br />
[[Image:スイス政府の民間防衛.jpg|600px|thumb|スイス政府「民間防衛」]]<br />
'''朝日新聞'''(あさひしんぶん)は[[朝日新聞社]]が編集・発行する[[プロパガンダ]]新聞である。上層部は[[全共闘世代]]であり、購読者層も[[団塊の世代]]のため、反[[自民党|自民]]・反米・反日を訴えている。支持政党は[[民主党]]と[[社民党]]であり、[[中華人民共和国]]と[[韓国]]の国益の代弁者となっている。<br />
<br />
== 沿革 ==<br />
[[Image:朝日新聞2.jpg|500px|thumb|捏造報道を続ける朝日新聞]]<br />
* [[1879年]]1月 [[大阪]]で創刊。<br />
* [[1882年]] [[政府]]と[[三井銀行]]から経営資金援助を受け始める。<br />
* [[1888年]]7月 東京の「[[めさまし新聞]]」を買収し「[[東京朝日新聞]]」を創刊、東京進出。<br />
* [[1889年]] 大阪本社発行の新聞を「大阪朝日新聞」と改題。<br />
* [[1915年]] 大阪朝日が[[夕刊]]の発行を開始。大阪朝日が全国中等学校野球大会(現[[全国高校野球選手権大会]])を開催。<br />
* [[1918年]] [[白虹事件]]<br />
* [[1935年]]2月 西部本社で発行開始。<br />
* [[1935年]]11月 名古屋本社で発行開始。<br />
* [[1936年]][[2月26日]] [[2・26事件]]で反乱軍が東京朝日新聞社の社屋を襲撃。<br />
* [[1940年]] 大阪朝日と東京朝日は題号を統一、朝日新聞とした。<br />
* [[1942年]] [[ゾルゲ事件]]で東京本社政治経済部長[[田中慎次郎]]([[3月15日]])、同部員[[磯野清]]([[4月28日]])が検挙 。<br />
* [[1950年]]9月27日 潜行中の[[日本共産党]]幹部伊藤律との単独会見記事を掲載。後にこれが担当記者により捏造されたものであると判明する。<br />
* [[1959年]]6月 北海道支社で発行開始。<br />
* [[1963年]][[12月24日]] 村山社主家が常務取締役・東京本社業務局長永井大三を解任。社内紛争「村山事件」が始まる。<br />
* [[1980年]]11月 東京本社が[[千代田区]]有楽町から[[中央区 (東京都)|中央区]]築地に移転。[[鉛活字]]を一切使わず、[[コンピュータ]]製作による新聞製作システム「'''ネルソン'''」導入。<br />
* [[1987年]]5月 兵庫県西宮市の阪神支局で記者殺傷事件が発生、「[[日本民族独立義勇軍 別動 赤報隊|赤報隊]]」と名乗る者から犯行声明(未解決のまま2003年に時効成立)。<br />
* [[1988年]]6月 大阪本社を最後に、鉛活字による新聞製作の歴史に幕。全本社がコンピュータ新聞製作システム「ネルソン」に完全移行。<br />
* [[1988年]]6月 いわゆる「[[リクルート事件]]」スクープ。<br />
* [[1989年]]4月 所属記者が[[沖縄県]]の[[珊瑚]]に[[落書き]]する(別掲)。<br />
* [[1996年]] 西部本社の製作(組版など)が福岡本部へ転居。<br />
* [[2002年]]3月 46年間続いた日曜版を廃止、4月より新たに土曜版「[[be (朝日新聞)|be]]」を発刊する。<br />
* [[2003年]]6月 西部本社を[[北九州市]][[小倉北区]]内で新築移転。<br />
* [[2004年]][[1月1日]] [[南極]]支局を開設。<br />
* [[2005年]][[4月1日]] コンピュータ製作による新聞製作システムをメーンフレームの「'''ネルソン'''」から新メディア系システムに移行、経営営業系システム等と統合へ。<br />
* [[2005年]][[4月3日]] 実質的な日曜版の復活となる「be on Sunday」創刊。土曜日は「be on Saturday」に改題。<br />
* [[2005年]]会員制サイト・[[アスパラクラブ]]スタート<br />
* [[2006年]][[1月]] 朝日新聞創刊127周年記念した「[[ジャーナリスト宣言。]]」というキャッチコピーのもと、[[ANN系列]]外でも大々的に宣伝する。<br />
* [[2007年]][[2月]] 読売新聞Webサイトの記事盗用発覚により、「[[ジャーナリスト宣言。]]」キャンペーンを自粛する。<br />
<br />
=== 朝日報道、妄導と煽動の戦後史 ===<br />
[[ソ連]]、[[中国]]、[[北朝鮮]]、そして[[安保]]。偏向の誹りを免れえない戦後報道の根底にあるのは何か?<br />
<br />
「(新聞人の責任とは)できるだけ均衡の取れた形で、その日その日の紙面に表現し、真実を伝達することである」<br/><br />
「その均衡感覚の著しくちがった方面から見れば、あるいは偏向という批判をあびせたくなるのかもしれぬ。だが、その批判者には借問したい。なぜ、自分と違った他人の均衡の感覚が偏向であり、自分の感覚は偏向でないか、と。かりに、他人の持っている思想や考え方が、世間の多数から外れているとしても、それが偏向であるか否かは、永い歴史の審判する所である」<br />
<br />
この文章は、[[1968年]][[10月15日]]「新聞人の責任」という題で掲載された朝日新聞の社説である。戦後の朝日報道の問題点を考えるとき、真っ先に思い浮かぶのがこの文章だ。現在結論ははっきり出ている。朝日報道の主流は「長い歴史の審判」によって、偏向に他ならない。しかも朝日は、過ちを認め責任を引き受けることもなく口を拭ってきた。現在話題になっている慰安婦報道は、実はその一部にすぎない。<br />
<br />
'''【ソ連報道】「平和共存」の美名のもと共産党独裁の代弁者に'''<br/><br />
[[ソ連]]・[[東欧]]の[[共産主義]]独裁体制が崩壊して既に20年以上が経過した。そこで崩れ去ったのは、言論の自由、平和、民主主義、人権--といった価値観を否定する独裁・[[全体主義]]体制だった。朝日新聞は戦後、こうした価値観の擁護を高く掲げてきた。であるならば、朝日にとってソ連共産党独裁体制は「敵」であり、肯定的に報じられるはずがなかったはずだ。ところが朝日は、こうした独裁体制を一貫して擁護していたのである。<br />
<br />
確かに欧米を含め多くの左派・リベラル派知識人が、ソ連幻想に捕らわれた時代もあった。しかし、[[1953年]]の[[スターリン批判]]、56年の[[ハンガリー動乱]]、68年の[[チェコ進駐]]、そして何よりも[[ソルジェニーツィン]]の「[[収容所群島]]」の発行、[[サハロフ博士]]の民主化運動への弾圧などで、ソ連が自由と民主主義の敵であることは次第に明らかになっていた。そして、[[1979年]][[12月24日]]の[[アフガニスタン侵略]]によって、その侵略性と軍事的覇権主義は明確になった。<br />
<br />
[[1978年]]、[[アフガニスタン]]では人民民主党による親ソ政権が成立したが、この政権は[[イスラム教]]や反ソ武装抵抗勢力により崩壊の直前まで追いつめられた。ソ連は親ソ政権を維持するために軍事介入し、当時の[[アミン大統領]]は処刑され、[[バブラク・カルマル]]政権が樹立された。この事件を朝日新聞は、12月29日社説「アフガン・クーデターとソ連」で次のように報じた。<br />
<br />
「このカルマル政権は、ソ連の強力な支持の下に、誕生した可能性が強い」が「ソ連部隊が今度のクーデターにどの程度関与したのか、カルマル新政権がソ連のかいらい政権かどうかは、即断はできない。」「ソ連が真に『覇権主義』に反対ならば、必要最小限の援助要員以外、直ちに部隊を撤収し、アフガニスタンの運命は民族自決に任せる原則を貫徹してほしい」<br />
<br />
ソ連がチェコ侵略以後、東側社会主義陣営を維持するために「各国の主権は制限されても構わない」という[[ブレジネフ・ドクトリン]]を掲げていたことは当時すでに国際社会では常識だった。<br />
<br />
「ソ連が真に『覇権主義』に反対ならば」などとソ連を「平和勢力」としてかばい立てするその姿勢は、[[尾崎秀実]]以来の親ソの伝統ゆえか。<br />
<br />
なお、アフガン侵攻に抗議して日本を含む世界各国が[[モスクワ・オリンピック]]をボイコットしたが、朝日新聞は断固としてオリンピック参加を唱え続けた。<br />
<br />
このアフガニスタン侵略は、ソ連の正体を白日のもとに曝し、日本でも「ソ連脅威論」も生まれたのだが、朝日はなんと[[1980年]][[11月28日]]から14回にわたって「ソ連は脅威か」というソ連徹底擁護の連載を掲載した。<br />
<br />
簡略すると、ソ連脅威論は根拠がなく、日本の軍事増強を企む[[防衛庁]]や一部勢力がソ連脅威論を煽っているだけであり、ソ連の軍事力は日本侵攻を果たす能力も意志もない--とする内容で、「ひたすらソ連を非人間的な悪ものに描き、恐怖をあおりたてるような論じ方は、世論や政策対応を誤らせる方向に導かないだろうか」(連載最終回)と結んでいる。<br />
<br />
[[中国]]や[[北朝鮮]]の体制を批判する論者に朝日がしばしば投げかける言葉とそっくりである。このように中立を装いつつ独裁政権の悪を矮小化しようとする姿勢こそ、自由な社会を守る気概も、独裁体制下で呻吟する民衆への同情も共感もない西側の自称リベラル・平和主義言論の道徳的退廃なのだ。<br />
<br />
さらに朝日は、[[1982年]]2月に社を挙げた訪ソ団を送り、[[チーホノフ首相]]との単独会見に成功するが、その時のインタビューと解説「ソ連首相と会見を終えて」([[秦正流]]記者)は、今読めばまさに犯罪的なものである。<br />
<br />
[[1980年]]から[[ポーランド]]では労働組合「連帯」による民主化運動が高まっていたが、[[1981年]]12月、[[ヤルゼルスキ]]政権は戒厳令を敷き[[ワレサ]]をはじめとする「連帯」指導者を逮捕し、軍政を敷いていた。<br />
<br />
朝日のインタビューで、[[チーホノフ首相]]は、欧米の「連帯」への支持を「主権国家であるポーランド人民共和国に粗暴な圧力を加えること」と非難し、「戒厳令は無政府状態、混乱、そして内戦からポーランドの社会を救った」と平然とうそぶいている。<br />
<br />
[[ヤルゼルスキ]]政権の強硬策の背後にソ連の圧力があることは明らかだったが、朝日はチーホノフ首相の発言に何ら異を唱えていない。それどころか、<br />
<br />
「ソ連が今何にもまして緊急かつ重大な課題としているのは、緊張緩和(デタント)の復活である。つまり、軍拡競争を打ち止め(中略)軍縮への軌道修正を図ること」<br />
<br />
だと、まるで平和の使徒のようにソ連を見なし、<br />
<br />
「ソ連は革命以来65年(中略)今日のような巨大な工業力を作り上げ、それなりに国民生活をも向上させてきた大国だけあって、困難に耐える強さと自信を他のどの国よりももっている」と讃えたのである。<br />
<br />
ところが、この後わずか9年でソ連が崩壊するや、朝日のソ連評価は180度転換する。[[1991年]][[8月25日]]の社説はこう論じている。<br />
<br />
「『自由な共和国による揺るぎない連邦』スターリンの時代以来、ソ連の指導者は自国をこう讃えてきた。それは建前に過ぎず、実はどの共和国も、共産党とそれが支配する軍、[[KGB]]などの『鉄の腕』に締めあげられてきた。中央権力は民族の文化、言語を軽んじ、時にその抹殺さえはかった。抵抗する人たちは迫害した」<br />
<br />
また翌26日社説「ソ連共産党の崩壊と新世界」では「74年にわたってソ連に君臨し、[[マルクス・レーニン主義]]の論理と価値観をもって世界に『挑戦』しつづけてきたソ連共産党がついに崩壊した」「[[1956年]]の[[ハンガリー動乱]]、あるいは[[1968年]]の『[[プラハの春]]』のとき、[[ペレストロイカ]]の開始でやっと公に論じられた問題点の多くが、すでに指摘されていたのである」と述べている。<br />
<br />
では[[チェコ]]や[[ハンガリー]]同様、いや、直接的には[[ソ連崩壊]]や[[東欧民主化]]の先駆けとなった[[ポーランド]]の「連帯」を誹謗するソ連首相談話を恭しく紹介し、しかもソ連体制は強く安泰だと予言した82年当時の報道は何だったのか。この点について、朝日はこれまでなんら反省していない。<br />
<br />
ついでに朝日に提言しておきたい。現在、「民族の文化、言語を軽んじ、時にその抹殺さえはか」り、「抵抗する人たちは迫害」しているのは中国である。このような体制は必ず斃れることを、歴史の教訓として堂々と表明すべきだろう。<br />
<br />
'''【中国報道】文革礼賛から四人組批判に「転向」'''<br/><br />
[[文化大革命]]とは、[[劉少奇]]ら経済改革派の台頭に脅威を感じた[[毛沢東]]が、青年たちを扇動し[[紅衛兵運動]]を全国的に展開、改革派を攻撃させて毛沢東派が権力を握るが、同時に紅衛兵の暴力的な行動で全土に大混乱が生じ、伝統文化の破壊、少数民族の虐殺、知識人への迫害などが相次ぐ。そして国家秩序を維持するために[[人民解放軍]]が出動し、数百万を超える犠牲者を出した内戦に近い混乱と悲劇の時代だった。<br />
<br />
朝日新聞[[1966年]][[5月2日]]社説は、この文化大革命を、中国で新たな特権階層が中農や知識層の中に現れてきたことへの第二革命と評価し<br />
<br />
「そこには、いわば『道徳国家』とも言うべきものを目指すと共に、中ソ論争の課題に答えようとする『世紀に挑む実験』といった意欲も感じられなくはないのである」と述べていた。<br />
<br />
これはソ連を資本主義国と妥協する修正主義国家とみなしていた中国政府の立場を反映し、しかも文革を実態とかけ離れた「道徳国家」とみなす礼賛記事に他ならない。だが、この時期の朝日には、冷静な分析も載っていた。[[1966年]][[8月31日]]社説「中国の文化大革命への疑問」では、街頭で壁新聞を貼り、父親の世代を糾弾し、宗教施設や古い美術品などを惜しげもなく破壊しつつ毛主席万歳を叫ぶ紅衛兵を批判的に論じている。<br />
<br />
== 「朝日」が立派に育てた中国「反日暴徒」。「靖国参拝」も「教科書問題」も、火付け役は朝日新聞だった ==<br />
おそらく、[[中国]]の反日デモを目の当たりにした朝日新聞の胸中には複雑な思いが去来したに違いない。日本大使館に石を投げる人民の主張は、朝日が口を酸っぱくして繰り返した「歴史認識」とすっかり重なっていたからだ。<br />
<br />
ならば、胸を張るがいい。<br />
<br />
[[中国共産党]]と力を合わせて種を蒔き、水をやった努力が今、「反日暴徒」の実を結んだのである。<br />
<br />
そもそも、日中間で政治問題化した歴史認識問題、つまり[[靖国参拝]]や教科書などを記事で大きく取り上げて、中国で火がつくように仕組んだのは朝日新聞だった。朝日が大きく報道し、中国政府がそれに反応して大騒ぎする。この構図の中で、中国は、国民に根強い反日感情を植え付けてきた。つまりここ3週間に起きたデモは、朝日が繰り返し、日本は誤った歴史認識を持っていると報じた結果、若者達に高じた反日感情がベースで、朝日のとった親中路線を進めた結果の出来事なのだ。<br />
<br />
朝日新聞が編み出したのが、中国共産党と″一心同体〝となった「御注進ジャーナリズム」と呼ばれる手法だった。OBの稲垣氏が説明する。<br />
<br />
「御注進ジャーナリズムとは、中国が反発すると予想できることを、朝日が大々的に報じて、中国政府に反発という反応をさせ、また、その反応を大々的に報じて増幅させる手法です。私は朝日は親中というよりも、中国に媚びている″媚中〝だと思っていますが、この媚中メディアの書くことは外交カードになるということを中国に知らせてしまった罪は大きかったのです。」<br />
<br />
== [[橋下徹]]騒動を呼んだ、朝日新聞出版の“社内事情” ==<br />
朝日新聞社の100%子会社である朝日新聞出版の[[神徳英雄]]社長が辞任した人事は、朝日新聞社内では「自業自得の辞任」と言われている。<br />
<br />
辞任の直接の原因は、朝日新聞出版が発行する「[[週刊朝日]]」(10月26日号)が掲載したノンフィクション作家・[[佐野眞一]]氏による記事『ハシシタ 奴の本性』が、橋下徹・大阪市長の人権を著しく侵害したとの批判を受けたことによるものだが、今回の問題の背後には、神徳氏の経営判断のミスもある。<br />
<br />
神徳氏は、親会社の朝日新聞社常勤[[監査役]]から2012年6月に朝日新聞出版の社長に異動した。監査役に就く前に朝日新聞の取締役出版担当を務めていた当時、人件費削減のために出版部門の分社化を推進した。しかし、分社化に対しては社内には反論もあった。その理由は「朝日の出版部門の主力は、『AERA』と『週刊朝日』という雑誌ジャーナリズムであり、ハウツー系などの書籍ではない。人材交流も含めて社会部や政治部、経済部といった本体の新聞と連携して、事実を確認したり、情報交換をしたりしている。コスト削減を狙って単純に分社化しても、運営はうまくいかない」(関係筋)というものだった。<br />
<br />
「こうした安易な改革は、出版も朝日新聞のジャーナリズムを担う一部門という意識が欠けているし、分社化して給与体系の安い社員を入れても、雑誌としての品質は維持できない」という声も出ていた。「週刊朝日」や「AERA」は取材と人事の両面で朝日新聞本社との交流が深いため、一体運営をしてこそ新聞社系の雑誌の威力が出せるという意味である。<br />
<br />
現に分社化によって、朝日新聞出版は本体から今まで以上に一段低い存在として見られるようになり、これまでは本社から優秀な記者が視野を広げる勉強のために出版に「異動」していたのが、「リストラ要員」的な人材が出版に「出向・転籍」するケースが増えた。また、外部から給料の安い若手を採用したものの、記者としての心得の訓練を受けていない人材も入ってきた。この結果、分社化によって士気は下がる一方で、出版不況とも相まって「週刊朝日」や「AERA」は部数凋落の一途をたどった。<br />
<br />
=== 不慣れな若手記者を「トカゲのしっぽ切り」 ===<br />
[[Image:週刊朝日3.jpg|350px|thumb|常に人権や平等を振りかざしてきたが、[[橋下徹]]は[[同和地区]]出身だと叩く]]<br />
2011年には、こんな問題も発生している。「AERA」では中途採用した不慣れな若手記者を民族派団体の取材に行かせ、その記者が「美人局」に引っかかってしまって朝日新聞出版は民族派団体から脅しを受けた結果、責任を取らせる形でその若手記者を退社させている。上司である編集長や取材の指示を出したデスクらは責任逃れしたため、社内では「トカゲのしっぽ切り」だとの批判も起こった。<br />
<br />
ちなみに、その責任逃れしたデスクが、今回の「橋下原稿」を担当したデスクであるというから、開いた口がふさがらない。出版社としてのガバナンスは、一体どうなっているのだろうか――。<br />
<br />
取材に不慣れな若手記者の採用について、あるジャーナリストはこう指摘する。<br />
<br />
「『AERA』の記者が電話でコメントを求めてきたので、対応しました。後でコメントを打ち返してきたのを見ると、しゃべったことの半分程度しか理解しておらず、文章も下手なうえ、書いた記事全体も何が言いたいかがよくわからない内容で、よくこんな企画が通ったものだと思いました。その記者の社歴を聞くと、中途採用された経験の乏しい若い方で、これまでのAERA記者とは違ったイメージを持ちました」<br />
<br />
「美人局騒動」のケースも見ても、経験の乏しい記者を育てる雰囲気や仕組みが、朝日新聞出版から消えてしまったということではないだろうか。こうして「週刊朝日」や「AERA」のコンテンツ力は劣化し、部数凋落の大きな要因をつくり出したのである。<br />
<br />
=== 質の高い原稿は、文藝春秋や講談社へ ===<br />
[[Image:朝日新聞4.jpg|300px|thumb|朝日新聞の不買運動]]<br />
その結果、焦ってセンセーショナルな記事に走ろうとして誕生したのが、橋下氏の人権を無視した出自を暴く企画である。「週刊文春」や「週刊新潮」などの雑誌は、出版社の社員である編集者が外部の契約記者や作家を使いこなしているが、もともと朝日新聞出版は、海千山千の外部筆者を使いこなすエディターシップが高くない。<br />
<br />
さらに言うと、外部の作家もこれまでの付き合いの深さから文藝春秋や講談社、新潮社といった出版社を優先させて原稿を出すので、質の高い原稿を外部から取ることは期待できない。だから、一流のノンフィクション作家だと世間では見られている佐野氏も、「勝負原稿」を朝日新聞出版に出したわけではない。佐野氏にしては原稿の内容が薄かったという指摘すらある。<br />
<br />
こうした負の連鎖を招いた張本人が、出版部門を分社化した神徳氏なのである。社長が原稿を書いたわけでもなく、編集を担当したわけでもない。しかし、結局、神徳氏が出版担当取締役時代に、コスト削減だけを重視するだけで、肝心のコンテンツをどのようにつくるのかという戦略的かつ本質的な議論がないまま、分社化の方向へ向かったのが間違っていたのだ。<br />
<br />
そもそも神徳氏は、分社化した朝日新聞出版の初代社長になるはずだったが、構造的不況の中にある出版社の経営を切り盛りする「自信がない」という理由で火中の栗を拾うことから逃げた人物でもある。<br />
<br />
取締役退任後、常勤監査役に退き、2012年6月の役員人事で2代目朝日新聞出版の社長に就いていた。自分がまいた「不幸の種」が巡り巡って自分の社長時代に「開花」してしまったというわけだ。このため、「自業自得」と言われ、朝日社内でも同情する人が少ない。<br />
<br />
神徳氏は朝日新聞で経済部を中心に歩んできた。早稲田大学大学院を出て1973年に入社。ニューヨーク特派員や朝日新聞労働組合委員長を歴任した「スーパーエリート」で、同じく経済部OBで消費者金融などと広告関連で癒着して、朝日ジャーナリズムを破壊した[[箱島信一]]元社長の側近中の側近である。<br />
<br />
朝日新聞は政治部と経済部が交代で社長を出してきたので、政治部出身の[[秋山秋太郎]]社長(現会長)の後は神徳氏が次期社長の有力候補の時期もあったが、箱島氏の威光を借りて態度があまりにも傲慢で「好き嫌い人事」を横行させたために、社内で敵を多くつくり、常勤監査役に失脚してしまった。この時も朝日社内では「箱島の威を借る神徳は、箱島の失脚とともに消え去った。自業自得だ」と言われた。「驕る神徳久しからず」と言う人もいたそうだ。天は神徳氏の「悪行」をまだ忘れておらず、今回の問題で、きつい「お灸」を据えたということであろう。<br />
<br />
== 取材先に「電話に出やがらねぇ」 ==<br />
[[土井まひろ]](38) @KENXY <br />
<br />
朝日新聞様。朝8時から事前の予告もなく、おそらく焦眉の急のお電話頂いたにも関わらず、病床故、お声の通り呼び出し中に「電話に出やがらねえ」で誠に相済みませんでした。<br />
<br />
あと老婆心ながら、電話は録音前からメッセージ聞こえているので、言葉遣いは常に考えられた方が宜しい、絶対、マジ、多分。 <br />
<br />
https://twitter.com/KENXY/status/384472484545720320<br />
<br />
== 橋下市長「朝日や毎日のような主張を言えば政治的中立害さない、というのはおかしい」 ==<br />
[[Image:朝日新聞6.jpg|300px|thumb|朝日新聞の不買運動]]<br />
[[Image:朝日新聞7.jpg|300px|thumb|朝日新聞の不買運動]]<br />
[[Image:朝日新聞8.jpg|300px|thumb|朝日新聞の不買運動]]<br />
--[[NHK]]会長の慰安婦発言で、[[民主党]]が追及の構えだが、市長の見解は<br />
<br />
「民主党はもうちょっと歴史を勉強したほうがいいんじゃないですか。籾井さんが言っていることはまさに正論ですよ。その通りですよ。あの主張に反論なんかできる人なんていないと思いますよ。僕が言い続けてきたことと全く一緒です。あの意見について、まぁ朝日は毎日、メディアは大誤報やってくれて、主語とかすっとばして、正当化したとギャーギャー言っていたが、籾井さんの言っていることは僕がずっと言い続けてきたことで、あの点についてきちっと反論できる人はいないと思いますよ。もっとね、皆さんも含めてね、歴史を勉強しないといけないし、今この時期、この状況になってね、[[中国]]や[[韓国]]のこの状況をみて、歴史というものが外交戦争に使われているということもある。日本は今までそういうことやってこなかった。日本の[[外交官]]もそういうこと言わずに、とにかく相手の気を害さないようにとやってきたが、中国もね、それなりの力を持ってきて、今までのアメリカ一極の世界秩序の中で我慢するような状況でなくなったときには、歴史については主張してきますよ」<br />
<br />
「[[安重根]]の問題だって、韓国の主張だって中国の主張だって、彼らの主張でそういう主張あると思うが、日本であんな主張認められませんよ。歴史は当事者によって主張や認識が違うのはあたりまえ。だから自衛戦争だと言っても相手方から見たら侵略だし、相手が侵略と言ってもこっちからしたら自衛だということもある。でも僕は[[サンフランシスコ講和条約]]を結んだ以上は、世界から侵略戦争と評価されること、言われることについては日本の政治家として受け入れざるを得ないが、その他の歴史問題については、今までのように黙っていたらいいなんてそんなことやってたら、外交戦争に敗北しますよ」<br />
<br />
「どれだけ中国や韓国が今、世界で[[プロパガンダ]]やっているんですか。今まで日本人は相手の気持ちを害してはいけないということで「言うな」「言うな」となりましたが、慰安婦問題は最たるもの。きちっと言わないといけない。日本人として。認めるところは認め、反省するところ反省する。世界から不当な評価受けるようなことについてはしっかり言わないと」<br />
<br />
「[[アメリカ人]]も[[ヨーロッパ]]も、完全に勘違いしている。僕が言っているのは、世界の、国際社会においては価値観は多様化している。一定の価値観を押しつけたって理解はしてくれない。でも世界共通の物差しは、フェアかアンフェアか。慰安婦問題はアンフェアです。日本だけを袋だたきするような世界の態度はアンフェだと言えばいい。戦争は悲惨だし、二度とやってはいけないが、そういう状況の中で、似たり寄ったりのことはどの国だってやっていたし、戦争と性の問題は、どの国だって抱えてきた不幸な歴史なんですよ。そういうことは二度と繰り返さない、今の価値観においてはそんなことあってはならない。だけど、日本だけが不当に袋だたきされているのは何故かというと、日本人が主張してこなかったからだ」<br />
<br />
「慰安婦問題について、どういう問題なのか。[[河野談話]]の問題点とかきちっと言わなかったから。籾井さんの言っていることは至極正当で、民主党はもっと歴史を勉強すべきだし、[[自民党]]の方から批判が出るのは非常に残念です。こういう問題になって必ず出てくる政治的中立性ですよ。出ましたよ、またこれ」<br />
<br />
「政治的中立性ってね、だいたい何か発言したら政治的な価値観は必ず含まれるものでね。メディアからしたら、毎日、朝日にしたら、籾井さんとは慰安婦問題で反対意見だから、ああいう発言をしたら政治的中立性を害するというが、朝日や毎日のような考えだったらあれも政治的な見解ですよ。ひとつのね。籾井さんの考え方も政治的な考え方。僕の考え方も政治的な考え方。もっと言えば、慰安婦問題について、世界から袋だたきにあっても良いという主張も政治的な考え方」<br />
<br />
「だから朝日とか毎日とか、ああいう主張をNHKの会長が仮に言えば、それはまた政治的中立性を害することになる。政治的中立性というのは、権力を使って番組の編集権に介入してくるのが中立性を害するということ。トップが発言すれば、政治的な意味は入ってきます。たまたまそれが、政権側の考え方なのか、朝日新聞や毎日新聞の考え方なのか、どっちかは知りませんが、たまたま今回のような主張を言えば政治的な中立性を害すると言って、朝日や毎日が言っているような主張を言えば政治的な中立性を害さない。そんなのはおかしいです」<br />
<br />
「僕は籾井さんが言っていることは極めて正論。日本人が、特に僕らの世代が籾井さんの考え方を勉強して、反論できるなら反論を考えた方が良い。学校現場で。どこが問題なのか。今まではそういうことを考えることなく、発言すること自体がダメという風潮だったが、非常にね、僕が言ったところで世間はわーっと「橋下が言った」ということでこうなったが、NHK会長で、それなりの経歴のある人がああいうことを言われたということで、日本国民はしっかりここで考えなきゃいけないと思う。発言が悪いというなら、どの部分が悪いのか論理的に言わないといけない。論理的に論破できる人はいないと思いますよ」<br />
<br />
--政治家や新聞社と違い、NHKは放送法で中立が定められている。受信料で成り立っている。NHK会長が発言したことについては政治的に意味ない発言…なんてのはあり得ないのでは?<br />
<br />
「問題ないんじゃないですか。だから、政治的中立性と言うが、政治的に意味のない発言なんてのはあり得ない。何か発言すれば、必ずそこには何か政治的な意味が含まれていて、今まではメディア、特に朝日や毎日がすぐ騒ぐから、彼らが反対するようなことを言わなければ、たまたま何も騒がれなかっただけ。でもそこに政治的な意図は入っていると思いますよ。NHKの番組自体だって、政治的な意図は入っているじゃないですか。慰安婦問題とか、戦争責任を追及した裁判の番組にしたって、番組には必ず政治的な意味っていうのは入っている。でもそれは仕方ない。中立性というものは、現場が何か作るときに政治権力で編集権や番組作るところに介入してくることが問題だが、トップが発言することというのは何ら問題ないと思う。発言したうえで、そのような見解で現場に介入したら問題だと思うが。政治的中立性という言葉も、もうそろそろ、日本人は考えないといけないと思います。何かやろうと思えば、政治的な意味は含まれてくる。政治的中立性というのはどういうことなのかをしっかりしっかり考えないといけない」<br />
<br />
--維新としては国会では問題にする必要ないと?<br />
<br />
「いやどこが問題なんですか籾井さんの発言の。誰もたぶん、論理的に反論できないと思う。僕が言っていることと同じだから、僕だって論理的に批判受けたら論破する自信はあるが、そういう議論の場が与えられなかったから一方的に悪いと言われたが。籾井さんや僕の発言に問題があるならどこかということ。モラル上は悪い、現在は悪い。当時だって、やっていいことかといったらだめなことでしょう。二度とやってはいけない。でも世界各国、当時、戦争時は似たり寄ったりのことはみんな戦場と性の問題は、現代の紛争においてすらずっとある。古代の戦争からずっとあったわけです。そいうことをどうやって止めるかをこれから考えないといけないが、そういうことはあったのは歴史的な事実。日本も反省するが、日本だけが袋だたきに遭っている状況は『違う』ということを言わないといけない。米国だって、こういうことはやってはいけない、やめていこうと、ヨーロッパや米国の価値観だったらそういう。でも現実問題として、[[第二次世界大戦]]とかそれ以降、米国も英国もフランスだって、戦場で女性を性の対象としてみんな利用していた。なぜ日本だけが袋だたきに遭うのか。それは、国家が組織的に女性を拉致した。人身売買した。世界の戦場の性の問題とは特殊なことをやっていたという風に、世界に広まってしまっているから」<br />
<br />
「日本だけが特殊だと批判を受けている。日本だけが本当に特殊なんですか。反省はするし、二度とやってはいけないが、日本がやっていたことだけが世界から袋だたきに遭うような特殊性があったなら、どこが特殊なのかしっかり検証しないといけない」<br />
<br />
「[[韓国]]だって、[[朝鮮戦争]]の時には慰安婦制度をしっかり設けてやっていた。なぜ設けるかと言ったら、強姦が多発するとか、性病が蔓延するといろんな理由でね、慰安婦制度を朝鮮戦争の時に持っていたというのは、韓国の軍事史の中でもはっきり位置づけられている。そういうことを検証せずに日本だけ言われっぱなしで、朝日や毎日などのメディアがずっと日本が悪い、一切発言できないような雰囲気を作ってきたからこういう状況になったけれど、ちゃんと歴史を勉強して、戦場と性の問題、どういう事実が歴史的にあったのか、二度とやってはいけないが、日本だけが袋だたきに遭うというのはどういうことか、日本人は考えないといけないと思いますよ」<br />
<br />
== 「人民日報」より中国を愛し、「朝鮮日報」より韓国を礼賛する朝日新聞 ==<br />
[[Image:朝日新聞9.jpg|300px|thumb|朝日新聞の不買運動]]<br />
朝日新聞が「売れるから『嫌中憎韓』」という特集記事を2014年2月11日に掲載した。そこでは、「嫌中憎韓」が出版界のトレンドになりつつあると解説し、要は売れるからという理由で中国、韓国に対する悪感情を煽っていると解説している。<br />
<br />
しかし、いまの日本に渦巻く嫌中憎韓のムードはいかに生まれたのか。<br />
<br />
朝日新聞は、これまで政権批判の常套手段として、[[従軍慰安婦問題]]についても[[靖国参拝問題]]についても、「中国や韓国が反発している」ということを自らの批判の根拠としてきた。<br />
<br />
たとえば、[[安倍首相]]が靖国神社に参拝した12月26日当日の夕刊では、「中韓、強く抗議」「中韓との関係悪化を懸念」と2つも大きな見出しを使って取り上げ、参拝翌日の社説でも、〈安倍首相の参拝に、侵略の被害を受けた中国や韓国は激しく反発している。外交にいらぬ火種をつくる。下策である〉と重ねた。<br />
<br />
他のメディアは、安倍首相の参拝を「自己都合によるもの」で「国際社会へ説明不足」と批判していたが、「中韓が反発するからやめろ」といったことは一度もない。自分たちの批判の根拠をあくまで中韓の反発に置く、というやり口なのだ。<br />
<br />
「これは朝日に限りませんが、どこかの発表に基づく『発表報道』が主流になっていて、取材に基づく言論というものが非常に貧弱になっている。いわゆる『ご注進報道』などといわれる、記事の持つべき力を他国の『外圧』に頼るこの種の報道は、その流れの上にあるものだと思います。主張すべきことがあるのなら、きちんと自分らで取材をして、自前の議論をすべきです」([[田島泰彦]]・[[上智大学]]教授)<br />
<br />
だからこそ、朝日は韓国で起きたこと、発表されたことは、過剰なほど大きく取り上げる。たとえばこの2月、[[村山富市]]・元首相が訪韓し、元慰安婦と面会し、植民地支配を謝罪した「[[村山談話]]」の継承をアピールした件では、二度も写真入りで報じる力の入れようで、他紙を圧倒した。<br />
<br />
ほかにも、韓国の外相が元慰安婦を訪問すれば「日本の指導層の歴史を歪曲した妄言には断固対応する」(外相)「日本の暴言がひどくなっている。私が死ぬ前に間違いを認めさせて欲しい」(元慰安婦)といった発言を論評抜きでそのまま紹介し、韓国の女性家族省が「元慰安婦の日」を制定しようとすれば、これも取り上げる。<br />
<br />
週刊誌よりも朝日新聞のほうが、よほど「韓国」や「慰安婦」の見出しが好きなようだ。<br />
<br />
== 朝日新聞がマッチポンプで積み重ねた記事を材料に中国・韓国が反日確立 ==<br />
[[Image:長谷川千秋1.jpg|500px|thumb|長谷川千秋]]<br />
朝日新聞は2014年[[2月11日]]、「売れるから『嫌中憎韓』」という記事を掲載した。要するに、日本の雑誌が「売れるから」という理由で中韓を揶揄するような記事を出していると指摘したのである。<br />
<br />
だが、現在の日本に渦巻く嫌中憎韓のムードは、そもそも反日に凝り固まった中韓に原因がある。中韓をしてそうなさしめたのは、[[韓国]]にとっての[[従軍慰安婦]]であり、[[中国]]にとっての[[南京大虐殺]]、[[靖国問題]]という反日の大きな柱ができたことによる。そして、それらの先鞭を付けたのは、すべて朝日新聞なのである。<br />
<br />
朝日は、これまで中韓を利する記事を繰り返してきた。たとえば[[2005年]]3月、当時論説主幹だった[[若宮啓文]]氏(後の主筆)の「竹島と独島 これを『友情島』に…の夢想」というコラム。<br />
<br />
<pre><br />
例えば竹島を日韓の共同管理にできればいいが、韓国が応じるとは思えない。 <br />
ならば、いっそのこと島を譲ってしまったら、と夢想する。見返りに韓国はこの英断をたたえ、島を「友情島」と呼ぶ<br />
</pre><br />
<br />
あるいは[[2007年]]3月、[[第一次安倍政権]]時代の記事。<br />
<br />
<pre><br />
「シンゾー・アベは拉致問題には熱心だが、従軍慰安婦問題に対する態度と矛盾するのでは?」<br />
「従軍慰安婦」研究の吉見(義明・中央大学商学部教授)も、このふたつの問題に共通性を見いだしている。<br />
拉致被害者も、「いい仕事がある」などと「甘言」にだまされ、連れ去られた例がある。<br />
朝鮮人の少女が業者から「赤いワンピースと革靴」を見せられ、「いい暮らしができるよ」と戦地の軍慰安所に送られたのもまた、<br />
「甘言」による「拉致」ではないか<br />
</pre><br />
<br />
竹島を譲るのも、拉致と慰安婦を同一視するのも、まるで「朝鮮日報」のコラムを読んでいるような気がしてくる。もちろん、取材対象の立場に立つことはジャーナリズムに置いて重要なことは認めるが、これは明らかにそのレベルを逸脱した、韓国への偏愛としか思えない。<br />
<br />
近年では[[2012年]]8月、夕刊のコラム「素粒子」に書かれた内容が物議を呼んだ。<br />
<br />
<pre><br />
すきを突いた韓国の速攻。自陣のラインがたがたで防ぎ切れず。増税の日を狙ったかのように李大統領が竹島に。<br />
中国ともロシアとも韓国ともギクシャク。元より北朝鮮は話にならず。いよいよ米国頼みの単細胞になりそうな。<br />
あふれる韓流やKポップ。どこにでもある韓国食材。この落差は何?在日の友とマッコリ飲みながら考えよう<br />
</pre><br />
<br />
この頃になると、ネットには「朝日新聞の素粒子がいくらなんでも酷いと話題に」というトピックが立てられ、批判が集まるようになった。つまり、こうした記事を朝日が積み重ね、中韓がそれを材料に「反日路線」を確立したことが、日本国民のなかに徐々に「嫌中憎韓」の感情を植え付けていったのだ。<br />
<br />
朝日新聞は、自らが焚きつけた火が燃え移った「嫌中憎韓」の炎を鎮火しようと躍起になっている。だが、それを「マッチポンプ」だと認めない限り、説得力はないだろう。<br />
<br />
一つこれだけはいえる。もし「嫌中憎韓」が売れるとすれば、それは朝日のおかげだと。<br />
<br />
== 朝日新聞という病 - 池田 信夫 ==<br />
私がマスコミに勤務していた20年前に比べると、[[インターネット]]の世界は激変したが、マスコミは驚くほど変わらない。 <br />
<br />
最近の集団的自衛権をめぐる朝日新聞の報道は異常というしかない。[[2014年]][[7月2日]]の紙面は、次のような見出しで埋め尽くされている。 <br />
<br />
* 平和主義覆す解釈改憲<br />
* 「強兵への道」許されない<br />
* 危険はらむ軍事優先<br />
* 周辺国刺激 緊張招く懸念<br />
* 抑止力 逆に低下する恐れ<br />
* ねじ曲げられた憲法解釈<br />
* 「自衛措置」強引に拡大<br />
* 論理の暴走 戦前と同じだ <br />
<br />
私が入社試験を受けたとき、朝日新聞の役員のリベラルな感じは[[NHK]]の官僚的な感じより好感がもてたが、サツ回りはしたくなかったので朝日の内定を断った。私が最後に現場にいたのは[[1993年]]に[[細川内閣]]のできる前だったが、朝日の圧勝だった。首班指名の前に朝日は1面で「細川首相」、読売は「羽田首相」という大見出しを掲げた。<br />
<br />
そのころマスコミ全体が(産経を除いて)[[55年体制]]の終焉を歓迎する論調だったが、[[小沢一郎]]氏が政局運営に失敗し、その後は日本の政治にとっても「失われた20年」だった。それでも[[小泉内閣]]のときは、朝日はまだ改革派だったが、民主党政権あたりから「先祖返り」が始まった。労働問題では労組べったりになり、原発事故のあとは「原発ゼロ」になり、安全保障をめぐっては冷戦時代どころか[[60年安保]]に戻ったようだ。<br />
<br />
その一つの原因は、就職偏差値が落ちたことだと思う。私のころまではマスコミの競争率は100~200倍で、社員にもエリート意識があったが、今は普通の会社と同じで、銀行の滑り止めになってりしている。経営が危ないという点では、中小企業なみのランクだろう。2014年4月入社の社員は、東大卒がゼロになったらしい。昔は(NHKと同じく)半分近く東大卒だったのだが、変わり果てたものだ。<br />
<br />
東大生は「空気」の変化に敏感だ。原発や慰安婦問題などの異常な報道を見ると、最近は朝日新聞=頭が悪い、あるいは朝日新聞=嘘つきというブランドが確立された。そうなると彼らは入らないので、その下の大学の左翼的な思い込みの強い学生が入社する。<br />
<br />
その結果が「朝日新聞女子組」を名乗る次のようなアカウントだ。 <br />
<br />
憲法は権力の暴走を止めるためにある。憲法を守らなあかんのは国民やなくて権力者。<br/><br />
国民が守らなあかんのは法律。 #集団的自衛権 朝日新聞女子組 (@asahi_joshigumi) 2014, 7月 5 <br />
<br />
朝日新聞の記者は「権力の暴走を止めるためには、自分たちは[[憲法]]を守らなくてもいい」と信じているらしい。そういう特権的な地位はとっくに失われたのだが、大阪本社の「女子組」は、いまだに新聞が権力者と対峙しているという思い込みで仕事をしているのだろう。論理の誤りは指摘すればなおせるが、頭の悪さはなおせない。<br />
<br />
もう一つの原因は、読者の高齢化だ。紙の新聞の読者のメディアンは60歳ぐらいで、主要な購買層は[[団塊]]老人だ。朝日新聞の最近の極左的な紙面は、彼らにターゲットを絞っている。これは営業政策としては正解だが、紙の読者は決して増えない。[[団塊の世代]]がいなくなるのが早いか、紙がネットに負けるのが早いかはわからないが、あと10年はもたないだろう。<br />
<br />
[[儒教国家]]では権威(学問的知識)と権力(肉体的暴力)を[[官僚]]に集中させたが、[[キリスト教国家]]では両者を聖俗に分離した。これは果てしなく続く戦争を休戦して異なる宗派が平和共存するためには必要だったが、学問が現実的権力を失うと形骸化する一方、権力が精神的権威を失うと堕落する。<br />
<br />
マスコミはそういうギャップを埋める「世俗的な学問」として一定の役割があった。新聞には資本も権力もないが、媒体を独占することで知的な権威になる一方、「第4の権力」を獲得した。しかしこれも身分不相応な事実上の権力をもつと堕落する。媒体の独占が終わった時代に、こういう権力が消えるのは、歴史的な宿命である。<br />
<br />
== 付け火して煙り喜ぶ朝日新聞。藤岡信勝氏「白旗を掲げつつ進軍ラッパを吹くような卑劣で許しがたい挙に出た」 ==<br />
[[拓殖大学]]客員教授・[[藤岡信勝]]氏 <br />
<br />
世界に広げられた慰安婦問題の解決には、2つのルートしかないと考えてきた。一つは政府による河野談話の撤廃であり、もう一つは、このプロパガンダの製造・普及の責任主体である朝日新聞社が、報道の誤りを認め、公表し、謝罪することだ。<br />
<br />
この度、朝日新聞は自社の慰安婦報道の核心をなす3点の誤りをついに認めるに至った。すなわち<br />
<br />
# 慰安婦を強制連行したとする吉田清治証言を「虚偽だ」と判断し、記事を取り消した<br />
# 女性を戦時動員した女子勤労挺身隊と慰安婦を同一視した記事の誤りを認めた<br />
# 朝鮮や台湾では「軍などが組織的に人さらいのように連行した資料は見つかっていません」と認めた<br />
<br />
の3点である。 <br />
<br />
画期的なことだ。これによって“慰安婦強制連行説”は完全かつ最終的に崩壊した。残るのは「戦地にも遊郭があった」という単純な事実だけである。<br />
<br />
世界中のどの国の軍隊も将兵の性処理システムを持っていた。日本の慰安婦制度は(1)戦場での敵国女性の保護(2)将兵の性病予防-という2つの目的を果たす模範的な制度だった。 <br />
<br />
ところが、朝日新聞は8月5日付1面に[[杉浦信之]]編集担当の「慰安婦問題の本質 直視を」と題する論文を掲載し「私たちはこれからも変わらない姿勢でこの問題を報じ続けていきます」と宣言した。これでは元の木阿弥となる。 <br />
<br />
一体、何が問題なのか。 <br />
<br />
論文は「軍の関与の下でアジア各地に慰安所が作られ、女性の尊厳と名誉が深く傷つけられた」ことが「問題の本質」だと主張する。「女性の尊厳と名誉」なる文言は河野談話からとったのだろうが、慰安所があったことが本質だと言うのだから話にならない。<br />
<br />
付け火して煙り喜ぶ朝日新聞-。<br />
<br />
== 「朝日新聞は事実を曲げてまで日本人をおとしめたいのか」ジャーナリスト、門田隆将氏 ==<br />
東京電力福島第1原発事故で現場指揮を執った[[吉田昌郎]]所長に対する「吉田調書」について、吉田氏らを取材したジャーナリスト、[[門田隆将]]氏が寄稿した。<br />
<br />
[[産経新聞]]が入手した「吉田調書(聴取結果書)」を読んで、吉田昌郎所長と現場の職員たちの命をかけた闘いのすさまじさに改めて心を動かされた。「本当に感動したのは、みんな現場に行こうとするわけです」と、危機的な状況で現場に向かう職員たちを吉田氏は褒めたたえている。<br />
<br />
いかに現場が事態を収束させようと、そして故郷、ひいては日本を救おうと頑張ったのかがよくわかる内容だ。<br />
<br />
私は拙著『死の淵を見た男』の取材で、吉田氏や現場の職員たちに数多くインタビューしている。どんな闘いが繰り広げられたかは取材を通じて知っていたが、その時のことを思い出した。<br />
<br />
また、[[菅直人]]首相や[[細野豪志]]首相補佐官らとの電話によって、事故対策を講じる吉田氏の貴重な時間がいかに奪われていたかもよくわかる。くり返される官邸からの電話に「ずっとおかしいと思っていました」と吉田氏は述べている。<br />
<br />
特に細野氏が毎日のように電話をかけてきたことで、吉田氏が相当困惑していた様子が伝わってくる。<br />
<br />
全員撤退問題については、「誰が撤退と言ったのか」「使わないです。“撤退”みたいな言葉は」と、激しい口調で吉田氏が反発しているのも印象的だ。吉田氏がいかにこの問題に大きな怒りを持ち、また当時の[[民主党]]政権、あるいは東電本店と闘いながら、踏ん張ったかが伝わってくる。<br />
<br />
それにしても朝日新聞が、この吉田調書をもとに「所員の9割が所長命令に違反して撤退した」と書いたことが信じられない。自分の命令に背いて職員が撤退した、などという発言はこの中のどこを探しても出てこない。<br />
<br />
逆に吉田氏は、「関係ない人間(その時、福島第1原発に残っていた現場以外の多くの職員たち)は退避させますからということを言っただけです」「2F(福島第2原発)まで退避させようとバスを手配したんです」「バスで退避させました。2Fの方に」と、くり返し述べている。<br />
<br />
つまり、職員の9割は吉田所長の命令に“従って”2Fに退避しており、朝日の言う“命令に違反”した部分など、まったく出てこない。<br />
<br />
だが、朝日の報道によって、世界中のメディアが「日本人も現場から逃げていた」「第二のセウォル号事件」と報じたのは事実だ。最後まで1Fに残った人を「フクシマ・フィフティーズ」と称して評価していた外国メディアも、今では、所長命令に違反して所員が逃げてしまった結果にすぎない、という評価に変わってしまった。<br />
<br />
事実と異なる報道によって日本人をおとしめるという点において、先に撤回された[[慰安婦]]報道と図式がまったく同じではないか、と思う。なぜ朝日新聞は事実を曲げてまで、日本人をおとしめたいのか、私には理解できない。<br />
朝日報道への批判は燎原の火の如く広がっている。今回の異例の検証は、朝日新聞のコアな読者層にまで疑念が広がったことへの危機感の表れではないか。<br />
<br />
だが、朝日は根本的な路線転換を避けている。まるで白旗を掲げつつ進軍ラッパを吹くかのような、卑劣で許しがたい挙に出たのである。検証記事も詭弁と卑怯な言い訳に満ちている。朝日新聞はその代償を払わされることになるだろう。<br />
<br />
== 1989年 “サンゴ落書き捏造” 記事に見る、朝日新聞 「虐日偽善」の姿 ==<br />
この事件では写真の捏造ばかりが問題になったが、実は、記事の文章も「極めて悪質」と言わざるを得ない。その末尾は次のようになっていた。 <br />
<br />
「日本人は、落書きにかけて今や世界に冠たる民族かもしれない。だけどこれは、将来の人たちが見たら、80年代日本人の記念碑になるに違いない。百年単位で育ってきたものを、瞬時に傷つけて恥じない、精神の貧しさの、すさんだ心の…。にしても、一体『K・Y』ってだれだ」 <br />
<br />
仮に写真が本物であったとしても、この文章は二重の意味で明らかに間違っている。<br />
<br />
第1に、犯人はまったく不明なのだから、日本人の犯行と断定することはできない。アルファベットのイニシャルだから、外国人の可能性も十分考えられる。 <br />
<br />
第2に、犯人が日本人だとしても、一部の人間の行為を日本人全体の犯罪として糾弾し、モラルなき悪質民族と決めつけるのは、誠に異様である。それは、「世界に冠たる民族」「80年代日本人の記念碑」といった極端な表現に現れている。 <br />
<br />
ではなぜ、こんな発想が出てくるのか。 <br />
<br />
日本人を悪者として貶めたい欲求があるからではないのか。日本や日本人を「悪」と決めつけて糾弾することで、自分自身は正義の側に立つことができる。他を貶めることで自分を美化し、道徳的優越感を享受したいのであれば、それは根本的に偽善である。日本や日本人同胞を虐げる偽善だから「虐日偽善」と表現すべきである。<br />
<br />
== なぜ朝日新聞は自民党員・党友の意識調査をこれほど歪めて読み解こうとするのか(2015年12月) ==<br />
朝日新聞はどこまで[[安倍晋三]]首相のことが嫌いなのだろうか。[[自民党]]結党60年に合わせた朝日新聞の記事を読んでつくづくこう思った。<br />
<br />
[[自民党]]総裁に返り咲いた[[安倍首相]]が、[[衆院選]]で[[民主党]]を打ち破り、[[第2次安倍政権]]を発足させたのは[[平成24年]][[12月26日]]。まもなく丸3年を迎える。<br />
<br />
この間に[[アベノミクス]]による経済再生に取り組むとともに、[[特定秘密保護法]]や[[集団的自衛権]]の行使容認を含む安保法制など国家の根幹をなす外交・安全保障の立て直しに力を入れた。戦後民主主義にすっかり毒された野党は激しく反発し、安倍内閣は何度か内閣支持率を大きく落とした。これは野党だけでなく、朝日新聞をはじめ一部メディアが、無責任なレッテル貼りを含む激しい反安倍キャンペーンを繰り広げたことが大きい。その朝日新聞は次なる攻撃目標を、安倍晋三首相による憲法改正に定めたようにみえる。<br />
<br />
[[11月30日]]付朝刊の1、2面で展開した、[[自民党]]の党員・党友を対象にした意識調査はその証左だろう。1面の記事の見出しは「改憲『急ぐ必要ない』57% 自民60年党員意識本社調査」だった。<br />
<br />
[[自民党]]が党是とする憲法改正を「早く実現した方がよい」が34%にとどまり、「急ぐ必要はない」の57%が上回ったことを強調した上で「[[安倍晋三]][[首相]]は改憲に強い意欲を示しているが、党員らとの意識の違いも浮かんだ」と結論づけた。あたかも安倍首相だけが「憲法改正」に前のめりになっており、自民党員の思いとかけ離れていると言わんばかりではないか。<br />
<br />
[[自民党]]に一番力を入れてほしい政策を6つの選択肢から選ぶ質問項目も紹介。「社会保障」と「景気・雇用」がともに30%と高く、「憲法改正」は6%にすぎないと記した。実生活と直結する「社会保障」や「景気・雇用」が上位を占めるのは当然かと思えるが、これを改憲への意識の低さに結びつけたかったようだ。<br />
<br />
安保法制成立については「よかった」が58%、「よくなかった」の27%を大きく上回ったが、記事では「議論が『尽くされた』は28%で『尽くされていない』は57%に上った」の方をむしろ強調した。<br />
<br />
調査では歴代総裁への評価も聞いている。「小泉旋風」を巻き起こした[[小泉純一郎]]氏や「今太閤」ともてはやされた[[田中角栄]]氏らを押さえ、トップに立ったのは、安倍首相だった。安倍首相19%、小泉氏17%、田中氏16%と続き、長期政権を築いた[[中曽根康弘]]氏や[[佐藤栄作]]氏、[[池田勇人]]氏はいずれも1桁台。驚きの調査結果だといえるが、1面記事では「歴代総裁で最も評価する総裁は、現総裁の安倍氏が19%でトップだった」と触れただけだった。<br />
<br />
2面は意識調査を元に「『安倍』『角栄』二つの層 改憲・政策考え方に差」の見出しで安倍首相を最も評価する層と[[田中角栄]]元首相を最も評価させる層を二分させ、分析した記事を載せた。こちらは両者の支持層の細かいデータを開示していないので、評価しようがないが、改憲の是非をめぐり、自民党支持層を二分させようという朝日新聞の思惑が透けてみえる。<br />
<br />
朝日新聞は[[11月30日]]付の社説でも「自民党60年 敵対から統合への道を」と題して党員意識調査に触れ、党員の意見が党運営や政策に十分反映されていないと回答した層では「最も評価する総裁では[[田中角栄]]氏の方が多くなる」と指摘している。安倍首相が歴代総裁1位となったのが、よほど気にくわなかったのか、「(安倍首相は)国民の分断へのおそれも感じられない。先の国会での安保法案の強引な進め方も、沖縄の民意に耳を傾けない[[普天間飛行場]]の([[名護市]])[[辺野古移設]]もそうだ」とお決まりの個人攻撃を繰り広げている。<br />
<br />
朝日新聞の歪んだ視点と論調を紹介するだけでは、何となく気持ちが落ち着かないので、ここで強調しておきたい。<br />
<br />
国家の存亡と国民の安全を守るのは政府の責務だ。安倍首相の祖父、[[岸信介]]氏も大規模な反対デモに遭いながら[[日米安全保障条約]]改定に踏み切った。戦後、日本が戦争に巻き込まれず、侵略されなかったのは、[[自衛隊]]の存在と、日米同盟による抑止力があったからだ。一部野党が主張するように「憲法9条のおかけで平和が守られた」わけでは断じてない。安保法制も[[普天間飛行場]]移設問題も、野党やメディアの批判を恐れ、放置してきた歴代政権こそ批判されてしかるべきではないか。<br />
<br />
国家の存立と国民の安全を守り抜く使命を果たすため、政治は時に決断を迫られる。そして自民党員・党友の多くは安倍首相の「決断」を高く評価している。朝日新聞の意識調査を素直に読めば、こういう結論に導かれるはずだ。<br />
<br />
朝日新聞に逆に聞きたい。[[天声人語]]や社説で繰り返す外交・安全保障のスタンスで果たして本当に「読者」の安全を守れると考えているのか。<br />
<br />
※以下、朝日新聞より転用<br />
<br />
■自民党員への朝日新聞社調査 質問と回答■<br />
:(数字は%。小数点以下は四捨五入。質問文と回答は一部省略)<br />
<br />
◆[[自民党]]が結党60年を迎えました。[[自民党]]の60年間の歩みを、全体として、どの程度評価しますか。(選択肢から一つ選ぶ=択一)<br />
:大いに評価する19<br />
:ある程度評価する70<br />
:あまり評価しない9<br />
:まったく評価しない1<br />
<br />
◆歴代の自民党総裁の中で、最も評価する総裁は誰ですか。1人だけあげてください。<br />
:[[安倍晋三]]19▽[[小泉純一郎]]17▽[[田中角栄]]16▽[[中曽根康弘]]5▽[[佐藤栄作]]3▽[[池田勇人]]3▽[[大平正芳]]1▽[[竹下登]]1▽[[橋本龍太郎]]1▽[[小渕恵三]]1▽[[岸信介]]1▽[[三木武夫]]1▽[[麻生太郎]]1▽[[福田赳夫]]1▽その他の総裁2▽その他・答えない27<br />
<br />
◆最近の[[自民党]]について、いくつかうかがいます。最近の[[自民党]]はよくなったと思いますか。悪くなったと思いますか。それとも、とくに変わらないと思いますか。<br />
:よくなった31<br />
:悪くなった19<br />
:とくに変わらない46<br />
<br />
◆最近の[[自民党]]で、党員や党友の意見は、党の運営や政策に十分反映されていると思いますか。十分反映されていないと思いますか。<br />
:十分反映されている28<br />
:十分反映されていない54<br />
<br />
◆最近の[[自民党]]は、[[自民党]]以外も含めた幅広い意見を、国民政党として、十分尊重していると思いますか。十分尊重していないと思いますか。<br />
:十分尊重している41<br />
:十分尊重していない44<br />
<br />
◆あなたと、地元の[[自民党]]の[[国会議員]]との距離は、近くなりましたか。遠くなりましたか。それとも、とくに変わりませんか。<br />
:近くなった31<br />
:遠くなった11<br />
:とくに変わらない56<br />
<br />
◆[[公明党]]との連立についてうかがいます。自民党が公明党と連立を組んできたことをどの程度評価しますか。(択一)<br />
:大いに評価する11<br />
:ある程度評価する51<br />
:あまり評価しない27<br />
:まったく評価しない8<br />
<br />
◆[[自民党]]に一番力を入れてほしい政策は何ですか。(択一)<br />
:景気・雇用30<br />
:[[社会保障]]30<br />
:[[原発]]・エネルギー6<br />
:[[教育]]9<br />
:[[外交]]・安全保障16<br />
:[[憲法]]改正6<br />
<br />
◆[[日本]]や[[アメリカ]]など12カ国の間で、[[貿易]]など[[経済]]の自由化を進める[[TPP]]、[[環太平洋経済連携協定]]について、うかがいます。[[日本]]が[[TPP]]に参加することに、賛成ですか。反対ですか。<br />
:賛成64<br />
:反対19<br />
<br />
◆[[集団的自衛権]]を使えるようにしたり、[[自衛隊]]の海外活動を広げたりする[[安全保障関連法]]が成立したことは、よかったと思いますか。よくなかったと思いますか。<br />
:よかった58<br />
:よくなかった27<br />
<br />
◆[[安全保障関連法]]について、[[国会]]での議論は、尽くされたと思いますか。尽くされていないと思いますか。<br />
:尽くされた28<br />
:尽くされていない57<br />
<br />
◆[[憲法]]改正についてうかがいます。[[憲法]]改正を早く実現した方がよいと思いますか。それとも、急ぐ必要はないと思いますか。<br />
:早く実現した方がよい34<br />
:急ぐ必要はない57<br />
<br />
◆[[憲法第9条]]を変える方がよいと思いますか。変えない方がよいと思いますか。<br />
:変える方がよい37<br />
:変えない方がよい43<br />
<br />
◆[[自民党]]の[[総裁]]の任期は2期6年までで、[[安倍首相]]の総裁としての任期は、3年後の2018年の秋までです。[[安倍首相]]が[[総裁]]の任期を延ばして続けたほうがよいと思いますか。そうは思いませんか。<br />
:任期を延ばして続けた方がよい42<br />
:そうは思わない46<br />
<br />
◆次の[[首相]]にふさわしいのは誰だと思いますか。[[自民党]]の[[国会議員]]の中から1人だけあげてください。<br />
:[[石破茂]]18▽[[安倍晋三]]7▽[[小泉進次郎]]7▽[[谷垣禎一]]5▽[[麻生太郎]]1▽[[野田聖子]]1▽[[菅義偉]]1▽その他の人8▽答えない・分からない52<br />
<br />
=== 朝日新聞の政治部記者、“安倍総理スケジュール”を喫茶店のゴミ箱にポイ!朝日新聞認める「あってはならないこと」(2015年12月) ===<br />
「書を捨てよ、町へ出よう」そう言ったのは劇作家の[[寺山修司]]だが、喫茶店のゴミ箱に大量の資料を捨てて雑踏に消えて行ったのは、朝日新聞の記者だったのか。問題は、そこに書かれていた内容である。<br />
<br />
「[[週刊新潮]]」にその資料が送り付けられたのは、晩秋のとある日のこと。提供者いわく、喫茶店の客が捨てたものだという。<br />
<br />
「11月18日の夜、都内の喫茶店にいたら大量の資料をテーブルに広げている男性がいたんです。チラッと見たら、[[安倍総理]]のスケジュールみたいなことが書いてある。“政府の人か新聞記者かな”と思っていたら、紙束をバサッとゴミ箱に突っ込んで出て行ったのです」 <br />
<br />
男性は、40代ぐらい。ジャケット姿で[[サラリーマン]]風だったという。<br />
<br />
「男性が店にいたのは20分ぐらい。まるで、資料を捨てるために来たような感じでした。破いたり、クシャクシャにせず、丸のまま捨てたことにビックリ。お店の人に声をかけてから拾ってみたのです」(同)<br />
<br />
そんな経緯で持ちこまれた資料だが、一読して驚いた。紙はA4判で百枚以上。[[外務省]]が配布したものや、[[国土交通省]]、[[内閣府]]、[[自由民主党]]が作成したものもある。いずれも、マスコミ配布用だが、中には安倍総理の中東・東南アジア歴訪の日程を記したものも。11月13日~23日の日程で行われた[[イスタンブール]]訪問、[[G20]]、[[APEC]]、[[ASEAN首脳会議]]の詳細なスケジュールだから、当時は外遊中ではないか。注意書きには、〈時間、場所はオフレコ〉とあるから、ポイ捨てしていいはずがない。<br />
<br />
全国紙の元政治部記者に聞くと、 <br />
<br />
「私が政治部にいた頃は“持ち出し禁止”と書いてファイルしておくか、捨てる時は必ずシュレッダーにかけていたものです。11月18日は、パリで同時多発テロが起きた直後。マスコミは“日本のテロ対策は大丈夫なのか”と警鐘を鳴らす立場なのに、万が一、過激派組織が手に入れたらどうするのでしょうか。彼らにとっては、喉から手が出るほど欲しい資料です」<br />
<br />
もともとの持ち主はすぐに分かった。政府資料に混じってメールのコピーが数枚入っていたのだ。プリントアウトした紙の左上には朝日新聞政治グループ(政治部)の「T」という名前がある。<br />
<br />
「Tさんは、総理官邸担当のサブキャップ(取材チームの副リーダー)です。防衛省担当、外務省担当のほか、小泉元総理や、民主党政権時代は鳩山元総理の担当もしたことがある。安保法案で紛糾していた時は、朝日の記者らしく反対の立場から署名記事も書いています」(別の新聞の政治部記者) <br />
<br />
そこで、朝日新聞に問い合わせると、記者が捨てたことを認めたうえで、 <br />
<br />
「不必要になったコピーや古い資料などと一緒に、誤って廃棄した可能性があります。(中略)第三者の目に触れる可能性がある外部のごみ箱に、そうした書類を捨てることはあってはならないことです」(広報部)<br />
<br />
届けられたのが本誌だったのが、良かったのか不運だったのか……。<br />
<br />
== 紙面・論調 ==<br />
[[Image:週刊朝日2009.jpg|350px|thumb|[[民主党]]政権を賛美]]<br />
*一般的に[[左派]]・[[リベラル]]言論の代表紙である。[[保守]]派からは[[左翼]]的、[[自虐史観]]的、中国の政策や北朝鮮の[[独裁政治]]に対する批判の欠如が問題視される傾向にある。実際の内容を見ると、中国・北朝鮮に対してほぼ無批判である。しかしながら記事ごとの思想的差異はかなり狭い。ただし後述するように、朝日新聞の論調は各時代で相当の変遷を経ていることにも注意されたい。<br />
<br />
*中国や北朝鮮、韓国に好意的な立場であり続ける一方、日本政府や公務員(但し[[日教組]]は除く)、保守思想に対する批判(保守を超えて[[日の丸]]、[[君が代]]に批判的)では容赦が無い。また、[[社説]]欄や[[天声人語]]だけでなく、投書欄(「声」欄)や読者投稿の短歌(「[[朝日歌壇]]」)においてそのような政治的意見や揶揄を語らせることもある。<br />
<br />
* [[中国共産党]]の機関誌[[人民日報]]と提携しており、何度も社説・コラムで[[中華人民共和国]]擁護の姿勢を示すなど、[[親中]]的な立場を取る。また、[[中国人民解放軍]]による[[チベット侵攻]]以後の[[チベット人]]に対する迫害についても、度々容認的論調を展開するなど、中国共産党の代弁者であるかのように振舞った。<br />
<br />
* 言論の自由などの侵害の恐れが指摘される[[人権擁護法案]]については、全国紙でほぼ唯一容認的な意見を度々表明している。<br />
* [[保守]]派からは「[[左翼]]的」「[[自虐史観]]的」と批判されている。特に[[産経新聞]]、『[[正論 (雑誌)|正論]]』、『[[諸君!]]』などの一部保守系論壇雑誌からは厳しい論調で批判されることが多い。<br />
<br />
* [[自由民主党 (日本)|自由民主党]]と対立することが多い。特に近年は政策批判だけではなく、発言などの政策以外の批判をすることも多く、[[ネガティブ・キャンペーン]]との批判も受けている。例えば、[[第21回参議院議員通常選挙]]前の[[安倍晋三政権]]に対する報道を、[[東海新報]]はネガティブキャンペーンと批判。特に安倍の首相辞職に際し、"責任を放棄した"の意で「アベする」が流行していると報道したが、逆に"捏造する"の意で「アサヒる」の語が新語として広まった'''(詳細は''[[アサヒる問題]]''を参照)'''。また[[第45回衆議院議員総選挙]]前の[[麻生太郎政権]]に対する報道については、[[西村博之]]が「政治家を批判する記事を書くとして、政策についての議論であれば、日本の未来の方向性についての予測が立てられたりするので、読む側としても価値を感じられます。 けれど、ホテルのバーの値段がどうこうとか、漢字がどうこうとか、カップラーメンの値段がどうこうってどうでもいい」と批判したほか、[[加地伸行]]も「自民党攻撃はすさまじかった」と批判した。なお両選挙とも自民党が敗北している。<br />
<br />
*他紙と比べると、科学欄ではかなり踏み込んだ専門的な記事もあり、文化欄や読書欄などでも紙面の充実を図っていることが特徴的である。<br />
<br />
* [[在日外国人]]の内、[[在日]][[朝鮮人]]・[[韓国人]]の氏名表記にあたっては、他紙が母国名を掲載している場合であっても、原則として[[通名]](日本名)での表記を行っており他紙との違いを見せている。この件について[[辛坊治郎]]は、日本テレビ『[[ズームイン!!SUPER]]』(2008年9月10日)のコーナーにて「在日朝鮮人が犯罪を起こした時に通名で報道する朝日はおかしい」と批判した。。<br />
<br />
朝日新聞の論調は、敗戦を契機として百八十度の極端な変化がみられた日教組と同じく[[敗戦]][[トラウマ]]と揶揄されることが多いが、基本的に「[[戦後民主主義]]を先導する社会的エリート」という意識が強すぎるため、プライドが高くて他を見下す傾向にあり、報道におけるミスがあってもすんなり謝罪したり認めたりしないという点が認められる。<br />
<br />
*2001年で終わった土曜版の一コーナーである「紙面批評」の末期にはあえて自社を批判する評論家に書かせようとしたものの、社内幹部による記事検閲が執拗におこなわれ、かえって「紙面批評」が消滅する原因となった。<br />
<br />
*小泉政権以降、若い世代の右傾化に強い危機感を持っている。[[ネット右翼]]を含む、若者の右傾化についてしばしば特集記事を掲載している。2006年の小泉総理靖国参拝の際、NHKが携帯電話で賛否をとったことを、若い世代の意見に偏ると批判した。また同じ時期、ファッション欄に掲載されたワンポイントマーク復活の記事において、「メンズウエアの胸元に、ワンポイントマークが復活している。かつては中年男性のゴルフ用ポロシャツに、必ずついていた傘や熊などのマーク。それが今、おしゃれな装飾としてさまざまな形に進化している。」という書き出しから「'''そういえば、自らの国家や民族に固執する右翼系の若者が世界的に増えているという事実も、多少気になるところだが。'''」と結論付けた。<br />
<br />
* 漫画家の[[小林よしのり]]と対立関係にあり、彼の作品である「[[新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論|戦争論]]」等を巡って社説で数回にわたり直接批判した。朝日新聞が社説において個人を複数にわたり批判したのは、政治家等以外の立場の人物では小林のみである。<br />
<br />
=== 北朝鮮学校の無償化を急げ(2012年3月3日紙面) ===<br />
[[Image:朝日新聞3.jpg|450px|thumb|朝日新聞]]<br />
卒業式の季節になった。だが文部科学省には、年度内に解決すべき課題が残っている。高校無償化を朝鮮学校にあてはめる判断だ。「厳正に審査」がずっと続いている。生徒や親をどこまで待たせるのか。 <br />
<br />
他の外国人学校生や日本の公私立高生は、2年前から無償化の恩恵を受けている。普通の家庭で年12万円弱になる。その財源にと、特定扶養控除の一部が減らされた。この負担は朝鮮学校生の家庭にも等しく課されている。 <br />
<br />
[[民主党]]が衆院選[[マニフェスト]]に掲げた高校無償化について、民主、自民、公明の3党が効果を検証する協議を始めることになった。検証するのは制度全体である。朝鮮学校を外し続ける事情にはならない。 <br />
<br />
立法の目的として説明された「すべての意志ある若者が教育を受けられるよう」をあてはめれば、認めるのが自然だ。無償化は日本人拉致問題で軟化したメッセージを送ることになる、と反対する声がある。 <br />
<br />
だが拉致行為や北朝鮮の体制に責任のない生徒たちに、責めを負わせてはなるまい。民主党政権は「教育に外交上の問題をからめない」と確認している。そうであるならば、政治の思惑によって、少数派であり、多感な年代である生徒たちを疎外するべきではない。 <br />
<br />
[[在日本朝鮮人総連合会]](朝鮮総連)と結びついた学校のあり方にも疑念の声がある。文科省はそうした点にも踏み込み、調査を続けてきた。 <br />
<br />
その間の議論を通じ、学校側は開かれた教育への姿勢を示しつつある。教科書の記述も改める動きが出てきた。父母の間にも、祖国の「3代世襲」に違和感を持つ人はいる。教室に肖像画を掲げることも考え直す時期だろう。そして、自国の負の部分も教えるべきだ。多様な学びの場の一つとして認めた上で、自主的改善を見守る。そんな関係を築けばよい。 <br />
<br />
歴史を思えば、私たちは在日の人たちとその社会をもっと知る努力をすべきだ。 <br />
<br />
韓流ドラマの翻訳を支えるのは民族の言葉を学んだ在日だ。年末の全国高校ラグビーには、大阪朝鮮高校がホームタウンの代表として3年連続で出た。彼らは北朝鮮だけを背負っているわけではない。生まれ育った国と祖国の間で悩み、揺れながら生きる若者がいる。なぜ自分たちがハンディを負わされるのか――。政治の動きに巻き込まれ、生徒たちは苦しんできた。アウェーの寒風をいつまでも浴びせてはならない。<br />
<br />
=== 中国の国益守れ(東京都の[[尖閣諸島購入]]) ===<br />
[[石原慎太郎]]・東京都知事がきのう、米・[[ワシントン]]で、[[沖縄県]]の[[尖閣諸島]]を都が購入する計画だと明らかにした。知事は「東京が尖閣諸島を守る」と語った。[[中国]]に四の五の文句など言わせるものか、という態度である。こんな知事発言に、[[インターネット]]上では拍手を送る書き込みがあふれている。 <br />
<br />
確かに、知事の発言には本人をはじめ、中国の対応を不快に思ってきた人々の留飲を下げる効果はあるだろう。だが本来、政治家の仕事は複雑に絡み合った懸案を、一つひとつ丁寧に解決していくことだ。それに、そもそもこれは東京都の仕事ではないはずだ。 <br />
<br />
知事は「島々を舞台にしてさまざまな施策を展開する」という。けれど、日本人が上陸しただけで反発してくる中国のことだ。問題はいっそうこじれるだろう。そうなった時、首都とはいえ自治体の長の石原氏に、領土が絡む問題を解決する手だてはない。政府の外交に悪影響を与えることを承知で大風呂敷を広げるのは、無責任としかいいようがない。 <br />
<br />
尖閣諸島といえば、[[2011年]]9月、中国の漁船が日本の巡視船に衝突してきた事件があった。この3月に、双方の政府が周辺海域の無人島に新たな名前をつけてからは、中国の監視船などが領海侵入といった挑発的な活動を続けている。さらに、石原発言を受けて、中国国内では、政府に強硬な対応を求めるネット世論が噴出している。 <br />
<br />
私たちは、こうした中国側の対応にも自制を求める。日中両国民がお互いに批判しあって、何か得るものがあるのか。体制が変わったばかりの北朝鮮への対応でも、日本と中国との連携は欠かせない。国交正常化40年を迎える隣国同士でもある。こうした両国の関係を、石原氏はどう考えているのか。 <br />
<br />
そもそも、都民の税金を使って島を買うことの説明がつくかも疑問だ。都議会に予算案を提出するというが、そう簡単に理解が得られるとは思えない。石原氏には、新党構想が取りざたされている。その折から、税金を使って選挙向けのパフォーマンスをしているようにも見える。<br />
<br />
=== 「沖縄人は豚ですか?」2012年5月掲載 ===<br />
[[Image:週刊朝日2009a.jpg|350px|thumb|[[自民党]]の選挙敗北を喜ぶ]]<br />
「やっぱり私たちは『豚』なんだ」。<br />
<br />
劇団比嘉座の座長・比嘉陽花(ひが・はるか)さん(29)は今、大阪で暮らす。 <br />
<br />
「海きれい?」と興味深そうに近づいてくる本土出身者(ナイチャー)たち。私の沖縄は悲しい島。灰色だ。本当の私たちを見ていない。 <br />
<br />
昨年、自作の演劇「わーわー」を沖縄県内で演じた。わーは沖縄の言葉(ウチナーグチ)で「豚」。「人間」の社会に組み込まれ、笑われ、無視される。そこから逃れるために、豚語を捨て、姿も変える。<br />
<br />
「人間」は日本人、「豚」は沖縄の人(ウチナーンチュ)。「強烈な芝居」と話題になり、公民館や中学校からも依頼がきた。上演後の反応は割れた。 <br />
<br />
「沖縄と本土を分けるのはおかしい」「いや、これこそ現実だ」 <br />
<br />
昨年まで住んだ実家は米軍嘉手納基地のそば。母が通った小学校には53年前に米軍機が墜落し児童ら17人が死んだ。母は生き、私が生まれた。ではあの子たちは、なぜ死なねばならなかったのか。 普天間飛行場の県内移設を訴える政治家を見て気づいた。私たちを見ていない、うつろな目。 <br />
<br />
我慢してください。1億の「人間」のために――。「そうか。私たちは『人間』じゃないんだ」 <br />
<br />
劇のクライマックス。「豚」たちは結局「人間」に食われる存在ではないかと自問する。老いた「豚」が観客に語りかける。 <br />
<br />
「『豚』が『人間』になれるわけがない。本当は差別されているんだよ」 <br />
<br />
大学院生の親川志奈子さん(31)は宜野湾市でウチナーグチ講座を開いている。9年前、ハワイ大学で先住民について学んだ。米国に王制を倒され、言葉を奪われ、基地を置かれたハワイ。まるで植民地。沖縄と日本の関係と同じだと気づいた。日本の言葉しか話せない自分に涙ぐんだ。かつては痛みを他者に押しつけまいと思ったが、いまは違う。<br />
<br />
「基地は日本へ引き取って」<br />
<br />
=== 「生活保護受給者は楽しみを持ってはいけないのでしょうか。暗く生きていかねばならないのでしょうか」 ===<br />
天声人語 <br />
<br />
このあいだに続いて[[堀口大学]]にお出まし願う。仏文学の翻訳で知られる氏に、批評家[[グールモン]]の短章の訳がある。その一文をかつて読み、ノートに書きとめた。 <br />
<br />
「女を悪く云う男の大部分は或る一人の女の悪口を云って居るのである」<br />
<br />
卓見だと思う。人はごく狭い知見や印象で全体を語りがちだ。だから文中の「女」は何にでも取り換えがきく。たとえば若者、オジサン、アメリカ人、医者、新聞記者……そして生活保護受給者もまた、しかりではないだろうか。<br />
<br />
去年、お笑いタレントの母親の受給問題をきっかけにバッシングが起きた。あれなど、一人を悪く言うことで全体をあげつらう一例だったろう。 <br />
働かない、ギャンブルで浪費している、といった後ろ指も、一部への批判が全体への色眼鏡になっているようで気にかかる。<br />
<br />
行きつくところと言うべきか、[[兵庫県]][[小野市]]が議会に条例案を提出した。受給者が[[パチンコ]]などで浪費しているのを見つけた市民に通報を義務づけるのだという。耳を疑ったが[[エープリルフール]]にはまだ間がある。<br />
<br />
筆者と違う意見もあろう。だが、そもそも誰が受給者なのか一般市民には分からない。効果は疑わしいうえ、小野市だけでなく全国で色眼鏡が濃くなりかねない。生活保護の切り下げについて、受給する女性が声欄に寄せていた。<br />
<br />
「受給者は楽しみを持ってはいけないのでしょうか。貧しい気持ちを持ったまま、暗く生きていかねばならないのでしょうか」。身に染む声ほど小さく震える。<br />
<br />
=== 尖閣諸島購入に寄付金は疑問(5月5日朝日新聞東京版朝刊「声」欄) ===<br />
[[Image:高野明日香3.png|350px|thumb|高野 明日香]]<br />
大学生 [[高野明日香]](神奈川県厚木市・21歳) <br />
<br />
東京都が尖閣諸島の購入に向け、寄付金の受け皿となる専用口座を開設したそうです。<br/> <br />
違和感を感じたのは私だけでしょうか。<br/> <br />
今でも多くの方が震災の影響で元の生活に戻れない苦労をなさってます。<br/><br />
そんな時に出た石原慎太郎・東京都知事の尖閣諸島購入の発言。そして寄せられた賛同する意見。<br/><br />
私は尖閣諸島が日本の領土だと主張することは必要だと思います。<br/><br />
そのための石原都知事の行動も、少々大胆ですが必要だと思います。<br/><br />
ただ、果たして今、私たちがお金を出してまで購入しなければならないのでしょうか。<br/><br />
日本人はどうも、時間が過ぎるとすぐ新しいものに飛びつく傾向があるような気がします。<br/><br />
東日本大震災発生直後に多く集められた寄付金ですが、1年以上経った今、寄付をする人は一体どれぐらいいるでしょうか。<br/><br />
あまりにも短い周期で移りゆくブームのように、今も続く被災者の苦労すら既に忘れ去られてはいませんか。<br />
<br />
=== 尖閣と竹島…中国の反日デモに過剰反応するべきでない。韓国に制裁すべきではない。(2012年8月) ===<br />
[[Image:週刊朝日2.jpg|350px|thumb|[[プロ市民]]出身の[[菅直人]]を賛美]]<br />
中国でまた、反日デモが起きた。尖閣諸島に不法に上陸した香港の活動家を、日本側が逮捕したことが引き金になった。日韓が領有権を争う竹島では韓国が李明博(イ・ミョンバク)大統領の名を刻んだ石碑を建てた。大統領の上陸に続く、無分別な行動だ。 <br />
<br />
感情をたぎらせ、ぶつけあう。隣国同士でこんな不毛なことをいつまで続けるのか。 <br />
<br />
野田政権の基盤は弱い。秋に世代交代を控える中国の指導部は動きが取りにくい。年末に大統領選がある韓国では、李大統領の求心力低下が著しい。難しい時期だが、事態を収めるべき政治が対立をあおるような振る舞いは理解しがたい。本来の外交の場で引き取り、沈静化を図るべきだ。 <br />
<br />
中国のデモは、尖閣沖での衝突事件の後に反日が吹き荒れた一昨年の再現のようだった。北京や上海では厳戒態勢が敷かれ、デモは散発的だった。だが、香港の隣の深セン(センは土へんに川)などでは参加者が暴れ、日本車や日本料理店を壊す騒ぎになった。 <br />
<br />
日中の貿易総額が年間27兆円余りとなるなど、相互依存は強まるばかりなのに、きわめて残念だ。粗暴な行いが国際社会でのイメージ悪化にもつながることを中国は知るべきである。ただ、反日に過剰に反応するべきではない。<br />
<br />
一方、韓国に対しては、李大統領の天皇への謝罪要求発言もあり、日本政府は態度を硬化させている。国際司法裁判所に提訴する方針を発表したほか、安住淳財務相は日韓通貨スワップ(交換)の融通枠拡充取りやめを示唆している。 <br />
<br />
日本の立場を表明することは大事だが、あたかも制裁のように関係のない問題を持ち出すのはいかがなものか。韓国経済の不安定化は、日本にとってもマイナスになりかねない。 <br />
<br />
安住氏は、今月下旬の日韓財務対話への出席も取りやめた。だが、こういうときこそ、韓国としっかり話し合うべきだ。日中も、日韓も、前に進めていかなければならない関係だ。何が本当の国益なのか、冷静に考える必要がある。<br />
<br />
=== 朝日新聞中国版ツイッターが謝罪。石原氏関連記事に「小鬼子」で炎上(2012年11月) ===<br />
[[Image:週刊朝日2012.jpg|350px|thumb|[[自民党]]の政権奪回を悔しがる]]<br />
朝日新聞の中国語版ツイッター(微博)が、他の利用者の書き込みに対して書き込んだコメントが「炎上」し、謝罪コメントを発表した。一部のツイッター利用者が「朝日新聞が[[石原慎太郎]]さんや日本人を、超侮辱した言葉"小鬼子"と呼んでくださいと中国人に呼びかけています。どこまで反日新聞ですか?」などと猛反発していた。<br />
<br />
この記事を転載した微博の書き込みに対して、朝日新聞のアカウントが[[11月4日]]夜、「『小鬼子』を叱らなきゃ」とコメントを付けたのだ。「小鬼子」という言葉は、石原氏をはじめとする、中国では右派だとみなされている政治家に対する蔑称として使われることがある。<br />
<br />
コメントを付けた書き込みは石原氏の写真付きだったため、石原氏に対して朝日新聞が「小鬼子」と言う言葉をぶつけた、と受け取った人もいた。<br />
<br />
「微博で朝日新聞が石原慎太郎さんや日本人を、超侮辱した言葉"小鬼子"と呼んでくださいと中国人に呼びかけています。どこまで反日新聞ですか?狂っています!!」「中国人は喜んでコメントで日本を馬鹿にします。朝日は中共の新聞ですか?なぜ日本人は朝日新聞を読みますか?日本が大好きな台湾人のわたしはとても悲しいです」などと猛反発。この書き込みが拡散し、日本のネット上でも騒ぎが広がっていた。<br />
<br />
=== 「日本維新の会の[[橋下徹]]氏がおでこを出す正統保守型に変えた。何が目的か分からない年の差婚をしたしたたかな女のようだ」 ===<br />
天声人語(2012年11月19日) <br />
<br />
髪形をいじるのは心機一転の表れでもある。日本維新の会の橋下徹氏が、おでこを出す正統「保守型」に変えた。<br/> <br />
この勝負髪で衆院選に挑むという。37歳上の[[石原慎太郎]]氏を新代表に迎え、しおらしく従う覚悟らしい <br />
<br />
▼合流は第三極の受け皿を広げ、既存政党や官僚支配への不満をさらう狙いとみえる。両氏の合意文書には「強くてしたたかな日本をつくる」と表題がついた。<br/> <br />
「弱くてお人よしの日本」は耐えがたいと <br />
<br />
▼片や石原氏に気を使い、「原発ゼロ」の語は消えた。政策より大同団結、小異は捨てたというが、コーヒーと紅茶を混ぜたようなドタバタ感が漂う。<br/> <br />
色が似ていればいいというものではない <br />
<br />
▼なるほど、コーヒー党、紅茶党の独自色より、候補者の調整が先に立つのが[[小選挙区制]]だ。<br/> <br />
野合との批判に、石原氏は「民主党や自民党が人のことを言えるのか」と反発、橋下氏も「趣味嗜好まで同じなら[[北朝鮮]]」と開き直る <br />
<br />
▼とはいえ、地方分権や行政効率に重きを置く橋下氏の現実主義と、米中なにするものぞの石原流がどう混じり合うのか。<br/> <br />
みんなの党や減税日本とも組むとなれば、昔の[[民主党]]顔負けの「選挙互助会」だ <br />
<br />
▼石原氏がほれたと公言する橋下氏は、政界でいう「じじごろし」に違いない。新代表を最強のリーダーと持ち上げ、ヘアスタイルを変えた。<br/> <br />
「何が目的か分からない年の差婚をした、したたかな女のよう」。きのうの東京紙面にあった、山本貴代さんの見立てに納得した。その縁の吉凶は知らない。<br />
<br />
=== 安倍氏選ぶ自民党の劣化ぶり(2012年10月) === <br />
[[Image:週刊朝日.jpg|500px|thumb|思想が表れている表紙]]<br />
朝日新聞2012年10月5日(金)朝刊「声」欄より<br />
<br />
小学校教員([[日教組]]) 大越慶久(福島県古殿町 44歳)<br />
<br />
安倍晋三氏が自民党総裁に選ばれた。5年前の突然の首相辞意表明。臨時国会で所信表明演説をしてわずか2日後のことだった。 <br />
<br />
国民の誰もがあぜんとしたであろう。体調の問題とはいえ、あのタイミングでの首相辞任は、まさに政権の放り出し以外の何物でもない行為であった。その人物が再び総裁の椅子に返り咲いたのだ。 <br />
<br />
総裁選では党員・党友による地方票の6割近くが石破茂氏を支持したが、国会議員票による決選投票で安倍氏が逆転勝利を収めた。党員は、自民党を民意の最前線で支える人々である。その声を無視する形で、国会議員は安倍氏を選んだ。これをどう理解すればよいのだろうか。 <br />
<br />
安倍氏は政権放り出しで、どれだけ多くの迷惑をかけたのか、そのことを考えれば、再びそのような地位を目指すなど、日本人としての価値観としてはいかがなものだろうか。それにも増して、私は自民党の国会議員の多くが、そんな安倍氏に投票したことにショックを受けた。<br />
<br />
民主党の分裂騒動などのゴタゴタにも嫌気がさしたが、自民党の国会議員も、もはや劣化しているように感じられ、残念である。<br />
<br />
=== 「民主党がんばれマジ全力で頑張れ。今は耐えて耐え忍ぶんだ。また政権復帰するときのために」(2012年12月) ===<br />
政権を担うということが、いかに難しく、厳しいものか。総選挙で衝撃的な惨敗を喫した民主党は、そのことを身をもって学んだに違いない。 <br />
<br />
衆院に小選挙区比例代表並立制が導入されて18年。6度目の総選挙の結果は、想定されていた二大政党制の姿とはほど遠い「自民党一人勝ち」の様相となった。それでも、野党第1党にふみとどまった民主党の役割はいぜん大きい。包括的な政策の体系と全国規模の組織をもち、政権がつまずけばいつでも交代する用意がある。そんな野党の存在が、民主主義には欠かせないからだ。<br />
<br />
落胆している暇はない。この3年間の教訓をふまえ、民主党はみずからの政策と組織を根本から鍛え直してほしい。振り返れば、あまりにも未熟だった。<br />
<br />
ことあるごとに党内で内紛が起き、分裂を繰り返す。「ムダの排除などで16.8兆円の新規財源を生み出す」などといった無責任なマニフェストがまかり通る。今回の惨敗は、そうした民主党政権に対する民意の「懲罰」の意味合いが濃い。<br />
<br />
一方で、将来世代への責任を果たそうとしたことが、少なくとも二つあった。消費増税をふくむ社会保障と税の一体改革と、「2030年代の原発ゼロ」である。2009年総選挙で、民主党は「増税の前にやるべきことがある」として消費増税を否定した。それは、将来世代にツケを回すことにほかならない。それに気付いたからこその増税への転換だったのではないか。<br />
<br />
注目したいのは、今回の総選挙のマニフェストに「将来世代の声なき声に耳を傾ける」という理念を新たに掲げたことだ。来夏の参院選に向け、党をあげてこの理念を具体的な政策の体系にまとめてはどうか。<br />
<br />
所属議員は激減した。だがその分、一体感のある議論がしやすくなったとも言える。有権者の耳に痛い政策を、いかに説得力をもって打ち出すか。政権を担った経験をそこに生かしてほしい。もう一つ、求めたいのは建設的な「責任野党」の姿を今度こそ見せることだ。政権が行き過ぎるようなことがあれば、ブレーキ役を果たすのは当然のことだ。同時に、協力すべきは協力する。<br />
<br />
やられたらやり返す。そんな不毛な政治の混迷を乗り越えることは、民主党が政権に復帰したときに必ず生きる。<br />
<br />
=== 週刊朝日、社団法人を騙り全国の病院施設に多額の広告料を要求(2012年12月) ===<br />
<pre><br />
緊急のお知らせ<br />
(週刊朝日からの特別広告企画の案内について)<br />
<br />
前略<br />
本日、週刊朝日が2013年2月発売予定の「手術数でわかるいい病院 2013 全国」に掲載する広告企画の案内を、<br />
【取材協力:日本肝胆膵外科学会 理事長 宮崎勝】と表し、多くの病院施設に広告掲載を持ちかけ、<br />
広告料として 100 万円以上のお金を要求していることが判明いたしました。<br />
<br />
本学会および宮崎個人は、週刊朝日の同企画に対し、一切の関わりを持っておりません。<br />
その旨ご承知いただき、ご注意くださいますようお願い申し上げます。<br />
<br />
なお、本学会として、このような広告掲載企画を無断で各施設に案内している<br />
週刊朝日に対し、抗議文の送付ともに説明を求める予定です。<br />
事情が明らかになり次第、本学会会員の皆様に報告申し上げます。<br />
<br />
今後とも本学会へのご支援・ご協力をお願い申し上げます。<br />
草々<br />
</pre><br />
<br />
=== 「安倍政権の歴史認識を疑問視する声が米国内で急速に広がっている。このままでは日本の国際的孤立さえ招きかねない」 ===<br />
社説:歴史認識―孤立を避けるために <br />
<br />
「東北アジア地域の平和のためには、日本が正しい歴史認識を持たなければいけない」 [[韓国]]の[[朴槿恵]]大統領が、[[オバマ米大統領]]との会談で対日関係に言及した。 <br />
<br />
言うまでもなく、歴史認識をめぐる[[安倍首相]]の言動や、[[麻生副総理]]らの[[靖国神社参拝]]を念頭に置いての発言である。本来、隣国同士で率直に話し合うべき問題がこうした形で取りあげられるのは残念だが、それほど日本への不信感が強いということだろう。韓国の対日不信を決定的にしたのは、先月の閣僚らによる靖国参拝と、それに続く安倍首相の国会答弁だ。<br />
<br />
首相は「侵略という定義は学界的にも国際的にも定まっていない」と発言。これが韓国では「植民地支配や侵略戦争を否定したもの」ととらえられた。今年に入って日韓間では関係改善を探る努力が続けられてきたが、以来、政府間の交流は再び滞ってしまった。安倍政権の責任は大きい。<br />
<br />
この問題は、日米関係にも影を落とし始めている。2013年5月発表された米議会調査局の報告書は、首相の歴史認識について「侵略の歴史を否定する修正主義者の見方を持っている」と指摘。[[ワシントン・ポスト]]など米主要紙も首相発言を批判している。 <br />
<br />
さらに、[[慰安婦問題]]をめぐる[[河野談話]]見直しの動きがあることについて、[[シーファー前駐日大使]]は「見直しを受け入れる人は米国にはまったくいない」と語った。安倍政権の歴史認識を疑問視する声が、米国内で急速に広がっている。このままでは、日本の国際的な孤立さえ招きかねないことを、首相は深刻に受けとめるべきだ。<br />
<br />
首相は、[[5月8日]]の[[参院予算委員会]]で「アジアの人々に多大な損害と苦痛を与えた」と、[[1995年]]の村山談話と同様の認識を示すなど軌道修正を図りつつある。歴史認識で対立を煽るような言動は厳に慎み、一致できる部分で連携を深める。各国の信頼を回復する道はそれしかない。<br />
<br />
=== 「新任のNHK経営委員を首相にごく近い人たちで固めたがる。『みなさまのNHK』が『あべさまのNHK』にならないか」(2013年11月) ===<br />
天声人語 <br />
<br />
「放く」と書いて「こく」と読む。いささか品を欠くけれども、何かを体の外へ放つことを表す。若い人たちは「調子放いて……」などと言う。調子に乗る、図に乗るの意味だが、さて[[自民党]]である。<br />
<br />
▼[[昭和]]の名文記者、[[門田勲]]のユーモラスな一節を思い出す。「通勤で混み合う電車の中の広告に、真っ赤な蛸の画があった。ねじ鉢巻で、盃をもって踊ってる。えらく景気のいい蛸だ。蛸は自民党かもしれない」。前にも引いたが、数の力で我が世の春をうたった頃の文だ <br />
<br />
▼今は[[特定秘密保護法案]]である。これほど危うい法案を短期国会で通そうとすること自体、数を頼んだ驕りではないか。同じ流れで、新聞の首相動静もマル秘にという発言が、元閣僚から事も無げに飛び出してくる。<br />
<br />
▼さらに、婚外子の相続差別を違憲とした最高裁決定に公然と異論が湧き、三権の一角を軽んじる。新任の[[NHK]]経営委員を首相にごく近い人たちで固めたがる。どこか怖いものなしの感がある。<br />
<br />
▼後者について案じる声は少なくない。「みなさまのNHK」が「あべさまのNHK」にならないか、と。他にも原発あり、改憲あり。経済だ、株だとかまけるうちに面舵いっぱい、気がつけば国の鼻先はあらぬ方に向いていたと悔やむのは避けたい。<br />
<br />
景気のいい[[安倍政権]]に自民党の[[リベラル]]派は蒸発してしまったかのようだ。野党はどうにも影が薄い。「決められる政治」はいいが、アクセルだけの車は怖い。大事なのはブレーキだと古今の歴史は教えている。<br />
<br />
=== 「この国民にして、この政府…ごり押しと混乱の永田町を眺めつつ思う。私たちはこのレベルか」 ===<br />
天声人語 <br />
<br />
ユーモアの奥底に真実がひそむことがある。<br/><br />
終戦から間もないころ、[[吉田茂]]首相は国内の食糧不足量を多く見積もりすぎて[[マッカーサー]][[元帥]]に文句を言われたそうだ。<br/><br />
すかさず「日本の統計が正確だったら、戦争に負けていませんよ」と切り返して言い逃れたというから、この人らしい <br />
<br />
▼「正確なら負ける戦争など仕掛けなかった」といった意味合いだったろう。記憶の底でホコリをかぶっていた逸話が、きのうの本紙オピニオン面を読むうちに浮かび上がってきた<br />
<br />
▼[[東大]][[教授]]の[[岡崎哲二]]さんによれば、金属・機械・化学各工業の統計が日米開戦の2年前から「秘」扱いになった。つまり国力の基本的な情報を一般国民には秘したまま、開戦は決断されたのだという<br />
<br />
▼工業統計だけでなく、様々に目隠しをされたまま国策が決まった時代。どこへ連れて行かれるのか分からない人々の不安は想像できる。結局、相手の物量に対抗するためにおびただしい人命を注ぎ込んで、戦争は終わった<br />
<br />
▼国民は自分たちのレベルに見合った政府しか持ちえないという。[[英国]]の[[歴史家]][[カーライル]]は「この国民にして、この政府」と警句を残したそうだ。ごり押しと混乱の[[永田町]]を眺めつつ思う。私たちはこのレベルか。もう少しましな政治が持てそうなものだが <br />
<br />
▼秘密法案の強行成立を、与党は譲らない。「決められない政治」に懲りて[[自民党]]に衆参で多数を与えた。その結果がこれでは、一票を悔やむ人は多いだろう。不信感の統計は膨大に違いない。<br />
<br />
==== ネット反応 ====<br />
* 朝日があまりにも左傾化した結果がこれだ。責任は朝日にあるかもしれない <br />
* 自分らの意見に合わないからって、とうとう国民全体をもディスりはじめたか <br />
* わかったから愚痴垂れつつ[[サンゴ]]でも彫ってろ <br />
* 民主党政権のときにはなんで言わないの?w <br />
* 「ペンは無力」とかいつも言ってるよねこういう時 <br />
* 朝日は何様のつもりなんだ?おまえらその国民の金で飯食ってる自覚無いのか? <br />
* 「この国民にして、このマスメディア…ごり押しと混乱の新聞を眺めつつ思う。私たちはこのレベルか」 <br />
* この購読者にして、この新聞…朝日の記者はこのレベル。「か」じゃなくて「このレベル」 <br />
* 自分らの思い通りにならないと国民を攻撃し始める「社会の公器」様であった <br />
* この偏向報道にして、この不正義・・・朝日新聞の報道姿勢を眺めつつ思う。日本のマスコミはこのレベルか <br />
* いつもの朝日のパターンだな。自分たちの意にそぐわない状態になるとまるで日本国民全員が愚民のような捨て台詞を吐く。 <br />
* 朝日新聞が言う逆の事が正しいんだよね? <br />
* 朝日って安倍政権を叩くことが社是なんだっけ?ゴシップ新聞と何が違うの? <br />
* 朝日が受験問題に使われるのは日教組とグルだからなんだろうね。学生を受験で脅して朝日新聞を購読させて洗脳させるシステム怖いわw <br />
* スパイが反対する法案っていうけど、まさにその通りだなw朝日にもうじゃうじゃスパイいるだろ。どんどん逮捕してほしいw <br />
* 火のないところに火をつける。それが朝日w <br />
* 民主党ならダダ漏れの情報とか、隠蔽とか恐ろしくて夜も眠れない。必要な法律を、無思慮に反対してる連中が多いから、まともな法律へ修正する時間が失われる。民主党や社民党なんか不要。こんな政党に投票する馬鹿のおかげだ。 <br />
* この前、今時地下鉄で朝日新聞広げてる人久々に見たわwいかにも教師やってそうな小汚ない雰囲気のおばさんだったわ… <br />
* つか馬鹿騒ぎに惑わされずに淡々と採決したのは以前よりレベル上がってんじゃね政府も国民も。朝日とその取り巻きだけがずっとレベルが変わらないだけで<br />
<br />
===「両院制した自公政権…民意とのねじれ恐れよ。有権者は日本の針路を丸ごと安倍政権に委ねたわけではない」===<br />
[[2013年]][[7月21日]]、「1強体制」の本格到来を思わせる、安倍自民党の勝ちっぷりである。<br />
<br />
自民、公明両党は、非改選とあわせて参院の半数を大きく上回る議席を得た。昨年の衆院選に続き参院も自公が制したことで、[[2007年]]の参院選以来、政権の国会運営を左右してきた衆参両院の「ねじれ」は当面、解消する。同時に、安倍首相はかつての自民一党支配時代をほうふつさせる安定した権力基盤を手にしたことになる。<br />
<br />
向こう3年は国政選挙はないというのが、政界のもっぱらの見方だ。この間、ジェットコースターのような変転きわまりない政治が続いた。首相交代は年中行事のようになり、「決められない」が政治の枕詞になった。安定した政治のもと、景気回復など山積みになった内政・外交の懸案に腰を据えて取り組んでほしい――。今回の選挙結果は、そんな切羽詰まった民意の表れといえるだろう。<br />
<br />
とはいえ、有権者は日本の針路を丸ごと安倍政権に委ねたわけではない。首相は経済のほかは十分に語らなかったし、投票率も振るわなかった。 <br />
<br />
小泉首相による2005年の「郵政解散」以降、衆院選で大勝した政権党が、その次の参院選で過半数を割る逆転劇が繰り返されてきた。その始まりとなったのが、安倍氏が首相として初めて臨んだ2007年参院選での自民党の歴史的大敗だった。<br />
<br />
この6年の「負の連鎖」を、今回、安倍政権がみずから断ちきることができたのは、その経済政策「アベノミクス」が、一定の信認を得たからにほかならない。民主党政権の末期に比べ、株価は5千円ほど高くなった。円安も進み、首相は選挙戦で[[国内総生産]]がマイナスからプラスに転じた、2012年度の公的年金の運用益が過去最高となったと胸を張った。野党は、賃金が増えていないのに食品の値段が上がっているなどと、アベノミクスの副作用を訴えた。<br />
<br />
それでも、ひとまずは数字を残した安倍政権に寄せる本格的な景気回復への期待が、声高な批判を打ち消した。 <br />
<br />
ただし、この期待は両刃の剣であることを、首相は忘れてはならない。景気が腰折れしたり副作用が高じたりすれば、失望の矛先はまっすぐに首相へと向かう。<br />
<br />
政権の実力が本当に試されるのは、これからなのだ。<br />
<br />
中小企業や地方で働く人たちの賃金は上がるのか。消費税率を予定通りに引き上げられるのか。それで医療や介護を安定させられるのか。いずれも、くらしに直結する課題である。安定政権の強みは、こうした分野でこそ大いに生かしてもらいたい。一方で、有権者は決して政権にフリーハンドを与えたのではない。与党も含め政治に注ぐ視線は依然厳しい。そのことを首相は肝に銘じるべきだ。<br />
<br />
首相は締めくくりの街頭演説で「誇りある国をつくっていくためにも憲法を変えていこう」と改めて持論を強調した。[[日本維新の会]]や[[みんなの党]]をあわせて機運が高まれば、やがて改憲も視野に入るという思いなのかもしれない。<br />
<br />
だが、朝日新聞の最近の世論調査では、改憲手続きを定めた[[憲法96条]]の改正には48%が反対で、賛成の31%を上回った。連立を組む[[公明党]]の山口代表が「憲法改正を争点にするほど(議論が)成熟しなかった」と語ったが、その通りだろう。首相が意欲を見せる、停止中の原子力発電所の再稼働にも56%の人が反対している。<br />
<br />
首相が民意をかえりみず、数を頼みに突き進もうとするなら、破綻は目に見えている。衆参のねじれがなくなっても、民意と政権がねじれては元も子もあるまい。誤りなきかじ取りを望みたい。<br />
<br />
それにしても、つい7カ月前まで政権を担っていた民主党の退潮は目を覆うばかりだ。改選議席は半分を割りこみ、2大政党の一翼の面影はない。 <br />
<br />
1996年の結党以来、「政権交代可能な二大政党制」を意図した制度のもとで野党結集の軸となった。もっとも、こうした党のなりたちが、「政権交代」のほかに党員をたばねる理念や目標を持つことのできない弱点にもつながっていた。<br />
<br />
下野から半年あまりたったいまも、この弱みは克服できないままだ。昨年の国政進出で民主党に迫る勢いをみせた[[日本維新の会]]もまた、[[橋下徹]]大阪市長の一枚看板に頼らざるを得ないもろさをあらわにした。野党の自壊といっていい。<br />
<br />
自公両党は、憲法改正をのぞけば「補完勢力」など必要としない状況にある。しばらくは続きそうな1強体制に、野党はただ埋没するだけなのか、それとも再生に歩み出すのか。野党だけの問題ではない。日本の民主主義が機能するかどうかが、そこにかかっている。<br />
<br />
=== アルジェリア人質事件。遺族ら「氏名公表避けて」→朝日「死者7名の氏名公表すべき」と安倍首相らに要請 ===<br />
アルジェリア南東部イナメナスの天然ガス関連施設で起きた人質事件で、朝日新聞社などが加盟する内閣記者会は、政府が公表していない被害者の氏名と年齢のうち少なくとも死亡が確認された7人分の公表を安倍晋三首相と菅義偉官房長官に申し入れた。 <br />
<br />
申入書では「事件に対する国民の関心は非常に高く、日本政府が公的に安否確認を行うとともに、情報収集、救出、帰国支援に全面的に関与している」と指摘。「最も基礎的な情報」である氏名と年齢の公表を求めている。 <br />
<br />
日本政府は2004年4月と10月にイラクで起きた人質事件では被害者の氏名を公表している。菅氏は記者会見で、氏名の公表について「(被害者の勤務先である)日揮がご家族の意向をまとめている。しばらく様子を見守りたい」と語った。<br />
<br />
'''朝日新聞にはガッカリ。朝日新聞の記者のモラルを疑います'''<br/><br />
昨夜、菅官房長官が被害者の実名は公表しないと明言してくれたので安心していたところ、今朝の朝日新聞を見てガッカリしました。実名を公表しないという約束で答えた取材の内容に実名を加え、さらにフェイスブックの写真を無断で掲載しておりました。 <br />
<br />
ただでさえ昨夜の発表を受け入れるのが精一杯の私たち家族にとって、こんなひどい仕打ちはありません。記者としてのモラルを疑います。 <br />
<br />
16日の事件発生から昨夜まで、日揮の情報はとても少なくて、私たち家族は日本の報道や海外メディアの不確かな情報に一喜一憂し、振り回されておりました。なぜ日揮はここまで情報を出すのに慎重に慎重を重ねていたのか疑問だったのです。それが昨夜の菅官房長官の「被害者の実名は公表しません」という言葉で分かりました。彼らは私たち被害者家族を守るために細心の注意を払っていたのです。 <br />
<br />
いまだ大変危険な状態のイナメナスに命がけで安否確認のために現地入りした、日揮の川名浩一社長と城内実外務政務官、人命よりもテロ掃討を優先し、価値観、考え方、近隣諸国との社会情勢など様々な事情により、まったく話が通じないアルジェリアを相手にイニシアチブをとって情報を引き出してくれた安倍首相、現地で訳の分からない扱いを受けることなく日本人の形式でしっかり棺に入れていただき、専用機で日本まで連れて帰ってくれるということなど今回の一連の対応に心から感謝したいと思います。 <br />
<br />
技術者として世界を舞台に第一線で活躍していた叔父を誇りに思います。一日も早く日本に帰ってきてもらい「おかえりなさい、お疲れ様でした。」と言いたいです。<br />
<br />
'''体罰教師を実名で報じず、テロ被害者を実名報道する腐れメディア'''<br/>=<br />
アルジェリアで犠牲にあった日本人被害者を、メディアは約束を破って次々と実名、写真入り報道をしている。「事件を多くの国民の記憶に刻み込み、このような悲惨な出来事が再び起きないよう社会に力強く訴えるという観点から名前の報道が必要」という大層な謳い文句だ。しかし何の説得力もない。<br />
<br />
事件を国民の記憶に刻み込むのに、実名かどうかは関係ないし、悲惨な出来事が再び起きないようにするなら、悲しみにくれ、過剰報道で迷惑している遺族を追い回すのではなく、アルジェリアの現地にでも行って、なぜこうしたテロが起きたのか取材すべきだろう。<br />
<br />
結局マスメディアは大層な使命を振りかざしてはいるが、<br />
* 危険なアルジェリアには行きたくない<br />
* 日本で遺族を追い回して、お涙頂戴物語を報道すれば、視聴率が上がる、売上が上がる<br />
<br />
というただそれだけの理由だろう。<br />
<br />
しかもそんなに実名報道することが使命なら、なぜ高校2年生に30~40発も殴って暴力をふるい、自殺に追い込んだ[[桜宮高校]]の顧問の実名を報道しないのか?その方がよっぽど、「事件を多くの国民の記憶に刻み込み、このような悲惨な出来事が再び起きないよう社会に力強く訴えるという観点から名前の報道が必要」ではないのか。<br />
<br />
結局、メディアがやっていることは、死人に口なしという態度だろう。<br />
<br />
テロで犠牲になった人はもう死んじゃったから、遺族が何と言おうが、本人ではないから、関係ないと開き直り、一方、体罰高校は、生徒は死んでしまっているが、体罰教師は生きているので、生きている教師から何かクレームつけられたら困るという、逃げ腰の姿勢から、実名は報道しない。<br />
<br />
でも校長は実名で会見したり報道でも出ているわけだ。顧問が刑罰に処せられるかはともなく、なぜ校長だけがテレビカメラの前に出てきて、新聞報道でも名前を報じられるのに、肝心要の顧問の実名がないのか。顧問がカメラの前で謝罪し、事実関係を明らかにするのが筋だろうが、その点、マスコミは追求せず、顧問の実名も写真も報道せずに、ひたすら亡くなったテロの被害者をさらし、遺族を苦しめるという犯罪行為を堂々と行っている。<br />
<br />
例えばアルジェリアに10万人日本人が住んでいて、無差別テロで誰が亡くなったかわからず、安否確認を報道に期待している人が多くいるなら、実名報道に意味はあるだろうが、ある企業の社員だと特定されているわけだから、別に全国ニュースで実名と写真をさらすことに何の使命もない。<br />
<br />
マスメディアが思い上がっているんです。おまえら何様かと。被害者を苦しめ、加害者を守ることが報道の使命なのか。しかもその報道は記者名もなく、会社という看板で守られるというふさげた話。<br />
<br />
一貫して実名報道を重視し、体罰顧問の名前も明らかにしているならともかく、そういうところでは逃げをうって、死人に対しては冷酷な態度をとるメディアの、とんだ勘違いがマスメディア離れを加速させ、むしろそのせいで、ネットで体罰教師の実名、写真やプロフィールなどが出まわるという、状況になっているのだと思う。<br />
<br />
ちなみに体罰のせいで子供を亡くした父親は、「体罰ではなく暴行」であるとし、顧問を刑事告訴している。<br />
<br />
=== 『尖閣国有化前(民主時代)に射撃レーダー照射あった』という記事削除、理由は不明 ===<br />
[[Image:朝日新聞削除前.png|500px|thumb|削除前]]<br />
[[Image:朝日新聞削除後.jpg|500px|thumb|削除後]]<br />
朝日新聞は、2013年2月6日付夕刊1面で、東シナ海での中国軍による自衛隊への射撃用レーダー照射が昨年9月に尖閣諸島を国有化する前にもあったことがわかったなどと報じた。<br />
<br />
これと同じ内容の記事が「尖閣国有化前から射撃レーダー照射 政府関係者明かす」という見出しで、ニュースサイト「朝日新聞デジタル」無料版にも掲載された。しかし、記事掲載から約2時間後の同日午後10時ころ、記事がニュースサイトから削除された。この記事が短時間で削除された理由はわかっていない。<br />
<br />
朝日新聞の問い合わせ窓口では「個別の記事の削除理由についてはお答えできない」としている。<br />
<br />
=== さりげなく安倍晋三の出自を攻撃する朝日(2013年3月深沢明人) ===<br />
3月18日付け朝日新聞朝刊の[[天声人語]]。 <br />
<br />
「占領は終った。六年八カ月間の長い長い占領は終った」と[[1952年]][[4月28日]]の小欄は筆を起こしている。<br />
<br />
末尾は「占領よ、さようなら」の言葉で締めくくった。独立という、戦後の新しいステージへの静かな高揚が伝わってくる<br />
<br />
▼サンフランシスコ平和条約が発効したその日、日本は主権を回復した。同時に沖縄、奄美、小笠原は本土から切り離された。沖縄ではその後20年にわたって米軍統治が続くことになる。「屈辱の日」として記憶されてきたゆえんである<br />
<br />
▼平和条約をめぐって、国論を分かつ議論が起きたのはよく知られる。東西の両陣営と講和するか、米国など西側だけとの講和か、である。世論は沸騰した。しかし「日本」とは本土だけを指し、沖縄は忘れられていた<br />
<br />
▼それから61年、「主権回復の日」の式典なるものを政府が初めて行うそうだ。沖縄から反発の声が上がったのは当然だろう。復帰後も基地は集中し、治外法権的な地位協定は残る。今なお「占領よ、さようなら」と言えずにいる人は少なくあるまい<br />
<br />
▼「日本には長い占領期間があったことも知らない人が増えている」と安倍首相は言う。その通りだろうが、4・28は沖縄などを「質草」にしての主権回復だった。沖縄では日の丸も自由に掲げられなかった<br />
<br />
▼安倍さんの祖父の岸信介氏らは条約発効に伴って公職追放が解かれている。それはともかく、沖縄への想像力を持たずしてこの日は語れない。万歳三唱で終わるなら、やる意味もない。 <br />
<br />
末尾近くの、「安倍さんの祖父の岸信介氏らは条約発効に伴って公職追放が解かれている。それはともかく、」唐突なこの一節は何だろうか。この流れでこんな話を持ち出す必要があるのだろうか。<br />
<br />
いや、筆者の意図はわかる。<br />
<br />
安倍晋三が[[岸信介]]の孫であることを改めて思い起こさせること。その岸信介は[[A級戦犯]]容疑者として拘束され、釈放された後も主権回復までは公職追放されていたことをも思い起こさせること。まるで祖父の公職追放解除を祝いたいのだろうと言わんばかりだ。<br />
<br />
こんな下衆な文章を大新聞の1面コラムに載せていいのか。「天声人語書き写しノート」なるものも販売されているというのに。あるいは、こんな下衆な文章が書けないと大新聞の論説委員は務まらないのか。<br />
<br />
同じ日の夕刊のコラム「窓 論説委員室から」は[[川戸和史]]が「満州国と安倍バブル」と題して次のように述べている。<br />
<br />
〔前略〕東大教授の安富歩さんは、バブル経済と満州事変などの戦争が似ていると指摘してきた。「安倍バブル」に1980年代のバブルの熱気はないが、今の閉塞感はむしろ事変の当時により近いかもしれない。安富さんに聞いた。<br />
<br />
「社会の倫理が崩壊して暴走の歯止めを失うプロセスはバブルも戦争も同じなのです。過ちを犯さないためには、政治家が本質的な問題は何かを国民に率直に訴え、ごまかさずに正面から取り組むことです。しかし、往々にして政治家は話をすり替えて国民に安易な逃げ道を示し、大失敗する。満州国は新興財閥を動員して大陸に王道楽土を建設すると、良いことずくめの話でしたが、結果は破滅的な損失でした」 <br />
<br />
満州国を取り仕切った一人が安倍晋三首相の祖父、岸信介元首相であったことはさておき、アベノミクスも一歩間違えば政府の誘導と民間の依存心の悪循環を生む危うさが漂う。<br />
<br />
「既得権益を破って成長産業を育てるという真の課題から逃げ、脱デフレの期待をあおるのでは、逆に問題を悪化させます」と安富さん。<br />
<br />
気をつけよう、王道楽土の甘い期待は高くつく。祖父が取り仕切った満洲国は破滅したから、「安倍バブル」もわが国を破滅させるおそれがあると言わんばかりである。<br />
<br />
満洲国が破滅したのは必ずしもその構想自体が誤っていたからではなく、もっと別の要因によるものだと思うが。<br />
<br />
朝日には、安倍首相と戦中・戦後の歴史をセットで語る時には、必ず岸信介に触れなければならないという決まりでもあるのか。<br />
<br />
しかも、「それはともかく」「であったことはさておき」と、あたかも本筋ではなく、ただちょっと触れてみただけという逃げの姿勢がまたいやらしい。<br />
<br />
こういうことを言うと、いや安倍は自ら岸の孫であることをウリにしているのだから、岸の負の面も継承すべきであるといった反論があるのだが、私はそれはおかしいと思う。<br />
<br />
本人が自分の出自や祖先を語るのはよい。自分にまつわることであり、その発言の責任は自分がとればよいのだから。しかし、他人が、ある人の出自を、その人を批判する材料として用いるのはよくない。何故なら、人は親を選べない。先祖が行ったことは本人の責任ではない。その人の責任ではないことで、その人を批判するべきではないと思うからだ。<br />
<br />
公人が、出自はもちろん、家族や学歴、職歴、趣味嗜好、交友関係など、ある程度プライバシーをさらけ出さなければならないのは仕方ない。それがその人物を判断する材料に成り得るからだ。<br />
<br />
しかし、本人のあずかり知らないことや、本人ではどうにもならないことを、本人を批判する材料として用いるのはよくない。それは、アンフェアだからだ。<br />
<br />
安倍晋三が岸信介の孫であること。岸信介が満洲国を取り仕切ったこと。A級戦犯容疑者として拘束され、釈放後も主権回復まで公職追放されていたこと。<br />
<br />
これらはいずれも安倍本人にはどうしようもないことである。その人自身ではどうしようもないことを、その人を批判する材料として用いるべきではない。<br />
<br />
主権回復の日に疑問を呈すのに岸信介に触れる必要はないし、満洲国と「安倍バブル」を論じるにしても岸信介に触れる必要はない。上で引用した2記事は、いずれも岸信介の箇所がなくても成立するものだ。それを敢えて触れるというのは、それによって安倍政権にマイナスのイメージを与えようという意図があるからにほかならないだろう。<br />
<br />
公人の出自をもって、公人本人を批判する人に対しては、ではその批判者自身の出自はどうなのかと問いたい。批判者自身の先祖はどうなのか。戦中・戦後はどう過ごしたのか。一族郎党はどのような人物なのか。<br />
<br />
そうした点を明らかにしないまま、立場上プライバシーを明らかにせざるを得ない公人の出自をもって、その公人を批判するとすれば、それはフェアとは言えないのではないか。暗闇から石を投げるようなものではないか。<br />
<br />
半年ほど前に、朝日新聞社の子会社が発行する雑誌が、「出自を根拠に人格を否定するという誤った考えを基調とし、人間の主体的尊厳性を見失っている」記事を載せて問題となり、朝日新聞社自身も「前例のない深刻な事態として、非常に重く受け止めています。差別を許さず、人権を守ることは朝日新聞社の基本姿勢であり、」「この基本姿勢を当社内にも改めて徹底する」と述べているのだが、どうも全く懲りていないように見受けられる。<br />
<br />
=== 金子議員の天ぷら擁護ツイートに朝日新聞・上丸洋一「お前それ凍え死んだ人の前で言えんの?」 ===<br />
金子洋一・民主党参議院議員「天ぷらくらい、文句を言わずに食べさせてやれよ!総理が牛丼食べてちゃおかしいだろ!」<br />
<br />
金子参議院議員のツイートだが、[[上丸洋一]]・朝日新聞編集委員はこのツイートに対して <br />
<br />
“@Y_Kaneko: 天ぷらくらい、文句を言わずに食べさせてやれよ!総理が牛丼食べてちゃおかしいだろ!”<br/><br />
→あなたは、この言葉を、雪の中で身動きもならず凍え死んでいった人たちに語れますか?問題は言うまでもなく、天ぷらではなくて、首相の国民に向き合う姿勢なのです。<br />
<br />
とメンションを飛ばしていた。 <br />
<br />
上丸氏は[[2月16日]]に <br />
<br />
[[福島第一原発]]の事故発生後、現場や東電本店に乗り込んだ菅首相(当時)を事故拡大の元凶であるかのように、この時とばかりに非難した[[読売]]、[[産経]]。大雪で深刻な被害が出ているのに、赤坂で天ぷらを食べていた[[安倍首相]]を両紙はどう書くのか。批判するのか、弁護するのか、それとも知らんぷりか。<br />
<br />
とツイートを行いネット上で話題になっていた。上記ツイートには <br />
<br />
「これは驚いた。菅直人の視察が事態に悪影響を及ぼさなかったと本気で思ってるんですか?イデオロギーのために常識をねじ曲げるのはやめましょう。まずは事故調の目的を理解することです。」と返信が寄せられるなどして菅元首相の原発直後の視察への非難が起っていた。<br />
<br />
また、先のツイートには <br />
<br />
「死者に憑依して自分の立場の絶対性を確立する、実に朝日らしい、そして古臭い主張。」<br/><br />
「私の祖父の代はお前らに人殺しの強姦魔呼ばわりされたままですが。」 <br />
<br />
といったようなコメントが寄せられている。<br />
<br />
==== ネット反応 ====<br />
* 首相の仕事はこれだけじゃないだろ<br />
* 何で凍死した人と天麩羅無理矢理つなげようとするんだよ?本当にマスゴミは麻生の時から変わらねえなあ・・・鳩ポッポの時は無視だったけどw <br />
* すげーな典型的な逆差別アタックだわ <br />
* 亡くなった人が「天ぷらなんか食ってんじゃねー」と言ったんか <br />
* 朝日新聞に関係のある奴の食ったもののリスト新聞に載せろや <br />
* 「災害の時は被災者の立場を考え、天ぷらを食べてはいけません」朝日新聞 上丸洋一 <br />
* 死人が出たら俺が死者の代弁者だって。アホかよ。こいつこそ死者を冒涜してんだよ <br />
* 批判のためなら死者であろうと利用。相変わらずクズっぷり <br />
* 凍え死んだ人からしたら天ぷら食ってる人もツイッターやってる人も同じじゃねえの?批判できるのはあの日現地入りして救助活動した人だけだ<br />
* 天ぷら食わなくても死んでいたと思いますが <br />
* でもこの新聞社は国民を飢え死にさせてる指導者がいる民族が大好きなんだよね <br />
* 亡くなった人も最期の最期で朝日にダシにされてさぞかし無念だろう。 <br />
* 首相が一緒に凍え死ぬ以外何してても叩かれそう <br />
* そんなことになっても危機管理がなってないとか言って死んだ後も叩かれるわ<br />
<br />
=== 日韓の緊密化で古代史解明を ===<br />
朝日新聞2013年02月22日(金)朝刊「声」欄より <br />
<br />
無職 大田正(三重県明和町・67歳)<br />
<br />
日韓関係が悪化したことで、日韓の歴史に興味が以前より増した。<br />
<br />
そこで日本書紀現代語訳を読み、さらにインターネットでも古代日韓関係の事項を調べてみると、両国の関係が兄弟のように親密なものであったことがよくわかった。 <br />
<br />
私はこれらの史実がより明らかになれば、邪馬台国論争の決着も夢ではないと思ってきた。<br />
<br />
ただ問題は宮内庁の管理下にある天皇を中心にした陵墓の発掘が認められず、客観的物証がはなはだ手薄なことである。 <br />
<br />
日本書紀の応神天皇、継体天皇、欽明天皇の項を見ると、百済・新羅その他名前の知らない朝鮮の古国名や人名、事件などこれが日本の歴史書かと驚かされるほど記述されている。<br />
<br />
これは当時の倭・百済・新羅の関係が密であったことを如実に表している。 <br />
<br />
東アジアの発展と平和の一助にするためにも、大和朝廷に関係する墳墓の学術的研究に、国が積極的に貢献することを願う。 <br />
<br />
=== 朝日新聞2013年08月07日(水)朝刊「声」欄より ===<br />
隣国を思いやる度量見せる時 無職 村上博彦(愛知県 77) <br />
<br />
8月15日。安倍政権の[[稲田朋美]]行革相はいち早くその日に靖国神社参拝の意向を固め、首相官邸の了承を得たという。稲田氏はその理由を、「自分の国のために命を捧げた人に対し、感謝と敬意、追悼の意を表すことは主権国家として許されるべきだ」と述べた。ほかにも安倍内閣の閣僚の参拝が予想されるが、韓国や中国などの苦悩を思いやる自省はないのか。 <br />
<br />
ソウルであったサッカー東アジア杯の日韓戦で、「歴史を忘れる民族に未来はない」という横断幕が観客席に掲げられた問題について、[[菅義偉]][[官房長官]]は「極めて遺憾」と述べ、日本サッカー協会は主催の東アジア連盟に抗議文を送った。<br />
<br />
さらに[[下村博文]][[文部科学相]]は、「その国の民度が問われると思う」とまで述べた。そこには、日本の応援団が韓国にとっては植民地支配の屈辱となる巨大な旭日旗をスタンドに掲げたことへの自省はない。これでは不信を増すばかりとなろう。 <br />
<br />
[[日本国憲法]]は、前文に普遍的な政治道徳の法則として「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」とうたう。中韓との関係改善のために、日本は屈辱を受けた相手を思いやり、その法則を進んで実行する度量を見せる時ではないか。 <br />
<br />
[http://atamaga.jp/whitepage/index.php/25/14/45.html]<br />
<br />
=== 「お隣とけんかしつつ客を呼ぶ?中韓は喜んで来るか。で、それでも靖国に行くか」 ===<br />
朝日新聞 夕刊1面 「素粒子」(9月9日)<br />
<br />
<pre><br />
浮かれてばかりはいられない。<br />
7年間で片付ける宿題が山積み。<br />
汚染水。そんなに胸張って大丈夫か、安倍首相。<br />
<br />
お隣とけんかしつつ客を呼ぶ?<br />
中韓は喜んで来るか、気持ちよく迎えられるのか。<br />
で、それでも靖国に行くか。<br />
<br />
よもや仮設が残っているなんてことは。<br />
被災地で一緒に楽しめるか。<br />
そして首都直下を抑えこむ。これは神頼み<br />
</pre><br />
<br />
=== 靖国問題―なぜ火種をまくのか(2013年4月) ===<br />
近隣諸国との関係改善が必要なときに、[[安倍政権]]はいったい何をしているのか。<br />
<br />
[[麻生副総理]]・財務相ら3閣僚が、春季例大祭に合わせて[[靖国神社]]を参拝した。安倍首相は参拝を控えたが、神前に捧げる供え物「真榊」を奉納した。<br />
<br />
これに反発して、[[韓国]]は今週末に予定していた尹炳世外相の訪日を取りやめた。[[中国]]外務省も日本に「厳正な申し立て」をしたと発表した。<br />
<br />
[[菅官房長官]]は会見で「影響を外交に及ぼすべきではない」と語った。だが、靖国参拝は歴史認識に関わる問題であり、両国の反発は当然、予想されたはずである。<br />
<br />
日本外交にとって、いま最も優先すべき課題のひとつは、核・ミサイル問題で挑発を強める[[北朝鮮]]に日中韓が結束して当たることだろう。韓国外相の来日もその調整の一環だった。<br />
<br />
たしかに、日本と中韓両国とは[[尖閣]]や[[竹島問題]]をめぐって緊張が続いている。中国の監視船が尖閣周辺の日本領海を侵犯するなどの行為に対して、抗議するのは当然だ。<br />
<br />
同時に、首相自身が「大局的な観点から関係を進める」と語ったように、粘り強く関係修復をはかる。そうした微妙な時期である。それを、靖国問題でことを荒立てるのでは、方向が逆ではないか。<br />
<br />
きのうの国会では、過去の植民地支配と侵略へのおわびと反省を表明した[[村山談話]]について「安倍内閣として、そのまま継承しているわけではない」と述べた。高い支持率で、緊張感が薄れているのではないか。閣僚の言動も含め、自制を求めたい。<br />
<br />
=== 【靖国参拝】朝日新聞がついに激怒!「日本はいったい、何を考えているのか。隣国の神経を逆なでする行動が流行のように政治家に広がることを憂慮せざるを得ない」 ===<br />
靖国問題―政治家は大局観を持て<br />
<br />
日本はいったい、何を考えているのか。この国の為政者全体の国際感覚が、そう疑われても仕方がない。 <br />
<br />
安倍政権の3閣僚に続いて、与野党の国会議員がきのう、大挙して靖国神社を参拝した。 <br />
<br />
「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」によると、その数168人。人数の把握を始めた[[1987年]]以降で最多という。政府や党の要職にある議員たちも多く加わった。国会議員の参拝数は、昨年の同じ時期と比べると、一気に倍増した。 <br />
<br />
隣国の神経を逆なでする行動が流行のように政治家に広がることを憂慮せざるを得ない。 <br />
<br />
参拝問題をめぐる日韓の摩擦の再燃について、米国務省の報道官も「対話で違いを乗り越えてほしい」と苦言を呈した。 <br />
<br />
[[自民党]]の[[高市早苗]]政調会長は「外交問題になる方が絶対おかしい」と語ったが、それはあまりにも独りよがりの発想だ。 <br />
<br />
外交とは、国同士の相互関係で紡ぐものであり、一方が問題ないと片づけることはできない機微にふれる問題なのである。歴史問題をめぐる政治家らの思慮を欠く対応は、私たち日本自身の国益を損ねている。<br />
<br />
北朝鮮に対する日米韓のスクラムでは、日韓のパイプが目づまりしてきた。さらに歴史問題がこじれれば、軍事情報の交換をめぐる懸案の協定も結べず、チームワークは進まない。<br />
<br />
日中韓をめぐっては、自由貿易協定論議が遠のくだけではない。日本を置いて、韓国は中国への傾斜を強めている。 <br />
<br />
来月に外遊を始める朴槿恵(パククネ)大統領はまず米国を訪れ、その次は日本ではなく中国を考えている。歴代政権で異例のことだ。 <br />
<br />
北東アジアの多国間外交において、日本の孤立を招きかねない事態を、安倍首相はじめ政治家はどう考えているのか。 <br />
<br />
首相が立て直したと自負している米国との関係も誤解してはならない。 <br />
<br />
オバマ政権は従軍慰安婦問題をめぐる「河野談話」の見直しや、尖閣諸島問題をめぐる不用意な言動を控えるよう安倍政権に警告してきた。 <br />
<br />
国内の一部の感情を優先して近隣外交を揺らすような日本の姿は、米国にとっても信頼に足る同盟国とは言えない。 <br />
<br />
だからこそ安倍首相は2月の訪米時に、アジアとの関係を重んじる決意を誓ったのではなかったか。 <br />
<br />
「地域の栄えゆく国々と歩みをともにしてゆくため、より一層の責任を負う」と。 <br />
<br />
何よりも肝要なのは、中国、韓国との信頼関係づくりに歩を進めることだ。国を思うなら真の大局観を失ってはならない。<br />
<br />
=== 小野寺防衛相は「日本の右傾化は誤解」と言うなら、安保問題は中国・韓国の了承を得よ ===<br />
「日本の右傾化を指摘する声や、国際秩序への挑戦を試みているという批判もある。まったくの誤解だ」 <br />
<br />
小野寺防衛相がシンガポールで開かれたアジア安全保障会議の講演で、そう語った。 <br />
<br />
安倍政権の歴史認識や外交姿勢をめぐり、国内外から疑念が突きつけられている。やむにやまれず、この機に反論し、局面の転換をこころみたのだろう。だが、防衛相が国際会議でこんな弁明をしなければならないのは尋常ではない。 <br />
<br />
そもそも安倍首相がとなえる「戦後レジームからの脱却」ははっきり説明されていない。歴史の見直しを含む動きがあれば、戦後秩序への挑戦と受けとられても仕方あるまい。 <br />
<br />
慰安婦問題をめぐる日本維新の会共同代表の橋下徹氏の一連の発言も、海外では、安倍政権下での日本の問題として見られているのが実情だ。 <br />
<br />
小野寺氏は講演で「野党の一党首が不適切な発言を繰り返した。そのような発言や歴史認識にくみしない」と述べたが、他人ごとで済ます話ではない。歴史認識をめぐっては、首相自身の発言が不信を招いた。<br />
<br />
閣僚らが靖国神社を参拝したことで中国と韓国が反発すると、「どんな脅かしにも屈しない」と言い切った。植民地支配と侵略へのおわびと反省を示した村山談話について「そのまま継承しているわけではない」と発言。批判を浴びると、継承の明言に転じた。 <br />
<br />
歴史をめぐる安倍政権の「価値観」とは何か、どこに向かうのか。その見えにくさが「右傾化」批判を招く一因だろう。歴史発言に始まる負の連鎖の果てに、近隣国とのつき合いを損ねてしまう。そんな安倍外交の不手際には、首相がもっとも重んじる同盟相手の米国からも困惑の声が寄せられている。 <br />
<br />
各国の懸念を「誤解」と弁明するならば、行動でみせるしかない。とくに中国、韓国との冷えた関係を解きほぐし、建設的な対話につなげる糸口にしてもらいたい。 <br />
<br />
小野寺氏は、防衛費の増額などについて「地域の安定へ、より能動的、創造的な貢献を目的としたものだ」と説明した。<br />
<br />
ならば、海洋、宇宙、サイバー空間のルールづくりといった21世紀型の安保問題への取り組みも、隣国と積極的に論議してはどうか。 <br />
<br />
後ろ向きの弁明から脱却し、アジアの安定への道筋を率直に提案する新しい日本の姿を見せる。それが「軍国化日本」の否定にもつながるだろう。<br />
<br />
=== 解釈変更を「暴挙」と報じる朝日と東京。感情論、見透かされる扇動 ===<br />
[[安倍内閣]]による[[集団的自衛権]]の行使容認をめぐる議論で目立ったのは、これに反対するメディアの感情的で恣意的な報道ぶりだった。2014年7月2日付の在京各紙の社説を見ると、朝日新聞と東京新聞が今回の閣議決定について、それぞれ次のように「暴挙」と断じていた。<br />
<br />
「この暴挙を超えて」(朝日)「9条破棄に等しい暴挙」(東京)<br />
<br />
この中で朝日は「[[民主主義]]が、こうもあっさり踏みにじられるものか」と嘆き、東京は「憲政史上に汚点を残す暴挙だ」と決めつけた。ともに、行使容認には憲法改正が必要だとの立場を取っている。<br />
<br />
だが、[[憲法9条]]に関する政府解釈は、国際情勢の変化に伴い変遷してきたのが事実だ。<br />
<br />
例えば、[[吉田茂]]首相(当時)は[[昭和21年]]6月、国会で「自衛権発動としての戦争も交戦権も放棄した」と答弁している。その後、[[昭和29年]]7月に[[自衛隊]]が創設され、同年12月には[[大村清一]]防衛庁長官(同)が国会で「国土を防衛する手段として武力を行使することは、憲法に違反しない」と述べ、政府解釈を大きく転換した。もちろん、別に憲法は改正されていない。<br />
<br />
両紙は2013年12月、[[特定秘密保護法]]が成立した際の社説でも「憲法を骨抜きにする愚挙」(朝日)「民主主義を取り戻せ」(東京)と厳しい論調で政権を非難していた。<br />
<br />
とはいえ、こうした国民の不安と危機感をあおり、世論を動かして自社の主張に政府を従わせようという手法は、もう見透かされているのではないか。<br />
<br />
朝日は[[第1次安倍内閣]]時代の[[平成18年]]12月に、[[改正教育基本法]]と防衛庁「省」昇格法が成立したときの社説「『戦後』がまた変わった」ではこう記した。<br />
<br />
「長く続いてきた戦後の体制が変わる。日本はこの先、どこへ行くのだろうか」「戦後日本が変わる転換点だった。後悔とともに、そう振り返ることにならなければいいのだが」<br />
<br />
東京もこのときの社説「行く先は未来か過去か」で朝日とそっくりな論調でこう訴えていた。<br />
<br />
「悔いを残す思い出としないために、時代と教育に関心をもち続けたい」<br />
<br />
まるで教育基本法改正で日本が暗黒社会に向かうか、戦前に回帰するかのような書きぶりだが、現実は当然のことながらそうはならなかった。そして同様の根拠の薄い感情論を、特定秘密保護法のときも今回の集団的自衛権をめぐっても繰り返しているのだ。<br />
<br />
集団的自衛権に関しては、両紙はこんな手法も駆使している。6月24日、[[安倍晋三]]首相と[[フィリピン]]のアキノ大統領が会談した際のことだ。アキノ氏は共同記者会見で、日本の憲法解釈の見直し方針についてこう歓迎の意向を表明した。<br />
<br />
「日本政府が能力を持って他者を救援することになることは必ずやメリットのあることだ。特に集団的自衛権という分野においてはそうではないか」<br />
<br />
「それに対して警戒の念を抱くことは、私どもは全く思っていない」<br />
<br />
[[産経新聞]]、[[読売新聞]]、[[毎日新聞]]、[[日経新聞]]は翌25日付朝刊で、アキノ氏の行使容認支持について濃淡はあっても報じている。<br />
<br />
ところが、朝日は「安全保障面で日比両国の連携を強化していくことで一致」とは書いたものの、アキノ氏の行使容認支持については触れていない。東京には日比首脳会談の記事自体が見当たらなかった。社論に都合が悪いので省いたとみられても仕方あるまい。<br />
<br />
「日米同盟はこれまでと次元の異なる領域に入る。そのうち中国も『日本ともちゃんとうまくやりたい』と頭を下げてくるだろう」<br />
<br />
今回の[[閣議決定]]を受け、ある[[外務省]]幹部はこう指摘した。主義・主張は各紙の自由だが、朝日、東京両紙ではこういう見解はまず読めない。<br />
<br />
=== 【世論操作】集団的自衛権、行動容認反対63%・・・ 実は中国・韓国での調査だった ===<br />
集団的自衛権、行使容認反対63%に増 朝日新聞調査 2014年4月6日<br />
<br />
http://www.asahi.com/articles/ASG3L72L6G3LUZPS007.html<br />
<br />
[[安倍政権]]が[[集団的自衛権]]の行使容認に向けた姿勢を強めるなか、朝日新聞社は憲法に関する全国郵送世論調査を行い、有権者の意識を探った。それによると、集団的自衛権について「行使できない立場を維持する」が昨年の調査の56%から63%に増え、「行使できるようにする」の29%を大きく上回った。憲法9条を「変えない方がよい」も増えるなど、平和志向がのきなみ高まっている。<br />
<br />
安倍内閣支持層や自民支持層でも「行使できない立場を維持する」が5割強で多数を占めている。<br />
<br />
安倍晋三首相は政府による憲法解釈の変更で行使容認に踏み切ろうとしているが、行使容認層でも「憲法を変えなければならない」の56%が「政府の解釈を変更するだけでよい」の40%より多かった。首相に同意する人は回答者全体で12%しかいないことになる。<br />
<br />
_________<br />
<br />
(ここからは登録した者しか閲覧不可能)(そして登録して見てみると・・・最後にこんな一文が)<br />
<br />
調査は日本と中国で2~3月、韓国で2月に行い、中国調査は主要5都市で実施した。有効回答は日本2045件、中国1千人、韓国1009人。<br />
<br />
(回答の半分が中国と韓国での物です)(しかし目次にも、未登録で見られるページにも、その事は一切書かれていません)<br />
<br />
=== 朝日新聞「中国と韓国の機嫌を損ねるな!」 ===<br />
集団的自衛権行使容認の閣議決定([[2014年]][[7月1日]])を受け、2日付新聞各紙には大見出しが躍った。<br />
<br />
なかでも[[産経新聞]]は「『積極的平和』へ大転換」という大見出しでその歴史的意義を強調。中見出しで「今後50年日本は安全だ」という首相発言を掲げた。対照的に[[朝日新聞]]は1面で「9条崩す解釈改憲」、2面で「ねじ曲げられた憲法解釈」、3面で「危険はらむ軍事優先」という見出しを打ち、日本が戦争に巻き込まれる危険性を警告した。<br />
<br />
産経は集団的自衛権行使容認によって戦後日本の国の守りがあるべき国家の姿に近づいたと評価。政治家も国民も共に考え、日本がより主体性をもって判断すべき時代を迎えたという。朝日は戦後日本が築いてきた民主主義が踏みにじられるとの懸念を示した。この政権の暴挙をはね返すには国会論戦だけでなく、メディアを含めた草の根の異議申し立てが必要だとした。<br />
<br />
こうした両紙論調のコントラストはこれが初めてではない。[[慰安婦問題]]の「[[河野談話]]」を検証した政府報告書(2014年6月20日公表)でも顕著だ。<br />
<br />
産経は河野談話が「日韓合作」だったという特ダネをすでに報じていただけに「根拠のない談話により日本の名誉は著しく傷つけられている。談話は破棄、撤回を含め見直さなければならない」と断じた。一方、朝日はもともとこの問題の火元であるせいか、元慰安婦たちの救済を重視すると同時に、韓国政府の猛反発を懸念。「もう談話に疑義をはさむのはやめるべきだ」と幕引きを主張している。<br />
<br />
集団的自衛権や河野談話について両紙の論調に違いがあることは別に問題ではない。それぞれ社の方針に沿った主張があっていい。その違いが安倍晋三首相の政治信条や国家観に対する評価の違い、ないしは日米同盟、日中韓関係に対する評価の違いに起因していることは間違いない。<br />
<br />
保守を自任する産経がナショナリストと評される安倍首相の肩を持ち、中国の東アジア地域での急台頭を牽制する日米同盟強化を支持するのは当然だ。逆にリベラルを自任する朝日が安倍首相の「戦後レジームの転換」を批判、どちらかといえば反米、親中に傾くのも不思議ではない。両紙論調が併存していることはむしろ日本の言論界の健全性を物語るともいえよう。<br />
<br />
いま日本の言論界に求められているのはその健全性よりも平和国家日本のビジョンを語ることだ。歴史の教訓を踏まえ過去の過ちを繰り返すことなく未来志向の展望を切り開くことだ。戦争の危険性をいくら論じたところで戦争は防げない。戦争をいかにして防ぐか。その知恵を絞るのに保守もリベラルもない。<br />
<br />
=== 道徳教材の『日本人としての自覚』『我が国を愛し発展に努める』といった記述。食事中に砂粒をかんだような感じがする ===<br />
★天声人語 <br />
<br />
世の中にたえて花粉のなかりせば、とつぶやく。列島が黄や赤の花粉情報に染まっていくのを見ると、かゆい目がますますむずがゆい。アレルギーと呼ばれるこの症状、何かを「異物」として排除する免疫の過剰な働きらしい<br />
<br />
▼いわばけんかである。迷惑だが、花粉も免疫もそれぞれ大切な役目があって、両成敗ともいかない。どうか仲良く、と願いつつ、このほど公開された道徳教材を開くと、「ともだちとなかよく」。低学年用の本にあった<br />
<br />
▼いじめ防止が狙いの一つで、来月、全国の小中学生が手にする。共に生きる大切さを教え、命の尊重を説く。異論はない。ただ「日本人としての自覚」「我が国を愛し発展に努める」といった記述に、ふと立ち止まる。食事中に砂粒をかんだような感じがする<br />
<br />
=== 猛然と走って逃げた朝日新聞「慰安婦」記者(2014年1月) ===<br />
東京都知事選だが、早くも趨勢は決したようだ。『[[週刊新潮]]』のタイトルが「勝者は一目瞭然の『世論調査』生データ公開」。<br />
<br />
[[自民党]]、[[民主党]]、ある通信社と新聞社、どの世論調査でも[[舛添要一]]候補がダブルスコアで優勢との結果が出ているという。一例を挙げると自民党が1月25、26日に行った3回目の調査。舛添氏が41ポイント、細川氏は17ポイントだった。一向にその差は詰まりそうにない。<br />
<br />
[[細川護煕]]候補の“即原発ゼロ”に関して[[京大]]大学院の[[佐伯啓思]]教授はこう斬って捨てる。「あれは一種の非現実的な理想主義」「細川さんが落選すれば、それは安倍政権にとって、敵がオウンゴールしたようなものです。夏にも行なわれる原発再稼働に向けて、この都知事選の結果が後押ししてくれるのではないでしょうか」<br />
<br />
やっぱり、殿は“御乱心”だったと言うべきだろう(この場合の“殿”は[[小泉純一郎]]元総理も含む)。<br />
<br />
このところ精力的に[[韓国]]批判を続けている『[[週刊文春]]』はワイド型式で「韓国の『暗部』を撃て!」。なかでも注目は「“[[慰安婦]]捏造”朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に」。<br />
<br />
日本軍による慰安婦強制連行があったとする一連の記事を書いた[[植村隆]]記者が今年3月で朝日を早期退社、神戸松蔭女子学院大学の教授になるのだという。<br />
<br />
「大学で研究活動に入る前に自らの誤報について検証すべきではないか」「記者だったら、自分が書いた記事ぐらいきちんと説明してもらえませんか」<br />
<br />
文春記者の呼びかけに、その男は五十過ぎとは思えないほどの勢いで猛然と走り出し、タクシーに乗って逃げたという。こんな記者が、女子大でいったい何を教えることやら。<br />
<br />
'''当事者も否定した「日本軍連行」報道、日本外交歪めた元朝日記者は今も沈黙'''<br/><br />
[[平成4年]][[1月16日]]からの首相、[[宮沢喜一]]の韓国訪問直前のことだった。<br />
<br />
「朝日新聞が、慰安婦問題で政府の関与を示す資料を[[中央大]]教授、[[吉見義明]]が発見したと報じたことで、政府内は蜂の巣をつついたような大騒ぎとなった」<br />
<br />
慰安婦募集の強制性を認めた翌5年8月の[[官房長官]]、[[河野洋平]]の談話作成に関わった内閣外政審議室の元幹部はこう振り返る。そして「一連の流れをみると意図的な動きを感じる」と付け加えた。一連の流れとは、次のようなものだ。<br />
<br />
[[平成3年]]12月に、韓国の民間団体「太平洋戦争犠牲者遺族会」を母体とし、弁護士の[[高木健一]]、[[福島瑞穂]]([[社民党]]前党首)らが弁護人となって韓国人元慰安婦、金学順らが日本政府を相手取り損害賠償訴訟を起こす。<br />
<br />
朝日新聞はそれに先立つ同年8月11日付朝刊の[[植村隆]]の署名記事「元朝鮮人慰安婦 戦後半世紀重い口を開く」で、こう書いていた。<br />
<br />
「日中戦争や第二次大戦の際、『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり、(中略)体験をひた隠しにしてきた彼女らの重い口が、戦後半世紀近く経って、やっと開き始めた」<br />
<br />
大きな反響を呼んだ記事ではこの女性は匿名となっているが、実は[[金学順]]だった。金が女子挺身隊の名で連行された事実はない。裁判の訴状で金は「[[キーセン]](朝鮮半島の芸妓・娼婦)学校に3年通った後、養父に連れられて中国に渡った」と述べている。<br />
<br />
記者会見やインタビューでは「母に40円でキーセンに売られた」とも語っており、植村の記事は歪曲だといえる。その上、植村は[[太平洋戦争]]犠牲者遺族会の幹部の娘婿でもあった。<br />
<br />
そして冒頭の外政審議室元幹部の証言通り、朝日は宮沢訪韓5日前の4年1月11日付朝刊1面トップで、次の6本もの見出しを立てた特大記事を掲載する。<br />
<br />
「慰安所 軍関与示す資料」「防衛庁図書館に旧日本軍の通達・日誌」「部隊に設置指示」「募集含め統制・監督」「『民間任せ』政府見解揺らぐ」「参謀長名で、次官印も」<br />
<br />
記事本文とは別に「多くは朝鮮人女性」という解説記事もあり、「約八割が朝鮮人女性だったといわれる」「主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した」「人数は8万とも20万ともいわれる」と、いずれも事実と異なる根拠不明の説明を加えている。<br />
<br />
だが、吉見が発見したという「軍慰安所従業婦等募集に関する件」という文書は実際には「軍の威信を傷つけかつ一般市民の誤解を招くおそれあるもの」「不統制に募集し社会問題を惹起する恐れあるもの」「募集の方法、誘拐に類し警察当局に検挙取り調べ受けるもの」など、悪質な業者には気をつけろという通達だ。<br />
<br />
少なくとも、強制連行とは何の関係もない。現代史家の[[秦郁彦]]は「もともと明らかになっていた文書で、朝日の記事が出る2週間ほど前に会った吉見は『近々この資料が朝日で出る』と言っていた。朝日は宮沢訪韓のタイミングを狙ったのだろう」と振り返る。<br />
<br />
宮沢内閣は事実関係の確認・検証より事態の沈静化を優先させた。官房長官、[[加藤紘一]]は2日後の13日の記者会見で「事実を厳粛に受け止めたい」「このような過ちを決して繰り返してはいけない」と謝罪談話を発表した。<br />
<br />
16日に訪韓した宮沢は大統領、[[盧泰愚]]との会談で「肝に銘じている」「衷心よりおわびし、反省したい」と8回にわたり謝罪し、慰安婦問題の調査と真相究明を約束した。<br />
<br />
まず「謝罪ありき」であり、この姿勢が河野談話へとつながっていく。植村が現在勤務する[[札幌市]]内の[[北星学園大学]]に取材を申し込んだが回答はなかった。<br />
<br />
朝日新聞広報部は「一連の記事は今もなお正しい報道だと認識するか」との質問に対し、次のような回答を寄せた。<br />
<br />
「従軍慰安婦問題は最初から明確な全体像が判明したという性格の問題ではありません。お尋ねの記事は、そのような全体像が明らかになっていく過程のものです。当社はその後の報道の中で、全体像を伝える努力を続けています」<br />
<br />
「全体像」が何を指すかは不明だが、慰安婦問題は朝日があおりたてた結果、国際問題化したことに変わりはない。なかでも朝日が作り上げた“事実”を利用したのが北朝鮮だった。<br />
<br />
'''元朝日ソウル特派員「日本人が無理やり娘をさらったら暴動が起きましたよ」'''<br/><br />
慰安婦問題が過熱した1990年代初め、朝日新聞ソウル特派員として[[前川惠司]](現在は退社しジャーナリスト)は、韓国内で元慰安婦らに取材した。日本にいたときも「韓国・[[済州島]]で奴隷狩りをした」との虚偽の強制連行証言をし、朝日が繰り返し取り上げてきた[[吉田清治]]とも会った。<br />
<br />
「確か80年に川崎支局で『韓国・朝鮮人』という続き物をやっていたころ、吉田が『自分の話を聞いてほしい』と支局に電話をかけてきた。彼の自宅に行って3、4時間ぐらい話を聞いたが、(核心部分の)済州島の話はまったくでなかった。尋ねるたびに話のつじつまが合わなくなるので結局、多くは書かなかった」<br />
<br />
こう語る前川は、元韓国人慰安婦にインタビューし、「女子挺身隊」の名で慰安婦が戦場に連行されたと、事実をねじ曲げて伝えた朝日新聞[[平成3年]][[8月11日]]付朝刊の[[植村隆]](2014年3月退社、北星学園大学講師)の署名記事についても首をひねる。<br />
<br />
「『勘違いしているな』と直感し、すぐに訂正がでるだろうと思った」<br />
<br />
挺身隊が慰安婦と異なるのは、少しでも戦時下の日本について調べればすぐ分かる常識だったからだ。<br />
<br />
前川はこの4月、ソウル時代に元慰安婦を取材したエピソードを「戦場の慰安婦哀譚昨今」(亜細亜大学アジア研究所所報第154号)と題したエッセーにつづった。そこから浮かび上がるのは、元慰安婦の女性らが支援団体らの主義主張に「利用」されているという一面だ。<br />
<br />
エッセーには、前川のこんな忘れられない光景が記されている。<br />
<br />
[[1993年]]11月、当時の首相、[[細川護煕]]と韓国大統領、[[金泳三]]による首脳会談が韓国の慶州で行われたときのことだ。元慰安婦を支援する韓国の団体が、元慰安婦ら十数人を中心としたデモを展開した。<br />
<br />
厳しい寒さの中、元慰安婦らは、薄い生地の白いチマジョゴリで、傘もささず雨の中を歩かされていた。時折、デモの指導者のかけ声に合わせ、「日本は補償しろ」と叫んではいたものの、顔面は蒼白だった。前川が「おばあさんたちが風邪をひいてしまう」と案じていると、その目の前で1人が倒れてしまった。<br />
<br />
「これが[[人権屋|人権団体]]のやることか」<br />
<br />
前川は憤りを禁じ得なかった。ほかにも、こんなエピソードが記されている。<br />
<br />
別の集会では、元慰安婦らは「『今度、[[国連]]に訴えたので、もらえるお金もうんと増えるといわれたの。本当かしら』と、嬉しそうに顔をくしゃくしゃにし、金を得たら、これを買う、あれを買うと皮算用を膨らませていた」。<br />
<br />
前川が当時韓国で、元軍人、大学教授から友人の母親まで、つてを総動員して60歳以上の人々に「日本兵や日本の警察官に無理やり連れていかれた娘がいたか。そんな噂を聞いたことがあるか」と尋ねて回っても「ある」とうなずいた人は皆無だった。逆にある人は「無理やり娘を日本人がさらったりしたら、暴動が起きましたよ」と言った。<br />
<br />
「あのころのおばあさんたちは、苦しい生活のなかで、名乗り出ればお金がもらえるんだと、単純に考えていた印象です。素朴なおばあさんたちでしたから」<br />
<br />
こう振り返る前川は、少女の慰安婦像まで用いて「元慰安婦イコール性奴隷」との表現が盛んになされている現状に大きな違和感を抱いている。<br />
<br />
「そこまで朝鮮半島の女性を侮辱する言葉が、[[李朝時代]]を含めてあっただろうか。自分たちの民族の女性が公然と『性奴隷』と貶められて、侮辱を感じないのだろうか」<br />
<br />
前川は疑問を投げかけ、エッセーをこう結んだ。<br />
<br />
「あちこちに従軍慰安婦像を建てようとしている人たちが、本当に貶めているのは誰なのか、気になってならない」<br />
<br />
'''「済州島で連行」吉田氏の証言。裏付け得られず虚偽と朝日が判断(2014年8月)'''<br/><br />
〈疑問〉日本の[[植民地]]だった朝鮮で戦争中、慰安婦にするため女性を暴力を使って無理やり連れ出したと著書や集会で証言した男性がいました。 朝日新聞は80年代から90年代初めに記事で男性を取り上げましたが、証言は虚偽という指摘があります。 <br />
<br />
慰安婦問題を考える <br />
<br />
男性は[[吉田清治]]氏。著書などでは日雇い労働者らを統制する組織である山口県労務報国会下関支部で動員部長をしていたと語っていた。 朝日新聞は吉田氏について確認できただけで16回、記事にした。初掲載は[[1982年]][[9月2日]]の大阪本社版朝刊社会面。<br />
<br />
大阪市内での講演内容として「[[済州島]]で200人の若い朝鮮人女性を『狩り出した』」と報じた。執筆した大阪社会部の記者(66)は「講演での話の内容は具体的かつ詳細で全く疑わなかった」と話す。<br />
<br />
1990年代初め、'''他の新聞社も'''集会などで証言する吉田氏を記事で取り上げていた。<br />
<br />
[[1992年]][[4月30日]]、[[産経新聞]]は朝刊で、[[秦郁彦]]氏による済州島での調査結果を元に証言に疑問を投げかける記事を掲載。週刊誌も「『創作』の疑い」と報じ始めた。 東京社会部の記者(53)は産経新聞の記事の掲載直後、デスクの指示で吉田氏に会い、裏付けのための関係者の紹介やデータ提供を要請したが拒まれた。<br />
<br />
[[1997年]][[3月31日]]の特集記事のための取材の際、吉田氏は東京社会部記者(57)との面会を拒否。虚偽ではないかという報道があることを電話で問うと「体験をそのまま書いた」と答えた。済州島でも取材し裏付けは得られなかったが、吉田氏の証言が虚偽だという確証がなかったため、「真偽は確認できない」と表記した。その後、朝日新聞は吉田氏を取り上げていない。<br />
<br />
しかし、[[自民党]]の[[安倍晋三]]総裁が[[2012年]]11月の日本記者クラブ主催の党首討論会で「朝日新聞の誤報による吉田清治という詐欺師のような男がつくった本がまるで事実かのように日本中に伝わって問題が大きくなった」と発言。一部の新聞や雑誌が朝日新聞批判を繰り返している。 <br />
<br />
今年4~5月、済州島内で70代後半~90代の計約40人に話を聞いたが、強制連行したという吉田氏の記述を裏付ける証言は得られなかった。<br />
<br />
干し魚の製造工場から数十人の女性を連れ去ったとされる北西部の町。魚を扱う工場は村で一つしかなく、経営に携わった地元男性(故人)の息子は「作っていたのは缶詰のみ。父から女性従業員が連れ去られたという話は聞いたことがない」と語った。<br />
<br />
「かやぶき」と記された工場の屋根は、韓国の当時の水産事業を研究する[[立命館大]]の河原典史教授(歴史地理学)が入手した当時の様子を記録した映像資料によると、トタンぶきとかわらぶきだった。[[1993年]]6月に、吉田氏の著書をもとに済州島を調べたという韓国挺身隊研究所元研究員の姜貞淑(カンジョンスク)さんは「数カ所でそれぞれ数人の老人から話を聞いたが、記述にあるような証言は出なかった」と語った。<br />
<br />
吉田氏は著書で、[[1943年]]5月に西部軍の動員命令で済州島に行き、その命令書の中身を記したものが妻(故人)の日記に残っていると書いていた。しかし、今回、吉田氏の長男(64)に取材したところ、妻は日記をつけていなかったことがわかった。吉田氏は[[2000年]]7月に死去したという。<br />
<br />
吉田氏は[[1993年]]5月、[[吉見義明]]・[[中央大]]教授らと面会した際、「(強制連行した)日時や場所を変えた場合もある」と説明した上、 <br />
動員命令書を写した日記の提示も拒んだといい、吉見氏は「証言としては使えないと確認するしかなかった」と指摘している。<br />
<br />
戦時中の[[朝鮮半島]]の動員に詳しい[[外村大]]・[[東京大]]准教授は、吉田氏が所属していたという労務報国会は[[厚生省]]と[[内務省]]の指示で作られた組織だとし、「指揮系統からして軍が動員命令を出すことも、職員が直接朝鮮に出向くことも考えづらい」と話す。<br />
<br />
吉田氏はまた、強制連行したとする[[1943年]]5月当時、済州島は「陸軍部隊本部」が「軍政を敷いていた」と説明していた。この点について、[[永井和]]・[[京都大]]教授(日本近現代史)は旧陸軍の資料から、済州島に陸軍の大部隊が集結するのは[[1945年]]4月以降だと指摘。「記述内容は事実とは考えられない」と話した。<br />
<br />
■読者のみなさまへ<br />
<br />
吉田氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します。<br />
<br />
当時、虚偽の証言を見抜けませんでした。済州島を再取材しましたが、証言を裏付ける話は得られませんでした。研究者への取材でも証言の核心部分についての矛盾がいくつも明らかになりました。<br />
<br />
'''門田隆将・従軍慰安婦「記事取り消し」でも開き直った朝日新聞'''<br/><br />
本日(8月5日)紙面で朝日新聞が、突如、従軍慰安婦の大特集を組んだ。しかし、まるで子どものようなひとりよがりの記事に、私は絶句してしまった。“僕だけじゃないもん!”――そんな駄々っ子のような理屈に、言葉を失った読者は多いのではないだろうか。<br />
<br />
「この記事は、本当に朝日が従軍慰安婦報道を反省し、撤回したものなのか」。私は、本日の朝日新聞の大特集を読みすすめながら、そう思った。「これは、逆に火に油をそそぐものかもしれない」と。<br />
<br />
従軍慰安婦問題とは、朝日新聞が一貫して報じてきた「強制連行問題」にある。あの貧困の時代、さまざまな事情で、春を鬻(ひさ)ぐ商売についていた薄幸な女性たちが数多く存在した。そういう商売が「公娼制度」として現に認められていた、今とは全く異なる時代のことである。<br />
<br />
彼女たちは当時の兵士の給料の30倍という「月収300圓」を保証されて慰安婦となった女性たちである。新聞に大々的に業者による「慰安婦募集」の広告が打たれ、その末に集まった女性たちだ。なかには親に売り飛ばされた女性もいただろう。彼女たちの不幸な身の上には、大いに同情しなければならないと思う。<br />
<br />
だが、これが、無理やり日本軍、あるいは日本の[[官憲]]によって「強制連行された」となれば、まったく様相は異なる。それを主張してきたのが、ほかならぬ朝日新聞である。<br />
<br />
「強制連行」とは、すなわち、従軍慰安婦たちは日本によって「拉致」「監禁」「強姦」された被害者だった、という意味である。意思に反して連行されたのなら「拉致」であり、無理やり慰安所に閉じ込められたのなら「監禁」であり、望まない性交渉を強いられたのなら、それは「強姦」であるからだ。<br />
<br />
現在、韓国が主張し、世界中に広まっている日本による「従軍慰安婦=性奴隷(sex slaves)」という論拠は、まさにそこにある。その結果、今や世界各地に日本糾弾のための「慰安婦像」が建ち、さまざまな議会で日本非難の決議がなされ、日本の若者の国際進出に対する大きな「障壁」となっているのは、周知の通りだ。<br />
<br />
言いかえれば、韓国と歩を一にして、「日本を貶めつづけた」存在が朝日新聞にほかならない。私はそのことに対して、どの程度の真摯な反省が記述されているのか、今日の記事を読みすすめた。まず第1面に〈編集担当 [[杉浦信之]]〉という署名で書かれた〈慰安婦問題の本質 直視を〉と冠する記事には、こう書かれている。<br />
<br />
〈私たちは元慰安婦の証言や数少ない資料をもとに記事を書き続けました。そうして報じた記事の一部に、事実関係の誤りがあったことが分かりました。問題の全体像がわからない段階で起きた誤りですが、裏付け取材が不十分だった点は反省します〉<br />
<br />
私は、これは朝日新聞が真摯な反省をするのかと思い、期待した。しかし、それはすぐに失望に転じた。それは、次のくだりである。信じられない朝日独特の論理がそこには展開されていた。<br />
<br />
〈似たような誤りは当時、国内の他のメディアや韓国メディアの記事にもありました。こうした一部の不正確な報道が、慰安婦問題の理解を混乱させている、との指摘もあります。しかし、そのことを理由とした「慰安婦問題は捏造」という主張や「元慰安婦に謝る理由はない」といった議論には決して同意できません。<br />
<br />
被害者を「売春婦」などとおとしめることで自国の名誉を守ろうとする一部の論調が、日韓両国のナショナリズムを刺激し、問題をこじらせる原因を作っているからです。見たくない過去から目を背け、感情的対立をあおる内向きの言論が広がっていることを危惧します。<br />
<br />
戦時中、日本軍兵士らの性の相手を強いられた女性がいた事実を消すことはできません。慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質なのです〉<br />
<br />
「えっ?それはないだろう」。<br />
<br />
この言い分を読んで納得する人がどれだけいるだろうか。ここにこそ、朝日新聞特有の巧妙な論理の“すりかえ”がある。<br />
<br />
彼女たちが薄幸な女性たちであることは、もとより当然のことである。貧困のために、心ならずも身を売らなければならなかった不幸な女性たちに、今も多くの人々が同情している。私もその一人だ。<br />
<br />
しかし、朝日新聞は、彼女たちが自分たちの意思に反して無理やり「日本軍や日本の官憲」によって、「戦場に連行」された存在だった、としてきたのである。だからこそ、日本は「拉致」「監禁」「強姦」国家である、という汚名を着せられているのだ。<br />
<br />
その根拠なき「強制連行」報道を反省すべき朝日新聞が、〈「慰安婦問題は捏造」という主張や「元慰安婦に謝る理由はない」といった議論には決して同意できません〉と、改めて主張したのである。<br />
<br />
これは、一部勢力の過激な「従軍慰安婦論」を持ち出すことによって、自分自身を“善”なる立場に持ち上げて「擁護」し、自らの「正当性」を訴えているのだ。これは一体、何なのだろうか。<br />
<br />
さらに、この記事は、問題の本質をこう捻じ曲げている。〈戦時中、日本軍兵士らの性の相手を強いられた女性がいた事実を消すことはできません。慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質なのです〉<br />
<br />
この手前勝手な論理に、私は言葉を失ってしまった。〈問題の本質〉とは、朝日新聞が“虚偽の証言者”を引っ張ってくることによって、歴史の真実を捻じ曲げ、従軍慰安婦のありもしない「強制連行問題」をつくり上げたことではなかったのだろうか。<br />
<br />
そして、そのことによって、日本人が将来にわたって拭い難い汚名を着させられ、国際社会で「性奴隷を弄んだ日本人」として、謂われなき糾弾を受けていることではないのだろうか。<br />
<br />
私が、「こんなひどい論理が許されるのだろうか」と思う所以である。私は記事を読みすすめた。1面で開き直りの宣言をおこなった朝日新聞は、今度は16面、17面をブチ抜いて、〈慰安婦問題 どう伝えたか 読者の疑問に答えます〉という記事を掲げている。<br />
<br />
ここでは、5つの事象で、読者に対して「説明」をおこなっている。しかし、その5つの説明は、どれも納得しがたい論理が展開されている。特に驚くのは、肝心の「強制連行」に関するものだ。そこには、こう書かれている。<br />
<br />
〈読者のみなさまへ 日本の植民地だった朝鮮や台湾では、軍の意向を受けた業者が「良い仕事がある」などとだまして多くの女性を集めることができ、軍などが組織的に人さらいのように連行した資料は見つかっていません。一方、[[インドネシア]]など日本軍の占領下にあった地域では、軍が現地の女性を無理やり連行したことを示す資料が確認されています。共通するのは、女性たちが本人の意に反して慰安婦にされる強制性があったことです〉<br />
<br />
すなわち〈軍などが組織的に人さらいのように連行した資料は見つかっていません〉と、このことでの誤りを認めたのかと思ったら、〈軍の意向を受けた業者が「良い仕事がある」などとだまして多くの女性を集めること〉ができた、さらに〈インドネシアなど日本軍の占領下にあった地域では、軍が現地の女性を無理やり連行したことを示す資料が確認されています〉と、逆に「強制連行はあった」という立場を鮮明にしたのである。<br />
<br />
ここでいう〈インドネシア〉の事例というのは、[[スマラン]]という場所で起きた日本軍によるオランダ女性に対する事件である。「強姦罪」等で首謀者が死刑になった恥ずべき性犯罪だが、この特定の犯罪をわざわざ持ち出してきて、これを朝日新聞は強制連行の“実例”としたわけである。<br />
<br />
まさに開き直りである。結局、読みすすめていくと、朝日新聞は、韓国・済州島で「慰安婦狩りをした」という衝撃的な告白をおこなった自称・元山口県労務報国会下関支部動員部長、吉田清治氏の発言を繰り返し報道したことに対してだけ〈虚偽だと判断し、記事を取り消します〉としたのである。<br />
<br />
また、戦時中の勤労奉仕団体である「女子挺身隊」を、まったく関係のない慰安婦と混同して、記事を掲載したことに関しては、〈当時は、慰安婦問題に関する研究が進んでおらず、記者が参考にした資料などにも慰安婦と挺身隊の混同がみられたことから、誤用しました〉と言い訳しながら、しぶしぶ間違いを認めている。<br />
<br />
驚くのは、この検証記事のなかで、ほかの新聞も吉田清治氏の証言を取り上げていたと、わざわざ各新聞社の名前を挙げて、各紙の広報部のコメントまで掲載していることだ。まるで、“(悪いのは)僕だけじゃないもん!”と、駄々っ子がゴネているような理屈なのである。<br />
<br />
さらに、朝日新聞は、元韓国人慰安婦、金学順氏の証言記事を書き、〈『女子挺身隊』の名で戦場に連行〉と、実際の金氏の経験とは異なった記事を書いた[[植村隆]]記者に関しては〈意図的な事実のねじ曲げなどはありません〉と擁護している。<br />
<br />
記事を書いた植村記者の妻が韓国人で、義母は当時の慰安婦訴訟の原告団幹部だったことは、今では広く知られている。そのことに対して、朝日はこう弁明しているのだ。<br />
<br />
〈91年8月の記事の取材のきっかけは、当時のソウル支局長からの情報提供でした。義母との縁戚関係を利用して特別な情報を得たことはありませんでした〉<br />
<br />
ソウル支局長の情報提供によって、大阪からわざわざ植村記者が「ソウルに飛んだ」ということを信じる人が果たしてどれだけいるのだろうか。情報提供したのが〈ソウル支局長〉なら、なぜ本人か、あるいはソウル支局の部下たちが金学順氏を取材し、記事を執筆しないのだろうか。大阪から、わざわざ“海外出張”までさせて、取材・執筆させる理由はどこにあったのだろうか。<br />
<br />
さらに言えば、植村記者は、なぜ金学順氏が妓生([[キーセン]])に売られていた話など、自らが主張したい「強制連行」に反する内容は書かなかったのだろうか。<br />
<br />
私は、朝日新聞の今回の従軍慰安婦の検証記事は、完全に“開き直り”であり、今後も肝心要の従軍慰安婦の「強制連行」問題では「一歩も引かない」という宣言であると思う。<br />
<br />
つまり、朝日新聞は、「日本が慰安婦を強制連行した」ということについては、まったく「譲っていない」のである。今日の記事で、従軍慰安婦問題が新たな段階に入ったことは間違いない。しかし、それは朝日新聞の“新たな闘い”の始まりに違いない。<br />
<br />
すなわち、どう検証しても「虚偽証言」が動かない吉田清治氏についての記事は「撤回する」が、そのほかでは「闘う」ということにほかならない。<br />
<br />
私は、不思議に思うことがある。<br />
<br />
それは、「朝日新聞は、どうしてここまで必死になって日本人を貶めたいのか」ということだ。<br />
<br />
歴史の真実を書くことはジャーナリズムの重要な使命であり、役割だ。しかし、朝日新聞は、「真実」が重要なのではなく、どんなことがあっても「日本は悪いんだ」と主張しつづけることの方が「根本にある」ような気がしてならない。<br />
<br />
なぜ、事実を捻じ曲げてまで、朝日新聞はそこまで「日本人を貶めたい」のだろうか。私はそのことが不思議だし、そんな新聞を今も多くの日本人がありがたく購読していることもまた、不思議でならない。<br />
<br />
従軍慰安婦問題で肝心要の「強制連行」を撤回しなかった朝日新聞――日本を貶めたいこのメディアへの風当たりは「一部記事の撤回」によって、今後、ますます激しくなっていくだろう。<br />
<br />
=== また問題のすり替えとごまかしか 朝日、再度の慰安婦特集記事(2014年8月) ===<br />
朝日新聞は28日付朝刊記事で、「[[河野談話]]、吉田証言に依拠せず」との見出しを取り、河野談話が作成されるに至ったことと、自社が執拗に吉田清治氏の「強制連行証言」を取り上げ、国内外に広めたこととは無関係だと印象付けようとしているようだ。その根拠の一つとして、朝日新聞は今回、こう指摘している。<br />
<br />
「(河野談話は)吉田氏が言うような『強制連行』ではなく、女性たちが自由意思を奪われた『強制性』を問題とした」<br />
<br />
朝日新聞は、5日付の特集記事でも「([[平成5年]]8月の談話発表時に)読売、毎日、産経の各紙は、河野談話は『強制連行』を認めたと報じたが、朝日新聞は『強制連行』を使わなかった」と主張した。だが、そこには朝日新聞が触れなかった点が隠されている。<br />
<br />
河野談話の主役である[[河野洋平]][[官房長官]](当時)が、談話発表の記者会見で「強制連行があったという認識なのか」と問われ、こう答えている部分だ。<br />
<br />
「そういう事実があったと。結構です」<br />
<br />
この河野氏自身が強制連行を認めたという事実は、朝日新聞の2度にわたる慰安婦特集記事からは抜け落ちている。政府が今年6月20日に公表した河野談話の作成過程を検証した報告書でも、河野発言は1章を設けて特記されているにもかかわらずだ。<br />
<br />
つまり、河野氏自身は強制連行があったことを前提に河野談話を主導したのだろう。その河野氏の認識に、朝日新聞のおびただしい慰安婦強制連行に関する報道が影響を及ぼさなかったとどうしていえよう。<br />
<br />
朝日新聞は、[[平成6年]]1月25日付朝刊の創刊115周年記念特集記事では「政治動かした調査報道」と題し、こう書いていた。<br />
<br />
「(慰安婦問題など)戦後補償問題に、朝日新聞の通信網は精力的に取り組み、その実像を発掘してきた」「(3年に)韓国から名乗り出た元慰安婦三人が個人補償を求めて東京地裁に提訴すると、その証言を詳しく紹介した。年明けには宮沢(喜一)首相(当時)が韓国を訪問して公式に謝罪し、国連人権委員会が取り上げるに至る」<br />
<br />
河野談話につながる一連の政治の動きに、自社が大きく関与してきたことを誇らしげに宣言している。<br />
<br />
また、朝日新聞は今回、「韓国、元慰安婦証言を重視」との見出しも取り、現役の韓国政府関係者と韓国元外交官の匿名証言をもとに、吉田証言と韓国での慰安婦問題の過熱はかかわりがないと言わんとしている。<br />
<br />
だが、韓国政府が[[1992年]](平成4年)7月に発表した「日帝下の軍隊慰安婦実態調査中間報告書」で、慰安婦動員の実態について「奴隷狩りのように連行」と書いた際の証拠資料とされたのは、吉田氏の著書であり吉田証言だった。<br />
<br />
朝日新聞の28日付特集の主見出しは「慰安婦問題 核心は変わらず」とある。<br />
<br />
5日付記事と照らし合わせると、大事なのは女性の人権の問題だと言いたいのだろう。とはいえ、この論理も、自社が積み重ねた誤報や歪曲報道を枝葉末節の問題へとすり替えたいのだと読み取れる。<br />
<br />
=== 慰安婦に関する嘘だらけの報道をタレ流し続けた朝日新聞。謝罪の言葉一つない、その傲慢体質に、愛想を尽かす人たちが続出 ===<br />
朝日新聞の罪と罰 [[川村二郎]](元「[[週刊朝日]]」編集長)×[[河内孝]](元[[毎日新聞]]常務) <br />
<br />
慰安婦に関する嘘だらけの報道をタレ流し続けた朝日新聞。国際社会における日本の信用を傷つけた罪は限りなく重いが、謝罪の言葉一つない。その傲慢体質に、愛想を尽かす人たちが続出している。 <br />
<br />
河内<br />
:8月5日付の朝日新聞による慰安婦報道の検証記事が、メディア界のみならず、全国民を巻き込んで大きな議論を呼んでいます。[[1980年代]]から[[1990年代]]にかけて、朝日新聞は「日本軍が強制的に慰安婦を狩り集めた」という内容の報道を行ってきました。<br />
:しかしその後、証言を行った[[吉田清治]]氏が話を作っていたことが判明しました。最初の誤報から30年以上もたった今になって、朝日は吉田証言に関する記事を誤報だと認めて、取り消すことになったのです。<br />
<br />
川村<br />
:朝日は最近になって他メディアからの追及が厳しくなって追いつめられ、詰め腹を切らされたという形でしょう。いかにもあわてて訂正しましたという感じで、みっともないですね。<br />
:とくに編集担当役員の[[杉浦信之]]氏が一面に書いた文章は読むに堪えませんでした。回りくどい自己弁護ばかりで、なにが言いたいのかさっぱり頭に入ってこない。こんなに歯切れの悪い文章を「記者の頭領」が書いてはいけません。<br />
<br />
河内<br />
:検証報道が出て数日して、新聞社のOBたちが集まる日比谷の日本記者クラブに行きました。すると年配の元記者たちが次から次へとやってきて、朝日の記事のコピーを取っていくんです。<br />
:それだけ業界関係者の関心が高く、話題になっているということがわかりましたが、もう一つ明らかになったことは「朝日新聞を自宅で取っている人がそれだけ少ない」ということですね……。<br />
<br />
川村<br />
:今回の記事が出てから、支局や販売店にまで抗議の電話がかかってきている。本社には[[右翼]]の[[街宣車]]が来るというので、ガードマンを増員したり、築地署に来てもらったりしている。さっさと謝ればすむことです。<br />
<br />
河内<br />
:今のタイミングで、検証に踏み切ったのは、経営判断もあると思う。朝日が深刻な部数減少に直面していることとも関係があるのでしょう。朝日の公称発行部数は760万部ですが、ここ十数年ずっと右肩下がりで、毎年のように10万部単位で部数を落としている。<br />
:慰安婦報道の問題を放置していると、朝日バッシングが過熱し、不買運動が広がる可能性もあった。それを懸念して、この時点で慰安婦問題とケリをつけようとしたのでしょう。 <br />
<br />
川村<br />
:しかし、これではとてもケリをつけられたとはいえないでしょう。[[東大]]出のエリートが中心の朝日は、ケンカの作法をわかっていませんね。<br />
:今回の検証記事は、吉田証言の他に、[[1991年]]に[[植村隆]]記者が書いた従軍慰安婦のインタビュー記事についても取り上げていますが、こちらについては「捏造はなかった」の一点張りです。<br />
:しかし今、自分がデスクの立場になったと想像してこの記事を読んでみると、明らかに取材不足の内容です。<br />
:取材が充分でなく、それが原因で反論や批判が寄せられたなら、取るべき態度は二つでしょう。徹底的に論戦をくり広げるか、潔く誤りを認めて謝罪するかです。<br />
:ところが朝日は、ひたすら嵐が去るのをやり過ごそうと逃げ回っている感じです。挙げ句の果てに「朝日以外の新聞も吉田証言を取り上げていました」などと、他紙にも責任を負わせようとしている。他も書いたから、自社の罪が軽くなるといわんばかりです。 <br />
:朝日は「慰安婦を雇ったのは日本だけではない」と発言した[[橋下徹]]・大阪市長を批判しましたが、同じ穴のムジナですよ。 <br />
<br />
河内<br />
:[[リベラル]]であることを自任している朝日は、すぐに「女性の人権」とか「戦争の悲惨さ」といった言葉を持ち出してきます。しかし、事の本質は「嘘つきの話を信じて、間違った記事を書いてしまった」という一点に尽きるんです。<br />
:朝日新聞は[[1989年]]に、[[サンゴ写真捏造事件]]というのを起こしています。朝日のカメラマンが自分で沖縄のサンゴに傷をつけて写真を撮り、日本人のモラル低下を嘆く内容の記事を書いたという事件で、当時の[[一柳東一郎]]社長は引責辞任に追い込まれました。<br />
:慰安婦報道は間違った歴史認識を日本人や韓国人をはじめ世界中の人々に植え付けて、いまなお続く不毛な反日運動を勢いづかせたという意味で、サンゴ事件よりずっと深刻な問題です。[[木村伊量]]社長の進退にかかわる話に発展してもおかしくありません。<br />
<br />
川村<br />
:私が「週刊朝日」の編集長を辞め、編集委員として朝日新聞に戻ったのは、ちょうど[[ベルリンの壁]]が崩壊した後で、左がかった編集委員たちが小難しい顔をして、「なぜ[[共産主義]]は敗北したのか」「冷戦後のジャーナリズムの役割とはなにか?」なんて大真面目に議論をしていた。<br />
:しかし、本当のジャーナリズムというのは、現場に行って、当事者や関係者の話を聞いて事実を集めることでしょう。[[イデオロギー]]が先に立って、それに合わせて取材して記事を書いているようでは、リベラルでもなんでもありませんよ。<br />
:私はリベラリズムとは「是々非々主義」だと思っています。思想信条や社会的立場のちがいを越えて、いいものはいい、悪いものは悪いと言うのが本当のリベラリズムです。今の朝日にはこういう気風が消えかけています。<br />
<br />
河内<br />
:戦後、「一億総ざんげ」をして再出発した日本人にとっては、「非核」と「非戦」というのが大きなアイデンティティになってきました。 <br />
:しかし、それは[[アメリカ]]の核の傘に守られている状況下での平和主義であり、根本的な矛盾がありました。そのようなねじれた非戦思想に寄り添ってきたのが朝日新聞なのかもしれません。<br />
:いずれにしてもアジアの融和を説く朝日の過失が、結果として日韓両国において偏狭な[[ナショナリズム]]を増長させることになってしまった。まさに皮肉としかいいようがありません。<br />
<br />
=== [[池田信夫]]「朝日新聞のねらいは『慰安婦』ではなく『国家賠償』だった」 ===<br />
朝日新聞の誤報事件を解明する上で重要なのは、なぜ彼らがこんなマイナーな数十人の(真偽も疑わしい)紛争に30年以上もこだわってきたのかという疑問だ。この口火を切ったのが、[[清田治史]]記者の書いた[[1982年]]9月の記事だ。<br />
<br />
[[朝鮮人]]男性の抵抗に備えるため、完全武装の日本兵十人が同行した。集落を見つけると、まず兵士が包囲する。続いて吉田さんの部下九人が一斉に突入する。若い女性の手をねじあげ路地にひきずり出す。こうして女性たちはつぎつぎにホロのついたトラックに押し込められた。連行の途中、兵士たちがホロの中に飛び込んで集団暴行した。<br />
<br />
ところが清田記者の[[1983年]]の記事では、慰安婦は消えている。彼の重点は、国家賠償にあった。当時は(男性の)強制連行が話題になり、韓国政府が日本政府に個人補償を要求していた。戦時中に日本に渡ってきた朝鮮人は100万人以上いたので、それにすべて個人補償すると巨額の費用が必要になる。<br />
<br />
国際法的には、賠償の問題は[[日韓基本条約]]で解決ずみだが、韓国政府は強制連行に「超法規的」な国家賠償を要求していた。その中では数十人の慰安婦はマイナーな問題だが、セックスがからむので男性の炭鉱労働より興味を引く。朝日はそれを利用して、韓国の「強制連行に個人補償しろ」という主張を応援したのだろう。<br />
<br />
[[高木健一]]・[[福島みずほ]]などの弁護士の目的も、個人補償の「1兆円訴訟」だった。法的には勝てる見込みはないが、弁護士手数料さえ <br />
取れればいいので、話をなるべく大きくして原告を増やすことが彼らの戦術だった。そのもくろみ通り、日本政府は1993年に河野談話を出し、アジア女性基金という「示談金」を出したが、これがかえって問題を長期化した。 <br />
<br />
このころまでに、産経などの報道で吉田証言が嘘だということがはっきりし、朝日は河野談話の記事では「強制連行」ではなく「強制」という言葉を使った。検証記事では、「東京社会部の記者(53)は[[産経新聞]]の記事の掲載直後、デスクの指示で吉田氏に会い、裏付けのための関係者の紹介やデータ提供を要請したが拒まれた」と書いている(この記者は[[市川速水]]報道局長だと思われる)。<br />
<br />
強制連行がないことがわかっても、朝日だけは「強制性」を根拠に国家賠償を求め続けた。彼らの目的は、政府から個人補償を取ろうとする[[梁順任]]などのたかり行為を応援することにあったからだ。もともと法的根拠はないのだから、強制連行だろうと強制だろうと、政府に責任が <br />
あればいい。 <br />
<br />
ところが、たかりの方便だった慰安婦問題だけがクローズアップされて韓国で「炎上」し、本丸だった(男性の)強制連行が吹っ飛んでしまった。数十人の慰安婦だけ金を取ってもしょうがないので、韓国側はアジア女性基金を拒否し、あくまでも国家賠償を求めた。この点で、日本政府が国家賠償を拒否したのは正解だった。朝日も清田氏が退職してからからは、国家賠償の主張を取り下げた。<br />
<br />
もともと国家賠償は国際法上も無理であり、日本は「示談」に応じたのだから、話は1993年で終わっている。それなのに国家賠償にこだわって撤退しなかったことが、朝日の最大の失敗だった。これは第一報を出した外報部の有力者、清田記者の利害がからんでいるものと思われる。 週刊文春の取材にも彼は答えないようだから、清田氏(もう朝日の社員ではない)を国会に喚問することが事態の解明に不可欠だ。<br />
<br />
=== 安倍首相「安倍政権打倒が朝日の社是だ」(2014年2月) ===<br />
「数カ月間行われてきた言辞が正しかったかどうか。3年後に自民党で検証していただければ極めて有意義だ」。<br />
<br />
[[安倍晋三]]首相は5日の[[参院予算委員会]]で、メディアの多くが[[特定秘密保護法]]への反対論を展開していることに強い不快感を示した。 <br />
<br />
[[自民党]]の[[脇雅史]]氏の質問に対し、首相は「飛んでいく(米海兵隊の新型輸送機)[[オスプレイ]]を[[写メール]]で撮り、友人に送ったら懲役5年という議論もあった」と指摘。<br />
<br />
「実際に誰かやって、そうなるか確かめてみたらいい。全くそんなことは起きない。言った人は責任を取っていただきたい」と発言した。<br />
<br />
さらに、朝日新聞の社名を挙げて「安倍政権打倒が朝日の社是だと聞いた。そういう新聞だと思って読んでいる」と言及した。<br />
<br />
=== 虐待担当の酔っ払い朝日記者が会見で県職員を“虐待”(2014年6月) ===<br />
虐待問題を取材していたはずなのに…。<br />
<br />
朝日新聞千葉総局の記者が、記者会見で大暴れしていた。5月20日に[[千葉県庁]]で行われた「千葉県社会福祉事業団問題等第三者検証委員会」の後に開かれた会見で、この記者は酔っ払った状態で出席。県職員に食って掛かるわ、机を叩くわなどして会見を台無しにした。その後、記者は謹慎したという。関係者は「虐待問題に関する会見で記者が県職員を“虐待”するなんて…」とあきれ、大騒ぎになっている。<br />
<br />
問題が起きたのは、千葉県庁で開かれた5月20日の同委員会終了後だった。会議が非公開ということもあり、午後10時20分ごろから内容を説明するための記者会見が設けられた。問題の県政担当の朝日記者は酒のにおいを漂わせながら会見場に現れ、同委員会の事務局の県職員を「無能!」と何度も繰り返して罵倒し始めたという。<br />
<br />
この記者は、ある程度の経験を積んだ50代ベテラン記者。そんな人が、県職員に向かって人格を否定するような暴言を吐くだけでなく、机を叩くなどして、会見をぶち壊してしまった。<br />
<br />
酔っ払いが会見に紛れ込んでいては、質疑応答どころではないだろう。事情を知る関係者は「会見までの待ち時間に酒を飲んでいたようです。泥酔していて、かなりしつこく県職員に絡んでいたといいます。まるで独演会のようだったとか」と明かす。<br />
<br />
もちろんこのままでは済まされない。朝日新聞社は事情を把握すると、この記者を取材現場から外し、謹慎させた。朝日関係者が県に謝罪に出向き、会見に出席していた他社にも事情を説明するなど対応に追われた。<br />
<br />
この一件で後味が悪いのは、虐待問題が関係していることだ。同検証委員会は、[[知的障害]]のある児童らが入所する「[[袖ヶ浦福祉センター]]」で起きた虐待事件の再発防止のために設置されていた。<br />
<br />
昨年、同センターに入所していた少年(19=当時)がセンター職員(当時)から虐待を受けて死亡。職員らは千葉県警に傷害致死の疑いで逮捕された。これまでの調査で、職員らが複数の入所者に対して日常的に虐待をしていたことが明らかになっている。千葉県は事件を重く受け止め、[[森田健作]]県知事が同センターを視察している。森田知事は「しっかり検証する必要がある」と決意を述べていた。同委員会も1月17日から会合を開き、今回は8回目だった。<br />
<br />
「虐待問題を取材する記者が県職員を“虐待”するなんて…と話題になっています」。確かにシャレにもなっていないだろう。<br />
<br />
千葉県庁広報担当者は「誰から聞いたんですか?会見の内容に関わることではありませんし、会見自体が私どもと記者クラブの共催になっています。そういう立場もあるので、コメントは控えさせてください」と話す。県はあくまで被害者だが、記者クラブとの関係から詳細を明かさない方針のようだ。<br />
<br />
一方、当の朝日新聞社の広報部は書面で「ご指摘の記者会見に当社の記者が出席し、不適切な発言などで会見の進行を妨げたのは事実です。関係者におわびするとともに、本人には厳重に注意しました。今後このようなことがないように記者教育の徹底に努めます」と事実関係を認めるコメントを出した。<br />
<br />
当の朝日記者は謹慎を経て、現在は関係者への謝罪回りをしているという。<br />
<br />
=== 朝日新聞「特許、無条件で会社のもの」という捏造・誤報記事を垂れ流す ===<br />
問題の記事:審議会当日の朝に速報で掲載され大量にリツイートされホットエントリーに(2014年9月4日)<br />
<br />
政府は、社員が仕事で発明した特許を「社員のもの」とする特許法の規定を改め、無条件で「会社のもの」とする方針を固めた。これまでは、十分な報償金を社員に支払うことを条件にする方向だったが、経済界の強い要望を踏まえ、こうした条件もなくす。企業に有利な制度に改まることになり、研究職の社員や労働団体は反発しそうだ。<br />
<br />
http://www.asahi.com/articles/ASG924QNWG92ULFA00K.html<br />
<br />
[[Image:朝日新聞の特許記事捏造1.png|thumb|400px|朝日新聞の特許記事捏造]]<br />
<br />
これ、誤報ですから。訂正がいつ出るか、存じませんが。<br />
<br />
日経は「条件付き」と。「無条件」とした朝日とはまったく逆。これ、日経が正しいというより、水曜の審議会を取材して書いてるということ。朝日は敢えて当日朝に観測記事を出し、誤報に終わった。功を焦ったか、誤った見通しで世論誘導を図ったか。 <br />
<br />
<br />
日経の記事 - 社員の発明、特許は企業に 産業界が報酬ルールに理解 <br />
<br />
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS03H1X_T00C14A9EE8000/<br />
<br />
<br />
昨日の職務発明に関する小委員会を傍聴。冒頭、事務局より、「朝日の記事は全く根拠ない」との説明。事務局からは、事務局案の提示はなく、具体的制度設計の過程で生じた新たな論点の説明のみ。<br />
<br />
[[Image:朝日新聞の特許記事捏造2.png|400px|thumb|朝日新聞の特許記事捏造]]<br />
[[Image:朝日新聞の特許記事捏造3.png|400px|thumb|朝日新聞の特許記事捏造]]<br />
[[Image:朝日新聞の特許記事捏造4.png|400px|thumb|朝日新聞の特許記事捏造]]<br />
<br />
'''ネットの反応'''<br/><br />
* 朝日を信じる奴はアホ、はっきりわかんだね<br />
* とにかく政権にダメージを与えたい朝日さんwww返す刀で自らに特大ダメージwwwwwwwww<br />
* 朝日の記事は基本嘘と思って間違いないな<br />
* [[虚構新聞]]よりたちわるいな<br />
* 朝日、まじでヤバいな。この捏造しかやらない新聞読んでる奴って頭おかしいんじゃないか?<br />
* 朝日新聞は捏造新聞に名前変えたほうがいいんでないの<br />
* そうか、またか。<br />
* 滅びるアカヒ<br />
* 呼吸をするみたいに嘘も吐くんだな、朝日新聞さんは。<br />
* 知る権利(真実とは言ってない)<br />
* まーた朝日か<br />
* ひどいな…日本捏造新聞に名称変更しろよ!<br />
* さっさと廃刊にしとけ<br />
* またお前か<br />
* うわぁ、相変わらずですな<br />
* いくらやんでも酷すぎ。もはやメディアとしての自覚や品位を感じない<br />
* なんで誰もいないところで自爆するんだろうね。この人達は……。傷ついてるのは自分だけっていう。<br />
* 32年後に訂正します<br />
* こういう嘘の報道した場合の罰則を作る必要があるんじゃね?朝日は報道の自由とかほざくんじゃねーぞ<br />
* 捏造は、朝日の社是!<br />
<br />
=== 朝日新聞が福島原発周辺の「手抜き除染」について自作自演で記事を書いていたことが発覚。新聞協会賞も受賞したスクープ記事が自作自演の捏造(2014年10月) ===<br />
[[Image:朝日新聞10.jpg|350px|thumb|自作自演の捏造記事]]<br />
「手抜き除染は自作自演」 朝日新聞スクープ記事で週刊新潮報道<br />
朝日新聞が平成25年度に新聞協会賞を受賞した福島第1原発周辺の「手抜き除染」の記事に「自作自演があった」と、8日発売の週刊新潮(10月16日号)が報じることが7日、分かった。<br />
<br />
新潮の記事では元除染作業員が実名で「証言」。元作業員は、朝日の記者からプレゼントされたICレコーダーを使い、現場監督から不法投棄の言質を取ったとしている。記者が元作業員に行ったインタビューでも、事前に記者が渡したメモを読むように指示されたという。<br />
<br />
さらに、新潮の記事によると、24年12月末に元作業員が環境省へ送った告発文は、実際は記者が指南して作成。記者が元作業員に実名を文書に書くよう求めるなどしたとしている。<br />
<br />
朝日新聞広報部は産経新聞の取材に対し、告発文については「(元作業員が)文書を出す以前から、自ら環境省に告発する電話をかけている。文書を出したのも(元作業員の)意思によるもの。文書は、記者が元作業員から頼まれ、話を聞きながらパソコンでまとめた」などと説明。その上で「週刊新潮の記事は事実に反しており、当社と記者の名誉と信用を著しく毀損(きそん)する内容のため、同誌に対し厳重に抗議した」とコメントした。<br />
<br />
=== 懲りない朝日新聞、「強制売春」という曖昧な言葉を使い始める(2014年10月) ===<br />
朝日新聞は慰安婦問題報道で自らの大誤報を認めた後も、相変わらず実態をゆがめる報道を続けている。 <br />
<br />
「日本軍による組織的な女性たちの強制連行」が虚構だったことを認めながらも、なおも論点を巧妙にずらして、「強制」を拡大し、自紙の大誤報を正当化しようとする姿勢が顕わである。反省の色はまったく見られないと言ってよい。<br />
<br />
朝日新聞のそんな歪曲報道の最近の実例が、10月5日朝刊の国際面に載った「『強制売春 何の疑いもない』」という見出しの記事だった。副見出しには「インドネシア売春婦 オランダ外相発言」と記されていた。ハーグ発の梅原季哉記者の記事である。<br />
<br />
この記事は以下のような記述から始まる。 <br />
<br />
「オランダのティマーマンス外相は3日、第2次世界大戦中に日本軍が占領した旧オランダ領東インド(現インドネシア)での慰安婦問題は、『強制売春そのものであることには何の疑いもない、というのが我々の立場だ』と発言し、慰安婦問題を巡る謝罪と反省を表明した河野談話について、見直しを求める日本国内の動きを牽制した。ハーグの同国外務省で、日本メディアを対象にした記者会見で発言した」<br />
<br />
この記述だけでも、これまでの焦点をずらし、ぼかしている点が2つある。まず、「強制売春」という用語の曖昧さである。<br />
<br />
これまでのいわゆる慰安婦問題での日本糾弾ではまず「強制売春」という言葉はほとんど使われることがなかった。核心はあくまで「強制連行」だった。「強制連行」と言えば、その主語は日本軍とされ、日本軍による組織的な女性の連行こそが日本の国家犯罪として糾弾されたのだ。それをこの記事は「強制売春」という、より定義の不明な、曖昧な言葉に入れ替えてしまった。<br />
<br />
第2は「強制売春」という言葉の主語が分からない点である。 <br />
<br />
売春を強制したのは日本軍なのか、それとも中間に入った民間の売春業者なのか。この記事ではオランダ外相がどう解釈しているのか不明である。問題の記事は次のように続く。 <br />
<br />
「ティマーマンス氏は『河野談話は、この問題に関する両国間の対話の良い前提となってきた。我々は、日本政府が河野談話を継承する意向であることを完全に支持する』と表明」<br />
<br />
「1994年1月に、オランダ政府が公文書館で調査した結果をふまえて当時の外相が出した強制性についての報告書を根拠に『自発的な売春行為などではない』と断言。『実際に経験したオランダ国民はその子孫にとっては、今なお痛みを伴うことであり、両国が高官級で接触する際には、常に提起されるということを理解してもらいたい』とも語り、終わった過去の歴史ではないことを強調した」 <br />
<br />
以上の記述は、これまた最大焦点の「強制連行」にはまったく触れていない。慰安婦問題の核心部分としてあれだけ強調し、非難してきた「強制連行」という点は消してしまっている。そしてもっぱら意味の不明な「強制売春」という言葉で「強制」だけを強調してみせるのである。<br />
<br />
=== 安倍首相「今日の朝日新聞ですね。そういう報道がありました。これは捏造です。」(2014年10月) ===<br />
[[夕刊フジ]]が29日に詳報した関連政治団体の不透明収支に批判が集まるなか、「政治とカネ」問題で政権を追及したところで、「説得力を欠く」(民主党中堅)のは避けられない。<br />
<br />
実際、枝野氏の「政治とカネ」に関する質問は、[[安倍首相]]に見事にかわされてしまった。<br />
<br />
枝野氏「首相が、近い議員に『誹謗中傷合戦は止めるべきだ』『撃ち方やめになればいい』と述べたと報道されている。事実関係をお答えください」<br />
<br />
安倍首相「今日の朝日新聞ですね。そういう報道がありました。これは捏造です。朝日新聞は安倍政権を倒すことを社是としている、と前主筆が語ったという。私に確認もないまま、言ってもいない発言が出ているので驚いた」<br />
<br />
閣僚の不祥事続出で逆風だった安倍首相だが、完全に戦闘モードに戻ったようだ。<br />
<br />
枝野氏は、政治資金問題が発覚した[[江渡聡徳]][[防衛相]]らに説明責任を果たすよう指示すべきだとも指摘したが、安倍首相は、枝野氏にも不透明収支があったことを挙げ、「予算委で言い合うのは生産的ではない。[[TPP]](環太平洋戦略的経済連携協定)や[[消費税]]などの課題に真摯に向き合っていくべきだ」と切り返した。<br />
<br />
=== とうとう韓国までが中国主導の投資銀行に参加へ。太平洋で独りぼっちの気分(2015年3月) ===<br />
「素粒子」―3月27日<br />
<br />
それではまるで9・11。担当の副操縦士によるハイジャックか。ドイツ機墜落。「意図的」の意図が腹に落ちず。 <br />
<br />
とうとう韓国までが。中国主導の投資銀行に参加へ。アジアの新事態がのみ込めず。太平洋で独りぼっちの気分。 <br />
<br />
「八紘一宇」も「我が軍」にしても。当の国会の反応の鈍さよ。このぶんではいずれお試し改憲も「まいっか」。<br />
<br />
=== 安倍首相はバンドン演説で「植民地支配・侵略・おわび」を絶対に言わなければならなかった(2015年4月) ===<br />
アジア・アフリカ会議(バンドン会議)60周年首脳会議での安倍首相のきのうの演説は、肩すかしに終わった。首相は、60年前に採択された「平和10原則」の一つである「侵略行為の抑制」を引用し、「この原則を、日本は先の大戦の深い反省とともに、いかなる時でも守り抜く国であろうと誓った」と述べるにとどめた。<br />
<br />
10年前の会議では、[[小泉首相]]が戦後50年の[[村山談話]]を踏襲し、「わが国はかつて植民地支配と侵略によって、アジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」と表明。この表現はそのまま戦後60年談話に生かされた。<br />
<br />
きのうの首相演説は、歴史認識の表明に主眼があったわけではない。ただ、10年前の経緯もあり、安倍氏が日本のかつての過ちにどのように触れるのか、来週の米議会での演説とともに注目を集めていた。<br />
<br />
首相は会議に発つ前夜のテレビで、村山談話について「引き継いでいくと言っている以上、もう一度書く必要はないだろう」と述べ、戦後70年の安倍談話には「植民地支配と侵略」「おわび」などは盛り込まないことを示唆した。きのうの演説はこれに沿った内容だ。<br />
<br />
この考えには同意できない。 <br />
<br />
「侵略の定義は定まっていない」といった言動から、首相は村山談話の歴史観を本心では否定したいのではと、アジアや欧米で疑念を持たれている。引き継いでいるからいいだろうとやり過ごせば、疑念は確信に変わるだろう。表立って批判されなくとも、国際社会における信頼や敬意は損なわれる。<br />
<br />
それがいったいだれの利益になるというのか。 <br />
<br />
一部の政治家が侵略を否定するような発言を繰り返すなか、村山談話は国際的に高く評価されてきた。その後のすべての首相が引き継ぎ、日本外交の基礎となった。率直に過去に向き合う姿勢が、「未来への土台」となったのだ。それをわざわざ崩す愚を犯す必要はない。<br />
<br />
首相はきのうの演説後、中国の[[習近平]]主席と5カ月ぶりに会談した。両国関係を発展させ、アジアや世界の安定と繁栄に貢献をしていくことで一致したという。歓迎すべき流れだ。<br />
<br />
そうであればなおさら、首相はごまかしのない態度で過去に向き合う必要がある。「植民地支配と侵略」「おわび」を避けては通れない。<br />
<br />
=== 反射的に安倍政権けなす「朝日」。偏見打破どころか、歪んだステレオタイプを拡散 ===<br />
「今朝の朝日新聞の1面記事を見たかい。わざわざ[[菅義偉]][[官房長官]]の名前を出してあおっていた。安全保障法制は危険だと印象付けるのが狙いだろう」<br />
<br />
政府高官は[[2015年]][[5月26日]]夜、周囲にこう指摘した。その記事は「集団的自衛権どこまで」「菅氏『新3要件下で敵基地攻撃も』」との見出しで、リード部分には「他国のミサイル発射を防ぐための敵基地攻撃も可能とする見解が示された」と書いている。見出しとリードだけ読むと、読者は安全保障関連法案によって、新たに敵基地攻撃が可能となったように誤解しかねない。だが実際は、すでに[[昭和31年]]に当時の[[鳩山一郎]]首相が衆院内閣委員会で次の有名な政府統一見解で示している。<br />
<br />
「座して自滅を待つべしというのが[[憲法]]の趣旨とするところだとは、どうしても考えられない。他に手段がないと認められる限り、誘導弾等の基地をたたくことは、法理的には自衛の範囲に含まれ、可能である」<br />
<br />
つまり、これはもともと個別的自衛権で認められていた範囲であり、新たな安保法制下でも可能なのは理の当然だろう。にもかかわらず朝日の記事は、「敵基地攻撃も他国領域での武力行使の『例外』として加えることで、新3要件に当てはまれば行使の範囲が際限なく広がる可能性が出てきた」と書くのである。<br />
<br />
[[5月24日]]付朝日朝刊の[[杉田敦]][[法政大]][[教授]]と[[長谷部恭男]][[早稲田大]][[教授]]の対談記事「安保法制安倍政権の『話法』から考える」も、その手法に同様の危うさを感じた。[[安倍晋三]][[首相]]に関する以下のやりとりがそれだ。<br />
<br />
杉田氏「首相は党首討論で、[[ポツダム宣言]]を『読んでいない』とし、先の大戦の評価についての質問に答えなかった」<br/><br />
長谷部氏「読んでもいないものから脱却しようとは、マジシャンそこのけです」<br />
<br />
安倍首相は「その部分をつまびらかに読んでいない」と答弁しただけで、全部「読んでいない」などと言っているのではない。安倍政権の「話法」をうんぬんする前に、自分たちの言葉遣いにもっと注意した方がいい。また、ポツダム宣言については、[[民主党]]の[[岡田克也]]代表も[[5月22日]]の記者会見でこう述べている。<br />
<br />
「今まで何度か読んだことあるが、中身をあまり鮮明に覚えているわけではない。党首討論の後、また読んだが、非常にわかりにくい文章だという印象だ」<br />
<br />
安倍首相を繰り返し批判するのであれば、岡田氏のこの発言も批判的に取り上げないと筋が通らないはずだ。とにかく、安倍首相とその政権の言うことなすことステレオタイプに「問題がある」「危険だ」ととらえ、反射的にけなすという姿勢はいかがなものか。ステレオタイプという言葉を定着させた米国のジャーナリスト、リップマンは著書『世論』([[1922年]]刊行)でこう戒めている。<br />
<br />
「われわれはたいていの場合、見てから定義しないで、定義してから見る」「ステレオタイプが無批判に受け入れられると、配慮されなければならない多くのことがふるい落とされてしまう」「われわれは自分の反対者を悪者や陰謀家に仕立てる」<br />
<br />
本来、メディアには社会の固定観念や偏見を打破する役割が求められている。ところが現実は、メディアが率先してゆがんだステレオタイプを広めている。<br />
<br />
=== 朝日記者、かぎ十字写真を「首相支持派」と紹介(2015年8月) ===<br />
朝日新聞社の冨永 格(ただし・特別編集委員)が[[8月2日]]、同社の公認を受けた[[ツイッター]]で、ナチスの紋章「かぎ十字」が描かれた旗を持つ人たちの写真を紹介し、「東京で行われた日本人の国家主義的デモ。彼らが安倍首相を支持している」と英語で書き込んでいたことがわかった。<br />
<br />
冨永氏はその後、ツイッターから写真と文章を削除した。<br />
<br />
同社広報部などによると、冨永氏はインターネット上にあったデモの写真をツイッターに掲載。ネット上では、安倍首相に対する悪意ある書き込みだとして批判が集まった。同社は、冨永氏から書き込みについて報告を受けたことから、厳しく注意し、おわびの掲載を指示したという。<br />
<br />
冨永氏は削除の際、[[日本語]]と[[英語]]、[[フランス語]]で「嫌韓デモに参加する人たちには安倍首相の支持者が多いという趣旨でしたが、『一般的に』の言葉が抜けていたので、彼らがこぞって首相を支持しているかの印象を与えるツイートになってしまいました」などと書き込んだ。<br />
<br />
=== 「死刑廃止社説」に弁護士団体が猛反論「『ただ批判するだけ』なのは朝日」(2016年10月) ===<br />
[[日本弁護士連合会]](日弁連)の死刑廃止宣言について肯定的に書いた朝日新聞の社説が、「誤った知識及び偏った正義感にもとづく一方的な主張」だとして、「犯罪被害者支援弁護士フォーラム」は[[10月19日]]、朝日新聞社に対して公開質問状を提出する。<br />
<br />
同フォーラム事務局長の[[高橋正人]][[弁護士]]は、弁護士ドットコムニュースの取材に対し「朝日新聞は死刑廃止を当然の前提としているように見えます。あれを読んだ被害者や遺族がどんな気持ちになるかなんて、考えていないのではないでしょうか。被害者側としては、『何で私たちが死刑を望むようになってしまったのか』という心情を理解して欲しいのに、デリカシーがなさすぎます」と、批判した。<br />
<br />
フォーラムが問題視しているのは、「死刑廃止宣言 日弁連が投じた一石」と題された、10月9日付朝刊の社説だ。この中で、朝日新聞は日弁連の死刑廃止宣言を「批判や反発、抵抗を覚悟のうえで、大きな一歩を踏みだした」と高く評価した。<br />
<br />
一方、犯罪被害者支援に取り組んできた弁護士らに対しては、「宣言をただ批判するのではなく、被害者に寄り添い歩んできた経験をふまえ、いまの支援策に何が欠けているのか、死刑廃止をめざすのであれば、どんな手当てが必要なのかを提起し、議論を深める力になることだ」としていた。<br />
<br />
質問状では、この部分について、<br />
<br />
* 「ただ批判する」とは、犯罪被害者の支援に取り組む弁護士らが何ら根拠なく、感情的に反対しているとの趣旨か<br />
* 犯罪被害者の支援に取り組む弁護士らが、既に、被害者支援のため、現状や施策につき具体的提案をし続けていることを知っているのか<br />
* (社説中の)「死刑廃止を目指すのであれば」とは、凶悪犯罪で家族を殺された被害者遺族や、それを支援する弁護士も、死刑廃止をめざすのが当然という趣旨か。そのような趣旨だとして、なぜ、被害者遺族や支援する弁護士も、死刑廃止を目指さなければならないのか。その理由は何か。<br />
* 被害者遺族も死刑廃止を目指すべきだと言われて、被害者遺族がどのような気持ちになるか、考えなかったのか<br />
<br />
などと痛烈な批判を加えている。<br />
<br />
「私たちは支援のあり方を散々提言して、被害者参加や損害賠償命令制度などを実現させてきました。朝日新聞はちゃんと取材したのでしょうか。『ただ批判するだけ』なのは、朝日新聞の方ではないでしょうか」(高橋弁護士)<br />
<br />
質問状は、「(朝日新聞が)報道機関としての矜持を保ち、説明責任を果たし、被害者のために誠実に質問に答えて頂けることを期待します」と締めくくられている。<br />
<br />
=== 稲田防衛相の靖国参拝、極めて残念だ。アジアを含む国際社会との「和解」をめざすなら放置してはならない(2016年12月) ===<br />
[[稲田防衛相]]が[[靖国神社]]に参拝した。極めて残念だ。[[安倍首相]]が[[オバマ米大統領]]と[[真珠湾]]を訪ね、日米の「和解」を強調したばかりである。稲田氏も同行したこの[[真珠湾]]訪問で、日本の過去の歴史をめぐる問題は清算された。稲田氏がそう考えているとしたら、それは大きな誤りだ。<br />
<br />
稲田氏は「祖国のために命を捧げた方々に敬意と追悼の意を表するのは、どの国でも理解をしていただける」と語った。戦争で命を失った肉親や友を悼むため、遺族や一般の人々が靖国で手を合わせる。そのことは、自然な営みである。だが首相をはじめ政治指導者の参拝となると、その意味は異なる。靖国には、若者たちをアジアや太平洋地域の戦場に送った側の[[A級戦犯]]が合祀されているからだ。そこに政治家が参拝することに、割り切れない思いをもつ遺族もいる。[[中国]]、[[韓国]]、さらには欧米など国際社会にも、日本がかつての戦争責任から目を背けようとしているとの疑いを広げかねない。まして稲田氏は[[自衛隊]]を指揮監督する立場の防衛相である。<br />
<br />
[[A級戦犯]]が罪を問われた[[東京裁判]]には、勝者による裁きという批判もある。それでも、日本はこの裁判を受け入れ、平和国家としての一歩を踏み出したことを忘れてはならない。首相はかねて、日本の過去の侵略と植民地支配を認めた[[村山談話]]を疑問視してきた。3年前、靖国に参拝した際には、中韓との関係が悪化し、オバマ政権から「近隣諸国との緊張を悪化させるような行動に失望している」と批判を浴びた。<br />
<br />
首相が[[2015年]]4月の米議会演説で「先の大戦に対する痛切な反省」や「アジア諸国民に苦しみを与えた事実」に触れ、今回、真珠湾を訪問したのは、そうした経緯を踏まえ、日本の首相としての歴史認識に変わりがないことを示すためだったはずだ。首相が重用し続けている稲田氏の言動は、個人の行為にとどまらず、政権の意思と受け止められかねない。首相のこれまでの積み重ねを傷つけ、その真意に再び疑念を広げるだろう。<br />
<br />
稲田氏の参拝は、首相を支持する右派へのメッセージと見ることもできる。首相の真珠湾での演説も、旧日本軍が悲惨な被害をもたらしたアジア太平洋地域への視線は希薄だった。稲田氏の参拝について首相はコメントを避けた。だがアジアを含む国際社会と真の意味での「和解」をめざすなら、稲田氏の参拝を放置してはならない。<br />
<br />
=== 朝日人権委、誤報正さず。巨人契約金報道(2017年1月) ===<br />
朝日新聞の敗訴が確定した[[読売巨人軍]]の選手契約金報道を巡り、巨人軍が朝日の第三者機関「報道と人権委員会」(人権委)に対し、記事は真実だと結論づけた人権委の「見解」の訂正などを求めた申し立てについて、人権委は11日、巨人軍に「審理しない」と通知した。巨人軍は「人権委は被害救済の役割を果たさなかった」と批判し、識者からも「第三者機関としての存在意義が損なわれる」などの指摘が出ている。<br />
<br />
巨人軍によると、人権委は通知書で、「見解を不服として起こした裁判が確定している」ことや、「同一の事件についての申し立て」であることなどを理由に、再審理の必要性はないと結論づけたが、確定判決によって「見解」が否定されたことには言及しなかった。契約金報道を巡り、巨人軍などが[[2012年]]4月、訂正を人権委に申し立てたところ、人権委は同年7月12日、「記事はすべて真実」との見解を公表。朝日は翌日の朝刊で見解を詳細に引用し、「報道と取材に問題なし」などと大きく報じた。<br />
<br />
巨人軍は朝日を提訴。[[東京地裁]]判決は請求を棄却したものの、[[東京高裁]]判決は名誉毀損きそんの成立を認め、朝日に330万円の賠償を命じ、[[最高裁]]で確定した。これを受け、巨人軍は12月22日、人権委に、見解の見直しと、見解を報じた記事の訂正・謝罪を朝日に求めるよう申し立てた。<br />
<br />
人権委は見解で、選手の成績に応じて支払われる出来高払い(報酬加算金)を契約金とみなしたが、確定判決は「年俸に加算する報酬であり、契約金とは性質が異なる」と認定。また、巨人軍の契約は[[日本野球機構]](NPB)の厳重注意処分に相当すると報じた記事について、人権委は真実だとしたのに対し、確定判決は「巨人軍が処分を受ける可能性はなく、記事は真実ではない」と判断した。さらに、人権委は朝日の取材について「NPBへの取材もなされている」との見解を示したが、確定判決はNPB関係者に取材しなかったと認定した。こうしたことから、巨人軍は申し立ての中で、「見解の誤りは明白で、これを報じた記事の責任は重い」と批判していた。<br />
<br />
人権委の見解について、朝日は、報道などに問題がないと判断された他のケースは小さく報じているが、契約金報道の見解は1ページを費やす異例の扱いだった。巨人軍は、「見解の報道が新たな人権侵害を引き起こした」と二次被害を訴えたものの、人権委は11日の通知書でこの点に一切触れなかった。朝日は確定判決を報じる紙面で「記事の根幹部分は真実だと認められた」とするコメントを掲載しており、巨人軍は今後、記事の訂正などを求めて人権委に新たな申し立てを行う。<br />
<br />
人権委は[[2001年]]に発足した朝日新聞社内の第三者機関。現メンバーは憲法学者の[[長谷部恭男]]・早大教授と[[宮川光治]]・元最高裁判事、[[今井義典]]・元[[NHK]]副会長。<br />
<br />
読売巨人軍広報部の話「朝日新聞の契約金報道による名誉毀損を認めた司法判断が確定したにもかかわらず、『報道と人権委員会』が見解を正さないばかりか、再度の審理すらしないことに驚きを禁じ得ません。報道被害の救済機関であるはずの人権委が、その役割を果たさなかったことは誠に残念です。朝日新聞は判決で誤報だったと認定されたにもかかわらず、紙面で『記事の根幹部分は真実だと認められた』と判決の趣旨を歪ゆがめるコメントを掲載しており、今後、その見直しも人権委に求めていきます」<br />
<br />
=== 首相訪韓、当然の判断である。安倍政権が、合意ですべてが解決したかのように振るまうのは適切ではない(2018年1月) ===<br />
韓国で[[2018年]][[2月9日]]に始まる[[平昌冬季五輪]]の開会式に、[[安倍首相]]が出席する意向を表明した。 <br />
<br />
'''当然の判断である'''。<br />
<br />
[[東アジア]]はこれから平昌を皮切りに、[[東京]]、[[北京]]と2年ごとに五輪の舞台となる。そのスタートの式典に日本の首相の姿がなければ、何とも不自然だろう。<br />
<br />
[[自民党]]の一部には、最近の慰安婦問題をめぐる韓国の動きに反発し、出席に否定的な声がくすぶっている。だが、政府間の摩擦を理由に、'''五輪の式典参加を左右させるのは不見識だ'''。<br />
<br />
国際的な対立や困難を乗り越える平和の祭典の実現に最大限協力するのが、日本のあるべき姿である。 <br />
<br />
日韓両政府の関係を立て直すうえでも、首相の訪韓は好ましい。この機を逃さず、[[文在寅]]大統領と腹蔵のない意見交換を図り、異論があっても自然に対話できる関係を築くべきだ。<br />
<br />
首相は、2年前に結んだ[[慰安婦問題]]をめぐる日韓合意の履行と[[北朝鮮]]問題を話し合いたい、としている。韓国側は合意をめぐる新方針として、日本に再交渉は求めないとしつつ、自発的な誠意ある行動を期待すると呼びかけた。<br />
<br />
日韓双方が汗をかき、困難な決断をした合意であり、尊重すべきだ。元慰安婦らの心の傷をいかに癒やすかが合意の本質だったことも忘れてなるまい。 <br />
<br />
ただ、政府が合意しても、不幸な歴史をめぐる国民感情をときほぐすには時間を要し、その過程では両政府の不断の行動の積み重ねが求められる。 <br />
<br />
その意味で'''安倍政権が、合意ですべてが解決したかのように振るまうのは適切ではない'''。 <br />
<br />
文政権も、[[朴槿恵]]前政権を批判するあまり、当時できた合意を突き放すなら無責任だ。両政府とも率直な対話を厭わず、それぞれが自国民に向かって両国関係を前進させる価値を説く機会を増やすべきだろう。<br />
<br />
喫緊の懸案である[[北朝鮮]]問題をめぐっては、[[金正恩]]政権が韓国との対話に乗りだす局面が新たに生まれている。これを本格的な緊張緩和につなげるには、やがて米朝、日朝の対話へも導く必要がある。その意味でも日韓と米国の緊密な意思疎通が欠かせない。<br />
<br />
脅威は依然衰えぬままだが、北朝鮮の選手団も加わって[[平昌五輪]]は幕を開ける。だからこそ日韓首脳は肩を並べて祭典を祝し、ともに平和への決意を示さなければならない。<br />
<br />
そのうえで今回の首相の訪韓を、両首脳が合意している「シャトル外交」再開に向けた一歩とするよう望みたい。<br />
<br />
=== 「昔は若者が反政府デモをしていたのに今は与党支持が多い。教育のせいか…」ネット「今の若者はマスコミに騙さない。それだけ」(2018年9月) ===<br />
この政党は保守か革新か 揺らぐ「常識」、若者のリアル <br />
:気温35度の土曜日。額から汗を垂らしながらビラを配る年長世代を、若者たちが軽い身のこなしでひらりと避ける。見ていて、いたたまれない気持ちになる。[[東京]]・[[巣鴨]]の駅頭で改憲に反対する活動に立ち会った。若者グループ[[SEALDs]]に影響を受けて結成した主に60代以上の人たちで、その名もOLDs。大学名誉教授の[[高橋正明]]さん(73)が今の政権でいいんですかと呼びかけると「いいでーす」と答える。「安倍さんをいじめないで」と言った人もいた。メンバーが若かりし頃、世界で若者が反政府デモをしていた。だが今、若い世代の政権与党への支持は高い。昨年の総選挙の出口調査で比例区の自民党に投票した人は60代で29%だったが、20代は47%に上った。教育のせいなのか。周囲から浮くのを恐れるのか。50代の記者も加わって議論したが、答えは出ない。<br />
<br />
'''ネット上のコメント'''<br/><br />
* 若い人が自民支持が多い理由を教育が悪いとかまわりから浮くのを恐れているだとか徹底的に「若者は理解してないから自民支持なんだ」みたいな書き方。若者はそれなりに考えて自民支持なんだよ<br />
* 安倍さんをいじめないで、はよくわからんなw野党もメディアも問題点をキチンと指摘すればいいのに。ワケわからん事ばっかりやってるから安倍政権が支持されちゃうんだよなぁ<br />
* 若者も捨てたもんじゃないってこっちゃ。SEALDsや自民党以外のどこの国の人間かわからんもんを支持する馬鹿は若者には少ないのかも知れん。<br />
* 保守だろうと革新だろうと持続する経済成長しか必要としない世代に、打ち止め老人の戯言など聞かれる筈もありません。考えないで生きてきた52歳=[[バブル世代]]のバカ達が当たり前を突きつけているんだ<br />
* 解を求めるのでは無く、理解しよう、受け入れようって心意気が無いのでは?自分基準で考えてるから、キレる老人とか出現しちゃうんだよ。<br />
* 僕はいつも言ってるし声高々に言いたいけど 上の世代が今の若者はどうのこうのって言うけど、おめーらの負債がこっちに来てんだからもう口を出すな お前らなんて年金もらって慎ましく生きてくれ<br />
* 新聞記者がこういう書き方していいのか?若者だからとか、差別? 意見が違えば、「ゆとり」、今の若者はとか まず、目的地にあるいてんのにびら渡されても邪魔なだけだろ。なぜ受け取る前提なんだ<br />
* だから庶民の生活を顧みない「反政権」は要らないんだって。都合のいいときだけ庶民を“ツール”に使っても見透かされる。なんでわからないかな。<br />
* だから朝日新聞の常識が通用しなくなっただけでしょ?まだ天下の朝日と思ってる?<br />
* いまの老人、つまり当時の若者の時代にはネットがなかった。マスコミに騙されっぱなしだった。今も老人はネットを見ない。今も騙されっぱなし。今の若者はマスコミにだまさない。ただ、それだけ。<br />
<br />
== 歴史 ==<br />
*歴史的に見れば、朝日新聞の論調はその時々の時代状況などに応じて変化し、一定ではなかった。<br />
<br />
*まず創刊期には、[[参議]][[伊藤博文]]らが参議[[大隈重信]]を政府から追放した[[明治十四年の政変|明治14年政変]]の翌年以降、政府と[[三井銀行]]から極秘裡に経営資金援助を受ける御用新聞として経営基盤を固めた。そしてその間に東京の「めさまし新聞」を買収して「[[東京朝日新聞]]」を創刊し、東京進出を果たした。さらに[[日露戦争]]前には主戦論を展開し、日露講和にも反対した。<br />
<br />
*[[大正デモクラシー]]期には憲政擁護運動の一角を担い[[桂太郎]]内閣を批判。[[寺内正毅]]内閣期には、同内閣だけでなく、[[鈴木商店]]を米の買い占めを行っている悪徳業者であると攻撃して[[米騒動]]を煽り、鈴木商店は焼き討ちにあった([[白虹事件]]を参照)。しかしこの事件を再調査した[[城山三郎]]によれば、当時、鈴木商店が米を買い占めていた事実はなく、焼き討ちは大阪朝日新聞が事実無根の捏造報道を行ったことによる「[[風評]]被害」で、鈴木商店と対立していた三井と朝日の「共同謀議」という仮説を立てている。<br />
<br />
*[[第一次世界大戦]]後は[[軍縮]]支持、[[シベリア出兵]]反対、[[普通選挙]]実施を主張していたこともあった。[[満州事変]]以降は概して対外強硬論を取るようになり、特に[[太平洋戦争]]中は他紙と同様、戦争翼賛報道を行う。そして終戦後、社説「自らを罪するの弁」(1945年8月23日)、声明「国民と共に立たん」(1945年11月7日)を発表して、路線転換する。ただ、終戦後の「転向宣言」や社説だけでもって、単純に社の性格を規定することはできない。また、[[2006年]][[12月9日]]の社説「開戦65年 狂気が国を滅ぼした」内での「無謀な戦いを止められなかった無力を思うと」といった、自らが戦争を賛美・先導していた立場にもかかわらず、あたかも反戦派であったかのような論調は、執筆者ごとの世代の大きな間隔が見て取れる。<br />
<br />
* [[1930年代]]後半から、朝日新聞は近衛文麿首相の戦時政府([[近衛新体制|近衛新体制運動]])を熱心に支持し、朝日新聞の編集長であった[[緒方竹虎]]の下で厳しく資本主義を批判した。[[笠信太郎]]、[[佐々弘雄]]、さらに有名なスパイであった[[リヒャルト・ゾルゲ]]の情報提供者だった[[尾崎秀実]]といった朝日新聞の有力な論説委員は近衛政治の[[シンクタンク]]であった[[昭和研究会]]の中心メンバーであった。<br />
<br />
* 緒方は[[頭山満]]によって[[1881年]]に結成された[[玄洋社]]の主要なメンバーの一人である。玄洋社は組織犯罪の大物や極右の政治信条を持つものからなる超国家主義者の団体であった。後に[[A級戦犯]]として絞首刑となった[[広田弘毅]]も玄洋社の主要なメンバーの一人で緒方の親友だった。広田は頭山の葬儀委員長、緒方は副委員長であった。<br />
<br />
* 朝日新聞に入社する前は[[大原社会問題研究所]]の[[マルクス主義]]経済学者だった[[笠信太郎]]はその著書『日本経済の再編成』([[1939年]])の中で中央政府による計画経済を主張した。超国家主義の政治家である[[佐々友房]]の息子である[[佐々弘雄]]は近衛を支持するため、元大蔵大臣の[[井上準之助]]、[[三井財閥]]の総帥[[團琢磨]][[男爵]]及び[[犬養毅]]首相を暗殺した[[皇道派]]と呼ばれる極右の将軍やテロリストたちと手を組んだ。1944年、彼等は[[日本軍]]内部で皇道派と対立していた[[統制派]]のメンバーだった東条英機首相の暗殺を企てている。<br />
<br />
* [[大日本帝国陸軍]]が[[満州事変]]を起こし、[[満州国]]を[[建国]]した後、[[国際連盟]]に拒否され、脱退した事については「'''連盟よさらば'''」という歌まで作って[[松岡洋右]]代表を褒めている。<br />
<br />
* 特に[[太平洋戦争]]中は他紙と同様、戦争翼賛報道を行う。そして終戦後、社説「自らを罪するの弁」([[1945年]][[8月23日]])、声明「国民と共に立たん」(1945年11月7日)を発表して、路線転換する。ただ、終戦後の「転向宣言」や社説だけでもって、単純に社の性格を規定することはできない。朝日新聞の戦前の軍国主義、日中戦争推進は表面的には軍部に迎合していることを装ったうえで、日本の敗戦革命による東アジアの共産化の推進の意図が隠されていたとされる([[ゾルゲ事件]]で元朝日新聞記者の[[尾崎秀実]]らとともに、東京本社政治経済部長田中慎次郎、同部員磯野清が検挙、なお、[[近衛上奏文]]、[[砕氷船理論]]参照)。したがって、戦前からの経緯から中国共産党の独裁の行為の多くを評価し、その機関誌「[[人民日報]]」と提携している朝日新聞のこのような転向宣言は、戦前の二面性の全体について「転向」をし、「共産化」のために人民を犠牲にした過去を反省し、本来の意味での自由化、民主化を指向したものとはとりえないのではないかとの疑問がある。そのような経緯から、[[2006年]][[12月9日]]の社説「開戦65年 狂気が国を滅ぼした」内での「無謀な戦いを止められなかった無力を思うと」といった、自らが戦争を賛美・先導し、さらに利用しようとしていた立場にもかかわらず、あたかも反戦派であったかのような論調は、現在まで続く朝日新聞の体質問題として広く批判を浴びることとなった。<br />
<br />
* 戦後の一時期まで、朝日新聞社は、購読者層として政官財のトップエリートを含む社会の高学歴層に支持されてきた傾向があった。戦後、この層に濃厚に見られた社会の「進歩」への憧れ、あるいはこれを刺激する商品作りを進めたことが、朝日新聞の「進歩的」な論調の背景にあるとともに、反面としてそのステレオタイプな「進歩」についてのとらえ方が、カンボジアのポルポト政権の本質を見誤らせたり、中国共産党の[[チベット動乱|チベット侵略]]などの行為や、北朝鮮の政権への批判を遅らせたともされる。<br />
<br />
*戦後の朝日新聞社においては、購読者層として政官財のトップエリートを含む社会の高学歴層に支持されてきた傾向がある。戦後、この層に濃厚に見られた社会の進歩への憧れ、あるいはこれを刺激する商品作りを進めたことが、朝日新聞の進歩的な論調の背景にあるという面も見逃せないが、(エリートとは無縁な)庶民意識との乖離も見られる。<br />
<br />
*[[公害]]問題や[[環境]]破壊を積極的に取り上げた側面も無視できない。またこのような社風は熱心な[[文化事業]]の展開につながってきた。[[イラク日本人人質事件]]においては契約記者が武装勢力に拉致されるという出来事が起こったが、朝日新聞社広報室はいち早く「イラク入りは本社の要請ではない」と発表。当該記者の[[自己責任]]を強調した。ただし自己責任とは本来「我が社の責任ではない」という意味であって、それ以上の責任追及をするものではないとくわえた。しかし、他紙ほどではないが[[山形浩生]]の「自由には必ず責任伴う」(2004年[[4月15日]]号)など、「自己責任」のフレーズで被害者を批判する記事も見られた。<br />
<br />
<br />
=== 注目を集めた報道 ===<br />
*[[1959年]][[7月14日]]号にて[[熊本大学]][[医学部]]の水俣奇病総合研究班が[[水俣病]]の原因が有機水銀中毒であることを確認したと[[7月21日]]に予定されていた医学部水俣病研究会報告に先駆けてスクープ。先にこの情報をキャッチしていたらしい状況証拠のある[[熊本日日新聞]]は地元との利害関係に縛られて自由に動けなかったと推測されており、これより2日遅れの報道となる。この時点まで新日本窒素肥料水俣工場首脳部は工場付属病院が熊本大学に出している研究生から水銀説が確認されつつあるとの情報を得ていたものの黙殺しており、この報道で急遽水銀説否定のための資料集めを開始している。<br />
<br />
=== 疑義が持たれた報道、スキャンダル ===<br />
[[Image:従軍慰安婦1.jpg|350px|thumb|朝日新聞により流布された従軍慰安婦説]]<br />
*[[1989年]][[4月20日]]付の夕刊において、[[沖縄]]の[[自然環境保全地域]]指定海域にある世界一の大きさを誇る[[サンゴ|アザミサンゴ]]に傷がつけられていることを取り上げ、その象徴として「K・Y」という[[イニシャル]]が刻まれた珊瑚の写真と共にモラル低下を嘆く記事を掲載する。しかし、疑問に思った地元ダイバーらの調査の結果、記者自身によって無傷の状態であったのに「K・Y」というイニシャルが刻まれたという[[捏造]]が発覚。社長が引責辞任に追い込まれる事態へと発展した。こうして、朝日新聞は[[リクルート事件]]という一大スクープを放ったにもかかわらず、その年の新聞協会賞受賞を逃すことになる。<br />
<br />
*[[1991年]]から翌年にかけて「[[従軍慰安婦]]」問題の連載キャンペーンを展開、[[吉田清治 (文筆家)|吉田清治]]著の『私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録』にある「昭和18年([[1943年]])に軍の命令で韓国の[[済州島]]で女性を強制連行して慰安婦にした」という体験談を、4回にわたり報道した。 この「体験談」は現代史家・[[秦郁彦]]の調査により嘘であることが判明し(『正論』[[1992年]]6月号)、吉田清治本人もフィクションであることを認めたにも関わらず(「諸君!」[[1998年]]11月号 秦郁彦)、朝日新聞は何ら反応を示さなかった。又、[[1991年]][[8月11日]]付け朝日新聞は、社会面トップで「思い出すと今も涙」「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」とのタイトルで、「[[日中戦争]]や[[第二次世界大戦|第二次大戦]]の際、[[女子挺身隊]]として戦場に連行され、日本軍人相手に[[売春]]行為を強いられた朝鮮人従軍慰安婦のうち、一人が名乗り出た」と報じた。 この朝鮮人慰安婦の「女子挺身隊として戦場に連行され」たという話にも、「当時、女子挺身隊という制度自体が無いばかりか彼女は親により公娼として売られたことを語っており、全くの捏造である」との反対意見が出されたが(『諸君』[[1996年]]12月「慰安婦『身の上話』を徹底検証する」秦郁彦著)、朝日新聞は反応を示していない。<br />
<br />
*[[1996年]]、フリージャーナリストの岩瀬達哉は、雑誌『Views』に発表した「株式会社朝日新聞社の研究」(のち「朝日新聞社の研究」と改題して『新聞が面白くない理由』に収録)において、巻頭コラム「天声人語」の執筆者だった疋田桂一郎や、海外ルポルタージュで知られる[[本多勝一]]らの著名記者が、[[リクルート]]から、[[リクルート事件]]が発覚する前年の[[1987年]]に接待を受けていたと報じた。本多は編集長を務める雑誌『[[週刊金曜日]]』や、雑誌『[[噂の真相]]』での自身の連載記事・コラムで岩瀬の記事を捏造と非難した上、岩瀬に対し「講談社の番犬」「狂犬」「売春婦よりも本質的に下等」「(フリージャーナリストは)卑しい職業」の言葉を浴びせた。これに対し岩瀬は本多と疋田を名誉毀損で告訴し、本多も[[反訴]]した。東京高裁は[[2005年]]3月、岩瀬の記事について名誉毀損、また本多の反論も「限度を越えた」と認定、互いに敗訴で確定。<br />
<br />
*[[2002年]]6月には[[FIFAワールドカップ]]に関連して、「日本代表での最後の W 杯。 国の名誉という鎧を着せられた試合は楽しめない。 [[中田英寿]]選手が周囲に語る」との記事を掲載し、中田選手が否定して抗議したにもかかわらず謝罪しなかった。4ヵ月後、中田選手が再び日本代表になったときも、「記事内容と異なる結果になったことをお詫びします」と謝罪しつつ、あくまで報道自体は正しかったと主張した。<br />
<br />
*[[2002年]][[4月20日]]の朝刊に掲載された[[有事法制]]に関する FAQ の中で、「'''ミサイルが飛んできたら?'''」という問いに対して「武力攻撃事態ということになるだろうけど、'''1発だけなら、誤射かもしれない'''」と回答した。<br />
<br />
*2004年、社会部記者が取材でミニディスクに無断録音し、さらに録音内容を第三者に渡したため朝日は記者を退社処分にした。朝日は処分の理由は無断録音ではなく、取材相手に敵対する側に内容を渡したからと説明しているが、結果的に今後取材の録音には相手の内諾を得ると内規を作った。<br />
<br />
*2005年1月12日、自民党の安倍晋三・中川昭一両議員から2001年1月30日放送のNHK番組の編集についてNHK上層部に圧力があったのではないかとする報道を行った。7月に、朝日新聞は上記報道の検証記事を掲載した。8月に社内関係者が番組改変の証拠とされる録音テープを魚住昭にリークして講談社の月刊誌『現代』に書かせた。9月30日、朝日新聞がNHK番組改変疑惑の信憑性の検証を委託した第三者機関「『NHK報道』委員会」が「(記者が疑惑を)真実と信じた相当の理由はあるにせよ、取材が十分であったとは言えない。」(「NHK報道」委員会の見解より引用)という見解を出す。これを受けて朝日新聞は取材の不十分さを認めた。一方で記事の訂正や、謝罪はなかった。委員会の見解でも、朝日新聞は検証が十分ではないと指摘されている。番組改変の記事を執筆した記者は激しい批判を受け、2006年に異動になった。<br />
<br />
*[[2005年]][[8月21日]]の朝刊に[[亀井静香]]と[[田中康夫]]が[[長野県]]内で会談を行なったという記事が掲載された。この記事は、取材をともなわない虚像のメモをもとに作成されたもので、実際は[[東京都]]内で会談が行なわれていた。この事件などをきっかけとして朝日新聞の改革が行なわれた。詳細は[[朝日新聞の新党日本に関する捏造事件]]を参照。<br />
<br />
*[[2005年]][[10月19日]]の朝刊で「首相の靖国参拝 賛否二分」という世論調査を元にした記事が掲載されたが、その記事の内容をめぐって前日に社員同士が暴力沙汰を起こし築地署に110番通報していたことが判明した。40代社員が30代社員に暴行を加え、警察に助けを求めようとした際に携帯電話を破壊したとされる。<br />
<br />
*皇室典範改正について2006年2月02日の社説で寛仁親王に発言を控えるよう忠告するが、昭和天皇の靖国に関する発言(いわゆる[[富田メモ]])が報じられた後の7月21日の社説において「重く受け止めたい」とし、皇族の発言の政治利用についてオポチュニズムが徹底している。<br />
<br />
*[[2006年]]末から[[2007年]]初頭にかけて、静岡総局長の私有パソコンから[[Winny]]を通じて個人情報および業務情報が流出した。これによって社員年収の情報も露呈して、格差社会の頂点に立つ朝日新聞の実情が明らかとなり、インターネットの掲示板で批判と羨望を受けた。<br />
<br />
*[[2007年]][[1月6日]]の夕刊で「スポーツ総合誌 苦境」という記事が掲載された。この記事はスポーツ総合誌を「冬の時代に入った」と批判する内容であったが、"[[Sports Graphic Number|Number]]"([[文藝春秋]]社)に関して事実と反する部分が存在した。<br />
<br />
*[[2007年]][[2月1日]]、1月30日の夕刊で掲載された[[富山県]]の[[かんもち]]作りに関する記事で、朝日新聞東京本社編集局の駐在員が、[[読売新聞]]のインターネット版に27日に掲載された「寒風で育つかんもち」という記事を盗用していたことが判明する。問題の駐在員は、「読売新聞のホームページの記事を参考にしながら自分の原稿を書き直した」と話しているという。朝日新聞東京本社では1日午後に読売新聞に謝罪した。後に他の2件の記事も同じく読売新聞のホームページ記事から引用されていることが分かり、記事を書いた記者を解雇するなどの処分を行った。<br />
<br />
*漫画家の[[小林よしのり]]と対立関係にあり、彼の作品である「戦争論」等を巡って社説で数回にわたり直接批判した。朝日新聞が社説において一般人(政治家等以外の立場の人物)を複数にわたり批判したのは小林のみである。<br />
<br />
===社会主義陣営に対する報道とそれに対する批判===<br />
*朝日新聞の中国報道は批判の中でよく言及される。'''[[朝日新聞の中国報道問題]]'''を参照。<br />
<br />
*主に朝日新聞の特定の記者への批判がなされている。<br />
<br />
*また、[[北朝鮮]]についても同様のことが行われたと主張する論説もある。詳細は'''[[帰国事業]]'''を参照<br />
<br />
===安倍首相 朝日新聞社長と会談で詫び受け入れたと側近が証言===<br />
厳しい[[安倍晋三]]首相批判が売りだった朝日新聞だが、社説で経済政策をべた褒めするなど、このところ論調が一変している。<br />
<br />
安倍首相と朝日には因縁がある。[[NHK番組改変事件]]だ。「朝日にとってそれが“トラウマ”になっている」(同紙政治部記者)のだという。<br />
<br />
この事件は、朝日新聞が[[2005年]]1月に、「NHK『慰安婦』番組改変 中川昭・安倍氏『内容偏り』前日、幹部呼び指摘」との見出しで報じた。NHKの従軍慰安婦問題番組の放映前、安倍氏が、「公平ではない」として番組内容を変えるように政治圧力をかけたという報道だ。<br />
<br />
当時、自民党幹事長代理だった安倍氏は報道を否定して朝日の取材を拒否する抗議の姿勢を取り、両者の関係は決定的に悪化した。その1年半後、安倍氏は首相に就任する。朝日のトラウマはそこから生まれた。同紙の政治部記者が“苦悩の安倍政権時代”を振り返る。<br />
<br />
「当時は安倍総理だけでなく、秘書官や官房副長官ら官邸まるごとわが社の取材に協力してくれない状況だった。安倍総理に食い込んでいた社がスクープを抜く中で、うちは記者が情報をつかんでも、裏が取れないから書けない。特オチもひどかった。事務所費問題で辞任した佐田玄一郎・行革担当相の後任に渡辺喜美氏が起用されたときは、完全に他紙に抜かれた」<br />
<br />
記者クラブメディアにとって政権から情報を遮断されるのは死活問題だ。追い込まれた朝日は“相打ち”に持ち込もうとした。<br />
<br />
「こっちも、“だったら政権を潰してやろう”という気になる。当時、安倍さんは公務員改革で官僚の反発を浴びていたから、政権批判の材料なら官僚からどんどんリークが来る。官僚と仲良くなって、追い落としをかけたら政権が本当に潰れてしまった」(同前)<br />
<br />
第1次安倍内閣では閣僚のスキャンダルが相次ぎ、「官邸崩壊」と報じられて支持率が急降下した。その背景に官邸情報から干しあげられた朝日と、公務員改革を骨抜きにしたい霞が関の共同戦線があったことを物語る証言だ。<br />
<br />
そんな朝日にすれば、6年後に安倍氏が再登板する情勢になったとき、“悪夢の再来”と背筋が寒くなったことは十分に想像できる。社説で安倍氏の自民党総裁返り咲きに「大きな不安を禁じ得ない」と書いたのは、自分たちへの“報復の恐怖”だったのではないか。<br />
<br />
そこで朝日は先手を打って、安倍氏が総理になる前に手打ちに動いた。昨年10月3日、朝日新聞に驚くべき記事が掲載された。就任したばかりの安倍総裁のインタビューが他紙にさきがけて載ったのである。「なぜあの朝日に」と他紙の記者たちを慌てさせたほどの“事件”だった。その裏では極秘会談がもたれたという。安倍側近の1人が明かす。<br />
<br />
「なんの挨拶もないまま安倍さんが朝日のインタビューに応じる理由がない。総裁選後に朝日の[[木村伊量]]・社長が安倍さんと会談した。安倍さんにとっても、総選挙をひかえて朝日を敵に回したままではマイナスが大きい。言ってみれば朝日の詫びを受け入れたということだ」<br />
<br />
この会談は、朝日の政治部記者の間にも伝わった。「政治部は総裁選の前から、安倍さんに番記者をつけて関係修復を図ってきた。その集大成がトップ会談。そこで関係修復できたから、安倍さんが一番にわが社のインタビューに応じてくれた。おかげで他紙を出し抜けたし、7年前のような取材拒否にあわなくてすむ」<br />
<br />
== 題字とその地紋 ==<br />
*朝日新聞の題字は、唐の書家・[[欧陽詢]]の『宗聖観記』の中の筆跡から作字したもので、1879年の創刊から使われている。題字の「新」の中の「木」の部分は「未」となっている。これは古い字体であり、この文字が書かれた当時は誤字ではなかった。またその「新」の字が『宗聖観記』の中に無かったことから、「親」の偏と「柝」の旁から点を取り除いたものを組み合わせて「新」を作字した。<br />
<br />
*題字の地紋は、東日本(静岡県以東)と西日本(愛知県以西)で異なっている。東京本社と北海道支社の地紋は、1888年に「東京朝日新聞」として東京に進出した頃から使用している「[[サクラ]]」。「朝日ににほふ山桜花」の古歌の意味を表わしている。大阪本社と西部本社、名古屋本社の地紋は「浪速の葦(なにわのあし)」で、大阪で生まれた新聞であることを表わしている。なお、社旗も東日本と西日本で異なっており、東日本は朝の字が左端にあって旭光が右に向かっているのに対し、西日本はその逆となっている。それぞれ朝日が東日本・西日本を照らしている意味からきている。<br />
<br />
== 【報道しない自由】京大教授「朝日と毎日の報道番組は、もはやただの思想誘導だ」 ==<br />
京都大学公共政策大学院特別教授 [[佐伯英隆]]<br />
<br />
昔から議論のネタではあったが、近年、自公から民主へ、さらに民主から自公への政権交代過程に伴い、[[マスメディア]]の公平・中立性の議論が一段と喧しい。<br />
<br />
先の衆院選、参院選では、個々の弁士の演説終了後、かなりの頻度で取材中のマスコミ関係者に対し聴衆から「偏向マスコミ帰れ」の大合唱が沸き起こった。これまでに無い出来事である。<br />
<br />
「事実」という断片だけを繋ぎ合わせても記事や報道はできない。そもそも、どの「事実」を報道するのかという取捨選択から始まり、記事や番組の構成、強調点、誰のコメントを付すかなどに報道者の選択が入る事は避けられず、報道する側の主観を一切排除した完璧な公正・中立報道などは本来幻想でしかない。もともと報道各社ごとに政治的色彩の違いはあった。<br />
<br />
ただ、従来その色彩の違いが「何となく」であったものが、近年急速に鮮明かつ露骨になったのではないか。これまでマスメディアは一応、公平・中立という建前の旗印だけは降ろさずに来たが、最近その仮面もかなぐり捨てて、それぞれ思い思いの方向に突っ走り、タガが外れた印象がある。<br />
<br />
報道者側は報道する自由もあるが、「[[報道しない自由]]」もある。これを駆使すれば、自らの主張に沿う報道を作り上げることは極めて容易である。<br />
<br />
また、「議論を呼びそうだ」「問題となりそうだ」という表現を加えて世論を誘導することも簡単だ。そういった誘惑を報道人としての使命感と矜持で自制してもらいたいのだが、自制より報道各社の政治方針に沿う事の方が(出世のためには?)重要と見える。<br />
<br />
テレビの「報道番組」に至っては、視聴者を番組制作者側の政治的信条・主張に沿って誘導するショーと化している。<br />
<br />
新聞・雑誌と異なり、電波帯域という公共財を特別に使用する権能を付与されたテレビ・ラジオには、[[放送法]]第4条で政治的公平性と、意見対立案件についての多角的論点提示が義務付けられているのだが、それを意識している番組製作者が何人いるのだろうか。<br />
<br />
[[CNN]]や[[BBC]]では、意見対立案件については、双方の論者を画面に登場させて議論させるケースが多々見られるが、我が国では、コンセンサス形成という予定調和を望む傾向が強く、それが反映されるのか、双方が対立意見を戦わせるという番組の構成はほとんど見かけない。視聴者に選択させるという事をせず、「番組製作者が考えるコンセンサス」に誘導していこうという意図が見透かされるものが多い。<br />
<br />
新聞も一種の危機である。経団連調べによれば、新聞記事への信頼度は57%で、テレビやネットを大きく上回っているとの事だが、逆に言えば4割強の人が新聞記事を信頼していないという事であり、一昔前、新聞に書かれてあることをほとんどの人がそのまま真実だと受け取っていた「幸せな時代」からすれば劇的な変化だ。<br />
<br />
ネット情報に対する信頼度は確かに低いが、それはネットとは、さまざまな人が自己の主張や心情に基づき、さまざまな情報を展開する場であるという事を「皆が知っている」からである。<br />
<br />
しかし、その多様性ゆえにマスメディアの報道に対して「本当にそうか」自ら調べる検証装置、セカンドオピニオンの提供機能を果たしている。民衆は新聞記事を自ら検証する手段を史上初めて手に入れた訳である。新聞人はこの数字をもっと深刻に捉えるべきであろう。マスメディアが公正・中立という仮面まで捨ててしまうのは緩慢な自殺行為である。<br />
<br />
さえき・ひでたか [[大阪府]]出身。[[東京大学法学部]]、[[ハーバード大学]]J・Fケネディ行政大学院卒。[[1974年]]、[[通産省]](現経産省)に入省。在[[ジュネーブ]]日本政府代表部参事官、[[島根県警]]本部長、通商政策局審議官などを経て[[2004年]]に退官。現在、イリス経済研究所代表などを務める。<br />
<br />
== 朝日が日本を国際社会の笑い物に…歪曲された麻生発言(2013年8月 [[櫻井よしこ]]) ==<br />
なるほど、朝日新聞はこのようにして事柄を歪曲していくのか。麻生太郎副総理発言を朝日新聞が報じる手口を眼前にしての、これが私自身の率直な感想である。<br />
<br />
8月1日と2日、朝日の紙面は麻生発言で「熱狂」した。日によって1面の「[[天声人語]]」、社会面、社説を動員し、まさに全社あげてといってよい形で発言を批判した。<br />
<br />
討論会の主催者兼司会者として現場に居合わせた私の実感からすれば、後述するように朝日の報道は麻生発言の意味を物の見事に反転させたと言わざるを得ない。<br />
<br />
7月29日、私が理事長を務める国家基本問題研究所(国基研)は「日本再建への道」と題した月例研究会を主催した。衆議院、都議会、参議院の三大選挙で圧勝、完勝した安倍自民党は、如何にして日本周辺で急速に高まる危機を乗り越え、日本再建を成し得るかを問う討論会だった。<br />
<br />
日本再建は憲法改正なしにはあり得ない。従って主題は当然、憲法改正だった。<br />
<br />
月例研究会に麻生副総理の出席を得たことで改正に向けた活発な議論を期待したのは、大勝した自民党は党是である憲法改正を着実に進めるだろうと考えたからだ。<br />
<br />
が、蓋を開けてみれば氏と私及び国基研の間には少なからぬ考え方の開きがあると感じた。憲法改正を主張してきた私たちに、氏は「自分は左翼」と語り、セミナー開始前から微妙な牽制球を投げた。<br />
<br />
セミナーでも氏は「最近は左翼じゃないかと言われる」と述べ、改正論議の熱狂を戒めた。私はそれを、改正を急ぐべしという国基研と自分は同じではないという氏のメッセージだと、受けとめた。<br />
<br />
「憲法改正なんていう話は熱狂の中に決めてもらっては困ります。ワァワァ騒いでその中で決まったなんていう話は最も危ない」「しつこいようだが(憲法改正を)ウワァーとなった中で、狂騒の中で、狂乱の中で、騒々しい中で決めてほしくない」という具合に、氏は同趣旨の主張を5度、繰り返した。<br />
<br />
事実を見れば熱狂しているのは護憲派である。改憲派は自民党を筆頭に熱狂どころか、冷めている。むしろ長年冷めすぎてきたのが自民党だ。いまこそ、自民党は燃えなければならないのだ。<br />
<br />
にも拘わらず麻生氏は尚、熱狂を戒めた。その中でヒトラーとワイマール憲法に関し、「あの手口、学んだらどうかね」という不適切な表現を口にした。「[[ワイマール憲法]]が[[ナチス]]憲法に変わった」と氏はいうが、その事実はない。有り体に言って一連の発言は、結局、「ワイマール体制の崩壊に至った過程からその失敗を学べ」という反語的意味だと私は受けとめた。<br />
<br />
憲法改正に後ろ向きの印象を与えた麻生発言だったが、朝日新聞はまったく別の意味を持つものとして報じた。<br />
<br />
たとえば1日の「天声人語」子は、麻生発言を「素直に聞けば、粛々と民主主義を破壊したナチスのやり方を見習え、ということになってしまう」と書いた。前後の発言を合わせて全体を「素直に聞」けば、麻生氏が「粛々と民主主義を破壊」する手法に習おうとしているなどの解釈が如何にして可能なのか、不思議である。天声人語子の想像力の逞しさに私は舌を巻く。<br />
<br />
朝日の記事の水準の高さには定評があったはずだ。現場にいた記者が麻生発言の真意を読みとれないはずはないと思っていた私は、朝日を買いかぶっていた。<br />
<br />
朝日は前後の発言を省き、全体の文意に目をつぶり、失言部分だけを取り出して、麻生氏だけでなく日本を国際社会の笑い物にしようとした。そこには公器の意識はないのであろう。朝日は新たな歴史問題を作り上げ、憲法改正の動きにも水を差し続けるだろう。そんな疑惑を抱くのは、同紙が他にも事実歪曲報道の事例を指摘されているからだ。<br />
<br />
典型は「読売新聞」が今年5月14、15日付で朝日の誤報が慰安婦問題を政治問題化させたと報じた件だ。読売の朝日批判としては珍しいが、同件について朝日は説明していない。<br />
<br />
古い話だが、歴史問題にこだわるなら、昭和20年8月の朝日の報道も検証が必要だ。終戦5日前に日本の敗戦を示唆する政府声明が発表され、朝日新聞の編集局長らは当時こうした情報を掴んでいた。新聞の使命としていち早く、日本敗戦の可能性を国民に知らせなければならない。だが、朝日新聞は反対に8月14日、戦争遂行と戦意高揚を強調する社説を掲げた。これこそ、国民への犯罪的報道ではないか。朝日の歴史認識を問うべきこの事例は『朝日新聞の戦争責任』(安田将三、石橋孝太郎著、太田出版)に詳しく、一読を勧めたい。<br />
<br />
これらのことをもって反省なき朝日と言われても弁明は難しい。その朝日が再び麻生発言で歴史問題を作り出し、国益を害するのは、到底許されない。<br />
<br />
それはともかく、自民党はまたもや朝日、中国、韓国などの批判の前で立ちすくむのか。<br />
<br />
中国の脅威、韓国、北朝鮮の反日、米国の内向き志向という周辺情勢を見れば、現行憲法改正の急務は自明の理だ。それなのに「冷静な議論」を強調するのは、麻生氏を含む多くの自民党議員は憲法改正に消極的ということか。<br />
<br />
日本が直面する危機に目をつぶり、結党の志を横に措き、憲法改正の歩みを緩めるのだろうか。であれば、護憲の道を歩む朝日の思う壺ではないか。自民党はそれでよいのか。私の関心は、専ら、この点にある。<br />
<br />
== 【集団的自衛権】若い世代は国内の反日メディアに同調せず。朝日新聞などの過激な報道はそれへのイラ立ち ==<br />
「[[東アジア]]で[[集団的自衛権]]を認めないのは、[[中国共産党]]と[[日本共産党]]、[[社民党]]だけだ」<br />
<br />
[[マイケル・グリーン]]米元国家安全保障会議アジア上級部長は、自民党議員にこう語ったが、正確な分析だ。中韓両国を除くアジア諸国は、わが国の集団的自衛権の行使容認を支持している。<br />
<br />
6月には、[[フィリピン]]のアキノ大統領と、[[オーストラリア]]のビショップ外相が、5月には[[シンガポール]]の[[リー・シェンロン]]首相と、[[ベトナム]]のダム副首相が、4月には[[マレーシア]]のナジブ首相が、昨年9月には[[タイ]]のユタサック国防副大臣が、同年1月には[[インドネシア]]のユドヨノ大統領が、それぞれ支持を表明している。<br />
<br />
いずれも、中国の台頭に手を焼く「被害者の会」のような諸国だ。アジアの平和と安定のためには、日本のこれまで以上の貢献が必要とみている。今日のアジア情勢を踏まえた常識的かつ現実的な判断だ。<br />
<br />
だが、日本の一部メディアや勢力の見方は違う。[[安倍晋三]]首相を「国民の敵」に設定したいようだ。特に、朝日新聞は連日、「戦争になる」「徴兵制になる」などと読者の不安をあおり続けている。<br />
<br />
政治面だけでなく、<br />
<br />
「さて閣下あとは開戦待つばかり」(7月2日付「朝日川柳」)<br/><br />
「暦を1枚めくるともう戦後ではなかった。理性も良心もかなぐり捨てて。自衛隊発足60年の日からの新たな戦前」(同1日付夕刊「素粒子」)<br/>「『教え子を戦地に送るな』と声を上げた小学校教諭の男性(45)は大分県から夜行バスで駆けつけた」(同1日付夕刊社会面)-。<br />
<br />
と煽動し続けている。官公労中心の抗議活動の写真も掲載している。<br />
<br />
現行憲法は、[[第2次世界大戦]]敗戦後の占領中、日本を連合国共通の「敵」とする「[[ポツダム体制]]」の下で作られた。9条はその趣旨を固定するものだ。だが、[[東西冷戦]]が始まり、「ポツダム体制」は壊れた。占領が終わり、日本は主権を回復し、新たな国際秩序「サンフランシスコ体制」に復帰した。そこでは日米は敵対関係ではなく、同盟関係となった。[[自衛隊]]と[[日米安保条約]]はそこに位置付けられるものだった。 <br />
<br />
憲法とわが国が属している国際秩序とは、その立脚する原理を異にする。本来であれば、主権回復した時点で憲法は改正されるべきものだった。実際、何度も試みられた。が、その都度、旧社会党など社会主義勢力と一部メディアに阻まれた。今日、集団的自衛権の政府憲法解釈に変更に反対しているのはその嫡流だ。<br />
<br />
若い世代は彼らに同調しない。ネットで世界の現実を知り、メディアを疑ってみているからだ。 <br />
<br />
一部の過激な報道は、それへのイラ立ちと見てよい。<br />
<br />
== 板橋連続不審火、朝日新聞配達員の男を再逮捕。2人死傷の民家火災など8件 ==<br />
[[東京都]][[板橋区]]で2014年3月、駐車場の車に火を付けたとして器物損壊で逮捕された朝日新聞配達員の長岩拓人(32)が直前にコンビニ店で商品に火を付けた疑いが強まり、警視庁捜査1課が4月7日にも同容疑などで長岩容疑者を再逮捕する方針を固めた。現場周辺では2人死傷の民家火災など8件の連続不審火が起きており、捜査1課はいずれも長岩の犯行とみている。<br />
<br />
長岩は2014年3月17日午後10時半ごろ、同区大山町のコンビニ店で、木炭が入った段ボール箱にライターで火を付けて焼損させた。店内の防犯カメラに木炭の陳列棚付近をうろつく様子が写っていた。<br />
<br />
長岩は同11時ごろ、近くの駐車場で車のバンパーが燃える不審火が起きた直後、ライター2個を持っていたところを警戒中の警察官に取り押さえられ、器物損壊容疑で現行犯逮捕されていた。<br />
<br />
現場周辺の半径約150メートルの範囲では同10時以降、コンビニ店と駐車場の他に、民家が全焼し、住人の無職女性(88)が死亡、息子(64)がやけどで重傷を負うなどの不審火が6件発生。いずれも長岩の新聞配達のルート沿いで起きていた。<br />
<br />
長岩は逮捕時に泥酔状態で、「むしゃくしゃしてやった。他にもやったと思う」と供述。その後は「酔っていて覚えていない」と話している。<br />
<br />
== 朝日新聞の読み方 ==<br />
* 「しかし、だからといって」 = ここから先が本音であるという意味 <br />
* 「議論が尽くされていない」 = 朝日の望む結論が出ていないという意味 <br />
* 「国民の合意が得られていない」 = 朝日の意見が採用されていないという意味 <br />
* 「異論が噴出している」 = 朝日が反対しているという意味 <br />
* 「政府は何もやっていない」 = 朝日好みの行動を取っていないという意味 <br />
* 「内外に様々な波紋を呼んでいる」 = 朝日とその仲間が騒いでいるという意味 <br />
* 「心無い中傷」 = 朝日が反論できない批判という意味 <br />
* 「皆さんにはもっと真剣に考えてほしい」 = アンケートで朝日に不利な結果が出てしまいましたという意味 <br />
* 「アジア諸国」 = 中国、韓国および北朝鮮の事、それ以外の多くのアジアの国は含まれない <br />
* 「そうではないと私たちは考える」 = お前たちもそう考えろという意味<br />
<br />
== 文字表記 ==<br />
*1950年代から、当用漢字表外の漢字の表記について、朝日新聞社が独自に簡略化した通称[[朝日文字]]と呼ばれる字体が使用されている。2007年1月15日からは、約900について朝日文字の使用を取りやめ、[[康煕字典体]]を使用している。<br />
<br />
== 広告 ==<br />
*大学教員や学校教師が愛読して他人にも読まそうとするので学生の読者も多い。そのためか就職情報などの広告が他紙に比べて多く大学入試の試験問題にも良く出される。<br />
<br />
*『[[週刊新潮]]』など自社に都合の悪いことを書くメディアの広告を拒否したり検閲したりする。<br />
<br />
*近年はさまざまな理由で広告収入減の傾向にある(そのためかもともと受け入れない方針の[[創価学会]]の広告を受け入れるようになった)。<br />
<br />
=== 朝日新聞が一般家庭に朝刊を無料でバラ撒き非難轟々「ゴミを入れるな」「タダでもいらない」(2014年10月) ===<br />
朝日新聞が一般家庭に無料で新聞をバラ撒き始めたとしてネットで話題になっている。朝日新聞が朝刊を無料でポストに入れているとしてネットで話題になるとともにバッシングの強さを改めて感じさせている。<br />
<br />
"突然に朝日新聞の配達をして、申し訳ありません。誠に勝手ではありますが、朝日新聞朝刊を無料でお届けさせていただきます。”<br />
<br />
新聞のサンプル配達は広く行われておりそれ自体に目新しさはないが、朝日新聞が行っているということで不快感を露にする方が続出している。<br />
<br />
ネットで話題になることで朝日新聞への嫌悪感が強いことが改めて浮き彫りとなる形となっておりサービスしている朝日新聞にとっては皮肉な結果になっている。<br />
<br />
無料配達は販売店単位で行っている施策である可能性もあるため、朝日新聞の本社が関与しているかどうかについては不明。しかしネットでは「嫌がらせだ」「見たくもない」「有害図書を配るな」などと非難轟々。<br />
<br />
朝日新聞及び販売店など関係者一同は自分たちが国民からどのように見られているのか、再度省みた上で施策を検討したほうがよさそうだ。<br />
<br />
== 地方局の反応について ==<br />
*朝日新聞は大阪腸捻転解消、メ~テレや九州朝日放送のネット一本化など、厄介なことに関わっているので、多くの地方局から嫌われているのは事実である。<br />
<br />
== 関連著名人 ==<br />
* [[安藤正純]](元[[歴代の文部大臣|文部大臣]])<br />
* [[池辺三山]](元東京朝日新聞社主筆)<br />
* [[石井光次郎]](元[[衆議院]]議長)<br />
* [[石川啄木]]([[歌人]])<br />
* [[伊豆冨人]](元[[熊本日日新聞]]社社長)<br />
* [[上野精一]](元朝日新聞社社長)<br />
* [[上野理一]](元朝日新聞社社長)<br />
* [[うつみ宮土理]](タレント・作家)<br />
* [[緒方竹虎]](元[[自由党_(日本)|自由党]]総裁)<br />
* [[尾崎秀実]]([[ゾルゲ事件]]で処刑)<br />
* [[川本三郎]]([[評論家]])<br />
* [[河野一郎]](元[[農林水産大臣|農林大臣]]・[[歴代の建設大臣|建設大臣]])<br />
* [[小坂徳三郎]](元[[経済企画庁]]長官・[[歴代の運輸大臣|運輸大臣]])<br />
* [[佐々弘雄]](元[[参議院議員]]・[[熊本日日新聞]]社社長)<br />
* [[佐藤昇]]([[ジャーナリスト]]・朝日新聞を正す会事務局長・週刊報道サイト社長)<br />
* [[志賀健次郎]](元[[防衛庁長官]])<br />
* [[篠田弘作]](元[[自治大臣]])<br />
* [[下村宏]](元国務大臣(内閣[[情報局]]総裁)・[[日本放送協会|NHK]]会長)<br />
* [[杉村楚人冠]]([[随筆家]]、[[俳人]])<br />
* [[鈴木正文]](元[[労働大臣]])<br />
* [[田岡俊次]](ジャーナリスト・軍事評論家)<br />
* [[田川誠一]](元[[新自由クラブ]]代表・[[自治大臣]])<br />
* [[筑紫哲也]](ジャーナリスト・テレビニュースキャスター)<br />
* [[永井道雄]](元[[歴代の文部大臣|文部大臣]])<br />
* [[中野正剛]](元[[衆議院議員]]・[[東方会]]総裁)<br />
* [[夏目漱石]]([[小説家]])<br />
* [[野田武夫]](元[[自治大臣]])<br />
* [[野村秀雄]](元[[日本放送協会|NHK]]会長・[[熊本日日新聞]]社社長)<br />
* [[橋本登美三郎]](元[[歴代の建設大臣|建設大臣]]・[[官房長官]]・[[歴代の運輸大臣|運輸大臣]])<br />
* [[長谷川如是閑]](ジャーナリスト、文明評論家)<br />
* [[羽田武嗣郎]](元[[衆議院議員]]。元内閣総理大臣[[羽田孜]]の父)<br />
* [[服部敬雄]](元[[山形新聞]]社社長)<br />
* [[広岡知男]](元朝日新聞社社長)<br />
* [[藤井丙午]](元[[新日鉄]]副社長・[[参議院議員]])<br />
* [[二葉亭四迷]]([[小説家]])<br />
* [[古垣鐵郎]](元[[日本放送協会|NHK]]会長)<br />
* [[細川護熙]](元[[内閣総理大臣]])<br />
* [[本多勝一]](ジャーナリスト)<br />
* [[前田多門]](元[[歴代の文部大臣|文部大臣]]・初代[[ソニー]]社長)<br />
* [[前田義徳]](元[[日本放送協会|NHK]]会長)<br />
* [[松井やより]](ジャーナリスト)<br />
* [[松島みどり]]([[自由民主党]][[衆議院議員]])<br />
* [[松本清張]](作家)<br />
* [[美土路昌一]](初代[[全日本空輸|全日空]]社長・元朝日新聞社社長)<br />
* [[村山長挙]](元朝日新聞社社長)<br />
* [[村山美知子]](朝日新聞社社主)<br />
* [[村山龍平]](元朝日新聞社社長)<br />
* [[笠信太郎]](元朝日新聞社論説主幹(常務取締役))<br />
<br />
==関連項目==<br />
*[[女性国際戦犯法廷]]<br />
*[[下村満子]]<br />
*[[プロパガンダ]]<br />
*[[捏造]]<br />
*[[情報操作]]<br />
*[[偏向報道]]<br />
<br />
== 4コマ漫画 ==<br />
* [[ののちゃん]](となりの山田くん) - [[いしいひさいち]]作 - 2005年12月現在連載中<br />
* [[地球防衛家のヒトビト]] - [[しりあがり寿]] - 2005年12月現在連載中<br />
* [[サザエさん]] - [[長谷川町子]]作 - 1940年代後半~[[1974年]][[2月21日]]<br />
* [[フジ三太郎]] - [[サトウサンペイ]]作 - [[1965年]][[4月1日]]~[[1991年]][[9月30日]]<br />
<br />
==[[ポッドキャスティング]]==<br />
*[[スポーツポッドコーナー]]<br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
* [[古森義久]]+[[井沢元彦]]+[[稲垣武]](共著)『朝日新聞の大研究』([[扶桑社]])<br />
* 稲垣武『朝日新聞血風録』(文春文庫)<br />
* 片岡正巳『朝日新聞の「戦後」責任』([[展転社]])<br />
* [[小林よしのり]]、井沢元彦『朝日新聞の正義』([[小学館]])<br />
* [[読売新聞]]論説委員会編『読売VS朝日 21世紀・社説対決』『読売VS朝日 社説対決・北朝鮮問題』『読売VS朝日 社説対決・50年』([[中公新書]]ラクレ)<br />
* [[城山三郎]]『鼠 鈴木商店焼打ち事件』([[文春文庫]])<br />
* 安田将三+石橋孝太郎(共著)『朝日新聞の戦争責任』([[太田出版]])<br />
* [[平頂山事件|田辺敏雄]]『朝日に貶められた現代史』([[全貌社]])<br />
* [[国際情勢風刺寓話集ニホンちゃん]]<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* [http://www.asahi.com/ asahi.com:朝日新聞の速報ニュースサイト] - 朝日新聞による公式ニュースサイト<br />
* [http://aspara.asahi.com/ 朝日新聞アスパラクラブ] - 愛読者のクラブ<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:あさひしんふん}}<br />
[[Category:日本の新聞]]<br />
[[Category:朝日新聞社|*]]<br />
[[Category:朝日新聞社の出版物]]<br />
[[Category:日本の左翼]]<br />
[[Category:反日主義]]<br />
[[Category:プロパガンダ]]</div>
Fromm
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E6%9C%9D%E6%97%A5%E6%96%B0%E8%81%9E&diff=359811
朝日新聞
2018-09-10T03:57:55Z
<p>Fromm: </p>
<hr />
<div>[[Image:朝日新聞1.jpg|550px|thumb|朝日新聞]]<br />
[[Image:朝日新聞5.jpg|500px|thumb|朝日新聞]]<br />
[[Image:スイス政府の民間防衛.jpg|600px|thumb|スイス政府「民間防衛」]]<br />
'''朝日新聞'''(あさひしんぶん)は[[朝日新聞社]]が編集・発行する[[プロパガンダ]]新聞である。上層部は[[全共闘世代]]であり、購読者層も[[団塊の世代]]のため、反[[自民党|自民]]・反米・反日を訴えている。支持政党は[[民主党]]と[[社民党]]であり、[[中華人民共和国]]と[[韓国]]の国益の代弁者となっている。<br />
<br />
== 沿革 ==<br />
[[Image:朝日新聞2.jpg|500px|thumb|捏造報道を続ける朝日新聞]]<br />
* [[1879年]]1月 [[大阪]]で創刊。<br />
* [[1882年]] [[政府]]と[[三井銀行]]から経営資金援助を受け始める。<br />
* [[1888年]]7月 東京の「[[めさまし新聞]]」を買収し「[[東京朝日新聞]]」を創刊、東京進出。<br />
* [[1889年]] 大阪本社発行の新聞を「大阪朝日新聞」と改題。<br />
* [[1915年]] 大阪朝日が[[夕刊]]の発行を開始。大阪朝日が全国中等学校野球大会(現[[全国高校野球選手権大会]])を開催。<br />
* [[1918年]] [[白虹事件]]<br />
* [[1935年]]2月 西部本社で発行開始。<br />
* [[1935年]]11月 名古屋本社で発行開始。<br />
* [[1936年]][[2月26日]] [[2・26事件]]で反乱軍が東京朝日新聞社の社屋を襲撃。<br />
* [[1940年]] 大阪朝日と東京朝日は題号を統一、朝日新聞とした。<br />
* [[1942年]] [[ゾルゲ事件]]で東京本社政治経済部長[[田中慎次郎]]([[3月15日]])、同部員[[磯野清]]([[4月28日]])が検挙 。<br />
* [[1950年]]9月27日 潜行中の[[日本共産党]]幹部伊藤律との単独会見記事を掲載。後にこれが担当記者により捏造されたものであると判明する。<br />
* [[1959年]]6月 北海道支社で発行開始。<br />
* [[1963年]][[12月24日]] 村山社主家が常務取締役・東京本社業務局長永井大三を解任。社内紛争「村山事件」が始まる。<br />
* [[1980年]]11月 東京本社が[[千代田区]]有楽町から[[中央区 (東京都)|中央区]]築地に移転。[[鉛活字]]を一切使わず、[[コンピュータ]]製作による新聞製作システム「'''ネルソン'''」導入。<br />
* [[1987年]]5月 兵庫県西宮市の阪神支局で記者殺傷事件が発生、「[[日本民族独立義勇軍 別動 赤報隊|赤報隊]]」と名乗る者から犯行声明(未解決のまま2003年に時効成立)。<br />
* [[1988年]]6月 大阪本社を最後に、鉛活字による新聞製作の歴史に幕。全本社がコンピュータ新聞製作システム「ネルソン」に完全移行。<br />
* [[1988年]]6月 いわゆる「[[リクルート事件]]」スクープ。<br />
* [[1989年]]4月 所属記者が[[沖縄県]]の[[珊瑚]]に[[落書き]]する(別掲)。<br />
* [[1996年]] 西部本社の製作(組版など)が福岡本部へ転居。<br />
* [[2002年]]3月 46年間続いた日曜版を廃止、4月より新たに土曜版「[[be (朝日新聞)|be]]」を発刊する。<br />
* [[2003年]]6月 西部本社を[[北九州市]][[小倉北区]]内で新築移転。<br />
* [[2004年]][[1月1日]] [[南極]]支局を開設。<br />
* [[2005年]][[4月1日]] コンピュータ製作による新聞製作システムをメーンフレームの「'''ネルソン'''」から新メディア系システムに移行、経営営業系システム等と統合へ。<br />
* [[2005年]][[4月3日]] 実質的な日曜版の復活となる「be on Sunday」創刊。土曜日は「be on Saturday」に改題。<br />
* [[2005年]]会員制サイト・[[アスパラクラブ]]スタート<br />
* [[2006年]][[1月]] 朝日新聞創刊127周年記念した「[[ジャーナリスト宣言。]]」というキャッチコピーのもと、[[ANN系列]]外でも大々的に宣伝する。<br />
* [[2007年]][[2月]] 読売新聞Webサイトの記事盗用発覚により、「[[ジャーナリスト宣言。]]」キャンペーンを自粛する。<br />
<br />
=== 朝日報道、妄導と煽動の戦後史 ===<br />
[[ソ連]]、[[中国]]、[[北朝鮮]]、そして[[安保]]。偏向の誹りを免れえない戦後報道の根底にあるのは何か?<br />
<br />
「(新聞人の責任とは)できるだけ均衡の取れた形で、その日その日の紙面に表現し、真実を伝達することである」<br/><br />
「その均衡感覚の著しくちがった方面から見れば、あるいは偏向という批判をあびせたくなるのかもしれぬ。だが、その批判者には借問したい。なぜ、自分と違った他人の均衡の感覚が偏向であり、自分の感覚は偏向でないか、と。かりに、他人の持っている思想や考え方が、世間の多数から外れているとしても、それが偏向であるか否かは、永い歴史の審判する所である」<br />
<br />
この文章は、[[1968年]][[10月15日]]「新聞人の責任」という題で掲載された朝日新聞の社説である。戦後の朝日報道の問題点を考えるとき、真っ先に思い浮かぶのがこの文章だ。現在結論ははっきり出ている。朝日報道の主流は「長い歴史の審判」によって、偏向に他ならない。しかも朝日は、過ちを認め責任を引き受けることもなく口を拭ってきた。現在話題になっている慰安婦報道は、実はその一部にすぎない。<br />
<br />
'''【ソ連報道】「平和共存」の美名のもと共産党独裁の代弁者に'''<br/><br />
[[ソ連]]・[[東欧]]の[[共産主義]]独裁体制が崩壊して既に20年以上が経過した。そこで崩れ去ったのは、言論の自由、平和、民主主義、人権--といった価値観を否定する独裁・[[全体主義]]体制だった。朝日新聞は戦後、こうした価値観の擁護を高く掲げてきた。であるならば、朝日にとってソ連共産党独裁体制は「敵」であり、肯定的に報じられるはずがなかったはずだ。ところが朝日は、こうした独裁体制を一貫して擁護していたのである。<br />
<br />
確かに欧米を含め多くの左派・リベラル派知識人が、ソ連幻想に捕らわれた時代もあった。しかし、[[1953年]]の[[スターリン批判]]、56年の[[ハンガリー動乱]]、68年の[[チェコ進駐]]、そして何よりも[[ソルジェニーツィン]]の「[[収容所群島]]」の発行、[[サハロフ博士]]の民主化運動への弾圧などで、ソ連が自由と民主主義の敵であることは次第に明らかになっていた。そして、[[1979年]][[12月24日]]の[[アフガニスタン侵略]]によって、その侵略性と軍事的覇権主義は明確になった。<br />
<br />
[[1978年]]、[[アフガニスタン]]では人民民主党による親ソ政権が成立したが、この政権は[[イスラム教]]や反ソ武装抵抗勢力により崩壊の直前まで追いつめられた。ソ連は親ソ政権を維持するために軍事介入し、当時の[[アミン大統領]]は処刑され、[[バブラク・カルマル]]政権が樹立された。この事件を朝日新聞は、12月29日社説「アフガン・クーデターとソ連」で次のように報じた。<br />
<br />
「このカルマル政権は、ソ連の強力な支持の下に、誕生した可能性が強い」が「ソ連部隊が今度のクーデターにどの程度関与したのか、カルマル新政権がソ連のかいらい政権かどうかは、即断はできない。」「ソ連が真に『覇権主義』に反対ならば、必要最小限の援助要員以外、直ちに部隊を撤収し、アフガニスタンの運命は民族自決に任せる原則を貫徹してほしい」<br />
<br />
ソ連がチェコ侵略以後、東側社会主義陣営を維持するために「各国の主権は制限されても構わない」という[[ブレジネフ・ドクトリン]]を掲げていたことは当時すでに国際社会では常識だった。<br />
<br />
「ソ連が真に『覇権主義』に反対ならば」などとソ連を「平和勢力」としてかばい立てするその姿勢は、[[尾崎秀実]]以来の親ソの伝統ゆえか。<br />
<br />
なお、アフガン侵攻に抗議して日本を含む世界各国が[[モスクワ・オリンピック]]をボイコットしたが、朝日新聞は断固としてオリンピック参加を唱え続けた。<br />
<br />
このアフガニスタン侵略は、ソ連の正体を白日のもとに曝し、日本でも「ソ連脅威論」も生まれたのだが、朝日はなんと[[1980年]][[11月28日]]から14回にわたって「ソ連は脅威か」というソ連徹底擁護の連載を掲載した。<br />
<br />
簡略すると、ソ連脅威論は根拠がなく、日本の軍事増強を企む[[防衛庁]]や一部勢力がソ連脅威論を煽っているだけであり、ソ連の軍事力は日本侵攻を果たす能力も意志もない--とする内容で、「ひたすらソ連を非人間的な悪ものに描き、恐怖をあおりたてるような論じ方は、世論や政策対応を誤らせる方向に導かないだろうか」(連載最終回)と結んでいる。<br />
<br />
[[中国]]や[[北朝鮮]]の体制を批判する論者に朝日がしばしば投げかける言葉とそっくりである。このように中立を装いつつ独裁政権の悪を矮小化しようとする姿勢こそ、自由な社会を守る気概も、独裁体制下で呻吟する民衆への同情も共感もない西側の自称リベラル・平和主義言論の道徳的退廃なのだ。<br />
<br />
さらに朝日は、[[1982年]]2月に社を挙げた訪ソ団を送り、[[チーホノフ首相]]との単独会見に成功するが、その時のインタビューと解説「ソ連首相と会見を終えて」([[秦正流]]記者)は、今読めばまさに犯罪的なものである。<br />
<br />
[[1980年]]から[[ポーランド]]では労働組合「連帯」による民主化運動が高まっていたが、[[1981年]]12月、[[ヤルゼルスキ]]政権は戒厳令を敷き[[ワレサ]]をはじめとする「連帯」指導者を逮捕し、軍政を敷いていた。<br />
<br />
朝日のインタビューで、[[チーホノフ首相]]は、欧米の「連帯」への支持を「主権国家であるポーランド人民共和国に粗暴な圧力を加えること」と非難し、「戒厳令は無政府状態、混乱、そして内戦からポーランドの社会を救った」と平然とうそぶいている。<br />
<br />
[[ヤルゼルスキ]]政権の強硬策の背後にソ連の圧力があることは明らかだったが、朝日はチーホノフ首相の発言に何ら異を唱えていない。それどころか、<br />
<br />
「ソ連が今何にもまして緊急かつ重大な課題としているのは、緊張緩和(デタント)の復活である。つまり、軍拡競争を打ち止め(中略)軍縮への軌道修正を図ること」<br />
<br />
だと、まるで平和の使徒のようにソ連を見なし、<br />
<br />
「ソ連は革命以来65年(中略)今日のような巨大な工業力を作り上げ、それなりに国民生活をも向上させてきた大国だけあって、困難に耐える強さと自信を他のどの国よりももっている」と讃えたのである。<br />
<br />
ところが、この後わずか9年でソ連が崩壊するや、朝日のソ連評価は180度転換する。[[1991年]][[8月25日]]の社説はこう論じている。<br />
<br />
「『自由な共和国による揺るぎない連邦』スターリンの時代以来、ソ連の指導者は自国をこう讃えてきた。それは建前に過ぎず、実はどの共和国も、共産党とそれが支配する軍、[[KGB]]などの『鉄の腕』に締めあげられてきた。中央権力は民族の文化、言語を軽んじ、時にその抹殺さえはかった。抵抗する人たちは迫害した」<br />
<br />
また翌26日社説「ソ連共産党の崩壊と新世界」では「74年にわたってソ連に君臨し、[[マルクス・レーニン主義]]の論理と価値観をもって世界に『挑戦』しつづけてきたソ連共産党がついに崩壊した」「[[1956年]]の[[ハンガリー動乱]]、あるいは[[1968年]]の『[[プラハの春]]』のとき、[[ペレストロイカ]]の開始でやっと公に論じられた問題点の多くが、すでに指摘されていたのである」と述べている。<br />
<br />
では[[チェコ]]や[[ハンガリー]]同様、いや、直接的には[[ソ連崩壊]]や[[東欧民主化]]の先駆けとなった[[ポーランド]]の「連帯」を誹謗するソ連首相談話を恭しく紹介し、しかもソ連体制は強く安泰だと予言した82年当時の報道は何だったのか。この点について、朝日はこれまでなんら反省していない。<br />
<br />
ついでに朝日に提言しておきたい。現在、「民族の文化、言語を軽んじ、時にその抹殺さえはか」り、「抵抗する人たちは迫害」しているのは中国である。このような体制は必ず斃れることを、歴史の教訓として堂々と表明すべきだろう。<br />
<br />
'''【中国報道】文革礼賛から四人組批判に「転向」'''<br/><br />
[[文化大革命]]とは、[[劉少奇]]ら経済改革派の台頭に脅威を感じた[[毛沢東]]が、青年たちを扇動し[[紅衛兵運動]]を全国的に展開、改革派を攻撃させて毛沢東派が権力を握るが、同時に紅衛兵の暴力的な行動で全土に大混乱が生じ、伝統文化の破壊、少数民族の虐殺、知識人への迫害などが相次ぐ。そして国家秩序を維持するために[[人民解放軍]]が出動し、数百万を超える犠牲者を出した内戦に近い混乱と悲劇の時代だった。<br />
<br />
朝日新聞[[1966年]][[5月2日]]社説は、この文化大革命を、中国で新たな特権階層が中農や知識層の中に現れてきたことへの第二革命と評価し<br />
<br />
「そこには、いわば『道徳国家』とも言うべきものを目指すと共に、中ソ論争の課題に答えようとする『世紀に挑む実験』といった意欲も感じられなくはないのである」と述べていた。<br />
<br />
これはソ連を資本主義国と妥協する修正主義国家とみなしていた中国政府の立場を反映し、しかも文革を実態とかけ離れた「道徳国家」とみなす礼賛記事に他ならない。だが、この時期の朝日には、冷静な分析も載っていた。[[1966年]][[8月31日]]社説「中国の文化大革命への疑問」では、街頭で壁新聞を貼り、父親の世代を糾弾し、宗教施設や古い美術品などを惜しげもなく破壊しつつ毛主席万歳を叫ぶ紅衛兵を批判的に論じている。<br />
<br />
== 「朝日」が立派に育てた中国「反日暴徒」。「靖国参拝」も「教科書問題」も、火付け役は朝日新聞だった ==<br />
おそらく、[[中国]]の反日デモを目の当たりにした朝日新聞の胸中には複雑な思いが去来したに違いない。日本大使館に石を投げる人民の主張は、朝日が口を酸っぱくして繰り返した「歴史認識」とすっかり重なっていたからだ。<br />
<br />
ならば、胸を張るがいい。<br />
<br />
[[中国共産党]]と力を合わせて種を蒔き、水をやった努力が今、「反日暴徒」の実を結んだのである。<br />
<br />
そもそも、日中間で政治問題化した歴史認識問題、つまり[[靖国参拝]]や教科書などを記事で大きく取り上げて、中国で火がつくように仕組んだのは朝日新聞だった。朝日が大きく報道し、中国政府がそれに反応して大騒ぎする。この構図の中で、中国は、国民に根強い反日感情を植え付けてきた。つまりここ3週間に起きたデモは、朝日が繰り返し、日本は誤った歴史認識を持っていると報じた結果、若者達に高じた反日感情がベースで、朝日のとった親中路線を進めた結果の出来事なのだ。<br />
<br />
朝日新聞が編み出したのが、中国共産党と″一心同体〝となった「御注進ジャーナリズム」と呼ばれる手法だった。OBの稲垣氏が説明する。<br />
<br />
「御注進ジャーナリズムとは、中国が反発すると予想できることを、朝日が大々的に報じて、中国政府に反発という反応をさせ、また、その反応を大々的に報じて増幅させる手法です。私は朝日は親中というよりも、中国に媚びている″媚中〝だと思っていますが、この媚中メディアの書くことは外交カードになるということを中国に知らせてしまった罪は大きかったのです。」<br />
<br />
== [[橋下徹]]騒動を呼んだ、朝日新聞出版の“社内事情” ==<br />
朝日新聞社の100%子会社である朝日新聞出版の[[神徳英雄]]社長が辞任した人事は、朝日新聞社内では「自業自得の辞任」と言われている。<br />
<br />
辞任の直接の原因は、朝日新聞出版が発行する「[[週刊朝日]]」(10月26日号)が掲載したノンフィクション作家・[[佐野眞一]]氏による記事『ハシシタ 奴の本性』が、橋下徹・大阪市長の人権を著しく侵害したとの批判を受けたことによるものだが、今回の問題の背後には、神徳氏の経営判断のミスもある。<br />
<br />
神徳氏は、親会社の朝日新聞社常勤[[監査役]]から2012年6月に朝日新聞出版の社長に異動した。監査役に就く前に朝日新聞の取締役出版担当を務めていた当時、人件費削減のために出版部門の分社化を推進した。しかし、分社化に対しては社内には反論もあった。その理由は「朝日の出版部門の主力は、『AERA』と『週刊朝日』という雑誌ジャーナリズムであり、ハウツー系などの書籍ではない。人材交流も含めて社会部や政治部、経済部といった本体の新聞と連携して、事実を確認したり、情報交換をしたりしている。コスト削減を狙って単純に分社化しても、運営はうまくいかない」(関係筋)というものだった。<br />
<br />
「こうした安易な改革は、出版も朝日新聞のジャーナリズムを担う一部門という意識が欠けているし、分社化して給与体系の安い社員を入れても、雑誌としての品質は維持できない」という声も出ていた。「週刊朝日」や「AERA」は取材と人事の両面で朝日新聞本社との交流が深いため、一体運営をしてこそ新聞社系の雑誌の威力が出せるという意味である。<br />
<br />
現に分社化によって、朝日新聞出版は本体から今まで以上に一段低い存在として見られるようになり、これまでは本社から優秀な記者が視野を広げる勉強のために出版に「異動」していたのが、「リストラ要員」的な人材が出版に「出向・転籍」するケースが増えた。また、外部から給料の安い若手を採用したものの、記者としての心得の訓練を受けていない人材も入ってきた。この結果、分社化によって士気は下がる一方で、出版不況とも相まって「週刊朝日」や「AERA」は部数凋落の一途をたどった。<br />
<br />
=== 不慣れな若手記者を「トカゲのしっぽ切り」 ===<br />
[[Image:週刊朝日3.jpg|350px|thumb|常に人権や平等を振りかざしてきたが、[[橋下徹]]は[[同和地区]]出身だと叩く]]<br />
2011年には、こんな問題も発生している。「AERA」では中途採用した不慣れな若手記者を民族派団体の取材に行かせ、その記者が「美人局」に引っかかってしまって朝日新聞出版は民族派団体から脅しを受けた結果、責任を取らせる形でその若手記者を退社させている。上司である編集長や取材の指示を出したデスクらは責任逃れしたため、社内では「トカゲのしっぽ切り」だとの批判も起こった。<br />
<br />
ちなみに、その責任逃れしたデスクが、今回の「橋下原稿」を担当したデスクであるというから、開いた口がふさがらない。出版社としてのガバナンスは、一体どうなっているのだろうか――。<br />
<br />
取材に不慣れな若手記者の採用について、あるジャーナリストはこう指摘する。<br />
<br />
「『AERA』の記者が電話でコメントを求めてきたので、対応しました。後でコメントを打ち返してきたのを見ると、しゃべったことの半分程度しか理解しておらず、文章も下手なうえ、書いた記事全体も何が言いたいかがよくわからない内容で、よくこんな企画が通ったものだと思いました。その記者の社歴を聞くと、中途採用された経験の乏しい若い方で、これまでのAERA記者とは違ったイメージを持ちました」<br />
<br />
「美人局騒動」のケースも見ても、経験の乏しい記者を育てる雰囲気や仕組みが、朝日新聞出版から消えてしまったということではないだろうか。こうして「週刊朝日」や「AERA」のコンテンツ力は劣化し、部数凋落の大きな要因をつくり出したのである。<br />
<br />
=== 質の高い原稿は、文藝春秋や講談社へ ===<br />
[[Image:朝日新聞4.jpg|300px|thumb|朝日新聞の不買運動]]<br />
その結果、焦ってセンセーショナルな記事に走ろうとして誕生したのが、橋下氏の人権を無視した出自を暴く企画である。「週刊文春」や「週刊新潮」などの雑誌は、出版社の社員である編集者が外部の契約記者や作家を使いこなしているが、もともと朝日新聞出版は、海千山千の外部筆者を使いこなすエディターシップが高くない。<br />
<br />
さらに言うと、外部の作家もこれまでの付き合いの深さから文藝春秋や講談社、新潮社といった出版社を優先させて原稿を出すので、質の高い原稿を外部から取ることは期待できない。だから、一流のノンフィクション作家だと世間では見られている佐野氏も、「勝負原稿」を朝日新聞出版に出したわけではない。佐野氏にしては原稿の内容が薄かったという指摘すらある。<br />
<br />
こうした負の連鎖を招いた張本人が、出版部門を分社化した神徳氏なのである。社長が原稿を書いたわけでもなく、編集を担当したわけでもない。しかし、結局、神徳氏が出版担当取締役時代に、コスト削減だけを重視するだけで、肝心のコンテンツをどのようにつくるのかという戦略的かつ本質的な議論がないまま、分社化の方向へ向かったのが間違っていたのだ。<br />
<br />
そもそも神徳氏は、分社化した朝日新聞出版の初代社長になるはずだったが、構造的不況の中にある出版社の経営を切り盛りする「自信がない」という理由で火中の栗を拾うことから逃げた人物でもある。<br />
<br />
取締役退任後、常勤監査役に退き、2012年6月の役員人事で2代目朝日新聞出版の社長に就いていた。自分がまいた「不幸の種」が巡り巡って自分の社長時代に「開花」してしまったというわけだ。このため、「自業自得」と言われ、朝日社内でも同情する人が少ない。<br />
<br />
神徳氏は朝日新聞で経済部を中心に歩んできた。早稲田大学大学院を出て1973年に入社。ニューヨーク特派員や朝日新聞労働組合委員長を歴任した「スーパーエリート」で、同じく経済部OBで消費者金融などと広告関連で癒着して、朝日ジャーナリズムを破壊した[[箱島信一]]元社長の側近中の側近である。<br />
<br />
朝日新聞は政治部と経済部が交代で社長を出してきたので、政治部出身の[[秋山秋太郎]]社長(現会長)の後は神徳氏が次期社長の有力候補の時期もあったが、箱島氏の威光を借りて態度があまりにも傲慢で「好き嫌い人事」を横行させたために、社内で敵を多くつくり、常勤監査役に失脚してしまった。この時も朝日社内では「箱島の威を借る神徳は、箱島の失脚とともに消え去った。自業自得だ」と言われた。「驕る神徳久しからず」と言う人もいたそうだ。天は神徳氏の「悪行」をまだ忘れておらず、今回の問題で、きつい「お灸」を据えたということであろう。<br />
<br />
== 取材先に「電話に出やがらねぇ」 ==<br />
[[土井まひろ]](38) @KENXY <br />
<br />
朝日新聞様。朝8時から事前の予告もなく、おそらく焦眉の急のお電話頂いたにも関わらず、病床故、お声の通り呼び出し中に「電話に出やがらねえ」で誠に相済みませんでした。<br />
<br />
あと老婆心ながら、電話は録音前からメッセージ聞こえているので、言葉遣いは常に考えられた方が宜しい、絶対、マジ、多分。 <br />
<br />
https://twitter.com/KENXY/status/384472484545720320<br />
<br />
== 橋下市長「朝日や毎日のような主張を言えば政治的中立害さない、というのはおかしい」 ==<br />
[[Image:朝日新聞6.jpg|300px|thumb|朝日新聞の不買運動]]<br />
[[Image:朝日新聞7.jpg|300px|thumb|朝日新聞の不買運動]]<br />
[[Image:朝日新聞8.jpg|300px|thumb|朝日新聞の不買運動]]<br />
--[[NHK]]会長の慰安婦発言で、[[民主党]]が追及の構えだが、市長の見解は<br />
<br />
「民主党はもうちょっと歴史を勉強したほうがいいんじゃないですか。籾井さんが言っていることはまさに正論ですよ。その通りですよ。あの主張に反論なんかできる人なんていないと思いますよ。僕が言い続けてきたことと全く一緒です。あの意見について、まぁ朝日は毎日、メディアは大誤報やってくれて、主語とかすっとばして、正当化したとギャーギャー言っていたが、籾井さんの言っていることは僕がずっと言い続けてきたことで、あの点についてきちっと反論できる人はいないと思いますよ。もっとね、皆さんも含めてね、歴史を勉強しないといけないし、今この時期、この状況になってね、[[中国]]や[[韓国]]のこの状況をみて、歴史というものが外交戦争に使われているということもある。日本は今までそういうことやってこなかった。日本の[[外交官]]もそういうこと言わずに、とにかく相手の気を害さないようにとやってきたが、中国もね、それなりの力を持ってきて、今までのアメリカ一極の世界秩序の中で我慢するような状況でなくなったときには、歴史については主張してきますよ」<br />
<br />
「[[安重根]]の問題だって、韓国の主張だって中国の主張だって、彼らの主張でそういう主張あると思うが、日本であんな主張認められませんよ。歴史は当事者によって主張や認識が違うのはあたりまえ。だから自衛戦争だと言っても相手方から見たら侵略だし、相手が侵略と言ってもこっちからしたら自衛だということもある。でも僕は[[サンフランシスコ講和条約]]を結んだ以上は、世界から侵略戦争と評価されること、言われることについては日本の政治家として受け入れざるを得ないが、その他の歴史問題については、今までのように黙っていたらいいなんてそんなことやってたら、外交戦争に敗北しますよ」<br />
<br />
「どれだけ中国や韓国が今、世界で[[プロパガンダ]]やっているんですか。今まで日本人は相手の気持ちを害してはいけないということで「言うな」「言うな」となりましたが、慰安婦問題は最たるもの。きちっと言わないといけない。日本人として。認めるところは認め、反省するところ反省する。世界から不当な評価受けるようなことについてはしっかり言わないと」<br />
<br />
「[[アメリカ人]]も[[ヨーロッパ]]も、完全に勘違いしている。僕が言っているのは、世界の、国際社会においては価値観は多様化している。一定の価値観を押しつけたって理解はしてくれない。でも世界共通の物差しは、フェアかアンフェアか。慰安婦問題はアンフェアです。日本だけを袋だたきするような世界の態度はアンフェだと言えばいい。戦争は悲惨だし、二度とやってはいけないが、そういう状況の中で、似たり寄ったりのことはどの国だってやっていたし、戦争と性の問題は、どの国だって抱えてきた不幸な歴史なんですよ。そういうことは二度と繰り返さない、今の価値観においてはそんなことあってはならない。だけど、日本だけが不当に袋だたきされているのは何故かというと、日本人が主張してこなかったからだ」<br />
<br />
「慰安婦問題について、どういう問題なのか。[[河野談話]]の問題点とかきちっと言わなかったから。籾井さんの言っていることは至極正当で、民主党はもっと歴史を勉強すべきだし、[[自民党]]の方から批判が出るのは非常に残念です。こういう問題になって必ず出てくる政治的中立性ですよ。出ましたよ、またこれ」<br />
<br />
「政治的中立性ってね、だいたい何か発言したら政治的な価値観は必ず含まれるものでね。メディアからしたら、毎日、朝日にしたら、籾井さんとは慰安婦問題で反対意見だから、ああいう発言をしたら政治的中立性を害するというが、朝日や毎日のような考えだったらあれも政治的な見解ですよ。ひとつのね。籾井さんの考え方も政治的な考え方。僕の考え方も政治的な考え方。もっと言えば、慰安婦問題について、世界から袋だたきにあっても良いという主張も政治的な考え方」<br />
<br />
「だから朝日とか毎日とか、ああいう主張をNHKの会長が仮に言えば、それはまた政治的中立性を害することになる。政治的中立性というのは、権力を使って番組の編集権に介入してくるのが中立性を害するということ。トップが発言すれば、政治的な意味は入ってきます。たまたまそれが、政権側の考え方なのか、朝日新聞や毎日新聞の考え方なのか、どっちかは知りませんが、たまたま今回のような主張を言えば政治的な中立性を害すると言って、朝日や毎日が言っているような主張を言えば政治的な中立性を害さない。そんなのはおかしいです」<br />
<br />
「僕は籾井さんが言っていることは極めて正論。日本人が、特に僕らの世代が籾井さんの考え方を勉強して、反論できるなら反論を考えた方が良い。学校現場で。どこが問題なのか。今まではそういうことを考えることなく、発言すること自体がダメという風潮だったが、非常にね、僕が言ったところで世間はわーっと「橋下が言った」ということでこうなったが、NHK会長で、それなりの経歴のある人がああいうことを言われたということで、日本国民はしっかりここで考えなきゃいけないと思う。発言が悪いというなら、どの部分が悪いのか論理的に言わないといけない。論理的に論破できる人はいないと思いますよ」<br />
<br />
--政治家や新聞社と違い、NHKは放送法で中立が定められている。受信料で成り立っている。NHK会長が発言したことについては政治的に意味ない発言…なんてのはあり得ないのでは?<br />
<br />
「問題ないんじゃないですか。だから、政治的中立性と言うが、政治的に意味のない発言なんてのはあり得ない。何か発言すれば、必ずそこには何か政治的な意味が含まれていて、今まではメディア、特に朝日や毎日がすぐ騒ぐから、彼らが反対するようなことを言わなければ、たまたま何も騒がれなかっただけ。でもそこに政治的な意図は入っていると思いますよ。NHKの番組自体だって、政治的な意図は入っているじゃないですか。慰安婦問題とか、戦争責任を追及した裁判の番組にしたって、番組には必ず政治的な意味っていうのは入っている。でもそれは仕方ない。中立性というものは、現場が何か作るときに政治権力で編集権や番組作るところに介入してくることが問題だが、トップが発言することというのは何ら問題ないと思う。発言したうえで、そのような見解で現場に介入したら問題だと思うが。政治的中立性という言葉も、もうそろそろ、日本人は考えないといけないと思います。何かやろうと思えば、政治的な意味は含まれてくる。政治的中立性というのはどういうことなのかをしっかりしっかり考えないといけない」<br />
<br />
--維新としては国会では問題にする必要ないと?<br />
<br />
「いやどこが問題なんですか籾井さんの発言の。誰もたぶん、論理的に反論できないと思う。僕が言っていることと同じだから、僕だって論理的に批判受けたら論破する自信はあるが、そういう議論の場が与えられなかったから一方的に悪いと言われたが。籾井さんや僕の発言に問題があるならどこかということ。モラル上は悪い、現在は悪い。当時だって、やっていいことかといったらだめなことでしょう。二度とやってはいけない。でも世界各国、当時、戦争時は似たり寄ったりのことはみんな戦場と性の問題は、現代の紛争においてすらずっとある。古代の戦争からずっとあったわけです。そいうことをどうやって止めるかをこれから考えないといけないが、そういうことはあったのは歴史的な事実。日本も反省するが、日本だけが袋だたきに遭っている状況は『違う』ということを言わないといけない。米国だって、こういうことはやってはいけない、やめていこうと、ヨーロッパや米国の価値観だったらそういう。でも現実問題として、[[第二次世界大戦]]とかそれ以降、米国も英国もフランスだって、戦場で女性を性の対象としてみんな利用していた。なぜ日本だけが袋だたきに遭うのか。それは、国家が組織的に女性を拉致した。人身売買した。世界の戦場の性の問題とは特殊なことをやっていたという風に、世界に広まってしまっているから」<br />
<br />
「日本だけが特殊だと批判を受けている。日本だけが本当に特殊なんですか。反省はするし、二度とやってはいけないが、日本がやっていたことだけが世界から袋だたきに遭うような特殊性があったなら、どこが特殊なのかしっかり検証しないといけない」<br />
<br />
「[[韓国]]だって、[[朝鮮戦争]]の時には慰安婦制度をしっかり設けてやっていた。なぜ設けるかと言ったら、強姦が多発するとか、性病が蔓延するといろんな理由でね、慰安婦制度を朝鮮戦争の時に持っていたというのは、韓国の軍事史の中でもはっきり位置づけられている。そういうことを検証せずに日本だけ言われっぱなしで、朝日や毎日などのメディアがずっと日本が悪い、一切発言できないような雰囲気を作ってきたからこういう状況になったけれど、ちゃんと歴史を勉強して、戦場と性の問題、どういう事実が歴史的にあったのか、二度とやってはいけないが、日本だけが袋だたきに遭うというのはどういうことか、日本人は考えないといけないと思いますよ」<br />
<br />
== 「人民日報」より中国を愛し、「朝鮮日報」より韓国を礼賛する朝日新聞 ==<br />
[[Image:朝日新聞9.jpg|300px|thumb|朝日新聞の不買運動]]<br />
朝日新聞が「売れるから『嫌中憎韓』」という特集記事を2014年2月11日に掲載した。そこでは、「嫌中憎韓」が出版界のトレンドになりつつあると解説し、要は売れるからという理由で中国、韓国に対する悪感情を煽っていると解説している。<br />
<br />
しかし、いまの日本に渦巻く嫌中憎韓のムードはいかに生まれたのか。<br />
<br />
朝日新聞は、これまで政権批判の常套手段として、[[従軍慰安婦問題]]についても[[靖国参拝問題]]についても、「中国や韓国が反発している」ということを自らの批判の根拠としてきた。<br />
<br />
たとえば、[[安倍首相]]が靖国神社に参拝した12月26日当日の夕刊では、「中韓、強く抗議」「中韓との関係悪化を懸念」と2つも大きな見出しを使って取り上げ、参拝翌日の社説でも、〈安倍首相の参拝に、侵略の被害を受けた中国や韓国は激しく反発している。外交にいらぬ火種をつくる。下策である〉と重ねた。<br />
<br />
他のメディアは、安倍首相の参拝を「自己都合によるもの」で「国際社会へ説明不足」と批判していたが、「中韓が反発するからやめろ」といったことは一度もない。自分たちの批判の根拠をあくまで中韓の反発に置く、というやり口なのだ。<br />
<br />
「これは朝日に限りませんが、どこかの発表に基づく『発表報道』が主流になっていて、取材に基づく言論というものが非常に貧弱になっている。いわゆる『ご注進報道』などといわれる、記事の持つべき力を他国の『外圧』に頼るこの種の報道は、その流れの上にあるものだと思います。主張すべきことがあるのなら、きちんと自分らで取材をして、自前の議論をすべきです」([[田島泰彦]]・[[上智大学]]教授)<br />
<br />
だからこそ、朝日は韓国で起きたこと、発表されたことは、過剰なほど大きく取り上げる。たとえばこの2月、[[村山富市]]・元首相が訪韓し、元慰安婦と面会し、植民地支配を謝罪した「[[村山談話]]」の継承をアピールした件では、二度も写真入りで報じる力の入れようで、他紙を圧倒した。<br />
<br />
ほかにも、韓国の外相が元慰安婦を訪問すれば「日本の指導層の歴史を歪曲した妄言には断固対応する」(外相)「日本の暴言がひどくなっている。私が死ぬ前に間違いを認めさせて欲しい」(元慰安婦)といった発言を論評抜きでそのまま紹介し、韓国の女性家族省が「元慰安婦の日」を制定しようとすれば、これも取り上げる。<br />
<br />
週刊誌よりも朝日新聞のほうが、よほど「韓国」や「慰安婦」の見出しが好きなようだ。<br />
<br />
== 朝日新聞がマッチポンプで積み重ねた記事を材料に中国・韓国が反日確立 ==<br />
[[Image:長谷川千秋1.jpg|500px|thumb|長谷川千秋]]<br />
朝日新聞は2014年[[2月11日]]、「売れるから『嫌中憎韓』」という記事を掲載した。要するに、日本の雑誌が「売れるから」という理由で中韓を揶揄するような記事を出していると指摘したのである。<br />
<br />
だが、現在の日本に渦巻く嫌中憎韓のムードは、そもそも反日に凝り固まった中韓に原因がある。中韓をしてそうなさしめたのは、[[韓国]]にとっての[[従軍慰安婦]]であり、[[中国]]にとっての[[南京大虐殺]]、[[靖国問題]]という反日の大きな柱ができたことによる。そして、それらの先鞭を付けたのは、すべて朝日新聞なのである。<br />
<br />
朝日は、これまで中韓を利する記事を繰り返してきた。たとえば[[2005年]]3月、当時論説主幹だった[[若宮啓文]]氏(後の主筆)の「竹島と独島 これを『友情島』に…の夢想」というコラム。<br />
<br />
<pre><br />
例えば竹島を日韓の共同管理にできればいいが、韓国が応じるとは思えない。 <br />
ならば、いっそのこと島を譲ってしまったら、と夢想する。見返りに韓国はこの英断をたたえ、島を「友情島」と呼ぶ<br />
</pre><br />
<br />
あるいは[[2007年]]3月、[[第一次安倍政権]]時代の記事。<br />
<br />
<pre><br />
「シンゾー・アベは拉致問題には熱心だが、従軍慰安婦問題に対する態度と矛盾するのでは?」<br />
「従軍慰安婦」研究の吉見(義明・中央大学商学部教授)も、このふたつの問題に共通性を見いだしている。<br />
拉致被害者も、「いい仕事がある」などと「甘言」にだまされ、連れ去られた例がある。<br />
朝鮮人の少女が業者から「赤いワンピースと革靴」を見せられ、「いい暮らしができるよ」と戦地の軍慰安所に送られたのもまた、<br />
「甘言」による「拉致」ではないか<br />
</pre><br />
<br />
竹島を譲るのも、拉致と慰安婦を同一視するのも、まるで「朝鮮日報」のコラムを読んでいるような気がしてくる。もちろん、取材対象の立場に立つことはジャーナリズムに置いて重要なことは認めるが、これは明らかにそのレベルを逸脱した、韓国への偏愛としか思えない。<br />
<br />
近年では[[2012年]]8月、夕刊のコラム「素粒子」に書かれた内容が物議を呼んだ。<br />
<br />
<pre><br />
すきを突いた韓国の速攻。自陣のラインがたがたで防ぎ切れず。増税の日を狙ったかのように李大統領が竹島に。<br />
中国ともロシアとも韓国ともギクシャク。元より北朝鮮は話にならず。いよいよ米国頼みの単細胞になりそうな。<br />
あふれる韓流やKポップ。どこにでもある韓国食材。この落差は何?在日の友とマッコリ飲みながら考えよう<br />
</pre><br />
<br />
この頃になると、ネットには「朝日新聞の素粒子がいくらなんでも酷いと話題に」というトピックが立てられ、批判が集まるようになった。つまり、こうした記事を朝日が積み重ね、中韓がそれを材料に「反日路線」を確立したことが、日本国民のなかに徐々に「嫌中憎韓」の感情を植え付けていったのだ。<br />
<br />
朝日新聞は、自らが焚きつけた火が燃え移った「嫌中憎韓」の炎を鎮火しようと躍起になっている。だが、それを「マッチポンプ」だと認めない限り、説得力はないだろう。<br />
<br />
一つこれだけはいえる。もし「嫌中憎韓」が売れるとすれば、それは朝日のおかげだと。<br />
<br />
== 朝日新聞という病 - 池田 信夫 ==<br />
私がマスコミに勤務していた20年前に比べると、[[インターネット]]の世界は激変したが、マスコミは驚くほど変わらない。 <br />
<br />
最近の集団的自衛権をめぐる朝日新聞の報道は異常というしかない。[[2014年]][[7月2日]]の紙面は、次のような見出しで埋め尽くされている。 <br />
<br />
* 平和主義覆す解釈改憲<br />
* 「強兵への道」許されない<br />
* 危険はらむ軍事優先<br />
* 周辺国刺激 緊張招く懸念<br />
* 抑止力 逆に低下する恐れ<br />
* ねじ曲げられた憲法解釈<br />
* 「自衛措置」強引に拡大<br />
* 論理の暴走 戦前と同じだ <br />
<br />
私が入社試験を受けたとき、朝日新聞の役員のリベラルな感じは[[NHK]]の官僚的な感じより好感がもてたが、サツ回りはしたくなかったので朝日の内定を断った。私が最後に現場にいたのは[[1993年]]に[[細川内閣]]のできる前だったが、朝日の圧勝だった。首班指名の前に朝日は1面で「細川首相」、読売は「羽田首相」という大見出しを掲げた。<br />
<br />
そのころマスコミ全体が(産経を除いて)[[55年体制]]の終焉を歓迎する論調だったが、[[小沢一郎]]氏が政局運営に失敗し、その後は日本の政治にとっても「失われた20年」だった。それでも[[小泉内閣]]のときは、朝日はまだ改革派だったが、民主党政権あたりから「先祖返り」が始まった。労働問題では労組べったりになり、原発事故のあとは「原発ゼロ」になり、安全保障をめぐっては冷戦時代どころか[[60年安保]]に戻ったようだ。<br />
<br />
その一つの原因は、就職偏差値が落ちたことだと思う。私のころまではマスコミの競争率は100~200倍で、社員にもエリート意識があったが、今は普通の会社と同じで、銀行の滑り止めになってりしている。経営が危ないという点では、中小企業なみのランクだろう。2014年4月入社の社員は、東大卒がゼロになったらしい。昔は(NHKと同じく)半分近く東大卒だったのだが、変わり果てたものだ。<br />
<br />
東大生は「空気」の変化に敏感だ。原発や慰安婦問題などの異常な報道を見ると、最近は朝日新聞=頭が悪い、あるいは朝日新聞=嘘つきというブランドが確立された。そうなると彼らは入らないので、その下の大学の左翼的な思い込みの強い学生が入社する。<br />
<br />
その結果が「朝日新聞女子組」を名乗る次のようなアカウントだ。 <br />
<br />
憲法は権力の暴走を止めるためにある。憲法を守らなあかんのは国民やなくて権力者。<br/><br />
国民が守らなあかんのは法律。 #集団的自衛権 朝日新聞女子組 (@asahi_joshigumi) 2014, 7月 5 <br />
<br />
朝日新聞の記者は「権力の暴走を止めるためには、自分たちは[[憲法]]を守らなくてもいい」と信じているらしい。そういう特権的な地位はとっくに失われたのだが、大阪本社の「女子組」は、いまだに新聞が権力者と対峙しているという思い込みで仕事をしているのだろう。論理の誤りは指摘すればなおせるが、頭の悪さはなおせない。<br />
<br />
もう一つの原因は、読者の高齢化だ。紙の新聞の読者のメディアンは60歳ぐらいで、主要な購買層は[[団塊]]老人だ。朝日新聞の最近の極左的な紙面は、彼らにターゲットを絞っている。これは営業政策としては正解だが、紙の読者は決して増えない。[[団塊の世代]]がいなくなるのが早いか、紙がネットに負けるのが早いかはわからないが、あと10年はもたないだろう。<br />
<br />
[[儒教国家]]では権威(学問的知識)と権力(肉体的暴力)を[[官僚]]に集中させたが、[[キリスト教国家]]では両者を聖俗に分離した。これは果てしなく続く戦争を休戦して異なる宗派が平和共存するためには必要だったが、学問が現実的権力を失うと形骸化する一方、権力が精神的権威を失うと堕落する。<br />
<br />
マスコミはそういうギャップを埋める「世俗的な学問」として一定の役割があった。新聞には資本も権力もないが、媒体を独占することで知的な権威になる一方、「第4の権力」を獲得した。しかしこれも身分不相応な事実上の権力をもつと堕落する。媒体の独占が終わった時代に、こういう権力が消えるのは、歴史的な宿命である。<br />
<br />
== 付け火して煙り喜ぶ朝日新聞。藤岡信勝氏「白旗を掲げつつ進軍ラッパを吹くような卑劣で許しがたい挙に出た」 ==<br />
[[拓殖大学]]客員教授・[[藤岡信勝]]氏 <br />
<br />
世界に広げられた慰安婦問題の解決には、2つのルートしかないと考えてきた。一つは政府による河野談話の撤廃であり、もう一つは、このプロパガンダの製造・普及の責任主体である朝日新聞社が、報道の誤りを認め、公表し、謝罪することだ。<br />
<br />
この度、朝日新聞は自社の慰安婦報道の核心をなす3点の誤りをついに認めるに至った。すなわち<br />
<br />
# 慰安婦を強制連行したとする吉田清治証言を「虚偽だ」と判断し、記事を取り消した<br />
# 女性を戦時動員した女子勤労挺身隊と慰安婦を同一視した記事の誤りを認めた<br />
# 朝鮮や台湾では「軍などが組織的に人さらいのように連行した資料は見つかっていません」と認めた<br />
<br />
の3点である。 <br />
<br />
画期的なことだ。これによって“慰安婦強制連行説”は完全かつ最終的に崩壊した。残るのは「戦地にも遊郭があった」という単純な事実だけである。<br />
<br />
世界中のどの国の軍隊も将兵の性処理システムを持っていた。日本の慰安婦制度は(1)戦場での敵国女性の保護(2)将兵の性病予防-という2つの目的を果たす模範的な制度だった。 <br />
<br />
ところが、朝日新聞は8月5日付1面に[[杉浦信之]]編集担当の「慰安婦問題の本質 直視を」と題する論文を掲載し「私たちはこれからも変わらない姿勢でこの問題を報じ続けていきます」と宣言した。これでは元の木阿弥となる。 <br />
<br />
一体、何が問題なのか。 <br />
<br />
論文は「軍の関与の下でアジア各地に慰安所が作られ、女性の尊厳と名誉が深く傷つけられた」ことが「問題の本質」だと主張する。「女性の尊厳と名誉」なる文言は河野談話からとったのだろうが、慰安所があったことが本質だと言うのだから話にならない。<br />
<br />
付け火して煙り喜ぶ朝日新聞-。<br />
<br />
== 「朝日新聞は事実を曲げてまで日本人をおとしめたいのか」ジャーナリスト、門田隆将氏 ==<br />
東京電力福島第1原発事故で現場指揮を執った[[吉田昌郎]]所長に対する「吉田調書」について、吉田氏らを取材したジャーナリスト、[[門田隆将]]氏が寄稿した。<br />
<br />
[[産経新聞]]が入手した「吉田調書(聴取結果書)」を読んで、吉田昌郎所長と現場の職員たちの命をかけた闘いのすさまじさに改めて心を動かされた。「本当に感動したのは、みんな現場に行こうとするわけです」と、危機的な状況で現場に向かう職員たちを吉田氏は褒めたたえている。<br />
<br />
いかに現場が事態を収束させようと、そして故郷、ひいては日本を救おうと頑張ったのかがよくわかる内容だ。<br />
<br />
私は拙著『死の淵を見た男』の取材で、吉田氏や現場の職員たちに数多くインタビューしている。どんな闘いが繰り広げられたかは取材を通じて知っていたが、その時のことを思い出した。<br />
<br />
また、[[菅直人]]首相や[[細野豪志]]首相補佐官らとの電話によって、事故対策を講じる吉田氏の貴重な時間がいかに奪われていたかもよくわかる。くり返される官邸からの電話に「ずっとおかしいと思っていました」と吉田氏は述べている。<br />
<br />
特に細野氏が毎日のように電話をかけてきたことで、吉田氏が相当困惑していた様子が伝わってくる。<br />
<br />
全員撤退問題については、「誰が撤退と言ったのか」「使わないです。“撤退”みたいな言葉は」と、激しい口調で吉田氏が反発しているのも印象的だ。吉田氏がいかにこの問題に大きな怒りを持ち、また当時の[[民主党]]政権、あるいは東電本店と闘いながら、踏ん張ったかが伝わってくる。<br />
<br />
それにしても朝日新聞が、この吉田調書をもとに「所員の9割が所長命令に違反して撤退した」と書いたことが信じられない。自分の命令に背いて職員が撤退した、などという発言はこの中のどこを探しても出てこない。<br />
<br />
逆に吉田氏は、「関係ない人間(その時、福島第1原発に残っていた現場以外の多くの職員たち)は退避させますからということを言っただけです」「2F(福島第2原発)まで退避させようとバスを手配したんです」「バスで退避させました。2Fの方に」と、くり返し述べている。<br />
<br />
つまり、職員の9割は吉田所長の命令に“従って”2Fに退避しており、朝日の言う“命令に違反”した部分など、まったく出てこない。<br />
<br />
だが、朝日の報道によって、世界中のメディアが「日本人も現場から逃げていた」「第二のセウォル号事件」と報じたのは事実だ。最後まで1Fに残った人を「フクシマ・フィフティーズ」と称して評価していた外国メディアも、今では、所長命令に違反して所員が逃げてしまった結果にすぎない、という評価に変わってしまった。<br />
<br />
事実と異なる報道によって日本人をおとしめるという点において、先に撤回された[[慰安婦]]報道と図式がまったく同じではないか、と思う。なぜ朝日新聞は事実を曲げてまで、日本人をおとしめたいのか、私には理解できない。<br />
朝日報道への批判は燎原の火の如く広がっている。今回の異例の検証は、朝日新聞のコアな読者層にまで疑念が広がったことへの危機感の表れではないか。<br />
<br />
だが、朝日は根本的な路線転換を避けている。まるで白旗を掲げつつ進軍ラッパを吹くかのような、卑劣で許しがたい挙に出たのである。検証記事も詭弁と卑怯な言い訳に満ちている。朝日新聞はその代償を払わされることになるだろう。<br />
<br />
== 1989年 “サンゴ落書き捏造” 記事に見る、朝日新聞 「虐日偽善」の姿 ==<br />
この事件では写真の捏造ばかりが問題になったが、実は、記事の文章も「極めて悪質」と言わざるを得ない。その末尾は次のようになっていた。 <br />
<br />
「日本人は、落書きにかけて今や世界に冠たる民族かもしれない。だけどこれは、将来の人たちが見たら、80年代日本人の記念碑になるに違いない。百年単位で育ってきたものを、瞬時に傷つけて恥じない、精神の貧しさの、すさんだ心の…。にしても、一体『K・Y』ってだれだ」 <br />
<br />
仮に写真が本物であったとしても、この文章は二重の意味で明らかに間違っている。<br />
<br />
第1に、犯人はまったく不明なのだから、日本人の犯行と断定することはできない。アルファベットのイニシャルだから、外国人の可能性も十分考えられる。 <br />
<br />
第2に、犯人が日本人だとしても、一部の人間の行為を日本人全体の犯罪として糾弾し、モラルなき悪質民族と決めつけるのは、誠に異様である。それは、「世界に冠たる民族」「80年代日本人の記念碑」といった極端な表現に現れている。 <br />
<br />
ではなぜ、こんな発想が出てくるのか。 <br />
<br />
日本人を悪者として貶めたい欲求があるからではないのか。日本や日本人を「悪」と決めつけて糾弾することで、自分自身は正義の側に立つことができる。他を貶めることで自分を美化し、道徳的優越感を享受したいのであれば、それは根本的に偽善である。日本や日本人同胞を虐げる偽善だから「虐日偽善」と表現すべきである。<br />
<br />
== なぜ朝日新聞は自民党員・党友の意識調査をこれほど歪めて読み解こうとするのか(2015年12月) ==<br />
朝日新聞はどこまで[[安倍晋三]]首相のことが嫌いなのだろうか。[[自民党]]結党60年に合わせた朝日新聞の記事を読んでつくづくこう思った。<br />
<br />
[[自民党]]総裁に返り咲いた[[安倍首相]]が、[[衆院選]]で[[民主党]]を打ち破り、[[第2次安倍政権]]を発足させたのは[[平成24年]][[12月26日]]。まもなく丸3年を迎える。<br />
<br />
この間に[[アベノミクス]]による経済再生に取り組むとともに、[[特定秘密保護法]]や[[集団的自衛権]]の行使容認を含む安保法制など国家の根幹をなす外交・安全保障の立て直しに力を入れた。戦後民主主義にすっかり毒された野党は激しく反発し、安倍内閣は何度か内閣支持率を大きく落とした。これは野党だけでなく、朝日新聞をはじめ一部メディアが、無責任なレッテル貼りを含む激しい反安倍キャンペーンを繰り広げたことが大きい。その朝日新聞は次なる攻撃目標を、安倍晋三首相による憲法改正に定めたようにみえる。<br />
<br />
[[11月30日]]付朝刊の1、2面で展開した、[[自民党]]の党員・党友を対象にした意識調査はその証左だろう。1面の記事の見出しは「改憲『急ぐ必要ない』57% 自民60年党員意識本社調査」だった。<br />
<br />
[[自民党]]が党是とする憲法改正を「早く実現した方がよい」が34%にとどまり、「急ぐ必要はない」の57%が上回ったことを強調した上で「[[安倍晋三]][[首相]]は改憲に強い意欲を示しているが、党員らとの意識の違いも浮かんだ」と結論づけた。あたかも安倍首相だけが「憲法改正」に前のめりになっており、自民党員の思いとかけ離れていると言わんばかりではないか。<br />
<br />
[[自民党]]に一番力を入れてほしい政策を6つの選択肢から選ぶ質問項目も紹介。「社会保障」と「景気・雇用」がともに30%と高く、「憲法改正」は6%にすぎないと記した。実生活と直結する「社会保障」や「景気・雇用」が上位を占めるのは当然かと思えるが、これを改憲への意識の低さに結びつけたかったようだ。<br />
<br />
安保法制成立については「よかった」が58%、「よくなかった」の27%を大きく上回ったが、記事では「議論が『尽くされた』は28%で『尽くされていない』は57%に上った」の方をむしろ強調した。<br />
<br />
調査では歴代総裁への評価も聞いている。「小泉旋風」を巻き起こした[[小泉純一郎]]氏や「今太閤」ともてはやされた[[田中角栄]]氏らを押さえ、トップに立ったのは、安倍首相だった。安倍首相19%、小泉氏17%、田中氏16%と続き、長期政権を築いた[[中曽根康弘]]氏や[[佐藤栄作]]氏、[[池田勇人]]氏はいずれも1桁台。驚きの調査結果だといえるが、1面記事では「歴代総裁で最も評価する総裁は、現総裁の安倍氏が19%でトップだった」と触れただけだった。<br />
<br />
2面は意識調査を元に「『安倍』『角栄』二つの層 改憲・政策考え方に差」の見出しで安倍首相を最も評価する層と[[田中角栄]]元首相を最も評価させる層を二分させ、分析した記事を載せた。こちらは両者の支持層の細かいデータを開示していないので、評価しようがないが、改憲の是非をめぐり、自民党支持層を二分させようという朝日新聞の思惑が透けてみえる。<br />
<br />
朝日新聞は[[11月30日]]付の社説でも「自民党60年 敵対から統合への道を」と題して党員意識調査に触れ、党員の意見が党運営や政策に十分反映されていないと回答した層では「最も評価する総裁では[[田中角栄]]氏の方が多くなる」と指摘している。安倍首相が歴代総裁1位となったのが、よほど気にくわなかったのか、「(安倍首相は)国民の分断へのおそれも感じられない。先の国会での安保法案の強引な進め方も、沖縄の民意に耳を傾けない[[普天間飛行場]]の([[名護市]])[[辺野古移設]]もそうだ」とお決まりの個人攻撃を繰り広げている。<br />
<br />
朝日新聞の歪んだ視点と論調を紹介するだけでは、何となく気持ちが落ち着かないので、ここで強調しておきたい。<br />
<br />
国家の存亡と国民の安全を守るのは政府の責務だ。安倍首相の祖父、[[岸信介]]氏も大規模な反対デモに遭いながら[[日米安全保障条約]]改定に踏み切った。戦後、日本が戦争に巻き込まれず、侵略されなかったのは、[[自衛隊]]の存在と、日米同盟による抑止力があったからだ。一部野党が主張するように「憲法9条のおかけで平和が守られた」わけでは断じてない。安保法制も[[普天間飛行場]]移設問題も、野党やメディアの批判を恐れ、放置してきた歴代政権こそ批判されてしかるべきではないか。<br />
<br />
国家の存立と国民の安全を守り抜く使命を果たすため、政治は時に決断を迫られる。そして自民党員・党友の多くは安倍首相の「決断」を高く評価している。朝日新聞の意識調査を素直に読めば、こういう結論に導かれるはずだ。<br />
<br />
朝日新聞に逆に聞きたい。[[天声人語]]や社説で繰り返す外交・安全保障のスタンスで果たして本当に「読者」の安全を守れると考えているのか。<br />
<br />
※以下、朝日新聞より転用<br />
<br />
■自民党員への朝日新聞社調査 質問と回答■<br />
:(数字は%。小数点以下は四捨五入。質問文と回答は一部省略)<br />
<br />
◆[[自民党]]が結党60年を迎えました。[[自民党]]の60年間の歩みを、全体として、どの程度評価しますか。(選択肢から一つ選ぶ=択一)<br />
:大いに評価する19<br />
:ある程度評価する70<br />
:あまり評価しない9<br />
:まったく評価しない1<br />
<br />
◆歴代の自民党総裁の中で、最も評価する総裁は誰ですか。1人だけあげてください。<br />
:[[安倍晋三]]19▽[[小泉純一郎]]17▽[[田中角栄]]16▽[[中曽根康弘]]5▽[[佐藤栄作]]3▽[[池田勇人]]3▽[[大平正芳]]1▽[[竹下登]]1▽[[橋本龍太郎]]1▽[[小渕恵三]]1▽[[岸信介]]1▽[[三木武夫]]1▽[[麻生太郎]]1▽[[福田赳夫]]1▽その他の総裁2▽その他・答えない27<br />
<br />
◆最近の[[自民党]]について、いくつかうかがいます。最近の[[自民党]]はよくなったと思いますか。悪くなったと思いますか。それとも、とくに変わらないと思いますか。<br />
:よくなった31<br />
:悪くなった19<br />
:とくに変わらない46<br />
<br />
◆最近の[[自民党]]で、党員や党友の意見は、党の運営や政策に十分反映されていると思いますか。十分反映されていないと思いますか。<br />
:十分反映されている28<br />
:十分反映されていない54<br />
<br />
◆最近の[[自民党]]は、[[自民党]]以外も含めた幅広い意見を、国民政党として、十分尊重していると思いますか。十分尊重していないと思いますか。<br />
:十分尊重している41<br />
:十分尊重していない44<br />
<br />
◆あなたと、地元の[[自民党]]の[[国会議員]]との距離は、近くなりましたか。遠くなりましたか。それとも、とくに変わりませんか。<br />
:近くなった31<br />
:遠くなった11<br />
:とくに変わらない56<br />
<br />
◆[[公明党]]との連立についてうかがいます。自民党が公明党と連立を組んできたことをどの程度評価しますか。(択一)<br />
:大いに評価する11<br />
:ある程度評価する51<br />
:あまり評価しない27<br />
:まったく評価しない8<br />
<br />
◆[[自民党]]に一番力を入れてほしい政策は何ですか。(択一)<br />
:景気・雇用30<br />
:[[社会保障]]30<br />
:[[原発]]・エネルギー6<br />
:[[教育]]9<br />
:[[外交]]・安全保障16<br />
:[[憲法]]改正6<br />
<br />
◆[[日本]]や[[アメリカ]]など12カ国の間で、[[貿易]]など[[経済]]の自由化を進める[[TPP]]、[[環太平洋経済連携協定]]について、うかがいます。[[日本]]が[[TPP]]に参加することに、賛成ですか。反対ですか。<br />
:賛成64<br />
:反対19<br />
<br />
◆[[集団的自衛権]]を使えるようにしたり、[[自衛隊]]の海外活動を広げたりする[[安全保障関連法]]が成立したことは、よかったと思いますか。よくなかったと思いますか。<br />
:よかった58<br />
:よくなかった27<br />
<br />
◆[[安全保障関連法]]について、[[国会]]での議論は、尽くされたと思いますか。尽くされていないと思いますか。<br />
:尽くされた28<br />
:尽くされていない57<br />
<br />
◆[[憲法]]改正についてうかがいます。[[憲法]]改正を早く実現した方がよいと思いますか。それとも、急ぐ必要はないと思いますか。<br />
:早く実現した方がよい34<br />
:急ぐ必要はない57<br />
<br />
◆[[憲法第9条]]を変える方がよいと思いますか。変えない方がよいと思いますか。<br />
:変える方がよい37<br />
:変えない方がよい43<br />
<br />
◆[[自民党]]の[[総裁]]の任期は2期6年までで、[[安倍首相]]の総裁としての任期は、3年後の2018年の秋までです。[[安倍首相]]が[[総裁]]の任期を延ばして続けたほうがよいと思いますか。そうは思いませんか。<br />
:任期を延ばして続けた方がよい42<br />
:そうは思わない46<br />
<br />
◆次の[[首相]]にふさわしいのは誰だと思いますか。[[自民党]]の[[国会議員]]の中から1人だけあげてください。<br />
:[[石破茂]]18▽[[安倍晋三]]7▽[[小泉進次郎]]7▽[[谷垣禎一]]5▽[[麻生太郎]]1▽[[野田聖子]]1▽[[菅義偉]]1▽その他の人8▽答えない・分からない52<br />
<br />
=== 朝日新聞の政治部記者、“安倍総理スケジュール”を喫茶店のゴミ箱にポイ!朝日新聞認める「あってはならないこと」(2015年12月) ===<br />
「書を捨てよ、町へ出よう」そう言ったのは劇作家の[[寺山修司]]だが、喫茶店のゴミ箱に大量の資料を捨てて雑踏に消えて行ったのは、朝日新聞の記者だったのか。問題は、そこに書かれていた内容である。<br />
<br />
「[[週刊新潮]]」にその資料が送り付けられたのは、晩秋のとある日のこと。提供者いわく、喫茶店の客が捨てたものだという。<br />
<br />
「11月18日の夜、都内の喫茶店にいたら大量の資料をテーブルに広げている男性がいたんです。チラッと見たら、[[安倍総理]]のスケジュールみたいなことが書いてある。“政府の人か新聞記者かな”と思っていたら、紙束をバサッとゴミ箱に突っ込んで出て行ったのです」 <br />
<br />
男性は、40代ぐらい。ジャケット姿で[[サラリーマン]]風だったという。<br />
<br />
「男性が店にいたのは20分ぐらい。まるで、資料を捨てるために来たような感じでした。破いたり、クシャクシャにせず、丸のまま捨てたことにビックリ。お店の人に声をかけてから拾ってみたのです」(同)<br />
<br />
そんな経緯で持ちこまれた資料だが、一読して驚いた。紙はA4判で百枚以上。[[外務省]]が配布したものや、[[国土交通省]]、[[内閣府]]、[[自由民主党]]が作成したものもある。いずれも、マスコミ配布用だが、中には安倍総理の中東・東南アジア歴訪の日程を記したものも。11月13日~23日の日程で行われた[[イスタンブール]]訪問、[[G20]]、[[APEC]]、[[ASEAN首脳会議]]の詳細なスケジュールだから、当時は外遊中ではないか。注意書きには、〈時間、場所はオフレコ〉とあるから、ポイ捨てしていいはずがない。<br />
<br />
全国紙の元政治部記者に聞くと、 <br />
<br />
「私が政治部にいた頃は“持ち出し禁止”と書いてファイルしておくか、捨てる時は必ずシュレッダーにかけていたものです。11月18日は、パリで同時多発テロが起きた直後。マスコミは“日本のテロ対策は大丈夫なのか”と警鐘を鳴らす立場なのに、万が一、過激派組織が手に入れたらどうするのでしょうか。彼らにとっては、喉から手が出るほど欲しい資料です」<br />
<br />
もともとの持ち主はすぐに分かった。政府資料に混じってメールのコピーが数枚入っていたのだ。プリントアウトした紙の左上には朝日新聞政治グループ(政治部)の「T」という名前がある。<br />
<br />
「Tさんは、総理官邸担当のサブキャップ(取材チームの副リーダー)です。防衛省担当、外務省担当のほか、小泉元総理や、民主党政権時代は鳩山元総理の担当もしたことがある。安保法案で紛糾していた時は、朝日の記者らしく反対の立場から署名記事も書いています」(別の新聞の政治部記者) <br />
<br />
そこで、朝日新聞に問い合わせると、記者が捨てたことを認めたうえで、 <br />
<br />
「不必要になったコピーや古い資料などと一緒に、誤って廃棄した可能性があります。(中略)第三者の目に触れる可能性がある外部のごみ箱に、そうした書類を捨てることはあってはならないことです」(広報部)<br />
<br />
届けられたのが本誌だったのが、良かったのか不運だったのか……。<br />
<br />
== 紙面・論調 ==<br />
[[Image:週刊朝日2009.jpg|350px|thumb|[[民主党]]政権を賛美]]<br />
*一般的に[[左派]]・[[リベラル]]言論の代表紙である。[[保守]]派からは[[左翼]]的、[[自虐史観]]的、中国の政策や北朝鮮の[[独裁政治]]に対する批判の欠如が問題視される傾向にある。実際の内容を見ると、中国・北朝鮮に対してほぼ無批判である。しかしながら記事ごとの思想的差異はかなり狭い。ただし後述するように、朝日新聞の論調は各時代で相当の変遷を経ていることにも注意されたい。<br />
<br />
*中国や北朝鮮、韓国に好意的な立場であり続ける一方、日本政府や公務員(但し[[日教組]]は除く)、保守思想に対する批判(保守を超えて[[日の丸]]、[[君が代]]に批判的)では容赦が無い。また、[[社説]]欄や[[天声人語]]だけでなく、投書欄(「声」欄)や読者投稿の短歌(「[[朝日歌壇]]」)においてそのような政治的意見や揶揄を語らせることもある。<br />
<br />
* [[中国共産党]]の機関誌[[人民日報]]と提携しており、何度も社説・コラムで[[中華人民共和国]]擁護の姿勢を示すなど、[[親中]]的な立場を取る。また、[[中国人民解放軍]]による[[チベット侵攻]]以後の[[チベット人]]に対する迫害についても、度々容認的論調を展開するなど、中国共産党の代弁者であるかのように振舞った。<br />
<br />
* 言論の自由などの侵害の恐れが指摘される[[人権擁護法案]]については、全国紙でほぼ唯一容認的な意見を度々表明している。<br />
* [[保守]]派からは「[[左翼]]的」「[[自虐史観]]的」と批判されている。特に[[産経新聞]]、『[[正論 (雑誌)|正論]]』、『[[諸君!]]』などの一部保守系論壇雑誌からは厳しい論調で批判されることが多い。<br />
<br />
* [[自由民主党 (日本)|自由民主党]]と対立することが多い。特に近年は政策批判だけではなく、発言などの政策以外の批判をすることも多く、[[ネガティブ・キャンペーン]]との批判も受けている。例えば、[[第21回参議院議員通常選挙]]前の[[安倍晋三政権]]に対する報道を、[[東海新報]]はネガティブキャンペーンと批判。特に安倍の首相辞職に際し、"責任を放棄した"の意で「アベする」が流行していると報道したが、逆に"捏造する"の意で「アサヒる」の語が新語として広まった'''(詳細は''[[アサヒる問題]]''を参照)'''。また[[第45回衆議院議員総選挙]]前の[[麻生太郎政権]]に対する報道については、[[西村博之]]が「政治家を批判する記事を書くとして、政策についての議論であれば、日本の未来の方向性についての予測が立てられたりするので、読む側としても価値を感じられます。 けれど、ホテルのバーの値段がどうこうとか、漢字がどうこうとか、カップラーメンの値段がどうこうってどうでもいい」と批判したほか、[[加地伸行]]も「自民党攻撃はすさまじかった」と批判した。なお両選挙とも自民党が敗北している。<br />
<br />
*他紙と比べると、科学欄ではかなり踏み込んだ専門的な記事もあり、文化欄や読書欄などでも紙面の充実を図っていることが特徴的である。<br />
<br />
* [[在日外国人]]の内、[[在日]][[朝鮮人]]・[[韓国人]]の氏名表記にあたっては、他紙が母国名を掲載している場合であっても、原則として[[通名]](日本名)での表記を行っており他紙との違いを見せている。この件について[[辛坊治郎]]は、日本テレビ『[[ズームイン!!SUPER]]』(2008年9月10日)のコーナーにて「在日朝鮮人が犯罪を起こした時に通名で報道する朝日はおかしい」と批判した。。<br />
<br />
朝日新聞の論調は、敗戦を契機として百八十度の極端な変化がみられた日教組と同じく[[敗戦]][[トラウマ]]と揶揄されることが多いが、基本的に「[[戦後民主主義]]を先導する社会的エリート」という意識が強すぎるため、プライドが高くて他を見下す傾向にあり、報道におけるミスがあってもすんなり謝罪したり認めたりしないという点が認められる。<br />
<br />
*2001年で終わった土曜版の一コーナーである「紙面批評」の末期にはあえて自社を批判する評論家に書かせようとしたものの、社内幹部による記事検閲が執拗におこなわれ、かえって「紙面批評」が消滅する原因となった。<br />
<br />
*小泉政権以降、若い世代の右傾化に強い危機感を持っている。[[ネット右翼]]を含む、若者の右傾化についてしばしば特集記事を掲載している。2006年の小泉総理靖国参拝の際、NHKが携帯電話で賛否をとったことを、若い世代の意見に偏ると批判した。また同じ時期、ファッション欄に掲載されたワンポイントマーク復活の記事において、「メンズウエアの胸元に、ワンポイントマークが復活している。かつては中年男性のゴルフ用ポロシャツに、必ずついていた傘や熊などのマーク。それが今、おしゃれな装飾としてさまざまな形に進化している。」という書き出しから「'''そういえば、自らの国家や民族に固執する右翼系の若者が世界的に増えているという事実も、多少気になるところだが。'''」と結論付けた。<br />
<br />
* 漫画家の[[小林よしのり]]と対立関係にあり、彼の作品である「[[新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論|戦争論]]」等を巡って社説で数回にわたり直接批判した。朝日新聞が社説において個人を複数にわたり批判したのは、政治家等以外の立場の人物では小林のみである。<br />
<br />
=== 北朝鮮学校の無償化を急げ(2012年3月3日紙面) ===<br />
[[Image:朝日新聞3.jpg|450px|thumb|朝日新聞]]<br />
卒業式の季節になった。だが文部科学省には、年度内に解決すべき課題が残っている。高校無償化を朝鮮学校にあてはめる判断だ。「厳正に審査」がずっと続いている。生徒や親をどこまで待たせるのか。 <br />
<br />
他の外国人学校生や日本の公私立高生は、2年前から無償化の恩恵を受けている。普通の家庭で年12万円弱になる。その財源にと、特定扶養控除の一部が減らされた。この負担は朝鮮学校生の家庭にも等しく課されている。 <br />
<br />
[[民主党]]が衆院選[[マニフェスト]]に掲げた高校無償化について、民主、自民、公明の3党が効果を検証する協議を始めることになった。検証するのは制度全体である。朝鮮学校を外し続ける事情にはならない。 <br />
<br />
立法の目的として説明された「すべての意志ある若者が教育を受けられるよう」をあてはめれば、認めるのが自然だ。無償化は日本人拉致問題で軟化したメッセージを送ることになる、と反対する声がある。 <br />
<br />
だが拉致行為や北朝鮮の体制に責任のない生徒たちに、責めを負わせてはなるまい。民主党政権は「教育に外交上の問題をからめない」と確認している。そうであるならば、政治の思惑によって、少数派であり、多感な年代である生徒たちを疎外するべきではない。 <br />
<br />
[[在日本朝鮮人総連合会]](朝鮮総連)と結びついた学校のあり方にも疑念の声がある。文科省はそうした点にも踏み込み、調査を続けてきた。 <br />
<br />
その間の議論を通じ、学校側は開かれた教育への姿勢を示しつつある。教科書の記述も改める動きが出てきた。父母の間にも、祖国の「3代世襲」に違和感を持つ人はいる。教室に肖像画を掲げることも考え直す時期だろう。そして、自国の負の部分も教えるべきだ。多様な学びの場の一つとして認めた上で、自主的改善を見守る。そんな関係を築けばよい。 <br />
<br />
歴史を思えば、私たちは在日の人たちとその社会をもっと知る努力をすべきだ。 <br />
<br />
韓流ドラマの翻訳を支えるのは民族の言葉を学んだ在日だ。年末の全国高校ラグビーには、大阪朝鮮高校がホームタウンの代表として3年連続で出た。彼らは北朝鮮だけを背負っているわけではない。生まれ育った国と祖国の間で悩み、揺れながら生きる若者がいる。なぜ自分たちがハンディを負わされるのか――。政治の動きに巻き込まれ、生徒たちは苦しんできた。アウェーの寒風をいつまでも浴びせてはならない。<br />
<br />
=== 中国の国益守れ(東京都の[[尖閣諸島購入]]) ===<br />
[[石原慎太郎]]・東京都知事がきのう、米・[[ワシントン]]で、[[沖縄県]]の[[尖閣諸島]]を都が購入する計画だと明らかにした。知事は「東京が尖閣諸島を守る」と語った。[[中国]]に四の五の文句など言わせるものか、という態度である。こんな知事発言に、[[インターネット]]上では拍手を送る書き込みがあふれている。 <br />
<br />
確かに、知事の発言には本人をはじめ、中国の対応を不快に思ってきた人々の留飲を下げる効果はあるだろう。だが本来、政治家の仕事は複雑に絡み合った懸案を、一つひとつ丁寧に解決していくことだ。それに、そもそもこれは東京都の仕事ではないはずだ。 <br />
<br />
知事は「島々を舞台にしてさまざまな施策を展開する」という。けれど、日本人が上陸しただけで反発してくる中国のことだ。問題はいっそうこじれるだろう。そうなった時、首都とはいえ自治体の長の石原氏に、領土が絡む問題を解決する手だてはない。政府の外交に悪影響を与えることを承知で大風呂敷を広げるのは、無責任としかいいようがない。 <br />
<br />
尖閣諸島といえば、[[2011年]]9月、中国の漁船が日本の巡視船に衝突してきた事件があった。この3月に、双方の政府が周辺海域の無人島に新たな名前をつけてからは、中国の監視船などが領海侵入といった挑発的な活動を続けている。さらに、石原発言を受けて、中国国内では、政府に強硬な対応を求めるネット世論が噴出している。 <br />
<br />
私たちは、こうした中国側の対応にも自制を求める。日中両国民がお互いに批判しあって、何か得るものがあるのか。体制が変わったばかりの北朝鮮への対応でも、日本と中国との連携は欠かせない。国交正常化40年を迎える隣国同士でもある。こうした両国の関係を、石原氏はどう考えているのか。 <br />
<br />
そもそも、都民の税金を使って島を買うことの説明がつくかも疑問だ。都議会に予算案を提出するというが、そう簡単に理解が得られるとは思えない。石原氏には、新党構想が取りざたされている。その折から、税金を使って選挙向けのパフォーマンスをしているようにも見える。<br />
<br />
=== 「沖縄人は豚ですか?」2012年5月掲載 ===<br />
[[Image:週刊朝日2009a.jpg|350px|thumb|[[自民党]]の選挙敗北を喜ぶ]]<br />
「やっぱり私たちは『豚』なんだ」。<br />
<br />
劇団比嘉座の座長・比嘉陽花(ひが・はるか)さん(29)は今、大阪で暮らす。 <br />
<br />
「海きれい?」と興味深そうに近づいてくる本土出身者(ナイチャー)たち。私の沖縄は悲しい島。灰色だ。本当の私たちを見ていない。 <br />
<br />
昨年、自作の演劇「わーわー」を沖縄県内で演じた。わーは沖縄の言葉(ウチナーグチ)で「豚」。「人間」の社会に組み込まれ、笑われ、無視される。そこから逃れるために、豚語を捨て、姿も変える。<br />
<br />
「人間」は日本人、「豚」は沖縄の人(ウチナーンチュ)。「強烈な芝居」と話題になり、公民館や中学校からも依頼がきた。上演後の反応は割れた。 <br />
<br />
「沖縄と本土を分けるのはおかしい」「いや、これこそ現実だ」 <br />
<br />
昨年まで住んだ実家は米軍嘉手納基地のそば。母が通った小学校には53年前に米軍機が墜落し児童ら17人が死んだ。母は生き、私が生まれた。ではあの子たちは、なぜ死なねばならなかったのか。 普天間飛行場の県内移設を訴える政治家を見て気づいた。私たちを見ていない、うつろな目。 <br />
<br />
我慢してください。1億の「人間」のために――。「そうか。私たちは『人間』じゃないんだ」 <br />
<br />
劇のクライマックス。「豚」たちは結局「人間」に食われる存在ではないかと自問する。老いた「豚」が観客に語りかける。 <br />
<br />
「『豚』が『人間』になれるわけがない。本当は差別されているんだよ」 <br />
<br />
大学院生の親川志奈子さん(31)は宜野湾市でウチナーグチ講座を開いている。9年前、ハワイ大学で先住民について学んだ。米国に王制を倒され、言葉を奪われ、基地を置かれたハワイ。まるで植民地。沖縄と日本の関係と同じだと気づいた。日本の言葉しか話せない自分に涙ぐんだ。かつては痛みを他者に押しつけまいと思ったが、いまは違う。<br />
<br />
「基地は日本へ引き取って」<br />
<br />
=== 「生活保護受給者は楽しみを持ってはいけないのでしょうか。暗く生きていかねばならないのでしょうか」 ===<br />
天声人語 <br />
<br />
このあいだに続いて[[堀口大学]]にお出まし願う。仏文学の翻訳で知られる氏に、批評家[[グールモン]]の短章の訳がある。その一文をかつて読み、ノートに書きとめた。 <br />
<br />
「女を悪く云う男の大部分は或る一人の女の悪口を云って居るのである」<br />
<br />
卓見だと思う。人はごく狭い知見や印象で全体を語りがちだ。だから文中の「女」は何にでも取り換えがきく。たとえば若者、オジサン、アメリカ人、医者、新聞記者……そして生活保護受給者もまた、しかりではないだろうか。<br />
<br />
去年、お笑いタレントの母親の受給問題をきっかけにバッシングが起きた。あれなど、一人を悪く言うことで全体をあげつらう一例だったろう。 <br />
働かない、ギャンブルで浪費している、といった後ろ指も、一部への批判が全体への色眼鏡になっているようで気にかかる。<br />
<br />
行きつくところと言うべきか、[[兵庫県]][[小野市]]が議会に条例案を提出した。受給者が[[パチンコ]]などで浪費しているのを見つけた市民に通報を義務づけるのだという。耳を疑ったが[[エープリルフール]]にはまだ間がある。<br />
<br />
筆者と違う意見もあろう。だが、そもそも誰が受給者なのか一般市民には分からない。効果は疑わしいうえ、小野市だけでなく全国で色眼鏡が濃くなりかねない。生活保護の切り下げについて、受給する女性が声欄に寄せていた。<br />
<br />
「受給者は楽しみを持ってはいけないのでしょうか。貧しい気持ちを持ったまま、暗く生きていかねばならないのでしょうか」。身に染む声ほど小さく震える。<br />
<br />
=== 尖閣諸島購入に寄付金は疑問(5月5日朝日新聞東京版朝刊「声」欄) ===<br />
[[Image:高野明日香3.png|350px|thumb|高野 明日香]]<br />
大学生 [[高野明日香]](神奈川県厚木市・21歳) <br />
<br />
東京都が尖閣諸島の購入に向け、寄付金の受け皿となる専用口座を開設したそうです。<br/> <br />
違和感を感じたのは私だけでしょうか。<br/> <br />
今でも多くの方が震災の影響で元の生活に戻れない苦労をなさってます。<br/><br />
そんな時に出た石原慎太郎・東京都知事の尖閣諸島購入の発言。そして寄せられた賛同する意見。<br/><br />
私は尖閣諸島が日本の領土だと主張することは必要だと思います。<br/><br />
そのための石原都知事の行動も、少々大胆ですが必要だと思います。<br/><br />
ただ、果たして今、私たちがお金を出してまで購入しなければならないのでしょうか。<br/><br />
日本人はどうも、時間が過ぎるとすぐ新しいものに飛びつく傾向があるような気がします。<br/><br />
東日本大震災発生直後に多く集められた寄付金ですが、1年以上経った今、寄付をする人は一体どれぐらいいるでしょうか。<br/><br />
あまりにも短い周期で移りゆくブームのように、今も続く被災者の苦労すら既に忘れ去られてはいませんか。<br />
<br />
=== 尖閣と竹島…中国の反日デモに過剰反応するべきでない。韓国に制裁すべきではない。(2012年8月) ===<br />
[[Image:週刊朝日2.jpg|350px|thumb|[[プロ市民]]出身の[[菅直人]]を賛美]]<br />
中国でまた、反日デモが起きた。尖閣諸島に不法に上陸した香港の活動家を、日本側が逮捕したことが引き金になった。日韓が領有権を争う竹島では韓国が李明博(イ・ミョンバク)大統領の名を刻んだ石碑を建てた。大統領の上陸に続く、無分別な行動だ。 <br />
<br />
感情をたぎらせ、ぶつけあう。隣国同士でこんな不毛なことをいつまで続けるのか。 <br />
<br />
野田政権の基盤は弱い。秋に世代交代を控える中国の指導部は動きが取りにくい。年末に大統領選がある韓国では、李大統領の求心力低下が著しい。難しい時期だが、事態を収めるべき政治が対立をあおるような振る舞いは理解しがたい。本来の外交の場で引き取り、沈静化を図るべきだ。 <br />
<br />
中国のデモは、尖閣沖での衝突事件の後に反日が吹き荒れた一昨年の再現のようだった。北京や上海では厳戒態勢が敷かれ、デモは散発的だった。だが、香港の隣の深セン(センは土へんに川)などでは参加者が暴れ、日本車や日本料理店を壊す騒ぎになった。 <br />
<br />
日中の貿易総額が年間27兆円余りとなるなど、相互依存は強まるばかりなのに、きわめて残念だ。粗暴な行いが国際社会でのイメージ悪化にもつながることを中国は知るべきである。ただ、反日に過剰に反応するべきではない。<br />
<br />
一方、韓国に対しては、李大統領の天皇への謝罪要求発言もあり、日本政府は態度を硬化させている。国際司法裁判所に提訴する方針を発表したほか、安住淳財務相は日韓通貨スワップ(交換)の融通枠拡充取りやめを示唆している。 <br />
<br />
日本の立場を表明することは大事だが、あたかも制裁のように関係のない問題を持ち出すのはいかがなものか。韓国経済の不安定化は、日本にとってもマイナスになりかねない。 <br />
<br />
安住氏は、今月下旬の日韓財務対話への出席も取りやめた。だが、こういうときこそ、韓国としっかり話し合うべきだ。日中も、日韓も、前に進めていかなければならない関係だ。何が本当の国益なのか、冷静に考える必要がある。<br />
<br />
=== 朝日新聞中国版ツイッターが謝罪。石原氏関連記事に「小鬼子」で炎上(2012年11月) ===<br />
[[Image:週刊朝日2012.jpg|350px|thumb|[[自民党]]の政権奪回を悔しがる]]<br />
朝日新聞の中国語版ツイッター(微博)が、他の利用者の書き込みに対して書き込んだコメントが「炎上」し、謝罪コメントを発表した。一部のツイッター利用者が「朝日新聞が[[石原慎太郎]]さんや日本人を、超侮辱した言葉"小鬼子"と呼んでくださいと中国人に呼びかけています。どこまで反日新聞ですか?」などと猛反発していた。<br />
<br />
この記事を転載した微博の書き込みに対して、朝日新聞のアカウントが[[11月4日]]夜、「『小鬼子』を叱らなきゃ」とコメントを付けたのだ。「小鬼子」という言葉は、石原氏をはじめとする、中国では右派だとみなされている政治家に対する蔑称として使われることがある。<br />
<br />
コメントを付けた書き込みは石原氏の写真付きだったため、石原氏に対して朝日新聞が「小鬼子」と言う言葉をぶつけた、と受け取った人もいた。<br />
<br />
「微博で朝日新聞が石原慎太郎さんや日本人を、超侮辱した言葉"小鬼子"と呼んでくださいと中国人に呼びかけています。どこまで反日新聞ですか?狂っています!!」「中国人は喜んでコメントで日本を馬鹿にします。朝日は中共の新聞ですか?なぜ日本人は朝日新聞を読みますか?日本が大好きな台湾人のわたしはとても悲しいです」などと猛反発。この書き込みが拡散し、日本のネット上でも騒ぎが広がっていた。<br />
<br />
=== 「日本維新の会の[[橋下徹]]氏がおでこを出す正統保守型に変えた。何が目的か分からない年の差婚をしたしたたかな女のようだ」 ===<br />
天声人語(2012年11月19日) <br />
<br />
髪形をいじるのは心機一転の表れでもある。日本維新の会の橋下徹氏が、おでこを出す正統「保守型」に変えた。<br/> <br />
この勝負髪で衆院選に挑むという。37歳上の[[石原慎太郎]]氏を新代表に迎え、しおらしく従う覚悟らしい <br />
<br />
▼合流は第三極の受け皿を広げ、既存政党や官僚支配への不満をさらう狙いとみえる。両氏の合意文書には「強くてしたたかな日本をつくる」と表題がついた。<br/> <br />
「弱くてお人よしの日本」は耐えがたいと <br />
<br />
▼片や石原氏に気を使い、「原発ゼロ」の語は消えた。政策より大同団結、小異は捨てたというが、コーヒーと紅茶を混ぜたようなドタバタ感が漂う。<br/> <br />
色が似ていればいいというものではない <br />
<br />
▼なるほど、コーヒー党、紅茶党の独自色より、候補者の調整が先に立つのが[[小選挙区制]]だ。<br/> <br />
野合との批判に、石原氏は「民主党や自民党が人のことを言えるのか」と反発、橋下氏も「趣味嗜好まで同じなら[[北朝鮮]]」と開き直る <br />
<br />
▼とはいえ、地方分権や行政効率に重きを置く橋下氏の現実主義と、米中なにするものぞの石原流がどう混じり合うのか。<br/> <br />
みんなの党や減税日本とも組むとなれば、昔の[[民主党]]顔負けの「選挙互助会」だ <br />
<br />
▼石原氏がほれたと公言する橋下氏は、政界でいう「じじごろし」に違いない。新代表を最強のリーダーと持ち上げ、ヘアスタイルを変えた。<br/> <br />
「何が目的か分からない年の差婚をした、したたかな女のよう」。きのうの東京紙面にあった、山本貴代さんの見立てに納得した。その縁の吉凶は知らない。<br />
<br />
=== 安倍氏選ぶ自民党の劣化ぶり(2012年10月) === <br />
[[Image:週刊朝日.jpg|500px|thumb|思想が表れている表紙]]<br />
朝日新聞2012年10月5日(金)朝刊「声」欄より<br />
<br />
小学校教員([[日教組]]) 大越慶久(福島県古殿町 44歳)<br />
<br />
安倍晋三氏が自民党総裁に選ばれた。5年前の突然の首相辞意表明。臨時国会で所信表明演説をしてわずか2日後のことだった。 <br />
<br />
国民の誰もがあぜんとしたであろう。体調の問題とはいえ、あのタイミングでの首相辞任は、まさに政権の放り出し以外の何物でもない行為であった。その人物が再び総裁の椅子に返り咲いたのだ。 <br />
<br />
総裁選では党員・党友による地方票の6割近くが石破茂氏を支持したが、国会議員票による決選投票で安倍氏が逆転勝利を収めた。党員は、自民党を民意の最前線で支える人々である。その声を無視する形で、国会議員は安倍氏を選んだ。これをどう理解すればよいのだろうか。 <br />
<br />
安倍氏は政権放り出しで、どれだけ多くの迷惑をかけたのか、そのことを考えれば、再びそのような地位を目指すなど、日本人としての価値観としてはいかがなものだろうか。それにも増して、私は自民党の国会議員の多くが、そんな安倍氏に投票したことにショックを受けた。<br />
<br />
民主党の分裂騒動などのゴタゴタにも嫌気がさしたが、自民党の国会議員も、もはや劣化しているように感じられ、残念である。<br />
<br />
=== 「民主党がんばれマジ全力で頑張れ。今は耐えて耐え忍ぶんだ。また政権復帰するときのために」(2012年12月) ===<br />
政権を担うということが、いかに難しく、厳しいものか。総選挙で衝撃的な惨敗を喫した民主党は、そのことを身をもって学んだに違いない。 <br />
<br />
衆院に小選挙区比例代表並立制が導入されて18年。6度目の総選挙の結果は、想定されていた二大政党制の姿とはほど遠い「自民党一人勝ち」の様相となった。それでも、野党第1党にふみとどまった民主党の役割はいぜん大きい。包括的な政策の体系と全国規模の組織をもち、政権がつまずけばいつでも交代する用意がある。そんな野党の存在が、民主主義には欠かせないからだ。<br />
<br />
落胆している暇はない。この3年間の教訓をふまえ、民主党はみずからの政策と組織を根本から鍛え直してほしい。振り返れば、あまりにも未熟だった。<br />
<br />
ことあるごとに党内で内紛が起き、分裂を繰り返す。「ムダの排除などで16.8兆円の新規財源を生み出す」などといった無責任なマニフェストがまかり通る。今回の惨敗は、そうした民主党政権に対する民意の「懲罰」の意味合いが濃い。<br />
<br />
一方で、将来世代への責任を果たそうとしたことが、少なくとも二つあった。消費増税をふくむ社会保障と税の一体改革と、「2030年代の原発ゼロ」である。2009年総選挙で、民主党は「増税の前にやるべきことがある」として消費増税を否定した。それは、将来世代にツケを回すことにほかならない。それに気付いたからこその増税への転換だったのではないか。<br />
<br />
注目したいのは、今回の総選挙のマニフェストに「将来世代の声なき声に耳を傾ける」という理念を新たに掲げたことだ。来夏の参院選に向け、党をあげてこの理念を具体的な政策の体系にまとめてはどうか。<br />
<br />
所属議員は激減した。だがその分、一体感のある議論がしやすくなったとも言える。有権者の耳に痛い政策を、いかに説得力をもって打ち出すか。政権を担った経験をそこに生かしてほしい。もう一つ、求めたいのは建設的な「責任野党」の姿を今度こそ見せることだ。政権が行き過ぎるようなことがあれば、ブレーキ役を果たすのは当然のことだ。同時に、協力すべきは協力する。<br />
<br />
やられたらやり返す。そんな不毛な政治の混迷を乗り越えることは、民主党が政権に復帰したときに必ず生きる。<br />
<br />
=== 週刊朝日、社団法人を騙り全国の病院施設に多額の広告料を要求(2012年12月) ===<br />
<pre><br />
緊急のお知らせ<br />
(週刊朝日からの特別広告企画の案内について)<br />
<br />
前略<br />
本日、週刊朝日が2013年2月発売予定の「手術数でわかるいい病院 2013 全国」に掲載する広告企画の案内を、<br />
【取材協力:日本肝胆膵外科学会 理事長 宮崎勝】と表し、多くの病院施設に広告掲載を持ちかけ、<br />
広告料として 100 万円以上のお金を要求していることが判明いたしました。<br />
<br />
本学会および宮崎個人は、週刊朝日の同企画に対し、一切の関わりを持っておりません。<br />
その旨ご承知いただき、ご注意くださいますようお願い申し上げます。<br />
<br />
なお、本学会として、このような広告掲載企画を無断で各施設に案内している<br />
週刊朝日に対し、抗議文の送付ともに説明を求める予定です。<br />
事情が明らかになり次第、本学会会員の皆様に報告申し上げます。<br />
<br />
今後とも本学会へのご支援・ご協力をお願い申し上げます。<br />
草々<br />
</pre><br />
<br />
=== 「安倍政権の歴史認識を疑問視する声が米国内で急速に広がっている。このままでは日本の国際的孤立さえ招きかねない」 ===<br />
社説:歴史認識―孤立を避けるために <br />
<br />
「東北アジア地域の平和のためには、日本が正しい歴史認識を持たなければいけない」 [[韓国]]の[[朴槿恵]]大統領が、[[オバマ米大統領]]との会談で対日関係に言及した。 <br />
<br />
言うまでもなく、歴史認識をめぐる[[安倍首相]]の言動や、[[麻生副総理]]らの[[靖国神社参拝]]を念頭に置いての発言である。本来、隣国同士で率直に話し合うべき問題がこうした形で取りあげられるのは残念だが、それほど日本への不信感が強いということだろう。韓国の対日不信を決定的にしたのは、先月の閣僚らによる靖国参拝と、それに続く安倍首相の国会答弁だ。<br />
<br />
首相は「侵略という定義は学界的にも国際的にも定まっていない」と発言。これが韓国では「植民地支配や侵略戦争を否定したもの」ととらえられた。今年に入って日韓間では関係改善を探る努力が続けられてきたが、以来、政府間の交流は再び滞ってしまった。安倍政権の責任は大きい。<br />
<br />
この問題は、日米関係にも影を落とし始めている。2013年5月発表された米議会調査局の報告書は、首相の歴史認識について「侵略の歴史を否定する修正主義者の見方を持っている」と指摘。[[ワシントン・ポスト]]など米主要紙も首相発言を批判している。 <br />
<br />
さらに、[[慰安婦問題]]をめぐる[[河野談話]]見直しの動きがあることについて、[[シーファー前駐日大使]]は「見直しを受け入れる人は米国にはまったくいない」と語った。安倍政権の歴史認識を疑問視する声が、米国内で急速に広がっている。このままでは、日本の国際的な孤立さえ招きかねないことを、首相は深刻に受けとめるべきだ。<br />
<br />
首相は、[[5月8日]]の[[参院予算委員会]]で「アジアの人々に多大な損害と苦痛を与えた」と、[[1995年]]の村山談話と同様の認識を示すなど軌道修正を図りつつある。歴史認識で対立を煽るような言動は厳に慎み、一致できる部分で連携を深める。各国の信頼を回復する道はそれしかない。<br />
<br />
=== 「新任のNHK経営委員を首相にごく近い人たちで固めたがる。『みなさまのNHK』が『あべさまのNHK』にならないか」(2013年11月) ===<br />
天声人語 <br />
<br />
「放く」と書いて「こく」と読む。いささか品を欠くけれども、何かを体の外へ放つことを表す。若い人たちは「調子放いて……」などと言う。調子に乗る、図に乗るの意味だが、さて[[自民党]]である。<br />
<br />
▼[[昭和]]の名文記者、[[門田勲]]のユーモラスな一節を思い出す。「通勤で混み合う電車の中の広告に、真っ赤な蛸の画があった。ねじ鉢巻で、盃をもって踊ってる。えらく景気のいい蛸だ。蛸は自民党かもしれない」。前にも引いたが、数の力で我が世の春をうたった頃の文だ <br />
<br />
▼今は[[特定秘密保護法案]]である。これほど危うい法案を短期国会で通そうとすること自体、数を頼んだ驕りではないか。同じ流れで、新聞の首相動静もマル秘にという発言が、元閣僚から事も無げに飛び出してくる。<br />
<br />
▼さらに、婚外子の相続差別を違憲とした最高裁決定に公然と異論が湧き、三権の一角を軽んじる。新任の[[NHK]]経営委員を首相にごく近い人たちで固めたがる。どこか怖いものなしの感がある。<br />
<br />
▼後者について案じる声は少なくない。「みなさまのNHK」が「あべさまのNHK」にならないか、と。他にも原発あり、改憲あり。経済だ、株だとかまけるうちに面舵いっぱい、気がつけば国の鼻先はあらぬ方に向いていたと悔やむのは避けたい。<br />
<br />
景気のいい[[安倍政権]]に自民党の[[リベラル]]派は蒸発してしまったかのようだ。野党はどうにも影が薄い。「決められる政治」はいいが、アクセルだけの車は怖い。大事なのはブレーキだと古今の歴史は教えている。<br />
<br />
=== 「この国民にして、この政府…ごり押しと混乱の永田町を眺めつつ思う。私たちはこのレベルか」 ===<br />
天声人語 <br />
<br />
ユーモアの奥底に真実がひそむことがある。<br/><br />
終戦から間もないころ、[[吉田茂]]首相は国内の食糧不足量を多く見積もりすぎて[[マッカーサー]][[元帥]]に文句を言われたそうだ。<br/><br />
すかさず「日本の統計が正確だったら、戦争に負けていませんよ」と切り返して言い逃れたというから、この人らしい <br />
<br />
▼「正確なら負ける戦争など仕掛けなかった」といった意味合いだったろう。記憶の底でホコリをかぶっていた逸話が、きのうの本紙オピニオン面を読むうちに浮かび上がってきた<br />
<br />
▼[[東大]][[教授]]の[[岡崎哲二]]さんによれば、金属・機械・化学各工業の統計が日米開戦の2年前から「秘」扱いになった。つまり国力の基本的な情報を一般国民には秘したまま、開戦は決断されたのだという<br />
<br />
▼工業統計だけでなく、様々に目隠しをされたまま国策が決まった時代。どこへ連れて行かれるのか分からない人々の不安は想像できる。結局、相手の物量に対抗するためにおびただしい人命を注ぎ込んで、戦争は終わった<br />
<br />
▼国民は自分たちのレベルに見合った政府しか持ちえないという。[[英国]]の[[歴史家]][[カーライル]]は「この国民にして、この政府」と警句を残したそうだ。ごり押しと混乱の[[永田町]]を眺めつつ思う。私たちはこのレベルか。もう少しましな政治が持てそうなものだが <br />
<br />
▼秘密法案の強行成立を、与党は譲らない。「決められない政治」に懲りて[[自民党]]に衆参で多数を与えた。その結果がこれでは、一票を悔やむ人は多いだろう。不信感の統計は膨大に違いない。<br />
<br />
==== ネット反応 ====<br />
* 朝日があまりにも左傾化した結果がこれだ。責任は朝日にあるかもしれない <br />
* 自分らの意見に合わないからって、とうとう国民全体をもディスりはじめたか <br />
* わかったから愚痴垂れつつ[[サンゴ]]でも彫ってろ <br />
* 民主党政権のときにはなんで言わないの?w <br />
* 「ペンは無力」とかいつも言ってるよねこういう時 <br />
* 朝日は何様のつもりなんだ?おまえらその国民の金で飯食ってる自覚無いのか? <br />
* 「この国民にして、このマスメディア…ごり押しと混乱の新聞を眺めつつ思う。私たちはこのレベルか」 <br />
* この購読者にして、この新聞…朝日の記者はこのレベル。「か」じゃなくて「このレベル」 <br />
* 自分らの思い通りにならないと国民を攻撃し始める「社会の公器」様であった <br />
* この偏向報道にして、この不正義・・・朝日新聞の報道姿勢を眺めつつ思う。日本のマスコミはこのレベルか <br />
* いつもの朝日のパターンだな。自分たちの意にそぐわない状態になるとまるで日本国民全員が愚民のような捨て台詞を吐く。 <br />
* 朝日新聞が言う逆の事が正しいんだよね? <br />
* 朝日って安倍政権を叩くことが社是なんだっけ?ゴシップ新聞と何が違うの? <br />
* 朝日が受験問題に使われるのは日教組とグルだからなんだろうね。学生を受験で脅して朝日新聞を購読させて洗脳させるシステム怖いわw <br />
* スパイが反対する法案っていうけど、まさにその通りだなw朝日にもうじゃうじゃスパイいるだろ。どんどん逮捕してほしいw <br />
* 火のないところに火をつける。それが朝日w <br />
* 民主党ならダダ漏れの情報とか、隠蔽とか恐ろしくて夜も眠れない。必要な法律を、無思慮に反対してる連中が多いから、まともな法律へ修正する時間が失われる。民主党や社民党なんか不要。こんな政党に投票する馬鹿のおかげだ。 <br />
* この前、今時地下鉄で朝日新聞広げてる人久々に見たわwいかにも教師やってそうな小汚ない雰囲気のおばさんだったわ… <br />
* つか馬鹿騒ぎに惑わされずに淡々と採決したのは以前よりレベル上がってんじゃね政府も国民も。朝日とその取り巻きだけがずっとレベルが変わらないだけで<br />
<br />
===「両院制した自公政権…民意とのねじれ恐れよ。有権者は日本の針路を丸ごと安倍政権に委ねたわけではない」===<br />
[[2013年]][[7月21日]]、「1強体制」の本格到来を思わせる、安倍自民党の勝ちっぷりである。<br />
<br />
自民、公明両党は、非改選とあわせて参院の半数を大きく上回る議席を得た。昨年の衆院選に続き参院も自公が制したことで、[[2007年]]の参院選以来、政権の国会運営を左右してきた衆参両院の「ねじれ」は当面、解消する。同時に、安倍首相はかつての自民一党支配時代をほうふつさせる安定した権力基盤を手にしたことになる。<br />
<br />
向こう3年は国政選挙はないというのが、政界のもっぱらの見方だ。この間、ジェットコースターのような変転きわまりない政治が続いた。首相交代は年中行事のようになり、「決められない」が政治の枕詞になった。安定した政治のもと、景気回復など山積みになった内政・外交の懸案に腰を据えて取り組んでほしい――。今回の選挙結果は、そんな切羽詰まった民意の表れといえるだろう。<br />
<br />
とはいえ、有権者は日本の針路を丸ごと安倍政権に委ねたわけではない。首相は経済のほかは十分に語らなかったし、投票率も振るわなかった。 <br />
<br />
小泉首相による2005年の「郵政解散」以降、衆院選で大勝した政権党が、その次の参院選で過半数を割る逆転劇が繰り返されてきた。その始まりとなったのが、安倍氏が首相として初めて臨んだ2007年参院選での自民党の歴史的大敗だった。<br />
<br />
この6年の「負の連鎖」を、今回、安倍政権がみずから断ちきることができたのは、その経済政策「アベノミクス」が、一定の信認を得たからにほかならない。民主党政権の末期に比べ、株価は5千円ほど高くなった。円安も進み、首相は選挙戦で[[国内総生産]]がマイナスからプラスに転じた、2012年度の公的年金の運用益が過去最高となったと胸を張った。野党は、賃金が増えていないのに食品の値段が上がっているなどと、アベノミクスの副作用を訴えた。<br />
<br />
それでも、ひとまずは数字を残した安倍政権に寄せる本格的な景気回復への期待が、声高な批判を打ち消した。 <br />
<br />
ただし、この期待は両刃の剣であることを、首相は忘れてはならない。景気が腰折れしたり副作用が高じたりすれば、失望の矛先はまっすぐに首相へと向かう。<br />
<br />
政権の実力が本当に試されるのは、これからなのだ。<br />
<br />
中小企業や地方で働く人たちの賃金は上がるのか。消費税率を予定通りに引き上げられるのか。それで医療や介護を安定させられるのか。いずれも、くらしに直結する課題である。安定政権の強みは、こうした分野でこそ大いに生かしてもらいたい。一方で、有権者は決して政権にフリーハンドを与えたのではない。与党も含め政治に注ぐ視線は依然厳しい。そのことを首相は肝に銘じるべきだ。<br />
<br />
首相は締めくくりの街頭演説で「誇りある国をつくっていくためにも憲法を変えていこう」と改めて持論を強調した。[[日本維新の会]]や[[みんなの党]]をあわせて機運が高まれば、やがて改憲も視野に入るという思いなのかもしれない。<br />
<br />
だが、朝日新聞の最近の世論調査では、改憲手続きを定めた[[憲法96条]]の改正には48%が反対で、賛成の31%を上回った。連立を組む[[公明党]]の山口代表が「憲法改正を争点にするほど(議論が)成熟しなかった」と語ったが、その通りだろう。首相が意欲を見せる、停止中の原子力発電所の再稼働にも56%の人が反対している。<br />
<br />
首相が民意をかえりみず、数を頼みに突き進もうとするなら、破綻は目に見えている。衆参のねじれがなくなっても、民意と政権がねじれては元も子もあるまい。誤りなきかじ取りを望みたい。<br />
<br />
それにしても、つい7カ月前まで政権を担っていた民主党の退潮は目を覆うばかりだ。改選議席は半分を割りこみ、2大政党の一翼の面影はない。 <br />
<br />
1996年の結党以来、「政権交代可能な二大政党制」を意図した制度のもとで野党結集の軸となった。もっとも、こうした党のなりたちが、「政権交代」のほかに党員をたばねる理念や目標を持つことのできない弱点にもつながっていた。<br />
<br />
下野から半年あまりたったいまも、この弱みは克服できないままだ。昨年の国政進出で民主党に迫る勢いをみせた[[日本維新の会]]もまた、[[橋下徹]]大阪市長の一枚看板に頼らざるを得ないもろさをあらわにした。野党の自壊といっていい。<br />
<br />
自公両党は、憲法改正をのぞけば「補完勢力」など必要としない状況にある。しばらくは続きそうな1強体制に、野党はただ埋没するだけなのか、それとも再生に歩み出すのか。野党だけの問題ではない。日本の民主主義が機能するかどうかが、そこにかかっている。<br />
<br />
=== アルジェリア人質事件。遺族ら「氏名公表避けて」→朝日「死者7名の氏名公表すべき」と安倍首相らに要請 ===<br />
アルジェリア南東部イナメナスの天然ガス関連施設で起きた人質事件で、朝日新聞社などが加盟する内閣記者会は、政府が公表していない被害者の氏名と年齢のうち少なくとも死亡が確認された7人分の公表を安倍晋三首相と菅義偉官房長官に申し入れた。 <br />
<br />
申入書では「事件に対する国民の関心は非常に高く、日本政府が公的に安否確認を行うとともに、情報収集、救出、帰国支援に全面的に関与している」と指摘。「最も基礎的な情報」である氏名と年齢の公表を求めている。 <br />
<br />
日本政府は2004年4月と10月にイラクで起きた人質事件では被害者の氏名を公表している。菅氏は記者会見で、氏名の公表について「(被害者の勤務先である)日揮がご家族の意向をまとめている。しばらく様子を見守りたい」と語った。<br />
<br />
'''朝日新聞にはガッカリ。朝日新聞の記者のモラルを疑います'''<br/><br />
昨夜、菅官房長官が被害者の実名は公表しないと明言してくれたので安心していたところ、今朝の朝日新聞を見てガッカリしました。実名を公表しないという約束で答えた取材の内容に実名を加え、さらにフェイスブックの写真を無断で掲載しておりました。 <br />
<br />
ただでさえ昨夜の発表を受け入れるのが精一杯の私たち家族にとって、こんなひどい仕打ちはありません。記者としてのモラルを疑います。 <br />
<br />
16日の事件発生から昨夜まで、日揮の情報はとても少なくて、私たち家族は日本の報道や海外メディアの不確かな情報に一喜一憂し、振り回されておりました。なぜ日揮はここまで情報を出すのに慎重に慎重を重ねていたのか疑問だったのです。それが昨夜の菅官房長官の「被害者の実名は公表しません」という言葉で分かりました。彼らは私たち被害者家族を守るために細心の注意を払っていたのです。 <br />
<br />
いまだ大変危険な状態のイナメナスに命がけで安否確認のために現地入りした、日揮の川名浩一社長と城内実外務政務官、人命よりもテロ掃討を優先し、価値観、考え方、近隣諸国との社会情勢など様々な事情により、まったく話が通じないアルジェリアを相手にイニシアチブをとって情報を引き出してくれた安倍首相、現地で訳の分からない扱いを受けることなく日本人の形式でしっかり棺に入れていただき、専用機で日本まで連れて帰ってくれるということなど今回の一連の対応に心から感謝したいと思います。 <br />
<br />
技術者として世界を舞台に第一線で活躍していた叔父を誇りに思います。一日も早く日本に帰ってきてもらい「おかえりなさい、お疲れ様でした。」と言いたいです。<br />
<br />
'''体罰教師を実名で報じず、テロ被害者を実名報道する腐れメディア'''<br/>=<br />
アルジェリアで犠牲にあった日本人被害者を、メディアは約束を破って次々と実名、写真入り報道をしている。「事件を多くの国民の記憶に刻み込み、このような悲惨な出来事が再び起きないよう社会に力強く訴えるという観点から名前の報道が必要」という大層な謳い文句だ。しかし何の説得力もない。<br />
<br />
事件を国民の記憶に刻み込むのに、実名かどうかは関係ないし、悲惨な出来事が再び起きないようにするなら、悲しみにくれ、過剰報道で迷惑している遺族を追い回すのではなく、アルジェリアの現地にでも行って、なぜこうしたテロが起きたのか取材すべきだろう。<br />
<br />
結局マスメディアは大層な使命を振りかざしてはいるが、<br />
* 危険なアルジェリアには行きたくない<br />
* 日本で遺族を追い回して、お涙頂戴物語を報道すれば、視聴率が上がる、売上が上がる<br />
<br />
というただそれだけの理由だろう。<br />
<br />
しかもそんなに実名報道することが使命なら、なぜ高校2年生に30~40発も殴って暴力をふるい、自殺に追い込んだ[[桜宮高校]]の顧問の実名を報道しないのか?その方がよっぽど、「事件を多くの国民の記憶に刻み込み、このような悲惨な出来事が再び起きないよう社会に力強く訴えるという観点から名前の報道が必要」ではないのか。<br />
<br />
結局、メディアがやっていることは、死人に口なしという態度だろう。<br />
<br />
テロで犠牲になった人はもう死んじゃったから、遺族が何と言おうが、本人ではないから、関係ないと開き直り、一方、体罰高校は、生徒は死んでしまっているが、体罰教師は生きているので、生きている教師から何かクレームつけられたら困るという、逃げ腰の姿勢から、実名は報道しない。<br />
<br />
でも校長は実名で会見したり報道でも出ているわけだ。顧問が刑罰に処せられるかはともなく、なぜ校長だけがテレビカメラの前に出てきて、新聞報道でも名前を報じられるのに、肝心要の顧問の実名がないのか。顧問がカメラの前で謝罪し、事実関係を明らかにするのが筋だろうが、その点、マスコミは追求せず、顧問の実名も写真も報道せずに、ひたすら亡くなったテロの被害者をさらし、遺族を苦しめるという犯罪行為を堂々と行っている。<br />
<br />
例えばアルジェリアに10万人日本人が住んでいて、無差別テロで誰が亡くなったかわからず、安否確認を報道に期待している人が多くいるなら、実名報道に意味はあるだろうが、ある企業の社員だと特定されているわけだから、別に全国ニュースで実名と写真をさらすことに何の使命もない。<br />
<br />
マスメディアが思い上がっているんです。おまえら何様かと。被害者を苦しめ、加害者を守ることが報道の使命なのか。しかもその報道は記者名もなく、会社という看板で守られるというふさげた話。<br />
<br />
一貫して実名報道を重視し、体罰顧問の名前も明らかにしているならともかく、そういうところでは逃げをうって、死人に対しては冷酷な態度をとるメディアの、とんだ勘違いがマスメディア離れを加速させ、むしろそのせいで、ネットで体罰教師の実名、写真やプロフィールなどが出まわるという、状況になっているのだと思う。<br />
<br />
ちなみに体罰のせいで子供を亡くした父親は、「体罰ではなく暴行」であるとし、顧問を刑事告訴している。<br />
<br />
=== 『尖閣国有化前(民主時代)に射撃レーダー照射あった』という記事削除、理由は不明 ===<br />
[[Image:朝日新聞削除前.png|500px|thumb|削除前]]<br />
[[Image:朝日新聞削除後.jpg|500px|thumb|削除後]]<br />
朝日新聞は、2013年2月6日付夕刊1面で、東シナ海での中国軍による自衛隊への射撃用レーダー照射が昨年9月に尖閣諸島を国有化する前にもあったことがわかったなどと報じた。<br />
<br />
これと同じ内容の記事が「尖閣国有化前から射撃レーダー照射 政府関係者明かす」という見出しで、ニュースサイト「朝日新聞デジタル」無料版にも掲載された。しかし、記事掲載から約2時間後の同日午後10時ころ、記事がニュースサイトから削除された。この記事が短時間で削除された理由はわかっていない。<br />
<br />
朝日新聞の問い合わせ窓口では「個別の記事の削除理由についてはお答えできない」としている。<br />
<br />
=== さりげなく安倍晋三の出自を攻撃する朝日(2013年3月深沢明人) ===<br />
3月18日付け朝日新聞朝刊の[[天声人語]]。 <br />
<br />
「占領は終った。六年八カ月間の長い長い占領は終った」と[[1952年]][[4月28日]]の小欄は筆を起こしている。<br />
<br />
末尾は「占領よ、さようなら」の言葉で締めくくった。独立という、戦後の新しいステージへの静かな高揚が伝わってくる<br />
<br />
▼サンフランシスコ平和条約が発効したその日、日本は主権を回復した。同時に沖縄、奄美、小笠原は本土から切り離された。沖縄ではその後20年にわたって米軍統治が続くことになる。「屈辱の日」として記憶されてきたゆえんである<br />
<br />
▼平和条約をめぐって、国論を分かつ議論が起きたのはよく知られる。東西の両陣営と講和するか、米国など西側だけとの講和か、である。世論は沸騰した。しかし「日本」とは本土だけを指し、沖縄は忘れられていた<br />
<br />
▼それから61年、「主権回復の日」の式典なるものを政府が初めて行うそうだ。沖縄から反発の声が上がったのは当然だろう。復帰後も基地は集中し、治外法権的な地位協定は残る。今なお「占領よ、さようなら」と言えずにいる人は少なくあるまい<br />
<br />
▼「日本には長い占領期間があったことも知らない人が増えている」と安倍首相は言う。その通りだろうが、4・28は沖縄などを「質草」にしての主権回復だった。沖縄では日の丸も自由に掲げられなかった<br />
<br />
▼安倍さんの祖父の岸信介氏らは条約発効に伴って公職追放が解かれている。それはともかく、沖縄への想像力を持たずしてこの日は語れない。万歳三唱で終わるなら、やる意味もない。 <br />
<br />
末尾近くの、「安倍さんの祖父の岸信介氏らは条約発効に伴って公職追放が解かれている。それはともかく、」唐突なこの一節は何だろうか。この流れでこんな話を持ち出す必要があるのだろうか。<br />
<br />
いや、筆者の意図はわかる。<br />
<br />
安倍晋三が[[岸信介]]の孫であることを改めて思い起こさせること。その岸信介は[[A級戦犯]]容疑者として拘束され、釈放された後も主権回復までは公職追放されていたことをも思い起こさせること。まるで祖父の公職追放解除を祝いたいのだろうと言わんばかりだ。<br />
<br />
こんな下衆な文章を大新聞の1面コラムに載せていいのか。「天声人語書き写しノート」なるものも販売されているというのに。あるいは、こんな下衆な文章が書けないと大新聞の論説委員は務まらないのか。<br />
<br />
同じ日の夕刊のコラム「窓 論説委員室から」は[[川戸和史]]が「満州国と安倍バブル」と題して次のように述べている。<br />
<br />
〔前略〕東大教授の安富歩さんは、バブル経済と満州事変などの戦争が似ていると指摘してきた。「安倍バブル」に1980年代のバブルの熱気はないが、今の閉塞感はむしろ事変の当時により近いかもしれない。安富さんに聞いた。<br />
<br />
「社会の倫理が崩壊して暴走の歯止めを失うプロセスはバブルも戦争も同じなのです。過ちを犯さないためには、政治家が本質的な問題は何かを国民に率直に訴え、ごまかさずに正面から取り組むことです。しかし、往々にして政治家は話をすり替えて国民に安易な逃げ道を示し、大失敗する。満州国は新興財閥を動員して大陸に王道楽土を建設すると、良いことずくめの話でしたが、結果は破滅的な損失でした」 <br />
<br />
満州国を取り仕切った一人が安倍晋三首相の祖父、岸信介元首相であったことはさておき、アベノミクスも一歩間違えば政府の誘導と民間の依存心の悪循環を生む危うさが漂う。<br />
<br />
「既得権益を破って成長産業を育てるという真の課題から逃げ、脱デフレの期待をあおるのでは、逆に問題を悪化させます」と安富さん。<br />
<br />
気をつけよう、王道楽土の甘い期待は高くつく。祖父が取り仕切った満洲国は破滅したから、「安倍バブル」もわが国を破滅させるおそれがあると言わんばかりである。<br />
<br />
満洲国が破滅したのは必ずしもその構想自体が誤っていたからではなく、もっと別の要因によるものだと思うが。<br />
<br />
朝日には、安倍首相と戦中・戦後の歴史をセットで語る時には、必ず岸信介に触れなければならないという決まりでもあるのか。<br />
<br />
しかも、「それはともかく」「であったことはさておき」と、あたかも本筋ではなく、ただちょっと触れてみただけという逃げの姿勢がまたいやらしい。<br />
<br />
こういうことを言うと、いや安倍は自ら岸の孫であることをウリにしているのだから、岸の負の面も継承すべきであるといった反論があるのだが、私はそれはおかしいと思う。<br />
<br />
本人が自分の出自や祖先を語るのはよい。自分にまつわることであり、その発言の責任は自分がとればよいのだから。しかし、他人が、ある人の出自を、その人を批判する材料として用いるのはよくない。何故なら、人は親を選べない。先祖が行ったことは本人の責任ではない。その人の責任ではないことで、その人を批判するべきではないと思うからだ。<br />
<br />
公人が、出自はもちろん、家族や学歴、職歴、趣味嗜好、交友関係など、ある程度プライバシーをさらけ出さなければならないのは仕方ない。それがその人物を判断する材料に成り得るからだ。<br />
<br />
しかし、本人のあずかり知らないことや、本人ではどうにもならないことを、本人を批判する材料として用いるのはよくない。それは、アンフェアだからだ。<br />
<br />
安倍晋三が岸信介の孫であること。岸信介が満洲国を取り仕切ったこと。A級戦犯容疑者として拘束され、釈放後も主権回復まで公職追放されていたこと。<br />
<br />
これらはいずれも安倍本人にはどうしようもないことである。その人自身ではどうしようもないことを、その人を批判する材料として用いるべきではない。<br />
<br />
主権回復の日に疑問を呈すのに岸信介に触れる必要はないし、満洲国と「安倍バブル」を論じるにしても岸信介に触れる必要はない。上で引用した2記事は、いずれも岸信介の箇所がなくても成立するものだ。それを敢えて触れるというのは、それによって安倍政権にマイナスのイメージを与えようという意図があるからにほかならないだろう。<br />
<br />
公人の出自をもって、公人本人を批判する人に対しては、ではその批判者自身の出自はどうなのかと問いたい。批判者自身の先祖はどうなのか。戦中・戦後はどう過ごしたのか。一族郎党はどのような人物なのか。<br />
<br />
そうした点を明らかにしないまま、立場上プライバシーを明らかにせざるを得ない公人の出自をもって、その公人を批判するとすれば、それはフェアとは言えないのではないか。暗闇から石を投げるようなものではないか。<br />
<br />
半年ほど前に、朝日新聞社の子会社が発行する雑誌が、「出自を根拠に人格を否定するという誤った考えを基調とし、人間の主体的尊厳性を見失っている」記事を載せて問題となり、朝日新聞社自身も「前例のない深刻な事態として、非常に重く受け止めています。差別を許さず、人権を守ることは朝日新聞社の基本姿勢であり、」「この基本姿勢を当社内にも改めて徹底する」と述べているのだが、どうも全く懲りていないように見受けられる。<br />
<br />
=== 金子議員の天ぷら擁護ツイートに朝日新聞・上丸洋一「お前それ凍え死んだ人の前で言えんの?」 ===<br />
金子洋一・民主党参議院議員「天ぷらくらい、文句を言わずに食べさせてやれよ!総理が牛丼食べてちゃおかしいだろ!」<br />
<br />
金子参議院議員のツイートだが、[[上丸洋一]]・朝日新聞編集委員はこのツイートに対して <br />
<br />
“@Y_Kaneko: 天ぷらくらい、文句を言わずに食べさせてやれよ!総理が牛丼食べてちゃおかしいだろ!”<br/><br />
→あなたは、この言葉を、雪の中で身動きもならず凍え死んでいった人たちに語れますか?問題は言うまでもなく、天ぷらではなくて、首相の国民に向き合う姿勢なのです。<br />
<br />
とメンションを飛ばしていた。 <br />
<br />
上丸氏は[[2月16日]]に <br />
<br />
[[福島第一原発]]の事故発生後、現場や東電本店に乗り込んだ菅首相(当時)を事故拡大の元凶であるかのように、この時とばかりに非難した[[読売]]、[[産経]]。大雪で深刻な被害が出ているのに、赤坂で天ぷらを食べていた[[安倍首相]]を両紙はどう書くのか。批判するのか、弁護するのか、それとも知らんぷりか。<br />
<br />
とツイートを行いネット上で話題になっていた。上記ツイートには <br />
<br />
「これは驚いた。菅直人の視察が事態に悪影響を及ぼさなかったと本気で思ってるんですか?イデオロギーのために常識をねじ曲げるのはやめましょう。まずは事故調の目的を理解することです。」と返信が寄せられるなどして菅元首相の原発直後の視察への非難が起っていた。<br />
<br />
また、先のツイートには <br />
<br />
「死者に憑依して自分の立場の絶対性を確立する、実に朝日らしい、そして古臭い主張。」<br/><br />
「私の祖父の代はお前らに人殺しの強姦魔呼ばわりされたままですが。」 <br />
<br />
といったようなコメントが寄せられている。<br />
<br />
==== ネット反応 ====<br />
* 首相の仕事はこれだけじゃないだろ<br />
* 何で凍死した人と天麩羅無理矢理つなげようとするんだよ?本当にマスゴミは麻生の時から変わらねえなあ・・・鳩ポッポの時は無視だったけどw <br />
* すげーな典型的な逆差別アタックだわ <br />
* 亡くなった人が「天ぷらなんか食ってんじゃねー」と言ったんか <br />
* 朝日新聞に関係のある奴の食ったもののリスト新聞に載せろや <br />
* 「災害の時は被災者の立場を考え、天ぷらを食べてはいけません」朝日新聞 上丸洋一 <br />
* 死人が出たら俺が死者の代弁者だって。アホかよ。こいつこそ死者を冒涜してんだよ <br />
* 批判のためなら死者であろうと利用。相変わらずクズっぷり <br />
* 凍え死んだ人からしたら天ぷら食ってる人もツイッターやってる人も同じじゃねえの?批判できるのはあの日現地入りして救助活動した人だけだ<br />
* 天ぷら食わなくても死んでいたと思いますが <br />
* でもこの新聞社は国民を飢え死にさせてる指導者がいる民族が大好きなんだよね <br />
* 亡くなった人も最期の最期で朝日にダシにされてさぞかし無念だろう。 <br />
* 首相が一緒に凍え死ぬ以外何してても叩かれそう <br />
* そんなことになっても危機管理がなってないとか言って死んだ後も叩かれるわ<br />
<br />
=== 日韓の緊密化で古代史解明を ===<br />
朝日新聞2013年02月22日(金)朝刊「声」欄より <br />
<br />
無職 大田正(三重県明和町・67歳)<br />
<br />
日韓関係が悪化したことで、日韓の歴史に興味が以前より増した。<br />
<br />
そこで日本書紀現代語訳を読み、さらにインターネットでも古代日韓関係の事項を調べてみると、両国の関係が兄弟のように親密なものであったことがよくわかった。 <br />
<br />
私はこれらの史実がより明らかになれば、邪馬台国論争の決着も夢ではないと思ってきた。<br />
<br />
ただ問題は宮内庁の管理下にある天皇を中心にした陵墓の発掘が認められず、客観的物証がはなはだ手薄なことである。 <br />
<br />
日本書紀の応神天皇、継体天皇、欽明天皇の項を見ると、百済・新羅その他名前の知らない朝鮮の古国名や人名、事件などこれが日本の歴史書かと驚かされるほど記述されている。<br />
<br />
これは当時の倭・百済・新羅の関係が密であったことを如実に表している。 <br />
<br />
東アジアの発展と平和の一助にするためにも、大和朝廷に関係する墳墓の学術的研究に、国が積極的に貢献することを願う。 <br />
<br />
=== 朝日新聞2013年08月07日(水)朝刊「声」欄より ===<br />
隣国を思いやる度量見せる時 無職 村上博彦(愛知県 77) <br />
<br />
8月15日。安倍政権の[[稲田朋美]]行革相はいち早くその日に靖国神社参拝の意向を固め、首相官邸の了承を得たという。稲田氏はその理由を、「自分の国のために命を捧げた人に対し、感謝と敬意、追悼の意を表すことは主権国家として許されるべきだ」と述べた。ほかにも安倍内閣の閣僚の参拝が予想されるが、韓国や中国などの苦悩を思いやる自省はないのか。 <br />
<br />
ソウルであったサッカー東アジア杯の日韓戦で、「歴史を忘れる民族に未来はない」という横断幕が観客席に掲げられた問題について、[[菅義偉]][[官房長官]]は「極めて遺憾」と述べ、日本サッカー協会は主催の東アジア連盟に抗議文を送った。<br />
<br />
さらに[[下村博文]][[文部科学相]]は、「その国の民度が問われると思う」とまで述べた。そこには、日本の応援団が韓国にとっては植民地支配の屈辱となる巨大な旭日旗をスタンドに掲げたことへの自省はない。これでは不信を増すばかりとなろう。 <br />
<br />
[[日本国憲法]]は、前文に普遍的な政治道徳の法則として「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」とうたう。中韓との関係改善のために、日本は屈辱を受けた相手を思いやり、その法則を進んで実行する度量を見せる時ではないか。 <br />
<br />
[http://atamaga.jp/whitepage/index.php/25/14/45.html]<br />
<br />
=== 「お隣とけんかしつつ客を呼ぶ?中韓は喜んで来るか。で、それでも靖国に行くか」 ===<br />
朝日新聞 夕刊1面 「素粒子」(9月9日)<br />
<br />
<pre><br />
浮かれてばかりはいられない。<br />
7年間で片付ける宿題が山積み。<br />
汚染水。そんなに胸張って大丈夫か、安倍首相。<br />
<br />
お隣とけんかしつつ客を呼ぶ?<br />
中韓は喜んで来るか、気持ちよく迎えられるのか。<br />
で、それでも靖国に行くか。<br />
<br />
よもや仮設が残っているなんてことは。<br />
被災地で一緒に楽しめるか。<br />
そして首都直下を抑えこむ。これは神頼み<br />
</pre><br />
<br />
=== 靖国問題―なぜ火種をまくのか(2013年4月) ===<br />
近隣諸国との関係改善が必要なときに、[[安倍政権]]はいったい何をしているのか。<br />
<br />
[[麻生副総理]]・財務相ら3閣僚が、春季例大祭に合わせて[[靖国神社]]を参拝した。安倍首相は参拝を控えたが、神前に捧げる供え物「真榊」を奉納した。<br />
<br />
これに反発して、[[韓国]]は今週末に予定していた尹炳世外相の訪日を取りやめた。[[中国]]外務省も日本に「厳正な申し立て」をしたと発表した。<br />
<br />
[[菅官房長官]]は会見で「影響を外交に及ぼすべきではない」と語った。だが、靖国参拝は歴史認識に関わる問題であり、両国の反発は当然、予想されたはずである。<br />
<br />
日本外交にとって、いま最も優先すべき課題のひとつは、核・ミサイル問題で挑発を強める[[北朝鮮]]に日中韓が結束して当たることだろう。韓国外相の来日もその調整の一環だった。<br />
<br />
たしかに、日本と中韓両国とは[[尖閣]]や[[竹島問題]]をめぐって緊張が続いている。中国の監視船が尖閣周辺の日本領海を侵犯するなどの行為に対して、抗議するのは当然だ。<br />
<br />
同時に、首相自身が「大局的な観点から関係を進める」と語ったように、粘り強く関係修復をはかる。そうした微妙な時期である。それを、靖国問題でことを荒立てるのでは、方向が逆ではないか。<br />
<br />
きのうの国会では、過去の植民地支配と侵略へのおわびと反省を表明した[[村山談話]]について「安倍内閣として、そのまま継承しているわけではない」と述べた。高い支持率で、緊張感が薄れているのではないか。閣僚の言動も含め、自制を求めたい。<br />
<br />
=== 【靖国参拝】朝日新聞がついに激怒!「日本はいったい、何を考えているのか。隣国の神経を逆なでする行動が流行のように政治家に広がることを憂慮せざるを得ない」 ===<br />
靖国問題―政治家は大局観を持て<br />
<br />
日本はいったい、何を考えているのか。この国の為政者全体の国際感覚が、そう疑われても仕方がない。 <br />
<br />
安倍政権の3閣僚に続いて、与野党の国会議員がきのう、大挙して靖国神社を参拝した。 <br />
<br />
「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」によると、その数168人。人数の把握を始めた[[1987年]]以降で最多という。政府や党の要職にある議員たちも多く加わった。国会議員の参拝数は、昨年の同じ時期と比べると、一気に倍増した。 <br />
<br />
隣国の神経を逆なでする行動が流行のように政治家に広がることを憂慮せざるを得ない。 <br />
<br />
参拝問題をめぐる日韓の摩擦の再燃について、米国務省の報道官も「対話で違いを乗り越えてほしい」と苦言を呈した。 <br />
<br />
[[自民党]]の[[高市早苗]]政調会長は「外交問題になる方が絶対おかしい」と語ったが、それはあまりにも独りよがりの発想だ。 <br />
<br />
外交とは、国同士の相互関係で紡ぐものであり、一方が問題ないと片づけることはできない機微にふれる問題なのである。歴史問題をめぐる政治家らの思慮を欠く対応は、私たち日本自身の国益を損ねている。<br />
<br />
北朝鮮に対する日米韓のスクラムでは、日韓のパイプが目づまりしてきた。さらに歴史問題がこじれれば、軍事情報の交換をめぐる懸案の協定も結べず、チームワークは進まない。<br />
<br />
日中韓をめぐっては、自由貿易協定論議が遠のくだけではない。日本を置いて、韓国は中国への傾斜を強めている。 <br />
<br />
来月に外遊を始める朴槿恵(パククネ)大統領はまず米国を訪れ、その次は日本ではなく中国を考えている。歴代政権で異例のことだ。 <br />
<br />
北東アジアの多国間外交において、日本の孤立を招きかねない事態を、安倍首相はじめ政治家はどう考えているのか。 <br />
<br />
首相が立て直したと自負している米国との関係も誤解してはならない。 <br />
<br />
オバマ政権は従軍慰安婦問題をめぐる「河野談話」の見直しや、尖閣諸島問題をめぐる不用意な言動を控えるよう安倍政権に警告してきた。 <br />
<br />
国内の一部の感情を優先して近隣外交を揺らすような日本の姿は、米国にとっても信頼に足る同盟国とは言えない。 <br />
<br />
だからこそ安倍首相は2月の訪米時に、アジアとの関係を重んじる決意を誓ったのではなかったか。 <br />
<br />
「地域の栄えゆく国々と歩みをともにしてゆくため、より一層の責任を負う」と。 <br />
<br />
何よりも肝要なのは、中国、韓国との信頼関係づくりに歩を進めることだ。国を思うなら真の大局観を失ってはならない。<br />
<br />
=== 小野寺防衛相は「日本の右傾化は誤解」と言うなら、安保問題は中国・韓国の了承を得よ ===<br />
「日本の右傾化を指摘する声や、国際秩序への挑戦を試みているという批判もある。まったくの誤解だ」 <br />
<br />
小野寺防衛相がシンガポールで開かれたアジア安全保障会議の講演で、そう語った。 <br />
<br />
安倍政権の歴史認識や外交姿勢をめぐり、国内外から疑念が突きつけられている。やむにやまれず、この機に反論し、局面の転換をこころみたのだろう。だが、防衛相が国際会議でこんな弁明をしなければならないのは尋常ではない。 <br />
<br />
そもそも安倍首相がとなえる「戦後レジームからの脱却」ははっきり説明されていない。歴史の見直しを含む動きがあれば、戦後秩序への挑戦と受けとられても仕方あるまい。 <br />
<br />
慰安婦問題をめぐる日本維新の会共同代表の橋下徹氏の一連の発言も、海外では、安倍政権下での日本の問題として見られているのが実情だ。 <br />
<br />
小野寺氏は講演で「野党の一党首が不適切な発言を繰り返した。そのような発言や歴史認識にくみしない」と述べたが、他人ごとで済ます話ではない。歴史認識をめぐっては、首相自身の発言が不信を招いた。<br />
<br />
閣僚らが靖国神社を参拝したことで中国と韓国が反発すると、「どんな脅かしにも屈しない」と言い切った。植民地支配と侵略へのおわびと反省を示した村山談話について「そのまま継承しているわけではない」と発言。批判を浴びると、継承の明言に転じた。 <br />
<br />
歴史をめぐる安倍政権の「価値観」とは何か、どこに向かうのか。その見えにくさが「右傾化」批判を招く一因だろう。歴史発言に始まる負の連鎖の果てに、近隣国とのつき合いを損ねてしまう。そんな安倍外交の不手際には、首相がもっとも重んじる同盟相手の米国からも困惑の声が寄せられている。 <br />
<br />
各国の懸念を「誤解」と弁明するならば、行動でみせるしかない。とくに中国、韓国との冷えた関係を解きほぐし、建設的な対話につなげる糸口にしてもらいたい。 <br />
<br />
小野寺氏は、防衛費の増額などについて「地域の安定へ、より能動的、創造的な貢献を目的としたものだ」と説明した。<br />
<br />
ならば、海洋、宇宙、サイバー空間のルールづくりといった21世紀型の安保問題への取り組みも、隣国と積極的に論議してはどうか。 <br />
<br />
後ろ向きの弁明から脱却し、アジアの安定への道筋を率直に提案する新しい日本の姿を見せる。それが「軍国化日本」の否定にもつながるだろう。<br />
<br />
=== 解釈変更を「暴挙」と報じる朝日と東京。感情論、見透かされる扇動 ===<br />
[[安倍内閣]]による[[集団的自衛権]]の行使容認をめぐる議論で目立ったのは、これに反対するメディアの感情的で恣意的な報道ぶりだった。2014年7月2日付の在京各紙の社説を見ると、朝日新聞と東京新聞が今回の閣議決定について、それぞれ次のように「暴挙」と断じていた。<br />
<br />
「この暴挙を超えて」(朝日)「9条破棄に等しい暴挙」(東京)<br />
<br />
この中で朝日は「[[民主主義]]が、こうもあっさり踏みにじられるものか」と嘆き、東京は「憲政史上に汚点を残す暴挙だ」と決めつけた。ともに、行使容認には憲法改正が必要だとの立場を取っている。<br />
<br />
だが、[[憲法9条]]に関する政府解釈は、国際情勢の変化に伴い変遷してきたのが事実だ。<br />
<br />
例えば、[[吉田茂]]首相(当時)は[[昭和21年]]6月、国会で「自衛権発動としての戦争も交戦権も放棄した」と答弁している。その後、[[昭和29年]]7月に[[自衛隊]]が創設され、同年12月には[[大村清一]]防衛庁長官(同)が国会で「国土を防衛する手段として武力を行使することは、憲法に違反しない」と述べ、政府解釈を大きく転換した。もちろん、別に憲法は改正されていない。<br />
<br />
両紙は2013年12月、[[特定秘密保護法]]が成立した際の社説でも「憲法を骨抜きにする愚挙」(朝日)「民主主義を取り戻せ」(東京)と厳しい論調で政権を非難していた。<br />
<br />
とはいえ、こうした国民の不安と危機感をあおり、世論を動かして自社の主張に政府を従わせようという手法は、もう見透かされているのではないか。<br />
<br />
朝日は[[第1次安倍内閣]]時代の[[平成18年]]12月に、[[改正教育基本法]]と防衛庁「省」昇格法が成立したときの社説「『戦後』がまた変わった」ではこう記した。<br />
<br />
「長く続いてきた戦後の体制が変わる。日本はこの先、どこへ行くのだろうか」「戦後日本が変わる転換点だった。後悔とともに、そう振り返ることにならなければいいのだが」<br />
<br />
東京もこのときの社説「行く先は未来か過去か」で朝日とそっくりな論調でこう訴えていた。<br />
<br />
「悔いを残す思い出としないために、時代と教育に関心をもち続けたい」<br />
<br />
まるで教育基本法改正で日本が暗黒社会に向かうか、戦前に回帰するかのような書きぶりだが、現実は当然のことながらそうはならなかった。そして同様の根拠の薄い感情論を、特定秘密保護法のときも今回の集団的自衛権をめぐっても繰り返しているのだ。<br />
<br />
集団的自衛権に関しては、両紙はこんな手法も駆使している。6月24日、[[安倍晋三]]首相と[[フィリピン]]のアキノ大統領が会談した際のことだ。アキノ氏は共同記者会見で、日本の憲法解釈の見直し方針についてこう歓迎の意向を表明した。<br />
<br />
「日本政府が能力を持って他者を救援することになることは必ずやメリットのあることだ。特に集団的自衛権という分野においてはそうではないか」<br />
<br />
「それに対して警戒の念を抱くことは、私どもは全く思っていない」<br />
<br />
[[産経新聞]]、[[読売新聞]]、[[毎日新聞]]、[[日経新聞]]は翌25日付朝刊で、アキノ氏の行使容認支持について濃淡はあっても報じている。<br />
<br />
ところが、朝日は「安全保障面で日比両国の連携を強化していくことで一致」とは書いたものの、アキノ氏の行使容認支持については触れていない。東京には日比首脳会談の記事自体が見当たらなかった。社論に都合が悪いので省いたとみられても仕方あるまい。<br />
<br />
「日米同盟はこれまでと次元の異なる領域に入る。そのうち中国も『日本ともちゃんとうまくやりたい』と頭を下げてくるだろう」<br />
<br />
今回の[[閣議決定]]を受け、ある[[外務省]]幹部はこう指摘した。主義・主張は各紙の自由だが、朝日、東京両紙ではこういう見解はまず読めない。<br />
<br />
=== 【世論操作】集団的自衛権、行動容認反対63%・・・ 実は中国・韓国での調査だった ===<br />
集団的自衛権、行使容認反対63%に増 朝日新聞調査 2014年4月6日<br />
<br />
http://www.asahi.com/articles/ASG3L72L6G3LUZPS007.html<br />
<br />
[[安倍政権]]が[[集団的自衛権]]の行使容認に向けた姿勢を強めるなか、朝日新聞社は憲法に関する全国郵送世論調査を行い、有権者の意識を探った。それによると、集団的自衛権について「行使できない立場を維持する」が昨年の調査の56%から63%に増え、「行使できるようにする」の29%を大きく上回った。憲法9条を「変えない方がよい」も増えるなど、平和志向がのきなみ高まっている。<br />
<br />
安倍内閣支持層や自民支持層でも「行使できない立場を維持する」が5割強で多数を占めている。<br />
<br />
安倍晋三首相は政府による憲法解釈の変更で行使容認に踏み切ろうとしているが、行使容認層でも「憲法を変えなければならない」の56%が「政府の解釈を変更するだけでよい」の40%より多かった。首相に同意する人は回答者全体で12%しかいないことになる。<br />
<br />
_________<br />
<br />
(ここからは登録した者しか閲覧不可能)(そして登録して見てみると・・・最後にこんな一文が)<br />
<br />
調査は日本と中国で2~3月、韓国で2月に行い、中国調査は主要5都市で実施した。有効回答は日本2045件、中国1千人、韓国1009人。<br />
<br />
(回答の半分が中国と韓国での物です)(しかし目次にも、未登録で見られるページにも、その事は一切書かれていません)<br />
<br />
=== 朝日新聞「中国と韓国の機嫌を損ねるな!」 ===<br />
集団的自衛権行使容認の閣議決定([[2014年]][[7月1日]])を受け、2日付新聞各紙には大見出しが躍った。<br />
<br />
なかでも[[産経新聞]]は「『積極的平和』へ大転換」という大見出しでその歴史的意義を強調。中見出しで「今後50年日本は安全だ」という首相発言を掲げた。対照的に[[朝日新聞]]は1面で「9条崩す解釈改憲」、2面で「ねじ曲げられた憲法解釈」、3面で「危険はらむ軍事優先」という見出しを打ち、日本が戦争に巻き込まれる危険性を警告した。<br />
<br />
産経は集団的自衛権行使容認によって戦後日本の国の守りがあるべき国家の姿に近づいたと評価。政治家も国民も共に考え、日本がより主体性をもって判断すべき時代を迎えたという。朝日は戦後日本が築いてきた民主主義が踏みにじられるとの懸念を示した。この政権の暴挙をはね返すには国会論戦だけでなく、メディアを含めた草の根の異議申し立てが必要だとした。<br />
<br />
こうした両紙論調のコントラストはこれが初めてではない。[[慰安婦問題]]の「[[河野談話]]」を検証した政府報告書(2014年6月20日公表)でも顕著だ。<br />
<br />
産経は河野談話が「日韓合作」だったという特ダネをすでに報じていただけに「根拠のない談話により日本の名誉は著しく傷つけられている。談話は破棄、撤回を含め見直さなければならない」と断じた。一方、朝日はもともとこの問題の火元であるせいか、元慰安婦たちの救済を重視すると同時に、韓国政府の猛反発を懸念。「もう談話に疑義をはさむのはやめるべきだ」と幕引きを主張している。<br />
<br />
集団的自衛権や河野談話について両紙の論調に違いがあることは別に問題ではない。それぞれ社の方針に沿った主張があっていい。その違いが安倍晋三首相の政治信条や国家観に対する評価の違い、ないしは日米同盟、日中韓関係に対する評価の違いに起因していることは間違いない。<br />
<br />
保守を自任する産経がナショナリストと評される安倍首相の肩を持ち、中国の東アジア地域での急台頭を牽制する日米同盟強化を支持するのは当然だ。逆にリベラルを自任する朝日が安倍首相の「戦後レジームの転換」を批判、どちらかといえば反米、親中に傾くのも不思議ではない。両紙論調が併存していることはむしろ日本の言論界の健全性を物語るともいえよう。<br />
<br />
いま日本の言論界に求められているのはその健全性よりも平和国家日本のビジョンを語ることだ。歴史の教訓を踏まえ過去の過ちを繰り返すことなく未来志向の展望を切り開くことだ。戦争の危険性をいくら論じたところで戦争は防げない。戦争をいかにして防ぐか。その知恵を絞るのに保守もリベラルもない。<br />
<br />
=== 道徳教材の『日本人としての自覚』『我が国を愛し発展に努める』といった記述。食事中に砂粒をかんだような感じがする ===<br />
★天声人語 <br />
<br />
世の中にたえて花粉のなかりせば、とつぶやく。列島が黄や赤の花粉情報に染まっていくのを見ると、かゆい目がますますむずがゆい。アレルギーと呼ばれるこの症状、何かを「異物」として排除する免疫の過剰な働きらしい<br />
<br />
▼いわばけんかである。迷惑だが、花粉も免疫もそれぞれ大切な役目があって、両成敗ともいかない。どうか仲良く、と願いつつ、このほど公開された道徳教材を開くと、「ともだちとなかよく」。低学年用の本にあった<br />
<br />
▼いじめ防止が狙いの一つで、来月、全国の小中学生が手にする。共に生きる大切さを教え、命の尊重を説く。異論はない。ただ「日本人としての自覚」「我が国を愛し発展に努める」といった記述に、ふと立ち止まる。食事中に砂粒をかんだような感じがする<br />
<br />
=== 猛然と走って逃げた朝日新聞「慰安婦」記者(2014年1月) ===<br />
東京都知事選だが、早くも趨勢は決したようだ。『[[週刊新潮]]』のタイトルが「勝者は一目瞭然の『世論調査』生データ公開」。<br />
<br />
[[自民党]]、[[民主党]]、ある通信社と新聞社、どの世論調査でも[[舛添要一]]候補がダブルスコアで優勢との結果が出ているという。一例を挙げると自民党が1月25、26日に行った3回目の調査。舛添氏が41ポイント、細川氏は17ポイントだった。一向にその差は詰まりそうにない。<br />
<br />
[[細川護煕]]候補の“即原発ゼロ”に関して[[京大]]大学院の[[佐伯啓思]]教授はこう斬って捨てる。「あれは一種の非現実的な理想主義」「細川さんが落選すれば、それは安倍政権にとって、敵がオウンゴールしたようなものです。夏にも行なわれる原発再稼働に向けて、この都知事選の結果が後押ししてくれるのではないでしょうか」<br />
<br />
やっぱり、殿は“御乱心”だったと言うべきだろう(この場合の“殿”は[[小泉純一郎]]元総理も含む)。<br />
<br />
このところ精力的に[[韓国]]批判を続けている『[[週刊文春]]』はワイド型式で「韓国の『暗部』を撃て!」。なかでも注目は「“[[慰安婦]]捏造”朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に」。<br />
<br />
日本軍による慰安婦強制連行があったとする一連の記事を書いた[[植村隆]]記者が今年3月で朝日を早期退社、神戸松蔭女子学院大学の教授になるのだという。<br />
<br />
「大学で研究活動に入る前に自らの誤報について検証すべきではないか」「記者だったら、自分が書いた記事ぐらいきちんと説明してもらえませんか」<br />
<br />
文春記者の呼びかけに、その男は五十過ぎとは思えないほどの勢いで猛然と走り出し、タクシーに乗って逃げたという。こんな記者が、女子大でいったい何を教えることやら。<br />
<br />
'''当事者も否定した「日本軍連行」報道、日本外交歪めた元朝日記者は今も沈黙'''<br/><br />
[[平成4年]][[1月16日]]からの首相、[[宮沢喜一]]の韓国訪問直前のことだった。<br />
<br />
「朝日新聞が、慰安婦問題で政府の関与を示す資料を[[中央大]]教授、[[吉見義明]]が発見したと報じたことで、政府内は蜂の巣をつついたような大騒ぎとなった」<br />
<br />
慰安婦募集の強制性を認めた翌5年8月の[[官房長官]]、[[河野洋平]]の談話作成に関わった内閣外政審議室の元幹部はこう振り返る。そして「一連の流れをみると意図的な動きを感じる」と付け加えた。一連の流れとは、次のようなものだ。<br />
<br />
[[平成3年]]12月に、韓国の民間団体「太平洋戦争犠牲者遺族会」を母体とし、弁護士の[[高木健一]]、[[福島瑞穂]]([[社民党]]前党首)らが弁護人となって韓国人元慰安婦、金学順らが日本政府を相手取り損害賠償訴訟を起こす。<br />
<br />
朝日新聞はそれに先立つ同年8月11日付朝刊の[[植村隆]]の署名記事「元朝鮮人慰安婦 戦後半世紀重い口を開く」で、こう書いていた。<br />
<br />
「日中戦争や第二次大戦の際、『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり、(中略)体験をひた隠しにしてきた彼女らの重い口が、戦後半世紀近く経って、やっと開き始めた」<br />
<br />
大きな反響を呼んだ記事ではこの女性は匿名となっているが、実は[[金学順]]だった。金が女子挺身隊の名で連行された事実はない。裁判の訴状で金は「[[キーセン]](朝鮮半島の芸妓・娼婦)学校に3年通った後、養父に連れられて中国に渡った」と述べている。<br />
<br />
記者会見やインタビューでは「母に40円でキーセンに売られた」とも語っており、植村の記事は歪曲だといえる。その上、植村は[[太平洋戦争]]犠牲者遺族会の幹部の娘婿でもあった。<br />
<br />
そして冒頭の外政審議室元幹部の証言通り、朝日は宮沢訪韓5日前の4年1月11日付朝刊1面トップで、次の6本もの見出しを立てた特大記事を掲載する。<br />
<br />
「慰安所 軍関与示す資料」「防衛庁図書館に旧日本軍の通達・日誌」「部隊に設置指示」「募集含め統制・監督」「『民間任せ』政府見解揺らぐ」「参謀長名で、次官印も」<br />
<br />
記事本文とは別に「多くは朝鮮人女性」という解説記事もあり、「約八割が朝鮮人女性だったといわれる」「主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した」「人数は8万とも20万ともいわれる」と、いずれも事実と異なる根拠不明の説明を加えている。<br />
<br />
だが、吉見が発見したという「軍慰安所従業婦等募集に関する件」という文書は実際には「軍の威信を傷つけかつ一般市民の誤解を招くおそれあるもの」「不統制に募集し社会問題を惹起する恐れあるもの」「募集の方法、誘拐に類し警察当局に検挙取り調べ受けるもの」など、悪質な業者には気をつけろという通達だ。<br />
<br />
少なくとも、強制連行とは何の関係もない。現代史家の[[秦郁彦]]は「もともと明らかになっていた文書で、朝日の記事が出る2週間ほど前に会った吉見は『近々この資料が朝日で出る』と言っていた。朝日は宮沢訪韓のタイミングを狙ったのだろう」と振り返る。<br />
<br />
宮沢内閣は事実関係の確認・検証より事態の沈静化を優先させた。官房長官、[[加藤紘一]]は2日後の13日の記者会見で「事実を厳粛に受け止めたい」「このような過ちを決して繰り返してはいけない」と謝罪談話を発表した。<br />
<br />
16日に訪韓した宮沢は大統領、[[盧泰愚]]との会談で「肝に銘じている」「衷心よりおわびし、反省したい」と8回にわたり謝罪し、慰安婦問題の調査と真相究明を約束した。<br />
<br />
まず「謝罪ありき」であり、この姿勢が河野談話へとつながっていく。植村が現在勤務する[[札幌市]]内の[[北星学園大学]]に取材を申し込んだが回答はなかった。<br />
<br />
朝日新聞広報部は「一連の記事は今もなお正しい報道だと認識するか」との質問に対し、次のような回答を寄せた。<br />
<br />
「従軍慰安婦問題は最初から明確な全体像が判明したという性格の問題ではありません。お尋ねの記事は、そのような全体像が明らかになっていく過程のものです。当社はその後の報道の中で、全体像を伝える努力を続けています」<br />
<br />
「全体像」が何を指すかは不明だが、慰安婦問題は朝日があおりたてた結果、国際問題化したことに変わりはない。なかでも朝日が作り上げた“事実”を利用したのが北朝鮮だった。<br />
<br />
'''元朝日ソウル特派員「日本人が無理やり娘をさらったら暴動が起きましたよ」'''<br/><br />
慰安婦問題が過熱した1990年代初め、朝日新聞ソウル特派員として[[前川惠司]](現在は退社しジャーナリスト)は、韓国内で元慰安婦らに取材した。日本にいたときも「韓国・[[済州島]]で奴隷狩りをした」との虚偽の強制連行証言をし、朝日が繰り返し取り上げてきた[[吉田清治]]とも会った。<br />
<br />
「確か80年に川崎支局で『韓国・朝鮮人』という続き物をやっていたころ、吉田が『自分の話を聞いてほしい』と支局に電話をかけてきた。彼の自宅に行って3、4時間ぐらい話を聞いたが、(核心部分の)済州島の話はまったくでなかった。尋ねるたびに話のつじつまが合わなくなるので結局、多くは書かなかった」<br />
<br />
こう語る前川は、元韓国人慰安婦にインタビューし、「女子挺身隊」の名で慰安婦が戦場に連行されたと、事実をねじ曲げて伝えた朝日新聞[[平成3年]][[8月11日]]付朝刊の[[植村隆]](2014年3月退社、北星学園大学講師)の署名記事についても首をひねる。<br />
<br />
「『勘違いしているな』と直感し、すぐに訂正がでるだろうと思った」<br />
<br />
挺身隊が慰安婦と異なるのは、少しでも戦時下の日本について調べればすぐ分かる常識だったからだ。<br />
<br />
前川はこの4月、ソウル時代に元慰安婦を取材したエピソードを「戦場の慰安婦哀譚昨今」(亜細亜大学アジア研究所所報第154号)と題したエッセーにつづった。そこから浮かび上がるのは、元慰安婦の女性らが支援団体らの主義主張に「利用」されているという一面だ。<br />
<br />
エッセーには、前川のこんな忘れられない光景が記されている。<br />
<br />
[[1993年]]11月、当時の首相、[[細川護煕]]と韓国大統領、[[金泳三]]による首脳会談が韓国の慶州で行われたときのことだ。元慰安婦を支援する韓国の団体が、元慰安婦ら十数人を中心としたデモを展開した。<br />
<br />
厳しい寒さの中、元慰安婦らは、薄い生地の白いチマジョゴリで、傘もささず雨の中を歩かされていた。時折、デモの指導者のかけ声に合わせ、「日本は補償しろ」と叫んではいたものの、顔面は蒼白だった。前川が「おばあさんたちが風邪をひいてしまう」と案じていると、その目の前で1人が倒れてしまった。<br />
<br />
「これが[[人権屋|人権団体]]のやることか」<br />
<br />
前川は憤りを禁じ得なかった。ほかにも、こんなエピソードが記されている。<br />
<br />
別の集会では、元慰安婦らは「『今度、[[国連]]に訴えたので、もらえるお金もうんと増えるといわれたの。本当かしら』と、嬉しそうに顔をくしゃくしゃにし、金を得たら、これを買う、あれを買うと皮算用を膨らませていた」。<br />
<br />
前川が当時韓国で、元軍人、大学教授から友人の母親まで、つてを総動員して60歳以上の人々に「日本兵や日本の警察官に無理やり連れていかれた娘がいたか。そんな噂を聞いたことがあるか」と尋ねて回っても「ある」とうなずいた人は皆無だった。逆にある人は「無理やり娘を日本人がさらったりしたら、暴動が起きましたよ」と言った。<br />
<br />
「あのころのおばあさんたちは、苦しい生活のなかで、名乗り出ればお金がもらえるんだと、単純に考えていた印象です。素朴なおばあさんたちでしたから」<br />
<br />
こう振り返る前川は、少女の慰安婦像まで用いて「元慰安婦イコール性奴隷」との表現が盛んになされている現状に大きな違和感を抱いている。<br />
<br />
「そこまで朝鮮半島の女性を侮辱する言葉が、[[李朝時代]]を含めてあっただろうか。自分たちの民族の女性が公然と『性奴隷』と貶められて、侮辱を感じないのだろうか」<br />
<br />
前川は疑問を投げかけ、エッセーをこう結んだ。<br />
<br />
「あちこちに従軍慰安婦像を建てようとしている人たちが、本当に貶めているのは誰なのか、気になってならない」<br />
<br />
'''「済州島で連行」吉田氏の証言。裏付け得られず虚偽と朝日が判断(2014年8月)'''<br/><br />
〈疑問〉日本の[[植民地]]だった朝鮮で戦争中、慰安婦にするため女性を暴力を使って無理やり連れ出したと著書や集会で証言した男性がいました。 朝日新聞は80年代から90年代初めに記事で男性を取り上げましたが、証言は虚偽という指摘があります。 <br />
<br />
慰安婦問題を考える <br />
<br />
男性は[[吉田清治]]氏。著書などでは日雇い労働者らを統制する組織である山口県労務報国会下関支部で動員部長をしていたと語っていた。 朝日新聞は吉田氏について確認できただけで16回、記事にした。初掲載は[[1982年]][[9月2日]]の大阪本社版朝刊社会面。<br />
<br />
大阪市内での講演内容として「[[済州島]]で200人の若い朝鮮人女性を『狩り出した』」と報じた。執筆した大阪社会部の記者(66)は「講演での話の内容は具体的かつ詳細で全く疑わなかった」と話す。<br />
<br />
1990年代初め、'''他の新聞社も'''集会などで証言する吉田氏を記事で取り上げていた。<br />
<br />
[[1992年]][[4月30日]]、[[産経新聞]]は朝刊で、[[秦郁彦]]氏による済州島での調査結果を元に証言に疑問を投げかける記事を掲載。週刊誌も「『創作』の疑い」と報じ始めた。 東京社会部の記者(53)は産経新聞の記事の掲載直後、デスクの指示で吉田氏に会い、裏付けのための関係者の紹介やデータ提供を要請したが拒まれた。<br />
<br />
[[1997年]][[3月31日]]の特集記事のための取材の際、吉田氏は東京社会部記者(57)との面会を拒否。虚偽ではないかという報道があることを電話で問うと「体験をそのまま書いた」と答えた。済州島でも取材し裏付けは得られなかったが、吉田氏の証言が虚偽だという確証がなかったため、「真偽は確認できない」と表記した。その後、朝日新聞は吉田氏を取り上げていない。<br />
<br />
しかし、[[自民党]]の[[安倍晋三]]総裁が[[2012年]]11月の日本記者クラブ主催の党首討論会で「朝日新聞の誤報による吉田清治という詐欺師のような男がつくった本がまるで事実かのように日本中に伝わって問題が大きくなった」と発言。一部の新聞や雑誌が朝日新聞批判を繰り返している。 <br />
<br />
今年4~5月、済州島内で70代後半~90代の計約40人に話を聞いたが、強制連行したという吉田氏の記述を裏付ける証言は得られなかった。<br />
<br />
干し魚の製造工場から数十人の女性を連れ去ったとされる北西部の町。魚を扱う工場は村で一つしかなく、経営に携わった地元男性(故人)の息子は「作っていたのは缶詰のみ。父から女性従業員が連れ去られたという話は聞いたことがない」と語った。<br />
<br />
「かやぶき」と記された工場の屋根は、韓国の当時の水産事業を研究する[[立命館大]]の河原典史教授(歴史地理学)が入手した当時の様子を記録した映像資料によると、トタンぶきとかわらぶきだった。[[1993年]]6月に、吉田氏の著書をもとに済州島を調べたという韓国挺身隊研究所元研究員の姜貞淑(カンジョンスク)さんは「数カ所でそれぞれ数人の老人から話を聞いたが、記述にあるような証言は出なかった」と語った。<br />
<br />
吉田氏は著書で、[[1943年]]5月に西部軍の動員命令で済州島に行き、その命令書の中身を記したものが妻(故人)の日記に残っていると書いていた。しかし、今回、吉田氏の長男(64)に取材したところ、妻は日記をつけていなかったことがわかった。吉田氏は[[2000年]]7月に死去したという。<br />
<br />
吉田氏は[[1993年]]5月、[[吉見義明]]・[[中央大]]教授らと面会した際、「(強制連行した)日時や場所を変えた場合もある」と説明した上、 <br />
動員命令書を写した日記の提示も拒んだといい、吉見氏は「証言としては使えないと確認するしかなかった」と指摘している。<br />
<br />
戦時中の[[朝鮮半島]]の動員に詳しい[[外村大]]・[[東京大]]准教授は、吉田氏が所属していたという労務報国会は[[厚生省]]と[[内務省]]の指示で作られた組織だとし、「指揮系統からして軍が動員命令を出すことも、職員が直接朝鮮に出向くことも考えづらい」と話す。<br />
<br />
吉田氏はまた、強制連行したとする[[1943年]]5月当時、済州島は「陸軍部隊本部」が「軍政を敷いていた」と説明していた。この点について、[[永井和]]・[[京都大]]教授(日本近現代史)は旧陸軍の資料から、済州島に陸軍の大部隊が集結するのは[[1945年]]4月以降だと指摘。「記述内容は事実とは考えられない」と話した。<br />
<br />
■読者のみなさまへ<br />
<br />
吉田氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します。<br />
<br />
当時、虚偽の証言を見抜けませんでした。済州島を再取材しましたが、証言を裏付ける話は得られませんでした。研究者への取材でも証言の核心部分についての矛盾がいくつも明らかになりました。<br />
<br />
'''門田隆将・従軍慰安婦「記事取り消し」でも開き直った朝日新聞'''<br/><br />
本日(8月5日)紙面で朝日新聞が、突如、従軍慰安婦の大特集を組んだ。しかし、まるで子どものようなひとりよがりの記事に、私は絶句してしまった。“僕だけじゃないもん!”――そんな駄々っ子のような理屈に、言葉を失った読者は多いのではないだろうか。<br />
<br />
「この記事は、本当に朝日が従軍慰安婦報道を反省し、撤回したものなのか」。私は、本日の朝日新聞の大特集を読みすすめながら、そう思った。「これは、逆に火に油をそそぐものかもしれない」と。<br />
<br />
従軍慰安婦問題とは、朝日新聞が一貫して報じてきた「強制連行問題」にある。あの貧困の時代、さまざまな事情で、春を鬻(ひさ)ぐ商売についていた薄幸な女性たちが数多く存在した。そういう商売が「公娼制度」として現に認められていた、今とは全く異なる時代のことである。<br />
<br />
彼女たちは当時の兵士の給料の30倍という「月収300圓」を保証されて慰安婦となった女性たちである。新聞に大々的に業者による「慰安婦募集」の広告が打たれ、その末に集まった女性たちだ。なかには親に売り飛ばされた女性もいただろう。彼女たちの不幸な身の上には、大いに同情しなければならないと思う。<br />
<br />
だが、これが、無理やり日本軍、あるいは日本の[[官憲]]によって「強制連行された」となれば、まったく様相は異なる。それを主張してきたのが、ほかならぬ朝日新聞である。<br />
<br />
「強制連行」とは、すなわち、従軍慰安婦たちは日本によって「拉致」「監禁」「強姦」された被害者だった、という意味である。意思に反して連行されたのなら「拉致」であり、無理やり慰安所に閉じ込められたのなら「監禁」であり、望まない性交渉を強いられたのなら、それは「強姦」であるからだ。<br />
<br />
現在、韓国が主張し、世界中に広まっている日本による「従軍慰安婦=性奴隷(sex slaves)」という論拠は、まさにそこにある。その結果、今や世界各地に日本糾弾のための「慰安婦像」が建ち、さまざまな議会で日本非難の決議がなされ、日本の若者の国際進出に対する大きな「障壁」となっているのは、周知の通りだ。<br />
<br />
言いかえれば、韓国と歩を一にして、「日本を貶めつづけた」存在が朝日新聞にほかならない。私はそのことに対して、どの程度の真摯な反省が記述されているのか、今日の記事を読みすすめた。まず第1面に〈編集担当 [[杉浦信之]]〉という署名で書かれた〈慰安婦問題の本質 直視を〉と冠する記事には、こう書かれている。<br />
<br />
〈私たちは元慰安婦の証言や数少ない資料をもとに記事を書き続けました。そうして報じた記事の一部に、事実関係の誤りがあったことが分かりました。問題の全体像がわからない段階で起きた誤りですが、裏付け取材が不十分だった点は反省します〉<br />
<br />
私は、これは朝日新聞が真摯な反省をするのかと思い、期待した。しかし、それはすぐに失望に転じた。それは、次のくだりである。信じられない朝日独特の論理がそこには展開されていた。<br />
<br />
〈似たような誤りは当時、国内の他のメディアや韓国メディアの記事にもありました。こうした一部の不正確な報道が、慰安婦問題の理解を混乱させている、との指摘もあります。しかし、そのことを理由とした「慰安婦問題は捏造」という主張や「元慰安婦に謝る理由はない」といった議論には決して同意できません。<br />
<br />
被害者を「売春婦」などとおとしめることで自国の名誉を守ろうとする一部の論調が、日韓両国のナショナリズムを刺激し、問題をこじらせる原因を作っているからです。見たくない過去から目を背け、感情的対立をあおる内向きの言論が広がっていることを危惧します。<br />
<br />
戦時中、日本軍兵士らの性の相手を強いられた女性がいた事実を消すことはできません。慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質なのです〉<br />
<br />
「えっ?それはないだろう」。<br />
<br />
この言い分を読んで納得する人がどれだけいるだろうか。ここにこそ、朝日新聞特有の巧妙な論理の“すりかえ”がある。<br />
<br />
彼女たちが薄幸な女性たちであることは、もとより当然のことである。貧困のために、心ならずも身を売らなければならなかった不幸な女性たちに、今も多くの人々が同情している。私もその一人だ。<br />
<br />
しかし、朝日新聞は、彼女たちが自分たちの意思に反して無理やり「日本軍や日本の官憲」によって、「戦場に連行」された存在だった、としてきたのである。だからこそ、日本は「拉致」「監禁」「強姦」国家である、という汚名を着せられているのだ。<br />
<br />
その根拠なき「強制連行」報道を反省すべき朝日新聞が、〈「慰安婦問題は捏造」という主張や「元慰安婦に謝る理由はない」といった議論には決して同意できません〉と、改めて主張したのである。<br />
<br />
これは、一部勢力の過激な「従軍慰安婦論」を持ち出すことによって、自分自身を“善”なる立場に持ち上げて「擁護」し、自らの「正当性」を訴えているのだ。これは一体、何なのだろうか。<br />
<br />
さらに、この記事は、問題の本質をこう捻じ曲げている。〈戦時中、日本軍兵士らの性の相手を強いられた女性がいた事実を消すことはできません。慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質なのです〉<br />
<br />
この手前勝手な論理に、私は言葉を失ってしまった。〈問題の本質〉とは、朝日新聞が“虚偽の証言者”を引っ張ってくることによって、歴史の真実を捻じ曲げ、従軍慰安婦のありもしない「強制連行問題」をつくり上げたことではなかったのだろうか。<br />
<br />
そして、そのことによって、日本人が将来にわたって拭い難い汚名を着させられ、国際社会で「性奴隷を弄んだ日本人」として、謂われなき糾弾を受けていることではないのだろうか。<br />
<br />
私が、「こんなひどい論理が許されるのだろうか」と思う所以である。私は記事を読みすすめた。1面で開き直りの宣言をおこなった朝日新聞は、今度は16面、17面をブチ抜いて、〈慰安婦問題 どう伝えたか 読者の疑問に答えます〉という記事を掲げている。<br />
<br />
ここでは、5つの事象で、読者に対して「説明」をおこなっている。しかし、その5つの説明は、どれも納得しがたい論理が展開されている。特に驚くのは、肝心の「強制連行」に関するものだ。そこには、こう書かれている。<br />
<br />
〈読者のみなさまへ 日本の植民地だった朝鮮や台湾では、軍の意向を受けた業者が「良い仕事がある」などとだまして多くの女性を集めることができ、軍などが組織的に人さらいのように連行した資料は見つかっていません。一方、[[インドネシア]]など日本軍の占領下にあった地域では、軍が現地の女性を無理やり連行したことを示す資料が確認されています。共通するのは、女性たちが本人の意に反して慰安婦にされる強制性があったことです〉<br />
<br />
すなわち〈軍などが組織的に人さらいのように連行した資料は見つかっていません〉と、このことでの誤りを認めたのかと思ったら、〈軍の意向を受けた業者が「良い仕事がある」などとだまして多くの女性を集めること〉ができた、さらに〈インドネシアなど日本軍の占領下にあった地域では、軍が現地の女性を無理やり連行したことを示す資料が確認されています〉と、逆に「強制連行はあった」という立場を鮮明にしたのである。<br />
<br />
ここでいう〈インドネシア〉の事例というのは、[[スマラン]]という場所で起きた日本軍によるオランダ女性に対する事件である。「強姦罪」等で首謀者が死刑になった恥ずべき性犯罪だが、この特定の犯罪をわざわざ持ち出してきて、これを朝日新聞は強制連行の“実例”としたわけである。<br />
<br />
まさに開き直りである。結局、読みすすめていくと、朝日新聞は、韓国・済州島で「慰安婦狩りをした」という衝撃的な告白をおこなった自称・元山口県労務報国会下関支部動員部長、吉田清治氏の発言を繰り返し報道したことに対してだけ〈虚偽だと判断し、記事を取り消します〉としたのである。<br />
<br />
また、戦時中の勤労奉仕団体である「女子挺身隊」を、まったく関係のない慰安婦と混同して、記事を掲載したことに関しては、〈当時は、慰安婦問題に関する研究が進んでおらず、記者が参考にした資料などにも慰安婦と挺身隊の混同がみられたことから、誤用しました〉と言い訳しながら、しぶしぶ間違いを認めている。<br />
<br />
驚くのは、この検証記事のなかで、ほかの新聞も吉田清治氏の証言を取り上げていたと、わざわざ各新聞社の名前を挙げて、各紙の広報部のコメントまで掲載していることだ。まるで、“(悪いのは)僕だけじゃないもん!”と、駄々っ子がゴネているような理屈なのである。<br />
<br />
さらに、朝日新聞は、元韓国人慰安婦、金学順氏の証言記事を書き、〈『女子挺身隊』の名で戦場に連行〉と、実際の金氏の経験とは異なった記事を書いた[[植村隆]]記者に関しては〈意図的な事実のねじ曲げなどはありません〉と擁護している。<br />
<br />
記事を書いた植村記者の妻が韓国人で、義母は当時の慰安婦訴訟の原告団幹部だったことは、今では広く知られている。そのことに対して、朝日はこう弁明しているのだ。<br />
<br />
〈91年8月の記事の取材のきっかけは、当時のソウル支局長からの情報提供でした。義母との縁戚関係を利用して特別な情報を得たことはありませんでした〉<br />
<br />
ソウル支局長の情報提供によって、大阪からわざわざ植村記者が「ソウルに飛んだ」ということを信じる人が果たしてどれだけいるのだろうか。情報提供したのが〈ソウル支局長〉なら、なぜ本人か、あるいはソウル支局の部下たちが金学順氏を取材し、記事を執筆しないのだろうか。大阪から、わざわざ“海外出張”までさせて、取材・執筆させる理由はどこにあったのだろうか。<br />
<br />
さらに言えば、植村記者は、なぜ金学順氏が妓生([[キーセン]])に売られていた話など、自らが主張したい「強制連行」に反する内容は書かなかったのだろうか。<br />
<br />
私は、朝日新聞の今回の従軍慰安婦の検証記事は、完全に“開き直り”であり、今後も肝心要の従軍慰安婦の「強制連行」問題では「一歩も引かない」という宣言であると思う。<br />
<br />
つまり、朝日新聞は、「日本が慰安婦を強制連行した」ということについては、まったく「譲っていない」のである。今日の記事で、従軍慰安婦問題が新たな段階に入ったことは間違いない。しかし、それは朝日新聞の“新たな闘い”の始まりに違いない。<br />
<br />
すなわち、どう検証しても「虚偽証言」が動かない吉田清治氏についての記事は「撤回する」が、そのほかでは「闘う」ということにほかならない。<br />
<br />
私は、不思議に思うことがある。<br />
<br />
それは、「朝日新聞は、どうしてここまで必死になって日本人を貶めたいのか」ということだ。<br />
<br />
歴史の真実を書くことはジャーナリズムの重要な使命であり、役割だ。しかし、朝日新聞は、「真実」が重要なのではなく、どんなことがあっても「日本は悪いんだ」と主張しつづけることの方が「根本にある」ような気がしてならない。<br />
<br />
なぜ、事実を捻じ曲げてまで、朝日新聞はそこまで「日本人を貶めたい」のだろうか。私はそのことが不思議だし、そんな新聞を今も多くの日本人がありがたく購読していることもまた、不思議でならない。<br />
<br />
従軍慰安婦問題で肝心要の「強制連行」を撤回しなかった朝日新聞――日本を貶めたいこのメディアへの風当たりは「一部記事の撤回」によって、今後、ますます激しくなっていくだろう。<br />
<br />
=== また問題のすり替えとごまかしか 朝日、再度の慰安婦特集記事(2014年8月) ===<br />
朝日新聞は28日付朝刊記事で、「[[河野談話]]、吉田証言に依拠せず」との見出しを取り、河野談話が作成されるに至ったことと、自社が執拗に吉田清治氏の「強制連行証言」を取り上げ、国内外に広めたこととは無関係だと印象付けようとしているようだ。その根拠の一つとして、朝日新聞は今回、こう指摘している。<br />
<br />
「(河野談話は)吉田氏が言うような『強制連行』ではなく、女性たちが自由意思を奪われた『強制性』を問題とした」<br />
<br />
朝日新聞は、5日付の特集記事でも「([[平成5年]]8月の談話発表時に)読売、毎日、産経の各紙は、河野談話は『強制連行』を認めたと報じたが、朝日新聞は『強制連行』を使わなかった」と主張した。だが、そこには朝日新聞が触れなかった点が隠されている。<br />
<br />
河野談話の主役である[[河野洋平]][[官房長官]](当時)が、談話発表の記者会見で「強制連行があったという認識なのか」と問われ、こう答えている部分だ。<br />
<br />
「そういう事実があったと。結構です」<br />
<br />
この河野氏自身が強制連行を認めたという事実は、朝日新聞の2度にわたる慰安婦特集記事からは抜け落ちている。政府が今年6月20日に公表した河野談話の作成過程を検証した報告書でも、河野発言は1章を設けて特記されているにもかかわらずだ。<br />
<br />
つまり、河野氏自身は強制連行があったことを前提に河野談話を主導したのだろう。その河野氏の認識に、朝日新聞のおびただしい慰安婦強制連行に関する報道が影響を及ぼさなかったとどうしていえよう。<br />
<br />
朝日新聞は、[[平成6年]]1月25日付朝刊の創刊115周年記念特集記事では「政治動かした調査報道」と題し、こう書いていた。<br />
<br />
「(慰安婦問題など)戦後補償問題に、朝日新聞の通信網は精力的に取り組み、その実像を発掘してきた」「(3年に)韓国から名乗り出た元慰安婦三人が個人補償を求めて東京地裁に提訴すると、その証言を詳しく紹介した。年明けには宮沢(喜一)首相(当時)が韓国を訪問して公式に謝罪し、国連人権委員会が取り上げるに至る」<br />
<br />
河野談話につながる一連の政治の動きに、自社が大きく関与してきたことを誇らしげに宣言している。<br />
<br />
また、朝日新聞は今回、「韓国、元慰安婦証言を重視」との見出しも取り、現役の韓国政府関係者と韓国元外交官の匿名証言をもとに、吉田証言と韓国での慰安婦問題の過熱はかかわりがないと言わんとしている。<br />
<br />
だが、韓国政府が[[1992年]](平成4年)7月に発表した「日帝下の軍隊慰安婦実態調査中間報告書」で、慰安婦動員の実態について「奴隷狩りのように連行」と書いた際の証拠資料とされたのは、吉田氏の著書であり吉田証言だった。<br />
<br />
朝日新聞の28日付特集の主見出しは「慰安婦問題 核心は変わらず」とある。<br />
<br />
5日付記事と照らし合わせると、大事なのは女性の人権の問題だと言いたいのだろう。とはいえ、この論理も、自社が積み重ねた誤報や歪曲報道を枝葉末節の問題へとすり替えたいのだと読み取れる。<br />
<br />
=== 慰安婦に関する嘘だらけの報道をタレ流し続けた朝日新聞。謝罪の言葉一つない、その傲慢体質に、愛想を尽かす人たちが続出 ===<br />
朝日新聞の罪と罰 [[川村二郎]](元「[[週刊朝日]]」編集長)×[[河内孝]](元[[毎日新聞]]常務) <br />
<br />
慰安婦に関する嘘だらけの報道をタレ流し続けた朝日新聞。国際社会における日本の信用を傷つけた罪は限りなく重いが、謝罪の言葉一つない。その傲慢体質に、愛想を尽かす人たちが続出している。 <br />
<br />
河内<br />
:8月5日付の朝日新聞による慰安婦報道の検証記事が、メディア界のみならず、全国民を巻き込んで大きな議論を呼んでいます。[[1980年代]]から[[1990年代]]にかけて、朝日新聞は「日本軍が強制的に慰安婦を狩り集めた」という内容の報道を行ってきました。<br />
:しかしその後、証言を行った[[吉田清治]]氏が話を作っていたことが判明しました。最初の誤報から30年以上もたった今になって、朝日は吉田証言に関する記事を誤報だと認めて、取り消すことになったのです。<br />
<br />
川村<br />
:朝日は最近になって他メディアからの追及が厳しくなって追いつめられ、詰め腹を切らされたという形でしょう。いかにもあわてて訂正しましたという感じで、みっともないですね。<br />
:とくに編集担当役員の[[杉浦信之]]氏が一面に書いた文章は読むに堪えませんでした。回りくどい自己弁護ばかりで、なにが言いたいのかさっぱり頭に入ってこない。こんなに歯切れの悪い文章を「記者の頭領」が書いてはいけません。<br />
<br />
河内<br />
:検証報道が出て数日して、新聞社のOBたちが集まる日比谷の日本記者クラブに行きました。すると年配の元記者たちが次から次へとやってきて、朝日の記事のコピーを取っていくんです。<br />
:それだけ業界関係者の関心が高く、話題になっているということがわかりましたが、もう一つ明らかになったことは「朝日新聞を自宅で取っている人がそれだけ少ない」ということですね……。<br />
<br />
川村<br />
:今回の記事が出てから、支局や販売店にまで抗議の電話がかかってきている。本社には[[右翼]]の[[街宣車]]が来るというので、ガードマンを増員したり、築地署に来てもらったりしている。さっさと謝ればすむことです。<br />
<br />
河内<br />
:今のタイミングで、検証に踏み切ったのは、経営判断もあると思う。朝日が深刻な部数減少に直面していることとも関係があるのでしょう。朝日の公称発行部数は760万部ですが、ここ十数年ずっと右肩下がりで、毎年のように10万部単位で部数を落としている。<br />
:慰安婦報道の問題を放置していると、朝日バッシングが過熱し、不買運動が広がる可能性もあった。それを懸念して、この時点で慰安婦問題とケリをつけようとしたのでしょう。 <br />
<br />
川村<br />
:しかし、これではとてもケリをつけられたとはいえないでしょう。[[東大]]出のエリートが中心の朝日は、ケンカの作法をわかっていませんね。<br />
:今回の検証記事は、吉田証言の他に、[[1991年]]に[[植村隆]]記者が書いた従軍慰安婦のインタビュー記事についても取り上げていますが、こちらについては「捏造はなかった」の一点張りです。<br />
:しかし今、自分がデスクの立場になったと想像してこの記事を読んでみると、明らかに取材不足の内容です。<br />
:取材が充分でなく、それが原因で反論や批判が寄せられたなら、取るべき態度は二つでしょう。徹底的に論戦をくり広げるか、潔く誤りを認めて謝罪するかです。<br />
:ところが朝日は、ひたすら嵐が去るのをやり過ごそうと逃げ回っている感じです。挙げ句の果てに「朝日以外の新聞も吉田証言を取り上げていました」などと、他紙にも責任を負わせようとしている。他も書いたから、自社の罪が軽くなるといわんばかりです。 <br />
:朝日は「慰安婦を雇ったのは日本だけではない」と発言した[[橋下徹]]・大阪市長を批判しましたが、同じ穴のムジナですよ。 <br />
<br />
河内<br />
:[[リベラル]]であることを自任している朝日は、すぐに「女性の人権」とか「戦争の悲惨さ」といった言葉を持ち出してきます。しかし、事の本質は「嘘つきの話を信じて、間違った記事を書いてしまった」という一点に尽きるんです。<br />
:朝日新聞は[[1989年]]に、[[サンゴ写真捏造事件]]というのを起こしています。朝日のカメラマンが自分で沖縄のサンゴに傷をつけて写真を撮り、日本人のモラル低下を嘆く内容の記事を書いたという事件で、当時の[[一柳東一郎]]社長は引責辞任に追い込まれました。<br />
:慰安婦報道は間違った歴史認識を日本人や韓国人をはじめ世界中の人々に植え付けて、いまなお続く不毛な反日運動を勢いづかせたという意味で、サンゴ事件よりずっと深刻な問題です。[[木村伊量]]社長の進退にかかわる話に発展してもおかしくありません。<br />
<br />
川村<br />
:私が「週刊朝日」の編集長を辞め、編集委員として朝日新聞に戻ったのは、ちょうど[[ベルリンの壁]]が崩壊した後で、左がかった編集委員たちが小難しい顔をして、「なぜ[[共産主義]]は敗北したのか」「冷戦後のジャーナリズムの役割とはなにか?」なんて大真面目に議論をしていた。<br />
:しかし、本当のジャーナリズムというのは、現場に行って、当事者や関係者の話を聞いて事実を集めることでしょう。[[イデオロギー]]が先に立って、それに合わせて取材して記事を書いているようでは、リベラルでもなんでもありませんよ。<br />
:私はリベラリズムとは「是々非々主義」だと思っています。思想信条や社会的立場のちがいを越えて、いいものはいい、悪いものは悪いと言うのが本当のリベラリズムです。今の朝日にはこういう気風が消えかけています。<br />
<br />
河内<br />
:戦後、「一億総ざんげ」をして再出発した日本人にとっては、「非核」と「非戦」というのが大きなアイデンティティになってきました。 <br />
:しかし、それは[[アメリカ]]の核の傘に守られている状況下での平和主義であり、根本的な矛盾がありました。そのようなねじれた非戦思想に寄り添ってきたのが朝日新聞なのかもしれません。<br />
:いずれにしてもアジアの融和を説く朝日の過失が、結果として日韓両国において偏狭な[[ナショナリズム]]を増長させることになってしまった。まさに皮肉としかいいようがありません。<br />
<br />
=== [[池田信夫]]「朝日新聞のねらいは『慰安婦』ではなく『国家賠償』だった」 ===<br />
朝日新聞の誤報事件を解明する上で重要なのは、なぜ彼らがこんなマイナーな数十人の(真偽も疑わしい)紛争に30年以上もこだわってきたのかという疑問だ。この口火を切ったのが、[[清田治史]]記者の書いた[[1982年]]9月の記事だ。<br />
<br />
[[朝鮮人]]男性の抵抗に備えるため、完全武装の日本兵十人が同行した。集落を見つけると、まず兵士が包囲する。続いて吉田さんの部下九人が一斉に突入する。若い女性の手をねじあげ路地にひきずり出す。こうして女性たちはつぎつぎにホロのついたトラックに押し込められた。連行の途中、兵士たちがホロの中に飛び込んで集団暴行した。<br />
<br />
ところが清田記者の[[1983年]]の記事では、慰安婦は消えている。彼の重点は、国家賠償にあった。当時は(男性の)強制連行が話題になり、韓国政府が日本政府に個人補償を要求していた。戦時中に日本に渡ってきた朝鮮人は100万人以上いたので、それにすべて個人補償すると巨額の費用が必要になる。<br />
<br />
国際法的には、賠償の問題は[[日韓基本条約]]で解決ずみだが、韓国政府は強制連行に「超法規的」な国家賠償を要求していた。その中では数十人の慰安婦はマイナーな問題だが、セックスがからむので男性の炭鉱労働より興味を引く。朝日はそれを利用して、韓国の「強制連行に個人補償しろ」という主張を応援したのだろう。<br />
<br />
[[高木健一]]・[[福島みずほ]]などの弁護士の目的も、個人補償の「1兆円訴訟」だった。法的には勝てる見込みはないが、弁護士手数料さえ <br />
取れればいいので、話をなるべく大きくして原告を増やすことが彼らの戦術だった。そのもくろみ通り、日本政府は1993年に河野談話を出し、アジア女性基金という「示談金」を出したが、これがかえって問題を長期化した。 <br />
<br />
このころまでに、産経などの報道で吉田証言が嘘だということがはっきりし、朝日は河野談話の記事では「強制連行」ではなく「強制」という言葉を使った。検証記事では、「東京社会部の記者(53)は[[産経新聞]]の記事の掲載直後、デスクの指示で吉田氏に会い、裏付けのための関係者の紹介やデータ提供を要請したが拒まれた」と書いている(この記者は[[市川速水]]報道局長だと思われる)。<br />
<br />
強制連行がないことがわかっても、朝日だけは「強制性」を根拠に国家賠償を求め続けた。彼らの目的は、政府から個人補償を取ろうとする[[梁順任]]などのたかり行為を応援することにあったからだ。もともと法的根拠はないのだから、強制連行だろうと強制だろうと、政府に責任が <br />
あればいい。 <br />
<br />
ところが、たかりの方便だった慰安婦問題だけがクローズアップされて韓国で「炎上」し、本丸だった(男性の)強制連行が吹っ飛んでしまった。数十人の慰安婦だけ金を取ってもしょうがないので、韓国側はアジア女性基金を拒否し、あくまでも国家賠償を求めた。この点で、日本政府が国家賠償を拒否したのは正解だった。朝日も清田氏が退職してからからは、国家賠償の主張を取り下げた。<br />
<br />
もともと国家賠償は国際法上も無理であり、日本は「示談」に応じたのだから、話は1993年で終わっている。それなのに国家賠償にこだわって撤退しなかったことが、朝日の最大の失敗だった。これは第一報を出した外報部の有力者、清田記者の利害がからんでいるものと思われる。 週刊文春の取材にも彼は答えないようだから、清田氏(もう朝日の社員ではない)を国会に喚問することが事態の解明に不可欠だ。<br />
<br />
=== 安倍首相「安倍政権打倒が朝日の社是だ」(2014年2月) ===<br />
「数カ月間行われてきた言辞が正しかったかどうか。3年後に自民党で検証していただければ極めて有意義だ」。<br />
<br />
[[安倍晋三]]首相は5日の[[参院予算委員会]]で、メディアの多くが[[特定秘密保護法]]への反対論を展開していることに強い不快感を示した。 <br />
<br />
[[自民党]]の[[脇雅史]]氏の質問に対し、首相は「飛んでいく(米海兵隊の新型輸送機)[[オスプレイ]]を[[写メール]]で撮り、友人に送ったら懲役5年という議論もあった」と指摘。<br />
<br />
「実際に誰かやって、そうなるか確かめてみたらいい。全くそんなことは起きない。言った人は責任を取っていただきたい」と発言した。<br />
<br />
さらに、朝日新聞の社名を挙げて「安倍政権打倒が朝日の社是だと聞いた。そういう新聞だと思って読んでいる」と言及した。<br />
<br />
=== 虐待担当の酔っ払い朝日記者が会見で県職員を“虐待”(2014年6月) ===<br />
虐待問題を取材していたはずなのに…。<br />
<br />
朝日新聞千葉総局の記者が、記者会見で大暴れしていた。5月20日に[[千葉県庁]]で行われた「千葉県社会福祉事業団問題等第三者検証委員会」の後に開かれた会見で、この記者は酔っ払った状態で出席。県職員に食って掛かるわ、机を叩くわなどして会見を台無しにした。その後、記者は謹慎したという。関係者は「虐待問題に関する会見で記者が県職員を“虐待”するなんて…」とあきれ、大騒ぎになっている。<br />
<br />
問題が起きたのは、千葉県庁で開かれた5月20日の同委員会終了後だった。会議が非公開ということもあり、午後10時20分ごろから内容を説明するための記者会見が設けられた。問題の県政担当の朝日記者は酒のにおいを漂わせながら会見場に現れ、同委員会の事務局の県職員を「無能!」と何度も繰り返して罵倒し始めたという。<br />
<br />
この記者は、ある程度の経験を積んだ50代ベテラン記者。そんな人が、県職員に向かって人格を否定するような暴言を吐くだけでなく、机を叩くなどして、会見をぶち壊してしまった。<br />
<br />
酔っ払いが会見に紛れ込んでいては、質疑応答どころではないだろう。事情を知る関係者は「会見までの待ち時間に酒を飲んでいたようです。泥酔していて、かなりしつこく県職員に絡んでいたといいます。まるで独演会のようだったとか」と明かす。<br />
<br />
もちろんこのままでは済まされない。朝日新聞社は事情を把握すると、この記者を取材現場から外し、謹慎させた。朝日関係者が県に謝罪に出向き、会見に出席していた他社にも事情を説明するなど対応に追われた。<br />
<br />
この一件で後味が悪いのは、虐待問題が関係していることだ。同検証委員会は、[[知的障害]]のある児童らが入所する「[[袖ヶ浦福祉センター]]」で起きた虐待事件の再発防止のために設置されていた。<br />
<br />
昨年、同センターに入所していた少年(19=当時)がセンター職員(当時)から虐待を受けて死亡。職員らは千葉県警に傷害致死の疑いで逮捕された。これまでの調査で、職員らが複数の入所者に対して日常的に虐待をしていたことが明らかになっている。千葉県は事件を重く受け止め、[[森田健作]]県知事が同センターを視察している。森田知事は「しっかり検証する必要がある」と決意を述べていた。同委員会も1月17日から会合を開き、今回は8回目だった。<br />
<br />
「虐待問題を取材する記者が県職員を“虐待”するなんて…と話題になっています」。確かにシャレにもなっていないだろう。<br />
<br />
千葉県庁広報担当者は「誰から聞いたんですか?会見の内容に関わることではありませんし、会見自体が私どもと記者クラブの共催になっています。そういう立場もあるので、コメントは控えさせてください」と話す。県はあくまで被害者だが、記者クラブとの関係から詳細を明かさない方針のようだ。<br />
<br />
一方、当の朝日新聞社の広報部は書面で「ご指摘の記者会見に当社の記者が出席し、不適切な発言などで会見の進行を妨げたのは事実です。関係者におわびするとともに、本人には厳重に注意しました。今後このようなことがないように記者教育の徹底に努めます」と事実関係を認めるコメントを出した。<br />
<br />
当の朝日記者は謹慎を経て、現在は関係者への謝罪回りをしているという。<br />
<br />
=== 朝日新聞「特許、無条件で会社のもの」という捏造・誤報記事を垂れ流す ===<br />
問題の記事:審議会当日の朝に速報で掲載され大量にリツイートされホットエントリーに(2014年9月4日)<br />
<br />
政府は、社員が仕事で発明した特許を「社員のもの」とする特許法の規定を改め、無条件で「会社のもの」とする方針を固めた。これまでは、十分な報償金を社員に支払うことを条件にする方向だったが、経済界の強い要望を踏まえ、こうした条件もなくす。企業に有利な制度に改まることになり、研究職の社員や労働団体は反発しそうだ。<br />
<br />
http://www.asahi.com/articles/ASG924QNWG92ULFA00K.html<br />
<br />
[[Image:朝日新聞の特許記事捏造1.png|400px]]<br />
<br />
これ、誤報ですから。訂正がいつ出るか、存じませんが。<br />
<br />
日経は「条件付き」と。「無条件」とした朝日とはまったく逆。これ、日経が正しいというより、水曜の審議会を取材して書いてるということ。朝日は敢えて当日朝に観測記事を出し、誤報に終わった。功を焦ったか、誤った見通しで世論誘導を図ったか。 <br />
<br />
<br />
日経の記事 - 社員の発明、特許は企業に 産業界が報酬ルールに理解 <br />
<br />
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS03H1X_T00C14A9EE8000/<br />
<br />
<br />
昨日の職務発明に関する小委員会を傍聴。冒頭、事務局より、「朝日の記事は全く根拠ない」との説明。事務局からは、事務局案の提示はなく、具体的制度設計の過程で生じた新たな論点の説明のみ。<br />
<br />
[[Image:朝日新聞の特許記事捏造2.png|400px]] [[Image:朝日新聞の特許記事捏造3.png|400px]] [[Image:朝日新聞の特許記事捏造4.png|400px]]<br />
<br />
<br />
'''ネットの反応'''<br/><br />
* 朝日を信じる奴はアホ、はっきりわかんだね<br />
* とにかく政権にダメージを与えたい朝日さんwww返す刀で自らに特大ダメージwwwwwwwww<br />
* 朝日の記事は基本嘘と思って間違いないな<br />
* [[虚構新聞]]よりたちわるいな<br />
* 朝日、まじでヤバいな。この捏造しかやらない新聞読んでる奴って頭おかしいんじゃないか?<br />
* 朝日新聞は捏造新聞に名前変えたほうがいいんでないの<br />
* そうか、またか。<br />
* 滅びるアカヒ<br />
* 呼吸をするみたいに嘘も吐くんだな、朝日新聞さんは。<br />
* 知る権利(真実とは言ってない)<br />
* まーた朝日か<br />
* ひどいな…日本捏造新聞に名称変更しろよ!<br />
* さっさと廃刊にしとけ<br />
* またお前か<br />
* うわぁ、相変わらずですな<br />
* いくらやんでも酷すぎ。もはやメディアとしての自覚や品位を感じない<br />
* なんで誰もいないところで自爆するんだろうね。この人達は……。傷ついてるのは自分だけっていう。<br />
* 32年後に訂正します<br />
* こういう嘘の報道した場合の罰則を作る必要があるんじゃね?朝日は報道の自由とかほざくんじゃねーぞ<br />
* 捏造は、朝日の社是!<br />
<br />
=== 朝日新聞が福島原発周辺の「手抜き除染」について自作自演で記事を書いていたことが発覚。新聞協会賞も受賞したスクープ記事が自作自演の捏造(2014年10月) ===<br />
[[Image:朝日新聞10.jpg|350px|thumb|自作自演の捏造記事]]<br />
「手抜き除染は自作自演」 朝日新聞スクープ記事で週刊新潮報道<br />
朝日新聞が平成25年度に新聞協会賞を受賞した福島第1原発周辺の「手抜き除染」の記事に「自作自演があった」と、8日発売の週刊新潮(10月16日号)が報じることが7日、分かった。<br />
<br />
新潮の記事では元除染作業員が実名で「証言」。元作業員は、朝日の記者からプレゼントされたICレコーダーを使い、現場監督から不法投棄の言質を取ったとしている。記者が元作業員に行ったインタビューでも、事前に記者が渡したメモを読むように指示されたという。<br />
<br />
さらに、新潮の記事によると、24年12月末に元作業員が環境省へ送った告発文は、実際は記者が指南して作成。記者が元作業員に実名を文書に書くよう求めるなどしたとしている。<br />
<br />
朝日新聞広報部は産経新聞の取材に対し、告発文については「(元作業員が)文書を出す以前から、自ら環境省に告発する電話をかけている。文書を出したのも(元作業員の)意思によるもの。文書は、記者が元作業員から頼まれ、話を聞きながらパソコンでまとめた」などと説明。その上で「週刊新潮の記事は事実に反しており、当社と記者の名誉と信用を著しく毀損(きそん)する内容のため、同誌に対し厳重に抗議した」とコメントした。<br />
<br />
=== 懲りない朝日新聞、「強制売春」という曖昧な言葉を使い始める(2014年10月) ===<br />
朝日新聞は慰安婦問題報道で自らの大誤報を認めた後も、相変わらず実態をゆがめる報道を続けている。 <br />
<br />
「日本軍による組織的な女性たちの強制連行」が虚構だったことを認めながらも、なおも論点を巧妙にずらして、「強制」を拡大し、自紙の大誤報を正当化しようとする姿勢が顕わである。反省の色はまったく見られないと言ってよい。<br />
<br />
朝日新聞のそんな歪曲報道の最近の実例が、10月5日朝刊の国際面に載った「『強制売春 何の疑いもない』」という見出しの記事だった。副見出しには「インドネシア売春婦 オランダ外相発言」と記されていた。ハーグ発の梅原季哉記者の記事である。<br />
<br />
この記事は以下のような記述から始まる。 <br />
<br />
「オランダのティマーマンス外相は3日、第2次世界大戦中に日本軍が占領した旧オランダ領東インド(現インドネシア)での慰安婦問題は、『強制売春そのものであることには何の疑いもない、というのが我々の立場だ』と発言し、慰安婦問題を巡る謝罪と反省を表明した河野談話について、見直しを求める日本国内の動きを牽制した。ハーグの同国外務省で、日本メディアを対象にした記者会見で発言した」<br />
<br />
この記述だけでも、これまでの焦点をずらし、ぼかしている点が2つある。まず、「強制売春」という用語の曖昧さである。<br />
<br />
これまでのいわゆる慰安婦問題での日本糾弾ではまず「強制売春」という言葉はほとんど使われることがなかった。核心はあくまで「強制連行」だった。「強制連行」と言えば、その主語は日本軍とされ、日本軍による組織的な女性の連行こそが日本の国家犯罪として糾弾されたのだ。それをこの記事は「強制売春」という、より定義の不明な、曖昧な言葉に入れ替えてしまった。<br />
<br />
第2は「強制売春」という言葉の主語が分からない点である。 <br />
<br />
売春を強制したのは日本軍なのか、それとも中間に入った民間の売春業者なのか。この記事ではオランダ外相がどう解釈しているのか不明である。問題の記事は次のように続く。 <br />
<br />
「ティマーマンス氏は『河野談話は、この問題に関する両国間の対話の良い前提となってきた。我々は、日本政府が河野談話を継承する意向であることを完全に支持する』と表明」<br />
<br />
「1994年1月に、オランダ政府が公文書館で調査した結果をふまえて当時の外相が出した強制性についての報告書を根拠に『自発的な売春行為などではない』と断言。『実際に経験したオランダ国民はその子孫にとっては、今なお痛みを伴うことであり、両国が高官級で接触する際には、常に提起されるということを理解してもらいたい』とも語り、終わった過去の歴史ではないことを強調した」 <br />
<br />
以上の記述は、これまた最大焦点の「強制連行」にはまったく触れていない。慰安婦問題の核心部分としてあれだけ強調し、非難してきた「強制連行」という点は消してしまっている。そしてもっぱら意味の不明な「強制売春」という言葉で「強制」だけを強調してみせるのである。<br />
<br />
=== 安倍首相「今日の朝日新聞ですね。そういう報道がありました。これは捏造です。」(2014年10月) ===<br />
[[夕刊フジ]]が29日に詳報した関連政治団体の不透明収支に批判が集まるなか、「政治とカネ」問題で政権を追及したところで、「説得力を欠く」(民主党中堅)のは避けられない。<br />
<br />
実際、枝野氏の「政治とカネ」に関する質問は、[[安倍首相]]に見事にかわされてしまった。<br />
<br />
枝野氏「首相が、近い議員に『誹謗中傷合戦は止めるべきだ』『撃ち方やめになればいい』と述べたと報道されている。事実関係をお答えください」<br />
<br />
安倍首相「今日の朝日新聞ですね。そういう報道がありました。これは捏造です。朝日新聞は安倍政権を倒すことを社是としている、と前主筆が語ったという。私に確認もないまま、言ってもいない発言が出ているので驚いた」<br />
<br />
閣僚の不祥事続出で逆風だった安倍首相だが、完全に戦闘モードに戻ったようだ。<br />
<br />
枝野氏は、政治資金問題が発覚した[[江渡聡徳]][[防衛相]]らに説明責任を果たすよう指示すべきだとも指摘したが、安倍首相は、枝野氏にも不透明収支があったことを挙げ、「予算委で言い合うのは生産的ではない。[[TPP]](環太平洋戦略的経済連携協定)や[[消費税]]などの課題に真摯に向き合っていくべきだ」と切り返した。<br />
<br />
=== とうとう韓国までが中国主導の投資銀行に参加へ。太平洋で独りぼっちの気分(2015年3月) ===<br />
「素粒子」―3月27日<br />
<br />
それではまるで9・11。担当の副操縦士によるハイジャックか。ドイツ機墜落。「意図的」の意図が腹に落ちず。 <br />
<br />
とうとう韓国までが。中国主導の投資銀行に参加へ。アジアの新事態がのみ込めず。太平洋で独りぼっちの気分。 <br />
<br />
「八紘一宇」も「我が軍」にしても。当の国会の反応の鈍さよ。このぶんではいずれお試し改憲も「まいっか」。<br />
<br />
=== 安倍首相はバンドン演説で「植民地支配・侵略・おわび」を絶対に言わなければならなかった(2015年4月) ===<br />
アジア・アフリカ会議(バンドン会議)60周年首脳会議での安倍首相のきのうの演説は、肩すかしに終わった。首相は、60年前に採択された「平和10原則」の一つである「侵略行為の抑制」を引用し、「この原則を、日本は先の大戦の深い反省とともに、いかなる時でも守り抜く国であろうと誓った」と述べるにとどめた。<br />
<br />
10年前の会議では、[[小泉首相]]が戦後50年の[[村山談話]]を踏襲し、「わが国はかつて植民地支配と侵略によって、アジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」と表明。この表現はそのまま戦後60年談話に生かされた。<br />
<br />
きのうの首相演説は、歴史認識の表明に主眼があったわけではない。ただ、10年前の経緯もあり、安倍氏が日本のかつての過ちにどのように触れるのか、来週の米議会での演説とともに注目を集めていた。<br />
<br />
首相は会議に発つ前夜のテレビで、村山談話について「引き継いでいくと言っている以上、もう一度書く必要はないだろう」と述べ、戦後70年の安倍談話には「植民地支配と侵略」「おわび」などは盛り込まないことを示唆した。きのうの演説はこれに沿った内容だ。<br />
<br />
この考えには同意できない。 <br />
<br />
「侵略の定義は定まっていない」といった言動から、首相は村山談話の歴史観を本心では否定したいのではと、アジアや欧米で疑念を持たれている。引き継いでいるからいいだろうとやり過ごせば、疑念は確信に変わるだろう。表立って批判されなくとも、国際社会における信頼や敬意は損なわれる。<br />
<br />
それがいったいだれの利益になるというのか。 <br />
<br />
一部の政治家が侵略を否定するような発言を繰り返すなか、村山談話は国際的に高く評価されてきた。その後のすべての首相が引き継ぎ、日本外交の基礎となった。率直に過去に向き合う姿勢が、「未来への土台」となったのだ。それをわざわざ崩す愚を犯す必要はない。<br />
<br />
首相はきのうの演説後、中国の[[習近平]]主席と5カ月ぶりに会談した。両国関係を発展させ、アジアや世界の安定と繁栄に貢献をしていくことで一致したという。歓迎すべき流れだ。<br />
<br />
そうであればなおさら、首相はごまかしのない態度で過去に向き合う必要がある。「植民地支配と侵略」「おわび」を避けては通れない。<br />
<br />
=== 反射的に安倍政権けなす「朝日」。偏見打破どころか、歪んだステレオタイプを拡散 ===<br />
「今朝の朝日新聞の1面記事を見たかい。わざわざ[[菅義偉]][[官房長官]]の名前を出してあおっていた。安全保障法制は危険だと印象付けるのが狙いだろう」<br />
<br />
政府高官は[[2015年]][[5月26日]]夜、周囲にこう指摘した。その記事は「集団的自衛権どこまで」「菅氏『新3要件下で敵基地攻撃も』」との見出しで、リード部分には「他国のミサイル発射を防ぐための敵基地攻撃も可能とする見解が示された」と書いている。見出しとリードだけ読むと、読者は安全保障関連法案によって、新たに敵基地攻撃が可能となったように誤解しかねない。だが実際は、すでに[[昭和31年]]に当時の[[鳩山一郎]]首相が衆院内閣委員会で次の有名な政府統一見解で示している。<br />
<br />
「座して自滅を待つべしというのが[[憲法]]の趣旨とするところだとは、どうしても考えられない。他に手段がないと認められる限り、誘導弾等の基地をたたくことは、法理的には自衛の範囲に含まれ、可能である」<br />
<br />
つまり、これはもともと個別的自衛権で認められていた範囲であり、新たな安保法制下でも可能なのは理の当然だろう。にもかかわらず朝日の記事は、「敵基地攻撃も他国領域での武力行使の『例外』として加えることで、新3要件に当てはまれば行使の範囲が際限なく広がる可能性が出てきた」と書くのである。<br />
<br />
[[5月24日]]付朝日朝刊の[[杉田敦]][[法政大]][[教授]]と[[長谷部恭男]][[早稲田大]][[教授]]の対談記事「安保法制安倍政権の『話法』から考える」も、その手法に同様の危うさを感じた。[[安倍晋三]][[首相]]に関する以下のやりとりがそれだ。<br />
<br />
杉田氏「首相は党首討論で、[[ポツダム宣言]]を『読んでいない』とし、先の大戦の評価についての質問に答えなかった」<br/><br />
長谷部氏「読んでもいないものから脱却しようとは、マジシャンそこのけです」<br />
<br />
安倍首相は「その部分をつまびらかに読んでいない」と答弁しただけで、全部「読んでいない」などと言っているのではない。安倍政権の「話法」をうんぬんする前に、自分たちの言葉遣いにもっと注意した方がいい。また、ポツダム宣言については、[[民主党]]の[[岡田克也]]代表も[[5月22日]]の記者会見でこう述べている。<br />
<br />
「今まで何度か読んだことあるが、中身をあまり鮮明に覚えているわけではない。党首討論の後、また読んだが、非常にわかりにくい文章だという印象だ」<br />
<br />
安倍首相を繰り返し批判するのであれば、岡田氏のこの発言も批判的に取り上げないと筋が通らないはずだ。とにかく、安倍首相とその政権の言うことなすことステレオタイプに「問題がある」「危険だ」ととらえ、反射的にけなすという姿勢はいかがなものか。ステレオタイプという言葉を定着させた米国のジャーナリスト、リップマンは著書『世論』([[1922年]]刊行)でこう戒めている。<br />
<br />
「われわれはたいていの場合、見てから定義しないで、定義してから見る」「ステレオタイプが無批判に受け入れられると、配慮されなければならない多くのことがふるい落とされてしまう」「われわれは自分の反対者を悪者や陰謀家に仕立てる」<br />
<br />
本来、メディアには社会の固定観念や偏見を打破する役割が求められている。ところが現実は、メディアが率先してゆがんだステレオタイプを広めている。<br />
<br />
=== 朝日記者、かぎ十字写真を「首相支持派」と紹介(2015年8月) ===<br />
朝日新聞社の冨永 格(ただし・特別編集委員)が[[8月2日]]、同社の公認を受けた[[ツイッター]]で、ナチスの紋章「かぎ十字」が描かれた旗を持つ人たちの写真を紹介し、「東京で行われた日本人の国家主義的デモ。彼らが安倍首相を支持している」と英語で書き込んでいたことがわかった。<br />
<br />
冨永氏はその後、ツイッターから写真と文章を削除した。<br />
<br />
同社広報部などによると、冨永氏はインターネット上にあったデモの写真をツイッターに掲載。ネット上では、安倍首相に対する悪意ある書き込みだとして批判が集まった。同社は、冨永氏から書き込みについて報告を受けたことから、厳しく注意し、おわびの掲載を指示したという。<br />
<br />
冨永氏は削除の際、[[日本語]]と[[英語]]、[[フランス語]]で「嫌韓デモに参加する人たちには安倍首相の支持者が多いという趣旨でしたが、『一般的に』の言葉が抜けていたので、彼らがこぞって首相を支持しているかの印象を与えるツイートになってしまいました」などと書き込んだ。<br />
<br />
=== 「死刑廃止社説」に弁護士団体が猛反論「『ただ批判するだけ』なのは朝日」(2016年10月) ===<br />
[[日本弁護士連合会]](日弁連)の死刑廃止宣言について肯定的に書いた朝日新聞の社説が、「誤った知識及び偏った正義感にもとづく一方的な主張」だとして、「犯罪被害者支援弁護士フォーラム」は[[10月19日]]、朝日新聞社に対して公開質問状を提出する。<br />
<br />
同フォーラム事務局長の[[高橋正人]][[弁護士]]は、弁護士ドットコムニュースの取材に対し「朝日新聞は死刑廃止を当然の前提としているように見えます。あれを読んだ被害者や遺族がどんな気持ちになるかなんて、考えていないのではないでしょうか。被害者側としては、『何で私たちが死刑を望むようになってしまったのか』という心情を理解して欲しいのに、デリカシーがなさすぎます」と、批判した。<br />
<br />
フォーラムが問題視しているのは、「死刑廃止宣言 日弁連が投じた一石」と題された、10月9日付朝刊の社説だ。この中で、朝日新聞は日弁連の死刑廃止宣言を「批判や反発、抵抗を覚悟のうえで、大きな一歩を踏みだした」と高く評価した。<br />
<br />
一方、犯罪被害者支援に取り組んできた弁護士らに対しては、「宣言をただ批判するのではなく、被害者に寄り添い歩んできた経験をふまえ、いまの支援策に何が欠けているのか、死刑廃止をめざすのであれば、どんな手当てが必要なのかを提起し、議論を深める力になることだ」としていた。<br />
<br />
質問状では、この部分について、<br />
<br />
* 「ただ批判する」とは、犯罪被害者の支援に取り組む弁護士らが何ら根拠なく、感情的に反対しているとの趣旨か<br />
* 犯罪被害者の支援に取り組む弁護士らが、既に、被害者支援のため、現状や施策につき具体的提案をし続けていることを知っているのか<br />
* (社説中の)「死刑廃止を目指すのであれば」とは、凶悪犯罪で家族を殺された被害者遺族や、それを支援する弁護士も、死刑廃止をめざすのが当然という趣旨か。そのような趣旨だとして、なぜ、被害者遺族や支援する弁護士も、死刑廃止を目指さなければならないのか。その理由は何か。<br />
* 被害者遺族も死刑廃止を目指すべきだと言われて、被害者遺族がどのような気持ちになるか、考えなかったのか<br />
<br />
などと痛烈な批判を加えている。<br />
<br />
「私たちは支援のあり方を散々提言して、被害者参加や損害賠償命令制度などを実現させてきました。朝日新聞はちゃんと取材したのでしょうか。『ただ批判するだけ』なのは、朝日新聞の方ではないでしょうか」(高橋弁護士)<br />
<br />
質問状は、「(朝日新聞が)報道機関としての矜持を保ち、説明責任を果たし、被害者のために誠実に質問に答えて頂けることを期待します」と締めくくられている。<br />
<br />
=== 稲田防衛相の靖国参拝、極めて残念だ。アジアを含む国際社会との「和解」をめざすなら放置してはならない(2016年12月) ===<br />
[[稲田防衛相]]が[[靖国神社]]に参拝した。極めて残念だ。[[安倍首相]]が[[オバマ米大統領]]と[[真珠湾]]を訪ね、日米の「和解」を強調したばかりである。稲田氏も同行したこの[[真珠湾]]訪問で、日本の過去の歴史をめぐる問題は清算された。稲田氏がそう考えているとしたら、それは大きな誤りだ。<br />
<br />
稲田氏は「祖国のために命を捧げた方々に敬意と追悼の意を表するのは、どの国でも理解をしていただける」と語った。戦争で命を失った肉親や友を悼むため、遺族や一般の人々が靖国で手を合わせる。そのことは、自然な営みである。だが首相をはじめ政治指導者の参拝となると、その意味は異なる。靖国には、若者たちをアジアや太平洋地域の戦場に送った側の[[A級戦犯]]が合祀されているからだ。そこに政治家が参拝することに、割り切れない思いをもつ遺族もいる。[[中国]]、[[韓国]]、さらには欧米など国際社会にも、日本がかつての戦争責任から目を背けようとしているとの疑いを広げかねない。まして稲田氏は[[自衛隊]]を指揮監督する立場の防衛相である。<br />
<br />
[[A級戦犯]]が罪を問われた[[東京裁判]]には、勝者による裁きという批判もある。それでも、日本はこの裁判を受け入れ、平和国家としての一歩を踏み出したことを忘れてはならない。首相はかねて、日本の過去の侵略と植民地支配を認めた[[村山談話]]を疑問視してきた。3年前、靖国に参拝した際には、中韓との関係が悪化し、オバマ政権から「近隣諸国との緊張を悪化させるような行動に失望している」と批判を浴びた。<br />
<br />
首相が[[2015年]]4月の米議会演説で「先の大戦に対する痛切な反省」や「アジア諸国民に苦しみを与えた事実」に触れ、今回、真珠湾を訪問したのは、そうした経緯を踏まえ、日本の首相としての歴史認識に変わりがないことを示すためだったはずだ。首相が重用し続けている稲田氏の言動は、個人の行為にとどまらず、政権の意思と受け止められかねない。首相のこれまでの積み重ねを傷つけ、その真意に再び疑念を広げるだろう。<br />
<br />
稲田氏の参拝は、首相を支持する右派へのメッセージと見ることもできる。首相の真珠湾での演説も、旧日本軍が悲惨な被害をもたらしたアジア太平洋地域への視線は希薄だった。稲田氏の参拝について首相はコメントを避けた。だがアジアを含む国際社会と真の意味での「和解」をめざすなら、稲田氏の参拝を放置してはならない。<br />
<br />
=== 朝日人権委、誤報正さず。巨人契約金報道(2017年1月) ===<br />
朝日新聞の敗訴が確定した[[読売巨人軍]]の選手契約金報道を巡り、巨人軍が朝日の第三者機関「報道と人権委員会」(人権委)に対し、記事は真実だと結論づけた人権委の「見解」の訂正などを求めた申し立てについて、人権委は11日、巨人軍に「審理しない」と通知した。巨人軍は「人権委は被害救済の役割を果たさなかった」と批判し、識者からも「第三者機関としての存在意義が損なわれる」などの指摘が出ている。<br />
<br />
巨人軍によると、人権委は通知書で、「見解を不服として起こした裁判が確定している」ことや、「同一の事件についての申し立て」であることなどを理由に、再審理の必要性はないと結論づけたが、確定判決によって「見解」が否定されたことには言及しなかった。契約金報道を巡り、巨人軍などが[[2012年]]4月、訂正を人権委に申し立てたところ、人権委は同年7月12日、「記事はすべて真実」との見解を公表。朝日は翌日の朝刊で見解を詳細に引用し、「報道と取材に問題なし」などと大きく報じた。<br />
<br />
巨人軍は朝日を提訴。[[東京地裁]]判決は請求を棄却したものの、[[東京高裁]]判決は名誉毀損きそんの成立を認め、朝日に330万円の賠償を命じ、[[最高裁]]で確定した。これを受け、巨人軍は12月22日、人権委に、見解の見直しと、見解を報じた記事の訂正・謝罪を朝日に求めるよう申し立てた。<br />
<br />
人権委は見解で、選手の成績に応じて支払われる出来高払い(報酬加算金)を契約金とみなしたが、確定判決は「年俸に加算する報酬であり、契約金とは性質が異なる」と認定。また、巨人軍の契約は[[日本野球機構]](NPB)の厳重注意処分に相当すると報じた記事について、人権委は真実だとしたのに対し、確定判決は「巨人軍が処分を受ける可能性はなく、記事は真実ではない」と判断した。さらに、人権委は朝日の取材について「NPBへの取材もなされている」との見解を示したが、確定判決はNPB関係者に取材しなかったと認定した。こうしたことから、巨人軍は申し立ての中で、「見解の誤りは明白で、これを報じた記事の責任は重い」と批判していた。<br />
<br />
人権委の見解について、朝日は、報道などに問題がないと判断された他のケースは小さく報じているが、契約金報道の見解は1ページを費やす異例の扱いだった。巨人軍は、「見解の報道が新たな人権侵害を引き起こした」と二次被害を訴えたものの、人権委は11日の通知書でこの点に一切触れなかった。朝日は確定判決を報じる紙面で「記事の根幹部分は真実だと認められた」とするコメントを掲載しており、巨人軍は今後、記事の訂正などを求めて人権委に新たな申し立てを行う。<br />
<br />
人権委は[[2001年]]に発足した朝日新聞社内の第三者機関。現メンバーは憲法学者の[[長谷部恭男]]・早大教授と[[宮川光治]]・元最高裁判事、[[今井義典]]・元[[NHK]]副会長。<br />
<br />
読売巨人軍広報部の話「朝日新聞の契約金報道による名誉毀損を認めた司法判断が確定したにもかかわらず、『報道と人権委員会』が見解を正さないばかりか、再度の審理すらしないことに驚きを禁じ得ません。報道被害の救済機関であるはずの人権委が、その役割を果たさなかったことは誠に残念です。朝日新聞は判決で誤報だったと認定されたにもかかわらず、紙面で『記事の根幹部分は真実だと認められた』と判決の趣旨を歪ゆがめるコメントを掲載しており、今後、その見直しも人権委に求めていきます」<br />
<br />
=== 首相訪韓、当然の判断である。安倍政権が、合意ですべてが解決したかのように振るまうのは適切ではない(2018年1月) ===<br />
韓国で[[2018年]][[2月9日]]に始まる[[平昌冬季五輪]]の開会式に、[[安倍首相]]が出席する意向を表明した。 <br />
<br />
'''当然の判断である'''。<br />
<br />
[[東アジア]]はこれから平昌を皮切りに、[[東京]]、[[北京]]と2年ごとに五輪の舞台となる。そのスタートの式典に日本の首相の姿がなければ、何とも不自然だろう。<br />
<br />
[[自民党]]の一部には、最近の慰安婦問題をめぐる韓国の動きに反発し、出席に否定的な声がくすぶっている。だが、政府間の摩擦を理由に、'''五輪の式典参加を左右させるのは不見識だ'''。<br />
<br />
国際的な対立や困難を乗り越える平和の祭典の実現に最大限協力するのが、日本のあるべき姿である。 <br />
<br />
日韓両政府の関係を立て直すうえでも、首相の訪韓は好ましい。この機を逃さず、[[文在寅]]大統領と腹蔵のない意見交換を図り、異論があっても自然に対話できる関係を築くべきだ。<br />
<br />
首相は、2年前に結んだ[[慰安婦問題]]をめぐる日韓合意の履行と[[北朝鮮]]問題を話し合いたい、としている。韓国側は合意をめぐる新方針として、日本に再交渉は求めないとしつつ、自発的な誠意ある行動を期待すると呼びかけた。<br />
<br />
日韓双方が汗をかき、困難な決断をした合意であり、尊重すべきだ。元慰安婦らの心の傷をいかに癒やすかが合意の本質だったことも忘れてなるまい。 <br />
<br />
ただ、政府が合意しても、不幸な歴史をめぐる国民感情をときほぐすには時間を要し、その過程では両政府の不断の行動の積み重ねが求められる。 <br />
<br />
その意味で'''安倍政権が、合意ですべてが解決したかのように振るまうのは適切ではない'''。 <br />
<br />
文政権も、[[朴槿恵]]前政権を批判するあまり、当時できた合意を突き放すなら無責任だ。両政府とも率直な対話を厭わず、それぞれが自国民に向かって両国関係を前進させる価値を説く機会を増やすべきだろう。<br />
<br />
喫緊の懸案である[[北朝鮮]]問題をめぐっては、[[金正恩]]政権が韓国との対話に乗りだす局面が新たに生まれている。これを本格的な緊張緩和につなげるには、やがて米朝、日朝の対話へも導く必要がある。その意味でも日韓と米国の緊密な意思疎通が欠かせない。<br />
<br />
脅威は依然衰えぬままだが、北朝鮮の選手団も加わって[[平昌五輪]]は幕を開ける。だからこそ日韓首脳は肩を並べて祭典を祝し、ともに平和への決意を示さなければならない。<br />
<br />
そのうえで今回の首相の訪韓を、両首脳が合意している「シャトル外交」再開に向けた一歩とするよう望みたい。<br />
<br />
=== 「昔は若者が反政府デモをしていたのに今は与党支持が多い。教育のせいか…」ネット「今の若者はマスコミに騙さない。それだけ」(2018年9月) ===<br />
この政党は保守か革新か 揺らぐ「常識」、若者のリアル <br />
:気温35度の土曜日。額から汗を垂らしながらビラを配る年長世代を、若者たちが軽い身のこなしでひらりと避ける。見ていて、いたたまれない気持ちになる。[[東京]]・[[巣鴨]]の駅頭で改憲に反対する活動に立ち会った。若者グループ[[SEALDs]]に影響を受けて結成した主に60代以上の人たちで、その名もOLDs。大学名誉教授の[[高橋正明]]さん(73)が今の政権でいいんですかと呼びかけると「いいでーす」と答える。「安倍さんをいじめないで」と言った人もいた。メンバーが若かりし頃、世界で若者が反政府デモをしていた。だが今、若い世代の政権与党への支持は高い。昨年の総選挙の出口調査で比例区の自民党に投票した人は60代で29%だったが、20代は47%に上った。教育のせいなのか。周囲から浮くのを恐れるのか。50代の記者も加わって議論したが、答えは出ない。<br />
<br />
'''ネット上のコメント'''<br/><br />
* 若い人が自民支持が多い理由を教育が悪いとかまわりから浮くのを恐れているだとか徹底的に「若者は理解してないから自民支持なんだ」みたいな書き方。若者はそれなりに考えて自民支持なんだよ<br />
* 安倍さんをいじめないで、はよくわからんなw野党もメディアも問題点をキチンと指摘すればいいのに。ワケわからん事ばっかりやってるから安倍政権が支持されちゃうんだよなぁ<br />
* 若者も捨てたもんじゃないってこっちゃ。SEALDsや自民党以外のどこの国の人間かわからんもんを支持する馬鹿は若者には少ないのかも知れん。<br />
* 保守だろうと革新だろうと持続する経済成長しか必要としない世代に、打ち止め老人の戯言など聞かれる筈もありません。考えないで生きてきた52歳=[[バブル世代]]のバカ達が当たり前を突きつけているんだ<br />
* 解を求めるのでは無く、理解しよう、受け入れようって心意気が無いのでは?自分基準で考えてるから、キレる老人とか出現しちゃうんだよ。<br />
* 僕はいつも言ってるし声高々に言いたいけど 上の世代が今の若者はどうのこうのって言うけど、おめーらの負債がこっちに来てんだからもう口を出すな お前らなんて年金もらって慎ましく生きてくれ<br />
* 新聞記者がこういう書き方していいのか?若者だからとか、差別? 意見が違えば、「ゆとり」、今の若者はとか まず、目的地にあるいてんのにびら渡されても邪魔なだけだろ。なぜ受け取る前提なんだ<br />
* だから庶民の生活を顧みない「反政権」は要らないんだって。都合のいいときだけ庶民を“ツール”に使っても見透かされる。なんでわからないかな。<br />
* だから朝日新聞の常識が通用しなくなっただけでしょ?まだ天下の朝日と思ってる?<br />
* いまの老人、つまり当時の若者の時代にはネットがなかった。マスコミに騙されっぱなしだった。今も老人はネットを見ない。今も騙されっぱなし。今の若者はマスコミにだまさない。ただ、それだけ。<br />
<br />
== 歴史 ==<br />
*歴史的に見れば、朝日新聞の論調はその時々の時代状況などに応じて変化し、一定ではなかった。<br />
<br />
*まず創刊期には、[[参議]][[伊藤博文]]らが参議[[大隈重信]]を政府から追放した[[明治十四年の政変|明治14年政変]]の翌年以降、政府と[[三井銀行]]から極秘裡に経営資金援助を受ける御用新聞として経営基盤を固めた。そしてその間に東京の「めさまし新聞」を買収して「[[東京朝日新聞]]」を創刊し、東京進出を果たした。さらに[[日露戦争]]前には主戦論を展開し、日露講和にも反対した。<br />
<br />
*[[大正デモクラシー]]期には憲政擁護運動の一角を担い[[桂太郎]]内閣を批判。[[寺内正毅]]内閣期には、同内閣だけでなく、[[鈴木商店]]を米の買い占めを行っている悪徳業者であると攻撃して[[米騒動]]を煽り、鈴木商店は焼き討ちにあった([[白虹事件]]を参照)。しかしこの事件を再調査した[[城山三郎]]によれば、当時、鈴木商店が米を買い占めていた事実はなく、焼き討ちは大阪朝日新聞が事実無根の捏造報道を行ったことによる「[[風評]]被害」で、鈴木商店と対立していた三井と朝日の「共同謀議」という仮説を立てている。<br />
<br />
*[[第一次世界大戦]]後は[[軍縮]]支持、[[シベリア出兵]]反対、[[普通選挙]]実施を主張していたこともあった。[[満州事変]]以降は概して対外強硬論を取るようになり、特に[[太平洋戦争]]中は他紙と同様、戦争翼賛報道を行う。そして終戦後、社説「自らを罪するの弁」(1945年8月23日)、声明「国民と共に立たん」(1945年11月7日)を発表して、路線転換する。ただ、終戦後の「転向宣言」や社説だけでもって、単純に社の性格を規定することはできない。また、[[2006年]][[12月9日]]の社説「開戦65年 狂気が国を滅ぼした」内での「無謀な戦いを止められなかった無力を思うと」といった、自らが戦争を賛美・先導していた立場にもかかわらず、あたかも反戦派であったかのような論調は、執筆者ごとの世代の大きな間隔が見て取れる。<br />
<br />
* [[1930年代]]後半から、朝日新聞は近衛文麿首相の戦時政府([[近衛新体制|近衛新体制運動]])を熱心に支持し、朝日新聞の編集長であった[[緒方竹虎]]の下で厳しく資本主義を批判した。[[笠信太郎]]、[[佐々弘雄]]、さらに有名なスパイであった[[リヒャルト・ゾルゲ]]の情報提供者だった[[尾崎秀実]]といった朝日新聞の有力な論説委員は近衛政治の[[シンクタンク]]であった[[昭和研究会]]の中心メンバーであった。<br />
<br />
* 緒方は[[頭山満]]によって[[1881年]]に結成された[[玄洋社]]の主要なメンバーの一人である。玄洋社は組織犯罪の大物や極右の政治信条を持つものからなる超国家主義者の団体であった。後に[[A級戦犯]]として絞首刑となった[[広田弘毅]]も玄洋社の主要なメンバーの一人で緒方の親友だった。広田は頭山の葬儀委員長、緒方は副委員長であった。<br />
<br />
* 朝日新聞に入社する前は[[大原社会問題研究所]]の[[マルクス主義]]経済学者だった[[笠信太郎]]はその著書『日本経済の再編成』([[1939年]])の中で中央政府による計画経済を主張した。超国家主義の政治家である[[佐々友房]]の息子である[[佐々弘雄]]は近衛を支持するため、元大蔵大臣の[[井上準之助]]、[[三井財閥]]の総帥[[團琢磨]][[男爵]]及び[[犬養毅]]首相を暗殺した[[皇道派]]と呼ばれる極右の将軍やテロリストたちと手を組んだ。1944年、彼等は[[日本軍]]内部で皇道派と対立していた[[統制派]]のメンバーだった東条英機首相の暗殺を企てている。<br />
<br />
* [[大日本帝国陸軍]]が[[満州事変]]を起こし、[[満州国]]を[[建国]]した後、[[国際連盟]]に拒否され、脱退した事については「'''連盟よさらば'''」という歌まで作って[[松岡洋右]]代表を褒めている。<br />
<br />
* 特に[[太平洋戦争]]中は他紙と同様、戦争翼賛報道を行う。そして終戦後、社説「自らを罪するの弁」([[1945年]][[8月23日]])、声明「国民と共に立たん」(1945年11月7日)を発表して、路線転換する。ただ、終戦後の「転向宣言」や社説だけでもって、単純に社の性格を規定することはできない。朝日新聞の戦前の軍国主義、日中戦争推進は表面的には軍部に迎合していることを装ったうえで、日本の敗戦革命による東アジアの共産化の推進の意図が隠されていたとされる([[ゾルゲ事件]]で元朝日新聞記者の[[尾崎秀実]]らとともに、東京本社政治経済部長田中慎次郎、同部員磯野清が検挙、なお、[[近衛上奏文]]、[[砕氷船理論]]参照)。したがって、戦前からの経緯から中国共産党の独裁の行為の多くを評価し、その機関誌「[[人民日報]]」と提携している朝日新聞のこのような転向宣言は、戦前の二面性の全体について「転向」をし、「共産化」のために人民を犠牲にした過去を反省し、本来の意味での自由化、民主化を指向したものとはとりえないのではないかとの疑問がある。そのような経緯から、[[2006年]][[12月9日]]の社説「開戦65年 狂気が国を滅ぼした」内での「無謀な戦いを止められなかった無力を思うと」といった、自らが戦争を賛美・先導し、さらに利用しようとしていた立場にもかかわらず、あたかも反戦派であったかのような論調は、現在まで続く朝日新聞の体質問題として広く批判を浴びることとなった。<br />
<br />
* 戦後の一時期まで、朝日新聞社は、購読者層として政官財のトップエリートを含む社会の高学歴層に支持されてきた傾向があった。戦後、この層に濃厚に見られた社会の「進歩」への憧れ、あるいはこれを刺激する商品作りを進めたことが、朝日新聞の「進歩的」な論調の背景にあるとともに、反面としてそのステレオタイプな「進歩」についてのとらえ方が、カンボジアのポルポト政権の本質を見誤らせたり、中国共産党の[[チベット動乱|チベット侵略]]などの行為や、北朝鮮の政権への批判を遅らせたともされる。<br />
<br />
*戦後の朝日新聞社においては、購読者層として政官財のトップエリートを含む社会の高学歴層に支持されてきた傾向がある。戦後、この層に濃厚に見られた社会の進歩への憧れ、あるいはこれを刺激する商品作りを進めたことが、朝日新聞の進歩的な論調の背景にあるという面も見逃せないが、(エリートとは無縁な)庶民意識との乖離も見られる。<br />
<br />
*[[公害]]問題や[[環境]]破壊を積極的に取り上げた側面も無視できない。またこのような社風は熱心な[[文化事業]]の展開につながってきた。[[イラク日本人人質事件]]においては契約記者が武装勢力に拉致されるという出来事が起こったが、朝日新聞社広報室はいち早く「イラク入りは本社の要請ではない」と発表。当該記者の[[自己責任]]を強調した。ただし自己責任とは本来「我が社の責任ではない」という意味であって、それ以上の責任追及をするものではないとくわえた。しかし、他紙ほどではないが[[山形浩生]]の「自由には必ず責任伴う」(2004年[[4月15日]]号)など、「自己責任」のフレーズで被害者を批判する記事も見られた。<br />
<br />
<br />
=== 注目を集めた報道 ===<br />
*[[1959年]][[7月14日]]号にて[[熊本大学]][[医学部]]の水俣奇病総合研究班が[[水俣病]]の原因が有機水銀中毒であることを確認したと[[7月21日]]に予定されていた医学部水俣病研究会報告に先駆けてスクープ。先にこの情報をキャッチしていたらしい状況証拠のある[[熊本日日新聞]]は地元との利害関係に縛られて自由に動けなかったと推測されており、これより2日遅れの報道となる。この時点まで新日本窒素肥料水俣工場首脳部は工場付属病院が熊本大学に出している研究生から水銀説が確認されつつあるとの情報を得ていたものの黙殺しており、この報道で急遽水銀説否定のための資料集めを開始している。<br />
<br />
=== 疑義が持たれた報道、スキャンダル ===<br />
[[Image:従軍慰安婦1.jpg|350px|thumb|朝日新聞により流布された従軍慰安婦説]]<br />
*[[1989年]][[4月20日]]付の夕刊において、[[沖縄]]の[[自然環境保全地域]]指定海域にある世界一の大きさを誇る[[サンゴ|アザミサンゴ]]に傷がつけられていることを取り上げ、その象徴として「K・Y」という[[イニシャル]]が刻まれた珊瑚の写真と共にモラル低下を嘆く記事を掲載する。しかし、疑問に思った地元ダイバーらの調査の結果、記者自身によって無傷の状態であったのに「K・Y」というイニシャルが刻まれたという[[捏造]]が発覚。社長が引責辞任に追い込まれる事態へと発展した。こうして、朝日新聞は[[リクルート事件]]という一大スクープを放ったにもかかわらず、その年の新聞協会賞受賞を逃すことになる。<br />
<br />
*[[1991年]]から翌年にかけて「[[従軍慰安婦]]」問題の連載キャンペーンを展開、[[吉田清治 (文筆家)|吉田清治]]著の『私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録』にある「昭和18年([[1943年]])に軍の命令で韓国の[[済州島]]で女性を強制連行して慰安婦にした」という体験談を、4回にわたり報道した。 この「体験談」は現代史家・[[秦郁彦]]の調査により嘘であることが判明し(『正論』[[1992年]]6月号)、吉田清治本人もフィクションであることを認めたにも関わらず(「諸君!」[[1998年]]11月号 秦郁彦)、朝日新聞は何ら反応を示さなかった。又、[[1991年]][[8月11日]]付け朝日新聞は、社会面トップで「思い出すと今も涙」「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」とのタイトルで、「[[日中戦争]]や[[第二次世界大戦|第二次大戦]]の際、[[女子挺身隊]]として戦場に連行され、日本軍人相手に[[売春]]行為を強いられた朝鮮人従軍慰安婦のうち、一人が名乗り出た」と報じた。 この朝鮮人慰安婦の「女子挺身隊として戦場に連行され」たという話にも、「当時、女子挺身隊という制度自体が無いばかりか彼女は親により公娼として売られたことを語っており、全くの捏造である」との反対意見が出されたが(『諸君』[[1996年]]12月「慰安婦『身の上話』を徹底検証する」秦郁彦著)、朝日新聞は反応を示していない。<br />
<br />
*[[1996年]]、フリージャーナリストの岩瀬達哉は、雑誌『Views』に発表した「株式会社朝日新聞社の研究」(のち「朝日新聞社の研究」と改題して『新聞が面白くない理由』に収録)において、巻頭コラム「天声人語」の執筆者だった疋田桂一郎や、海外ルポルタージュで知られる[[本多勝一]]らの著名記者が、[[リクルート]]から、[[リクルート事件]]が発覚する前年の[[1987年]]に接待を受けていたと報じた。本多は編集長を務める雑誌『[[週刊金曜日]]』や、雑誌『[[噂の真相]]』での自身の連載記事・コラムで岩瀬の記事を捏造と非難した上、岩瀬に対し「講談社の番犬」「狂犬」「売春婦よりも本質的に下等」「(フリージャーナリストは)卑しい職業」の言葉を浴びせた。これに対し岩瀬は本多と疋田を名誉毀損で告訴し、本多も[[反訴]]した。東京高裁は[[2005年]]3月、岩瀬の記事について名誉毀損、また本多の反論も「限度を越えた」と認定、互いに敗訴で確定。<br />
<br />
*[[2002年]]6月には[[FIFAワールドカップ]]に関連して、「日本代表での最後の W 杯。 国の名誉という鎧を着せられた試合は楽しめない。 [[中田英寿]]選手が周囲に語る」との記事を掲載し、中田選手が否定して抗議したにもかかわらず謝罪しなかった。4ヵ月後、中田選手が再び日本代表になったときも、「記事内容と異なる結果になったことをお詫びします」と謝罪しつつ、あくまで報道自体は正しかったと主張した。<br />
<br />
*[[2002年]][[4月20日]]の朝刊に掲載された[[有事法制]]に関する FAQ の中で、「'''ミサイルが飛んできたら?'''」という問いに対して「武力攻撃事態ということになるだろうけど、'''1発だけなら、誤射かもしれない'''」と回答した。<br />
<br />
*2004年、社会部記者が取材でミニディスクに無断録音し、さらに録音内容を第三者に渡したため朝日は記者を退社処分にした。朝日は処分の理由は無断録音ではなく、取材相手に敵対する側に内容を渡したからと説明しているが、結果的に今後取材の録音には相手の内諾を得ると内規を作った。<br />
<br />
*2005年1月12日、自民党の安倍晋三・中川昭一両議員から2001年1月30日放送のNHK番組の編集についてNHK上層部に圧力があったのではないかとする報道を行った。7月に、朝日新聞は上記報道の検証記事を掲載した。8月に社内関係者が番組改変の証拠とされる録音テープを魚住昭にリークして講談社の月刊誌『現代』に書かせた。9月30日、朝日新聞がNHK番組改変疑惑の信憑性の検証を委託した第三者機関「『NHK報道』委員会」が「(記者が疑惑を)真実と信じた相当の理由はあるにせよ、取材が十分であったとは言えない。」(「NHK報道」委員会の見解より引用)という見解を出す。これを受けて朝日新聞は取材の不十分さを認めた。一方で記事の訂正や、謝罪はなかった。委員会の見解でも、朝日新聞は検証が十分ではないと指摘されている。番組改変の記事を執筆した記者は激しい批判を受け、2006年に異動になった。<br />
<br />
*[[2005年]][[8月21日]]の朝刊に[[亀井静香]]と[[田中康夫]]が[[長野県]]内で会談を行なったという記事が掲載された。この記事は、取材をともなわない虚像のメモをもとに作成されたもので、実際は[[東京都]]内で会談が行なわれていた。この事件などをきっかけとして朝日新聞の改革が行なわれた。詳細は[[朝日新聞の新党日本に関する捏造事件]]を参照。<br />
<br />
*[[2005年]][[10月19日]]の朝刊で「首相の靖国参拝 賛否二分」という世論調査を元にした記事が掲載されたが、その記事の内容をめぐって前日に社員同士が暴力沙汰を起こし築地署に110番通報していたことが判明した。40代社員が30代社員に暴行を加え、警察に助けを求めようとした際に携帯電話を破壊したとされる。<br />
<br />
*皇室典範改正について2006年2月02日の社説で寛仁親王に発言を控えるよう忠告するが、昭和天皇の靖国に関する発言(いわゆる[[富田メモ]])が報じられた後の7月21日の社説において「重く受け止めたい」とし、皇族の発言の政治利用についてオポチュニズムが徹底している。<br />
<br />
*[[2006年]]末から[[2007年]]初頭にかけて、静岡総局長の私有パソコンから[[Winny]]を通じて個人情報および業務情報が流出した。これによって社員年収の情報も露呈して、格差社会の頂点に立つ朝日新聞の実情が明らかとなり、インターネットの掲示板で批判と羨望を受けた。<br />
<br />
*[[2007年]][[1月6日]]の夕刊で「スポーツ総合誌 苦境」という記事が掲載された。この記事はスポーツ総合誌を「冬の時代に入った」と批判する内容であったが、"[[Sports Graphic Number|Number]]"([[文藝春秋]]社)に関して事実と反する部分が存在した。<br />
<br />
*[[2007年]][[2月1日]]、1月30日の夕刊で掲載された[[富山県]]の[[かんもち]]作りに関する記事で、朝日新聞東京本社編集局の駐在員が、[[読売新聞]]のインターネット版に27日に掲載された「寒風で育つかんもち」という記事を盗用していたことが判明する。問題の駐在員は、「読売新聞のホームページの記事を参考にしながら自分の原稿を書き直した」と話しているという。朝日新聞東京本社では1日午後に読売新聞に謝罪した。後に他の2件の記事も同じく読売新聞のホームページ記事から引用されていることが分かり、記事を書いた記者を解雇するなどの処分を行った。<br />
<br />
*漫画家の[[小林よしのり]]と対立関係にあり、彼の作品である「戦争論」等を巡って社説で数回にわたり直接批判した。朝日新聞が社説において一般人(政治家等以外の立場の人物)を複数にわたり批判したのは小林のみである。<br />
<br />
===社会主義陣営に対する報道とそれに対する批判===<br />
*朝日新聞の中国報道は批判の中でよく言及される。'''[[朝日新聞の中国報道問題]]'''を参照。<br />
<br />
*主に朝日新聞の特定の記者への批判がなされている。<br />
<br />
*また、[[北朝鮮]]についても同様のことが行われたと主張する論説もある。詳細は'''[[帰国事業]]'''を参照<br />
<br />
===安倍首相 朝日新聞社長と会談で詫び受け入れたと側近が証言===<br />
厳しい[[安倍晋三]]首相批判が売りだった朝日新聞だが、社説で経済政策をべた褒めするなど、このところ論調が一変している。<br />
<br />
安倍首相と朝日には因縁がある。[[NHK番組改変事件]]だ。「朝日にとってそれが“トラウマ”になっている」(同紙政治部記者)のだという。<br />
<br />
この事件は、朝日新聞が[[2005年]]1月に、「NHK『慰安婦』番組改変 中川昭・安倍氏『内容偏り』前日、幹部呼び指摘」との見出しで報じた。NHKの従軍慰安婦問題番組の放映前、安倍氏が、「公平ではない」として番組内容を変えるように政治圧力をかけたという報道だ。<br />
<br />
当時、自民党幹事長代理だった安倍氏は報道を否定して朝日の取材を拒否する抗議の姿勢を取り、両者の関係は決定的に悪化した。その1年半後、安倍氏は首相に就任する。朝日のトラウマはそこから生まれた。同紙の政治部記者が“苦悩の安倍政権時代”を振り返る。<br />
<br />
「当時は安倍総理だけでなく、秘書官や官房副長官ら官邸まるごとわが社の取材に協力してくれない状況だった。安倍総理に食い込んでいた社がスクープを抜く中で、うちは記者が情報をつかんでも、裏が取れないから書けない。特オチもひどかった。事務所費問題で辞任した佐田玄一郎・行革担当相の後任に渡辺喜美氏が起用されたときは、完全に他紙に抜かれた」<br />
<br />
記者クラブメディアにとって政権から情報を遮断されるのは死活問題だ。追い込まれた朝日は“相打ち”に持ち込もうとした。<br />
<br />
「こっちも、“だったら政権を潰してやろう”という気になる。当時、安倍さんは公務員改革で官僚の反発を浴びていたから、政権批判の材料なら官僚からどんどんリークが来る。官僚と仲良くなって、追い落としをかけたら政権が本当に潰れてしまった」(同前)<br />
<br />
第1次安倍内閣では閣僚のスキャンダルが相次ぎ、「官邸崩壊」と報じられて支持率が急降下した。その背景に官邸情報から干しあげられた朝日と、公務員改革を骨抜きにしたい霞が関の共同戦線があったことを物語る証言だ。<br />
<br />
そんな朝日にすれば、6年後に安倍氏が再登板する情勢になったとき、“悪夢の再来”と背筋が寒くなったことは十分に想像できる。社説で安倍氏の自民党総裁返り咲きに「大きな不安を禁じ得ない」と書いたのは、自分たちへの“報復の恐怖”だったのではないか。<br />
<br />
そこで朝日は先手を打って、安倍氏が総理になる前に手打ちに動いた。昨年10月3日、朝日新聞に驚くべき記事が掲載された。就任したばかりの安倍総裁のインタビューが他紙にさきがけて載ったのである。「なぜあの朝日に」と他紙の記者たちを慌てさせたほどの“事件”だった。その裏では極秘会談がもたれたという。安倍側近の1人が明かす。<br />
<br />
「なんの挨拶もないまま安倍さんが朝日のインタビューに応じる理由がない。総裁選後に朝日の[[木村伊量]]・社長が安倍さんと会談した。安倍さんにとっても、総選挙をひかえて朝日を敵に回したままではマイナスが大きい。言ってみれば朝日の詫びを受け入れたということだ」<br />
<br />
この会談は、朝日の政治部記者の間にも伝わった。「政治部は総裁選の前から、安倍さんに番記者をつけて関係修復を図ってきた。その集大成がトップ会談。そこで関係修復できたから、安倍さんが一番にわが社のインタビューに応じてくれた。おかげで他紙を出し抜けたし、7年前のような取材拒否にあわなくてすむ」<br />
<br />
== 題字とその地紋 ==<br />
*朝日新聞の題字は、唐の書家・[[欧陽詢]]の『宗聖観記』の中の筆跡から作字したもので、1879年の創刊から使われている。題字の「新」の中の「木」の部分は「未」となっている。これは古い字体であり、この文字が書かれた当時は誤字ではなかった。またその「新」の字が『宗聖観記』の中に無かったことから、「親」の偏と「柝」の旁から点を取り除いたものを組み合わせて「新」を作字した。<br />
<br />
*題字の地紋は、東日本(静岡県以東)と西日本(愛知県以西)で異なっている。東京本社と北海道支社の地紋は、1888年に「東京朝日新聞」として東京に進出した頃から使用している「[[サクラ]]」。「朝日ににほふ山桜花」の古歌の意味を表わしている。大阪本社と西部本社、名古屋本社の地紋は「浪速の葦(なにわのあし)」で、大阪で生まれた新聞であることを表わしている。なお、社旗も東日本と西日本で異なっており、東日本は朝の字が左端にあって旭光が右に向かっているのに対し、西日本はその逆となっている。それぞれ朝日が東日本・西日本を照らしている意味からきている。<br />
<br />
== 【報道しない自由】京大教授「朝日と毎日の報道番組は、もはやただの思想誘導だ」 ==<br />
京都大学公共政策大学院特別教授 [[佐伯英隆]]<br />
<br />
昔から議論のネタではあったが、近年、自公から民主へ、さらに民主から自公への政権交代過程に伴い、[[マスメディア]]の公平・中立性の議論が一段と喧しい。<br />
<br />
先の衆院選、参院選では、個々の弁士の演説終了後、かなりの頻度で取材中のマスコミ関係者に対し聴衆から「偏向マスコミ帰れ」の大合唱が沸き起こった。これまでに無い出来事である。<br />
<br />
「事実」という断片だけを繋ぎ合わせても記事や報道はできない。そもそも、どの「事実」を報道するのかという取捨選択から始まり、記事や番組の構成、強調点、誰のコメントを付すかなどに報道者の選択が入る事は避けられず、報道する側の主観を一切排除した完璧な公正・中立報道などは本来幻想でしかない。もともと報道各社ごとに政治的色彩の違いはあった。<br />
<br />
ただ、従来その色彩の違いが「何となく」であったものが、近年急速に鮮明かつ露骨になったのではないか。これまでマスメディアは一応、公平・中立という建前の旗印だけは降ろさずに来たが、最近その仮面もかなぐり捨てて、それぞれ思い思いの方向に突っ走り、タガが外れた印象がある。<br />
<br />
報道者側は報道する自由もあるが、「[[報道しない自由]]」もある。これを駆使すれば、自らの主張に沿う報道を作り上げることは極めて容易である。<br />
<br />
また、「議論を呼びそうだ」「問題となりそうだ」という表現を加えて世論を誘導することも簡単だ。そういった誘惑を報道人としての使命感と矜持で自制してもらいたいのだが、自制より報道各社の政治方針に沿う事の方が(出世のためには?)重要と見える。<br />
<br />
テレビの「報道番組」に至っては、視聴者を番組制作者側の政治的信条・主張に沿って誘導するショーと化している。<br />
<br />
新聞・雑誌と異なり、電波帯域という公共財を特別に使用する権能を付与されたテレビ・ラジオには、[[放送法]]第4条で政治的公平性と、意見対立案件についての多角的論点提示が義務付けられているのだが、それを意識している番組製作者が何人いるのだろうか。<br />
<br />
[[CNN]]や[[BBC]]では、意見対立案件については、双方の論者を画面に登場させて議論させるケースが多々見られるが、我が国では、コンセンサス形成という予定調和を望む傾向が強く、それが反映されるのか、双方が対立意見を戦わせるという番組の構成はほとんど見かけない。視聴者に選択させるという事をせず、「番組製作者が考えるコンセンサス」に誘導していこうという意図が見透かされるものが多い。<br />
<br />
新聞も一種の危機である。経団連調べによれば、新聞記事への信頼度は57%で、テレビやネットを大きく上回っているとの事だが、逆に言えば4割強の人が新聞記事を信頼していないという事であり、一昔前、新聞に書かれてあることをほとんどの人がそのまま真実だと受け取っていた「幸せな時代」からすれば劇的な変化だ。<br />
<br />
ネット情報に対する信頼度は確かに低いが、それはネットとは、さまざまな人が自己の主張や心情に基づき、さまざまな情報を展開する場であるという事を「皆が知っている」からである。<br />
<br />
しかし、その多様性ゆえにマスメディアの報道に対して「本当にそうか」自ら調べる検証装置、セカンドオピニオンの提供機能を果たしている。民衆は新聞記事を自ら検証する手段を史上初めて手に入れた訳である。新聞人はこの数字をもっと深刻に捉えるべきであろう。マスメディアが公正・中立という仮面まで捨ててしまうのは緩慢な自殺行為である。<br />
<br />
さえき・ひでたか [[大阪府]]出身。[[東京大学法学部]]、[[ハーバード大学]]J・Fケネディ行政大学院卒。[[1974年]]、[[通産省]](現経産省)に入省。在[[ジュネーブ]]日本政府代表部参事官、[[島根県警]]本部長、通商政策局審議官などを経て[[2004年]]に退官。現在、イリス経済研究所代表などを務める。<br />
<br />
== 朝日が日本を国際社会の笑い物に…歪曲された麻生発言(2013年8月 [[櫻井よしこ]]) ==<br />
なるほど、朝日新聞はこのようにして事柄を歪曲していくのか。麻生太郎副総理発言を朝日新聞が報じる手口を眼前にしての、これが私自身の率直な感想である。<br />
<br />
8月1日と2日、朝日の紙面は麻生発言で「熱狂」した。日によって1面の「[[天声人語]]」、社会面、社説を動員し、まさに全社あげてといってよい形で発言を批判した。<br />
<br />
討論会の主催者兼司会者として現場に居合わせた私の実感からすれば、後述するように朝日の報道は麻生発言の意味を物の見事に反転させたと言わざるを得ない。<br />
<br />
7月29日、私が理事長を務める国家基本問題研究所(国基研)は「日本再建への道」と題した月例研究会を主催した。衆議院、都議会、参議院の三大選挙で圧勝、完勝した安倍自民党は、如何にして日本周辺で急速に高まる危機を乗り越え、日本再建を成し得るかを問う討論会だった。<br />
<br />
日本再建は憲法改正なしにはあり得ない。従って主題は当然、憲法改正だった。<br />
<br />
月例研究会に麻生副総理の出席を得たことで改正に向けた活発な議論を期待したのは、大勝した自民党は党是である憲法改正を着実に進めるだろうと考えたからだ。<br />
<br />
が、蓋を開けてみれば氏と私及び国基研の間には少なからぬ考え方の開きがあると感じた。憲法改正を主張してきた私たちに、氏は「自分は左翼」と語り、セミナー開始前から微妙な牽制球を投げた。<br />
<br />
セミナーでも氏は「最近は左翼じゃないかと言われる」と述べ、改正論議の熱狂を戒めた。私はそれを、改正を急ぐべしという国基研と自分は同じではないという氏のメッセージだと、受けとめた。<br />
<br />
「憲法改正なんていう話は熱狂の中に決めてもらっては困ります。ワァワァ騒いでその中で決まったなんていう話は最も危ない」「しつこいようだが(憲法改正を)ウワァーとなった中で、狂騒の中で、狂乱の中で、騒々しい中で決めてほしくない」という具合に、氏は同趣旨の主張を5度、繰り返した。<br />
<br />
事実を見れば熱狂しているのは護憲派である。改憲派は自民党を筆頭に熱狂どころか、冷めている。むしろ長年冷めすぎてきたのが自民党だ。いまこそ、自民党は燃えなければならないのだ。<br />
<br />
にも拘わらず麻生氏は尚、熱狂を戒めた。その中でヒトラーとワイマール憲法に関し、「あの手口、学んだらどうかね」という不適切な表現を口にした。「[[ワイマール憲法]]が[[ナチス]]憲法に変わった」と氏はいうが、その事実はない。有り体に言って一連の発言は、結局、「ワイマール体制の崩壊に至った過程からその失敗を学べ」という反語的意味だと私は受けとめた。<br />
<br />
憲法改正に後ろ向きの印象を与えた麻生発言だったが、朝日新聞はまったく別の意味を持つものとして報じた。<br />
<br />
たとえば1日の「天声人語」子は、麻生発言を「素直に聞けば、粛々と民主主義を破壊したナチスのやり方を見習え、ということになってしまう」と書いた。前後の発言を合わせて全体を「素直に聞」けば、麻生氏が「粛々と民主主義を破壊」する手法に習おうとしているなどの解釈が如何にして可能なのか、不思議である。天声人語子の想像力の逞しさに私は舌を巻く。<br />
<br />
朝日の記事の水準の高さには定評があったはずだ。現場にいた記者が麻生発言の真意を読みとれないはずはないと思っていた私は、朝日を買いかぶっていた。<br />
<br />
朝日は前後の発言を省き、全体の文意に目をつぶり、失言部分だけを取り出して、麻生氏だけでなく日本を国際社会の笑い物にしようとした。そこには公器の意識はないのであろう。朝日は新たな歴史問題を作り上げ、憲法改正の動きにも水を差し続けるだろう。そんな疑惑を抱くのは、同紙が他にも事実歪曲報道の事例を指摘されているからだ。<br />
<br />
典型は「読売新聞」が今年5月14、15日付で朝日の誤報が慰安婦問題を政治問題化させたと報じた件だ。読売の朝日批判としては珍しいが、同件について朝日は説明していない。<br />
<br />
古い話だが、歴史問題にこだわるなら、昭和20年8月の朝日の報道も検証が必要だ。終戦5日前に日本の敗戦を示唆する政府声明が発表され、朝日新聞の編集局長らは当時こうした情報を掴んでいた。新聞の使命としていち早く、日本敗戦の可能性を国民に知らせなければならない。だが、朝日新聞は反対に8月14日、戦争遂行と戦意高揚を強調する社説を掲げた。これこそ、国民への犯罪的報道ではないか。朝日の歴史認識を問うべきこの事例は『朝日新聞の戦争責任』(安田将三、石橋孝太郎著、太田出版)に詳しく、一読を勧めたい。<br />
<br />
これらのことをもって反省なき朝日と言われても弁明は難しい。その朝日が再び麻生発言で歴史問題を作り出し、国益を害するのは、到底許されない。<br />
<br />
それはともかく、自民党はまたもや朝日、中国、韓国などの批判の前で立ちすくむのか。<br />
<br />
中国の脅威、韓国、北朝鮮の反日、米国の内向き志向という周辺情勢を見れば、現行憲法改正の急務は自明の理だ。それなのに「冷静な議論」を強調するのは、麻生氏を含む多くの自民党議員は憲法改正に消極的ということか。<br />
<br />
日本が直面する危機に目をつぶり、結党の志を横に措き、憲法改正の歩みを緩めるのだろうか。であれば、護憲の道を歩む朝日の思う壺ではないか。自民党はそれでよいのか。私の関心は、専ら、この点にある。<br />
<br />
== 【集団的自衛権】若い世代は国内の反日メディアに同調せず。朝日新聞などの過激な報道はそれへのイラ立ち ==<br />
「[[東アジア]]で[[集団的自衛権]]を認めないのは、[[中国共産党]]と[[日本共産党]]、[[社民党]]だけだ」<br />
<br />
[[マイケル・グリーン]]米元国家安全保障会議アジア上級部長は、自民党議員にこう語ったが、正確な分析だ。中韓両国を除くアジア諸国は、わが国の集団的自衛権の行使容認を支持している。<br />
<br />
6月には、[[フィリピン]]のアキノ大統領と、[[オーストラリア]]のビショップ外相が、5月には[[シンガポール]]の[[リー・シェンロン]]首相と、[[ベトナム]]のダム副首相が、4月には[[マレーシア]]のナジブ首相が、昨年9月には[[タイ]]のユタサック国防副大臣が、同年1月には[[インドネシア]]のユドヨノ大統領が、それぞれ支持を表明している。<br />
<br />
いずれも、中国の台頭に手を焼く「被害者の会」のような諸国だ。アジアの平和と安定のためには、日本のこれまで以上の貢献が必要とみている。今日のアジア情勢を踏まえた常識的かつ現実的な判断だ。<br />
<br />
だが、日本の一部メディアや勢力の見方は違う。[[安倍晋三]]首相を「国民の敵」に設定したいようだ。特に、朝日新聞は連日、「戦争になる」「徴兵制になる」などと読者の不安をあおり続けている。<br />
<br />
政治面だけでなく、<br />
<br />
「さて閣下あとは開戦待つばかり」(7月2日付「朝日川柳」)<br/><br />
「暦を1枚めくるともう戦後ではなかった。理性も良心もかなぐり捨てて。自衛隊発足60年の日からの新たな戦前」(同1日付夕刊「素粒子」)<br/>「『教え子を戦地に送るな』と声を上げた小学校教諭の男性(45)は大分県から夜行バスで駆けつけた」(同1日付夕刊社会面)-。<br />
<br />
と煽動し続けている。官公労中心の抗議活動の写真も掲載している。<br />
<br />
現行憲法は、[[第2次世界大戦]]敗戦後の占領中、日本を連合国共通の「敵」とする「[[ポツダム体制]]」の下で作られた。9条はその趣旨を固定するものだ。だが、[[東西冷戦]]が始まり、「ポツダム体制」は壊れた。占領が終わり、日本は主権を回復し、新たな国際秩序「サンフランシスコ体制」に復帰した。そこでは日米は敵対関係ではなく、同盟関係となった。[[自衛隊]]と[[日米安保条約]]はそこに位置付けられるものだった。 <br />
<br />
憲法とわが国が属している国際秩序とは、その立脚する原理を異にする。本来であれば、主権回復した時点で憲法は改正されるべきものだった。実際、何度も試みられた。が、その都度、旧社会党など社会主義勢力と一部メディアに阻まれた。今日、集団的自衛権の政府憲法解釈に変更に反対しているのはその嫡流だ。<br />
<br />
若い世代は彼らに同調しない。ネットで世界の現実を知り、メディアを疑ってみているからだ。 <br />
<br />
一部の過激な報道は、それへのイラ立ちと見てよい。<br />
<br />
== 板橋連続不審火、朝日新聞配達員の男を再逮捕。2人死傷の民家火災など8件 ==<br />
[[東京都]][[板橋区]]で2014年3月、駐車場の車に火を付けたとして器物損壊で逮捕された朝日新聞配達員の長岩拓人(32)が直前にコンビニ店で商品に火を付けた疑いが強まり、警視庁捜査1課が4月7日にも同容疑などで長岩容疑者を再逮捕する方針を固めた。現場周辺では2人死傷の民家火災など8件の連続不審火が起きており、捜査1課はいずれも長岩の犯行とみている。<br />
<br />
長岩は2014年3月17日午後10時半ごろ、同区大山町のコンビニ店で、木炭が入った段ボール箱にライターで火を付けて焼損させた。店内の防犯カメラに木炭の陳列棚付近をうろつく様子が写っていた。<br />
<br />
長岩は同11時ごろ、近くの駐車場で車のバンパーが燃える不審火が起きた直後、ライター2個を持っていたところを警戒中の警察官に取り押さえられ、器物損壊容疑で現行犯逮捕されていた。<br />
<br />
現場周辺の半径約150メートルの範囲では同10時以降、コンビニ店と駐車場の他に、民家が全焼し、住人の無職女性(88)が死亡、息子(64)がやけどで重傷を負うなどの不審火が6件発生。いずれも長岩の新聞配達のルート沿いで起きていた。<br />
<br />
長岩は逮捕時に泥酔状態で、「むしゃくしゃしてやった。他にもやったと思う」と供述。その後は「酔っていて覚えていない」と話している。<br />
<br />
== 朝日新聞の読み方 ==<br />
* 「しかし、だからといって」 = ここから先が本音であるという意味 <br />
* 「議論が尽くされていない」 = 朝日の望む結論が出ていないという意味 <br />
* 「国民の合意が得られていない」 = 朝日の意見が採用されていないという意味 <br />
* 「異論が噴出している」 = 朝日が反対しているという意味 <br />
* 「政府は何もやっていない」 = 朝日好みの行動を取っていないという意味 <br />
* 「内外に様々な波紋を呼んでいる」 = 朝日とその仲間が騒いでいるという意味 <br />
* 「心無い中傷」 = 朝日が反論できない批判という意味 <br />
* 「皆さんにはもっと真剣に考えてほしい」 = アンケートで朝日に不利な結果が出てしまいましたという意味 <br />
* 「アジア諸国」 = 中国、韓国および北朝鮮の事、それ以外の多くのアジアの国は含まれない <br />
* 「そうではないと私たちは考える」 = お前たちもそう考えろという意味<br />
<br />
== 文字表記 ==<br />
*1950年代から、当用漢字表外の漢字の表記について、朝日新聞社が独自に簡略化した通称[[朝日文字]]と呼ばれる字体が使用されている。2007年1月15日からは、約900について朝日文字の使用を取りやめ、[[康煕字典体]]を使用している。<br />
<br />
== 広告 ==<br />
*大学教員や学校教師が愛読して他人にも読まそうとするので学生の読者も多い。そのためか就職情報などの広告が他紙に比べて多く大学入試の試験問題にも良く出される。<br />
<br />
*『[[週刊新潮]]』など自社に都合の悪いことを書くメディアの広告を拒否したり検閲したりする。<br />
<br />
*近年はさまざまな理由で広告収入減の傾向にある(そのためかもともと受け入れない方針の[[創価学会]]の広告を受け入れるようになった)。<br />
<br />
=== 朝日新聞が一般家庭に朝刊を無料でバラ撒き非難轟々「ゴミを入れるな」「タダでもいらない」(2014年10月) ===<br />
朝日新聞が一般家庭に無料で新聞をバラ撒き始めたとしてネットで話題になっている。朝日新聞が朝刊を無料でポストに入れているとしてネットで話題になるとともにバッシングの強さを改めて感じさせている。<br />
<br />
"突然に朝日新聞の配達をして、申し訳ありません。誠に勝手ではありますが、朝日新聞朝刊を無料でお届けさせていただきます。”<br />
<br />
新聞のサンプル配達は広く行われておりそれ自体に目新しさはないが、朝日新聞が行っているということで不快感を露にする方が続出している。<br />
<br />
ネットで話題になることで朝日新聞への嫌悪感が強いことが改めて浮き彫りとなる形となっておりサービスしている朝日新聞にとっては皮肉な結果になっている。<br />
<br />
無料配達は販売店単位で行っている施策である可能性もあるため、朝日新聞の本社が関与しているかどうかについては不明。しかしネットでは「嫌がらせだ」「見たくもない」「有害図書を配るな」などと非難轟々。<br />
<br />
朝日新聞及び販売店など関係者一同は自分たちが国民からどのように見られているのか、再度省みた上で施策を検討したほうがよさそうだ。<br />
<br />
== 地方局の反応について ==<br />
*朝日新聞は大阪腸捻転解消、メ~テレや九州朝日放送のネット一本化など、厄介なことに関わっているので、多くの地方局から嫌われているのは事実である。<br />
<br />
== 関連著名人 ==<br />
* [[安藤正純]](元[[歴代の文部大臣|文部大臣]])<br />
* [[池辺三山]](元東京朝日新聞社主筆)<br />
* [[石井光次郎]](元[[衆議院]]議長)<br />
* [[石川啄木]]([[歌人]])<br />
* [[伊豆冨人]](元[[熊本日日新聞]]社社長)<br />
* [[上野精一]](元朝日新聞社社長)<br />
* [[上野理一]](元朝日新聞社社長)<br />
* [[うつみ宮土理]](タレント・作家)<br />
* [[緒方竹虎]](元[[自由党_(日本)|自由党]]総裁)<br />
* [[尾崎秀実]]([[ゾルゲ事件]]で処刑)<br />
* [[川本三郎]]([[評論家]])<br />
* [[河野一郎]](元[[農林水産大臣|農林大臣]]・[[歴代の建設大臣|建設大臣]])<br />
* [[小坂徳三郎]](元[[経済企画庁]]長官・[[歴代の運輸大臣|運輸大臣]])<br />
* [[佐々弘雄]](元[[参議院議員]]・[[熊本日日新聞]]社社長)<br />
* [[佐藤昇]]([[ジャーナリスト]]・朝日新聞を正す会事務局長・週刊報道サイト社長)<br />
* [[志賀健次郎]](元[[防衛庁長官]])<br />
* [[篠田弘作]](元[[自治大臣]])<br />
* [[下村宏]](元国務大臣(内閣[[情報局]]総裁)・[[日本放送協会|NHK]]会長)<br />
* [[杉村楚人冠]]([[随筆家]]、[[俳人]])<br />
* [[鈴木正文]](元[[労働大臣]])<br />
* [[田岡俊次]](ジャーナリスト・軍事評論家)<br />
* [[田川誠一]](元[[新自由クラブ]]代表・[[自治大臣]])<br />
* [[筑紫哲也]](ジャーナリスト・テレビニュースキャスター)<br />
* [[永井道雄]](元[[歴代の文部大臣|文部大臣]])<br />
* [[中野正剛]](元[[衆議院議員]]・[[東方会]]総裁)<br />
* [[夏目漱石]]([[小説家]])<br />
* [[野田武夫]](元[[自治大臣]])<br />
* [[野村秀雄]](元[[日本放送協会|NHK]]会長・[[熊本日日新聞]]社社長)<br />
* [[橋本登美三郎]](元[[歴代の建設大臣|建設大臣]]・[[官房長官]]・[[歴代の運輸大臣|運輸大臣]])<br />
* [[長谷川如是閑]](ジャーナリスト、文明評論家)<br />
* [[羽田武嗣郎]](元[[衆議院議員]]。元内閣総理大臣[[羽田孜]]の父)<br />
* [[服部敬雄]](元[[山形新聞]]社社長)<br />
* [[広岡知男]](元朝日新聞社社長)<br />
* [[藤井丙午]](元[[新日鉄]]副社長・[[参議院議員]])<br />
* [[二葉亭四迷]]([[小説家]])<br />
* [[古垣鐵郎]](元[[日本放送協会|NHK]]会長)<br />
* [[細川護熙]](元[[内閣総理大臣]])<br />
* [[本多勝一]](ジャーナリスト)<br />
* [[前田多門]](元[[歴代の文部大臣|文部大臣]]・初代[[ソニー]]社長)<br />
* [[前田義徳]](元[[日本放送協会|NHK]]会長)<br />
* [[松井やより]](ジャーナリスト)<br />
* [[松島みどり]]([[自由民主党]][[衆議院議員]])<br />
* [[松本清張]](作家)<br />
* [[美土路昌一]](初代[[全日本空輸|全日空]]社長・元朝日新聞社社長)<br />
* [[村山長挙]](元朝日新聞社社長)<br />
* [[村山美知子]](朝日新聞社社主)<br />
* [[村山龍平]](元朝日新聞社社長)<br />
* [[笠信太郎]](元朝日新聞社論説主幹(常務取締役))<br />
<br />
==関連項目==<br />
*[[女性国際戦犯法廷]]<br />
*[[下村満子]]<br />
*[[プロパガンダ]]<br />
*[[捏造]]<br />
*[[情報操作]]<br />
*[[偏向報道]]<br />
<br />
== 4コマ漫画 ==<br />
* [[ののちゃん]](となりの山田くん) - [[いしいひさいち]]作 - 2005年12月現在連載中<br />
* [[地球防衛家のヒトビト]] - [[しりあがり寿]] - 2005年12月現在連載中<br />
* [[サザエさん]] - [[長谷川町子]]作 - 1940年代後半~[[1974年]][[2月21日]]<br />
* [[フジ三太郎]] - [[サトウサンペイ]]作 - [[1965年]][[4月1日]]~[[1991年]][[9月30日]]<br />
<br />
==[[ポッドキャスティング]]==<br />
*[[スポーツポッドコーナー]]<br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
* [[古森義久]]+[[井沢元彦]]+[[稲垣武]](共著)『朝日新聞の大研究』([[扶桑社]])<br />
* 稲垣武『朝日新聞血風録』(文春文庫)<br />
* 片岡正巳『朝日新聞の「戦後」責任』([[展転社]])<br />
* [[小林よしのり]]、井沢元彦『朝日新聞の正義』([[小学館]])<br />
* [[読売新聞]]論説委員会編『読売VS朝日 21世紀・社説対決』『読売VS朝日 社説対決・北朝鮮問題』『読売VS朝日 社説対決・50年』([[中公新書]]ラクレ)<br />
* [[城山三郎]]『鼠 鈴木商店焼打ち事件』([[文春文庫]])<br />
* 安田将三+石橋孝太郎(共著)『朝日新聞の戦争責任』([[太田出版]])<br />
* [[平頂山事件|田辺敏雄]]『朝日に貶められた現代史』([[全貌社]])<br />
* [[国際情勢風刺寓話集ニホンちゃん]]<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* [http://www.asahi.com/ asahi.com:朝日新聞の速報ニュースサイト] - 朝日新聞による公式ニュースサイト<br />
* [http://aspara.asahi.com/ 朝日新聞アスパラクラブ] - 愛読者のクラブ<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:あさひしんふん}}<br />
[[Category:日本の新聞]]<br />
[[Category:朝日新聞社|*]]<br />
[[Category:朝日新聞社の出版物]]<br />
[[Category:日本の左翼]]<br />
[[Category:反日主義]]<br />
[[Category:プロパガンダ]]</div>
Fromm
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E7%AB%B9%E6%B0%B8%E8%91%B5&diff=359808
ウェスティン竹永葵
2018-09-10T02:17:35Z
<p>Fromm: </p>
<hr />
<div>[[Image:竹永葵 1.jpg|400px|thumb|竹永 葵]]<br />
'''ウェスティン竹永葵'''(1990年9月8日~)とは、[[中央大学]]理工学部の[[ウェスティンホテル東京]]の元アルバイト店員。[[ブスリークス]]創立者。<br />
<br />
[[2011年]][[1月11日]]、[[Twitter]]にて元サッカー日本代表の[[稲本潤一]]とタレントの[[田中美保]]が来店、宿泊したことを暴露し[[2ちゃんねる]]で祭りとなった。<br />
<br />
== 事件概要 ==<br />
[[Image:竹永葵 2.jpg|400px|thumb|ツイッターで暴露]][[Image:竹永葵 3.jpg|300px|thumb|アンドレアス・トラウトマンスドルフ総支配人]]<br />
[[2011年]][[1月11日]]夜、アルバイト店員・竹永葵が個人のTwitterアカウントで、稲本と田中美保がプライベートで来店していたことを投稿したのが発端。「今夜は2人で泊まるらしいよ」などとも書いていたことから、Twitter上で話題になり、拡散した。<br />
<br />
竹永は過去にも著名人の来店情報を投稿していたことから、「アルバイトとはいえ訪れた著名人の情報を暴露するのは問題ではないか」と批判が相次いだ。竹永はTwitterアカウントを削除したが、ネット掲示板で自身の個人情報が特定されるなど、“祭り”となった。<br />
<br />
ウェスティンホテル東京(東京・恵比寿)は[[2011年]][[1月12日]]、ホテル内の飲食店のアルバイト店員が、芸能人がプライベートで来店した情報などをTwitterに投稿し、顧客に迷惑をかけたとして謝罪した。<br />
<br />
同ホテルによると、従業員は社員、アルバイトにかかわらず入社時に顧客情報の守秘義務などについて研修を受け、誓約書に署名しているという。竹永に対しては今後<br />
「厳しい処分を下す」とした。<br/><br />
同ホテルは12日夜、[[アンドレアス・トラウトマンスドルフ]]総支配人名で「今回の事態を厳粛に受け止め、今後このようなことが発生しないよう、再発防止に努めると共に、信頼回復に向けて邁進していく所存でございます」と謝罪する文書をWebサイトに公表した。<br />
<br />
== 竹永葵の経歴 ==<br />
*竹永葵 (1990年9月8日生まれ) 東京都目黒区目黒本町在住 <br />
*中学校:私立女子学院 <br />
*高校:私立女子学院 <br />
*予備校:早稲田塾(現役合格だが在学中に通っていた模様) <br />
*大学:中央大学理工学部情報工学科在学中 (洋弓部所属)学籍番号09D8103011D<br />
**なお[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E6%95%99%E6%8E%88%E5%88%BA%E6%AE%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6 事件]直後のため竹永入学時の倍率は突出して低い<br />
*卒業研究:『STFTフィルタバンクとメル尺度を用いた音楽に対する電子透かし法の改良』趙研究室<br />
*バイト:ウェスティンホテル東京 22F 「鉄板焼 恵比寿」 <br />
*資格:基本情報処理技術者 <br />
*携帯電話契約先:あう(機種 : SA002) <br />
*自宅の部屋:窓二つの角部屋<br />
*希望就職先:オリエンタルランド(ホテル)<br />
<br />
== 本人判明まで ==<br />
[[Image:竹永葵 4.jpg|400px|thumb|田中 美保]][[Image:竹永葵 5.jpg|400px|thumb|稲本 潤一]]<br />
1/11 22:50 問題のツイート<br/><br />
1/12 02:40 [[ν速]]に最初のスレが立つ<br/>02:40 [[Twitter]]プロフィールから学部確認<br/>03:07 Twitterの登録リストから女子学院であることを確認<br/>03:13アカウントのtkngから苗字は徳永、竹永を類推<br/>03:15 [[mixi]]アカウント発見、参加コミュから09入学の中央大、予備校は早稲田塾<br/>03:15 Twippleの写真からウェスティンホテル東京を確認<br/>03:17 Google検索、中央大学理工学部、洋弓部に竹永葵を確認<br/>03:20 昨年の対戦相手、明大アーチェリー部の試合記録にて中央大に竹永葵を発見<br/>03:36 過去のツイート「22階から見る景色」「忙しかった。そんなに高級鉄板焼きが食べたいか」勤務先「恵比寿」確認<br/>03:37 Twitter,Twilogとも魚拓確保<br/>03:57 facebookアカウント発見、最初の顔写真<br/>04:05 mixiアカウント名変更<br/>04:05 Twitterアカウント削除<br/>04:20 facebookアカウント削除(これにてこれらのアカウントが同一人物であることがほぼ確定)<br/>05:30 ガジェット通信、ロケットニュース掲載<br/>06:05 芸スポ板に最初のスレ<br/>06:47 既婚女性板に最初のスレ<br/>12:55 卒業アルバムの写真がうpされる<br/>16:48 MSN産経にニュース掲載<br/>17:22 Yahooニュース掲載<br/>21:05 総支配人からお詫び掲載<br />
<br />
== 竹永のツイート集 ==<br />
[[Image:竹永葵 6.jpg|350px|thumb|竹永 葵]]<br />
*[[稲本潤一]]と[[田中美保]]がご来店 田中美保まじ顔ちっちゃくて可愛かった…今夜は2人で泊まるらしいよ お、これは…(どきどき笑)<br />
*久々にバイト先で芸能人見たー [[大沢たかお]]が店に来た…!<br />
*うちに[[Stevie Wonder]]が泊まってるらしい!会いたいー笑<br />
*明日もバイトなわけだが…明日は超超VIPな人が来る。うちのレストランのマネ2人が玄関に迎えに行く程の。警視庁のSPが警備に来るとかどんだけwwwwww<br />
*[[日銀]]の総裁と[[日産]]の[[CEO]]wwwww たぶん円高への対応と中国と今後の日本経済についての密談じゃないかな?<br />
*明日[[タイガーウッズ]]来るらしい 背とか何もかもが大きくて迫力ありそう(笑)<br />
*ていうか今日も日産の社長くるっぽい。またSP来るのかな…<br />
<br />
== 竹永のmixiより ==<br />
あーあもう 久々に例の、仕事できないくせに理不尽なことでキレる社員(30代独身女)に雷落とされたな。<br />
「なんで意識がそんなに足りないの?大学生でバイトだからってそんな風なのは許さないからね!取れなかった分(伝票を客に渡すのが諸事情により間に合わなかった<br />
の)自分で払えるの?って話。」<br />
<br />
渡そうと思ったらその人のサイン入ってなくて確認したら伝票打ち間違ってて直し行って帰ってきたらちょうどその客が帰るところで。もちろん私の落ち度だけどそこ<br />
まで言われる筋合いはないさ。<br />
<br />
理系をなめんなよ。口喧嘩では負けないんだから。部下のミスをカバーして収拾つけるのが上司の仕事だろ?客の前で部下に責任押し付けてどうすんのよ。 <br />
<br />
とまぁそんなこといって逆上したらさらにバカを見るのでしおらしく謝っといた。それで済むしそのうちおさまるからね。もう慣れちゃった。<br />
<br />
「なんでもないです」って言ったのに、誰かしらに事情を聞いた同い年の男の子が「あの金額なんてホテルの全収入からしたらカスですよ。もしとりそこなってたとし<br />
てもその分僕が個室とかでとってくるし」って言ってくれた事が惚れたはれたとかではなく、純粋にすごく嬉しくてそのために涙がでた。<br />
<br />
そう。悪いけど、その人に女として負けてはいないと自負しているからいいやって毎回思うことにしてる。絶対その人と同じ立場だったら私の方が仕事できるし、周りといい人間関係つくるれるし、その人より絶対可愛い自信があるし女子力は絶対負けてないと思うの。傍目からみたら相当うざいけどね笑<br />
<br />
=== 2010年10月21日(木) === <br />
[[Image:竹永葵 7.jpg|350px|thumb|右が竹永 葵]][[Image:竹永葵 8.jpg|350px|thumb|左端が竹永 葵]]<br />
自分のオペレーションが上手くいかないからってそれを部下のせいにして逆ギレするのほんとにやめてほしい<br/> <br />
自分の上司とか自分より年上にはへつらい、部下には自分の采配ミスをくどくど注意するほんとにやめてほしい <br />
<br />
どんどん彼女以外のメンバーがイライラしてくるのをなぜ汲み取れないのか <br />
<br />
悪循環だよ ミス→彼女がキレ→メンバーがだんだんイライラ→ミス→さらに彼女がキレ→… 負のスパイラル <br />
<br />
あれじゃ良いオペレーションできないに決まってるじゃない 言い方も悪い<br/> <br />
なんで○○やってないの? なんで○○できないの? まるで全責任を押しつけるような言い方 しかも咎めるようなきつい口調<br />
<br />
ただひとつ救いなのは一番下っ端で一番怒りをぶつけられる私を他のメンバーが同情してくれること、助けてくれること <br />
<br />
彼らのおかげで私がどれだけ持ち直せてることか 謝謝。 そんなだからみんなに煙たがられてる彼女<br/> <br />
凄いのはキレた5分後には普通に冗談を言って親しく話しかけてくること もうわけわからん <br />
<br />
とりあえず彼女の理不尽な怒りを受け止めて、言いつけられた事をこなし 私がキレないようにセーブするだけで精一杯 <br />
<br />
普段の3倍は疲れる とりあえず自分の思うようにならないと怒り出すのだけはやめてくれないかな<br/> <br />
他のメンバーの優しさが身にしみます コミュニケーション能力じゃ絶対私の方が彼女より上だと思う <br />
<br />
あえて それをやってないのに私の意志を汲もうともしないで なんでまだ○○してないの? ごめんなさい って言ったら 何?社会人はすいませんて言うの だと。そんな<br />
事私と揉めてる暇があったらもっとお客さん見て、ケアしてあげたらいいのに <br />
<br />
そんなに私もばかじゃない <br />
<br />
でも そんな人のために私の価値を落とすような事したら馬鹿を見るから ここは黙っておく それがいかに体力を使うことか<br />
<br />
== 竹永葵の2ちゃんねる削除依頼 ==<br />
[[Image:竹永葵 9.jpg|350px|thumb|左端が竹永 葵]][[Image:竹永葵 21.jpg|thumb|350px|卒業できたらしい]][[Image:神宮寺葵1.jpg|thumb|200px|氏変えたらしい]]<br />
スレタイ【竹永葵】<br/><br />
1 :竹永葵[msbus@livedoor.com]:11/01/22 03:08 HOST:EM114-48-184-226.pool.e-mobile.ne.jp<br/><br />
対象区分:[法人/団体]管理人裁定待ち<br/> <br />
削除対象アドレス: http://hato.2ch.net/test/read.cgi/news/1295617549/1<br/> <br />
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/ms/1295575155/1<br/> <br />
削除理由・詳細・その他: 私、竹永葵への中傷、名誉毀損、脅迫、個人情報拡散<br/> <br />
迅速にスレッドの削除お願いします<br/> <br />
今回の「2ちゃんねる」の一部の人たちが私にした行為は重大な犯罪です<br/> <br />
「2ちゃんねる」の皆さんはおもしろ半分で私の個人情報を拡散するのはやめてください<br/> <br />
すでに警察へは相談済みです 匿名のサイバー犯罪は絶対に許しません 痛い目にあいますよ?<br />
<br />
<br />
2 :通りすがり:2011/01/22(土) 04:23:53 HOST:p7183-ipad90marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp<br/><br />
警察に相談済みということは証拠保存の為削除出来ないでしょ <br />
<br />
<br />
3 :削除ねこ@にゃんた ★:2011/01/22(土) 06:38:07 0<br/><br />
>>1<br/> <br />
対象区分が間違っています。削除依頼は正しくお願いします。<br/> <br />
当スレッドは法人・団体の削除依頼として無効のため停止致します。 <br />
<br />
<br />
4 :停止しました。。。[停止]:停止<br/><br />
偽者・スレッドストッパー。。。( ̄ー ̄)ニヤリッ<br/><br />
<br />
== 竹永葵さんの弓道部掲示板 ==<br />
http://6129.teacup.com/at38chuouniv/bbs?page=7&<br />
<pre><br />
理工のひと… 投稿者:竹永葵 投稿日:2010年 7月 8日(木)13時14分9秒 返信・引用<br />
<br />
来週の火曜日の馬場練、代わってくれる優しいひといますか…?<br />
どうしても行けないんです…<br />
土曜日の3、4限のコマなら代わりに行けるんですが…誰か行けるよってひとがいたらメールください;ω;<br />
食べものでもなんでも、御礼はします…<br />
お願いしますm(_ _)m<br />
<br />
<br />
飲み代 投稿者:再び竹永です 投稿日:2010年 7月 4日(日)23時44分1秒 返信・引用<br />
<br />
遅い時間に失礼。<br />
まだ払ってない人は小林、伊藤で大丈夫でしょうか?(伊藤くんは理工の誰かに渡してね)<br />
他にもいたら正直にメールしてください笑<br />
あと、100円返ってきてないよーって人もメールお願いしますm(_ _)m 名前書いてね!<br />
もしメール来なかったら私の臨時収入になるのでよろしく☆ ではいい夢をーおやすみなさい<br />
<br />
<br />
今日の飲み代 投稿者:給料を削った竹永 投稿日:2010年 7月 4日(日)22時09分19秒 返信・引用<br />
<br />
1人900円を周りにいるひとでまとめて(大きいお金でまとめてくれるとテンションが上がります´・ω・`)<br />
部室の分かりやすいとこにおいといて下さい・∀・ あばうとで申し訳ない<br />
</pre><br />
<br />
これ名前欄のリンクが本人のあうのケータイに直通じゃんwwwおまえら葵ちゃんにメールできるぞw<br />
<br />
== 2ちゃんねるでの講評 ==<br />
[[Image:竹永葵 10.jpg|400px|thumb|新聞記事]][[Image:竹永葵 11.jpg|400px|thumb|新聞記事]]<br />
■被害者一覧<br/>稲本潤一&田中美保(プライバシー晒し)<br/>大沢たかお/EXILEのUSA(プライバシー晒し)<br/>Stevie Wonder/タイガー・ウッズ(プライバシー晒し・セキュリティ妨害)<br/>上野樹里(似ているという手酷い風評被害)<br/>稲川淳二、稲垣潤一 (風評被害)<br/>「恵比寿」の30歳独身女性マネージャー(管理不行き届きで評価崩落)<br/>日銀総裁&日産CEO(プライバシー晒し)・・・極秘会談を全世界に晒される<br/>都道補助26号線沿線住民(プライバシー侵害)・・・多くのスネークに覗かれる<br/>ウェスティンホテル東京(風評被害)<br/>グル―ポン(自業自得)・・・ウェスティンホテルにもクーポン発行<br/>鉄板焼 恵比寿(風評被害)・・・従業員が陰口・業務中の飲酒等を行っている事を暴露される<br/>中央大学理工学部情報工学科学生(信用失墜による就職難)<br/>中央大学理工学部情報工学科リテラシー担当教授(信用失墜:物笑いの種)<br/>女子学院(風評被害)<br/>桜蔭学園(竹永葵以下のドブスしかいないという手酷い風評被害)<br/>ミシュラン(星をつけた飲食店の評判悪化で信用危機)<br/>警視庁警備部警護課(警護計画が飛ぶ=勤務計画爆発)<br/>竹永葵両親(保証人の押印をした為に損害賠償?)<br />
<br />
■活躍が見直された人・組織<br/>雙葉高校→女子御三家の他が自滅した<br />
<br />
■意味が変わった言葉・新語<br/>女子力→ドブスの代名詞=ずうずうしい<br/>ブスリークス<br/>日本のアサンジ<br/>スピーディーワンダー<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[ブスリークス]]<br />
* [[アディダス石津]]<br />
* [[スイーツ]]<br />
* [[女子力]]<br />
<br />
== 竹永葵の関連画像 ==<br />
[[Image:竹永葵 12.jpg|350px]][[Image:竹永葵 13.jpg|350px]][[Image:竹永葵 14.jpg|350px]][[Image:竹永葵 15.jpg|350px]][[Image:竹永葵 16.jpg|350px]][[Image:竹永葵 17.jpg|350px]][[Image:竹永葵 18.png|350px]][[Image:竹永葵 19.gif|350px]][[Image:竹永葵 20.gif|350px]]<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:たけなか あおい}}<br />
[[Category:ウィキリークス]]<br />
[[Category:諜報]]<br />
[[Category:検閲]]<br />
[[Category:安全保障]]<br />
[[Category:インターネット]]<br />
[[Category:ウィキ]]<br />
[[Category:オンライン情報源]]<br />
[[Category:Web 2.0]]<br />
[[Category:中央大学]]<br />
[[Category: ソーシャル・ネットワーキング・サービス]]<br />
[[Category:1990年生]]<br />
[[Category:東京都出身の人物]]<br />
[[Category:画像が多い記事]]<br />
[[Category:バカ]]<br />
[[Category:転落人生]]<br />
[[Category:2ちゃんねるでの祭り]]</div>
Fromm
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E6%B5%9C%E7%94%B0%E9%9B%85%E5%8A%9F&diff=359778
浜田雅功
2018-09-09T05:54:44Z
<p>Fromm: </p>
<hr />
<div>[[Image:吉川麻衣子1.jpg|300px|thumb|ダウンタウン浜田の愛人、吉川 麻衣子]]<br />
[[Image:吉川麻衣子2.jpg|300px|thumb|ダウンタウン浜田の愛人、吉川 麻衣子]]<br />
'''浜田 雅功'''(はまだ まさとし、[[1963年]]([[昭和]]38年)[[5月11日]] - )は、[[日本]]の[[お笑い芸人]]、[[俳優]]、[[エッセイスト]]、[[アーティスト]]、[[司会者]]、[[声優]]であり、お笑いコンビ、[[ダウンタウン (お笑いコンビ)|ダウンタウン]]の[[ツッコミ]]担当、師匠は若杉茂樹である。<br />
<br />
[[吉本興業]]所属。身長165cm。<br />
<br />
== 浜田雅功が過去に共演した29歳グラビア吉川麻衣子と3年間不倫。相手のブログとTwitterに加え事務所HPまで削除 ==<br />
[[Image:吉川麻衣子3.jpg|300px|thumb|ダウンタウン浜田の愛人、吉川 麻衣子]]<br />
ダウンタウンの浜田雅功(51)がグラビアアイドルの[[吉川麻衣子]]と3年間不倫していると[[2014年]]6月発売の[[フライデー]]により報道されている。浜田雅功といえば妻に[[小川菜摘]](51)さんがおり[[1989年]]に結婚。25年間夫婦生活を続けてきている。<br />
<br />
過去にAV女優と不倫して以来、女性関係の噂が全く無かった浜田だが、ここに来てグラビアアイドルの吉川麻衣子と噂が浮上。実は吉川麻衣子とは過去に自身の番組で共演していた。 <br />
<br />
『[[浜ちゃんが!]]』という番組に2012年3月に出演(他のゲスト、[[どりあんず]])。3年前から不倫しているとされているので、この頃には既に不倫が行われていたことになる。同番組に過去にも出演しており、[[2010年]][[8月19日]]放送分に出演(他のゲスト、[[パンクブーブー]])。その頃が不倫の切っ掛けだと思われる。<br />
<br />
またこの報道後に吉川麻衣子の[[ブログ]]と[[Twitter]]が削除された(http://ameblo.jp/kikkawamaiko/)。それだけでなく事務所である[[ケイポイント]]にある吉川麻衣子のプロフィールページも削除された(http://www.kpoint.net/archives/3773)。<br />
ワールドカップの影響で取り上げたのは朝ちゃんとノンだけだった。<br />
<br />
== 略歴 ==<br />
=== 生い立ち ===<br />
[[大阪市]]浪速区大国町で、父・憲五郎、母・信子の間に生まれる。妹が居る。父は[[日本万国博覧会|大阪万博]]にて[[ソビエト連邦|ソ連]]館のペンキ塗りを請け負っていたペンキ屋に勤めていた。幼稚園へあがる頃(4歳の時)に[[スラム街]]の[[尼崎市]]へ移る。それまでは[[芦屋市]]で家族で暮らしていた。[[放送作家]]の[[高須光聖]]とは幼稚園時代からの付き合い。小学校時代に松本と出会う。<br />
<br />
[[1979年]]、[[三重県]]にある全寮制の[[日生学園]]高等学校(現在は[[日生学園|日生学園第一高等学校]])に入学し、2年次に開校にともない移動した[[日生学園|日生学園第二高等学校]]を卒業。高校卒業後の目標は特になかったため、父親の提案で[[競艇]]選手の試験を受けたが底辺のため落第している。<br />
<br />
=== 吉本入り ===<br />
[[Image:吉川麻衣子4.jpg|300px|thumb|ダウンタウン浜田の愛人、吉川 麻衣子]]<br />
[[1982年]]、小学校から中学校時代の同級生である松本人志を誘って[[吉本興業]]入り。同社の若手タレント養成所「[[吉本総合芸能学院]](NSC)」第1期生となる。当初は「松本・浜田」というコンビ名であったが、その後改名により「ひとしまさし」「てるお・はるお」「ライト兄弟」を経て、現在のコンビ名「ダウンタウン」になった。<br />
<br />
デビュー当時はそのふてぶてしい態度から先輩達から忌み嫌われる存在(浜田に関してはよく先輩から奇妙な愛情でいじられていたらしい)であったものの、『[[4時ですよーだ]]』([[毎日放送]])で関西地区での人気を不動のものにする。ほどなくして上京、『[[夢で逢えたら (テレビ番組)|夢で逢えたら]]』([[フジテレビジョン|フジテレビ]])などで人気を博し、[[全国区]]タレントとして広く名を知られるようになる。[[1990年]]前後には[[ウッチャンナンチャン]]・[[とんねるず]]・[[B21スペシャル]]らと共に「[[お笑い第三世代]]」として一大ブームを巻き起こした。その後、お笑いのみの活動にとどまらず、[[俳優]]、[[声優]]、[[歌手]]活動も精力的に行っている。現在ではピンでの司会業が増えている。<br />
<br />
== 芸風 ==<br />
[[Image:吉川麻衣子5.jpg|300px|thumb|ダウンタウン浜田の愛人、吉川 麻衣子]]<br />
先輩や大御所でも臆することなく容赦なしにドツいたり、[[タメ口]]をきいたり、呼び捨てにしたりしてツッコミを入れる。本人によると、「初対面でもタメ口が、仲良くなれるコツ」。<br />
<br />
浜田自身は、テレビ番組を見て良い仕事をしていると感じた後輩ツッコミ芸人に、[[矢部浩之]]、[[名倉潤]]、[[蛍原徹]]、[[三村マサカズ]]、[[天野ひろゆき]]、[[トシ]]、[[後藤輝基]]の7名を挙げている。<br />
<br />
松本は著書やインタビューで「浜田がいなかったらダウンタウンはメジャーな存在にはなっていないだろう」という内容の発言を何度も語っている。『[[プロフェッショナル 仕事の流儀]]』では「僕があいつの弔辞を読むよりあいつが僕の弔辞を読むほうが絶対いい。だからあいつには僕より1日も多く長生きしてもらわんとね」と真剣な顔で述べた。<br />
<br />
松本曰く、浜田は努力家。短気で、非常識なファンには激昂することが多くある。そのくせビビリ。松本が内緒で浜田が入っているトイレのドアを思い切り蹴ったら、中から「えぇ~…?」というか細い声が聞こえた。あがり症で生放送中にも関わらず緊張のあまりえずいてしまったことがある。しかし、子煩悩で教育熱心としても有名。「浜田刑務所」と呼ばれるほどしつけが厳しいが、よく家族連れで遊んでいるのが目撃されている。休日には子供にせがまれるでもなく、自ら率先して遊びに連れて行っている。<br />
<br />
近年は「テーブルに肘をついた拍子にクイズの回答ボタンを押してしまう(リンカーンにて)」「『叩いてかぶってジャンケンポン』なのに『最初はグー』で始めようとした([[ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!|ガキの使い]]にて)」といった天然ぶりがクローズアップされており、これらの番組では、時折イジられキャラになることもある。<br />
<br />
== 作品 ==<br />
=== シングル ===<br />
[[Image:吉川麻衣子6.jpg|300px|thumb|ダウンタウン浜田の愛人、吉川 麻衣子]]<br />
;[[H Jungle with t]]<br />
* [[WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント]](1995年3月15日)<br />
: 1stシングル。[[HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP]]に[[小室哲哉]]が出演した際に浜田がお願いし実現したユニット。間奏とアウトロで松本のセリフ参加。<br />
: 異例のミリオンセラーとなり、その年の[[NHK紅白歌合戦|紅白歌合戦]]に初出場、乱入が噂された松本人志は間奏中に[[GEISHA GIRLS]]で飛び入りした。<br />
* WOW WAR TONIGHT REMIXED(1995年5月24日)<br />
: 上記楽曲のリミックス盤。<br />
* [[GOING GOING HOME]](1995年7月19日)<br />
: 2ndシングル。<br />
* [[FRIENDSHIP (H Jungle with tの曲)|FRIENDSHIP]](1996年4月24日)<br />
: 3rdシングル。本人主演の日本テレビ系ドラマ『[[竜馬におまかせ!]]』主題歌。事実上ラストシングル。<br />
* [[小室ファミリー|TK PRESENTS]] [[YOU ARE THE ONE]](1997年1月1日)<br />
: これまでの小室哲哉がプロデュースしたアーティスト等出演によるチャリティーソング。ワンフレーズを歌唱。<br />
;浜田雅功<br />
* [[春はまだか]](1997年12月12日)<br />
: [[奥田民生]]プロデュースによるシングル。[[東日本旅客鉄道|JR東日本]]のCMで使われた。<br />
: Music Videoやテレビ出演には奥田も参加。<br />
* [[幸せであれ]](1999年6月16日)<br />
: [[朝日放送]]「[[人気者でいこう!]]」で企画されたソロシングル。<br />
* ラブレター(2012年11月20日*<ref>雑誌「SWITCH」2012年12月号(Vol.30 No.12)の付録</ref>)<br />
: 浜田が特集されたカルチャー雑誌「Swtich」Vol.30 No.12(2012年12月号)の付録CDとしてリリース。翌月に配信リリースされた。<br />
: 作詞は放送作家で同級生の[[高須光聖]]、作曲・プロデュースは[[奥田民生]]。<br />
: 楽器演奏はベース以外は全て奥田が演奏しているが、ベースは「人の息子」とクレジットされており、浜田の長男・[[ハマ・オカモト]]が演奏している。<br />
;浜田雅功と槇原敬之<br />
* [[チキンライス (曲)|チキンライス]](2004年11月17日)<br />
: 作詞:松本人志、作曲・プロデュース・コーラスを[[槇原敬之]]が担当。小室同様、「HEY!HEY!HEY!」に[[槇原敬之]]がゲスト出演した際、浜田が曲作ってとお願いしたのがキッカケで作られた。<br />
<br />
=== アルバム ===<br />
[[Image:吉川麻衣子7.jpg|300px|thumb|ダウンタウン浜田の愛人、吉川 麻衣子]]<br />
* [[TK MILLION WORKS]](1996年11月16日)<br />
** 小室哲哉プロデュースのミリオンセラーを集めたベスト盤。「WOW WAR TONIGHT」を収録。<br />
* [[avex 10th Anniversary Presents 十年百曲〜J-POP HIT]](1998年8月5日)<br />
** [[エイベックスグループ|エイベックス]]設立10周年記念の2枚組100曲入りCD。「H Jungle with t」のシングルを3曲収録。<br />
* [[ラスベガス・ファーストクラスの旅]](1999年8月18日)<br />
** 浜田と[[内藤剛志]]と[[袴田吉彦]]の3人による、上記シングルを含む番組企画アルバム。<br />
* [[ARIGATO 30 MILLION COPIES -THE BEST OF TK WORKS-]](2000年3月23日)<br />
** 小室哲哉プロデュース曲の3枚組ベスト。「H Jungle with t」のシングルを3曲とも収録。<br />
<br />
=== VHSビデオ ===<br />
[[Image:吉川麻衣子8.jpg|300px|thumb|ダウンタウン浜田の愛人、吉川 麻衣子]]<br />
※全て未DVD化<br />
* MUSIC<br />
** H Jungle with t were born in 3.15,1995 (1995年5月24日) PV&ドキュメント。<br />
** GOING GOING HOME (1995年9月21日) PV&ドキュメント。<br />
* ゴルフ<br />
** 浜田雅功 勝つためのゴルフ (1995年) ゴルフレッスンビデオ第1弾。全1巻。<br />
** 浜田雅功のシングルGOLF Vol.1~6 (1997年) ゴルフレッスンビデオ第2弾。全6巻。<br />
** ゴルフ者でいこう! 1~6 (1999年) ゴルフレッスンビデオ第3弾。全6巻<br />
<br />
=== DVD ===<br />
* 浜田雅功×横田真一のゴルフ新理論~あなたのスウィングは間違っていた!? ~ (2013年4月3日)<br />
: 浜田がプロゴルファーの[[横田真一]]に学びながら、自分に一番合ったスイングを見つけるためのゴルフ教則DVD。トッププロの[[片山晋呉]]・[[伊沢利光]]・[[深堀圭一郎]]・[[丸山茂樹]]が友情出演しているほか、[[ライセンス]]の[[井本貴史]]、[[どりあんず]]、[[サカイスト]]の[[酒井将芳]]、[[ラフ・コントロール]]の[[森木俊介]]、[[チーモンチョーチュウ]]の[[菊地浩輔]]も出演している。 <br />
<br />
== 出演作品 ==<br />
浜田雅功個人での出演番組・作品を記載。ダウンタウンとしての出演番組・作品は[[ダウンタウン (お笑いコンビ)|ダウンタウン]]の'''出演'''の項目を参照。<br />
<br />
=== バラエティ番組 ===<br />
==== 現在のレギュラー番組 ====<br />
* [[ごぶごぶ]](2007年 - 、[[MBSテレビ|毎日放送]]) - 月2回の放送、2012年4月3日から毎週火曜23:50 - 24:55に放送<br />
* [[浜ちゃんが!]](2008年 -、 [[讀賣テレビ放送|読売テレビ]])<br />
* [[プレバト!!]] (2012年 -、毎日放送) - 2012年8月9日に[[スパモク!!]]枠内で「王様のチョイス! 〜使える芸能人は誰だ!?〜(TBSとの共同制作)」としてパイロット版が放送され、同年10月よりレギュラー放送が決定した。<br />
<br />
==== 単発番組 ====<br />
[[Image:吉川麻衣子9.jpg|300px|thumb|ダウンタウン浜田の愛人、吉川 麻衣子]]<br />
* [[ジャンクSPORTS]](2000年 - 、[[フジテレビジョン|フジテレビ]])- レギュラー放送(2000年 - 2010年)終了後、2011-2012年は秋の改編期特番として放送<br />
* [[芸能人格付けチェック]](2005年 - 、[[ABCテレビ|朝日放送]]) - 正月に放送<br />
* 超人気芸人ガチで大ゲンカ祭(2011年 -、毎日放送) - 元々はレギュラー放送されていた『イチハチ』(2009-2011年)での人気企画を2011年から年末特番として放送<br />
* 神がかりハプニング!プラチナ映像アワード (2013年 -、TBS)<br />
<br />
==== 過去 ====<br />
===== レギュラー番組 =====<br />
* 浜田雅功のシングルGOLF(1996年、[[TBSテレビ|TBS]])<br />
* [[HAMASHO]](1997年 - 1999年・2002年、[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]])<br />
* [[人気者でいこう!]](1997年 - 2001年、[[ABCテレビ|朝日放送]]) - 「濵田雅功」名義で構成も担当<br />
* [[ゴルフ者でいこう!]](1999年、[[テレビ朝日]])<br />
* [[弾丸!ヒーローズ|HAMADA COMPANY 弾丸!ヒーローズ]](2001年 - 2002年、朝日放送)<br />
* [[ハマラジャ]](2002年、[[テレビ東京]])<br />
* [[WINNERS]](2002年、テレビ東京)<br />
* [[浜ちゃんと!]](2003年 - 2008年、読売テレビ)<br />
* [[オオカミ少年 (テレビ番組)|オオカミ少年]](2004年 - 2005年、TBS)<br />
* [[イチハチ]](2009年10月28日 - 2011年3月30日、毎日放送)<br />
* [[ジャパーン47ch]](2011年4月27日 - 9月21日、毎日放送)<br />
* [[ジャパーン47ch|ジャパーン47chスーパー!]] (2011年、[[MBSテレビ|毎日放送]])<br />
* [[Oh!どや顔サミット]](2011年 - 2013年、朝日放送) - 2010年12月17日に単発番組有名人が極秘情報を流出!「世界!どや顔サミット」としてパイロット版が放送された。<br />
<br />
===== 単発・特番 =====<br />
[[Image:吉川麻衣子10.jpg|300px|thumb|ダウンタウン浜田の愛人、吉川 麻衣子]]<br />
* [[夢見るタマゴ!熱血浜田塾]](2002年 - 2004年・2006年 - 、[[日本放送協会|NHK]])<br />
* [[ハンサム3]](2005年、[[毎日放送]])<br />
* [[世界の浜田プロジェクト]](2005年、テレビ朝日)<br />
* [[THE CHAIR]](2005年、TBS)<br />
* お年玉争奪!浜田雅功が堺正章と大新年会スペシャルin沖縄(2007年1月2日、読売テレビ)<br />
* 浜田雅功の新春太っ腹!スーパースターにお年玉あげちゃおうSP(2007年1月3日、[[関西テレビ放送|関西テレビ]])<br />
* [[浜田スーパー親子塾]](2007年、テレビ東京)<br />
* [[浜田警察24時]] (2007年・2008年、読売テレビ)<br />
* 浜ちゃんの大新年会!キム兄の絶品料理争奪戦スペシャル(2008年1月2日、読売テレビ)<br />
* ダヴィンチの夢〜浜田未来科学研究所〜(2008年5月5日、NHK総合)<br />
* 浜田雅功が堺正章と!究極の食材で作る絶品料理食べまくりSP(2009年1月2日、読売テレビ)<br />
* U-15美少女限定!私たちは天使だ!教えて浜ちゃん芸能界で当てて親孝行するぞSP!! (2009年1月9日、毎日放送)<br />
* [[バラエティーニュース キミハ・ブレイク]] 「夢のシゴトにつく条件」(2009年5月19日、TBS)<br />
* 自分ギリギリやで!!祝!ダウンタウンの浜田雅功が初登場!テレビじゃ語らない超ギリギリ生トーク連発の2時間SP!(2009年7月30日、[[ニコニコ生放送]])<br />
* 冬だ!Xmasだ!コメントだ!不安だらけの13時間ぶっ通し生放送内 「自分ギリギリやで!!」 (2009年12月18日、ニコニコ生放送)<br />
* [[涙のツボ〜私はこれで必ず泣いてしまいます〜]](2010年7月2日、朝日放送)<br />
* [[浜田探検部]](2010年4月2日、日本テレビ)<br />
* あの有名番組で流れた TBSのニュース速報 今夜すべて大公開SP(2010年12月21日、TBS)<br />
<br />
===== ゲスト出演 =====<br />
[[Image:吉川麻衣子11.jpg|300px|thumb|ダウンタウン浜田の愛人、吉川 麻衣子]]<br />
* [[FNS番組対抗!春秋の祭典スペシャル|FNS春秋の祭典2000]](2000年4月・10月、[[フジテレビジョン|フジテレビ]])<br />
** 「[[ジャンクSPORTS]]」のクイズ出題と番組宣伝をかねてVTR出演<br />
* [[おじょママ!F | おじょママ!]]([[関西テレビ放送|関西テレビ]])<br />
** 妻・[[小川菜摘]]の番組に飛び入り出演した。<br />
* [[めちゃ×2イケてるッ!]](フジテレビ)<br />
** 2000年代前半に数回ゲスト出演していた。<br />
* [[ロンロバ! ]](2004年5月14日、TBS)<br />
** 『もう時効だヨ全員集合 史上最強!花の芸能界オフレコトークバトル』のトークゲストとして出演した。<br />
* [[めざましテレビ]](2008年3月、フジテレビ)<br />
** ドラマ・夢の見つけ方教えたる!(後述)の宣伝をかねて出演した。<br />
* [[あらびき団]](2008年10月、TBS)<br />
** 1周年90分拡大SPに「団長」として出演<br />
ブランチ。(2016年3月5日。TBS. )<br />
プレバトのことでインタビューされた<br />
<br />
=== テレビドラマ ===<br />
[[Image:吉川麻衣子12.jpg|300px|thumb|ダウンタウン浜田の愛人、吉川 麻衣子]]<br />
* [[普通の結婚式]](1990年、[[TBSテレビ|TBS]])<br />
* [[夢帰行]](1990年、[[日本放送協会|NHK]])<br />
* [[パパとなっちゃん]](1991年、TBS) - 梅田大介 役<br />
* [[ADブギ]](1991年、TBS) - 杉田巧 役<br />
* [[ADブギ|AD・リターンズ]](1992年、TBS) - 杉田巧 役<br />
* [[十年愛]](1992年、TBS) - 粟野嵐 役<br />
* 十年愛スペシャル(1993年、TBS) - 粟野嵐 役<br />
* [[もしも願いが叶うなら]](1994年、TBS) - 毛利虎男 役<br />
* [[パパはニュースキャスター|パパはニュースキャスター 帰ってきた鏡竜太郎スペシャル]](1994年、TBS) - 亀山哲夫 役<br />
* もしも願いが叶うならスペシャル(1995年、TBS) - 毛利虎男 役<br />
* [[人生は上々だ]](1995年、TBS) - 主演・内藤八郎 役※木村拓哉とダブル主演<br />
* [[竜馬におまかせ!]](1996年、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]) - 主演・[[坂本龍馬|坂本竜馬]] 役<br />
* [[ひとりぼっちの君に]](1998年、TBS) - 主演・国松新太郎 役<br />
* [[浜田雅功の実験ドラマ 平成ミステリー事件簿]](1999年、[[ABCテレビ|朝日放送]])<br />
* 目撃者 - 女探偵 VS 嘘つき少年(1999年、TBS)<br />
* [[伝説の教師]]最終回(2000年、日本テレビ) - 北山恵文 役※[[友情出演]]<br />
* [[Friends (テレビドラマ)|Friends]](2000年、TBS) - 幸田順平 役<br />
* [[明日があるさ (テレビドラマ)|明日があるさ]](2001年、日本テレビ) - 主演・浜田課長 役<br />
* 明日があるさスペシャル(2002年、日本テレビ) - 主演・浜田課長 役<br />
* [[Happy! (漫画)#テレビドラマ|Happy!]](2006年、TBS)<br />
* [[Happy! (漫画)#テレビドラマ|Happy!2〜私、先輩の為に頑張ります〜]](2006年、TBS)<br />
* [[夢の見つけ方教えたる!#第1弾|熱血教師スペシャル 夢の見つけ方教えたる!]](2008年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]) - 主演・今村克彦 役※本名の濵田雅功表記<br />
* [[ROOKIES]]第1話(2008年、TBS)※エキストラ出演<br />
* [[夢の見つけ方教えたる!#第2弾|熱血教師スペシャル 夢の見つけ方教えたる!2]](2010年3月13日、フジテレビ) - 主演・今村克彦 役※本名の濵田雅功表記<br />
* [[東京地検特捜部長・鬼島平八郎 “眠らぬ鬼”#テレビドラマ|検事・鬼島平八郎]](2010年、朝日放送・テレビ朝日) - 主演・鬼島平八郎 役※本名の濵田雅功表記<br />
<br />
=== 映画 ===<br />
[[Image:吉川麻衣子13.jpg|300px|thumb|ダウンタウン浜田の愛人、吉川 麻衣子]]<br />
* [[ポップコーン LOVE]](1990年)<br />
* [[昭和鉄風伝 日本海]](1991年) - 主演・和賀鉄夫 役<br />
* [[スペーストラベラーズ]](2000年) - 野々村清 役<br />
* [[明日があるさ THE MOVIE]](2002年) - 主演・浜田課長 役<br />
<br />
=== テレビアニメ ===<br />
* [[ポケットモンスター|アニメでお正月2000!ポケモンとバカボンのお正月スペシャル]](2000年) - [[ヤドキング]] 役<br />
<br />
=== 劇場アニメ ===<br />
* [[劇場版ポケットモンスター 幻のポケモン ルギア爆誕]](1999年) - ヤドキング 役<br />
<br />
=== 海外アニメ ===<br />
* [[シュレック]](2001年) - シュレック 役<br />
* [[シュレック2]](2004年) - シュレック 役<br />
* [[シュレック3]](2007年) - シュレック 役<br />
* [[シュレック フォーエバー]](2010年) - シュレック 役<br />
<br />
=== CM ===<br />
* [[日本コカ・コーラ]]「[[ジョージア_(缶コーヒー)|ジョージア]] ZOTTO」(1996年)<br />
* [[東日本旅客鉄道|JR東日本]]「JR Ski Ski」(1997年 - 1999年)<br />
* [[サントリー]]「V.O」<br />
**『[[ジャン・リュック・ゴダール|ゴダール]]編』(1998年3月 - )<br />
**『パローレ篇』(1999年4月13日 - )<br />
* サントリー「キレ味[生]」<br />
** 『記者発表・後篇』(2005年7月26日 - )<br />
** 『試飲会篇』(2005年8月26日 - )<br />
* [[森永製菓]]「[[ウイダーinゼリー]]」(2007年4月 - ) - 浜田部長役<br />
* [[アサヒビール]] 「クリアアサヒ」(2008年3月25日 - ) <br />
<br />
=== その他 ===<br />
* シュレック4-Dアドベンチャー([[ユニバーサル・スタジオ・ジャパン]]アトラクション) - シュレック 役<br />
ガキ使いゲーム<br />
<br />
== 書籍 ==<br />
=== 著書 ===<br />
* 読め!([[1995年]]、[[光文社]])ISBN 4334725295<br />
* がんさく([[1997年]]、[[ワニブックス]])ISBN 4847012755<br />
<br />
=== 関連書籍 ===<br />
* おかえりっ! 浜田雅功ファミリーのできるまで(1996年、[[扶桑社]])ISBN 4594019420<br />
** 妻であるタレントの小川菜摘によるエッセイ。<br />
* HAMASHOの本(1999年、ワニブックス)ISBN 4847013050<br />
*: 浜田と笑福亭笑瓶が出演した番組「HAMASHO」をまとめたもの。<br />
* エッ!そうくるかぁー(笑) 浜田家式お約束(2000年、扶桑社)ISBN 4594028888<br />
** 小川菜摘のエッセイ集第2弾。浜田があとがきを寄せている。<br />
<br />
== 演じた俳優 ==<br />
* [[間慎太郎]](舞台「[[吉本百年物語]] アンチ吉本・お笑いレボリューション」2013年)<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{Reflist}}<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* [http://www.h-dream.com/ 浜田雅功オフィシャルサイト H-dream.com](公式サイト)<br />
* {{imdb name|id=0357263|name=Masatoshi Hamada}}<br />
<br />
{{ダウンタウン}}<br />
{{浜田雅功}}<br />
{{ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!}}<br />
{{H Jungle with t}}<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:はまた まさとし}}<br />
[[Category:ダウンタウン|*]]<br />
[[Category:浜田雅功|*]]<br />
[[Category:お笑い芸人]]<br />
[[Category:日本の俳優]]<br />
[[Category:日本の歌手]]<br />
[[Category:日本の司会者]]<br />
[[Category:日本の男性声優]]<br />
[[Category:NHK紅白歌合戦出演者]]<br />
[[Category:欽ちゃんの仮装大賞の出場者]]<br />
[[Category:吉本興業]]<br />
[[Category:兵庫県出身の人物]]<br />
[[Category:1963年生]]</div>
Fromm
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E4%B8%AD%E5%B1%B1%E6%99%B4%E4%B9%9F&diff=359732
中山晴也
2018-09-07T15:51:13Z
<p>Fromm: </p>
<hr />
<div>'''中山 晴也'''(なかやま はるや)とは、団地の[[女子中学生]]が大好きな、[[埼玉県]][[春日部市]] 増富の29歳会社員である。<br />
<br />
== 「すぐ終わるから」と刃物で脅し、団地で女子中学生の体を触る。容疑の元住人を再逮捕(2017年7月) ==<br />
[[埼玉県]][[春日部市]]の団地で[[女子中学生]]の体を触ったとして、[[埼玉県警]]捜査1課と春日部署の合同捜査班は18日、強制わいせつで、同市増富の会社員、中山 晴也(29)を再逮捕した。容疑を認めている。<br />
<br />
中山は4月5日午後6時25~35分ごろ、団地の階段踊り場で、団地に住む[[女子中学生]]に、背後から「騒がないで、すぐ終わるから」などと言って刃物のようなものを突きつけて脅迫するなどして、体を触った。<br />
<br />
同課によると、中山はこの団地の元住人。団地周辺では同様の被害が[[平成26年]]11月ごろから2017年4月ごろまでに約10件確認されており、関連を調べている。<br />
<br />
<gallery caption="13歳の参考画像" widths="300px" heights="400px" perrow="3"><br />
Image:さあや_18.jpg|[[紗綾]]<br />
Image:ゆうみ10.jpg|[[ゆうみ]]<br />
Image:相川聖奈_1.jpg|[[相川聖奈]]<br />
Image:青山ななえ2.jpg|[[青山ななえ]]<br />
Image:大橋優花_19.jpg|[[大橋優花]]<br />
Image:佐々木みゆう34.jpg|[[佐々木みゆう]]<br />
Image:牧原あゆ_13.jpg|[[牧原あゆ]]<br />
Image:工藤遥26.jpg|[[工藤遥]]<br />
Image:小池_4.jpg|[[小池里奈]]<br />
Image:清水ちか4.jpg|[[清水ちか]]<br />
Image:藤野志穂5.jpg|[[藤野志穂]]<br />
Image:沖田彩花29.jpg|[[沖田彩花]]<br />
</gallery><br />
<br />
{{デフォルトソート:なかやま はるや}}<br />
[[Category:2017年の日本の事件]]<br />
[[Category:日本の性犯罪]]<br />
[[Category:春日部市]]<br />
[[Category:転落人生]]</div>
Fromm
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E3%82%AB%E3%83%86%E3%82%B4%E3%83%AA:%E5%B7%A8%E4%B9%B3&diff=359551
カテゴリ:巨乳
2018-09-02T08:28:17Z
<p>Fromm: </p>
<hr />
<div>[[巨乳]]に関するカテゴリ。<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:きよにゆう}}<br />
[[Category:フェティシズム]]<br />
[[Category:乳房]]</div>
Fromm
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E3%82%AB%E3%83%86%E3%82%B4%E3%83%AA:%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%93%E3%82%A2%E3%83%A2%E3%83%87%E3%83%AB&diff=359542
カテゴリ:日本のグラビアモデル
2018-09-02T05:17:57Z
<p>Fromm: ページの作成:「日本のグラビアモデルに関するカテゴリ。 {{DEFAULTSORT:にほんのくらひあもてる}} Category:各国のグラビアモデル Categor...」</p>
<hr />
<div>[[日本]]の[[グラビアモデル]]に関するカテゴリ。<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:にほんのくらひあもてる}}<br />
[[Category:各国のグラビアモデル]]<br />
[[Category:日本のモデル|くらひあ]]<br />
[[Category:日本のセクシャリティ|くらひあ]]</div>
Fromm
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E7%A5%9E%E6%88%B8%E5%A4%A7%E6%82%9F&diff=359540
神戸大悟
2018-09-02T05:14:13Z
<p>Fromm: ページの作成:「'''神戸 大悟'''(こうべ だいご)とは、女子高校生に執拗に性欲処理をお願いする、神奈川県相模原市の20歳職員...」</p>
<hr />
<div>'''神戸 大悟'''(こうべ だいご)とは、[[JK画像|女子高校生]]に執拗に性欲処理をお願いする、[[神奈川県]][[相模原市]]の20歳職員である。<br />
<br />
== 「性欲を処理したい」などと20分間。女子高校生に下品な言葉の相模原市職員を逮捕(2018年5月) ==<br />
[[JK画像|女子高校生]]に約20分間にわたって下品な言葉を掛けたとして、[[神奈川県警]]相模原署は[[2018年]][[5月8日]]、県迷惑行為防止条例違反(卑わいな言動)で、[[相模原市]]南区役所職員の神戸 大悟(20)=同市中央区富士見=を逮捕した。<br />
<br />
神戸は[[3月14日]]午後6時25分から約20分間、[[相模原市]]の[[JR横浜線]][[矢部駅]]前で、帰宅途中の私立高2年の[[JK画像|女子生徒]](17)に「性欲を処理したい」などと言った。<br />
<br />
署によると、「[[ナンパ]]目的で『ハグだけさせて』と言った。それ以外は言っていない」と供述しているという。<br />
<br />
神戸は同12日朝にも登校途中だったこの女子生徒に声を掛けており、逮捕容疑となった14日には「君を忘れられない」と話したという。14日夜に女子生徒が相模原署に相談した。<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:こうへ たいこ}}<br />
[[Category:2018年の日本の事件]]<br />
[[Category:相模原市の歴史]]<br />
[[Category:日本の性犯罪]]<br />
[[Category:公務員の不祥事]]<br />
[[Category:転落人生]]</div>
Fromm
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E4%B8%AD%E6%9D%91%E7%AB%9C%E4%B9%9F&diff=359539
中村竜也
2018-09-02T05:12:23Z
<p>Fromm: ページの作成:「'''中村 竜也'''(なかむら りゅうや)とは、中学生の息子と交通事故を起こした20代女性を脅して性交する、三重県津市の42...」</p>
<hr />
<div>'''中村 竜也'''(なかむら りゅうや)とは、中学生の息子と交通事故を起こした20代女性を脅して性交する、[[三重県]][[津市]]の42歳農業手伝いである。<br />
<br />
== 弱みにつけこみ交通事故の謝罪に来た20代女性を強姦。42歳男逮捕。男の子と接触事故(2018年5月) ==<br />
交通事故の謝罪に訪れた20代の女性に乱暴したとして、三重県津市の42歳の男が逮捕された。<br />
<br />
逮捕されたのは[[三重県]][[津市]]一身田平野に住む農業手伝いの中村竜也(42)。<br />
<br />
中村者は、[[4月18日]]、交通事故の謝罪に訪れた[[津市]]に住む20代の女性に対し、自宅の駐車場に止めた軽乗用車の中で乱暴、強制性交した。<br />
<br />
女性はこの日、車を運転中[[自転車]]に乗った中村の中学生の子供と接触事故を起こしていて、中村は事故につけこみ、「大事にはしたくない。親に迷惑をかけたくないでしょう」などと脅した。<br />
<br />
調べに対し、中村は「一方的に主導はしていない」と容疑を否認している。<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:なかむら りゆうや}}<br />
[[Category:2018年の日本の事件]]<br />
[[Category:津市の歴史]]<br />
[[Category:日本の性犯罪]]</div>
Fromm
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E5%B0%8F%E5%B7%9D%E9%81%A5%E8%B3%87&diff=359538
小川遥資
2018-09-02T05:10:45Z
<p>Fromm: ページの作成:「'''小川 遥資'''(おがわ ようすけ)とは、民進党・小川勝也参院議員の長男であり、ロリコン強姦犯である。 == わいせ...」</p>
<hr />
<div>'''小川 遥資'''(おがわ ようすけ)とは、[[民進党]]・[[小川勝也]]参院議員の長男であり、[[ロリコン]]強姦犯である。<br />
<br />
== わいせつ致傷で男逮捕。小川勝也参院議員長男、女子中学を触る(2018年3月) ==<br />
路上で[[女子中学生]]の身体を触るなどしてけがをさせたとして、警視庁麹町署は[[2018年]][[3月7日]]、[[東京都]][[千代田区]]麹町、大学生、小川 遥資(ようすけ)(22)を強制わいせつ致傷で逮捕した。小川は民進党の小川勝也参院議員(北海道選挙区選出)の長男。容疑を一部否認している。<br />
<br />
小川は2017年10月12日夕、千代田区内の路上で、歩いていた[[女子中学生]]に近づき、背後から口をふさいでわいせつな行為をしようとし、頭部打撲など全治約1週間のけがをさせた。<br />
<br />
「性的動機で近づいたことは間違いない。口をふさいでけがをさせた意識はない」と供述している。<br />
<br />
同署によると、小川は2017年11月、[[埼玉県]][[所沢市]]内の路上で帰宅途中の[[女子小学生]]の女児2人の身体を触ったなどとして、強制わいせつで[[埼玉県警]]に逮捕、起訴されている。<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[女子中学生]]<br />
* [[佐々木みゆう]]<br />
* [[牧原あゆ]]<br />
* [[ゆうみ]]<br />
* [[青山ななえ]]<br />
* [[相川聖奈]]<br />
* [[大橋優花]]<br />
* [[清水ちか]]<br />
* [[山中知恵]]<br />
* [[河西莉子]]<br />
* [[クッキンアイドル アイ!マイ!まいん!]]<br />
* [[藤野志穂]]<br />
* [[丸瀬苑子]]<br />
* [[神条れいか]]<br />
* [[ジュニアアイドル]]<br />
* [[ロリコン]]<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:おかわ ようすけ}}<br />
[[Category:2017年の日本の事件]]<br />
[[Category:日本の性犯罪]]<br />
[[Category:民進党]]<br />
[[Category:ロリコン]]<br />
[[Category:転落人生]]</div>
Fromm
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%88&diff=359537
ニート
2018-09-02T05:08:24Z
<p>Fromm: </p>
<hr />
<div>{{Otheruses3|雇用されておらず、学業もしておらず、職業訓練も受けておらず、求職もしていない者}}<br />
[[Image:小笠原洋輝.jpg|350px|thumb|埼玉4区・小笠原 洋輝(28/無所属)<br/>経歴 無職、[[浦和北高]]中退]]<br />
'''ニート'''(NEET)とは英国政府が労働政策上の[[人口]]の分類として定義した言葉で「'''N'''ot in '''E'''ducation, '''E'''mployment or '''T'''raining」の略語であり、日本語訳は「[[教育]]を受けず、[[労働]]をおこなわず、[[職業訓練]]もしていない人」となる(ただしこの訳は日本におけるニートの意味とは多少異なる)。なお、以下では特に断り書きがない限り日本におけるニートの解説である。<br />
<br />
== 語源 ==<br />
[[1999年]]に[[イギリス]]の内閣府[[社会的排除]]防止局([[Social Exclusion Unit]])が作成した調査報告書[http://www.socialexclusion.gov.uk/downloaddoc.asp?id=31 ''BRIDGING THE GAP: NEW OPPORTUNITIES FOR 16-18 YEAR OLDS NOT IN EDUCATION, EMPLOYMENT OR TRAINING'']に由来する言葉であり、[[ブレア]]政権で用いられた政策[[スローガン]]の一つ。そのため[[英国]]におけるニートの定義は、当該報告書に準じた「16~18歳の教育機関に所属せず、[[雇用]]されておらず、職業訓練に参加していない者」とされている。但し、ニートという語は英国を始めとする諸外国では殆ど使用されておらず、類似した分類も普及していない。むしろ近年、[[欧米]]では「ニート」について「日本における若年無業者問題を指す語」として認知されつつある([[プレカリアート]]も参照)。<br />
<br />
== 経緯 ==<br />
この言葉は[[厚生労働省]]が[[2004年]]に発表した[[労働白書]]の中で、「[[労働者]]・[[失業者]]・[[主婦]]・[[学生]]」のいずれにも該当しない「その他」の人口から、「15〜34歳」までの[[若者|若年者]]のみを抽出した人口(若年無業者)が、同年出版された[[玄田有史]]の著書において「NEET=ニート」と言い換えられ、以後、[[マスメディア]]等を通じて一般にも知られるようになった新語である。<br />
<br />
== 現状 ==<br />
非常に誤用の多い言葉である。そもそもニートとは「○○をしていない」という「状態」を現しているにすぎない言葉であったが、その語義はマスメディアによって歪曲化され、現在では「○○をする意欲が無い」という意味で使われることが一般的となっている。<br />
<br />
==定義==<br />
<br />
ニートとは[[総務省]]が毎月実施する労働力調査において、15〜34歳までの無業者層に分類された人口を指す言葉であり、政府の公式見解とされる厚生労働省の定義は、これに準じるものである。しかし、その実態について調査をおこなった内閣府は、[[就業構造基本調査]]によって得られた統計を基に「ニート」の再定義をおこなったことから、厚生労働省と内閣府の定義には若干の差異がある。<br />
<br />
=== 厚生労働省の定義 ===<br />
<br />
:「若者の人間力を高めるための国民会議資料」や平成17年以降の「労働経済白書(労働経済の分析)」では、ニートを「非労働力人口のうち、年齢15歳~34歳、通学・家事もしていない者」としており、平成16年「労働経済白書(労働経済の分析)」での定義(「年齢15~34歳、卒業者、未婚であって、家事・通学をしていない者」)に、<br />
<br />
#学籍はあるが,実際は学校に行っていない人 <br />
#既婚者で家事をしていない人 <br />
<br />
が追加された。これにより推定数は[[2002年]]の48万人、[[2003年]]の52万人から、ともに64万人へと上方修正された。<br />
<br />
=== 内閣府の定義 ===<br />
:[[内閣府]]の「青少年の就労に関する研究調査」で用いられる定義は、「高校や大学などの学校及び予備校・専修学校などに通学しておらず、配偶者のいない独身者であり、ふだん収入を伴う仕事をしていない15歳以上 34歳以下の個人である」としている。なおこの調査では、家事手伝いについてもニートに含めるとしている。<br />
<br />
===政府によるニートの二重基準問題===<br />
この定義の差異が「二重基準である」との誤解を招き、平成18年3月22日[[参議院]]経済産業委員会においても、この問題が取り上げられたが、「政府として厚生労働省の定義を採用している」という旨の答弁がされ、厚生労働省による定義が政府の公式見解であることが確認されている(なお「青少年の就労に関する調査」の報告書中では「内閣府政策統括官(共生社会政策担当)の公式見解を示すものではない」と記載されている)。<br />
<br />
===家事手伝いの扱いについて===<br />
[[厚生労働省]]は、[[家事手伝い]]をニートに含まない理由について「自営業者の家族従業員が含まれるため」としているが、[[内閣府]]の青少年の就労に関する研究調査企画分析委員長[[玄田有史]]は、その実態を把握するため[[家事手伝い]]をニートに含め調査を実施している。<br />
<br />
===フリーターや失業者との相違点===<br />
なお、この言葉はしばしば[[フリーター]]と混同されることがあるが、フリーターはアルバイト等をしていれば労働者として扱われる(ただし、内閣府の定義では、フリーターの一部にニートが含まれ、厳密に区分けはされていない)。また[[失業者]]についても「就業に向けた活動をおこなっている」という点でニートとは区別される。<br />
<br />
== [[池上彰]]のよく分かるニート解説 ==<br />
池上彰「いわゆる”ゴクつぶし”ですね」<br/> <br />
池上彰「”人間のクズ”とも呼ばれています」 <br />
<br />
池上彰「社会の歯車にもなれなかった人ですね」<br/> <br />
池上彰「歯車の動きを鈍らせる錆。とも言えるかもしれませんね」<br />
<br />
[[劇団ひとり]]「彼らは~、なんで、働かないんですか?」<br/> <br />
池上彰「難しい質問ですねー」 <br />
<br />
池上彰「みんなも、ここまで堕ちたらオシマイですよ」<br/> <br />
子どもたち「ハーイ!」 <br />
<br />
池上「30歳を超えても親に寄生している。霊長の恥と考えても間違いではありません。」 <br />
<br />
土田「え?じゃあ働かずに飯を食ってるってことですか?」<br/> <br />
池上彰「はい、土田さん良いところに気付きましたね」 <br />
<br />
池上「仕事もしてないので税金すら払っていません」<br/> <br />
池上「こうニートの人々は生きる価値があるのでしょうかねぇ」<br />
<br />
えなり「ニートは普段何をしているんですか?」<br/> <br />
池上「いい質問ですねえ!」<br/> <br />
池上彰「彼らの多くはネトゲ、2ちゃん、エロゲに人生の貴重な時期を費やしています」<br/> <br />
池上彰「もう笑うしかないですねぇ(笑)」 <br />
<br />
土田「えっ?それって人間っていえるんですか?」<br/> <br />
池上「親に寄生してるって意味では虫と同格かもしれませんね。」 <br />
<br />
上原美優「やっぱり、働かないで食べていけるってことは、すっごいお金持ちなんですか?」<br/> <br />
池上「そういう人も一部は居ます。が、大半は扶養者、つまり親御さんですね。その方達が亡くなると生きていけません」 <br />
<br />
土田「あれ?親死んじゃったら終わりじゃないすか?」<br/> <br />
池上彰「いい所に気がつきましたねぇ」 <br />
<br />
斉藤慶子「女性のニートってテレビで見たことないんですけどいるんですか?」<br/><br />
池上彰「女性のニートは別の名前で呼ばれることが多いですね。皆さんも御存じのはずです」<br/><br />
劇団ひとり「え、、、女性の?あ!家事手伝い!?」 <br/><br />
池上彰「ひとりさん……するどいですねぇー」 <br />
<br />
池上彰「最近、私もニートから批判を受けるようになりました」<br/> <br />
池上彰「蚊ほども痒くはないですけどねぇ(苦笑)」 <br />
<br />
劇団ひとり「でも、それならアルバイトでも始めればいいじゃないですか?」<br/><br />
池上「そう思いますよね!でも、彼らにとってはそんなに簡単な話じゃないんですよ。」 <br />
<br />
池上「ここが2ちゃんねるという、ニートの人達がよく書き込みをするサイトなんですが」<br/> <br />
ひとり「俺もたまに見てますw」<br/> <br />
土田「うわっ、文字で絵描いてる」<br/> <br />
上原「アニメの絵が多いですね~」<br/> <br />
観客席\ウワー…/ <br />
<br />
池上彰「親に暴行を加えたり、暴言を吐くニートもいるそうです」<br/> <br />
一同「え~!?」 <br />
池上「彼らは、働かずして大人になった人たちですから、いつまでたっても中身は反抗期の学生と同じなのです。」<br/> <br />
池上彰「実に滑稽ですねぇ」<br />
<br />
土田「えっ、それじゃあ彼らは何の為に生きてるんですか」<br/> <br />
池上「そうですねぇ、この事に関しては様々な意見がありますが、これは私個人の意見ですよ、私個人の意見とすれば彼らは子供達に自分の様な人間になっちゃいけないよ~、と子供に身を持って実感させるために生きているのではないかと」<br/> <br />
観客「ああ~」 <br />
<br />
池上「ニートって恥ずかしいですよね?働かないで親元を離れないなんて自分だったら恥ずかしいですよね? 彼らはそれを自宅警備員とか呼んだりして肯定しているんですよねぇ」<br/> <br />
ひとり「結局彼らには何もないから、そうやって誤魔化しているってことですか?」<br/><br />
池上彰「そのとおり!」 <br />
<br />
えなり「でも、例えば~僕なんかは小さいころから仕事してますから、働かないって感覚はあまり理解できないですよ」<br/> <br />
池上「そうなんですねえ。ニートは自分が異常だと気付けないんです!」<br/> <br />
<br />
池上「現在ニートの方は将来ご両親がお亡くなりになったら生活保護を貰おうとしているんですよ。」<br/><br />
土田「それって僕らの税金が使われるってことですよね?」<br/> <br />
池上「さすが土田さん。いいところに気が付きましたね。」 <br />
<br />
上原「(ニートの人達は)働いてないことについてどう思ってるんですか?」<br/><br />
池上「それがですね、自分が働けないのは社会が悪いせいだと思ってるんですよ!(苦笑)」<br/><br />
一同「え~~~~~」<br/><br />
池上「それでは実際に、ニート達の声をご紹介しましょう。」<br/> <br />
ニート24歳男性「働いたら負けかなと思ってる」<br/> <br />
一同\エー…/ <br/><br />
土田「まぁこいつが何に勝ってんだって話ですけどね」<br/> <br />
一同\wwwwwwwww/<br />
<br />
池上「彼らの多くが、学生時代に家で1人でゲームをすることが多かった、部活動に入っていなかった、異性と触れ合うことがなかった、などの傾向が見られます。現在学生のお子さんにこのような傾向がございましたら親御さんは早めに対策を打たなければなりませんね。」 <br />
<br />
池上「彼らはゆとり教育を受けている子供達のことをゆとりとか呼んだりして批判しているんですよねぇ」<br/> <br />
土田「でも彼らは働いてないじゃないですか。なんでニートの人達ってこう上から目線なんですか?」<br/> <br />
池上「さっきも言ったようにニートには内弁慶が多いんですよねぇ。まぁゆとり教育は現在改正されて昔の教育方針のようになっていますがそれでも彼らは批判を続けるでしょうねぇ。」 <br />
<br />
池上「彼らは、大企業とか、大きなビルで働きたいとか、初任給30万円ほしいとか、口だけ言って何もしないんですよ。」 <br />
<br />
ひとり「高学歴のニートは何故ニートになってしまったんですか?」<br/> <br />
池上「彼らは教科書に出てくる問題は解けても、言われたことは出来るかもしれませんが、自分で考えて行動する力がないのですねぇ。それが就職活動で失敗しているのです。さっきも言いましたが、彼らはまず、人のせい社会のせいにして自分では反省しないのです。」<br />
<br />
池上「彼らの多くがアニメやゲームで気を紛らわせて現実からにげてるんですよ。」<br/><br />
土田「あーそういえば前にガンダムの特番で一般のガンダムファンの方に多く出てもらったんですけど、今思えば、そーいう感じの人が多かったかもしれないですねwww」<br/> <br />
池上「土田さん今の一言は叩かれますよ~今頃実況は大荒れですねえ。」<br />
<br />
土田「ニートと無職って何が違うんですかぁ?何か無職をお洒落にカタカナにしただけみたいなんすけど?」<br/> <br />
池上彰「土田さんのように思ってる方もいらっしゃるようですが、明確な違いがあります。無職は怪我や病気、あるいは年齢などで止む無く働けないという人もいますが、ニートはそもそも働く気がないのですよ」<br/><br />
会場「えぇーーーー」<br />
<br />
池上「はい、それではニートが働くにはどうすればいいのか、皆さんで考えてみて下さい」<br/><br />
ひとり「ハイ」<br/> <br />
池上「ハイひとりさん」<br/> <br />
ひとり「あのやっぱり親元にいるから甘えちゃうんと思うんですよね。だから親が払っている携帯電話やインターネットの料金の支払いを取やめて、自分で支払えるように働かせるっていうのは」<br/><br />
池上「うん、いいことはおっしゃってるんですが、以前みなさんもニュースなんかで御覧になったかと思うんですが30歳無職の男性がインターネットの契約を打ち切られ両親を殺害してしまうという事件が起きたんですね」<br/><br />
上原「うわぁ…」<br/><br />
池上「つまり社会に出ずに、家にばっかりいる彼らにとって、インターネットという世界が唯一の居場所と言うことができます」<br/><br />
池上「つまり一度、ニートになってインターネットに依存してしまった所謂“無職ひきこもり”は如何なる事があっても働く事はないのです」<br/><br />
土田「やっぱり今はただモノを調べるだけじゃなくて、ネットゲームや動画投稿サイトなんか何でもありますもんね」<br/><br />
池上「ハイ、彼らは“働く喜び”を知らないまま生涯を終えてしまうと、そういう事になります」<br />
<br />
ひとり「でもやっぱり社会とか育ってきた環境にも原因があるんじゃないんですか?」<br/> <br />
池上「ひとりさんいい所に気がつかれましたね。確かに、周りの環境にも問題があるケースもあります。物事っていうのは誰かとかどちらかが全部悪いって事は殆どないですから。ただ…」<br/> <br />
土田「た~だ~?」<br/> <br />
池上「なぜニートになる人とならない人がいるのか、という事も考えてみましょうか」<br/> <br />
一同\アー…/<br />
<br />
池上「それでは、ニートになりやすい子供の特徴というのを見ていきましょう」<br/> <br />
土田「すっげぇテープで隠してるwwww」<br/> <br />
ひとり「こんなにあるんだ…」<br/> <br />
池上\ペラーン/「・運動部に入っていない」<br/> <br />
池上\ペラーン/「・一人でする趣味が好き」<br/> <br />
池上\ペラーン/「・家にこもりがちである」<br/> <br />
ふかわ「ちょっとー、ボク結構危なかったじゃないですかー!」<br/> <br />
一同\wwwwwwwwwww/ <br/><br />
池上\ペラーン/「・周りを見下している」<br/> <br />
池上\ペラーン/「・「続ける」事が苦手である」<br/> <br />
土田「クラスに一人はいたなー」 <br/><br />
<br />
土田「今ニートの人はこれからどうすればいいんですかね?」<br/> <br />
池上「今のニートの方には先はありません。今後ニートを生み出さないことが大切なんですねぇ」<br />
<br />
池上「彼らの中にも少数ながらこのままじゃいけない、どうかしなきゃと外に出ることから初めてコミュニケーション能力を磨き、今じゃアルバイトではありますが立派に仕事をしてる人もいるのですが、ここが問題なんです。」<br/><br />
ひとり「え?これのどこに問題があるんですか?」<br/><br />
池上「最初に言った通りこれは少数の人の例なんですが、他のニートの方は『こいつにできたなら、まだ自分も大丈夫』と思い込んでしまい。結局行動することを先送りにしてしまうんです。」<br/><br />
土田「完全に悪循環ですね。」<br />
<br />
== ニコ生主が父からの手紙を朗読「ゲームばっかやってても将来はない」 ==<br />
[http://www.youtube.com/watch?v=XlIKy_86MZg#t=310 【ニコ生】官僚エリートの父親からニート娘へのお叱りのメールを読む【ボブリシャス】]<br />
<br />
ニートでゲーム三昧で暮らしている娘が、[[スリランカ]]に駐在中の[[官僚]][[エリート]]の父から届いた2通のメールを読み上げている動画を書き起こし。 <br />
<br />
「誰だって遊んで暮らせたらと思っている。でもそれじゃ未来がない」。優しくも厳しい言葉で娘の心を動かそうとする父親と、アンニュイな反応を返す娘の姿に、賛否両論のコメントが寄せられている。<br />
<br />
=== みんな、生活のため、家族のため、仕事をするのが当たり前 ===<br />
娘:昨日、父さんにバレました。父さんから「人生」っていうメールが2件届いてた。読むか。「人生」っていう長いメールが2件届いていた。1つ目。 <br />
<br />
「コンピューターゲームをして、一生暮らせれば、誰でも幸せ。誰でも勉強しないで、遊んで暮らせたらと思ってる。パパだって畑で野菜を作って暮らせたら最高だと思う。でも、現実には遊びもできない世の中。お金がないと何もできない。ご飯も食べれない。洋服も買えない。家もない。だから皆つらい勉強をして、つらい仕事をして、お金を稼いでいる。そのお金でゲームをしたらいい。働かないと、年とったら金もなく苦労するだけ。」<br />
<br />
「ドイツの何々おばさんは、旅行会社をやっていてお金をため、今は[[Facebook]]、ゲーム三昧。でも、そのために若い頃どれだけ勉強し、仕事をしたか。だから今、暇にあかしてゲームができる。勉強は若いうちしかできない。みんな嫌々やってる。なぜ、君にできないのか?それも、あと少しで卒業できたのに。自分のやりたいことがわからないって、誰でもやりたいことをやりたいと思うけど、世の中の人で、自分のやりたいことをやっている人は、ほんの一握りしかいない。」<br />
<br />
「みんな、生活のため、家族のため、仕事をするのが当たり前。やりたいことがわからないから勉強しない、なんていうのは、言い訳でしかない。隣の何々さんの息子も、大学にいかず[[フリーター]]をしてたけど、やはり大学をでなければダメだとわかり、3年遅れて大学に入った。だけど、良い大学に入れず、卒業したけど就職できず、就職の可能性の高い介護師になるため、今3年制の介護士専門学校に行っている。」<br />
<br />
「パパたちは年を食っているだけ、世の中のことを知っている。大学も出てない君が、良い仕事に就けるわけがない。良い仕事があれば、それは怪しい仕事。それぐらい判断できるかと思う。常識で良い仕事は無いものと思わなければダメ。しっかり確認してから、話に乗ること。その前に、パパに相談すること。」<br />
<br />
「日本のまともな普通の会社は、社員を募集する方針が決まっていて、時期も決まっている。今、ママは[[マザーテレサ]]のやってる孤児や障害のある人の施設で[[ボランティア]]をしている。障害があり、親に捨てられた子どもたちが一生懸命生きている。障害もなく、親もいて、大学まで行かせてもらって、やりたいことがわからない、友達ができないって贅沢すぎるよ。ただ、楽をしたいだけじゃないの?何でもいいから、ひとつのことに打ち込んでみたら?ゲームを創るための学部に入ったんじゃないの?それがやりたかったら、ずっとやったらよかったのに。何でも簡単なものは無いよ。ちょっと自分の生き方を考えてみたら?」<br />
<br />
「一生ゲームだけで過ごすことができたら幸せだけど、本当にそんなことができるか?大学も卒業してない人の仕事って、何がある?給料いくらもらえる?大学をもう辞めちゃったのなら、今さらしょうがないけど、まだいくつか方法はあるからじっくり考えて。何をしたいのか教えてちょうだい。親として手伝うことはできるので。」<br />
<br />
「朝早く起きて、ご飯をしっかり食べ、夜早く寝る習慣をつけること。お金はあるそうだけど、必要な場合は知らせること。タバコは家の中で吸うな。知らない人を中に入れるな。なんなら、スリランカに来てゆっくりするのもいいよ。 パパ」 <br />
<br />
=== 食べていくだけで精一杯、な人生でいいの? ===<br />
娘:でした。これが1つ目のメール。次の「人生」っていうメール。 <br />
<br />
「明日は5時に起きて100km先のどこどこっていうところに行く予定だけど、君のこれからの人生を考えていたら眠れなくなった。今、夜中の2時過ぎ。君は新聞を読んでいないからわからないかもしれないけど、今の日本はどん底。これからは、人口も減り続け、老人は増え、仕事もまともには見つからない。海外で仕事を探せばいいと思っても、ビザの関係で日本の会社に雇われてから赴任する以外には難しい。そう思うと、普通のところはまず書類選考。年齢、学歴、大学を出てないとそこで終わり。面接までいけない。」<br />
<br />
「だから、みんな頑張って大学に行ってる。専門学校でもいいけど、よほどの才能がないと、上には上がれない。食べていってるだけのお金が稼げればいいと思っているだろうけど、定年になってから死ぬまでに、20年は生きていかなければならない。ということは、働いてるうちに、20年分のお金をためておかなければならない。日本の福祉制度は貧しいので、そうしないとまともな暮しはできない。」<br />
<br />
== 調査 ==<br />
ニートの人口を算出する調査としては、以下のものが使用されている。<br />
<br />
;労働力調査<br />
:[[労働力調査]]とは、毎月1回、およそ4万[[世帯]]を対象とした調査で、ニートは基礎調査票の5項「月末1週間(ただし[[12月]]は20~26日)に仕事をしたかどうかの別」という設問の「仕事を少しもしなかった人のうち」「その他」に該当する人で、かつ15~34歳までの人となり、[[2006年]]の各月の平均は約62万人と推計されている。<br />
<br />
;就業構造基本調査<br />
:[[就業構造基本調査]]とは、5年に1回、およそ44万世帯を対象([[2002年]])とする標本調査で、過去1年間の[[国民]]の就業状態を調査する目的で行われる。内閣府の平成17年青少年の就労に関する研究調査では、この就業構造基本調査を特別集計し、ニートの規模を推計している。<br />
<br />
== 類型 ==<br />
[[内閣府]]の調査では、ニートを非求職型と非希望型に分類している。前者は、就業を希望するものの具体的な[[就職活動]]等行動を起こしていない者のことで、後者は就業自体を希望していない者のことである。<br />
<br />
=== 非求職型 ===<br />
非求職型の定義は『無業者(通学、有配偶者を除く)のうち、就業希望を表明しながら、求職活動はしていない個人』であり、就業構造基本調査の調査項目において『無業者(通学、有配偶者を除く)のうち、「何か収入になる仕事をしたいと思っていますか」に「思っている」を選び「その仕事を探したり[[起業|開業]]の準備をしたりしていますか」には「何もしていない」を選んだ個人』としている。<br />
<br />
=== 非希望型 ===<br />
非希望型の定義は『無業者(通学、有配偶者を除く)のうち、就業希望を表明していない個人』であり、『無業者(通学、有配偶者を除く)のうち、「何か収入になる仕事をしたいと思っていますか」に「思っていない」を選んだ個人』としている。<br />
<br />
=== 備考 ===<br />
なおニートの分類としては他に、[[ヤンキー]]型、[[ひきこもり]]型、立ちすくみ型、つまずき型、の4種類に分類できるという言説もあるが、これは一部の[[研究者]]が、対象者51名(うち31名は[[フリーター]])という小規模な調査を基に分類したものであり、私的な見解という見方が強い。<br />
<br />
== 規模 ==<br />
[[内閣府]]の定義によるニートの総人口は、[[1992年]]から[[2002年]]までに約18万人増加している。しかしそのうちの大半は非求職型のニートであり、非希望型のニートについては殆ど増減が見られない。<br />
<br />
==変遷==<br />
{| border="1" cellspacing="0"<br />
|+'''失業者・非求職型・非希望型の推移(単位:千人)'''<br />
|- style="background:#efefef;"<br />
! rowspan="2" style="font-weight:bold;" | 年<br />
! rowspan="2" | 失業者<br />
! colspan="4" | ニート<br />
|- style="text-align: center;background:#efefef;font-weight:bold;"<br />
! colspan="2" | 非求職型<br />
! colspan="2" | 非希望型<br />
|- style="text-align: center;background:#efefef;font-weight:bold;"| 実数 || 実数 || 比率 || 実数 || 比率 <br />
|- style="text-align: right;"<br />
!style="font-weight:bold;" | 1992<br />
| 638.9 || 256.6 || 0.7% || 411.7 || 1.2%<br />
|- style="text-align: right;"<br />
!style="font-weight:bold;" | 1997<br />
| 993.3 || 291.1 || 0.8% || 425.4 || 1.2%<br />
|- style="text-align: right;"<br />
!style="font-weight:bold;" | 2002<br />
| 1,284.6 || 425.7 || 1.3% || 421.5 || 1.2%<br />
|}<br />
<small>出典:「[http://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu/shurou/pdf/2-1-1.pdf 青少年の就労に関する研究調査 表2-1-2]」(内閣府)</small><br />
<br />
年齢階層別の推移については以下のとおり、15~19歳までの若年層が18万人から12万人に減少する一方、30~34歳までの[[中年]]層のニート人口は12万人から23万人へと倍増している。<br />
{| border="1" cellspacing="0"<br />
|+'''年齢別・推定人口(単位:千人)'''<br />
|- style="background:#efefef;"<br />
! 年\年齢<br />
! colspan="2" | 15~19歳<br />
! colspan="2" | 20~24歳<br />
! colspan="2" | 25~29歳<br />
! colspan="2" | 30~34歳<br />
|- style="text-align: right;font-weight:bold;"| 実数 || 比率 || 実数 || 比率 || 実数 || 比率 || 実数 || 比率<br />
|- style="text-align: right;"<br />
!style="font-weight:bold;" | 1992<br />
| 176.8 || 1.8% || 215.6 || 2.2% || 158.8 || 1.9% || 117.2 || 1.5%<br />
|- style="text-align: right;"<br />
!style="font-weight:bold;" | 1997<br />
| 149.2 || 1.8% || 228.7 || 2.4% || 211.2 || 2.2% || 127.3 || 1.5%<br />
|- style="text-align: right;"<br />
!style="font-weight:bold;" | 2002<br />
| 114.5 || 1.6% || 240.9 || 3.0% || 264.0 || 2.8% || 227.9 || 2.4%<br />
|}<br />
<small>出典:「青少年の就労に関する研究調査 表2-1-2」(内閣府)</small><br />
<br />
また、[[第一生命経済研究所]]は、[[国立社会保障・人口問題研究所]]の人口推移の推計値と、[[1990年]]~[[2000年]]のニート比率のトレンドが続いていくことを前提に、「雇用対策が講じられなければ、[[2015年]]にニートは109.3万人に達する。一方雇用対策を講じれば、2005年をピークに、2015年には79.5万人と徐々に減っていく」とのレポートを出している。<br />
<br />
なお厚生労働省の調査では、ニートは[[2002年]]以降4年連続で64万人という水準で推移しており増加傾向は見られない。また[[2006年]]には62万に減少している。<br />
<br />
=== 参考 ===<br />
ニートは若年者だけの問題と思われがちだが、35~49歳の中年層のニート(正確には中年層の純粋無業者)は、増加率ではむしろ若年層を上回っており、状況はより深刻である。しかし定義上35歳以上はニートとされないために、支援策等は講じられておらず、[[自殺]]や[[社会保障]]費の増加などが懸念されている。<small>(出典:[http://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu/shurou/pdf/2-1-4.pdf 青少年の就労に関する研究調査 中年無業者の実情])</small><br />
<br />
== 実態 ==<br />
=== 求職活動をしていない理由(非求職型) ===<br />
非求職型のニートが「就業に向けた活動をおこなわない理由」で最も多いのは「[[病気]]や[[怪我]]の[[療養]]のため」で全体の4分の1を占めている。しかし「[[不況]]の影響で[[求人]]が無い」「雇用のミスマッチ」など、社会的な要因によるものも多く、[[1992年]]から[[2002年]]まで一貫して増加傾向にある。<br />
{| border="1" cellspacing="0"<br />
|+'''求職活動をしていない理由別・非求職型人口(単位:千人)'''<br />
|- style="background:#efefef;"<br />
! 年\理由<br />
! colspan="2" | 求人がないため<br />
! colspan="2" | 希望の求人がない<br />
! colspan="2" | 能力に自信がない<br />
! colspan="2" | 病気や怪我のため<br />
! colspan="2" | 家事や育児のため<br />
! colspan="2" | 介護や看護のため<br />
! colspan="2" | 急ぐ必要がない<br />
! colspan="2" | それ以外の理由<br />
|- style="text-align: right;font-weight:bold;"| 実数 || 比率 || 実数 || 比率 || 実数 || 比率 || 実数 || 比率 || 実数 || 比率 || 実数 || 比率 || 実数 || 比率 || 実数 || 比率<br />
|- style="text-align: right;"<br />
!style="font-weight:bold;" | 1992<br />
| 16.2 || 6.3% || 22.7 || 8.9% || 21.6 || 8.4% || 64.0 || 25.0% || 14.4 || 5.6% || 8.5 || 3.3% || 45.0 || 17.6% || 63.7 || 24.9%<br />
|- style="text-align: right;"<br />
!style="font-weight:bold;" | 1997<br />
| 26.7 || 9.2% || 31.5 || 10.8% || 27.9 || 9.6% || 68.1 || 23.4% || 16.5 || 5.7% || 9.7 || 3.3% || 37.5 || 12.9% || 72.9 || 25.1%<br />
|- style="text-align: right;"<br />
!style="font-weight:bold;" | 2002<br />
| 53.4 || 12.5% || 40.8 || 9.6% || 42.3 || 10.0% || 104.0 || 24.5% || 13.8 || 3.2% || 9.5 || 2.2% || 49.2 || 11.6% || 112.1 || 26.4%<br />
|}<br />
<small>資料出所:[http://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu/shurou/pdf/6-1-5.pdf 青少年の就労に関する研究調査 求職活動をしていない理由別](内閣府)</small><br />
<br />
=== 就労経験 ===<br />
ニートは[[引きこもり]]と混同されやすいため、就労経験が無いと思われることが多い。しかし[[内閣府]]の調査によると、就労経験が無い者は非求職型の38.0%、非希望型の70.1%(いずれも[[2002年]])という水準に止まっており、就労経験のある者も少なくない。<small>(出典:[http://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu/shurou/pdf/2-1-3-1.pdf 青少年の就労に関する研究調査 今までに何か仕事をしていたことがない割合])</small><br />
<br />
=== 職業観 ===<br />
{| border="1" cellspacing="0"<br />
|+'''2002年 希望する仕事の種類別構成比(単位:千人)'''<br />
|- style="background:#efefef;"<br />
! 性別\職業 !! 製造・生産 !! 建設・労務 !! 運輸・通信 !! 営業・販売 !! サービス業 !! 専門・技術 !! 管理的職業 !! 事務的職業 !! その他の職 !! こだわらず<br />
|- style="text-align: right;"<br />
!style="font-weight:bold;" | 男性<br />
| 12.2 || 7.4 || 4.7 || 4.7 || 16.9 || 36.1 || 1.2 || 8.8 || 11.7 || 102.8<br />
|- style="text-align: right;"<br />
!style="font-weight:bold;" | 女性<br />
| 10.4 || 1.2 || 0.4 || 8.3 || 39.8 || 35.2 || 0.1 || 30.1 || 7.6 || 85.0<br />
|- style="text-align: right;"<br />
!style="font-weight:bold;" | 合計<br />
| 22.6 || 8.6 || 5.1 || 13.0 || 56.7 || 71.3 || 1.3 || 38.9 || 19.3 || 187.8<br />
|}<br />
<small>資料出所:[http://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu/shurou/pdf/6-1-2.pdf 青少年の就労に関する研究調査 資料]・[http://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu/shurou/pdf/2-1-2.pdf 希望する仕事の種類別構成比](内閣府)</small><br />
<br />
ニート増加の原因を、若年層における職業観や就労観の低下に求める意見は多く、講じられる対策もそれを前提としたものが多い、しかし[[2002年]]現在の統計によると、ニート(非求職型)の約半数は具体的な職業に就くことを希望しており、44.2%は職業にこだわらず就労したいと回答している。<br />
<br />
=== 男女比 ===<br />
[[内閣府]]の調査([[2002年]])によると、ニートの男女比率は男性が48.4%(41万人)、女性が51.6%(43.7万人)とほぼ半々となっており、過去10年間の調査と比較しても大きな変化は見られない。<small>(出典:[http://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu/shurou/pdf/2-1 就業構造基本調査・男女別推定人口])</small><br />
<br />
== 家庭環境 ==<br />
{| border="1" cellspacing="0"<br />
|+'''世帯収入別割合(年間所得)'''<br />
|- style="background:#efefef;"<br />
! rowspan="2" | 年<br />
! colspan="2" | 非求職型<br />
! colspan="2" | 非希望型<br />
|- style="background:#efefef;text-align: right;font-weight:bold;"<br />
! 300万円未満 !! 1000万円以上 !! 300万円未満 !! 1000万円以上<br />
|- style="text-align: right;"<br />
!style="font-weight:bold;" | 1992<br />
| 29.1% || 15.3% || 21.6% || 21.5%<br />
|- style="text-align: right;"<br />
!style="font-weight:bold;" | 1997<br />
| 27.0% || 17.7% || 28.1% || 22.9%<br />
|- style="text-align: right;"<br />
!style="font-weight:bold;" | 2002<br />
| 31.8% || 12.9% || 37.6% || 14.4%<br />
|}<br />
<small>資料出所:[http://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu/shurou/pdf/2-1-3-2.pdf 内閣府 青少年の就労に関する研究調査 世帯年収](内閣府)</small><br />
<br />
ニートは裕福な[[家庭]]に属していることが多いという意見がある。世帯の[[年収]]をみると、[[1997年]]までは[[所得]]1,000万円以上の世帯の中では、非希望型の世帯の割合が高かった。これが[[2002年]]になると状況が変わり、非希望型の割合は低くなった。<br />
:「その意味では,家庭が裕福であるために,無理に就職を望む必要がなかったことから非希望型を選択した個人も多かったということは,97年までは少なからず事実であった」<br />
:「非希望型において1,000万円以上の経済的に裕福な世帯が抜きん出て多いという特徴は,[[2002年]]の時点では,すでに消失している」<br />
年収300万円未満の世帯をみると、[[1992年]]時点では非求職型が多かったが、[[2002年]]には非求職型の31.8%、非希望型の37.6%と非希望型が急増した。非希望型は全体の割合と比べても2倍以上の値となっている。このため、非希望型において中身が変化していることが指摘されている。<br />
<br />
なおニート本人の年収は100万円未満が約57%で半数以上を占め、100~300万円は約31%、それ以上は約2.5%である。また[[親]]との同居率は、非求職型が83%、非希望型は73%となっている。<br />
<br />
== 増加の要因 ==<br />
=== 就職氷河期 ===<br />
ニートが増加したとされる[[1990年]]代後半から[[2000年]]にかけて、[[バブル崩壊]]とそれにともなう[[リストラ]]による[[失業者]]の増加、さらに[[団塊ジュニア]]や[[女性]]の社会進出など、[[人材]]の[[供給]]が過剰となる要因が重なり、若者の就職は非常に困難な状況にあった。またこの頃から[[年功序列]]制度が崩壊し、代わって[[成果主義]]を導入する[[企業]]が増えたことから労働環境が悪化し、新入社員の[[離職]]率が高まったと言われている。こうした状況は[[2003年]]頃まで続き、ニート増加の一因になったと言われている([[就職氷河期]]も参照)。<br />
<br />
なお、[[2004年]]頃からは企業の採用行動が活発化し、現在では[[求人]]難が叫ばれるようになっている。しかし多くの企業は[[新卒]]や実務経験者などで人材を確保する意向のため、[[履歴書]]に空白期間のあるニートの就職は極めて困難な状況にある。<br />
<br />
=== 参考 ===<br />
{| border="1" cellspacing="0"<br />
|+'''厚生労働省「ニート(若年無業者)の増加」(単位:万人)'''<br />
|- style="background:#efefef;"<br />
! 年 !! 1993 !! 1994 !! 1995 !! 1996 !! 1997 !! 1998 !! 1999 !! 2000 !! 2001 !! 2002 !! 2003 !! 2004 !! 2005 !! 2006<br />
|- style="text-align: right;"<br />
!style="font-weight:bold;" | 総数<br />
| 40 || 42 || 45 || 40 || 42 || 46 || 48 || 44 || 49 || 64 || 64 || 64 || 64 || 62<br />
|}<br />
<small>注:定義変更に伴い、2001年以前と2002年以降の値は接続しない</small><br><br />
<small>資料出所:[http://www.mhlw.go.jp/houdou/2005/07/dl/h0727-2a.pdf 人口減少下における雇用・労働政策の課題](厚生労働省)</small><br />
<br />
厚生労働省の統計によると、ニート人口は[[2002年]]に前年の49万人から64万人へと急増している。これは、ニートの定義「非労働力人口のうち、就業、就学、または職業訓練を受けていない15歳から35歳までの未婚者」に「[[不登校]]」や「家事を行わない者」が付加されたためで、2002年とそれ以前の数値は接続しない。<br />
<br />
== 問題点 ==<br />
ニートの増加が過去の[[就職氷河期]]と関係の深いことは前述の通りだが、この2つの問題は[[マスコミ]]の[[偏向報道]]によって切り離され、単に個人の資質や能力の問題として議論される傾向にある、そのため講じられる対策も教育的な手法に重点が置かれ、的外れな対策に多額の公費が投入される事態となっている。また雇用主も、履歴書に空白期間のある者をニートと看做すようになり、「ニート=怠け者」といった先入観から不採用としたり、[[差別]]的な待遇をおこなう事例が増えつつある。([[社会的排除]]も参照)<br />
<br />
=== 偏見と差別 ===<br />
若年層における無業者の増加は、海外では「労働経済問題」または「若年失業者問題」として議論されることが一般的である。しかし日本では「失業率の悪化」という観点が見落とされ、若者の意識の変容(職業観や就労観の低下)に原因を求めたために、[[家事手伝い]]や[[過年度生]]といった従来は受容されていた無業者に対しても批判的な目が向けられるようになった、また一部の[[テレビ局]]で[[精神疾患]]や[[発達障害]]の者に対する差別を助長する放送をおこない問題となった。{{要出典}}<br />
<br />
=== 利権 ===<br />
ニート支援に関連する諸々の対策は[[利権]]の温床となりつつあり、各[[省庁]]や[[地方自治体]]では自立支援を名目とした[[予算]]の争奪戦が展開されている。例えば[[厚生労働省]]が推進する[[若者自立塾]]は、初年度(平成17年)の予算が約9.8億円であったが、大幅な定員割れを起こしているにもかかわらず、翌年の予算は倍増され、その配分も極めて不明瞭な状態にある([[ニート利権]]も参照)。<br />
<br />
== 誤解 ==<br />
ニートは「働く意欲が無い者」あるいは「ひきこもり」などと混同されている場合が多い、しかし前述の定義に該当する者であれば、理由の如何に関わらずニートに分類される、したがって[[進学]]・[[留学]]準備、[[資格]]取得準備、家業手伝い、療養、結婚準備、[[介護]]・[[育児]]、[[芸能]][[芸術]]プロ準備、などの状態にあっても定義上はニートに分類される。[[趣味]]・[[娯楽]]、特に何もしていない場合も同様である。<small>(出典:[http://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu/shurou/pdf/3-1-6-1.pdf 青少年の就労に関する研究調査 各タイプの現在の状況])</small><br />
<br />
== 対策 ==<br />
=== 内閣官房 ===<br />
[[内閣官房]](再チャレンジ担当室)は、ニートや[[フリーター]]に対する[[公務員]]採用枠の確保や、[[再チャレンジ]]に協力的な企業に対する表彰制度、また[[税制]]面での優遇措置などを検討している。<br />
<br />
=== 厚生労働省 ===<br />
[[厚生労働省]]の対策として筆頭に挙げられるのが[[若者自立塾]]である。この施設は3~6ヶ月の期間、合宿形式での集団生活を行い、職場体験や[[ワークショップ]]を行うもの。費用は一部自己負担(10-40万円)となる。厚生労働省の目標は、卒業生の7割が、半年後までに就業することとしている(ちなみに、2006年3月1日時点の卒業生に占める就業者([[アルバイト]]を含む)の割合は、約48%)。<br />
<br />
一定の効果はあるとする一方で、若者自立塾を運営する[[NPO法人]]からは「まだまだ試行錯誤の段階であり、期間延長等の更なる改善をすべき」と意見があがっている。<br />
<br />
=== 文部科学省 ===<br />
[[文部科学省]]はニート増加の原因が、若者の職業観・就労観の低下にあるとの判断から、[[キャリア教育]]に重点を置き、生徒が学校を離れ1日〜5日の期間、地元の[[スーパー]]や[[保育所]]などで就労体験をする[[職場体験]]や、[[総合的な学習の時間]]を利用した予防授業などの対策を推進している。<br />
<br />
== 海外の状況 ==<br />
欧米においても「教育機関に所属せず、雇用されておらず、職業訓練に参加していない者」は存在するが、「ニート」或いは類する語での分類・定義付けはされておらず、その概念も普及していない。その原因の一つは「ニート」という分類が[[1999年]]当時社会問題となっていた「社会参加困難者」(被社会的排除者)の一部に過ぎないものであることが挙げられる。欧米における「社会参加困難者」は[[人種]]・[[宗教]]・[[言語]]による差別・[[格差]]問題の色が濃く、日本での若年無業者問題と同列に扱うことは困難である。英国の「ニート」の定義付けは将来的な「社会参加困難者」を予測する分析としての意義はあったが、総合的な「[[社会的排除]]対策」が行われる中で「ニート」という分類自体は重要視されなかった。<br />
<br />
<br />
===「韓国の青年雇用」経済協力開発機構(OECD)報告書(2007年)===<br />
[[OECD]] は、[[韓国]]の青年(15-29歳)の6人に1人が「ニート」で、割合は[[OECD]]加盟国の平均を大きく上回っていると指摘。[http://www.chosunonline.com/article/20071224000023]<br />
<br />
*「15-24歳」の失業率:<br />
**韓国:10.0%([[2006年]])←(6.3%、[[1996年]])<br />
**OECD加盟国平均(14.7%)<br />
<br />
*就業率(2006年)<br />
**韓国:27.2%<br />
**OECD加盟国平均:43.0%<br />
<br />
*ニート占有率<br />
**15-24歳<br />
***韓国:11.7%<br />
***OECD加盟国平均:12.0%<br />
**15-29歳<br />
***韓国:17%<br />
***OECD加盟国平均:12.0%<br />
<br />
OECDは韓国にニートが多い理由について、「[[兵役]]で就職が遅れ、大学卒業後にも就職しない若者が多いため」と報告。<br />
<br />
== 関連書籍 ==<br />
*『ニート』[[玄田有史]] 他 [[幻冬舎]] ISBN 434440825X<br />
*『「ニート」って言うな!』[[本田由紀]] 他 [[光文社]] ISBN 4334033377<br />
*『不安定を生きる若者たち』乾彰夫 他 [[大月書店]] ISBN 4272350242<br />
<br />
== ニートが起こした事件 ==<br />
* [[ニート一家5人殺傷事件]]<br />
* [[ネオ麦茶事件]]<br />
* [[附属池田小事件]]<br />
* [[福岡・佐賀連続児童猥褻事件]]<br />
* [[土浦連続殺傷事件]]<br />
<br />
=== 29歳無職カードゲーム屋で小学生と遊戯王で対戦後トラブルを起こし、小学生を怪我させ逮捕(2012年12月) ===<br />
[[福岡県警]][[筑紫野署]]は[[12月10日]]までに、カードゲームで対戦した初対面の小学6年の男児(11)の顔に擦り傷を負わせたとして、傷害の疑いで、無職の男(29)を逮捕した。<br />
<br />
逮捕容疑は、[[12月9日]]午後2時55分ごろ、同県[[太宰府市]]のカード販売店で、男児の服の襟をつかんで顔に擦り傷を負わせたもの。2人は人気アニメ「[[遊戯王]]」のカードを使って対戦し、男が2回勝った。男児が立ち去ろうとしたとき、男が「逃げるんか」と言ったため、男児がテーブルの上のカードを払いのけ、トラブルになった。<br />
<br />
=== 「無職であることを叱責されて」口論の末に。叔父を殴り死なせる、22歳無職男を逮捕(2017年) ===<br />
口論になった叔父を殴ったとして、[[大阪府警]]岸和田署は21日、傷害で、同府[[岸和田市]]畑町の無職、西村京輔(22)を現行犯逮捕した。「間違いない」と容疑を認めている。 <br />
<br />
西村は、同日午前2時25分ごろ、同市土生町のビル敷地内で、叔父に当たる同市真上町の石材業、辻本竜士さん(44)の頭を殴った。<br />
<br />
辻本さんは病院に搬送され、その後死亡が確認された。同署は傷害致死に切り替えて捜査する。<br />
<br />
同署によると、2人は事件前まで、同市内の飲食店で酒を飲んでいた。西村は「無職であることを叱責されて口論となり、殴った」などと供述しているという。<br />
<br />
== 公人の発言 ==<br />
※肩書はいずれも発言時。<br />
*「経済が低迷し、若者を社会に送り出せなかった時期がある」([[谷垣禎一]][[財務相]])2006.4.26 <br />
*「その気になれば、いくらでも仕事はあるはずなのに働こうとしない」([[小泉純一郎]][[総理]]) <br />
*「一度[[自衛隊]]にでも入って、[[サマワ]]みたいなところに行ってみてはどうか」([[武部勤]][[自民党]][[幹事長]]) <br />
*「ニートなんて格好いいように聞こえるけど、みっともない。無気力・無能力な人間のことです。」「今、ニートなんて、ふざけたやつがほとんどだよ」「フリーターとかニートとか、何か気のきいた外国語使っているけどね、私にいわせりゃ穀つぶしだ、こんなものは。」([[石原慎太郎]][[東京都知事]]) <br />
*「ニートとは就職活動もしない、また就職してから生かせる勉強もしないという無気力、無関心状態に陥ってしまった若者のことの総称で、生きる気力もないのに親が毎日御飯を出している。そういうことを社会問題にして認め出している風潮自体が、ニートを増長させている。」([[池田佳隆]] [[日本青年会議所]][[会頭]])2006.6.7 <br />
*「若者に[[農業]]に就かせる「[[徴農]]」を実施すれば、ニート問題は解決する」([[稲田朋美]][[衆議院議員]])2006.8.29 <br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
*[[静岡の腐った生ゴミ]]<br />
*[[フリーター]]<br />
*[[引きこもり]]<br />
*[[家事手伝い]]<br />
*[[パラサイトシングル]]<br />
*[[就職氷河期]]<br />
*[[格差社会]]<br />
*[[失業]]<br />
*[[社会的排除]]<br />
*[[プレカリアート]]<br />
*[[労働経済学]]<br />
*[[キャリア教育]]<br />
*[[俗流若者論]]<br />
*[[ニート利権]]<br />
*[[社内ニート]]<br />
*[[ネオニート]]<br />
*[[徴農制度]]<br />
*[[社会不適応者]]<br />
*[[プータロー]]<br />
*[[落ちこぼれ]]<br />
*[[学歴難民]]<br />
*[[だめ連]]<br />
*[[オンラインゲーム依存症#ネトゲ廃人|ネトゲ廃人]]<br />
*[[高等遊民]]<br />
*[[待ち組]]<br />
*[[中年ニート]]<br />
*[[大人ニート]]<br />
*[[就職難]]<br />
金八。第5シリーズでネタにした。遊戯王のアテムが出ていた。余談であるがセーラー機関銃でアンドロイドと共演した<br />
妖怪ウォッチ。ヒキコウモリ。が登場している。2016年3月26日に放送された。余談であるが読売に雄一郎の弟が乗っていた。泥バックンフラワーのストーリーでは泥バックンフラワーが化けた。2016年3月5日に再放送放送された<br />
=== 施設 ===<br />
* [[若者自立塾]]<br />
* [[私のしごと館]]<br />
* [[ジョブカフェ]]<br />
* [[キッザニア]]<br />
<br />
=== 人物 ===<br />
*[[玄田有史]]<br />
*[[本田由紀]]<br />
*[[内藤朝雄]]<br />
*[[乾彰夫]]<br />
*[[松本哉]]<br />
*[[雨宮処凛]]<br />
*[[湯浅誠]]<br />
金末祐一郎。金八の登場人物。ウルトラマンコスモスにも登場した<br />
家売る女のビビる。<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* [http://www.jil.go.jp/ 独立行政法人労働政策研究・研修機構]<br />
* [http://www.jil.go.jp/seika/dis_p/dps_03_001.pdf 学校から職業への移行を支援する諸機関へのヒアリング調査結果]<br />
* [http://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu.htm 青少年の就労に関する研究調査]<br />
* [http://http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/refer/200509_656/065601.pdf 若年者の雇用支援]<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:にいと}}<br />
[[Category:ニート|*]]<br />
[[Category:労働問題]]<br />
[[Category:教育問題]]<br />
[[Category:流行語]]</div>
Fromm
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E8%97%A4%E7%94%B0%E4%BC%B8%E8%A1%8C&diff=359536
藤田伸行
2018-09-02T05:06:46Z
<p>Fromm: ページの作成:「'''藤田 伸行'''(ふじた のぶゆき)とは、10代女子を買春する、54歳の三重県津市収税課長である。 == 10代少女を買春、津市...」</p>
<hr />
<div>'''藤田 伸行'''(ふじた のぶゆき)とは、10代女子を買春する、54歳の[[三重県]][[津市]]収税課長である。<br />
<br />
== 10代少女を買春、津市収税課長の藤田伸行(54)を逮捕。「中年男性と制服姿の少女が入室した」とホテルが通報(2018年8月) ==<br />
[[三重県警]]は[[8月15日]]、[[津市]]収税課長の藤田伸行(54)=[[津市]]安濃町太田=を[[児童買春・児童ポルノ禁止法]]違反(児童買)で逮捕したと発表した。<br />
<br />
容疑を認めている。<br />
<br />
県警によると、藤田は[[2018年]][[7月10日]]午後4時ごろ、三重県内の10代の女子生徒が18歳未満と知りながら、現金3万円を渡す約束をして、同県[[亀山市]]のホテルでわいせつな行為をした。<br />
<br />
ホテルから「中年男性と制服姿の少女が入室した」という連絡を受けた亀山署の警察官がホテルに向かう途中、中年男性が運転する車を発見。追跡したところ、女子生徒を車から降ろして走り去った。警察官が女子生徒から話を聞き、藤田が浮かんだ。<br />
<br />
== 関連事項 ==<br />
* [[ジュニアアイドル]]<br />
* [[JK画像]]<br />
* [[援助交際]]<br />
* [[関西援交]]<br />
<br />
{{デフォルトソート:ふした のふゆき}}<br />
[[Category:平成時代の事件]]<br />
[[Category:公務員の不祥事]]<br />
[[Category:日本の性犯罪]]<br />
[[Category:ロリコン]]<br />
[[Category:三重県の歴史]]<br />
[[Category:2018年の日本の事件]]</div>
Fromm
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E6%B0%B4%E9%87%8E%E7%BE%A9%E5%81%A5&diff=359535
水野義健
2018-09-02T05:04:27Z
<p>Fromm: ページの作成:「'''水野 義健'''(みずの よしたけ)とは、教室で女子小学生のほっぺにチューをする、愛知県豊田市花沢町の52歳小学校教諭...」</p>
<hr />
<div>'''水野 義健'''(みずの よしたけ)とは、教室で[[女子小学生]]のほっぺにチューをする、愛知県[[豊田市]]花沢町の52歳小学校教諭である。<br />
<br />
== 52歳の小学教諭、女児のほおに教室でキス(2016年9月) ==<br />
女子児童にキスをするなどしたとして、[[愛知県警]]豊田署は2016年9月8日、同県[[豊田市]]花沢町、小学校教諭・水野義健(52)を強制わいせつで逮捕し、発表した。<br />
<br />
水野は容疑を否認しているという。<br />
<br />
署と市教育委員会によると、水野は2016年8月1日午前10時40分ごろ、勤務する豊田市立小学校の教室で、同校の女子児童を抱きかかえ、ほおにキスをするなどした。<br />
<br />
当時は夏休み中の学習相談日で、1~6年生のうち約120人が登校し、教諭約20人に学習指導を受けていたという。女子児童は9月、母親を通じて同署に相談、被害届を出したという。<br />
<br />
水野は同校へ赴任して4年目で2016年は担任の学級を持たず、保健主事として個別指導にあたっていた。市教委学校教育課では「逮捕された事実を重く受け止め、被害児童に対しておわびしたい。改めて学校に厳しく指導をする」と話している。<br />
<br />
== 児童への強制わいせつで教員再逮捕(2016年9月) ==<br />
女子児童にキスをし逮捕された[[愛知県]][[豊田市]]の小学校教諭の男が、別の児童の服を脱がせて撮影したとして再逮捕された。<br />
<br />
再逮捕されたのは豊田市の小学校教諭・水野 義健で、[[2014年]]に小学校の教室で女子児童の服を脱がせた上、机の上に仰向けに寝かせ[[デジタルカメラ]]で撮影するなどした。<br />
<br />
水野は2016年8月、別の女子児童にキスをするなどし逮捕されていて、押収したカメラに児童の写真が残されていた。調べに対し水野は「撮影したことは事実だが脱がせていない」と容疑を一部否認している。<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[ジュニアアイドル]]<br />
* [[ロリコン]]<br />
* [[佐々木みゆう]]<br />
* [[牧原あゆ]]<br />
* [[ゆうみ]]<br />
* [[青山ななえ]]<br />
* [[相川聖奈]]<br />
* [[大橋優花]]<br />
* [[清水ちか]]<br />
* [[山中知恵]]<br />
* [[河西莉子]]<br />
* [[クッキンアイドル アイ!マイ!まいん!]]<br />
* [[スク水]]<br />
* [[ブルマー]]<br />
* [[パンチラ]]<br />
* [[胸チラ画像]]<br />
* [[ジュニアアイドル一覧]]<br />
* [[チャイルドモデル]]<br />
* [[子役]]<br />
* [[U-15]]<br />
* [[ロリータアイドル]]([[ロリータアイドル一覧]])<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:みすの よしたけ}}<br />
[[Category:2016年の日本の事件]]<br />
[[Category:豊田市の歴史]]<br />
[[Category:日本の性犯罪]]<br />
[[Category:ロリコン]]<br />
[[Category:教師の犯罪]]<br />
[[Category:転落人生]]</div>
Fromm
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E6%83%85%E5%BC%B1&diff=359534
情弱
2018-09-02T04:59:35Z
<p>Fromm: </p>
<hr />
<div>'''情弱'''(じょうじゃく)はもともと「情報弱者」の略称だが、この意味で使われることは少なく、ネット上などでは別の意味で用いられることが多い。<br />
<br />
#[[情報弱者]]。僻地に住んでいたり[[IT]]に関する知識がじゅうぶんでないために、[[放送]]や[[インターネット]]からじゅうぶんな情報を享受できていない人。 → [[情報格差]]を参照。<br />
#転じて、各種の情報に疎くて上手に立ち回れない人を揶揄して言う言葉。 → [[インターネット・スラング#蔑称等]]を参照。<br />
<br />
== 生徒の成績を保存したハードディスクが破損、バックアップ用HDも共に破損、データ復旧不能に ==<br />
広島県福山市教委は2013年10月29日、市立向丘中学校(三島重義校長、386人)で、生徒の成績を保存した[[ハードディスク]](HD)が破損し、1学期の成績の一部が失われたと発表した。通知表などから、成績を記録し直す。 <br />
<br />
8月8日に校舎の設備点検での停電後、バックアップ用を含めHD計2台が共に壊れているのが分かった。<br />
<br />
同校は流出防止のため、成績を文書で保存していなかった。各教諭が残していた記録などを基に、1学期の中間テストの成績や通知表はほぼ復元したが、202人分の期末テストの音楽の点数が復元できていない。今後、生徒から通知表などを回収して面談し、不明な成績を付け直す。 <br />
<br />
専門業者にHDの修復を依頼したが、データ復旧は難しいとの連絡が最近あったという。<br />
<br />
同校は29日夜、保護者に事情を説明。市教委は「今後は文書でも記録を残すよう指導する」とし、臨時校長会で情報機器の管理方法などを指導する。<br />
<br />
== 格安スマホに対する苦情が急増「これまで通りのサービスを安く受けられるんじゃなかったのか」(2017年4月) ==<br />
[[国民生活センター]]は13日、格安[[スマートフォン]]に関する2016年度の相談数が1045件に上り、前年度比で2.8倍に急増したとして注意を呼び掛けた。<br />
<br />
「これまで通りのサービスを安く受けられると思っていたのに実際は違っていた」との相談が目立つといい、センターは「従来の契約内容と違う点もあるとの特徴を事前によく理解してから契約してほしい」としている。<br />
<br />
センターによると、格安スマホを運営する仮想移動体通信事業者(MVNO)は、携帯大手から通信回線を借りて安くサービスを展開。相談数は2013年度46件だったのが、普及に伴い2014年度139件、2015年度380件と増加傾向にあった。<br />
<br />
{{デフォルトソート:しようしやく}}</div>
Fromm